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2011年12月

2011年12月31日 (土)

「カーネーション」 第13週 手足をもがれゆく者

 たった3回なので今週は楽かと思ったのですが…。

 このドラマ、そんなに甘くなかった(笑)。

 とっとと参りましょう。

 月曜放送分。

 亡くなる前の善作が、この世をいとおしむように見上げていた、トンビの舞い飛ぶ空。
 そこにアメリカ軍の戦闘機が飛んでいます。
 昭和19年12月。
 悠々と大阪の街を飛び回る敵方の戦闘機の低い爆音は、日本軍の制空権の喪失を意味しています。
 まずここに、今週の糸子を悩まし始める無力感のベースがある。
 要するに、日本政府はやすやすと、敵の侵入を許してるわけでしょう。
 やつらがやろうと思えば、いかようにもできる、ということですよ。
 なすすべがない。
 まな板の鯉なわけですよ。
 もう政府なんか当てにならない。
 状況は悪くなる一方。
 そこで糸子を動かしていくのは、ただ生きる本能だけ、なのです。
 まずは食べること、そして食べること、さらには食べること。

 昭和20年正月。
 糸子は娘3人を引き連れて、神戸の松坂のお屋敷にやってきます。
 祖父の清三郎。 少々、まだら状態で認知症が進行している状態です。
 その清三郎、糸子を自分の娘の千代だと思い込んで、糸子を呼びます。 糸子はおっとり千代のマネをして少し笑わせるのですが。
 清三郎は死んでしまった善作に、生きているあいだひどいことをしたと言って、泣きながら謝るのです。
 どうやら善作が死んだことは認識しているらしい。

 「千代…。 善作君には、かわいそうなことしたなあ…。

 このわしもな、元はゆうたら貧しい貧しい、一介の丁稚(でっち)やった。

 それを、ここの松坂の父が見込んでくれてな…貞子の婿にまで、引き上げてくれた…。

 そやのに…。

 わしにはそういう、『懐(ふところ)』 ゆうもんがなかったんや…。

 甲斐性がないゆうだけで、あんな気のええ男を毛嫌いして…つろう当たってしもた……」

 そんなこと気にせんでええ、という糸子に、清三郎は頼み込みます。

 「なあ千代…今日うち帰ったらな…仏壇に手ぇ合わして、よう拝んどいてくれ…。
 わしが、『松坂の父が許してくれ』 ゆうとったって…なあ千代…」

 「ところどころはおうとるな」 と貞子が言ってちょっとだけ笑わせますが、この、ぼけつつある清三郎。 記憶が喪失されつつあるこの祖父の状態が、戦争によってあらゆるものを喪失していく、という意味で、糸子にとって些細なきっかけのひとつになっていることに注目します。
 確かに先週の終わりで、幼なじみの勘助が戦死してしまったことによる喪失、という端緒はあるんですけどね。

 別れ際、清三郎を除く貞子や伯父、そして従兄弟の勇らの玄関での見送りに、糸子はふと考えます。

 「(この人らぁにも、またもっかい、会うことがでけるやろか…)」

 いちいち別れるのに、そんなことを思わざるを得ない状況。
 「ほなな…」
 あいさつをする糸子に、貞子は突然、たまらず抱きつきます。

 「…糸子…。

 …あんた、生き延びやぁ…。

 …必ず必ず、また顔見せてな…」。

 まるで今生の別れであるかのように、その場にいた大人たちは唇をかみしめます。
 当たり前にあることの奇跡を、私などはここから感じるのです。
 記憶がなくなりつつある清三郎。
 糸子の胸には、父親に続いて清三郎も失いつつある、という重たい思いがある。
 糸子の手足がもがれていく序章が始まっています。
 壊死が、その手足の先から、始まっている。

 東京、そして名古屋、と都市部への爆撃が、タブロイド判1枚になってしまった粗末な新聞から報じられます。 新聞は、「盲爆」 という表現を使っています。
 「次は大阪…」。
 東京、名古屋と来たら、誰もがそう感じるはずです。
 この圧迫感。

 焼夷弾、という、火災を起こすことが主たる目的の爆弾についての説明も、ここで行なわれます。
 人道的見地から行けば、人口集中地帯を火の海にするという攻撃は、実に 「えげつない」。
 しかし昨今の、「軍事拠点および敵方指導部の壊滅」 をピンポイントで上品に行なう(これにしたって本当はえげつなさをひた隠しにしてますけどね)攻撃とは、根本的に考えが違うんですよ。
 もっと言えばあの20世紀の中ごろ時点では、考えが違うどころか、人命軽視とか人道配慮とかいう概念自体がなかった。
 あったらあんだけ根こそぎやりませんでしょ。
 原爆なんか落としませんでしょ。
 ナチスだってユダヤ人をあんだけ虐殺しませんでしょ。
 つまり敵に対する異様なまでの怒りとか恐怖とか、「やつらは全滅させなきゃならない」 という理論がただあるだけ。

 敵のえげつなさにいまさら気付いた日本国民。 建物を消火するのにバケツリレーの訓練が始まります。 ちらっと見た 「おひさま」 でもやってたなあ。
 ただここで展開するのは、「こんなことやってても焼け石に水ちゃうやろか」 という、糸子の空虚感です。

 と、画面が一気に暗転します。
 そして東京大空襲のテロップが。
 この暗転の仕方がまた見事で(褒めすぎちゃうか?…笑)。
 一瞬電気が止まったか、と思うような、ブツッとした切れ方なんですよ。 糸子たちの消火訓練の様子の消え方が。
 昭和20年3月10日。
 私の記憶が確かならば、その数日後に大坂も、大空襲に見舞われるはずです。
 縫い子のトメは、もう今から呼吸困難になっとる。

 3月13日。

 寝静まった夜中に、空襲警報が鳴り響きます。

 「来た!」

 「来た!」

 「怖い、怖いよー」

 ハルおばあちゃんを背負って2階から降りて来た糸子。
 縫い子たちが 「トメちゃんがよう逃げんって!」 と慌てています。 「あんたら先防空壕行き!おばあちゃん、ごめんやで!」 おばあちゃんを下した糸子はトメをきつく促します。

 「トメちゃんっ!」
 「イヤですっ、うちよう逃げませんっ!」
 「しっかりし!! あんたはよ逃げな、燃やされんやで?!」
 「イヤやー怖い怖いーー」
 「トメちゃん立ちい!!」

 「先生早よう!!」 叫ぶ昌子。
 トメは糸子がいくら強引に引っ張っても動きません。

 「…うちがいといちゃら」
 「はぁっ?!」

 ハルおばあちゃんです。

 「うちが一緒にいといちゃる…泣きな、泣きな、なんも心配することないて」

 「みんな、逃げたかぁ~~っ!」
 木之元のおっちゃんが見回りでやってきます。
 「逃げてへん」 ぼけーっと玄関先に座っている糸子。
 「うわっ、何してんや?!」
 「まあ、いよいよ火ぃついたら逃げるやろ」
 ノンキというか投げやりというか。
 「先生…」
 ハルおばあちゃんをおぶって奥から出てきたトメ。
 「うちも、逃げます…おばあちゃん燃やすわけにはいきませんーー!」

 この場面。

 ハルおばあちゃんの絶望がまだ続いていたことを物語っています。
 息子よりも長生きしたってなんもええことない。 そんな絶望です。 アメリカさんが燃やしてくれるんなら、こら好都合や。 盛大なお焼きやで。 景気ええやないか。
 そして結局それに付き合う糸子。
 おそらく糸子は、アメリカさんの攻撃なんてたぶんそんなに大したことはないだろう、と考えている部分もある気がします。
 なにしろ空襲、っていっても、街が根絶やしにされるほど焼かれるとは想像もしていないだろうって、思うんですよ。
 それにいざという時の女のしたたかさ、生きる執念というものを信頼しているフシもある。

 「もうどうでもええわ」 と思いながら、自分の生きる力を信頼している。
 女性ならではの発想のような気がするんですよ、ここで逃げずにいったんとどまっている女たちの気持ちって。

 防空壕に走り出した糸子たち。
 糸子は不意に、善作の位牌と遺影を忘れたことに気付きます。
 でも糸子は無理にとって返さない。

 「(けどしゃあない。 堪忍や。 お父ちゃん。 縁があったら、また会おうな)」

 このとき糸子の胸には、確実に父親の声が聞こえていたはずです。
 「引き返すことあらへん! 無理に引き返して、自分が死んだらどないすんねん。 はよ行け糸子!」。
 これは私の想像のセリフですが(笑)、死んだ者より生きた者を優先させようとする糸子のスイッチが、ここで入ったような気がする。



 火曜放送分。

 なんとか無事だった岸和田。
 家に戻って来た糸子は、さっそく仏壇にあいさつします。

 「…お父ちゃん。 また会えたな…」

 糸子は善作の遺影と位牌を布袋に包み、すぐに持ち出せるようにすると 「こんで安心や」 とひとりごちします。

 防火訓練はますます真剣さを増します。 指導する澤田のオバハンも目が血走ってる。
 貧血で倒れようもんなら、「甘ったれるな! それでも日本の女か! B29は130機もいてるんや! ノンキに貧血なんか起こしてたら、焼かれてしまうてゆうてるんや!」。

 「(せや、B29は130機もいてるっちゅうのに、バケツの水なんぞなんぼ撒いたところで…埒あくかいな)」

 糸子の空虚感は、ますます具体性を帯びてきている気がします。
 竹やり教練、防火訓練、防空ずきん。
 そんなものがいかに子供だましだったか。
 そんな子供だましで、いかに当時の政府が、国民を翻弄したか。
 高速代無料、増税しない、八ツ場ダムは中止。
 そんな子供だましで、いかに現在の与党が、国民を愚弄したか(笑)。
 首都高も実質的な値上げだし。
 1月1日からって、いつの間にそんなの決まったの?
 みんなもっと怒りなさい。

 糸子は山中町の山奥、という場所に、家族を疎開させることにします。 郊外だから爆撃もないだろう、ということでトメらの不安も解消させ、避難をしやすくし、そこの農家を手伝うことで、食料もなんとか確保しようとしている。
 てきぱきとアンタはこっち、アンタはあっち、という指示をする糸子。 実に小原家の家長同然の動きをしています。
 しかしハルおばあちゃんは、この場所で死ぬ、と言って聞きません。
 舌打ちをする糸子。
 相変わらず態度悪いです(笑)。
 「(年寄りの寝言なんて、聞いてられません)」。
 ハルおばあちゃんは糸子の実力行使によって、ほぼ強制的に疎開させられます(爆)。 「放せ!放せちゅうてんのに! もう、糸子っ! なにすんねんっ! うちは、いかへんちゅうてるやろっ! こらっ! この不孝もんっ! 覚えとれよっ! あほーっ!」(笑)。

 糸子はブンむくれるハルおばあちゃんを尻目に、その農家のおっちゃんに食料交渉。 自転車を漕ぎ漕ぎ、なんとか食料を持ち帰ります。

 6月。 終戦まであと2カ月。

 空襲警報は日増しにその頻度を上げていき、防空壕への避難もかなり手慣れてきたオハラ洋装店の面々。
 それにしてもこう朝昼晩では、体がもたないし商売になどならないし、まるで避難訓練ばかり毎日命がけレベルでやってるのが日課みたいになってくる。 何のために生きてんのか?という気になってくる。
 しかも季節は梅雨に突入。
 糸子は大雨のなか、自転車を漕ぎ漕ぎ食料調達。
 山中町の疎開先は雨漏りがひどくてムカデがよう出る。
 「糸子、はよう家帰らしてくれなんだら、うちらムカデに殺されてまうで」 毒づくハルおばあちゃん。
 「はいはい、戦争終わったら、すぐ帰しちゃるよって」 意に介さない糸子(笑)。
 「戦争なんか終わるの待っちょったら、うちらのほうが先死んでまうわ」。

 このハルおばあちゃんの言葉は、壁に耳あり正司にメアリー、じゃなかった(笑)、どこぞで誰かが聞いてるなんて心配などもはやどうでもいい、という状況を意味しています。

 千代はこんな恐慌状態などどこ吹く風で、蛍を見に行ったけど出てへんかったぁ~~とのんきな話をしています。 「楽しみやなぁ~…」。

 さめざめとした月の出ている夜。

 片足を引きずりながら歩く影があります。
 いったい誰?
 6月の蛙が、戦争など関係なく鳴いています。
 そこにもうひとり、何かから逃げているような、モンペの影。
 「こら泥棒ーーッ! 待てぇーーっ!」
 その片足を引きずっていた男は道端に座っています。
 色眼鏡をかけた、どうやら傷痍軍人のようです。
 泥棒を追いかけてきた男が、その傷痍軍人にどこへ逃げたか聞きます。
 「あっちや…」
 傷痍軍人は、その泥棒をかばって追手を撒きます。
 「…おい、行ったど」

 物陰から姿を現した泥棒。

 なんと、奈津です。

 顔は泥だらけ。

 ここまで身を持ち崩してしまったのか。

 「なんじゃお前…ごっついべっぴんやの…腹減ってんのか?…食わしちゃら…来いや…」

 いかにもやばそうなその男。
 奈津に向かって、手を差し出します。
 おずおずと、その男の差し出した手に、手を伸ばす奈津。

 「(ものが考えられへんようになってました)」。

 ここに、糸子のナレーションがかぶさるのです。
 ものが考えられなくなっていたのは糸子ですが、奈津もそうだったことをここで暗示しているのです。
 まるで魅入られたようにその男についていく奈津。

 そしてトンビならぬB29の舞い飛ぶ青空。
 7月です。
 もう敵機は毎日のように悠々と制空権を掌握している。
 無策。 無策。 無策。
 空襲警報は朝昼晩どころか、四六時中鳴っている状態。
 対空砲とか迎え撃つ友軍機とか、そんなもんなどな~んもない。
 まるで手足をもがれたような無策ぶりです。

 「(なけなしの食べもんを、あっちへ運びこっちへ運び、食べてへんし、寝てへんし、なんやもう、ものが考えられへんようになってました)」

 糸子が向かった山中町の疎開先では、千代がうつろな目をしてうちわを仰いでいる。 倒れ込む糸子。 蝉が鳴いている。 小原の店に戻っている糸子。 自分がどこで何をしているのか。 まったく分かっていません。 糸子が動いているのは、ただ食べなならん、という、生き物としての最後の本能だけです。

 「結局、蛍て見れたんやろか…」

 千代に聞くことも忘れていた、のか。 自分が蛍を見ることを忘れていたのか。 そんな宙を舞うような疑問を糸子が考えているとき、公報の配達人がやってきます。

 「ご愁傷様です――」

 蝉がシュワシュワ鳴いています。

 「ご苦労さんです――」

 ぼけーっとしたまま、心ここにあらず、といったふうに頭を下げる糸子。

 蝉がシュワシュワ鳴いています。




 水曜放送分。

 誰もいないオハラ洋装店の店先。

 糸子はぼんやり、夫勝の戦死公報を手にしています。

 5月18日、湖南省の病院で、戦病死した、と書いてあります。

 「…ほうか…」。

 糸子は何の感情も出さずにつぶやきます。

 蝉が鳴いています。

 勝の遺骨の入った箱を抱えて帰ってくる糸子。

 木岡のおっちゃんは、いつもは頭が上がらない自分の妻に 「うるさい!」 と吐き捨てながら、声を絞り出します。

 「わしは見ん。 もう…もう、うんざりじゃ…!」

 木岡の妻はそれを怒ることなく、店から出ないまま、静かに手を合わせます。

 誰もがもう、まわりの男たちが死んでいくことを、いまさらあえて悼む気持ちが消えている。 働き手が次々死んでゆくこの国。 手足をもぎ取られてもなお生きなければならない昆虫のもとに群がる蟻のように、ひっきりなしに鳴る空襲警報。 その死の匂いを嗅ぎつけて、手ぐすねを引いて襲いかかろうとしている国。

 そんななかでただ食べるためだけに無意識のまま生きている汝臣民ら。
 蝉がシュワシュワ鳴いています。

 「(とにかく食べてへんのと寝てへんのと、熱いんとうるさいんと、…

 …あっついなあ…。

 なんしかものが考えられません…)」

 ここまで来るともう、夫が浮気してたんちゃうとかもうどうでもよろしい。 考えることが出来れば怒ったりまだ自分にも感情が残っていたことが分かるのですが、考える気力すら奪っているんですよ、戦局の著しい悪化が。
 喪服を着て葬儀をしていたかと思いきや、また逃げ惑う糸子たち。
 こないだは西のほうが危なかったのに、今度は東が危ない。
 どこもかしこも結局危ない。
 絨毯爆撃で逃げるとこなんかあらへん。
 殺気を帯びてくる消火訓練。
 澤田のオバハンも、もう食べてないせいかフラフラです。
 バケツの水は目標の目印に命中するけれど、それがなんやっちゅうねん。

 「(言われるままに逃げて…。

 言われるままに動いて…。

 食べもんを届ける…。

 寝れる時に寝る。

 でも寝てられんと起きる(空襲警報に飛び起きる糸子たち)。

 そんなんで…)」。

 オハラ洋装店に飛び込んでくる安岡の息子、太郎。

 泣き崩れる八重子。

 泰蔵の、戦死公報です。

 手も足も、もうすっかり食われてしまいました。
 自分で動くことはままなりません。
 よう見ときや。
 目をそらさずによう見ときや。
 これが戦争やねん。
 目ぇそらしたらあかん。

 私が小学校高学年時代に歴史の教科書を読んで戦慄したのも、まさにこの部分でした。
 手足がもがれていく感覚。
 自分の国が死んでゆく瞬間。
 それなのに、まだ悪いことが積み重なっていく状況。
 特にポツダム宣言から原爆投下、ソ連の不可侵条約一方的破棄による北方領土占拠。
 この国は、まさに一度、死んでいるのです。
 戦後、日本人が、もう戦争はこりごりだ、と感じたその息吹は、だから私の胸に刻み込まれています。

 泣き叫ぶ八重子の姿をぼんやり見ていた糸子。 自分の気持ちがどこにもないことを自覚しながらも、こう考えています。

 「(けど、これはこれで楽や。

 悲しいっちゅうんはつらいし、つらいんはしんどい)」。

 糸子は千代に、神戸の工場もお屋敷も空襲で焼けてしもうた、と話をしています。
 「ほうか…」
 気の抜けたような千代の返事。
 伏せったままのハルおばあちゃん。
 そこに優子と直子が、戯れに集めてきた、赤い花びらを、糸子の手のひらに無邪気に載せるのです。
 鮮烈なまでの赤。
 糸子はこんな無邪気な子供たちの思いに無表情を貫くことが出来ず、なんとか微笑みを作ろうとします。

 山中町から生気の抜けたような顔のまま帰って来た糸子。
 商店街は人っ子ひとりいず、ゴーストタウンのようです。

 不意に聞こえてくる、お囃子の音。

 それはまるで、過ぎし日の鎮魂歌のように、糸子の心を動かし始めます。

 だんじり祭り。
 颯爽とした父、善作の姿。
 まぶしいまでにかっこいい、泰蔵の姿。
 巨大な山車を引く男衆、そのなかに勘助の姿。
 それを喜々として見送っていた、少女時代の糸子。
 それがモノクロームの景色の中で、通り過ぎていくのです。

 そして娘たちから手渡された、赤い赤い花びら。
 モノクロームの画面に色を添えていきます。

 再びモノクロームの画面。

 善作との、今生の別れとなった温泉行きの場面。
 夫勝との、やはり今生の別れとなった、出征の場面。

 そして今。

 誰もいない商店街に、ひとりたたずむ糸子。

 あのお囃子の音は、死んだ男たちが鳴らしたものだったのでしょうか…?

 糸子は、だんじりの山車が置かれている場所にやってきます。
 そこにいたのは、木岡のおっちゃん。
 まさか木岡のおっちゃんがお囃子を鳴らしていたわけではないと思うのですが。

 だんじりを見上げる糸子。
 木岡のおっちゃんはその場から離れようとします。

 自転車の倒れる音。
 おっちゃんが何事かと振り向くと、糸子が泣いているのです。
 気持ちもなにも全部なくしてしまったかに思えていた糸子が。

 おそらく糸子は、だんじりを見て、過ぎし日に自分が感じていたことを、すべて取り戻したのでしょう。
 あんなに最悪のことばかり起こったのに、だんじりはこうして変わらず、自分の目の前にある。
 あの頃自分は、みんなは、人間らしい心を持っていた。
 人間たちが、そこにいた。
 自分の娘たちは、こんなひどい状況でも、そのことをまだ忘れずにいる。
 いや、忘れる方法を知らないのかもしれない。
 どうしてこんなになってしまったのだろう。
 アメリカが憎くてたまらない?いや、そこに責任を転嫁するのはお門違いなような気がする。
 戦争を始めた軍部が悪い?いや、戦争に勝って浮かれていたのは、紛れもなく自分たちではなかったか。
 もうあの頃は遠い。
 みんな逝ってしまった。 父親も。 夫も。 憧れていた人も。 かけがえのない友人も。
 くやしい。
 でもその悔しさを、どこにぶつけていいか分からない。

 それまで死んでいた感情をすべて解き放ったかのような、糸子の怒りに満ちた、悲しみに満ちた、慟哭。

 画面を見ながら、凍りつきました。

 木岡のおっちゃんが、心配そうに糸子に寄り添います。
 地面に散らばった、赤い花びら。

 もうこれ以上、なんと表現していいのか、ちょっと分かりません。

 けれども警報は、また無情にやってくる。
 手足をもがれてもなお、警報はすべての静寂を駆逐して、やってくるのです。

 「山中町に、爆弾が落ちた!」

 木之元が大慌てで糸子に知らせにきます。
 なんであんな過疎地帯に?
 もうふざけんな。
 そんな文句なんか、なんの意味もない!

 「優子! 直子! 聡子! お母ちゃん! おばあちゃん!」
 「糸子ー! 糸子ー!」
 「大丈夫や! お母ちゃん、来たよってな!」
 「おかあちゃーん!」
 「お母ちゃん、逃げるで!」
 「どこへ?」
 「川や! みんなで水ん中飛び込も! 燃やされへんよって!」
 焼夷弾が落ちてくる、ヒューという、打ち上げ花火のような音。
 かなりの爆音とともに、画面が大きく揺れます。
 至近距離に落ちたようです。
 立ち上がる煙。
 泣き叫ぶ子供たち。
 逃げられず、その場にひとかたまりになる一家。
 糸子は憎しみに満ちた目を上げ、ひとり屋外に出ていきます。
 火の粉が、まるで蛍のようです。

 「…うちは死ねへんで…!

 死ねへんで!!」

 B29に向かって叫ぶ糸子。

 山中町の焼ける様子を遠くから見ている者がいます。
 奈津と、あの傷痍軍人です。

 「わしは空襲なんぞなんも怖ない。
 燃やされて困るもんやら、ひとっつもないよってな。

 …お前もそやろ?」

 奈津はうなづきます。
 けれどもうなづく瞬間に、涙がこぼれます。

 「泣くなや」

 手を肩に回す男。
 奈津は涙を流し続けます。

 この場面。

 男は何かを失えば、絶望する。
 「ゲゲゲの女房」 でも、戦争で希望を失い、遊び呆けていた旦那さんがおりましたよね。
 けれども女性は、たとえ手足をもがれようとも、次の命の萌芽をそこに見ている。
 だから悲しみを感じないなんて冷笑主義には、なかなか陥らないのです。
 女性は泣きながら、あらたな気力がわき上がるのを感じる。 現実主義なんですよ。
 男性はその点、絶望に陥ったら、甘えん坊みたいに拗ねてばかりですな。

 8月15日。

 ワケの分からない玉音放送を聞いた後、木岡のおっちゃんが絶望した声で、「日本が負けたー!」 と騒いで回っています。

 「あ~負けたんや~! 負けたんやで、日本が!
 畜生ォォォーーーーっ! 負けてもうたんやぁぁ~~~っ!」

 みんなが出払ったあと、糸子は淡々とラジオを消し、立ち上がります。

 「さ。

 お昼にしようけ…」。




 なんや結局、いつもと同じくらいの労力と長さになってもうたやないの(笑)。
 「紅白」 で今さっき、椎名林檎サンが 「カーネーション」 歌ったのを、奇跡的に聞けたけど、「紅白」 の時間までかぶってもた。
 頭ん中、完全に岸和田弁や(爆)。
 もう 「紅白」 の実況をする気力、のうなってしもたわ。
 それではみなさん、もう今年はこれでしまいですわ。
 よいお年をお迎えください。
 ほななー。

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2011年12月30日 (金)

独断と偏見によるベストドラマ2011

 このところやたらと忙しくてドラマを見るヒマもなく、なんとかたまっていた録画を見ようと頑張ったのですが、結局 「11人もいる!」「坂の上の雲」 を最終回まで見ることがないまま、やはり今年中にやっつけてしまおうと思います、2011年の当ブログが決める、ベストドラマ。

 まずはエントリー。

 去年の選考基準は 「最後まで見てないドラマ、まだ終わってないドラマは外す」 とかややこしいものでしたが、今年はその枷を外します。 この時点で結果が見えているような気がいたしますが、まあ権威のない賞なので目くじらを立てないでくんなまし…。

 「正月時代劇 隠密秘帖」(NHK)
 「赤い指」(TBS)
 「仮面ライダーオーズ」(テレビ朝日)
 「江~姫たちの戦国~」(NHK)
 「任侠ヘルパーSP」(フジテレビ)

 「美しい隣人」(フジテレビ)
 「外交官 黒田康作」(フジテレビ)
 「冬のサクラ」(TBS)
 「TAROの塔」(NHK)
 「スクール!!」(フジテレビ)
 「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」(NHKBS2)(当時)
 「四十九日のレシピ」(NHK)
 「おひさま」(NHK)
 「新選組血風録」(NHKBSプレミアム)
 「犬を飼うということ~スカイとわが家の180日~」(テレビ朝日)
 「JIN-仁-」(完結編)(TBS)
 「リバウンド」(日本テレビ)
 「アスコーマーチ~県立明日香工業高校物語~」(テレビ朝日)
 「高校生レストラン」(日本テレビ)
 「鈴木先生」(テレビ東京)
 「ブルドクター」(日本テレビ)
 「それでも、生きてゆく」(フジテレビ)
 「ドン★キホーテ」(日本テレビ)
 「華和家の四姉妹」(TBS)
 「全開ガール」(フジテレビ)
 「テンペスト」(NHKBSプレミアム)
 「仮面ライダーフォーゼ」(テレビ朝日)
 「胡桃の部屋」(NHK)

 「ラストマネー~愛の値段~」(NHK)
 「カーネーション」(NHK)
 「塚原卜伝」(NHKBSプレミアム)
 「家政婦のミタ」(日本テレビ)
 「南極大陸」(TBS)
 「深夜食堂2」(TBS)
 「11人もいる!」(テレビ朝日)
 「妖怪人間ベム」(日本テレビ)
 「ランナウェイ~愛する君のために」(TBS)
 「カレ、夫、男友達」(NHK)

 このうち全部見ていないのは14(太字以外)。

 ここでひとつお断りしなければならないのは、「坂の上の雲」 を選考から外している点です。
 このドラマ、結局3年がかりでしたが、まだ見終わってなくて、その評価をするにはちょっと準備不足なのと、スケール感からすれば別格、との思いが強いせいであります。
 ただドラマ的に感じたままを評価させていただくと、そんなによく出来た体裁のドラマとは思えません。 ところどころ冗漫な部分があるような気がするんですよ。 内容に関してはとても重厚で、日本人の気概をこれほどまでに見せるドラマはないのですが。
 おそらくこれって、共同脚本の弊害のような気がする。
 それとやはり、日本人はすごい、ということは確かにあるのですが、その裏で政治が、権力が、腐敗していったのも事実なんですよ。 維新の功罪、みたいな部分にスポットを当てられれば、もっと見ごたえがあったのでは、と感じる…のですが、まだ最後まで見ていません。 これはもしかするとかなり外しまくった感想である可能性があります。 ご了承ください。

 では気を取り直して各論です。

 「正月時代劇 隠密秘帖」

 続きものの前説みたいなドラマだったのですが、そっちのほうでは舘ひろしサンを40くらいの男にするには、ちょっと無理があるような気はいたしました。 ただこっちの前説ドラマでは、その主人公の父親を舘サンが演じていたわけで、なかなか渋くてよかったです。 ただ毎週30分の続きもののほうに付き合う気力がなかった。

 「赤い指」

 「新参者」 の続編みたいなスペシャル単発ドラマだったのですが、「新参者」 より数倍出来がよかったですね。 登場人物を絞ることで事件への集中力が増し、レギュラードラマ時の冗漫さがきれいになくなった。 杉本哲太サンの熱演が印象にあります。

 「仮面ライダーオーズ」

 主人公が風来坊、という設定がいかにも昔っぽくてよかった。 オーズに協力する悪役、アンクの内的葛藤、というのも結構お約束の部分はあったにせよ、見応えあったかなあ。 近年のライダーシリーズのなかでは、かなりの成功例だと感じます。

 「江~姫たちの戦国~」

 これね…(笑)。

 まあもうレギュラーレビューでけなしまくりましたけどね。
 「総集編」 をチラッと見たら、それ以上にグダグダで。
 内容がダイジェストみたいだったから総集編にしたらよくなるかと思ったんですが(爆)。
 ダイジェストのダイジェストだった(ハハ…)。
 ただ田渕サン、「江」 の放送終了後にお身内のかたを亡くされたらしいので、ちょっとこれ以上のコメントは控えさせていただきます。

 「任侠ヘルパーSP」

 このスペシャルドラマのケシカラン点は(うおっいきなり批判)、本編で結構いい雰囲気で終わった夏川結衣サンを、お涙頂戴のために死なせてしまったこと。
 そのせいで、このドラマを今思い返すと、どうにも虚しさばかりが先に立ってしまうのです。
 草彅クンもあのまま夏川サンへの献身を続けていればもっと真人間になっただろうに。

 「美しい隣人」

 このドラマ、大震災の影響をもろに受けて、最終回をまともに見てないんですよ。
 ただご覧になったかたからの感想を読みます限り、最後はいかにも尻すぼみだったと。
 でもこのサイコサスペンス、なかなか私は楽しんでみていました。
 ところどころ演出が大げさすぎる点はありましたけどね。
 しかし檀れいサン、このころは独身で、私もまだ注目度があったのですが、結婚されてしまってからはまったく見たいと思わなくなってしまいました(正直な男だオレも)。 「金麦」 のCMも、昔はほほえましく見ておったのですが。

 「外交官 黒田康作」

 なんとなく話がいびつだったような印象があります。 外交官といいながらスパイみたいだし、殺しのライセンスを持ってるかと思えば外務省内で特に力もないみたいだし。 黒田康作の立ち位置がいまいちあやふやだった気がする。 スゴイコワモテなのに女の子にデレデレしてるし(ハハ…)。 メインの事件が結構どうでもいいような感じだったので、柴崎コウサンのズッコケ演技のほうが面白くて。

 「冬のサクラ」

 これも結局、昔見た冬彦サン系のドラマだったのかなぁ。 当時結構のめり込んで見ていた気がするのですが、いちばん印象的だったのは、草彅クンと佐藤健クンの兄弟愛、だった気がします。 「ラストをどうするか」 で作り手の側に結構迷いがあったような印象もある。

 「TAROの塔」

 岡本太郎を演じた松尾スズキサンの演技、強烈でした。 それ以上に強烈だったのが、太郎の母岡本かの子を演じた寺島しのぶサン。 そう言えばこのドラマ、最後まで見てないぞ。 あまりにキョーレツすぎてもういいや、と思っちゃったのかな。

 「スクール!!」

 まったく別の畑にいる人が小学校の校長をやるとどうなるのか、というドラマで、熱血校長を江口洋介サンが演じていました。 これも最後まで見ておりませんが、ガキ共がナマイキすぎて見ていて胸やけしたので見るのをやめたような覚えがあります(ハハ…)。 演技がうますぎる子役、というのも良し悪しであります。

 「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」

 8回連続の海外ドラマ。 中世イギリスを舞台としながらもかなりフィクションの入ったドラマでした。 例えて言えば 「超特急ドラマ」(爆)。 話が入り乱れまくり、登場人物の顔(特に国王とワルモノの息子の顔)の区別がつかなくて混乱しまくり。
 ただし話的にはすごく面白くて、これ、回数を2倍にしたらもっと落ち着いて見られるのに、と思うことしきりでした。
 このドラマのレビューでは、私個人の宗教観を書き殴りまくりました。

 「四十九日のレシピ」

 これも回数が少なかったなあ。 4回ですか。 傑作でした。 現実と妄想が混在しているような作りで。
 もう毎回泣いていたような気がします。 伊東四朗サンに、和久井映見サンに、オッカ(風吹ジュンサン)に、イモ(徳永えりチャン)に、ハルミ(渡部豪太クン)に。
 このドラマ最終回のレビューに丸2日がかかり、書きあげてアップし30分もたたないうちに、あの大震災が起こったのです。
 大震災がなければ、この傑作ドラマは口コミでもっと評判が広がったことでしょう。
 個人的には暫定で年間1位をあげてもいい、そんな小品であります。

 「おひさま」

 かなり世間的に賛否両論があった作品のように思うのですが、私が見ている限りではそんなにサイテーの批判をされるような作品には思えませんでした。 批判派のなかでは特に戦後の描写に対する批判が強いと思われます。
 ただ私の場合、戦争前でこのドラマはリタイア。
 見ていてどうも、まったりしちゃうんですよ。 1週間分ぶっ続け見、ですんで。
 途中で寝てしまうことが続いたため、そのうちに見るのがおっくうになってきて。
 だからこのドラマに関して責任ある感想が書けません。 ゴメンナサイ、です。

 「新選組血風録」

 このドラマも最後まで見ておりませんなあ。
 ただ 「江」 と比べれば格段に良く出来た作りでして。
 こっちのほうが大河にふさわしい、と思ったことは確かですが、それと見続けるモチベーションとは別物みたいで(笑)。
 やはり三谷幸喜サンの 「新選組!」 からするとスケールダウンの感が強くて。
 話は司馬遼太郎原作だから面白いんですが。
 役者さんたちの顔がみな 「新選組!」 の時のキャストとダブって見えてしまうのが難儀しました。
 あとセリフが聞き取りづらかった印象があります。

 「犬を飼うということ~スカイとわが家の180日~」

 錦戸亮クンのダメパパぶりと、水川あさみサンのしっかりママぶりが印象的だったこのドラマ。
 話的にはツッコミどころが満載でしたが、結局最後、ポメラニアンのスカイが死んでしまう前にこの家を見収めるようにあちこちを見てまわっているところでは、もう号泣。
 思い返したらまた泣けてきた。

 「JIN-仁-」(完結編)

 第一部の謎をすべて完璧に解きまくったこのドラマ。
 第一部の体裁を期待していた向きには少々消化不良の残る側面もあるとは思うのですが、完結編には完結編の良さが厳然としてある、そんな気がいたします。
 ここまで期待されたドラマもなかったでしょうし、その期待を裏切らなかった作り手には、称賛の言葉しかありません。
 特に咲(綾瀬はるかチャン)から南方仁に贈られた、最後の手紙。
 この手紙のためだけに、完結編は存在している、といってもいいくらいの内容で。
 完結編第1回からこのシーンがインサートされていたから、作り手はまっしぐらに、このラストに向けて話を練りに練っていたと思われるのです。
 すごすぎます。

 「リバウンド」

 遊川和彦サンの、「家政婦のミタ」 直前の作品、という位置付けになってしまいそうなこのドラマ。
 「ミタ」 でうららチャンを演じた相武紗季チャンが主役で、食べるとかなり如実にリバウンドしてしまう体質の女の子を演じていました。
 それゆえにこのドラマのひとつの売りは、相武紗季チャンのデブ特殊メイク(笑)。
 そして極端なまでに振り幅が大きいこのドラマ、やはり 「家政婦のミタ」 での阿須田家の無理な注文と繋がっている部分がある。 状況設定を極端にして言いたいことを増幅させる、遊川脚本の真骨頂だった気がします。

 「アスコーマーチ~県立明日香工業高校物語~」

 最近何かとプッシュされている印象が強い武井咲(えみ)チャン主演のドラマ。 髪を思いきり後ろにギュッと束ねた姿が印象的でした。
 意外だったのは、話が結構しっかりとしていたこと。 ムリヤリな設定って散見されるんですけどね、この手のドラマ。 話がムリヤリな割には、それぞれの事情が深く描写されていた気がする。
 武井咲チャンは、異論はございましょうが、私は素直にカワイイと思います。
 「空想科学研究所」 というラジオを柳田理科雄サンとやっとるのですが、カマトトぶっとるのかもしれないがリアクションがいちいちカワイイ。 「ダマサレルナ」 という声が聞こえてきそうですが(爆)。 「恋する気持ち」 という歌で歌手デビューも果たしていますが、GLAYのタクローサンが作ったこの曲、正統派のアイドルソングでかなり傑作だと思います。

 なにを熱く語っとるんだワタシは。

 「高校生レストラン」

 実話に基づいた話でしたが、回を追うごとに内容が尻すぼみになっていったような気がします。
 個人的に考えるその最大の原因は、原田芳雄サンのリタイア。
 原田芳雄サンにとって結局遺作となってしまったこのドラマ、最後までお出になっていれば話にもっとメリハリがついたのにと悔やまれてなりません。
 あらためて合掌、です。
 惜しすぎる人を亡くしました。
 チクショーーーッ!
 かなしい。

 「鈴木先生」

 「家政婦のミタ」 でダメパパを演じた(ダメパパって多いなあ…)長谷川博己サンのテレビドラマ出演作のなかで、目下ナンバーワンと評していいほどの傑作。
 ところがこのドラマ、テレビ東京だったためか内容が過激すぎたためか、視聴率的には超のつく大惨敗で。
 このドラマを見ない人が多いなんてもったいなさすぎる。
 富田靖子サンだって、「江」 では下らん役でしたけどこのドラマの抜け具合はもう最高。
 なにしろ整然とした理論でまくし立てまくる鈴木先生と、その鈴木先生を追いこんでいく生徒たちのやり取りが素晴らしい。
 追い詰められた人間がどのような行動を取るのか、という原理主義(笑)が透徹していて、見ていて呼吸困難状態になることもしばしば。
 みなさん、このドラマは必見です。
 私にこのドラマの存在を教えてくださったマイティサン、最近コメントをいただけませんが、あらためて感謝いたします。

 「ブルドクター」

 最後まで見ておりません。 江角マキコサンと石原さとみサンのキャスティングが生かされ切ってなかったような気がします。 うーん、企画的にも構造的にも内容的にも、イケてなかった気がするなあ…。

 「それでも、生きてゆく」

 幼女殺人事件が起こると、被害者と加害者の家族たちのあいだにその後どのような運命が降りかかるか、という視点から作られたこのドラマ。
 普通被害者家族と加害者家族との間に交流など生まれそうもないのですが、そこをどうにかしてしまうのがドラマのドラマたるところであり。
 正直なところ、毎回胃が痛くなるような傑作でした。
 このドラマのすごいところは、あり得ない設定に限りなくリアリティを持たせるために、かなり細密な部分にまで演出が行き届いている点でした。
 そこで繰り広げられる、取り返しのつかない事件のあとの、当事者たちのトラウマ。
 レビューで語り尽くしたので、正直なところまだお腹いっぱいでちょっと思い出したくない部分すらある。 でもそれほどの、問題作だったのです。
 テレビドラマはこういう問題提起をする道具となり得る。
 そのことを思い知った渾身の一作でした。

 「ドン★キホーテ」

 かたやこちらは、「何も考えないで楽しめる」 コメディドラマでは、今年いちばんの快作だった気がします。
 「何も考えないで」、というのは一部語弊はありますけど。
 つまり児童相談所が舞台な以上、児童問題についてはシリアスな部分が確実にあるわけですよ。
 ただ人格変換ドラマ、としてはかなり面白かった。
 松田翔太クンのコメディアンとしての素質にも今後期待が大、であります。

 「華和家の四姉妹」

 最初純然たるコメディかと思っていたら、結局柴門ふみサンの原作にありがちな難しい?恋愛論を織り込んだものになっていて、コメディサイドとの落差のバランスが悪いドラマになっていた気がします。
 コメディ部分が浮き上がってしまう最大の原因は、登場人物たちの恋愛対象になるべき男たちがかなりどーしょーもない奴らばかりだった、というのと、宮崎美子サン演じる母親が亡くなった直後の恋愛話にしてはお粗末なものが多過ぎた、ということによる、と考えます。

 「全開ガール」

 ガッキー初主演だったこのドラマ。
 金と地位だけが人生の目的だったガッキーが、さえないイクメンパパに毛嫌いしながら惹かれていく。 話的にありがちな部分を引きずりながらも、細かい設定については結構周到に話を構築しているなあ、と毎回感心させられるドラマでした。
 問題は、月9に対してヘンな思い込みとか偏見とかがある視聴者が、多過ぎるんじゃないのかな?という点。
 素直に見れば、まあまあよく出来たドラマだって思うはずですよ。

 「テンペスト」

 仲間由紀恵サンが男役と女役を交互に演じる琉球王朝のお話。
 結構楽しめましたね。
 もうちょっと回数多くして、微細な部分まで表現してほしかったくらいです。
 ただ仲間サンを見ていると、なんかそつがなさすぎて物足りないな、と思うことが時々ある。
 この人、今のままでも演技力が結構あると思うけれど、もう一皮むけたら、もっとすごい女優さんに大化けする気がするんだがなあ。
 すごい贅沢な相談ですよね。

 「仮面ライダーフォーゼ」

 仮面ライダー40周年とかなんとか言ってるわりにはかなり実験的な当シリーズ。
 学園もので、出来事が完全にひとつの学園内だけで起きているのがすごい。
 しかも主人公はジョジョの奇妙な冒険みたいだし。
 極めつけは仮面ライダーのデザインが、圧倒的にイケてない(笑)。 トンガリ頭とかもう…(爆)。
 でも全体的にかなり実験的でオチャラケているわりには、話がそれなりにしっかりしている感じがするんですよ。
 まあよくやるよ、つー感じはぬぐえませんが(爆)。

 「胡桃の部屋」

 昭和55年あたりの風俗をかなり神経質に再現しようとしていたこのドラマ。
 向田邦子サンへのオマージュが画面全体から漂ってくるような、「木造の家、木彫りの置物」 の匂いがぷんぷんしてくるようなドラマだったと思います。
 ただこれを、現代でやってしまうことの意味、みたいなことを考え出すとキリがないんですが(笑)、どこかしら現代に通じる意味も見い出せたらよかったかな、なんて気はしています。

 「ラストマネー~愛の値段~」

 このドラマ、結局第1回しか見ませんでした。 契約条項に関する人間模様よりも、契約約款をどうにかせいよ、という気になってしまったのが痛かったです。

 「カーネーション」

 このドラマに関しては、もはや何も言うことはないですね。 毎週のレビュー及びコメント欄で、語り尽くしております。

 「塚原卜伝」

 これも最後までちゃんと見てないなあ。
 でも結構軽~くて面白い作品だと思います。 正月休みを利用して録りだめした分を気楽に見てみたいと考えています。

 「家政婦のミタ」

 つい最近、このドラマに関しては語り尽くしたのでそちらを参照していただければ…(だんだんい~かげんになってきた…)。

 「南極大陸」

 このドラマも第2回までしか見てません。 前宣伝及び外観がとてつもなくすごかったので多大なる期待をして見たのですが、第1回はかろうじて見ることが出来たけど、第2回ではもうこれ以上はいいや、という気分になってしまった。
 つまんない作品でも 「江」 のように最後まで見ちゃうものもあるんですけどねぇ。
 なんかが我慢できなかったんでしょうねぇ。
 それが何かを考える気力もない、つーか(かなり投げやりになってきた…)。
 ただ、多大なる期待の反動というものは確実に多大にある、ということだけは言えます。

 「深夜食堂2」

 このドラマも人に面白いと勧めておきながら全部見てない(笑)。
 どうもここ数カ月、ドラマを見ている気力を無くすほど仕事が忙しすぎた、というのはあるんだがなあ。
 どうも申し訳ないです。

 「11人もいる!」

 このドラマは、実はレビューを最後まで書こうと思って録りだめしていた分を見ていたのですが、どお~も最後までたどり着けませんでした。 これも正月にゆっくり見たいなあと考えております。
 ただ途中まで見ての感想を述べさせていただくと、気楽に笑えて、不意に襲ってくる泣かせるシーンとの緩急のバランスがとてもいい。 泣かせようとして笑わせるタイミングも絶妙だし。 見ていてすごく居心地のいいドラマなんですよ。 悪人と思っていた人も本当はいい人たちばかりで、善人ばかりのドラマ、と言っていい気がします。

 「妖怪人間ベム」

 これも最終回をまだ見てない(笑)。
 でもかなりよく出来たドラマであることは言えますね。
 企画を立ち上げたやつの顔を見てみたい、と思うほどのバッタモノ感がぷんぷんしてたんですが(爆)。
 鈴木福クンは、大きくなったら特にどうということはないお顔になりそうな雰囲気ですが、なにしろカワイイ。
 カワイイ盛りは今だけだ、と小憎らしいオッサンは考えてしまうのですが。

 「ランナウェイ~愛する君のために」

 あり得へんドラマ、というカテゴリーをごり押しまくったこのドラマ。
 結局第1回と最終回だけ見た(かなりいい加減な視聴方法で恐れ入ります)。
 面白いドラマだったけどなあ(なんじゃソレ)。
 ただ鼻についたのは、一緒に脱走犯と行動をしてしまう子役の女の子が、ずいぶんハスッパなオネーチャンみたいなしゃべり方をしていた部分(ハハ…)。 もちっとまともにしゃべれんのか?みたいな。 あ~もう、ちゃんと見てなかったので勘弁してください。

 「カレ、夫、男友達」

 この記事直前までレビューを書いていたんで感想はそちらに譲るとして、このドラマ、題名も結構滑ってる気がするんですよ。 言い得てるんだけど、なんかインパクトに欠ける。



 このほかにも 「蝶々さん」 は前編しか見てないし、「金八ファイナル」 なんか半年以上ほうっぽりっぱなし。 今年はまともに見ていないドラマが続出いたしました。 どうも疲れてんな。



 で、まあ自分なりにこれを吟味いたしまして、ランキングをつけました。 それがこれだ!

 第10位 全開ガール
 第9位 ドン★キホーテ
 第8位 犬を飼うということ
 第7位 リバウンド、家政婦のミタ(合わせ技一本!…反則!…笑)
 第6位 ダークエイジ・ロマン 大聖堂
 第5位 鈴木先生
 第4位 四十九日のレシピ
 第3位 それでも、生きてゆく
 第2位 JIN-仁-(完結編)

 ゲッ、「JIN-仁-」(完結編) が第2位?
 つーことは…。

 ごめんなさい(いちおう先に謝っておきます…笑)。

 第1位、私が決めた2011年ベストドラマは、物語半分にも関わらずあえて、あえて、「カーネーション」、であります。

 このドラマ、ちょっと次元が違いすぎます。

 こういうドラマがあまりにも当然のような顔をして朝ドラとして放送していること自体が奇跡である、と私は考えております。

 「カーネーション」 の全体的な感想は、それこそ毎週飽きるほど書いているのでそちらを参照ください。

 主演男優賞は 「JIN」 の大沢たかおサン。 次点で 「鈴木先生」「家政婦のミタ」 の長谷川博己サン。
 助演男優賞は 「四十九日のレシピ」 で伊東四朗サン。
 主演女優賞は 「カーネーション」 の尾野真千子サン。 助演女優賞は 「江」「それでも、生きてゆく」 の大竹しのぶサン。
 主題歌賞は 「それでも、生きてゆく」 の 「東京の空」(小田和正サン)。
 思い入れあるで賞は(笑)「四十九日のレシピ」。

 しかし毎年ベストドラマを決めてると、、「これ以上のドラマはもう出ないだろう」 などと思うのですが、翌年になるとしっかり出ている。
 これって驚異的ですよね。
 ちなみに第1回、2009年の私が選んだドラマトップ3は、3位 「任侠ヘルパー」 2位 「白い春」 1位 「JIN-仁-」(第一部)。
 第2回、2010年は第3位 「流れ星」、第2位 「Mother」、第1位が 「ゲゲゲの女房」 でした。
 毎回 「こりゃすごいよな」 と思うのですが、なぜかそれを凌駕する作品に毎年出会う。
 これって作り手がすごくなってきてるのか、見る側の目が厳しくなってきているがゆえなのか。
 いずれにしても来年も、そのような作品に出会いたいものです。

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「カレ、夫、男友達」 第8回(最終回) 「愛」 という言葉の魔法

 毎回毎回見ていて退屈で、イライラしっぱなしだったこのドラマ。
 けれども見続けてしまったのは、話の盛り上げ方がうまかったせいだと感じます。
 緩急つきすぎてましたけどね。
 ホントに盛り上がる部分以外は退屈だったんですよ。
 どうして見ちゃったのかな。
 前回のレビューでは、登場人物があまりにもイライラさせてくれるせいだ、とワケのわからん解読をしたのですが(笑)。

 で、そのイライラドラマも最終回。

 前回無理心中を遂げたユースケ・サンタマリアサンと木村多江サンご夫婦。

 結局ふたりとも助かったのですが。

 その事後処理の仕方は実に後腐れのない方法でして。

 どうやら妻の木村多江サンが自発的に行なった行為ではない、ということで相手方の家族にも刑法的にも木村サンにはおとがめなしの状況に落ち着きまして。

 そして当のユースケ・サンタマリアサンは、このことで記憶を喪失。
 木村サンのことも忘れて家族に引き取られる、という実に平和な(言い方に問題がありますが)プラマイゼロの決着を見たわけであります。

 ただまあ、木村サンのほうにとっては拭い難い傷となったのですが。
 それは後述するとして。

 …どお~も醒めたような書きかたで恐縮でございます(爆)。

 それでは気を取り直して、行ってみよう!(いかりやダァ~)(無理に盛り上げよーとしとる…)。

 「疲れちゃって、どうでもよくなっちゃったの…」

 意識が戻った姉の木村多江サンに、妹の真木よう子サンは涙で訴えます。

 「そんなこと言わないでよ…!

 自分の命なんだよ!

 どうでもよくなんかないよ全然…!

 あさちゃんの命は、ママやパパや、いくちゃんや、あたしにとっても大切な命なんだよ…!

 …どうでもよくなんかないよ全然…」

 自分ひとりで生きてるなんて考えないほうがいいですよ。 前回のレビューでもひとしきり怒りましたけどね。 死にたくなったら、他人のことを考えるべきです。 自分のことだけ考えるから死にたくなる。 周囲の悲しみ、周囲への迷惑。 考えなきゃいかんですよ。
 まあ考えないから電車に飛び込んだりして何万人の人々に対して迷惑をかけたりするんでしょうけど。 そうまでして自分の存在を誇示したいのか。 アホか。 どこまでバカなんだ。 迷惑かけんな。 自分が電車の運転手だったらどんなにショックだか考えろってんだよ。

 あ~しかし、止まらなくなりますな、毎度毎度。

 このドラマにしたって、家族のひとりが自殺しようとした、ということについて、ちょっと予定調和しすぎだと思いますよ。 家族全員がそのことで、どれだけ心に重たいものを背負ってしまうか。

 しかし作り手の興味は自殺をめぐる問題ではなく、それでも記憶を失くした元DV夫を愛し続ける木村多江サンの心理にあるようです。
 意識を取り戻したユースケサンを家族にも黙って介護し続けていた木村多江サン。

 あ~どうしてこう未練がましいのか。 イライラ。

 けれども本人にとってみると、まるで子供に返ってしまった夫の世話をするのは、自分の意に沿っている。
 「これは愛ではない。 飢餓だ」 などと自己分析をかつてしていた木村サンですが、飢餓というよりこれは、自分の欠落した部分をそれで埋めている作業のような気がするんですよ。

 平たく言えば相互依存の状態、ということなのでしょうが、結局その根底には、「この人が好き」 という意識が存在している。
 もともとDVなんて結婚前はしなかったんでしょうから、木村サンはユースケサンに恋していたはずです。
 そしてその感情は、夫から暴力を受けることによって、それが愛されていることだ、というすり替えを心のなかでしてしまう。 フツーこんなことされたら相手に対して怒るもんですが。 彼女の場合、相手への怒りよりも、自分のなかにある納得できない感情を、自分の都合のいいように解釈することで無理に納得させちゃっている。

 そして結局向こうの家族に引き取られていくユースケサンを見送りながら、彼女は号泣するわけです。 その場には木村サンの家族が勢ぞろいしているにもかかわらず、ですよ。 普通家族のいる前でこれほど身も世もなく泣けないでしょう。 つまり彼女は、入り込んじゃってるんですよ、自分と夫との異常な疑似恋愛のなかに。 入り込んじゃってるからあたり憚らず号泣できたりする。

 それは自分のなかに存在していた、もうひとりの欠落した自分との決別である、そんな意味を持っていると思うのですが、自分に入り込んでしまう、という行動のカギとなっているのが、「この人を愛している」、という概念だ、と思うんですよ。

 それってはたから見ると、けっして愛じゃない。
 木村サンもこれは愛ではない、と認識している。
 けれどもドラマを見ていると、作り手の言いたいことって、「愛の水中花」 じゃないけど 「これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛」、なんですな。 これも愛のひとつの形なんだ、と。

 でもこれって、言ってみれば、「愛してる」 という言葉の持つ言霊のような気がする。

 「愛してる」 という言葉は、限りなくロマンチックです。
 人は愛することにあこがれ、愛している状態にいる人を見ると羨ましいと思い、「あの人が好きだ」 という感情を成就させようと苦しむ。
 愛情っていうのは実に意地悪なもので、相手とのその形がぴったり合致することってかなり稀なような気がします。 その、もともと合致しそうもないものを合致させようとして、自分をごまかしたり相手を服従させようとしたりへつらったり、まあいろいろと意に沿わぬこともする破目になるんですが。 その自分の行動を、あんまり否定しようとはしませんよね。 自分がみじめになるから。

 そんな自己欺瞞をさせてしまう魔力が、「愛してる」 という言葉には隠されている、と思うんですよ。

 あ~ややこしい、ワケの分かったような分かんないようなことを書いてるな~(笑)。

 これは彼女たちの母親、高畑淳子サンにも言えることで。
 彼女は夫だった長塚京三サンの裏切りにあって相当カリカリきてるはずなんですが、「映画の二本立てみたいな人生もいいじゃない」 と長塚サンを許している。
 でも結局長塚サンの浮気相手が妊娠すれば嫉妬の炎を隠すことが出来ず、苦しんどるわけですよ。
 これも高畑サンが、「こんな愛の形があってもいい」 などと愛の名を借りて自分を無理に納得するから起こる現象で。

 その嫉妬は、長塚サンの新しい妻の出産でピークに達します。
 そわそわする自分の元夫の手をさすったりして元夫をサポートしていたつもりだった高畑サンは、赤ちゃんが生まれた瞬間、自分のその手をすりぬけて病室へと去っていく夫の姿に、自分の嫉妬の形そのものを見たのでしょう、「見に行こう」 と促す娘の真木サンに、こわばった顔で 「おめでとうと言っといて」 とその場を立ち去ります。

 しかしその出産した新しい奥さんに呼び戻されて赤ん坊を抱いた瞬間、いろんな思いが去来して、高畑サンはぽろぽろ涙を流してしまいます。

 この心理分析(笑)。

 高畑サンは嫉妬している自分のせせこましさに自分で辟易している。
 そして長塚サンの選んだ新しい奥さんが見せる正直さと、それを乗り越えて元の家族とも打ち解けようとする気持ちの強さにもどこかで嫉妬していた自分に気付く。
 それなのに、この産まれたばかりの赤ちゃん。
 純粋無垢で、そんなドロドロとしたものなどまったく無縁でこの世に生まれ落ちてきた。 なんていじらしいんだろう。 羨ましいほどに。
 その赤ちゃんを拒絶するよりも、新しい家族が増えた、という心境になることを、ここにいる誰もが扉を開いて待っていてくれている。 その有り難さ。
 そんなとこでしょうか。

 そこから見えるのは、やはり作り手の 「これも愛の形」、という姿勢なのです。
 高畑サンは以前は、もの分かりがいいようなスタンスで、これと同じ考えでいたのですが、実は心の底からそう思えるようになるには、やはり心の壁を、ひとつ乗り越える必要があるのだ、という論理です。

 しかしこの複雑な感情を演じ切れる高畑淳子サン。
 さすがだ。
 かなり信頼が置ける役者サンに成長いたしましたね(上から目線だ…)。 あの嫉妬にこわばった表情とか、赤ちゃんを抱いた時の複雑な涙とか。

 そして父親の長塚京三サン。

 オトコの私から見てこの人の生きかたにはとても異議があるのですが(爆)、娘の夏帆チャンを孕ませたのがインテリホームレスの森本レオサンだと勘違いして殴りかかったり、父親として不器用なところも見せるけれども、結局三浦友和サンの息子とできちゃった婚をしてしまった花嫁の夏帆チャンに 「今までお父さんにつらく当たってゴメン。 甘えてたんだね」 などと言われて抱きつかれ、こちらは家族が見ている前だから泣くに泣けない、という父親を演じていました(長い文章だ)。
 この時のなんとも複雑な表情。
 実にこれを演じ切れるのも長塚サンならでは、であります。

 で、夏帆チャンはかようにいちばん屈折した役どころながらいちばんすっきりとしたエンディングを迎えることと相成りまして。

 肝心の主人公、真木よう子サンですが。

 くまちゃんと別れたあとの空虚感は、個人的に実に共感できることの繰り返しで(笑)。

 恋人と一緒に行った場所がすべて、切ない思い出となって自分を更に痛めつけてくるんですよ。 この感触。 や~なもの思い出しちゃったよ(爆)。 死にたくなりますな。 …まったくさっきまで人のメーワク考えろとか言っといて何だ(ハハ…)。 ビートルズの 「ヤー・ブルース」(ジョン・レノン作)は失恋時期には絶対聞いてはならない曲でして(カンケーない話に行きつつあるぞ…)。 「さびしい、死にたい、なぜなのか分かるだろう」、ですからね(笑)。 死にたい、という気持ちは、さっきまで健全な精神状態だったのにいきなり場面を暗転させる言霊の威力にあふれておるのです。 だからこそその呪文の言葉に気をつけなければならん、と思うのです。

 その真木サンですが、戦場カメラマンの、わーたーべ、よーおいち…じゃなかった(そういやあの人の噂を最近聞かない…)くまちゃんが戦場から寄こした未練たっぷりのメールに、号泣しながら 「もう付きまとわないで。 未練がましい男はダイッキライ」 などという事実に反する内容の返信を送りつけます。

 あ~もう、素直じゃないんだから。 イライラ。

 けれども夏帆チャンの結婚式のあと。
 長塚サンからその知らせをもらっていたくまちゃんは、一足遅れでその帰り道の真木サンと、ばったり会うのです。

 そして30メートルくらい離れた場所から、「あんなメールは信じない、ハルコ(真木サン)に直接会って口で言ってくれなきゃ」 みたいなことを言って、真木サンの心を揺さぶるのです。

 真木サンは 「もう付きまとわないで…未練がましい男は…ダイッキライ…」 と嗚咽しながら弱々しく答えるのですが。

 「ダイッキライ! もう二度と、顔なんか見たくなかった…! 死んじゃえばいい…!」

 「大好き! 会いたくてしょうがなかったの! 戦場なんかで絶対に死んでほしくなかった!」、という言葉の、完全なる裏返しですよね。

 しかしくまちゃんは、「ハルコがどんなにオレのことが嫌いでも、オレは一生ハルコのことがキライにならない!」 とクサイことを世界の中心で叫ぶ(笑)。

 「バカ…くまちゃんのバカ…」

 くまちゃんに駆け寄り、抱きつく真木サン。

 このシーン、とてもクサくて(笑)こんな、だーれもいないようなとこだからいいけど、屋外でこーゆー恥ずかしいことをすんなっと言いたくなるシチュエーションでしたが(爆)、

 …
 ドラマだからこーゆーのが許されるんですよネ(笑)。

 いいなあ。 だからドラマって好きなんだよ。

 クソッ、あんなにイライラさせといて、最後はスンゲーすっきりしたぞ(爆)。

 いずれにしても 「恋愛って…」 という作り手のスタンスが終始付きまとっていたようなこのドラマ。

 結局してやられた!という感想に落ち着いてしまいました。
 まあ、木村多江サンのその後は、ちょっとあんまり解決してないような感じでしたが。

 まいっか。 ゴスペル調の主題歌もよかったです。 ユースケサンはこういうシリアスなのもできるんだという認識を新たにしました。 ユースケサンなので受け狙いなのかな、と初めは思ってたんですけどね。 快感マヨビームとか(一平ちゃん夜店の焼そばか)。

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2011年12月28日 (水)

「クリスマスの約束2011」 「22'50''」 を超える 「28'58''」、しかし…

 小田和正サンの 「クリスマスの約束」 のキャリアにとって最もピークだったのは、紛れもなく今から2年前の2009年版の 「クリスマスの約束」 だと私は考えています。
 そのメインはなんといっても、20組33人のミュージシャンたちが集まったJ-POP組曲 「22'50''」 だったことは論を待たない。
 これを見たあと小1時間くらい感動にうちふるえていたような記憶があります。
 うちふるえながら書いたブログ記事は当ブログの3年間の歴史のなかでは過去最も多い1日分のアクセスを稼ぎ、しばらく人気記事ランキングのトップの座を譲らなかった。 あの記録はいまだに破られていません。

 で、去年の 「クリスマスの約束」 ではちょっとはぐらかし気味に、それと同じようなことを行なっていました。 まああそこまでの同業者のかたがたの結集というのはスケジュール的に非常に難儀なのだろう、というのは容易に想像が出来る。 スケールダウンは否めないけど、それなりに泣けたし、楽しめました。

 今年はあの 「22'50''」 を超えようか、という 「28'58''」 が番組のメインでした。
 総勢22組41人。
 長さも6分ほど長いから、あのスケールを凌駕しようという試みで行なわれたものだったに違いありません。

 内容をまったく知らないかたのためにご説明いたしますと、この22組の方々の代表曲とも呼べる楽曲を入れ替わり立ち替わり、メドレーで歌いあげていく曲、なのですが、ハンパではないのは、その1曲1曲に小田サンが編曲した緻密なコーラスワークがあることで、参加者全員はそのコーラスワークまですべて覚える必要がある、ということであります。

 今回の 「28'58''」、ざっと曲名を列挙いたしますと(そのままコピペしたのですが、リンク先が閉じられたみたいですのでご容赦ください)。

  • この日のこと / 全員
  • もらい泣き / 一青窈
  • め組のひと (ラッツ&スター) / 鈴木雅之
  • my sweet darlin' / 矢井田瞳
  • アイシテル / 清水翔太
  • 桜の雨、いつか / 松たか子
  • 空はまるで(MONKEY MAJIK) /メイナード・プラント&ブレイズ・プラント
  • 決意の朝に (Aqua Timez) / 大志
  • 風立ちぬ / 中村中
  • 長い間(Kiroro)/ 玉城千春
  • Another Orion / 藤井フミヤ
  • Spirit of Love(Sing Like Talking) / 佐藤竹善
  • KISS / Crystal Kay
  • 童神〜ヤマトグチ〜 / 夏川りみ
  • キラキラ / 小田和正
  • FEVER(TRICERATOPS)/和田唱
  • ヒーロー(FUNKY MONKEY BABYS)/ファンキー加藤・モン吉
  • ガラナ(スキマスイッチ)/大橋卓弥
  • 風になりたい(THE BOOM)/宮沢和史
  • 新世界 / 平原綾香
  • また明日.../JUJU
  • 木蘭の涙 (スターダスト・レビュー)/根本要
  • 小さな恋のうた(MONGOL 800)/キヨサク
  • あえないウタ / キマグレン
  • ありがとう (いきものがかり) / 吉岡聖恵
  • この日のこと/全員

     そして最後に別曲として
  • Good Night(ビートルズ)/全員(ウィキペディアから抜粋)。

     この中ではモンキー・マジックの 「空はまるで」 なんかが新鮮で、彼らがテレビで歌っているのは私初めて見たんですが、ガイジンサンだったんですね。 彼らもすべて楽曲を覚えていたのですが、全部ローマ字に直して覚えたとのこと、頭が下がります。

     あとはキロロの 「長い間」。
     この曲は去年も歌われていたのですが、「気付いたのあなたがこんなに胸のなかにいること」 というフレーズは、不意に聞いてしまうと泣けること泣けること。

     矢井田瞳サンのダリダリーでは結構盛り上がり、いや~久々に見るなこの人、という感じでした。

     夏川りみサンもますますお幸せな体型のようで(笑)、「イラヨーヘイ」 と歌っていたのですが、この曲は個人的にはなんといっても 「八日目の蝉」 のテレビドラマ版での主題歌だったことを思い出させます。 いい歌だ。

     「木蘭の涙」 は唯一、大震災で亡くなった方々を想起させる楽曲でしたが、今回の 「クリスマスの約束」、大震災のことについてほぼ言及がなかった。
     まあそれについては、番組冒頭で歌われた 「僕の贈りもの」 の替え歌の部分で、「ひととき忘れようよ」 という趣旨が歌われていたのかな、なんて感じていました。
     「28'58''」 を歌い終えた小田サンも同様の趣旨のことを話しておられましたし。

     そしてやはり泣けたのは、いきものがかり(吉岡聖恵チャン)の 「ありがとう」 でした。 「ゲゲゲの女房」 の主題歌。 これがかなり全員合唱的なスケールの大きさで迫ってくるコーラスワークで、この大曲のラストを飾るにふさわしい(オーラスは この日のこと」 ですが)曲だなあ、とつくづく思いました。

     それにしてもつくづくこの大曲は、現在のJ-POPが到達しうる最高の共同作業、という感じが強くします。

     同時期に放送される 「紅白歌合戦」 と私などはどうしてもそのスケール感、一体感、歌の持つ力を知らしめるパワーに於いて比較してしまうのですが、紅白でしばし見られる出場歌手たちによるパフォーマンスに、これほどのものを期待してしまうのは間違ってますかね。
     確かにこの大作には、100時間以上の練習時間が費やされている。 1日5時間程度の拘束も、歌手たちにとっては土台無理な話であることは、分かるんですけどね。

     でもそのうえで感じてしまったのは。

     やはり2度目ともなるとさすがに感動が1度目よりは薄れてしまう、ということなんですよね。
     実に贅沢な感想で誠に恐縮なのですが。

     メンバーが結構固定的である、というのも見ていて飽きつつある要因の一つであります。

     スゴイ不遜なことを書いてるな…。

     私はたぶん第1回の途中からこの番組を見ているのですが、そこで小田サンが、サザンの桑田サンやユーミン、山下達郎サンなどに出演交渉をして断られた、と言って、彼らの楽曲をひとりで歌っていたころのことを、どうしても思い出してしまうんですよ。

     この 「28'58''」 に集うかたがたは、ほとんどが若手のアーティスト(この言い方、私すごくキライなんですが)ばかり。 鈴木雅之サンとかフミヤサンとか、結構ベテランのかたもいらっしゃいますけどね。

     これって若手の歌い手たちが、このような力を結集させることにやぶさかでない、という点に於いて、とても将来的に明るいものは感じるのですが、私なんかのオッサン世代にとっては、もうちょっと大御所がバンバン出てもらいたい、という感情は、どうしてもあるんですよ。

     そりゃそのような大御所に、こうした学校の生徒たち(宮沢和史サンがいみじくもおっしゃっておりましたが)みたいなまねができるとは到底考えられませんが。

     ただ番組最初に小田サンが望んでいたスタンスを、今なら賛同してくれる大御所もきっといるのではないだろうか…、などという妄想もしたくなるのが、オッサンの人情なのです。

     それとやはり聞きたかったのは、「それでも、生きてゆく」 の主題歌、「東京の空」、でしたね。
     これは去年も、「獣医ドリトル」 の主題歌 「グッバイ」 が歌われなかったこともあったから、コマーシャル的なことはあまりしたくないんだろうな、というのは分かるんですけど。
     ただやはり 「ありがとう」 が不意に聞こえると涙ダバダバしてしまう、私みたいなドラマ好きもおるんですよ。
     おそらく紅白で 「カーネーション」 の主題歌を椎名林檎サンが歌ったら、涙ダバダバでしょう。 そういうことって、期待したくなるんですよね。

     先日(といっても2カ月ほど前、だったかな)小田サンは 「坂崎幸之助・吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」 にゲストでお出になっていたのですが、その際乱入した(笑)泉谷しげるサンたちと、大震災の復興チャリティみたいなことをしようみたいな話に消極的に乗っかってましたけど(笑)、「クリスマスの約束」 にそういう、オヤジ世代のヒーローみたいな人を大挙呼ぶことはできないのかなーなんて、虫のいい願いをしてしまうんですよ。

     この 「28'58''」 には参加しませんでしたが、今回もゲストで 「卒業写真」 を歌ってくれた山本潤子サンとか。
     拓郎サンも小田サンも、山本サンには結構シンパシーを感じているようでしたが、私も山本サンは大好きなので、なんとかこの3人のコラボは見たい気がしますよね。

     ああ~でも山本サン、還暦過ぎたっていうのになんという素敵なエイジングぶりだ…。

     もといもとい(笑)。

     そんな過大な期待までしてしまう、「クリスマスの約束」 なわけでございます。
     ああなんて、視聴者というのはわがままなんだろう…。

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    2011年12月25日 (日)

    「カーネーション」 第12週 善作の見えざる手

    お詫び クリスマスの予定もございまして、ちょっとアップが遅れました。 お待たせして大変申し訳ございません。




     「お父ちゃん…待って…。 行かんといて…お父ちゃん…!!」

     小雨の降る夜の路地。 消えていく善作の亡霊。 地べたに座り込んだまま、子供に返ったように泣きじゃくる糸子。

     今週の冒頭は、先週のラストシーンの繰り返しだったのですが、早くもこの時点で当方、泣きまくり(ハハ…)。 一気に 「カーネーション」 の世界に戻ってまいりました。

     その善作、今週は一切動く姿が出てきません。

     それなのに、一週間を通じて(だったよなあ)、クレジットタイトルのオーラスを飾っていた。 「小原善作(写真) 小林薫」 と。

     その善作。
     今週の中盤まで、彼の残留思念(「幻魔大戦」?)が物語を動かしているのではないか?と思えるような、そんな不思議感覚が支配していたような気がいたします。

     告白すると、これって私も、ちょっと実感したことがある感覚です。

     私の場合は自分の飼っていた犬が死んでからしばらく、何かしら守られているなあ、と感じることが頻発しました。 結構自分の人生って、ついてないなあ、間が悪いなあと思うことの連続なのですが、飼い犬の死から半年くらいのあいだ、なんかいいことがよく起こったんですよ。
     それと同じように、善作が死んでから、善作は小原家を、糸子を、空から守っているような感覚が付きまとっていた。

     それが週の中盤を境にして、急速にその影響力が薄れていく。

     守護神のはしくれとなった善作にも守護しきれない戦争の影が、善作の影響力を急激に無力化していくのです。

     今週のサブタイトル、アネモネの花言葉 「薄れゆく希望」(それにしてもコワイ花言葉だなぁ…)の 「希望」 というのは、善作の遺志だったような気さえしてくる。
     そしてその薄れゆく希望のなかに、作者の渡辺あやサンは、かつて糸子にしゃべらせていたような政治的な批判を一切用いずに、戦争の愚かしさを表現しようとしている…、私にはそう思えるのです。





     糸子がいつまでも突っ伏したままだった暗い雨の路地から、青い空に白い雲。 画面は一転します。

     善作は木之元たちによって、お骨になって帰ってくる。 どうやら旅行先の石川の温泉地でそのまま荼毘に付されたらしい。
     例によってこれがどうしてなのかの説明は一切ありません。 ただ戦時中であったため、煩雑な移送やら糸子たちが現地に向かうことやらがためらわれたことが原因なのでしょう。 結局死に顔を遺族たちに見せることなく、善作は死に際まで颯爽としたまま、この世を去ったのです。 これは善作の美学だったのでしょうか?
     待ち受けている小原家の人々。
     木之元は遺骨の収まった箱を差し出し、嗚咽しながら口を開きます。

     「…お父ちゃん、帰ってきたで…」。

     それを糸子が受け取ろうとした瞬間、千代がそれをひったくるようにして抱きかかえます。
     この人は、娘たちのもんやない、今はうちだけのもんや。
     千代は、こんなに小さな箱に入ってしまって…というような悲痛な表情になっていきます。

     「堪忍やで千代さんっ!」 とっさに叫ぶ木岡。 千代の常軌を逸した泣き声がそれを一瞬でかき消します。
     その場にいた全員が、激しく泣き崩れます。
     ひとり立ちつくし、涙を押し殺すかのような糸子。
     二階で伏せっていたハルおばあちゃんは、その泣き声を聞いて自らも悲嘆にくれます。 その部屋の畳は、光を反射して、とてもきれいです。 ハルおばあちゃんの慟哭とかなしいほど対照的に。

     木岡や木之元の話によると、善作を含む3人は酒を飲んでかなり酔っぱらい、そのまま風呂に入ったらしい。 そこで不慮の事態が起こった、ということになるでしょうか。
     木之元は 「自分は止めたんやけど」 とごまかそうとし、木岡はそれは違うと食ってかかり、ケンカになります。
     糸子はそれを制し、「自分が持たせた酒のせいだ」 と自分を責める。
     ここで浮き彫りになるのは、やはり三人に共通な 「自分が人を死なせてしまった引き金を引いたのではないか?」 という自責の念です。
     相変わらず作り手はその是非を問わない。 直接手を下さずとも人を死に至らしめてしまうことも人生にはあり得る、ということだけを訴えているように思える。
     そしてそのときにどういう反応を示すか。
     作り手の興味はそちらにあるようです。

     「…お父ちゃんが、…お世話になりました…(正座して頭を下げる糸子)。

     元はちゅうたら、…うちが持たせた酒や…。
     …うちの失敗や…(頭を下げたままの糸子、涙が滂沱と畳に落ちる)。

     おっちゃんらには、迷惑かけて、申し訳ないことでした…!」

     「糸ちゃん、それはちゃうで!」

     否定をするおっちゃんら。 そこに昌子が入ってきます。 葬式をどないしますかと町内会長さんがゆってきた、というのです。 糸子は母親が自分を見失って泣き続けているのを見て、こう言います。 「…ちゃんと祭壇組んでやんで」。 妹の静子が口をはさみます。 「姉ちゃん、けど、そんなお金…」「お金の心配なんかしてる場合ちゃうやろっ! お父ちゃんの葬式やでっ! …なにがあったかて、きっちり立派なもん出さな、出さんでどないすんや!」。

     ひとり小原家の先頭に立ってするべきことをしようとする糸子の決意。
     自分を一人前にしてくれたたったひとりの父親を、ちゃんと見送らないことなどありえない。 そんな決意。
     もう個人的には、数週間前までの 「糸子が調子に乗ってる」 とかいう気分は完全に吹っ飛んでおります。
     反省などせんでも、人生はどこかでその代償を支払っている。 人生なんて、そんなにドラマみたいに割り切れるものとちゃう。
     なんというリアリティだろう。

     ところがその、糸子のひとり立つ決意のもとで出された、戦時中の自粛ムードなんのそのの立派な葬式。
     食糧や酒があまりにもあることに、手伝いに来た町内の奥さんたちが一斉に色めき立つのです。
     木岡や木之元の女房がそれを制してその場はうやむやなうちに終わるのですが、それは葬式後、大きな火種となっていく。

     そうとも知らぬ糸子は、伏せってしまっている千代に代わって喪主を務めながら、手伝ってくれる人々に感謝しています。
     葬式にはいろんなひとがやってくる。
     例の地主、神宮寺の娘や軍服を作っている工場主など、善作がどれだけ他人の世話をし面倒を見てきたかを、糸子は強く実感することになる。

     「(お父ちゃん。
     みんなほんまにやさしいわ。

     お父ちゃんがそんなけやさしいしちゃあたっちゅうことやな…。

     おおきにな、お父ちゃん…)」

     そして糸子は、祭壇に善作の写真を飾るのです。

     その祭壇の前で寝入ってしまった糸子。 木岡の妻が、静子らに、善作の幽霊としゃべった、という話をしています。

     「小原さんな、『いや~ほんでも、奥さんにはよう世話になってるなあ』 ゆうさかい、まあ珍しいことゆうわ思て。 『これからもよろしい頼むで、うっとこの糸子は、とにかく、馬力だけのアホやさかい』(笑)。 とにかく 『糸子を頼むで』 ばあっかし、何回もゆうてなあ…」

     どうも調子に乗って尾ひれがついてそうな木岡の妻の話でしたが(笑)、善作が糸子のことばかり心配していたことだけは如実に伝わってくるのです。
     そこに入ってきた千代。 ようやく故人の妻としての役目を果たそうとしているようです。
     その千代が疲れきって寝ている糸子をねぎらい、毛布をかけたとき。

     横になって眠っているはずの糸子の目から、涙が流れているのを、千代は見るのです。

     泣けた。

     糸子は木岡の妻の話を、聞いていたのか聞いていなかったのか。
     自明ですね。

     祭壇には、糸子が飾った善作の写真が、千代に手を振って笑っています。
     涙も枯れたはずの千代は、また泣きそうになっている。

     この善作の写真。

     たぶんだんじり祭りの時のものだと思うのですが、小原呉服店のロゴ入りハッピを着てカンカン帽をかぶり、満面の笑みを向けて手を振っている。
     通夜の席で木之元たちが話題にしていましたが、善作はこのだんじり祭りに命をかけていたようなところがあった。
     そして糸子が大好きだった父親は、やはりこのだんじり祭りの時の颯爽とした父親だった。
     そのことを考えると胸が押し潰されそうになるのです。

     …

     ちょっと待て、これ、まだ、月曜放送分だぞ…。
     ペースを上げなければ。



     葬儀が終わったあと、小原家の食糧が底を尽きかけていることに、糸子は愕然とします。
     チョボチョボのお米しかないお粥(かい)さんが小原家の主食になってしまうのですが、息子が死んでから伏せったままのハルおばあちゃんはそれを食べようともしません。

     「お粥さんなんか、食べとうない。 自分の息子より、長生きしたってなんもええことないぃ…」。

     糸子は窓を開けて部屋の空気を入れ替え、 「辛気臭いんは寿命を縮める」 と貞子おばあちゃんの人生訓を言い聞かせるのですが、「風邪ひく。 殺す気か」 と毒づくハルおばあちゃん。 「長生きしたかてええことないちゅうたのおばあちゃんやんか」 と突っ込む糸子(笑)。 でもおばあちゃんは布団をかぶって、泣き出してしまう。 笑いと悲しさが交差した、切ないシーンでした。

     で、その賄い費は香典代で当座をしのごうとしたのですが、「小原のとこにはものは売らん」 と断られてしまう。 「あそこは配給にも来ないのに食料がある。 闇やっとんのとちゃうか」。 葬式の妙な噂が、もう近所中に知れ渡ってしまっていたのです。

     「はぁ? ヤミ? なんでうちが闇?

     やってへんわっ!!

     やるかほんなもん! うちに闇なんかでけたら、こんなアホみたいに朝から晩まで働くかいな! 闇やらなあかんくらいやったら、あんたらなんかとっとと里に帰してるわっ! なんであんたら食わすためにうちが罪犯さなあかんねん!」

     しかし店先には 「非国民」 の張り紙がされ、植木鉢が壊され、近所の人々がこちらを見てヒソヒソ話をしている。 ガキ共はあからさまに糸子を撃つマネをして逃げていく。

     金なんかあってもモノがないので売れない八百屋や魚屋。 さらに非国民だからと物を売ってもくれない世相。

     国力が低下して人の心がギスギスしているのにそれでも戦争を続けることの愚が、これらのシーンからはにじみ出ている。 これはけっして、ためにしている作り話では、ないのです。 これとそっくりそのまま同じ話はないのかもしれないが、似たような話をいろんな人から、何度見聞きしたことか。
     どんな反政府的なメッセージよりも、戦争の愚かしさをここから私などは感じる。

     「(世間ちゅうもんを、うちはなめてたかもしれません。

     うちが思てるより、もっともっと怖いもんなんかもしれません…)」。

     怖いっスよ。 炎上(爆)。

     けどそのネットでの炎上って、戦時中のこうした 「非国民」 と、レベル的にはまったく一緒だ、と私は思います。 違う意見を抹殺しようとする。 ひとりひとりの声は小さいけれど、束になればものすごい脅威になるんですよ。

     そんな力を、私などはもっと正しい方向に使われへんのやろか、と思うんですけどね。
     たとえば東電以外に電力会社を国は作れ!とか。
     一社独占だからあんなノンキなんだよ。
     国だって、あんだけ借金があったら給料なんか出ませんよ、フツーの会社なら。
     頭おかしすぎる。
     どうしてそっちに怒りが束になって向かないのかな。

     もとい。

     それでもここで深刻になるのを食い止めるのが、千代なのです。
     すいとんをハルおばあちゃんから教わって、小原家の胃袋はどうにか存続していくことになる。

     「(配給を遠慮していけへんかったんもほんまや。
     けど…やっぱしそんだけとちゃう)」。

     糸子は自分のなかにあった驕りに気付かされます。

     「(意地もあった。 うちのもんをあの列に並ばさんことで、うちは、自分を特別やて思おうとしてた。 自分にはそんだけの甲斐性があるやて思いたかったんや…)」。

     糸子は木之元の妻に誘われた配給に、意地をかなぐり捨てていくことにするのです。

     若い時の鼻っ柱の強さ、というものは、誰でも持っている。
     それは世間にもまれながら、角が取れてまあるくなっていくものです。
     反省反省言うとった私ですが(笑)、糸子はここで、以前の糸子から十分成長していると思う。

     忸怩たる思いを胸に秘めながら、それでも相手には感謝する。

     感謝をし続けることで、浮かぶ瀬もある。

     「おおきに」 という言葉を、このところの糸子は頻繁に口にしています。
     それはなにも、要領のいい処方箋ではない。
     貴重な紙を無駄遣いして、「非国民」 などと張り紙をする。 ご苦労なことです。
     でも、理不尽な相手を憎むよりも、そのことで自分が成長できて有り難いなあ、と感じるほうがずっといい。
     説教臭いですが、私はそう考えるのです。

     糸子は 「もしかしてあらぬ噂を流しているのでは」 と勘繰っていた木之元や木岡の妻らを見ながら考えを改め、共に配給に行く道すがら、考えます。

     「(疑いっちゅうもんは、いっぺんかかったらそない簡単に晴れへんのかもしれん。

     ほんでもやっていける。

     うちを信じているこの人らは、お父ちゃんが残してくれた、宝もんです)」…。



     水曜放送分(はぁぁ。 いつになったら終わるんやろ)。

     大名気取りだった商売の方法を根底から変えた糸子。
     店員にもその意識改革を迫ります。

     「こら! あんたら何ぼさっとしてんや! 今のうちのお客さんや。 あんたらも頭下げんとあかんやろ!」

     けれども再開したモンペ教室に、例の婦人会のオバハンたちが再び登場。 モンペはボロきれで作れ、ミシンは供出させてもらう、と一方的に要請してきます。
     糸子はこの人らぁも世間や、と初めは笑みをたたえて対応するのですが、あまりの理不尽な物言いについに 「ええからはよ帰ってんかっ!」 とブチ切れ。 ただしそのあと、「ご苦労さんでした」 のねぎらいを忘れない(笑)。
     オハラ洋装店のなかでは 「どこの親分や…」「あんたらの姉ちゃんどっかで修行したことあるんちゃうか?シロートちゃうで、あのドス」(爆)。
     けれどもミシンが取られてしまう、ということは、店の存続にとってかなりのダメージであることに間違いはありません。

     「嫌や…。 絶対嫌や…」

     善作が、店の反物をすべて売り払って買ってくれたミシン。 そんなもんまで供出しなければならないのか。 贅沢はしたらアカンとか、国民から仕事を奪っておいてなにが戦争か。 国民の生活を灰色にしておいて、何が戦争か。

     「なあ、お父ちゃん…。 うち、どないしたらええねん。 教えて…」

     死んだ者に悩みを打ち明け、どうしたらいいんだろう、と語りかけること。 うちの父親も同じようなことをしたと以前話してました。
     手を合わせる糸子。 笑いかける善三の遺影。 線香の煙がまるで生きているようです。

     「なあ、教えてや、お父ちゃん…どないしたらええんよ…」。

     柱時計の音が鳴ります。 ふと糸子がとなりを見ると、そこには同じように手を合わせる長女の優子が。 可愛いおさげ髪です。
     「…せや、優子、散髪しよ!」
     「散髪?」
     「うん。 せやせや、忘れてた。 もうおじいちゃんいてへんさかい、あんたの髪切ったかてええんや。 おいで。 はい、こっちこっち」

     善作の遺影がまた写ります。 「おいコラ待て糸子! 散髪したらあかんゆうたやろ! やめんかい! 承知せえへんど!」 とアタフタと怒鳴っているようです(爆)。

     すごいなこのシーン。 ホントに遺影がそう言っているように見えました。
     しかし。

     「変や! イヤや! こんなん変やぁ!」

     おかっぱ頭になってしもた優子は、完全にパニック状態(爆)。
     優子は自分の髪形がヘンだと同意を得たくて、そこら中の人々に訊いてまわります。
     けどみんなかいらしいという感想ばかり。
     優子は木岡の店まで行って訊いてしまうのですが、そこにいたのが、善作の葬式に来ていた、軍服を作っている工場の経営者のおっちゃん。
     そのおっちゃんが、店の経営が苦しかったらなんぼでも仕事があるから、と言っていたことを糸子に思い出させようと、優子にことづてします。

     せや、その手があったがな!

     優子からそのことづてを聞いた糸子は、矢も盾もたまらず、その軍服工場のおっちゃんに、仕事を依頼するのです。
     軍服を作ればミシンはお国のためになっている、という理屈が通る。
     翌日ミシンを取りに来た婦人会の澤田ら。
     すごすごと帰っていきます。

     こういう話は、皆さんお好きですよね(笑)。 私も大好きです(笑)。
     しかし優子チャン、ほんまかいらしかったなあ。 むくれた顔をしてるのに、「かいらしい」 と言われると一瞬うれしそうな顔をするんですよ。 子役の演技に注文を付けたんでしょうなあ。 いやいや、細かすぎますよ、このドラマの演出チーム。
     そして澤田らに説明をするのも糸子が矢面に立たず、昌子にその役目をやらせる。 糸子はその様子を、店の奥にすっ込んで見ているのです。 ワンクッション置いてギスギスさを軽減しようとしている糸子の配慮。 さりげない気配りが光っている。
     どうしてこうも細かすぎるのか。
     完全に感服です。

     こちらが感服しているのもつかの間、糸子は善作の遺影に 「(お父ちゃん、ミシン、どないかなりそうです…お父ちゃんが教えてくれへんさかい、うち、自分でどないかしてんで)」 と報告する。

     と。

     このドラマ、突然一気に早送りで逆回転を始めるのです。

     うおっ!

     そして要となるシーンが次々と一瞬だけ再生状態になり、またまた早送りの巻き戻し状態に。

     話はどんどん逆回転していって、柱時計の音が再び鳴る時点まで、ドラマは戻ってしまうのです。

     糸子は同じように、手を合わせている。
     目の前には、善作の笑顔の遺影。
     いつの間に現在に戻った糸子は、手を合わせつつ、にんまり微笑むのです。

     「(やっぱし、お父ちゃんか…)」。

     ああもう、なんと形容してよいやら。

     ダメだよこのドラマ。
     すごすぎて話になんない。

     優子の散髪を糸子が決めたとき、「やめ! なにさらしとんねん!」 とてっきり言っていたように思われていた善作の遺影(笑)。
     だからこのピタゴラスイッチは(ブービートラップのほうが分かりいいか…)善作の仕業によるものかどうかは分からないのです。
     でも、残された者は、それもこれも死んだ家族がなんとかしてくれたんだと思いたがる。
     そこまで表現されているから、このドラマはすごすぎる、のです。

     ここまでが水曜放送分です。
     やっと半分…。
     けれどこの 「善作の見えざる手」 は、週の後半に入ると、前述したとおり、急速にその影響力を失くしていく。



     木曜放送分。

     昭和18年9月。

     軍服を作り続けているオハラ洋装店の前を、戦死した兵隊の葬列が通り過ぎていきます。
     これが週後半のひとつの風物詩になっていく。
     おかっぱ頭になった優子は、完全に軍国少女にハマっています。
     糸子はそれを半分冷ややかな目で見ているのですが、きっとこれも 「軍国少女ごっこ」 なのだろう、という視点なのでしょう。
     案の定優子は竹槍訓練などをしながらも、戦死していく軍国少女のマネをして 「花子さん、ミヨさん、うちはもうあきませんっ!」「何をゆうとるの!」「あきらめたらあかんよ!」「うちが死んでも最後のひとりまで戦い抜くて約束して…」「分かった、最後まで戦い抜くよ!」「よかった…それを聞いてうちは…安心して死ねますっ!」「安心して死んで、優子さんっ!」「…おおきに…うっ!」 ガクッ(爆)。

     ハルおばあちゃんはまだ伏せっています。
     「はぁ…はよ天からお迎えがこんかいな…」 と嘆くのですが、「来るかいな。 まだこんなお粥さんかてようさん食べれんのに」 とまた突っ込む糸子。 「役に立たんのに、お粥さんばっかり食べて…。 長生きして…。 フン、迷惑なとっし寄りやで」「お父ちゃんのひがみ根性は、おばあちゃん譲りやってんな」「善作が死んでしもて、世の中戦争ばっかし。 うちら生きちょったかて、なぁんの楽しいことあるやら。 はぁ…。 死んだほうがマッシやで」 嘆きながら糸子がお粥さんを口元に持ってくと、ひょいパク(笑)。 糸子 「食べてんがな」(爆)。

     このシーン、前のお粥さんのシーンと比較すると、幾分おばあちゃんが立ち直りつつあることを示していてまた芸が細かい。

     そんなある日、優子が町の集会場で上映される映画に連れてって、と強行におねだりしてきます。
     結局折れて親子3人で見に行ったその戦争映画。
     戦闘シーンばかりで3人とも、大いにがっかりして途中で出てきてしまいます。
     「優ちゃんもっと、楽しいのんが見たい、楽しいのんとか、きれいな映画が見たい」
     不満を口にする優子。
     そこに左翼主義者が官憲に追われて逃走してきます。 捕縛される左翼主義者。
     「見な!」
     糸子は子供ら二人を抱き寄せその衝撃的な場面を見せまいとする。
     「なんや、アカけ?」
     噂する人々。
     アカゆうのは、まあ説明要りませんけど、共産党とか左翼の蔑称ですな。 ソ連の国旗が赤だから。
     「アカって何?」 母親に訊く直子。 糸子はそれに答えず、優子に尋ねます。 「赤に白混ぜたら何色になる?」

     「…桃色」

     「もっと足したら?」

     「さくら色」

     「ほな…ちょっと青を足したら?」

     「う~んと…」

     そんな優子に、後日糸子は色鉛筆(12本セットと思われます)を買い与えます。
     なんぼかかったかでまた文句を言いたそうな昌子を尻目に、糸子はだんじりの季節がまためぐってきたことで、特別な感慨にふけります。

     「(若い男はみんな戦地に行ってしもうて、曳き手は年寄りばっかりになってまいました)

     …ほんでも、だんじりは、なにがあっても曳かんならんもんや…

     (…そういうもんや…)」。



     金曜放送分。

     昭和19年4月。

     婦人会の澤田のオバハンの息子も戦死し、葬列が通っていきます。
     悲痛な表情の澤田のオバハン。
     息子が死んで悲しまない親などない。
     そのことを一瞬で見る側にいやおうなく理解させるシーンです。

     オハラ洋装店には八重子が働きに来ています。 安岡髪結ひ店がとうとう立ちいかなくなり、糸子はそれを引き受けたのです。
     食事の席で八重子の夫、泰蔵の話になり、泰蔵に恋していた吉田奈津のことを思い出す糸子。
     と思ったらその奈津から電話がかかってくる(笑)。
     待ち合わせ場所に選んだ、平吉のかつて勤めていた喫茶店も閉鎖しており、閉塞的な社会状況がさりげなく説明されます。
     そしてやってきたのは、糸子がかつて祝言を挙げた吉田屋の座敷。
     柄になくあらたまった奈津から、糸子はこの吉田屋を1万円で買わへんかと持ちかけられます。
     聞けば借金がそれだけあるとのこと。 「うちのせいやない」 と強弁する奈津に、糸子はすっかり呆れ果ててしまいます。

     「ア…アホか!
     そこをどないか知恵絞ってやりくりすんのが女将の仕事やろ?!
     なにがうちのせい違うや!
     あんた…あんた何やってんねん!
     なんでこんなんなる前に手ぇ打たへんかってん?
     1万円…1万円て…。
     もう、そんなんいまさらゆうたかて遅いわ!」

     結局意地っ張りの奈津も逆切れして、この話は破談。
     けれども奈津の事情も八重子から諭されて、糸子は神戸に話を持ちかけたり、自分にできる限りのことはしようとします。
     結局糸子は奈津を八重子のようにオハラ洋装店で働かそうとするのですが、その話を持ちかけようとして向かった吉田屋で、糸子は奈津と母親が夜逃げしてしまったことを、借金取りの男から聞くことになるのです。
     どうも吉田屋はその男の話によると、軍需工場に二束三文で買い叩かれた模様。
     そこに別の借金取りがやってきて、地団駄を踏みます。

     「こんボケがあっ!」

     糸子は人手にわたってしまった吉田屋の玄関戸を激しく叩きます。

     「アホかああっ! ドアホがああっ!」

     借金取り1、2(笑)が慌てて糸子を止めに入ります。
     「もうここ軍のもんなんやで、壊したらえらいこっちゃで!」
     「気持ちは分かるけどや、やめとけて!」

     「ボケぇぇっ! 逃げてどないすんやっっ!…どないすんや…」

     泣き崩れる糸子。



     土曜放送分。

     金曜放送分から5カ月後の昭和19年9月。

     木曜放送分で意気揚々とだんじり祭りの寄合に向かっていた木之元、木岡らが、善作の遺影に 「だんじり祭りが今年はのうなった」、という報告を、断腸の思いでしています。
     ここ。
     あの世の善作も悔しがっていることでしょう。
     けれどもその善作の思いも通じないほどに悪化している戦局。
     私が冒頭の感想を抱いたのはここでした。
     薄れていく善作の影響力。
     遠ざかっていく善作の記憶。

     「(ゆうたら、燃料が切れてもうたんです。

     あの大きいて、重い重いだんじりが走るには、ようさんの男の手ぇと足、それもしっかりごはん食べて、骨と肉のみっちりとしたんが揃てんとあかんのに…)」。

     優子は相変わらず、竹槍訓練にご執心です。
     なんとも貧相で割に合わん訓練ですが、これを戦時中は、みんなマジメにやっとったんですよ。 お上はなに考えとる。 アホか。 しょーもな。 向こうは鉄砲持ってんで。 竹槍かて、役に立つかいな。
     それを見ていた八重子の長男、太郎。
     「もともと大東亜戦争っちゅうんは、アメリカとイギリスからアジアの圧迫民族を解放するために始まった戦争なんやで。 僕のお父ちゃんも、自分らのお父ちゃんも、よその国の人らを助けるために戦こうてるんや」。
     これもよう言われることですが、要するにすり替えの論理ですな。 分からん人は、勉強してください。 くれぐれも読む本を間違えずに。 太郎の論理は一部では当たってるけど、全体的なことを考えれば決して妥当じゃないことが分かるはずです。

     いずれにしたって戦争やってれば、いいも悪いもありません。
     どっちも人殺すんですから。
     殺されたほうは、そら恨みもしますよ。
     大事なんは、このことから目をそむけんことです。
     イヤなことを回避したくなるのは当然ですが、このことは何人も避けて通ってはならない。

     その太郎、お国のためにと殊勝な少国民なのですが、何かというと八重子と行動を共にしたがる、母親べったりな一面があります。
     それを見ているととても悲しくなる。
     本当は母親に甘えたいのに。
     それが出来ずに、母親への思いを、お国を守るということで実現しようとしている。

     次女の直子は、だんじりを曳く男がいないんなら、女が曳いたらええやんか、と母親にしゃべります。
     どうもこの次女の直子、糸子の幼少時代を演じた二宮星チャンにバトンタッチされる模様ですな。 その前フリか、このエピソード?

     「直ちゃんが神さんやったら、だぁれもだんじり曳いてくれへんほうが、いやや。 来年は直ちゃんが曳くでぇぇ~。 男がいてへんでも直ちゃんが曳いちゃる。 絶対絶対曳いちゃる」。

     かいらしいなあ、直ちゃん。

     数日後。

     働きに来ている八重子が、ぼんやりと固まったまま、動きません。
     いつもの調子でそれを心配する千代に、糸子は 「こんなご時世なんやから、みんな何かしら問題があんねん」 とまともに取り合おうとしません。

     そんな威勢のいい糸子が、てきぱきと仕事をしている様子を、うれしそうに遠巻きに見ている者があります。

     勘助です。

     糸子の末の妹、光子がそこに出くわします。

     「光っちゃん。 ひさしぶりやな」

     「勘助ちゃん…」

     「糸やんも、元気そうやな…」

     勘助は光子のほうに向きなおります。

     「光っちゃん。 糸やんを…よう助けちゃってな…」

     何事かを悟ったような光子。
     「…糸子姉ちゃんに、会わんと行くん?」

     勘助は、黙ってうなづきます。

     「会いたいけどな…。

     …オレにはな…資格がないんや、もう…。

     でも…。

     やっと仕舞いや…」

     さびしそうに、無理に思い切りの笑顔を作る勘助。

     光子が暗い顔をして帰ってきます。
     そして、いきなり泣き出すのです。

     「光っちゃん、勘助ちゃんと、会うたんけ?」
     八重子が、実は今日、勘助の再出征の日だった、と打ち明けます。
     勘助ちゃん、遺言みたいなことばっかしゆうちゃった、と大泣きしてしまう光子。
     ただ事ではない戦場に向かわされると察したのか、糸子は店を飛び出します。

     「勘助…勘助!」

     最初の出征の時と違い、ひとりぼっちで誰にも知られることなく出征していく勘助。
     おそらく精神状態があれですから、丙種合格あたりなのだと思うんですよ。
     そして捨て玉のように、無造作に戦死させられていくのだろう、と思うんですよ。

     「勘助~! 勘助~!」

     しかしもう勘助は、列車に乗ってしまっています。

     勘助にはいくら謝っても謝りきれない酷いことをしてしまっている、と後悔している糸子。
     しかし最後になんの弁解も謝罪もできないまま、勘助はあっという間に戦死して、帰ってくるのです。 ひと月しかたっていなかったらしい。
     やはり使い物にならなさそうな勘助は、まるで人員確保だけが目的のような戦場に向かわされたのでしょう。
     またもや通り過ぎていく、葬列。
     勘助の遺影を抱いた玉枝。 長年の疲労が蓄積したようなこわばり果てた顔をしています。 憔悴して位牌を持つ八重子。 遺骨の入った箱を抱える太郎。

     糸子は手を合わせることも忘れ、呆然とその葬列を見送ります。

     「(勘助…。

     勘助…。

     勘助…!)」

     糸子の胸のなかにある後悔が、その胸のただなかに、刻印されてしまった瞬間。
     そんなふうに私は受けとりました。

     食べ物がなくなっていき、仕事は奪われ、時代がモノクロームに染まっていく。
     後から考えれば、この期間は日中戦争が勃発してから換算しても、10年にも満たない短い期間です。
     そんななかで勘助は精神を病み、奈津は夜逃げをし、自分たちの人生は大きく戦争によって狂わされていく。
     それは不謹慎な言い方をすれば、今年の大震災よりも規模の大きいものだった。
     しかし、大震災も、戦争も、あっという間だったけれど、それが人々に、その後何十年にもわたる不幸をしょわせていく。
     大災難が人々にもたらす負のパワーの巨大さに、私は呆然とするしかありません。
     しかし、もし人生に意味があるとすれば、それは大きな悲しみから、自らが立ちあがることだと信じたい。
     人生の醍醐味は、まさに不幸から立ち上がることにのみにあると、私は言いたいのです。

     次回の放送分は3回のみなので、レビューもちょっとは楽かと存じます。
     しかしその3回。
     ついに空襲か…。

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    2011年12月23日 (金)

    「家政婦のミタ」 最終回まで見て

     回を追うごとに視聴率がぐんぐんうなぎのぼりになり、「JIN」 も 「マルモ」 もあっという間に追いこして、最終回ではなんと40パーセントの大台に。 これって11年ぶりだとか。

     第4回、父親役の長谷川博己サンが家出をして以来このドラマの録画がたまりにたまっていた私も、この期に及んでこの現象(ここまで来るともう、現象ですな)に抗えなくなり(笑)、ついに祝日休みを利用して、第5回から11回の最終回までイッキ見してしまいました。

     で、私の興味はなんといっても、「このドラマ、どこにそんな視聴率になるほどの理由があったのか?」。

     第4回まで見ていた感想はとりあえず先のレビューに書いていたのですが、その時点でこのドラマ、そんなにのめり込んで見ていたわけでもないし、先をどうしても見たいという気にならないドラマでした。 だから録画を貯め込んでたんですが、たまればたまるほど見る気がますます失せていく悪循環で(笑)。

     まずどうしてこのドラマにのめり込めなかったのか、というと、かなりためにする展開が多い、ということが挙げられます。

     私は第1回目のレビューで、このドラマは 「本当は怖いおとぎ話」 というスタンスで作られている、と感想を書きました。
     このドラマの舞台となる阿須田家の人々は、なんか開始当初から少々ウザったさが付きまとっていた。
     彼らは言ったことならほぼなんでも実行してしまう三田灯(松嶋菜々子サン)をドラえもんみたいにみなして、自分勝手な願い事を三田に押し付けてしまう。
     第1回の時点では、忽那汐里チャンが死んだ母親のものを全部燃やして、と言ったことのみでしたけど。 でもそもそもそれが 「あり得ない」 んですよ。 「あり得ない」 からおとぎ話だ、と私は考えたのです。
     その 「あり得ない願い」 という傾向は、回を追うごとにエスカレートしていく。 あり得なさをエスカレートさせて物語をいったん破壊する、というのは遊川サンが好んで用いる方法なので、今回もまたそうなのかな、と考えたのです。

     でも、「あれが気に食わない、これに腹が立つからメチャメチャにしてやりたい」、という願望って、誰もが持ってるけど、いくらそれが出来る人がいるからって、その人に頼んだりしないでしょ、普通。

     で、作り手がこういうことをやる時って、結局頼みごとを依頼した本人が反省する方向に話を持っていくものなんですよ。 それが見えてしまう。

     第4回まで見た時点で、このドラマは 「遊川式」 の方法をなぞっているように見えたし、それにこの時点で、母親が自殺したこととその母親の妹である相武紗季チャンの動きがヘンなことに、ドラマとしての仕掛けがそこに隠れているような気がしたんですな。

     相武紗季チャンの動きがヘンだ、というのは、長谷川博己サンから自分の妻は自殺だった、とはじめて聞かされた時の紗季チャンの反応が、まったくショックを受けるでもなく、意に介さない、といったものだったことによります。

     この時点で遊川サンはまだ、母親の自殺と紗季チャンを何かしら絡めるストーリーを考えていたんじゃないのかな。 とりあえず布石だけは打っておこう、みたいな感じで。

     でも回を追うごとにその傾向は薄れていく。

     父親が出ていったことで長男はグレまくりますがその問題も解決し、長谷川博己サンは紆余曲折があって結局家に戻ってきます(はしょりまくりだ…笑)。

     つまり阿須田家の問題が、その時点で片付いちゃったんですよ。

     それと同時に相武紗季チャンの父親である平泉成サンの問題(周りに厳しすぎる、頑固すぎる、長谷川サンと娘との結婚を娘が自殺したあとも許してない、ということかな)もなんとなく収束していくのですが、紗季チャンの抱えている問題(なにをやってもKYでドジしまくり、ということかな)はまだまだ収束しない。
     でも、なんか話が進展していくうちに、母親の死因はやはり自殺ではなかったことにしよう、という空気が支配していく。
     となると紗季チャンを事件に絡める必要もなくなってくるのです。

     まあこれって、私だけの考えすぎの世界、なんですけどね。

     「KYの権化だと思わせといて、もしかして紗季チャンは長谷川サンのことが好きなんじゃないかと思わせといて、何らかの仕掛けを作り手が用意しているのでは」、という私の予想はここで外れたわけですが(笑)、結局のところ話は、やっぱり紗季チャンは長谷川サンのことが好きだった、というつまんない(笑)方向に進んでいく。

     しかし。

     同時にドラマで大きくクローズアップしだしたのは、当初 「明かされないだろう」 と私が考えていた、三田灯の素姓であります。

     視聴率はこの時点から、大きく右肩上がりになってきたような気がする。

     つまり視聴者たちを揺り動かしたのは、三田灯という笑わないキャラクターの素姓が知りたい、という興味によるところが大だ、と私は思うのです。

     もともと三田灯のキャラクターというのは、かなり強烈です。

     笑わない、なんでもこなしてしまう、何事にも動じない。
     重いものを軽々と持ち上げ、熱いものを持ってもやけどひとつしない。
     「実はターミネーターでした」、というオチもあり得るくらいの鉄面皮キャラなのです。

     しかもターミネーターの 「アイル・ビー・バック」 と同じくらいの決めゼリフも数種用意されている。
     「承知しました」「それはあなたが考えることです」「出来かねます」。
     回を追っていくと、「どうしてもとおっしゃるのなら、お暇を頂きます」 とか(笑)。

     しかもやることなすことが、いちいち見ていて笑いを誘うんですよ。
     ジャギングが得意だったり(笑)、ゲーム関係もパーペキ、AKBのメンバー全員の名前は当然として(笑)それまで自分が見聞きした会話をほぼ間違いなく再現できるほどの記憶力。 聞いたことのある声なら誰でもモノマネを出来てしまう、というのもあり得なさすぎで面白い(この能力がきっかけで平泉成サンは心を開くきっかけをつかんだわけですが)。
     三田があまりに完璧で杓子定規すぎるから、いちいちそれが可笑しい。 それを呆気に取られてしまう阿須田家の人々の反応も笑える。

     これって子供たちがマネしたがる性格のものなんですよ。 三田灯ごっこって、簡単にできるじゃないですか。 「承知しました」 って、クラーイ声で無表情で言えばいいんですから(笑)。
     ここに三田を紹介した家政婦相談所の白川由美サンの演技もまた絡んでくる。 三田がロボットみたいだから余計に白川サンの砕けた演技が生かされてくるんですよ。

     ガキ達の心をつかんだらあとはまわりを巻き込んで、視聴率というのは上がっていくものです(笑)。 で、膨らみ出した視聴者が気にすることと言えば、やはり 「三田が笑うかどうか」、なんですな。

     おそらく40パーセントの視聴率は、実にこの1点に興味がある人が多かった、ということに尽きる、と考えます。

     ただ、ドラマ好きから言うと、これはドラマの最大の要であることは確実に言えるのですが、あまり野次馬的な根性でクローズアップされすぎると、言い方は悪いですけど却って主張が俗にまみれてしまうような気がしてくる。

     ドラマは阿須田家の問題が収束した時点で、三田に過去の素姓を告白させます。
     ずいぶん早い段階でばらしちゃうんだな、と思ったのですが、そのせいか内容がいくら凄惨さを極めていても、「そんなもんか」 で終わってしまう。
     三田の悲惨な過去の告白の場面、私はあまり感情移入できなかったんですよ。

     (このブログ恒例のネタばらしですが)幼いころに溺れた彼女を助けようと父親が代わりに溺死した。 それにこだわった母親につらく当たられ続けたために、自分を完璧にしていつも笑うように心がけて育った。 結婚してようやく幸せを手に入れたと思ったら、弟(これって夫側の義理の弟じゃなくて、実の母親と次の夫との間にできた子供だと思いますけど)が彼女のことを好きになってしまってストーカーされたあげく逆恨みされて家に火をつけられ、夫と息子を失ってしまう。 逆上した三田家の姑が 「あんたは一生笑うな」 となじったため、彼女は笑顔を、自分の人生から締め出したのです。 なお弟はその後自殺。

     話だけを聞いているとかなり悲惨なのですが、どうして感情移入できなかったのかな。

     まあ私が冷血人間だから、という理由は置いといて(笑)、これって私が考えうる 「悲惨すぎる人生」 というもののカテゴリーから、逸脱しきれてない話のように思えたからかもしれません。 やっぱり冷血人間だからだ(ハハ…)。 そうだ、ドラマの見すぎでちょっとやそっとの話に、免疫が出来すぎちゃってるのだ(ガーン)。

     三田は自分の過去を話せばお暇をいただきます、と約束していたため、その時点で阿須田家からいなくなります。 で、三田が再就職したのは、なんと阿須田家の隣の冷酷オバハンがいる家の家政婦。
     阿須田家の子供たちはここであらためて、自分たちがどれほど無慈悲な依頼を三田にしていたのかを悟るのですが、同時にどんなに無慈悲な依頼でもそれを完遂しようとしていた三田は、実は自分から破滅したがっていたのだ、ということに初めて気づくのです。

     果たして三田はそのオバハンの家で不倫トラブルに巻き込まれ常軌を逸したオバハンの依頼にこたえたため結局オバハンから 「あんたが死ねば」 と言われて 「承知しました」(笑…えないんだけど笑っちゃうんだよなあ)。 自分に灯油をかけて死のうとしたところを阿須田家の子供たちによって止められます。

     この場面も紅涙を絞るような展開だったのですが、冷血人間なので私は泣くこともできず(ハハ…)。

     三田はそれがきっかけでまた阿須田家の家政婦として働くことになるのですが、私が注目したのは、氷、いや鉄のような三田の心が、ちょっとずつブレはじめているのを見たときです。 この話は後述します。

     阿須田家で再び働きだした三田は、その過程で母親の自殺にこだわり続けていた阿須田家の人々に、「自分は自殺をしようとしたから分かる。 お母さんは死のうとはしたかもしれないが、もがき苦しむ時に後悔したに違いないんだ。 だからそれは自殺なんかじゃない。 事故だ」 と自分の考えを表明します。
     ところが人間の心を取り戻しつつある三田は、自分の亡くした夫と息子の幻影をしばしば見るようになる。

     希衣チャンに料理の手伝いをさせたときにやけどを負わせてしまったことで、彼女は 「自分が関わった人間が不幸になる」 という(ドラマにありがちな…笑)法則に悩み始めます。
     夫と息子が亡くなってから、ずっと思い出の遊園地で誰も食べることのないファミリーセットを買い、ずっとぼんやり座り続ける日課?をしていた三田は、再びその行動に逃げ込もうとします。

     夫と息子が楽しそうにそのファミリーセットを食べながら談笑しているのを妄想する三田。
     彼女はそんな幸せにもう一度戻りそうになりながら、また希衣チャンにやけどを負わせ、人を不幸にしていく自分の運命に、涙ぐむのです。

     「…ごめんね…純…(灯を見つめる息子の幻影)。

     ごめんなさいあなた…(妻を見る夫の幻影)。

     …ふたりとも責めてるでしょ?…私ひとりだけが、幸せになるなんて…。

     …あの人たち(阿須田家の人々)を愛してしまいそうで怖いの…。

     …私が愛したことで、あの人たちが不幸になるのが怖いの…。

     …だから…。

     …早くそっちに連れていって…!」

     そこに現れたのは、阿須田家の子供たちです。

     「三田さん、もう自分を責めるのはやめて!」「旦那さんと息子さんだって、ホントはそんなこと望んでないよ!」「もういいじゃん、もとの三田さんに戻っても!」「三田さんは希衣が守ってあげるから!」「お願いだから、もうこんなところに来てこんなもの頼まないでよ!」「何時間たってもいつまでもなくならないものを見て、ひとりで苦しむなよもう!」

     涙を大量に流しながら、三田は努めて冷静を装い、言い放ちます。

     「申し訳ありませんが、放っておいていただけますか」

     「ほっとかない!」

     長男が三田の手を握り締めます。 「これからはこれ、オレたちが全部食べるから!」「三田さんが何度ここに来ても、オレたちが全部食べるから!」「やめろって言っても無駄だから!腹とか壊しても、全部食べるから!三田さんが諦めるまで、一緒にここに来て食べるから!」

     ファミリーセットを食べ続ける子供たち。
     三田は涙にくれながら、叫びます。

     「お願いですから!これ以上やさしくしないでください!…

     わたくしは、主人と息子が死ぬ前の自分には、戻れないのです。 戻ってはいけないんです…!」

     汐里チャンが詰め寄ります。

     「私たちは、三田さんに愛されても、絶対に死なない!どんなにつらいことがあっても、絶対幸せになる!…だから、一緒に帰ろう! 三田さん!」「おうちに帰ろう?」 手を握る希衣チャン。

     三田の目の前には、すっかり食べられてしまったファミリーセット。 三田は、阿須田家に戻ることを再び決意します。

     実はこのドラマを見ていて私がいちばん泣けたのは、このシーンでした。
     三田の凄惨な告白シーンよりも泣けるシーンだった。
     なぜかというと、やはりドラマとしての前フリが、きちんとされていたからでしょう。
     ロボットみたいな三田の素姓を知りたい、というのは、ドラマのかなり早い段階から阿須田家の子供たちも気になっていて、三田を尾行したあとに見つけたのが、この遊園地でのファミリーセットの場面だった。
     食べられずに毎回捨てられていくファミリーセットは、いわば三田の満たされない心の象徴(シャレじゃないっスよ)。
     使われないまま消費され、毎回毎回リインカーネーションのように繰り返されていく彼女の妄想それ自身なのです。
     それが子供たちによって食べられた瞬間。
     三田はその悪夢の輪廻から脱することが出来た気がするのです。
     だから泣けた。

     で、ドラマは興味深い方向に話が発展していきます。

     三田灯と相武紗季チャンを、表裏一体の存在にしてしまおう、という作り手の思惑です。

     はじめそれは忽那汐里チャンの夢になって兆候が現れます(話はさかのぼりますが)。
     汐里チャンの夢では三田と紗季チャンの性格立場が完全に逆転。
     これってまるで、「エヴァンゲリオン」 の仮最終話(完全ド根暗キャラの綾波レイが開けっぴろげなキャラに変貌)みたいなパラレルワールドの展開で笑えたのですが、ここから 「実は三田さんは昔紗季チャンみたいなキャラクターだったのではないか」、という阿須田家の子供たちの予測が加わり、当の三田本人も、紗季チャンの人生に深く関わってくるようになってきます。
     これは紗季チャンが長谷川サンを本当は好きなのだ、という三田の確信がそうさせているのですが、そのために 「私たちの母親になって」 という阿須田家の依頼をいったん受け入れ、紗季チャンと長谷川サン(阿須田家)を結び付けようとするというショック療法による行動に三田を駆り立てることになる(説明がなっとらんな…)。

     よーするに、三田は子供たちの 「私たちの母親になって」 という依頼を 「承知しました」 しちゃうんですよ。

     ここから三田と阿須田家の関係は契約的にどうなっとんのかちょっとあやふやになってくるのですが、晴海家政婦相談所(白川サンのところ)はやめた、ということになるんでしょうかね。
     とにかくなし崩し的に三田は阿須田家の 「名目上の」 主婦、となったわけです。
     これってかなりゴーインな展開。
     子供たちは父親の気持ちを考えとらんのですからね(笑)。
     父親の気持ちそっちのけでこういう依頼をするのは、完全にフライングゲットでしょう(ゲットは要らんか)。
     三田は自分のサインと捺印だけした婚姻届を長谷川サンに手渡し、長谷川サンはアタフタして 「とりあえず一時預かりってことで」 と話をぼかして結局完全なる共同生活に突入(笑)。

     ところが三田は阿須田家の主婦に立場が変わった途端に急変。 子供たちは検索クン…じゃなかった(笑…「リバウンド」 を見ていたかたなら分かるギャグです)勝地涼クンとの結婚を決めちゃった紗季チャンを式場からゴーインに連れ出し(これもかなり荒っぽい話だ…爆)、三田は自分と紗季チャンとどっちがいいのか?という究極の選択を子供たちに迫って結局紗季チャンを選ばせ、自分は阿須田家から出ていく。

     蛇足ですがこの勝地涼クンと紗季チャンの見合いで、「そんなに食べて太りませんか?」 とか遊川サンの前作 「リバウンド」 でのネタをさりげなく仕込んでいましたよね。
     このドラマ、いちいちいろんなところで笑わせるんですよね。 そこも視聴者が食いついた原因のひとつかな~。

     結局最後の食事会をすることで、三田と阿須田家とは決別していくわけですが、その食事会で、三田は 「業務命令」 として、初めて阿須田家の人々に、「はっきりとした笑顔」 を見せることになる。

     それまで冷たい表情をまず崩したことのなかった三田。

     確かにその表情が幾分和らいだ瞬間はドラマのなかで何度かありましたけど、これほどはっきりとした笑顔は見せたことがなかっただけに、かなり神々しく私には見えました、松嶋菜々子サン。




     きちんとあらすじを追っていったわけではないのですが、とりあえずこのドラマをイッキ見していて、どうしてこれほど視聴率が上がったのかの考察は、途中で書いたつもりです。

     そこに書いたとおりに、子供受けするとか三田の素姓を知りたいとか、そんなとこだろうと思うんですけど、もっと難しい話をしてしまうと(笑)。

     私たちって、人形に心を吹き込みたい、という願望がある気がするんですよ(いきなりカンケーなさそうな話ですが)。

     三田は言わば、心のない人形です。

     そしてその心は、初めからなかったわけではなく、三田の人生から失われてしまっていたものだった。
     で、もともとあったんだから、心も取り戻せることが出来る、と人は考えてしまう。

     三田はしかも言われたことなら何でもしてしまう、奴隷と考えることもできる。

     人形で奴隷だから長男などは、「一発やらせろ」 なんて言っちゃえるわけですよ(あそこは惜しかった…私もオトコですので…爆)。

     でもドラえもんだって、なんにも感じない四次元ポケットだけの存在だったら、面白くもなんともない。
     自分の欲望を叶えるためだけの存在になってしまうんですよ。

     でももともとその人形に心があったとしたら、吹き込んであげたくなるのが人間の心理、というものなんじゃないでしょうか。 ピノキオが、人間になる瞬間を、人というものは渇仰している。

     三田は無表情を貫きながら、目には見えない血の涙を流し続けています。

     そんな三田が、心というものを取り戻そうともがくとき、人はその人形を抱きしめて、なんとか人間の心を取り戻してもらいたい、と願う。

     私がこのドラマの後半に感じていたのは、私がそのドラマのなかに入っていって、三田を抱きしめて 「もう怖がらなくていい」 と言ってやりたい、という衝動でした。
     視聴率が上がったのも、それと同じ感覚なんじゃないのかな~。
     三田の哀しみに寄り添いたい。
     三田の哀しみを抱きとめてやりたい。

     それは今年、私たちが大震災の際にとても強く感じた感情と、まるきり一緒な気がするのです。

     だからこそ多数の共感を得て、「JIN」 よりも 「マルモ」 よりも大勢の人々に視聴されたドラマになったんじゃないか。

     そしてもうひとつ。

     このドラマの主役、松嶋菜々子サンは、正直なところもうすでに旬を過ぎている女優、という見方をされていたように思われます。

     そんな彼女を救済したい、なんとかしてあげたい、という思いも、同時に視聴者に働いていたような気もする(これは個人的な感想ですけど)。
     そんなファクターも、三田を救ってあげたい、という気持ちに合流していた気がするんですよ。 それまで数々の有名ドラマに出演してきた彼女へのオマージュもある気がするし。

     ただまあ、ドラマ的にどうだったか、といいますと、私もかなり正直に言いますけど、そんなに質のいいドラマというほどでもない気はしますよ。 視聴率ほどにはね。 くれぐれも、視聴率との対比ですんで。 本当に質のいいドラマと、大衆受けするドラマには、いつも乖離がありますから。
     長谷川博己サンも、「鈴木先生」 という大傑作ドラマはほんの数パーセントしか視聴率が取れなかったのに、因果なものです。 でもあれはテレ東だったし。 異様な世界だったし(笑)。

     最後に水をぶっかけてしまいました。 つくづく冷たい男ですな、私も。
     でもどういうドラマが世間受けするのか、今回はよーく分かったような気がいたします。
     いや分からんか。
     遊川サンの前作 「リバウンド」 だって、内容的には遜色ないと思ったんですけど。 相武紗季チャンが視聴率取れなくて、松嶋菜々子サンだったからとか? いや違うな。 やはりタイミング的なものもあるし、作品の質の良さは前提だし、いろんな要素が組み合わさってるものなんですね、視聴率って。 いったん弾みが付いちゃうと、雪だるま式なところもあるし…。

     最後に、これほどまでに驚異的な数字を叩き出しちゃうと、日テレの浮かれぶりも気になりますけど(爆)、たまにゃアこういうお祭りみたいなことがないと、世の中も明るくなりませんわなぁ…。

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    2011年12月18日 (日)

    「カレ、夫、男友達」 第3-7回 恋することって、みんな下手だけど

     軒並み脱落していく今クールのドラマ群。
     「カレ、夫、男友達」 も、見ていてかなり退屈な時があります。
     それでもなんか見ちゃう。

     最初のうちは主演の真木よう子サンのセクシーさを強調した部分にオトコとして食いついていたのとか(笑)、真木サンの姉である木村多江サンの夫、ユースケ・サンタマリアサンの女房に対するDV攻撃のショッキングさとかにつられて見ていたのですが、どうにも毎回、途中でつまんなくてインターミッションを置いてしまう。 なのに結局先が見たくて見てしまう。

     これって、末っ子役の夏帆チャンを含めたこの三姉妹の恋愛観に対するイライラが、このドラマを見ているもっとも大きな動機になっている気がしてきました(笑)。

     イライラするから続きを見てしまう、という動機があること自体がちょっと私にとって意外なのですが、とりあえずそのイライラの内容を列挙したいと思います。

     まず前置きとして、この三姉妹の恋愛観のいびつさには、三姉妹の両親である長塚京三サンと高畑淳子サンの離婚が大きな影を落としているように思われます。

     この夫婦、そんなに仲が悪いわけでもないように思えるのに、長塚サンがほかに女をこしらえて出て行っちゃった。 高畑サン側には離婚後もいろいろ秘めたる思いはあるみたいですが、婚姻関係がなくなっただけで、表面上は良好な関係を保っている。

     これを長塚サンの立場から考えると、離婚はしたけど元妻とはギスギスしたくない。 そこには慰謝料の思惑も隠されている気がするのですが、要するに男としての踏ん切りのつかなさの表れ、のような気がするんですよ。
     オトコの自分から言わせてもらえれば、甘っちょろいですな。
     男一匹、浮気をする以上、もとの家庭を捨てるくらいの覚悟がなければならん。
     次の女もいい、もといた家庭も捨て切れない、甘ったれんのもいい加減にしろ、と言いたい(オトコには厳しい私)。

     で結局、高畑サンも女としてのプライドなのか、その夫とのあいまいな離婚を許しちゃってる。

     それは高畑サンにとって、実はかなりの精神的なダメージであることは、見ていて分かります。
     最初夫の見え透いたウソに気付いた高畑サンは、浮気の現場を尾行しまくり、その先で滝つぼに夫と浮気相手を後ろから突き飛ばして死亡させた…とゆーのは高畑サンの妄想だったのですが(爆)、高畑サンの嫉妬心、情けなさ、本意のなさ、すごく渦巻いた妄想エピソードでした。
     高畑サンは結局そのとき、その滝つぼに1週間打たれ続けて邪念を洗い流す(笑)。
     「スッキリした」 と娘たちに打ち明けるのですが、そんなことでスッキリしきれるはずがない。 浮気相手に子供が出来た、と知って、陰では泣いてるんですよ。
     なのに娘たちには強がって(というか見栄を張って、というか)「その浮気相手の赤ちゃんを抱きたい」 などと鷹揚なところを見せる。

     夫は夫でそんな高畑サンに気を許してか、ちょくちょくもとの家に顔を出すし。
     結局このふたり、「別れても好きな人」 じゃないですが、まるで婚姻関係にあった時以上に 「仮面夫婦」、いや、「仮面もと夫婦」、という感じなのです。

     そのふたりの奇妙な離婚が、娘三人の恋愛観の方位磁石を大きく狂わせている。

     で、まずいちばん見ていてイライラするのが(笑)末っ子の夏帆チャン。
     その 「仮面もと夫婦」 の影響を、いちばん受けていると思われます。

     彼女はいちばんお父さんっ子だったために、女を作って家を捨てた長塚サンに、三姉妹のなかでいちばんつらく当たっています。
     そしてホームレスの森本レオサンに、自分の処女を捧げてしまう。
     これはなにも自暴自棄ではなく、自分の 「恋愛に対する思い、憧れ」 を断ち切ろうという作業だった気がします。 もちろん父親への復讐、という側面もある。

     だから彼女は、自分はもう恋愛しない、という足かせを自分にはめている。
     彼女は同じ研究室の同僚、三浦貴大クンに恋をするのですが、それも自分で恋だ、と認めようとしません。

     ちなみにこの三浦貴大クンは、三浦友和サンと百恵サンの次男であります。
     顔の上半分は父親似、下半分は母親似、という感じがします。
     セリフを聞いていると、若かりし頃の友和サンにやっぱり声が似てる。 親子ですから。

     で、それはともかくこの感情を恋愛だと認めようとしない夏帆チャンに、まずイライラする。
     彼女は何かとエラソーに恋愛論を自分で持っているよーなのですが、その妙な達観ぶりが、見ていてイラつく(笑)。

     彼女を素直に恋愛させない要因が父親にあることは確実で、これはファザコンの一種とも言えます。 父親に対して相変わらず素直になれない夏帆チャン。 分かるんですが、ね。 まだハタチそこそこのガキじゃ寛容になれない、つーのも。
     あ~も~、だけどイライラするんだよなあ(笑)。
     どうも夏帆チャンって、「外交官黒田康作」 の時もそうだったけど、妙に屈折している役が多くて、見ていてイライラすることが多いです。 どうしてこんな役ばかりやってんのかな。 カワイくないんだよ、カワイイのに。 イライラ(笑)。

     で、次に見ててイライラするのが、長女の木村多江サン。

     前述の通り彼女は夫からDVを受けまくるのですが、そんな夫から離れられない。
     彼女はもとの家族のホンワカした世界を遠くから眺めて 「もうあの幸せのなかには帰れない」 などと考えて涙ぐむ。
     なにを自己陶酔しとるか、と思っちゃうんですよ。
     彼女はそんなDV夫との関係を、「これは愛ではない。飢餓だ」 と定義づけるのですが、ここにも自己陶酔の傾向を感じる。
     つまり 「暴力を受けながら、暴力を加えながら、お互いはお互いのことを必要としている」、という関係。
     これを 「飢餓」 という言葉で的確に表現した気になって、自己陶酔している。

     木村多江サンはそれでも、、自分と同じ境遇である濱田マリサン(「カーネーション」 の玉枝役からはそーぞーもつかないホラーな役どころであります)を見てようやく自覚し、いったんは家出します。
     けれども、「やっぱり彼には私が必要」、と元のさやに戻ってしまう。

     あ~やっぱりな、と思うと同時に、どうしてこう、自己完結しちゃうのかな、と見ていてイライラしてくるのです。

     DV夫と離れられない理由を、「お互いに必要としている」 としてこれを 「飢餓」 と定義づける。
     確かにそれって当たってます。

     でもそれって、言い得たから何か意味があるのか、と言うと、けっしてそうじゃない。
     その状態を言い得たことで、自分が満足するだけ、なんですよ。

     そして言い得ているからこそ、自分がその 「飢餓」 という言葉に、酔ってしまう。
     そして自分を悲劇の主人公に、仕立て上げてしまう。
     これは自己欺瞞による自己肯定の一種だ、と私は思うのです。

     結局彼女は家出して舞い戻ったあと、彼女なりに 「あらたな夫婦のあり方を模索しよう」 と夫のユースケサンに提案します。
     けれども夫のユースケサンにしてみると、こういう自己破滅型の相互依存関係は、もうすでに自らの生きかたの核に収まっちゃってるんですよ。
     ユースケサンはフツーの夫婦関係に戻ることに限りなく絶望し、自殺の道を選ぶ。
     そして妻の木村多江サンもその暗いベクトルに吸い込まれるようにして、一緒に練炭による心中をしてしまう。

     あ~も~、どうしてこうなるんだっ(イライラ)。

     次回最終回(12月20日予定)予告だと、どうも木村多江サンは一命を取りとめる模様ですが、いや分からん。 いったん意識が戻ってからまた逝ってしまうかもしれん。

     自殺しようとする人に声を大にして言いたいのですが、人間考えすぎてもロクなことはないです。 自分が結構その傾向にあるからよく分かるつもりです。
     的確に物事を考えることも必要ですが、考えすぎると場合によっては猛毒となる場合がある。
     おそらくユースケサンも木村サンも、考えに考え抜いた末の結論だったと思います。

     でも、後ろ向きに考えるのは、人間にとってなにもいいことなんかない!

     そんなときはもう、何も考えずに体を動かすことです。
     人生なんか大したことはない、と自ら笑い飛ばすことです。

     気持ちがぐるぐるしてしまうと、どうしたってまわりが見えなくなってくる。

     自分の哀しみ、自分の絶望、自分の無気力。
     そんなものに囚われていては絶対ダメだ。

     死にたいんなら死ねばいい。
     でもそのことでどれだけ周囲を悲しませるか、周囲にどれだけ迷惑をかけるか。
     それを考えなければ、死ぬ資格すらないことを自覚すべきだ。 いや、死ぬくらいそのことを考えるべきだ。 自分じゃない。 まわりのことをだ。
     死んだって逃げてる事実は一緒だよ。
     死んでも逃げ続けなきゃならないんだ。 永遠に逃げ続けるつもりか?

     人間オギャーと生まれたら、死ぬまで生きろよ。 勝手に死ぬな。 クソッ。 イライラする。 ほっといたって、人間必ず死ぬんだよ。 自分の下らない絶望なんか、そこらへんに捨てちまえってんだ。 肉体があるからこそ、うまいもんをうまいと感じ、気持ちいいことを気持ちいいと感じることが出来るんだろうが。

     …失礼しました。 不適切な表現がありましたが、撤回する気はございません。

     ところで私がイライラする原因に、「飢餓」 を 「愛情だ」 と勘違いしている、その木村多江サンの心理構造があります。
     どうもこの三姉妹、恋愛を考えすぎてドツボにハマっている気がしてならない。
     でも、恋愛ってみんな、下手くそなんだとも思うんですよ。
     考えすぎたってどうしようもない。 人生も、恋愛も。 考え抜くことは確かに必要ですが、それでも分水嶺、というものがある。 ある一定の程度を超えると、何も考えないほうがはるかにまし、になってしまうと思うのです。

     主役である次女の真木よう子サンも、その歪んだ恋愛観の体現者である。
     でもあんまり彼女の場合、見ていてイライラはしませんけどね。
     だって自分の自由奔放な生き方のために、彼女はじゅうぶん、傷ついている。

     彼女はいちばん好きなくまちゃん(徳井義実サン)との間に、婚姻という契約関係を結ぶことをよしとしません。
     オトコにとって婚姻関係、というのは、結局配偶者を道具としてしか見なしていない側面も確かにあるような気はします。
     でも彼女にしたって、くまちゃんがいない時にほかの男性と気軽にセックスしちゃったり、オトコを単なる道具としか見ていない側面がある。
     結局くまちゃんはそれに耐えきれず出て行くわけですが、仕方ないですよね。 そんな関係でも我慢できる奇特な男性が現れるのを真木サンは待つしかない気がする。

     ともかくユースケサンと木村多江サンが心中! 真木サンと夏帆チャンはこの異常に気付いて窓ガラスを破壊してふたりの居宅に侵入するのですが、時すでに遅し?

     「のめり込める部分とそうでない部分との落差が激しすぎる」、と以前このブログでレビューしたのですが、これ以上ない 「のめり込める部分」 で終わったオーラス直前のこのドラマ。

     長塚サンは森本レオサンに殴りかかるみたいですが、いまさら殴ってどうなるってもんかよ、みたいにも思う予告編が気になるような気にならないような(爆)。

     ともかく明後日、最終回です。

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    「AKB48のオールナイトニッポン」 若いっていいなあ…(笑)

     先週のラジオは聴取率調査、いわゆるスペシャルウィークで、「AKB48のオールナイトニッポン」 も有名どころが多数出演かな?などと思っていたのですが、あんまり知らなかったな、名前(知ってるのは名前くらいで、顔と名前が一致するのは前田敦子チャンとか板野友美?チャン?…くらい)。 いっつもAKBのなかから3人が選抜されて、週替わりでやってるんですよ、この放送。 深夜の生放送だからハタチ以下の人は原則的に出られないんですが、もう結構長期間活動してるから、ハタチ以下のメンバーなんていないんじゃ?などと門外漢は考えてしまうのですが。

     で、そのあまりよく知らないメンバーがスペシャルウィークに出てきた今回のオールナイトニッポン。
     忘年会スペシャルということで、スタジオに鍋とかフライドチキンとかを持ち込んで、ほかのメンバーにも次々電話をかけて、さらにはカラオケもやっちゃって、という趣向。

     まあ、そんなに毎週聞いているわけではないので、これっていつものことなのかな?とも思うのですが、オッサンとしてはこの放送を聞いていると、つくづく若返る気がいたすんですよ(爆)。 内容をじっくり聞いとるわけじゃございません。 「若いっていいなぁ…」 と思いながら、若さのエキスを感じ取っている、つーか(笑)。

     それが最高潮に達した、と思われたのが、メンバーによるカラオケ合戦。 「ヘビーローテーション」 とか自分たちの持ち歌も歌うのですが、合いの手も入って、なんかもう、聞いているこっちは、気分的にじょしこ~こ~せいの(ハハ…)カラオケボックスをのぞいたよーな心境(爆)。

     「あ~なんか、若いっていいなぁ…」(つくづく…笑)。

     おそらく秋元康も(あえて敬称略…笑)、こーゆー感覚で大勢のメンバーに囲まれとるんだろうな~と、しみじみ考えた、冬の一夜だったのであります(爆)。

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    「松田聖子のオールナイトニッポンGOLD」 聖子サン号泣の原因

     このところ半年ごとに放送しているような形の 「松田聖子のオールナイトニッポンゴールド」。
     今回は久方ぶりの紅白歌合戦出場も決まって、しかも娘の神田沙也加サンも一緒にお出になるらしいし、来年の大河にもご出演とのことで順風満帆状態、さぞかしテンションも高いのか、と思いきや、冒頭からなんとなく暗い。

     半年ごとのこの人を放送を毎回聞いていて私がいつも思っていたのは、「この人って30年前と、テンションが全く変わってない」「若い」 ということでした。 確か前回放送時は東日本大震災の直後だった記憶があるのですが、そんな状況下でも一応つつましやかな気持ちではいたものの、やはり聖子サンのテンションって不動だな、と感じていました。

     今回の収録は、ご本人も30年ぶりという、公開放送。 ニッポン放送のイマジンスタジオで100人のファンの方々を前にしての放送です。
     その緊張感も手伝っていたのかな。 なんとなくテンションが低い。

     その公開放送を後から振り返った部分もあったのですが、そこで聖子サンが強調されていたのは、ニッポン放送という、昔から自分の番組があってお世話になって来た放送局、およびこのラジオというメディアに対する感謝の気持ち。

     公開放送部分でも、紅白出場や大河の話をしていましたが、やはり大震災があったことが紅白出場の大きな動機となったようです。 NHKからオファーがあったことに対しても一応の感謝の気持ちを述べながら、ここ10年ほどはカウントダウンライヴに力を入れていたために紅白に出なかったことへの別に突っ込んだ話もなく、娘さんとの共演の話もさらっと報告する程度。 会場は聖子サンファンの方々ばかりですから、その報告のたびに歓声が上がって温かい拍手が流れるのですが、私個人としてはやじ馬根性もあってもっと突っ込んだ話が欲しい、などと考えながら聞いていました(笑)。

     なにしろ沙也加サンの紅白出場に関しては、全く不可解な部分が多い。
     カウントダウンライヴに関しては今年もやる、と放送で話してましたので、おそらく紅白には最後までいらっしゃらないと思います。 結構さらっとしてるなあ、というのが聞いていた印象。

     そして今回のサプライズゲストは、このほど聖子サンの新曲を作曲、プロデュースまでしてくれた、竹内まりやサン。
     問題は、「仕事になると完全に男になる」 などと自分の仕事に対する姿勢を強調していた聖子サンが、今回久々に 「ただ自分は歌うだけ」、という状態になったことで妙に落ち着いて、包まれるってこういうことなんだな、と述懐した時のこと。

     いきなり聖子サンのしゃべり方が崩れ始め、涙声になり、ついには号泣状態になってしまったのです。

     竹内まりやサンはとっさに 「聖子ちゃんもここ数年はずっとセルフプロデュースでやってきて緊張の連続だったから」 とフォローの手を入れていたのですが、これって場を取りなしているだけじゃなくて、かなり本当の部分が含まれている、と個人的には感じました。

     それまで聖子サン、と言えば、松本隆作詞、ユーミン作曲みたいな、CBSソニー(当時)の完璧なバックアップ体制のもとでずっと活動をしてきたのが、ここ数年はすっかりセルフプロデュースばかり。 かなり精神的にもきつかったのではないかと察せられて仕方ないのです。

     しかもうがった見方ですけど、今回の紅白出場に関しても、結構いろんなことを書かれているし、娘さんの出場にしたってずいぶん風当たりが強いんじゃないのかなって思う。 実績ないのに何で出場なんだ、とか。 親のコネか圧力で出場かよ、みたいな。

     順風とばかり思っていたことが、実は逆風だったのかもしれない。

     聖子サンの号泣は、そのことを物語っていたように思えるのです。

     そしてこの時の公開放送を振り返った聖子サンは、こんなに自分の気持ちがそのまま出てしまうラジオという媒体に、かなり気恥ずかしさを抱きながらも、感謝の意を表している。

     「この人、30年前とテンション変わらない、若い」、と思っていたことも、実は聖子サンなりのイメージ戦略だったのかもしれない、なんて考えてしまったのでした。

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    「カーネーション」 第11週 めぐり来る因果

    おことわり 話が長くてくどくて不明瞭で、相変わらず申し訳ございません。




     「商売もうまいこといって、家族もみぃんな元気で、結構なこっちゃな!」

     棘のように私の喉の奥に突き刺さったままの、安岡玉枝が糸子に投げつけた、先週の言葉。
     そこにばかり神経が行ってしまう視聴の仕方もどうかと思うのですが、結局このドラマは今まで私が見たどんなドラマよりも、重たいリアリティを持ってそれを解決してくれました。
     いや、解決というのとは違う。

     人生のなかで、他人との関係でぎくしゃくしてしまってそれきりだ、というのはよくあるパターンです。
     そうした場合、だいたい仲直りする、なんていうのはまれなケースで、たいていはその後、知らん顔してしまう。 もうその人を自分の人生から、締め出してしまうんですよ。

     それは自分が相手に対してひどいことをしたとか、相手からひどいことをされたとかがもともとの原因ですけど、それで感じたイヤな思いを、少なくとも私の場合は悩んだ末に記憶の底に沈めてしまう。
     そしてたまに思い出しては、「ああ、昔あんなイヤなことがあった」 と苦虫を噛み潰したような顔になる。

     それを自分の人生のなかで解決するには、自分が成長して人に対して献身するとか、まわりの人を大事にすることで、過去の過ちを発展的に解消していくのがよろしい。 他人からひどいことをされても、自分はしないと心に決めれば、それでひとつ成長する(分かりにくい論旨でスミマセン)。

     糸子の場合、玉枝との絶縁を表面上は強がって 「もう金輪際つきあわん」 としながらも、やはり心の奥に棘が残っていた。
     でもそれを、顧客への奉仕、家族への献身をすることで、発展的に解消していった。
     そのなかで夫にもそれなりの愛情が芽生え、夫が出征する時に、糸子はそれなりに傷ついた。
     そして今週中盤、糸子は安岡の家に対するわだかまり、後悔を、解消していくことになるのです。
     これは糸子が日々の暮らしのなかで、家族のため、顧客のため、縫い子たちのために目の前の仕事に全力で取り組んできたからこそ解消できた性格のものだった、と私は考えています。 成長しなければ、解決できなかった性格のものだった、と思うのです。

     けれども今週の糸子には、まるで勘助や玉枝や八重子をかつて傷つけた因果応報が巡ってきたかのように、過酷な出来事が襲ってきます。

     そもそも今週の禍いのきっかけには、「好意がアダになる」、という性格が共通して潜んでいる気がする。

     たとえば善作が火に包まれたもともとの原因は、木之元の妻が糸子にお歳暮のお礼として差し出した貧女の一灯、ならぬ携帯用カイロ、だったわけであり、善作の容体が悪化したのも、「善ちゃんを温泉に連れて行ってやろう」 という木岡らの気遣いがそもそもの発端でした。

     そのことで、木之元の妻や木岡たちは、善作に対して非常な罪悪感を負うことになるのではないか。
     ドラマではその部分の描写はなかったのですが、そんな気が私にはします。

     ドラマ的に、そんな人々をバッシングすることはたやすい。

     しかしこのドラマは、誰が悪者だとかなにがいけなかったのか、とかいう詮索など、一切しないのです。

     つまり、「それもこれも、みんな人の人生なんだ」、と。

     いろんな後悔に彩られながら、人というのは生きています。

     「もしあの時私が糸ちゃんにカイロなんか渡してなかったら」、「もしお父ちゃんを温泉なんかにやらなければ」、…人生は、そんなことの連続、なんですよ。
     こと今週のこのドラマにおける主眼は、「誰が悪いのか」「誰が反省しなければならないのか」 ではなく、「人生とはああしておけばよかった、ということの連続だ」、ということだったような気が、私にはいたします。

     ドラマの体裁から考察すると、糸子に降りかかる自分の父親の災難は、「家族もみぃんな元気で結構なこっちゃ」 という玉枝の恨みが結実した形になっている。

     いっぽう玉枝にとっては、糸子にそんな言葉を投げかけた因果応報が、息子(泰蔵)をふたたび兵隊に出さねばならなくなる、という悲劇を呼び込んでいる。
     まああの時代、兵隊にとられるなんて別に因果応報でなくともみんなそうでしたけど。

     そしてさらに広いレンジで考えると(まァた私の考えすぎの悪い癖が出てきた)、この因果応報、戦争の構造をも浮き彫りにしている気がするのです。

     他国に対してひどいことをしている因果応報で、国内の商売は切符制になり勘助は抜け殻のようになり、夫や幼いころのあこがれの人まで兵隊に取られていく。
     来週あたりは空襲とかもあるんでしょうか?
     とにかくこのドラマ、人に対してひどいことをしているがゆえに自分たちもひどい目に巻き込まれていく、という、戦争の一面の真実を因果応報という形でとらえた作りになっているような気が、私にはするのです(あ~また考えすぎだ…)。





     「あああああーーーーーっ!!お父ちゃん!お父ちゃん!」

     千代のこれ以上ないという金切り声。 あまりのことに声も出ずただ狼狽するハルおばあちゃん。

     糸子が見たのは、火だるまになっている父、善作です。

     「どいて! 水!」

     善作に水をかけ、布団をかぶせる糸子。
     冷静な判断ながら、完全に気は動転しています。

     「お父ちゃん!!お父ちゃん!!」

     この大騒ぎに木岡夫婦が駆けつけます。

     「ああ、えらいこっちゃ!」

     糸子は木岡にリヤカーを頼みます。 リヤカーに乗せられ、病院へと運ばれる善作。

     夫が運ばれたあとも、千代の泣き叫ぶ声が、いつまでも途切れません。
     ハルおばあちゃんは、完全に放心状態です。

     病院の待合室。
     木岡の妻が、糸子に着替えを持ってきます。
     糸子は自分が水でびしょびしょなのに気付いていなかったのです。
     着替えながらふと、ある恐ろしい言い伝えに気付く糸子。
     「妊婦が火事を見ると、お腹の子があざを持って生まれてくる」、という迷信です。

     このオカルトチックな話は、今週末の善作の死の際の布石となるような不気味さを伴っていたように感じます。
     医者はそんな迷信をまともに取り合わないのですが、糸子は3人目の赤ん坊が生まれるまでその心配を、結局引きずっていた。

     善作が病院に担ぎ込まれたその直後のこのエピソードは一方で、糸子がそれまで父親の重度のやけどに心を奪われていたのに、いきなりありもしない迷信で自分の子供のほうをより重く心配してしまう、という性格を伴っていた気がします。
     「とにかく安静と養生や」 と医者からこのとき言われていたにもかかわらず、その後善作を温泉に送り出してしまう、という糸子の思いやりからくる判断ミスの、呼び水となっている気がする。

     全身包帯だらけで家に戻ってきた善作。
     千代は泣き女のように泣き続けています。
     お父ちゃんがこんな目に遭って身も世もなく、子供らの前というのも気にせず、ここまで泣き続けられる千代には、とても純粋なものを感じます。
     母親としてしっかりしたらんかい!と思われがちですが、千代がここまで泣きの涙に徹することで、かえって子供たちは自分たちがしっかりしなければ、と思うような気がする。

     実際この修羅場を取り仕切るのは、長女たる糸子。
     オハラ洋装店の実質的な社長なのですから当然と言えば当然ですが、二十歳そこそこの糸子が(ん?もう二十代半ばくらいか?)その後の処理やあれ以来放心状態のままのハルおばあちゃんの世話をするのは、かなりキツイ。

     糸子に 「なあ…びっくりしたなあ…」 と励まされて、呆然としていたハルおばあちゃんの目からは、一筋の涙が流れます。

     糸子はもう陣痛が10分ごとに来てるのに、ここまで気配りしながら頑張っているのです。
     別にこれが、玉枝への罪滅ぼしのためにやっている、などとは毛頭言うつもりはないのですが、自分がつらい目に遭っているとき、他人に優しくできることで、糸子はまたひとつ、人間として何かを学んでいる気がするのです。
     結局5分ごとに陣痛が来る、ギリギリのところまで糸子は頑張ります。
     産婆さんが来るまでその状態に気付かなかった千代。
     慌てて糸子のお産を手伝おうとしますが、糸子はお父ちゃんの世話をして!と自分の母親の尻を叩くのです。
     糸子は、なんだかんだ言って、頑張っているのです。

     しかも糸子は、自分の周りにいる人たちの有り難さに、お産をしながら気付いていく。

     「(なんでもかんでも自分ひとりの力でやってきたつもりでいちゃあたっけど、どんだけ周りに助けてもうちゃったかちゅうことが、こないなってみて、初めて分かりました…。

     お父ちゃん。 勝さん。 おばあちゃん。

     うちなあ…)

     …心細いわ…」。

     玉枝から吐き捨てられた絶縁の言葉を、この時点で糸子は乗り越えているように思えます。
     人にやさしくすることで、人から頼られる。
     悲しみを経験することで、他人の哀しみを理解できる。
     おばあちゃんを父親と一緒の部屋に寝かしつけた糸子は、3人目の子供を産みます。
     娘がお産で苦しむ声をすぐ隣(?)の部屋で聞き続けていた善作。
     赤子の泣き声を聞いた善作の目からは、心なしか涙が流れていた気がします。
     身動きもとれそうもないのに、手を動かしたもんだから、すっかりのんきに寝入っていた千代(笑)がそれで起きちゃって 「いやあ!産まれたああ!」 と夫の手を払いのけて隣の部屋に駆けつける。
     「いい、いいい、ううう、あああ~」。
     痛がる善作(爆)。

     実はこの時以来今週の善作の描写は、かなりコミカル。
     しばらくうまくしゃべれなかったために糸子がその通訳をしたり、自分でボヤを起こしたのを恥じて人助けをしてやけどしたとか見栄を張ったり。

     けれどもどうにも気になるのが、先週の糸子の予告編での慟哭。
     もうこっちも、金輪際レビューを書くまで 「カーネーション」 に近づかんといて!とばかり情報をシャットアウトしているせいで(笑)どうにもこのコミカルな動向が気になって仕方がない。
     ひょっとして容体が急変するのではないか?という爆弾を抱えながら、ドラマのコメディタッチに笑い続ける羽目になるのです。

     産まれてきた女の子には糸子が心配していたようなあざはなく、可愛いものです。
     そしてそれと対照的な、包帯だらけの善作の顔。
     赤子を見せた糸子が 「また女の子やて思てるやろ?」 と訊くと、情けないような顔でコクリとうなずきます(笑)。 「思てんの?!」。 笑う一同。 隣で寝ていたハルおばあちゃんが気づいて、「見せて見せて」 と元気を取り戻した様子です。

     「はれまあ…よう産まれてきたなあ…」。

     ハルおばあちゃんの喜ぶ声に、千代は泣き出します。
     それまで張りつめていた緊張が途切れて、またまた泣いてしまったのでしょう。
     善作はなにも言いませんが 「よう頑張ったな、糸子…」 という顔をしています(スゴイ、顔だけで分かるんですよ、小林薫サン!)。

     「(こんな夜に産まれてきた、ほんだけで…

     あんた一生分の手柄やで、ちゅう気ぃがしました)」。

     禍福はあざなえる縄が如し。
     最大の衝撃的な悲劇に対抗する、出産の喜び。
     私も冒頭から、かなり泣きました。

     火曜日放送分(まだ火曜…急がねば)。

     「(夕方と朝の区別もつかんようになるくらい、あれからうちの毎日は、ゴチャゴチャのワヤワヤです)」。

     「いや~い、いやい!(いたいいたい)もっほ、へいえいにへえ!(もっと丁寧にせえ)」

     善作のセリフですが(笑)、さらに字幕付きで見てると笑えます。 カッコの部分でちゃんと解説してくれてる(爆)。

     「ひゃんとはまへよ」

     「はぁ?」(爆)。 おかゆをよそっていた千代には、善作がなにを言ってるか分かりません(笑)。
     千代はニブそうだから分からんわなあ(笑)。
     「ひゃんとしゃあせえゆうとんのじゃ」
     「ちゃんと冷ませって」 と糸子の解説が入ります(笑)。
     「あんたよう分かるなあ!」 感心する千代(笑)。 感心するよーなことか?(爆) 「やっぱし娘やなあ、おかあちゃん全然分からへんわ」 不用心におかゆを善作の口に運ぶ千代。 「はっ、はっ、はふいっ!(熱い)」 おかゆをブーッと吹き出す善作(爆)。 「このっ! はまへひゅうてるやろ!」「ちゃんと冷ませゆうてるやろゆうてる」 糸子のスピーディな解説(腹痛ぇ…)。

     しかし赤ん坊(名前はまだ無い)が産まれたことで次女の直子が嫉妬したのかそこらじゅう落書きするし、お母ちゃんはメソメソ、お父ちゃんは癇癪、おばあちゃんは夢にうなされ、赤ん坊の夜泣き。 糸子はほとほと疲れ果ててしまいます。
     さらに弱り目に祟り目なのが、切符制度の点数が上がってから店の売り上げもさっぱり。
     そんなところに現れた例の婦人会のオバチャンたち。
     糸子がふてくされ気味に現状を話すと、悪びれる様子もなく、リーダーの澤田はこう言い放ちます。

     「まあ、そら大変でした。
     けどまあこう言うたら何ですけど、普段の心掛けっちゅうか、何事も因果応報、悪いことが続く時は、たいがい、自分に原因があるもんです! ご自分を省みる、よい機会やないんでしょうか?」

     んまー憎たらしいんですが(爆)、この澤田のオバチャンの言葉は、冒頭に話題にしたように、この週のテーマなような気がする。 スッゴク嫌味な言葉でいかにも真理を突いている、という作り手の手法にはつくづく敬服いたします。

     「チッ…さっすがやな、オバハン…せやけど、二度とうちの敷居またぐなっちゅうたやろッッッ!!」

     糸子はオバチャンたちが出てったあとに怒りに任せてモノを投げつけるのですが、なぜか戻って来た澤田のオバチャンにそれが命中。

     「(因果応報)」。 知ーらないっと。

     「(絵の具を混ぜすぎたら灰色になるように、あんまりいろんなことがあって、このごろうちの目の前も、灰色に見えます)」。

     画面すらもモノクロームに近くなり、かように鬱々とし始めた糸子の前に、清三郎と貞子がやってきます。
     画面は一転してカラフルに。
     ここらへんの画像処理も、もはや芸術的。
     土産のシフォンケーキみたいなケーキを、家の女連中がみんな喜々として食べるのです。

     「いざとなったらうちが全部面倒を見たる」 という清三郎の言葉にひたすら男泣きする善作。 重度のやけどに、さすがに気弱になっているふうです。
     そして善作がこのような状態のため、まだ生まれた赤ん坊に名前をつけてない、ということが判明。 糸子の通訳によって善作は清三郎に名前を決めてほしいと頼むのですが、結局貞子の発案で、3人目の娘の名前は聡子に。

     そのとき貞子のモンペの生地があまりに上等なことに気付いた糸子。 ここから糸子の商才がまたもや頭をもたげるのです。

     水曜放送分(はやーまだまだクライマックスは先やないかい…)。

     「モンペみたいな辛気臭いもんこそ、上等な生地でこさえなあかんのや。 そやないと、はよ死んでしまう。

     あんたなあ。 辛気臭いゆうんはな、バカにしたらあかんでえ。
     オッソロシイほど寿命を縮めるんや」

     貞子おばあちゃんの言葉は、糸子にまた、生きていくための順風を送り込んだかのようです。
     糸子は家の窓を開け放ち、澱んだ空気を一掃しにかかる。
     糸子は灰色だった目の前が、一気に晴れてきたように感じます。
     また重箱の隅をつつくようなことですが、火曜日放送分で清三郎と貞子が訪ねてきた当初、外は雨模様でした。 それがふたりが帰ろうという時は、一気に晴れていた。
     どうしてこういう細かすぎる演出をすんのかな~。 レビューがますます長くなってしまうではないか。

     糸子は縫い子のりんに子供らの世話を任せることとします。
     ま~た子供をないがしろにして、と言いたいところですが、これは何でもかんでも自分でしょいこもうとしていた糸子の発想転換、なのです。
     実際のところ、家族がまた増えたわけだから、なんとかオハラ洋装店を以前のように繁盛させなければならない。
     糸子は貞子おばあちゃんの言葉をヒントに、着物をモンペに作りかえる教室を開こう、と縫い子頭の昌子と妹の静子に相談します。
     二の足を踏むふたりに、糸子はこう言う。

     「ええか。 お客の流れっちゅうんは、止まってしもうたら仕舞いや。
     絶対止めたらあかんもんなんや」

     そんな糸子の頑張りようを、病床で感慨深げに見守る善作。
     コミカルに展開していく善作の病状だったのですが、今週はことあるごとに善作のそんな感慨深そうな顔が流されていた。
     これは善作が自分の病状を自ら悟っていた証拠なのでしょうか?

     糸子は子供らを寝かしつけたあと、こっそりとっておいたシフォンケーキ?を夜中に食べながら、こんなご時世にこんなものが食べられるのも、おじいちゃんやおばあちゃん、そしてお抱えのコックさんあってのことなんだ、と、その人々に感謝します。 「おおきに…」。
     これって以前の糸子にはあまり見られなかった思考パターンなような気がします。
     糸子は、成長している。
     そんなことを感じさせる、ちょっとしたシーンなのです。

     そうして始まったモンペ教室。
     最初のサエを中心としたメンバー、コミカルなところを見せつつ、教室が終わってワイワイ街へ繰り出そうとします。
     「おおきに!」 店の外にまで出て見送る糸子。 感謝の気持ちが体中からあふれています。
     「たっくましいなあ!」 そのメンバーたちを見て感想を話す糸子。 「なんや、日本は戦争勝てる気ぃしてきました」 と返す昌子。

     女性たちのたくましさがこの国を支えている。
     「ツバキ」 のCMじゃないですけど(笑)、男たちが元気がないのに、なでしこジャパンとかAKBとか、現代日本も女性たちが牽引している気すらする。
     そんな感想を持った、水曜放送分なのです。

     そして木曜放送分。

     木之元と木岡によって病院まで連れてこられた善作。 待合室で傷痍軍人に席を譲られます。 口裏通りに見栄を張ったやけどの原因を得々と話す木之元。
     けれどもそのあと善作は、このことを大いに恥じるのです。 もう口は、ちゃんと聞けるようになってます(笑)。

     「なんぼ肩身が狭いいうたかて、あっこまでゆうたら、カッコつけすぎや…。
     あの若いのに…悪いことしたで。

     (じゃあ次は本当のことをゆいや、という木岡に)いやぁそれはそれで…不細工や。

     お前…周りのみんな若い奴が、お国のために戦うて、大怪我して帰ってきてよ…。
     このわしだけが、ボヤでやけどしたなんてそんなお前、大の男が恥ずかしくてよういわんでえ…」

     この善作の気持ちは、のちに善作の病状を悪化させる原因となっていきます。

     モンペ教室は大繁盛しています。
     泣く泣く帰される人がいるなか、飛び込んできたのが、なんと八重子です。

     「すんません!

     …すんません、モンペ教室に、参加さしてもらえませんやろか…」

     自分は八重子が登場しただけで、「これは作り手に、糸子と安岡の仲直りをさせる意図あり」 と踏んでしまう可愛げのない視聴者ですが、八重子の姿を認めた糸子は一瞬、とても複雑そうな顔をします。

     それは、自分の過去のイヤな思い出を思い出した時の顔。
     もう忘れた、とさえ思っていた過去の傷が、まだ確実に自分のなかにあった、と気付いたような顔。

     でも、いったん帰りかけた八重子を、糸子は引き留めるのです。

     以前の糸子だったら、妙な意地で八重子を拒絶したと思う。
     けれども糸子は、自分にも弱いところがあると、もうすでに自覚している。
     お産の時にまわりの人たちがいることの有り難さに気付き、そして千代もハルおばあちゃんもリタイア状態だったことから、初めて心細さを感じた。
     そんな糸子には、すでに自分の古い傷と向き合う勇気が、備わっているのです。
     ただならぬ八重子の様子に気付く糸子。
     教室がはけたあと、昌子の気配りもあって、糸子と八重子はふたりきりで話し合う場を持つことになります。

     「あの…今日は、おおきに…」

     おずおずと話しかける八重子。
     糸子は居ずまいを正し、八重子のほうに向き直って、「こっちこそ、おおきに…」 とあいさつします。

     「泰蔵さんが…明後日、出征することになりました…」

     どことなく杓子定規な返事しかできないでもどかしげな糸子に、八重子は出征を見送ってほしい、と懇願します。

     「お母さん(玉枝)も、勘助ちゃんも、たぶん、よう見送らんと思うねん。
     泰蔵さん、つらいと思うんやし。
     …今どき、見送りはそない派手にしたらあかんやろけど、せめて、戦地で思い出した時に、ちょっとは明るい気持ちになれるような、ええ思い出、作っちゃりたいなあ思て、…糸ちゃん、…一緒に、見送っちゃってもらわれへんやろか?」

     糸子は、言葉に詰まります。

     「………ええの?」

     「うちが頼んでるんや…!」

     糸子の目から、みるみる涙があふれていきます。

     「勘助に、あんなひどいことしてしもたのに?

     八重子さんに、あんなひどいことゆうてしもたのに?

     うちが泰蔵兄ちゃん見送ってもええの…?」

     八重子もそれを見て、感極まっていきます。

     「糸ちゃん…。

     ごめんなァ…」

     「…なんで八重子さんが謝るん?…

     …『ごめんな』 はうちや…!

     ごめんな八重子さん、ごめんな!…」

     糸子は八重子にすがりつくように泣き崩れてしまいます。

     「わかったァ糸ちゃんっ! わかった! おおきに!……おおきにな……」

     八重子も居ずまいを正します。

     「糸ちゃん。 あさって、来てな。 …きっと来てな!
     よろしくお願いします!」

     許してもらえた。
     こんな自分でも、許してもらえた。
     それは糸子が、きちんと過去の触れたくないものと向き合ったからこそ解決できたことなのです。
     もう、泣きまくりました。

     金曜放送分。

     果たしてその、泰蔵の出征の日に、玉枝も勘助も現れなかったのですが、糸子がきちんと一生懸命生きていれば、自分の人生に対して誠意を持って接していれば、いずれは解決することだろう、と私は思うのです。

     そしてその泰蔵の出征を聞いた善作は、よう動けんのにその見送りに行く、と言い出します。
     木岡が用意したリヤカーも拒絶しての見送りです。
     糸子はそんな父親の強気ぶりがうれしい。 これでこそお父ちゃんや!という気持ちでいる。
     ところが千代のほうは、あくまで心配顔。
     今にして思えば、糸子の楽観より千代の悲観のほうを重視すればよかった、と思えるのですが、

     それもこれも、みな人の人生なのです。

     糸子は出征風景の様変わりから、戦争が徐々に悲惨さを増していることを実感している。 だからこそ杖をついてでも自分の足で行くという父親の気持ちを尊重しようとしている。
     糸子の判断が間違っているかどうかは、誰も決めることが出来ないと思うのです。

     泰蔵は善作の様子を見て驚きます。
     わけを訊く泰蔵に、善作は見栄ではなく、ほんまのことを言います。

     「ボヤや…。 わしが、自分で出したんや…」

     命を捨てる覚悟で戦地に向かう男に、いまさら自分がカッコつけてどないするんや。 そんな不細工なことはでけん。 恥さらしは、恥をさらせばええんや。
     そんな善作の気持ち。
     泰蔵を励ますための、自分の卑下であることは確かだと思うのです。

     「行ってらっしゃい! 気ぃつけて! 家のことは、任しといてください!」

     精一杯明るい表情で言い切る八重子。 それが逆に、悲痛を誘います。
     いつの間に大きくなった息子たちに、泰蔵は万感の思いをこめて、「お母ちゃんを、よう助けるんやで…」 と言い残し、その場を去っていきます。

     「安岡泰蔵君、バンザーイ!!」

     もうこの時期、万歳やらご法度だった気もするのですが、善作はそれでも、その口火を切らざるを得なかった。

     「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」

     渾身の力を込めた万歳をし終えると突如、善作はその場に倒れ込みます。
     満身創痍の日本軍に、満身創痍の善作。
     何か悲壮感が増幅されて迫ってくるようであります。 「善ちゃん!大丈夫か!息しとるか!」。
     その騒ぎのなかで、吉田奈津が遠巻きにしのび泣きをしているのを、糸子は見つけてしまいます。
     糸子はそのとき、奈津と八重子の哀しみに思いをいたす。 他人の哀しみを考えることが出来るようになった糸子を、またここでさりげなく見ることが出来ます。

     「せやからゆうたのにっ!!」

     千代がものすごい剣幕で怒鳴りつけます。
     善作は家に戻ってきて、力なく寝床に倒れ込んでいく。
     千代はまた、身も世もなく泣き続けます。
     糸子はふと、やけどをした時より今日のほうがよくなかったのではないか?と考えてしまいます。

     「お母ちゃん、なんで泣くん? 泣かんといてよっ! …縁起でもない…!」

     「辛気臭いのは寿命を縮める」…、貞子おばあちゃんの言葉が、ここでまた生きている気がします。
     善作はその夜、うんうん唸り続けます。 糸子はまた夜中に起こされ、善作の看病をすることになる。

     翌日医者に見せると、疥癬(かいせん)だから皮膚科で診てもらえ、と言われます。

     「体が弱ってもうたらかかるんや。 虫でも病気でも、悪いもんちゅうんは、必ず弱いところに寄って来よるんやな」

     医者のこの言葉、まるで日本の行く末を暗示したようなセリフになっていることにも注目です。
     重苦しい音楽が流れ、木岡の引くリヤカーに乗っている善作は、魔に取りつかれたような 「辛気臭い」 顔をしています。
     遠くでトンビが啼いているのが聞こえる。
     善作はそれを、力なく見上げます。

     「なに見てんの?」 父親に糸子が尋ねます。

     「…トンビ…」 善作は娘に、かつての威勢の良さをまったく喪失した覇気のない声で答えます。

     「ほんまや…飛んでるな…追っかけっこしてる…あらぁ、親子やな」

     善作は見上げる気力も失せ、しかめっ面をしてうつむいてしまいます。
     この場面、なぜだか泣けて仕方なかった。

     「(大丈夫やで。 うちが絶対治したる。 なにがなんでも、またあの元気でやかましいお父ちゃんに、戻しちゃるよってな)」

     糸子は心に誓うのです。

     そんな糸子は、妹たちの中途半端さにいたく不満です。

     光子と清子はこの週、何かというと糸子に怒られている。 家の大人たちが軒並みダウンしているような状況で、もっと自覚を持って家のなかでの役割をこなしていかねばならない、それは自分が一生懸命だからこそ、妹たちに言えるセリフなのです。

     「ようせんちゃうやろ?! あんたら今までおばあちゃんの横でなに見てたんや!
     いつまでも誰から頼れる思たら大間違いやで!
     あれせえこれせえ言われんの待ってんと、自分からでけることどんどんせんかいな!」

     この金曜分の話のラストは、さまざまな問題に頭を悩ましている糸子のもとに、八重子が息子の太郎を連れてやってきたエピソードでした。
     ふたりの関係がすっかり昔通りになったことを示すこのエピソードの裏で、糸子の長女優子と太郎が初めて会うシーンが挿入されていたのですが、これってもしかして馴れ初め?(笑)
     とにかく重苦しい場面が続いたあとの、ほっとする一幕で金曜日は終わりです。

     そして土曜日放送分。

     昭和18年(1943年)4月。

     優子が小学校に入学します。
     金曜放送分で悲痛なまでに元気のなかった善作は、どうやら小康状態を保っている模様です。
     優子の着ていく服に難癖をつけたり、すっかり口うるささも回復している模様。 元気になったことで糸子はそれを再びうざったがっている。

     そんなとき、木岡から温泉行きの話が持ち上がる。
     「疥癬に効くんやったら一石二鳥や」 と、善作はその話に大乗り気りです。
     「あかんあかん」 とその話を止めようとした糸子でしたが、地図やら観光案内やら、すっかり行く気になっている父親の姿を見て、糸子は思い直します。

     しかし木岡の妻も温泉行きには反対。
     糸子は行かせるべきか止めるべきか、かなりシビアな選択を迫られているように思うのですが、そのとき糸子が強烈に感じていたのは、善作のガミガミが戻ってきたことで、ある程度体力も回復している、ということ。
     切符張りの仕事にも復帰する善作に、「すっかりその気になってるもんを、無理やりやめさしてもええことないかなあ」 という心理も働く。 「いったん言い出したらきかない」 という父親の性格を身に染みて知っていることも、判断材料としては大きかった気がします。

     「…しゃあない…」

     せめてものお守り代わりにと、糸子は父親に、新しい国民服を仕立てます。
     それがいたく気に入った善作。
     旅立つ前に、糸子のところにやってきます。

     「おい…」

     「なんや、お父ちゃんか。 何?」

     「ううん…」

     「うん? 何や?」

     「なんや…」

     もじもじしている善作。

     「えっ?」

     袖を通したばかりの国民服を触る善作。

     「ご…ごっつええなあ…。 …ぬくいし…」

     「ああ、…そうか…。 …そんだけ?」

     お父ちゃんと話してるヒマないわ、というような糸子。

     「あ…いや…あの…。 まだお前にな。 ちゃんと、ゆうてなかったさかい…」

     「何を?」

     「せやから、礼や…服の…」

     なんだそんなこと?というような顔の糸子。 「ああ…、なんや、ええよ!」 と照れ笑いします。 「お父ちゃんに礼なんかゆわれたら、こそばゆいわ!」

     糸子は思い出したように、水筒を父親に差し出します。 「あ、せや、これ!」

     「なんや、お茶か?」

     「お茶ちゃう。 お水や。 お父ちゃんの大好きな、お米ででけたお水」

     「お、おまえ、まだこんなもん、もっとったんけ?」 善作は、驚きます。

     「フフン…取っといたんや」

     「おおっ! おおきに! おおきにやで、糸子!」

     大喜びで仲間にそれを吹聴する父親に、糸子は国民服より酒のほうが感謝されたことにちょっぴりむくれます。

     いかん。

     フラグが立ちまくっとる。

     今週何度か繰り返された、「おおきに」 という感謝の言葉。
     そんな素直な感謝の言葉が善作から聞かれたことに、見る側は限りなく嫌な予感が駆け抜けていくのです。

     「ほな、行ってくら!」

     笑って見送る人々。 千代だけが、深刻な表情を崩しません。

     善作一行が行ったあと。

     出納帳?の末尾に、筆で 「オハラ洋装店 店主 小原糸子」 と書いてあるのを、糸子は見つけます。

     ハルおばあちゃんから、「これは善作の字や」 と聞いて、「いつの間にこんなん書いたんや?」 といぶかしがる糸子。
     それは、善作が糸子を半人前から、完全な一人前として認めてくれた証し。

     いかんいかん。

     フラグが立ちまくっとるではないか。

     なんかもう、泣く準備ができてきとる、つーか(笑)。
     もうこの段階で、早くもウルウルしている自分に気付くのです。

     その夜。

     外は、細かい雨が降っています。

     ひとり、父親の書いた文字を手でなぞりながらちょっとした悦に入っている糸子。
     糸子が灯りを消した瞬間。
     ダンダンダンダン。
     ぶしつけなまでにうるさい、戸を叩く音です。

     「小原さん、電報ですー」

     何か不安げな顔で立ちあがる糸子。

     「ゼンサクキトクスグ コイ」ヤマギ ワオンセン」

     立っていられなくなる糸子。

     「(落ち着け…まず、どうする?

     『スグコイ』 っちゅうんやから、朝一番の電車で…)

     せや…旅館の住所きいとこ…」

     よろよろと立ちあがり、木岡か木之元かの家に行こうとする糸子。
     玄関を飛び出した糸子がばったり出くわしたのは、まるで亡霊のようにふらふらと歩いている木岡の妻。 小雨が降っているなか、どうしたのか。

     「おばちゃん…?」

     木岡の妻は我に返ったように糸子を認めます。 「ああ…。 そや。 あれ…?」

     「なんや?」 思わず訊き返す糸子。

     「そや、小原さん今、温泉行ってんのに、なんでや?…うち今、しゃべっちゃあたわ…」

     「なんて…?」 糸子は 「そんなバカな」 とかいう反応をしようとしません。 もうすでに、この時点でミステリーゾーンに突入している。

     「は?」

     「お父ちゃんなんてゆうたん?」 糸子は詰問口調になります。

     次の瞬間、木岡の妻はまるで善作が乗り移ったかのような、不気味な声でしゃべるのです。

     「…『糸子を、……よろしゅう頼む』 て…」

     木岡の妻から善作の霊が後方に下がるのをまるで追いかけるかのように、糸子はよろよろと歩き出します。

     「…待って…。

     お父ちゃん…。

     待って!…

     行かんといて、お父ちゃん!!」

     糸子は突然止まります。

     小雨の降る先に、善作の亡霊が、笑って佇んでいる。
     その顔は優しく、やけどのあとも一切ない。
     そしてその影は、だんだん消えていくのです。

     「待って…。

     待って…。

     行かんといて…。

     待って!!……」

     糸子はとうとう、声の限りに叫びます。

     「行かんといて! お父ちゃん!!」

     善作の影は、完全に消えてしまいます。
     糸子は泣きじゃくりながら、その場にへたりこんでしまいます。

     「待ってお父ちゃん……。

     お父ちゃん……!! 待って……!!」

     完全に子供に戻ってしまったかのような糸子。
     泣きじゃくる声が、路地を通り抜けていきます。

     「(昭和18年4月27日。 享年、59でした――)」。

     あ~もうダメだ。
     完全に涙腺がぶっ壊れました。
     「Mother」 以来だ、こんなに泣いたの。
     あんときは敵側だったのにな、尾野真千子サン(ハハ…)。

     冷静な話をここであえていたしますが、「死んだ人が夢枕に立つ」 とかいう現象は、必ずしもその人の死んだ霊がそこを訪れているわけではない、という話を、テレビかなんかで見たことがあります。 江原サンがしゃべってたのかな?(笑) 宜保サンかな?(笑)

     しかし近しい関係の人が死んだ時に私も感じたことがあるのですが、まるでなんか、その人が別の世界に行ってしまった、というヘンな 「怖い」 感覚、というものがあるんですよ。

     これって小さい頃に読んだ日本神話とかの、黄泉の国、という感覚が、そうさせるんでしょうかね。
     いずれにしてもその 一種 「怖い」 感覚、というものを、このシーンではかなりのリアリティを持って表現していた気がするんですよ。 まったくオカルトチックな、非現実的な話なんですけどね。

     家族、という関係は、すごく近すぎていつもお互いに甘ったれたような関係になってしまう。
     糸子と善作の最後のやり取りのように、ちゃんと礼を言おうとすると気恥ずかしさが先に立ってしまうものです。
     でも、糸子にとって善作は、理不尽な超えるべき壁であると同時に、いつも見守ってくれる存在だった。
     気恥ずかしさが取り払われてその有り難さに真から気付く時、人は泣きじゃくりながら、その親の子供に、戻っていくのです。

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    2011年12月11日 (日)

    脚本家の市川森一サン死去

     脚本家の市川森一サンが、亡くなったそうです。 享年70歳。

     つい最近、市川サン脚本の、宮崎あおいチャン主演ドラマ 「蝶々さん」 が放送されたばかりだったので、この訃報には少々驚いております。 肺がんだったとのこと。 ご冥福をお祈り申し上げます。

     市川サンの作品で私が真っ先に頭に浮かぶのは、「淋しいのはお前だけじゃない」。

     当時高3で、サラ金の世界を初めて見た衝撃はものすごく、永く自分の記憶に残る作品となりました。
     確かこの作品が、梅沢登美男サンの出世作だった気がします。
     あのムサいオッサン(失礼)がドーランを塗るとまるで別人になっていく姿、というのも衝撃的でした。
     当時細川たかしサンが横取りする(これも失礼)前の、ちあきなおみバージョンの 「矢切りの渡し」 も衝撃的な歌で。
     主演の西田敏行サンのドーラン姿も似合ってなくて衝撃的(笑)。
     なにからなにまで刺激的な作品だった気がします。

     その印象的な 「淋しいのはお前だけじゃない」 の脚本家さんが、実は 「ウルトラセブン」 の脚本を数話担当していた、と知ったことが、私が市川森一サンを意識する最初だった気がします。

     「ウルトラセブン」 で市川サンが担当した作品も、私結構リピーターなのできちんとチェックしたのですが、作品レベルが全体的に高いこの番組の中では、さほど出来がいいとは思えなかった。 それだけにその後の作品でのレベルの高さには舌を巻きました。

     特に心酔したのは、NHK大河ドラマ 「山河燃ゆ」(共同脚本のひとり)、そしてメイン脚本家としての 「花の乱」。
     「山河燃ゆ」 は私が初めてきちんと始めから最後まで見た大河ドラマであり、それだけにその思い入れはほかの大河ドラマとは一線を画します。

     「山河」 は、大河ドラマでは 「いのち」 を除いてほぼ未開の時代、太平洋戦争期を題材にした作品。
     日系人たちが戦争を契機にマンザナール強制収容所に入れられ、戦後はGHQの一員として東京裁判に参加する。
     そんな運命に翻弄された松本幸四郎サン(当時市川染五郎サン)主演のドラマ、少々自虐史観に囚われていた作品のような印象もあるのですが、そのドラマ的なダイナミズムは当時夢中になりました。

     ここでまたもや登場する西田敏行サンと市川染五郎サンは兄弟。
     西田サンが日本軍兵士として従軍してたものだから、兄弟は敵味方同志となるのです。
     大河ドラマのひとつの核として存在している 「家族どうしの殺し合い」 という概念が、ここでも展開していた、ということは興味深い。

     そして私が見た中での大河ドラマベスト1、2を争う作品が 「花の乱」。

     このドラマ、視聴率的にはかなり悪くて、そんなに評価されているのを見聞きした覚えがないのですが、個人的には大傑作だと感じます。

     特に主演の日野富子の夫である、足利義政を演じた市川團十郎サンが世を嘆いてオイオイと泣くシーン。
     まるで源氏物語の世界のような、貴族の弱々しさを耽美に描いたシーンとして、ものすごく印象に残っています。
     ほかにも、日野富子の少女時代を演じたのが、松たか子サンで。
     確か彼女のデビュー作だったと思うのですが、いやー、カワイかったです(笑)。 「ウワ、オレ好み」 とか(笑)。
     山名宗全を演じた萬屋錦之介サンもとても印象的。
     萬屋サンはその数年後に亡くなってしまったのですが、私にとっては印象的だった最後の役、でした。

     またこのドラマはテーマ曲もすごく耽美で優雅で、とても好きでしたね。
     三枝成彰サン作曲でしたが、三枝サンと市川サンのコンビは、遺作となってしまった 「蝶々さん」 でも復活してました。

     それと単発ドラマでしたがとてもよかったのが、「私が愛したウルトラセブン」。

     昭和42年当時の風俗とか撮影秘話とか、特にダンとアンヌの実際に展開していた微妙な恋愛関係?が、当時の青春群像を的確に描いていて秀逸。
     自分は完璧なウルトラマン・ウルトラセブン世代ですが、初回放送時は1歳とか2歳だったのでリアルタイムで見た記憶、というものはありません。 再放送で育った世代であります。
     それでもこの回顧ドラマを見ていて、当時にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。
     これは脚本を書いた市川サンの手腕によるものがかなり大きいと感じます。

     かように、私の物心ついたときからのドラマを数々担当されてきた市川サンが亡くなったのには、特別な感慨があります。
     あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。

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    2011年12月10日 (土)

    「カーネーション」 第10週 人の哀しみに寄り添う、ということ

     先週の当ブログのレビューに於いて、私は糸子の態度に 「ええ時に調子に乗っている姿」、という考察を加えました。

     今週の話を見る限り、少なくとも序盤では糸子は確かに調子に乗っていた。 順風満帆なことで人の気持ちを酌量する気持ちに欠けていた。
     どうしてそう言えるのか。
     幼いころから自分を可愛がっていたある人物から、糸子が手痛い反撃を食らうからです。

     しかし。

     このドラマは、そんな 「調子に乗る糸子」 がいいとか悪いとかの視点に立ってない。

     このドラマが一筋縄ではいかないのは、糸子がそんな自分を、「調子に乗っている」 と自覚している部分であり、さらに「それでもうちはこのまま進むしかない」 という悲痛な決意でもって糸子自身が自己肯定しようとしている点であります。

     あらためて書きますが、このドラマはすごすぎる。

     自分の中にある矛盾した感情や、自分でもそれが悪いと思っている感情を、抱えながら人というものは生きている。
     
     それを表現し尽くしている、という点が、すごいのです。

     だからこのドラマは、ありきたりなドラマみたいに、糸子に簡単に反省させる術を持っていない。

     私はてっきり、ハルおばあちゃんに、「糸子あんた調子に乗ってんで」 とか、勝が出征する、という予告編を見て、糸子が勝の気持ちに気付くとか、そんな反省の仕方をさせるんだ、とばかり思っていたんですよ。

     しかしこのドラマは、そんな生半可な 「スッキリ解決」 という手段を選ばなかった。
     にわかに判断しづらい人生の岐路を描いていくことで、人生の複雑さを表現しようとしているのです。
     調子に乗った、だから反省した、などという、単純な構図を拒絶している。

     今週のこのドラマの成り行きを見ていて私が感じたのは、「人の哀しみに寄り添うには、自分がいったんその淵まで悲しまなければ同苦できないのではないか」、ということでした。

     そして今週の、衝撃的なラスト。

     そのラストが、もし他人の哀しみを知るために糸子に用意された悲劇なのだとすれば、作り手は糸子に生半可な反省のきっかけを与えていないことになる。
     それは糸子にとって、あまりにも過酷な出来事だった、と思われるのです。




     昭和16年(1941年)12月8日。

     大東亜戦争開戦を告げる臨時ニュースが、ラジオから流れます。

     「終わるどころか、また始まりよった」。

     それを聞いた糸子のつぶやきです。

     つまり中国での戦争が泥沼化しているというのに、今度は米英を相手に戦おう、というのですから、どこまで調子に乗ってんねん、ということです。
     糸子は幼い頃を思い出し(二宮星チャン、再登場!…笑)、男どもがいったん始めた勝負を 「次勝ったら次勝ったら」 と延ばし延ばしにする根性と重ね合わせ、「戦争なんて何がオモロイねん!(こっちははよまともな商売しとうてうずうずしてんや!勝つなり負けるなりどっちゃでもええさかいさっさと終わらんかい!)」 と考えています。

     そこに現れた、大日本國防婦人會のオバチャンたち。

     「(い…今、口に出してゆうたっけ? 頭の中で思ただけやっけ?)」
     とっさに口にフタをする糸子(爆)。 大丈夫、「戦争なんて何がオモロイねん!」 までです(や、それだけでもちょっとまずいか…笑)。

     さっそく時局にそぐわぬ和装をしている糸子はやり玉にあげられ、モンペをはくよう強要されます。

     「クソ!あのオバハン…」

     洋装店の意地というものを振りかざし、なんでこんなブッサイクなもんはかなあかんねん、そもそもモンペっちゅう名前が気に食わん…などとクソミソだった糸子でしたが、いざはいてみるとその機能性やら隠れたおしゃれが可能なとこやら、すっかり方針転換(爆)。

     で、モンペもちゃっかり商売に取り入れて、ますます糸子の商売は時流に乗ることになります。

     そして代金代わりの野菜やらを持って糸子が訪れるのは、安岡髪結ひ店。
     「洋髪なんか今いちばん日本で無駄だと思われてる」 と八重子が言うように、店にはお客もいず、玉枝も勘助のこともあるせいかめっきり元気がなくなっています。
     パーマネントの機械もまったく使われることなく、残ったのは高い月賦のみ。 重苦しさが安岡の店を覆っています。

     それでも、勘助が泰蔵の勧めでようやく和菓子屋に再び勤めるようになった、という明るいニュースもある。
     糸子は心の底から喜び、勘助を喜ばせようと、平吉の喫茶店(その平吉もすでに出征しています)に、かつて勘助がお熱を上げていたサエを連れて来て、励まそうとするのです。

     「(ちょっと、先を急ぎすぎたんやと思います――)」。

     糸子がとりあえずナレーションで後悔の念をにじませていたのですが、まだ精神的な傷が癒えてない勘助に、サエを引き合わせたのはまずかった。

     散々周囲に面倒をかけてまで好きだった女に、今の自分のていたらくを見せることが、どれだけ勘助の心の傷を刺激しまくる行為だったか。

     勘助の息は荒くなり、もどしそうになって椅子から転げ落ちます。 驚くサエ。 糸子は動転して、助けを呼ぶため店を飛び出します。
     おそらく安岡の者を呼びに行ったと思われる糸子。 こちらも喫茶店から逃げ出したと思われる勘助が、土手の草むらに身を投げて悶絶し、号泣しているところを見つけてしまいます。

     そのあまりにも凄惨な姿を見て、相当のショックを受ける糸子。

     その夜、食事のさい、直子に食べさそうとするうどんもみんな落としてしまうほどに呆然としていた糸子ですが、そこに無造作にオハラ洋装店の戸を叩く者があります。

     玉枝です。

     雷雨のなか、傘もささずに、ずぶ濡れになった玉枝。
     挨拶もせず、出て来た糸子に強い調子でいきなり質問をぶつけます。

     「勘助になにした?」

     「…え…?」

     「糸ちゃん。

     …あんた勘助になにしてくれたんや…?!」

     すぐに答えられない糸子。

     「勘助が…どないかしたんか…?」

     やっとのことで話す糸子に、玉枝は恨みを込めたひきつった目つきで、糸子に答えます。

     「さっき…2階から飛び降りようとしよったわ」

     2階て、いかにもヘタレな勘助らしくて笑えそうな部分ですが、そんなことを一切許そうとしない怒気が、玉枝からは充満している。
     思わず勘助のところに行こうとする糸子。
     玉枝が糸子の腕を、思い切りつかみ引っ張ります。
     そして怒りを込めて、こう言うのです。

     「やめてくれ!」

     「え?」

     「糸ちゃん。

     あんた金輪際、勘助に会わんといてんか?!」

     「…なんで…?」

     消え入りそうな声の糸子。
     玉枝は諭すように言いはじめます。

     「あんなあ糸ちゃん。

     世の中っちゅうのはな、…みぃんなが、あんたみたいに強いわけちゃうんや。
     あんたみたいに勝ってばっかしおるわけちゃうんや。

     …みんなもっと弱いんや。
     …もっと負けてんや。

     …うまいこといかんと悲しいて、…自分がみじめなのも分かってる。

     そやけど、…生きていかないかんさかい、どないかこないかやっとんねん。

     …あんたにそんな気持ち分かるか?

     …

     商売もうまいこと行って、…家族もみぃんな元気で、…結構なこっちゃな!

     …

     あんたにはな…。

     なあんも分かれへんわ…!」

     それまで怒りを含んでいた玉枝の表情が崩れ、悲しみをたたえていきます。
     雨でぐしょぐしょに濡れていた顔に、涙が混じっていくのが分かります。

     「どないか働きに出れるようになったのに…。

     …

     ここまでうちらがどんだけ神経すり減らしてきたか…。
     あんたには想像もつけへんやろ?!

     …

     今の勘助に、
     …あんたのずぶとさは毒や…!

     …

     頼むさかい…。

     もううちには近づかんといて…」

     雷雨のなか、玉枝はとぼとぼと帰っていきます。
     どう反応したらいいのかまったく分かっていないふうな、糸子の表情。

     自分が調子に乗っているか乗っていないかは別として、自分がよかれと思ってやっていたことがかえって他人を傷つけていた、というのは私にも経験があります。
     そしてそれを当人から、怒りをもって抗議を受けたこともある。

     言われて初めて、自分がどれだけ人を傷つけていたのかが分かる。

     「世の中ってのはな」 と、その当人から言われると、自分がいかに世の中のことを知らなかったかが分かるものなのです。

     しかも糸子の場合、安岡玉枝とは、そりゃ昔から家族ぐるみで仲のいい付き合いをしてきた。
     そんな人から手のひらを返されたようにこのような物言いをされるのは、精神的にかなりキツイです。

     ただそれを、糸子は 「うっとこが儲かってるからひがまれてる」 というとらえ方をしようとする。
     それはけっして、糸子の本心ではないと思われます。
     でもそう思うことで、糸子は自分の身に降りかかったショックを、なんとか消し去りにかかる。 自己正当化しようとする。 リアルです。

     翌日八重子が、義母の振る舞いを弁明しようとやってきます。

     「お義母さんのこと、堪忍しちゃってなぁ…」。

     八重子は戦争が始まって店が苦しい、勘助のこともあって玉枝も精神的に参ってる、けど今を辛抱したらまた元に戻る、と説明するのですが、糸子は素直な反応をしようとしません。

     「そやけど…。

     うちはお宅らの身内とちゃうさかい…。

     辛抱する筋合いないわ」

     糸子の意外な心ない返事に驚く八重子。

     「おばちゃんな。

     たぶんうちが、店繁盛させてんのが、目障りなんや。
     うちが勘助の世話やくんも、うっとうしいてしゃあないんや。

     『あんたは毒や。頼むから近付かんといて』 て、おばちゃんがうちにそないゆうたんや。

     うちが堪忍するかどうかの話ちゃう。

     『近づくな』 って言われたんやさかい、…うちは金輪際近づかへん」

     このセリフ、額面通りに取るのは間違っていると思います。
     どこかしら、八重子に甘えてモノを言っている。
     その証拠に、逃げるように八重子との会話を打ち切りその場から離れた糸子は、「うちはなんて冷たいことゆうてしもたんやろ…」 という顔をして立ち止まるのです。

     「(アホか…八重子さんに当たってどないすんねん…)」

     糸子は直子をギュッと抱きしめ、ぐずられて自嘲します。 「あんたまでお母ちゃん嫌いか…堪忍な…なにやってもうっとおしいお母ちゃんで…」。

     ここで糸子は、自分が直子にちゃんとした愛情を注いでいないこともきちんと自覚しているように思えます。

     糸子はそのまま、フテ寝してしまう。 やはりこれも、一種の甘えのように感じます。
     うちは一生懸命働いて、安岡の家にも差し入れして、これでいいと思いながら生きている。
     そんなのにあんな、人格否定されるようなこと言われたら、やる気なくなるわ。
     そんな構造でしょうか。
     縫い子頭の昌子がそんな糸子を叱咤します。 糸子は縫い子たちや家族たちを養っている、という自覚に立ち返り、こう決心する。

     「(昌ちゃんのゆう通りです。
     うちには家族がおる。
     7人の縫い子を抱えてる。
     ようさんのお客さんを待たせてる。

     どんだけ憎まれようが、負けるわけにはいけへんねん)」

     くじけそうになるとき、「負けたらあかん」 と自分にムチを入れることは、大切なことだと思います。
     ただ、ここで糸子は傷ついた自分にばかり神経が行ってしまって、玉枝の哀しみに、寄り添っていない。
     玉枝から一方的にまくし立てられた感情的な言葉に過剰に反応することで、自己防衛しようとしている、と私は考えるのです。
     それがいいか悪いか、ということを私は問題にしたいとは思いません。
     人間というのは、いつも最良の判断が出来るわけではない。
     そのことをドラマが描き出そうとしていることに、ただただ感服するのです。

     糸子は安岡の店先に、食糧の入ったかごを黙って置きます。

     「(さいなら。

     もう二度とけえへんよって)」

     直子をおぶったままの糸子は、その帰り道で、冷たい決心をします。

     「…悪いけどな。

     うちは負けへん。

     戦争にも、
     貧乏にも、
     勝って勝って勝ちまくるんや…。

     嫌いたかったら嫌うたらええ…!

     なんぼでも嫌うてくれっ…!」

     精一杯の強がりの言葉。
     しかし糸子は、その言葉を言いながら、泣いています。

     糸子はここで、自分が決めた道を、どんなに嫌われようとも貫き通そう、という決心をしている。
     言いたいやつには言わせておけ。
     自分のやっていることで、大勢の人間が幸せになっとるんや。
     しかし糸子がそう開き直るために、長年仲良く付き合ってきた安岡家と、糸子は感情的な決別をしなければならないのです。
     それは自分の身を切るよりも悲しい決意であることは疑いがない。
     いわば糸子にとって、それは子供時代のよかったころの思い出との決別でもあるからです。

     これがいいか悪いかの判断を、作り手もしようとしていない。
     ただし、それが悲痛であることだけは、描写しようとしている。

     私がうなるのはこの点です。
     作り手が糸子に、安っぽい反省をさせないことが、ドラマの緊張感をいやがうえにも高めている。
     いずれにせよ糸子はこのスタンスのまま、しばらく生きていくことになるのです。

     昭和17年(1942年)12月。

     糸子の夫、勝に召集令状が届きます。

     糸子のお腹には3人目の子供。
     歌舞伎に連れてってもらったり、ショールを買ってくれたりする夫に、糸子はそれなりに感情移入しながら暮らしてきたために、その召集令状にはショックを受けるのです。

     「(戦争中でも月は出る。
     虫かて鳴く。

     優子…直子…お腹の子。

     それから…勝さん。

     うちは、まだまだこんなにたくさん宝を持ってるんやな。

     立ち止まって、ふと気づいてしもたら、そのことが、有り難いやら怖いやら。

     無くしたない。

     おらんようにならんといてほしい…)」。

     そんなふうに感じていた糸子です。
     その感情を、玉枝も持っていることに糸子は気づいてほしい、と私は考えながら見ていたのですが、そんな糸子にも、家族がおらんようになる悲しみが、襲ってきたのです。

     「(ああ…来てしもた)」。

     粛々と署名捺印をする勝。 ハルおばあちゃんはそれを見て、腰が抜けたようにへたり込んでしまいます。 蒼ざめた表情のままの糸子。

     千代はそれを聞いて泣いてしまう。 糸子は優子の前やから泣かんといて、と気丈に振る舞うのですが、やはりショックは隠しきれない。

     バリカンで勝を坊主頭にする糸子。
     午後の陽ざしの中で、糸子の哀しみだけが、募っていきます。

     ささやかな出征祝いの夜。

     善作は、きまりの悪そうな顔をして、酒を抱え、だいぶん遅れてやってきます。

     玄関先でそれを出迎える格好になった勝。 笑顔を見せるのですが。

     「お父さん…。

     すんません」

     勝は、善作に頭を下げるのです。

     「赤紙…来てしまいました。

     スンマセン…!」

     泣いてしまう勝。

     「すんません…すんません…お父さん、すんません…」

     頭を下げたまま慟哭する勝。
     善作は、勝の肩に手を回します。

     糸子はいたたまれなくなって、井戸の場所までやってきて、しのび泣きます。

     この場面。

     勝は、どうして善作に謝ったのでしょう?

     勘助の送別会では、「弾なんか当たらん当たらんそんなもん」 と一笑に付して、兵役なんかどうってことはない、としていた善作が、今回はまったく喜んでめでたいことだと感じていない様子。 夫として妻を守ることが出来なくなったことへの自責の念が、勝を謝らせ、泣かせたのだと思うのです。 ありきたりな感想ですけどね。

     実はこのあと勝の浮気が発覚するのですが(笑)、奈津が推測するように、相手の女はかなりの別嬪で勝と釣り合いようがない。 勝は弄ばれていたにすぎない、と感じるのです。
     そのことを考えると、勝が善作に対して申し訳ない、とした気持ちは、あながち表面上のことだけではない、と感じる。
     いずれにしてもここから窺えるのは、勝や善作が、兵役をけっして名誉なことだと考えていなかった、ということです。
     ただ純粋に、死地に赴く悲壮な決意が、当事者たちを深刻にしている。

     翌日、勝は極めて質素に、商店街の人々から送り出される。
     勘助の時のようなノーテンキぶりはまったく影をひそめ、そのコントラストはとても強烈です。
     ただ当事者の家族だけが悲痛な表情だった、というのだけは一緒でした。
     善作も、千代も、糸子も。

     ところが前述のとおり、その直後に勝の浮気が発覚し、糸子の心は右に左に大きく揺れまくるのです。

     そのきっかけは、勝から送り返されてきた背広の中に隠されていた、浮気相手との仲むつまじい写真。
     「浮気のひとつやふたつ、男の甲斐性や」 みたいなとらえ方をする善作や、商店街の木之元などに糸子は激高し、腹いせに土手で大きな石をドボンドボン川に投げ込みます(笑)。

     糸子の疑心暗鬼は徐々にエスカレートしていき、ついにはサイレント映画のようなモノクロのロマンス映画仕立ての夢まで見てしまう(順番メチャクチャに書いてますけど…笑)。
     これって糸子が嫉妬してるのかな?とも思われる描写なのですが、作り手はあくまで 「男って…(怒)」 という姿勢で描いているので、糸子の嫉妬心がなかなか見えてこない。 

     糸子の妄想は勝が糸子と結婚しようとした意図にまで広がってしまう(これも順番メチャクチャです…爆)。

     「(要するにや。

     うちは女として好かれちゃったわけちゃうんや。
     ただの稼ぎ手として、見込まれちゃっただけや。

     ほっといても嫁はせっせと稼ぎよる。
     そやさかい、自分はなんぼでも外で別嬪と遊べる。

     ほんで、うちを大事にしてくれちゃった。 そんだけや!)」

     で、先ほどチラッと話しましたが、糸子は奈津にその恨み節を展開する。 その際に奈津のダンナもどこぞへ出奔して(笑)しまったのがバレてもうたのですが、いったん奈津も糸子を突き離しておいて、「(出征してしもたんなら)なおさらどうでもいい話やわ! しゃきっとしいや!」 と糸子の尻をひっぱたく(実際ひっぱたいてませんけど)。

     「(これや。 これでええ。 うちと奈津。 女どうしはこれでええんや)」

     とひとりごちする糸子ですが、その帰り道、糸子は泰蔵と出会います。
     気まずそうに挨拶するふたり。

     糸子はそのままそこに立ち止まり、息苦しそうにうつむきます。
     そして目を開けると、雪がちらついている。

     それまで自分の思う通りに突っ走って来た糸子が、安岡のことをはからずも思い出す一瞬。

     向こうが近づくなっちゅうんなら、金輪際近づかへん。
     そう心に決めてからも、糸子の心の中には、釈然としない重たいものが、ずっとずっと居残り続けていたのです。

     そして土曜日放送分。

     糸子はその年のお歳暮に、お世話になった人々に野菜を送り届けさせます。
     それは安岡の家にも。
     これは、調子に乗った糸子がどう反省するか、などという私の了見の狭い見立てよりも自然と、糸子の心の成長を思い知らされるエピソードであります。
     縫い子のひとりから、その野菜が無事に八重子の手に渡ったことを伝え聞く糸子。
     その縫い子の話からは、玉枝も勘助も、確とした消息が分からないのですが、とりあえず糸子は安岡の家に不義理はしなかった。

     そしてお歳暮を届けた木之元の女房から、いつも悪いというように、カイロのお返しをもらう糸子(これもちょっと順番逆に書いてますけど)。
     いつも恐妻ぶりを発揮していた木之元の女房ですが、糸子からよくしてもらっていることに後ろめたさを感じていたんだな、と思わせると同時に、その心情には玉枝が感じていた引け目と同様のものを感じる。
     いずれにしてもその木之元の女房のささやかな心配りが、のちに大きな悲劇を引き起こすことになるのです。

     昭和18年(1943年)1月。

     電気ガス代など節約のためにオハラ洋装店で一緒に再び糸子たちと一緒に住むようになっていた善作たち。
     糸子は、木之元から、勝が大陸へ渡ったことを聞き及びます。
     ついに本格的な戦闘地域へ…。
     糸子の心の中は、「どうせ浮気者や」 という悪魔の気持ちと、「うちがいくら家族をほったらかして仕事しても文句のひとつも言わんかった優しい人や」 という天使の気持ちが激しくせめぎ合います。

     ここで糸子が 「自分が家族をほったらかして仕事ばかりしていた」 とはっきり自覚していることは、糸子の成長をこれまた思い知らされるセリフであります。

     別に目くじらたてんでも、人間というのは自然と成長していくもんなんやなあ。

     反省するならサルでもできる(なんやソレ?…笑)。
     形ばかりの反省なら、そこらのドラマじゃいとも簡単に毎日しとる、ちゅうことです。

     おそらく糸子と玉枝も、仲直りできる日がやってくる。
     そう思わせる糸子の成長ぶりなのです。

     「(出征してしもて、悲しさやら心配やら、ないことはないけど、ほかでグルグルしすぎて、そこまで気ぃがいけへんちゅうんは、ええんか悪いんか…)」。

     やはり夫の出征は、糸子の視野をひと回り大きくしているようなのです。

     そこにやってきた、大日本國防婦人會の、例のオバチャンたち。

     夫がいなくなったんならミシンを供出せよ、と強気の要請です。

     糸子はそれを拒みます。 「戦争から帰って来た時にあれがなかったら、主人は仕事がでけんようになります」。
     それに対し婦人会のオバハンたちは、居丈高に言い放ちます。

     「はぁ? 『帰って来た時』 ぃ?

     小原さん。
     お宅まだそんな低い意識でこの聖戦に臨んでいるんですか?!」

     「は?」
     なに言うちゃってんねや、というような顔になる糸子。

     「いやしくも日本の妻、夫を戦地に送り出したら、潔く、遺骨になって帰ってくるのを願うべきやないんですか?!

     死んでお国の役に立ってこそ、旦那さんの値打ちっちゅうもんです!」

     「なに…?」
     極道の妻みたいな顔になる糸子(笑)。

     「なにこのおおっ…!!」
     つかみかかろうとする糸子。
     その場にいた善作と昌子が、糸子の口を塞ぎ羽交い締めにします。 「まあまあまあまあ!あとでよう言うて聞かせますよって、きょ、今日のところは…!」「ご苦労さんでしたぁっ!」。

     退散する婦人会のオバチャンたち。
     糸子はようやく解放され、せき込みながらその場に座り込み、腹の底から憎しみを吐き出すように、「クソオッ!」 と叫びます。

     「…くそ…!」
     畳を叩いて悔しがる糸子。

     「なにが死んでこその値打ちじゃあああっ……!!」

     怒りで顔面を大きく崩しながらの絶叫です。

     この場面、ドラマ的な誇張が行なわれている可能性は捨てきれません。
     けれども。

     死ぬことこそが誉れ、という価値観は、実はこの時代に始まったことじゃない。
     日本の歴史をひも解くと、このような価値観が厳然と存在していた事実は隠しきれない。

     これは個人的な見解ですが、糸子は現代的な観点から、「死んでお役にたつなんて、どういう了見や!」 というニュアンスで叫んでいるようには、私には見えないのです。

     つまり、誤解を恐れず言えば、糸子にとって夫の勝という存在は、実に与しやすい都合のいい存在だった。
     その人畜無害ぶりに気安さを感じていた。
     それはどこかで、この夫を軽く見ていた自分がいた、ということなのではないか。
     それを婦人会のオバチャンたちから見透かされたように 「死んでこそ価値がある」 なんて言われたもんだから、頭に血がのぼってしまった。

     いずれにしてもこんな糸子のようなことは、当時の日本ではご法度中のご法度であることは疑いがない。
     何かって言やぁ 「非国民」、なのですから。
     善作が色をなして糸子を止めに入ったのもそのせいです。
     善作にしたって、婿が死地に赴いている、なんて気が気じゃない。
     勝が徴兵されてからも、善作は何度か(?)勝に面会しようとしている。
     正月の餅を食いながらも、「婿殿は餅を食えているだろうか」 と心配している。
     そんな善作が、糸子を止めに入っているのです。
     モノ言えば唇寒し、という当時の世情がいかなるものであるか、見る側はそのことに思いを致さなければならない、私はそう思うのです。

     ここで私は、他人の哀しみに寄り添うことのできなかった以前の糸子と、大事な家族を兵隊に取られている家族たちの哀しみを抹殺しようとする、戦争、というものの存在に、奇妙な符号を感じました。

     他人の哀しみに寄り添うことのできない(いや、できなかった)糸子に、戦争の悲惨さをリンクさせようとしている。

     これは渡辺あやサンなりの、反戦のメッセージなのではないか。

     …またまた考えすぎのクセが勃発であります(笑)。

     夜。

     月がまた出ています。

     何週か前のこのドラマに、ことあるごとにネコが出てきていた週がありましたが、この週は月、だったような気がします。

     どんなに戦争でも、月は変わらず出ている。

     昼間の出来事が悔しくて寝つけずにいる糸子。
     月明かりの照らす寝床で、勝の幻影に、手を伸ばすのです。

     「(大きい、ぬくい背中。

     笑ろたり、しゃべったりする顔。

     …心…。

     それが全部、骨になってこその値打ちやちゅうんか。

     こんだけのもんを、石炭みたいにボンボン燃やして、日本はいったい何が欲しいっちゅうねん…)」

     夫の幻影が消え、糸子の手は畳に落ちていきます。

     「…戦争てなんやねん…?」

     糸子は夫をいとおしく思う気持ちを、浮気していたことを思い出してかき消そうとします。

     おなじころ。

     寝つけなかったのは、善作も同じようです。

     寒さに善作が、木之元からのいただきものであるカイロに火を入れようと、燃料のベンジンの瓶に手を触れた瞬間。

     瓶は滑って、火鉢の中に吸い込まれていく。

     爆発音。

     「なに…?」

     糸子はただならぬ音にはね起きます。

     千代の叫び声。

     「どないしたんや?!」

     「きゃああああーーっ、お父ちゃん!!」

     千代が叫んでいます。
     「善作、大丈夫か!」
     近づけないハルおばあちゃん。

     糸子が見たものは、火に包まれている父親の姿。

     「お父ちゃん!!お父ちゃん!!」

     つづく。





     冒頭に書いたように、これらの出来事が、糸子の思い上がりを天が罰しようとした悲劇なのであれば、それはあまりにも過酷な出来事であります。

     ともあれ、この衝撃的な今週のラストを見たあとに私が思い至ったのは、やはり冒頭に書いたように、「玉枝や勘助、八重子の哀しみに糸子が本当の意味で寄り添うためには、夫である勝の出征や、父親の善作が火だるまになることによって、糸子が悲しみの淵に佇まなければならないのか」、という感想であるのです。

     同じ悲しみを持った者でなければ、その人の哀しみを知ることはできない。

     お門違いなようなのですが、私の正直な感想であります。

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    2011年12月 8日 (木)

    ジョン・レノン31回目の命日に思う、ジョン受難の時代

     今日はジョン・レノンが凶弾に倒れてから31年目の命日である。

     去年は生誕70年、亡くなって30年、という節目の年だったためにかなり話題にのぼっていたが、今年はしずかなもの。 たまに 「ジョンが捨てた歯がオークションにかけられた」 とか 「便器がオークションにかけられた」 とか、アホみたいな話題ばかりが思い出したみたいにニュースで話題になるだけだ。

     そして特に日本だけだと思うのだが、ジョンのパートナーだったヨーコ夫人によるトリビュート・ライヴ、「ジョン・レノン・スーパーライヴ」 に誰が出たとか彼が出たとか、そんなニュースもこの時期だけの特徴的な傾向だ。 今年はこのライヴになかなか出なかった桑田佳祐サンが初めて出るらしいのだが。

     それにしてもジョン・レノンファンの私がここ数年如実に感じるのは、ジョンに対する評価が矮小化されつつある、という危惧である。

     ビートルズ解散後のジョンの活動期は、おおざっぱにとらえて10年。
     そのうち正味5年くらいしか、ジョンは音楽活動をしなかったわけであるが、この活動期間の短さは、ジョンのフォロワーである私にとって、年を経るごとに致命的となりつつある。

     つまり、いくら内容の濃いソロ活動をジョンがしたと言っても、その評価をするには、いい加減限界がある、ということなのだ。

     これは私だけの感じ方かもしれないが、音楽評論家たちのジョンに対する近年の記述などを読んでいて思うのは、「もうジョンについてはいくらゾーキンを絞っても新しいことなんか出てきやしない」、という諦めの態度だ。
     10年くらい前まではそれでも、「現代のミュージック・シーンにジョンが与えている影響」 みたいなものを論評する素地があった。
     しかしここ数年は、海外で製作されるジョンの映画を契機として以前の知識を引っ張り出し、ジョンが自分の人権を守るためにどう努力したのか、とか、FBIやら国家権力とジョンがどう闘ったのか、とか、そんなことばかりだ。
     さらに去年新たに発売されたソロ時代のリミックス盤と、以前のリミックス盤との違いとか。
     もうなんか、叩いて叩いてようやくホコリを出しているような状態。
     だがジョンの活動年数がこれ以上伸びようがない現状を考えると、それはもうどうしようもない事実、でもある。

     さらに私が危機感を抱いているのは、ジョン・レノンが平和の使者であるかのような評価と、それに反駁する人間ジョンとしての評価が対立する構図が、ここ数年のうちに固定化されすぎている、ということについてだ。

     ここでクローズアップされねばならないのは、先ほど話題に出た 「スーパーライヴ」 をはじめとする、ヨーコ夫人の 「ジョン・レノン啓蒙運動」 である。
     彼女のジョン啓蒙の活動は、「ジョンをいつまでも覚えていてほしい」 という気持ちの発露であることは疑いがない。
     正直、ジョン・レノンがこれほど巨大なイコンを継続してきたのは、元ビートルズという肩書もさることながら、ヨーコの啓蒙による部分がかなりを占める。 このことは否定できないだろう。
     しかし彼女の活動が、ジョンという人間のイメージを固定化してしまっている、ということもいっぽうでは言わねばならない。
     このことについてヨーコを責めるのはお門違いだ。
     われわれファンが、ヨーコから受け継がれてきた啓蒙活動を、発展し継続させていかねばならないのは自明なのだ。

     しかしここ最近、ことにビートルズファンは、ジョンを忌避する傾向があるように思えてならない。
     これは単に比較論、としての考察なのだが、ジョージ・ハリスンは没後10年、ということでその伝記映画が話題にのぼり、そのソロ時代の音楽性に対する再評価も高まっている。
     ポール・マッカートニーはすでにジョンのソロ活動期間を30年以上も上回り(ジョンの音楽活動停止期間を含めるともう35年以上になる)、その評価の機運も、近年とみに高まってきている。

     それに比べてジョンはなんだ。

     ビートルズファンよ、ジョンの作品は、「なんでも鑑定団」 のテーマ曲、「ヘルプ!」 だけなのか?(極論…笑)。

     自分たちがジョンの曲に脳みそをグチャグチャにされ揺さぶられまくったことも忘れて、「ヨーコがジョンを冒涜してる」 とかいう感覚で、ジョンを評価しようともしない。
     「ジョンはもう卒業」 とばかり、命日になるのにジョンの曲をリクエストしようともしない(これ、ラジオ日本放送の 「ビートルズ10」 のことをあからさまに言ってます…笑)。

     結局このことを言いたいがために、シチメンド臭い理論を長々と展開してしまった…(爆)。

     ビートルズファンよ、ジョンに対する感謝を、今一度思い出そう!

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    2011年12月 3日 (土)

    「カーネーション」 第9週 ええ時に調子に乗り、つらい時にくじける、ということ

     はじめに
     こねくり回しているあいだに、少々分かりにくい文章になってしまいました。 読者の皆様にはあらかじめ、お詫び申し上げます。






     昭和12年(1937年)。

     長女の優子を背負った糸子(尾野真千子サン)は、沈鬱な顔をした勘助(尾上寛之サン)に出会います。

     聞けば、赤紙が来た、とのこと。

     つまり支那事変で揺れる大陸に兵隊として行かなければならなくなったらしい。

     昭和12年、という時代背景を考えると、これはかなり早い徴集のように思えます。
     勘助の友人である平吉(久野雅弘サン)がまだでしたので、正直なところ当時の感覚から言えば比較的名誉なことのように思えるのですが、昔からヘタレ(意気地なし)でノ~ンビリとした性格だった彼は、これをよしとしません。

     糸子との会話の中で、糸子の父善作(小林薫サン)も先の戦争(日露、とか言うてましたなあ)に徴兵されたが無事に帰ってきたこと、しかしそのいっぽう勘助の父親は戦地で赤痢で亡くなった、ということが判明します。 勘助が兵役を忌避する遠因は、ここにあるのかもしれない。
     蛇足ですが、勘助の兄、泰蔵(須賀貴匡サン)が父親代わりで安岡家を牽引してきた事情も、父親の戦病死にあったんですな。

     この兄弟の母、安岡玉枝(濱田マリサン)は、兄の泰蔵がしっかりしているがゆえに、勘助のそののんびりとした性格を直そうとせず、結構猫かわいがりで育ててきたんじゃないのかなー。
     そんな玉枝もまた、沈鬱な勘助と同様、この名誉を喜んでいない様子であります。

     浮かない顔の勘助に、善作は 「弾なんか当たらん当たらんそんなもん」 と一笑に付し、履物屋の木岡(上杉祥三サン)は 「そんなたいそうなところで戦ってんのは一握りの兵隊や」 とばかり、勘助を励まします。

     戦局がいよいよ、という場面ではない昭和12年当時の庶民の意識など、この程度なのです。 どうせドンパチなんか遠い場所での話。

     出征していく勘助を見送る人々も、玉枝と平吉を除いてみなのんびりとしたもの。
     勘助は、善作のズッコケ気味の万歳につられて自分も万歳をしてしまい、「君はやらんでええんや!」 と軍服姿の男にたしなめられ、大笑いされるのです。

     しかしその場にいた平吉はいたたまれず、糸子に 「哀れで見てられんわ」 と言い残して、帰ろうとします。

     「なんでそんなことゆうんよ?! せっかくの、めでたい出征の日ぃやゆうのに」
     とキツイ調子で平吉に言う糸子。

     しかし、勘助ののんびりとしたヘタレの性格を知り尽くしている平吉だけが、勘助の心の奥を理解している。
     糸子は 「男が生死も分からぬ命がけの場所に行くのにきちんと見送ってやらんでどうする」 という立場である。
     ただこの時点で糸子は、まわりが言うようにこのことをめでたい、という意識くらいでしかとらえていない。

     これがもっと戦局が逼迫した太平洋戦争突入後だったら、平吉の態度はとてもじゃないけど許されたものではなかったでしょう。






     「(いっぽうそんななか、うちは…

     ごっつい調子に乗ってました)」。

     勘助が戦場に送られ、時代が暗くなっていくのと対照的に、糸子の営むオハラ洋装店は、この糸子のナレーション通り、活況を呈していきます。

     そのなかで、たとえ利益率は低いけれどもそこそこ儲かっている(と思われる)糸子が取る態度というものが、個人的には今週、どうにも引っかかって仕方なかった。

     これは、作り手がわざとそうしているのか、それともなんの意図もないのか。

     そこを見る側がどうとらえるかで、このドラマの評価もガラッと変わってしまう。

     もし作り手がわざとそうしている、というのであれば、このドラマは主人公が反感を買うことをあえて恐れない、「あること」 を訴えようとしているように、私には思えてならないのです。

     その 「あること」 とは何か。






     勘助からのキッタナイ字の手紙が戦地から届いたのは、それから2月後。
     糸子は検閲のために墨で黒く塗られた個所に、過敏に反応します。

     「ほんまあの墨許せん…」

     人の気持ちを塗り潰す、胸くそ悪い墨が、自分たちの生活も、そのうちに黒く塗りつぶし始める。

     糸子のこのナレーションは、時代の閉塞感を言い表わしていて妙、でした。

     糸子がこの支那事変に対して抱く気持ちは、「政府がのぼせ上っている」、「お国の勝利のために贅沢すな、節約せい、余ったもんは軍に回す」 というとらえ方で一貫している。
     話はさらに飛び、昭和14年(1939年)、綿製品に対する規制やさらなる節制がかかってくると、自分の商売にも関わってくるため、糸子の舌鋒はさらに厳しくなっていきます。

     特に食べ物の規制には腹を立て、「国民から栗饅頭まで取り上げるようなみみっちいことで、日本はほんまに戦争なんか勝てるんか? 栗饅頭くらい好きなだけ食わせろっちゅうんや。 その程度の度量ものうてなにが大東亜共栄圏の盟主じゃ。 アホらしい。 国民絞りあげることばっっかり考えよってからに。 ええ加減にせいっちゅうんじゃ!」。

     ここは 「食べ物の恨みは恐ろしい」 と、軽く笑い流して見るのが適当な部分であります。
     しかしそう見ない人も多いんだろうな、という点で、この部分は作り手の度胸のほどをうかがうことのできる場面、でもあるのです。

     「みんなが我慢してるのに、我慢が出来ないなど、何事か」。
     先の糸子の不謹慎な物言いは、一部の人々にはそう受け取られる種類のものでありましょう。
     しかし、我慢しなければ戦えないくらい余裕がない状態で戦おう、ということ自体が、愚かしいことなんじゃないのか。

     この糸子の怒りの底辺には、神戸の貞子おばあちゃん(十朱幸代サン)の考えが深く絡んでいる、と個人的には思います。

     ふたりめの子供を出産する糸子のつわりはことのほかひどく、糸子は結局神戸に身を寄せます。
     その際、息子の正一(田中隆三サン)から、「うちの紡績工場も軍服を作らにゃたちゆかん」 と相談を受けていた貞子が、「仕方ない」 という夫の清三郎(宝田明サン)に反発しているところを、糸子は立ち聞きしてしまうのです。

     「私は嫌や…!

     なんでや?

     なんで松坂紡績が、軍服なんか作らなあかんのや?

     そんなことしたら、おじい様、お父様の申し訳が立てへん。
     『しょうもないことしよって』 ゆうてお墓の中でお泣きになるわっ。

     (「これが時局というものだ」 という清三郎を制して)あなたは養子やから、そんな簡単なこと言えるんですっ!(泣く)

     (泣きじゃくりながら)軍服なんか嫌いや!

     あんなカメムシみたいなブッサイクなもん、うちの会社は死んでも作りませんっ!」

     このセリフで清三郎が、糸子の夫勝(駿河太郎サン)と同じく、婿養子だったことが判明したのですが、それはともかく、貞子が洗練されたおしゃれに対してひとかたならぬポリシーを有していたことが、ここであらためて分かるのです。

     「人が生きていくうえで、おしゃれもしなくなったらおしまいだ」。
     そんなポリシーです。

     貞子が生きてきた時代。

     江戸時代のそれまでの価値観が崩壊し、いいものをどんどん取り込もうとした進取の気風が、貞子の明治女としての(もしかして慶応以前かも?)ポリシーを形成している。
     おそらく貞子の父親も、祖父も、その明治維新の新しい風に吹かれまくって時代を生き抜いたのでしょう。
     そしてその気風は、間違いなく糸子に、引き継がれている。

     だから貞子にとっては上から押し着せられるようなセンスのない軍服に対して、異常なほどの嫌悪感をむき出しにしたくなる。
     それと同じように、糸子にとっても、上から押し付けられる窮屈な思想ほど、ムカつくものはないのです。

     まあ軍服がセンス悪いかどうかは置いときますが、民衆に我慢を強いといて、どうやってのびのびと戦うことが出来るのだ、満足なものも食わせないで、どうやって戦うというのだ、という糸子の理論には、一理あります。

     「そやかて思われへんか?
     うちらは戦争なんて始めてもらわんかてじゅううーぶん機嫌よう暮らしちゃあたんや!」

     しかしいっぽうで。

     そんな、お国に対して文句を言っていた糸子も、縫い子のひとりで経営に口出ししてくる昌子(玄覺悠子サン)の 「こんな薄利多売じゃやっとられません」 という意見に、「今はええんじゃそんで! 今はその…うん…あれじょ…あの…お国の非常時やろ? そんな、店のもうけやら、そんな細かいこというてたらいかんねん!」 とごまかす始末。

     ここで自分の 「戦争なんか頼みもしないのにすな」 という自分の主張を曲げてまで、薄利多売を主張する糸子。

     今週私が個人的に引っかかった糸子の行状のまず第一が、これであります。

     糸子はこのスッ飛びまくる話の中で、次女の直子を出産するのですが、それらの過程の中でまず、彼女の頭の中は仕事だらけ。

     しかも、子供のことをほっぽりっぱなしのうえに、洋装店の経営のほうは採算度外視の傾向が強い。

     縫い子たちはオハラ洋装店に泊まり込みの状態で、経営者として糸子は縫い子たちにひもじい思いだけはさせていない、と自負しているのですが、そもそも採算度外視の点で、縫い子たちにじゅうぶんな給金が支払われているか?と考えると、どうにも疑問符が付く。
     「働きに働いてるわりには…」 という意識が縫い子たちにないとは言えない、と思うのです。

     そして縫い子たちのキャパシティもまた度外視され、大口の注文を独断で決めてくる糸子。
     結局自分がその穴埋めをせんと馬車馬のように働き続けるわけですが、ここでますますないがしろになっていくのが、ふたりの幼な児。

     ここで第二の、私が引っかかった糸子の行動。

     長女の優子を善作に預けていたのに続いて、直子も乳飲み子の段階でどこかに預けようと、糸子は四苦八苦する。
     しかし直子のぐずりぶりはハンパではなく、どこも引き取り手がない。
     結局夫の勝の実家に、直子は年末の数日間、預けられることになります。
     ここの描写が特に今週のキモとなった部分でありましょう。

     それまでどんなところに預けていても、夜にはちゃんと返してもらっていた直子がいないことで、糸子も勝も、仕事が手につかなくなります。

     直子が預けられている勝の実家、というのは、勝によれば 「馬場の山奥でそんなに簡単には迎えに行けない場所」。
     別れ際にまた激しく泣きだした直子の声が耳から離れず、ようやく自分がどれだけ子供をないがしろにしているのかを、糸子が悟ったかな、と私は考えていたのですが。

     直子を預けて3日目の夜。

     とうとう勝が痺れを切らし、真夜中に直子の預けられている実家へ向かおうとします。
     糸子は自分もいてもたってもいられず、それに同行する。

     年末の凍える吹雪のなか、ふたりはランタンを手にしたまま、馬場の山奥を歩いていきます。

     やっとのこと辿り着いた勝の実家。

     「直子、直子…」

     糸子はたまらず玄関に駆け寄ります。

     ドンドンドンドン。 「お~い!」。

     勝がかなりうるさく玄関の戸を叩く。

     糸子は玄関先に置いてあった笠がボロボロになっているのを見る。
     「な、これ、直子が…?」

     玄関の灯がつきます。

     出てきた勝の実家のあるじ、弟の亘(わたる)。

     しかし、その顔にはひどく大きな赤いあざが。
     「(もしや直子が…)」 と凍りつく勝と糸子。

     それでも目いっぱい愛想良く、「ちょっとな、直子の顔、見に来たんや…」 と話す勝。

     亘はまるで今入ったらまずい、とでも言うように玄関から外に出てきて、後ろの戸を閉めます。

     「今ちょうど寝付いたとこや…」。 まるで機械のように冷たく話す亘。

     「ほなちょっと顔だけでも…」

     亘は兄の勝を制します。

     「あ、いや…ようやっと直ちゃんも慣れてきたとこや。 万が一にも目ぇさまして、親の顔なんか見てしもうたら、もとの黙阿弥で、また手ぇつけられへんようになら…。

     すまんけど今日は、このまま帰ってくれ」

     ふたりはなにも言えず、そのまま家を後にします。

     この場面。

     なにより確実なのは、極度のきかんぼうである直子が、亘の顔をひっかいたか思い切りたたいたか何かをぶつけたか、したということです。
     そしてもしかすると、弟たちはそんな直子に対して、大人しくさせるために虐待でもしたのか、と勘繰ることもできるようなシーンです。

     しかし物語は、この直後悲痛な展開を見せる。

     吹雪のなか、とぼとぼと帰路につくふたり。

     自分の足が滑って転んだのをかばおうと振り返った勝が、泣いていることに、糸子は気づくのです。

     「(この万年上機嫌の人が、泣いてます…。

     …人の親になるっちゅうんは、

     なんや、

     どっか哀れなことなんやなあ…)」

     この糸子のモノローグ。

     違う、違うぞ、と私は思いました。

     哀れなんじゃない。

     よく考えてみてください。

     自分よりよく出来たと思われる弟に川本のあるじの座を譲って、小原家の婿になった勝。
     長男がここまでするのには、きっと彼なりの深い葛藤があったはずなのです。
     なのに、婿に来た小原家では、時勢ということもあるが、洋装店での紳士服の注文もパッとせず、一方的に忙しい糸子の手伝いも嫌がることなく引き受けてきた。

     つまりダブルで屈辱を受けている、と言ってもいい。

     そんななか、自分の娘である直子をもとの実家に預ける、という決断に至ったのも、勝とっては実に、本意ではなかった、と言っていいのではないでしょうか。

     そんな、あまりにもままならないことの連続に、きかんぼうの娘をどうすることもできない父親としての心の痛み。

     これは少々穿った見方をすれば、このとき流した勝の涙は、仕事一辺倒の糸子に対する、抗議の涙のようにも考えられる。

     でもそもそも、糸子が 「自分は仕事一辺倒だけどそんなんでもええか?」 と訊いてきたことに対して自分が 「ええよ」 と言った手前もあるから、そのことに対して文句が言えない。
     そんな涙なんだ、と思うんですよ、勝の涙は。

     このドラマ、主人公の糸子が、ナレーションを務めています。

     で、ナレーションっていうのは基本的に、「間違いなどない」。

     しかしですよ。

     この場面での糸子の 「人の親になるというのは哀れなことなんやなあ…」 というナレーションは、一面では当たっているかもしれないけれども、勝の哀しみをすっかり解説しているものでは、けっしてないのです。

     これを作り手が、わざとしているとすれば、これは 「ナレーションが間違っている」 という、ドラマの手法としては画期的なことを作り手はやろうとしている、と私は思うのです(どうも分かりにくい論理でスミマセン)。

     翌朝、どことなく不機嫌な顔で朝食を食べる勝。

     涙の痕が、霜焼けになっています。

     それを指摘されると、「なんでやろな?」 とあくまで軟らかく答える勝。
     糸子にはその理由が分かっています。

     「(あんた、ダラダラ涙流しとったからや)」

     至らない認識の上に繰り返される糸子のナレーション。
     糸子は夫の本当の哀しみに、気付いていません(と、私は受けとりました)。

     そして縫い子たちの手を必要以上に借りることなく、糸子は年末までにその仕事を完遂、夫と共に直子を迎えに行きます。

     この親子再会のシーン。

     確か亘の奥さんだったと思うのですが、彼女に抱っこされた直子は、まるで泣き疲れたような顔をして、ぼーっとしています。 心なしか、顔に傷があったような気もするのですが、髪の毛かな。

     「直ちゃん…直子、…直子…!」

     糸子は駆け寄り、直子を抱いていた亘の奥さんごと、抱きしめます。

     画面の手前にはその奥さんの息子と思われる少年がふたり、極めて厳しい顔をしながら川辺の石を移動させたりしている。 この様子からして、このふたりの息子たちは、直子に相当頭に来ているように思われる。

     糸子は亘の奥さんから無言のまま直子を返してもらって、あらためて思い切り抱きしめる。
     そのとき糸子は、「わしにも代わってくれ」 と懇願する勝の言うことを聞きません。
     勝は仕方なく、糸子ごと娘を抱きしめる。

     まずはお礼をゆわなならんのやないやろか、と私は思いました。
     その亘の奥さん(と思われる人)にです。

     確かに糸子は、亘の奥さんにも申し訳なかった、というように、最初直子ごと、抱きしめています。
     けれども、散々手間をかけたと思われる 「怪獣クラス」 の直子を預かってもらったら、まずはお礼でしょう。

     この場面、作り手特有のはしょりの方法のひとつ、つまり省いといて 「あとはそっちで想像して」 という手法なのかもしれません。
     でもまあ、個人的な見解ですけど、私はここの場面、「糸子が何かを忘れている」、という象徴のように取りました。

     その何か、とは。





     勘助が戦場から帰ってくる話に、物語はシフトします。
     戦場から帰ってきた勘助は、完全なるフヌケの状態。
     ヘタレでぼんやりとしたのーんびり人間が戦場に行くとこうなる、という見本のような感じです。
     ちっとも顔を見せない勘助に苛立って、安岡の店までやって来た糸子。
     八重子(田丸麻紀サン)も玉枝も、いたたまれないような顔をしています。

     そのふたりの様子にただならぬものを感じたのか、勘助の部屋に入ろうとする糸子は、ちょっと躊躇します。

     「久しぶりやなあ…」

     力なくあいさつする勘助。
     面喰らいながら、努めて明るく話しかける糸子。

     「…なんや、手ぇも足もちゃんと付いてるやんか。 あんまり顔見せんさかい、どえらいことになってもうてるか思たわ。

     心配するやろ~!
     顔見せにこんかいアンタぁ!
     うちらがどんだけ楽しみに待っちょった思てんよ?

     …聞いてんか?!」

     糸子の元気さが懐かしかったのか、勘助の目には見る間に涙がたまっていきます。

     「手ぇも足も残ってるけどなあ…。

     …もっと…。

     …なくなったわ…」

     「…なにがや?」

     「………心………」

     だらしなく流れている涙と鼻水。
     勘助は呆けたように、糸子の顔を見るのです。

     降りて来た糸子。
     玉枝と八重子に、力なくあいさつします。

     「…また来るよって…。
     お邪魔しました」

     「うん…」 と玉枝。

     「またなあ…」 と八重子。

     立ち止まる糸子。
     後ろ向きのままです。
     ちょっと、うつむいて、何かをこらえているような様子。
     そしてまた、歩き出します。

     その後糸子は、八重子から、勘助は戦場でよほどのことがあって、心がなくなってしもうたんや、と説明を受けます。

     しかし糸子は、その八重子の言葉に、強く反発するのです。

     「は…?

     なんやそれ。 …なんやソレっ!

     もう戻ってけえへんの? その心っちゅうもんは?」

     苦悩に顔をゆがませる八重子。

     「…戻ってくる…って、信じたいと思てるよ…!

     うちも、お母さんも、泰蔵さんも…!

     …やっと、自分のうちでゆっくり眠れて、…お母さんの作ったご飯食べてるうちに、…また、もとの勘助ちゃんに…」

     泣いてしまう八重子に、糸子はまるで自分に言い聞かせるように、怒ったように叫ぶのです。

     「戻るわ!…ぜったい戻るわ ! !

     こんなん……大げさに考えたらあかん!

     あのヘタレが、戦争なんかに行かされてしもうたさかい、…ちょっと、ぼーとなってしもたんや!

     すぐ戻る…。

     すぐ戻るわ八重子さんっ!」

     実はこの八重子も、安岡髪結ひ店でパーマネントを施していることが時局にそぐわず、やめようかと玉枝に相談するなど、ひとり悩んでいる状態です。 自分の子どもも学校でいじめを受ける。 心ないガキどもが店先をはやして通る。

     しかし玉枝は弱音を吐く八重子に対して、きっぱりとこう言っていた。

     「アホか!

     あんた、まだそんな、甘っちょろいことゆうてんけ?!
     パーマネントやめて、どないしてこの店続けていくんよ?
     また髪結いだけに戻れると思てんのけ?

     …

     …店一軒守るゆうんは、大変なことや。

     大変で当たり前なんや。

     ええ時もあれば、つらい時もある。

     ええ時に調子に乗んのもあかんけど、つらい時にくじけんのもあかんねん!

     …ようおぼえとき」

     …

     実はこの玉枝のセリフが、今週の 「カーネーション」 を見る時の、フィルターとなるのではないか、と私は考えています。

     つまり、今週の糸子は、「ええ時に調子に乗っている」 存在である、と。

     そして勘助や八重子は、「つらい時にくじけている」 存在である、と。

     どっちもアカンのです。 両方とも心を失くしている。 それを作り手は言いたいのではないか。

     糸子が今週ラストで、先ほど書いたように八重子に向かって思い切り反駁したのも、実は自分が仕事ばかりにかまけて道を踏み外しているからなのではないか、心を失くしているのではないか、とどこかで自覚し危惧している証拠なのではないか。

     そう私には思えるのです。

     まあこれって、私だけの思い込みかもしれないんですけどね。

     都合よく、糸子の 「お世話になった奥さんにお礼も言わない」「直子をないがしろにしている」 理由を私なりにこじつけただけの話かもしれません。

     「(うちは、ごっつい調子に乗ってました)」。

     このレビュー冒頭で書いた、糸子の文句です。
     これは今週放送分の序盤で、糸子が実際にモノローグしたセリフです。

     つまり糸子は、自分が調子に乗っていることを、自覚している。
     そして玉枝は、「ええ時に調子に乗るのもあかん」 と、八重子をたしなめている。

     私の買いかぶりがなければ、このふたつのセリフは、連動している。

     そこに今週の、糸子が取った行動の心なさに、ひとつの方程式が、浮かび上がるのではないでしょうか。

     話はすでに、昭和16年(1941年)に突入しています。

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