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2012年1月 7日 (土)

「カーネーション」 第14週 生き延びた者たちへの言葉

 戦後の混沌を象徴するように、今週の 「カーネーション」 は、年始を除いた4回だけだったにもかかわらず、話が錯綜していた気がします。
 その4回のなかでなにが浮かび上がってくるのだろう、と考えたのですが、結局は表題のように、「生き延びた者たちに対する、エール」 だったような気がするのです。

 ところでタイトルバックをぼんやり見てたら、最後に牛乳瓶に挿されたカーネーションをひとり見上げていた糸子の姿に、3人の子供がじゃれつく光景へ、変わっています(「ゲゲゲ」 をやはり意識しているのか?)。
 このタイトルバックの変化は、ドラマの後半3カ月において、糸子がこの3人と共に歩んでいく姿がメインとして描かれるのではないか、そんな気を見る側に起こさせるのです。




 「お昼にしようけ」 で終わった前回。
 今年は、ひとりで昼餉をとっている糸子の姿で始まります。 ここで先週の続きです、ということを如実に感じさせます。

 「(戦争が、終わりました…)」。

 糸子は緊急時に備えて包みにしまいこんでいた父親の遺影を、再び元あった場所へ置きます。
 そこには戦病死した夫、勝の遺影も並んでいる。

 「(お父ちゃん。 勝さん。 勘助…。 泰蔵にいちゃん…)。
 …終わってんて、…戦争…」

 この4人の生前の様子が糸子の脳裏に次々と浮かびます。
 注目なのは、この回想シーンがみなカラーであること。
 先週糸子が、だんじりのお囃子の幻聴?と共に思い浮かんだ彼らは、すべてモノクロだった。
 つまり今回の回想は、糸子が人間らしい心を取り戻した状態であらためて感じる、血の通った、そこに確かに息づいていた、彼らの姿なのです。

 それまで怒りも悲しみもすべて忘れたように、ただ義務的に食事をし、もう避難する必要もないからとただ仏壇に遺影を置いただけだった糸子。
 涙が知らずにあふれてきます。
 そしてこぼれていきます。
 そして、嗚咽になっていきます。

 泣かせるなあ、年の初めから。

 仏壇の前は、糸子がお父ちゃんに正直な自分を打ち明けられる唯一の場所だったと思うんですよ。
 命ぎりぎりの壮大な喧騒のあと、やってきた静けさと、本当の自分の悲しみ、怒りを取り戻せた場所。
 それが、お父ちゃんの遺影の前だった、と思うのです。

 そんな、抜け殻状態だった戦後の始まり。

 糸子は本当に久しぶりに、鏡で自分の顔をまじまじと眺めます。
 知らないうちにオバチャンになってしまった自分の顔。
 これって分かるなあ(笑)。
 目じりのしわとか、まだかわいいもんなんですよ、実は(笑)。
 ショックなのは、今までなだらかだった自分の顔に、変な段差が出来ているとき(爆)。
 ゲッ、てなもんですな。
 こんなふうに、顔がごつごつしていって、自分も年老いていくのか、という切迫感はハンパじゃない。
 急に顔のマッサージしたりして(爆)。

 ただ糸子の場合まだ30代くらいですから、そこまではいってないと思うんですが(笑)、泣きはらしたあとで久々のご対面だと、ショックでしょうね(笑)。
 しかし次の瞬間思い詰めたような表情の糸子が持ち出したのは、たぶん縫い目を断ち切るリッパー。
 スワ、それで首を一突き…?と思ったのもつかの間、糸子は自分の着ていた服の胸の部分に縫いつけてあった名札を思いきり取ろうとするのです(笑)。 「こんなもん…金輪際…金輪際つけてやるかっ…!」。
 要するに自分が空襲で焼け出されたときの身元確認のためにお上が強制していた名札。
 「(いやいや、ちゃうちゃう)」
 糸子は次の瞬間、そんなことをするより、この辛気臭いモンペをぜ~んぶ脱いじゃおうとするのです。
 大の字に転がった糸子が羽織ったのは、確か大昔にお父ちゃんに作った男性用のアッパッパ(だと思う…笑)。 大の字になりながらうちわで自分をあおぐその姿は色気ゼロ、まるでバカボンパパであります(爆)。

 「ああ…終わった…終わったんやぁぁ~~~っ!!」(笑)。

 アッパッパ姿で闊歩する糸子に、周囲はドン引き(笑)。
 糸子はしばらくこの格好で行動するのですが、これってお父ちゃんに作ってあげていたアッパッパだとすると、糸子はもしかして、恐ろしい戦争が終わったことの喜びを、父親と共有したかったのかもしれません。

 そして、山中町の疎開先から家族たちも帰ってきます。
 「なんか食べるか?おばあちゃん」
 「要らん」
 床に伏せたまま、糸子にぶっきらぼうに答えるハルおばあちゃん。
 「けどおばあちゃん、ちょっとだけでも食べたほうがええですわ」
 空襲の危機の際に運命を共にしたトメがおばあちゃんに言うとにっこりして 「ほうか」。
 「なんやその態度の違い」(笑)。

 このハルおばあちゃん。

 個人的な見解ですが、かなり弱ってんのとちゃいますやろか。
 息子の善作が火に包まれてから、腰が抜けたまんまやないですか。
 結構ユーモラスな描写が続いていますが、ちょっと心配です。

 トメに食べさしてもらっているハルおばあちゃんも含めた、家族そろっての食事に、オハラ洋装店の女たちは、一様に安堵の気持ちを隠しません。
 ラジオでは 「スミレの花咲くころ」 が流れ、軍歌ばかりで灰色だった生活に、また潤いが戻り始めている。
 灯火管制もなくなり、空襲を気にしないでいられる。
 その喜びのほうが、敗戦というショックよりも大きかった、というのが、正直なところではなかったでしょうか。

 けれどもそのいっぽうで、やはり未知の存在である進駐軍に対する恐怖も、このドラマはきちんと描くことを忘れません。
 「そんなバカボンパパみたいなアッパッパ着てたらなにされるか分からんど」(バカボンパパはないけど)と得意先のおっちゃんに脅され、女たちは一様にひるみます。
 糸子もいったんはモンペに戻そうとするのですが、もともとこの女性は、怖いもん知らずであります(笑)。

 「いいや…けど嫌や…。
 こんなもん着んのは、…もう死んでも嫌や…!
 アメリカ軍でもなんでも来るんやったら来いっちゅうんやぁぁ~~~っ!!」

 外に向かって大絶叫(爆)。

 糸子は木之元のおっちゃんについていった闇市でも、怖いもん知らずの本領を発揮します。

 この闇市。

 戦中の描写で、闇でものを買う、ということは、どうも後ろめたいものがあったはずなのですが、木之元のおっちゃんという 「世間」 がこれを喜々として容認しているのを見て、糸子もその意味が逆転していることを、瞬時に悟っている。
 「闇?ええんかいな」 という反応を、糸子はしないんですよ。
 これは戦後を生き抜くうえで、柔軟なたくましい思考があってこその反応だな、と私は思うのです。
 その闇市でコワモテのおっちゃん相手に丁々発止のやり取りでコメの値段を値切っていく糸子。 そばで見ていた木之元は、ハラハラしています(笑)。
 この 「値切り交渉術」 が、今週このあとまた見られることになります。 これはいわばその、呼び水。

 闇市から帰って来た糸子と木之元。 木岡のおっちゃんが警官に食ってかかっているところに遭遇します。
 聞けば、進駐軍を刺激しないために今年もだんじりは中止だ、というお達しが来たらしいのです。

 9月14日。
 つまり終戦からほぼひと月後。
 見るだけ見とこうということで、五軒町の人々が、だんじりのある倉庫の前に集まります。
 悔しそうな面々。
 そこにやってきた糸子の次女の直子、膝の屈伸運動をして、だんじりを曳く気満々であります(カワイイ…笑)。
 糸子は直子を止めにかかります。 女やし、今年は中止て決まったんやしと言う糸子。
 この糸子の反応には注目します。

 ここでの直子は、「どうして女がだんじりを曳いちゃいけないのか」 と父の善作に詰問していた、糸子の子供時代の姿と同じです。
 それをたしなめる、ということは、糸子が分別のついた大人になったことを意味している。
 そしてここでの直子。
 直子は、いわば敗戦後、新しく息吹こうとしている、生まれ来る力を象徴している気がします。
 子供の力が、社会を、経済を、大きく動かす力となっていく。
 いっぽう大人たちは、そんな子供を見ながら、自分たちも頑張ろうと思う。 …これは、のちの話になりますが。

 軍服姿のおっちゃんが、直子の様子につられたようにお囃子の笛を吹き始めます。

 出発を待ちかねているようなだんじりのショット。

 木岡のおっちゃんが、唸るようにつぶやきます。

 「なんでや…。

 なんで曳いたらあかんのんや?」

 木之元のおっちゃんが、それに呼応します。

 「…だんじりは、わしらの命や…!」

 奥中が叫びます。

 「えやないか! 曳こや!!」

 木岡。 「おう。 わしら今これ曳かれへんかったら、ほんまに終わってしまうど…!」

 木之元。 「せやのう…!」

 「曳こよ!」「よっしゃあ!」「おう!」

 だんじりの綱が曳かれます。

 「おっちゃんうちにも曳かして!」 せがむ直子。 糸子が止めに入りますが、男衆はそれを許すのです。 「おうチビ! 曳け曳け!」「ほうじゃ!曳け曳け!」。

 「よっしゃあ! 曳けえええ~~~っ!!」

 巨大なだんじりが、ゆっくりと動いていきます。
 それを呆然と見上げる糸子。

 だんじりが、思い出が、再び動いていく。

 自分がこれまで生きてきた証しが、象徴が、ふたたび動いているのです。

 糸子の顔のアップを見せることだけで、そのことを見る側に感じさせてくれる。 なんとも感動させてくれる。
 「カーネーション」 という巨大なだんじりが、今年もまた、動き出したのです。

 …

 はぁぁ…。

 まだこれ、今年最初の15分の話だぞ…(笑)。
 言い飽きたけど、話が濃すぎる…。
 ええい、レビュー、飛ばす、飛ばすぞ(毎回そう決意しているような気がする…)。




 木曜放送分。

 ここでは商店街にやってきた進駐軍の兵士と糸子たちのせめぎあいが描かれます。
 鬼畜米英などと言われ続けてきた敵ですから、糸子を含めた大人たちは、たった2人の来訪に上を下への大騒ぎ、道ゆく商店はみな店じまいするのですが、息をひそめていたところにやってきたのが、優子と直子。 「優子のアホー!」「直子のアホー!」 と、ついに佇んでいた進駐軍兵士の前で、取っ組み合いのけんかになってしまう。
 馬乗りになって姉の優子に直子のニードロップが炸裂…いや違った(笑)凶暴直子の…いや違った(笑)とにかく直子の一方的な戦局に兵士たちが武力介入いや違った(笑…しつこい)しようとしたところに、命を投げ出した糸子たちが立ちふさがるのですが、「彼らは恐ろしい」 という誤解は瞬く間に解消していきます(飛ばすとこういう文章になってしまいます…笑)。

 つぎに、オハラ洋装店が軍需品の残りの生地を商品にすることで闇市の物々交換を切りぬけている様子が描写されます。
 つまりなんだかんだ言いながら、オハラ洋装店は結局また、繁盛している。
 そこに久しぶりにやってきたのは、サエです。
 サエも身内を亡くし、つらい目に遭っている。
 糸子とふたりで泣きの涙で戦争で起こった不幸を慰め合う、ということも、実は戦争が終わったからこそできる所業です。
 戦争中だったら、近隣の目もあるし、それ以上に自分自身が生きた心地がしなかった。
 そのサエ、戦争が終わって街には男たちが戻ってきている、女たちは男たちに見せるために、おしゃれしたいという機運が高まっている、と糸子に進言します。

 「こんだけなんもかんも取られて、しんどい目ぇ見たあげくに、戦争、負けてしもた。
 ポケーっとしちゃったら、悲しいんと悔しいんとで、死んでまいそうや!
 男が、だんじり曳かんならんように、女は、おしゃれせんならんねん!」

 だんじりが男のロマン、とすれば、おしゃれこそは女のロマン、というわけです。
 サエは女のロマンが分からない糸子に 「女ごころに疎い」 とキツ~い一発(笑)。
 実はこの一発が、後半の糸子の動機にも関わっていると思うのですが。

 糸子は軍需品のカーキ色主体のくすんだ色の生地を洋服に仕立てます。
 するとこれがまたえらい評判を呼びまして。
 糸子はかつてのお得意さんたちも、身内を失った人もいるんだろう、と考えながら、その注文に必死で応えようとするのです。
 ミシンが、だんじりのように生地を縫っていきます。

 ここで気付いたのですが、このドラマで、このミシンは、いついかなる時でも、糸子を見守っている。
 何かというと、ミシンが中心のなんでもないシーンがある気がするんですよ。
 敗戦の時もそうだった。
 まるで 「大きなノッポの古時計」 みたいですね。

 だーっ、飛ばしてようやくここまで短縮できたぞ。




 金曜放送分。

 くすんだ色の生地でなく、発色のいい生地で顧客の期待に応えたい…。
 そんな糸子は闇市で生地を探すのですが、そこに現れたのはパンパンのねーちゃん。
 画面がくすんだ色だらけだったのに、このふたりのねーちゃんの着ている服は、どぎついまでに鮮やか(笑)。 糸子はいつかミシンと出会ったときのように、「ほぁ~ほぁ~」 と嬌声を上げ 「見た?見た見た?おっちゃん見た?」 と木之元に詰め寄ります(笑)。 糸子は女性たちがおしゃれをしようとする息吹が、強い力で吹き返そうとしている実感に包まれます。

 清三郎たちが疎開先(愛媛の別荘とかいうてましたっけ)で元気にしている、という手紙を千代から聞かされているとき、糸子は昌子から、八重子が来ていると告げられます。
 八重子は夫泰蔵の葬儀以来、オハラ洋装店に顔を出していなかったのです。

 平吉のいてた喫茶店があいているのを見て、糸子は八重子との話し合いの場をそこで持つことにします。 でも平吉はいなくてマスターだけ。 平吉はどうなったのか? 相変わらずこのドラマ、肝心なところを見る側の想像にいったん預けます。

 八重子は、太郎と一緒に実家に帰ることにした、と糸子に話します。

 「…おばちゃん、ひとりになるちゅうこと?」

 「責めんといて糸ちゃん!」

 八重子は苦渋の表情で遮ります。

 「うち…うち…もう無理なんや…!

 自分を薄情やと思う。 なんちゅうひどい人間やと思う。
 せやけど、もうあの人とこの先一緒にやっていく自信がなくなってしもたんや…!

 …

 泰蔵さんが帰ってくるまでは、なにがあっても、耐えるつもりやってん…。
 せやけど…。
 もう、帰ってきてくれへん…!

 お母さんなあ、糸ちゃん。

 泰蔵さんが、戦死したんも、うちと結婚したせいやてゆうたんや…。
 あんたがこの家に、死神持ち込んだんやて…」

 あの優しかったおばちゃんが、そこまで変わってしもたんか…。
 糸子の表情は、おばちゃんをそないしたのももとはと言えば自分の責任や、という申し訳なさで押しつぶされそうに歪んでいきます。
 八重子が自分の店で働くようになって、ある程度のことは糸子の耳にも届いていたはずです。 でもここまでとは。 糸子は、八重子をなんとか慰めようとします。

 「まあ………正気とちゃうんやな…今のおばちゃんは………」

 このセリフも、一見すると、とても冷たいセリフのように思える。
 でも、糸子はどうにかして、慰めねばならないと思いながら、言葉が見つからないのです。 おそらく糸子の脳裏には、自分を罵った鬼のような形相の玉枝の姿が、浮かんでいたはずです。

 「もともと、神経の細い人や…。
 そこにこんなひどいことが続いて、ボロボロになって…。
 うちに当たることくらいしかでけへんかったやろ…。
 そんなことは分かってんやけどな…。

 糸ちゃんみたいに、自分の好きな仕事に打ち込めてたら、もうちょっとは、辛抱利いたかもしれへんなあ…。
 好きな仕事っちゅうんは、力をくれるもんやろ?
 うちには、それすら、今はもうないよって…」

 糸子は帰りの道すがら、戦争をパーッと忘れておしゃれしたり、前向きに生きていきたくても、出来ない人もいるんだ、という事実に、打ちのめされています。
 元気なく帰って来た糸子を、八重子の息子、太郎が待っていました。
 太郎は、母親が実家に帰ると、おばあちゃん(玉枝)がひとりになってしまう、それは嫌だから自分がおばあちゃんを養っていくために、自分をオハラ洋装店で雇ってほしい、と頼みに来たのです。
 よく出来た息子であります。
 彼は戦争中、オハラ洋装店で働いていた母八重子のところに、用もないのに帰り道だからとよく顔を出していた。
 それはおそらく、家に帰れば祖母玉枝のイヤな部分を見るからだろう、というのもあっただろうし、また母親が単独で安岡の家に帰れば、母親ひとりで祖母からの口撃に耐えなければならないから、自分がその盾になろう、としていたのかもしれない。
 いずれにしても玉枝がどのような状態だったかはうかがい知れるのですが、その玉枝を、今度は彼は、かばおうとしている。 ひとりにしておけない、と考えている。

 直子のように、たくましい生命の力で戦後を切り開いていこう、という子供のパワーもあれば、太郎のように、戦争で破壊された心をいやそうと、戦後を生き抜こうという子供のパワーもある。

 糸子は、ある策略を思いつきます。
 糸子は木之元のおっちゃんに、パーマ機が今どこに残ってるか調べてくれ、と頼みます。
 東京に、中古が1台売られていることが分かった糸子は、再び八重子に会い、パーマ機を買って、安岡美容室を開店しよう、と言い出すのです。
 「好きな仕事っちゅうんは、力をくれる」。
 八重子の言葉が、ヒントになったのです。
 八重子にとって、パーマネントをやることは、いわば天職。
 それを始めれば、八重子にも不幸に耐えられる力がつき、繁盛すれば、玉枝の心もいくらか癒される。
 糸子のこの思いつきは、単なる思いつきでなく、自分が勘助に、玉枝にしでかしたことへの、一種の罪滅ぼし、という側面を有している気がする。
 そして、「女ごころに疎い」 と言われた糸子が、うちにだって分かってんで、というデモンストレーションの側面も少しあるような気がする。

 その糸子、お金の心配をする八重子に、お金はうちが貸す、出すのではなく貸すのだ、と言い切ります。

 「ほんでな、そんなお金すぐ返せるようになんで!
 安岡美容室、絶対繁盛する!
 賭けてもええわ!
 八重子さん。
 日本中の女が、今は、これからは、パーマと洋服なんや。
 うちも頑張る。
 どないかして生地仕入れて、これから、どんどん洋服こさえちゃる!
 八重子さん、頼むわ。
 もうひと踏ん張りしよ!
 一緒にここ乗り越えよ!
 ほしたらうちら、絶対どないかなるよって!」

 「ちょっと考えさして!」 という八重子を、糸子はゴーインに口説きます(笑)。 「あかん! 考えたらアカン!」
 考えたらアカンて…(笑)。

 「決めたことなんや、家出るて…! 長いことかかって、やっと決心したことなんや…!」

 そういって二の足を踏む八重子に、糸子はサブリミナル作戦を展開します(笑)。

 「パーマ機やで。
 安岡美容室やで。
 東京いこ、トウキョ!
 安岡美容室…」

 連発される安岡美容室、という甘美な響きに、八重子の目がトロ~ンとしてきます(爆)。
 1時間ののち、八重子、結局撃沈(笑)。

 ここ、結構糸子の論理と同じくらい、ゴーインな展開だ、と思うんですよ、正直言って。
 八重子はこの場に来たとき、太郎の転校手続きを済ませた、と言ってましたし。
 しかも美容室が絶対儲かるかどうかは、やはりやってみなければ分からない。
 そのやってみなければ分からないことに、糸子は金を出資しようとしている。
 回収できなければ大損な気がします。
 例え中古のパーマ機でも、戦後の超インフレのなかで、価格は高騰しているでしょうし。
 ゴーインだと個人的に思ったうえで書くのですが、そのゴーインさを、作り手はお笑いでケムに巻こうとしている、そんなように私には思えました。

 ただ、それはけっしてごまかしなんかじゃないんですよ。

 人生、勢いでやってしまうことが、とても多い。
 熟慮の果てにやったことが功を奏さない場合も、多過ぎる。
 儲け話にうかつに乗ってしまう、ということって、人生を左右する大きな要因のような気がするんです。
 結婚とかも、勢いだって言いますでしょ(笑)。
 大きな賭けだ(爆)。

 いずれにせよ、八重子は安岡美容室を開業しよう、と決断したのです。




 土曜日放送分。

 パーマ機と一緒にめぼしい生地も買おう、ということになり、糸子と八重子は昌子も伴って東京へとやってきます。 いちばん乗り気でなかった昌子がいざ来てみたら大活躍、というのはお笑いの基本であります(笑)。
 中野界隈も商業地域は壊滅状態。 瓦礫の山であります。
 セットではこれが限界か、と思えるのですが、これを糸子と八重子の会話でフォローしているところはさすがです。 一面の焼け野原、とか余計なCGを使わない。

 中古パーマ機の値段交渉では、闇市で鍛えた糸子の値切り戦術が功を奏するか、と思いきや、「この値段でいい」 と言う八重子と、大げんかになってしまう。

 「八重子さん黙っといて」
 「なんでやの?! うちがこの値ぇでええゆうてんやからええやんか!」
 「ええことない! 商売ちゅうのはでけるとこまでやらんとあかんねん! そんな甘っちょろいことゆうてたらあかんねや!」
 「甘っちょろい気持ちなんかでゆうてへん! うちはこの値ぇで本気で納得してるんや!」
 「納得うちはでけへんのや!」
 「こんなちょっとぐらいやったら使えよったらええねん!」
 「使われへんわこんなん! 壊れてんねんでこれ!」
 「使えるよ!」

 この間10秒(爆)。 マシンガンのような口げんかでした。 書き起こし苦労したぁ(笑)。
 いずれにせよ八重子が、ここまで激怒するのを見るのは初めてのような気がします。
 つまりそれだけ、八重子はこの仕事に賭けている。
 そして糸子はスポンサーやから(笑)、ちょっとでも自分の負担を軽減しようとしている(笑)。
 結局糸子の値切り作戦はあまり成功しないまま八重子はパーマ機を購入したのですが、宿で八重子は夢見ごこちの顔をしています(笑)。 前日のトロ~ンとした顔と言い、八重子がパーマネントで商売したい、という気持ちはかなりのもののようです(笑)。

 それにしてもこの宿。

 ついたての向こうは、ムサいオッサンばかり。

 まあ宿泊事情もままならないというのは分かりますが。

 これに対抗しようと糸子が考え出したのが、リュックを前に抱えて寝よう、という作戦(今週は作戦が多い…笑)。
 こうすれば貞操も財産も守れる、というわけです(笑)。
 特に糸子は、翌日は生地を買わなければならないため、帯にお金を忍ばせて、用心は万端であります。

 ところが。

 まんじりともせず過ぎていく一夜に、昌子と八重子の叫び声が響きます。 「きゃーっ、泥棒!」

 隣のオッサン達も騒ぎだします。 「おまえらか!」「ちゃうわ!」

 「一階から逃げたぞーっ!」

 その声に階下に降りていく一同。 糸子は物音に気付いてその場にとどまり、押入れを開けます。

 そこには、顔やからだじゅうすすだらけの戦災孤児らしき子供たちが、無表情のままうずくまっていたのです。
 叫び声をあげる昌子と八重子。 子供たちは散り散りになって逃げていきます。

 騒ぎが収まって、再び床についた糸子たち。
 糸子がふと気付くと、布団のなかに、何かがいます。
 布団をめくると、そこには汚い顔の、年端もいかぬ子供が。 男の子なのか、女の子なのか。 判然としません。 ただ糸子はその後の話から、女の子だ、と思ったようです。
 年は優子よりも少し上のように思えます。

 「まだそのへんうろついてんじゃねえか?」「見つけたらただじゃおかねえ」。 噂するオッサン達の声に、その子は震えています。

 布団のなかで、その震える手は、糸子の手をつかみます。

 そして、その子は、糸子に、まるで母親に甘えるように、抱きついてくるのです。

 もぞもぞしながら、悲しそうな表情になっていく糸子。

 糸子は、その子を、暗闇のなかで、抱きしめます。

 人知れず、糸子の目からは、涙がこぼれ落ちます。

 泣けた。

 しかし。

 翌日、糸子の帯にあったお金は、ものの見事に盗まれています。
 ほぼその女の子が、盗んだものでしょう。
 結局生地を買うという計画はオジャン。
 疲れ果てた顔で、糸子たちは大坂に戻ってきます。

 母親のお帰りに、駆けつけてきた直子。
 糸子は直子をおぶって、その重さに驚きます。
 続いて駆けてきた優子。
 千代が、聡子をおぶって出てきます。
 娘3人を、思い切り抱きしめる糸子。
 糸子は自分の娘たちを抱きしめることで、あの戦災孤児の女の子を再び抱きしめようとしている。 私にはそう思えました。

 なけなしのお金で、糸子は自分の娘らになにがしかでも買ってあげたかったのでしょう。
 お土産の芋けんぴやチョコレートに喜々として手を伸ばす子ら。

 「昌ちゃん…。

 あの子、お菓子のひとつでも買えたやろか…」

 「またその話…。 はよ忘れたほうがええですて!」

 「せやけど、ほんまにガリッガリやったんやで。
 あんなちいちゃい子が…」

 糸子は昌子から慰められながら、こう思うのです。

 「(生き延びや。

 おばちゃんら、頑張って、もっともっとええ世の中にしちゃるさかい。

 …生き延びるんやで…)」。

 この戦災孤児たちも、自分が生きるために、おそらく総元締めに不当な扱いを受けながらも、闘っている。
 糸子はそんな孤児たちと自分の娘らの姿をだぶらせ、子供たちに明るい未来を作って渡していくことが、自分たち大人の使命なのだ、と思う。
 無邪気さをなくした戦災孤児たちも、無邪気さいっぱいの自分の子らも、未来を持っている、という点ではまったく同じなのだ。

 そして闇市に生きる人々。
 蔑まれながらも、自分の体を売って生きようとしている女たち。
 おしゃれを楽しもうと、洋服に群がる女たち。
 みんなみんな、この戦争を、生き延びた人々なのです。
 現代人たちは、みな戦争で生き延びた人々がいたからこそ生まれ来ることが出来た、とも言えるのではないでしょうか。

 昨年の大震災で生き延びた人々も、それとまったく同じです。

 生き延びた人々が、未来を作っていくのです。

 「生き延びや…」。

 糸子のつぶやきは、そんな生き延びた人々全員に対する、小さな小さな、エールだったのかもしれません。

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コメント

リウ様、おはようございます。
感想UP、お疲れ様です。

カーネーション・戦後編突入。
『星の流れに』『肉体の門』(次週の奈津)

『蛍の墓』『ガード下の靴磨き』(戦災孤児達)

結構、リアリズム溢れる戦後描写が為されていましたね。
出色の演出。
押し入れに隠れている子供達の表情、昭和20年代を映した写真集の侭でした。此れに、

『仁義なき戦い』(やくざになった平吉)

の描写があったら、ある意味完璧?
上京する客車内の描写を入れたら、予算がパンクした事でしょう。

再会を喜ぶ糸子とサエ。気持ちは娘の侭なのに、所々の仕草に「おばちゃん」が入っていたのには笑えました。
居る居る、こんな「おばちゃん」達。

次週、玉枝と奈津登場。糸子だんじり、何処へ突っ走る?

「とんび」御覧になられましたか?
場面の空気が「昭和30年代」でした。

投稿: M NOM | 2012年1月 8日 (日) 04時48分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

押入れの子供たちは、まさしく土門拳サンの写真を見ているような雰囲気でしたね。 どうもひとつひとつの細かい描写に手抜かりがない。 私は当時の風景を実際に見たことなど一度もないのですが、違和感のある風景などまったく出てきませんよね。

昨日放送の 「とんび」 も、昭和37年、50年の風景を忠実に描写しようとしていたんですが、やはりこの時代をやろうとすると出てきてしまうアラが見えるんですよ。

別にアラ探ししながら見ているわけではないんですが(笑)。

特に私が気になるのは、当時のオート3輪とかヴィンテージものの車が、みなピカピカだ、という点。

当時これほどワックスがけが行き届いていて、傷もへこみも塗料ハゲも一切ない車なんか、そうありませんでしたよ。 特に商業用のオート3輪は、みんなくすんだような光沢でした。

「とんび」 に関してレビューを書くかどうかは今ちょっと迷っていますが、これくらいでは泣かなくなってきている自分に、ちょっと危惧を感じていますdespair

投稿: リウ | 2012年1月 8日 (日) 11時26分

「開拓者たち」は録画できましたが、まだ見ていません。
重そうなので、時間のある時にゆっくりと見ます。
なんだか、正座しないとみてはいけないような気がして・・・。

「カーネーション」がNHK本気編の皮きりだったような気がします、
次々といいドラマが出来上がってきていますね。
それも昭和のにおいたっぷりの。

なんていうのかな、
今の日本に一番足りない、エネルギッシュな生命力を感じるんですよ。
これも制作側の使命感、メッセージなのかな。
ドラマで日本を元気にしよう、みたいな。

だとしたら「紅白」で歌い上げた「頑張ろうニッポン」をドラマ制作班が体現化しているってことなんでしょうか。

「とんび」は見損ねました。
実は、うらの「デカワンコ」を見ていたので・・笑

我が家では大ファンなんですよ、
いい役者さんたちが大真面目で遊んでいるの、
その自由さが大好きで。

ドラマの感想になっていなくてすみません。


投稿: マーシー | 2012年1月 9日 (月) 11時17分

マーシー様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

「開拓者たち」、重いです(笑)。 特に第2回は、覚悟が要ります。 レビューにも書いたのですが、不用意に泣かせてくれないんですよ。 吐き気を感じました(怖がらせてスミマセン…bearing)。

「デカワンコ」 のファンの方って多いですよね。 私はどうも外観がアレだなあと思って(笑)最初から見なかったのですが(ゴスロリで嗅覚がいい刑事?はぁ?みたいな)、どうも評判が良くて。

「とんび」 に関しては、すごく親子の情愛とか、ストレートでよかったです。
でもそのストレートさ加減が、私の錆びついた琴線にまで響かない、と言いますか…。 自分のひねくれ加減が嫌になります。

年をまたいで 「カーネーション」 のレビュー、回数が少ないせいか、やたらと物語の筋だけの羅列になってしまっている気がいたします。 そのせいで労力がいつもと同じだし(笑)。 今週からはもうちょっと考察部分を増やしてスリム化を図ろうと考えております。 同じ労力でやったら、もう限りなく長くなってしまいますからネ。

それだけ1話1話が、濃すぎるんですけどね。

投稿: リウ | 2012年1月 9日 (月) 14時56分

リウさん。お疲れ様です。
途中まで書いたら、なんの手違いか消去してしまって唖然( ; ゜Д゜)

気をとりなおして再コメントです(泣)

まずは力がこもったレビュー、ありがとうございます。
リウさんなりに割愛された部分はあると思いますが、ほんとレビュー書くのに苦労されるだろう話の濃さに毎日舌を巻いています。
そのエッセンスを抽出してのレビュー。ワタシはこの長きレビューをとても楽しみにしているんですが…

さて『生きる』の冒頭で貞子おばあちゃんの『生きのびやぁ』から『明るい未来』の最終で糸子の『生きのびやぁ』で〆る構成に、うまい!うますぎる!と言葉をなくしました。
東京行きの目的は八重子の生きるための力、パーマ機の購入だったのに、もちろんその経緯での八重子と糸子の漫才のような掛け合いだけでワタシとしては満足でございました。
けど…そこに戦災孤児のエピが入ることで前を向いて歩き出した人と、ただ生きるだけで精一杯で盗みをしなければ明日をもしれぬ境遇の子供の対比。庇護してくれる親を亡くし無邪気さの欠片もない子供と大好きなお母ちゃんに思い切り頬擦りできる子供の残酷な対比。
戦争はこうやって社会で一番の弱者を切り捨てるのだ、よう見とき!と突き付けられたようでした。
蛇足ですが『開拓者』は未見ですがもっと悲惨さに満ちているようですね。BS視聴できないのが残念です。

布団の中で互いの温もりを確かめあうような描写は子をもつ母親なら涙必至だったろうと思います。たとえ他人だろうと母性は子を抱き締めただろう。
たった数分いえ一分もなかったかもしれませんが、あれだけの描写で糸子が流した涙の温かさに胸が熱くなりました。
でもそれだけですまないのがカーネーション。
しっかりお金を盗られてしまいました。寝る前に閉めた窓があけられていて、ありゃここから逃げたんかい!
ほんでも呆気にとられた糸子ですが『生きのびやぁ。オバチャンらもっともっと頑張っていい世の中にしちゃるさかい』とこんな世の中にしてしまった大人の一人として責任を果たす決意をする言葉は、現在のワタシ達にも力をくれたように思いました。

リウさんおっしゃるように現在起こっている様々な問題は、大人が作った問題です。
もっと怒らなければいけませんね。どうせ変わらないなどと投げ出すのは簡単ですが、それじゃだめなんだ。
一人のあげる声はとても小さいけれど、その声はなかなかお上には聞こえないかもしれないけれど声を上げなきゃ、明るい未来には到底ならない。47年生きてきて流されることに慣れきってしまったワタシ。いかん!いかんぞ!
そんなわけわからん力がどこからともなく湧いてくるようです。なにができるだろう…それを考えるだけでもきっと小さな変化に繋がっていくんだ…そう思いました。


今週は初回から見ててほんと良かった!と思える場面がありました。ネタバレになってしまいますが、いよいよ星ちゃん再登場です。
初回でチビ糸子として善作父に怒られてたシチュエーションが今度は糸子お母ちゃんに起こられるシチュエーションとピタリ!おんなじやん(笑)

小ネタも外さない作り!

凄い作品です。ほんと

投稿: みち | 2012年1月 9日 (月) 23時31分

みち様
消去にもめげずコメント下さり、ありがとうございます。

こんなに長いコメントが、たとえ途中でも消えてしまったのですか?! それでも再び書き起こしていただけるとは、ただただ頭が下がるばかりです。 あらためて感謝申し上げます。

来週(いや、今週分ですネ)をスリム化する、と先のコメントに書きましたが、なにも短くするわけではございませんのでご心配なくcoldsweats01。 もとに戻るだけです。 年末年始のペースで書いてたら、それこそハチャメチャに長くなりすぎて、書くのに2日くらいかかってしまう。 ただそれだけのことですので…。

しかし本当に、この年始の4回は話があまりにも詰め込まれすぎてました。
それなのに全然見ていて 「話がつぎつぎ変わりすぎ」 とか思わない。
すごすぎ。
その構成に、舌を巻きすぎてカメレオン状態なのであります(ハハ…)。

で、いざレビューを書こうとすると、どこを割愛していいのかまったく分からない感じで。

全部何かしら、細い糸でつながっているエピソードばかりなんですよね。 だから省けない。

困ったもんですよ、本当に。

それにしてもですよ。 みち様。
「生き延びや」 が貞子おばあちゃんの言葉から始まっていたとは、あああ、まったく見落としていました! しかも今週分の直子が糸子に叱られるシーンと糸子が善作に叱られるシーンを同じだ、などと条件反射的に分かってしまうなんて、どんだけ細かく見てるんですか、という感じですよ、ホントに。 今週からレビューをお願いしたいくらい、であります(笑)。

安岡の家がフィクション、と知ったときから、私はなんとなく八重子をそのように見てしまう癖がついてしまったのですが、いや、架空の人物とは思えませんね。 おそらく実在の人物を数人混合させたのだと思うのですが。

孤児の女の子とのくだりは、もう予定調和がまったくなくて、またまたカメレオン状態です(笑)。

「イイハナシダナー」 というのを次の瞬間にあっさり裏切り、その子になけなしのお金を盗みとられる。

で、怒ったり愚痴ったりかと思いきや、糸子はその子にシンパシーを感じる。

そしてあとはみち様の解説通りであります。 さわやかに、さわやかに、裏切られ続けます、このドラマには。

成人の日に、成人になった人たちへのアンケートで、「日本の将来を変えたい」 と考えている若者が、増えたようですね。
そりゃ他人を受け入れない硬直化したような国に変えるっていうんじゃ浮かばれませんが、「自分ひとりがなにやったって変わるわけないじゃん」 などと醒めた目で考えているような若者よりはずぅ~~とまし。

日本の将来は明るいです。

投稿: リウ | 2012年1月10日 (火) 09時21分

「清盛」レビュー一段落(やっぱり「草燃える」は男も女も喰うか、喰われるか!)した所で、「カーネーション」再見レビュー14週。
(ホントは終戦記念日にあわせただけ)

本来は15週最初の2話までだった気もしますが、
やっぱり震災復興ならコッチですね。
太郎は、この時期が一番、輝いていた…。

>セットの限界
>予算
皆さん、目敏いなぁ(笑。ただ、それで終らないのが「カーネーション」。この時期は闇市セットがありますが(これも前半に比べれば狭い)、三姉妹編の頃になると岸和田商店街を除けば室内セットばかりになってしまう。優子が羽根突きをやってるのに聡子のテニスなんて一回も無い…。「なっちゃんの写真館」では昭和初期の庭球シーンがあったそうなのに!(そりゃ、主役だから)晩年に入ると現物流用が過半になりますが、もう鉄筋コンクリートの世界。物質的豊かさに併せて閉塞感も増していく演出。
交通機関も今回の夜行列車の後は糸子が危篤状態となる時まで、ずっと抑えられている。(上京の際に新幹線のカットをいれるぐらいなら予算もかからないはず)一方で情報伝達機器は木之本電気店に始まって携帯電話や液晶テレビまでコンスタントに描写されました。人間の感覚と活動圏の拡大に意図的に格差を出していたのでしょう。
「カーネーション」後半に脱落していった人達がどこまで意識していたかは不明ですが、画面に息苦しさが出てきたのも嫌で、それは製作側が意識してやっていたと思われます。善作の暴力シーンなどは時代の大らかさが緩衝材になってた所がありましたよね。(それでも一方的な場面は直接描写は避けた)後半に同じ事をやるわけにはいかんですし。

図書館で「カーネーション」のノベライズ版(朝ドラの小説版が色々、置いてました)読んでみました。渡辺サン以外の人が書いているので展開をなぞっているだけ。前半はそれでも良いですが、後半が行間を読ませるような文章でないといかんですね。

投稿: 巨炎 | 2012年8月15日 (水) 09時39分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

真夏、8月15日の終戦を歳末に持ってくる。
そして戦後を、年初の話にする。

わが国では、年忘れというように、大つごもりですべてを終わったことにし、すべてのことが始まる、という意味合いで年初が始まる。

それと同じで、日本も8月15日を境として、いったん死んだのだ、そしてその次の瞬間から、日本はあらたにオギャーと生まれたのだ、という作り手の思いが垣間見える、この構成。

やはりどうしても、一筋縄でいかないです、いちいちが、このドラマ。

そして子供たちに明るい未来を手渡そうと、大人たちが頑張った末に。

巨炎様のご指摘のように、物質的豊かさが、閉塞感を加速していく。

ケータイやネットで今すぐ繋がる、みんなと繋がる、という世界が実現できたというのに、どうして人は、昔より孤独なんでしょうか。

ノベライズを渡辺あやサンが書かなければ、やはり意味が感じられない気はいたしますね。

この物語は、「風と共に去りぬ」 級の話のスッ飛ばし加減だというのに、すべてのシーンのセリフがもうこれ以上ないというくらいスリム化されていて、示唆に富んでいて、絶妙なテンポを保っています。

それはやはり、渡辺サンでなければ出せない味だ、と申せましょう(内容の薄い返信でゴメンナサイ…)。

投稿: リウ | 2012年8月16日 (木) 07時49分

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