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2012年1月15日 (日)

「カーネーション」 第15週 ひとりの心と向き合う、ということ

 「うちは、夢を作りたかったんです。

 戦争で受けた傷を忘れて、新しく生まれ変わる。
 そうゆう夢です。

 服に託したうちの夢は、女の人らに届いたと思てます。

 ほんでも、服は服です。
 知れてます。

 ほんまに、どん底におる人を助けたいと思たら…。

 服とちゃう。

 この…自分の手ぇしかないんや」

 自分の夢を追いかけて、人は成長し、生きていきます。
 仕事をすることで、自分は誰かの役に立っている、と思いながら。
 車を売る人は、その車でその人がいろんな幸せに巡り合うことを信じて。
 建物を作っている人は、そこで暮らす人が幸せになっている風景を思い描いて。
 家事をしている人は、自分の家族の幸せを下支えしていることに喜びを感じながら。

 けれどもそれって、いつも 「あたりまえ」 の波のなかに消えてしまう。

 車に乗っている人は車がもたらしてくれる幸せを忘れて、渋滞にイライラし、かさむ経費を疎ましく思う。
 建物のなかでは家族がいつも幸せなわけでもない。
 そして見守っているはずの家族は、それぞれに自分勝手な方向を向いて、自分の世話をしてくれている人の有難みを忘れていき、世話をしているほうには、虚しさだけが降り積もり、家事は義務的になっていく。

 糸子にしても、服で世の中を明るくしたい、女性たちに新しい時代を闊歩してもらいたい、という夢があって仕事をし続け、それなりに成果も上げた、と自負はしているのですが、

 やはりひとりひとりの心の傷まで癒すことはできない、という限界を、感じていくのです。

 ひとりひとりの悲しみに向き合うこと。

 安岡の家や吉田奈津について、架空であるという話もちらほら聞きます。
 ということは、今週のこの物語は、ほとんどが脚本家である渡辺あやサンの創作、であるはずです。

 そこから見えてくるもの。

 それはリアリティを比較的無視しながらも、重層的なビジュアルのたたみかけと伏線の交差によって、見る側により深い思索を強要してくるのです。

 はぁぁ…。

 どないせいっちゅうねん!(笑)
 まともにレビュー書いてたら、いつまでたっても終わらへん!



 とりあえず月曜放送分。

 昭和20年12月。

 パーマ機がやっと安岡の家に納入され、オハラ洋装店に喜々としてやってきた八重子。
 購入に尽力してくれた糸子と昌子を、まず最初のお客様にしようというのです。
 キャッキャッはしゃぎまくる女たち。

 実は翌日、火曜放送分でも、戦時中休刊となっていた雑誌 「婦人美装」 の復刊を喜ぶ女たちの描写があります。
 ここでももう、実に彼女らはかしましい。
 ここでは戦争という楔(くさび)から解放された女性たちが、この世の春を謳歌していくことを如実に描写しているのですが、やかましいまでの女性たちと対照的なある男のコントラストを際立たせるための、いわば助走であったと感じます。

 そして元祖 「かしまし娘」 の退場のための序曲、世代交代の序曲だったと言ってもいい気がします。

 パーマをかけた糸子と昌子は、現代からみれば実に野暮ったい種類のパーマのように見受けられるのですが(特に糸子は、サザエさんかと思った…笑)、ここで彼女たちのエイジングをさりげなくアピールしている点にも着目です。
 静子が30歳、というのにはさすがに 「30歳見えへんわ」 と思ったのですが(笑)、話のなかでも糸子が33歳、ということを何度か登場人物たちに言わせている。
 パーマ機購入のストーリーを彼女たちのオバチャン化と絡めてしまうあたりは、もうなんつーか、見事意外に言葉が思いつきません。

 そしてパーマをあてる際に糸子がやってきた安岡の店。

 ここで2階で寝たきり引きこもり状態になっている玉枝のことを絡ませ、今週の 「カーネーション」 の体裁は、ため息の出るほど盤石な土台が出来上がっている。
 つまりこの玉枝とのやり取りが、今週のこの物語の核となっているのです。

 またここで(まだあんのか)、勘助と泰蔵の遺影に手を合わせ 「うちパーマかけんねんで」 と報告する糸子。
 今週の話の端々には、こうした 「死んだ者たちとの会話」 が巧みにインサートされている。 なにも実際の会話、と限らず、です。

 八重子は八重子で、玉枝のことを気に病んでいても始まらへん、うちの仕事やからうちの好きにさしてもらうわと、仕事に賭ける女の情熱や強さを一瞬で感じさせてくれる。
 八重子のこの態度は、なにも自分勝手にやろうとしているのではなく、家が活況を呈してくれば、自然と修復されていくものもあるだろう、という思いやりの姿なんですよね。

 んも~どうしてこう、たった数分でここまで深いことが出来るのか。 ここまでの描写で主題歌や先週の続きの部分を抜かすと、2分くらいにしかならんとゆーのに。

 なんかやんなってきたな、レビューすんのが(笑)。 誰か代わってください(爆)。

 年末の闇市。
 アメ横みたいな大盛況です。
 人々の生きるパワー。
 木岡のおっちゃんはそれに抵抗できずに糸子や木之元とはぐれていきます。 「糸ちゃ~~~ん!」(笑)。
 木岡が物珍しそうに遠巻きに眺めていた、例のパンパンガール。
 先週彼女らに散々オバチャンだのバカにされた経緯もあって、糸子は自分のパーマ姿をなんとか彼女たちにアピールしようとします(笑)。
 ただこれも、今週後半に出てくる奈津との邂逅の呼び水。 つくづく構成が見事だ。

 そして大みそか、「紅白歌合戦」 の前身番組となる 「紅白音楽試合」 を聞く小原家の様子が映し出されます。
 アレ? こんな早い時期からやってたっけな?しかも最初は大みそか放送じゃないんじゃ?と思ってまたウィキ頼り(笑)。
 この前身番組は確かに昭和20年の大みそかにラジオ放送されたものだったようですね。 どうもこのとき1回きりだったらしい。 で、それから5年後に本格的に 「紅白歌合戦」 として放送が始まったようです。

 ア~もう、無駄話しとる場合じゃないぞ(笑)。

 ここで 「リンゴの唄」 を喜々として歌うのが、ちょっとだけ大きくなった優子と直子。
 特に直子は、糸子の少女時代を演じた二宮星チャンの再登場です。
 このふたり、何かというと張り合ってばかりで、このあと 「丘を越えて」 をやはり張り合ってがなりまくる、というシーンがありました(笑)。
 それをですね、このふたりはラジオに向かってがなりまくるんですよ。
 これ、なんとなく分かる気がする。
 ラジオというのは、その時代のいわば、オンステージなんですよね。
 だからそこに我れ先に、と舞台に飛び出そうとしているふたりの子供の心情が投影されているような気がする。
 しかも大きな声を出し合っている、というのは、対抗意識だけじゃなくて、どこか楽しんでいる感覚もある。
 遊んでいるんですよ。

 「(来年は、もっとええ年になりますように…)」。

 年越しそばを食べながら、ふたりの娘が歌を歌うのを楽しそうに眺めていた糸子。
 対象的に安岡の家では、八重子が年越しそばを食べようと2階に向かって声をかけるのですが、玉枝は呼ばれません。
 「ええわ。 食べよう」。
 八重子はいつものことや、というように3人の子供たちと一緒にそばを食べます。
 太郎たちも成長した模様。
 しかし玉枝は、真っ暗な2階で、ひとり床についたままです。
 寒々とした、蒼い闇。
 窓の外では、雪がちらちら降っています。

 「(みんなが笑って、暮らせる年になりますように――)」。

 糸子のナレーションが、玉枝の冷え切った寝床のシーンにかぶさります。

 昭和21年2月。

 「丘を越えて」 をがなっていた優子と糸子は、物差しを手にした糸子によって首根っこをつかまれ(笑)外に追ん出されます。
 横で見ていた私のオカンは、「うちも母ちゃんに物差しでよく追い立てられて外に行かされた」 と話しておりました(笑)。 子供は家にいるもんやない、外外!というのは当時の常識だったようです(笑)。

 そこにやってきたのは、ひとりの復員兵。 夫勝の最期を報告しに来たのです。
 最後までのんきで、と言いにくそうにしていた同僚ですが、最後まで上機嫌やったんやなあ、とその様子を理解する糸子。
 彼が持ってきたのは、勝がいちばん大事にしていたものだった、一葉の写真。
 そこには勝と、赤ん坊の時の直子を抱きかかえた糸子の写真が写っています。
 勝の前には優子もたたずんでいる。
 糸子はその写真を見て、愕然とします。
 柔らかな日差しが差し込むなかで映し出された、一葉の写真。
 そしてそれを見る糸子の傍らを、同僚が勝の仏前にあげた線香の煙が、通り過ぎていく。
 まるで線香の煙が、勝の霊であるかのように、光を形どって行くのです。

 なんという芸術的なシーンか。

 この、勝の意識を感じさせるようなシーンが、実は今週散見されたような気がしております。

 糸子は勝の同僚が帰ったあと、縁側にもたれて、今まで心の底にわだかまっていた夫とどこかの女が写った写真を、火鉢で燃やします。
 糸子はいつぞや勝に買ってもらった、赤いショールを肩に羽織っている。
 それだけでもう、すべてが分かってしまうではないですか。

 「しゃあない。 堪忍しちゃら」。

 自分を呼ぶ静子の声に、「はあい」 と答える糸子。
 次回、この静子が、嫁入りします。

 おい、もうたいがいにしてくれ…。 これ、月曜放送分だぞ…。 終わらん…。



 火曜放送分。 ついにこの日が来てしもた。

 闇市で糸子は、青地に白の水玉の模様の生地を見つけます。
 やっと、やっと、目の覚めるようなおしゃれな生地が、出回り始めたのです。
 「(やっと見つけた。 新しい時代の、洋服の生地や!)」
 「うちのだんじり」(ミシン)を見つけたときと同じようなセリフ。
 糸子の興奮が、伝わってくるようです。

 「なぁ…モンペしか履いたらアカンかったし、作ったらアカンかったんが、やっとや…!
 やっとほんまのほんまに新しい生地で、洋服作れる日ぃが来たんや! ごっついことやなぁ…!」

 糸子はサエに、その喜びをぶつけます。
 サエは糸子に、さっそくこの生地で服を作ってほしい、と頼みます。 これを着れば、自分は生まれ変われる、という喜びに満ちて。

 「(あんな戦争のあとでも、これ着て生まれ変わった気ぃになってくれるんやったら、そんなにうれしいことはありません)」。

 出来上がったその、目の覚めるような水玉のワンピース。
 小原の家の女たちは、またまたうるさいほどにその出来栄えを喜びます。 ホントにかしましい(笑)。 そのかしましさのなかで、糸子の娘たちも服を作ることの喜びが刷り込まれていったのだ、と感じましたが。

 ところがサエ用に作ったその水玉のワンピースを、妹の静子がどうしても今日一日だけ私に着させてほしい、と頼み込んできます。
 自分の好きな人が戦地から帰ってくる。 それを精一杯のおしゃれをして出迎えたい、というのです。
 糸子はまったく寝耳に水で、「女ごころに疎い」 と言っていたサエの指摘の正しさがまたここで実証されてしまった格好(笑)。
 静子の年がここで30だとあらためて判明して、私はさっき書いたように 「チミチミ、その顔で30は無理やろ」 と思たのですが(笑)、当時はやはり、好きな男の戦地からの帰りを待ってそんな年まで行かず後家みたいにしていた女性も多かったんだろうな、などと考えてしまいました。

 静子はホントの後家になってしまっていた姉糸子に気兼ねしていたようです。 そんな静子に、糸子は 「あんな。 姉ちゃんをなんやと思てんねん」 と見得を切るのですが、このあと同じ見得を切ることで、糸子は大失態をさらすことになります。 これがまたその呼び水。 なんかもう、当然のように見てますけどね、かなり高度なことをやっておりますよ、このドラマ。

 背の高いサエ用に作っていたため、臨時の丈詰めをしたその水玉のワンピースを着て、静子は復員してきたその恋人と、商店街のどまんなか白昼堂々(ドロボーか)熱い抱擁をします。 道ゆく人も木之元のおっちゃんも、目を丸くしてフリーズ(笑)。 「ご、ご、ごっついな~この頃の子ぉは」 物陰で見ていたサエも当てられっぱなしです。 ダンスホールで踊り子していた、最先端の女性だったのにネ(笑)。
 そんななか、母親の千代だけが、真面目な顔をして涙ぐんでいる。
 つまり千代だけは、あんなノンキそうにしていて、静子の恋人事情を把握していたんですよね。
 まあ当然かな。 糸子のところに男が来たくらいで 「いや~っ!あんた、そうなん~!」 ですからね(笑)。

 ところでこの水玉のワンピースは爆発的な売れ行きに。

 これって私にはとても不思議に思えたんですよ。
 なにしろ他人と同じものを着る、って結構恥ずかしいようなところって、あるじゃないですか、現代って。
 ユニクロの軽いダウンジャケットを着ている人を見ると、「ああ恥ずかしい」 とか(お持ちの方、大変失礼いたしました)。
 それなのにこの当時って、他人と同じものを着る、ということが、実はひとつのステータスでもあったんですね。 流行に乗りたい、ということがそのまま自分の主張でもある。 人と同じものを着るということで安心したい、という側面もあったにせよ、そこに恥ずかしい、という意識が働いていない。

 これってその当時、洋服が大量生産されないオーダーメイドのものであったことも、大きく寄与している気もいたします。
 ということは、この先大量生産の波に、オハラ洋装店も岐路に立っていく、という展開が、待っているのでしょうか。
 糸子のミシンは、快調に飛ばしまくっています。

 そしてその年の5月。 静子が嫁入りします。 髪結いは八重子が務めます。
 白無垢の花嫁衣装。 貞子が一世一代の意気込みであつらえたのに、結局糸子の結婚式では日の目を見なかったものです。
 善作の遺影が、またそれを見守るように映されます。
 「静子、きれいやで」 と言っているようです。
 静子は寝たきりになっているハルおばあちゃんに、別れのあいさつをします。

 「おばあちゃん…いってきます…」

 「きれえな、花嫁さんや…」

 消え入りそうな声の、ハルおばあちゃん。 年越しそばは食べてはったのに。 もう起きられんほど衰弱しとるんか。
 この展開、ちょっとショックです。
 静子もまるで今生の別れであるかのように、おばあちゃんと会話をする。
 この部分だけで、もうじゅうぶん、おばあちゃんの容体がこちらまで伝わってくるのです。

 「今日まで…お世話になりました…」

 「達者で…幸せになるんやで…」

 「またすぐ帰ってくるよって…」

 「アホか。 帰ってきてどないすんや…」

 場に静かな笑いが流れます。 でも、ハルおばあちゃんは泣きそうな声で 「達者でな…」 と続けるのです。

 白無垢のまま小原の家から出ていく静子。 商店街の人々から祝福されます。
 昔はこうやった…。 私は自分の叔母の結婚式を思い出しました。
 2階から糸子に付き添われ、それを見送るハルおばあちゃん。
 見上げる静子。
 ハルおばあちゃんは、やさしく笑いながら、力なく何度もうなづきます。
 涙があふれていく静子。
 「はよ行き。 婿さん待たしたら、またおばあちゃん怒んで」 と糸子。
 糸子のときは大遅刻で、おばあちゃん大魔神みたいでしたっけ。

 「…行ってきます…」

 静子のこぼれる涙を、千代がぬぐいます。

 うなづくおばあちゃん。
 このひと月後、おばあちゃんが静かに息を引き取った、と糸子のナレーションが。

 つづく。

 マジ? 死んじゃったのかよ? マジかよっ!

 思わず私はテレビにしゃべってしまいました。

 なんとまあ、あっけないのだ。

 ここでいったん視聴を中断。

 いかにも人の死ぬところを一切見せようとしない、このドラマらしい手法。
 このあまりにあっけない、ハルおばあちゃんの退場に、かなりの余韻が残りました。
 思えば息子善作が火に包まれて以来、ずっと腰が抜けっぱなしだった、ハルおばあちゃん。
 年月にして2年半、と言ったところでしょうか。
 「息子より長生きしたかて仕方がない、はよお迎えが来てほしい」 とばかり口にしていたハルおばあちゃん。
 商売があまり上手とは言えなかった自分の息子に、やはり大きな期待をかけていたのでしょうか。
 ハルおばあちゃんの生きる気力の支えだったのは、大輪の花を咲かせていた孫の糸子ではなく、不肖の息子の善作だったのでしょうか。
 だとすると、息子が娘に自分の呉服屋を譲ったときに、糸子につきっきりになったのは、孫の糸子のためではなく、息子の善作をバックアップするという動機だったのかもしれない。
 だから根岸先生との思い出の一品であるカツレツを揚げながら、「今日から、うちとアンタの、ふたりっきりや!」 と宣言した時のハルおばあちゃんは、実は糸子を励ましているよりも先に、息子の力になれたことを喜ばしく思っていたのかもしれない。

 「大丈夫、食べれる、食べれるて」 と、息子が叩きつけたひしゃげたケーキを裏返して孫たちに食べさせようとしていたハルおばあちゃん。
 これもやはり、糸子が頑張ったからこそ買ってこれたケーキをダメにすることは忍びない、という気持ちよりも、息子の不始末を堪忍したってや、という気持ちのほうが、強かったのかもしれない。

 いずれにしても、なんという余韻を与えてくれるドラマなのだろう、と、しばしボー然(笑)。
 こんなあっけない幕引きをされて、なにも残んないのかなんてことが一切なくて、却ってその逆。




 水曜放送分。

 おばあちゃんの死がひとつの時代の終わりを告げたように、妹の清子もまた、お嫁にいくことになります。 仏壇に手を合わせる清子の向こうには、善作、勝と共に、あらたにハルおばあちゃんの遺影が。

 そしてオハラ洋装店にも新しい雇い人が。 それが六角精児サンが演じる、松田恵、という経理担当の男。
 オハラ洋装店は女所帯ですから、おそらく経理も女性を入れようと糸子は考えた、と思うのですが、その名の通り女性と間違えられることの多かった、ちょっとムサいオッサンが、物語をあらたな方向に動かすキーパーソンとして登場するのです。

 大手の洋裁店に勤めていたことから人脈もあるその松田から、糸子は泉州繊維商業組合という組織を紹介されます。
 ちょうど月例の会合の日にぶち当たった糸子、その組合の宴会場に足を踏み入れます。
 その会合というのが、また輪をかけてムサいオッサンの集まりで(笑)。
 そこの組合長サンが近藤正臣サン演じる、三浦。
 三浦は糸子が来た早々、そそくさと席をはずしてしまうのですが、その三浦のカバン持ちをしている、周防(すおう)という若者。
 これが2年半前、ドラマ 「Mother」 で尾野サンと一緒に芦田愛菜チャンをいじめていた(既にコメント欄では言及していましたが)綾野剛サン。 今は 「開拓者たち」 で満島ひかりチャンの弟やってますわ。 「Mother」 のころは 「この児童虐待男、マジムカつく」 などとこのブログでも散々叩いていたんですが(笑)、最近は改心したようです(現実とドラマの区別がつかんよ~になっとる…)。

 その周防、長崎出身でほとんどなに言ってるか糸子には分からない。
 私などは却っていろんな場面で長崎訛りに接しているせいか、糸子が周防の言うことが理解できないでいる場面というのが、とても不自然に最初は見えたのですが。

 でも、当時ってやっぱり、自分の住んでいる地域以外にはラジオのしゃべる標準語程度しか理解できる言語がなかったような気がするんですよ。
 それに岸和田、というのは、かなり人の流れの少ない地域だったようにも思える(誤解であれば申し訳ないです)。 少なくとも糸子にとっては、神戸が若干の別世界で、ほとんど岸和田だけで人生が成立してますからね。 糸子も長崎の人としゃべるのはこれが初めてだ、と言ってましたしね。

 ただまあ、それを考えると、ドラマなんかの幕末もので長州弁や薩摩弁、土佐弁が入り組んでいる構造って、かなりグローバルな気がするのですが、そこで難なくコミュニケーションが成立していることのほうが、ちょっと不自然に思えてくる。 まあ幕末の志士たちは、外部との接触に慣れていたのでしょう、と勝手に納得することにします(笑)。

 糸子が周防の言うことに難儀しているところにやってきたのが、ほっしゃん。演じる、北村という、ワケ分からんがやり手の男ちゅうヤツ(笑)。 糸子を見くびって、里芋が来ただのまあ~失礼なヤツです。
 その北村に酒を勧められた糸子。 「なんや酒も飲めんのか」 とバカにされそうになったため、「…はっ!ハハー、なめんといてください! うちは岸和田では有名な酒豪で通ってます」 と見得を切ってしまう。

 糸子はまあ見る人が見れば完全に 「コイツ呑めんな」 と分かるような反応をしながら(笑)、どぶろくを茶碗でイッキ飲み。 さすがに酒飲みの善作の娘です、たぶん生まれて初めて飲んだ酒を、「こりゃいける」 とますますがぶ飲み。

 ここで糸子が 「結構いける口やな」 と組合のムサいオッサン連中に思わせるかどうかは、やはり本題ではないのだ、と感じます。 勝った負けたが本題じゃない。
 要は、糸子がこのような男所帯のむさくるしい場で、飲んだこともない酒を飲んで対等に渡り合おうとしている心意気が、組合員たちに知れ渡ればいい場面なんだ、と思うんですよ。

 当然のごとく糸子は泥酔、お猪口を乳首に見たてて酔いつぶれたほっしゃん。の胸に当てたりします(爆)。

 糸子は誰かにおんぶされてオハラ洋装店まで帰ってきます。
 その背中で、糸子は目を覚まします。

 「(うん…? どこや…?

 うち…誰かにおぶわれてんのか?)」

 糸子はその人に向かってつぶやいてしまいます。 「…お父ちゃんか?」

 私はこの場面、不意に泣けてきてしまいました。
 おばあちゃんは向こうに行ってしもた。
 妹たちもつぎつぎ嫁いでいく。
 ムサいオッサンは新しく入ってくる。
 そして見知らぬ人たちばかりの組合の会合。

 移り変わっていく景色に、年をとってますます大人としての行動をしなければならなくなっている現状。

 そんな心細さのなかに、突然おぶわれる、という幼い日の記憶がよみがえるような展開。

 糸子が思わず、「お父ちゃん?」 とつぶやいたその一言には、糸子の悲しさが、切なさが、凝縮されてつまっている。

 そんなことを考えてしまったのです。

 糸子は暗闇のなかでおぶわれながら、子供のようなにこやかな表情に戻っていきます。

 「(あれ? うち…年なんぼやったっけ?…)」

 33やて。
 この前も、自分に言い聞かせるように、ゆうちゃったやないけ。
 でも、いくら自分に言い聞かせても、心の年齢というものは、容易に年をとっていかないのです。
 そのはかなさ。 かなしさ。
 このシーンには、そんな切ない感情が、溢れかえっていました。

 翌日、二日酔いで頭ガンガンのなか、自分をおぶっていた人が、周防であったことが判明します。
 幼い自分にリンクしてしまって、それまで精一杯大人を演じてきた自分の本音(「お父ちゃんか?」)を聞かれてしまった恥ずかしさに、糸子はうずくまってしまいます。

 「(あ~あ…どうか、もうあの人に金輪際会うことがありませんように…)」。

 ということは、会うんですな、このあと(爆)。





 木曜放送分。 ああまだ、クライマックスまで程遠い…。

 「おはようございますっ!!」

 朝っぱらから、澤田のオバハンが国防婦人会…じゃなかった、「米よこせ」 のタスキをかけて、オハラ洋装店に乗り込んできます。
 「ヒイイッ…!」 糸子は条件反射的に隠れようとしてしまうのですが(笑)、どうも澤田のオバハンは今度は 「朕はたらふく食ってるぞ」 運動に加担しているようです(笑…っちゃいかんのかな)。 「要はあないに説教でけたらなんでもええんですね」 と昌子。
 これは一面では、澤田の心の虚しさを埋める行為、という見方もできるかと思うのですが、本当は、次々と夢中になれるものを見つける女性という生き物のたくましさを描写している、そんな気がいたします。

 続いて現れたのが、紳士服はここでは取り扱わないのか、という男性客。
 糸子は夫がいなくなってからここでは取り扱っていないと言い、ほかの仕立て屋を紹介するのですが、どこもまだ再開していない、とその客は言います。
 ここで糸子が挙げた仕立て屋のなかに、テーラーロイヤルが入っていない、というのはちょっこし気になりました。
 つまりあげな商売してたんで潰れたんでしょうな(何でいきなり 「ゲゲゲ」 に戻っとる?)。

 そこで松田恵の提言により、三浦のつてで派遣されてきた職人が、糸子が 「金輪際」 会いたくなかった、周防。 お約束ですな。

 この周防。

 糸子が目を離すと何かに見とれていて、なかなかまっすぐ店に辿り着きません。 どこか上の空みたいな感覚。 そしてどうも、語り口がはっきりしない。 やさ男、という感じなのです。

 「ハキモノの木岡」 というオハラ洋装店の隣の看板がヤケに今回は目立つなあ、と思いながら見ていたら、次のシーンで糸子は周防が脱いだ靴を珍しそうに眺めます。
 それは先の尖った、ショートブーツみたいな靴(スミマセン、靴とかファッションには疎いもので…)。

 糸子は2階の、夫が使っていたミシンのところまで周防を案内するのですが、麦茶を持ってきた千代が周防とのやり取りで長崎弁絡みのショートコントをしているあいだ、糸子は戦時中も何とか守り抜いた、夫の使用していたミシン台をいとおしそうに拭いています。

 周防は糸子に、店のショウウィンドウに飾られていた水玉のワンピースはあなたが作っとっと?と尋ねます。 そうだという糸子の返事を聞いてニヤニヤしている周防。 「けったいなことを訊くお人やなぁ」 という表情の糸子。

 翌朝、再びやってきた周防はまたショウウィンドウを微笑みながら見ています。 そこに元気に飛び出してきた優子と直子。 周防のイケメンぶりに当てられたように、おしゃまに 「おはようさん」 とあいさつする。 糸子は周防の脱いだ靴に、また注目します。

 そして糸子は、その靴は長崎ではよう売っているのか、と尋ねます。 ピカ(原爆)が落ちたときに家内が持って逃げてくれて燃やされずに済んだ、と周防は答える。
 そして長崎弁から、言葉が分からなくても、三味線で分かりあえる、という話をしながら、周防は服もそうだ、という話をし始めます。

 「服もやっぱい、言葉がなかったっちゃ、いろんなことが分かるけん」

 そして、自分はまだこの戦争が終わってまだ1年、まったく立ち直っていないというのに、女性たちがあの水玉のワンピースを着て闊歩していることに感銘を受けた、というのです。
 周防の回想。 来る女性来る女性、みんな水玉のワンピースを着ています。 そしていい年をしたオバチャンも(ここで笑わせるのがこのドラマの長所であります)。

 「おいは、あん服ば格好良かて思うたと。

 格好良かし、…きれか」。

 格好がよくてきれいだ、と。

 このシーン。

 外光が勝の形見のミシンを、強く照らしています。

 まるでそれは、勝が周防にしゃべらせているかのように。

 糸子は言葉が分からないのに、その気持ちがすうっと自分の心のなかに入ってくるのを、感じている。

 おそらく仕事とはいえ、夫の形見のミシンを他人に使わせることには、糸子も躊躇があったはずです。
 念入りにミシン台を拭く糸子の様子から、それはうかがえる。
 けれどもミシンも、使われて初めて、その用をなすのです。
 ミシンも喜ぶ(まるで生き物みたいですが)。 そしてそれを使われたことで、勝も喜ぶように感じる。
 この外光は、画面のなかで周防とミシンとを溶け込ませ、糸子に対して強烈な印象を与えることに成功している。 糸子はその揺らめく光のなかで、勝に対して抱いていた気持ちと周防に対する気持ちが同化していくことを、感じるのです。

 名場面。

 そしてこの木曜放送分のラストカットは、外光が差し込むミシンと周防、そしてそれを眺める糸子の、斜め上からの俯瞰です。 まるで勝の霊がそこから天上に離れていくかのようなカット。

 言葉を失います。





 金曜放送分。 まだかよ…。

 物静かなイケメン周防の様子に、オハラ洋装店の女たちは、もうすっかり骨抜き状態であります。
 この周防には、何か常に、外光がつきまとっている感じがする。

 糸子は闇市から帰ってきた木岡と木之元から、衝撃的な話を打ち明けられます。
 奈津がパンパンになっている、それを闇市で見た、というのです。
 それを聞いてからの糸子は、仕事がまったく手につきません。
 周防に請われて闇市まで、紳士物のボタンを一緒に買いにきた糸子。
 糸子は奈津の姿を、どうしても探してしまう。
 糸子に少しぶつかって通り過ぎた、片足を引きずる男。
 奈津が以前フラフラとついていった、あの傷痍軍人です。
 糸子は奈津が救いようのない面食いだったことを思い出し、その男のあとをついていきます。

 ここらへんの展開、つらつら考えるに、とてもイージーであります。
 しかし作り手がここで重要視しているのは、リアリティではない。
 話をスッ飛ばさなきゃ全部書けない、という焦りもいっさいそこにはない。
 このくだりから、物語は奈津の落ちぶれぶりを描くと同時に、架空の存在である安岡玉枝を絡めさせていきます。
 つまり、脚本家である渡辺あやサンの創作である可能性が高い(事情通でないので真実は知りません)。

 でもそこから見えるのは、何なのか。

 それは現実世界よりも濃い、作り手の主張なのです。
 作り手はあらかじめ、安岡玉枝という、転落してしまった人物を描くことで、糸子や見る側ののど元に、抜き去りがたい棘を残したままで物語を進めている。
 それをどう料理するかで、作り手の主張は現実よりもさらに強烈に、見る側に訴えることが出来るのです。
 これは、演劇的手法と言ってもいい気がする。
 リアリティを無視して極端な世界を見せることで、より主張はピュアになっていくのです。

 片足を引きずった男が入っていった、粗末な小屋。
 糸子を追って、周防もそこにやってきます。
 「ええ加減にしいや! このごくつぶしが!」
 気の強い口調のなじり言葉。 それだけで奈津だと分かります。
 周防も糸子がどうしてこんな行動をとっているのか、時代だから瞬時に理解できる術を持っている気がする。
 糸子は少々パニック状態になっているのか、周防にわけのわからないお願いをします。

 「あの…。

 もしうちが飛び出して来そうになったら、止めてもらえませんか?」

 「飛び出す…?」

 「はあ。 その…。

 そこから出てくる相手によっては、うち、飛び出してまうかもしれへんやけど、その、今日は、やめといたほうがええと思うんです。 前もそんでうち失敗してるよって。 うちが頭に血ぃのぼってしもて、怒鳴りまくってしもたよって、相手逃げてしもて、そやさかい…」

 この糸子のセリフ。

 正直、何を言っているのか分かりません。
 つまり糸子のなかでは、さまざまな過去のトラブルの時の様相が頭の中を錯綜して、話がうまくつながっていない。
 怒鳴りまくって相手が逃げた、というのも、該当する場面がどうも頭に浮かびません。
 おそらく奈津が糸子に借金を申し込んだときにケンカになってしまい、そのあと奈津が夜逃げをした時のことを指しているのだと思うのですが、賢明なこのブログの読者様なら、該当する場面が思い浮かぶかもしれません。
 そして相手によっては自分が飛び出してしまうかもしれない、と言っている。
 これも、奈津が関わっている連中がヤバイ筋の男だったら、という思いがあるのか、それとも奈津自身がそこから逃げて出てくる、と糸子が考えている、と思われるのですが、それを見て自分が飛び出してきたら、自分を止めてほしい、と周防に懇願している。 なんかわけが分かりません。

 だから個人的には、この場面では糸子はパニクっている、という見方をしています。
 だとすれば、このセリフは非常に実験的である、と考えられる。
 異論があれば受け付けます。

 その説明の途中で、奈津が現れます。

 「奈津…!」

 そこに立っていたのは、派手派手衣装ですっかりパンパンガールになってしまった、変わり果てた奈津の姿。

 ふたりとも、凍りつきます。
 周防はやっぱりか…、というような表情で目を伏せている。

 糸子は奈津ににじり寄ります。

 「あんた…!」

 いきなり平手打ち。

 「何してんや? あんたいったい何してんやッ!」

 奈津を突き倒す糸子。
 奈津はほぼ無抵抗のまま、倒れてしまいます。 その上に馬乗りになる糸子。

 「借金して夜逃げして、何してんやッ!
 なんやこの格好!
 ゆうてみいッ! ゆうてみいッ!」

 奈津をぶち続ける糸子を止めに入る周防。 奈津はよろよろと立ちあがります。

 「関係ないやろあんたに!
 あんたになんか、なんも関係ないッ!」

 持っていた赤いバッグで糸子をひっぱたく奈津。

 「関係ない! 関係ない!」

 バッグを手に持って糸子をぶち続ける奈津。 周防が糸子に覆いかぶさります。

 「二度と来んな! あんたなんか…あんたなんか、なんも関係ないんやッ!」

 吐き捨ててその場から逃げ去っていく奈津。
 奈津にぶたれた頬に手を当て、いつまでも立ち尽くす糸子。

 奈津が 「あんたには関係ない」 という言葉を連発したのは、奈津独特の強がり、という見方もできますが、自分と関わるとヤバイ連中がついてくるから、糸子を危険にさらさないための方策であるようにも思える。

 そして、「うちのことはほっといて!」 というニュアンスを含みながら、「うちを助けて!」 という叫びも、そこに内包されている気がする。 そもそも奈津が、糸子や木岡、木之元のおっちゃんに容易に見つかるような、闇市でうろちょろしている、ということ自体が、「うちを助けて!」 というサインのような気がするんですよ。 つまり、けっして話がイージーじゃなかった、ということでしょうかね(自分で書いといて何だ…笑)。

 ともあれ、さまざまなことが読み取れる、という意味で、この場面は白眉の場面でした。
 どうしてこれだけのシーンで、いろんなことが読み取れてしまうのか。

 糸子はその晩、子供たちと寝床で川の字になりながら、いつまでも寝付くことができません。
 翌朝、「昨日はすんませんでした…」 と謝る糸子に、何事もなかったかのように微笑みを返す周防。
 糸子はその微笑みに、なんだか自分の心が、どこにあるか分からないような、微妙な表情をします。
 ホッとしているのとも違う。
 「なんなんやろう、あの人」「なんなんやろう、この感覚」 という表情です。

 また外光のなかで、仕事を続ける周防。
 どうもいつも、外光が絡んでるんだよなあ。

 そこに水玉のワンピースでやってくるサエ。
 イケメンの周防に興味津々です。
 けれども糸子は、サエのその反応に、何か疎ましいものを感じている。

 新しい時代に、女性たちの気持ちも一気に自由になって、開放的になっている。
 でもそれが、いい男を見ると見境なくウキウキしたりする浮ついた心を育てている側面も否定しきれない。
 糸子は、自分がよかれと思ってしていることが、何か間違っているのではないだろうか、という疑心暗鬼に囚われ始めているように、私には見えるのです。

 ここで糸子が独白するのが、当記事の冒頭に書いた、あのセリフです(あ~ずいぶんもう、上のほうだ…笑)(まだ土曜日分が、残っとるというのに…)。

 つまり最先端のモードを作って女性たちを幸せにしてきたつもりだった、それは間違うてない。 でも、服は服でしかない。 本当に不幸のどん底にいる人を救えることが出来るのは、直接差し伸べることが出来る、自分のこの手なんだ。

 糸子は周防のいなくなった部屋で、勝のミシンの前にそっと座ります。
 そして亡き夫がいつも回していたであろう、ミシンのハンドル部分に手をかけます。
 まるで夫に話しかけるように。

 「(力をください…。

 怖いけど…)………

 …頑張りますよって」

 このシーン。

 土曜日放送分を見てからこのシーンを見返すと、まるで周防に対して糸子がしゃべっているようにも思えるのですが、周防がこの部屋にいるときは、いつもそこには勝の霊魂があるような気がするんですよ。 その象徴が、あの外光。
 そして今週前半には、糸子に長年の夫不倫疑惑を捨て去る出来事を配していた。
 「頑張りますよって、力をください」 というのは、やはり夫に対してのセリフだった、と感じます。
 ただ、そのなかに糸子が意識しないうちに芽生えていた、周防への思いもあったことは、一概に否定できません。

 翌日。

 糸子は安岡の店にやってきます。

 「あんなあ…。

 おばちゃんいてるけ?

 話があるんや…」

 元気にあいさつをしたばかりの八重子の顔が、にわかに曇ります。

 糸子が玉枝と対峙する瞬間が、やってきたのです。





 ふぅぅ~。 土曜日放送分です。 実はここからが正念場です(ゲゲッ)。

 「上に…いてるけど…」

 構わず2階に上がろうとする糸子を、八重子が止めます。

 「なあ、どないしたんや?」

 「心配せんといて。 …ちょっと、頼みごとがあってな…」

 「頼みごと…」

 心配そうに2階に上がっていく糸子を見上げる八重子。 タイトルバックです。

 まぶしい外光の射し込む1階から、薄暗い2階へと上がってきた糸子。

 「おばちゃん」

 糸子は、障子戸を開けます。
 胸あたりに光が差し込み、顔を下から照らしているような玉枝の顔。
 必然的にまぶたの上のほうに光が当たるのですが、それがかなり、生気のない人形のような不気味さを醸し出しています。

 「はれまあ…糸ちゃんか…」

 それはあの、決別の日以来の玉枝のセリフです。
 消え入りそうなその声。
 ただ糸子のことを 「糸ちゃん」 と言ったり、「なんや、何しに来た」 と言わないだけ、敵意をそこに感じることはありません。
 思えばあの糸子を罵倒した時も、玉枝は糸子のことを 「糸ちゃん」 と呼んでいたような気がする。

 「うん…」

 糸子は部屋に入ってきます。

 「あんたんとこ…お父ちゃん、死んだんやってなぁ…」

 「うん…。

 …あと…。

 旦那さんと、…おばあちゃんも死んだで」

 「うん…。

 ようさん、死んだなあ…」

 かつて 「家族みんな元気で結構なこっちゃ」 と毒を吐いた玉枝です。 その因果を噛みしめているのでしょうか。 一筋の涙が、玉枝の目からこぼれます。

 「おばちゃん…」

 「うん?」

 「あんなあ…。

 助けてほしいんや…」

 「…なんやて?…」

 「奈津が、…パンパンなってんや…」

 「……体…売ってるちゅうことけ?…」 ちょっと驚いた表情になる玉枝。

 「…うん…。

 あの子な、戦争中に、店の借金で、首が回らんようになって、…お母ちゃん連れて、夜逃げしたんや…。

 どこに行ったか分からんようになっちゃってんけど、…こないだ闇市で見つけた。

 おばちゃん。

 このとおりや(居ずまいを正し、土下座する糸子)。

 奈津を助けてやってくれへんやろか?」

 狼狽する玉枝。 「なんで…、うちにゆうねん?」

 「奈津はな…。

 おばちゃんにしか救えへんねん…」

 「…ん…?」

 「奈津はな、…昔から、おばちゃんにだけは、弱いとこ見せるんや…」

 「は…。
 ほんなことあるかいな」 冷たく言う玉枝。

 「ほんまやっ!

 信じてえなおばちゃん!

 …ほんまなんや…。

 おばちゃんだけが、奈津を救えるんや…」

 「ほやけどあんた、…今のうちに、…人救う余裕なんぞあるかいな…。

 フン! アホらし。 ないわ、ほんなもん…。

 うちは、この通りや。

 ボロボロのグチャグチャや…(唇を噛みしめる玉枝)。

 (むこうを向き)帰って…。

 …はよ帰って…」

 また人形のような表情に戻った玉枝。

 このギリギリの折衝。

 見方によっては、糸子がどことなく安易に玉枝に救いを求めているようにも見えます。
 「おばちゃんだけが、奈津を救えるんや」 というセリフは、ちょっと間違えると安易のそしりを受けかねないセリフのように思える。
 ただここでは、糸子には奈津を救いたいという気持ちと同じくらい、玉枝に元気になるきっかけを、これでつかんでほしい、という思いもあるように、私には思えるんですよ。
 そして玉枝も、口ではああいって冷たく拒絶していますが、どこかで自分が立ち直れるきっかけが欲しいと思っている。
 だからこそ、数日後、玉枝は奈津のところに行こうと決心したのだ、と思うのです。

 八重子からの電話で安岡の家に飛んでいった糸子。
 玉枝は長年の寝たきり中心生活のせいで足腰が立たなくなっていたのでしょう、太郎におぶわれて、闇市の雑踏の中を糸子についていきます。

 「ごめんください」

 玉枝は奈津のいる粗末な小屋の戸を叩きます。 それを遠巻きから見ている糸子と太郎。 かなり危険なように思えます。 事実なかに入ろうとする玉枝は、何者かに突き飛ばされるのです。 祖母を助けようと飛び出してしまいそうになる太郎。 糸子がそれを止めます。 二人がもみ合っているうちに、玉枝の姿が消えてしまいます。 小屋の前まで来てしまう糸子と太郎。

 小屋のなかでは、奈津と玉枝が座っています。 衣装から見て、さっき玉枝を突き飛ばしたのは、奈津だったようです。

 「お母ちゃん、死んだんか…?」

 玉枝の問いに、力なくうなづく奈津。

 「大変やったなあ…」

 奈津は何も感じないことが悲しみを感じない唯一の方法だというような、人形のような表情です。 その点で奈津と玉枝は、共通項を有している。

 「勘助と、泰蔵もなぁ…」

 言いかけた玉枝の言葉に、戻ってきそうな人としての感情を拒絶するように、奈津はいきなり耳を塞ぎ、叫びます。 「嫌! …嫌や…!」。
 強がりだった自分が唯一あこがれていた泰蔵の死は、奈津にとってどうしても受け入れ難い残酷な現実であります。 なのに玉枝は、無情に言葉を継ぎます。 「死んでしもたよ…」。

 奈津は、泣き崩れます。

 「嫌や…!
 嫌や…!
 嫌ぁぁーーっ!」

 感情をなくした玉枝の言葉が、感情を捨てようとしている奈津の感情を、再び呼び覚まそうとしている。 なんという場面だ。

 「しんどかったなあ…」

 そしてここで、玉枝の感情にも再び体温が戻り始めていることを見る側は理解するのです。

 「あんたも…たったひとりで…つらかったなあ…」

 奈津の髪をなでる玉枝。 涙声です。 泣ける。

 玉枝は慰めながら、自分が体温を戻すきっかけとなったのは、人のことを思いやる気持ちによってだったのだ、ということに気付いたんだと思います(主観的な解説で申し訳ない)。

 木戸があきます。
 よろよろと出てきた玉枝。 奈津も一緒です。
 玉枝を太郎がおんぶします。
 おんぶ。 今週2ケース目ですね(笑)。

 太郎が玉枝をおぶって去ったあと、奈津は玉枝の持っていた杖を、黙って糸子に差し出します。
 無表情を装おうとする奈津ですが、それは昔の、意地っ張りの奈津の姿のように見えます。

 この顛末について、事態はなにも解決していないように思えます。
 けれども、絶望の淵から立ち直りつつあることが、何よりの解決なのだ、と私は思うんですよ。
 いくら事態が悪くても、絶望しなければ、浮かぶ瀬はいくらでもある。
 それを教えてくれるのは、やはり自分以外の誰か、なんですよね。
 自分ひとりで考えていては、いい方向になんか行かない。
 自分の頭のなかだけでブロック崩しをしてしまうと、四方八方に玉が飛び跳ねまくって、かなりのスピードになってしまってキャッチできなくなる(なんじゃその例え)。

 そして他人のことを親身になって考えることが、すなわち自分の行く先をも照らしていく光となる。

 情けは人のためならず、ですよね。

 それだけじゃなくって、結局自分を前進させる原動力って、やはり人を愛そうとする力、なんですよね。 あ、今週のサブタイトルになった(笑)。

 糸子は業務を終えた周防に、思った以上に力になってもらった、と何度もお礼を言います。
 「よかった…」
 「え?なんで?」
 「いや…。 なんか、最後のほうしゃべってくれんごとなったけん」
 「あ…」
 糸子は思わずクスッと笑って、「ほな…おおきに」。

 周防を見送った糸子。

 「(しゃべれんようになったんは、好きになってまいそうやったからです)」。

 エ? そうやったん?(笑) 私もニブいです(爆)。

 「(さいなら。 もう二度と会いませんように)」。

 ただ糸子が周防のことを好きになってしまうのには、かなりの伏線が振り返ってみればあった気はします。
 なにしろなにがあっても脈絡なくニコニコ笑っている、というのが、勝を想起させる。
 そう、周防には勝のイメージがダブるんですよ。 そしてそういうライティングの演出がなされている気がとてもしました、今週は。
 まあ顔はこっちのほうがイケメンですが(笑)。
 昌子も、なんか寒天菓子を食べている今週ラスト付近では、周防にハート型の目をしておったよーな気がいたします(笑)。
 糸子が 「もう二度と合いませんように」 とか、好きになったらアカンと考えているのは、やはり周防が女房子供持ちだからでしょう。
 しかもその女房、原爆が落ちても夫の靴を死守する出来た女房みたいですし。
 ただ次週予告にも、周防の姿はありましたね。
 泉州繊維商業組合長の三浦のカバン持ちをやってる以上、二度と会わない、ということは不可能に近いですよ。

 思い返せば、ハルおばあちゃんの死から組合加入、と状況的に激変だった今週。
 ひとつの時代が次の世代へと受け継がれ、糸子も大人になっていきます。
 どうにも毎週、死にそーになりながらのレビューになってまいりました(爆)。 最後はヘロヘロで、もっと書きたいことがあったような気もいたしますが、またいずれの機会にでも。

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コメント

今晩は。
いつも楽しみに、読ませてもらっています。

「カーネーションは」特に、リウ様の渾身の文章、何度も、繰り返して味わっています。
お忙しい中、本当に、ありがとうございます。

このドラマ、毎日の視聴でも、展開の速さ、鮮やかさに、感心しきりですが、
1週間分まとめてみると、その脚本、演出の手腕に、びっくりです。

そして、リウ様のレビューの的確さ、優しさ、着眼点にも、感嘆しています。
本当に、読める喜びを感じ、嬉しいです。

投稿: 勇者 | 2012年1月15日 (日) 18時00分

勇者様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

お気遣い下さり、誠に恐れ入ります。

私も半分道楽でやってまいりましたが、このところレビューに半日もかかってしまい、なんのための休日なのだろう?と思うことがしばしばです。

1日ずつレビューすれば簡単なのですが…。

ただ、このブログではあくまで誠実を旨としてやってまいりました。

勇者様のようなコメントをいただくと、誠に心強いです。

ありがとうございました。

投稿: リウ | 2012年1月16日 (月) 07時24分

いつも楽しく読ませてもらってます。
なっちゃんは糸ちゃんと同い年だと思うので、当時としてみたらかなり年増ってことですよね?ということは、こういう仕事も先がないわけで。益々哀れです。
当時は、政府主導で米兵向け慰安所が設置された事実なんかもあったみたいですし、戦争で身一つになってしまった素人女性が慰安婦募集にやむなく応じたケースもあったようです。

投稿: ヨッシー | 2012年1月16日 (月) 10時13分

リウさん

許されるんでしょうか。
時がたてば許してもらえる日が来るんでしょうか。

先週の、金土の回は何回も見てしまいました。
なんで、何度も何度も見返したかったのか自分ではよく分からなかったのですが、3回も見返してしまいました。

リウさんのブログを読んで気がつきました。
許す、許されるってどういう感じなのか

私は見たかったんだと思います。

私も、ちょっと事情を抱えていて
私はたぶん糸子の立場になるのですが

とある人を怒らせて
去らせてしまいました


ずっと後悔していますし
でも謝りににいくこともできず
結局許されなかったらもっと辛いと


安岡のおばちゃんと
糸ちゃんの
決して謝ったり許したりを言葉で言い表したわけではないシーンが

わけもなく泣けます。

月曜分を先ほど見たところで
うらやましいし
また辛いし

よかったね、糸ちゃん
と思いながら

自分のしたことをまた悔いています


すみません、感想とあまり関係がない部分なんですが
きっと。。。同じように心にわだかまりを抱えている人たちがこのドラマを見て
私のように涙を流してたりもするのかなぁと思うのが
唯一の救いです。

投稿: samantha | 2012年1月16日 (月) 12時01分

リウ様、
毎日毎日、当たり前のように見ているドラマの中に、「ああ、こんな部分もあったんだ」「こういう見方もあるのね」と、
再認識しながら読ませていただいております。

どんなふうにも、何度でも見ることができる、そして考えることができるのが、このドラマですね。

>この手
私は、女性が自立して生きるには、「技術」がなければという意味にとりました。
文字通り、手に職ですね・苦笑

それが糸子の子育てにも影響するのか、
そんなこと関係なく、母と同じ職業を選ぶのか。
3人姉妹の子育てにも、そろそろ焦点あててほしいと思いますが、その前に糸子のOO話がありそうですね。

投稿: マーシー | 2012年1月16日 (月) 17時14分

リウ様、こんばんは。
所用で、疲労困憊。コメントが遅れました。

パーマネントをした糸子。何処から見ても、まんまサザエさんですよね。小原家一同、キャスティングシフトして、
実写版「サザエさん」制作出来そうですよね。
もう一つ、大正時代のメンバーをシフトさせて、実写版「ジャリン子チエ」も面白そうです。
テツ:演・トミーズ雅。声・西川のりお

今週、ウルっとさせられた場面二題。
・静子、ハルに嫁入りの挨拶
その際の「帰ってきてどうする?」のセリフ。結婚に関する覚悟の程を、孫娘に諭す名場面でした。

年月を経て、女性陣の忍耐力は向上? それとも劣化? 安易に「帰って来い」と言う、女性側親の子離れ下手が、見苦しく感じるのは、自分の感性が古くなった証拠かな?

・奈津と玉枝の再会
互いに苦しい状態に居た二人。残酷な現実を受け入れられずに嘆く奈津。その背を摩る玉枝。二人の時計の秒針が、静かに動き出しました。
互いに寄り添う場面に感泣です。

(今日、安岡家に新たな光が降り注ぎ、新たな風が吹き始めました。嫁の報われた思いに、又々涙)

・糸子と周防氏の絡み
〇〇の表現で、責め立ててしまう視聴者の方々。現実とエンターテイメントの峻別が不足、且つキャパシティーが広くないと考えてしまいます。
或いはテレビコードという規制が、ドラマのダイナミズムを削ぎ落しているとも。嗚呼。

投稿: M NOM | 2012年1月16日 (月) 19時18分

ヨッシー様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が大変遅れてしまいました。 申し訳ございません。

なるほど、奈津ってこの商売をするには、かなり年増ですよね。

従軍慰安婦ならずとも、軍隊の男たちを慰安する女、というものが、当時はあたりまえだった部分って、すごくありますね。

自分の命をやりとりばかりしていると、性欲が抑えられなくなる、これも戦争の悪しき影響と思えます。

投稿: リウ | 2012年1月17日 (火) 11時47分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が大変遅れました。 申し訳ありません。

かなり勇気のあることを告白下さり、恐れ入ります。

人にひどい言葉をかけてしまった、というのは、人間生きていればまったくない、というほうが珍しいのではないでしょうか。

あまりにその程度がひどいと、もうそれっきり疎遠になってしまうこともあります。

ただ疎遠になってしまったとき、そこから何を考えるかで、人間の価値というものも決まってしまう気がいたします。

そのことで苦しんだり反省もせずまた同じ決別をし続ける人と、その人に与えた苦痛の代わりに他人にやさしくしていこう、と決意する人と。

samantha様がそのことでより一層他人に対してやさしくなれている、というのであれば、ひどい言葉をかけてしまったことはsamantha様にとって学習や成長の糧になっているのだ、と私は確信いたします。 このドラマを見て涙を流せるんですもの。

皆様からのコメントを読みます限り、奈津と玉枝は今週月曜放送分でもとのさやにおさまったかのようですね。

今回のドラマのように、その当事者(糸子)が過去の過ちをそのままに放っておかず、事態を修復しきれるっていうのは、実はとてもリアリティがなくて荒唐無稽なる話なのかもしれません。

でも作り手はあえてそれをしている。

それは作り手が、人生これまでそんな過ちを後悔してきた人たちに向けて提示したかった、ひとつのおとぎ話、とも考えられるのです。

許す許される、という状態は、実はその場限りではけっして効力が持続しない部類の取り決めのような気がいたします。

人から許されるためには、その人のことを親身になって考え続ける必要性がある。
人を許すには、何かと言えばまたほじくり返したくなる自分自身のサガと闘う必要がある。

私の言いたいことが、samantha様に伝わればいいのですが…。

投稿: リウ | 2012年1月17日 (火) 12時08分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が大変遅れまして申し訳ございません。

なるほど、手に職、ですね。

私は詩などというものを書いているせいか、「その人に自分の思いが伝わる」、ということを重視する傾向があります。

糸子にしても、自分の作った服で自由を肌身に感じられればいい、と思ってミシンを走らせている。 自分のしていることが女性を幸せにすることが出来る、という動機によって仕事をしていますよね。

私も、自分が詩を書いているのはなんとか自分と同じ悩みにいる人の慰めになりたい、違った視点での価値観を感じてもらうことで、幸せになれるきっかけをつかんでほしい、という動機で書いている部分もあります(すべてがそうじゃないけど)。

でもやはり、不特定多数の人々に向けて書いていても、実は処方箋というのは、その人その人によって違う。 きちんと心に届くかどうかは、やはりひとりひとりによって違う、と感じることが多いです。

糸子もそれと同じようなもどかしさを感じたのではないでしょうか。

それが、浮ついて浮かれているようにも見えるサエを見ていて、糸子が感じた限界だったのではないか。

この週後半の、糸子が奈津と玉枝を救おうとする話は、そんな限界を突破するには、やはりひとりひとりの心と向き合う必要があるのではないか、という作り手の主張を、私などはそこに感じたのですが。

このような考えもある、ということでご理解いただければな、なんて思います。

投稿: リウ | 2012年1月17日 (火) 12時19分

M NOM様
疲労しているなかでコメントを下さり、かたじけなく存じます。 返信が大変遅れまして申し訳ありません。

実は私もN NOM様と同様、疲労困憊気味でして…。

ここ2日ばかりはかなり忙しく、見たいと思っている 「平清盛」 も 「運命の人」 も、録画機のなかにうっちゃったままです。

「じゃりン子チエ」 をやるならば、チエ役は二宮星チャンの直子、でしょうかね。 や、同じ星チャンでも、糸子の幼少時代のほうがいいかな。 千代もお母ちゃん役でいいし、ハルおばあちゃんもそのままでいいし。

「安易に帰って来い、と言う」 のは、「お母さんだけはあなたの味方だからね」、という意識が生んだ偏愛のひとつ、なんでしょうね。

「自分はあくまで、自分の子供の味方だから、この子を死んでも守る」 という気持ちに作用してしまう。

「自分がかわいがっているからこそ、その子を突き放して成長させなければ、自分が死んだあとこの子はどうなるのか」、という意識に繋がらない。

後者の意識って、かなり 「野生の王国」 の世界ですけどね(例えが古い…)。

○○の表現、って、恋愛とか不倫、が中に入るのかなー。 すみませんね、隠しておけない性分でして。

だとすると、「不倫などはケシカラン」、という論調が 「カーネーション」 視聴者のあいだで巻き起こっているということかな。

なんとも舅姑根性ですね(誤解を招く表現ご容赦願います)。 ちょっと自分が気に食わないと、すぐに星ひとつにしちゃうレビュワーがヤフーの感想欄でも多いですからね。 極端すぎます。

投稿: リウ | 2012年1月17日 (火) 12時34分

リウさん。
お寒うございます。
巷ではインフルエンザが流行りだしてます。相変わらずお忙しいようですがお体お大事になさってください。


いや〜戦後篇
快調ですよね。


長きにわたった安岡のおばちゃんの苦悩の冬が奈津を助けることで春を迎えることができた…
安岡美容室の開店の明るさは『さぁ、前を向いて歩くぞ』と顔をあげた日本そのもののようでただただ嬉しかったです。


どん底を経験したことがある人であれば、自分を忘れて人のために動いた時、いつの間にか自分自身が救われていたことがきっとあるはずです。情けは人のためならず…ですね。


先週、あ〜とうとうこの時がきてしまったか…
ハルばあちゃんの静かすぎる退場はやはり寂しくてたまりませんでした。カーネーションでは人の死をさらりとながしてしまうので糸子のナレーションでハルばあちゃんの死を告げられた時には『えっ!』と絶句
そのあとの余韻たるや…
鰯ばかり炊いてた。おなごにはおなごのやることがある。風邪ひいたら重すぎる愛情布団。神戸へミシン借りに行かせた。殴るならうちを殴れ。ひしゃげたクリスマスケーキ。大丈夫、食べれる食べれる。

戦中加速度的に年取って弱くなったばあちゃん。
子供みたいにわがままなばあちゃん。
二階の窓から糸子に寄りかかって静ちゃんを見送った今にも消えそうな微笑みが最後のばあちゃんの姿でした。

大好きでした。ほんとに

ほんとのばあちゃんが逝ってしまったような寂しさでした。

自然とありがとうございます、と口にだして言ってました。

カーネーション、第一章が終わった。と感慨もひとしおでした。


で、戦後も一段落ついて

周防の登場で、なんか糸子の調子がミシンで目飛びするみたいになってます。岸和田のポンポンと小気味良い会話が、わりかしのんびりした長崎言葉でズレっズレっ…
テンポが
なんや
変や

これもあやさんの狙いなんでしょうね。実際のモデルは大阪の人みたいですから

ますます目が離せません(笑)

ところで、リウさんのレビューの合間合間のボヤキがツボでございます。ボヤク度に クスッと(笑)

書くのは大変でしょうが…
読むのは…楽しいです。ありがとうございますcoldsweats01

投稿: みち | 2012年1月20日 (金) 00時15分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

大変だ大変だとばかり書いていたら、コメントがさっぱり来なくなりましたcoldsweats01。 皆様私の体調を気遣ってくれているのだとよいほうに受け取って、有り難く感じております。 このところテレビドラマを見ていて感想がヘンな方向に行ってしまうのも、もしかすると仕事のことばかりでドラマに集中できてないことが原因なのかもしれません。

みち様には失礼してここで事情をお話しすれば、実は冬ドラマも予約を入れまくっていたのですが、HDD容量がいつの間にか底を尽き(忙しくてチェックする間もなく)録画出来てない新番組が続出。 さらに「カーネーション」 などは優先的に見なければならないため、せっかく録ってあった新ドラマも泣く泣く削除しまくり(DVDに焼けばいいのでしょうが、あいにくまたこれが調子悪くて)。

結局冬ドラマは 「運命の人」 一本で見ていくことにいたしました。 もし 「このドラマは面白い!」 というのがあれば、お教えいただきたいと存じます。

みち様、関係ない話で失礼いたしました。
先週 「スリム化を図る」 などと申しておきながら、その目的叶いませんでしたcoldsweats01。 みち様には喜ばしいことでしょうが、書くのに半日もかかってしまうと、さすがに限界はとうに超えております。

で。

告白してしまいますが、実は先週の月、火曜日分は、連休とか仕事がずれ込んだとかでリアルタイムで見てまして。

で、ハルおばあちゃんが亡くなったあとの喪失感が、かなり尾を引きました。 まさにみち様と同じように、走馬灯のようにおばあちゃんの人生が思い出されて…。

で、あのような長い感想になってしまったわけです。

1週間をぶっ続けで見ていると、ここらへんの余韻が味わえない。

けれども、1週間ぶっ通しで見ないと、私の場合記憶力が悪いですから、トータルで見えてくるものが分からなかったりする。

あまりにもいろんな角度から見てもまったく死角がないこのドラマ。 違った見方をすると違ったものが見えてくる。

また今週末も、断末魔をあげながらのレビューになってしまいそうです(ハハ…)。

投稿: リウ | 2012年1月20日 (金) 08時14分

>コメントがさっぱり来なく
ここのゲストはみなさん、心優しい方ばかりですね。
リウさまはどんなコメントにも誠心誠意、きちんと返事くださる方だから、遠慮したんだと思います。
もう体調はよろしいのですか?
無理なさらないでくださいね。


横の情報です、
「マリリン 恋の7日間」に、「大聖堂」のジャック>エデイが相手役で出演。
彼は、「黄色いハンカチ」のハリウッドリメイクにも出ていたんですね。
日本版では、武田さんの役ですよ・爆
KYな男の子を好演しているそうです。

また、「シャーロック」のカンパーバッチは「戦火の馬」に出演。

両方とも3月に日本公開です。

アメドラも、不景気になってからドラマの質が落ちました。
深い内容がなくなって、少年マンガみたいなドラマばかりで、最近は「Law&Orser」(本家)しか見ていません。これも2010年に打ち切りになったので、楽しめるのもあとわずか・・・。

投稿: マーシー | 2012年1月20日 (金) 08時56分

マーシー様
コメント連投、ありがとうございます。
本当に、お気遣い下さりっぱなしで恐縮です。 コメント欄もこまめにチェックされているようで、「さっぱり来ない」 とか不用心なことは書くべきではないですねcoldsweats01
このところ寒い日が続きますので、マーシー様にもおからだを大事になさってください。

コメント返信も、やはり同等の長さのものを書かないと、失礼な気がいたすもので…。 もしそれが重い、とお感じであればcoldsweats01配慮して返信いたしますので、ご遠慮なくお申し付けください。

「戦火の馬」 はCMを見ました。 マーシー様のアンテナは相変わらずのようです。 なにしろ深夜の傑作映画まで嗅ぎ分けてしまうくらいですもんねhappy02

「Law&…」 は、評判だけは伝え聞いているのですが、本家とか分家とか元祖とかあるんですね(笑)。 「CSI」 は本家よりもマイアミのほうが面白かったりしましたけど…(感想には個人差がございます)。

ユーロも危機なので、ヨーロッパ方面のドラマも期待できないかもしれませんね。

投稿: リウ | 2012年1月20日 (金) 13時35分

はじめまして。

>そして長崎弁から、言葉が分からなくても、三味線で分かりあえる、という話をしながら、

このドラマは、言葉だけではなく、間であったり、光や音・・・空気で、多くのものを語りかけてくれます。


後悔しないように、一生懸命に、相手のためを思って・・・
いつの間にか、言葉だけが独り歩きしていく。
気がつけば、脛に傷のひとつやふたつ・・・いやいや、数えきれん・・。

闊歩しているときには、気にも留めなかった古傷が、50を半ば過ぎた今、ちくちくちくと疼きだします。
自分だけが取り残されたような、自分だけが貧乏くじをひいたような・・・。

このドラマは、そんな「自分だけだったもの」を、鮮やかに映し出してくれる。
「そうだよなあ。人って、そうやって生きていくんだよなあ。」と。
今までの自分のたどった道がいとおしく感じられる。


でも、そこまで思えるのは・・・。ひとりでは無理なのです。
言葉が見つからないから・・・。
ある程度の共感やのめり込みはできても、それ以上はいかない。
うまく咀嚼できないのです。

「よかれと思って」
「おとぎ話」
カプセルに入っていたドラマのエッセンスが、リウ様の「生きた言葉」によって、一気に溶ける。
口いっぱいに広がる芳醇な香り。

ありがとうございます。一度、お礼がしたくって、お便りしました。
季節柄、おからだご自愛ください。

投稿: oka | 2012年1月20日 (金) 23時41分

リウさん。

ワタシもHDDの容量が限られてきて(カーネーションまんま撮ってあるため)せっせとDVDに落としてる最中でございます。

オススメなんですがカーネーションで目が肥えてしまってて、一通りチェックはしましたが続けて見たいと思ったのは『運命の人』と『聖なる怪物たち』だけです。

『聖なる』はタイトルにひかれて見ましたが、中谷美紀さん演じる看護師長がいやはや迫力ありました。
テーマは代理出産にからむどろどろ系の人間ドラマ、と言う感じです。

主人公は岡田将生さん演じる人がいい研修医なんですが、どろどろに足を掬われていく巻き込まれ型。

ドラマ冒頭どしゃ降りの雨の夜、緊急出産で運び込まれた妊婦を窓越しに凍てつくような目で見つめる中谷看護師長の画から始まり『これは…』と一気に引き込まれました。

聖職者を標榜して憚らない教育産業の御曹司、長谷川博己さんも一見良さげな印象ながらどんな怪物なのか、興味がわきました。

説明がうまくなくて申し訳ありません。

投稿: みち | 2012年1月21日 (土) 02時53分

横レス失礼致します。

Samantha様。

差し出がましくもうしわけございません。

実はワタシお互い親友だと思いでいた友人から『アンタ、バカか?それとも相当ズルいんか!』と罵倒され、それっきりの関係になった人がいます。
もう7年前になります。

それはほんの些細なこと(ワタシにとっては)が発端でした。
当時、会社が倒産し転職に四苦八苦していた頃、もともと姉御肌で面倒見がいい彼女の誘いでまた同じ会社で働くことになりました。
彼女は同じ歳の独身者。ワタシはまだ小さい子供がいる主婦。
新しい会社で彼女がリーダーとしてチームで営業してたんですが保育園のお迎えやら子供の急病やらでみんなの足を引っ張る存在でした。
…そのうちみんなの手前庇いきれない、みっちゃんはお母さんであることに甘えてる、と言われその会社も結局退職しました。

彼女とはそれでもプライベートでの付き合いが続いていました。それからまた営業の仕事に就いたのですが、その営業先に前職の会社を訪ねたところ先の罵倒を受けたのです。

どうやら彼女の会社での立場が悪くなっていて、そこに嘗て足を引っ張る存在だった奴がノコノコ営業しにやってきたものだから、皮肉を言われたらしいのです。


どうしてそこまで言われなきゃならないのか全くわからなかったけど、いわゆる恥知らずだと思われたんでしょうね。


ショックでした。


でもSamantha様のコメントを読んで(全くのお門違いでしたらごめんなさい)もしかしたら彼女も後悔したことがあったのかもなぁ…と思いました。
彼女のケータイもアドレスも未だに削除してません。あんなにショックだったのにね。もう使われていないかもしれないけど。それでも何故か消せないんです。


とんちんかんなコメントですいません。

投稿: みち | 2012年1月21日 (土) 03時39分

oka様
こちらこそはじめまして。 コメントを下さり、ありがとうございます。

文面から察しますに、私よりご年配のかたであるとお見受けいたしますが、私の拙いレビューを評価してくださり、誠に恐れ入ります。 深く感謝申し上げます。

私も、人生というのはひとのために一生懸命になることであると同時に、ひとを傷つけていくことの連続なのだ、と感じています。

そのたびに自分の心の身勝手さを反省しながら、人生のひだというものは織り刻まれていくものなのではないでしょうか。

何かをしてあげても、そのことをいつまでも覚えていてくれる人はまれだ。 いつまでも感謝を忘れない人はまれだ。

逆に、ほんの些細なことでも、傷つけられたことだけは、ひとというものはいつまでも忘れない。
そのことに対する怒りや恨みを消せないでいる人のほうが圧倒的に多い気が、私はしています。

「自分はこれだけ相手のことを思いやって頑張ってきたのに」 と、とてつもない無力感を味わうことはしょっちゅうですよね。

でも、「自分は世の中の誰とも関係ない、自分ひとりで生きている」 なんて考えながら生きるよりも、誰かのために生きている時のほうが、よほど生きる力の支えになる気がいたします。

だからそれがいかに独りよがりのものであっても、やっぱり日々生きていけることに感謝し、人のために何かをやり続ける人生を、送っていたいものだと、私は考えます。

oka様も寒中、おからだをお大事になさってください。

投稿: リウ | 2012年1月21日 (土) 12時03分

みち様
再コメント下さり、ありがとうございます。

DVDに焼けないというのは非常にキツイです。 かといって修理するより最近じゃ新しいの買ったほうがよほどましだし、新しい録画機を買う余裕もないし…。

「聖なる怪物たち」、幸いなことに予約録画が残っておりました! レビューする余裕があるかはとても微妙ですが、とりあえず優先的に残してあとでじっくり見たいと思います。 その前に今週分の 「カーネーション」 のレビューがこれから控えておりますが…。 「平清盛」 も 「開拓者たち」 も、「運命の人」 も目白押しだし…。 特に 「清盛」 の第2回目をまだ見てないっつーのは自分的にちょっと不本意です。

岡田クンと言えば、その 「清盛」 のナレーションではないですか? 中井貴一サンも民放の冬ドラマで主役だし、ちょっとイメージがかぶるようなことは控えてもらいたい気がいたしますね。 少なくとも以前ならば、役者さんたちは大河ドラマで、自分の出番がなくなったあとでほかのドラマに出るとかいう配慮はしていたと思うのですが。

生活キツイのかなcoldsweats01

長谷川博己サンは、「運命の人」 にもご出演中ですが、こちらも同時多発的ですね。 大河じゃなきゃいいか(その点でも自分が大河ドラマを別格視しているのが分かります)。

それと。

横レスの横レスで申し訳ありませんが、またまた書きにくいことをお書き下さり、恐縮であります。

軽々しくものを申せませんが、私もみち様とだいたい同じ年齢なので、これまでの人生で人からひどいことをされ、人にひどいことをした経験が、やっぱり出てくるんですよ。

清廉潔白で人生を送りたい、なんて若者のころは考えていたんですが。

いろんな会社の倒産を見てくると、人生ってそれだけで予定外の模様がついていってしまう。

ようは、そこから何かを感じ取り反省し学んでいけるかどうか、だと私は考えます。

差し出がましい口を聞いてしまって申し訳ないのですが。

他人と押し合い引き合いしながら、人生というものは寄せ来る波のようです(詩人みたいなことを言っとる…笑)。
でも同じ波打ち際にいるだけでは、進歩というものがありませんよね。
人の気持ちが分かんない老人にだけは、なりたくないもんです。

投稿: リウ | 2012年1月21日 (土) 12時28分

さて再見レビュー、第15週。
冒頭のモノローグ、第25週でもやってましたね。

しかし糸子のおばちゃん化に合わせて子役キャストがごっそり替わったのは短期間で観ると違和感(笑。2年が経過する16週まで引っ張っても良かった気もしますが、14週までの太郎が玉枝さんをおんぶするのはキツイものがありますものなぁ…。優子までおかっぱで三人纏めて騒いでる時期なので(喧嘩ばかりの優子&直子が聡子に対するスタンスは同じという基本は徹底しているものの)個性の違いも曖昧。
二宮星ちゃんの「堪忍」はアドリブだったら凄いですが朝ドラの人気作、話題作で子役再登板はお約束。「ふたりっ子」で麗子&香子を演じた三倉姉妹は麗子の娘役を再演。成人後に「だんだん」(2008年)でW主演でしたが作品評価はイマイチ。「あすか」(1999年)で主人公の子役と娘役をこなした榎園実穂さんは優子の初のお客さんである妊婦さん役など、やはりマイナー化?茂山(弟)さんは「京、ふたり」(1990年)で子役レギュラーでしたが、これは元の作品自体が不評だったそうなので栄之助役は中空飛行な気がします(笑。

>静子
サブヒロイン四天王(後は八重子さん、昌ちゃん、孝枝さん)の一人退場。柳生みゆさん、数年後に朝ドラ主演が回ってきたりしませんかね…。三姉妹編で再登場した時には台詞無しだったのは若さが出てしまうから(笑。それで敢えて出したのは糸子が優子と直子の関係を理解できない理由を示すためですね。今回の一件を見ても静子は基本、姉を立てる性格で糸子はそれに慣れてしまっている。上の世代における人間関係の皺寄せって、晩年の里香にも当てはまるなぁ…。
千代さん以外にはハルさんも知ってたかな?(静子が口紅を持っている事をしっていた)相手も次男三男でしょうね。長男だったら出征前にとりあえず入籍ですから。

>糸子も長崎の人としゃべるのはこれが初めて
この辺も終盤を読み解く鍵ですね。
前半は脇役まで「関西の人」という感じで、何気ないやりとりでも笑いを取っていた(パッチ屋やモンペ教室におけるサエ対他の女性陣等)のが終盤、薄くなってしまう。やはり、庶民の活動圏が拡大して地域ごとの土着気質が弱まった事を示している。
そんな中でも相川総婦長さんや孝枝さんのキャラは生粋の関西人らしくて結構、面白いわけですが。

投稿: 巨炎 | 2012年8月19日 (日) 16時00分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「平清盛」 にしてもそうなんですが、どうもキャスト交代、ということに関して、NHKサンはかなり苦慮しているように感じます。

そしてその、交代の違和感を限りなく後押ししている、と思われるのが、「俳優たちに老けメイクをなかなかさせない」、ということに尽きる、と私は考えています(オーゲサな物言いですが…笑)。

これは単に俳優サンたちの意向によるものなのか、老けメイクがこのハイビジョン時代には馴染まないのか、それは分かりませんけど。

夏木マリサンのように、特殊メイクまでする、というのは、おそらく夏木サンの役者根性によるものが大きい、と感じますけど、特殊メイクって、結構お金がかかるのかなぁ? それで敬遠されるのかもしれないですね。 手間がかかるし。

特にこの週の静子、みたいなケースでは、かなり判断が難しい気がいたしますね。
30歳らしいから、白髪とかをメッシュするのもまだ早いし。
でもこの人、かなり童顔だったから、何かしらしないとすごく周囲とアンバランスでしたよ(笑)。

私の記憶では、夏木糸子編に静子って、出てこなかった気がするんですが、巨炎様、いかがでしょう?

しかし夏木糸子編、北村とか三浦とか松田とか、アクの強いキャラはとうとう出てきませんでしたね。
これも、「昔のほうがオモロイ男がようけいた」 という渡辺あやサンの、現代人に対する失望がうかがえる部分であるかもしれません。

それにしても静子と恋人との路上抱擁。

これってやはり、まだ時代的にはかなり早い気がします。

やはり戦争という出来事を通過してきたからこその、再開の喜びの表現だったと思うのです。

路チューなんて、つい20年くらい前からですよ、騒がれ始めたのって。

投稿: リウ | 2012年8月20日 (月) 08時12分

>老けメイク
ホント、どうなんでしょう?尾野糸子も存在感は「ゲゲゲ」の女房より上でしたが、50歳を越えてからの容姿に関しては白旗。本作では「幅広い年代を無理なく演じた」麻生サンと「老いに対する拘りを極めた」夏木サンが二強でしょうか。
静子は晩年、出てないと思います。個人的には直接、出さないまでも第23週に年賀葉書などで「疎遠になりながらも、多少のやりとり」を演出して欲しかったかな?

>渡辺さんの失望
他所で言われているのですが、設定で「男尊女卑」をやりながら作劇的には「女尊男卑」だったのではないかと。善作の存在感が小林さんのアドリブ演技に起因する所が大きかったとすれば、後の面子は「イケメン」「愛すべきヘタレ」に二極化される傾向が強かった。この辺が女性脚本家が男性を描く限界かもしれません。
まー、現代パートも守とか院長先生(←90年代に浅見光彦やってますね)とか面白い事もありましたがあくまで孝枝さんや総婦長さんとの絡みという形でしたね。譲は第147回の性質を考えれば、あまりキャラが立っても困るのですが、栄之助は茂山(弟)さんがそのまんまのイメージ?

「清盛」がお休みだったためか謎ですが「ちりとてちん」の総集編再放送やってましたね。江波さんが義娘を「糸子さん」と呼ぶのが何か笑える。「ふたりっ子」の双子⇒本作のA子とB子⇒「カーネーション」の優子と直子へと系譜がうかがえますが、猫被った優等生に対するツッコミ役は直子で初めてなため、前の二作は作劇的に不備を感じます。

投稿: 巨炎 | 2012年8月20日 (月) 09時37分

巨炎様
レス下さり、ありがとうございます。

「カーネーション」 の男たちについて、二極化の傾向にある、という巨炎様のご指摘は、とても興味深いですね。
そのカテゴリーからいちばん逸脱していたのは、譲のお父さんだったかな?(アレ栄之助だったっけな?)
フツーの、至極まっとうな人生を送った、という感じでした。

私が思い返す限りでは、晩年の糸子はもう、子供ら以外は全部死んじゃってる感じに見えてました(笑)。 周防でさえ死んでましたからね。

だから奈津が生きていた、ということに、比重がかかってくるんですよね。 糸子の喜びが、それで増幅される。

夏木糸子編での糸子と奈津との会話は、本来あの世で行なわれるべき会話の、前哨戦のように思えます。

いろんな出会いがあって、自分がこの世で生きてきたことになるのですが、死んでゆく人たちは、「ほなお先にあの世で待ってんでー」 と言いながら、糸子と別れていくわけですよね。

奈津との出会いは、図らずも糸子にその予習をさせてくれる場となった気がするのです。

そして糸子は、この世で自分の果たすべき、古くからの知己への義理を果たそうとする。

奈津は奈津で、ラストに糸子の物語をテレビ桟敷で見ることで、糸子へのこの世での義理を果たそうとしている(江波杏子サンでなくて、直子の実のおばあちゃんだったらしいですけどね)。

やっぱり夏木糸子編がないと、このドラマは中途半端な深さで終わっていたところでした。

投稿: リウ | 2012年8月21日 (火) 07時25分

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