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2012年1月29日 (日)

「カーネーション」 第17週 どこで自分は道を間違えたんだろう

 …

 参りました。

 言葉が出てきません。

 こういう時に引き合いに出すのは憚られるのですが、「風と共に去りぬ」 のスカーレット・オハラも、自らの勝気な性格によって不幸になっていく様を描かれておりました。
 けれどもラストでは、「明日は今日とは別の日なのだ」 と傷ついた心を奮い立たせていた。
 このドラマでの糸子・オハラは 「うちはまた前に進みます」 と 「こんなことなんかなんでもない、人からどう思われようと自分は自分の信じた道を行く」 と決意表明をした。

 「風と共に去りぬ」 がどうして今日に至るまで名作と謳われているのか。
 それはスカーレットがどうしようもない性格だ、と批判する人たちによってではない。
 人間はみな、道を踏み外すこともあるんだ、人から後ろ指さされることもあるんだ、そして困難を乗り越えようとした者だけが、生きていくことができるんだ、と理解している人たちによって、なのです。

 今日では、「あまりに苦しいのならば自ら死んでしまってもいいではないか」、という思想が台頭している気がしてなりません。

 私は考えるのですが、死んでしまって終わりならそれでもいいかもしれない。
 でももし死んでみて、死後の世界があったとすれば。
 その世界に入り込んだ自分は、「初めから負けている」、のです。
 初めから負けた人間が、死後の世界でまた一から出直し、なんてことはあり得ないと思う。 気持ちがすでに負けているんですもん。
 負けた人間は、どこまで行っても負け続けです。
 血だらけになろうと、立ち上がる気力など一切残っていなかろうと、人はいつかは、前に向かって一歩、歩き出さねばならない。

 自殺をせずに生き抜いて、人生ようやく終わりを迎えようとするとき、客観的な状況から見て 「とてもじゃないけど幸福とは言い難い」、と思えるようなていたらくだって、逃げずに最後まで寿命をまっとうした、ということは、その人の魂にとって最大の宝になるのではないでしょうか。

 話はだいぶそれました。

 このドラマが不倫を主題にし始めたときから、口さのない人々は 「朝からこんなものを見せるとは何事か」「糸子に共感できない」、と批判をしだしました。
 また、ドラマ的な体裁をその人なりに冷静に見ている人たちも、「ドラマの出来自体が悪くなっている」、という批評をするようになった。

 実際その人たちの言い分はほぼすべて当たってるんじゃないかと思います。
 不倫などというものをすることによって本人ではない、まわりの人々がことごとく不幸になっていくのは事実だし、ドラマ的な体裁から言っても、最近ちょっとどことなく安易にそのセリフを言わせ過ぎるかな、というのは、私も感じていた。

 けれどもひとりの人間の人生というものを考えると、幼少のときから若者としての時期を経て、ひとかどの位置にまで来るのには、そりゃためらいというものはあまりない。 イケイケドンドン、ですよ。
 でも人生のぼりつめたとき、ある程度年齢を経たときからが本当の価値が決まるような気がしてならないのです。 そこからが問題だ。
 そこからの話をどう描こうと、そりゃ迷走しているように見えるもんでしょう。

 ドラマを鑑賞するとき、リアリティというものに拘泥され始めると、作り手の言いたいことの、その先にあるものを見る目が、曇ってくることがある。
 作り手は常に、自分の表現が説得力あり続けることを願うし、見る側はいつまでも自分の思ったレベルでドラマが展開してくれることを願う。

 でも人生は、そんなに自分の思ったように、進まないものなのです。

 なんだかんだとやってきて、ある時ふと、後ろを振り返ると、「自分はどこで道を間違えちゃったのかなあ…」 と思うことがある。

 まあ自分の描いた未来とか夢とか、そいつに向かって何がなんでも一心不乱にやってきたわけじゃないけど、いろいろ流されながらも生きてきたけど、ふと振り返ると、「これでよかったんだろうか?」 って思うことだらけ。

 そんなときに 「まあいっか」 と思えるのは、自分にそれなりの経済力がついてたり家族があったりするときなんですが、人間はそうして、自分のやっていることに一定の納得をしようとする。

 このドラマは、それを描くことから、逃げてない。

 主人公が間違えていくドラマ、というものは過去にもそりゃあったのですが、今回のこのドラマはそれをとても庶民的なレベルで身近にものとして実感させられる、という点で、それらのどのドラマよりも上質だと思うし、リアリティにあふれている、と思うのです。




 げ…。

 これ、前フリかよ…。
 あ~も~ヤダ~。
 レベルが高すぎる。
 どうやってレビューせいっちゅうんじゃ。

 思えば今週は、晩年の糸子役が尾野真千子サンではなく、夏木マリサンに交代する、という衝撃的なニュースが駆け巡りました。
 つまりラスト1カ月も、このレベルの高さを保持しよう、とする作り手の気迫が、あらためてめらめらと燎原の火のように燃え広がっているのを実感する。
 老けメイクでは絶対無理なことを、作り手はやろうとしている。

 レビューするほうは、…かなんなぁ…。



 月曜放送分。

 抱き合う糸子と周防。
 ドアを蹴る音がします。
 北村が、それを目撃したのです。
 糸子は北村の気持ちなんか分かりませんから、「開店の日にこんなことをした」 というのがまずかったのだとばかり思って慌てますが、周防は北村の気持ちも分かっているかのように、自分が話をつける、と糸子に言います。

 気持ちが火照ったまま帰ってきた糸子。
 台所の千代が 「あんた、なんや、きれなったなあ…」 と目ざとく指摘します。 血の気がちょっと引いたような糸子。 「(お母ちゃん鋭すぎ…)」 といったところでしょうか。 化粧してるからやろ、となんとか自分の動揺を見透かされないよう言い訳をします。
 この千代、そんな恋の予感をキャッチしてから、今週はやはりさりげなくその心象の推移が描かれていく。

 鏡に映った自分の顔をまじまじと見る糸子。
 千代が指摘するまでもなく、もう紛れもなく、恋する女、の顔なのです。

 その洋服のまま店に出だす糸子。
 なにも知らない昌子や松田恵は 「似おうてます」「カッコええわ」 と褒めちぎる。
 本来洋服屋であるオハラ洋装店、店主が洋服を着るのは理に適っているのだから当たり前です。
 でも糸子が洋装をし出したのは、どちらかというと周防に見せるためではなく、自分が輝いていたいから、という動機のほうが強い気がする。
 いつも輝いていれば周防だってますます自分のことを気にいるだろうし。

 糸子はそんな自分をきれいに見せたいがために、自分のために洋服を縫います。
 幼いころのアッパッパ以来、と糸子は独白します。
 ところがこの、自分のための洋服がすこぶる評判がよく、「自分の分はあとからようさん作れるし」、という理由で、糸子はモードを大量に生産していくことになる。
 当然、店の経営は潤沢になっていきます。

 でも、「(ピアノは)買えへんけどな~」(笑)。

 昭和23年5月。

 糸子は組合長の三浦に呼ばれます。

 三浦は糸子の匂い立つような洋装に、すっかり心を奪われます。 セクハラのひとつでもかましたいところでしょうがそれはなく(とーぜんか)、話の本題に入ります。

 組合長の言うことには、周防と糸子が手を組んで北村から金を巻き上げた、という噂が立って、もうどうにも火消しが出来ない状態になっていると。
 北村は周防をクビにしたけれども、噂のせいでどこも雇ってもらえず、周防はいま日雇いをしているらしいのです。

 三浦ははっきりと口に出しては言わないけれども、それが周防と糸子の不倫が発端であることを匂わせていく。
 糸子はそのよからぬ噂を流しているのが北村だ、と即座にピンと来るのです。
 三浦は北村の気持ちもすでに理解している模様。 彼を責めることはできない、というスタンスです。

 「あいつ(北村)はあんたに惚れとったんや」

 「はあっ?!」

 相当ニブい糸子であります(笑)。
 三浦は周防の気持ちも聞いてみた、と言います。 「どないするつもりや」 と。
 そしたら周防はなんと答えたか。
 三浦はいいとこまで言っていきなり口をつぐみます(笑)。 「なんてゆうたんですか?」 と思わず身を乗り出す糸子(笑)。
 散々気を持たせといて(笑)、糸子もいったんは大きな声出して遮っといて(笑)バッチリ覚悟を決めてから(笑)聞いたその返事。

 「アイツな…。
 あんたのこと本気で好きやて。

 せやけどな、今のかみさんと別れることは、絶対でけへんて」

 原爆症に苦しむ妻を介護するのは自分の運命だからそれを投げ出すわけにはいかない。 でも自分が苦しい時は、糸子にそばにいてほしい。

 「…

 …なんや…聞かんほうがよかった…」

 糸子は涙ぐみます。
 自分の思いが通じたことがうれしかったのか。
 周防にそれだけ思われていることがうれしかったのか。
 糸子の涙ぐましいその心情をよそに、三浦は便秘が治ったような顔をして言うのです。 「そやけどワシ、ゆうてスッキリしたわあ…」(爆)。

 「殺生な…」 泣きながら笑ってしまう糸子。
 このドラマの真骨頂ですよね。
 泣きながら笑わせる。 笑いながら泣かせる。

 席を立った糸子に、組合長は戸口まで送りがてら、このようなことを言います。

 「わしももう60や。

 人の道だけは絶対に外れたらあかん。 そう思うて生きてきた。
 いっぺんも外れたことないか?ちゅうたら、そうとも言い切れん…こともない。 …ことはない」

 「ある、っちゅうことですか?」

 「う~ん…。

 どうにか、踏みとどまってもやな。
 ああ、どうにもならんと思うて外しても、…結局は…」

 このとき周防が部屋に入ってくるのです。
 呼吸が止まる糸子。

 また 「はぐらかし」 でたたみかけてきたこのドラマですが、冷静に振り返って組合長はこのとき、なんと言いたかったのでしょう。
 「結局はなるようにしかならん」、ということでしょうか。
 でもここでの組合長のセリフに共感するのは、「誰でも長く生きていれば、後ろ暗いことのひとつやふたつには遭遇する」、ということです。
 その悪事は大っぴらになるかもしれないし、みんな墓場まで持っていく話になるのかもしれない。
 けれどもそんな後ろ暗いことを見つめながら、人はやはり前を向いて歩いていかねばならない、ということを、結局今週の 「カーネーション」 は結論づけた、そんな気がするのです。




 火曜放送分。

 そこで周防と偶然ばったり会ってしまったことに、糸子は運命みたいなものを感じてしまっています。
 これ分かるわあ。
 自分に何の縁もゆかりもない人なら、どうやったって会わんもんです。
 ヤケに相手の波長と合ってるよ~な錯覚(笑)。 偶然みたいな会い方をしていると、そう思いこんじゃうところってありますよね。
 でもこれも、チューボークラスの恋愛方程式であり。
 帰り道、周防が追ってきてくれているのではないか、と後ろを振り返る糸子。
 年端の行かぬ乙女のようないじらしさなのですが、現実にはそーゆー少女マンガのよーな展開はあり得なかったりする(笑)。

 自分の店に帰ってきた糸子が見たのは、セルフサービス方式の露店。 娘たちがピアノ購入代を捻出しようと画策したのです。 名づけて 「オハラ小物店」(笑)。 全品1円(笑)。
 千代はこの、孫たちの涙ぐましい努力を応援してやろうと、糸子によって強制撤収させられた(笑)オハラ小物店の売上代金を肩代わりするのですが、これは結局裏目に出てしまって(笑)。

 しかしこの、なんてことはないシーン。

 千代の孫たちへの優しいまなざしと、ちょっと足らないボケ加減がミックスされて表現されていて。 うまいんだよなあ。
 そのうえに千代の、糸子への 「ぼんやりとした不満」(芥川…じゃなくって…笑)が蓄積されていく様を描写する。 つくづく見事です。
 そしていったんはその、オハラ小物店の商品(直子が作ったバッグ、優子が作った着せ替え人形の洋服、聡子の作った福笑いとか)に感心してしまう糸子を描写することで、この恐るべき三姉妹の才能の黎明を描写してしまう。
 ちょっとした場面にここまでのエッセンスを凝縮すること。
 これもこのドラマの、もうひとつの真骨頂だと思うのです(骨頂だらけやがな)。

 で、三姉妹は千代に騙された格好なのですが、「自分たちの作ったものが売れた!」 という喜びで、夜遅くまでオハラ小物店のあらたな商品を開発し続ける(笑)。 糸子は自分の過去は神棚に上げて(笑)娘たちを叱り飛ばし、さっさと寝かしつけようとします。
 そのときに出てきた、千代が買い受けたオハラ小物店の商品。 千代はそれを娘たちの目の届かないところにしまうのを、忘れていたのです。 娘たちは大いに、がっかりします。 そしていきなり、その場にダイ・イン(爆)。

 お母ちゃんの間抜けっぷりをネタにお客と笑っている糸子、かかってきた電話に昌子が完全に舞いあがってソプラノ歌手みたいになってます(笑)。 周防から 「会いたい」 という電話です。 かなり動揺する糸子。 それを悟られまいとする仕草がかわいい。 昌子は完全に酸素が足りなくなってます(笑)。

 いそいそと着ていく服を選ぶ糸子。 ふと気付くと、「ピアノこうて」 のこよりが(笑)袖わきとか服のあらゆる部分からスルスルと出てくる(ここで夢見るようなBGMがまたストップすることにも、再び注目です…笑)。
 娘たちはオハラ小物店をあきらめて新たな作戦段階に入った(笑)。

 ただここでの糸子の反応。
 怒るでもなく笑うでもない。
 困ったような表情なのです。
 簡単に考えれば、「ここまで娘たちがやるのなら…」 というようにも見えるのですけど、不貞行為っぽいことに突っ走ろうとしている自分とどこか、娘たちの一直線さが重なってしまったのかもしれない。

 今週のこのドラマを見ていて感じたのは、そんな 「母と娘の精神構造のリンク」 でした。
 最初は善作と自分との関係がそのまま自分と娘たちとの関係にリンクしたような感覚だったのに、娘たちには自分の強引さが確実に引き継がれている。
 それを感じさせる決定的な出来事を書くのに、あとどれくらいかかるんだろう…。

 珈琲店 「太鼓」。
 相変わらず平吉はいなくて、マスターだけです。
 糸子はそのマスターにココアを注文するのですが、そのまずさに辟易した模様。 「これココアちゃうで」。
 周防との逢瀬を描いた 「太鼓」 のシーンで、気になったのがこの、上記2点。
 当時の喫茶店の需要を考えると、却って平吉とか人手が欲しいくらいなんじゃないか、と思われるのですが、彼はいない。
 やっぱり戦死したのか。
 どうにもサイドストーリーが気になる。
 そしてどうして、「このココアはまずい」 という糸子の反応に、マスターは無言だったのか。 闇市での商品だから質が悪かったとか? 気になると夜も眠れません(笑)。

 このドラマ、こういうところにあくまで不親切なんですよね。
 レベルは違いますが、人が死んだところをやらないのも、「そんなところでお涙頂戴しなくても別のところで寂しさとか悲しさは表現できる。 自分が表現したいのはそんな通り一遍のことではないんだ。 想像できるところは見るほうで想像して」 という、作り手の強い意志を感じるんですよ。
 このドラマを批判的に見出した方々にとってみれば、そういう不親切も却って鼻もちならなくなってくるのかもしれないですね。

 とにかくこの喫茶店にやってきた糸子。
 和装です。
 洋服のあっちゃこっちゃにこよりがついている関係上(笑)和服にしたのかもしれませんが、実はこれ以上焼けぼっくいに火がつかないようにしようとした、糸子の気持ちもわずかに見てとれる気がする。

 そこにもう来ていた周防は、足に怪我をしています。 日雇いでけがをして、組合長に泣きついたのだけれど、組合長から 「小原さんとこで雇ってもらえ」 と言われたらしい。

 この時の三浦組合長の言葉。
 これはこのドラマにおける不倫描写に対する、作り手自身の覚悟を垣間見た気がしました。

 「かけたったらええやないかい迷惑。

 人生そうそうないぞ。

 惚れたおなごから、好きやてゆわれるようなこと。

 周防よ…。

 外れても踏みとどまっても、人の道や。

 人の道っちゅうのはな、外れるためにあるもんや。

 けど、これ、外して、苦しむためにもあるんや。

 なんぼでも苦しんだらええ。

 あがいたらええ。

 悩んだらええ!

 命はな、…燃やすためにあるんやで。

 外れても、踏みとどまっても、人の道。

 …これ五七五んなっとんな」(笑)。

 最後はこのドラマらしく笑わせるのですが、「命は、燃やすためにある」。 これは至極名言です。
 つまりとても乱暴に言ってしまうと、「自分の人生思い通りに生きんでどうする」 ちゅうことですが、そない言われたら 「じゃあ周りの迷惑どうする」 という反応をしてしまいそうなのに、「人生は燃やすためにあるんじゃないか」 て言われたら、ほうか、ほうやなあ、みたいになってしまう(笑)。
 結局周防はこの三浦の言葉をそのまま自分の人生のスタンスにしてしまったような部分が見える。
 どう取り繕おうが、それは自分たちの感情だけが満足して、まわりの人たちを苦しめるだけの結果になっている。
 けれども何が正しくて、何が間違っているのか、結局その答えは、風に吹かれているのだと思う。
 その人がそう思って生きたことで、もし自分に迷惑がかかっていたならば、自分はその人をたぶん恨みに思うだろう。
 けれどもそれが、人生をより深くする要因となり得るのではないか。
 当たり障りのないように、自分のパートナーと添い遂げる、という人生が、そりゃだれだってベストです。
 でも実際は、「我々夫婦は運命による堅固な絆によって結ばれている」 という関係でもない限り、誰だって、「ああこの人がベストなのかなあ?」 なんて考えたりするはずです。
 それを、どこかで妥協しながら、諦めながら、人は常識的な道を選んでいく。
 でも、不倫などをしようとする場合、「その人でなければどうしてもダメだ」、という感情がそこにあることは確かな気がします(よう分からんのですが)。
 そして自分の思い通りに生きようとすることで、周囲を傷つけ、周囲から傷つけられながら、血だらけになって苦悩しながら、その恋を全うするしか、なくなっていく。

 人から恨まれ、人を恨んで。

 それも人生という飲み物の、ひとつの苦い味だ、と思うのです。

 苦くなければその飲み物は飲みいいかもしれない。

 でも苦いからこそ、おいしいということもある。 ビールみたいなもんですよね。

 私は不倫について否定も肯定もいたしませんが、出来ればあたりさわりのない人生のほうが波風立たなくていいじゃん、とは思いますよ、やっぱり(笑)。
 でもそんな、「人生を燃やす」 ような恋、というのにもあこがれるなあ。
 まあ顔を見てからものを言え、ということでしょうかね(爆、…)。

 あ~もう大変だ、終わらん。
 どうしてこのドラマ、これほどまでに深いんだ。
 ネバーエンディングレビューになってしまう。

 なにしろ周防は、理屈はともかく、小原さんのところで働かしてもらいたか、と頼みます。
 糸子は答えに詰まり、耳の後ろを掻いたりするのですが、そのときにぴょろっと出てきたのが、あの 「ピアノこうて」 のこより(爆)。
 どうしてこう、このドラマ、人を食い続けるんだ(爆)。

 糸子はその頼みを聞き入れます。
 帰宅した糸子。
 足を拭くシーンがなまめかしいのですが、糸子は足を拭きながら、2年にもわたった、周防への自分の思いを反芻するのです。




 水曜放送分。

 周防を入れて最初のうち、昌子も松田も大歓迎、といった雰囲気です。
 糸子はとうとう娘たちにも、中古のオルガンを買い与えるのですが、これももっと深読みすれば、娘たちへの罪滅ぼし、という側面が隠れているような気がしてなりません。
 自分ばっかり欲望のままに突き進んで、娘たちの欲望を叶えてやらないのは不公平、そんな糸子の心理が見えるのですが。

 娘たちはそんな親の思いなど関係なく、オルガンの弾く順番で喧嘩を始めるのですが、優子と直子のそれは、もはや小さい時のじゃれあいみたいな感覚ではなく、かなりシビアな取っ組み合いになりつつあります。

 ドラマでは結構冗談めかした描写の仕方をしておりますが、白状してしまえば、うちとこも高校くらいまでえらい仲悪かったですよ。 なんでこんなのがきょうだいなのか、と思うくらい憎ったらしい時期がありました、確かに。
 そこにライバル心、みたいなものがなかったかと言えばウソになる。
 このドラマを見ていて思うのは、特に優子と直子の場合、存在的に似通っているためなのか、そのライバル心というものが普通のきょうだいよりも激しい点。
 優子は習い事がよく続くと糸子に褒められれば、直子は絵だけはうちのほうが断然うまい、と負けず嫌いぶりを発揮します。
 このあとオハラ小物店のためではなく、小物を作ることで火花を散らせる娘たちの描写もありました。
 三姉妹の実力は、ひょっとしてこういう激しい闘争意識から育っていったのではないか、と思わせるくだりです。

 この回、奈津の結婚相手として、ラサール石井サンが登場します。
 小太りでチョビ髭でいかにもウサン臭そうなこの男。 でも小心者そうです。
 注目だったのは、太郎がそのことをよく思っていなかったところ。
 「あんた、お父ちゃんによう似とる」 といつぞや、奈津は太郎にしゃべってましたよね。
 太郎はそのときから、年増の(失礼)奈津に思いを寄せていた。
 奈津は太郎の父親の、泰蔵に思いを寄せていた。
 そのどちらもが、一方通行でした。
 このめぐりあわせの皮肉さ、というか、因果、というか。
 太郎は性格的にも泰蔵に似たところがあるから、奈津がひょっとして太郎を好きになることも、場合によってはあったかもしれない。
 でもやはり、太郎は泰蔵の息子でしかないし、自分から泰蔵を奪った八重子の息子だし、そもそも生きた時代が奈津にとって違う。 それって奈津にとっては、やはり致命的だったと思われるのです。
 太郎の思いを知ってか知らずか、奈津はラサール石井サンにいそいそと嫁いでいく。
 作り手がわざとおざなりにしているストーリーにも、これだけの深いものが潜んでいるんですよ。
 レビューも長くなるはずだ(タメイキ)。

 夜。 布団を敷きながら、直子の自慢話に、千代が付き合っています。
 自信満々の直子を、千代はちょっとからかいながら、その生意気さも愛おしくてたまらないように、布団ですまきにして抱きしめます。
 糸子が子供たちがどのような目に遭うか分からないのに不倫に走ることに対して、千代がどのように感じるのか。
 その素地がここに配置されている。

 いっぽう周防のため、2階にあらたにミシンが置かれます。
 以前使っていた勝のミシンは、どうやら階下が多忙のために移動させたみたいですね。
 周防のために何かできることがうれしくてたまらないふうな糸子。
 ただそれは、その後好意がエスカレートしていくのに従って、苦しさのほうが先立っていく。

 そんなある日、あのチョビ髭の男が、オハラ洋装店を訪ねてきます。




 木曜放送分。

 この、桜井、という男。
 結婚式のために燕尾服を注文しに来た、というのです。
 相手はなんと、奈津。
 糸子は警戒心も手伝って、奈津がいかにキツイ女かをわざとほのめかしまくるのですが(まくるんじゃほのめかすにならんか、ハハ…)、それでも、いろんな事情を知りながらも奈津のことを幸せにしてやりたい、という、朴訥な桜井の素姓を悟ります。
 一途な桜井の思いを聞いて、涙をぽろぽろ流す糸子。
 三つ指をついて、桜井に頭を下げます。
 「おおきに…! よろしゅうお願いします…!」

 糸子は櫻井の依頼で、ウェディングドレスを嫌がる奈津に内緒でドレスを作ります。
 この過程も結構わざとらしさ満開の(笑)展開でしたが、「いちいち顧客のサイズのカルテみたいなもん作ってないんやな~」 と思いながら見てました(笑)。 ここでいちいち目くじらを立てないのが、大人の対応というものなのです(というより、いわば作り手と受け手との間の信頼関係の上に成立しているような展開だ、と私は感じました)。
 出来上がったドレスを奈津が着るところを想像する、糸子と周防、そして桜井。
 「似合うやろなぁ…」
 「ええわあ…」
 「きれか…」(ここでも言うか!…笑)
 想像図が雲のように3人の頭上に展開します(爆)。

 つまり、「そう見てオクレ」、という作り手側のサインなんですよ、コレ。
 これまで玉枝の話から奈津の話まで、それは悲惨を極める内容の連続だったように思われます。
 それをこういう、ノーテンキを絵にかいたような大団円に持っていくことで、作り手は自分のなかにあったわだかまりをも吐き出した、そんな気がするんですよ。
 作り手は書いてて苦しかったんじゃないのかな~。
 作り手の心が優しいからこそ、作り手はノーテンキな解決の仕方を選んだんだ、と思うのです。

 入籍の日。

 それは奈津が、安岡美容室を、辞める日でもあるのです。

 その見送りに、太郎は加わっていません。 陰から見守って、苦渋の表情をしています。

 糸子は周防の影に隠れて、泣いています。

 奈津は感極まりながら、糸子にはなにも語りかけません。

 最後までこのふたりのあいだには、奇妙な友情が貫かれていた。
 奈津はこれで見収めなんでしょうかね?
 もったいない気がします。
 夏木マリサンバージョンのときにも出てこんかな~。

 何もかもがうまくいっている気がする。
 そんなとき、人はこんなに幸せでいいのだろうか、と思うと同時に、あとは落ちるだけちゃうやろか、と不安になるものです。

 果たして、それは的中(ただし松田恵による、春太郎のラジオが聴きたい!というフェイントあり…笑)。

 そして金曜土曜の展開は、一気に見る側の気持ちを重苦しくさせていくのです。




 金曜放送分。

 松田恵が、「糸子が妻子持ちの周防を囲っている」、という情報をキャッチします。
 「太鼓」 で糸子を質しながら、わあわあ泣きながらその噂をウィルスのように大声でばらしまくる松田(笑)。
 人の口に戸は立てられない、と申しますが、その戸をガンガンぶち壊してるよーなもんですからね。 あっという間にオハラ洋装店は、うしろ指さされ隊セブン(ゴチャゴチャや…)になってしまいます。

 逆境に立たされると恋というのは燃え上がるものなのか、噂話をシャット・アウトするように、2階の戸を閉めた糸子は、作業をする周防に後ろから抱きつきます。
 ウッ、糸ちゃんいきなり積極的やなあ~。

 「おい…店ば辞めましょか?」

 振り返って抱き返してくる周防。

 「そばにおってください…。
 そんだけで…うち…誰にどんなこと言われたかて…耐えられますよって…」

 と、陶酔している(笑)のもつかの間。

 物語はかなりカリカチュア風に、木岡や木之元のおっちゃん、神戸の伯父、そして糸子の亡くなった夫、勝の弟までもが勢揃いして糸子を糾弾する展開に。

 これはリアリティという点ではどうか、と感じるのですが、「世間の人すべてと対峙する」、という構図を作り出すという点に於いて、とても本質をあぶり出しやすい設定だと言っていい気がします。

 ここに糸子を糾弾するために集まった人々は、現代風に言えば、「ネット炎上に参加する人々」 のカリカチュアという側面も有していると感じられる。
 圧迫勢力なんですよ。
 彼らの言っていることは、常に正論です。 まともなことを言っている。
 けれども糸子がそれと対峙することによって、作り手が、この作品自体が、その世の中の流れに、もの申そうとしている。
 大げさにとらえればそこまでの意義を有している寓話、という気さえするのです。

 この糾弾集会。

 いきなり勝の弟、亘が兄の遺影を目の前に置き、兄に顔向けできるのか、と訊いてきます。 木之元が、お父ちゃんにもやで、と追い打ちをかける。 木岡はすっかり感情的になって、死んだもんたちが草葉の陰で泣いてんで!と男泣きする。

 「勝さんにも、お父ちゃんにも、ほんま申し訳ないと思います…。
 けど…。
 ふたりとも、もう死んでしまいました」

 「けど」。 この文句はいきり立つ人にとっては禁句です(笑)。 そして糸子が放った言葉は、「冷たい」 の謗りを受けても仕方のないような言葉。 場は一斉に騒然となります。 それを制する伯父正一の言葉。 「なんでこの店の看板に泥を塗るんや?」。

 「けど…うちは…泥を塗ったとは思うてません」。 また騒然。 「すんません、すんません!」 平謝りする千代。 娘たち3人は、2階で畳に耳を押しつけながら、母親が責め立てられる様子を聞いています。

 「周防さんの奥さんの気持ち、考えたことあるか?」。 木岡の妻が、しずかに問い質します。 糸子は答えます。

 「分かってます。 そら…もう、ほんまに申し訳ないと思うてます」。 なんだかんだ言って自分も周防にお熱だった昌子が、その恨みも手伝ったかのように声を荒げます。 「先生。 泥を塗られてるんは、看板だけやないんですっ! うちらかて商店街歩いたら、指さされるんです! 店のことも、先生のことも、今日まで信用してついてきたんです! ちゃんとゆうてください!」。
 泣き出す松田恵。 昌子の言い分は感情的ながら、「周りに迷惑をかけている」 ことを言い得ています。

 「せやな…」 糸子はほんま申し訳ない、というように答えます。
 実際に小篠綾子サンがそない言うたかどうか知りませんが、糸子は自分の胸にある、本心と決意を、ここでさらけ出すのです。

 「今日…。 みなさんにゆわれたこと…。

 うちが犯している罪の重さは、まったくその通りやと思うてます。

 ご迷惑かけてしもてることも、傷つけてしもてることも、…そのまんま受け止めたいと思てます。

 そのうえで…。 お断りします。

 周防さんには、このまま、うちの店で働き続けてもらいます」。

 どこまで厚かましいんや、と相好を崩す人々。 糸子は言葉を継ぎます。

 「うちとゆう人間が、信用出けへんちゅう理由で、離れていくお客もあるやろと思います。

 けど…、うちは、ほんまに、しょうもない人間かもしれんけど、うちの店、こさえてる洋服、働いてもろてる者らには、なにがあっても、自信を持って、これからもやっていくつもりです。

 店を守る。

 お客の期待に応える。

 従業員の稼ぎを守る。

 偉そうな言い方になるけど、周防さんと、ご家族の生活も、うちが守らしてもらいます。

 許して下さいとは言いません…!

 許されんかて構いません…!

 ただ…(居ずまいを正し)ほんまにすいませんでした!」

 土下座する糸子。

 千代はしかし、そんな娘に対して、自分の孫への愛情をぶつけるのです。

 「けどなぁ糸子…!

 あんたはそんでええけどなぁ…。

 子供らがなぁ…。 可哀想でなぁ…」。

 泣き出す千代。 木岡が言います。 「まず、間違いなく、子供らは、友達に言われてんで」。 続いて正一。 「子供らが、どんだけ傷つくか、そこんとこお前もいっぺん、考え直してみるわけにはいかんか?」。

 そこに、2階で聞き耳を立てていた娘たち3人が、入ってくるのです。 「失礼します」「失礼します」「失礼します」。

 口を開く長女の優子。 「おっちゃん、おばちゃん、うちらはお母ちゃんのやりたいようにやってもろうてええです。
 うちのお母ちゃんは絶対に間違ったことはせえへん。
 せやさかい、お母ちゃん許しちゃってください!
 お願いします!」

 次々に頭を下げる娘たち。 呆然となりながらも、涙が一粒こぼれる糸子。 涙を一粒だけ流せるか、この場面で? 尾野さん、すごすぎる。

 今まで自分はけっしていい母親じゃなかった。 それはじゅうぶんに認識している。
 娘たちの切なる願いもぎりぎりまで聞かなかったし、自分のことを棚に上げて叱り飛ばしても来た。
 静子とか光子とか、自分のきょうだいはこんなにいがみ合ったことがないのに、自分の子供らは、母親になんとか認めてもらおうとしてか、構ってもらおうとしてか、やたらと激しい喧嘩は繰り返すのに。
 娘たちは、こんなしょうもない母親と、気持ちがひとつなのだ。
 こんな母親でも、みんなから責め立てられれば、自分たちも身を切られるように、痛いのだ。

 別にここは、しゃにむに見る側を泣かせようとしているシーンではない、と私は感じます。
 このシーンは言わば、娘たちの、自分らはお母ちゃんと一心同体である、そして自分らがお母ちゃんの気持ちをバトンタッチする、という宣言であるように、私には思えてならないのです。
 涙が次から次から、糸子の目からこぼれ落ちていきます。




 土曜日放送分。

 結局周防は今まで通り働いてもらうことにはなったのですが、もう当初のような大歓迎ムードはすっかり消え失せ、自分のわがままを押し切った形の糸子も、極端に肩身の狭い状況に置かれています。

 糸子は結局、隣町に周防の店を出すことにします。
 これは悪感情鎮静化の意味を含んでいるのですが、スポンサーとしてリベートをいただく半面、これは悪く言えば、ミシンを一台導入するのとは段違いの、糸子のパトロン的な決断であります。

 このドラマ、不倫相手の周防の状況が、とても必要最小限に抑えられている。

 だからこそ見る側は、「ここまでしてもろて、周防、男としてどないやねん」 という気分になってきます。

 でもこのドラマ、周防の人間性を問うているスタンスでは、まったくない。
 ここを踏み外すと、すごく不快なドラマになってしまう気がします。

 けれどもその描写不足を、作り手はさらに逆手にとって、見る側を刺激してきます。

 見る側が感じる不安は、すなわち糸子の不安でもある。
 この回での周防は、とりあえず厚かましく自分の店もいただいておこう、というスタンスでありながら、そんな糸子からの愛情も、負担に感じ始めている萌芽をわずかに描き、愛情が変質し始めていることを容赦なくあぶり出していくのです。

 従業員から距離を置かれ続ける糸子。 お土産の団子にも、誰も手をつけようとはしません。 仕方なくその団子を、2階で周防と一緒に食べる糸子。 糸子は精一杯周防になにも問題がないように取り繕い続けるのですが、周防はその団子に手をつけようとしません。
 糸子は 「食べて」 とひと言、周防に勧めます。
 この口調。
 表面上は優しい口調なのですが、どことなく強制的な部分もわずかながらにある。
 それは、店まで周防に持たせて、こんだけのことをしてやってんのに、というイラツキがほんの、ほんのわずかばかり含まれている。 そしてそんなことまでしておおごとになって、なんとなく自分のしていることのあまりの大胆さに、糸子自身がおびえているような感覚。
 この 「食べて」 という一言には、それが凝縮されている。
 ため息が出ます。 尾野さん。

 「あの…おうちの分は、別に買うといたさかい…」。

 気まずそうにする周防。 それまでにも、お菓子を子供らのために家に持ち帰っていたことが、糸子にはばれていたのです。 ただ寄り添って、愛情を確かめ合うしかないふたり。

 不倫というのは、こういう切なさが全開なんだと思いますよ、したことないけど。
 今にも壊れそうな薄いガラスの心を、ふたりして抱えている。 陶酔だけが、ふたりを支えている。

 「(店は繁盛してました)」。

 この事実は、世間様の悪評判なんかものともしないまでの、広範囲なニーズが、オハラ洋装店にはあった、ということを示しています。
 意地悪く考えれば、糸子には開き直りがでけるだけの経済的な後ろ盾があった、ちゅうことです。
 「売れてれば文句はないやろ、繁盛してればいいんやろ」。
 要するにそういうことになってしまいますからね。
 物語はそんな意地悪い事実にも目をそむけることなく、躊躇なく切り込んでいる。

 「今月の利益は〆て、28,250円です」 まるで越後屋のように低い声で告げる松田恵(笑)。 それがどんだけなのかは、糸子の目の前に置かれた札束と、驚天動地の表情をする昌子によって一目瞭然であります。

 それを得々としてしゃべる糸子に、八重子はつれません。 糸子はダーティ・ヒロインを気取りながら、周防の店の開店のときにはのぞいて、と八重子にしゃべる。 八重子はやっぱりつれない返事です。

 優子は優子で、周防の子供たちにどつかれる。

 ここで初めて、周防の家庭状況が少しだけ垣間見られるのですが、八重子の店から帰ってきた、おしゃれな母親の姿に、優子も事情を伝えることができません。

 ホントにズバズバ描写するよなあ。 モデル、あるんやで(笑)。 もっとすごかったらしいけど。 …まあまあ。

 昭和23年12月30日。

 糸子がパトロンの、周防の店がオープンします。
 机ひとつにも贅沢した、としゃべる糸子。
 電気式の時計だからネジを巻きすぎて壊れることもない、と、周防との思い出を絡めさせたりするのですが、糸子の心はざわざわしています。 周防が、浮かない顔をしているからです。

 「…………なんで?…………」

 糸子はあまりにも、切ない言葉をポロっと漏らすのです。

 「うち………なにを間違えたん?………」

 この言葉は限りなく重い。
 周防は糸子をいたわるように答えます。
 「なあんも間違っとらんよ」。
 でも糸子は不安を隠しません。

 「周防さん、ほんまは、…自分の店なんか持ちたなかったん?」

 「うんにゃ…。 夢やったばい…。 長崎におったときから、ずっと…」

 涙の筋が頬に光っている糸子。 いたたまれないように店から出ていきます。
 店の前で立ち止まり、振り返って 「テーラー周防」 の看板を見る糸子。

 「(うちは、初めて自分の店の看板を見上げたとき、…ごっついうれしかった。

 ごっついごっついうれしかった。

 …なにがちゃうんやろな?…)」

 店から出てきて、一緒に看板を見上げる周防。

 「ごめんな周防さん…。

 うち…。

 周防さんの夢叶えたんやのうて、取ってしもたんやな…。

 そら、自分やのうて女の金で看板あげてもうたかて、なんもうれしないわな?」

 けれども周防は、やさしくそれを否定します。 でも糸子には、周防の心を完全に掌握している、という実感に乏しい。

 「うちは…周防さんを…ほんまに幸せにはでけへんのやな…」

 嗚咽してしまう糸子。
 周防は優しく糸子を抱き寄せますが、「おいも、…そうたい…」 とつぶやきます。
 周防も糸子と付き合いながら、何かがうまくいかない、というもどかしさを感じていたのです。

 「(その夜、うちは生まれて初めて、無断外泊っちゅうのをしました)」。

 翌朝、ということは、大みそかか。
 事務的な処理をしたあと、糸子は周防と、決別します。

 「…おおきに…」

 「…こっちこそ…」

 「さよなら。 お元気で」

 「さようなら、お元気で」

 帰ってきた糸子に、千代の突き刺すような声が響きます。 毛布にくるまったまま、玄関で娘を待ち続けていたのです。

 「糸子!」

 「!……すんません…」

 「どういうこっちゃ。 朝がえりて」

 「かんにん。 ほんまかんにん」

 糸子は母親から逃げていきます。 犯人を逃がしてしまう警察…じゃなかった、千代(笑)。

 糸子は情事?のあとの格好のまま、娘たちの寝ている川の字のなかに、自らのからだを横たえます。

 「(うちはまた、前に進みます)――」。




 そして冒頭の、私の感想に戻るわけですが(笑)、ここまであからさまに朝ドラで不倫を表現するとは、正直思いませんでした。
 それでも、いかに常識人ぶっている人たちの謗りを受けようとも、自分はこれを表現するんだ、という作り手の気概、というものも、強く強く感じました。
 実際はもうちょっと、チャラチャラした話だったのかもしれない。
 長崎の原爆にでもひっかけなければできない話でもなかった、のかもしれない。
 でもそんなものも乗り越えて、「強く生きるとはどういうことなのか」、を真摯に見つめた、今週の 「カーネーション」 だった気が、するのです。
 人間、ともすれば弱くなってしまう。
 でもそのときに、どうやってそれを克服するか、なのだ。
 炎上も時には受けるかもしれない(何の話やねん)。
 でも世間から一斉に後ろ指さされても、自分はそれに押しつぶされて生きるわけにはいかないんだ。 だからといって死んでしまうわけにもいかないんだ。

 この物語は日本の精神的風土とも呼べる、集団圧力、同調圧迫観念からの立ち直りを描写することで、実に今日的な意義をも持たせることにも成功した、と言えるのではないでしょうか。

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コメント

リウ様、おはようございます。
何時もの乍らの感想UP、ご苦労様です。

感想欄の炎上? 主役交代報道で揺れる中の今週エピ。冒頭と結びの感想に、概ね賛意を申し上げます。

家族会議シーン
・情の側面
反糸子包囲網を作る方々が、彼女に敵意剥き出しのキャラが揃っていたら、視聴する側も翻弄されずに済んだのに。取り囲むのは皆、糸子を愛し応援して来た方々。穏やかさと烈しさの差はあれど、彼女の事を思い諌言する良識ある「大人」揃いでした。
その思いと糸子の思いが、噛み合なかった事が、とても切なく写りました。

・理の側面
一部視聴者の情念が、乗り移った様な本シーン。沈鬱な気分にさせられたのは、
・正論を正論として疑う、事を許さない「場の空気」
・少数派を許容出来ない器量の狭さ
と、いう奴でしょうか……。

もしもこの国に「一夫多妻の文化」が根付いていた場合「其処で生きる女性は、不幸である」等と断じたならば、野暮を通り越してデリカシーに欠ける意見と反論されても、仕方ないでしょうね。不倫の条件、不成立。

ネット上の熱狂と、狭量な視点は否めませんでした。

脱線発言で申し訳有りませんが、「愛情と尊敬」を基調に語られるべき「現在の婚姻制度」が、異性間の利害と打算膨張を皮肉にも強めている傾向が顕著過ぎ、単身を選択した者の視点としては、大きな嘆息を覚えます。

奈津を巡る糸子と桜井氏の絡み、泣けました。女の友情、斯く有るでしょうか?

投稿: M NOM | 2012年1月29日 (日) 09時06分

橋本リウさま。
はじめまして。銀木犀と申します。
先ほど、「挽歌」の作詞家で検索し、「千家和也さん」がわかり、お名前で検索しましたところ
こちらのブログに辿り着きました。。。

「カーネーション」たしか朝の連続ドラマ小説ですね。
わたしは見てはおりません。が、ブログの文章を読ませて戴きながら、イメージ、情景が表れました。

女として、母として、
そして何より一人の人として
わたしは流されて生きたいとブログに綴ったのは今朝でした。
ブログとの出逢いのご縁に感謝します。

ありがとうございます。

投稿: 銀木犀 | 2012年1月29日 (日) 11時44分

こんにちは。再度おじゃまします。

驚くほど魅入ってしまった今週のカーネーションのレビュー、一気に読ませていただきました。

なるほど~と、うんうん言いながらリウさんの優しい解釈に随所ため息・・。こちらでも取り上げられているヤフーの感想欄、初めて覗いてみたんですがやっぱりこちらへお邪魔すると落ち着きますね。


>作り手と受け手との間の信頼関係の上に成立している展開

まさにこのドラマの良い所!ですよね。うれしくなります。それと、

>その人がそう思って生きたことで、もし自分に迷惑がかかっていたならば、自分はその人をたぶん恨みに思うだろう。けれどもそれが、人生をより深くする要因となり得るのではないか。

これこそ善と悪、+と-が激しく反転しまくるこのドラマの現代に訴えている観点なんだと感じました。


 ひとつ私が気になったのは「こんなんココアちゃうで」というセリフの異質感です。普通ココアを注文して味が変なら「これホンマにココア?」か「このココア味が変やで」のどちらかだと思うのに糸子は根っこから否定しているというか。渡辺あやさんの作品はそういうゴロっとするセリフがあちこち散りばめられていて、その時は分からないんですが最後まで観終えると糸子の 物事を常識でなく自分で判断する事に繋がっているのかな、なんて思ったりしました。


なんだか長くなってしまってすみません。リウさんのレビューをよく読んで咀嚼しまたカーネーションの録画を観たいと思います。いつも本当に感謝していますconfident

投稿: はたはた | 2012年1月29日 (日) 12時50分

今週は、見る側にもレビューを書くリウさまにも、とても難しい回だったと思います。(もちろん製作スタッフにも)

今週の私のツボは、理事長の近藤さんです。
ほんっとに、いいところに近藤さんを持ってきましたねえ・・。
ドラマはキャストで9割9分決まるというけれど、今回のあの「575」の長セリフ、近藤さん出なければとてもとても・・・。
上っ面に流されない、彼の人間としてのキャリアも十分に伺わせる場面でした。

投稿: マーシー | 2012年1月29日 (日) 15時25分

お寒うございます。

リウさんの思いがドシンと伝わるレビューを時間をかけてゆっくり読みました。

『命は燃やすためにある』…は至言でございました。制作者が伝えたいことが糸子の恋愛を通して受け手の力量に合わせてそれぞれに伝わったと思います。
徹底的に『大人』に対してのメッセージと受け止めました。

また重い告白になってしまいますが、かくいうワタシも関係を壊してしまった人間です。
その上で、自ら選んだ生き方を娘たちにはほんとに申し訳ないけど、少なくとも後悔はしていないのです。
心の中でどんなことを考えていても行動に移さなければ罪にはならないのかもしれません。でもどんな理由であれ一歩を踏み出してしまった時から、誰にも責任転嫁はできないしその対価を身をもって背負う覚悟がなければいけないと思うのです。

そして糸子と同様に3姉妹だったことも自身と重なりました。
もし息子だったら多分ワタシはここまで思い切ったことはできなかったかもしれないなぁ
同じ女という甘えが確かにワタシにはあったと思います。
今になってみれば娘達はお父さんのことは嫌いではないけど、お母さんの生き方はある意味尊敬すると言ってくれるようになりました。
自身のことに責任をとっている、逃げてはいないということを見て感じてくれているようです。

人様から見たらうちは変な家族に見えるでしょう。人のみちからは外れた生き方かもしれません。そんでも娘達を捨てなかったことで踏みとどまれている。有り難いことです。


今週糸子は美しかった。そして醜かった。うちはお父ちゃんが好きでした…から始まる独白のシーンは切なくて切なくて…かなんなぁと涙を流していた糸子のほんとに美しかったこと。周防に店を出してやる、稼いで稼いで回りにはなんも文句言わせん、とキリキリしてる糸子はほんとに鼻持ちならない嫌な女でした。そして周防も…何やらヘニャヘニャとしてて…まったくもう!周防との関係の始まりに『おいも好きやった。ずっと』のことば
最後に『長崎におった時から夢やった。ずっと』

ずっと思っていても自分からは言わないで糸子に言わせるんは、ズルいなぁと思いましたが徹底して糸子側からの描写であり歯車を回すのは(時計のネジを回すのは)あくまで糸子にしとく。だから終わりの引導を渡すのも周防ではなく糸子だったんだと妙に納得できました。けどワタシ実は周防のキャラってどストライクなんですわ(笑)また、奈津の結婚をこの週にもってきたことも最初は唐突に思えたけど桜井の『幸せにしちゃりたい』を言わせることで糸子が周防を幸せにはできないと合わせ鏡のように反転さす効果があったように思いました。


あれもこれもありすぎでそれが毎日たったの15分の放送だなんて、奇跡としか思えません。見なくてもいいや、という日が1日たりともないんですから

蛇足ですがHPで近藤さんのインタビューがupされていました。渡辺あやさんの脚本を誉めちぎっておりました。
セリフとしていうのか日常的な言葉としていうのか、ほんの些細な違いなんだが演じる側としてやりやすい、と絶賛でした。役者が『この脚本面白い』と感じる作品は案外少ないのかもしれないですね

投稿: みち | 2012年1月29日 (日) 15時30分

私は、このドラマが朝ドラとか大河とか言うカテゴリーとは関係ない次元で、「不倫」というものをかなり正面切って描いたことに、感動しています。いや、「不倫」というよりエロス=性愛というものから目をそむけなかった脚本家はじめ制作陣に敬意を表したい思いです。
この点において「カーネーション」は朝ドラ諸作ばかりか凡百のドラマを超え、突き抜けた高みに到達したとさえ思います。
下世話な表現をしてしまえば、孤閨をかこつ戦争未亡人の性的な渇望感を、乙女チックな純愛ファンタジーに転化せず、またありがちなドロドロ不倫劇でもなく、あるがままに描いたスタッフ、そして演じた尾野真千子に感嘆しています。

投稿: 虎児 | 2012年1月30日 (月) 10時15分

リウさま、こんにちは。

この週に関しては、あちこちで賛否両論で、今更私は申し上げることはないのですが、事実は20年近くもその関係が続いていたそうで、びっくりしました。
当時は、今よりもっと風当たりが強かったのではないでしょうか?

糸子が周防と一緒に過ごした翌朝、事務処理をしてましたね。
月々2千円の返済と、事務関係は恵さんが来るって言ってました。(もう~、書いて下さいよ)
TV見ながら、主人と「あ~、ちゃんとお金で返してもらうんやね。でも、当時の2千円って・・・今のいくらなんやろ?」って話していたんです。
10万?20万?もっとかな?
テーラーってそんなに儲かったものなのかな??
ウチは商売してるので、ついそういうとこ気になります(笑)

投稿: chie | 2012年1月30日 (月) 10時59分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

返信が大変、大変遅れました。 平にご容赦くださいませ。

実は昨日、いったん返信しようとしたのですが、その際に自分のレビューを読んだら、これがまた表現不足だわ変換ミスはあるわ余計な文字はそのまんまだわで、書き直しているあいだに仕事の時間が来てしまって…。

長すぎるレビューというのも考えものです。

ただ、私の感想に賛意を示してくださり、誠に恐れ入ります。

糾弾集会について、ですが。

実際にはこういう事態にまで発展するのはまれではないか、という気はするのです。 みんな口に出さないだけで、ウジウジと裏で知ったような批判を加え、せせら笑いたがる。

でもだんじりの精神が、そういうファジーな事態を許さなかった。
亡くなった夫の弟なんか、出てこなくたっていい場面です、はっきり言えば。
でもあえて出させることで、問題を極めて明確に打ち出すことができるんですよね。

特にネットの世界に顕著に表れていますが、こうした集団圧迫の問題はこの先もっと、議論されてしかるべき問題だ、と強く感じます。

確かにネットというのは誕生まもない表現手段ですから、リテラシーというものが確立されていない。 不用意に自分の軽~く思ったことを全世界に向けて発信する、という行為は、まずネット参加の人々が全員直面する問題であり、肝に銘じなければならない課題であり責任なのです。

でもそれをいちいち叩く。

ひとりの声は小さいかもしれないが、それが大量になるとかなりの力を発揮する、ということが、悪い面で作用してしまうのです。

ただし 「炎上」 というはやり言葉みたいな括りをしてしまうと、却って批判者たちの常識を、受け手が軽く考えてしまう作用にも発展するかもしれない。

でも、たった一人の批判でも、実はものすごく応えるんですよ、経験上申し上げますが。

あれは体に、よくありません。 1週間くらい、ショックから抜けられないですから。

まあそのことを忘れて、自分も 「江」 の脚本家さんには相当ひどいことを書いているんですが。

一夫多妻に関してはあえて言及を避けますが(笑)、「常識」 って、結構本質を考えさせないための手段であるような気も、いたしますね。

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 12時02分

銀木犀様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。 返信が大変遅れまして申し訳ございません…。

ところどころレギュラー様でなければ分からないような文章だったと思うのですが、ご理解いただいたようでホッとしています。 ちなみに文中の松田恵というのは男です(笑)。

流されるのも、ありのままに生きるのも、人の人生だと感じます。 どのような心境で銀木犀様がそのようにお感じになったかは判然としなくて申し訳ないのですが、あまりに悲しいことがあった場合、確かに淡々と受け流すしかない場合もございます。

ただ、流されすぎると、まわりの人間って、結構そんな人を見くびってくる傾向もある(笑)。 たまにはガツンと、もの申さねば、という気もいたします。

スミマセン、事情も知らずに勝手なことを書きました。 銀木犀様とは一期一会かもしれませんが、私もこういう出会いを大事にしていきたいと存じます。

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 12時12分

はたはた様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が誠に遅れてしまい、大変申し訳ございません。

「悪い出来事でさえ、自分の人生をより深くする要因になり得る」、というのは、実はずいぶん長く生きてきて、ようやく最近感じることでございまして(笑)。

若いころはそれでも、「不幸な状況になるのが不幸ではない、不幸に負けてしまうのが本当の不幸なのだ」、という境地には達しておったのですが。

でも、自分が不快に思うようなことをやってくる周囲に対して、「ああいろいろあるから、人生なんだよなあ」 なんて、最近は感じたりするのです。 ムカつきながらも(笑)。 「人生いろいろ」 だ、これじゃ(笑)。

なにもなくって毎日気ら~くに過ごせたら、そりゃいいんですけどね。

私なんか絵が好きなので、油絵を描きながら毎日知らないあいだに金が入ってきて、みたいな生活を夢見ましたよ、実際(爆)。 山奥に住んでしがらみも全部なくて(実は田舎のほうがしがらみが強い、というのに…笑)。

話がヘンな方向に行ってますねcoldsweats01

「ココア」 に関しては未だに謎です(笑)。 その場面を見返してみたのですが、マスターがなんか、言いたそうにしている(笑)。 なのに糸子と周防は構わず会話に没入している(笑)。 見ようによってはかなりシュールな、マスターの演技でした(笑)。

よくよくチェックもしないで世に出すので、とてもほめられたレビューにはなっておりませんが、「ああここはこう言いたかったんだな、ここは変換ミスだな」、と思われながら読んでいただければ幸いであります。

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 12時27分

マーシー様
コメント連投下さり、ありがとうございます。 こちらの返信も遅れてしまいまして…。

近藤サンのあのセリフは、ホントにこのテーマで作り手が言いたいことを、代弁していましたよね。

道を踏み外しても、そこにもう一本、道がある。

けものみち、ですけどね(笑)。

惚れた異性に好かれる、なんて、ああ~経験してみたい(爆)。 確か小学校時代に、そんな記憶があったのですが、ガキですから言いだせるはずもなく…weep

なにを自慢げに語っているんでしょうcoldsweats01

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 12時58分

みち様
読み応えのあるコメントを下さり、ありがとうございます。 返信が誠に遅れました。 大変申し訳ございません。

このドラマは、清廉潔白に生きていらっしゃるかたがたに向けたドラマでは、けっしてない気がいたしますね。

不倫について批判を加える人は、「自分だって我慢してるのに、糸子は財力があるからこんなこともできるんだ、子供たちはほっぽらかしにしておいて、ロクでもない女だ、母親だ」 と思ってしまうんでしょうね。

ここで重要なのが、「自分だって我慢をしている」、という点。
みんな自制してるんですよね。
好き勝手気まま放題にやってしまったら、社会なんか成立しなくなる。 家庭なんか崩壊する。

でも、ひとつの生きかたとして、「親としての責任」 を放棄してしまう、というのは、レベルにもよりますけど、「嫌なことから逃げる」、というスタンスでなければ、許される面もあるのではないでしょうか(奥歯にものの挟まったような言い方でスミマセン)。

つまりそりゃ、幼児を捨てるとかいうレベルでは、いかにも無責任ですよね。
でもいくら赤ん坊でも、育ててくれるおじいちゃんおばあちゃんなどがいる、というのなら、許されることかもしれないし。

でも少なくとも、子供が義務教育を過ぎたらば、子供は自分で生活できる名目、というものは整うわけです。

親として大学までは出してやろう、という考え方からすれば、義務教育までで親の責任は終わり、という考えも無責任であると謗られるかもしれませんが。

でもまあ、15からは働けるわけですし。

今の世の中、私はもっと、自分の子を突き放してもいいような気は、とてもするんですよ。

働けるんなら働きなさい。 若いうちから働いたほうがよほど社会の勉強になる。

それを、親の金で食わしてもらってこずかいももらってだけでなく、ケータイ代まで出してもらって。

どんだけそれが有り難いことなのか、もっと子供たちに骨身に沁みさすような教育をするべきです。

少なくとも自分は、親に高い金を払ってもらって私立の高校に行かせてもらっていることに、とても引け目を感じていました。

だから親の責任、なんてものは、実は中学卒業くらいでもうお役御免だ、と思っているフシがある。

特に大学まで行った実感を述べさせていただければ、大学なんかに通っているよりさっさと働いたほうがよほど処世術が身につく、と感じられてなりません。 そりゃ専門知識がつくのはありがたいですけどね。 大学なんか目的意識もなしに行ってたら、無駄としか言いようがない。

話はとてもずれているとは思いますが、だからみち様も、そんなに気に病むことはないのだ、という結論に、ゴーインに持っていきたいと思います(笑)。 親が自堕落な生活をしているならまだしも、覚悟を決めて生きている親に、子供は何も言う資格はありません。

周防さんがどストライク、なんですか~(笑)。

女って、甲斐性なさそうな男に、徹底して冷たいような気がするのですが(爆)、こういうヘニャヘニャな優男に、よろめいてしまうものなんですね(よろめく…死語だ…笑)。

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 13時29分

虎児様
コメント下さり、ありがとうございます。

私も虎治様のご意見に、全面的に賛同いたしたい気分です。
なんか、もう、超えてる(笑)。
このパフォーマンスをテレビで味わえるなんて、至福としか言いようがない気がいたします。

そして、そんな感動もものともせず、物語がどんどん、だんじりのように過ぎ去っていく。

なんて高飛車な、孤高のドラマなんでしょうか。

おそらくこのドラマを今後超えようとするのには、かなりの才能の結集が必要になるのではないか、そう思えてなりません。

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 13時34分

chie様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

事務処理の点につきましては、まあヘロヘロで省略した、という部分もございますが(笑)、あえて書かずともいいかな、という判断をいたしました。 chie様からご指摘くださったことで、レビューとして完成した、と受け取らせていただきます。 大変ありがとうございます。

このパトロン的譲渡、実は周防が無責任だった場合どうするか、という視点が抜けている気がします。

つまり店をもらうだけもらって、この男が逃げてしまったら、という視点です。

でもまあいいか、オハラ洋装店の第2号店にすればいいだけの話だから。 それだけオハラの店が繁盛している、という描写がされてますし。

実際20年も関係が続いていた、というのならなおさら信用もあったでしょうけどね。

それを2年、というスパンにしているからこそ、そんな不安(周防が逃げるんじゃないか)も演出できる。

う~ん、そこまで計算してこの話を書いているのか…。 計算しているような気がする…。

投稿: リウ | 2012年1月30日 (月) 13時44分

 リウ様、お疲れ様です。ここに書くのは緊張します。(笑)

 朝ドラだからか、不倫のわりに嫌らしく思えなかったです。糸子さんが一生懸命生きているせいか、不倫だろうけど、人間のどこかにある弱さを許してあげたいな、組合長さんのように。と思いました。土曜日の回の二人の会話、切なかったですね。でも糸子さん、また前を向くし、進んでいくし。たくましいです。

 つるし上げ、あるんですよ。怖いです。でも、他人を責められるほど、えらいのか。罪のない人間はいないでしょう?まれに、無自覚の方もいるでしょうけど。不用意な発言とかで、炎上とか、怖いです。怒りはわかるけど、寛容スキルも大事かなと、年を取るにつけ、心が狭くなっているので自戒しています。寛容って難しいですね。

 実際、モデルになった方にこのような不倫があったかどうかわかりませんが、戦争未亡人はいっぱいいて、そういう人生を歩まざるをえなかった人もいたでしょう。多分糸子さんのように後ろ指さされたのでしょうけど、今の浮ついた時代の不倫と違うような気もします。

 周防さんのような人はお金があって、世話好きな女の人からしたら、放っとけない罪な男の人ですよ。「なんも間違ってないよ。」と優しく言われたいものです。うちのつれあいさん、絶対に言いません。(笑)周防さんを糸子さんに助けさせた、組合長さんおそるべしです。糸子さんにはつかの間のときめきを、周防さんは独り立ちさせる、うまいこと仕組んだようなものです。絶妙な脚本ですね。

 奈津さんの結婚のエピソード、楽しかったです。いっぱい苦労した奈津さんですが、穏やかな幸せがやってくるとは。晩年、また訪ねてくれるといいですね。私も幸せのその後を知りたいです。この週はだいたい見たので、寄らせてもらいました。お邪魔しました。

 

 

投稿: ささ | 2012年1月30日 (月) 22時55分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

どうぞどうぞ、お気楽にコメントをお寄せ下さい。 私はいつも、砕けてますので(笑)。

却って、「平清盛」 のレビューが遅くてしびれを切らされてしまったかと、こちらのほうが恐縮です。 「江」 のように気楽に書けないのが難点です(笑)。 簡単に欠点とか指摘できたなあ、「江」 は…(遠い目)。

職場によってはつるし上げ、という事態って、あるらしいですね。 怖いですね。 うちは零細企業なので、つるし上げをすると従業員がいなくなってしまいます(爆)。 余裕があるからつるし上げもできる。

まあ、無自覚に心が狭い、といっても、「江」 の場合は愛情に満ちてましたよね、お互いに(ハハ…)。 あれは、愛すべきダメドラマでした(笑)。 ホントにダメなら、見ませんもん。

人を愛するのって、どこかで誰かが、何かが、傷ついているような気がします。

「親友の恋人を奪う」 とかいうあからさまなケースでなくたって、本当の思い人との齟齬が、いろんな人間模様を編んでいくような気がするのです。

いちばん顕著なのは、花嫁の父、でしょうか(笑)。 花嫁の父は、例外なく?娘を奪われたことに傷ついています(笑)。

しかしそんなにまでして娘を奪っておきながら、どうして旦那は結婚したとたんに、妻を所有物みたいに考えるのでしょう?(爆)

捕獲した獲物は自分のモノ、みたいな安心感が生じてしまうのか?

まあ実際、自分が本当に惚れたパートナーと一緒になる、というのはまれなような気がします。 どっかで、妥協してる。 この人となら一緒に生きていける、なんて決心しながらも。

不倫というのはそこらへんの逡巡がなくていいですけど、実際障害を乗り越えて結婚したら、百年の恋も醒めてしまうような気もしますし。

純粋で熱烈な恋愛のあこがれ、というものは人間いだきがちなんですね…。

投稿: リウ | 2012年1月31日 (火) 07時43分

主役交代のニュースを見て、まず思ったのが
「この制作陣は『朝ドラ』を作っているつもりじゃなかったんだ。『カーネーション』というどこに出しても恥ずかしくない作品を作るつもりだったんだ」
ということでした。
尾野さん大好きだから、私もショックだし、悲しかった。でも、朝ドラのお約束をぶち破ってでも表現したいものが明確にあるのなら、それは視聴者としては歓迎します。わざわざハードルを上げたわけだから、スタッフには相当な覚悟も自信もあるんでしょう。「しょーもないもん見せたら承知せんで~~!」という気持ちで、こっちも気合を入れて見守りたいと思います。


世間の、糸子に共感できない、という意見は至極まっとうで、まっとうなことって基本的に多数派を占めてなきゃいけないと思うんですよ、個人としても社会としても。でないと秩序が保てない。
でも、そうでないことを1ミリも許さずに排除しようとするのはやっぱり健全でない。100%正しいことなんて世にないですし。
私も一応夫ある身ですから、糸子の行為に共感はしたくない。でも、別に脚本に最初から「糸子に共感して応援してね♪」なんていうつもりはないわけで、怖がらずにここまで書ききったことに賛辞の拍手を送りたいと思います。

私がびっくりしたのは、糸子がみんなに責められている時、勝さんの浮気を引き合いに出さなかったこと。そのための伏線だと思っていたので・・・。やっぱり悪いと自覚していれば、後ろめたい気持ちを持ち続けることは必要だと思いました。変に正当化してはいけない。
(それにしてもあのシーン、男と女では浮気に対する世間の見方が全然違うということを如実に表していましたね。男なら甲斐性で済んだはずですがgawk

それと別に「番組批判」については、ドラマの出来どうこうは関係なく、「朝ドラ枠で不倫を取り上げること自体がけしからん」って言うてるのでしょうが、これはもう、前述のようにスタッフは朝ドラを作っている自覚がそもそも無いのですから・・・(笑)
そういう人には、申し訳ないけど脱落してもらうしかないですよねえ・・・。


とか何とか、視聴者がもんもんとしている間にもドラマの方は月曜からさっさと次のステージへ(笑)
「ボケーっとしてたら置いてかれんで!!」と糸子に言われるようです。ホンマだんじりドラマやなぁ。

投稿: ひゃく | 2012年1月31日 (火) 09時46分

ひゃく様
コメント下さり、ありがとうございます。 昨日の朝9時46分にいただいたコメントなのに、翌朝に返信しております。 大変遅れまして申し訳ございません。

壮年期の糸子を壮年のかたに、という姿勢は、「ゲゲゲの女房」 とは完全に一線を画しておりますよね。

「ゲゲゲ」 で壮年期を演じる松下奈緒サンと向井理クンに、見る側としては違和感を抱かないこともなかったです、正直なところ。
若い二人が年をとった演技をするのを見るのも、それはそれで、フィルターをかけながら見ているわけで、ドラマの鑑賞の仕方としては正しい、と思うんです。

でも、「カーネーション」 では、作り手がそのような違和感を、拒絶してる。

ひゃく様のご指摘の通り、「どこに出しても恥ずかしくないドラマを作る」 という覚悟がなければ、出来ない判断だと私も感じます。

世論がマイノリティを1ミリも余すところなく排除したがる、という傾向に対する異論。

ひゃく様がご指摘のところも、実に正鵠を射ておりますね。 とても分かりやすく解説していただいて、今週からレビューを代わっていただきたいくらいでありますhappy02。 私ももっと表現に磨きをかけねばなりません。

勝さんの浮気を言い訳にしなかったのは、糸子の潔さ、でしたよね。 実際はどうだったのかな。 「うちだってやられてたんやからおアイコやん」 というのは、普通の人なら考えてしまう理屈のような気がします。 ドラマ上それを言い出したらさすがに反感の一線を越えてしまう、という作り手の判断だったのではないでしょうか。

反感を買うことを承知でいながら、その反感をどこまでの程度にするか、という一線を、きちんと設定してるんですよね、作り手は。

また話の年代がブッ飛んでるんですね、今週は(笑)。 考えてみれば、今週を含めて尾野真千子バージョンが、あと5週。 スッ飛ばしてスッ飛ばして、ホントに 「風と共に去りぬ」 だなあ、いろんな意味で…。

投稿: リウ | 2012年2月 1日 (水) 08時30分

私は、なんか、騒ぎ過ぎじゃないかな・・・と思いながらみていたんですが・・・

不倫・・・ねぇ・・・

相当な覚悟で、お互いの「好き」という気持ちを、大事にしよう、というのが二人の了解だった、と思うんですよね。

もちろん、それが「不倫」なんでしょうけれど、なんだろうな・・・
現代は「好き」を基軸に物事を動かそうとしてて、「好き」であれば簡単に義務を放棄しちゃうようなことをする人がいる一方で、この程度(失礼ながら、この程度と敢えて言わせていただきます)の逸脱を問題視するって言うのもすごくいびつな感じがしました。

そのいびつさを、承知か不承知かわかりませんが、スパイスにした先週だったような気がします。

人間が長く生きてくると、ひとり・・というわけに行かなくて、結婚してたり子どもがいたり、親も居たり友人や同僚やいろいろな絡みがあって、その中で、その中のこととは別に誰かを好きになってしまったりすることが、ないとは言えないって思っています。いや、以前はそういうのありか?と思っていたんですが、最近そういうのもあり、だと思うようになりました。

今までの繋がりを全部断ち切って、その思いの為だけに生きられる人は、希だと思うし、それはそれですごく不自然な気がする。

今までの繋がりの中に気持ちを残しながらも、新しい何かに燃えることは、あるんじゃないかな。

命の燃やし方はいろいろだと思います。好きなだけでは幸せには出来ない。
いろいろ考えさせられ、また魅せられてほぁっとした気持ちにもなりました。

私の中では、先週のカーネーションは、上等な小説を読んだ、そんな感覚があります。

投稿: samantha | 2012年2月 1日 (水) 19時28分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

糸子の糾弾裁判は、いわば劇場型の展開ですよね。 騒ぎ過ぎないと、問題が明確に糾弾されにくい、という難点があるように感じます。 ドラマが時にリアリティから逸脱しようとするとき、そんな見方を私なんかはしてしまいます。 ありそうで起きないことをドラマがやっているとき、結構カタルシスを感じたりします(笑)。

どうも恋愛至上主義、というものが、人にはまるで夢見るようにいくつになっても残留しているような気がいたします。

相思相愛でただひたすら、ふたりだけの情愛の世界にのめり込みたい、という願望、とでもいうか。

小篠綾子サンの人生にとっても、恋愛というのは自分の人生にとって大いなるスパイスになったと思うし、周りに流されることなく生き抜いた、という実感を得るためのひとつのファクターにはなり得たのではないでしょうか。

ドラマのなかでの不倫表現は、すごく視聴者に気を遣ったつつましやかなものだったと私は思いますよ。

それなのにそれでも、文句を言う人はいる。

どんだけ自分が被害者意識が強いんだ、と思いますね、正直申し上げれば。

私は近藤サンの 「命というのは、燃やすためにある」 というセリフよりも、糸子の 「なんで? うち、なにを間違えたん?」 というセリフこそが、作り手がいちばん気持ちを込めたセリフだった、と感じます。

命を燃やしても、間違えた方向で燃やせば、それは苦痛にしかならない。

でも、苦痛の先に何か光を求めたがるのも、人間なわけです。

ん~、深いですなあ…(ちょっと砕けた締め方をしてしまいますが、お許しください…)。

投稿: リウ | 2012年2月 2日 (木) 07時59分

カーネーション感想,大変楽しく拝見させていただきました.
あまり他所様の感想を見る時間が無いのであのドラマの不倫に関して批判がされているという事実を知らないのですが,初めて乙女になってしまった糸子の様子にニヤニヤと朝から幸せのおすそ分けをもらっていました.なぜ批判されるのかわからない・・・
周防さんとうまくいかなくなってくるのは当然の結果のように思いました.だって普通に自分で稼いで妻子を養ってたんですよね,ヒモである状態が居心地悪くなるんじゃないでしょうか.勝さんこそ真性のヒモ.だから糸子とうまくいってたんじゃないのかなぁ.ヒモなのに浮気なんかして,こっちのほうがどうかと思いますが世間的には仕方ないんでしょうね.
糸子の力強い生き様がスカーレットに重なります.自分はそうではないけど,こういう懸命に生きている人を見ると心のなかで応援したくなります.もちろん,不倫を応援するわけではありません.一生懸命に生きているということを認めてあげたいんです.八重子さんだってつれない返事だけど,糸子を信じて糸子のそばにいてくれているんだと思う.
まぁ,人生いろいろあるってことですね.
(それ言っちゃおしまいか)

投稿: zunko | 2012年2月 4日 (土) 00時10分

zunko様
コメント下さり、ありがとうございます。

世の中、常識人にとってみれば 「不倫」 というのは絶対的な悪のようでして、どんなに工夫を凝らしてマイルドに仕立て上げても、「朝ドラで不倫とはもってのほか」 と思われた方もいらっしゃったようです。

この週の糸子を見ていて私がよく思い出していたのは、このドラマのいちばん最初に、少女時代の糸子と成人した糸子がデュエットしていた、あの歌。

「♪夢見て、愛して、駆け抜けた」。

まさに、人生を楽しむために、駆け抜けるような愛をしているひとりの女性の姿です。

「♪これはその、おはなし」。

一生懸命になって駆け抜けていくひとりの人の人生に、特に私などはあまり、真っ向から批判できるような偉そうな生きかたはしてないような、そんな気がするのです。

投稿: リウ | 2012年2月 4日 (土) 06時10分

リウ様とおそらく同年代です。
感想深くて怖くてずっと楽しませて頂いてました。
そんで、全く考えもなしに若い頃(19〜21歳くらい)
不倫して相手が離婚しプロポーズしてきて、それが重くて逃げた経験があります。
その後も軽い恋愛を繰り返し独身です。
いまだに不倫を悪いと思えなくて、恋のひとつのパターンなのになんで避難されるのか、入籍しているから安泰って紙切れ一枚で、だらけてる女の方が悪い。そう思っています。
だから糸子の恋があんなに主婦向けに終了したのにはおおいにガッカリしました。あくまで今までの挑戦的なお話に比べてですけど。

投稿: おばかさん | 2012年2月 5日 (日) 02時14分

おばかさん 様
はじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。 どうもHNを呼ぶのに憚られますねcoldsweats01

糸子の不倫は、きっと自分の人生の糧にするような、貪欲なモンスター的な形だったのではないかな、と感じます。
確かにそこに至るまでには、寂しくてかなんなぁ…、というものはあったにせよ。

そしてこの不倫には、金銭的なものが絡みながら、後腐れがない、という特徴がありますね。
おそらく糸子の経済力が潤沢だったことが原因なのではないかな、なんて考えています。

投稿: リウ | 2012年2月 5日 (日) 02時57分

17週再見レビューです。

長女のインタビューによると糾弾会と娘達が母親を庇うオチは実話だったとか。イニシアチブを取っているのは優子ですが、幼少期に祖父に連れて行かれた歌舞伎で「結ばれない関係こそ本当の恋」と刷り込まれた…つまり、これも善作の見えざる手?実際、善作が生きていたら一概に糸子を否定したか、ちょっと微妙ですが父的役割を各自に振り分けていたような気がします。
一番、憤っている木岡。勝が浮気した際に糸子は妄想内で男達を一括していましたが居直りで肯定していたのは善作と木之本。そう、恐妻家の木岡に浮気はご法度だったのです。また実子がいない事もあって「善ちゃんに替わって俺が糸ちゃんを怒ってやらな」という気持ちなのでしょう。この場面のため木岡氏にキャラを設定していた?
糸子の重責を理解しつつ理で諭す叔父。三姉妹編では松阪家を介さずに勇と連絡を取る描写が入ってますから、やはりこの一件が響きましたね。生真面目な正一さんらしいですが。
肯定派に回ったり否定派に回ったりの木之本はひゃく様の指摘にある浮気に関する男女差別の象徴なのか、単にちゃらんぽらんな性格という事なのか。

周防編が後に与えた影響としては糸子が「男の意地」というものを理解するようになった事が一つ。勝が浮気に走る前フリはリウ様が詳細にレビューしてくれますが、当時の糸子がそこに思いをはせた様子は無い。しかし周防との別れでそれを知った(戦争というファクターで勝と周防は表裏一体になっている感があり)。
これが三姉妹編での同業者会合で「女は男のような意地をはる必要が無い」発言につながり、その言葉通りに悩み事があった時には玉枝さんの所に直行。50歳を越えたいい大人が近所のお婆ちゃんの所でビービー、泣いている…。確かにあれは男には出来ません(笑。
これが晩年の譲の相談相手を買って出る行動につながり、しかも栄之助を仲介させる事で相手の顔を立ててもやるという。なお
栄之助「妻が死んだら僕も先生のBFにしてください」
糸子「おお、どんとこいや!」
のやり取りの後に画面右端にハルさんと千代さんの遺影が映ります。今週、朝帰りの糸子を待ち受ける千代さんの背後にも三人の遺影がありました(笑。

もう一つは晩年糸子の内面変化の指標に周防がなっている事。台詞よりも表情で語る名場面をウリにしている「カーネーション」ですが第25週までに糸子がメインを張った事があったでしょうか(笑?年長者どころか娘達に比べても単細胞、モノローグでナレーションも兼ねる主人公は作品の性質を考えれば異端児。
これは本作を女傑一代記にとどまらない群像劇にするのと同時に第26週までの壮大な前フリとする意味合いがあるのでしょう。第22週では当時を回想するも、第23週ではお食事会の中で「あの人」と述べるに留まり、第25週のやもめ会ではもう周防に言及する事は無い。そして川上さんが素性を明かした場面でも回想して語っているのは優子で、糸子はただ泣いているだけ。若い頃は感情や思考をほとんど溜め込む事無く吐き出してきた糸子の中にも言葉で言い尽くせないような想いが蓄積されてきた。それだけ糸子が複雑で深みのある人間になったという事で「老いる事の素晴らしさ」を表現していました。


投稿: 巨炎 | 2012年9月 2日 (日) 11時36分

巨炎様
内容の濃いコメント下さり、ありがとうございます。 こちらも自分の長ったらしいレビュー(笑)を読み返しながらの返信で、少々遅れた返信になってしまいました。 ご了承ください。

この糾弾集会が事実だったんですか。
私はかなり劇場型の展開だ、と思って見ていました。 話を極端にすることで物事の本質をあぶり出すタイプの創作かと思っていたので。

善作が生きていたらどんな反応を示していたか?
あれは大やけどを負ったあとのことだったか、病院で傷痍軍人を見ながら自分のけがを自嘲し、泰蔵の出征の時には、自分が取り繕っていた下らない見栄をかなぐり捨てて、泰蔵を送り出した。

そのことを考えると、善作は周防の素姓というものを考えながら糸子に一定の理解は示したのではないか、と思われます。
でもその反面、やはり世間様に対して申し訳が立たん、という建前、というものも善作は持っていたから、表面上は叱りつけたかな、などと妄想します(笑)。

いずれにしても、この糾弾集会では、糸子を幼少時からよく知っている人たちによって、この善作もハルおばあちゃんも、みんな糸子を責め立てる側に、ムリヤリ組み込まされてしまっている(笑)。 この構造は押さえておかねばなりません。

そしてこうした傾向性の集会で、もし糸子に肩を持つような発言でもすれば、自分とこの良識まで疑われてしまう。
木之元のおっちゃんの優柔不断ぶりも、そこに立脚している態度か、と思われるのです。 長いものに巻かれなければ生きづらい、というケースをよく表現している、と思います。

私は巨炎様のように、トータルで考えられるほど頭がいいわけではありませんがcoldsweats01、近視眼的に考えても、周防のことを契機として、たとえ非難を受けても自分が守りたいものとは何なのか、というものを糸子がその人生のなかでつかみ取った瞬間だったと思うし、そして同時のこの物語のすごいところは、いくら自らを由としながら命を燃やそうとしても、結局はむなしいこともある、という無情さを知った出来事でもあった、と考えるのです。

この週の底辺に流れているのは、近藤サンの 「命を燃やさないで、なんの人生か」 というセリフなのだ、と思うんですよ。
でも作り手は、それを金科玉条としていない。
「命を燃やしきる」 ということを、盲目的に肯定していない。

でも、作り手は、「それでも前を向いて、歩いていくしかない」、という結論に達している。

人生というのは、長い間に蓄積されていった 「思い」 によって動いていくものだし、その拘泥をまとったまま、「生き切る」 ということにこそ意味がある。

なんか人生論みたいになってしまいましたが、巨炎様のコメントを読みながら、そんなことを考えてしまいました。

投稿: リウ | 2012年9月 3日 (月) 13時35分

今週から三姉妹編ですが「カーネーション」が並の良作なら、この辺で終わっていたかもですね。周防との別れ=父からの精神的自立みたいな感じで。

私の地元が舞台の「なっちゃんの写真館」がそんな感じ。大正世代、父の代で傾いた家業の立て直し、三人の我が子(こちらは全員男児)も同じ世界に入り、OP(油絵)が併せて変化。ちなみにレギュラーに勘介というキャラがいました。あれ、奈津が引っ越したのは四国で…(笑。ただ実話では次男が高卒後に上京して有名なカメラマンになりましたがドラマはそこまで描かず夫の死から立ち直った所でおしまい。

で、その次男の方の放映当時のインタビューが、
「おふくろ?料理を作っていた記憶なんてないなー。仕事ばかりして。おかげで子供に目がとどかないので、これ幸いと遊んでましたけどね」被る。被りすぎる(笑。で、
「営業写真館の仕事と、組織の中でモデルを選択しながら写真を撮る仕事は、どちらがどうじゃなくて質が違いますね」との事。

糸子も後にブランドを創設したり「カーネーション」は、そこまでハッキリ違う訳ではありませんが似た事が言えないでしょうか。最も糸子似に思える直子が実は一番、似てないのじゃないかと…。この辺り近日、書いてみます。

投稿: 巨炎 | 2014年7月29日 (火) 00時01分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私も機械的に録ったものをBDにダビングしているだけなので、このドラマの再放送が今どこら辺をやっているのかが分かりませんでしたが、そうですか、そこら辺をやっているのですね。

「不倫を真正面から描いた」 と絶賛されるこのドラマと、同じ不倫を描いている 「花子とアン」 のどこがそんなに違うのかな、という気がしますが、まーだ今月に入ってからほとんど見てないからなァ…(笑)。

ただ、花子が村岡印刷にフラれて悶々とするところとか、村岡印刷が病気の女房のところに行ってしれーっとしてるところとか(笑)、いかにも 「小技が効いていない」、という気はいたします。

糸子と周防の不倫には、もう 「不倫」 というカテゴリでは収まりきれないくらいの、人生の機微が盛り込まれている気がするんですよ。
「人からどう思われているのか」
「それを気にするのか、しないのか」
「自分のしたことに後悔するのか前を向いていくのか」
「哀しみを抱えながら生きることがどういうことなのか」。

そして、「人を好きになるとは、どういうことなのか」。

つまり 「カーネーション」 は、常に登場人物たちに、脚本家が難題を突き付けながら向き合わせ、自問自答させていることが、こちらの胸を打つんですよ。

直子に脚本家が自問自答させているのは、「自分の強すぎるプライドが劣等感に変わらないように、どうすべきなのか」、ということのように思えます。 それは糸子の 「頑張っていれば生きていける」 という命題とは方向性が違う気がします。

糸子のブランドというのは、なんかハナから世界を相手にしてませんよね(笑)。 つまり娘たちの世界的なスケールとは張り合うことをせず、年をとった自分にとって頑張って出来ることとは何なのか、を自問自答した末の行動だったように思います。

「花子とアン」 には、ここまで深読みできる何かが、備わっているでしょうか(ひと月近く見てないので分かりませんが…)。

投稿: リウ | 2014年7月29日 (火) 10時04分

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