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2012年1月

2012年1月29日 (日)

「カーネーション」 第17週 どこで自分は道を間違えたんだろう

 …

 参りました。

 言葉が出てきません。

 こういう時に引き合いに出すのは憚られるのですが、「風と共に去りぬ」 のスカーレット・オハラも、自らの勝気な性格によって不幸になっていく様を描かれておりました。
 けれどもラストでは、「明日は今日とは別の日なのだ」 と傷ついた心を奮い立たせていた。
 このドラマでの糸子・オハラは 「うちはまた前に進みます」 と 「こんなことなんかなんでもない、人からどう思われようと自分は自分の信じた道を行く」 と決意表明をした。

 「風と共に去りぬ」 がどうして今日に至るまで名作と謳われているのか。
 それはスカーレットがどうしようもない性格だ、と批判する人たちによってではない。
 人間はみな、道を踏み外すこともあるんだ、人から後ろ指さされることもあるんだ、そして困難を乗り越えようとした者だけが、生きていくことができるんだ、と理解している人たちによって、なのです。

 今日では、「あまりに苦しいのならば自ら死んでしまってもいいではないか」、という思想が台頭している気がしてなりません。

 私は考えるのですが、死んでしまって終わりならそれでもいいかもしれない。
 でももし死んでみて、死後の世界があったとすれば。
 その世界に入り込んだ自分は、「初めから負けている」、のです。
 初めから負けた人間が、死後の世界でまた一から出直し、なんてことはあり得ないと思う。 気持ちがすでに負けているんですもん。
 負けた人間は、どこまで行っても負け続けです。
 血だらけになろうと、立ち上がる気力など一切残っていなかろうと、人はいつかは、前に向かって一歩、歩き出さねばならない。

 自殺をせずに生き抜いて、人生ようやく終わりを迎えようとするとき、客観的な状況から見て 「とてもじゃないけど幸福とは言い難い」、と思えるようなていたらくだって、逃げずに最後まで寿命をまっとうした、ということは、その人の魂にとって最大の宝になるのではないでしょうか。

 話はだいぶそれました。

 このドラマが不倫を主題にし始めたときから、口さのない人々は 「朝からこんなものを見せるとは何事か」「糸子に共感できない」、と批判をしだしました。
 また、ドラマ的な体裁をその人なりに冷静に見ている人たちも、「ドラマの出来自体が悪くなっている」、という批評をするようになった。

 実際その人たちの言い分はほぼすべて当たってるんじゃないかと思います。
 不倫などというものをすることによって本人ではない、まわりの人々がことごとく不幸になっていくのは事実だし、ドラマ的な体裁から言っても、最近ちょっとどことなく安易にそのセリフを言わせ過ぎるかな、というのは、私も感じていた。

 けれどもひとりの人間の人生というものを考えると、幼少のときから若者としての時期を経て、ひとかどの位置にまで来るのには、そりゃためらいというものはあまりない。 イケイケドンドン、ですよ。
 でも人生のぼりつめたとき、ある程度年齢を経たときからが本当の価値が決まるような気がしてならないのです。 そこからが問題だ。
 そこからの話をどう描こうと、そりゃ迷走しているように見えるもんでしょう。

 ドラマを鑑賞するとき、リアリティというものに拘泥され始めると、作り手の言いたいことの、その先にあるものを見る目が、曇ってくることがある。
 作り手は常に、自分の表現が説得力あり続けることを願うし、見る側はいつまでも自分の思ったレベルでドラマが展開してくれることを願う。

 でも人生は、そんなに自分の思ったように、進まないものなのです。

 なんだかんだとやってきて、ある時ふと、後ろを振り返ると、「自分はどこで道を間違えちゃったのかなあ…」 と思うことがある。

 まあ自分の描いた未来とか夢とか、そいつに向かって何がなんでも一心不乱にやってきたわけじゃないけど、いろいろ流されながらも生きてきたけど、ふと振り返ると、「これでよかったんだろうか?」 って思うことだらけ。

 そんなときに 「まあいっか」 と思えるのは、自分にそれなりの経済力がついてたり家族があったりするときなんですが、人間はそうして、自分のやっていることに一定の納得をしようとする。

 このドラマは、それを描くことから、逃げてない。

 主人公が間違えていくドラマ、というものは過去にもそりゃあったのですが、今回のこのドラマはそれをとても庶民的なレベルで身近にものとして実感させられる、という点で、それらのどのドラマよりも上質だと思うし、リアリティにあふれている、と思うのです。




 げ…。

 これ、前フリかよ…。
 あ~も~ヤダ~。
 レベルが高すぎる。
 どうやってレビューせいっちゅうんじゃ。

 思えば今週は、晩年の糸子役が尾野真千子サンではなく、夏木マリサンに交代する、という衝撃的なニュースが駆け巡りました。
 つまりラスト1カ月も、このレベルの高さを保持しよう、とする作り手の気迫が、あらためてめらめらと燎原の火のように燃え広がっているのを実感する。
 老けメイクでは絶対無理なことを、作り手はやろうとしている。

 レビューするほうは、…かなんなぁ…。



 月曜放送分。

 抱き合う糸子と周防。
 ドアを蹴る音がします。
 北村が、それを目撃したのです。
 糸子は北村の気持ちなんか分かりませんから、「開店の日にこんなことをした」 というのがまずかったのだとばかり思って慌てますが、周防は北村の気持ちも分かっているかのように、自分が話をつける、と糸子に言います。

 気持ちが火照ったまま帰ってきた糸子。
 台所の千代が 「あんた、なんや、きれなったなあ…」 と目ざとく指摘します。 血の気がちょっと引いたような糸子。 「(お母ちゃん鋭すぎ…)」 といったところでしょうか。 化粧してるからやろ、となんとか自分の動揺を見透かされないよう言い訳をします。
 この千代、そんな恋の予感をキャッチしてから、今週はやはりさりげなくその心象の推移が描かれていく。

 鏡に映った自分の顔をまじまじと見る糸子。
 千代が指摘するまでもなく、もう紛れもなく、恋する女、の顔なのです。

 その洋服のまま店に出だす糸子。
 なにも知らない昌子や松田恵は 「似おうてます」「カッコええわ」 と褒めちぎる。
 本来洋服屋であるオハラ洋装店、店主が洋服を着るのは理に適っているのだから当たり前です。
 でも糸子が洋装をし出したのは、どちらかというと周防に見せるためではなく、自分が輝いていたいから、という動機のほうが強い気がする。
 いつも輝いていれば周防だってますます自分のことを気にいるだろうし。

 糸子はそんな自分をきれいに見せたいがために、自分のために洋服を縫います。
 幼いころのアッパッパ以来、と糸子は独白します。
 ところがこの、自分のための洋服がすこぶる評判がよく、「自分の分はあとからようさん作れるし」、という理由で、糸子はモードを大量に生産していくことになる。
 当然、店の経営は潤沢になっていきます。

 でも、「(ピアノは)買えへんけどな~」(笑)。

 昭和23年5月。

 糸子は組合長の三浦に呼ばれます。

 三浦は糸子の匂い立つような洋装に、すっかり心を奪われます。 セクハラのひとつでもかましたいところでしょうがそれはなく(とーぜんか)、話の本題に入ります。

 組合長の言うことには、周防と糸子が手を組んで北村から金を巻き上げた、という噂が立って、もうどうにも火消しが出来ない状態になっていると。
 北村は周防をクビにしたけれども、噂のせいでどこも雇ってもらえず、周防はいま日雇いをしているらしいのです。

 三浦ははっきりと口に出しては言わないけれども、それが周防と糸子の不倫が発端であることを匂わせていく。
 糸子はそのよからぬ噂を流しているのが北村だ、と即座にピンと来るのです。
 三浦は北村の気持ちもすでに理解している模様。 彼を責めることはできない、というスタンスです。

 「あいつ(北村)はあんたに惚れとったんや」

 「はあっ?!」

 相当ニブい糸子であります(笑)。
 三浦は周防の気持ちも聞いてみた、と言います。 「どないするつもりや」 と。
 そしたら周防はなんと答えたか。
 三浦はいいとこまで言っていきなり口をつぐみます(笑)。 「なんてゆうたんですか?」 と思わず身を乗り出す糸子(笑)。
 散々気を持たせといて(笑)、糸子もいったんは大きな声出して遮っといて(笑)バッチリ覚悟を決めてから(笑)聞いたその返事。

 「アイツな…。
 あんたのこと本気で好きやて。

 せやけどな、今のかみさんと別れることは、絶対でけへんて」

 原爆症に苦しむ妻を介護するのは自分の運命だからそれを投げ出すわけにはいかない。 でも自分が苦しい時は、糸子にそばにいてほしい。

 「…

 …なんや…聞かんほうがよかった…」

 糸子は涙ぐみます。
 自分の思いが通じたことがうれしかったのか。
 周防にそれだけ思われていることがうれしかったのか。
 糸子の涙ぐましいその心情をよそに、三浦は便秘が治ったような顔をして言うのです。 「そやけどワシ、ゆうてスッキリしたわあ…」(爆)。

 「殺生な…」 泣きながら笑ってしまう糸子。
 このドラマの真骨頂ですよね。
 泣きながら笑わせる。 笑いながら泣かせる。

 席を立った糸子に、組合長は戸口まで送りがてら、このようなことを言います。

 「わしももう60や。

 人の道だけは絶対に外れたらあかん。 そう思うて生きてきた。
 いっぺんも外れたことないか?ちゅうたら、そうとも言い切れん…こともない。 …ことはない」

 「ある、っちゅうことですか?」

 「う~ん…。

 どうにか、踏みとどまってもやな。
 ああ、どうにもならんと思うて外しても、…結局は…」

 このとき周防が部屋に入ってくるのです。
 呼吸が止まる糸子。

 また 「はぐらかし」 でたたみかけてきたこのドラマですが、冷静に振り返って組合長はこのとき、なんと言いたかったのでしょう。
 「結局はなるようにしかならん」、ということでしょうか。
 でもここでの組合長のセリフに共感するのは、「誰でも長く生きていれば、後ろ暗いことのひとつやふたつには遭遇する」、ということです。
 その悪事は大っぴらになるかもしれないし、みんな墓場まで持っていく話になるのかもしれない。
 けれどもそんな後ろ暗いことを見つめながら、人はやはり前を向いて歩いていかねばならない、ということを、結局今週の 「カーネーション」 は結論づけた、そんな気がするのです。




 火曜放送分。

 そこで周防と偶然ばったり会ってしまったことに、糸子は運命みたいなものを感じてしまっています。
 これ分かるわあ。
 自分に何の縁もゆかりもない人なら、どうやったって会わんもんです。
 ヤケに相手の波長と合ってるよ~な錯覚(笑)。 偶然みたいな会い方をしていると、そう思いこんじゃうところってありますよね。
 でもこれも、チューボークラスの恋愛方程式であり。
 帰り道、周防が追ってきてくれているのではないか、と後ろを振り返る糸子。
 年端の行かぬ乙女のようないじらしさなのですが、現実にはそーゆー少女マンガのよーな展開はあり得なかったりする(笑)。

 自分の店に帰ってきた糸子が見たのは、セルフサービス方式の露店。 娘たちがピアノ購入代を捻出しようと画策したのです。 名づけて 「オハラ小物店」(笑)。 全品1円(笑)。
 千代はこの、孫たちの涙ぐましい努力を応援してやろうと、糸子によって強制撤収させられた(笑)オハラ小物店の売上代金を肩代わりするのですが、これは結局裏目に出てしまって(笑)。

 しかしこの、なんてことはないシーン。

 千代の孫たちへの優しいまなざしと、ちょっと足らないボケ加減がミックスされて表現されていて。 うまいんだよなあ。
 そのうえに千代の、糸子への 「ぼんやりとした不満」(芥川…じゃなくって…笑)が蓄積されていく様を描写する。 つくづく見事です。
 そしていったんはその、オハラ小物店の商品(直子が作ったバッグ、優子が作った着せ替え人形の洋服、聡子の作った福笑いとか)に感心してしまう糸子を描写することで、この恐るべき三姉妹の才能の黎明を描写してしまう。
 ちょっとした場面にここまでのエッセンスを凝縮すること。
 これもこのドラマの、もうひとつの真骨頂だと思うのです(骨頂だらけやがな)。

 で、三姉妹は千代に騙された格好なのですが、「自分たちの作ったものが売れた!」 という喜びで、夜遅くまでオハラ小物店のあらたな商品を開発し続ける(笑)。 糸子は自分の過去は神棚に上げて(笑)娘たちを叱り飛ばし、さっさと寝かしつけようとします。
 そのときに出てきた、千代が買い受けたオハラ小物店の商品。 千代はそれを娘たちの目の届かないところにしまうのを、忘れていたのです。 娘たちは大いに、がっかりします。 そしていきなり、その場にダイ・イン(爆)。

 お母ちゃんの間抜けっぷりをネタにお客と笑っている糸子、かかってきた電話に昌子が完全に舞いあがってソプラノ歌手みたいになってます(笑)。 周防から 「会いたい」 という電話です。 かなり動揺する糸子。 それを悟られまいとする仕草がかわいい。 昌子は完全に酸素が足りなくなってます(笑)。

 いそいそと着ていく服を選ぶ糸子。 ふと気付くと、「ピアノこうて」 のこよりが(笑)袖わきとか服のあらゆる部分からスルスルと出てくる(ここで夢見るようなBGMがまたストップすることにも、再び注目です…笑)。
 娘たちはオハラ小物店をあきらめて新たな作戦段階に入った(笑)。

 ただここでの糸子の反応。
 怒るでもなく笑うでもない。
 困ったような表情なのです。
 簡単に考えれば、「ここまで娘たちがやるのなら…」 というようにも見えるのですけど、不貞行為っぽいことに突っ走ろうとしている自分とどこか、娘たちの一直線さが重なってしまったのかもしれない。

 今週のこのドラマを見ていて感じたのは、そんな 「母と娘の精神構造のリンク」 でした。
 最初は善作と自分との関係がそのまま自分と娘たちとの関係にリンクしたような感覚だったのに、娘たちには自分の強引さが確実に引き継がれている。
 それを感じさせる決定的な出来事を書くのに、あとどれくらいかかるんだろう…。

 珈琲店 「太鼓」。
 相変わらず平吉はいなくて、マスターだけです。
 糸子はそのマスターにココアを注文するのですが、そのまずさに辟易した模様。 「これココアちゃうで」。
 周防との逢瀬を描いた 「太鼓」 のシーンで、気になったのがこの、上記2点。
 当時の喫茶店の需要を考えると、却って平吉とか人手が欲しいくらいなんじゃないか、と思われるのですが、彼はいない。
 やっぱり戦死したのか。
 どうにもサイドストーリーが気になる。
 そしてどうして、「このココアはまずい」 という糸子の反応に、マスターは無言だったのか。 闇市での商品だから質が悪かったとか? 気になると夜も眠れません(笑)。

 このドラマ、こういうところにあくまで不親切なんですよね。
 レベルは違いますが、人が死んだところをやらないのも、「そんなところでお涙頂戴しなくても別のところで寂しさとか悲しさは表現できる。 自分が表現したいのはそんな通り一遍のことではないんだ。 想像できるところは見るほうで想像して」 という、作り手の強い意志を感じるんですよ。
 このドラマを批判的に見出した方々にとってみれば、そういう不親切も却って鼻もちならなくなってくるのかもしれないですね。

 とにかくこの喫茶店にやってきた糸子。
 和装です。
 洋服のあっちゃこっちゃにこよりがついている関係上(笑)和服にしたのかもしれませんが、実はこれ以上焼けぼっくいに火がつかないようにしようとした、糸子の気持ちもわずかに見てとれる気がする。

 そこにもう来ていた周防は、足に怪我をしています。 日雇いでけがをして、組合長に泣きついたのだけれど、組合長から 「小原さんとこで雇ってもらえ」 と言われたらしい。

 この時の三浦組合長の言葉。
 これはこのドラマにおける不倫描写に対する、作り手自身の覚悟を垣間見た気がしました。

 「かけたったらええやないかい迷惑。

 人生そうそうないぞ。

 惚れたおなごから、好きやてゆわれるようなこと。

 周防よ…。

 外れても踏みとどまっても、人の道や。

 人の道っちゅうのはな、外れるためにあるもんや。

 けど、これ、外して、苦しむためにもあるんや。

 なんぼでも苦しんだらええ。

 あがいたらええ。

 悩んだらええ!

 命はな、…燃やすためにあるんやで。

 外れても、踏みとどまっても、人の道。

 …これ五七五んなっとんな」(笑)。

 最後はこのドラマらしく笑わせるのですが、「命は、燃やすためにある」。 これは至極名言です。
 つまりとても乱暴に言ってしまうと、「自分の人生思い通りに生きんでどうする」 ちゅうことですが、そない言われたら 「じゃあ周りの迷惑どうする」 という反応をしてしまいそうなのに、「人生は燃やすためにあるんじゃないか」 て言われたら、ほうか、ほうやなあ、みたいになってしまう(笑)。
 結局周防はこの三浦の言葉をそのまま自分の人生のスタンスにしてしまったような部分が見える。
 どう取り繕おうが、それは自分たちの感情だけが満足して、まわりの人たちを苦しめるだけの結果になっている。
 けれども何が正しくて、何が間違っているのか、結局その答えは、風に吹かれているのだと思う。
 その人がそう思って生きたことで、もし自分に迷惑がかかっていたならば、自分はその人をたぶん恨みに思うだろう。
 けれどもそれが、人生をより深くする要因となり得るのではないか。
 当たり障りのないように、自分のパートナーと添い遂げる、という人生が、そりゃだれだってベストです。
 でも実際は、「我々夫婦は運命による堅固な絆によって結ばれている」 という関係でもない限り、誰だって、「ああこの人がベストなのかなあ?」 なんて考えたりするはずです。
 それを、どこかで妥協しながら、諦めながら、人は常識的な道を選んでいく。
 でも、不倫などをしようとする場合、「その人でなければどうしてもダメだ」、という感情がそこにあることは確かな気がします(よう分からんのですが)。
 そして自分の思い通りに生きようとすることで、周囲を傷つけ、周囲から傷つけられながら、血だらけになって苦悩しながら、その恋を全うするしか、なくなっていく。

 人から恨まれ、人を恨んで。

 それも人生という飲み物の、ひとつの苦い味だ、と思うのです。

 苦くなければその飲み物は飲みいいかもしれない。

 でも苦いからこそ、おいしいということもある。 ビールみたいなもんですよね。

 私は不倫について否定も肯定もいたしませんが、出来ればあたりさわりのない人生のほうが波風立たなくていいじゃん、とは思いますよ、やっぱり(笑)。
 でもそんな、「人生を燃やす」 ような恋、というのにもあこがれるなあ。
 まあ顔を見てからものを言え、ということでしょうかね(爆、…)。

 あ~もう大変だ、終わらん。
 どうしてこのドラマ、これほどまでに深いんだ。
 ネバーエンディングレビューになってしまう。

 なにしろ周防は、理屈はともかく、小原さんのところで働かしてもらいたか、と頼みます。
 糸子は答えに詰まり、耳の後ろを掻いたりするのですが、そのときにぴょろっと出てきたのが、あの 「ピアノこうて」 のこより(爆)。
 どうしてこう、このドラマ、人を食い続けるんだ(爆)。

 糸子はその頼みを聞き入れます。
 帰宅した糸子。
 足を拭くシーンがなまめかしいのですが、糸子は足を拭きながら、2年にもわたった、周防への自分の思いを反芻するのです。




 水曜放送分。

 周防を入れて最初のうち、昌子も松田も大歓迎、といった雰囲気です。
 糸子はとうとう娘たちにも、中古のオルガンを買い与えるのですが、これももっと深読みすれば、娘たちへの罪滅ぼし、という側面が隠れているような気がしてなりません。
 自分ばっかり欲望のままに突き進んで、娘たちの欲望を叶えてやらないのは不公平、そんな糸子の心理が見えるのですが。

 娘たちはそんな親の思いなど関係なく、オルガンの弾く順番で喧嘩を始めるのですが、優子と直子のそれは、もはや小さい時のじゃれあいみたいな感覚ではなく、かなりシビアな取っ組み合いになりつつあります。

 ドラマでは結構冗談めかした描写の仕方をしておりますが、白状してしまえば、うちとこも高校くらいまでえらい仲悪かったですよ。 なんでこんなのがきょうだいなのか、と思うくらい憎ったらしい時期がありました、確かに。
 そこにライバル心、みたいなものがなかったかと言えばウソになる。
 このドラマを見ていて思うのは、特に優子と直子の場合、存在的に似通っているためなのか、そのライバル心というものが普通のきょうだいよりも激しい点。
 優子は習い事がよく続くと糸子に褒められれば、直子は絵だけはうちのほうが断然うまい、と負けず嫌いぶりを発揮します。
 このあとオハラ小物店のためではなく、小物を作ることで火花を散らせる娘たちの描写もありました。
 三姉妹の実力は、ひょっとしてこういう激しい闘争意識から育っていったのではないか、と思わせるくだりです。

 この回、奈津の結婚相手として、ラサール石井サンが登場します。
 小太りでチョビ髭でいかにもウサン臭そうなこの男。 でも小心者そうです。
 注目だったのは、太郎がそのことをよく思っていなかったところ。
 「あんた、お父ちゃんによう似とる」 といつぞや、奈津は太郎にしゃべってましたよね。
 太郎はそのときから、年増の(失礼)奈津に思いを寄せていた。
 奈津は太郎の父親の、泰蔵に思いを寄せていた。
 そのどちらもが、一方通行でした。
 このめぐりあわせの皮肉さ、というか、因果、というか。
 太郎は性格的にも泰蔵に似たところがあるから、奈津がひょっとして太郎を好きになることも、場合によってはあったかもしれない。
 でもやはり、太郎は泰蔵の息子でしかないし、自分から泰蔵を奪った八重子の息子だし、そもそも生きた時代が奈津にとって違う。 それって奈津にとっては、やはり致命的だったと思われるのです。
 太郎の思いを知ってか知らずか、奈津はラサール石井サンにいそいそと嫁いでいく。
 作り手がわざとおざなりにしているストーリーにも、これだけの深いものが潜んでいるんですよ。
 レビューも長くなるはずだ(タメイキ)。

 夜。 布団を敷きながら、直子の自慢話に、千代が付き合っています。
 自信満々の直子を、千代はちょっとからかいながら、その生意気さも愛おしくてたまらないように、布団ですまきにして抱きしめます。
 糸子が子供たちがどのような目に遭うか分からないのに不倫に走ることに対して、千代がどのように感じるのか。
 その素地がここに配置されている。

 いっぽう周防のため、2階にあらたにミシンが置かれます。
 以前使っていた勝のミシンは、どうやら階下が多忙のために移動させたみたいですね。
 周防のために何かできることがうれしくてたまらないふうな糸子。
 ただそれは、その後好意がエスカレートしていくのに従って、苦しさのほうが先立っていく。

 そんなある日、あのチョビ髭の男が、オハラ洋装店を訪ねてきます。




 木曜放送分。

 この、桜井、という男。
 結婚式のために燕尾服を注文しに来た、というのです。
 相手はなんと、奈津。
 糸子は警戒心も手伝って、奈津がいかにキツイ女かをわざとほのめかしまくるのですが(まくるんじゃほのめかすにならんか、ハハ…)、それでも、いろんな事情を知りながらも奈津のことを幸せにしてやりたい、という、朴訥な桜井の素姓を悟ります。
 一途な桜井の思いを聞いて、涙をぽろぽろ流す糸子。
 三つ指をついて、桜井に頭を下げます。
 「おおきに…! よろしゅうお願いします…!」

 糸子は櫻井の依頼で、ウェディングドレスを嫌がる奈津に内緒でドレスを作ります。
 この過程も結構わざとらしさ満開の(笑)展開でしたが、「いちいち顧客のサイズのカルテみたいなもん作ってないんやな~」 と思いながら見てました(笑)。 ここでいちいち目くじらを立てないのが、大人の対応というものなのです(というより、いわば作り手と受け手との間の信頼関係の上に成立しているような展開だ、と私は感じました)。
 出来上がったドレスを奈津が着るところを想像する、糸子と周防、そして桜井。
 「似合うやろなぁ…」
 「ええわあ…」
 「きれか…」(ここでも言うか!…笑)
 想像図が雲のように3人の頭上に展開します(爆)。

 つまり、「そう見てオクレ」、という作り手側のサインなんですよ、コレ。
 これまで玉枝の話から奈津の話まで、それは悲惨を極める内容の連続だったように思われます。
 それをこういう、ノーテンキを絵にかいたような大団円に持っていくことで、作り手は自分のなかにあったわだかまりをも吐き出した、そんな気がするんですよ。
 作り手は書いてて苦しかったんじゃないのかな~。
 作り手の心が優しいからこそ、作り手はノーテンキな解決の仕方を選んだんだ、と思うのです。

 入籍の日。

 それは奈津が、安岡美容室を、辞める日でもあるのです。

 その見送りに、太郎は加わっていません。 陰から見守って、苦渋の表情をしています。

 糸子は周防の影に隠れて、泣いています。

 奈津は感極まりながら、糸子にはなにも語りかけません。

 最後までこのふたりのあいだには、奇妙な友情が貫かれていた。
 奈津はこれで見収めなんでしょうかね?
 もったいない気がします。
 夏木マリサンバージョンのときにも出てこんかな~。

 何もかもがうまくいっている気がする。
 そんなとき、人はこんなに幸せでいいのだろうか、と思うと同時に、あとは落ちるだけちゃうやろか、と不安になるものです。

 果たして、それは的中(ただし松田恵による、春太郎のラジオが聴きたい!というフェイントあり…笑)。

 そして金曜土曜の展開は、一気に見る側の気持ちを重苦しくさせていくのです。




 金曜放送分。

 松田恵が、「糸子が妻子持ちの周防を囲っている」、という情報をキャッチします。
 「太鼓」 で糸子を質しながら、わあわあ泣きながらその噂をウィルスのように大声でばらしまくる松田(笑)。
 人の口に戸は立てられない、と申しますが、その戸をガンガンぶち壊してるよーなもんですからね。 あっという間にオハラ洋装店は、うしろ指さされ隊セブン(ゴチャゴチャや…)になってしまいます。

 逆境に立たされると恋というのは燃え上がるものなのか、噂話をシャット・アウトするように、2階の戸を閉めた糸子は、作業をする周防に後ろから抱きつきます。
 ウッ、糸ちゃんいきなり積極的やなあ~。

 「おい…店ば辞めましょか?」

 振り返って抱き返してくる周防。

 「そばにおってください…。
 そんだけで…うち…誰にどんなこと言われたかて…耐えられますよって…」

 と、陶酔している(笑)のもつかの間。

 物語はかなりカリカチュア風に、木岡や木之元のおっちゃん、神戸の伯父、そして糸子の亡くなった夫、勝の弟までもが勢揃いして糸子を糾弾する展開に。

 これはリアリティという点ではどうか、と感じるのですが、「世間の人すべてと対峙する」、という構図を作り出すという点に於いて、とても本質をあぶり出しやすい設定だと言っていい気がします。

 ここに糸子を糾弾するために集まった人々は、現代風に言えば、「ネット炎上に参加する人々」 のカリカチュアという側面も有していると感じられる。
 圧迫勢力なんですよ。
 彼らの言っていることは、常に正論です。 まともなことを言っている。
 けれども糸子がそれと対峙することによって、作り手が、この作品自体が、その世の中の流れに、もの申そうとしている。
 大げさにとらえればそこまでの意義を有している寓話、という気さえするのです。

 この糾弾集会。

 いきなり勝の弟、亘が兄の遺影を目の前に置き、兄に顔向けできるのか、と訊いてきます。 木之元が、お父ちゃんにもやで、と追い打ちをかける。 木岡はすっかり感情的になって、死んだもんたちが草葉の陰で泣いてんで!と男泣きする。

 「勝さんにも、お父ちゃんにも、ほんま申し訳ないと思います…。
 けど…。
 ふたりとも、もう死んでしまいました」

 「けど」。 この文句はいきり立つ人にとっては禁句です(笑)。 そして糸子が放った言葉は、「冷たい」 の謗りを受けても仕方のないような言葉。 場は一斉に騒然となります。 それを制する伯父正一の言葉。 「なんでこの店の看板に泥を塗るんや?」。

 「けど…うちは…泥を塗ったとは思うてません」。 また騒然。 「すんません、すんません!」 平謝りする千代。 娘たち3人は、2階で畳に耳を押しつけながら、母親が責め立てられる様子を聞いています。

 「周防さんの奥さんの気持ち、考えたことあるか?」。 木岡の妻が、しずかに問い質します。 糸子は答えます。

 「分かってます。 そら…もう、ほんまに申し訳ないと思うてます」。 なんだかんだ言って自分も周防にお熱だった昌子が、その恨みも手伝ったかのように声を荒げます。 「先生。 泥を塗られてるんは、看板だけやないんですっ! うちらかて商店街歩いたら、指さされるんです! 店のことも、先生のことも、今日まで信用してついてきたんです! ちゃんとゆうてください!」。
 泣き出す松田恵。 昌子の言い分は感情的ながら、「周りに迷惑をかけている」 ことを言い得ています。

 「せやな…」 糸子はほんま申し訳ない、というように答えます。
 実際に小篠綾子サンがそない言うたかどうか知りませんが、糸子は自分の胸にある、本心と決意を、ここでさらけ出すのです。

 「今日…。 みなさんにゆわれたこと…。

 うちが犯している罪の重さは、まったくその通りやと思うてます。

 ご迷惑かけてしもてることも、傷つけてしもてることも、…そのまんま受け止めたいと思てます。

 そのうえで…。 お断りします。

 周防さんには、このまま、うちの店で働き続けてもらいます」。

 どこまで厚かましいんや、と相好を崩す人々。 糸子は言葉を継ぎます。

 「うちとゆう人間が、信用出けへんちゅう理由で、離れていくお客もあるやろと思います。

 けど…、うちは、ほんまに、しょうもない人間かもしれんけど、うちの店、こさえてる洋服、働いてもろてる者らには、なにがあっても、自信を持って、これからもやっていくつもりです。

 店を守る。

 お客の期待に応える。

 従業員の稼ぎを守る。

 偉そうな言い方になるけど、周防さんと、ご家族の生活も、うちが守らしてもらいます。

 許して下さいとは言いません…!

 許されんかて構いません…!

 ただ…(居ずまいを正し)ほんまにすいませんでした!」

 土下座する糸子。

 千代はしかし、そんな娘に対して、自分の孫への愛情をぶつけるのです。

 「けどなぁ糸子…!

 あんたはそんでええけどなぁ…。

 子供らがなぁ…。 可哀想でなぁ…」。

 泣き出す千代。 木岡が言います。 「まず、間違いなく、子供らは、友達に言われてんで」。 続いて正一。 「子供らが、どんだけ傷つくか、そこんとこお前もいっぺん、考え直してみるわけにはいかんか?」。

 そこに、2階で聞き耳を立てていた娘たち3人が、入ってくるのです。 「失礼します」「失礼します」「失礼します」。

 口を開く長女の優子。 「おっちゃん、おばちゃん、うちらはお母ちゃんのやりたいようにやってもろうてええです。
 うちのお母ちゃんは絶対に間違ったことはせえへん。
 せやさかい、お母ちゃん許しちゃってください!
 お願いします!」

 次々に頭を下げる娘たち。 呆然となりながらも、涙が一粒こぼれる糸子。 涙を一粒だけ流せるか、この場面で? 尾野さん、すごすぎる。

 今まで自分はけっしていい母親じゃなかった。 それはじゅうぶんに認識している。
 娘たちの切なる願いもぎりぎりまで聞かなかったし、自分のことを棚に上げて叱り飛ばしても来た。
 静子とか光子とか、自分のきょうだいはこんなにいがみ合ったことがないのに、自分の子供らは、母親になんとか認めてもらおうとしてか、構ってもらおうとしてか、やたらと激しい喧嘩は繰り返すのに。
 娘たちは、こんなしょうもない母親と、気持ちがひとつなのだ。
 こんな母親でも、みんなから責め立てられれば、自分たちも身を切られるように、痛いのだ。

 別にここは、しゃにむに見る側を泣かせようとしているシーンではない、と私は感じます。
 このシーンは言わば、娘たちの、自分らはお母ちゃんと一心同体である、そして自分らがお母ちゃんの気持ちをバトンタッチする、という宣言であるように、私には思えてならないのです。
 涙が次から次から、糸子の目からこぼれ落ちていきます。




 土曜日放送分。

 結局周防は今まで通り働いてもらうことにはなったのですが、もう当初のような大歓迎ムードはすっかり消え失せ、自分のわがままを押し切った形の糸子も、極端に肩身の狭い状況に置かれています。

 糸子は結局、隣町に周防の店を出すことにします。
 これは悪感情鎮静化の意味を含んでいるのですが、スポンサーとしてリベートをいただく半面、これは悪く言えば、ミシンを一台導入するのとは段違いの、糸子のパトロン的な決断であります。

 このドラマ、不倫相手の周防の状況が、とても必要最小限に抑えられている。

 だからこそ見る側は、「ここまでしてもろて、周防、男としてどないやねん」 という気分になってきます。

 でもこのドラマ、周防の人間性を問うているスタンスでは、まったくない。
 ここを踏み外すと、すごく不快なドラマになってしまう気がします。

 けれどもその描写不足を、作り手はさらに逆手にとって、見る側を刺激してきます。

 見る側が感じる不安は、すなわち糸子の不安でもある。
 この回での周防は、とりあえず厚かましく自分の店もいただいておこう、というスタンスでありながら、そんな糸子からの愛情も、負担に感じ始めている萌芽をわずかに描き、愛情が変質し始めていることを容赦なくあぶり出していくのです。

 従業員から距離を置かれ続ける糸子。 お土産の団子にも、誰も手をつけようとはしません。 仕方なくその団子を、2階で周防と一緒に食べる糸子。 糸子は精一杯周防になにも問題がないように取り繕い続けるのですが、周防はその団子に手をつけようとしません。
 糸子は 「食べて」 とひと言、周防に勧めます。
 この口調。
 表面上は優しい口調なのですが、どことなく強制的な部分もわずかながらにある。
 それは、店まで周防に持たせて、こんだけのことをしてやってんのに、というイラツキがほんの、ほんのわずかばかり含まれている。 そしてそんなことまでしておおごとになって、なんとなく自分のしていることのあまりの大胆さに、糸子自身がおびえているような感覚。
 この 「食べて」 という一言には、それが凝縮されている。
 ため息が出ます。 尾野さん。

 「あの…おうちの分は、別に買うといたさかい…」。

 気まずそうにする周防。 それまでにも、お菓子を子供らのために家に持ち帰っていたことが、糸子にはばれていたのです。 ただ寄り添って、愛情を確かめ合うしかないふたり。

 不倫というのは、こういう切なさが全開なんだと思いますよ、したことないけど。
 今にも壊れそうな薄いガラスの心を、ふたりして抱えている。 陶酔だけが、ふたりを支えている。

 「(店は繁盛してました)」。

 この事実は、世間様の悪評判なんかものともしないまでの、広範囲なニーズが、オハラ洋装店にはあった、ということを示しています。
 意地悪く考えれば、糸子には開き直りがでけるだけの経済的な後ろ盾があった、ちゅうことです。
 「売れてれば文句はないやろ、繁盛してればいいんやろ」。
 要するにそういうことになってしまいますからね。
 物語はそんな意地悪い事実にも目をそむけることなく、躊躇なく切り込んでいる。

 「今月の利益は〆て、28,250円です」 まるで越後屋のように低い声で告げる松田恵(笑)。 それがどんだけなのかは、糸子の目の前に置かれた札束と、驚天動地の表情をする昌子によって一目瞭然であります。

 それを得々としてしゃべる糸子に、八重子はつれません。 糸子はダーティ・ヒロインを気取りながら、周防の店の開店のときにはのぞいて、と八重子にしゃべる。 八重子はやっぱりつれない返事です。

 優子は優子で、周防の子供たちにどつかれる。

 ここで初めて、周防の家庭状況が少しだけ垣間見られるのですが、八重子の店から帰ってきた、おしゃれな母親の姿に、優子も事情を伝えることができません。

 ホントにズバズバ描写するよなあ。 モデル、あるんやで(笑)。 もっとすごかったらしいけど。 …まあまあ。

 昭和23年12月30日。

 糸子がパトロンの、周防の店がオープンします。
 机ひとつにも贅沢した、としゃべる糸子。
 電気式の時計だからネジを巻きすぎて壊れることもない、と、周防との思い出を絡めさせたりするのですが、糸子の心はざわざわしています。 周防が、浮かない顔をしているからです。

 「…………なんで?…………」

 糸子はあまりにも、切ない言葉をポロっと漏らすのです。

 「うち………なにを間違えたん?………」

 この言葉は限りなく重い。
 周防は糸子をいたわるように答えます。
 「なあんも間違っとらんよ」。
 でも糸子は不安を隠しません。

 「周防さん、ほんまは、…自分の店なんか持ちたなかったん?」

 「うんにゃ…。 夢やったばい…。 長崎におったときから、ずっと…」

 涙の筋が頬に光っている糸子。 いたたまれないように店から出ていきます。
 店の前で立ち止まり、振り返って 「テーラー周防」 の看板を見る糸子。

 「(うちは、初めて自分の店の看板を見上げたとき、…ごっついうれしかった。

 ごっついごっついうれしかった。

 …なにがちゃうんやろな?…)」

 店から出てきて、一緒に看板を見上げる周防。

 「ごめんな周防さん…。

 うち…。

 周防さんの夢叶えたんやのうて、取ってしもたんやな…。

 そら、自分やのうて女の金で看板あげてもうたかて、なんもうれしないわな?」

 けれども周防は、やさしくそれを否定します。 でも糸子には、周防の心を完全に掌握している、という実感に乏しい。

 「うちは…周防さんを…ほんまに幸せにはでけへんのやな…」

 嗚咽してしまう糸子。
 周防は優しく糸子を抱き寄せますが、「おいも、…そうたい…」 とつぶやきます。
 周防も糸子と付き合いながら、何かがうまくいかない、というもどかしさを感じていたのです。

 「(その夜、うちは生まれて初めて、無断外泊っちゅうのをしました)」。

 翌朝、ということは、大みそかか。
 事務的な処理をしたあと、糸子は周防と、決別します。

 「…おおきに…」

 「…こっちこそ…」

 「さよなら。 お元気で」

 「さようなら、お元気で」

 帰ってきた糸子に、千代の突き刺すような声が響きます。 毛布にくるまったまま、玄関で娘を待ち続けていたのです。

 「糸子!」

 「!……すんません…」

 「どういうこっちゃ。 朝がえりて」

 「かんにん。 ほんまかんにん」

 糸子は母親から逃げていきます。 犯人を逃がしてしまう警察…じゃなかった、千代(笑)。

 糸子は情事?のあとの格好のまま、娘たちの寝ている川の字のなかに、自らのからだを横たえます。

 「(うちはまた、前に進みます)――」。




 そして冒頭の、私の感想に戻るわけですが(笑)、ここまであからさまに朝ドラで不倫を表現するとは、正直思いませんでした。
 それでも、いかに常識人ぶっている人たちの謗りを受けようとも、自分はこれを表現するんだ、という作り手の気概、というものも、強く強く感じました。
 実際はもうちょっと、チャラチャラした話だったのかもしれない。
 長崎の原爆にでもひっかけなければできない話でもなかった、のかもしれない。
 でもそんなものも乗り越えて、「強く生きるとはどういうことなのか」、を真摯に見つめた、今週の 「カーネーション」 だった気が、するのです。
 人間、ともすれば弱くなってしまう。
 でもそのときに、どうやってそれを克服するか、なのだ。
 炎上も時には受けるかもしれない(何の話やねん)。
 でも世間から一斉に後ろ指さされても、自分はそれに押しつぶされて生きるわけにはいかないんだ。 だからといって死んでしまうわけにもいかないんだ。

 この物語は日本の精神的風土とも呼べる、集団圧力、同調圧迫観念からの立ち直りを描写することで、実に今日的な意義をも持たせることにも成功した、と言えるのではないでしょうか。

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2012年1月26日 (木)

「平清盛」 第2回 どこかで見たような話ばかりだが…

おことわり 第3回分のレビューと一緒に、この記事もアップさせようと考えていたのですが、連日なかなか不規則な出来事の連続で第3回のレビューまで至らず、とりあえず完成させたこの第2回分だけをアップいたします。 何卒ご了承ください。




 いよいよ松山ケンイチクン登場の 「平清盛」 第2回。
 だいぶ遅れのレビューとなってしまいますがご勘弁を。
 この松山クン、画面いっぱい動き回り、中井貴一サン、伊東四朗サンという 「ふたりの父親」 にも対等に演技で勝負しようという気概がはっきりと見てとれて、清々しい限りであります。

 ただ、成長してもグレたまんまの松ケンクン。

 振り返れば、自分は本当は伊東四朗サン演じる白河法皇のご落胤である、ということを知ってしまった前回(第1回)終盤。
 育ての親である平氏の棟梁、中井貴一サンから言下に 「おまえは平氏に飼われている犬だ」「死にたくなければ強くなれ」 と一刀両断されていました。
 前回のこの中井サンの説教の際に、父親によって大地に突き刺された剣を力いっぱい引き抜いて、親の思いを子は受け止めた、と思っていたのですが。
 違うんですよね。
 「オレはいったい何者なんだぁ~っ!」 という葛藤はあるのですが、オヤジの説教をどう受け止めているのか、というつながりが希薄かなあ、なんて感じました。

 まあそれはそれとして。
 この第2回に関しては、どうもストーリー的に、なんか 「既視感」 が付きまとって仕方がありませんでした。

 グレたまんまの松ケンクン、博打をやって賭場でも大暴れで、相手を撒いて落とし穴に落として、その落とし穴に阿部サダヲサンがはまって、それを助けたら、その人が宮中にいる中流貴族で。
 松ケンクンは元服の義でも駄々をこね続け、清盛となったあとでも義憤に駆られて伊東サンに直訴しに行き、逆にやり込められて。
 その伊東サンの前で剣舞を舞ったら今度は伊東サンに剣を突き付けるとか。
 それを見ていた阿部サダサンが 「あの者はいつぞやの…」。

 なんかどこかで見たような話ばかりだったんですよ。

 韓国時代劇かな。 剣舞で相手を突き殺そうとするとか、「チュモン」 でありましたよね。

 いや、もとをたどればまた日本に戻ってきたりして。

 私がそれでも、第2回までを見ていちばんしびれたのは、ドラマを貫く荒々しいまでの 「力」 です。

 粗野で下品で薄汚くて、ちっとも風呂に入らないような体臭の匂いがぷんぷんし、排尿や死骸の匂いが漂ってきそうな画面。

 どこぞのお偉いさんが苦情を述べたくなるのも道理とも思えるような、野卑さが画面を充満している。

 これってやはり、黒澤映画を彷彿としてしまうんですよ、私なんかは。

 限りなく野獣的。

 黒澤映画の傑作が立て続けに制作されたのも、戦後まだ10年やそこらの塗炭にまみれた時代でした。
 そこで作られる時代劇の数々は、その時代にさかのぼる大昔もかくや、と思われる野卑さに満ち溢れていた。

 このドラマには、それと同じ匂いがする。

 ここを鑑賞できないと、件のお偉いさんみたいになってしまう気がするのです。

 そしてこの野卑な世界の対極にあると思われるのが、伊東サン扮する白河法皇のいる宮中だと思うのですが、そこでの雅な表現のなかにも、とても無骨なものを感じる。

 佐藤二朗サン演じる藤原家の貴族にしても、いきり立つ松ケンクンに対して慇懃無礼な口を聞きながら、その力を誇示しようとする。
 藤原家というのはもう平安末期には権勢を失っていたかと思うのですが、そこらへんのいびつな権威の残骸構造が見てとれるし、また見てくれがしっかりお歯黒していて(笑)気味悪いし。

 その真骨頂に位置していると思われたのが、伊東四朗サンの、その表情の映しかた。
 ライティングの妙もあるのですが、もう伊東サン、そこにいるだけで、顔自体が芸術品みたいな造形であり(笑)。
 これには正直、参りました。 何なんだよ、この威圧感。 存在感。 いるだけでいいっていうのは、ルール違反だっ!(爆)

 そのやんごとなきお方が、自分が白拍子に孕ませた不肖の子である薄汚い清盛が、謁見を賜りたいとアポなしで突撃して(ヨネスケか)くるのに、いったんは断りながら 「ふむふむ面白そうだ」 と会おうとする。

 この第2回の白眉は、その白河法皇と清盛の対峙シーンでした。

 殺生禁止令などという悪法の触れを出す白河に対して、清盛は 「あなたは現世に生きるもののけだ」 などとかなり人の失礼省みず、やってきました電線…いや違った、命知らずの物言いをします。

 これをリアリティの観点から、「そんなこと言えば自分がどうなるのかを考えてなくてあり得ない」 と見るのは間違っている気がする。

 清盛は、目の前の人物が誰であるかを、きちんと把握しているんですよ。

 そのうえでその人物に、どことなく甘えようとしている側面がある。
 自分が直訴すれば親友の父親は救われる、という甘い考えが、彼のなかにある。
 さらに自分はどうなったっていいんだ、という自殺願望みたいなものも見てとれる。
 彼がまだ年端もいかない、判断力に欠ける、ただまっすぐである、少年であることが、この命知らずの物言いにはベースとしてあるのですが。

 それを聞いた白河。

 薄暗い奥座敷からのっそりと出てきて、「死刑っ!」(こまわりクンか)とかいきなり怒りをぶつけると思いきや、「おまえが今座っているそこはな、おまえの母親がわしによって射殺された場所なんじゃよ、や~い」 と、嫌がる清盛に対して最大限に憎々しげにのたまうのです。

 その白砂を、母親を求めるかのようにまさぐる清盛。
 「なにゆえ私は…生きておるのですか…」。

 実の父親に対する甘い考えが完全に裏切られた格好の清盛が、白河に涙ながらに問い詰めます。

 「…それはの…。
 そちにもこのもののけの血が、流れておるからじゃ…。

 …分かったか…。

 清盛ぃ!」

 親に叱られたように顔をしかめる清盛。

 そりゃ、あの芸術的彫塑のような伊東サンのアップで言われたら、見る側もただただ圧倒されます。
 しかし言わばそれが、最高権力者の威圧力なのです。
 それが、最高権力者の権謀術なのです。 したたかさなのです。

 「ふははははは」 と、嫌味な笑い声をあげながら、退場していく白河。

 このシーンを見ていて、「今回のドラマは脚本的な小細工とかあまり重要視しない、力任せの部分が大きいなあ」、と感じた次第であります。

 この伊東サンはこの第2回であっけなく退場してしまいます。 もっと見たかったなあ…。

 いずれにしても、「オレは親父のようにはならぬ」 と申している清盛が、オヤジである中井貴一サンのどこが気に食わないのかがちょっとあいまいだよなあ、と思ったのですが、第3回ではそこらへんの理由づけなどどうでもいい、まさに骨太の展開が待っておったのです。

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「小島慶子 キラキラ」 小島サン降板の真相

 TBSラジオ 「小島慶子 キラキラ」 のメインパーソナリティである小島慶子サンが降板する、というニュースを知って、夜勤で普段寝ている時間にも関わらず久しぶりに聴きたくなり(コメント返信で結構起きてたりもするんですけどね)。

 で、番組の 「今日のメッセージテーマ」 などの話を冒頭でしてから、話は一気に核心に。
 「昨年末に確かにTBSに対して降板を申し入れた」 と。
 さすが小島慶子、単刀直入だよなあ。

 ただその理由を聞いていて、なんとなく要領を得ない、と言いますか。
 結局分かったのは、TBS側が40代、50代の自営業に向けたトークをもっと展開してほしい、と要望してきたのに対し、小島慶子側が反発したらしいこと。

 いちおう降板申し入れは局側の預かりとなり、実際には何も決まっていない、ということだったのですが、決まれば3月で終了、ということらしいです。

 これをつらつら考えるに、一時期ウラの文化放送 「大竹まことのゴールデンラジオ」 を聴取率で追い抜いたにもかかわらず、このところはまた抜き返されていたらしいことなどを鑑みると、TBSが番組内容について小島サンに注文をつけてきた、という構造が浮かび上がってきます。

 私も一時期はこの番組のヘヴィーリスナーだったのですが、夜勤に生活がシフトしてしまって聴かなくなる以前から、どうも話がリピート気味になってきたような感覚はしていました。

 でもそれって、毎日のワイド番組でパーソナリティを務める以上避けがたいことであり。

 その人がいくら話題の多い人でも、年間250回程度の番組で違うことを話し続ける、というのは、とても不可能だと思うんですよ。
 要は、リスナーなどに助けてもらいながら、そのつど自分の考えを訴えていく、という方法でしか、長生きする秘訣はないように思うのですが、そこで問題になってくるのが、そのパーソナリティの人間の深さだ、と私は思う。

 いろんなニュースに接しながら、そこで自分の考えを表明し、それがリスナーに受け入れなれなければ、もうその番組の役割はない、ということになる。

 小島サンの場合、その度量は確かに備わっていたと思うのですが、結局は大竹まことサンの度量に敵うことはなかった、のかもしれません(憶測でのもの言い、平にご容赦願います)。
 でもたまに聴くと、結構面白かったけど。
 でも聴取率が上がらなければ、局側としても内容について突っ込んでくる、というのも分かる気もするし。

 この番組にとって結構痛かったのは、ジャーナリストの上杉隆サンを降板させたことは大きいかな、という気はいたします。
 まあ全面的に賛同、というわけでもないですが、私は上杉サン、というジャーナリストは、結構信頼度を寄せているほうでして。
 つまり彼は、テレビ局や新聞社に対してもおかしいことはおかしい、ときちんと言う人だ、という認識からそういう評価を自分はしているんですよ。

 小島サンにもその傾向は強いかな。
 今回だってラジオ局側の態度を相当赤裸々にしゃべってますし。
 こういうラジカルさが、番組開始当初は好きだったんですけどね、私としては。
 小島サンのヒステリックさが、聴いていてとても刺激的だったんですよ。

 それが影をひそめてきて、「なんとなく刺激がなくなったかな」、と思った矢先に、夜勤生活に突入で、ほぼ聴く機会がなくなって。

 番組のラジカルさ、という点から言えば、2年という放送期間は妥当な期間だったような気がしています。

 …いや、まだ、終了かどうかは何も決定はしてないみたいなんですけどね。

 …

 ま~た 「平清盛」 のレビューが遅れそうだ…。

 とりあえず完成させた分だけは、アップしておきますかね…。

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2012年1月25日 (水)

「かもめ食堂」 なぜなのか、は要らない

 「カーネーション」 の脚本家、渡辺あやサンの過去作である 「天然コケッコー」 がNHKBSプレミアムでやるので(本日1月25日夜9時より)、それを録画予約しようと思ったら、2日前(1月23日)に同じ枠でやっていたので 「どういうもんか、まあ見ても見なくてもいーや」 と思って予約を入れておいた映画。
 2006年の日本映画です。

 とは言うものの、舞台はフィンランド。
 なぜフィンランド?と思うことは、この映画に限っては禁物です。
 この映画、それだけでなくて、「どうしてなのか」 と理由を知りたがることを、まったく拒絶している映画だ、と言えるのです。

 で、「平清盛」 の第3回分を見ようと思ったのになぜかこっちに触手が伸びてしまい(これについても、なぜ?は禁句です…笑)、ちょっとのつもりで見出したら、なんか1時間40分、あれよあれよという間にすぎてしまって。

 結局全部見てしまいました(笑)。

 フィンランドで 「かもめ食堂」 という食堂を開いた日本人女性のお話。
 主人は小林聡美サン。
 開店から1カ月たつというのに、客はゼロ。 手持ち無沙汰にコップを磨いています。
 そこにいかにも日本アニメオタクみたいなフィンランド人の青年が入ってきます。
 Tシャツにはニャロメのプリント(笑)。
 そーか、「かもめ」 と 「ニャロメ」 の語呂合わせか…って違うって!(爆)
 その青年が 「ダレダ、ダレダ、ダレダ~」 と歌い出します。
 まあこれって若い人はどうか知りませんけど、「ガッチャマン」 の歌ですよね。 我々の世代には常識の権化であります。

 これをアニメオタクっぽい青年が、「この先を教えてくれ」 と言うのですが、小林サンもその先が分からない。
 まずこの時点で、はぁ?なんですよ(笑)。
 アニメオタクがこの歌を完全に知らない、というのも、小林サンの年代の人が知らないっていうのも、私にしてみりゃ 「あり得ねぇ~」。
 まあよほどガリ勉で(死語)テレビも見ないような人だったら分かるけど。
 女子だって知ってましたよ、「パンダちゃんの歌」 とか(元曲の替え歌です)。

 ただ小林サン、やはりその超常識が分からなかったことがとても気になったらしく、その後しばらく 「ダレダ、ダレダ、ダレダ~」 が頭の中を反芻し続けます(笑)。

 そんな小林サンの前に現れたのが、観光でフィンランドに来ていた日本人、片桐はいりサン。
 彼女に思わず 「ガッチャマンの歌」 の歌詞を訊いてしまう小林サン。
 それが縁で片桐サンは、小林サンの店を手伝うようになるのです。

 この映画、一事が万事この調子で進んでいくんですよ。
 深い事情とかの描写がまったくない。

 たとえば小林サンは、どうして1カ月もまるきり客のいない食堂を続けてこられたのか(食材を貯め込んでいるだけでも相当な出費になるはずなのですが)。
 もしかして経済的にとても余裕があるのか。
 宝くじでも当たったのか(笑)。

 片桐サンは、観光ビザで来ているならそんなに永久にこの店で働くことなんかできないのではないか。
 そもそもどうしてフィンランドまで来てるのか。

 この後ここにもたいまさこサンが加わってくるのですが、彼女をめぐる話はまたさらに不思議に包まれている。
 なぜなのかを考え出すと、特にもたいサンの場合は混乱を極めることでしょう。

 つまり事情を意図的に避けることで、普段自分がかかずらわっている社会とのつながりを、ふっと忘れさせてくれる絶大なる効果を生んでいるんですよ、この映画。
 この映画をふわ~っと1時間40分も一気に見させてしまったのは、そんな現実逃避っぽい、居心地のいい空間を作り出していることに、映画自体が成功しているからなのです。

 それは小林サンが作る、この店のメインメニューであるおにぎりを筆頭とした、フードコーディネイトが成功していることも大きい。
 ほんわかしてしまうんですよね。

 そんな現実離れした映画のなかで、「コーヒーは人に入れてもらうからおいしい」 とか、「人は変わるもんでしょ」 とか、ちょっとした話が自然と心の中に染みていく。

 忙しさにかまけていたからこそ、こういう映画が心に染みる時があるんですよね。

 それにしても、「平清盛」 のレビューが、また遅れそうだ…。

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2012年1月23日 (月)

「カーネーション」 晩年の糸子を夏木マリサンに…びっくりしたなもう

 NHKが朝ドラ 「カーネーション」 のヒロイン、小原糸子役の晩年を夏木マリサンに交代する、と正式発表したらしいです。 3月3日からの登場とか。

 びっくりしたなもう。 冗談かと思った。

 たいがい尾野真千子サンでいいやん、というのは私も同様の感想でしかないのですが、いや、しかし、NHK、つーか、「カーネーション」 スタッフ、つーか、思い切ったことをしまんなあ。

 ここまで視聴者のことを無視して突っ走るとは。

 夏木サン、すっごハードル高いですよ、コレ。
 逆にあえて作り手がそこまでのことをするには、晩年の糸子に関してどうしても老けメイクとかでカバーできない何かを、作り手は表現したがっているように思えます。

 すっご気持ちがザワザワしてますけど(ハハ…)、逆に期待もしたくなるってもんです。

 けどこれ、いかにも 「カーネーション」 ぽい気がします。
 椎名林檎サンの主題歌のような突き放され方をしている感じ。
 紅白で尾野サンの出番がとても消化不良だったのと同じようなはぐらかされかた。

 最後まで心の中をひっかきまわされそうになる、近年まれに見る 「記憶に残る」 ドラマとなりそうな気もするし、夏木サンでコケれば 「木戸銭返せ」 の世界になるかもしれない。

 このムチャクチャな交代劇、「すごいなあ…」 と思わされることしきりです。

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2012年1月22日 (日)

「カーネーション」 第16週 抑えられる気持ち、抑えられない思い

 今週の 「カーネーション」 は、レビューが簡単そうだ…と思ったのですが(笑)。

 どうなることでしょう。

 月曜放送分からさっそく始めます。




 昭和21年。
 パーマ機を導入して仕事にいそしむ八重子のところに、喪服姿の奈津が、やってきます。
 頭はパンパンのままやけど、その表情からは毒気が抜かれている。
 勘助と泰蔵の遺影に手を合わせる奈津。
 先週、憧れだった泰蔵の死に 「嫌やー!」 と耳を塞いでいた奈津でしたが、その認めがたい現実と向き合う気が起きている、ということで、奈津の変心が即座に見てとれます。

 八重子はその光あふれる1階から、薄暗い2階であのあと再び伏せったままになっていた義母、玉枝のところにやってきます。

 玉枝は先週、奈津を説得した時に、人間らしい心をいったん取り戻しかけているように見えました。
 でもまた伏せていた。

 奈津が来たと知った玉枝の目は、また大きく見開かれていきます。
 返事がないため階下に降りようとした八重子に、玉枝の声がかぶさります。

 「…ちょっと…手伝うて…」。

 玉枝の目から光る一筋の涙。 光と影の交差が、人の移ろいゆく心を表わしているようで、再三申し上げますが、高等芸術レベルであります。

 八重子に担がれるようにして下に降りてきた玉枝。
 涙をぬぐっていた奈津も気を取り直して、おぼつかない玉枝を支えます。
 型どおりのあいさつのあと、玉枝は意外な話を始めます。 安岡髪結ひ店というのはもう古いから、何か新しい名前に変えたい、というのです。

 「…安岡…美容室…?」

 答えを探しあぐねている玉枝に、奈津が口を開きます。 「それや」。 玉枝は制服も店の内装もリニューアルして安岡美容室を立ち上げたい、奈津にそれを手伝ってくれへんか?と頼むのです。

 さっきまでまた人形のように寝ていた玉枝がここまで生気を取り戻す、というのは、ちょっと展開的に唐突のような気もします。

 でも、実は玉枝は奈津を説得したあの日以来、そのことをずうっと考えていたフシがそこから見てとれるのです。 何事も変わらぬかのように床に再び伏せながら。

 もしかすると玉枝は、奈津がうちを訪ねてくれるかどうかに、ちょっとした願掛けをしていたのかもしれない、そう私は考えます。
 奈津がうちを訪ねて来てくれれば、自分の説得が、自分の思いが、奈津に通じたことを意味しているように、玉枝は考えていたのではないか。
 人を動かすことができれば、自分にもそれだけの力がまだ残っていた、ということだ。
 ならばそれで自分も、変われる度胸がつくかもしれない。

 奈津は玉枝の再スタート案を聞いて、泣きながら感謝するのですが、自分はもう表の世界の女とは違う、と言いかけます。 「言いない」。 玉枝は奈津の口を塞ぎます。

 「金輪際言いない。
 ええな。
 もう忘れ。
 忘れてな。
 先行こ。
 うちもそないするよってな。
 あんたもそないし。 な…」。

 うなづく奈津。

 その後、糸子は奈津を縛っていたその、裏の世界の怖いオニーサンらを前に、奈津の借金の保証人になります。 その場に同席した木之元のおっちゃんたちもおっかない顔をしてましたが(笑)、糸子はそれ以上にドスの利いた姉さんぶりです(笑)。

 ところがこのエピソード。 実は今週の話を推し進めるための動機のひとつとなっており。

 オハラ洋装店は比較的順調な経営状態だったにもかかわらず、奈津の保証人、安岡美容室のパーマ機代及び改装費及びユニフォーム代、と、そのことで経営を圧迫されるようになるのです。 いきり立つ昌子と松田恵に、「稼いだらええんやろ?」 と啖呵を切る糸子が決断した、実入りのいい仕事とは。 それはまたあとの話。

 いっぽう再び安岡の店。

 「八重ちゃん…。

 堪忍してや…。

 今までのぶん返していくさかい…堪忍やで…」

 玉枝の髪を結いながら落涙する八重子。 「すんません…!」 と、とっさに口にしてしまうのですが。

 これってその昔、出征が決まった勝が、善作に言ったセリフそのままですよね。
 正直なところ、「なんでスミマセンいわなあかんねん」 という感じで、その両方のケースとも用法が違ってますよね。
 でもこれって、自分の感情が高ぶりすぎて、適切な言葉で表現できないことが共通している気がするんですよ。 

 今まで玉枝から散々罵倒され続けてきた八重子。 それは直截ドラマを見ているうえでは出てこない場面でしたが、八重子はそのことで玉枝を憎んだりしたことはなかったのだ、と思うんですよ。

 いな、憎みたくなかったからこそ、「死神だ」 とまで言われたときにはさすがの八重子も黙って家を出ようとした。
 これって恨み事なんか言いたくない、という強い意志があったんだと思う。
 まあ勝手に想像してますが、ドラマを見ていればなんとなくわかる気がするのです。

 八重子のこれまでの苦しみを思えば、玉枝のこの謝罪は、どうも簡単すぎるきらいもある。

 けれども玉枝は、これからその埋め合わせをする、というように、未来を見据えています。
 これが単なる安請け合いなのかどうかは、そりゃあ嫁の判断に任せますが(笑)、自分の髪結い店を嫁が主体の美容室に変えるとまで言っているんですよ、姑は。
 その態度で見定めるのが嫁の立場でしょう。
 なんじゃないかな。
 まちょっと覚悟はしておけ(…若い人は知りませんかね、この大ヒット曲)。

 オハラ洋装店にやってきた奈津。 なぜか喪服のままです(でしたよね?)。 これって身請けを糸子にしてもらったあとですから、喪服である必要はない気がするのですが、たぶんあの怖いオニーサン達に身ぐるみ取られてしまったのかな、なんて感じました。

 「向こうむき」

 糸子は叱るでも殴るでもハッパをかけるでもなく、ひとことだけ、奈津に命令します。 素直に向こうをむく奈津。
 糸子は奈津のやつれた肉感を測るかのように肩幅をつかみ、生地を裁断し、奈津のために美容室の制服をあつらえていきます。

 「もうええ」

 ぶっきらぼうな糸子に何かを言いかける奈津。 糸子はそれを遮るかのように奈津に言います。

 「こんでチャラや」

 「え?」

 「うちは…祝言のとき、あんたに助けてもうた。
 うちはあんたに、ひと言も礼ゆうてない。
 あんたも言わんでええ」

 糸子は真面目な顔で奈津を見ながら、一瞬いたずらっぽい表情をします。
 奈津はそれを悟ったかのように、一瞬だけ微笑む。

 これが、注意深く見ていなければ分からないほど、一瞬なんですよ、ふたりとも。

 それだけでお互いが、「これがうちとあんただけのルールや」 と了解したようで、ふたりの奇妙な友情の深さが測れるのです。
 つくづく深すぎます。

 安岡美容室の開店。 糸子も駆けつけます。
 表情も明るい八重子、玉枝、太郎、そして奈津。
 新しい看板の前での記念撮影に、糸子も引っ張り出されます。
 そしてその出来上がった写真を見る糸子、季節はまただんじりを迎えています。
 何もかもが元通りになっていくなかで、だんじりを曳きに行こうと意気揚々な直子を見送る糸子。 新しい時代を感じています。




 火曜日放送分。 ちょっとも楽にならへんなあ…。

 昭和23年。

 神戸の伯父である正一が小原を訪ねてきます。
 娘がつぎつぎ嫁いでさびしい、と漏らす千代ですが、孫たちの喧騒で、実はそれほどでもないかも、なんて感じます。
 なんと言っても優子と直子はしょっちゅう喧嘩ばかり。
 伯父がいようがなんだろうが2階で喧嘩を始め、糸子に力づくでたしなめられるのですが、このときに三女の聡子が空気みたいな存在なのが可笑しい。 「あんたいてたんけ?」 と訊く糸子に、「はい…」 とドン引きしながら答える様には笑いました。

 そのときにまた、実にさりげなく、祖父の清三郎が亡くなったことが話題として出てくる。
 本当にこのドラマ、人が死ぬところをやらないなあ。
 いつもいつも、仏壇に手を合わせる風景だけは頻出するのですが。
 つまり、なんだかドラマ自体が、彼岸と此岸との対話のような感覚なんですよ。
 生きている者はこちらで頑張っている。
 死んだ者はあちらから見守っている。
 今週も、外光のなかにそれを感じる瞬間が、何度かあった気がします。
 杖をつきながら帰っていく正一。 年のせいなのか、空襲の際に怪我をしたのか。
 その風景も、きっとあちらから、清三郎が見守っている。
 そんなことを感じさせるのです。

 「(戦争からこっち、お祝い事と不幸が入れ子になって、ものごとも月日も、どんどん過ぎていきます。
 うちもあっちゅう間に、35ぉや。
 『諸行無常』 っちゅうやつやなあ…)」

 内省的なしっとりとしたBGMが流れるなか、物思いにふける糸子の頬に、紙くずが当たってきます。 止まるBGM(笑)。

 「あんたら、ほんまに、何回ゆうたら分かるんやッ!」

 またまた優子と直子の喧嘩です。 糸子はあんたらの名前は、おじいちゃんがつけてくれたんやと娘たちに諭します。 「聡子は?」 トートツな質問に少々慌てながら(笑)「そらあれや、神戸のおばあちゃんが賢くなるようにって…」「聡子、賢ないで、アホや~」 突っ込む姉ふたり(笑)。 破いた新聞紙をブーッと噴き上げる聡子(爆)。

 このチェンジオブペースが、このドラマの真骨頂だとつくづく感じます。
 糸子だけでなく、見る側の高尚な思索を阻害する(笑)。
 糸子は娘3人を安岡の店に散髪に行かせて家から追っ払うのですが、玉枝から 「これ以上切ったらドングリのはかまみたいになってしまうでぇ」 と言われるほどにそれはしょっちゅうのこととなり、しまいにはピアノだなんだとお稽古事を片っ端から習わせることにする。
 ところがそれが、また逆効果で(笑)。
 ただ娘たちをお稽古事に行かせるというのも、洋装店の繁盛ぶりが垣間見えるシーンではあります。
 またそれはのちのお話(またまた長くなりそうだ…)。

 「組合長の三浦から話がある」、と松田恵から糸子は聞かされます。
 実は泉州繊維商業組合には、周防のこともあってあれから疎遠になっていたのです。
 呼ばれた席にやってくると、あのいけ好かない北村と再会します。 「久しぶりやんけぇ……………んや分かれへんのかい、わしやわし!」「ああ……………………北村さんっ!」「ずっと出てけえへんけ?」(爆)。 お約束です。

 「なぁ小原はん…。 この北村に、手ぇ貸しちゃってくれんか?」

 久しぶりに会う、三浦の頼み事とは。




 水曜放送分。

 北村が言うことには、洋服はこれまで、呉服屋方式でひとりひとりオーダーメイド式に作っていたが、これからは既製品をあらかじめ大量に作って用意(ready)してしまうレディメイドの時代になる(オーダーメイドとは言っておりませんでしたが)、これなら価格をかなり下げられるとのこと。 北村はその既製品の店を立ち上げようとしているのだが、糸子にその既製品の、いくつかの新しい型を作って工場のスタッフに教えてやってほしい、というのです。 デザイン及び指導料、として、糸子の懐に入ってくるのは歩合で1割、10パーセント。

 これに二の足を踏む糸子。
 松田は北村の性格を云々するのですが、糸子は違う、と言います。

 糸子がこの時点で、北村が信用のおけない男であるとは考えていない、というのは興味深い。

 私などはこの北村を見ていると、なんや信用が出けへん気がするんですよ。
 ただの大口叩きの香具師みたいな感覚。 時代を先読みしているのは分かるけれど、安易にもうけ話に乗っかってんのとちゃうか。

 考えられるのは、糸子もまだ35で、ほかのビジネスパートナーと組むのはこれが初めてであり、相手を見て商売的な判断をつけるだけの薫陶を受けていない、という点。
 それとも、糸子はたった1回?の酒飲み合戦で北村の本質を見抜き、コイツは大口だけの男とちゃう、という判断をしているのでしょうか。
 それとも、糸子は組合長の三浦のことをかなり信頼している、という側面もあるのでしょうか。 かつて三浦のカバン持ちをしていた周防が、あれだけのテーラー職人だったし。
 どうもこの、周防絡みの信頼度を三浦に対して持っていた、というのがいちばん大きい原因のような気がする。 その三浦が、コイツはやる気を出したら本気でやる、と言っている。 糸子はその時点で北村に対する警戒心を完全に解いている気がするんですよ。 「あんなのはただのヒキガエルや。 やっかましいだけでどぉ…っちゅうことはないんや」 と言いながら、北村をウサン臭い、とは考えていない。

 むしろ糸子が問題にしているのは、そのレディメイド、という方法に対してです。

 「うちらの真逆の商売やんか。
 どこの誰が着るか知らん。 『とにかく数こさえて、売れたらええんや』 ちゅうな。 なんや話が雑やん。 情っちゅうもんがないで」

 実はこれって、オハラ洋装店の将来にとって、とても大事な舵取りのような気がするんですよ。
 オハラの店が時代の潮流に乗るかどうかの。
 今までのオーダーメイドにこだわるのならば、質の良さを第一にする代わりに、経営規模の拡大はおぼつかなくなる。 縫い子たちのスキルが重要視されるようになり、店の経営は硬直化していきます。
 レディメイドに加担する、ということになれば、糸子の言うようにひとりひとりの情に合わせたきめ細やかなそれまでの商売ができなくなる。 経営状態は良くなるでしょうが、職人肌の糸子にとってストレスはたまっていくのかもしれないのです。

 ただしここは、松田や昌子に糸子も押し切られてしまいます。 その大きな原因が、冒頭にも書きましたが、安岡美容室絡みの出費。 ドラマとしての説得力をここで増している、というのがうなります。

 ここで糸子が松田に責め立てられているときに店に来ていた、英語をしゃべる外国の婦人。
 ちょっとここにも注目です(んな話してる場合とちゃうのですが…)。
 周防と話しているとき以上に、糸子には英語はチンプンカンプンなはずなのですが、ちゃんとコミュニケーションをとっている(笑)。
 柔軟な思考ができる、という点で、糸子のレディメイドの判断にもちょっとばかり説得力に寄与している気がします。
 そして周防との比較を見る側に感じさせることで、このあとの周防との再会に弾みをつけているような気もする(これはいつもの考えすぎか)。
 クリスチャン・ディオールの話をここですることで、女性にとってモード(流行)とはなにか、の話の先鞭も付けている気がするし。

 ディオールのファッションの特徴が、八重子が持ってきた雑誌によってここで解き明かされていきます。
 ウエストをきつく絞ってスカートの部分を思いきり広げ、生地をたっぷりに使う。 のちに店に来ていたサエが、ギャザーをもっとつけて、みたいなことやってましたよね。
 店があまりに静かなのに気付いた八重子。 糸子はピアノ、習字、絵、日本舞踊、長唄(善作を思い出します)、お花、ダンスなど、娘たちに習い事を片っ端からさせちゃって家から追ん出してる、とほくそ笑んでいます。

 ところが…(「ゲゲゲの女房」 の野際陽子サンみたいですが)。

 「…甘かった」(笑)。

 一大事だ、というようなこわばった顔をしながら家に帰ってきた娘たち。

 「お母ちゃんピアノ買うて!ピアノピアノ!ピアノほしい!ピアノ!ピアノ買うて!」(笑)。

 「アホか! そんなもん買えるかいな」

 「ピアノほしい!ピアノ買うて!ピアノピアノ!」

 「あーかーんー! うるさ~~いっ! 買われへんちゅうてんねんっ!」

 15秒の沈黙(爆)。 口を開く優子。

 「…けど、うちらピアノほしい」

 さあまた大合唱(笑)。
 糸子はこの大交響曲に完全に押されてしまいます(爆)。
 千代に助け船を求めるのですが、「うちは知らん」 と千代は、うれしそうに耳を塞いでどこかに逃げてしまう(笑)。 千代にとってはこのかしましさが、父親を失った寂しさをひと時忘れさせてくれる薬なんでしょうね。

 「ピアノピアノピアノ!」
 「あ~~~~~~っっっっ!」(爆)。

 寝静まった夜。
 何かを書く音がしています。

 「(何かやってる)
 (あ~…)
 (見たいない見たいない!)」(笑)。

 娘たち3人が、ピアノの絵を描いているのです(爆)。

 これね…。

 私も覚えがあって(爆)。

 ナショナル(現パナソニック)のタテ型ラジカセ、RQ540(笑)。

 これが欲しくて、私その絵を描きました(爆)。 かなり精密に(笑)。 私こう見えても、絵が得意なもんで(爆)。

 当時かなりの値段だったのですが、オヤジはかなり無理をしながらも、誕生日プレゼントで買ってくれました。 ああ、感謝、感謝…。

 「(はぁぁ…。

 あんたらにピアノなんかやらせたお母ちゃんが悪かった。

 悪かったから堪忍してぇぇ…)」。

 親の心を、年端の行かぬ子供というものはまだ理解できません(笑)。

 しかし糸子がピアノを買おうという決意をしたかどうかは分からないのですが、これもレディメイドの仕事に加担する動機付けのひとつにはなっている。
 このドラマ、もう話の絡ませ方が絶妙すぎる。
 はぁぁ…。 こちらは感嘆のため息です。

 組合の事務所にやってきた糸子。
 周防はもういなかったのですが、三浦の話に 「工場を任せている奴がおる」 という話が出てくるその時点で、「ああそれが周防なんだな」 というのが分かってしまう。 「展開が読める」 ということを逆手に取ったこの手法にも、毎度のことながらタメイキものです。

 糸子は周防がいないことにすっかり心が打ち解け、「また会合出させてください」 と三浦に申し出する。

 ここでの糸子のうれしそうな顔を見ると、周防に対する好意を 「いけないもの」 として完全に忌避しているのが分かります。 つまり 「好意」 が 「敵意」 と呼べるまでに変質してしまっている。 いや、「敵意」 だと自分をごまかさなければ、自分の気持ちが抑えられないのです。 糸子はそのことに、気付いていない。

 「北村さんっ! またやりましょ、飲み比べ」
 「嫌じゃ。 里芋なんか潰したかて、なんも面白ないっちゅうねん」
 「里芋潰れるかいな」
 「里芋潰したろっちゅうてんねな」
 「里芋ちゃうねん!ジャガイモみたいな顔しやがって」
 「ジャガイモゆうたやろ今?」
 「ジャガイモやんか」
 「わいちゃんと話し聞いてるやんけ」
 「ジャガイモは酒弱いでハハっ!」
 「里芋潰したろちゅうてん」
 「潰してもうまいわ!」

 喧嘩を始める糸子と北村。 それを怒鳴って止める三浦。 また始める糸子と北村。
 糸子と娘たちのやり取りがここに転用されている、これまた構成の見事さ。
 あまり褒めすぎるとあとが怖いのでここらへんにしておきましょう。




 木曜放送分。

 心斎橋のはずれにある、北村の工場にやってきた糸子。 まだ誰も来ていません。
 周防を象徴するかのような外光が、また画面を占拠します。
 その逆光の中に浮かび上がった一台のミシン。
 糸子はそのミシンの質の良さに舌を巻きます。
 ふと見上げると、柱時計が止まっている。
 それを直そうと糸子がネジを巻いているとき、周防がやってきます。

 型は違いますが、この手の柱時計、うちにもありましたよ。 2、3年前まで修理し修理しして使っていたのですが、ついに部品もなくなり、使わなくなってしまいました。 盤面のあそこらへんに、ネジを巻く穴があるんですよね。
 糸子は周防との思いがけない再会に、ネジを巻きすぎて壊してしまう(笑)。

 北村もやってきて始まった打ち合わせ。
 北村は、糸子が流行らせた水玉のワンピースを作ってくれと言い出すのですが、糸子は舌打ちをしながら色をなしてそれに食ってかかります。

 「おたく、婦人服なめてますんか?」

 糸子はあんなのもうとっくに流行おくれだ、というのです。
 ちょっとこの展開は意外でした。
 自分の作ったものにもうちょっと誇りというか、こだわりがあってもいいと思ったのですが。
 つまり、百貨店の制服の時からそうでしたけど、糸子には時代のモードを見極める目、というものが元来備わっている感じなんですよ。 職人肌にはえてして過去にこだわる性癖があるように思えるのですが、糸子にはそれがない。
 そのモードを体系的に把握しているのは、八重子の持ってきていた婦人雑誌のなせるわざでしょう。 八重子は架空の人物らしいから、もともとファッション雑誌で流行物をチェックしていた知識の蓄積、というものが小篠綾子サンにはあった、ということになるでしょうか。

 「婦人服にはな、流行っちゅう、厳しい厳しい自然のおきて、っちゅうもんがありますんや」
 と糸子は言い切ります。
 「おたくも婦人服始めるんやったら、そのおきての前に土下座するつもりでやらんとあきませんで!」

 いっぽう糸子には、商売人としての勘、というものも働いているような気がする。
 どういうものが受けるのか、というものを、常に柔軟に考えていなければ、その勘は養えません。
 レディメイドのような画一化された商品には、やはりその手の嗅覚が備わっていないと商売ができない側面がある。
 糸子は勉強不足の北村に、一日オハラ洋装店に張り付いて勉強させることを強いるのです。 が、それはまたのちのお話(今日はこればっかしやがな…)。

 逃げる北村を過激に追い詰めた糸子でしたが、周防の前では借りてきた猫(笑)。 デザインを説明するのに不用意に近づいてくる周防を避けたり、糸子の恥じらいが、なんかとてもかわいい。

 気になっている相手が何の気なしに自分に近づいてくるのって、すごくイカンですよね、あれって(爆)。 勘違いさせんなっちゅーの(笑)。
 でもこれって、チューボーレベルの恋愛感情なんですよ。 ああ、あの頃は私もまだウブだった…。

 「どんな人やったんですか」 という昌子や千代に対しても、糸子は監督責任者が周防だとなかなか言い出せません。 だからチューボーレベルだっちゅーの(笑)。

 「(うちさっき…。

 周防さんに会うたこと、みんなに隠そうとしてた…)」

 「なんでや?」

 「(後ろめたかったからや)」

 「なにがや? なんも後ろめたいことなんか…」

 糸子。 自問自答してます(笑)。

 「(いや。ある。
 ごっつう後ろめたいことが、心の奥のほぉぉ~~に…)」

 糸子は邪念を払うように、自分の頬をひっぱたきます。

 「(あ~~~~~っ!
 なに考えてんやっ!
 アカンアカンアカンアカン!)」

 「うんっ! 仕事やっ! 仕事っ!」

 どうやら黒糸子との折り合いがついたようです(爆)。

 時計を修理している周防。
 頬を叩く音が近づいてきます(笑)。
 糸子が作業場に入ってきます。
 「顔…。 ここんにき、何か赤うなってますよ」。 周防は糸子の表情の変化を見逃さない。
 糸子はどうにも、やりにくくて仕方ありません。 いや、仕事はやりやすい。 でも、やりにくい(笑)。 このあと頬を叩くのは、周防と会う前の儀式みたいになっていきます(笑)。

 糸子はどうしてこの仕事を引き受けたのか周防に尋ねます。 金銭面とか勉強とか、いろんな理由を周防は語るのですが、最後に 「小原さんが指導に来ると聞いたけん」 とさりげなく言う。
 糸子は16秒、固まってしまいます(周防が三味線を弾くあいだ含む)(さっきの子供たちの沈黙といい、何の時間計っとんねん)。




 金曜放送分。

 魂を抜かれたように帰ってくる糸子。
 そりゃああんなことを言われたらねぇ。
 「熱あるんちゃうんけ?」 と心配する木之元に、糸子は離脱した幽体が戻ってきて(笑)言下に否定。 「ないわっ! 熱なんかないわッッ!」(笑)。

 井戸の水で顔を引き締めた糸子が戻ってくると、娘3人が手をついて土下座の格好をしています。

 「お母ちゃん」「話あんねん」

 話が何なのか聞かんでも分かるので(笑)「どき、どき」 と糸子は娘たちをかき分けて居間に入ります。 すかさず娘3人、「ピアノ買うてくださいっ!」。

 糸子はその様子に、自分がパッチ屋に勤めたいと父善作に頼み込んだ遠い昔のことを思い出してしまうのです。 「どけ」 と自分をかわして店に入る善作の記憶。

 ここ、不意になんか、鼻がツンと来ましたね。
 それにほだされて糸子もピアノを買うことを了承するかと思ったのですが。

 「アカンっっ!」

 善作を彷彿とさせる反応でした。
 おそらくピアノを買うてあげられるほどの余裕は、糸子にもあると思うのです。
 でも糸子は一瞬柔和な表情を見せながら、回想の善作が茶碗を投げつけたのと同じように、自分ののぼせた顔を拭いた手ぬぐいを、床に叩きつける。
 ピアノなんか買っても、どこまで続くか分かりませんしね。
 安易に買ってあげたもんに、根性入れ込んで続くわけがないですから。
 父親の気持ちを糸子はここで初めて?あらためて?分かったと思うし、それにもめげずにパッチ屋に入りたかった自分の気持ちを、再確認もしたと思うんですよ。

 出来上がった試作品。 北村は 「材料費がかかりすぎる」 と文句を言います。
 反駁する糸子。

 「北村さん。 おたく店を流行らせたいんですやろ?
 ほな人が欲しがるもん安う売る。 それを徹底的にやらんとあきません。
 特に開店がいちばん肝心なんです。
 あの店は値段以上のものを安う売ってくれる。 そないお客に信用してもらお思たら、最初は多少の我慢もせんとあかんのです!」

 精一杯いきがってそれを遮る北村。

 「あ~やかましっ!やかましやかましっ! ここの社長は誰じゃ? ワイじゃ! ほんなおのれらはな、わいのゆう通りにしちゃったらええんじゃ!」

 糸子はそんな北村の首根っこを引きずって市中引き回し…じゃなかった、自分の店に強引に連れてきます。 北村と糸子のやり取りを一部始終見ていた周防は、苦笑のしっぱなしでした。 どうも糸子を見ていると、楽しくて仕方ないらしい。

 さて北村に現場を見せて納得させよう、ということですが、商売人としての心構えが金儲けだけで動いている北村の心には、糸子の思いは届きません(笑)。
 「客なんか自分の顔がブッサイクなのに注文だけはようつける」 ととっとと帰ろうとするのですが、千代と昌子が 「もう食事も用意したんやし」 と北村の身柄を強引に拘束(笑)。

 頑強に 「もう帰ります!」 と拒んでいた北村ですが、次のシーンではすっかり呼ばれてます(笑)。 これもお約束やなぁ。
 千代がお酒をもてなすのは、死んだ主人がお酒が好きだったから、お客さんがお酒を飲んでくれるのを見るのがうれしいのだ、と話すのですが、これって結構切なかった。
 亭主を亡くし、父親を亡くしていた当時の千代の心情が今週は、さらりと語られていましたね。

 いっぽう北村は、オハラ洋装店の女所帯ぶりに、自分の家の男所帯ぶりを思い出した様子。 ここで自分が独り身であることもばらしてしまうのですが、家に女がいるというのは、変な意味じゃなくって、ええもんやなぁ、と漏らしてしまう。

 「なんで泣いてんの?」
 と訊く昌子。
 「泣いてない泣いてない…」 としおらしいところを見せる北村。

 翌朝、寝込んでしまった北村の耳に、朝餉の支度をする音が聞こえてきます。
 談笑する女たちの声。
 「聡子、新聞取っちょいで」
 「はーい」
 「おっちゃん寝てるよって起こさんようにな」
 布団を飛び越えて新聞を取りに行く聡子。
 北村の顔に、微笑みが浮かぶのです。

 なんか、いいシーンだったな~。
 なんてことはないシーンなのですが。
 男所帯だったから、あまりお袋にはかまってもらえんかったのかな、北村って。
 それとも何かほかに…。
 その寂しさ、切なさをうかがうことが出来たシーンのような気がします。

 作業場にやってきた糸子と北村。
 北村は疲れ果てた顔で周防にこう言います。

 「わいな…。
 女も服も、よう分かれへん。
 せやからこいつ(糸子)に全部任せら」

 元気なく出ていく北村。
 「なんがあったとですか?」 と訊く周防に、糸子。

 「毒気を抜いてもうたみたいで…お母ちゃんが」(笑)。





 土曜日放送分。

 服の概要が揃い、薄利多売をするためにこれを量産しようということになります。
 北村はかつてなく素直に糸子の指示通りに動く。
 かなり精力的です。
 「ワケ分からんがとにかくやり手の男」 という三浦組合長の評価そのままの働きです。

 そんなときに催された組合の月例会。
 三浦は 「新しい時代やのう」 と、感慨を隠しません。

 「新しい時代が始まるんや。

 戦争で焼けてしもたもんなあ。
 もうどんな思ても、二度とは取り返せえへん…。

 ほんでも…新しいもんはまだ…まだ手に入れることができるんや。

 な。

 お前ら切り拓け! なんぼでも!

 ほんでまた、新しいもんを見せてくれ!」

 感極まる組合長の話に、泣き出す北村。

 宴もたけなわになったころ、糸子はふと、考えます。

 「(北村さんの家に、なんで女がいてへんのか。

 周防さんは長崎で、どんな目に遭うたんか。

 組合長は、何を焼かれてしもたんか…。

 うちはなぁんも知らんけど、ほんでも、みんなとこないしているうちに、なんや、お湯につかったみたいに…。

 心の中から、溶けていくもんがありました)」。

 あの戦争のあと、みんながなにがしか、失ったものを持っている。
 その喪失感を埋めるために、日々頑張っている。
 女所帯のオハラ洋装店では女たちがたくましいため、そこらへんの切なさはにじみ出てこないのですが、それでもやはり、千代のように切なさを抱えていることは確かです。 ただ女たちは、それを笑い飛ばすしたたかさ、というものがある。
 男たちはそれに比べて、結構センチメンタルに流されてしまうきらいがあります。
 糸子がこの男ばかりの宴会で感じた安らぎって、実は女たちが押さえてきた我慢が垣間見えたことから起こったんじゃないのかな。
 そしてこのセンチメンタリズムって、酒飲みの父親、善作に通じている部分がある。
 酒を飲むと男というのは、かなりくどく感情に流される(笑)。
 糸子はその男たちのセンチメンタリズムに、父親の腕のなかにいる気安さを感じたのかもしれない。
 組合長のさっきの話は、大震災を経た私たちの心情とリンクするものもあります。
 なかなかに味わい深いシーンでした。

 酔いを覚ましながらの帰り道。
 糸子はつらつら考えます。

 「(はぁ…。

 うちは、恋しいんやな…。

 うちは、お父ちゃんが好きでした。

 勘助が可愛いてしゃあなあて、

 泰蔵兄ちゃんにあこがれてたし、

 勝さんを、大事に思てました)」。

 通り過ぎる米兵とパンパンガール。

 「(そういう人らを全部亡くして、開いたでっかい穴のところに、えらい人が入ってきてしもた…)」。

 周防の顔が糸子の脳裏を横切ります。

 月明かりに照らされた糸子の顔。 目からポロリと涙がこぼれます。

 「…かなんなあ…」。

 さびしい心が、かすれ声になった瞬間。 泣けました。

 「人を恋うる心」。

 糸子が人生のどこかに、置き去りにしてしまった感情です。

 それが、父親への郷愁から慕情へと発展していって、埋めがたい戦争の喪失感と結びついていく。
 そして糸子が、強引に抑えつけていた、不倫という不貞行為に対する抵抗力を、骨抜きにしていく。
 私には、かなりの説得力を持って受け止めることが出来た気がします。

 「(恋しいて、恋しいて)…。

 人のもんやのに…」。

 泣ける。

 ところが…(また野際サン…笑)。

 帰ってきた糸子がタンスを開けると、「ピアノこうて」 と書かれた紙がこの引き出しにも、この引き出しにも…(爆)。

 また高尚な思索を阻害しやがって(爆)。

 この3人の 「怪物」 の寝姿をあらためて見る、糸子。

 そして。

 糸子は寝る間も惜しんで仕事に没頭する周防と北村に、この人たちの開店をなんとしても成功させちゃろ、と決意します。

 「(それがでけたら、一個だけ自分に許そうと思てることがありました。

 それは、悔いの残らへんように、自分の気持ちにけりつけるちゅうことです)」

 そして開店の朝。
 糸子は洋服に着替え、紅も引いて正装をします。

 作業場にやってきた糸子。
 また4時ごろまでなんやかんやとやっていた、と起きたばかりの周防が話します。

 「あ、契約書ですよね?」「いえ…」

 糸子は持ってきた桜の咲いた枝を周防に渡すのです。 どっかから折ってきたのか? いーけないんだーいけないんだー。
 しかしここで、いけないんじゃ?と思わせる桜の枝のプレゼントは、いけないんじゃないか?と思わせるこの直後の告白とリンクしている気がする。

 「無事開店、おめでとうございます」

 「…ありがとうございます」

 糸子の洋服姿に気付く周防。

 「あれ?

 …よう似合っとですよ」

 糸子は意を決したように口を開きます。

 「周防さん」

 「ん?」

 「うちは、今日でしまいです。
 最後にゆわして下さい。

 好きでした!

 …ほんなけです。

 ほなさいなら…」

 お辞儀をする糸子。
 その場からすぐに消えたい、というように立ち去ろうとする糸子の手を、周防がつかみます。
 まぶしい朝の光。 外光がまた、周防を包んでいる。

 周防はゆっくりと、糸子を抱きしめます。

 「おいもです…」

 里芋じゃなかったのか?…ってちゃうっちゅーねん(スミマセンぶち壊しの解説して)。

 「おいも…好いとった…ずっと…」

 その様子を扉の向こうから見ていたのは。
 ジャガイモ…じゃなかった、北村です。
 北村は、サングラスを外します。
 あんなけ喧嘩をしちゃったのは、糸子を好きだったから、という悪ガキの定理だったのでしょうか。

 それにしても。

 周防のこの反応はちょっと意外でした。
 つまり周防の奥さんと子供は、ピカで死んでしまったのかな?なんてそのとき考えたりしました。
 奥さんと子供の影がまったく描写されてないもので。
 しかし実際の話、この不倫の話は事実らしいですね。
 思い切ったことをしますよね、朝ドラで不倫話とは。
 けれどもこのドラマの真骨頂は、「批判を恐れない疾走するだんじり」。
 よくぞやった、という気がします。

 糸子にとっても、周防の反応は意外だったと感じます。
 要はこの恋が成就すると、当の糸子が考えていないフシがある。
 自分の気持ちのモヤモヤをどうしようもできなくなったから、自分がその寂しさ、切なさに負けてしまいそうだったから、周防に告白した。
 その寂しさ、切なさ、悲しさの構造を重層的に描き出しているから、糸子の告白には同情できる余地が生ずるのだと感じます。

 してはいけないことをしている。
 その罪悪感を超えてでも、相手に伝えなければならない気持ちがある。

 本当は、そんなどうしようもないことを考えていたら、身も心もボロボロになりますよ。
 自分のダメさ加減が本当に嫌になってくる。
 確かに相手のことなんか考えてません、相手のことを思いながら。
 恋とは本来、そういうものです。
 相手がどういう気持ちなのかを尊重せず、自分だけの気持ちを優先しようとするから、人は苦しむのです。
 それが、恋する苦しみなのです。
 諦めきれない気持ちだけが暴走してしまうと、それこそストーカーだなんだっていう犯罪行為を犯してしまう。
 でも、それってすれすれのところで、とても紙一重なんですよ。

 注目なのは、当たって砕けてそれで終わりにしようとしていた糸子が、その思いを受け入れられてしまった、来週以降の動きですよね。

 あ~あ、今週は簡単なレビューになると思ったのに…。

 今週もずいぶん長い話に付き合っていただいて、心から感謝いたします。 ずいぶんお待たせしたし。

 重ね重ね申し訳ないです。

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2012年1月19日 (木)

「運命の人」 第1回 新聞って何? 新聞記者って何?

 山崎豊子サン原作、1971年の沖縄返還交渉の際のスクープ記事をめぐる話である、今回のドラマ。
 大まかな設定は事前にドラマ紹介サイトなどで確認していたので、第1回の話を見ていて感じていたのは、「ああそれでああなるのか」 みたいな、いかにもまったりとした雰囲気。 話の先が分かってしまう、というのは刺激的でないですね。

 ただ、ドラマの問題意識を貫いているように思えたのは、この 「沖縄返還の際に日米のあいだで密約があった」 ということが事実であれガセであれ、基地問題が現在に至るまで大きなしこりとしていつまでも居残り続けている、という点であります。

 極東の軍事的な拠点としての沖縄、というアメリカにとっての 「うまみ」 は、沖縄返還の際にも最後まで残しておきたい思惑があることは、外交的に考えればじゅうぶんあり得る。
 そしてアメリカに、他国からの軍事的脅威から守ってもらいたい、というのは、日本のスケベ心としてどうしても存在しているんですよ。

 だからいくら佐藤栄作総理がお涙頂戴で 「沖縄返還の悲願」 みたいなエラソーな大義名分で返還実現を飾り立てたって、「その裏にはいろいろとなんかあるんだろう」 というのは、やはりどうしても透けて見えてしまう。

 「密約」 に関しての私の見解は、まずそんなところであります。 「密約」 に拘泥せずとも、辺野古基地の移設とか今日的なニュースじゃないですか。 このドラマがなぜ今作られるのか、という意義は、じゅうぶんここで発生しているわけであります(「なぜ今その問題が?」 という議論、実は私は嫌いです。 何かから目をそらすためとかいう前に、今だろうが将来だろうが、考えねぱならないことは考えねばならないからです)。

 それにしても、私の住んでいるところの近くには米軍基地がないのでまったく問題に感じたことがないのですが、基地の近くに住んでいらっしゃるかたがたの苦痛はいかばかりかと存じます。

 だいたいあの、戦闘機の爆音。

 かなりのものですよ、あの騒音は。

 テレビとかラジオとか、電話とかネットとか、電波に影響はないんでしょうかね?

 守ってもらってるからしゃーないか、というレベルの話なのかなあ?
 政治家の皆さんは、一度そういうところにお住みになったらいかがでしょうか?
 米軍兵士たちが何かしでかしても指をくわえてなければならないし。
 一度指をくわえてみたらいかがなんでしょうかね?

 まあまあ。

 次に、ドラマ的な体裁について。

 主役の本木雅弘クンが毎日新聞の記者で、真木よう子サンが彼に外交機密文書を手渡してしまう外務省事務官の役。

 全体的な流れを見ていて感じたのは、話がいかにも情緒的な部分に流れつつあるような感覚。
 この話って結局現実でも、下世話な色恋沙汰で処理されもみ消されてしまった、といういきさつがどうやらあったらしいのですが、ドラマの論調もそんな下世話な方向に、行っちゃいそうな感覚なんですよ。

 つまり、真木よう子サンがモックンに、危険を冒してまでマル秘文書を渡してしまう必然性、というものが、今イチ伝わってこない。
 いや、伝わってこないのとは違う。
 真木サンのご主人がはーらーだ泰造(笑…原田泰造サン)なんですが、彼が結核で仕事が出来ない代わりに真木サンは外務省に勤め出した、という事情がまずある。
 その泰造サンがやたらと性格に問題があって、というとっかかりの設定。
 そして自分のボスである石橋凌サンのもとに足しげく通うモックンの男っぷりにほだされて肉体関係になり?モックンのために役に立ちたい、という気持ちが全開ガールになってしまう。

 うーん。

 別にいいんですが、彼女が実は、沖縄県出身だったとか、そういう理由づけがほかにあれば、かなりドラマが下世話な方向に傾くのを防ぐことが出来るのではないか、なんて考えたりしました。 事実がどうだったとかいう話じゃなくて、ドラマの体裁上、です。

 だからこのドラマは、真木よう子サンの凛とした感じ、それでいてフェロモンを発散させている女優イメージに頼って、ストーリーを進めようとしているように見えてくる。
 さらに言えば、モックン演じる新聞記者がやはり男気満々でしかも仕事のヤバさにうなされたりする繊細な部分を持って母性本能をくすぐる、そんな部分に頼って以下同文。

 ただそんな危うさを感じさせながら、やはり社会派ドラマとしての見応えはじゅうぶんなのであり。

 北大路欣也サンの佐藤栄作総理はハンサムすぎてなんだかなあ、という気はするのですが、特筆すべきは柄本明サンの大平サン(のちの総理)。
 「うー、あー」 とか、最初笑いました。
 でも、毎日新聞のモックンに心を許しながらも、実は読売新聞の大森南朋サン(どうやらナベツネがモデルらしい)にも接触しふたりの敏腕記者を手玉に取っていたり、かなりの権謀家。
 不破万作サン演じるところの田中角栄はなんとなく鈴木ムネオ氏みたいだったのですが、彼のやることも毒入り饅頭とか(違うか)かなり露骨で見ていて楽しい。

 なにしろ山崎豊子サン原作のドラマを見ていて楽しいのは、こういった昔の政治家たちの人間的な面白味、なんですよね。
 必要悪まっしぐらで、ブレがない。
 人間的に悪くても、なんか許せちゃうようなところがある。
 ワルの醍醐味、というものが備わっているんですよ。

 そして途中でリタイアしてしまいましたが、このドラマの前作 「南極大陸」 にも共通して言えたんですが、なにしろ昔の大人たちは、ちゃんと大人なんですよ。 せいぜい4、50年くらい前だっていうのに。
 今の大人はダメですな。
 自分なんかその筆頭ですけどね。
 精神年齢が、低すぎるんですよ。
 永遠の少年、なんていうと聞こえはいいですけどね。
 オレなんか、8歳児のまんまだ。

 モックンの妻を演じている松たか子サンなどは、その点に於いてどうも、幼さが抜けきらない、という気はいたしましたが。 まだ 「不毛地帯」 で唐沢寿明サンの妻を演じた和久井映見サンのほうが、大人感があったかもしれない。
 や、演技力は確かなんですけどね。 顔が幼い、ってことです(どうも言い訳じみたフォローだ…)。

 その点に於いて、主役の本木雅弘クンも、なんとなく 「大人」 ということと格闘しているような部分があった気がする。
 実は事前に、彼がゲストで出てきた 「チューボーですよ!」 を見たんですよ。 まあ番宣目的の。
 そこでの彼は、とても軽くてまるでシブがき隊の時代を彷彿とさせるようでした。 とても 「おくりびと」 でアカデミー賞(外国映画部門)を獲った人とは思えないくらい。
 私、学年は違うんですが、彼とは同い年なんですよ。
 で、この時の彼を見ていていたく共感したのですが、自分が大人になっていいのか子供のままでいたいのかが、なんかとても分からないところがある。
 彼は、ある部分ではとても大人の対応が出来る人です。 自分のことを普通の会話でも 「私」 と言ったりする。 別に 「私」 と言やあ大人だ、というわけでもないんですが。
 でも 「チューボーですよ!」 を見ていて、彼は46歳の大人だけれども、実は子供みたいにはしゃぎたくて仕方がない部分の、すごく強い人だ、と思ったんですね。

 その彼が今回のドラマでは、精一杯声を低くして、「大人」 を演じようとしている。

 それは見ているうちにしっくりくるもので、最初感じていた 「声作りすぎ」 とかいう感想はあっという間に消えていったのですが、松サンにしろ、現代の俳優が大人を演じようとするのには、かなり困難が伴うような気は、いっぽうではしたんですな。

 その点では大森南朋サンや真木よう子サンなどは、年が若くても大人を演じられる俳優さんなのかな、なんても感じたり。

 話がダラダラとしてきたので、ちょっと本題に入ります(これから本題かよ)。

 実を言えば私がこの第1回を見ていて一番感じたのは、「新聞記者ってなんだろう、新聞ってなんだろう」 ということでした。

 モックン演じる弓成や、大森サン演じる山部が血道をあげてビッグニュースを獲得しようとする、ドラマはその様子をかなり露骨に描写していきます。
 つまり昵懇にしている外務省の石橋凌サンの机から「極秘」「大至急」 などとハンコの押された文書を黙って持っていくモックン(ドロボーだ)。 田中角栄から賄賂が送られてきたら 「もっとよこせ」 と逆の方法でスクープをものにしていく大森サン(収賄でしょ)。

 よく新聞では 「政府関係者によると」 というニュースソースがありますが、あれってかなり厚顔無恥でないと世間に公表できない話なんじゃないか、と。

 で、そこではたと気付いたのですが、実は40年前の当時より、現代のほうが記者クラブとかぶら下がり取材とかが一般化しすぎていて、今の新聞記者はずいぶん楽チンなのではないか、と。 サラリーマン化しているのではないか、と。

 その是非は別として、新聞記者、というプライドって、今は 「大企業だから」 みたいなものに変質してしまっているのではないか、ということです。
 昔はまだ、「真実を報道することのリスク」 と闘いながら、記者たちは危ない橋を渡っていたような気がする。
 まあ、これは個人的な感想ですのであしからず。

 「新聞記者にとっていちばん大事な原則は、情報源を守ることだ。 極端なことを言えば、そこさえ守れば、真実のためにあとは、何をやっても構わんと俺は思っている」

 「問題意識を持ってアンテナを張るだけだ。 聞いた通りに書く奴は単なるブン屋だとなめられて終わりだ。 本物の新聞記者は、テーマを持って本質を問い続ける 『問い屋』 でなければならない」

 こういう問題意識で記事を書いている記者って、今の新聞社にいるのかな~、なんて感じる(あくまで個人的な感想ですよ)。

 個人的な感想のオンパレードになってしまいますが、私が現在の新聞界を見ていていちばんその問題意識で紙面を作っているのは、東京新聞あたりなんじゃないのかな、なんて感じる。

 あとはみんな、政府の御用聞きみたいな感覚じゃないのかな(あ~あ、私も敵を作りやすいタイプだ…)。

 ドラマ中、でんでんサン演じる毎日の販売部長が 「もっと読者受けするものを書けへんか、新聞読んでるのはインテリばかりとちゃうねん」 とイチャモンをつけてくる。 それに対してモックンは 「部数が欲しけりゃスクープをとって挽回する」 と答えます。

 これって毎日新聞の現実を結構如実に表しているシーンのように私には思えました。

 スクープの毎日。
 新聞協会賞の毎日。

 私がチューボー(ですよ!じゃなくて)の頃から感じていたのは、毎日新聞というのはかなり現実に即した論調の新聞なのではないか、ということでした。
 読売新聞はどちらかというと政府寄り、大衆迎合的。
 朝日新聞は左向き。 産経は右向き。 日経はワケわかんない。

 ただしその毎日も、今ではだいぶ他紙と比べると、紙面は少ないし、スケールが縮こまっている印象がある。 土曜版だ日曜版だ、と大盤振る舞い出来ないほど経営が行き詰まってるのかな、という印象がある。 日曜版なんか、戦時中みたいなのペラペラ一枚ですよ(今はどうか知らない…ここ数年とってない)。

 これって弓成が示していた態度で紙面を作っていった結果、インテリばかりが読む新聞になってしまったせいなのではないか。
 スクープと言っても、そんなに四六時中出るわけでもありませんからね。

 一昔前、毎日新聞は 「いろんな意見を載せる」 というスタンスで紙面を展開していたような気がします。
 でもこれって、「この事象にはこういう意見もあればああいう意見もある」、という切り口を見せるのには寄与したけれども、「じゃあ毎日さん、あなたの意見はどうなのよ」 という決め手を失う結果になっていったような気がするのです。

 新聞の読者というのは、結構断定的な議論をほしがっているような部分がある。

 その点で、読売の場合とても断定的に論旨が展開しているような印象がある。
 朝日の論調も断定的だけれど、どうも朝日の場合は理想論ばかりで机上の空論の傾向がある気がする。

 ただやはり、どんな論調でも、断定的なほうを読者は欲しがるような気がするんですよ。

 だから読売も朝日も、土曜版日曜版が大盤振る舞いできる(スゴイ偏見による極論で申し訳ない)。 毎日よりは儲かっている、ということじゃないでしょうかね。

 ドラマのなかでモックンが語っていたように、戦後の新聞というのは、戦前の大本営発表そのままを垂れ流し、国民を欺いてきた反省の上に立っている。

 でも記者クラブだぶら下がりだって、今の新聞はその反骨精神を、どこかに捨ててしまっていたずらに形骸化した権威だけが残ってしまっている。

 ドラマを見ながらそんなことを、私は考えていたのです。

 再三お断りしますが、これは私だけの感覚かもしれません。
 ただTBSも、同系列の毎日新聞について、結構突っ込んだドラマを作ったなあ、という気はいたしました。
 それともこのドラマのもともとの題材である西山事件について、毎日新聞の正当性だけをクローズアップさせる気なのかな。

 まあそのスタンスはよしとして、いずれにしても見ごたえのあるドラマであることだけは、間違いないようです。

 あ、書き忘れましたが、本文中全部実名で書きましたが、ドラマではみんな架空の名前になってます。

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2012年1月15日 (日)

「カーネーション」 第15週 ひとりの心と向き合う、ということ

 「うちは、夢を作りたかったんです。

 戦争で受けた傷を忘れて、新しく生まれ変わる。
 そうゆう夢です。

 服に託したうちの夢は、女の人らに届いたと思てます。

 ほんでも、服は服です。
 知れてます。

 ほんまに、どん底におる人を助けたいと思たら…。

 服とちゃう。

 この…自分の手ぇしかないんや」

 自分の夢を追いかけて、人は成長し、生きていきます。
 仕事をすることで、自分は誰かの役に立っている、と思いながら。
 車を売る人は、その車でその人がいろんな幸せに巡り合うことを信じて。
 建物を作っている人は、そこで暮らす人が幸せになっている風景を思い描いて。
 家事をしている人は、自分の家族の幸せを下支えしていることに喜びを感じながら。

 けれどもそれって、いつも 「あたりまえ」 の波のなかに消えてしまう。

 車に乗っている人は車がもたらしてくれる幸せを忘れて、渋滞にイライラし、かさむ経費を疎ましく思う。
 建物のなかでは家族がいつも幸せなわけでもない。
 そして見守っているはずの家族は、それぞれに自分勝手な方向を向いて、自分の世話をしてくれている人の有難みを忘れていき、世話をしているほうには、虚しさだけが降り積もり、家事は義務的になっていく。

 糸子にしても、服で世の中を明るくしたい、女性たちに新しい時代を闊歩してもらいたい、という夢があって仕事をし続け、それなりに成果も上げた、と自負はしているのですが、

 やはりひとりひとりの心の傷まで癒すことはできない、という限界を、感じていくのです。

 ひとりひとりの悲しみに向き合うこと。

 安岡の家や吉田奈津について、架空であるという話もちらほら聞きます。
 ということは、今週のこの物語は、ほとんどが脚本家である渡辺あやサンの創作、であるはずです。

 そこから見えてくるもの。

 それはリアリティを比較的無視しながらも、重層的なビジュアルのたたみかけと伏線の交差によって、見る側により深い思索を強要してくるのです。

 はぁぁ…。

 どないせいっちゅうねん!(笑)
 まともにレビュー書いてたら、いつまでたっても終わらへん!



 とりあえず月曜放送分。

 昭和20年12月。

 パーマ機がやっと安岡の家に納入され、オハラ洋装店に喜々としてやってきた八重子。
 購入に尽力してくれた糸子と昌子を、まず最初のお客様にしようというのです。
 キャッキャッはしゃぎまくる女たち。

 実は翌日、火曜放送分でも、戦時中休刊となっていた雑誌 「婦人美装」 の復刊を喜ぶ女たちの描写があります。
 ここでももう、実に彼女らはかしましい。
 ここでは戦争という楔(くさび)から解放された女性たちが、この世の春を謳歌していくことを如実に描写しているのですが、やかましいまでの女性たちと対照的なある男のコントラストを際立たせるための、いわば助走であったと感じます。

 そして元祖 「かしまし娘」 の退場のための序曲、世代交代の序曲だったと言ってもいい気がします。

 パーマをかけた糸子と昌子は、現代からみれば実に野暮ったい種類のパーマのように見受けられるのですが(特に糸子は、サザエさんかと思った…笑)、ここで彼女たちのエイジングをさりげなくアピールしている点にも着目です。
 静子が30歳、というのにはさすがに 「30歳見えへんわ」 と思ったのですが(笑)、話のなかでも糸子が33歳、ということを何度か登場人物たちに言わせている。
 パーマ機購入のストーリーを彼女たちのオバチャン化と絡めてしまうあたりは、もうなんつーか、見事意外に言葉が思いつきません。

 そしてパーマをあてる際に糸子がやってきた安岡の店。

 ここで2階で寝たきり引きこもり状態になっている玉枝のことを絡ませ、今週の 「カーネーション」 の体裁は、ため息の出るほど盤石な土台が出来上がっている。
 つまりこの玉枝とのやり取りが、今週のこの物語の核となっているのです。

 またここで(まだあんのか)、勘助と泰蔵の遺影に手を合わせ 「うちパーマかけんねんで」 と報告する糸子。
 今週の話の端々には、こうした 「死んだ者たちとの会話」 が巧みにインサートされている。 なにも実際の会話、と限らず、です。

 八重子は八重子で、玉枝のことを気に病んでいても始まらへん、うちの仕事やからうちの好きにさしてもらうわと、仕事に賭ける女の情熱や強さを一瞬で感じさせてくれる。
 八重子のこの態度は、なにも自分勝手にやろうとしているのではなく、家が活況を呈してくれば、自然と修復されていくものもあるだろう、という思いやりの姿なんですよね。

 んも~どうしてこう、たった数分でここまで深いことが出来るのか。 ここまでの描写で主題歌や先週の続きの部分を抜かすと、2分くらいにしかならんとゆーのに。

 なんかやんなってきたな、レビューすんのが(笑)。 誰か代わってください(爆)。

 年末の闇市。
 アメ横みたいな大盛況です。
 人々の生きるパワー。
 木岡のおっちゃんはそれに抵抗できずに糸子や木之元とはぐれていきます。 「糸ちゃ~~~ん!」(笑)。
 木岡が物珍しそうに遠巻きに眺めていた、例のパンパンガール。
 先週彼女らに散々オバチャンだのバカにされた経緯もあって、糸子は自分のパーマ姿をなんとか彼女たちにアピールしようとします(笑)。
 ただこれも、今週後半に出てくる奈津との邂逅の呼び水。 つくづく構成が見事だ。

 そして大みそか、「紅白歌合戦」 の前身番組となる 「紅白音楽試合」 を聞く小原家の様子が映し出されます。
 アレ? こんな早い時期からやってたっけな?しかも最初は大みそか放送じゃないんじゃ?と思ってまたウィキ頼り(笑)。
 この前身番組は確かに昭和20年の大みそかにラジオ放送されたものだったようですね。 どうもこのとき1回きりだったらしい。 で、それから5年後に本格的に 「紅白歌合戦」 として放送が始まったようです。

 ア~もう、無駄話しとる場合じゃないぞ(笑)。

 ここで 「リンゴの唄」 を喜々として歌うのが、ちょっとだけ大きくなった優子と直子。
 特に直子は、糸子の少女時代を演じた二宮星チャンの再登場です。
 このふたり、何かというと張り合ってばかりで、このあと 「丘を越えて」 をやはり張り合ってがなりまくる、というシーンがありました(笑)。
 それをですね、このふたりはラジオに向かってがなりまくるんですよ。
 これ、なんとなく分かる気がする。
 ラジオというのは、その時代のいわば、オンステージなんですよね。
 だからそこに我れ先に、と舞台に飛び出そうとしているふたりの子供の心情が投影されているような気がする。
 しかも大きな声を出し合っている、というのは、対抗意識だけじゃなくて、どこか楽しんでいる感覚もある。
 遊んでいるんですよ。

 「(来年は、もっとええ年になりますように…)」。

 年越しそばを食べながら、ふたりの娘が歌を歌うのを楽しそうに眺めていた糸子。
 対象的に安岡の家では、八重子が年越しそばを食べようと2階に向かって声をかけるのですが、玉枝は呼ばれません。
 「ええわ。 食べよう」。
 八重子はいつものことや、というように3人の子供たちと一緒にそばを食べます。
 太郎たちも成長した模様。
 しかし玉枝は、真っ暗な2階で、ひとり床についたままです。
 寒々とした、蒼い闇。
 窓の外では、雪がちらちら降っています。

 「(みんなが笑って、暮らせる年になりますように――)」。

 糸子のナレーションが、玉枝の冷え切った寝床のシーンにかぶさります。

 昭和21年2月。

 「丘を越えて」 をがなっていた優子と糸子は、物差しを手にした糸子によって首根っこをつかまれ(笑)外に追ん出されます。
 横で見ていた私のオカンは、「うちも母ちゃんに物差しでよく追い立てられて外に行かされた」 と話しておりました(笑)。 子供は家にいるもんやない、外外!というのは当時の常識だったようです(笑)。

 そこにやってきたのは、ひとりの復員兵。 夫勝の最期を報告しに来たのです。
 最後までのんきで、と言いにくそうにしていた同僚ですが、最後まで上機嫌やったんやなあ、とその様子を理解する糸子。
 彼が持ってきたのは、勝がいちばん大事にしていたものだった、一葉の写真。
 そこには勝と、赤ん坊の時の直子を抱きかかえた糸子の写真が写っています。
 勝の前には優子もたたずんでいる。
 糸子はその写真を見て、愕然とします。
 柔らかな日差しが差し込むなかで映し出された、一葉の写真。
 そしてそれを見る糸子の傍らを、同僚が勝の仏前にあげた線香の煙が、通り過ぎていく。
 まるで線香の煙が、勝の霊であるかのように、光を形どって行くのです。

 なんという芸術的なシーンか。

 この、勝の意識を感じさせるようなシーンが、実は今週散見されたような気がしております。

 糸子は勝の同僚が帰ったあと、縁側にもたれて、今まで心の底にわだかまっていた夫とどこかの女が写った写真を、火鉢で燃やします。
 糸子はいつぞや勝に買ってもらった、赤いショールを肩に羽織っている。
 それだけでもう、すべてが分かってしまうではないですか。

 「しゃあない。 堪忍しちゃら」。

 自分を呼ぶ静子の声に、「はあい」 と答える糸子。
 次回、この静子が、嫁入りします。

 おい、もうたいがいにしてくれ…。 これ、月曜放送分だぞ…。 終わらん…。



 火曜放送分。 ついにこの日が来てしもた。

 闇市で糸子は、青地に白の水玉の模様の生地を見つけます。
 やっと、やっと、目の覚めるようなおしゃれな生地が、出回り始めたのです。
 「(やっと見つけた。 新しい時代の、洋服の生地や!)」
 「うちのだんじり」(ミシン)を見つけたときと同じようなセリフ。
 糸子の興奮が、伝わってくるようです。

 「なぁ…モンペしか履いたらアカンかったし、作ったらアカンかったんが、やっとや…!
 やっとほんまのほんまに新しい生地で、洋服作れる日ぃが来たんや! ごっついことやなぁ…!」

 糸子はサエに、その喜びをぶつけます。
 サエは糸子に、さっそくこの生地で服を作ってほしい、と頼みます。 これを着れば、自分は生まれ変われる、という喜びに満ちて。

 「(あんな戦争のあとでも、これ着て生まれ変わった気ぃになってくれるんやったら、そんなにうれしいことはありません)」。

 出来上がったその、目の覚めるような水玉のワンピース。
 小原の家の女たちは、またまたうるさいほどにその出来栄えを喜びます。 ホントにかしましい(笑)。 そのかしましさのなかで、糸子の娘たちも服を作ることの喜びが刷り込まれていったのだ、と感じましたが。

 ところがサエ用に作ったその水玉のワンピースを、妹の静子がどうしても今日一日だけ私に着させてほしい、と頼み込んできます。
 自分の好きな人が戦地から帰ってくる。 それを精一杯のおしゃれをして出迎えたい、というのです。
 糸子はまったく寝耳に水で、「女ごころに疎い」 と言っていたサエの指摘の正しさがまたここで実証されてしまった格好(笑)。
 静子の年がここで30だとあらためて判明して、私はさっき書いたように 「チミチミ、その顔で30は無理やろ」 と思たのですが(笑)、当時はやはり、好きな男の戦地からの帰りを待ってそんな年まで行かず後家みたいにしていた女性も多かったんだろうな、などと考えてしまいました。

 静子はホントの後家になってしまっていた姉糸子に気兼ねしていたようです。 そんな静子に、糸子は 「あんな。 姉ちゃんをなんやと思てんねん」 と見得を切るのですが、このあと同じ見得を切ることで、糸子は大失態をさらすことになります。 これがまたその呼び水。 なんかもう、当然のように見てますけどね、かなり高度なことをやっておりますよ、このドラマ。

 背の高いサエ用に作っていたため、臨時の丈詰めをしたその水玉のワンピースを着て、静子は復員してきたその恋人と、商店街のどまんなか白昼堂々(ドロボーか)熱い抱擁をします。 道ゆく人も木之元のおっちゃんも、目を丸くしてフリーズ(笑)。 「ご、ご、ごっついな~この頃の子ぉは」 物陰で見ていたサエも当てられっぱなしです。 ダンスホールで踊り子していた、最先端の女性だったのにネ(笑)。
 そんななか、母親の千代だけが、真面目な顔をして涙ぐんでいる。
 つまり千代だけは、あんなノンキそうにしていて、静子の恋人事情を把握していたんですよね。
 まあ当然かな。 糸子のところに男が来たくらいで 「いや~っ!あんた、そうなん~!」 ですからね(笑)。

 ところでこの水玉のワンピースは爆発的な売れ行きに。

 これって私にはとても不思議に思えたんですよ。
 なにしろ他人と同じものを着る、って結構恥ずかしいようなところって、あるじゃないですか、現代って。
 ユニクロの軽いダウンジャケットを着ている人を見ると、「ああ恥ずかしい」 とか(お持ちの方、大変失礼いたしました)。
 それなのにこの当時って、他人と同じものを着る、ということが、実はひとつのステータスでもあったんですね。 流行に乗りたい、ということがそのまま自分の主張でもある。 人と同じものを着るということで安心したい、という側面もあったにせよ、そこに恥ずかしい、という意識が働いていない。

 これってその当時、洋服が大量生産されないオーダーメイドのものであったことも、大きく寄与している気もいたします。
 ということは、この先大量生産の波に、オハラ洋装店も岐路に立っていく、という展開が、待っているのでしょうか。
 糸子のミシンは、快調に飛ばしまくっています。

 そしてその年の5月。 静子が嫁入りします。 髪結いは八重子が務めます。
 白無垢の花嫁衣装。 貞子が一世一代の意気込みであつらえたのに、結局糸子の結婚式では日の目を見なかったものです。
 善作の遺影が、またそれを見守るように映されます。
 「静子、きれいやで」 と言っているようです。
 静子は寝たきりになっているハルおばあちゃんに、別れのあいさつをします。

 「おばあちゃん…いってきます…」

 「きれえな、花嫁さんや…」

 消え入りそうな声の、ハルおばあちゃん。 年越しそばは食べてはったのに。 もう起きられんほど衰弱しとるんか。
 この展開、ちょっとショックです。
 静子もまるで今生の別れであるかのように、おばあちゃんと会話をする。
 この部分だけで、もうじゅうぶん、おばあちゃんの容体がこちらまで伝わってくるのです。

 「今日まで…お世話になりました…」

 「達者で…幸せになるんやで…」

 「またすぐ帰ってくるよって…」

 「アホか。 帰ってきてどないすんや…」

 場に静かな笑いが流れます。 でも、ハルおばあちゃんは泣きそうな声で 「達者でな…」 と続けるのです。

 白無垢のまま小原の家から出ていく静子。 商店街の人々から祝福されます。
 昔はこうやった…。 私は自分の叔母の結婚式を思い出しました。
 2階から糸子に付き添われ、それを見送るハルおばあちゃん。
 見上げる静子。
 ハルおばあちゃんは、やさしく笑いながら、力なく何度もうなづきます。
 涙があふれていく静子。
 「はよ行き。 婿さん待たしたら、またおばあちゃん怒んで」 と糸子。
 糸子のときは大遅刻で、おばあちゃん大魔神みたいでしたっけ。

 「…行ってきます…」

 静子のこぼれる涙を、千代がぬぐいます。

 うなづくおばあちゃん。
 このひと月後、おばあちゃんが静かに息を引き取った、と糸子のナレーションが。

 つづく。

 マジ? 死んじゃったのかよ? マジかよっ!

 思わず私はテレビにしゃべってしまいました。

 なんとまあ、あっけないのだ。

 ここでいったん視聴を中断。

 いかにも人の死ぬところを一切見せようとしない、このドラマらしい手法。
 このあまりにあっけない、ハルおばあちゃんの退場に、かなりの余韻が残りました。
 思えば息子善作が火に包まれて以来、ずっと腰が抜けっぱなしだった、ハルおばあちゃん。
 年月にして2年半、と言ったところでしょうか。
 「息子より長生きしたかて仕方がない、はよお迎えが来てほしい」 とばかり口にしていたハルおばあちゃん。
 商売があまり上手とは言えなかった自分の息子に、やはり大きな期待をかけていたのでしょうか。
 ハルおばあちゃんの生きる気力の支えだったのは、大輪の花を咲かせていた孫の糸子ではなく、不肖の息子の善作だったのでしょうか。
 だとすると、息子が娘に自分の呉服屋を譲ったときに、糸子につきっきりになったのは、孫の糸子のためではなく、息子の善作をバックアップするという動機だったのかもしれない。
 だから根岸先生との思い出の一品であるカツレツを揚げながら、「今日から、うちとアンタの、ふたりっきりや!」 と宣言した時のハルおばあちゃんは、実は糸子を励ましているよりも先に、息子の力になれたことを喜ばしく思っていたのかもしれない。

 「大丈夫、食べれる、食べれるて」 と、息子が叩きつけたひしゃげたケーキを裏返して孫たちに食べさせようとしていたハルおばあちゃん。
 これもやはり、糸子が頑張ったからこそ買ってこれたケーキをダメにすることは忍びない、という気持ちよりも、息子の不始末を堪忍したってや、という気持ちのほうが、強かったのかもしれない。

 いずれにしても、なんという余韻を与えてくれるドラマなのだろう、と、しばしボー然(笑)。
 こんなあっけない幕引きをされて、なにも残んないのかなんてことが一切なくて、却ってその逆。




 水曜放送分。

 おばあちゃんの死がひとつの時代の終わりを告げたように、妹の清子もまた、お嫁にいくことになります。 仏壇に手を合わせる清子の向こうには、善作、勝と共に、あらたにハルおばあちゃんの遺影が。

 そしてオハラ洋装店にも新しい雇い人が。 それが六角精児サンが演じる、松田恵、という経理担当の男。
 オハラ洋装店は女所帯ですから、おそらく経理も女性を入れようと糸子は考えた、と思うのですが、その名の通り女性と間違えられることの多かった、ちょっとムサいオッサンが、物語をあらたな方向に動かすキーパーソンとして登場するのです。

 大手の洋裁店に勤めていたことから人脈もあるその松田から、糸子は泉州繊維商業組合という組織を紹介されます。
 ちょうど月例の会合の日にぶち当たった糸子、その組合の宴会場に足を踏み入れます。
 その会合というのが、また輪をかけてムサいオッサンの集まりで(笑)。
 そこの組合長サンが近藤正臣サン演じる、三浦。
 三浦は糸子が来た早々、そそくさと席をはずしてしまうのですが、その三浦のカバン持ちをしている、周防(すおう)という若者。
 これが2年半前、ドラマ 「Mother」 で尾野サンと一緒に芦田愛菜チャンをいじめていた(既にコメント欄では言及していましたが)綾野剛サン。 今は 「開拓者たち」 で満島ひかりチャンの弟やってますわ。 「Mother」 のころは 「この児童虐待男、マジムカつく」 などとこのブログでも散々叩いていたんですが(笑)、最近は改心したようです(現実とドラマの区別がつかんよ~になっとる…)。

 その周防、長崎出身でほとんどなに言ってるか糸子には分からない。
 私などは却っていろんな場面で長崎訛りに接しているせいか、糸子が周防の言うことが理解できないでいる場面というのが、とても不自然に最初は見えたのですが。

 でも、当時ってやっぱり、自分の住んでいる地域以外にはラジオのしゃべる標準語程度しか理解できる言語がなかったような気がするんですよ。
 それに岸和田、というのは、かなり人の流れの少ない地域だったようにも思える(誤解であれば申し訳ないです)。 少なくとも糸子にとっては、神戸が若干の別世界で、ほとんど岸和田だけで人生が成立してますからね。 糸子も長崎の人としゃべるのはこれが初めてだ、と言ってましたしね。

 ただまあ、それを考えると、ドラマなんかの幕末もので長州弁や薩摩弁、土佐弁が入り組んでいる構造って、かなりグローバルな気がするのですが、そこで難なくコミュニケーションが成立していることのほうが、ちょっと不自然に思えてくる。 まあ幕末の志士たちは、外部との接触に慣れていたのでしょう、と勝手に納得することにします(笑)。

 糸子が周防の言うことに難儀しているところにやってきたのが、ほっしゃん。演じる、北村という、ワケ分からんがやり手の男ちゅうヤツ(笑)。 糸子を見くびって、里芋が来ただのまあ~失礼なヤツです。
 その北村に酒を勧められた糸子。 「なんや酒も飲めんのか」 とバカにされそうになったため、「…はっ!ハハー、なめんといてください! うちは岸和田では有名な酒豪で通ってます」 と見得を切ってしまう。

 糸子はまあ見る人が見れば完全に 「コイツ呑めんな」 と分かるような反応をしながら(笑)、どぶろくを茶碗でイッキ飲み。 さすがに酒飲みの善作の娘です、たぶん生まれて初めて飲んだ酒を、「こりゃいける」 とますますがぶ飲み。

 ここで糸子が 「結構いける口やな」 と組合のムサいオッサン連中に思わせるかどうかは、やはり本題ではないのだ、と感じます。 勝った負けたが本題じゃない。
 要は、糸子がこのような男所帯のむさくるしい場で、飲んだこともない酒を飲んで対等に渡り合おうとしている心意気が、組合員たちに知れ渡ればいい場面なんだ、と思うんですよ。

 当然のごとく糸子は泥酔、お猪口を乳首に見たてて酔いつぶれたほっしゃん。の胸に当てたりします(爆)。

 糸子は誰かにおんぶされてオハラ洋装店まで帰ってきます。
 その背中で、糸子は目を覚まします。

 「(うん…? どこや…?

 うち…誰かにおぶわれてんのか?)」

 糸子はその人に向かってつぶやいてしまいます。 「…お父ちゃんか?」

 私はこの場面、不意に泣けてきてしまいました。
 おばあちゃんは向こうに行ってしもた。
 妹たちもつぎつぎ嫁いでいく。
 ムサいオッサンは新しく入ってくる。
 そして見知らぬ人たちばかりの組合の会合。

 移り変わっていく景色に、年をとってますます大人としての行動をしなければならなくなっている現状。

 そんな心細さのなかに、突然おぶわれる、という幼い日の記憶がよみがえるような展開。

 糸子が思わず、「お父ちゃん?」 とつぶやいたその一言には、糸子の悲しさが、切なさが、凝縮されてつまっている。

 そんなことを考えてしまったのです。

 糸子は暗闇のなかでおぶわれながら、子供のようなにこやかな表情に戻っていきます。

 「(あれ? うち…年なんぼやったっけ?…)」

 33やて。
 この前も、自分に言い聞かせるように、ゆうちゃったやないけ。
 でも、いくら自分に言い聞かせても、心の年齢というものは、容易に年をとっていかないのです。
 そのはかなさ。 かなしさ。
 このシーンには、そんな切ない感情が、溢れかえっていました。

 翌日、二日酔いで頭ガンガンのなか、自分をおぶっていた人が、周防であったことが判明します。
 幼い自分にリンクしてしまって、それまで精一杯大人を演じてきた自分の本音(「お父ちゃんか?」)を聞かれてしまった恥ずかしさに、糸子はうずくまってしまいます。

 「(あ~あ…どうか、もうあの人に金輪際会うことがありませんように…)」。

 ということは、会うんですな、このあと(爆)。





 木曜放送分。 ああまだ、クライマックスまで程遠い…。

 「おはようございますっ!!」

 朝っぱらから、澤田のオバハンが国防婦人会…じゃなかった、「米よこせ」 のタスキをかけて、オハラ洋装店に乗り込んできます。
 「ヒイイッ…!」 糸子は条件反射的に隠れようとしてしまうのですが(笑)、どうも澤田のオバハンは今度は 「朕はたらふく食ってるぞ」 運動に加担しているようです(笑…っちゃいかんのかな)。 「要はあないに説教でけたらなんでもええんですね」 と昌子。
 これは一面では、澤田の心の虚しさを埋める行為、という見方もできるかと思うのですが、本当は、次々と夢中になれるものを見つける女性という生き物のたくましさを描写している、そんな気がいたします。

 続いて現れたのが、紳士服はここでは取り扱わないのか、という男性客。
 糸子は夫がいなくなってからここでは取り扱っていないと言い、ほかの仕立て屋を紹介するのですが、どこもまだ再開していない、とその客は言います。
 ここで糸子が挙げた仕立て屋のなかに、テーラーロイヤルが入っていない、というのはちょっこし気になりました。
 つまりあげな商売してたんで潰れたんでしょうな(何でいきなり 「ゲゲゲ」 に戻っとる?)。

 そこで松田恵の提言により、三浦のつてで派遣されてきた職人が、糸子が 「金輪際」 会いたくなかった、周防。 お約束ですな。

 この周防。

 糸子が目を離すと何かに見とれていて、なかなかまっすぐ店に辿り着きません。 どこか上の空みたいな感覚。 そしてどうも、語り口がはっきりしない。 やさ男、という感じなのです。

 「ハキモノの木岡」 というオハラ洋装店の隣の看板がヤケに今回は目立つなあ、と思いながら見ていたら、次のシーンで糸子は周防が脱いだ靴を珍しそうに眺めます。
 それは先の尖った、ショートブーツみたいな靴(スミマセン、靴とかファッションには疎いもので…)。

 糸子は2階の、夫が使っていたミシンのところまで周防を案内するのですが、麦茶を持ってきた千代が周防とのやり取りで長崎弁絡みのショートコントをしているあいだ、糸子は戦時中も何とか守り抜いた、夫の使用していたミシン台をいとおしそうに拭いています。

 周防は糸子に、店のショウウィンドウに飾られていた水玉のワンピースはあなたが作っとっと?と尋ねます。 そうだという糸子の返事を聞いてニヤニヤしている周防。 「けったいなことを訊くお人やなぁ」 という表情の糸子。

 翌朝、再びやってきた周防はまたショウウィンドウを微笑みながら見ています。 そこに元気に飛び出してきた優子と直子。 周防のイケメンぶりに当てられたように、おしゃまに 「おはようさん」 とあいさつする。 糸子は周防の脱いだ靴に、また注目します。

 そして糸子は、その靴は長崎ではよう売っているのか、と尋ねます。 ピカ(原爆)が落ちたときに家内が持って逃げてくれて燃やされずに済んだ、と周防は答える。
 そして長崎弁から、言葉が分からなくても、三味線で分かりあえる、という話をしながら、周防は服もそうだ、という話をし始めます。

 「服もやっぱい、言葉がなかったっちゃ、いろんなことが分かるけん」

 そして、自分はまだこの戦争が終わってまだ1年、まったく立ち直っていないというのに、女性たちがあの水玉のワンピースを着て闊歩していることに感銘を受けた、というのです。
 周防の回想。 来る女性来る女性、みんな水玉のワンピースを着ています。 そしていい年をしたオバチャンも(ここで笑わせるのがこのドラマの長所であります)。

 「おいは、あん服ば格好良かて思うたと。

 格好良かし、…きれか」。

 格好がよくてきれいだ、と。

 このシーン。

 外光が勝の形見のミシンを、強く照らしています。

 まるでそれは、勝が周防にしゃべらせているかのように。

 糸子は言葉が分からないのに、その気持ちがすうっと自分の心のなかに入ってくるのを、感じている。

 おそらく仕事とはいえ、夫の形見のミシンを他人に使わせることには、糸子も躊躇があったはずです。
 念入りにミシン台を拭く糸子の様子から、それはうかがえる。
 けれどもミシンも、使われて初めて、その用をなすのです。
 ミシンも喜ぶ(まるで生き物みたいですが)。 そしてそれを使われたことで、勝も喜ぶように感じる。
 この外光は、画面のなかで周防とミシンとを溶け込ませ、糸子に対して強烈な印象を与えることに成功している。 糸子はその揺らめく光のなかで、勝に対して抱いていた気持ちと周防に対する気持ちが同化していくことを、感じるのです。

 名場面。

 そしてこの木曜放送分のラストカットは、外光が差し込むミシンと周防、そしてそれを眺める糸子の、斜め上からの俯瞰です。 まるで勝の霊がそこから天上に離れていくかのようなカット。

 言葉を失います。





 金曜放送分。 まだかよ…。

 物静かなイケメン周防の様子に、オハラ洋装店の女たちは、もうすっかり骨抜き状態であります。
 この周防には、何か常に、外光がつきまとっている感じがする。

 糸子は闇市から帰ってきた木岡と木之元から、衝撃的な話を打ち明けられます。
 奈津がパンパンになっている、それを闇市で見た、というのです。
 それを聞いてからの糸子は、仕事がまったく手につきません。
 周防に請われて闇市まで、紳士物のボタンを一緒に買いにきた糸子。
 糸子は奈津の姿を、どうしても探してしまう。
 糸子に少しぶつかって通り過ぎた、片足を引きずる男。
 奈津が以前フラフラとついていった、あの傷痍軍人です。
 糸子は奈津が救いようのない面食いだったことを思い出し、その男のあとをついていきます。

 ここらへんの展開、つらつら考えるに、とてもイージーであります。
 しかし作り手がここで重要視しているのは、リアリティではない。
 話をスッ飛ばさなきゃ全部書けない、という焦りもいっさいそこにはない。
 このくだりから、物語は奈津の落ちぶれぶりを描くと同時に、架空の存在である安岡玉枝を絡めさせていきます。
 つまり、脚本家である渡辺あやサンの創作である可能性が高い(事情通でないので真実は知りません)。

 でもそこから見えるのは、何なのか。

 それは現実世界よりも濃い、作り手の主張なのです。
 作り手はあらかじめ、安岡玉枝という、転落してしまった人物を描くことで、糸子や見る側ののど元に、抜き去りがたい棘を残したままで物語を進めている。
 それをどう料理するかで、作り手の主張は現実よりもさらに強烈に、見る側に訴えることが出来るのです。
 これは、演劇的手法と言ってもいい気がする。
 リアリティを無視して極端な世界を見せることで、より主張はピュアになっていくのです。

 片足を引きずった男が入っていった、粗末な小屋。
 糸子を追って、周防もそこにやってきます。
 「ええ加減にしいや! このごくつぶしが!」
 気の強い口調のなじり言葉。 それだけで奈津だと分かります。
 周防も糸子がどうしてこんな行動をとっているのか、時代だから瞬時に理解できる術を持っている気がする。
 糸子は少々パニック状態になっているのか、周防にわけのわからないお願いをします。

 「あの…。

 もしうちが飛び出して来そうになったら、止めてもらえませんか?」

 「飛び出す…?」

 「はあ。 その…。

 そこから出てくる相手によっては、うち、飛び出してまうかもしれへんやけど、その、今日は、やめといたほうがええと思うんです。 前もそんでうち失敗してるよって。 うちが頭に血ぃのぼってしもて、怒鳴りまくってしもたよって、相手逃げてしもて、そやさかい…」

 この糸子のセリフ。

 正直、何を言っているのか分かりません。
 つまり糸子のなかでは、さまざまな過去のトラブルの時の様相が頭の中を錯綜して、話がうまくつながっていない。
 怒鳴りまくって相手が逃げた、というのも、該当する場面がどうも頭に浮かびません。
 おそらく奈津が糸子に借金を申し込んだときにケンカになってしまい、そのあと奈津が夜逃げをした時のことを指しているのだと思うのですが、賢明なこのブログの読者様なら、該当する場面が思い浮かぶかもしれません。
 そして相手によっては自分が飛び出してしまうかもしれない、と言っている。
 これも、奈津が関わっている連中がヤバイ筋の男だったら、という思いがあるのか、それとも奈津自身がそこから逃げて出てくる、と糸子が考えている、と思われるのですが、それを見て自分が飛び出してきたら、自分を止めてほしい、と周防に懇願している。 なんかわけが分かりません。

 だから個人的には、この場面では糸子はパニクっている、という見方をしています。
 だとすれば、このセリフは非常に実験的である、と考えられる。
 異論があれば受け付けます。

 その説明の途中で、奈津が現れます。

 「奈津…!」

 そこに立っていたのは、派手派手衣装ですっかりパンパンガールになってしまった、変わり果てた奈津の姿。

 ふたりとも、凍りつきます。
 周防はやっぱりか…、というような表情で目を伏せている。

 糸子は奈津ににじり寄ります。

 「あんた…!」

 いきなり平手打ち。

 「何してんや? あんたいったい何してんやッ!」

 奈津を突き倒す糸子。
 奈津はほぼ無抵抗のまま、倒れてしまいます。 その上に馬乗りになる糸子。

 「借金して夜逃げして、何してんやッ!
 なんやこの格好!
 ゆうてみいッ! ゆうてみいッ!」

 奈津をぶち続ける糸子を止めに入る周防。 奈津はよろよろと立ちあがります。

 「関係ないやろあんたに!
 あんたになんか、なんも関係ないッ!」

 持っていた赤いバッグで糸子をひっぱたく奈津。

 「関係ない! 関係ない!」

 バッグを手に持って糸子をぶち続ける奈津。 周防が糸子に覆いかぶさります。

 「二度と来んな! あんたなんか…あんたなんか、なんも関係ないんやッ!」

 吐き捨ててその場から逃げ去っていく奈津。
 奈津にぶたれた頬に手を当て、いつまでも立ち尽くす糸子。

 奈津が 「あんたには関係ない」 という言葉を連発したのは、奈津独特の強がり、という見方もできますが、自分と関わるとヤバイ連中がついてくるから、糸子を危険にさらさないための方策であるようにも思える。

 そして、「うちのことはほっといて!」 というニュアンスを含みながら、「うちを助けて!」 という叫びも、そこに内包されている気がする。 そもそも奈津が、糸子や木岡、木之元のおっちゃんに容易に見つかるような、闇市でうろちょろしている、ということ自体が、「うちを助けて!」 というサインのような気がするんですよ。 つまり、けっして話がイージーじゃなかった、ということでしょうかね(自分で書いといて何だ…笑)。

 ともあれ、さまざまなことが読み取れる、という意味で、この場面は白眉の場面でした。
 どうしてこれだけのシーンで、いろんなことが読み取れてしまうのか。

 糸子はその晩、子供たちと寝床で川の字になりながら、いつまでも寝付くことができません。
 翌朝、「昨日はすんませんでした…」 と謝る糸子に、何事もなかったかのように微笑みを返す周防。
 糸子はその微笑みに、なんだか自分の心が、どこにあるか分からないような、微妙な表情をします。
 ホッとしているのとも違う。
 「なんなんやろう、あの人」「なんなんやろう、この感覚」 という表情です。

 また外光のなかで、仕事を続ける周防。
 どうもいつも、外光が絡んでるんだよなあ。

 そこに水玉のワンピースでやってくるサエ。
 イケメンの周防に興味津々です。
 けれども糸子は、サエのその反応に、何か疎ましいものを感じている。

 新しい時代に、女性たちの気持ちも一気に自由になって、開放的になっている。
 でもそれが、いい男を見ると見境なくウキウキしたりする浮ついた心を育てている側面も否定しきれない。
 糸子は、自分がよかれと思ってしていることが、何か間違っているのではないだろうか、という疑心暗鬼に囚われ始めているように、私には見えるのです。

 ここで糸子が独白するのが、当記事の冒頭に書いた、あのセリフです(あ~ずいぶんもう、上のほうだ…笑)(まだ土曜日分が、残っとるというのに…)。

 つまり最先端のモードを作って女性たちを幸せにしてきたつもりだった、それは間違うてない。 でも、服は服でしかない。 本当に不幸のどん底にいる人を救えることが出来るのは、直接差し伸べることが出来る、自分のこの手なんだ。

 糸子は周防のいなくなった部屋で、勝のミシンの前にそっと座ります。
 そして亡き夫がいつも回していたであろう、ミシンのハンドル部分に手をかけます。
 まるで夫に話しかけるように。

 「(力をください…。

 怖いけど…)………

 …頑張りますよって」

 このシーン。

 土曜日放送分を見てからこのシーンを見返すと、まるで周防に対して糸子がしゃべっているようにも思えるのですが、周防がこの部屋にいるときは、いつもそこには勝の霊魂があるような気がするんですよ。 その象徴が、あの外光。
 そして今週前半には、糸子に長年の夫不倫疑惑を捨て去る出来事を配していた。
 「頑張りますよって、力をください」 というのは、やはり夫に対してのセリフだった、と感じます。
 ただ、そのなかに糸子が意識しないうちに芽生えていた、周防への思いもあったことは、一概に否定できません。

 翌日。

 糸子は安岡の店にやってきます。

 「あんなあ…。

 おばちゃんいてるけ?

 話があるんや…」

 元気にあいさつをしたばかりの八重子の顔が、にわかに曇ります。

 糸子が玉枝と対峙する瞬間が、やってきたのです。





 ふぅぅ~。 土曜日放送分です。 実はここからが正念場です(ゲゲッ)。

 「上に…いてるけど…」

 構わず2階に上がろうとする糸子を、八重子が止めます。

 「なあ、どないしたんや?」

 「心配せんといて。 …ちょっと、頼みごとがあってな…」

 「頼みごと…」

 心配そうに2階に上がっていく糸子を見上げる八重子。 タイトルバックです。

 まぶしい外光の射し込む1階から、薄暗い2階へと上がってきた糸子。

 「おばちゃん」

 糸子は、障子戸を開けます。
 胸あたりに光が差し込み、顔を下から照らしているような玉枝の顔。
 必然的にまぶたの上のほうに光が当たるのですが、それがかなり、生気のない人形のような不気味さを醸し出しています。

 「はれまあ…糸ちゃんか…」

 それはあの、決別の日以来の玉枝のセリフです。
 消え入りそうなその声。
 ただ糸子のことを 「糸ちゃん」 と言ったり、「なんや、何しに来た」 と言わないだけ、敵意をそこに感じることはありません。
 思えばあの糸子を罵倒した時も、玉枝は糸子のことを 「糸ちゃん」 と呼んでいたような気がする。

 「うん…」

 糸子は部屋に入ってきます。

 「あんたんとこ…お父ちゃん、死んだんやってなぁ…」

 「うん…。

 …あと…。

 旦那さんと、…おばあちゃんも死んだで」

 「うん…。

 ようさん、死んだなあ…」

 かつて 「家族みんな元気で結構なこっちゃ」 と毒を吐いた玉枝です。 その因果を噛みしめているのでしょうか。 一筋の涙が、玉枝の目からこぼれます。

 「おばちゃん…」

 「うん?」

 「あんなあ…。

 助けてほしいんや…」

 「…なんやて?…」

 「奈津が、…パンパンなってんや…」

 「……体…売ってるちゅうことけ?…」 ちょっと驚いた表情になる玉枝。

 「…うん…。

 あの子な、戦争中に、店の借金で、首が回らんようになって、…お母ちゃん連れて、夜逃げしたんや…。

 どこに行ったか分からんようになっちゃってんけど、…こないだ闇市で見つけた。

 おばちゃん。

 このとおりや(居ずまいを正し、土下座する糸子)。

 奈津を助けてやってくれへんやろか?」

 狼狽する玉枝。 「なんで…、うちにゆうねん?」

 「奈津はな…。

 おばちゃんにしか救えへんねん…」

 「…ん…?」

 「奈津はな、…昔から、おばちゃんにだけは、弱いとこ見せるんや…」

 「は…。
 ほんなことあるかいな」 冷たく言う玉枝。

 「ほんまやっ!

 信じてえなおばちゃん!

 …ほんまなんや…。

 おばちゃんだけが、奈津を救えるんや…」

 「ほやけどあんた、…今のうちに、…人救う余裕なんぞあるかいな…。

 フン! アホらし。 ないわ、ほんなもん…。

 うちは、この通りや。

 ボロボロのグチャグチャや…(唇を噛みしめる玉枝)。

 (むこうを向き)帰って…。

 …はよ帰って…」

 また人形のような表情に戻った玉枝。

 このギリギリの折衝。

 見方によっては、糸子がどことなく安易に玉枝に救いを求めているようにも見えます。
 「おばちゃんだけが、奈津を救えるんや」 というセリフは、ちょっと間違えると安易のそしりを受けかねないセリフのように思える。
 ただここでは、糸子には奈津を救いたいという気持ちと同じくらい、玉枝に元気になるきっかけを、これでつかんでほしい、という思いもあるように、私には思えるんですよ。
 そして玉枝も、口ではああいって冷たく拒絶していますが、どこかで自分が立ち直れるきっかけが欲しいと思っている。
 だからこそ、数日後、玉枝は奈津のところに行こうと決心したのだ、と思うのです。

 八重子からの電話で安岡の家に飛んでいった糸子。
 玉枝は長年の寝たきり中心生活のせいで足腰が立たなくなっていたのでしょう、太郎におぶわれて、闇市の雑踏の中を糸子についていきます。

 「ごめんください」

 玉枝は奈津のいる粗末な小屋の戸を叩きます。 それを遠巻きから見ている糸子と太郎。 かなり危険なように思えます。 事実なかに入ろうとする玉枝は、何者かに突き飛ばされるのです。 祖母を助けようと飛び出してしまいそうになる太郎。 糸子がそれを止めます。 二人がもみ合っているうちに、玉枝の姿が消えてしまいます。 小屋の前まで来てしまう糸子と太郎。

 小屋のなかでは、奈津と玉枝が座っています。 衣装から見て、さっき玉枝を突き飛ばしたのは、奈津だったようです。

 「お母ちゃん、死んだんか…?」

 玉枝の問いに、力なくうなづく奈津。

 「大変やったなあ…」

 奈津は何も感じないことが悲しみを感じない唯一の方法だというような、人形のような表情です。 その点で奈津と玉枝は、共通項を有している。

 「勘助と、泰蔵もなぁ…」

 言いかけた玉枝の言葉に、戻ってきそうな人としての感情を拒絶するように、奈津はいきなり耳を塞ぎ、叫びます。 「嫌! …嫌や…!」。
 強がりだった自分が唯一あこがれていた泰蔵の死は、奈津にとってどうしても受け入れ難い残酷な現実であります。 なのに玉枝は、無情に言葉を継ぎます。 「死んでしもたよ…」。

 奈津は、泣き崩れます。

 「嫌や…!
 嫌や…!
 嫌ぁぁーーっ!」

 感情をなくした玉枝の言葉が、感情を捨てようとしている奈津の感情を、再び呼び覚まそうとしている。 なんという場面だ。

 「しんどかったなあ…」

 そしてここで、玉枝の感情にも再び体温が戻り始めていることを見る側は理解するのです。

 「あんたも…たったひとりで…つらかったなあ…」

 奈津の髪をなでる玉枝。 涙声です。 泣ける。

 玉枝は慰めながら、自分が体温を戻すきっかけとなったのは、人のことを思いやる気持ちによってだったのだ、ということに気付いたんだと思います(主観的な解説で申し訳ない)。

 木戸があきます。
 よろよろと出てきた玉枝。 奈津も一緒です。
 玉枝を太郎がおんぶします。
 おんぶ。 今週2ケース目ですね(笑)。

 太郎が玉枝をおぶって去ったあと、奈津は玉枝の持っていた杖を、黙って糸子に差し出します。
 無表情を装おうとする奈津ですが、それは昔の、意地っ張りの奈津の姿のように見えます。

 この顛末について、事態はなにも解決していないように思えます。
 けれども、絶望の淵から立ち直りつつあることが、何よりの解決なのだ、と私は思うんですよ。
 いくら事態が悪くても、絶望しなければ、浮かぶ瀬はいくらでもある。
 それを教えてくれるのは、やはり自分以外の誰か、なんですよね。
 自分ひとりで考えていては、いい方向になんか行かない。
 自分の頭のなかだけでブロック崩しをしてしまうと、四方八方に玉が飛び跳ねまくって、かなりのスピードになってしまってキャッチできなくなる(なんじゃその例え)。

 そして他人のことを親身になって考えることが、すなわち自分の行く先をも照らしていく光となる。

 情けは人のためならず、ですよね。

 それだけじゃなくって、結局自分を前進させる原動力って、やはり人を愛そうとする力、なんですよね。 あ、今週のサブタイトルになった(笑)。

 糸子は業務を終えた周防に、思った以上に力になってもらった、と何度もお礼を言います。
 「よかった…」
 「え?なんで?」
 「いや…。 なんか、最後のほうしゃべってくれんごとなったけん」
 「あ…」
 糸子は思わずクスッと笑って、「ほな…おおきに」。

 周防を見送った糸子。

 「(しゃべれんようになったんは、好きになってまいそうやったからです)」。

 エ? そうやったん?(笑) 私もニブいです(爆)。

 「(さいなら。 もう二度と会いませんように)」。

 ただ糸子が周防のことを好きになってしまうのには、かなりの伏線が振り返ってみればあった気はします。
 なにしろなにがあっても脈絡なくニコニコ笑っている、というのが、勝を想起させる。
 そう、周防には勝のイメージがダブるんですよ。 そしてそういうライティングの演出がなされている気がとてもしました、今週は。
 まあ顔はこっちのほうがイケメンですが(笑)。
 昌子も、なんか寒天菓子を食べている今週ラスト付近では、周防にハート型の目をしておったよーな気がいたします(笑)。
 糸子が 「もう二度と合いませんように」 とか、好きになったらアカンと考えているのは、やはり周防が女房子供持ちだからでしょう。
 しかもその女房、原爆が落ちても夫の靴を死守する出来た女房みたいですし。
 ただ次週予告にも、周防の姿はありましたね。
 泉州繊維商業組合長の三浦のカバン持ちをやってる以上、二度と会わない、ということは不可能に近いですよ。

 思い返せば、ハルおばあちゃんの死から組合加入、と状況的に激変だった今週。
 ひとつの時代が次の世代へと受け継がれ、糸子も大人になっていきます。
 どうにも毎週、死にそーになりながらのレビューになってまいりました(爆)。 最後はヘロヘロで、もっと書きたいことがあったような気もいたしますが、またいずれの機会にでも。

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2012年1月 9日 (月)

「開拓者たち」 第2回 涙することも許されない凄惨

 参りました、どうにも。
 
 NHK、本気出してるな、このところ。

 敗戦後に満州開拓の人々が味わった悲劇。
 特に青酸カリで集団自決する人々の描写と、逃亡の途中で飢えが極限状態に達し、一緒に連れていた、今まで自分たちと共に生きてきた馬を、射殺するシーン。 そしていつの間にか死んでいる、幼い子供。

 ドラマとして泣けるとか、そんなレベルを完全に超越している。

 あまりにむごすぎて、涙も出てこないんですよ。

 覚えるのは、限りなく嫌なものを見た、吐き気にも似た嫌悪感。

 そして思うのは、これが、明治維新で革命にも似た気風によって成立した社会システムの、これが、末路か、という怒り。 あの清新でまっすぐ上だけを見ていた、坂の上の雲の果てが、これか。
 完全なる負け戦であるがゆえに、日本政府が自分の国の人間(日本人)を守る余裕がない。 政府として機能してない。
 その救いの手がのべられなかった人々にとっては、もう自分の国に見棄てられた、と同じことなのです。

 しかしそれ以上に悲惨を極めているのが、開拓者たちの証言。

 死んだ者は川にドボンドボンと投げ入れられ、「助けてくれ」 という同胞も知らん顔して見棄てていく。
 ドラマのなかでの満島ひかりチャンは、なんとかみんなで逃げきろう、と頑張ったりするのですが、実際にはもう、自分のことしか、考えられないわけですよ、みんな。

 青酸カリでの集団自決とか、可愛がっていた馬を射殺するシーンだとか、ドラマとして見ていてかろうじて人間の情に訴える部分を残しているのですが、実話ではそれ以上に、「考える」 ということを捨てなければ頭がおかしくなってしまうほどの悲劇に、見舞われているわけです。
 作り手はそれを証言だけにとどめ、ドラマにすることを躊躇している。

 考えてみれば我々は生まれてこのかた、この国に生きているけど、この国に生活が守られている実感、というものに乏しい。

 この国のために税金を強制的に給料から差っ引かれて何かを買えば強制的に税金も一緒に払って、なんか上の連中からしてもらっているのか、というと、よく分かんない。

 義務教育とか公共交通とか、あまりに当たり前すぎて有難みを忘れている点もあるでしょうが。 でも税金を有効に使われていない、という感覚は、絶えず付きまとっている。

 政治家なんか、結局自分たちの保身だけ。 税金に群がってるハエでしょう。 定数削減する度胸なんかこれっぽちもない。 なんで赤字の国の公務員にボーナスなんて出るのよ?
 平田容疑者は見逃すくせに、コソコソつまらん交通違反はしょっぴく警察共(反社会的な言動、平にご容赦願います)。
 天下りが問題視されてるけど、信号機ひとつとっても利権が絡んでいるし、だいたいド田舎なのに信号機ばっかりどうしてこんなに多いんだとか、いろいろあるでしょう(笑)。

 結局、なんかしてもらってることも実際にはあるのかもしれないけれど、それってかなり幻想の部分が多いって、私などは思うんですよ。

 だから自分の身は結局自分で守るしかない。 年金なんかアテにしてるほうが間違っとるよーな気がする。 死ぬまで働くしかない。 人間、死ぬまで仕事ですよ。 リタイアなんて甘ったれんな。 働け働け。 死ぬまで働け(と国に言われているよーな気がする)(一面ではその通りの気もしますが)(年寄りに働かせるんなら、もっと雇用に関する法律をバンバン作りなおせっつーの)。
 国に本当の意味で守ってもらうには、生活保護者にでもなったほうがいいんじゃないのか? 医療費も住むところの家賃も出してくれるし。 こっちじゃ逆に、働くな働くな、みたいな。
 本当に生活保護を必要としている人たちは、そりゃいるでしょうが、どうしてこう、真面目な者がバカを見るようなカラクリばかりが見えるんですかね。

 かように、現代社会にしたって国民が国に守られている実感なんか、絶望的に程遠いのに、敗戦当時は日本の屋台骨自体が完全に麻痺してしまってるんですからね。

 それに、このドラマを見ていると、「国は自国の国民を守るべき」 なんていう精神的な土壌も、その当時はなかったように思えてくるんですよ。

 つまりこのドラマのなかで、ひどい目に遭っている日本人の当事者たちの、当時の日本政府に対する文句とかが、ほぼ見受けられないんですよ。

 「なんで自分はこんな目に遭ってるんだ~!」 という叫びはあるけど、それが日本政府に、向かってない。

 分かるのは、集団自決する際にも、「天皇陛下万歳」 と叫んで死んでいった者たちが多い、ということです。
 これは恣意的な作り話じゃない、と私は思う。
 私はこの手の話を、何度も何度も見聞きしてきた。
 つまり当時の日本人は、自分の国の政府を恨むとかいう意識自体が、なかったように思えるんですよ。
 彼らにとって日本国とは、天皇陛下のことだった。
 日本国政府が入り込む余地が、そこにはないように、私には思えるんですよ。

 もとはと言えば日本政府が始めたことですよ、すべて(軍部とも言えるけど)。

 それなのに政府自身が収拾できないほど手を広げてしまって、とどのつまりはみんな(でもないけど)見殺し、ですからね。
 開拓民にしてみれば、自分たちの人生を狂わせたのは、全部日本国政府だろ、ということになるんじゃないでしょうか。
 いくら損害賠償しても足りないくらいに。

 大震災で原発が事故って放射能が漏れて、もまるで同じカラクリであることに、自分は戦慄しますね。
 これほどの被害を全部賠償できる能力なんか、自分たちだけぬくぬくしている政治家や公僕たち(東京電力も?…ハハ…能力よりやる気そのものがないでしょう)に、あるんでしょうかね?
 税金上げて電気代上げりゃいいと思ってんでしょ、どうせ。 自分たちは以前と同じ状態で。

 いずれにしても、国に見棄てられた国民がどうなるか。
 私は戦争の悲惨さよりも、国の無責任さに怒りがこみ上げて仕方ないのです。
 ドラマ自体の感想とはおよそ程遠いものになってしまいますが、「誰のせいでこうなってんだよ」 という気持ちばかりが押さえられません。

 どうせ国は、お門違いの方向にばかり手厚い保護をし、無駄なことにばかり金をかけ、本当に必要なものにはフタをする。 こども手当とか、ド田舎の信号機にばかり金をかける(信号機に恨みでもあんのか?…笑)。

 異国で亡くなった人たちを、どれだけ手厚く葬ることが出来たんでしょう。
 DNAを調べたら日本人じゃなかったとかあったけど。
 旧満州で、シベリアで、南国の島々で、戦争のあったすべての地域で亡くなった人たちを、どれだけ。
 誰が始めた戦争だ。
 戦前の政府と戦後の政府は別物か?
 本当に、国なんか、あてにならない。

 かなりドラマの感想とは言えないレビューになってしまいました。
 ドラマを見ながら気分が悪くなったことの、単なるはけ口になってしまったことを危惧いたします。

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2012年1月 8日 (日)

「平清盛」 第1回 大河ドラマが戻ってきた

 大河史上最悪とも目される去年の何とかいうドラマが終わって始まった、今年の大河ドラマ。

 第1回を見た正直な感想を申し上げると、「懐かしい大河ドラマが帰ってきた」。

 私が大河ドラマに対して持つイメージは、「出演俳優がみんな殺気立っている」(笑)。
 いちいちセリフを言うのにダミ声は張りあげるし、いちいち目をひんむいて演技するし、怒鳴んなくてもいいところで怒鳴りまくるし(笑)。

 それでもそうした大げさな演技が、「自分たちが歴史の中心にいる」 という臨場感を、見る側に感じさせてくれるのです。

 去年の某ドラマは、同じカテゴリーの大げさ演技を有しながらも、やっていることがあまりにもホームドラマで、そんな下世話な話は要らん、というレベルのものばかりだったような気がします。
 歴史上の話をしているのに、なんかすごくパーソナルな感覚。
 それはもともと作り手が目指したものだったにせよ、かえってそれで 「ホームドラマを目指してるから、人物たちの心理描写もホームドラマレベルでいい」 という落とし穴にはまってしまった印象がある。
 というより、主演の女の子を7歳児の設定から出すとかいう時点で、そのホームドラマレベルの話をどの程度の意気込みでやるのか、という作り手全体の姿勢が丸見えになってしまっていた。

 今回の 「平清盛」 でも、ベースとなっている話に 「清盛は白河上皇のご落胤だった」、という下世話な説が設定としてあります。
 それでも去年の某ドラマと決定的に違うのは、設定が下世話でも、作り手が人間の真理を深いところまで洞察して物語を書こう、としているところが見える点にある、そう私は考えます。

 さらにこのドラマ、スタジオの外に積極的に飛び出して撮影をしている。

 草むら、川岸、大海原。

 特に中井貴一サンが幼い清盛を抱いてすすき生い茂る草むらの中をゆくシーンでは、私はなんだか、大昔に見た大河ドラマのシーンを思い出してしまいました。
 こういう戸外の撮影を重視することで、話が勢いアクティヴになっていくんですよ。

 このような動きのあるドラマが展開していくと、こちらの気持ちも自然と高揚していきます。
 懐かしい大河ドラマが戻ってきた!という感覚に包まれていくのです。

 ただし気にならないところがないわけでもない。

 冒頭部分、平清盛が死んで平家が滅亡した時のシーンで、源頼朝が喜びに沸きたつ家来衆を諌めるシーンがある。
 そしてこの頼朝が、清盛を讃える、という立場で、ナレーションを展開していく。
 私の個人的なイメージで恐縮ですが、頼朝ってすごく冷酷な印象があるんですよ。
 そんなにナレーションを担当するくらい心が広かったかなーなんて(笑)。

 それに、清盛の父となる中井貴一サン。 平氏の棟梁です。

 どぉ~も、源頼朝のイメージがまだ払拭し切れてない(笑)。 数年前、大河で弟役のタッキー(源義経)を理不尽にいじめてましたよね(笑)。 この人源氏だろ、とか(笑)。 中井サンのせいで、頼朝もかなり冷酷なイメージが私にはこびりついてしまったのですが(笑)。

 まあこれは、ドラマを歴史の教科書として見ようとする、要らぬ知識であります。

 ドラマの体裁から申し上げれば、全体的なディティールは 「平忠盛(中井貴一サン)が白河法皇(伊東四朗サン)の愛妾・舞子(白拍子、吹石一恵サン)を匿った→それがばれて舞子は殺され、忠盛はそのご落胤(のちの清盛)を譲り受けた→少年になったその子が自分の正体を知り、グレた(笑)」 という、なんとなく振り返ってみるとよくある話よのう、つー感じなんですが(笑)、見ているあいだ、それを 「よくある話よのう」 と思わせない何かが、ドラマの語り口に備わっている。

 それは、セリフや設定の端々に見られる、見る側に共感を強いてくる思想なのだ、と感じます。

 舞子が忠盛に歌っていた 「遊びをせんとや生まれけむ」。
 これを、天皇家(ドラマでは現在の天皇家に配慮しているのか、「王家」 という表現を使っています)からただ命じられるがままに治安維持をしていることにむなしさを感じている忠盛に、舞子がその意味、意義を語るシーンがあります。

 「けれど、苦しいことばかりでもありませぬ。
 子供が遊ぶ時は、時の経つのも忘れて、目の前のことに夢中になっておりまする。
 生きるとは、本当はそういうことにござりましょう。
 うれしい時も、楽しい時も、また、つらい時や、苦しい時さえも、子供が遊ぶみたいに夢中になって生きたい」

 「夢中に、生きる――」

 「いつか、分かるのではございませぬか、夢中に生きていれば――なぜ、太刀をふるうのか、なにゆえ、武士が今の世を生きているのか」

 この世には遊び楽しむために生まれてきた、というのは仏説にその一部がありますが、私はどうもひねくれ者のせいか、そう考えられないところがある(笑)。
 遊び楽しむのはほんの一瞬。 あとは苦労ばかりではないか。
 何のためにこの苦労をしているのか、という目的さえあれば、その苦労も意味があるが、ただマイナスにならないためだけの苦労なのであれば、これほど虚しいことはないではないか。
 けれども、苦労することを苦労だ、と思ってしまうから、苦労になるとも思う。
 目の前にあることを、ただ一生懸命になってこなしていけば、それはけっして苦労と呼べるものではなくなるのではないか。
 つまり、舞子が語っていたように、夢中になって生きていれば、それが遊ぶ、ということと同義なのだ、ということです。
 一生懸命になって生きていれば、それが遊んでいることと一緒なのではないか、ということです。
 それを 「苦労」、などと呼んでしまう 「レッテルを張りたがる心」「醒めた目で決めつけたがる心」 が、人を虚しくさせるのではないか。 人を不幸にするのではないか。

 そんな思想が、このなにげないシーンに凝縮され、分かりやすく提示されている。

 この舞子、吹石一恵サンは、ドラマのなかでもあくまでもみずみずしく、まっすぐで無垢な存在です。
 その舞子が、どす黒い見栄で物事の本質が見えなくなってしまっている白河法皇に討たれてしまうシーンは、限りなく悲しい。
 ドラマとしてのつかみがここで発生している気がします。
 そしてその舞子を、あくまで正直に守っていこうとしていた忠盛。 中井貴一サンの演技が、私のなかにある源頼朝のイメージ(笑)を、払拭させるほどの力強さをここで発揮している。

 また、少年になった清盛(平太)に、なぜ友人の鱸丸が船の上でも倒れず立っていられるかを忠盛が語るシーン。

 「繰り返し繰り返し船に乗って、揺るがぬ足腰を鍛えあげた。 つまり、体の、軸が出来たのだ」

 「体の、軸?」

 「船に乗り魚を獲ることは、漁師として生まれた鱸丸にとって、…生きることだ。 それはな、鱸丸にとって、心の軸だ」

 「心の軸…」

 「おのれにとって、生きるとはいかなることか。

 それを見つけたとき、――心の軸が出来る。

 心の軸が、体を支え、体の軸が、心を支えるのだ」

 体と心とは、一身同体である、というこれも、仏説によるものですが、これはなにも人間だけに限らない話である、と私は思うのです。
 為政者が心を亡くした時、国は滅びる。
 国をつかさどる国民たちの心が乱れるとき、国も乱れる。
 国が栄えれば、国民の心も豊かになっていく。
 すべての現象はつまるところ、みな密接につながっているのです。

 そして自分の正体を知ってグレる(笑)平太に、忠盛が言い放った言葉。

 「今のお前は、平氏に飼われている、犬だ!

 俺のもとにおらねば生きてゆけぬ、弱い犬だ!

 死にたくなければ…

 …強くなれいっ!」

 ここでオーケストラが、ジャーンと仰々しく鳴り響きます。

 これが大河なんだよ。
 やりゃ出来るじゃん。 三味線弾いてたのかコンニャロ~。
 いくら話が 「よくある話よのう」 でも、セリフに込められた脚本家の、役者の、気迫で、見せることが出来るんだよ。

 そのセリフによって見る者が深い思索にふけることが出来る。
 そしてそれを引っ張っていくドラマ自体の強烈な力がある。
 タイトルバックにもあったふたつのサイコロ。
 まるで源氏と平家を象徴しているようにも思えます(違うかな?武士と貴族かな?)。

 限りなく重厚さを前面に出した今年の大河ドラマ。

 うーん、こりゃ面白くなりそうだ。

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2012年1月 7日 (土)

「カーネーション」 第14週 生き延びた者たちへの言葉

 戦後の混沌を象徴するように、今週の 「カーネーション」 は、年始を除いた4回だけだったにもかかわらず、話が錯綜していた気がします。
 その4回のなかでなにが浮かび上がってくるのだろう、と考えたのですが、結局は表題のように、「生き延びた者たちに対する、エール」 だったような気がするのです。

 ところでタイトルバックをぼんやり見てたら、最後に牛乳瓶に挿されたカーネーションをひとり見上げていた糸子の姿に、3人の子供がじゃれつく光景へ、変わっています(「ゲゲゲ」 をやはり意識しているのか?)。
 このタイトルバックの変化は、ドラマの後半3カ月において、糸子がこの3人と共に歩んでいく姿がメインとして描かれるのではないか、そんな気を見る側に起こさせるのです。




 「お昼にしようけ」 で終わった前回。
 今年は、ひとりで昼餉をとっている糸子の姿で始まります。 ここで先週の続きです、ということを如実に感じさせます。

 「(戦争が、終わりました…)」。

 糸子は緊急時に備えて包みにしまいこんでいた父親の遺影を、再び元あった場所へ置きます。
 そこには戦病死した夫、勝の遺影も並んでいる。

 「(お父ちゃん。 勝さん。 勘助…。 泰蔵にいちゃん…)。
 …終わってんて、…戦争…」

 この4人の生前の様子が糸子の脳裏に次々と浮かびます。
 注目なのは、この回想シーンがみなカラーであること。
 先週糸子が、だんじりのお囃子の幻聴?と共に思い浮かんだ彼らは、すべてモノクロだった。
 つまり今回の回想は、糸子が人間らしい心を取り戻した状態であらためて感じる、血の通った、そこに確かに息づいていた、彼らの姿なのです。

 それまで怒りも悲しみもすべて忘れたように、ただ義務的に食事をし、もう避難する必要もないからとただ仏壇に遺影を置いただけだった糸子。
 涙が知らずにあふれてきます。
 そしてこぼれていきます。
 そして、嗚咽になっていきます。

 泣かせるなあ、年の初めから。

 仏壇の前は、糸子がお父ちゃんに正直な自分を打ち明けられる唯一の場所だったと思うんですよ。
 命ぎりぎりの壮大な喧騒のあと、やってきた静けさと、本当の自分の悲しみ、怒りを取り戻せた場所。
 それが、お父ちゃんの遺影の前だった、と思うのです。

 そんな、抜け殻状態だった戦後の始まり。

 糸子は本当に久しぶりに、鏡で自分の顔をまじまじと眺めます。
 知らないうちにオバチャンになってしまった自分の顔。
 これって分かるなあ(笑)。
 目じりのしわとか、まだかわいいもんなんですよ、実は(笑)。
 ショックなのは、今までなだらかだった自分の顔に、変な段差が出来ているとき(爆)。
 ゲッ、てなもんですな。
 こんなふうに、顔がごつごつしていって、自分も年老いていくのか、という切迫感はハンパじゃない。
 急に顔のマッサージしたりして(爆)。

 ただ糸子の場合まだ30代くらいですから、そこまではいってないと思うんですが(笑)、泣きはらしたあとで久々のご対面だと、ショックでしょうね(笑)。
 しかし次の瞬間思い詰めたような表情の糸子が持ち出したのは、たぶん縫い目を断ち切るリッパー。
 スワ、それで首を一突き…?と思ったのもつかの間、糸子は自分の着ていた服の胸の部分に縫いつけてあった名札を思いきり取ろうとするのです(笑)。 「こんなもん…金輪際…金輪際つけてやるかっ…!」。
 要するに自分が空襲で焼け出されたときの身元確認のためにお上が強制していた名札。
 「(いやいや、ちゃうちゃう)」
 糸子は次の瞬間、そんなことをするより、この辛気臭いモンペをぜ~んぶ脱いじゃおうとするのです。
 大の字に転がった糸子が羽織ったのは、確か大昔にお父ちゃんに作った男性用のアッパッパ(だと思う…笑)。 大の字になりながらうちわで自分をあおぐその姿は色気ゼロ、まるでバカボンパパであります(爆)。

 「ああ…終わった…終わったんやぁぁ~~~っ!!」(笑)。

 アッパッパ姿で闊歩する糸子に、周囲はドン引き(笑)。
 糸子はしばらくこの格好で行動するのですが、これってお父ちゃんに作ってあげていたアッパッパだとすると、糸子はもしかして、恐ろしい戦争が終わったことの喜びを、父親と共有したかったのかもしれません。

 そして、山中町の疎開先から家族たちも帰ってきます。
 「なんか食べるか?おばあちゃん」
 「要らん」
 床に伏せたまま、糸子にぶっきらぼうに答えるハルおばあちゃん。
 「けどおばあちゃん、ちょっとだけでも食べたほうがええですわ」
 空襲の危機の際に運命を共にしたトメがおばあちゃんに言うとにっこりして 「ほうか」。
 「なんやその態度の違い」(笑)。

 このハルおばあちゃん。

 個人的な見解ですが、かなり弱ってんのとちゃいますやろか。
 息子の善作が火に包まれてから、腰が抜けたまんまやないですか。
 結構ユーモラスな描写が続いていますが、ちょっと心配です。

 トメに食べさしてもらっているハルおばあちゃんも含めた、家族そろっての食事に、オハラ洋装店の女たちは、一様に安堵の気持ちを隠しません。
 ラジオでは 「スミレの花咲くころ」 が流れ、軍歌ばかりで灰色だった生活に、また潤いが戻り始めている。
 灯火管制もなくなり、空襲を気にしないでいられる。
 その喜びのほうが、敗戦というショックよりも大きかった、というのが、正直なところではなかったでしょうか。

 けれどもそのいっぽうで、やはり未知の存在である進駐軍に対する恐怖も、このドラマはきちんと描くことを忘れません。
 「そんなバカボンパパみたいなアッパッパ着てたらなにされるか分からんど」(バカボンパパはないけど)と得意先のおっちゃんに脅され、女たちは一様にひるみます。
 糸子もいったんはモンペに戻そうとするのですが、もともとこの女性は、怖いもん知らずであります(笑)。

 「いいや…けど嫌や…。
 こんなもん着んのは、…もう死んでも嫌や…!
 アメリカ軍でもなんでも来るんやったら来いっちゅうんやぁぁ~~~っ!!」

 外に向かって大絶叫(爆)。

 糸子は木之元のおっちゃんについていった闇市でも、怖いもん知らずの本領を発揮します。

 この闇市。

 戦中の描写で、闇でものを買う、ということは、どうも後ろめたいものがあったはずなのですが、木之元のおっちゃんという 「世間」 がこれを喜々として容認しているのを見て、糸子もその意味が逆転していることを、瞬時に悟っている。
 「闇?ええんかいな」 という反応を、糸子はしないんですよ。
 これは戦後を生き抜くうえで、柔軟なたくましい思考があってこその反応だな、と私は思うのです。
 その闇市でコワモテのおっちゃん相手に丁々発止のやり取りでコメの値段を値切っていく糸子。 そばで見ていた木之元は、ハラハラしています(笑)。
 この 「値切り交渉術」 が、今週このあとまた見られることになります。 これはいわばその、呼び水。

 闇市から帰って来た糸子と木之元。 木岡のおっちゃんが警官に食ってかかっているところに遭遇します。
 聞けば、進駐軍を刺激しないために今年もだんじりは中止だ、というお達しが来たらしいのです。

 9月14日。
 つまり終戦からほぼひと月後。
 見るだけ見とこうということで、五軒町の人々が、だんじりのある倉庫の前に集まります。
 悔しそうな面々。
 そこにやってきた糸子の次女の直子、膝の屈伸運動をして、だんじりを曳く気満々であります(カワイイ…笑)。
 糸子は直子を止めにかかります。 女やし、今年は中止て決まったんやしと言う糸子。
 この糸子の反応には注目します。

 ここでの直子は、「どうして女がだんじりを曳いちゃいけないのか」 と父の善作に詰問していた、糸子の子供時代の姿と同じです。
 それをたしなめる、ということは、糸子が分別のついた大人になったことを意味している。
 そしてここでの直子。
 直子は、いわば敗戦後、新しく息吹こうとしている、生まれ来る力を象徴している気がします。
 子供の力が、社会を、経済を、大きく動かす力となっていく。
 いっぽう大人たちは、そんな子供を見ながら、自分たちも頑張ろうと思う。 …これは、のちの話になりますが。

 軍服姿のおっちゃんが、直子の様子につられたようにお囃子の笛を吹き始めます。

 出発を待ちかねているようなだんじりのショット。

 木岡のおっちゃんが、唸るようにつぶやきます。

 「なんでや…。

 なんで曳いたらあかんのんや?」

 木之元のおっちゃんが、それに呼応します。

 「…だんじりは、わしらの命や…!」

 奥中が叫びます。

 「えやないか! 曳こや!!」

 木岡。 「おう。 わしら今これ曳かれへんかったら、ほんまに終わってしまうど…!」

 木之元。 「せやのう…!」

 「曳こよ!」「よっしゃあ!」「おう!」

 だんじりの綱が曳かれます。

 「おっちゃんうちにも曳かして!」 せがむ直子。 糸子が止めに入りますが、男衆はそれを許すのです。 「おうチビ! 曳け曳け!」「ほうじゃ!曳け曳け!」。

 「よっしゃあ! 曳けえええ~~~っ!!」

 巨大なだんじりが、ゆっくりと動いていきます。
 それを呆然と見上げる糸子。

 だんじりが、思い出が、再び動いていく。

 自分がこれまで生きてきた証しが、象徴が、ふたたび動いているのです。

 糸子の顔のアップを見せることだけで、そのことを見る側に感じさせてくれる。 なんとも感動させてくれる。
 「カーネーション」 という巨大なだんじりが、今年もまた、動き出したのです。

 …

 はぁぁ…。

 まだこれ、今年最初の15分の話だぞ…(笑)。
 言い飽きたけど、話が濃すぎる…。
 ええい、レビュー、飛ばす、飛ばすぞ(毎回そう決意しているような気がする…)。




 木曜放送分。

 ここでは商店街にやってきた進駐軍の兵士と糸子たちのせめぎあいが描かれます。
 鬼畜米英などと言われ続けてきた敵ですから、糸子を含めた大人たちは、たった2人の来訪に上を下への大騒ぎ、道ゆく商店はみな店じまいするのですが、息をひそめていたところにやってきたのが、優子と直子。 「優子のアホー!」「直子のアホー!」 と、ついに佇んでいた進駐軍兵士の前で、取っ組み合いのけんかになってしまう。
 馬乗りになって姉の優子に直子のニードロップが炸裂…いや違った(笑)凶暴直子の…いや違った(笑)とにかく直子の一方的な戦局に兵士たちが武力介入いや違った(笑…しつこい)しようとしたところに、命を投げ出した糸子たちが立ちふさがるのですが、「彼らは恐ろしい」 という誤解は瞬く間に解消していきます(飛ばすとこういう文章になってしまいます…笑)。

 つぎに、オハラ洋装店が軍需品の残りの生地を商品にすることで闇市の物々交換を切りぬけている様子が描写されます。
 つまりなんだかんだ言いながら、オハラ洋装店は結局また、繁盛している。
 そこに久しぶりにやってきたのは、サエです。
 サエも身内を亡くし、つらい目に遭っている。
 糸子とふたりで泣きの涙で戦争で起こった不幸を慰め合う、ということも、実は戦争が終わったからこそできる所業です。
 戦争中だったら、近隣の目もあるし、それ以上に自分自身が生きた心地がしなかった。
 そのサエ、戦争が終わって街には男たちが戻ってきている、女たちは男たちに見せるために、おしゃれしたいという機運が高まっている、と糸子に進言します。

 「こんだけなんもかんも取られて、しんどい目ぇ見たあげくに、戦争、負けてしもた。
 ポケーっとしちゃったら、悲しいんと悔しいんとで、死んでまいそうや!
 男が、だんじり曳かんならんように、女は、おしゃれせんならんねん!」

 だんじりが男のロマン、とすれば、おしゃれこそは女のロマン、というわけです。
 サエは女のロマンが分からない糸子に 「女ごころに疎い」 とキツ~い一発(笑)。
 実はこの一発が、後半の糸子の動機にも関わっていると思うのですが。

 糸子は軍需品のカーキ色主体のくすんだ色の生地を洋服に仕立てます。
 するとこれがまたえらい評判を呼びまして。
 糸子はかつてのお得意さんたちも、身内を失った人もいるんだろう、と考えながら、その注文に必死で応えようとするのです。
 ミシンが、だんじりのように生地を縫っていきます。

 ここで気付いたのですが、このドラマで、このミシンは、いついかなる時でも、糸子を見守っている。
 何かというと、ミシンが中心のなんでもないシーンがある気がするんですよ。
 敗戦の時もそうだった。
 まるで 「大きなノッポの古時計」 みたいですね。

 だーっ、飛ばしてようやくここまで短縮できたぞ。




 金曜放送分。

 くすんだ色の生地でなく、発色のいい生地で顧客の期待に応えたい…。
 そんな糸子は闇市で生地を探すのですが、そこに現れたのはパンパンのねーちゃん。
 画面がくすんだ色だらけだったのに、このふたりのねーちゃんの着ている服は、どぎついまでに鮮やか(笑)。 糸子はいつかミシンと出会ったときのように、「ほぁ~ほぁ~」 と嬌声を上げ 「見た?見た見た?おっちゃん見た?」 と木之元に詰め寄ります(笑)。 糸子は女性たちがおしゃれをしようとする息吹が、強い力で吹き返そうとしている実感に包まれます。

 清三郎たちが疎開先(愛媛の別荘とかいうてましたっけ)で元気にしている、という手紙を千代から聞かされているとき、糸子は昌子から、八重子が来ていると告げられます。
 八重子は夫泰蔵の葬儀以来、オハラ洋装店に顔を出していなかったのです。

 平吉のいてた喫茶店があいているのを見て、糸子は八重子との話し合いの場をそこで持つことにします。 でも平吉はいなくてマスターだけ。 平吉はどうなったのか? 相変わらずこのドラマ、肝心なところを見る側の想像にいったん預けます。

 八重子は、太郎と一緒に実家に帰ることにした、と糸子に話します。

 「…おばちゃん、ひとりになるちゅうこと?」

 「責めんといて糸ちゃん!」

 八重子は苦渋の表情で遮ります。

 「うち…うち…もう無理なんや…!

 自分を薄情やと思う。 なんちゅうひどい人間やと思う。
 せやけど、もうあの人とこの先一緒にやっていく自信がなくなってしもたんや…!

 …

 泰蔵さんが帰ってくるまでは、なにがあっても、耐えるつもりやってん…。
 せやけど…。
 もう、帰ってきてくれへん…!

 お母さんなあ、糸ちゃん。

 泰蔵さんが、戦死したんも、うちと結婚したせいやてゆうたんや…。
 あんたがこの家に、死神持ち込んだんやて…」

 あの優しかったおばちゃんが、そこまで変わってしもたんか…。
 糸子の表情は、おばちゃんをそないしたのももとはと言えば自分の責任や、という申し訳なさで押しつぶされそうに歪んでいきます。
 八重子が自分の店で働くようになって、ある程度のことは糸子の耳にも届いていたはずです。 でもここまでとは。 糸子は、八重子をなんとか慰めようとします。

 「まあ………正気とちゃうんやな…今のおばちゃんは………」

 このセリフも、一見すると、とても冷たいセリフのように思える。
 でも、糸子はどうにかして、慰めねばならないと思いながら、言葉が見つからないのです。 おそらく糸子の脳裏には、自分を罵った鬼のような形相の玉枝の姿が、浮かんでいたはずです。

 「もともと、神経の細い人や…。
 そこにこんなひどいことが続いて、ボロボロになって…。
 うちに当たることくらいしかでけへんかったやろ…。
 そんなことは分かってんやけどな…。

 糸ちゃんみたいに、自分の好きな仕事に打ち込めてたら、もうちょっとは、辛抱利いたかもしれへんなあ…。
 好きな仕事っちゅうんは、力をくれるもんやろ?
 うちには、それすら、今はもうないよって…」

 糸子は帰りの道すがら、戦争をパーッと忘れておしゃれしたり、前向きに生きていきたくても、出来ない人もいるんだ、という事実に、打ちのめされています。
 元気なく帰って来た糸子を、八重子の息子、太郎が待っていました。
 太郎は、母親が実家に帰ると、おばあちゃん(玉枝)がひとりになってしまう、それは嫌だから自分がおばあちゃんを養っていくために、自分をオハラ洋装店で雇ってほしい、と頼みに来たのです。
 よく出来た息子であります。
 彼は戦争中、オハラ洋装店で働いていた母八重子のところに、用もないのに帰り道だからとよく顔を出していた。
 それはおそらく、家に帰れば祖母玉枝のイヤな部分を見るからだろう、というのもあっただろうし、また母親が単独で安岡の家に帰れば、母親ひとりで祖母からの口撃に耐えなければならないから、自分がその盾になろう、としていたのかもしれない。
 いずれにしても玉枝がどのような状態だったかはうかがい知れるのですが、その玉枝を、今度は彼は、かばおうとしている。 ひとりにしておけない、と考えている。

 直子のように、たくましい生命の力で戦後を切り開いていこう、という子供のパワーもあれば、太郎のように、戦争で破壊された心をいやそうと、戦後を生き抜こうという子供のパワーもある。

 糸子は、ある策略を思いつきます。
 糸子は木之元のおっちゃんに、パーマ機が今どこに残ってるか調べてくれ、と頼みます。
 東京に、中古が1台売られていることが分かった糸子は、再び八重子に会い、パーマ機を買って、安岡美容室を開店しよう、と言い出すのです。
 「好きな仕事っちゅうんは、力をくれる」。
 八重子の言葉が、ヒントになったのです。
 八重子にとって、パーマネントをやることは、いわば天職。
 それを始めれば、八重子にも不幸に耐えられる力がつき、繁盛すれば、玉枝の心もいくらか癒される。
 糸子のこの思いつきは、単なる思いつきでなく、自分が勘助に、玉枝にしでかしたことへの、一種の罪滅ぼし、という側面を有している気がする。
 そして、「女ごころに疎い」 と言われた糸子が、うちにだって分かってんで、というデモンストレーションの側面も少しあるような気がする。

 その糸子、お金の心配をする八重子に、お金はうちが貸す、出すのではなく貸すのだ、と言い切ります。

 「ほんでな、そんなお金すぐ返せるようになんで!
 安岡美容室、絶対繁盛する!
 賭けてもええわ!
 八重子さん。
 日本中の女が、今は、これからは、パーマと洋服なんや。
 うちも頑張る。
 どないかして生地仕入れて、これから、どんどん洋服こさえちゃる!
 八重子さん、頼むわ。
 もうひと踏ん張りしよ!
 一緒にここ乗り越えよ!
 ほしたらうちら、絶対どないかなるよって!」

 「ちょっと考えさして!」 という八重子を、糸子はゴーインに口説きます(笑)。 「あかん! 考えたらアカン!」
 考えたらアカンて…(笑)。

 「決めたことなんや、家出るて…! 長いことかかって、やっと決心したことなんや…!」

 そういって二の足を踏む八重子に、糸子はサブリミナル作戦を展開します(笑)。

 「パーマ機やで。
 安岡美容室やで。
 東京いこ、トウキョ!
 安岡美容室…」

 連発される安岡美容室、という甘美な響きに、八重子の目がトロ~ンとしてきます(爆)。
 1時間ののち、八重子、結局撃沈(笑)。

 ここ、結構糸子の論理と同じくらい、ゴーインな展開だ、と思うんですよ、正直言って。
 八重子はこの場に来たとき、太郎の転校手続きを済ませた、と言ってましたし。
 しかも美容室が絶対儲かるかどうかは、やはりやってみなければ分からない。
 そのやってみなければ分からないことに、糸子は金を出資しようとしている。
 回収できなければ大損な気がします。
 例え中古のパーマ機でも、戦後の超インフレのなかで、価格は高騰しているでしょうし。
 ゴーインだと個人的に思ったうえで書くのですが、そのゴーインさを、作り手はお笑いでケムに巻こうとしている、そんなように私には思えました。

 ただ、それはけっしてごまかしなんかじゃないんですよ。

 人生、勢いでやってしまうことが、とても多い。
 熟慮の果てにやったことが功を奏さない場合も、多過ぎる。
 儲け話にうかつに乗ってしまう、ということって、人生を左右する大きな要因のような気がするんです。
 結婚とかも、勢いだって言いますでしょ(笑)。
 大きな賭けだ(爆)。

 いずれにせよ、八重子は安岡美容室を開業しよう、と決断したのです。




 土曜日放送分。

 パーマ機と一緒にめぼしい生地も買おう、ということになり、糸子と八重子は昌子も伴って東京へとやってきます。 いちばん乗り気でなかった昌子がいざ来てみたら大活躍、というのはお笑いの基本であります(笑)。
 中野界隈も商業地域は壊滅状態。 瓦礫の山であります。
 セットではこれが限界か、と思えるのですが、これを糸子と八重子の会話でフォローしているところはさすがです。 一面の焼け野原、とか余計なCGを使わない。

 中古パーマ機の値段交渉では、闇市で鍛えた糸子の値切り戦術が功を奏するか、と思いきや、「この値段でいい」 と言う八重子と、大げんかになってしまう。

 「八重子さん黙っといて」
 「なんでやの?! うちがこの値ぇでええゆうてんやからええやんか!」
 「ええことない! 商売ちゅうのはでけるとこまでやらんとあかんねん! そんな甘っちょろいことゆうてたらあかんねや!」
 「甘っちょろい気持ちなんかでゆうてへん! うちはこの値ぇで本気で納得してるんや!」
 「納得うちはでけへんのや!」
 「こんなちょっとぐらいやったら使えよったらええねん!」
 「使われへんわこんなん! 壊れてんねんでこれ!」
 「使えるよ!」

 この間10秒(爆)。 マシンガンのような口げんかでした。 書き起こし苦労したぁ(笑)。
 いずれにせよ八重子が、ここまで激怒するのを見るのは初めてのような気がします。
 つまりそれだけ、八重子はこの仕事に賭けている。
 そして糸子はスポンサーやから(笑)、ちょっとでも自分の負担を軽減しようとしている(笑)。
 結局糸子の値切り作戦はあまり成功しないまま八重子はパーマ機を購入したのですが、宿で八重子は夢見ごこちの顔をしています(笑)。 前日のトロ~ンとした顔と言い、八重子がパーマネントで商売したい、という気持ちはかなりのもののようです(笑)。

 それにしてもこの宿。

 ついたての向こうは、ムサいオッサンばかり。

 まあ宿泊事情もままならないというのは分かりますが。

 これに対抗しようと糸子が考え出したのが、リュックを前に抱えて寝よう、という作戦(今週は作戦が多い…笑)。
 こうすれば貞操も財産も守れる、というわけです(笑)。
 特に糸子は、翌日は生地を買わなければならないため、帯にお金を忍ばせて、用心は万端であります。

 ところが。

 まんじりともせず過ぎていく一夜に、昌子と八重子の叫び声が響きます。 「きゃーっ、泥棒!」

 隣のオッサン達も騒ぎだします。 「おまえらか!」「ちゃうわ!」

 「一階から逃げたぞーっ!」

 その声に階下に降りていく一同。 糸子は物音に気付いてその場にとどまり、押入れを開けます。

 そこには、顔やからだじゅうすすだらけの戦災孤児らしき子供たちが、無表情のままうずくまっていたのです。
 叫び声をあげる昌子と八重子。 子供たちは散り散りになって逃げていきます。

 騒ぎが収まって、再び床についた糸子たち。
 糸子がふと気付くと、布団のなかに、何かがいます。
 布団をめくると、そこには汚い顔の、年端もいかぬ子供が。 男の子なのか、女の子なのか。 判然としません。 ただ糸子はその後の話から、女の子だ、と思ったようです。
 年は優子よりも少し上のように思えます。

 「まだそのへんうろついてんじゃねえか?」「見つけたらただじゃおかねえ」。 噂するオッサン達の声に、その子は震えています。

 布団のなかで、その震える手は、糸子の手をつかみます。

 そして、その子は、糸子に、まるで母親に甘えるように、抱きついてくるのです。

 もぞもぞしながら、悲しそうな表情になっていく糸子。

 糸子は、その子を、暗闇のなかで、抱きしめます。

 人知れず、糸子の目からは、涙がこぼれ落ちます。

 泣けた。

 しかし。

 翌日、糸子の帯にあったお金は、ものの見事に盗まれています。
 ほぼその女の子が、盗んだものでしょう。
 結局生地を買うという計画はオジャン。
 疲れ果てた顔で、糸子たちは大坂に戻ってきます。

 母親のお帰りに、駆けつけてきた直子。
 糸子は直子をおぶって、その重さに驚きます。
 続いて駆けてきた優子。
 千代が、聡子をおぶって出てきます。
 娘3人を、思い切り抱きしめる糸子。
 糸子は自分の娘たちを抱きしめることで、あの戦災孤児の女の子を再び抱きしめようとしている。 私にはそう思えました。

 なけなしのお金で、糸子は自分の娘らになにがしかでも買ってあげたかったのでしょう。
 お土産の芋けんぴやチョコレートに喜々として手を伸ばす子ら。

 「昌ちゃん…。

 あの子、お菓子のひとつでも買えたやろか…」

 「またその話…。 はよ忘れたほうがええですて!」

 「せやけど、ほんまにガリッガリやったんやで。
 あんなちいちゃい子が…」

 糸子は昌子から慰められながら、こう思うのです。

 「(生き延びや。

 おばちゃんら、頑張って、もっともっとええ世の中にしちゃるさかい。

 …生き延びるんやで…)」。

 この戦災孤児たちも、自分が生きるために、おそらく総元締めに不当な扱いを受けながらも、闘っている。
 糸子はそんな孤児たちと自分の娘らの姿をだぶらせ、子供たちに明るい未来を作って渡していくことが、自分たち大人の使命なのだ、と思う。
 無邪気さをなくした戦災孤児たちも、無邪気さいっぱいの自分の子らも、未来を持っている、という点ではまったく同じなのだ。

 そして闇市に生きる人々。
 蔑まれながらも、自分の体を売って生きようとしている女たち。
 おしゃれを楽しもうと、洋服に群がる女たち。
 みんなみんな、この戦争を、生き延びた人々なのです。
 現代人たちは、みな戦争で生き延びた人々がいたからこそ生まれ来ることが出来た、とも言えるのではないでしょうか。

 昨年の大震災で生き延びた人々も、それとまったく同じです。

 生き延びた人々が、未来を作っていくのです。

 「生き延びや…」。

 糸子のつぶやきは、そんな生き延びた人々全員に対する、小さな小さな、エールだったのかもしれません。

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2012年1月 5日 (木)

「孤独のグルメ」 テレ東深夜の 「ただ食べてるだけ」 のドラマ

 最近テレビ東京のドラマ、というのが、結構評判になることが多くて、録画機の番組表を見ながら題名がアレそうなのは除いて(笑)ことごとく予約を入れています。

 まあ当たり外れもありますけど、今回のこのドラマは当たり、の部類に入るでしょうか。 そう大傑作、という部類ではないですが。

 原作は久住昌之サン、谷口ジローサン画のマンガ。
 谷口ジローサンというと非常に几帳面な画風のマンガ家で、どことなく顔のパーツが中央に寄っている、まあ意地悪な言い方をすればAKBの件のあのかたを思わせるような造形の顔をお描きになります(ハハ…)。
 この人のマンガのなかでは20年ほど前に描かれた(もう20年も前か…)「犬を飼う」 というマンガに大号泣した強烈な思い出があります。
 飼っていた犬が年老いていって、ただ死んでしまうだけの話なんですが(どうも悪意のあるよーな書きかたで申し訳ない)、それがもう…ね。 泣けるんですよ。 後にも先にも、マンガを読んであそこまで大号泣したのは、あの作品だけです。 昨今の 「泣ける○○」 というカテゴリーは、この作品から発生しているかも、と思えるくらい。

 で、そんなマンガ家サンの作品ともなれば、なんかすごいストーリーがあるのか、と思いきや、これがすごく極端な物言いをすると、「ただ食べるだけ」 の話なんですよ。
 要するに、BS-TBSでやってる、「酒場放浪記」 みたいな感覚。

 主人公の井之頭、という男は、雑貨商を営んでいる男。 その井之頭が仕事でやってきた門前仲町で強烈な空腹に襲われ、そのアンテナを駆使して入った焼き鳥屋で、ただひたすらものを食う、という、それだけの話で。

 や、そこに至るまでに、ちょっとした話はあるんですよ、確かに。

 井之頭が売り物を持ってきた、その門前仲町付近の顧客の喫茶店で、その喫茶店の店長のマシンガントークにただひたすらボー然とする、という前フリみたいな話。
 その店長は山村美智サン。 「オレたちひょうきん族」 のひょうきんアナウンサーですよね。
 その喫茶店の看板に、「おいしいコーヒーと手作りごはん」 と書いてあって、井之頭役の松重豊サンは、思わずコーヒーと、一膳の銀シャリご飯が並んでいる光景を想像してしまい、「(イメージがイヤなぶつかりかただ…)」 と、軽~くブルルッとするんですよ。

 もう、大爆笑しました。

 ここで凄みのある役や笑わせる役を両方こなす松重サンが、今回どのような役どころなのかが、一瞬で把握できる。

 で、その山村美智サンのマシンガントークを聞きすぎてクタクタになった松重サンが、いったん自分があこがれている骨董品屋に立ち寄って神社にお参りしてからその空腹を抱えて向かったのが、飲み屋横丁。

 「自分はいま、何腹なのか?」 という松重サンのアンテナは、一軒の焼き鳥屋に導かれるように、すーっと入っていきます。

 ここで注目なのが、その焼き鳥屋の女将さんの風情とか店の内装とか、いかにもフツーでありがちなこと。 特段変わった店じゃないんですよ。 のちほどここの店のモデルになった場所が出てくるんですが、女将さんがほとんどおんなじ顔で(つまり別人)、よく探したもんだとまたここで爆笑。

 さらに注目なのが、この井之頭、という男、下戸でまったく酒が飲めない。
 酒が飲めないから、まずウーロン茶を頼む。 女将はウーロンハイならあるけどと言って、店を飛び出して隣の酒屋からウーロン茶を買ってきて、「冷蔵庫がふたつあるの」 とか、大して面白ないウケ話をするんですが、これがまたリアリティがあって笑える。
 しかしまあ、ウーロンハイが出来るのになぜウーロン茶がないのか?というのは、やはりウーロンハイが市販の出来合いのものしか置いてない、ということを、ここで見る側は推測せねばならないのです。

 で結局、井之頭はそこの焼き鳥を、全種類(7種)1本ずつ頼み、またたく間に平らげていくんですよ。
 画面は井之頭が食む、焼き鳥のコリッコリッとした音と、淡々な井之頭の感想が続くのみ。
 「(うん…うまい。 これでごはんが食べたくなるなあ…。 なんでメニューに焼き鳥定食がないんだろう?…うまい、本当にうまい…。 焼き鳥って、こんなにうまいものだっけ?…おいおい、あっという間に6本食べてしまったぞ…。 なんだろうこのうまさは?…なんだか、笑えてくるなあ)」。

 なんじゃコレ(笑)。

 気の利いた感想なんて、これっぽっちも語ってないのに、それがかえって新鮮で、なんかこっちまで食べたくなってくる。

 井之頭はメニューで気になっていたホッケスティックと信玄袋、というものを頼みます。
 ホッケスティックはホッケの塩焼きがスティック状になってるだけで、単に食べやすいとか?チキンナゲット感覚?(笑) 信玄袋は焼いたあぶらげのなかにオクラとホタテが入っています。 「(今日はついてるなあ)」。 相変わらず大した感想を言いません(笑)。 でもうれしさが伝わってくる。

 そこに常連さんらしき男が入ってきて、つくねとピーマンを頼みます。

 なぬ? つくねはいいけど、ピーマン?

 見れば、半分に切っただけのなにも施されてないピーマンに(もちろん種は取り除いてますよ)つくねを詰め込み、それにがぶっとかじりついている。
 井之頭も思わずとっさに手を上げそれを注文(この松重サンの演技も笑えます)。
 ピーマンは3個で170円。 うーん、自分で買ってきてやったほうが良さそーな気もするが(爆)。
 ところがこの意外なる組み合わせ、見ていてひたすら食べたくなってくる。
 「(苦い…苦いぞ…でもなんなんだ? 新しいピーマンの肉詰めだなあ…苦い…でもうまい…苦うまい…!)」 いや~大したことはない感想ですが、コワモテの松重サンの顔がほころんでいくと、こっちまで 「そりゃ試してみるべきだろう!」 という気になってきます。

 松重サンは思わずその肉詰めのうまさに、ご飯を頼むのですが、どうも焼き飯しかないらしい。
 その焼き飯、梅肉入りで、そのミスマッチさ加減がまた刺激的。
 「(酸っぱい!…梅干しかぁ…。 焼き飯に梅干し…発想がなかった…これいいぞお…)」。
 またフツーの感想が続きますが、どんどん食が進む松重サンを見ていると、もうそれだけで説得力がある。
 これってグルメ番組に対する強烈なアンチテーゼですね。

 で、店を出る松重サンの姿を追って、ドラマはここで終了。

 あとは原作者の久住サンが出てきて、さっきの 「酒場放浪記」 みたいなことを始めるのです。
 ドラマの時間は正味20分程度。 30分番組の、3分の2です。

 言ってみれば、こないだTBSでやってた 「深夜食堂」 から、ストーリーをまったく省いたようなスタンスのドラマです。 20分程度だからそれでも成り立つ部分があるのですが。
 そして深夜にやっているために、視聴者の空腹力(なんじゃソレ)に強烈に訴えかけるものがある(私はリアルタイムでは見ることが叶わないのでそれはありませんが)。
 感心したのは、マクドナルドのCMがそれをあたかも狙ったかの如く入っていたこと(1本だけですけどね)。 24時間営業のマクドナルドに行きたくなるっつーか(笑)。 コンビニのCMも、こういう番組にバシバシ入れるべきでしょうね。 どうもスポンサーはわかっとらんなあ。

 まあ見逃してもさほど悔しい、と思えるドラマではありませんが、地方ではやってないとのことなので、ちょっと放送されていない地域のかたには酷なレビューになってしまいました。
 申し訳ないです。
 ただつくねと生のピーマンのコラボは、試してみる価値はありそうです。

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2012年1月 2日 (月)

「開拓者たち」 第1回 人が生きれば、事情が出来る

 旧満州に渡った日本人たちの姿を描いたドラマ、「開拓者たち」。
 原作というものを特に求めれば、それは体験者たちの証言、ということになるでしょうか。
 だからこのドラマにおいて、政治的なものがどうだとか国際情勢がどうだとか、という視点は、ちょっとわきに追いやられている印象がある。

 満蒙開拓団、といいますと、私は35年以上前のTBSドラマ 「赤い運命」 で初めてその存在を知ったのですが、確か百恵チャンの父親(実際は違うのですが)だった三國連太郎サンがこの、満蒙開拓団の一員で、それゆえに戦後、自分の生きかたを誤っていた。 そんな役を三國サンは演じてました。

 それ以外にも、私の父方の祖父が戦前、満州に渡っていたこともかすかに聞いたことがあるのですが、ずいぶん早くに亡くなってしまったため、その詳細は分からないままです。

 で、ちょっと国際情勢的なややこしい話をいたしますが。

 もともと満州は清王朝の弱体化のなかで建国されたもので、それゆえに少々混乱状態であった地元民族の情勢を鎮静化している、というはたらきもあったことはあったのですが、それもこれも、日本が内政干渉すべき問題だったのか、という話だと私は思うんですよ。

 これって遠因的に、日清戦争も絡んでいる気がする。

 隣国がどんなに見ていて危なっかしい状況でも、それを横から口出ししてうちらが統治する、なんてのは、おこがましいんじゃないでしょうかね。 日清戦争によってそこらへんの 「おせっかい」 の精神的土壌が日本側に作られているように、私には思える。
 うちらは日清戦争で勝った側だからその土地に介入できる、みたいな発想。
 開拓団が満州に向かったのだって、今回農家の口減らし、という側面がドラマでは描かれてましたけど、そんな発想で安易に大陸に稼ぎに行こう、というものだったんじゃないか。

 ドラマのなかに出てくる、「匪賊」 という問題もそこから発生している、と思うんですよ。
 彼らが日本人たちの開拓地に侵入してくるのは、「ここはもともと自分たちの土地だ」 というのはあるかもしれないけど、実際の話、そこの地元民たちに登記とか契約上の権利関係が発生していたかどうかって、分かんない。 あったかもしれないしなかったかもしれない。
 でも登記してたかとかその土地を自分が買って契約書もちゃんとあるとか、そんなことって問題でしょうかね。
 もともとそこら辺に住んでたわけでしょう。 ○○町の○○番地、じゃなくたって。
 だから彼らがいい加減なことを言って自分たちの権利ばかり主張している、というわけでは、けっしてない、と思うんですよ。

 このドラマでの論調の底辺にあるのは、「満州国が傀儡政権で、満州国の土地は一方的に安い値段で買い叩いたものだ」、というものです。

 この論調に是非を唱えようとすると、いくらでもできる。

 満州国の初代皇帝溥儀は結構日本とつるんでた部分もあるし、戦勝国が有利に売買を進めようが当然ではないか、とも思える。
 匪賊だって一方的にいいわけでなく略奪や暴行もしたんじゃないか、みたいな見方もある。
 でもそれもこれも、内政干渉が端緒なわけですよ。
 じゃ北朝鮮があんなていたらくだから奴らをやっつけて自治政府を樹立しようとか、今そんなことはあんまり考えないじゃないですか。 それと一緒だと思うのです。
 人道的支援とかいう名目で、どこまで内政干渉できるのか。
 内政干渉しだしたから、あらたな問題がそこで生じている。

 現地の人間たちの怒りがあるからこそ、開拓団にはそれぞれ銃があてがわれ、自警をする必要が生じてくる。

 「銃を持つと、人は変わる」。

 主演の満島ひかりチャンの夫、速男(新井浩文サン)のセリフです。

 銃だけでなく、武器を持つと、やはり人は人に対して、強制力を発揮するようになってくるのです。

 これは日本軍だろうが匪賊だろうが、皆一緒だ、ということです。

 そして、そんな事情。

 いくら複雑であろうとも、満島ひかりチャンたちはそこに行き、そこの土地を耕し、そこに弟、妹たちを呼び寄せ、そこで生きていくのです。

 生きていけば、何かしら事情は生じていく。

 ひかりチャンの農場では、中国人の親子が働いています。

 その中国人は、もしかすると日本の権利不当買収によってその土地を追われた人なのかもしれないし、逆にそのことによって働き口を得た(言ってみればその事情を利用した)人だったのかもしれない。

 そこに日本人たちが入植し、現地の人たちがやろうと思ってもできなかった開墾を出来た、という意味で、もしかすると満蒙開拓は意義のあったことかもしれない。

 けれども敗戦色が濃厚になると、現地の人々は日本人に敵対し出すわけです。

 そしていっぽうでは、日本人によくしてくれた中国人たちも、いたわけです。

 そしてソ連は、国境を越えて日本の弱みにつけこんでくるわけです。

 その結果、内地引き上げには悲劇が付きまとい、中国残留孤児が生まれ、シベリア抑留者問題が発生する。

 私はこれを、内政干渉のすべての結果だ、と思うのです。

 誰がいいとか悪いとか、言う前に、他人の土地に入り込んだことの結果がこれなのだ、と思うのです。

 人々はそこで、一生懸命生きてきた。
 その一生懸命は、戦局の悪化によって、すべてなかったことにされてしまう。
 自分たちの一生懸命にこだわった人々は自分たちの開拓した土地に固執し、悲劇に見舞われていく。
 ソ連の侵攻はほとんど無抵抗のまま成就していく。
 逃げ惑った人々を待っていたのは、すでに無力化した日本軍と、日本政府の無策ばかりなのです。

 ドラマはそのことを、実に淡々と描いていきます。

 そしてそんな政治的に入り組んだ事情などどうでもいい、生身で体験した事実だけが、そこにある気がするのです。
 証言者たちの半分ドキュメンタリータッチの作りが、そのことに拍車をかけています。

 そこでは頭のいい知識とか、事情通とかいう側面などまったく無力です。

 全4回。 毎週1時間以上のキツイスケジュールですが、とりあえず最後まで見ていきたいと思います。

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2012年1月 1日 (日)

「第62回 紅白歌合戦」 2011 頑張ろうばかりではつらくなる

 「カーネーション」 の記事が予想以上にてこずり、年末の食事会とかもあって 「紅白歌合戦」 を実況中継する、というこのブログ恒例行事がオジャンになりましたので、とにかく自分の見た部分だけは感想を書こうと思い立ちまして。

 なにしろやはり、見ていて感じることが多いんですよ、この番組。
 ヒット曲がない、知っている歌手が少ない、歌ってほしい歌を歌ってくれない、司会がつまらない、白組ばっかり勝っている、etc…って、ETC…なんで首都高900円なんだよ!とか、カンケーない話にまた行っちゃいますけど、あまりにも見ていて不満な部分が多いんですが、やっぱりその反面感動することも多い。

 一回オレにプロデュースさせてくんないかなぁ…(爆)。

 で、私が 「カーネーション」 のレビューを終わって去年(2011年…もう去年の話なのか…笑)の紅白を見出したのが、午後9時の第二部から。
 しかし第一部の終わり近くに出場した、当の 「カーネーション」 主題歌、椎名林檎サンのお出になった部分だけは奇跡的に見ることが出来まして。

 ところがこれが、バックが東京事變でして。
 椎名サンはアコギ片手に、ドラマのフルオーケストラバージョンとは似ても似つかぬアレンジで、個人的には少々がっかり。
 体裁はドラマの月曜放送分と同じ構成で、だからあっという間に終わってしまったのですが、そこから 「女の子は誰でも」 というジャズ風味の曲にチェンジ。 はぁ?
 まあ幸いなことにこの曲も知っていたのですが、なにもメドレーにするこたないだろう。
 椎名サンのメイク、コスチュームは実に地味目でおとなしくて、これはこれで好感は持てたんですがね。 まあまさか看護婦のコスプレをするわけにもいかんでしょうが(爆)。 やりかねませんからね、あの人過激だから(もう昔の話なのかな?)。

 私がプロデューサーだったら、まずはこの曲を紹介してくださった尾野真千子サンの出番をもっと増やしますね。 それと、麻生祐未サンと小林薫サンは出しますね。
 そして 「カーネーション」 だけにしますよ、歌わせるのは。
 しかもドラマとまったく同じアレンジでね。
 オリジナルが聞きたいんスよ、オレは。
 ドラマで聞いていた通りのね。
 だから去年のいきものがかりの 「ありがとう」 も、絶対ドラマと同じバージョンにしたね、オレだったら(なんか口ぶりがホントにプロデューサーみたいになってきた)。
 ドラマでしか聞かないんだから。
 昔みたいにアッチャコッチャで歌番組やってるならまだしも。
 一番聞く機会は、そのドラマのなかでなんだから。

 それにしても見逃したので惜しかったのは、平井堅サンの 「いとしき日々よ」。 「JIN」(完結編)の主題歌ですよ。 去年(いやおととし…笑)は 「新三銃士」 の主題歌をすごく期待していたのに、出場さえせずに。 出場させろってんだよ(どうも口が悪いなあ)。

 Perfume。
 口パクだったと思います。 口パク。 これって仕方ない面もあるか、とは思います。 だいたい体を激しく動かしながら息も切らさず歌う、ということが難しいですよね、今どきの歌は。 でもピンク・レディーは…(笑)。 頑張って踊りながら歌ってもらいたいのはありますよね、確かに。
 彼女らの場合は、声質から機械的に変えてしまっているから、完全に楽器の一部と化している部分がある。 ただ声を機械的に処理しているがゆえに、口パクでなくそのまま歌っても別にいいとも思う。
 彼女らのシングルは、個人的にはとても好きですね。 ベストが出たらぜひ買いたいな、と思う。 「レイザービーム」、この曲もなかなかいいじゃないですか。


 少女時代。 「GENIE」。
 韓国のガールズグループですね。
 この曲はなんか、聞いたことがあるなあ。
 韓国の歌手が日本に進出することについて、とやかく言う人たちもいますけどね。
 互いに刺激を受けあえりゃ結構なことじゃないですか。
 KARAも出てましたけど、彼女らの歌は知らなかった。
 東方神起はふたりぼっちになってしまいましたね。 「美しい隣人」 の主題歌だったから、聞いたことはあったんですが、こんな曲だったっけなあ。

 平原綾香サン。 「おひさま」 の主題歌でしたけど、あれはもともとインストでしたでしょ? 放送時からちょっと出だしがバリー・マニロウの 「歌の贈り物」 みたいだな、とは感じておったのですが。 ちょっとインスト用の曲としか思えないんですよ。 あれに歌詞をつけて歌うのは間違っている気がする。 こっちのほうは 「おひさま」 の出演者が大挙していましたね。 だからさっき 「カーネーション」 の時に尾野真千子サンだけというのはイカン、などと書いたんですよ。 どっちが今やってるドラマなの?

 長渕剛サン。 前説長すぎ(笑)。 相変わらずほかの出演者のこと考えてないなあ。
 歌はなんか、昔の長渕サンが戻ってきたように思えました。 私は昔の、「順子」 を歌っていた時のヒョロヒョロ長渕サンはあんまりそうでもなかったんですが、ちょっとロックがかってきた 「GOOD-BY青春」 とか、「時代は僕らに雨を降らせてる」 あたりの頃がいちばん好きなんですけどね。 でも今回の曲は結構素直に歌ってた。 懐かしい長渕サンだ、と感じてうれしかったです、その点だけは。

 和田アキ子サン。
 「あの鐘を鳴らすのはあなた」。
 この人に対する風当たりも、ネットを眺めてると強いなあ、と感じるのですが、私は好きですよ、この人の傲慢さと気弱さの同居している部分が。
 それにしてもトシ食った。
 この人ってなかなか老けないなあ、などと考えていたのですが。
 オレもトシ食うはずだ。
 親もトシ食うはずだ。
 みんなトシ食っていく。

 松田聖子サン・神田沙也加サン。
 なんだ、抱き合わせか。
 神田沙也加サンは、こういう形でなければ出れなかったんでしょうね。
 しかし聖子サンに関しては、この形はとても不満。
 「上を向いて歩こう」 を歌ってる人じゃない、って思うんですよ。
 この人には常に、「今」 こそがふさわしい。
 確かに 「瞳はダイヤモンド」 とか 「ハートのイヤリング」 とかも聞きたい気はしますけど。
 「スイートピー」 はいいです、聞きすぎたから。

 福山雅治サン。 「家族になろうよ」。
 なんか紅白で福山サンのいい曲だと思える曲を聞いたのは初めてでした。
 去年一年間この人、ドラマにご出演されてませんでしたよね?
 龍馬のイメージを大事にしているのではないか、と私は感じていました。
 勝手にそう想像して、勝手に好感を持っていますけど。

 そして松任谷由実サン。
 「(みんなの)春よ来い」。

 実は9時あたりからこの番組を見ていて、なんだかとても辛気臭くて嫌だったんですよ。
 誤解を恐れずに申し上げますけどね。
 要するに、2011年は、徹頭徹尾、大震災の年、として記憶されるべき年でした。
 だから被災地復興、頑張ろう日本、頑張ろう東北、元気になろう日本、そんなテーマだらけになるのは致し方のないことです。
 いや、そうすべきだったんですよ。
 でもね。
 こうどこを切っても、頑張ろう頑張ろうばかりでは、なんかやんなってくるんですよ。
 鬱病の人に頑張れと言わないほうがいい、ということと同様のことなのかもしれないのですが。
 頑張ろう、頑張れなんか言われなくても、頑張ってんだよ、そんな気になってくる。

 それでもこのユーミンの歌には感激しました。
 まず、ユニットで出ることはあっても単独で紅白に出場したのは、これが初めてだったユーミン。
 そのこと自体が貴重であるし、ユーミンの心意気、というのもじゅうぶん伝わってくる。
 そこだけで何かしらじんわり来るものがあるのです。
 歌い始めてから、「はて、ユーミンてこんなにビブラート効かせた歌い方する人だったかな~」 などと考えたのですが、もしかすると加齢による声量の低下をそれでごまかしているのかもしれない、などと考えつつ、最後の 「は~るよ来い、は~やく来い」 のユニゾンの部分になると、紅白出場歌手がステージ上に押しかけ、そのコーラスに唱和するのです。
 画面には、ユーミンと共に歌うゆずや、Perfume、aikoサン、AKB48の姿などが。
 こういうのが、やはり紅白の醍醐味だと感じるんですよ。
 どんな歌手も、一堂に会する。
 だからやはり、中継、というのは、とても邪道だ、と思うんです。
 中継してた長渕サンとか福山サンのことを別に悪く言うつもりはないですけど。
 こういう集団の力が、被災地へのメッセージ、という以上に、こちらの心を揺さぶるものがあるのです。

 天童よしみサン、「愛燦々」。
 美空ひばりサンと天童サンを比較することは間違っているのですが、天童サンほどの歌手でも比較できないひばりサン、どんだけなんだ…。
 要するにですよ。
 ひばりサンはこの曲、とても力を抜いて歌っているわけですよ。
 それはこの曲の本質を把握しているがゆえにそうするのです。
 天童サンはどうしても、自分の歌のうまいのを表面に出したい。 自分の声量をマックスにして歌いたがる。
 でも、曲の性格というものを考え、その曲に合わせた、またその一行一行、いやもっと、その一字一句ごとに合わせた歌い方をしなければならない、という動物的な本能が、ひばりサンには備わっている。 だからすごいんです、だから大歌手なんです、美空ひばりという人は。

 北島三郎サン、「帰ろかな」。
 私は北島サンの歌う歌のなかでは、「なみだ船」 と並んで好きな曲なのですが、この曲が原曲通りのアレンジで聞かれることは、まずない。
 すごく不満なんですよ、それが。
 原曲では、マリンバ?と思われる楽器が、本当に故郷に帰ろうとするような短いイントロで始まり、サビ部分のコーラスが聞こえ、北島サンが 「ハ~ア~ア~ア~」 と合わせるのです。
 しかるに今回は、そのサビ部分のコーラスに、どこぞの大学の大大合唱団をあてて壮大感を演出している。 このコーラスは、たった数人の混声コーラスでじゅうぶんなんですよ。
 そして今回のアレンジで最悪だったのは、ドラムスが入っていたこと。 アホか。 この曲にドラムスは必要ない。
 そしてもったいつけて壮大なアレンジにするもんだから、いっつもこの曲の2番は省略される。
 でもこの曲は、ちゃんと1、2、3番続けて歌われないと、成立しないんだよ。 1番で国のおふくろのことを歌い、2番で村のあの娘のことを歌うから、3番で 「嫁ももらっておふくろ孝行」 になるんだよ。
 原曲にあくまで忠実に歌われる 「帰ろかな」 が聞きたい。 あの原曲こそが、この曲の本質を伝えている。

 石川さゆりサンの 「津軽海峡・冬景色」。 定番ソングですが、やはり何度聞いてもこの曲は凄みがある。 「舟唄」 と並んで、阿久悠サンの作った歌詞の最高傑作に入ると思いますね。
 この曲を歌い始めた時期のさゆりサンを思い出します。 当時はまだ、山口百恵チャン、森昌子サンと抱き合わせの 「ホリプロ三人娘」 で売り出すしかなかったような印象がある。 この曲で一気に脱皮した気がするのです。
 それが、歌手としてトリを務めるところまで来たんですから。 感慨があります。

 そして大トリのSMAP。
 最初の歌はなんか変な歌でしたが(中居クン、また歌下手になってね?みたいな…笑)、次に歌った 「オリジナル・スマイル」 とかいう歌はよかったですね。 木村クンが審査員席の大竹しのぶサンの隣で歌ったり。
 このグループのコーラスワークって、ほかのジャニーズグループにはない独特の味がある。
 それはたぶん、歌がヘタクソな(失礼)中居クンの存在が大きいと思うんですよ。
 彼が微妙に音程をはずしているせいで(ん~、どうも香取クンとか稲垣クンも外し気味なような気がするんですが)、人数以上に大勢で歌っているように聞こえてくる。
 つくづく面白いアイドルグループだって感じます。

 で、なんか久しぶりに紅組が優勝。 7年ぶりとか?

 毎年申しているのですが、やはり私はトシのせいか、紅白には勝敗にこだわってもらいたい、という気はいつもしてるんですよ。
 それが在宅審査員とかいうシステムにしてから、やけに恣意的に推移してきたような気がしている。
 だってこんなのに参加しようなんて、めんどくさいことって、みんなあまり考えないじゃないですか。
 だから熱心なジャニーズファンばかりこの投票に参加する。
 必然的に白ばかりが勝つようになる。
 そんなカラクリなんだろうと思ってたんですけどね。
 今年はなんですかね。
 よく分かりませんけど、7年も勝ちから遠ざかっていたらさすがに紅白に分かれて勝負する意味ないですからね。 結局これも恣意的なものなのかな。

 「マルマルモリモリ」 も見たかったよ~な気がするが、まあい~か…。

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