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2012年2月 5日 (日)

「カーネーション」 第18週 娘たちがすがる母親の 「蜘蛛の糸」

 先週までの不倫の流れとは一気に変わった今週の 「カーネーション」。
 その中心に在るのは、成長した優子と直子。 糸子のふたりの娘です。
 優子には新山千春サン、直子には川崎亜沙美サン。
 末娘の聡子はどうも今週1週だけの登場らしいのですが、来週から安田美沙子サンがやるまでの顔つなぎ、として、村崎真彩サン。

 物語は先週から6年後の昭和29年になっています。
 糸子は41歳、みなそれぞれに歳を重ねておりますが、ここでちょっと、夏木マリサンの交代劇に絡ませた、下世話な話をしてしまうと。

 千代を演じる麻生祐未サンの老けぶりを見ていると、尾野真千子サンも60代くらいの糸子を演じられる、とは思う。
 でも尾野サンで70代はかなり無理がある、と感じます。
 だいたい麻生祐未サンは、私と年代が同じ、アラフィフ。
 やはり尾野サンが老け役を演じるのには、限界があると言っていい気は、するのです。

 そして長女の優子役を演じている、新山千春サン。
 セーラー服姿から演じて、優子役は物語の終わりまで演じるらしい(登板時のインタビューによる)。
 セーラー服に関しては、不思議なほど違和感がありませんでしたね。 まだまだ若いんだなあ、この人。
 で、顔の作りから言えば、50代くらいまでは老け役行けそうかな、と。

 次女直子役の川崎亜沙美サンは、インパクトありますよね(笑)。 かなりオッサンぽい中学生だなと思ったのですが、ドスが利いてて老け役も大丈夫そう。 来週予告の話を早くもしてしまえば、マスカラメイクがコシノジュンコサンそのままでビビった(笑)。

 聡子役の村崎真彩サン。 実はこの1週間限定の彼女だけ、見ててなんか違和感があって(笑)。
 最初小学校高学年設定で、週の中ごろから2年後の設定になっていたためか、最初の小学生のときは 「しずちゃんか?」 みたいな(笑)。 南海キャンディーズのしずちゃん、今ボクシングで頑張ってますけどね。 こういうバカでかくて声の低い小学生の女の子、考え直せば、そういやおったよな~、みたいな(笑)。
 ただこの聡子、いちばん爆笑キャラだったよーな気がいたします。 コシノミチコサンもこんなキャラなのかな。



 それにしても今週は、「ライバル」 という副題でしたが、特に年の近いきょうだい間に横たわる、普通の 「好敵手」 というのとは違う、身内ならではの深い怨嗟感情を、余すところなく表現していたように思われます。 相変わらずの傑作。
 この三姉妹のなかで特に長女と次女の関係は、世が世ならキッタハッタの戦国女性絵巻みたいになる様相であります。 先週白状してしまいましたが、その昔仲の悪いきょうだいだった自分には、実に真に迫った話だった気がする。 内容は違うけど、きょうだい同士で学校の成績がどうとか、自分のマネをするなとか、自分の領域に入るなとか、そんな感情は同じ。
 不倫を描くのでも、きょうだいの不和を描くのでも、このドラマはとことん突き詰めて考えていることが、とてもよく分かるのです。

 このドラマを 「前半はよかったけど今年に入ってからは…」 などと批判する人は、私の邪推によれば 「変化を怖がる人」、なのではないか、という気がいたします。

 善作がいてハルおばあちゃんがいて。
 子供時代の設定って、どんな人たちにとっても、それがベストなんですよ。 父親も母親も若く、誰もまだ鬼籍に入ってなくて、おじいちゃんおばあちゃんという後ろ盾が控えていて。
 守られているなかで子供たちはのびのびと毎日を笑いながら過ごして、日々成長していくのが分かって。

 でもそんなベスト、の状態は、歳を取るごとに失われていく。

 年月というのは容赦なく過ぎていき、「昔はよかった、子供のころはよかった」 と思い出す時が、きっと来る。
 人だけでなく、環境にしても、あの頃のほうがいろいろと住みよかった、と。

 その象徴みたいな形で、今週は木之元電キ店がアメリカ製の雑貨を売る店に代わる話が、エピソードとして出てきます。

 木之元のおっちゃんは、昭和29年当時の電気製品を、「近頃の家電はみんなカクカクしていて風情がない」、とその没個性化を問題にしていた。

 昔のほうがいい、と感じることは、世の常です。

 このドラマは時代によってストーリーを徐々に変質させていくことによって、そんな 「懐古趣味への是非」 にも目を向けているように思えてならない。

 つくづく深いドラマだな、と感じざるを得ません。




 またこれ、前フリか…。
 あ~も~、とっととはじめましょう(笑)。




 月曜放送分。

 昭和29年秋。
 15歳の直子が芋けんぴを食べながらレコードに針を落としています。
 流れてきたのは 「銀座カンカン娘」。
 オハラ洋装店の第1回ファッションショーのBGM担当なのですが、当の直子は裁ちバサミのデッサンに夢中。 質感の描写は、かなりの腕前を示しています。
 昌子も糸子も、野暮ったかった戦後間もなくのパーマから逸脱して、かなり現代から見ても違和感のない髪形、そして垢抜けた洋装になっています。

 オハラ洋装店でファッションショーが行なわれている一軒先の隣には、すでに木之元電キ店はなく、「アメリカ商会」 という雑貨屋を、テンガロンハットのカウボーイスタイルで木之元の息子が営んでいる。
 れれっ? 木之元のとこに、息子なんかおったんかいな? …というのはこのドラマの常でありんす(笑)。 つくづくわざとらしい説明不足をするよなあ。
 そこでアメを買うのは末っ子の聡子(11歳)。 前述したとおり、11歳にしちゃあデカイ。 胸もデカイ。
 オハラ洋装店は、店先だけを見れば結構洒落た改装をしていることが分かる。

 芋けんぴの袋をこぼしてしまう直子(こんな描写までせなならんかな?…笑)。 途端に、「♪それーが~、ぎーんざーの~、カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン」(爆)。

 これがCDの音飛びなら、「カカカカカカカカカカカカカ…」 というところなんでしょうが(これが書きたくて描写してしまった)。

 このファッションショーの会場をのぞきこんでいるのが、あの北村。

 糸子と周防との関係がどうなったのか、今週かなり後になるまで判明しないため、ここは推測で見るしかないのですが、糸子は北村をまだ許していない模様。 「墓に入るまで恨んでやる」 という態度です。
 北村は北村で、そんな糸子のもとに3カ月にいっぺんは来ている、ということは、まだ糸子に未練があるのか、それとも娘たちを手なずけて外堀から攻略しようとしているのか(大坂冬の陣か)、はたまた娘たちを源氏物語よろしく幼少のみぎりからエサを与えてモノにしようと(胸がデカイとか下品でスミマセン…)しとるのか。

 なにしろ北村は 「なんじゃここの子ぉらニョキニョキニョキニョキしやがって(大きくなりやがって)よぉ~」 と言いながら、娘たち3人を籠絡して(人聞き悪いなあ…)喫茶店 「太鼓」 へ甘いもん食べに行こう、と誘います。 2階で油絵に没頭していて家事の言いつけなんか聞かなかった優子もふたつ返事で 「行く!」。

 前述しましたが、優子役の新山サン、17歳でも通用する。 異論は認めない(笑)。 昔はみんな老けてたもん。 うちのオカンだって、女学生時代の写真を見ると、どこの30歳のオバサンじゃ、という感じですよ(オカンスマン…)。

 蛇足ですがこの優子、油絵を描いていたあいだ、没頭していたためか、両脚が開き気味。
 ここらへん、年ごろの女性ならば脚をきちんと閉じるはずです。
 これで17歳の無防備さが演出されている。 つくづく演出が細かいと感じるのです。

 喫茶店 「太鼓」。 怪獣みたいに食いまくる三姉妹をよそに、店に入ってきた木之元のおっちゃんが、北村と前述した 「家電の無個性化」 をあげつらっています。 木之元のおっちゃんはそんなものを売っていても、「うれしくない」、という表現をする。

 この木之元のおっちゃんの視点は、実は今週のこの物語を動かしていく裏のキーワードのような気がする。

 自分が何か商売するにしても、自分はそれを売っててうれしいのか。 それをやっててオモロイのか。

 善作がかつて糸子に、百貨店の制服のプレゼンをする際に話していた、「そのほうがオモロイ」。

 その言葉がまるで善作の魂に導かれるようにして、今週このあと聞かれることになるのです。

 北村から進路について訊かれた優子、東京の美大に行く、と得意げです。 「おまえ画家になるんけ?」 と言われてちょっと考え込む優子ですが、直子はその話に首を突っ込んできて、うちは画家になるつもりがある、と断言する。
 「おまえらお母ちゃんの仕事継いじゃらへんのけ」 と訊く北村。 糸子のことを心配している部分が、ほんの少し垣間見える。 でも優子も直子も、絶対嫌や、と返すのです。
 優子も直子も、あんなに働きづめで一生終わりたくない、というスタンス。 それは、仕事仕事でかまってもらえなかった恨みのこもった言葉でもある。

 北村はまたいつかのように(笑)強引にオハラの晩餐に呼ばれてしまい(それは北村がわざと自分で仕掛けている部分もある…笑)、千代の煮たイワシに感激しています。
 でもやはり、ハルおばあちゃんのイワシには敵わないらしく、千代は今週その後、ハルおばあちゃんのイワシ煮を凌駕しようと奮闘してました。
 そして晩餐の席で話題にのぼった、そのハルおばあちゃんの昔話。

 「イワシばぁ~っかしよう炊いちゃったなあホンマ。
 …
 文句ばぁ~かしゆうてたけどな」

 糸子のけなし言葉に、遺影のおばあちゃん、「こら糸子、余計なこといいな」 とおかんむりのように見えます(ここらへんの撮りかた、非常にうまい、というか、なんかちょっと険しい顔の遺影をこの場面だけ差し替えとんのとちゃうか?みたいに思える)。

 遺影に見守られながらひと眠りする糸子。 北村が帰っていったあとやおら起き出して、また仕事に取りかかります。 娘たちが嫌がるほどのワーカホリック健在。
 「あんたら早いとこお風呂屋さんいっちょいでや」 という糸子のセリフひとつで、こんだけ儲かっとんのにまだ自宅に風呂がないことが分かります。 こうしたなにげないセリフひとつに、無限の想像力が働く。 このドラマのまたまた現る真骨頂であります。

 大きく伸びをした糸子。 「よっしゃ!」 とペダル式のミシンを手繰ります。

 「(さあ、これからです)」。

 月曜、という一週間の始めの放送分のラストが、このセリフ。 つくづくこのドラマ、日本経済のことを考えている(笑)。

 日々いよいよ、これから、という気持ち。
 だいじだよなあ。




 火曜日放送分。

 昭和29年12月。
 寝床で目覚める糸子。
 「(おはようございます!)」。

 第一声がまた、このセリフ。
 「おはようございます~」 という視聴者の声が聞こえるような感じ(笑)。
 「起きりー! 朝やでぇ~っ!」
 糸子は娘たちを叩き起こします。
 掛け布団を引っぺがされた娘たち、敷布団にくるまります。 「あんたら虫か?」(笑)。

 朝餉を取る小原家。 食べ終わったごはん茶碗に水をかける優子。 こうしないと洗う時ごはん粒が取りにくい。 いちいち描写が細かい(書くほうも細かい)。
 その優子、自分の学校の担任が洋服を作りに来ることを確認してから登校します。
 聡子は裸足の上に靴。 いつものことみたいです。

 そして優子の先生の来店。 糸子は先生から、優子が美術学校に行きたい、ということについて、画家の道は厳しいこと、そして優子自身が画家になる覚悟までは定まっていないようだ、ということを聞き出します。

 ここで糸子は、自分の娘に、将来の覚悟がないことについて、とてもこだわる一面を見せ始める。

 これ、比較対照したらあきませんけど、「ゲゲゲの女房」 の水木しげる氏とは、実に一線を画した親としての対応のように思えます。

 水木サンの両親であるイトツとイカルは、息子が絵が上手なことで絵描きになることを、大して問題視していなかったように記憶しています。 却って息子の才能を信じ、つき放していたくらいの印象まである。

 対して糸子の父親善作は、「覚悟がなければ認められん」、という立場を終始貫いていたように思えます。 糸子が女学校をやめてパッチ屋で働こういう時も、自分の店を持とういう時も。

 人生の節々でそのような覚悟を強いられてきた糸子だからこそ、「まあなんでもええんちゃう?ダメやったら嫁に行っちゃったらええんやし」 という態度にはどうしてもならない。

 その結果、それまで美大行きを容認していた糸子の豹変ぶりに、優子は戸惑うのです。
 優子は母親から 「アカン!」 と言われ、泣き続けます。
 そこに帰ってきた直子。 姉が泣いてるのを不審に思って、そこにいた聡子に訊くのですが、聡子はマンガを読んでけらけら笑いながら 「え?分かれへん」(笑)。
 聡子、おまえはKY過ぎるっ!

 千代はひとり泣き続ける優子におにぎりの差し入れをして 「お食べ。 お腹すいたら余計悲しなるよって」 と慰め続けます。
 この構図は、程度の差こそあれ、糸子とハルおばあちゃんとの関係に通じるものがある。
 ハルおばあちゃんはもっとぶっきらぼうでしたが、勘助にも負けたと泣きじゃくる糸子の両手を、温かくさすっていた。 千代は 「おばあちゃんが優子を東京行かしちゃる」 とハルおばあちゃんに比べればかなり甘いのですが、やはり孫を思う気持ちは同質なのです。
 こんな後ろ盾って、私にもその昔はあった。
 悲しむ孫をいたわる祖父母。
 若い人には分からんでしょうが、思い出すと切なくなります。

 ここで優子が取った行動。
 彼女はこれ見よがしに悲しい顔を近所じゅうに見せて、まわりを味方につけようとする。
 ずるいですよね(笑)。

 安岡美容室に北村からのおすそわけのリンゴを持ってきた糸子。 椎名林檎サンとは…関係ないか。
 八重子のほかにも店員が2名増え、玉枝は太郎の長男(推定生後2カ月)をおぶっています。
 ゲ、太郎の長男とね! 太郎、なんばしよっと!(あんたナニジンやねん)。
 見上げる糸子の先には、糸子が作ったウェディングドレスを着て微笑む、奈津の写真額が。
 ホントに一瞬でいろんな情報が詰め込まれてて、このドラマってその点では朝ドラ向きでないのかもしれません。
 ドラマ批評サイトとか見ていると、このドラマ、ちゃんと見てない人がいかに多いか実感する。
 朝の忙しいひと時に時計代わりにして見るには、適してない。 ちゃんと見てない人が、やはりこのドラマを誤解しているケースが、すごく多い気がするんですよ。
 特にほんの一瞬の表情の演技とか、とても多い。 それを見落とすと致命的なケースが多過ぎる。

 それはそれとして、糸子は近所中を味方につけている優子に辟易している模様。 しかし覚悟の座ってないもんに美大行きなんぞ認められん、というスタンスは、けっして崩しません。

 「ほんまに行きたいんやったら、うちのゆうことなんか聞かんで行ったらええんや」

 そんな糸子の思惑とは裏腹に、優子は学校から帰ってくるなり、こう当たり散らします。

 「お母ちゃん。 うちはお母ちゃんのあとなんか、死んでも継げへんよってな!」

 優子は、母親が自分のあとを継いでほしくて美大行きを反対している、という大いなる勘違いをしている。

 「誰もそんな話してへんやろ」

 糸子はぼそっとつぶやいて、まるで亡き父善作のように考えるのです。

 「(まだまだや。 オマエはまっだまだや)」。





 水曜放送分。

 昭和30年2月。 受験シーズンですな。
 優子は卒業式の帰り。 直子はこんなとこでも負けじと 「うちも中学卒業やし、聡子も小学校卒業や」 と木之元親子に向かってムダに誇示する。
 優子は相変わらず今にも死にそ~な顔をしております。 美大の受験日は2日後に迫っている、というのに。
 同情する木之元親子に、直子は忠告します。

 「どこがカワイソウや? 引っかかったらアカンでおっちゃん。 あないしてな、しみったれた顔さえ見したらちやほやしてもらえると思てんやさかい。 甘ったれなんや。 本気で画家になる気もないくせに。 お姉ちゃんはおじいちゃんに可愛がられすぎて、あんなアホになったんや。 うちは誰にも可愛がられへんかったさかい、賢うなった」

 通信簿を見る限り、直子の最後のセリフは完全なる認識違いと思われます(笑)。
 5段階評価で、直子は、図工が5以外はすべて1か2。
 しかし優子はほとんど4か5。 物理だけが3でした。
 ただ直子の、姉に対する人物評価は極めて的確なように思えます。

 糸子は優子のよく出来た通信簿を見ながら、軽く美大を受けさしちゃったほうが気が楽なのに、と気持ちがぐらつくけれども、思いとどまる。
 そして体育以外はこれまた1、2だらけの聡子の通信簿を見て、息抜きのようにケラケラ笑うのです。
 そして善作、勝、ハルの遺影に向かって聡子の通信簿を見せ、「見た?なあ?これ見た?」 と大爆笑?する。
 笑えたけど、なんなんだよコレ。
 まるで異界の人々と一緒に通信簿を見ている感覚。
 すごすぎるんだよな、このドラマ。
 糸子がわが子の頭の悪いのを嗤う、という構図もすごいが、亡くなって自分の出番もなくなった役者たちも、まだそこにいる錯覚を起こさせる。 そこがすごい。 未だにオープニングクレジットで、「小原善作(写真)小林薫」 ってオーラスで出ますもんねぇ。

 そこで出てこないのが神戸の清三郎おじいちゃんくらいなのですが、そう言や貞子おばあちゃんはどないなってんのかな。

 晩ごはん。 頭悪い(笑)聡子のワケ分からん面白話が展開するなか、優子も直子も押し黙ったまま、ご飯を食べ続けます。 直子は直子でなんだかんだ言って、姉の動向が気になって仕方がない様子。

 夜も更けて。 優子は起き出して、相変わらず仕事をし続ける糸子のもとにやってきて、「うちはどないしたらええん?」 と切羽詰まって訊くのです。

 「『どないしたらええん?』 て、あんたこの期に及んでお母ちゃんに訊くことちゃうやろ?」

 「せやけど、うちもうほんまに分からへんやし!
 美大に行きたて、あんなけ一生懸命勉強してきたのに、急に 『受けたらアカン』 ゆわれて、いったいうちはどないしたらええんよ?!」

 「甘えな!!」

 糸子は大声で遮ります。

 「自分がどないしたいかやろ!

 ほんなもんお母ちゃんの知ったことちゃうわ!
 自分で考え!」

 またミシンを回し始める糸子。
 唇を噛む優子。
 いつの間にか、直子が物陰でそれを聞いています。

 糸子お母ちゃんにとって、成績がええかどうかはまったく問題の埒外であることは、見ていれば自明です。
 お母ちゃんは生きていくために、それこそ必死だった。
 自分の好きなことを必死になって追い求めた。
 いくら父親に拒まれても、一度言い出したら二度三度はもっと楽だ、と自分を慰めながら押し通した。
 お嫁さんになって旦那に食わしてもらおうとか、そういう他人任せな人生を、歩んでいないからこその発想なんですよ。

 なにしろそこで聞き耳を立てていた直子にしても、そんなお母ちゃんの厳しさに、どうやったら報いることができるのか、対抗することができるのか、そして認めてもらうことができるのか。
 そこに直面した、お母ちゃんの 「甘えな!」 という言葉だったように感じる。

 朝方。 悶々としている優子のもとに、千代がそろそろとやってきます。

 「行っちょいで。 東京。 試験、受けちょいで。
 受けんかったら、悔いが残るやろ?
 お母ちゃんには、おばあちゃんがゆうといてあげるよって。 な。
 お握りこさえたよってな。 お弁当に持っていき、うん?」

 千代のヒソヒソ声を、糸子は寝床で聞いています。
 糸子は知らんぷりして、娘を行かせるつもりです。
 有り難いまでの、母親、そして祖母の心遣いなのでありますが。

 事情を聞いた直子、千代に 「あんたもホッとしたんか?」 と指摘され、図星ながらもそれを否定し、「しょうもなあと思っただけや!」 と憎たれを聞きます。
 直子はどこかで、姉を心配している。
 でもそれをかき消すくらいの強気の虫が、そのことを微塵も感じさせない構造になっている気がします。 どこかで姉の存在が、自分の負けん気の源になっている。 自分のパワーにとって欠かせないものになっている。
 姉を見下すことで、自分が思った以上の力を発揮できるような感覚です。
 これってきょうだいのいない人には、分かりづらい感情かもしれない。

 糸子はいずれにしてもそれでホッとするのですが、優子はそんな親心を尻目に、東京に行かず北村のところに身を寄せてしまいます。

 それは、優子自身が自分の覚悟の足りなさを骨身に染みて自覚した裏返しでもある。
 自分が絵が好きだったのは、昔から絵を描けば母親に褒められていたことが発端だったこと。
 美大に行けばまた母親から褒められるだろうとばかり思っていたこと。
 親孝行をしたいのではなく、母親に認めてもらいたいのだ、ということ。
 北村はそれらに対して、なんちゃあ気の利いたことなんかひっとつもしゃべらん(まったくあんた、ナニジンやねんて)(どうも方言が頭のなかでごった煮になっとる)。
 たいがいずれたことをしゃべってるんですよ。 北村。
 それなのに優子がなんでもしゃべれる 「気やすさ」、というものがある。
 表面上は怖い物言いをするし、こちらの言うことを否定しにかかる面もある。
 でも北村って、なんだかんだ言いながら、結局最後はすべて許してくれちゃうところがあるんですよ。
 優子の 「褒められたい症候群」 が露わになって行くのと同時に、北村の魅力の本質も、ここで垣間見たような気がいたしましたね。

 結局北村に連れられて帰ってきた優子。 北村は自分が引き留めたからかんにん、というように波風を立てないでいてくれるのですが、糸子は北村の影に隠れる優子を、「あんた情けないなあ、根性ないなあ」 というように、睨み続けます。

 自分の進路を見失ったままの優子。 そんな姉が寝床で考え込んでいるのを、隣で寝ている直子は人知れず見つめます。 階下では、北村が上機嫌で話し続ける声が聞こえている。 頼れる人。 その限界。 自分の道は、自分で見つけなければならない。 その孤独感。
 このドラマはそこを表現し尽くしている。
 自分の行き先を見失ったことのある人ならば、この部分に強く共感するはずです。

 結局優子は4月から、地元の洋裁専門学校に通うことになる。 自分の夢とのギャップを通過した優子の出したあたりさわりのない結論。 優子が優等生であるからこそこの 「ごく普通の決断」 にはリアリティがある。
 そして糸子もそれを歓迎している模様。
 そこにはひとつの諦観も潜んでいる気はするのですが、わが子が普通の人間として生きても、普通以上の人間として生きようとしても、自分の足でちゃんと立って前進しよう、という気持ちを持っていられたら、親としてはもうそれ以上のわがままは言いません、という気になるものです。

 糸子は3人の娘たちにそれぞれ、卒業祝いを贈ります。
 直子には赤いバッグ、聡子には赤いスニーカー。
 つくづくこのドラマ、「赤」 が印象的に使われますよね。
 つまりこの赤って、糸子の情熱を指している、と同時に、三姉妹の母親としての 「赤」、なんだと思うんですよ。
 「赤いカーネーション」 は、母親が生きているときに贈るもの。
 つまり三姉妹にとって、もうこのモデルの小篠綾子サンは亡くなっているけれども、いつまでも胸のなかで生き続けている、という意味を強く込めた、「赤」、である気がしてならないのです。

 しかし、長女の優子に贈られたのは、「赤」 くない大人っぽいバッグ。
 今の今まで母親からのプレゼントに喜んでいた直子はそれを見て、途端に自分の赤いバッグがガキっぽく見えてくる(主観的な表現でスミマセン)。
 大事に持っていたバッグは、直子の手からポロリとこぼれ落ちます。
 この赤いバッグ、このあととても重要な役割を演じることになる。




 木曜放送分。

 洋裁学校行って親のあとを継ぐ、という優子に、周囲の目は温かい。
 直子はそれが気に入りません。
 姉が自分の本当に好きな道を通らず、人からちやほやされる道を歩んでいるのがムカつくのです。
 この、三者三様の登校風景。
 優子は 「えらいなあ」「ご苦労さん」 と褒められっぱなし、直子はただ 「行っちょいで」 だけの無味乾燥としたもの、ばかりでなく木之元の息子に 「手伝うて」 と雑用を強要される始末(笑)、そして聡子は相変わらず靴下も履かんと、そればかりでなく靴が逆、ばかりでなく種類がバラバラ(爆)。 ご近所のオバチャンたちに笑われ、糸子はそれを見ていてガックリ…(笑)。
 つくづく組み立てがうますぎる(タメイキ)。

 神戸のとこの糸子の従兄弟だった(ハハ…)勇クンがまたセレベス島でコーヒー農園を開いたらしく(ここのくだり、そんなこと以前にあったっけな?などと考えてしまいました)(記憶力悪いのかな?)、じゃあ神戸の工場は正一伯父さんがずっとやってるんだ、などと想像。
 勇君からのチョコレートの贈り物を食べながら、優子が服飾のことについて母親を便利に使っているのを見てけったくそ悪そうな表情の直子。
 そんな直子も、だんじり祭りの日ともなれば意気揚々と出かけて行きます。

 終戦後、だんじり曳きに女が加わった元祖とも呼べる直子。
 それを見守る糸子や玉枝ら。
 「もはや戦後ではない」、と言われた昭和30年。
 だんじりの風景も以前と同じようになったのと対照的に、それを見守る人々は、それぞれに歳をとり、家族構成も変わり、時が過ぎていくことを実感させる。

 祭りのあとに呼ばれた人ら。
 カニが振る舞われる風景は、善作がいたころと変わっていませんが、その席で優子が、服飾のデザイン画が認められた、東京に行かせてほしい、と糸子に頼み込んできます。
 ここには優子の 「みんなにチヤホヤされたい」 という思惑も微妙に絡んでいる気がする。
 頼みごとがあるんなら、なにもこんな衆目のなかで頼まず、ふたりきりの時に頼んでもよさそうなものです。
 これが優子の思惑。
 みんなの前で頼み込めば、お母ちゃんだって無暗に反対したりせえへん。
 そして 「優子ちゃんあんた立派やなあ」、と周囲の人たちが褒めてくれるに決まってる。
 自分の才能が認められたことを吹聴もできる。
 頭がいいから、そんなとこに気が回るんですよ。
 こーゆーあざとい部分に、顔をしかめる視聴者っているんだろうなー、と感じたのですが、人間誰しも、「自分をよく見せたい」、って部分はあるじゃないですか。 ここではそんな人間の一面を、優子が拡大して見せてくれているんだ、と思わなければいけません。
 そしてそんな優子のあざとさを、直子ひとりだけが、気付いている。 見抜いている。
 この構図が物語のなかに潜む問題を、蒸留して見せてくれるんですよ。

 優子は自分の描いたデザイン画を、糸子に見せます。
 糸子はそれを見て、その出来の良さに目を見張る。
 けれどもですよ。
 油絵をやってたくらいだから、デザイン画なんか、ちょっといいものくらい簡単にできる、と私は思うんですよ。 まあ自分も絵が得意だから分かるのですが(自慢しとる)。
 集まった人々もそれを見て、感嘆の声をあげるのですが、フツーの人たちなんか、それくらいで感心するレベルでしか、ないんですよ。
 服飾のデザインにしたって、自分は専門外だけれど、ファッション雑誌を見ながら自分なりにそれを混合させて描くことくらいできる。
 直子はたぶん、私と同じように絵ごころがあるから(返す返すも自慢で申し訳ない)、そこに隠されている欺瞞、というものを見抜いている。

 「お母ちゃん、うちは今度こそ本気です!
 東京へ、行かしてくださいっ!」

 土下座する優子。
 つくづく小原家の流儀だな、と思うのですよ、この土下座。
 でも優子の場合、結構打算が潜んでいる。
 それでも糸子は、親の欲目か、その打算に負けたのか、それをあっさりと認めてしまいます。
 糸ちゃん、ここは今一度辛抱したらなあかんで、と思ったのですが。
 でも。
 糸子は優子の本気を、そこに見た(と思いたがったのかもしれないが)と思うんですよ。
 それに、自分が父善作に、理不尽なまでに 「まだ100年早い」「もうちょいやな」 などとじらされた経緯があったから、優子の本気が本気なうちにとっとと送り出しちゃいたい、という思いがあったのかもしれない。
 ここで糸子が善作ばりに、「くらっ!」 と物を投げつけてもよかったのかもしれない。
 でも糸子も優子も、互いに女なのです。
 男の意固地とは違う判断基準がある。
 衆目のなかで修羅場を展開するわけにもいかないですしね。

 「えらいわ優ちゃん!」「ようやった!」「すごい!」。
 湧き上がる拍手。
 しかし直子だけは、みんなそれが優子の仕掛けた茶番に乗せられている気がしてならない。 自分のほうが絵が上手なのに姉のほうがちやほやされているのが気に食わない、という心理も働いているでしょう。
 優子はうれし泣きしています。
 けれどもそれは、半分は仕組まれている。

 冷たい解説でしょうかね…。

 東京に優子が向かうその日。

 「この店は姉ちゃんが継ぐよって、あんたらはなんでも、自分の進みたい道に進んだらええ」「その代わり本気でやらなあかんで」 と調子よく取り仕切る姉に、直子は反応しません。

 出かけようとする優子、母親から貰ったあのおしゃれなバッグを荷物と一緒に送ってしまったことに気付いて慌てます。
 仕方がないのでそこらへんにほっぽってあった、直子の赤いバッグを持って出発することにする優子。
 「体に気ぃつけてな。 頑張りよ…」 別れを惜しむ千代。
 「行ってきます…」 感極まる優子。
 「行っちょいで」「頑張ってな」…。

 …そこに奥から飛び出したのは、直子です。

 「うちのやぁっ!」

 赤いバッグをひったくる直子。

 「ちょ…なにすんねん!」

 バッグを取り返す優子。

 「このバッグはうちのやっ!」

 「あんた、ほったらかしにしとった…痛っ!」

 直子は優子を押し倒します。

 「うっさいなあっ!」

 「痛っ、痛たたっ!」

 「これは!うちが!お母ちゃんに買うてもうたんやあっ!」

 「なんやとおっ?」
 「うちの財布入っとんじゃあっ!」
 「なんじゃ!」
 「なんやねん!」

 倒れ込んだまま、取っ組み合いになってしまうふたり。

 「やめ~っ! や~め~~っ! やめぇぇぇ~~~っ!」

 結局別の手提げを引っ張り出して東京へと旅立った優子。
 大乱闘の末の再出発なので、もうすでにくたくたの様相です(笑)。 見送るほうもくたくたになってる(笑)。

 いっぽう直子は、手提げの部分が切れたかなんかしたかよう分からなかったのですが、姉から取り返したその赤いバッグを持って、泣きじゃくっています。

 「うちがお母ちゃんに買うてもうたんや…」

 それは自分が母親から貰ったバッグまで姉に奪われそうになった悲しみだったのか。
 そのバッグをグチャグチャにしてしまった悲しみだったのか。
 母親に愛情を全部取られてしまいそうに思った錯覚からくる悲しみだったのか。
 喧嘩相手、自分のパワーの源だった存在がいなくなってしまうことへの悲しみだったのか。
 単純に姉がいなくなってしまったことからくる悲しみだったのか。
 姉の旅立ちを素直に祝うことができなかったことへの悲しみだったのか。
 そんな自分の心の狭さを嘆く悲しみだったのか。

 そのすべてだと思います。

 ここから分かるのは、優子も直子も、母親に甘えたくて仕方がない、という側面です。
 一代で店を繁盛させてきた母親。
 そんな母親を、ふたりとも仰ぎ見ながら、構われたくて仕方なくて生きてきた。
 直子が赤いバッグをガキっぽいとほっぽっていたのも、そんな母親に甘えたいがため。
 糸子というお釈迦様が、天上から細い糸を垂らしているのに必死になってつかまっている、優子と直子の姿を、私はそこで連想したのです。 芥川の 「蜘蛛の糸」、ですな。
 優子も直子も、いわばカンダタ。
 人間の醜いところをむき出しにして、母親の情愛を求めている。

 「(そんな直子の悔しさなんぞ、優子も、うちも、だーれも知りませんでした)」。




 金曜放送分。

 ああもう疲れた(笑)。 15分放送分だけで、ここまで毎回長いレビューになってしまうんですからねぇ…。
 また最長記録を更新しそうだ…。

 昭和32年秋。 もう2年後。
 東京から、優子が戻ってきています。
 すっかり垢抜けて、標準語を喋りまくる優子(20歳)。 まあ新山サンにはそっちのほうが楽でしょうが。
 しかしそんな優子が、直子(18歳)は気に入らない。
 そんな直子は、絵で 「毎朝新聞賞の大賞」 というエライ賞を取っているのですが、どうも周囲の認識が乏しい。 ただ優子が佳作だったその賞を直子は大賞なのだから、それは推して知るべしで。 得意満面だった優子の表情が、ちょっと固くなるのです。

 優子は東京で、原口先生という師匠にだいぶかぶれているらしく、平身低頭で接客する母親の糸子にも苦言を呈する始末。 洋裁屋という職業はもっと芸術家並みに偉ぶってもいいというのが、原口先生の持論らしい。
 原口先生原口先生て、「うーーるるるるるーさいっ! 仕事中や!」 ブチ切れる糸子(笑)。

 そんな優子を心配する千代。 千代の 「恋愛レーダー」 がビビッと探知したみたいなのですが(笑)、今回はどぉ~も、その精度に衰えが来ている様子。
 そんな千代に対して糸子は、優子は昔から軍事教練に精を出したり、影響されやすいタイプなんや、と一蹴。 当たてる(笑)。 糸子はさらに、お母ちゃんはべっぴんやったさかい男っちゅうもんは寄ってきよるもんやと思い込んでいる、とこれもかなり言い当ててる(笑)。

 「うちかてお母ちゃんがうれしがるほど、なぁんもモテてへんかったしな」。

 周防の時もそうやったんかいな?(笑)。

 優子は直子が大賞を取った、という油絵を見て、余裕をこいて 「あんたは画家を目指したらいいわ」 と評価するのですが、直子は意に介さない。 途中で投げ出したもんに言われても有り難ない、という感覚でしょうか。
 優子は内心忸怩たるものを抱えながら、自分のほうが生活に即した堅実な人生を歩んでいる、という自負があるからこそ、余裕をこけるのです。
 優子は自分が家業を継いでやるから感謝しなさいくらいのレベルでしか考えていないようなのですが、直子は姉のそういう恩着せがましいところも気に入らないのだと思う。
 なにしろ蝶がさなぎから脱皮するようなところを見て、直子がそれを面白いわけがない。
 優子は最後まで標準語を喋りながら、原口先生を連発して千代を立ちくらませながら、東京に戻って行きます。

 同じ年の11月。

 糸子は三浦組合長から、周防のその後について話を聞いています。
 周防のあの店は、なかなか繁盛しているようです。
 糸子はもう、周防との関係を過去のものとして割り切っている。
 そこに来たのは、同業者の女性たち。
 女性の経営者も続出するようになって、糸子は彼女たちとの情報交換に花を咲かせます。
 それを目を細めて見守る組合長。
 「もう、あんたらの時代や」。
 そう目が語っているようです。

 この女たちの会合で、女性経営者たちによる、男商売の頭の固さが話題になっていました。 身につまされます(笑)。 せやけどこの頃はそんな頑固経営しとったら立ちゆかんもんなぁ。

 そんなときに岸和田の商店街を訪れたひとりの男。
 「いや~素晴らしい!」 を連発して、いかにも調子良さそうなこの男こそが、優子の心酔していた原口先生(塚本晋也サン)だったのです。




 土曜日放送分。

 原口先生の訪問に、千代は完全に我を忘れてすりこぎの動作を繰り返します(笑)。 エアすりこぎだ(爆)。
 「直ちゃん…もしかしたら、おばあちゃんのカンチガイかもしれんけどなぁ…結婚の申し込みに来たんとちゃうやろか?」
 …ないない(笑)。 それはない(笑)。 だって髪の毛はちょっとさびしいし、ええ年こいたオッサンですぜ(自分のことを棚に上げてオマエとゆーヤツは…)。

 ただこの調子がいいだけに見えるオッサン、幇間(タイコモチ…「坂の上の雲」、覚えてらっしゃいますか?)みたいに見えて、結構的確なことを突いてる(笑)。
 木之元の店の品物をセンスがいいと見抜き、その気概を見抜き、オハラの店の生地の良さを見抜き、果ては直子の才能まで見抜いてしまうんですから。

 ただこの先生、話にキリがないのが難点(笑)。 午前2時を回ってみんなが寝込んでしまっても、ひとりで喋り続けること喋り続けること(笑)。 なんかスッゴク好きだなあ、こーゆー人(笑)。
 でもその先生の話をひとり、眠気も催さずに聴いている人がいる。 直子です。

 結局直子たちの部屋を借りて寝ることになった原口先生。 そこに置いてあった直子の大賞の絵を見て、真夜中に吠える(爆)。

 「ほおおおおおお~~~っ!! こっ、…これはッッッッッ!!」(ワロタ…)。

 結局直子は、朝まで絵のレクチャーを受けることになる。
 翌朝、台所のひびを補修する原口先生につきあいながら、直子は将来のことについて語り合います。

 「君は、服よりも絵が好きってことか」

 「…いや、そういうわけでもないけど…。
 店はもう、姉ちゃんが継ぐってカッコつけてるし…」

 「そうか。 なるほど。

 じゃあ、継がないで、自分の店を持てばいいじゃないか。

 それはそれで…カッコいい」

 目からウロコが落ちたような、直子の表情。 直子は、もし自分が東京に行ったら、教えてくれますか?と恐る恐る原口に訊きます。 原口は補修を続けながら、すごく簡単に 「うん、いいよ」 と答える。 大丈夫か? こんなふたつ返事で引き受けるよ~な軽いヤツ? でも振り返ってから直子の目を見て言ったからな。 平気や。 いや分からんど。 どっちゃなんやぁ~~っ!

 ああもう、オチャラケる元気もないほど、ここまで書いてクタクタなんですが(笑)。

 糸子によれば直子はうれしいとそれを隠そうと真顔になる癖があるらしいのですが、東京へ帰る原口を見守る直子は、ガン飛ばしまくり(爆)。 直子はその夜、「高校卒業したら、東京に行かせてくださいっ!」 と、糸子に向かって土下座する。 またまた小原家伝統の土下座や…。

 直子のあの顔で頼み込まれたら、断るわけにもいかず(ゴメンネ)、糸子はそれも、許してしまう。 「そら、まあ………ええけど」。

 「太鼓」 で北村のご相伴にあずかる直子と聡子。
 ここで北村は、直子に向かって 「死んでもあとは継がんゆうちゃったやないけ」 と呆れながら、初めて深いセリフをしゃべるのです(初めてかいな…)。

 「せやけどあれやど、よう考えよ。
 オカンと、オネエと、一緒の仕事っちゅうことは、案外きつい話やど。

 いっぺん同じ土俵に立ったらな、身内やゆうても、お互い敵になるっちゅうことやさかいな。

 オカンとも、オネエとも、いつか闘わなアカン時が来るかもしれんど」

 「…かまへん」

 「ちっとは離れちゃったほうが気ぃが楽ちゃうか?」

 その北村の問いに、直子が答えた言葉。

 「そら、楽かもしれんけど…

 楽ちゃうほうが……オモロイ」。

 不敵に笑う、直子。
 もうすでに、心は同じ土俵の上に立っているようです。
 「そのほうがオモロイ」。
 糸子もかつて、「しんどくないと勉強にならない」 というような意味のことを言っていた記憶があります。
 直子の血のなかに、糸子の血が、そして善作の血が確実に流れているのが分かる。

 昭和33年元旦。

 静子が年始詣りに来ています。 あのー、優子のほうが年上みたいなんですけど…(笑)。
 ま、これもご愛嬌ですわな(笑)。
 しかも二人の子持ちかよっ。 一姫二太郎だ…。

 そこで優子に打ち明けられた、直子が東京に行き、原口先生の師事を仰ぐ、という話。 優子と同じ部屋に住み、という話です。
 優子は頑強に、それを拒みます。
 その口調、完全に岸和田弁に戻ってる。

 「だいたいアンタは、絵描きになるんやったんちゃうんけ?!
 なんで今さら洋裁なんか始めるんよ?
 洋裁はうちの道や!」

 「うちの道て、ひとりしか通れん道ちゃうがな。 一緒に仲良う、目指したらええやろ?」

 糸子が口をはさみます。
 そらそうなんですけど、優子にとっては自分が好きだった道をあえて自分でくじいてまで選んだ道なのです。 自分より絵の才能がある直子が同じ道を目指してしまったら、自分の将来の設計まで危うくなってしまう。
 なんで大人しく自分の道を歩んでいられないのか直子は。
 なんでうちの人生の邪魔をしようとするんや。
 優子の心理のなかには、自分が店を継いでお母ちゃんをひとり占めにしたい、という欲望も微かにある気がする。

 「嫌や…嫌や…絶対嫌や…!」

 かぶりを振る優子に、直子はいかにも憎々しげに姉の顔を凝視し、悪魔のようにつぶやくのです。

 「姉ちゃんはな。

 うちの才能が怖いんや」

 勝ち誇ったような直子の顔。
 優子は手元にあったミカンを直子に投げつけ、その場から逃げるように出て行くのです。
 平然とミカンを食べ続ける直子。

 「(優子が笑たら直子が泣き、直子が笑たら、優子が泣く)」。

 号泣する優子。 仏壇に線香を供え、遺影を見上げる糸子。

 「(お父ちゃん。 おばあちゃん。 勝さん。

 …手に負えんわ…)」





 優等生が陥りがちな落とし穴。
 対抗意識を燃えさせる者の心理状態。
 今までの子供同士の競い合いとは違う、目に見えない激しい火花が散り始めた、小原家の姉妹たち。
 ますます目が離せなくなってきました。

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コメント

お疲れ様です。
疲労困憊されながらも、レビュー書かざるを得ない。そんな作品も後2ヶ月なんですね。アーカイブス見逃してしまったのですがリウさんのレビューでコシノファミリーの実像がかいまみえて大変ありがたく、感謝しております。

今週の『蜘蛛の糸』のタイトルは、思わず唸りました!
優子も直子もただただ母の愛情を独り占めしたいがための鍔迫り合いの様相をカーネーション色で見事に描いていたと思います。

実際のところ長女は優等生を演じることが往々にしてあり、それを疎ましく思う次女の複雑な感情や我関せずのマイペースな三女の姿は日本の家庭のあちこちで『あるある』ネタとして普遍的であると思います。


ただその表現の仕方が…参るんですよねぇ
優子を鼻持ちならないおねぇちゃんに描くことで直子に同情が集まるように仕組まれている。

でもワタシも長女だったので優子にどうしても肩入れしてしまいます。
不器用な直子に対して一見うまく立ち回っているかに見える優子の本心は、繊細さを強気で塗り固めここから先は踏み込むな!とギリギリ気張っている。すごくよくわかる。よくわかるように描いている。
東京カブレや絵に対するコンプレックスや、お母ちゃんの顔色を窺う目線や、妹達に偉そうに説教するんも全て『わかるわかる』なんですわ。


でもそれって結局は才能では多分自分より抜きん出ている直子を、引き立てる役回りになってるような…

楽ちゃうほうが、オモロイ

不適に笑う直子が脅威でたまりません。

ガンバれ!優子!
多分…少数派…だろうなぁ

投稿: みち | 2012年2月 5日 (日) 18時59分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして、毎度ながら申し訳ございません。 小篠綾子サンも、歳とって体がゆうこと聞かんのにパワフルに人生を駆け抜けたというのに、少し見習わなければなりません。

「蜘蛛の糸」 の肝心な部分、いま読み返したら 「天上」 と書きたいところを 「天井」 と誤変換のまま(爆)。 慌てて直しましたcoldsweats01。 ここ、内心 「うまいこと書いたな」 とほくそ笑んでおったのですが(なんでもばらしちゃうんだよな、この男)。

で、自分のレビューを読み返して気付いたのですが、ずいぶん長女に対して辛辣なレビューだな、と。

これ、自分が長男ですごく心当たりがあるからこその、自省的なレビューになってしまったと解釈していただきたいです。 実はこの冷たい感想、自分自身に向かっている。

ええかっこしいなんですよ、要するに。

だから褒められたがるし、プライドを傷つけられたり阻害されたりすると、無性に腹が立つ。

長男だからこそ自由に生きることができない、という、なんとなしの縛り、というものもそこはかとなく感じている。

でも優子が最後にブチ切れてしまったように、いちばん上の者は何かしら、自分を犠牲にしながら生きてるところもあるし。

それに自分は絵がうまい、と自負していたのに、妹のほうがさらに絵がうまい、なんてことになると、これは相当傷つきますよ。 他人ならまだあきらめもつくけど。

だから直子が憎々しげなのも、すごく見ていて腹が立つし(笑)。

ここで腹を立てたからといって、このドラマがダメだ、と思わないのが、正しい鑑賞法であります(笑)。

「分かる分かる」 と思いながら見ることができるのは、やはりみち様にもじゅうぶんな人生の幅がおありになるからだ、と感じるのです。

投稿: リウ | 2012年2月 6日 (月) 14時31分

北村は、小原家の「家庭の雰囲気」にあこがれているんじゃないかな、という気がしました。
千代も、子どもたちも、働いている職人さんたちも、全部ひっくるめての、小原糸子。
それが好きなんじゃないか、と。

ほんとだったら、糸子の一番の理解者のはずなんですけどね、
まあ、あのいきさつだからどうしようもない・苦笑


私は長女なので、下の子の気持ちがわかりませんでした。姉、弟で、異性の兄弟でしたし。
夫は3男なので、子育ての時、次女への私の態度、ずいぶんいろいろ言われました。
彼の場合は、文句なしの賢兄愚弟だったようで・苦笑、
コンプレックスの塊だったみたいです。

本当に、どっちにも感情移入してみていますよ。

リウさま、
今日も寒いですね。
どうぞお体にきをつけて。

投稿: マーシー | 2012年2月 6日 (月) 17時48分

あっ、
また忘れてしまった。

長女が、千代を見て、
「これがおばあちゃんって、ありえない!
きれいすぎ!」
と叫んだので、やっぱりまだ老け役は・・・、
いや、演技力あるのは認めますが、
美人すぎるかな・苦笑

安岡のおばちゃんも、老け役頑張っていますね。


でも、リアルを追及すると、やっぱり夏木さんなのかなあ・・・・。
彼女にもプレッシャーでしょうけど、きっとやり遂げて期待に応えてくれると思っています。
楽しみですね。

投稿: マーシー | 2012年2月 6日 (月) 17時53分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

私の場合、どうもオトコ目線から見てしまうんですよね、北村。 ガキ大将が、好きな女の子に汚い口を聞いてるように見えるし、まわりにいい顔をして自分は頼れるんだと遠回りに誇示しようとしてる感じに見える。 でも、家庭に女性がいなかったことをほのめかしてたし、マーシー様の考察のほうが合ってますcatface

でも、さびしがりやだ、というのがとてもよく見えて、私は北村のキャラは好きですよ~。 愛すべき人物だと思います。 ホラ吹きと糸子に一刀両断されてましたがcoldsweats01。 確かにあの嘘はやりすぎでしたが、まあものの手加減、やってみないと分からないことってありますから。 嫉妬からくる過ち、私にも経験があります。

面白いですよね、長男長女、次男次女。 まったくおんなじに育てらんない(笑)。 だから当人たちが鬱屈していく(笑)。 で、きょうだい同士、お互いにお互いの立場が理解できない。 戦国時代…、に関わらずですが、大昔はきょうだいの間でキッタハッタがあったというのも、親の育て方の違いが発端、という場合が多かったのかもしれませんですね。

麻生祐未サンの老け演技はかなりうまいなあ、と思いながら見てました。 前屈み気味だし、何かやるにも体がしんどそうで。

プロデューサーの話だったか、主役を交代するのは、声の張りが失われることを若い人が表現しきれないのが大きい、みたいなことを話していたとか。 ひとつの音にまで気を配るこのドラマのこだわりを見た気がいたしました。

投稿: リウ | 2012年2月 7日 (火) 07時40分

最初、このドラマが始まる前、「自身が洋裁という仕事で身を立て、3人の子どもを女手一つで育て、その3人が3人とも世界的デザイナーになった、その子育ての半生を見せる」といったような内容の番宣を見た時に、この子育てはかなり特殊で、「子育て」で括って見ちゃったら絶対誤解されるに違いない、と思っていました。

放任で子どもを育てるのは、ある意味一番難しいはずです。失敗するリスクが大きい。

そう思って心配しながら今まで見てきたんですが、ここまで流れてきて今思うのは、「母が自分の人生をきちんと生きていなければ子は育たない」というメッセージです。

中途半端に、母をやり、仕事人をやり、時に隠れて女をやる・・・ような女では、子がぶれるのも当たり前かな、と。

私自身子どもがいますが、そうですね、やっぱり中途半端は否めません。
ただ、私は自分の仕事をずっと娘に見せながら育ててきました。ここにきて娘が、子どもから大人に変わっていく部分を見ながら、仕事する姿を見せながら、(無様でも)育ててきて良かったと思っています。
糸ちゃんほど、豪快な仕事はしてませんけどね。(笑)

母への強烈な承認要求、これはたぶんこの姉妹に流れている宿命なのかもしれませんが、それが昇華して仕事として大成していったのには、ある意味尊敬を覚えます。

投稿: samantha | 2012年2月 8日 (水) 09時29分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

同じ放任、でも、samantha様がおっしゃるように、親が一生懸命生きていれば、子供はその背中を見て育つんだ、と思いますね。 親が自堕落ならば、やっぱり子供は反面教師として育っていく(笑)。 子どもというのは、分かってないようで分かってる、と言いますか。 いくら中途半端でも、親の良識、というものは、絶対的に子供に伝播する、と思うのです。

いちばんしちゃイカンのは、子供に我慢をさせないこと、でしょうかね。

要するに甘やかす親、というのは、最悪ですな。

我慢を知らない子供は、自分の人生の醍醐味をかなり喪失する気がいたします。
自分の欲望を叶えるために仕事をする、というのもアリと言えばアリ、なんですが、人生って、それだけじゃ深みが増してこないんですよ。

欲望、というのをきれいに夢、と言い換えることもできますが、夢を叶えようとするだけでは見えてこない、人生の機微、というものが、人には確実に存在している。

そしてその機微こそが、人を人たらしめている要因のような気が、するのです。

投稿: リウ | 2012年2月 8日 (水) 13時32分

再見レビューもいよいよ18週です。

>「前半はよかったけど今年に入ってからは…」
戦争が終れば、すぐ前半に戻ると思った人が多かったから首をかしげたでしょう。通して観ると、糸子の年齢に合わせて基盤となる人間関係が家族→ご近所→同業所と変化、併せて作品カラーを変えているのが解る。もっとも三姉妹編は優子や直子も主人公扱いで、「家族」に戻ってますが(だから、ここで終って欲しかったという意見も多かった)。娘達一人一人は善作ほどの存在感はありませんがバトルロイヤルで先の展開が読めない分、テンションも高い。
ただ(実話を知らず)、あくまで糸子を主人公と考え従来の朝ドラ的な子育て奮闘を期待した否定派もいた模様。中盤や終盤に比べれば内面は掘り下げられていないし、善作と比べれば冷淡に映り易い。さらに、ここから年単位の経過が早くなっていくのでボケッと観てたら展開を端折っているだけに感じてしまう。
周防編はまだ感性の問題でしたが、ここから視聴者に求められる理解力が格段に上がっていきます。糸子の「さあ、これからです」の台詞はそういう事?普通の朝ドラなら、そろそろ最終回(笑。

>「懐古趣味の是非」
終盤はこちらの想像以上のレベルで突き放してきました(笑。以前に書いた「ふたりっ子」と見比べると確信犯的です。前半の類似性に比べて後半は正反対でした。「ふたりっ子」は放映時の5年後まで話は及びますが下町セットは昭和の頃から殆ど手を加えずに流用されます。外の華やかな世界に憧れた麗子は結局、下町でささやかな家庭を持ち双子の娘達は毎日のように隣の祖父母や香子おばちゃん(笑)の所に遊びに行く。まさに
「変わる事の無い下町人情の世界」にして、
「純粋培養され続けた箱庭の世界」といった所。
朝ドラ視聴者には、こういうのを好む人が多いのは事実ですが…。香子が父親と一緒に黄金期の阪神に熱狂している頃、東京の人間になった里香が歩く岸和田には平成の足音が近づいてきているのが凄い落差。

この二作品を分岐させる存在は糸子以上に「朝ドラでありえなかったヒロイン」な直子。「ふたりっ子」の麗子はずるい一面のある優等生という優子の源流ともいえるキャラで大学、社会人と進む中で挫折を味わい駄目な所を叱ってくれた幼馴染と家庭を持ちます。ただ、これを観て私が疑問に思ったのは、共に育ってきた双子の香子が何故、その役目を負わないのだろうという事。双子設定を生かしきれない作劇の不備を感じました。
対して直子は糸子でさえ見落としているような優子の欠点を見据えて容赦なくつっかかっていく。当人達には不本意でしょうが直子は優子の最大の理解者なんですねぇ(笑。「カーネーション」の後半についてこれなかった諸兄は直ちゃんを恨め(爆。直子がいなかったら、優子は家業を継ぎ、里香は岸和田弁で糸子お婆ちゃんとかけ漫才を展開しながら聡子おばちゃんにテニスを習っていたでしょう…。

投稿: 巨炎 | 2012年9月 9日 (日) 19時33分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「ふたりっ子」 は未視聴なので巨炎様のような比較討論ができませんが(笑)、このドラマの究極の目的、というものは、なにしろ最初も最初である、「ふたりの糸子の歌」 に集約されている、と私は思うのです。

糸子は、時代を駆け抜けていったのです。

だから、糸子の最期までやる必要がどうしてもある。

いや、糸子がユーレイになるまで、やる必要がある(笑)。

このドラマは、若い頃に青葉を輝かせるように生き生きと人生を燃やし、そしてその人生の中で取り返しのつかない過ちを重ね、そしてその積み重ねが青葉を赤く赤く、紅葉させていく、つまり人の人生を俯瞰した話になっている、と私は感じるのです。

このドラマが論じているのは、人の一生なんだ、と思うのです。

その点で、やはり優子も直子も、このドラマの主人公たり得ない。 まだ彼女たちの人生は、続いているからです。

優子も直子も、自分の人生にとっていちばんの勝負どころに、まだ到達していない。

それは、「いかにして死ぬか」、ということです。

このドラマの究極の到達点は、そこにある、と私は考えます。

それを読み間違えた場合、視聴者は尾野真千子にどうしても最後まで、と期待してしまうが、それは厳しい言い方になりますが、私に言わせれば、感傷でしかない。

もちろん感傷をドラマに求めるのは、間違いだとは申しません。

でも、このドラマのスタンスを理解すれば、糸子の人生を途中でぶった切って、はいラスト、エンドマークです、というのは、作り手の意図にまったく適っていない話だ、と理解できるはずです。

見る側はこのドラマを見て、自分が臨終に向かうまで、いかに生きるべきか、に思いを馳せるべきなのです(強制しとるぞ…笑)。

まあこれ、極論ぽいですけど(笑)。

でもこのドラマが 「風と共に去りぬ」 の手法(話がダイジェストふうに飛びまくるとか)を踏襲しながらも、「風と共に去りぬ」 を凌駕しているのは(そこまで評価してますけど、私は)、主人公の最期まで描き切った点にある、と思うのです。

あ~しんど(笑)。

投稿: リウ | 2012年9月10日 (月) 11時54分

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