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2012年2月26日 (日)

「カーネーション」 第21週 超えられる者の思い

 今週のこのドラマ。
 中盤まで看板を譲る、つまり第一線から退く、という糸子の感慨を描いて泣かせるのですが、物語はその先を、容赦なく描いていく。
 つまり糸子の感慨は、親を超えてしまった子によって、見事に粉砕されることになるのです。
 相変わらずのすごさです。

 子供にとって、親というのは超えなければならない存在です。
 私なんぞ親に負けてますけどね。

 いずれにしても先週も指摘したとおり、「カーネーション」 というドラマのそもそもの出発点は、「世界的なデザイナーであるコシノ三姉妹の母親とはどのような人だったか」、という興味であります。
 つまりこの大前提の時点で、コシノ母娘の場合、子は親を超えてしまっている。
 この物語で重要なのは、ここだと思うのです。

 この物語の主人公、小原糸子は、世界的デザイナーの娘たちに負ける、ということが確定している。
 この物語の母娘は、同じ土俵の上で闘っています。
 だからその勝ち負けも、残酷なほど本人たちは自覚しなければなりません。

 普通、親は子に追い抜かれると、うれしく思うものです。 だよなァ?(笑)
 少なくとも負けたような人生を子供が歩んでいるのを見るよりも気分はいいでしょう。
 けれどもこの物語の主人公は、娘たちと同じ土俵にあるがゆえに、娘たちが自分を追い越したことに、そんなうれしさよりも先に、自分のこれまでの人生を否定されたかのような屈辱にまみれるのです。

 別にいずこも同じかなァ?

 「坂の上の雲」 の伊東四朗サンみたいに、「親が立派過ぎると子供は委縮する」 とだらしない?人生を送る人のほうが例外なのかもしれない。
 子供の給料のほうが自分よりいい、なんて分かったら、結構屈辱だよなァ。

 けれどもたんに一面的な価値観から見た勝ち負けの問題で、ものごととは量れるものなのか。
 そうではない、と「カーネーション」 の作者は主張しているように思えます。
 糸子が自分の敗北を認め、そこから出発することに、この物語の作り手の主眼がある。

 今週のこのドラマを貫いていたと思われるのは、超える人の思い、超えられる人の思い。
 超えていくのは、なにも人ばかりではありません。
 時代が、人の思いを超えていく。
 だんじりの大工方が、変わっていくように。
 時はすべての人を飲み込みながら、足早に先へ先へと通り過ぎていくのです(「シクラメンのかほり」 みたいだなァ)。




 月曜放送分。

 それまでの自分のすべてだった、テニスのラケットを行李にしまう聡子。 母親の糸子にあらためて、短大を出たら洋裁学校に行かしてくれ、と頼んできます。
 それを聞いた糸子。
 聡子の真剣な目を見て、「うん。 やりたいようにやり」 とゴーサインを出すのです。 が(笑)。

 昭和38年4月。

 洋裁学校に行き始めた聡子は、たった3日で音を上げてしまうのです(笑)。 聞けば、机に向かって勉強するのが耐えられない、と(笑)。 当然糸子の怒りは爆発するのですが、アホの聡子はなにが悪いのか分かりません(蛇足ですが、この糸子の一連の動きにつかず離れず寄り添っている、千代の存在。 ホントにさりげなく演出が細かいんだよなあ)。

 「ほんまに、あのアホ娘が!」 と毒づく糸子の前を、聡子の中学時代の顧問の先生が通りかかります。 糸子はこないだの失礼(全国大会優勝の吉報を喜んできてくれたのに寝ぼけた顔で追い返したこと)を詫びながら、今までほったらかしにしておいた聡子の性格について、あらためて顧問の先生に訊くのです。

 「その、『学校がやめたい』 っちゅうのも、根性がのうてゆうてるのとちゃうんです。 聡子さんの根性はもうごっついもんです。 『10キロ走れ』 っちゅうたらかならず走る。 腕立て200回。 素振り1000回。 やれっちゅうたことやらんかったことは一回もありません。
 やりきるか、倒れるかのどっちかでした。
 あいつにはとにかく、でっかい山を、どぉ~んと置いちゃるっちゅうことが大事なんです。
 『この山を登れよ』 ってゆうときさえしたら、どんだけしんどても、脇目も振らずに登っていく。
 ハッと気付いたらもう、エライとこまで行ってるんです。

 やる気がのうて、『学校やめたい』 ゆうとるんやない。

 がむしゃらに、洋裁をやりたいだけちゃうやろか。

 …自分には、そんな気ぃします」

 いや、ちょっとしか出て来よらんのに、この顧問の先生のセリフは、かなり重要です(笑)。
 アホがなにも考えんと、ただ言われたことだけをやっている。
 そりゃちょっと聡子に対して失礼なように感じるのですが、よく考えてみると実際その通りで(笑)。
 フツーの人なら 「つらい、やめたい」 などと苦悩すると思うのですが、聡子にはその神経回路がない(笑)。 まあ笑えるポイントですが、それって逆に考えると、結構アドバンテージじゃないでしょうかね。
 それに、「自分がアホだから」 という自覚があるかどうかは別として(笑)、「何も考えずに打ち込める」 ということを、聡子は本能的に探している。
 聡子の欲しているのは、仮縫いとか祭り縫いとか、なんちゃらかんちゃらとか、そんな基礎的知識じゃないのです。
 やりたいことをがむしゃらにやっていくうちに、そんなものは自然と身についていく。
 テニスで言うフォアハンドとかバックハンドとかも、聡子は最初に知識として詰め込まれようとしたら、たぶん拒絶したと思うんですよ。 不器用だけど、そのほうが確実。

 糸子は聡子に対して、自分の描いたデザイン画を渡し、これをなにも見ないでも描けるようになったら、学校はやめさしちゃる、と早速、大きな 「山」 を与えます。
 「はぁい」 と相変わらず気の抜けたような返事をしながら、まるで赤ん坊のようにそのデザイン画を描き始める聡子。
 聡子は、母親から与えられたその大きな山を、それが山とも知らず、登り始めるのです。

 聡子はいったん登り始めると、顧問の先生が言っていたように、ひたすら脇目もふらずにそれに没頭し出します。
 寝る間も惜しんで挫折を続け、果ては窓ガラスに原画と白紙の絵を2枚重ねにしてトレース(複写)までする始末。
 このトレースという方法はその昔、やっちゃイカンと散々言われたものです、図工の先生から。 デッサンが身につかない、ということなんですけど、こと被服デザインの場合、正直なところ人物の造形に意味があるわけではない。 どのような形状、どのような色の服なのか、ということが重要視されるのであって、それをトレースしてまで盗もう、とする聡子の、「なりふり構ってらんない」 トランス状態を特筆すべきでしょう。 ものすごい集中力だと感じます。
 そしてここが肝心なのですが、それをやっている聡子が、とても楽しそうにしているところ。
 楽しくなければ、こんなことは続かないのです。

 そして東京。 泣いてどうなるのか(ちゃうちゃう)。

 優子が手伝うようになってからの直子のブティックは、だいぶ繁盛しているようです。
 ただし売り上げの6割を占めているのは、優子の作る、まあ直子のものに比べればたぶん常識的な服。
 船頭多くして、という状態になりつつあるようです。
 これはとりもなおさず、優子にデザイナーとしてのじゅうぶんな力が付いてきた、ということを意味しています。 仕事のやりかたに迷いながらべそをかいていた経験が、花開いているのです。
 当時のファッションの先端であった東京で信用がついていく、ということも、優子の自信へと直結している気がします。
 2年間の東京と岸和田との往復で、優子には精神的なタフさも身についた、と思われるのです。
 ただこのドラマ、やはり糸子が主役のドラマ。
 優子の成長ぶりについての描写は、なんとなく物足りなさも感じる。 だけどここらへん、見る側が脳内補完をしていく必要があるか、と感じます。 でないとこのあとに展開する話が唐突になる。

 そして売り上げでは優子の後塵を拝している直子も、ことファッション誌の取材となると、圧倒的に軍配が上がるらしい。
 これは直子のデザインのほうが先鋭的であることに、世の中が追いつきつつある、ということを表わしているような気がします。 当時のファッション誌って、今みたいに百花繚乱じゃないから、時代の先端を行くコンセプト系みたいのが多かったんじゃないのかな。 その取材を受けるというのですから、やはり優子のような大人しめなやつでは記事にならない、と言いますか。
 先週店先に飾られていたサイケデリックなオブジェが直子のデザインのコンセプトだとすれば、あと4、5年くらいは待たねばなりません。 直子の先進性がファッション誌にもてはやされるのは当然の成り行きでしょうか。

 大阪に帰った優子は聡子の特訓を見て、自分と直子の古いデザイン画を送って寄こします。
 直子の野獣的なデザイン画、そして優子の華麗なデザイン画。
 それらは、糸子の描いた、いかにも一昔前、といった趣のデザイン画とは違います。
 糸子はそれを見て、「うちも負けてられへん」 と、聡子と一緒になって、ガラス窓に向かって直子のデザイン画をトレースをし始める。

 「(それが腹立つほどええんです)」。 娘ふたりのデザイン画を素直に認め、それに対抗心を燃やしていく、糸子なのです。





 火曜放送分。

 前回からだいたい1年後の昭和39年8月。

 サンローランのディオールからの独立とか、既製服が時代の主流になったことが、冒頭糸子によって説明されます。
 「太鼓」 で聡子と共にファッション誌を眺める糸子は、「オモロイなぁ」 と北村にしゃべっています。
 優子と直子のデザイン画を聡子と共に描き続けた糸子も、だいぶモードに対して思考が柔軟になってきているのです。

 「(厳しい競争のなかで、どないか自分の世界を切り拓いたろっちゅう熱が伝わってくる)」。

 娘たちのデザイン画によって、自分にもその情熱が、還元されていくかのようです。
 糸子の脳裏に、だんじりの風景がよみがえります。

 「(ごっつい勢いで走っていく時代。

 そのてっぺんで、風切って立つ。

 舞って、跳んで、魅せる。

 モードは大工方や!)」

 大工方のイメージに、外人のモデルが重なります。 パルコのCMかと思った(笑)。

 「(とはゆうても。

 大工方とおんなしで、モードも若い人らの役なんでしょう。

 もううちの役とは違います)」

 糸子が先週、徹夜続きでなにをやっとるのか?ということを、当ブログでは指摘しました。

 つまりこれは、70歳を超えて自分のブランドを立ち上げる糸子の、蛹から蝶に脱皮するための第一歩ではないのか?と。
 「自分の本当に欲しいものとは何か?」。
 この思索を始めた糸子に、私はあらたな人生のステージのプロローグを見た気がしたのです。
 けれどもその思いは、今のシーンを見る限り、若い世代のモードに対して向いていません。
 そのうちに糸子は、自分の父親から店を譲られた歳のことを考えるようになってしまい、思いは一気に、「隠居」 という方向に、傾いていく。

 一年間デザイン画だけをただひたすら描いてきたと思われる聡子。
 ファッションデザイナーとしては、かなり変則的な成長の仕方をしているように思われます。
 そんな聡子のデザイン画を見て、帰阪した優子が 「基礎はできたんとちゃう?」 と太鼓判を押します。 でも喜ぶ聡子に、優子はくぎを刺すのです。

 「けどな。 こっからなんやで、ほんまは。

 まあ、あんたがどの程度の洋裁屋になりたいかやけど。

 要はな、普通の職人でええんやったら、もうじゅうぶん一人前や。
 けど、うちとか直子くらいのデザイナーになりたいんやったら、こっからが勝負、っちゅうことや。

 お母ちゃんともうちとも直子ともちゃう。
 あんたの色っちゅうもんを、自分で見つけていかなあかん。

 …それがいちばん大変なんや」

 目を輝かす聡子。 変則的な基礎のもとに、自分の個性を促す優子の助言。
 部屋の襖には、ビートルズのロゴとかロンドンの二階建てバスの絵などが張ってある。
 聡子はおそらくビートルズの影響から、1960年代に一世を風靡したロンドンのカーナビ―・ストリート・ファッションに目を向けていくことになったのでしょう(なんだなんだ、よく知ってるぞ…笑)。 ツイッギーに象徴される、ミニスカートですね。
 この方向って、優子とも直子とも違う特異なアプローチのような気がいたします。

 それを聡子が試したのが、聡子の客として最初についてくれた、鳥山という、鶏ガラみたいな派手なオバチャン(笑)。
 こんなオバチャンおるおる、みたいな(笑)。
 聡子はこの注文の多いオバチャンに、自分が考えていた、驚天動地のファッションを提案してくるのです。

 優子の評判は三浦組合長をして客を連れて来させるほどのレベルにまで達しています。
 三浦はその様子に、「ええ跡取りが出来た」 と感慨深げ。 糸子も、ファッションセンスだけでなく、経理関係にも強い優子にかつてなく頼もしさを感じている様子です。 そして先に述べたような、「第一線を退く」、という方向に、思索は傾いていく。

 「(気ぃついたら51。

 お父ちゃんがうちに店を譲った年を越えてしまいました)」。

 ひとりコップ酒をあおる糸子。 善作の遺影に語りかけます。

 「(なあお父ちゃん。

 うちの娘は、うちと違うて優しいよって、)」

 回想。

 若き日の糸子が、善作に口答えしています。

 「悪いけどな。 お父ちゃんより今はうちのが、よっぽどこの家支えてるんや!」

 頬杖をついて、それを思い出す糸子。
 振り返れば、なんて口を親に対して聞いていたんでしょうか。

 「(うちを、あんなぶった斬ったりしません)」

 そしてまた回想。

 土下座をして頼み込む糸子を、善作は思い切り足蹴にします。 思い切りぶっ叩きます。 「こんガキゃ!」。 そして思い切りケーキを叩きつけます。 「こんなもんが、なんぼのもんじゃ!」。

 再び物思いにふける糸子。 その善作の反応と自分とを比較しています。

 「(…まあ、うちも、お父ちゃんほどひどないけどな)」

 そしてまたひとり手酌をします。
 そして糸子は、父親の引き際について、思いを致していくのです。

 「(ほんでも、いつ、そないしたらええんやろか?

 …いつ…)」。

 翌日、そんな糸子に、比較的ショックな出来事が起こります。
 鳥山のオバチャンのためのデザイン画ができた聡子が、自分ではなく、優子にその出来を尋ねたのです。

 「なんや?」 どないした、と聡子に訊く糸子。

 「いや、デザイン見てもらいたあて…」

 「どれ?」

 何気なく差し出した糸子の手は、虚しく空を切ります。 「姉ちゃん!」 優子のほうに向かう聡子。 「あんな、ちょっと見てもうてええ?」
 何の気なしに応える優子。 「うん」。

 そしてそのデザイン画。

 かなりのミニスカートです。

 優子は聡子の判断にそれを委ねていくのですが、糸子にとってそれは、自分がオールドタイマーであることを決定的に思い知らされた出来事でした。

 「(潮時…。

 近いうちに、今やな、ちゅうときが来るんやろ…。

 間髪いれず、潔う、決めちゃろう。

 お父ちゃんみたいに…)」。

 三浦の感慨から、この場面まで、ものの5分もたっていません。
 なんたる内容の濃さなのか、ため息ばかりが出ます。

 糸子がこれだけの決断を迫られるのは、優子がそれだけ、頼もしくなってきたからです。
 子が親を超えてしまったとき、うれしさよりも寂しさが先に立つ。
 あんなに、アホやとばかり思っていた聡子でさえ、そんな一人前になった優子が自主的な判断を任せてしまうほどに、成長している。 顧問の先生がゆうてた通り、ハッと気付いた時には既に、エライとこまで行っているのかもしれない。
 自分の感性が時代遅れになっている。
 時代に取り残されている。
 だからこそ、もう引退するしかないのか。
 そんな糸子の思いが、善作の回想を経ながら、確実に着床していく。
 奇跡のような、火曜日放送分の、ラスト5分間でした。




 水曜放送分。

 聡子のミニスカートは、果たして鳥山のオバチャンを激怒させてしまいます。
 こんなハレンチなもの着れるか!と、オバチャンは憤然と出ていきます。 「もう金輪際、ここにはけえへんから!ふんっ!さいなら!ふんっっ!」。

 この残念な結果に、糸子や昌子たちは、却って 「手に負えないクレーマーを撃退できた!」、とポジティヴシンキングなのですが(笑)、初めてのデザインがこのようにあからさまに否定されたことに、聡子は大きなショックを受け、泣き出してしまいます。

 「勉強さしてもうたと思い」 と、糸子はアドバイスをしながら慰めます。 心配する千代に、「明日から祭りやし」 と、糸子は気にも留めません。
 案の定、だんじり祭りが始まって、聡子ははしゃいでいます。 立ち直りが早いのは、アホの特権であります(ずいぶん失礼な言い草やな…)。
 過ぎ去っていくだんじりを見守る中には、年老いた安岡玉枝やその家族。 直子も帰阪しているようです。 直子は、オスカルみたいな服を着ています(笑)。

 そんな直子に、自分のデザインしたミニスカートを見せる聡子。 直子は驚嘆の声を上げます。 「ええやん! あんたなかなかやるな!」

 「お客さんからは、ハレンチてゆわれてしもたんやけど…」 おずおずと話す聡子に、直子は発想の転換を聡子に促してくるのです。

 「そんなもん、ゆわれたもん勝ちや。
 うちなんかしょっちゅうゆわれてんで。
 ハレンチやら悪趣味やら。

 ほんでええねん。
 デザイナーがええ子ちゃんでどないすんねん?」

 鳥山のオバチャンのファッションを思い返してみると、派手派手なんやけど、そんなに奇抜なほどグロくはない。 「派手にするとチンドン屋やないとゆわれる」 と糸子が話していましたが、チンドン屋みたいな、原色同士のぶつかり合いとか、テカテカキンキラキンとか、そんな品のない派手さじゃないんですね。
 そのオバチャンからすれば、聡子の繰り出したミニスカファッションは、時代からすればかなり唐突で、はしたないと思われて当然、という気はするのです。

 しかし直子はそのことには頓着せず、聡子のこの発想がどこから来るのか、知りたがります。 デザイナーとしてのアンテナがビンビン来たのでしょう。
 聡子はそれに対し、ビートルズファンの女の子がこういう格好をよくしている、と話しておりましたが、んー、ビートルマニアの私の見解を述べさせていただくと(笑)、確かにチラポラと、ニュースフィルムに映っていた気はいたしますね。 蛇足で恐縮ですが、後年ビートルズが独立して事務所を構えたのが、ロンドンのサヴィル・ロウ。 「背広」 の語源となった場所であります(また知識をひけらかそう思て)。

 直子は、自分がそれをカッコええと思たら、それをあくまで貫きとおさなあかん、と助言します。
 自分の感性を信じる。 それを最後まで曲げずに主張する。
 その揺るぎない自信に、ついてくる顧客の意識、というものがあるのです。
 直子のこの助言は、聡子を特殊な方向性のデザイナーへ向かわせる、またもうひとつの端緒となっている気がいたします。

 お祭りのごちそうに呼ばれていた北村が、その晩糸子や娘たちと、デザイナー育成光源氏計画が頓挫したことを語り合っています。
 そのなかで北村は、集めた洋裁学校の生徒たちが、ボンクラばかりやったと酷評しているのですが、直子や聡子に向かって 「お前らみたいながめつい奴ら」 とさりげなく褒めているところに着目です。
 そう、直子も聡子も、「がめつい」 という点において、共通しているのです。
 つまり自分の才能を伸ばすことに、がめついまでに意欲的、ということです。
 ガツガツしている。 ハングリーさを兼ね備えている。
 それが彼女たちを、世界的なデザイナーにした一因なんだと、妙に納得してしまいます。

 「それ見たことか。 せやからゆうたやろ、『そんな簡単ちゃう』 て」 といつものようにツッコミを入れる糸子に、北村はうんざりしたように言い放ちます。 「あ~もうババアの決まり文句やのォ! 『ほれ見たことか』。 オマエよ、これからの人生そればっかりで生きていくつもりやろ」。
 「なんや?」 凄みを利かせて絡んでくる糸子に、北村は構わずしゃべり続けます。

 「ま、簡単やないっちゅうのは分かっちゃあんねん。 せやけどやらな分からへんやんけ」

 直子と聡子に同意を求める北村。 彼女らも同意見です。 自分の発想の硬直化に、またもや直面したような、ばつの悪そうな糸子の表情。
 北村は更に構わず、不動産屋にも手を広げ始めたことを吹聴し出します。 土地の値段が上がり始めたことに乗じた商売です。 要するに、バブル景気のいちばん最初の予兆、とも呼べる話であります。
 そのスケベ根性に呆れる糸子なのですが、心斎橋の空き店舗の話に乗ってきたのは、直子です。
 このときは単に、楽して金儲け、という話に同調していたようなのですが、この話はのちに、別の動機によって本物になってきます。

 軒先の長椅子に座って、祭りの人たちをねぎらう糸子。 毎年変わらないだんじり祭りですが、その中身はどんどん変わっていくことを、実感しています。
 「御神燈」 の提灯がぶら下がる俯瞰から、カメラはゆっくりと下がっていく。
 そこにやってきたのは、神妙な顔をした、北村です。

 「あのよ…。 ずっと前から訊きたかったんやけどよ…」

 「なんや?」 身を乗り出す糸子。

 「お前よう…。

 …

 わい…。

 …」

 言い澱んだ末に、北村はなんやどーでもええような話を始めます。
 ここは確実に、「わいのことどう思ってんねん?」 ちゅうことでっしゃろな。
 ベタとも思えるこの場面でしたが、その北村の不器用さが、なんとも切なくて、いいんですわ。
 なんや関係ないんですが、最近NHKのラジオ深夜便でよくかかる、平原綾香サンの 「会いたくて」 という歌を思い出してしまいました。

 「誰かに会いたくて/何かに会いたくて/生まれてきた/そんな気がするのだけれど」。

 深夜便の歌にしては、かなりいい曲だと感じています。 紅白で聴きたいな。
 そんな会いたい人に会うために生まれてきたのに、不器用にすれ違ってしまう。
 なんか…。
 とても切なくて。
 そしてそんな人生が、とてもいとおしく思えるのです。

 ただ 「スタジオパークからこんにちは」 でゲスト出演したほっしゃん。によると、ほっしゃん。とオノマチサンは、かなり仲が悪いらしくて(冗談でしょうけど、力がこもってました…笑)。
 そしてそのどーでもええ話。
 偽物んをつかまされた北村は、わざとらしく悔しがり、それを証明して見せた糸子は、「それ見たことか」 とばかり、いたずらっ子のように笑っている。
 このふたりの仲は、こんでええ。
 そんなことを思わせる、とてもいとおしい場面のように思えました。
 北村よ、「簡単やないっちゅうのは分かっちゃあんねん。 せやけどゆうてみな分からへんやろ」(笑)。

 翌朝、北村は寝ているところを直子に手を踏んづけられ、糸子にどつかれ、千代にぶつかりながら、直子から心斎橋の物件を保留にしておいて、と頼まれます。 「お母ちゃんには内緒やで」。 そんな直子、髪の毛はボサボサ、つけまつげもようつけてません(笑)。 直子は何を考えているのか。 北村は、思わずニヤニヤニヤケてしまいます。





 木曜放送分。

 昭和39年11月。 東京オリンピックが、さらりとスルーされています(笑)。

 オハラ洋装店の看板を見上げる糸子。 木曜冒頭から、重要度の高いシーンであります。

 「(うちん時は、さっむい日ぃに仕事から帰ってみたら、看板が消えちゃあた)」

 糸子の回想。 在りし日の小原呉服店の、懐かしい佇まいです。

 「(ほんで店に入ってみたら、)」

 白い布に包まれた、小原洋裁店の看板を見下ろす糸子。 「なんやこれ?」

 「ほんで家のなかもがら~んとしちゃあて……おばあちゃん、おばあちゃんちゅうたら、おばあちゃんが台所で豚揚げちゃあって……みんなどこ行ったん?……なぁ、なぁ?……ほしたらおばあちゃんが」

 夢遊病者のように、現在のオハラ洋装店のなかを歩いていく糸子。 昌子も松田も千代も、心配そうにそんな糸子を見つめています。

 そして回想。 懐かしいハルおばあちゃんが、きっぱりと若き日の糸子に言うのです。

 「あんな。 今日から、うちとあんたの、ふたりっきりや!」

 そして現在。 「で、うちが、…『ええ?!』」。
 糸子は夢から覚めたように、忌々しげに吐き捨てます。 「…クソ!」

 そして善作の遺影に、糸子は恨めしげに語りかけます。 後ろには、心配する千代の姿が。

 「ええなあ、お父ちゃん。 あんなカッコええことでけて」。

 火曜日の糸子の回想と合わせて、回想シーンの傑作とも思えるほどのたたみかけ。 ため息が出ます。

 「(今のうちは、ああゆうわけにはいかん。
 うちが雇うてきた従業員がおる。
 つきおうてきたお客さんがおる。
 責任も義理も山ほどある。
 あないバッサリはいかん。
 店のためにも、優子のためにも。

 …

 やっぱし、もっと、こう、…

 ボチボチと…丸う丸う……)」。

 善作が自分にしてきた暴力などを考えると、波風立てずにバトンタッチしたい、という気持ちが、強いようです。

 いっぽう東京では、直子と優子の仲は、もはや修復不能なまでに悪化しています。 数メートルしか離れてないのに、ことづけを従業員に託す直子。 今晩話がある、というのです。

 その晩。 意外にも、直子は北村を伴ってやってきます。 いつの間にやら、直子はこの下宿を飛び出していたらしい。
 直子は単刀直入に話を始めます。 「あんな。 うち店辞める。 店辞めて、心斎橋で、新しい店やる」。
 北村の物件で店を始めようとする直子の意向に、「ようそんな勝手なこと言えんな。 お客さんやら従業員やら、どないすんねん?」 と、優子はブチ切れます。 発想がまんま糸子と一緒なことに注目です。 でも直子の過激な考えは、そんなしがらみなどもはや優子と一緒に仕事をやることに比べれば、もう何でもない。 直子はちゃぶ台を叩きます。

 「あんたがやったらええんじゃ!」

 「はぁ?…店におらなあかんのは、あんたちゃうんけ?!」

 ちゃぶ台を叩き返す優子。
 直子は、あんな店、うちはもうどうでもええと言って、涙をこぼします。 「…とにかく、うちはあんたが目障りなんや」。
 いやいや、ここまで言いますか(笑)。 「コシノ姉妹は仲が悪い」 とか、格好の週刊誌ネタですけど、却ってここまで開き直って内幕をばらすドラマの内容に、ちょっとまたまた感心してしまいました。 要らんとこまで感心さすな、という感じですが。

 「…分かった。 うちが店辞める。 ほんでええやろっ!」

 結局店を辞めてしまったのは、優子のほう。 両雄並び立たず、というこの決別。 優子は娘の理恵を伴って、岸和田へと帰ってくるのです。

 「(…あ。 ここやな…)」。

 帰ってきた優子を見て、糸子は自分が第一線から退くタイミングはここだ、と直感します。 「(ここがうちの引き際や)」。

 「太鼓」 で糸子は、昌子と松田に向かってその意向を明らかにします。
 形の上では今まで通り。 自分も店に出て仕事はするけれども、オハラの看板は、もう優子のもんや、と。
 それを聞くともなしに聞いていた木之元のおっちゃん。 なんとも寂しそうな一瞥を、糸子に投げかけます。

 「東京と岸和田行き来してる間に、あの子ももう一丁前や。 いや、一丁前どころか、働き手としたら、相当デカなってまいよった。
 一軒の店に、うちとあれがおんなじ大きさでおってみ? あんたらも仕事しにくいで。

 …順番から言うたら、うちの仕事や」。

 「けど、まだ早いんとちゃいますか? そんなん、うち……先生がそんなんゆうの、いやです…!」

 昌子の本音が詰まったこの言葉。 昌子が糸子について来た年月のことを考えると、こっちもちょっとグッときます。 「もうちょっとこのままでもええんやないですか」。 松田も糸子に慰留を努めます。

 「おおきに…」

 糸子は頭を下げるのですが、ここでカメラが一瞬ぶれた(笑)。 目ざとい視聴者の私は見逃しません(笑)。 このドラマ、こういうミスがなかったので、すごく目立つんですよ。 しかも一回ならいいけど、今週このあともう一回カメラミスがある。 ハテナ?という感じですな(あ~もうどうでもええがな)。

 「せやけど、だんじりかて、あない役はどんどん替わるやろ?

 どんなけ寂しいても、誰も文句ゆわんと、どんどん次に渡していく。

 …格好ええやないか、あんなんが!」

 顔をそむける昌子。 人知れずうなづく木之元のおっちゃん。 だんじりを引き合いに出されたら、誰も文句は言えないのが、岸和田流だ、そう感じるのです。 もうなんか、泣けた。

 八重子も、糸子の決心を聞いて、涙を押さえることができません。 「…なんで?」。 そう尋ねる糸子に、八重子は言います。

 「堪忍な…。 うちが泣くことちゃうんやけどな…。

 糸ちゃんが、21で看板あげてから、それからのことは、全部見て来よったよってなあ…」

 「いや…。 けど別に…。

 オハラ洋装店の看板下ろすわけとちゃうよって。

 …なにも変われへんよ…。

 なんも…」

 安岡美容院から帰ってきた糸子。 夕闇のなか、オハラ洋装店の看板を、見上げます。

 21で看板を上げてからのことが、脳裏に浮かんでは消えているのでしょうか。

 糸子の目に、涙がたまっていきます。

 そして、こぼれてしまう一粒の涙。

 糸子は苦笑いしながら、その涙をぬぐいます。

 …泣けた。

 イカンなあ…。

 糸子が帰ってみると、北村がまた呼ばれています。 「なんや、来てたんかいな」。 今まで涙を流していた照れも手伝ってか、一層無愛想に吐き捨てる糸子。 北村はどうも、事情があってそこにいる模様。 昌子も松田も、そこに同席しているのですが、こちらはその事情を知らない様子です。 昌子と松田は、糸子が優子に跡を継がせる、ということに立ち会うためにそこにいる、という感じです。 食卓には、ロールケーキがのぼっています。

 「あんなお母ちゃん。 話があんねんけど、ええ?」

 口火を切ったのは優子です。 柱時計の時報が鳴ります。





 金曜放送分。

 「勝手をゆうようなんですけど……うちを独立させてください」。

 糸子は努めて冷静を装いながら、「どういうこっちゃ?」 と優子に訊きます。 優子は、北村の心斎橋の物件で、自分の店を始めたい、というのです。 資金も北村に融通してもらうことになったらしい。 北村はプレタポルテの打算があることは認めるのですが、これは商売人としての話や、と糸子に弁明します。

 優子は、自分の母親をまだまだ現役だと思っています。 そして聡子が育ってきたことで、自分の居場所というものがなくなっている現状も把握している。
 でも、優子は母親の思い、というものに気付いていません。 看板を継がせる、ということにこだわっている、糸子の思いを。

 「せやからうちは…。 もうあんたに看板を譲るつもりで、…準備しちゃあたのに…」。

 驚く優子。

 でも。

 優子の思いは、すでにオハラの店を継ぐという器では、満足しきれなくなっていることに、母親の糸子は気付いていません。 お互いに、お互いの肝心なところに気付いてあげることができない。 この構図には、ただひたすら、うなります。

 「昌ちゃんや恵さんには、こないだ話して了解してもうたよって。 あんたらには、大みそかに直子が帰ってきて、みんなが集まってから、ちゃんと話そう思うちゃったのに。

 …(優子を睨みつける糸子)…

 よう台無しにしてくれたな!」

 この糸子のキツイ一言には、さまざまな思いが詰まっていることに注目しなければいけません。

 店の看板を譲る、ということがどのようなものか、という認識が、優子と糸子のあいだでは決定的に違う、ということにはまず着目しなければならない。
 糸子は父親の善作が、自分に看板を譲るときにどれだけ苦悩したかを、知っている。
 その父親の思いがあるからこそ、糸子にとってこのことは何を差し置いても重大事なのです。
 けれども優子の器量は、もうすでに、オハラの看板では収まりきれなくなっている。
 そのこと自体がもう、糸子にとっては、なにものにも耐えがたい、屈辱であるのです。
 自分がお父ちゃんから渾身の力で受け止めた、自分の人生が、この看板に込められている。 娘にそれを蔑ろにされた屈辱と、娘が自分の上を行ってしまったという悔しさ。
 「よう台無しにしてくれたな」。 この、ちょっと聞けばあまりにも品性のない、ガラの悪い言葉。
 それはひとりの女の一生が詰まった、魂の気迫から吐き出された言葉なのです。

 すごすぎる。

 確かに心肝を凍らせるような脅しの文句のようですよ、これって。
 でも。
 屈辱にまみれたとき、相手を脅すことになっても構わない、という言葉が出てこない人って、よほど人間が出来てるんだなって、思いますよ、私は。
 それだけ自分の人生に対して、自分は懸命になって生きていた、という自負がなければ、出てこない言葉だと思う。
 どんな侮辱に遭っても黙っていられる人を、私は尊敬いたしますが、そこで我慢してあとから見返そうとか、そういうことができるほど、人間って都合よく出来ているようには、思えないのです。
 「カーネーション」 の主人公である小原糸子を認められない人たちって、だからとても人格者なんだ、って思いますよ。
 私なんかは人間が出来ておりませんから、小原糸子に対して限りなく共感する。 自虐的に言えば、自分が人として不完全だからこそ糸子に共感するのです。

 優子は松田が気を利かせて口を挟んだことを、じゅうぶん承知しています。 母親は自分のためを思って言っているのだ。と。

 「ほんでもその心斎橋の店、やりたいっちゅうんか?」 と訊いてくる昌子。 優子は意を決して、糸子に向きなおります。 「…はい」。

 「正直に言わしてもらいます。 東京で店一軒流行らせられるだけの力つけて帰ってきました。
 そしたらそのうちはもう、岸和田のこの店には、ようおらんのです。

 うちがやりたいことはここにおったかて、半分も出けへんちゅうことはよう分かってる。

 毎日その悔しさを我慢してここにおったかて、それは生きながら死んでるようなもんや!

 そんなんやっぱり…」

 「分かった!」

 糸子は娘の言葉を遮ります。

 「…分かった…。

 もう分かった…」

 糸子は鼻でせせら笑います。 「フン!」

 席を立つ糸子。 「好きにしいや…」。

 この糸子のせせら笑い。
 優子に向かったものであると同時に、自分の人生、こんなもんか、という自虐の笑いでもあります。
 この店で働くっちゅうのんが、生きながらにして死んでるようなもんか。
 そんな程度のもんなんか、この店は。
 アホらしなってきたわ。
 侮辱されてふて腐れずにいるほど、うちはようできてへんわ。

 優子にしてみれば、母親の思いというものが痛いほど分かるがゆえに、正直に言うことは、身を切るよりもつらい。
 以前の優子のように、自分を自慢するように、正直に打ち明けてるのとは違うのです。
 だから糸子のほうはあくまで冷静なのに、優子のほうが、泣きながらの訴えになってしまう。 母親を思うがゆえに、自分のステージを自分で選択することが、つらくてたまらないのです。 でも母親から巣立たなければ、自分の夢は、広がっていかない。

 糸子があくまで冷静、と書きましたが、糸子にしたって無理やり自分を抑えつけているわけです。 すぐに暴力に訴えた自分の父親のことをこの頃頻繁に考えているから。
 目の前にロールケーキが置かれていることも、糸子が冷静さを保つアイテムになっていることにも、気付かねばなりません。
 まさか善作のように、ロールケーキを裏っかえしにして叩きつけてもカッコがつかんけど(笑)、同じケーキ、ということが、糸子の理性のブレーキになっている側面はある。 ケーキのブレーキ。 語呂がいいな(また茶化す)。

 いずれにしても小原家の食卓。
 またひとつ、名場面が作り上げられた気がするのです。

 優子は理恵を世話している千代のところにやってきて、「おおきに、おばあちゃん」 と礼を言います。 「終わったんか?」 千代は何もかも知っていたようです。 「うん」。 蚊の泣くような声で答える優子。 「案外静かやったなあ…」。 千代も、善作と糸子とのバトルを思い返していたのでしょう。 優子は母親をいたく傷つけてしまった悲しみに、その場にへたりこんで号泣してしまいます。 「あれあれ、まあまあ、どないしたん?」。 千代おばあちゃんの優しさが、また心に沁みる。

 いっぽう糸子は、安岡玉枝の胸で 「物件に負けたぁ…」 と号泣しています(笑)。
 こういう人を食ったところが、このドラマのすごいところなんだよなあ。
 「まあまあ。 うんうん」。 玉枝も糸子に胸を貸してあげるほどになれたというのが、ドラマ的にはうれしい。

 「うちの看板は、北村の物件に負けたんやぁ…。

 命より大事な看板を譲っちゃるちゅうてんのにやな、優子のアホは、『そんなもん要らん、北村の物件のがええ』 って言いよったんやぁ…。

 なにが心斎橋や…!

 なにが物件や…!

 北村のボケェ…!

 優子のアホォ…!」

 「よしよし! な!」

 翌朝、泣きはらした目で、また看板を見上げる糸子。

 「(寂しい。

 虚しい。

 昌ちゃんと恵さんにかて、あないカッコつけたのに、不細工な…)」

 言ってすぐに店を辞めるわけにもいかない優子を睨みつけ、アゴをしゃくって合図する糸子。 ほんまにガラ悪い(笑)。
 糸子は優子を呼びつけて、もう帰れ、とっとと先に進め、と凄みます。 新しい店のほうに集中しろ、と。
 「うっとこはな、あんたなんかおらんかて、どないでもなるんやからな!」
 母親の精一杯の強がり。 優子には、それが分かっています。 だから優子は、母親に向かって、涙を浮かべ、こう言うのです。

 「はい…。 おおきに、お母ちゃん…」

 その場を離れる糸子。 そしてひとり、こう思うのです。

 「(よっしゃ。

 不細工なりに、どないかけじめつけられたで)」。

 空を見上げる糸子。

 「(娘の独立。 見届けたで。 …お父ちゃん…)」

 また涙が…と思たら(笑)。 このドラマ(笑)。

 「(ちゅうと思ちゃったら、まあこの娘の独立が中途半端なこと)」(笑)。

 心斎橋の内装工事の職人が、ガラが悪くてゆうことを聞かん、お母ちゃんなんとかして、というのです。 しぶしぶ交渉に当たる糸子。
 「でけんことはでけんゆうとんじゃ!」 と凄む親方に、糸子も負けていません。
 「はぁ? でけんちゃうやろ?!
 いったん引き受けた仕事やったらな、最後まできっちりやらんかいな! こっちはこの先この店で飯食うていくんですわ! やってもらわなかないませんねや!」
 ほとんどキスシーンかと見まごうような顔と顔との接近(笑)。 この職人役の男、役得やのぉ~(爆)。

 「おおきにな、お母ちゃん!」
 「あんたもな、こんぐらい自分で言えるようにならな、女店主なんか務まらんで!」

 まったく、母親に啖呵を切ったあの勢いはどこへやら。 「うんうん」 コクコク。 たじたじの優子なのです(笑)。
 糸子は親方に 「ほな、またちょくちょく顔出させてもらいますよって、どうぞよろしゅう」 とくぎを刺すことを忘れせん(笑)。
 この場面、「大阪はこんなガラ悪いのばっかりじゃありません」 とクレームが出てもよさそうな場面ですが、自虐ネタを楽しむ余裕って、必要かな~と。
 それにやはり、社会で生きていくためには、ある程度の強制力も必要な場合って、あるんですよ。 気迫のない人間よか、気迫がないと世の中、相手のいいようにされてしまうことって多い。

 でも自分を頼ってくる優子に、糸子は一方で、ホッとしたりもするのです。
 まだまだ半人前や、と思うこと。
 いくら子供が自分の上を行ったからと言って、めげたり卑屈になったりしたんでは、親としての務めは果たせない。
 そんなことを考えさせるのです。

 あ~なんかこの金曜日、中身が濃すぎるぞ。 胸やけしてきた(爆)。

 「(次のんに譲れんようになるまでは、まだもうちょっと時間があるやろ。
 有り難いことに、まだそれまで、この看板はうちのもんです)」

 聡子の姿を見ながら、糸子はひとりごちするのです。

 昭和40年元旦。 ああ~私の生まれる日が近づいてきた(笑)。

 優子の夫悟は、元旦だというのに会社の連中といろいろあるようです。 なんだかんだ言って自分の仕事をしているようですな。 しかし優子は浮かない顔をしています。
 ここでまた、カメラミスがある。
 パンを一瞬してしまうのです。
 どうしたんだ、「カーネーション」 スタッフ(あ~も~、どーでもええんちゃう)(ひょっとしてうちのテレビがおかしい?)。

 悟を見送って姉妹三人になった居間。 優子と直子は、ぎすぎすした会話を始めます(笑)。 果たしてそれはケンカに発展。 直子が店をやめてパリに行く、と言い出したからです。 聡子はテレビのボリュームを上げてケラケラ笑っています。 懐かしい定番パターンの復活です(笑)。

 「あーあ。 あんたらトシなんぼや」。 呆れかえる糸子に、聡子が 「うちが21でお姉ちゃんは28」「27!」 泣きじゃくりながら訂正を入れる優子。 聡子もテレビ見ながらしっかり話を聞いてます(笑)。

 「揃いも揃ってアホ娘が! こらアホ娘! テレビ見とらんと片付けんかい!」(笑)。




 土曜日放送分。 今週はキッツイど…。 ちょっと流すか(笑)。

 昭和40年3月。 たぶん私、生まれました(笑)。

 木岡の女房が、アイビーファッションに合うローファー靴を求められて困っている様子で、糸子に訊きに来ます。
 さぞかしアイビーで儲けようとしていた北村は儲かってんのかと思いきや、主力に据えてなかったせいでそれほどでもないらしい。 それよりも北村は、自分が目をかけた小原優子によってコレクションの道を夢見ている模様。 現実味がないとそれをけなしまくる糸子に、松田恵はそないバカにしたもんでもないですよ、と優子と直子の実力を認めようとします。 糸子はこのふたりに聡子を合わせて、自分が産んだこの三姉妹を、「いけずといこじとアホ」 と命名します(笑)。

 その 「アホ」(失礼)が持ってきたデザイン画。 またもやミニスカートです。
 恥ずかしがる若い客に、ほんまはどない思てるか、糸子は突っ込んだリサーチを開始します。
 すると、本心では履いてみたい、ということが判明する。
 サエが糸子に初めて作ってもらったイブニングドレスも、背中が大胆に開いていたのが刺激的だった、と本人から訊き出し、糸子は自分にも、そんな先進的な大胆さがあったことを、あらためて再確認するのです。
 そこに、パリにいる直子からの電話で、ミニ・ジュップという要するにミニスカートが流行り出しているという情報を聞きつけ、糸子はひとつの確信に至るのです。 「ミニスカートは、これからこの国でも、流行る」。

 優子の心斎橋のブティック開店日。 得意満面でカメラに収まる優子を尻目に、自分に握手を求めてくるゲストに、余裕の表情でそれに応える直子。 これがいわゆる、ドヤ顔ってやつですか(笑)。
 そこにやってきた北村に、糸子は早速、ミニスカートを作り、と強く勧めます。
 「絶対売れる。 死ぬほど売れるよって」
 それを試着した聡子の姿に、北村は完全にノックアウトされます。 北村、案外ウブです(笑)。
 二の足を踏む北村に、オハラ親子の四重攻撃が始まります。 「こさえ」「こさえ」「こさえ」「こさえ」(爆)。 おお~~っと北村、コーナーポストにもんどりうって倒れたぁぁ~~っ(調子乗りすぎやがな)。

 ここで注目だったのは、糸子が自らも怖がりながらも、女性たちが肌を競って見せたがる新しい時代が来ることを、予見している点です。
 確かに流行りました、ミニスカート。 北村は長いスカートもそのうち流行るんかな、と言ってましたけど、ロングスカートの時代もその次にやってくる。
 しかし当時の若い娘たちは、今に比べれば格段に脚が太かったのに、よく自分の脚をあそこまで見せたものだ、と思いますね。
 でも流行、というものは、そういうもので。

 糸子たちの目論みはまんまと当たるのですが、それを流行らせた張本人の北村が、この流行についていけてない(笑)。 サングラスをかけて、ニョキッとした脚を見るたびに道のはじっこを通って、まるで渡世の裏街道を歩いている後ろ暗いおかたみたい(笑)。

 そんな北村を、糸子はまたまた品のない笑いであざけります(笑)。 「ヒヒヒ、ヒヒヒ…困っとる困っとる、オッサンが」(笑)。 「はぁぁ~うっとうしいのう…」(笑)。

 目のやり場に困ったのは、私も経験ありますわ(笑)。 数年前の、ローライズの流行(笑)。 あないな格好して、どうしてしゃがみたがるんでしょうね、オンナって(爆)。

 恥じらいを問題にしたがる北村に、糸子はこう言い切ります。

 「恥じらい? あんたほんなもん、もう犬も食わへんで。

 オッサン!(ハイッ!…笑)

 気の毒やけどな、ほんな自分の時代がどうやらな、ほなもんもうこだわっちゃったらあかんねん。

 時代はどんどん変わってんやでぇ。

 女の子は脚出してええ。
 オヤジに怒られたかてかめへん。
 嫁になんか行けんかてかめへん。
 そういう時代やねん!

 さっさと頭切り替えな、取り残されてまうでぇ~」

 昭和41年。 古い時代が、駆逐されていきます。




 はぁぁ…。

 昨日はちょっと晩酌飲みすぎたのと、「家で死ぬということ」 というドラマをつい見てしまったことで、アップがえらく遅れてしまいました。
 かんにんやで、堪忍…(ハハ…)。

 それにしても、オノマチサンの糸子が、あと1週。

 来週は、惜別の週となることは必至ですが、脱皮した夏木マリサンの糸子にも、期待をしたいと思います。

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NHK朝ドラ 「カーネーション」」カテゴリの記事

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コメント

はじめまして。
毎週本当にお疲れ様です。
リウさんのレビューを読んでから、ドラマを
もう一度楽しんでいる者です。

第21週の「鮮やかな態度」も凄まじかった
ですね。
特に金曜日は「これぞカーネーション!」と
いう15分でした。
容赦のない渡辺脚本、オノマチ糸子の繊細な
表情の変化とパワフルな啖呵に痺れました。
(アゴで優子を呼び出す番長シーンは爆笑)

第18~20週の脚本が掲載されたシナリオ
雑誌を数日前に衝動買いしました。

文字で読んでも会話が抜群に面白い・・・。
アドリブだと思っていた台詞を脚本で見つけ
たり、その逆の発見もあったり。

脚本には放送されなかったシーンも散見され
るのですが、カットしたことが全てプラスに
働いていると感じました。(見る側で行間を
読む楽しみが増えています。)

素晴らしい脚本が現場でさらに面白くなり、
編集で極限まで削ぎ落とされてから私たちに
届けられているんだなぁという印象です。

第22週の「悔いなき青春」も勿論見逃せま
せんが、個人的には3月3日に再放送される
「火の魚」もA級保存版です。(念願の録画
チャンス!)

「火の魚」は、以前何気なく見て引き込まれ、
「渡辺あや×尾野真千子×NHK=傑作」
という記憶を残し、朝ドラ習慣のなかった
私を「カーネーション」の第1話へと導いて
くれたドラマです。

カーネーションは撮影が終了したようですね。

リウさんも最後まで充実したレビューを届けて
くださることを期待しています。

長文コメントとなり、失礼しました。

投稿: とねっこ | 2012年2月26日 (日) 15時18分

リウ様、こんばんは。
毎週の感想UP、お疲れ様です。

自分誕生の年月を、既に通り過ぎた「カーネーション」
高度経済成長まっしぐらの時代背景。

この時代を描写した映画群はと言えば……

・「無責任シリーズ」
・「社長シリーズ」
・「若大将シリーズ」
・「ゴジラシリーズ」

等々を生み出した東宝映画が白眉でありますが、平成の役者・スタッフが再現した昭和の描写に、微妙な違和感が……。

作品其の物を、否定するつもりは有りませんが、纏う空気に?
「とんび」で描写された風景と比べる、自分の感性が鈍ってきたのでしょうね……。

投稿: M NOM | 2012年2月26日 (日) 19時53分

とねっこ様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。 返信が大変遅れてしまい申し訳ありません。

そんなシナリオ本まで出ているんですか。 だいぶカットされているなんて、初めて知りました。 とねっこ様のおっしゃるように、このドラマは 「説明しないところに妙がある」 という部分で感心していたところがありましたので。 これはスタッフの勝利、でしょうね。
となれば、去年の大河ドラマ 「江」 でも同様のカットがされていたと感じますが、そっちはもとが悪いうえにかなりズタズタにやっていたような気がしてきます(爆)。

レビュー本文でも書いたのですが、このドラマの主人公、かなりガラが悪いです(笑)。 アゴをしゃくって娘を呼び出す場面もそうでしたが、この糸子、結構簡単に舌打ちしたりする(笑)。 私なんかはかなり幼い段階で、「舌打ちははしたない」 という教育がなされていたので、舌打ち自体をしたことがなかったのですが、なんか最近糸子の影響で、仕事中にムシャクシャする場面に遭遇すると、「チッ」 としてしまう自分がいる(笑)。 イカンイカン、このドラマは子供の教育に悪影響があるぞ(笑)。

そんなガラの悪さを批判する人の言い分って、正解なんですけどね。

でもそのガラの悪さが、生きるパワーに拍車をかける、という側面も、見逃してはならない、と感じるんですよ。
なにがあっても常識的な対応。
そんな大人しい人たちばかりの世の中では、「なにくそ!」 という負けん気は、育たないのではないんでしょうかね。

「火の魚」 は、保存版をたまに見たりしていますが、そのたびに 「ハテ、こんな流れだったか?」 というところがあって新鮮です。 特に今は亡き原田芳雄サンが、オノマチサンに影絵芝居を強要する場面。 ずいぶんあっさりとやってたんだな、と感じます。 オノマチサンは実際に、「こうふくのおうじ」 の影絵芝居を、島の子供たちに全部語った、と聞きます。 ちょっと見ただけで私などは、「こうふくのおうじ」 のラストを思い浮かべて、泣けてきてしまう。

数年前に土曜スタジオパークに 「火の魚」 の放送のためにお出になっていた原田サン。 お元気そのもので、あんなにすぐに逝ってしまうとは考えもしませんでした。 そこにVTR出演していたオノマチサン。 ナイーヴな女性なんだな、と感じたものです。

投稿: リウ | 2012年2月27日 (月) 14時13分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして申し訳ありません。

前にほかの方へのコメント返信でも言及したのですが、このドラマ、微妙にパラレルワールドの体をなしている、と感じます。

オハラ洋装店や、商店街の奥に見える店の看板のフォント(字体)。 多分に現代的、なんですよ。

そういうのを見ていると、リアリティ追求の作りのなかで、何かスタッフが遊び心を発揮している…、そんな部分を私などは感じてしまうのです。

この週の、聡子が貼り付けていたと思われる、襖のビートルズのロゴスタイル。
これも、最初見たときに、高畑勲監督のアニメ映画 「おもひでぽろぽろ」 で、主人公の姉が部屋に貼り付けていたものによく似てるな、と。

なんとなくどこか、そういう遊んでいるところを見せることによって、その時代を特殊な記号化してみせようとしているのかなぁ…。

投稿: リウ | 2012年2月27日 (月) 14時24分

こんばんは。おじゃましますhappy01

 今回もはしょりつつもたっぷりと丁寧なレビューに楽しませていただきました。特に金曜のロールケーキの回は(カメラミスも気付かなかったですし)もうなるほどと勉強になることだらけで…。

それにしても色、食べ物、写真とか小物の使い方も凝られてますよね。回想のシーンが映されるだけで思わずハッとしてしまうのはドラマの緻密な経年表現のせいなんでしょうか。糸子が玉枝に泣きつくシーン、私は善作が千代に泣きつくシーンをそのまま思い出しました。


 アップがえらく遅れてしまった(あれ、でも日曜日に書かれているような)との事で久々におじゃまして読ませていただき得した気分です(笑)
「家で死ぬということ」は途中から見たんですがおばあちゃん役の女優さん(渡辺美佐子さんとおっしゃるんですね)可愛らしくて素敵だな~と改めて思いました。『お買い物』にも出てらっしゃいましたよね。


 ちなみにお買い物の脚本の前田司郎さんですが『家族八景』の脚本に参加されているそうですね。(既にご存知でしたらすいません。)家族八景が結構面白くて調べてみたら有名な方々が脚本担当されているそうで、私には前田司郎さんと上田誠さんしか分からなかったですが(汗)

ドラマが始まる前は原作に多く含まれていた性的な表現はどうするのかなあと思っていたのがさすがポップにまとめられていて今期見ている数少ないドラマの一つです。


堤監督なのでリウさんはどうなのかなと思っていたんですが30分完結ですのでもしまだご覧でなければ機会があればぜひ☆もうあとそんなに無いかもですが^^:

投稿: はたはた | 2012年2月28日 (火) 01時38分

はたはた様
コメント下さり、ありがとうございます。

「家族八景」、「てっぱん」 でヒロインの亡くなった実の母親をやっていた、木南晴夏サンが主演のヤツですよね。 最近では 「勇者ヨシヒコ」 でパーティの紅一点だった…。 なんとなくこの人、水面下で成長している気がします。

「家族八景」 と言えば私の世代では、NHKの少年ドラマシリーズ枠だったと思うのですが、あれは 続編 「七瀬ふたたび」 だったか。 多岐川裕美サンが七瀬をやっておりまして、とても大人っぽくてあこがれたものです。

七瀬シリーズは読破しましたが、原作は文字による人間の思考の絵画的表現とか、なかなか革新的なことをやっておりました。

今回、堤サンの作品であることにはちょっと引っかかったのですが、私堤サンのヤツって、あんまり得意じゃなくって…。 ただ、評判は伝わってきております。 もう終わりですよね(ハハ…)。 いまさら見て 「ああ傑作だ」 というのも、なんとなく悔しい気がします(爆)。

脚本家のかたも、はたはた様ほどには詳しくありませんで…。 前田サンも上田サンも、作品が分かれば 「あああの人か」 ということにはなるのでしょうが…(ならないかな?)。

記事アップの時間なんですが、以前は土曜日の集中放送を見てそれから書き始めて、その日のうちに仕上がったものですが、最近はどんどん時間が遅くなって、翌日(日曜日)の午前5時とか6時に上がる始末。 今回はついに、11時ぐらいまでずれこんでしまいました。 2か月ぶりの 「今夜も生でさだまさし」 とか楽しみにしてたけど、あえて無視しました…(笑)。

善作が千代に泣きつくシーンとリンクさせる…、なるほど、ですね!(「ドン★キホーテ」 か?)

私は記憶力が悪いので、遠い昔の場面となかなかリンクしなくて。 リンクしたらもっと深いレビューが書けるんですけどね…。

投稿: リウ | 2012年2月28日 (火) 14時37分

リウ様
いつもお疲れ様です。

さて、尾野さんの演技は(他の俳優さんもそうだろうが)、相手方が上手くないと死んでしまうと思います。

今週は優子と聡子がその相手方だったと思いましたが、特に優子役の新山千春にはがっかりさせられました。
いくら実年齢が1年近く上で結婚しており娘(子役)までいるとしても、役では尾野さんの娘なのに娘のように見えません。顔がデカイだけ。
ずっと違和感を感じていましたが、直子役の川崎さんの存在感が破綻を回避させてくれていたと思いますが(聡子は今のところ添え物のような扱いですし。)、出番が少なかったし。

今週はどうなるのか?
新山千春には期待しても無駄でしょうねえ。

投稿: MLACT | 2012年2月28日 (火) 20時49分

直子の後で装麗賞取った男の子、
タカダケンゾーがモデルなのかな・・・?

ミチコ・ロンドンは、スタートからだったんですねえ。
3人そろって同じ道に進むけど、個性がそれぞれ全く違うって、その点もすごいです。

>家で死ぬということ
冒頭部分だけ見て、「あ、ダメだ」と思ってリタイヤしました。
内容云々の問題ではなく・・・、
私も母を家で看取りましたので。
今年、7回忌だったんですけど、やっぱりまだ、生々しいんだなあと、
普段は忘れているんですけどね。

介護した人には、誰にでも思い残したことがあるとおもうんですよ。
最中はいっぱいいっぱいで、一生懸命やったつもりなんだけど、おえてみると、
ああすればよかった、こうすればもっと・・・って。

それにしても高橋君は、ずいぶんいい役者になりましたね。
「15歳の志願兵」の彼で、見直しました。
ここまで実力が付くと、サラリーマン金太郎も、特命課長も別な意味で楽しめます。
それしかできない役者、じゃないから。

投稿: マーシー | 2012年2月29日 (水) 08時19分

MLACT様
コメント下さり、ありがとうございます。

新山千春サン、私は期待してなかったせいか、結構頑張ってるとは思うのですが…。

というより、ここ数週間、糸子と昌子と松田恵、そして八重子とか、おそらく彼らは50を過ぎているでしょうに、老けて見えない、ということは感じます。 確かに糸子が優子の親には、見えない。

確か新山サンらは、夏木マリサン編でも出演して、おそらく最終回まで出演すると思うのですが、スタッフがその出演期間の読み、起用方法を外した、そんな気はするんですよ。

優子と聡子はもうちょっと若い人に設定して、で、夏木マリサン編では三姉妹全員も年相応の人に交代させる…、そのほうがよかったのではないか、と感じます。 以前にほかのかた(M NOM様)のコメントでいただいたことがあったのですが、渡辺えりサンとか、山村紅葉サンとか、寺島しのぶサンとか(笑)。 これだとキョーレツすぎて夏木マリサンがかすんでしまいますが(笑)。

あっちを立てればこっちが立たず…。 キャスティングは、常に難しいものですね。

投稿: リウ | 2012年2月29日 (水) 11時45分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

KENZOではないか、という話は、ネットで散見いたしますね。 コシノジュンコサンと同じ文化なんとかっていう洋裁学校の同期(年齢は違うらしいですけど)みたいだし。

ホントに三姉妹全員、個性が違いますよねぇ。
私は優子と直子の水と炎のような対比のなかで、聡子がどのような描かれ方をしていくんだろう、と思っていたのですが、なんかすごく変則的な成長の仕方で、もうその点でもストーリーテリングに感心しまくりました。

「家で死ぬということ」 を見ていて感じたのはですね…。
レビュー中にも書きましたが、死んでゆく人間、というのは、けっしてかわいそうなんかじゃない。 その人にはその人の、同情されるにあたらない、プライドや弱さがあるんだ、ということです。

だから結構、親の世話をしたかたにとっては、「これでじゅうぶん」 という境地にはなかなか達しないでしょうけれども、親にとってみれば、そのことで子供を恨むなんてことは、露ほども考えない、と感じるんですよ。

たぶん自分も、死ぬときはそうだと思うから。

死んでいくのは言ってみれば、自然の摂理です。
確かに自分が死にそうなときに、「この死に損ない!」 とか蹴っぽられたら恨みに思うでしょうけど(笑)、「それも自分の育て方が悪かったんだろうな」、と思う。

高橋克典サンは私と同世代ですが、いい役者になってまいりましたね(上から目線coldsweats01)。

投稿: リウ | 2012年2月29日 (水) 12時33分

リウさま

今日の「スタジオパークからこんにちは」を
観ましたか?
尾野真千子に惚れ直しました。

明日のスタジオパークには綾野剛さんですし、本当にNHKは「カーネーション」をしゃぶり尽していますね。

でも、判っていてもみてしまう私は相当な馬鹿ですね。

投稿: MLACT | 2012年2月29日 (水) 22時24分

MLACT様
コメント下さり、ありがとうございます。

見逃した…って訳ではないですけど、忘れてました(笑)。 つまり予約では録ってあります。 今日見て、レビューでも書こうかな。 気持ちが乗れば、の話ですが…。

倍賞千恵子サンがもうちょっと若かったら、夏木マリサンの代わりに糸子が出来たのにな、と思うのですが、オノマチサンの演技力に勝てないことが判明してしまうかもしれません(倍賞サンのファンの方、ごめんなさい…)。 実は夏木マリサンでも、私は若干不安を感じております。

投稿: リウ | 2012年3月 1日 (木) 07時26分

この週、糸子と私の年齢はだいぶ近づきまして(笑)、
彼女が子どもに後進を託そうともがく姿が自分自身のこととも重なり。

気がつけば、夫は定年間近ですし、自分ももういろんな意味で「先がない」(と思える)。
後はもう、子どもの行く末を見守って、自分たちのことは・・・もう・・・

まじめにそんなことを思っていた矢先の、「カーネーション」でした。

私たちは、コシノアヤコさんが、結局看板を譲らず、あまつさえご自身のブランドを立ち上げる、事実を知っています。
ただ、知っているのは事実だけで、その前段に何があったのか、までは知るよしもありません。

その、前段の揺れる50代糸子のすったもんだは、身につまされる、そして今後の自分を考える一つの提起になりました。

アヤコさんは、70代でブランドを立ち上げた。

自分たちは、どうなんだろう。
50、で、もうすべては夢の後、で生きるのか?
ヒトって、年齢で、あれはできないこれはダメって思えるものなのか?

物凄く考えさせられている21週でした。

投稿: samantha | 2012年3月 1日 (木) 11時00分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

私が鈍いのかもしれませんがcoldsweats01、コメントを下さる皆様私より年上のかたが多くていらっしゃるようですね。 ずいぶんタメ口を聞いていたのではないか、と戦々恐々としております。 しかも人生訓などを人生の先輩のかたがたに対してwobbly

そのうえでまたエラソーなことを申し上げてしまいますが、自分がしてきた仕事をリタイアするのって、自分が人生のメインステージから降りる、という感覚でとらえてしまいますよね。

しかし仕事って。

大多数のかたが、「これが自分の天職」 と思いながらやっているわけではない、と思うんですよ。

いやいやながら、と言うと語弊がありますけどね。

すると、自分がそのステージを降りてしまうと、あとになにも残らなかったりする。

もしそれがかなりの天職だとすると、退職したあとでも何かと人間関係の繋がりは残るはずだし、もとの会社から頼りにされたりするはずです。

でも、会社を辞めたらもうそれっきり、という会社だったら、自分の人生はそれがメインステージではなかったんだ、と思うことだ、と思うんですよ(ホントにエラソーですね…)。

さほど年金が入ってこなくても、自分の本当の人生はこれからだ、と考えたら、やることはいろいろと見えてくると思うのです。

絵を描くとか文章を書くとか、自分には出来ない、苦手だなんて思わないことだと思うのです。 だって誰だって、最初は赤ちゃんですから。 一寸先は光、そう未来をとらえたいなあって、感じます。

絵や文章だけではなくて、本を読むのだって図書館を使えばお金なんか要らないし。 畑仕事をするには自分の庭とか必要ですけどね。

私には幸い詩や絵ができるみたいなところがあるので老後は楽しみですが、そーゆーヤツに限って年金だけでは暮らせなくて、死ぬまでバイトでもする破目になりそうですcoldsweats01

いやでも、人生、死ぬまで仕事をしていたほうが若さを保てる、と思いますよ、これは僻みなんかじゃなく。

体が動くかどうかは問題ですけどね。

テレビで80とかで現役の人を見ると、つくづく若々しいなあって、感じます。

投稿: リウ | 2012年3月 1日 (木) 14時27分

リウ様(笑)

私が思っているより、もしかしたらリウ様はお若いのかな。
私より少し下、くらいのイメージでしたが、もしかしたら一回り以上下かしら。

私には、糸子が、時代に取り残された・・・と感じたイメージが、わかったんです。
糸子にとってはもちろん洋裁は「仕事」のことですが、私の場合はまた別の、仕事に係るものではありません。
でも、かつては自分のものとしてきたし、それが出来ると言うことを売りにしていたし、そして今でも好きですし関わっているけれど、世間の流れについて行けない、
そういうものがありました。

今の時代が「イイ」というものが、私にはよく分からない。
どうしても「イイ」と思えない。
でも、それをとっかかりにまた時代が変わっていく。
それを、何とも言えないもやもやした気持ちで見る。
もう、自分にはわからないしついていけないんじゃないかと思ってしまう。

もう、自分は何もできないんじゃないかと思ってしまう。

・・・好きでも、その直前まで惜しみなく関わっていても、ある時捻れたみたいに自分がついて行けなくなる、そんなときが、あったりするんです。

リウ様にも、そんな瞬間が、来られるかもしれない。
もしかしたら、ないかもしれませんけど(笑)こればかりは人の人生、何を目指しているかで変わりますけれどね。

ずーっと仕事で乾いた感じを、他への思いで潤そうとした、糸子の飢えのような気持ちも、なんとなくわかります。
そして、それが、もう二度とないかもしれないかも、という寂しさも(笑)

たぶん「カーネーション」を見ていなかったら、私はそこで止まったかもしれません。
もうできない。もうダメだ。
でも糸子は違う。
いや、でも糸子と自分はそう違わないかもしれない。
全国で、同じように感じた人は結構いるんじゃないかと思います。それが、またそれぞれの人生を揺さぶって、新たなステージが見えてくる。
そんな感じがしました。

珍しく、いろんなことにチャレンジしてみたくなっています。特に、もう乗り遅れた、と思っていた部分で、できそうなことが見えてきました。
カーネーション効果です、間違いなく(笑)

投稿: samantha | 2012年3月 5日 (月) 01時00分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。 どうもコメント欄が錯綜して、どっちを先に返信しなければならないのかが、ちょっと混乱しております(笑)。

え~、このレビューのなかにも書いたのですが、私の生まれたのは昭和40年の3月ですcoldsweats01。 夏木マリサンの糸子誕生の日に、47歳になりました(ハハ…)。 ドラマも私の誕生日を寿いでくれてます(?)。

ですからまあ、老後、というのも、そんなに遠い先のことではございませんね。 このままの精神状態で老人になっちゃいそうなんですが(笑)。

私はsamantha様のハンドルネームから想像して、「奥さまは魔女」 にハマった世代のかたかなーなんて、勝手に考えております。 いや、エリザベス・モンゴメリーの歳じゃないですよ、念のためcoldsweats01

私はかなり早い段階から(たぶん中学生あたりから)、世間の流行にはとんと無頓着になりまして。

だからなにが流行っているからと、それに飛びつこうとか、焦ったりとか、まったくしたことがありません。

だから時代に乗り遅れるとか、あまり危機感をもったことがなくて(ニブい…)。

その思いはだんだんと堅固なものになっていって(笑)、高校あたりになると、世の軽薄短小という流れに、とても耐えられなくなっていまして。

ネクラよりネアカ。 そんな価値観がすごく嫌でした。
空っぽじゃん、みんな。 そう考えてばかりいました。

服装にしても、そういう格好をしていれば、自分が安心できる、というだけじゃないですか、流行って。

そんな生き方をしてると、自分が本当にいい、というものは、他人に押し付けられるものではない、という哲学みたいのが出来ちゃうもので。

だからsamantha様も、自分がいいと思うものだけでお暮しになっていけばいいのではないか、と思います。 自分の人生ですもの。

また大変失礼な上からの物言いで、恐縮至極です。

投稿: リウ | 2012年3月 5日 (月) 13時43分

リウ様

返信ありがとうございます。
念のため、申し上げますが(笑)
私は「奥様は魔女」をよく知らないのです。たぶんテレビでやっていましたが(本放送か、再放送かちょっとわからないのですが)、きちんと見た記憶がなく。
「ひょっこりひょうたん島」も怪しいです。
でも、「プリンプリン物語」ははまりました。
アニメオタクデビューは「宇宙戦艦ヤマト」です。でも、「マジンガーZ」は自分のなかでもトピックスに値するアニメです。


・・・と書いてみたら、たぶん、リウ様、ああああ~~、とおっしゃるんじゃないかと思います。ええ、ガンダムはファーストガンダム以外ガンダムと認めない、頑固なオタクですよ(笑)

samanthaは、自分が小説を書いていた時代に(いやあれは、純粋に小説ではなかったな、マンガと小説がごちゃ混ぜになってましたw)自分がもっていたキャラクターの名前で、一番人物描写が気に入っていたキャラです。samanthaは、sam、と略して呼んでもよかったので(もちろん女性ですよ)、それも気に入っていて。
久しく違うハンドルを使っていましたが、最近になって、男前ででもちょっぴり弱虫だったsamのことを思い出して、ハンドルとして使うようになりました。

いいと思うものだけ、で生きていけたら、それはそれでよいのですが、昨今その良かったモノがどんどん消滅していく、そんな寂しさってお感じになったことはありませんか。
たとえば、青春時代を彩るカセットテープを作っていた会社が倒産したり、
銀塩フィルムメーカーが倒産したり、
お気に入りの車を作っていた会社が左前になって他社に吸収されたり

そして出てきた新しいものに入れ込めない自分がいたりするのでもう何年も前から寂しかったりするんですよ。

周囲が「イイ」という価値観も、ホントに?どこが?なんで?と思うようなことが多くて、正直「空っぽヤン」と私も思います。もう10年近く前から。
それでも、自分のお気に入りのものを手元に、頑固にやっていますけど。

でも、これが10年後20年後、手元に置いておけるのかな、と思うと本当に寂しくなるときがあります。
お気に入りの車、10年後、維持できているかどうか。(まぁ、クラシックカーと思えば、できなくはないですけど)
その車で自分が楽しんできた日常がそのまま維持できるのかと言えば、ハイブリッドカーがでて来た昨今、たぶんそれはもうムリかな、とか。

そんな寂しさがあります。
きっと糸子にも。

だから、これから1ヶ月、72才からの糸子にすごく興味があります。彼女はどうやって乗り越えていったのかなぁと。なかなか、そういう話は、周囲とできませんし、出発は一緒でも、この年になると、みんなてんでバラバラな方向へ向かっている粒子みたいなもので、なかなかそういう感慨も共有できないんですよね。

ただ、「カーネーション」を見ていて、私自身は、まだ先に、もうちょっと期待できる自分がここにいるんじゃないかなって思えるようになったんです。
全然違う方面で、そういう思いを共有できたりする人たちと、であえるんじゃないかなぁって。

だから、リウ様には感謝しています。
リウ様も、私にとっては得難い方です。

ご無理のない範囲で、レビュー、続けてくださいね。楽しみにしていますので(^^)

投稿: samantha | 2012年3月 7日 (水) 09時53分

samantha様
レス下さり、ありがとうございます。

んんん~、samantha様のお歳がいくつなのか、ますます分からなくなってまいりました(ハハ…)。

なにしろ私、ガンダム世代じゃないんですよ(笑)。 確か中1か2くらいでこのアニメが始まった、と思うのですが、まずあの主題歌が受け付けなくて、ナレーションが波平だった、というのが次に受け付けなくて(笑)。 「ガキっぽい」、と思ってしまったんですね。

「プリンプリン物語」 も、もう自分の見る人形劇ではない感じでしたし。 「新八犬伝」 とか 「真田十勇士」 などの人形劇にハマっていた自分でしたから。 幼稚園の時には、「未来都市00なんとか」 とかいう人形劇もやっていた記憶があります。 samantha様が 「プリンプリン」 にハマっていた、と聞くと、えっ?いったいいくつなの?という気がしてしまうんですよ(いや、お答えいただかなくても結構ですがcoldsweats01)。

自分の場合、「宇宙戦艦ヤマト」 はリアルタイムで見た口でしたが(初回放映の視聴率は悲惨だったらしいですが)、その後映画化までに至る盛り上がりの時には、もう既に醒めた目で見ていた気がします(ジュリーの歌にはシビレましたが)。

こうして思い返してみると、かなり生意気なガキだったんですね、私。

マンガと小説がごちゃまぜ、の小説、ですか…。

私もマンガ家になりたいなぁ~などと思った時期がありましたが、いかんせんストーリーが思いつかなくて(笑)。

だからかもしれませんが、どんなドラマを見ていても、「よくこういう話を思いつくなァ」 というリスペクトは、常にある気はいたします。

でも、他人の作品に対して、世間というものを分かってないとか、人の心をもっと深く理解すべきだとか、厳しい目で見てしまう自分も、いっぽうではいるのです。 そのつど 「自分には出来ないのによく言うよ」 と自嘲したりします。

私は自分でも、かなりアナログな人間だと自負してます(笑)。

未だにカセットテープはよく使いますし(ストックがありすぎる、と言いますか)、レコードプレイヤーもポシャっても新しいのを、つい数年前に買ったりしました。

車のデザインは、数年前までは、進化し続けている、なんて感じたものですが、レジャービークルとかファミリーカーが一般化してきたら、退化してきた気はします。 ソアラとかレビンとか、最終モデルはカッコよかったなぁ…。

私だけの感じ方かもしれないのですが、生まれてくる前にあの世からこの世を見て、「こういう時代なら生まれてきたい」 と考えた時代に、人というのは生まれてくる気がいたします。

すると、時代というものはどんどん変わっていくので、だんだん自分がいいと思った価値観から、ずれていく。 いい時代だと思えるのは、せいぜい二十歳くらいまでなのかな、なんて感じています。

便利だ、と思えるようなことも多々ありますが、今の時代は自分が生まれてきたいと思った時代とちゃう、という気はいたします。 田舎にすっ込みたい時が時々ある(笑)。

ただ、人と出会うことに関しては、今ほど垣根がない時代もない、という気はするんですよ。 ここのブログでも。 まあ、バーチャルな側面があることは否定できないのですが。

小篠綾子サンも、この時代は生きにくい、と考えていたかもしれません。 でも自らコミュニティを立ち上げたり、人と人とのつながりのほうを重視していた気は、するのです。

いいものが駆逐されていく時代のなかで、「カーネーション」 では何をもっとも価値のあるものとしていくのか、という点でも、このドラマに期待してます。

…どうも話が 「カーネーション」 に行ってしまいますねcoldsweats01

投稿: リウ | 2012年3月 7日 (水) 16時29分

横から失礼いたします。

先日BSでほうえいされた「火の魚」、やっと録画を見終わりました。
素晴らしかったです。オノマチさん、ガチンコで原田さんと芝居していましたね。
あの媚びない感じが、とてもよかった。

脚本家さんは、育った家庭で、高齢者が身近にいらしたんでしょうね。いやらしさも、頑固さもよく知っている。
そしてそれに、愛情を持っている。
死ぬということも、彼女の体感したことなのでしょう。

>ほっとした
これは、病気と闘っている人の苦しみ、つらさが、死ぬことで解き放たれる。
苦しみも痛みもない世界に行った、
そのことにほっとしているのでは・・・・・と。
私、個人的な経験から思いました。

やさしい人ですね、八重子さん。

投稿: マーシー | 2012年3月 8日 (木) 17時34分

マーシー様
横でも後ろでも、レス歓迎です(笑)。 返信が大変遅れてしまいました。 申し訳ありません。

「火の魚」、ご覧になりましたか。
数年前のレビューでも書いたのですが、このドラマ、もともと室生犀星の小説だから、結構文学的な匂いがそこはかとなく漂ってくるんですよ。 でも、それを原田芳雄サンが、ぶっ壊している。 そこがこのドラマのカタルシスだと感じています。 ただ、今にして思うと、最後の原田サンの雄叫びは、最期は病気で思うように吸えなかったであろう煙草への思いを感じさせます(時系列的に適当ではありませんが)。 亡くなってあの世に行って、思う存分煙草を吸っていらっしゃることと思います。

そしてその原田サンに対抗して、この原作の文学的な匂いを死守しようとしていたのが、尾野サンだった気がするのです。

老人のわがままで、ポップに攻めてくる原田サンに対して、正攻法で応戦する。
このドラマの緊張感は、そこから生まれていると感じます。

特に金魚を魚拓にするシーンは、エロティシズムまで感じました。

現代編では、八重子さんまで亡くなってしまったらしい?ですね(違うのかな?)。
さて今週はどういうレビューになりますことやら。 乞うご期待confident

投稿: リウ | 2012年3月 9日 (金) 12時59分

第21週です。
今回はリウ様の見解と90度ぐらい違うかも…(汗。

前にも、この時の糸子の言動に否定的コメントを記しましたが再見すると「やはり…」です。善作をぶった斬った場面の回想で孫を睨みつけたハルさんの動きがカットされています。この作品が意味も無く、このような編集をするハズも無く「分かっちゃりて」発言も含めて善作が抱える苦悩、表に出すことが出来なかった弱さを理解していた祖母の言動が糸子の記憶から締め出されている。転じて父の怖い所やカッコいい所にばかり目がいっている糸子の考える引退劇が「善作の模倣」というカラクリを忍ばせている。(これを前フリとする事で終盤の糸子の行動が際立つのですが、それはまたいずれ)まさに超一級品の茶番劇。従って玉枝さんの所でビービー泣いている場面こそ本領というか、糸子の柄の悪い態度は泣きたい本音を誤魔化し母親の威厳を保とうとする強がりに見えて私は逆に愛らしい。思えば善作にも、そういう所はありました。ブサイクな玉砕で逆に糸子はお父ちゃんに一歩近づいたような気がします(笑。

優子&北村は5年前のリベンジ?というか10年前にも、この二人で鬼のオカン対策会議を開いていました(これが実は重要)。「中途半端な気持ちで仕事をするのは許さん」という考えで唐突に美大受験に糸子は反対した、その因果が回ってきている。見比べてみると映像の演出が凄いです…。
10年前、千代さんに慰められる優子は部屋の暗がりの中で泣いていました。今回の千代さんの前で泣き崩れた場面では部屋全体が明るい。あの頃は母の真意を理解できなかった優子が今はその想いを真剣に受け止め実践するために、母の期待を裏切らなければいけないという矛盾にまで目を向けている、その視野の広がりを示しています。
ただ因果が回ったのは優子も同じ。「褒めてほしいんやない。認めてほしいんや」その言葉がこれほどの苦味を伴う事になるとは優子自身も予想しなかったでしょう。あの言葉は聞いていたのは北村。「本気の所、見せちゃれよ」と言ったのも北村。まだ迷いのあった優子に対して、最後の一押しをしたのではないでしょうか。引退劇を土壇場で引っくり返すため視点を糸子に絞っていますが、第18週に伏線はちゃんとあったわけですね。

後、直子に関しても書く事があるのですが、
ちょっと取り止めが無くなってしまうので
後日、追記予定です。

投稿: 巨炎 | 2012年10月 3日 (水) 20時38分

巨炎様
ますます冴えわたっていると感じます、巨炎様のコメント。
体が本調子でないことを言い訳に、お茶を濁して逃げようとしている私です(笑)。

玉枝に甘えていた糸子こそ本領発揮、という部分では、なるほど善作も千代に 「どうしてこれほどまでに?」 といぶかるくらい甘えた調子で 「糸子には心の底から失望した」、と泣きついてましたっけ(笑)。

ただまあ、親というもの、どこまでも子供よりも上の目線でいなければならないプレッシャーというものは、常にあるように感じるんですよ。

でも人間ですから、その頑張りが、途切れてしまうこともある。

前作にとっての千代にしろ糸子にとっての玉枝にしろ、そんなときに受け皿になってくれる人がいる、ということは、とても大切だ感じます。

ふと、中学校時代に生徒たちの前で子供みたいに泣いてしまった先生のことを思い出しました。
やっぱり大人を演じ続ける、ということは、とてもしんどい時もあるかな、と感じるのです。

優子のまわりの光の加減まで考察されてしまうと、こちらとしてもお手上げです(笑)。 優子の悩みにしても、前と同じにはけっしてしない。 ひとりの人間が確実に成長しているところをきちんと見せていることが、このドラマの言われもない説得力の源となっている気がします。

これは北村に関しても同様で。

登場人物が、ひとりも余すところなく、歳を積み重ねているのが見えるんですよね。

ある人はどこかで時間が止まり、ある人は巨大に成長し続ける。

たとえば木之元のおっちゃんも、アメリカ商会などというところまでは 「変わっていく」 ということに貪欲だった気がするのですが、そこから先は歩みが止まってしまう。

でも、人はそれぞれ、立ち止まるところが違うと思うし、死ぬまで前進し続ける人もいる。

そこらへんの作り手の俯瞰的な人間観察がとても優れている、と感じるのです。

投稿: リウ | 2012年10月 4日 (木) 08時36分

第21週コメント後半です。

>善作も千代に甘えた調子で泣きついてましたっけ
この一件の前までは善作も綺麗な引継ぎを
考えていたような気もしますね…。

糸子の言動にノイズが混じる一方で秀逸だったのが姉妹描写。聡子に交互にアドバイスする所で二人が実績に基づいたスタンスが固まってきた事、引退を模索する糸子と並行して険悪度を増してくのは袂を分かって次のステップに進む時期が来ている事を示唆しています。これを裏付けるのがレビューでも指摘されている「お客と従業員への責任」という糸子と優子に同じ台詞を使う所。
生真面目ゆえにふんぎりがつけられない姉の性格を知るからこそ直子が話を吹っかけた。北村の後から部屋に入る所で決意を固めた表情のアップ、「アンタの方が売り上げが上や」と言った後に涙まで流す。この二人の間に「謙遜は美徳」等という言葉は存在しません。絶対に負けたくない相手の方が上と自ら口にする。その屈辱と向き合って前に進む…、これは第20週で糸子に意見していく優子と全く同じです。
優子が直子を助けに上京したように、今度は直子が優子を送り出そうとしている。優子にしても、直子が求める理想には東京が土俵でなければいけない事を知っていますから、妹が心斎橋の物件を殊更に語る真意に気付くの事は可能です(優子が挑発に乗ってこないのは直子としては最悪のケース)。
冷静さを取り戻して東京を去る優子の表情には全てではないにせよ妹の心情を理解している様子が、最後まで顔を合わさない直子には汚れ役に徹する潔さと姉は解ってくれるというほんの少しの甘えが表現されていて素晴らしかった。
糸子のサクセスストーリーだった最初の8週のさらに半分の尺で他作品の兄弟姉妹を上回る機微を圧倒的密度で描き出していくのには舌を巻くしかありません。ホント、この二人を主人公にして「カーネーション」外伝を作ってくれないかなぁ(笑。

前半は親子喧嘩、後半は姉妹喧嘩が定番になっていましたが裏を返せば、それだけコミュニケーションを重ねて互いの性格を肌で理解しているという事。糸子視点だけで物語を追うと見落としてしまうのですが、主人公が第18週で優子の覚悟の無さを見抜くのも、第20週で直子の理想を理解するのも次の回の直子と優子の言動を見ると「お母ちゃん、今更、何言ってるんや?」という底意地の悪いオチがついてくるのです。
一方で北村詐欺事件で優子が母が真剣に仕事に打ち込み、店を守ってきた事を理解する場面には「この時点でも、そこまで」という仕掛けがあります。その先にあった優しい(と、優子が勝手に思い込んでいる)お爺ちゃんとの間で交わされた壮絶な経緯までは知らない。優子では糸子ほどに看板に重みを感じる事が出来ず、むしろ家業を継いでは直子に対抗する力を磨けないという想いの方が強い。
状況を整理すると、当初は母を挟んでいがみ合っていた優子と直子が両想いのライバル関係を構築して走り出しているのに、糸子が見ているのは娘達より善作で、しかもこの時期は片想いに近い。これは勝負になりません…。
直子が物件を押さえて姉を挑発するだけで場を収めたのに対して、あれこれ考えた挙句に本当は誰に負けたかも知らずに泣いている糸子(物件の事は最初に直子と話していたのに!)。むしろ直ちゃん、生涯最大のクリーンヒット?しかも才能とかキャリアとか全く関係の無い所で勝ちを決めた。「岸和田から見守られても迷惑」という伝言は伝わらなかったのに、その通りに姉を動かしてしまいました。「一発、どついちゃって」発言は糸子経由で自分に戻ってきたけどね(笑。

今回は糸子をボロカスに書いてるような気もしますが聡子の指導を通じて価値観とセンスの鍛え直しは終了したと思います。北村を4人で取り囲む場面は3人(聡子は結局、緩衝材みたいなものかな?)が一列に並んだ事を示す演出で三姉妹編は事実上、ここで一区切りといった感じでしょうか。

投稿: 巨炎 | 2012年10月 7日 (日) 15時05分

巨炎様
巨炎様の考察が鋭すぎて、ちょっと返信がお手上げ状態になって参りました(爆)。 なにしろ手元にこのドラマの録画したものがちょっとも残っていないことは致命的です。 ですのでとても上っ面的な返信になってしまうことをお許しください。

糸子と娘たちの人生レースというのは、互いに向き合っている方向が違いながら、求めあっている方向が交差している、そんなスリリングな面白さというものが、夏木糸子編の最期の最期まで、確かにあった、と思うのです。

世界的な有名デザイナーになってしまった夏木編の三姉妹たちにとって、どこまでもお母ちゃんというのは追い越せない存在である、ということを、優子たちが仕事をするようになってから丹念に、しかも限りなくスリム化して見せてきたことを、巨炎様のコメントを読んでいてあらためて感じました。

今回始まった 「純と愛」 も、セリフの容量が過多なこととか、かなり優れたドラマの匂いを漂わせているように感じるのですが、「カーネーション」 は違う。
格が違う。

思いっきり削ぎ落とした末のせめぎ合いだから、別にセリフが過多でなくとも画面全体が状況を物語っているし、出てくる俳優たちの表情ひとつで察しがついてしまうんですね。

このクオリティは、もはや朝ドラには望めない、と感じます。

だってこんなに巨炎様みたいに、細かい考察が可能なのですから。

とても上っ面な、知ったようなコメントで申し訳ありません。 でも巨炎様のコメントを読んでいると、けっしていいとこばっかり描写していなかったこのドラマの潔さがとてもよく分かるし、その情報量のあまりの多さに卒倒したくなってくるのです…。

投稿: リウ | 2012年10月 7日 (日) 18時59分

体罰がどうとか善ちゃんがどうとかの意見が
出たので、やはり思い出してしまった本作。
糸子は「自分はお父ちゃんに鍛えられた」という
意識があるのに対して、晩年編前半の優子には
妹との切磋琢磨や千代さんや北村のフォローの
おかげという気持ちの方が強いのがわかります。

三姉妹の中で糸子ジュニアに最も相応しいのは
殆どの人が「直子」と応えると思いますが
ストーリー的には優子なのですよね。
学生自体からスタート、
⇒進路を親に反対される
⇒東京の恩師に傾倒
⇒初めてのお客さんで失敗して怒られる
⇒外の店を繁盛させる
⇒親のプライドを傷つけながら自分の店を持つ
⇒30代半ばで男と別れる…と。
ここにリピート感が無いのは妹との関係性を
含めた優子の個性には糸子と相反する要素が多く
全く違うドラマが生まれる所にあるでしょうか。

「カーネーション」を「ゴッドファーザー」に
例えれば糸子が善作の後をついで店主となり
世間と一通りの軋轢を体験するまでが「Ⅰ」で
三姉妹編が「Ⅱ」、晩年編は「Ⅲ」に該当しますが
「Ⅱ」の頃のマイケルに該当するのは、むしろ優子。
裸一貫でのし上がってきた偉大な親に劣等感を
抱きながらもファミリーを拡大させていく。

直子は実は「優子のライバル」といった
意味合いの方が強いようにも見えてきます。
驚くのは善作と糸子では世代間ギャップを交えた
似た者同士の意地の張り合いが頻発したのに
糸子と直子の間にはそれが全く無い。この時期、
似た者同士は優子対直子、世代間ギャップは糸子対優子。
むしろ糸子は三人の中でも特に直子に無関心?
「あのへそ曲がりがウチの言う事なんぞ聞くか」
「アレは言うても直らん」等等。

三人の真ん中は辛いねぇ…。そりゃ直ちゃん、
お婆ちゃんに甘えるか、姉ちゃんにつっかかるしかない。

投稿: 巨炎 | 2013年2月13日 (水) 16時35分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

思わぬところで 「カーネ」 熱が再発してしまいましたが(笑)善チャンのボーリョク体質というのは、女系家族には受け継がれなかったみたいですよね。 善チャンが死んでからは、暴力描写というのはちょっと記憶がない。

ただその気質というものにおいては、直子がいちばん受け継いでいますね。 それはやはり、善チャンが優子を猫かわいがりしていた対抗心が源流にあるのかな。

もともと生まれたときから聞かん坊でしたからね、直子って(笑)。 旦那のお兄さんだったかに一時預けられたのは、直子のほうでしたか(ああもう記憶が曖昧…笑)。 あのときは、糸子が忙しい忙しいで親としてどーなの?なんて思っていましたが、あれは直子の、姉に対する理由のない反発心の原点だったのかもしれません。

善チャンよりも、祖母の千代の影響を性格的にいちばん受け継いでいたのが、聡子ということになるでしょうか。

ただつらつら思うに、聡子には善チャンの 「負けん気」 という血が流れているような気がします。

だいたいテニスの全日本で一位になるくらいですもん、負けん気がなければそうそうはそこまで上りつめないって思う。
そんな栄光を手にしたのに、母親と姉ふたりに対して羨望の眼差しを持っていた、ということは、これも善チャン譲りの負けん気だったのでは。

体罰問題というのがかしましい昨今ですが、要はそのとき以外にきちんと意思の疎通が図られているかどうか、だと思います。 ただぶん殴られたのでは、糸子だってグレただろうし(笑)。

そして 「何くそ!」 と思う気持ちは、脈々と受け継がれていく。

人を成長させるエッセンスのひとつには、「対抗心」 というものも密接にかかわっている気がするのです。

投稿: リウ | 2013年2月14日 (木) 13時07分

久方ぶりに思いつき感想

>糸子にとっては耐えがたい、屈辱
>自分の人生、こんなもんか
つまり、店が繁盛していない中、苦労して通わせてやった女学校を「働きたいから辞める」と言われた善作の心境な訳ですね。糸子の方がスケールでかいあたりが晩年に向けての布石(笑。

上のコメントで優子が糸子の若い頃をなぞっていると書いてますが糸子がそれに併せて善作の心境にあるかといえば、美大受験に反対した因果で独立を宣言されるまでタイムラグ(三姉妹編全部!)がある。これは糸子と優子のスタンスの違い、特に親とのパワーバランスの差なんですね。

糸子は子供時分から度胸と機転に「お父ちゃんより商売に向いとる」と太鼓判を押され、次週には善作の掌から飛び出していきそうな勢いでした。
対して「絵が上手い」と褒められた優子は美大進学に反対されると抗う程の気迫も無く、直子の台頭で才能も色褪せてしまう。この状況を何とか抜け出し妹を助けるため母に上京を意見するシーン。糸子が席を立った後に優子が震えているのが「細かいなぁ…」と思ったのですが、コレ「怖かったけど1回(←北村詐欺事件直前の親子喧嘩)言えたら2回目も言える」を示しています。優子が社会人として一山越えた後の心境を糸子は社会に出る前に既に通過しているのは、やはり凄い。

ただ親の視点で見ればどうか?善作が序盤から直面していた「自分の思惑を超えていく娘に己のアイデンティティまで脅かされる」程の経験がここまで糸子に全くない。オールドタイマー化を悩んではいるけど苦悩の本質的レベルが違った。
この時期、優子と直子の対比で経験の大切さと才能に依存しすぎる危険性が描かれていましたが善作と糸子の対比のテンプレにもなっていたのではないかと。

>糸子が自分の敗北を認め、そこから出発する
>ことに、この物語の作り手の主眼がある。
まさに看板を見上げてゴールに到達したつもりが
まだスタートラインだったというオチ(笑。

投稿: 巨炎 | 2014年1月14日 (火) 22時05分

しかし面白い(?)のは最も母を脅かす存在に
なるかと思った直子を糸子は終始、放置していた事。
「あのへそ曲りがウチの言う事なんか聞くか」
「ここが勉強のしどころやし」
「あれは言うても直らん」

>糸子が忙しい忙しいで親としてどーなの?
>あれは直子の、姉に対する理由のない反発心の原点
で、優子を可愛がる善作には糸子は
「放って置いて鍛えたらなアカン」と自分が
育てられた体験談的な事を意見しているわけ
ですが本人は仕事にかまけての直子放置。

糸子が善作流のほったらかしを実践できたのは
孫の里香に対しての時と思うのです。
だから直子は「何が可哀相や!」と言う。
東京ショーで姉に対するコンプレックスを克服した
様を見せていたのが、ちゃんと前フリになっていて
三姉妹編の頃と同じ台詞でも感情の矛先が
優子から糸子にシフトしている。つまり「ウチの事なんか
姉ちゃんや聡子よりほったらかしやったやないか!」と。

投稿: 巨炎 | 2014年1月14日 (火) 22時18分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

まず最初に、「ごちそうさん」 のレビューですが、執筆中とか言っといて、完成しないままに今週がスタート(笑)。 スタートしてしまうとどうにもマヌケ感が抜けなくなり(笑)結局お蔵入りかなァ…(ハハ…)。 ただどこかでこれは生かしてやろう、とは思っています。

その、お蔵入りした 「ごちそうさん」 先週分のレビューに書いたんですが、娘のふ久が生まれて8年くらいのブランクがあるのに、状況が変化しただけで、作者自身にもその8年の意識がすっぽり抜けている、だからめ以子が、ふ久の問題行動にあれだけ狼狽するのだ、と。

それに比べるとですよ、この 「カーネ」。

「カーネ」 と比べることはどんなドラマであろうとご法度だ、という禁を、ここで犯してしまいますよ(笑)。

この週、聡子がデザイン画のまる写し(笑)を始めて、すっごく無造作に1年たっちゃってましたよね。

でもその1年で、糸子のモードに対する凝り固まった考えは、かなり柔軟になってきていた。 聡子は1年間デザイン画を描いてただけだけど、そこで自らの才能が上の姉二人とは違う方向に開花しつつあった。

それに比べりゃめ以子は、3人の子持ちになったのに8年一日のごとくなにも変わらんし、相変わらずバカのようで利口だし。 人間的になにも成長してない。

いや、してないのは別にいいんですよ。 コシノ一家みたいに互いが切磋琢磨するような環境じゃないですからね。

しかし、いくら忙しくても、糸子は娘たちのことをよーく見ていた。 め以子はたいして忙しくもないのに、ふ久のことを 「いくら私がおいしいもんを与えても、『分からん』 としか反応しない変わった子」 くらいの認識でしかないから、ふ久の異常行動に過剰反応してしまう、と思うんですよ。

いや、もう、もともとの話の設定からしてその程度でしかないから、これは仕方ないんですけど。

すごく簡単に言ってしまえば、「いくら自分が忙しくても、自分の子供がどういう人間なのかどうかは、分かるやろ」、と。

ふ久の本質が正蔵に預けたらすぐに判明、というのも、「登場人物を」 バカにした話で。 つまりおじいちゃんもおばあちゃんも、8年間も自分の孫のどこを見ていたのか、という話なんですよ。

あ~、ほらね(笑)。

すべてがこの調子だから、最近ドラマのレビューに対して熱がこもってこないんですよ、私。

「カーネ」 と比べたらアカン、と頭では分かっているのですが、とにかくなんか、ドラマのアラが見えて仕方がない。

この週のお話を、巨炎様からコメントをいただいてまた読み返したのですが(巨炎様のように物理的に視聴し直すことが出来ないのがつくづく残念です)、この糸子と娘たちの関係を想起させることが、最近ありました。

それは、ポール・マッカートニーが出した最新作が、現代のミュージック・シーンと対峙する、という意識の上に立っている、ということで。

このことは当ブログの、ポールの新作アルバムのことについて書いた記事に詳しいのですが、ポールの孫みたいな年の娘が、いまティーンエイジャーになって、いまの音楽の流行に晒されるようになったことで、ポールにもそれへの対抗心が生まれた、ということで。

まったくこれは、この週の糸子の対抗心を、そのままトレースするような話ではないですか。

だからいちいち深い、というんですよ、このドラマは。

ただ、巨炎様のコメントに返信するには、「カーネ」 の場合かなりの労力を要してしまうので(爆)、たま~にしてくださいね、たま~に(ハハ…)。

投稿: リウ | 2014年1月15日 (水) 13時17分

再放送の三姉妹編も佳境ですが、やはり凄い。

>机に向かって勉強するのが耐えられない、と(笑)
>当然糸子の怒りは爆発するのですが、
ここで糸子は
「最初の基礎っちゅうのは机に座って勉強するもんなんや!」
と言うのですが自分の女学校中退を棚上げ。実は、これ中退を許可してパッチ屋修行に送り出してくれた善作のウケウリなんですね。彼は学校の勉強=基礎と学校の外の勉強=経験の両方が大事だと述べていました。糸子自身の基本は根岸先生に仕込まれましたが一週間で仕上げるため実地主体。この辺は、さすが教えのプロ。デザイン画のノルマを聡子に課す辺りに影響が見え、糸子自身の自分自身を基本から鍛え直した。

糸子自身の経験に基づく部分だけが血肉になっていて上手く次の世代に伝わり、経験なしで善ちゃんを真似た部分は空回りや失敗に終わる終盤までの布石が既に示されている。

投稿: 巨炎 | 2014年8月20日 (水) 21時52分

で、善作の教えを最も実践しているのはやはり優子。

「あんたの色っちゅうもんを、自分で見つけていかなあかん。…それがいちばん大変なんや」
優子自身が学生時代に直子に突き付けられた屈辱と向き合ってきたからこその言葉。…なんですが優子がこの問題をクリアするのに放映期間で2週間、劇中で4~5年かかっているのに聡子も直子もそこまで苦労していない。前半の糸子なんて数日ですよ(笑。

優子がデキが良く見えるのは努力の積み重ねの賜物で才能に関しては劣等生。糸子が最強の長女なら優子は最弱。リウ様も第19週土曜日分を録画できていたなら第5週火曜日分の「デザイン、見せてみぃ」を見比べてみてください。
デザインを完成させ朝を迎えた(=開眼した)糸子に対して、暗がりの中で何度もデザインを描き直している優子。しかも糸子と善作の目線が対等なのに対して畳に殆ど、うつ伏せの優子を糸子は立って見下ろしている。それだけ親子間で力量差があった。ただ畳に散乱したデザイン画に象徴される基礎や基本を重視するスタンス。糸子が善作の教えを時に言葉だけで語ってしまう部分を才が無い故に肌で理解していて、糸子が聡子に課したデザイン画練習の意味もすぐ了解しました。 

投稿: 巨炎 | 2014年8月20日 (水) 22時06分

この時の善作の「同じ糸のモンやさかい」は、百貨店への売り込み名参謀ぶりをみても伊達ではありませんでした。根岸先生との出会いで洋服へのコンプレックスを克服するとそれだけの事が出来るのは生地に関する基本や基礎が出来ていたから。

優子も洋裁学校で講師の誘いがあるくらい基本が出来ているからこそ直子の才能が理解でき、それ故に恐れていましたがコンプレックスを克服した後は、その長所を自分の中に取り入れ大きく飛躍した。

で、明日の第119回になりますが直子が大阪の物件を詳細に語り「アンタの売り上げの方が上や!!」叫んだカット。これは第11回で清三郎が善作に対して「姫路の工場、紹介したるわ」と述べたシーンが被ります(机のアングルや貞子、北村と中立者を挟む配置)。
糸子の商才は清三郎譲りであり、善作は娘に対する愛情と天敵の分身に対する脅威という矛盾した感情を抱かざるを得なかった。優子も最も母親似な妹に姉の立場を脅かされる脅威にさらされてきました。
しかし圧倒的な勝ち組として純白のスーツを纏っていた清三郎の位置にいる直子の服が漆黒。黒地の上着を纏い、しょぼくれていた善作の位置にいる優子の上着が白地。善作のスタンスが「持つ者」の才能に競り勝った瞬間です。

だからこそ自分の敗北に真剣に向き合おうとする直子の姿にも心打たれるわけですが。

投稿: 巨炎 | 2014年8月20日 (水) 22時17分

巨炎様
返信不可能な長文のコメントいただき、ありがとうございます(爆)。

なんつーか、もうワンカットワンカットに意味があり過ぎる。 巨炎様が深読みできるシーンの連続ですね。 こんなの見たら、「あまちゃん」 でさえ霞んでしまいます。 「あまちゃん」 は結構出たとこ任せのようでありながら、作り手の思想をそこかしこに感じられるかなりの秀作でした。

なのに、「カーネ」 はその何層も上の雲の上にいる。

「ゲゲゲの女房」 も、「カーネ」 に比べれば実に牧歌的だと言わざるを得ません。
唯一対峙できそうなのが、「ちりとてちん」。 これは落語の知識がなければなるほどヒザポンになかなかならないきらいはございますが、みな女性脚本家、というのは不思議な共通点です。

巨炎様の広大な議論にこういう形でしか返信できないのは誠に遺憾ではございますが、「カーネ」 の物語が秀逸なのは、視点がミクロとマクロの両方に立脚している、という点にあるような気がいたします。

この週でも、糸子がこだわっている 「引き際」 というものが、実は父親の善作に対する狭義でのコンプレックスの上に成り立っている。 ファザコンの一種みたいな(笑)。 糸子は、父親のように引退したくてジリジリしているわけですよ。

でも、広義で考えると、「人は誰かのマネをしては生きられない。 なぜなら自分はほかの誰でもない、自分なのだから」 というモノの理を説き表わそうとしている。

糸子には祖父の血を受け継いだところがあって、善作は糸子の後ろに、舅を見ていた。 この巨炎様の論理には脱帽です。
つまり、広義でも狭義でも、論じることが出来るしなやかさを、このドラマは有している。

「花子とアン」 も、これには遠く及ばないまでも、最初のうちはかなり期待したんですが…(笑)。

投稿: リウ | 2014年8月21日 (木) 11時48分

「ゲゲゲ」が朝ドラとして標準的だとは思いますが(笑。
「ちりとて」も台詞とナレが情報の中心という
辺りはまだ朝ドラの範疇だったでしょうか。

「カーネ」は台詞の外に示される感情の機微やパーソナリティが形成する大河的本流が肝心でしたからね。それでも周防編までは、まだ役者が脚本の隙間を埋めている形。しかし以後は、そこに至るまでの伏線を踏み台にして多層的流れを形成。特に三姉妹編はフィールドが屋内セットに限定されている分、室内劇としてのクオリティが全体で見ても抜きん出ているでしょうか。

>糸子は父親のように引退したくてジリジリしている。
これも、看板を見上げる直前のカットとか(笑。
アングルを引いて糸子の全身を映しセット感も強調している。カッコよく引退するため小さく纏まろうとしている事や、この引退劇が善作の模倣という事が示されている。更には、これが東京から戻ってきて優子が里恵を伴って商店街を歩く場面と対比になってます。

投稿: 巨炎 | 2014年8月25日 (月) 22時34分

これ先のコメで述べた直子まで遡りますが。

直子も前半のような、ただの怖いもの知らずではない。母が二十歳過ぎからしていた事が自分にも出来るなど思い上がりだった事も、姉に助けられてきた事も理解しているはずです。実績を積んで自信を取り戻したとはいえ怖さが無いといえば嘘になる。しかし…

北村「オカンともオネエともいつか戦う事になるかもしれんぞ」
直子「その方がオモロイ」

これが既に伏線。決別を宣言する場面で直子の横顔を見やる北村のカット。一人ぼっちでビラ配りして途方に暮れていた時のBGMを被せていく演出はもう反則です。あの時、優子が抱いていた里恵が直子にとっての自己投影の対照(彼女は姪をここで初めて見た)。その里恵が抱っこからオンブを経て独り歩きできるようになり最後に直子の所から優子の所に走っていく。姉に精神面で依存していた直子の自立と、妹の気持ちを受け止められる器量を身に着けた優子の成長。で、前述のカット。

ここで前を行く里恵に手を引っ張られるような形で優子は歩いている。糸子以上に上昇志向の強い直子の真剣な想いが優子を突き動かし、精神面で停滞している糸子を抜き去っていく様が描かれています。
娘達一人一人では勝てない所はさすが主人公。優子は才も覇気も足りない。直子は足元、スッカスカ。描かれ方はライバルとの友情を糧に戦う主人公に倒されるラスボスですが(笑。

実際、最終回の走馬灯EDに三姉妹編のカットは無いし、この時期の糸子が主人公としていかにアホで駄目かを理解していれば晩年編で静かなカタルシスが得られます。この時期の直子の気持ちがブランド立ち上げの際の糸子の気持ちのテンプレにもなってますし。ちなみに、その時の直子、
「オモロう無くてもええやん。72やで」
誰にでも初心を忘れやすいお年頃ってあるんですねぇ。

投稿: 巨炎 | 2014年8月25日 (月) 22時48分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

もう、「カーネマスター」 の称号を巨炎様には授与いたしますよhappy02。 中途半端な返信では、巨炎様のだんじりに振り落とされてしまいます(笑)。

ただ、「ゲゲゲ」 は朝ドラとして、話の隅々にまで気を配っている点で、傑作の部類に入る、と思いますよ。

まあ、私も朝ドラに関しては素人ですから、標準的な朝ドラがどういうものなのか、という判断はつきかねますが。

ここ数年見てきた限りでは、「おひさま」 あたりが標準的な出来のような気はいたします。

「カーネ」 のBGMについてですが。

こないだ、聡子が 「もうさみしい」 とつぶやく回をダビングのついでにたまたま見直したのですが、そこに至るまで、聡子が全国大会で優勝し、町内のみんなに祝福されている場面から、もうすでに物悲しいBGMになっていました。 みんなにもみくちゃにされながら、聡子はそそくさとその場を離れていく糸子に釘付けなんですよ。

もう、そこから泣けてくる(笑)。 BGMもものすごく考えてるな、とそのとき思いました。

巨炎様のようにマクロでBGMのことを考察できないのはもどかしいですが、いかにこのドラマがほかの朝ドラより、いや、ほかのすべてのドラマより群を抜いているかを、巨炎様があらためて証明してくださるような気がいたします。

投稿: リウ | 2014年8月26日 (火) 10時57分

ああ、聡子もそうですね。
表面的な描写とは逆の心境を示す演出。

ただ私は聡子の印象は優子や直子に比べると弱い。
これは聡子が本心を糸子の前で直接、語るため
「主人公の娘」の範疇にキャラが留まってしまうことによるのですが。

優子でいえば「どうせウチには直子ほどの才能も無い!店に出たかて迷惑ばかりかける!」と叫んだ場面で用いられるBGM。これは善作が第2週で清三郎に丸裸にされたり第7週で看板を下ろす場面の編曲が用いられています。小原家において前半は糸子一人が「持つ者」なのに対して、後半は優子一人が「持たざる者」。

優等生に見える優子が実は劣等生である事や、一番寂しがりやなのは聡子ではなく直子な事は糸子の視点や語りの外の描写に込められた情報を「線」で捉えていかなければ見えてきませんが、それを理解できれば逆に糸子が踏み込めない部分を持った独立した個性としての存在感が際立ちます。
これも結局、テンプレは前半の善作なのですが。

投稿: 巨炎 | 2014年8月31日 (日) 19時29分

これは以前にも少し書いたように
「ペリーヌ物語」を手掛けた宮崎晃氏の次回作
「トム・ソーヤーの冒険」を参考にしたのかも。

トムがGFのベッキーと痴話喧嘩した挙句、
親友である浮浪児のハックや同級生のベンを伴い
ミシシッピー川の中州の島に家出をします。
で、自分達の葬式が行われている中で
ヌケヌケ(笑)と帰ってくるのですが
トムとベンは喜んで迎えられながらハックはシカト。
ここで原作でトムが「ハックの事も喜んであげてよ」
と言うのですがアニメで宮崎氏は言わさない。
ハックが家族に迎えられたトムを遠巻きに眺め
独りで自分の小屋に戻っていく様をただ映していく。
またベッキーを伴い三人で釣りに出かけて場面では
トムが席を外した場面でハックはベッキーに
「村の嫌われ者になっても仕方ないのにトムの親友という事で皆、俺の友達になってくれる」
と語りますが、これはハックに『自分はトムの影』
という意識の裏返し。トム自身はハックに対して
上から目線で同情したりしないし
自由気ままなハックを羨ましく思いながら
そのために村の大人達に嫌われている事を心配し
両者を仲介できないか色々と考えていました。
それでも主役のトムに理解しきれない踏み込めない
領域がある事を宮崎氏は上手く表現していました。

http://i.imgur.com/l3yvP9J.jpg?

これが善作の描写に極めて近い。
糸子は善作が清三郎に「これからは洋服の時代」と
宣告された事も、根岸先生に土下座する過程で
その現実と向き合った事も全く知らない。

私も世界名作劇場最高傑作は「ペリーヌ物語」と
考えますが子供から大人までなら
「トム・ソーヤーの冒険」がお勧めに思えます。
子供はトムのワンパクぶりを単純に楽しめ、
大人は原作よりも深みを増したハックや
インジャン・ジョーの描写に惹かれる内容。
これは糸子のサクセスストーリーの傍らで
善作の悲哀を描いていく「カーネーション」
前半の内容にも通じると思うのです。

投稿: 巨炎 | 2014年8月31日 (日) 19時49分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 相変わらずレスポンスが悪く、申し訳ございません。

世界名作劇場は、「赤毛のアン」 で卒業したためにその後についてはとんとわからないのですが、「ペリーヌ物語」 が最高傑作、という巨炎様の評価にはちょっと胸をなでおろしたような気がいたします。 なにしろ私、あの作品には思い入れが強いものですから。

世間的には 「母をたずねて」 とか 「ハイジ」 のインパクトが強すぎて、「世界名作劇場と言えばコレ」、という風潮がありますよね。 確かにあの作品がのちのジブリ作品が世間に受け入れられる素地を作った、とも言えるのですが、ただ自分的には初期の宮崎駿作品は、「マルコやクララがSFやってるぞ」、という違和感がどうしても付きまとったものです。 「カリ城」 も 「ラピュタ」 も、ロードショウ当時興行的には失敗の部類だったのは、やはりそういう違和感を抱いた人が多かったのではないか、という気がいたします。

「ペリーヌ物語」 に関しては、どうしてもアルプス越えまではなんとなく話がつまんない、という弱点があるようにも思われますが、あらためて見直すとそのひとつひとつのエピソードがペリーヌ自身の人格とか行動パターンの学習の場になっている気がします。 あだや疎かにできないんですね。

注目したいのは、ペリーヌは誰とも壁を作らない極めて親しみやすいキャラでありながら、いっぽうですごく自立心が強い、その部分。 おひとり様でも全く平気なんですよ。 こういう 「ひとり上手」 な部分に当時の自分が共感したところは否めません。

まあ、ペリーヌにはバロンという、孤独を中和する役割を担う存在がいたことは確かなのですが。

「カーネーション」 には 「ペリーヌ物語」 からの引用はない気がいたしますが、いちばん決定的なのは、「ペリーヌ物語」 には父性が欠如している、という点でしょうか。 物語は父のエドモンが亡くなってから数日後から始まっているから仕方がないのですが、エドモンの影というものは、物語の構成上、徐々に巨大化してくる。 なにしろ、ビルフランの頑なな心を溶かすために、母マリの全人格的な教育がモノを言っていくのですが、それを後押ししていくのが、エドモンに対するビルフランの複雑な 「思い」 になっている。

私、未だにペリーヌの 「心の恋人」 です(笑)。

投稿: リウ | 2014年9月 3日 (水) 12時53分

「ペリーヌ物語」

>アルプス越えまではなんとなく話がつまんない
まあ原作はアルプス超えてからの所からだし。
「カーネ」で言えばスタート時点で糸子はもう
洋装店の店主で戦争で雲行きが怪しくなっている頃。

>父のエドモンが亡くなって数日後から始まっている
コレ、凄いタイミングなんですね。
普通は冒頭のお涙頂戴イベントで視聴者を引き込むのに
それを微妙にずらしているし、父の死で生活環境が
変化したわけでもない。ところが後になると
「ペリーヌが肉親の死を悲しむ」場面がマリさんに
「エドモンの死を泣かしむ」場面がビルフランに
絞られながら祖父の悲しみを共有しながら
それを乗り越えて支えられる強さを身に着けてきた
ペリーヌというラインが浮かび上がってくる。

投稿: 巨炎 | 2014年9月 9日 (火) 17時18分

巨炎様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

え、原作はそうなんだ(笑)。 確か、「アン・ファミーユ」 とかテーマ曲冒頭で書いてあったような…。 その本、見かけたことがなくて、だから読んだこともないんですよ。

私、この第1回の記憶があんまりなくて、大人になってからきちんと見直したときに感じたんですが、夫を亡くして数日だから、母マリはかなり憔悴しているんですよね。 それをペリーヌが 「元気を出さなきゃダメ」 という感覚で、無理矢理ボスニアを発とうとしている。
もしかするとアルプス越えの大変さとは別に、ここにもマリが旅の途中で死んでしまうフラグが隠されていたのかもしれない。 そんなことを感じたんですよ。 ペリーヌにしてみれば、母親を励ます気持から発生していた行動だったと思うのですが、善意がどのような結果を及ぼすか、についてペリーヌは母が死んだときに学んだのかもしれない。

蛇足ですが、マリの本名は確か、マリ・スチブンソンとかいったはずです(うろ覚えで申し訳ありませんが)。 つーことは、インドは当時イギリスの植民地だったろうから、マリはインド人とイギリス人とのハーフ。 つーことは、ペリーヌはそこにフランス人のエドモンの血が混じったから、クオーターということになるんでしょうか(つまらない考察、失礼いたしました…笑)。

投稿: リウ | 2014年9月10日 (水) 13時19分

>「カーネ」 も同じ条件だったはずなのに、
>そういう縛りをほとんど感じなかったけど
そりゃ人物描写密度の桁が違いすぎますから。今、見直しても新たな発見があるのが凄い。この三姉妹編でも
「糸子が娘達をガンガン鍛えていく展開を観たかったのに姉妹間描写に尺がさかれた」
的な意見がありましたが、糸子の指導云々は副次的要因。特に優子の成長は直子の突き上げが主因ですが、直子が優子に求めているものって無茶苦茶です。姉が才能で自分に劣っているのを知っていて対等のライバルでいて欲しいとか、自分の想いを受け止める強さを持ってほしいけど、包み込んでも欲しいとか。それら全てを姉妹の真剣勝負場面のアングル回転で見せています。

優子が善作の「勉強やで」を実践し続ける事で一流の才能を持つ者と同等以上の力を身に着けた事は前に書きましたが、そこから更にアングルを変化させている。

http://i.imgur.com/vIyOqB8.jpg?1

自分も最初、意味が解らなかったのですが、ここでシューマイ(&お茶)及び直子から見た優子(里恵含む)の位置を示しています。
直子は聡子を「一人、10個までやで」と牽制し糸子並みの執着を示していました。で、日頃から彼女達にケーキをふるまっている北村がシューマイを買って来る。恐らく同伴した直子が「たまには甘く無いモノ」とでも言った模様。甘いモノを口に含む事で気持ちが萎え姉に助けられている現状に甘え続けてしまう事を避けた。そして優子はシューマイという事でお茶を出し(ケーキならコーヒーになっていた可能性がる)、
直子が話を切り出す直前に優子が北村に湯のみを手渡し、さらに北村が感情を高ぶらせていく直子にそれを渡すと…。

で、学生時の場面に戻りますが糸子の右側から優子が服のデザインを見せに来る。糸子視点だと母の関心を買おうと姉妹が牽制しあってる事だけが見えますが直子視点の優子は自分と視線を合わさず母の死角にいようとしている。美大受験を反対されたら家業を継ぐ選択肢しか選べない優子は「糸子の影」という善作の立ち位置を継承していますが、これは直子の才能を恐れ姉のプライドを守りながら逃げようとしている優子にとって都合の良い場所でもあります。洋裁学校の講師になる誘いを断り実家に戻ってきた優子を糸子は「孝行な娘」と評しましたが東京に残って妹の影になる事への恐れは確実にあった。母の影の方がまだ姉の面目は保てる。
そして、これが商売(=糸子の世界)の厳しさを知らない甘い考えであった事を理解した優子は妹を助けるために上京を決意。直前に暗い商店街を赤ん坊の里恵を抱っこして歩いていく場面があります。この里恵が純粋であるが故に脆い直子の表に出ない本心の象徴で自分も妹もまだまだ母の影にいる事を優子は理解しており後の場面にリンク(↓)。
ここで(↑)に戻りますが眠っている里恵を気遣う優子は直子と向き合いながら微妙に正面からずれた位置。これ最初の場面で最も直子を見てくれている千代さんの立ち位置を基本にして微妙に糸子寄りなるんですね。優子が直子にとっての「理想の姉」にまで成長した瞬間が示されています。

http://i.imgur.com/ygLSpg6.jpg?1

投稿: 巨炎 | 2015年3月31日 (火) 13時37分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「比べちゃアカン」 って、まあ当然の天と地のレベル差、なんですけど(笑)。 巨炎様にここまで考察シマクラチヨコさせる 「カーネ」 が、バケモノすぎるのです。

…って、なんじゃこのリンク先!(爆) こんな場面比較の画像ファイル集サイトがあるんですか?(笑)

いや、これは巨炎様が 「カーネーション方法論序説」 を書いているサイトのリンクに違いない…(あながち外れている推理でもない気がするのですが…笑)。

「カーネーション」 がほかの朝ドラ、だけでなくすべてのドラマから著しく乖離しているのは、こういう濃密な人物描写が、すべての人物に対して常に平等な目線で展開していくところでしょうね。 「アイツどうなった?」 というのがない。 「マッサン」 は(だから比較しちゃダメ…笑)そうした角度から点数をつけるとすれば、限りなく0点に近かった気がします。

すべての人物に平等な目線で物語が展開する、というのは、感動をさらに惹起させる大きなポイントでもありますよね。 例えば 「マッサン」 で言うと(笑)エリーが流産して子供が産めない体であると知ったとき、俊夫がまったく出てこなくなる。 いつもツンデレ的につきまとっていた俊夫をここで出すことで、マッサンとエリーの悲しみが重層的に導かれていくというのに、作り手の視点がとても近視眼的なんですよ。 確か広島もまったく無頓着だったな、エリーの流産には(だから比較しちゃダメとあれほど…笑)。

巨炎様の高レベル論議についていけなくて、「マッサン」 でお茶を濁してしまいました…(笑)。

投稿: リウ | 2015年4月 1日 (水) 07時55分

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