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2012年2月

2012年2月26日 (日)

「カーネーション」 第21週 超えられる者の思い

 今週のこのドラマ。
 中盤まで看板を譲る、つまり第一線から退く、という糸子の感慨を描いて泣かせるのですが、物語はその先を、容赦なく描いていく。
 つまり糸子の感慨は、親を超えてしまった子によって、見事に粉砕されることになるのです。
 相変わらずのすごさです。

 子供にとって、親というのは超えなければならない存在です。
 私なんぞ親に負けてますけどね。

 いずれにしても先週も指摘したとおり、「カーネーション」 というドラマのそもそもの出発点は、「世界的なデザイナーであるコシノ三姉妹の母親とはどのような人だったか」、という興味であります。
 つまりこの大前提の時点で、コシノ母娘の場合、子は親を超えてしまっている。
 この物語で重要なのは、ここだと思うのです。

 この物語の主人公、小原糸子は、世界的デザイナーの娘たちに負ける、ということが確定している。
 この物語の母娘は、同じ土俵の上で闘っています。
 だからその勝ち負けも、残酷なほど本人たちは自覚しなければなりません。

 普通、親は子に追い抜かれると、うれしく思うものです。 だよなァ?(笑)
 少なくとも負けたような人生を子供が歩んでいるのを見るよりも気分はいいでしょう。
 けれどもこの物語の主人公は、娘たちと同じ土俵にあるがゆえに、娘たちが自分を追い越したことに、そんなうれしさよりも先に、自分のこれまでの人生を否定されたかのような屈辱にまみれるのです。

 別にいずこも同じかなァ?

 「坂の上の雲」 の伊東四朗サンみたいに、「親が立派過ぎると子供は委縮する」 とだらしない?人生を送る人のほうが例外なのかもしれない。
 子供の給料のほうが自分よりいい、なんて分かったら、結構屈辱だよなァ。

 けれどもたんに一面的な価値観から見た勝ち負けの問題で、ものごととは量れるものなのか。
 そうではない、と「カーネーション」 の作者は主張しているように思えます。
 糸子が自分の敗北を認め、そこから出発することに、この物語の作り手の主眼がある。

 今週のこのドラマを貫いていたと思われるのは、超える人の思い、超えられる人の思い。
 超えていくのは、なにも人ばかりではありません。
 時代が、人の思いを超えていく。
 だんじりの大工方が、変わっていくように。
 時はすべての人を飲み込みながら、足早に先へ先へと通り過ぎていくのです(「シクラメンのかほり」 みたいだなァ)。




 月曜放送分。

 それまでの自分のすべてだった、テニスのラケットを行李にしまう聡子。 母親の糸子にあらためて、短大を出たら洋裁学校に行かしてくれ、と頼んできます。
 それを聞いた糸子。
 聡子の真剣な目を見て、「うん。 やりたいようにやり」 とゴーサインを出すのです。 が(笑)。

 昭和38年4月。

 洋裁学校に行き始めた聡子は、たった3日で音を上げてしまうのです(笑)。 聞けば、机に向かって勉強するのが耐えられない、と(笑)。 当然糸子の怒りは爆発するのですが、アホの聡子はなにが悪いのか分かりません(蛇足ですが、この糸子の一連の動きにつかず離れず寄り添っている、千代の存在。 ホントにさりげなく演出が細かいんだよなあ)。

 「ほんまに、あのアホ娘が!」 と毒づく糸子の前を、聡子の中学時代の顧問の先生が通りかかります。 糸子はこないだの失礼(全国大会優勝の吉報を喜んできてくれたのに寝ぼけた顔で追い返したこと)を詫びながら、今までほったらかしにしておいた聡子の性格について、あらためて顧問の先生に訊くのです。

 「その、『学校がやめたい』 っちゅうのも、根性がのうてゆうてるのとちゃうんです。 聡子さんの根性はもうごっついもんです。 『10キロ走れ』 っちゅうたらかならず走る。 腕立て200回。 素振り1000回。 やれっちゅうたことやらんかったことは一回もありません。
 やりきるか、倒れるかのどっちかでした。
 あいつにはとにかく、でっかい山を、どぉ~んと置いちゃるっちゅうことが大事なんです。
 『この山を登れよ』 ってゆうときさえしたら、どんだけしんどても、脇目も振らずに登っていく。
 ハッと気付いたらもう、エライとこまで行ってるんです。

 やる気がのうて、『学校やめたい』 ゆうとるんやない。

 がむしゃらに、洋裁をやりたいだけちゃうやろか。

 …自分には、そんな気ぃします」

 いや、ちょっとしか出て来よらんのに、この顧問の先生のセリフは、かなり重要です(笑)。
 アホがなにも考えんと、ただ言われたことだけをやっている。
 そりゃちょっと聡子に対して失礼なように感じるのですが、よく考えてみると実際その通りで(笑)。
 フツーの人なら 「つらい、やめたい」 などと苦悩すると思うのですが、聡子にはその神経回路がない(笑)。 まあ笑えるポイントですが、それって逆に考えると、結構アドバンテージじゃないでしょうかね。
 それに、「自分がアホだから」 という自覚があるかどうかは別として(笑)、「何も考えずに打ち込める」 ということを、聡子は本能的に探している。
 聡子の欲しているのは、仮縫いとか祭り縫いとか、なんちゃらかんちゃらとか、そんな基礎的知識じゃないのです。
 やりたいことをがむしゃらにやっていくうちに、そんなものは自然と身についていく。
 テニスで言うフォアハンドとかバックハンドとかも、聡子は最初に知識として詰め込まれようとしたら、たぶん拒絶したと思うんですよ。 不器用だけど、そのほうが確実。

 糸子は聡子に対して、自分の描いたデザイン画を渡し、これをなにも見ないでも描けるようになったら、学校はやめさしちゃる、と早速、大きな 「山」 を与えます。
 「はぁい」 と相変わらず気の抜けたような返事をしながら、まるで赤ん坊のようにそのデザイン画を描き始める聡子。
 聡子は、母親から与えられたその大きな山を、それが山とも知らず、登り始めるのです。

 聡子はいったん登り始めると、顧問の先生が言っていたように、ひたすら脇目もふらずにそれに没頭し出します。
 寝る間も惜しんで挫折を続け、果ては窓ガラスに原画と白紙の絵を2枚重ねにしてトレース(複写)までする始末。
 このトレースという方法はその昔、やっちゃイカンと散々言われたものです、図工の先生から。 デッサンが身につかない、ということなんですけど、こと被服デザインの場合、正直なところ人物の造形に意味があるわけではない。 どのような形状、どのような色の服なのか、ということが重要視されるのであって、それをトレースしてまで盗もう、とする聡子の、「なりふり構ってらんない」 トランス状態を特筆すべきでしょう。 ものすごい集中力だと感じます。
 そしてここが肝心なのですが、それをやっている聡子が、とても楽しそうにしているところ。
 楽しくなければ、こんなことは続かないのです。

 そして東京。 泣いてどうなるのか(ちゃうちゃう)。

 優子が手伝うようになってからの直子のブティックは、だいぶ繁盛しているようです。
 ただし売り上げの6割を占めているのは、優子の作る、まあ直子のものに比べればたぶん常識的な服。
 船頭多くして、という状態になりつつあるようです。
 これはとりもなおさず、優子にデザイナーとしてのじゅうぶんな力が付いてきた、ということを意味しています。 仕事のやりかたに迷いながらべそをかいていた経験が、花開いているのです。
 当時のファッションの先端であった東京で信用がついていく、ということも、優子の自信へと直結している気がします。
 2年間の東京と岸和田との往復で、優子には精神的なタフさも身についた、と思われるのです。
 ただこのドラマ、やはり糸子が主役のドラマ。
 優子の成長ぶりについての描写は、なんとなく物足りなさも感じる。 だけどここらへん、見る側が脳内補完をしていく必要があるか、と感じます。 でないとこのあとに展開する話が唐突になる。

 そして売り上げでは優子の後塵を拝している直子も、ことファッション誌の取材となると、圧倒的に軍配が上がるらしい。
 これは直子のデザインのほうが先鋭的であることに、世の中が追いつきつつある、ということを表わしているような気がします。 当時のファッション誌って、今みたいに百花繚乱じゃないから、時代の先端を行くコンセプト系みたいのが多かったんじゃないのかな。 その取材を受けるというのですから、やはり優子のような大人しめなやつでは記事にならない、と言いますか。
 先週店先に飾られていたサイケデリックなオブジェが直子のデザインのコンセプトだとすれば、あと4、5年くらいは待たねばなりません。 直子の先進性がファッション誌にもてはやされるのは当然の成り行きでしょうか。

 大阪に帰った優子は聡子の特訓を見て、自分と直子の古いデザイン画を送って寄こします。
 直子の野獣的なデザイン画、そして優子の華麗なデザイン画。
 それらは、糸子の描いた、いかにも一昔前、といった趣のデザイン画とは違います。
 糸子はそれを見て、「うちも負けてられへん」 と、聡子と一緒になって、ガラス窓に向かって直子のデザイン画をトレースをし始める。

 「(それが腹立つほどええんです)」。 娘ふたりのデザイン画を素直に認め、それに対抗心を燃やしていく、糸子なのです。





 火曜放送分。

 前回からだいたい1年後の昭和39年8月。

 サンローランのディオールからの独立とか、既製服が時代の主流になったことが、冒頭糸子によって説明されます。
 「太鼓」 で聡子と共にファッション誌を眺める糸子は、「オモロイなぁ」 と北村にしゃべっています。
 優子と直子のデザイン画を聡子と共に描き続けた糸子も、だいぶモードに対して思考が柔軟になってきているのです。

 「(厳しい競争のなかで、どないか自分の世界を切り拓いたろっちゅう熱が伝わってくる)」。

 娘たちのデザイン画によって、自分にもその情熱が、還元されていくかのようです。
 糸子の脳裏に、だんじりの風景がよみがえります。

 「(ごっつい勢いで走っていく時代。

 そのてっぺんで、風切って立つ。

 舞って、跳んで、魅せる。

 モードは大工方や!)」

 大工方のイメージに、外人のモデルが重なります。 パルコのCMかと思った(笑)。

 「(とはゆうても。

 大工方とおんなしで、モードも若い人らの役なんでしょう。

 もううちの役とは違います)」

 糸子が先週、徹夜続きでなにをやっとるのか?ということを、当ブログでは指摘しました。

 つまりこれは、70歳を超えて自分のブランドを立ち上げる糸子の、蛹から蝶に脱皮するための第一歩ではないのか?と。
 「自分の本当に欲しいものとは何か?」。
 この思索を始めた糸子に、私はあらたな人生のステージのプロローグを見た気がしたのです。
 けれどもその思いは、今のシーンを見る限り、若い世代のモードに対して向いていません。
 そのうちに糸子は、自分の父親から店を譲られた歳のことを考えるようになってしまい、思いは一気に、「隠居」 という方向に、傾いていく。

 一年間デザイン画だけをただひたすら描いてきたと思われる聡子。
 ファッションデザイナーとしては、かなり変則的な成長の仕方をしているように思われます。
 そんな聡子のデザイン画を見て、帰阪した優子が 「基礎はできたんとちゃう?」 と太鼓判を押します。 でも喜ぶ聡子に、優子はくぎを刺すのです。

 「けどな。 こっからなんやで、ほんまは。

 まあ、あんたがどの程度の洋裁屋になりたいかやけど。

 要はな、普通の職人でええんやったら、もうじゅうぶん一人前や。
 けど、うちとか直子くらいのデザイナーになりたいんやったら、こっからが勝負、っちゅうことや。

 お母ちゃんともうちとも直子ともちゃう。
 あんたの色っちゅうもんを、自分で見つけていかなあかん。

 …それがいちばん大変なんや」

 目を輝かす聡子。 変則的な基礎のもとに、自分の個性を促す優子の助言。
 部屋の襖には、ビートルズのロゴとかロンドンの二階建てバスの絵などが張ってある。
 聡子はおそらくビートルズの影響から、1960年代に一世を風靡したロンドンのカーナビ―・ストリート・ファッションに目を向けていくことになったのでしょう(なんだなんだ、よく知ってるぞ…笑)。 ツイッギーに象徴される、ミニスカートですね。
 この方向って、優子とも直子とも違う特異なアプローチのような気がいたします。

 それを聡子が試したのが、聡子の客として最初についてくれた、鳥山という、鶏ガラみたいな派手なオバチャン(笑)。
 こんなオバチャンおるおる、みたいな(笑)。
 聡子はこの注文の多いオバチャンに、自分が考えていた、驚天動地のファッションを提案してくるのです。

 優子の評判は三浦組合長をして客を連れて来させるほどのレベルにまで達しています。
 三浦はその様子に、「ええ跡取りが出来た」 と感慨深げ。 糸子も、ファッションセンスだけでなく、経理関係にも強い優子にかつてなく頼もしさを感じている様子です。 そして先に述べたような、「第一線を退く」、という方向に、思索は傾いていく。

 「(気ぃついたら51。

 お父ちゃんがうちに店を譲った年を越えてしまいました)」。

 ひとりコップ酒をあおる糸子。 善作の遺影に語りかけます。

 「(なあお父ちゃん。

 うちの娘は、うちと違うて優しいよって、)」

 回想。

 若き日の糸子が、善作に口答えしています。

 「悪いけどな。 お父ちゃんより今はうちのが、よっぽどこの家支えてるんや!」

 頬杖をついて、それを思い出す糸子。
 振り返れば、なんて口を親に対して聞いていたんでしょうか。

 「(うちを、あんなぶった斬ったりしません)」

 そしてまた回想。

 土下座をして頼み込む糸子を、善作は思い切り足蹴にします。 思い切りぶっ叩きます。 「こんガキゃ!」。 そして思い切りケーキを叩きつけます。 「こんなもんが、なんぼのもんじゃ!」。

 再び物思いにふける糸子。 その善作の反応と自分とを比較しています。

 「(…まあ、うちも、お父ちゃんほどひどないけどな)」

 そしてまたひとり手酌をします。
 そして糸子は、父親の引き際について、思いを致していくのです。

 「(ほんでも、いつ、そないしたらええんやろか?

 …いつ…)」。

 翌日、そんな糸子に、比較的ショックな出来事が起こります。
 鳥山のオバチャンのためのデザイン画ができた聡子が、自分ではなく、優子にその出来を尋ねたのです。

 「なんや?」 どないした、と聡子に訊く糸子。

 「いや、デザイン見てもらいたあて…」

 「どれ?」

 何気なく差し出した糸子の手は、虚しく空を切ります。 「姉ちゃん!」 優子のほうに向かう聡子。 「あんな、ちょっと見てもうてええ?」
 何の気なしに応える優子。 「うん」。

 そしてそのデザイン画。

 かなりのミニスカートです。

 優子は聡子の判断にそれを委ねていくのですが、糸子にとってそれは、自分がオールドタイマーであることを決定的に思い知らされた出来事でした。

 「(潮時…。

 近いうちに、今やな、ちゅうときが来るんやろ…。

 間髪いれず、潔う、決めちゃろう。

 お父ちゃんみたいに…)」。

 三浦の感慨から、この場面まで、ものの5分もたっていません。
 なんたる内容の濃さなのか、ため息ばかりが出ます。

 糸子がこれだけの決断を迫られるのは、優子がそれだけ、頼もしくなってきたからです。
 子が親を超えてしまったとき、うれしさよりも寂しさが先に立つ。
 あんなに、アホやとばかり思っていた聡子でさえ、そんな一人前になった優子が自主的な判断を任せてしまうほどに、成長している。 顧問の先生がゆうてた通り、ハッと気付いた時には既に、エライとこまで行っているのかもしれない。
 自分の感性が時代遅れになっている。
 時代に取り残されている。
 だからこそ、もう引退するしかないのか。
 そんな糸子の思いが、善作の回想を経ながら、確実に着床していく。
 奇跡のような、火曜日放送分の、ラスト5分間でした。




 水曜放送分。

 聡子のミニスカートは、果たして鳥山のオバチャンを激怒させてしまいます。
 こんなハレンチなもの着れるか!と、オバチャンは憤然と出ていきます。 「もう金輪際、ここにはけえへんから!ふんっ!さいなら!ふんっっ!」。

 この残念な結果に、糸子や昌子たちは、却って 「手に負えないクレーマーを撃退できた!」、とポジティヴシンキングなのですが(笑)、初めてのデザインがこのようにあからさまに否定されたことに、聡子は大きなショックを受け、泣き出してしまいます。

 「勉強さしてもうたと思い」 と、糸子はアドバイスをしながら慰めます。 心配する千代に、「明日から祭りやし」 と、糸子は気にも留めません。
 案の定、だんじり祭りが始まって、聡子ははしゃいでいます。 立ち直りが早いのは、アホの特権であります(ずいぶん失礼な言い草やな…)。
 過ぎ去っていくだんじりを見守る中には、年老いた安岡玉枝やその家族。 直子も帰阪しているようです。 直子は、オスカルみたいな服を着ています(笑)。

 そんな直子に、自分のデザインしたミニスカートを見せる聡子。 直子は驚嘆の声を上げます。 「ええやん! あんたなかなかやるな!」

 「お客さんからは、ハレンチてゆわれてしもたんやけど…」 おずおずと話す聡子に、直子は発想の転換を聡子に促してくるのです。

 「そんなもん、ゆわれたもん勝ちや。
 うちなんかしょっちゅうゆわれてんで。
 ハレンチやら悪趣味やら。

 ほんでええねん。
 デザイナーがええ子ちゃんでどないすんねん?」

 鳥山のオバチャンのファッションを思い返してみると、派手派手なんやけど、そんなに奇抜なほどグロくはない。 「派手にするとチンドン屋やないとゆわれる」 と糸子が話していましたが、チンドン屋みたいな、原色同士のぶつかり合いとか、テカテカキンキラキンとか、そんな品のない派手さじゃないんですね。
 そのオバチャンからすれば、聡子の繰り出したミニスカファッションは、時代からすればかなり唐突で、はしたないと思われて当然、という気はするのです。

 しかし直子はそのことには頓着せず、聡子のこの発想がどこから来るのか、知りたがります。 デザイナーとしてのアンテナがビンビン来たのでしょう。
 聡子はそれに対し、ビートルズファンの女の子がこういう格好をよくしている、と話しておりましたが、んー、ビートルマニアの私の見解を述べさせていただくと(笑)、確かにチラポラと、ニュースフィルムに映っていた気はいたしますね。 蛇足で恐縮ですが、後年ビートルズが独立して事務所を構えたのが、ロンドンのサヴィル・ロウ。 「背広」 の語源となった場所であります(また知識をひけらかそう思て)。

 直子は、自分がそれをカッコええと思たら、それをあくまで貫きとおさなあかん、と助言します。
 自分の感性を信じる。 それを最後まで曲げずに主張する。
 その揺るぎない自信に、ついてくる顧客の意識、というものがあるのです。
 直子のこの助言は、聡子を特殊な方向性のデザイナーへ向かわせる、またもうひとつの端緒となっている気がいたします。

 お祭りのごちそうに呼ばれていた北村が、その晩糸子や娘たちと、デザイナー育成光源氏計画が頓挫したことを語り合っています。
 そのなかで北村は、集めた洋裁学校の生徒たちが、ボンクラばかりやったと酷評しているのですが、直子や聡子に向かって 「お前らみたいながめつい奴ら」 とさりげなく褒めているところに着目です。
 そう、直子も聡子も、「がめつい」 という点において、共通しているのです。
 つまり自分の才能を伸ばすことに、がめついまでに意欲的、ということです。
 ガツガツしている。 ハングリーさを兼ね備えている。
 それが彼女たちを、世界的なデザイナーにした一因なんだと、妙に納得してしまいます。

 「それ見たことか。 せやからゆうたやろ、『そんな簡単ちゃう』 て」 といつものようにツッコミを入れる糸子に、北村はうんざりしたように言い放ちます。 「あ~もうババアの決まり文句やのォ! 『ほれ見たことか』。 オマエよ、これからの人生そればっかりで生きていくつもりやろ」。
 「なんや?」 凄みを利かせて絡んでくる糸子に、北村は構わずしゃべり続けます。

 「ま、簡単やないっちゅうのは分かっちゃあんねん。 せやけどやらな分からへんやんけ」

 直子と聡子に同意を求める北村。 彼女らも同意見です。 自分の発想の硬直化に、またもや直面したような、ばつの悪そうな糸子の表情。
 北村は更に構わず、不動産屋にも手を広げ始めたことを吹聴し出します。 土地の値段が上がり始めたことに乗じた商売です。 要するに、バブル景気のいちばん最初の予兆、とも呼べる話であります。
 そのスケベ根性に呆れる糸子なのですが、心斎橋の空き店舗の話に乗ってきたのは、直子です。
 このときは単に、楽して金儲け、という話に同調していたようなのですが、この話はのちに、別の動機によって本物になってきます。

 軒先の長椅子に座って、祭りの人たちをねぎらう糸子。 毎年変わらないだんじり祭りですが、その中身はどんどん変わっていくことを、実感しています。
 「御神燈」 の提灯がぶら下がる俯瞰から、カメラはゆっくりと下がっていく。
 そこにやってきたのは、神妙な顔をした、北村です。

 「あのよ…。 ずっと前から訊きたかったんやけどよ…」

 「なんや?」 身を乗り出す糸子。

 「お前よう…。

 …

 わい…。

 …」

 言い澱んだ末に、北村はなんやどーでもええような話を始めます。
 ここは確実に、「わいのことどう思ってんねん?」 ちゅうことでっしゃろな。
 ベタとも思えるこの場面でしたが、その北村の不器用さが、なんとも切なくて、いいんですわ。
 なんや関係ないんですが、最近NHKのラジオ深夜便でよくかかる、平原綾香サンの 「会いたくて」 という歌を思い出してしまいました。

 「誰かに会いたくて/何かに会いたくて/生まれてきた/そんな気がするのだけれど」。

 深夜便の歌にしては、かなりいい曲だと感じています。 紅白で聴きたいな。
 そんな会いたい人に会うために生まれてきたのに、不器用にすれ違ってしまう。
 なんか…。
 とても切なくて。
 そしてそんな人生が、とてもいとおしく思えるのです。

 ただ 「スタジオパークからこんにちは」 でゲスト出演したほっしゃん。によると、ほっしゃん。とオノマチサンは、かなり仲が悪いらしくて(冗談でしょうけど、力がこもってました…笑)。
 そしてそのどーでもええ話。
 偽物んをつかまされた北村は、わざとらしく悔しがり、それを証明して見せた糸子は、「それ見たことか」 とばかり、いたずらっ子のように笑っている。
 このふたりの仲は、こんでええ。
 そんなことを思わせる、とてもいとおしい場面のように思えました。
 北村よ、「簡単やないっちゅうのは分かっちゃあんねん。 せやけどゆうてみな分からへんやろ」(笑)。

 翌朝、北村は寝ているところを直子に手を踏んづけられ、糸子にどつかれ、千代にぶつかりながら、直子から心斎橋の物件を保留にしておいて、と頼まれます。 「お母ちゃんには内緒やで」。 そんな直子、髪の毛はボサボサ、つけまつげもようつけてません(笑)。 直子は何を考えているのか。 北村は、思わずニヤニヤニヤケてしまいます。





 木曜放送分。

 昭和39年11月。 東京オリンピックが、さらりとスルーされています(笑)。

 オハラ洋装店の看板を見上げる糸子。 木曜冒頭から、重要度の高いシーンであります。

 「(うちん時は、さっむい日ぃに仕事から帰ってみたら、看板が消えちゃあた)」

 糸子の回想。 在りし日の小原呉服店の、懐かしい佇まいです。

 「(ほんで店に入ってみたら、)」

 白い布に包まれた、小原洋裁店の看板を見下ろす糸子。 「なんやこれ?」

 「ほんで家のなかもがら~んとしちゃあて……おばあちゃん、おばあちゃんちゅうたら、おばあちゃんが台所で豚揚げちゃあって……みんなどこ行ったん?……なぁ、なぁ?……ほしたらおばあちゃんが」

 夢遊病者のように、現在のオハラ洋装店のなかを歩いていく糸子。 昌子も松田も千代も、心配そうにそんな糸子を見つめています。

 そして回想。 懐かしいハルおばあちゃんが、きっぱりと若き日の糸子に言うのです。

 「あんな。 今日から、うちとあんたの、ふたりっきりや!」

 そして現在。 「で、うちが、…『ええ?!』」。
 糸子は夢から覚めたように、忌々しげに吐き捨てます。 「…クソ!」

 そして善作の遺影に、糸子は恨めしげに語りかけます。 後ろには、心配する千代の姿が。

 「ええなあ、お父ちゃん。 あんなカッコええことでけて」。

 火曜日の糸子の回想と合わせて、回想シーンの傑作とも思えるほどのたたみかけ。 ため息が出ます。

 「(今のうちは、ああゆうわけにはいかん。
 うちが雇うてきた従業員がおる。
 つきおうてきたお客さんがおる。
 責任も義理も山ほどある。
 あないバッサリはいかん。
 店のためにも、優子のためにも。

 …

 やっぱし、もっと、こう、…

 ボチボチと…丸う丸う……)」。

 善作が自分にしてきた暴力などを考えると、波風立てずにバトンタッチしたい、という気持ちが、強いようです。

 いっぽう東京では、直子と優子の仲は、もはや修復不能なまでに悪化しています。 数メートルしか離れてないのに、ことづけを従業員に託す直子。 今晩話がある、というのです。

 その晩。 意外にも、直子は北村を伴ってやってきます。 いつの間にやら、直子はこの下宿を飛び出していたらしい。
 直子は単刀直入に話を始めます。 「あんな。 うち店辞める。 店辞めて、心斎橋で、新しい店やる」。
 北村の物件で店を始めようとする直子の意向に、「ようそんな勝手なこと言えんな。 お客さんやら従業員やら、どないすんねん?」 と、優子はブチ切れます。 発想がまんま糸子と一緒なことに注目です。 でも直子の過激な考えは、そんなしがらみなどもはや優子と一緒に仕事をやることに比べれば、もう何でもない。 直子はちゃぶ台を叩きます。

 「あんたがやったらええんじゃ!」

 「はぁ?…店におらなあかんのは、あんたちゃうんけ?!」

 ちゃぶ台を叩き返す優子。
 直子は、あんな店、うちはもうどうでもええと言って、涙をこぼします。 「…とにかく、うちはあんたが目障りなんや」。
 いやいや、ここまで言いますか(笑)。 「コシノ姉妹は仲が悪い」 とか、格好の週刊誌ネタですけど、却ってここまで開き直って内幕をばらすドラマの内容に、ちょっとまたまた感心してしまいました。 要らんとこまで感心さすな、という感じですが。

 「…分かった。 うちが店辞める。 ほんでええやろっ!」

 結局店を辞めてしまったのは、優子のほう。 両雄並び立たず、というこの決別。 優子は娘の理恵を伴って、岸和田へと帰ってくるのです。

 「(…あ。 ここやな…)」。

 帰ってきた優子を見て、糸子は自分が第一線から退くタイミングはここだ、と直感します。 「(ここがうちの引き際や)」。

 「太鼓」 で糸子は、昌子と松田に向かってその意向を明らかにします。
 形の上では今まで通り。 自分も店に出て仕事はするけれども、オハラの看板は、もう優子のもんや、と。
 それを聞くともなしに聞いていた木之元のおっちゃん。 なんとも寂しそうな一瞥を、糸子に投げかけます。

 「東京と岸和田行き来してる間に、あの子ももう一丁前や。 いや、一丁前どころか、働き手としたら、相当デカなってまいよった。
 一軒の店に、うちとあれがおんなじ大きさでおってみ? あんたらも仕事しにくいで。

 …順番から言うたら、うちの仕事や」。

 「けど、まだ早いんとちゃいますか? そんなん、うち……先生がそんなんゆうの、いやです…!」

 昌子の本音が詰まったこの言葉。 昌子が糸子について来た年月のことを考えると、こっちもちょっとグッときます。 「もうちょっとこのままでもええんやないですか」。 松田も糸子に慰留を努めます。

 「おおきに…」

 糸子は頭を下げるのですが、ここでカメラが一瞬ぶれた(笑)。 目ざとい視聴者の私は見逃しません(笑)。 このドラマ、こういうミスがなかったので、すごく目立つんですよ。 しかも一回ならいいけど、今週このあともう一回カメラミスがある。 ハテナ?という感じですな(あ~もうどうでもええがな)。

 「せやけど、だんじりかて、あない役はどんどん替わるやろ?

 どんなけ寂しいても、誰も文句ゆわんと、どんどん次に渡していく。

 …格好ええやないか、あんなんが!」

 顔をそむける昌子。 人知れずうなづく木之元のおっちゃん。 だんじりを引き合いに出されたら、誰も文句は言えないのが、岸和田流だ、そう感じるのです。 もうなんか、泣けた。

 八重子も、糸子の決心を聞いて、涙を押さえることができません。 「…なんで?」。 そう尋ねる糸子に、八重子は言います。

 「堪忍な…。 うちが泣くことちゃうんやけどな…。

 糸ちゃんが、21で看板あげてから、それからのことは、全部見て来よったよってなあ…」

 「いや…。 けど別に…。

 オハラ洋装店の看板下ろすわけとちゃうよって。

 …なにも変われへんよ…。

 なんも…」

 安岡美容院から帰ってきた糸子。 夕闇のなか、オハラ洋装店の看板を、見上げます。

 21で看板を上げてからのことが、脳裏に浮かんでは消えているのでしょうか。

 糸子の目に、涙がたまっていきます。

 そして、こぼれてしまう一粒の涙。

 糸子は苦笑いしながら、その涙をぬぐいます。

 …泣けた。

 イカンなあ…。

 糸子が帰ってみると、北村がまた呼ばれています。 「なんや、来てたんかいな」。 今まで涙を流していた照れも手伝ってか、一層無愛想に吐き捨てる糸子。 北村はどうも、事情があってそこにいる模様。 昌子も松田も、そこに同席しているのですが、こちらはその事情を知らない様子です。 昌子と松田は、糸子が優子に跡を継がせる、ということに立ち会うためにそこにいる、という感じです。 食卓には、ロールケーキがのぼっています。

 「あんなお母ちゃん。 話があんねんけど、ええ?」

 口火を切ったのは優子です。 柱時計の時報が鳴ります。





 金曜放送分。

 「勝手をゆうようなんですけど……うちを独立させてください」。

 糸子は努めて冷静を装いながら、「どういうこっちゃ?」 と優子に訊きます。 優子は、北村の心斎橋の物件で、自分の店を始めたい、というのです。 資金も北村に融通してもらうことになったらしい。 北村はプレタポルテの打算があることは認めるのですが、これは商売人としての話や、と糸子に弁明します。

 優子は、自分の母親をまだまだ現役だと思っています。 そして聡子が育ってきたことで、自分の居場所というものがなくなっている現状も把握している。
 でも、優子は母親の思い、というものに気付いていません。 看板を継がせる、ということにこだわっている、糸子の思いを。

 「せやからうちは…。 もうあんたに看板を譲るつもりで、…準備しちゃあたのに…」。

 驚く優子。

 でも。

 優子の思いは、すでにオハラの店を継ぐという器では、満足しきれなくなっていることに、母親の糸子は気付いていません。 お互いに、お互いの肝心なところに気付いてあげることができない。 この構図には、ただひたすら、うなります。

 「昌ちゃんや恵さんには、こないだ話して了解してもうたよって。 あんたらには、大みそかに直子が帰ってきて、みんなが集まってから、ちゃんと話そう思うちゃったのに。

 …(優子を睨みつける糸子)…

 よう台無しにしてくれたな!」

 この糸子のキツイ一言には、さまざまな思いが詰まっていることに注目しなければいけません。

 店の看板を譲る、ということがどのようなものか、という認識が、優子と糸子のあいだでは決定的に違う、ということにはまず着目しなければならない。
 糸子は父親の善作が、自分に看板を譲るときにどれだけ苦悩したかを、知っている。
 その父親の思いがあるからこそ、糸子にとってこのことは何を差し置いても重大事なのです。
 けれども優子の器量は、もうすでに、オハラの看板では収まりきれなくなっている。
 そのこと自体がもう、糸子にとっては、なにものにも耐えがたい、屈辱であるのです。
 自分がお父ちゃんから渾身の力で受け止めた、自分の人生が、この看板に込められている。 娘にそれを蔑ろにされた屈辱と、娘が自分の上を行ってしまったという悔しさ。
 「よう台無しにしてくれたな」。 この、ちょっと聞けばあまりにも品性のない、ガラの悪い言葉。
 それはひとりの女の一生が詰まった、魂の気迫から吐き出された言葉なのです。

 すごすぎる。

 確かに心肝を凍らせるような脅しの文句のようですよ、これって。
 でも。
 屈辱にまみれたとき、相手を脅すことになっても構わない、という言葉が出てこない人って、よほど人間が出来てるんだなって、思いますよ、私は。
 それだけ自分の人生に対して、自分は懸命になって生きていた、という自負がなければ、出てこない言葉だと思う。
 どんな侮辱に遭っても黙っていられる人を、私は尊敬いたしますが、そこで我慢してあとから見返そうとか、そういうことができるほど、人間って都合よく出来ているようには、思えないのです。
 「カーネーション」 の主人公である小原糸子を認められない人たちって、だからとても人格者なんだ、って思いますよ。
 私なんかは人間が出来ておりませんから、小原糸子に対して限りなく共感する。 自虐的に言えば、自分が人として不完全だからこそ糸子に共感するのです。

 優子は松田が気を利かせて口を挟んだことを、じゅうぶん承知しています。 母親は自分のためを思って言っているのだ。と。

 「ほんでもその心斎橋の店、やりたいっちゅうんか?」 と訊いてくる昌子。 優子は意を決して、糸子に向きなおります。 「…はい」。

 「正直に言わしてもらいます。 東京で店一軒流行らせられるだけの力つけて帰ってきました。
 そしたらそのうちはもう、岸和田のこの店には、ようおらんのです。

 うちがやりたいことはここにおったかて、半分も出けへんちゅうことはよう分かってる。

 毎日その悔しさを我慢してここにおったかて、それは生きながら死んでるようなもんや!

 そんなんやっぱり…」

 「分かった!」

 糸子は娘の言葉を遮ります。

 「…分かった…。

 もう分かった…」

 糸子は鼻でせせら笑います。 「フン!」

 席を立つ糸子。 「好きにしいや…」。

 この糸子のせせら笑い。
 優子に向かったものであると同時に、自分の人生、こんなもんか、という自虐の笑いでもあります。
 この店で働くっちゅうのんが、生きながらにして死んでるようなもんか。
 そんな程度のもんなんか、この店は。
 アホらしなってきたわ。
 侮辱されてふて腐れずにいるほど、うちはようできてへんわ。

 優子にしてみれば、母親の思いというものが痛いほど分かるがゆえに、正直に言うことは、身を切るよりもつらい。
 以前の優子のように、自分を自慢するように、正直に打ち明けてるのとは違うのです。
 だから糸子のほうはあくまで冷静なのに、優子のほうが、泣きながらの訴えになってしまう。 母親を思うがゆえに、自分のステージを自分で選択することが、つらくてたまらないのです。 でも母親から巣立たなければ、自分の夢は、広がっていかない。

 糸子があくまで冷静、と書きましたが、糸子にしたって無理やり自分を抑えつけているわけです。 すぐに暴力に訴えた自分の父親のことをこの頃頻繁に考えているから。
 目の前にロールケーキが置かれていることも、糸子が冷静さを保つアイテムになっていることにも、気付かねばなりません。
 まさか善作のように、ロールケーキを裏っかえしにして叩きつけてもカッコがつかんけど(笑)、同じケーキ、ということが、糸子の理性のブレーキになっている側面はある。 ケーキのブレーキ。 語呂がいいな(また茶化す)。

 いずれにしても小原家の食卓。
 またひとつ、名場面が作り上げられた気がするのです。

 優子は理恵を世話している千代のところにやってきて、「おおきに、おばあちゃん」 と礼を言います。 「終わったんか?」 千代は何もかも知っていたようです。 「うん」。 蚊の泣くような声で答える優子。 「案外静かやったなあ…」。 千代も、善作と糸子とのバトルを思い返していたのでしょう。 優子は母親をいたく傷つけてしまった悲しみに、その場にへたりこんで号泣してしまいます。 「あれあれ、まあまあ、どないしたん?」。 千代おばあちゃんの優しさが、また心に沁みる。

 いっぽう糸子は、安岡玉枝の胸で 「物件に負けたぁ…」 と号泣しています(笑)。
 こういう人を食ったところが、このドラマのすごいところなんだよなあ。
 「まあまあ。 うんうん」。 玉枝も糸子に胸を貸してあげるほどになれたというのが、ドラマ的にはうれしい。

 「うちの看板は、北村の物件に負けたんやぁ…。

 命より大事な看板を譲っちゃるちゅうてんのにやな、優子のアホは、『そんなもん要らん、北村の物件のがええ』 って言いよったんやぁ…。

 なにが心斎橋や…!

 なにが物件や…!

 北村のボケェ…!

 優子のアホォ…!」

 「よしよし! な!」

 翌朝、泣きはらした目で、また看板を見上げる糸子。

 「(寂しい。

 虚しい。

 昌ちゃんと恵さんにかて、あないカッコつけたのに、不細工な…)」

 言ってすぐに店を辞めるわけにもいかない優子を睨みつけ、アゴをしゃくって合図する糸子。 ほんまにガラ悪い(笑)。
 糸子は優子を呼びつけて、もう帰れ、とっとと先に進め、と凄みます。 新しい店のほうに集中しろ、と。
 「うっとこはな、あんたなんかおらんかて、どないでもなるんやからな!」
 母親の精一杯の強がり。 優子には、それが分かっています。 だから優子は、母親に向かって、涙を浮かべ、こう言うのです。

 「はい…。 おおきに、お母ちゃん…」

 その場を離れる糸子。 そしてひとり、こう思うのです。

 「(よっしゃ。

 不細工なりに、どないかけじめつけられたで)」。

 空を見上げる糸子。

 「(娘の独立。 見届けたで。 …お父ちゃん…)」

 また涙が…と思たら(笑)。 このドラマ(笑)。

 「(ちゅうと思ちゃったら、まあこの娘の独立が中途半端なこと)」(笑)。

 心斎橋の内装工事の職人が、ガラが悪くてゆうことを聞かん、お母ちゃんなんとかして、というのです。 しぶしぶ交渉に当たる糸子。
 「でけんことはでけんゆうとんじゃ!」 と凄む親方に、糸子も負けていません。
 「はぁ? でけんちゃうやろ?!
 いったん引き受けた仕事やったらな、最後まできっちりやらんかいな! こっちはこの先この店で飯食うていくんですわ! やってもらわなかないませんねや!」
 ほとんどキスシーンかと見まごうような顔と顔との接近(笑)。 この職人役の男、役得やのぉ~(爆)。

 「おおきにな、お母ちゃん!」
 「あんたもな、こんぐらい自分で言えるようにならな、女店主なんか務まらんで!」

 まったく、母親に啖呵を切ったあの勢いはどこへやら。 「うんうん」 コクコク。 たじたじの優子なのです(笑)。
 糸子は親方に 「ほな、またちょくちょく顔出させてもらいますよって、どうぞよろしゅう」 とくぎを刺すことを忘れせん(笑)。
 この場面、「大阪はこんなガラ悪いのばっかりじゃありません」 とクレームが出てもよさそうな場面ですが、自虐ネタを楽しむ余裕って、必要かな~と。
 それにやはり、社会で生きていくためには、ある程度の強制力も必要な場合って、あるんですよ。 気迫のない人間よか、気迫がないと世の中、相手のいいようにされてしまうことって多い。

 でも自分を頼ってくる優子に、糸子は一方で、ホッとしたりもするのです。
 まだまだ半人前や、と思うこと。
 いくら子供が自分の上を行ったからと言って、めげたり卑屈になったりしたんでは、親としての務めは果たせない。
 そんなことを考えさせるのです。

 あ~なんかこの金曜日、中身が濃すぎるぞ。 胸やけしてきた(爆)。

 「(次のんに譲れんようになるまでは、まだもうちょっと時間があるやろ。
 有り難いことに、まだそれまで、この看板はうちのもんです)」

 聡子の姿を見ながら、糸子はひとりごちするのです。

 昭和40年元旦。 ああ~私の生まれる日が近づいてきた(笑)。

 優子の夫悟は、元旦だというのに会社の連中といろいろあるようです。 なんだかんだ言って自分の仕事をしているようですな。 しかし優子は浮かない顔をしています。
 ここでまた、カメラミスがある。
 パンを一瞬してしまうのです。
 どうしたんだ、「カーネーション」 スタッフ(あ~も~、どーでもええんちゃう)(ひょっとしてうちのテレビがおかしい?)。

 悟を見送って姉妹三人になった居間。 優子と直子は、ぎすぎすした会話を始めます(笑)。 果たしてそれはケンカに発展。 直子が店をやめてパリに行く、と言い出したからです。 聡子はテレビのボリュームを上げてケラケラ笑っています。 懐かしい定番パターンの復活です(笑)。

 「あーあ。 あんたらトシなんぼや」。 呆れかえる糸子に、聡子が 「うちが21でお姉ちゃんは28」「27!」 泣きじゃくりながら訂正を入れる優子。 聡子もテレビ見ながらしっかり話を聞いてます(笑)。

 「揃いも揃ってアホ娘が! こらアホ娘! テレビ見とらんと片付けんかい!」(笑)。




 土曜日放送分。 今週はキッツイど…。 ちょっと流すか(笑)。

 昭和40年3月。 たぶん私、生まれました(笑)。

 木岡の女房が、アイビーファッションに合うローファー靴を求められて困っている様子で、糸子に訊きに来ます。
 さぞかしアイビーで儲けようとしていた北村は儲かってんのかと思いきや、主力に据えてなかったせいでそれほどでもないらしい。 それよりも北村は、自分が目をかけた小原優子によってコレクションの道を夢見ている模様。 現実味がないとそれをけなしまくる糸子に、松田恵はそないバカにしたもんでもないですよ、と優子と直子の実力を認めようとします。 糸子はこのふたりに聡子を合わせて、自分が産んだこの三姉妹を、「いけずといこじとアホ」 と命名します(笑)。

 その 「アホ」(失礼)が持ってきたデザイン画。 またもやミニスカートです。
 恥ずかしがる若い客に、ほんまはどない思てるか、糸子は突っ込んだリサーチを開始します。
 すると、本心では履いてみたい、ということが判明する。
 サエが糸子に初めて作ってもらったイブニングドレスも、背中が大胆に開いていたのが刺激的だった、と本人から訊き出し、糸子は自分にも、そんな先進的な大胆さがあったことを、あらためて再確認するのです。
 そこに、パリにいる直子からの電話で、ミニ・ジュップという要するにミニスカートが流行り出しているという情報を聞きつけ、糸子はひとつの確信に至るのです。 「ミニスカートは、これからこの国でも、流行る」。

 優子の心斎橋のブティック開店日。 得意満面でカメラに収まる優子を尻目に、自分に握手を求めてくるゲストに、余裕の表情でそれに応える直子。 これがいわゆる、ドヤ顔ってやつですか(笑)。
 そこにやってきた北村に、糸子は早速、ミニスカートを作り、と強く勧めます。
 「絶対売れる。 死ぬほど売れるよって」
 それを試着した聡子の姿に、北村は完全にノックアウトされます。 北村、案外ウブです(笑)。
 二の足を踏む北村に、オハラ親子の四重攻撃が始まります。 「こさえ」「こさえ」「こさえ」「こさえ」(爆)。 おお~~っと北村、コーナーポストにもんどりうって倒れたぁぁ~~っ(調子乗りすぎやがな)。

 ここで注目だったのは、糸子が自らも怖がりながらも、女性たちが肌を競って見せたがる新しい時代が来ることを、予見している点です。
 確かに流行りました、ミニスカート。 北村は長いスカートもそのうち流行るんかな、と言ってましたけど、ロングスカートの時代もその次にやってくる。
 しかし当時の若い娘たちは、今に比べれば格段に脚が太かったのに、よく自分の脚をあそこまで見せたものだ、と思いますね。
 でも流行、というものは、そういうもので。

 糸子たちの目論みはまんまと当たるのですが、それを流行らせた張本人の北村が、この流行についていけてない(笑)。 サングラスをかけて、ニョキッとした脚を見るたびに道のはじっこを通って、まるで渡世の裏街道を歩いている後ろ暗いおかたみたい(笑)。

 そんな北村を、糸子はまたまた品のない笑いであざけります(笑)。 「ヒヒヒ、ヒヒヒ…困っとる困っとる、オッサンが」(笑)。 「はぁぁ~うっとうしいのう…」(笑)。

 目のやり場に困ったのは、私も経験ありますわ(笑)。 数年前の、ローライズの流行(笑)。 あないな格好して、どうしてしゃがみたがるんでしょうね、オンナって(爆)。

 恥じらいを問題にしたがる北村に、糸子はこう言い切ります。

 「恥じらい? あんたほんなもん、もう犬も食わへんで。

 オッサン!(ハイッ!…笑)

 気の毒やけどな、ほんな自分の時代がどうやらな、ほなもんもうこだわっちゃったらあかんねん。

 時代はどんどん変わってんやでぇ。

 女の子は脚出してええ。
 オヤジに怒られたかてかめへん。
 嫁になんか行けんかてかめへん。
 そういう時代やねん!

 さっさと頭切り替えな、取り残されてまうでぇ~」

 昭和41年。 古い時代が、駆逐されていきます。




 はぁぁ…。

 昨日はちょっと晩酌飲みすぎたのと、「家で死ぬということ」 というドラマをつい見てしまったことで、アップがえらく遅れてしまいました。
 かんにんやで、堪忍…(ハハ…)。

 それにしても、オノマチサンの糸子が、あと1週。

 来週は、惜別の週となることは必至ですが、脱皮した夏木マリサンの糸子にも、期待をしたいと思います。

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2012年2月25日 (土)

「家で死ぬということ」 ただ淡々と、時は過ぎゆく

 NHK名古屋放送局制作のこのドラマ。
 岐阜県白川郷で、ひとりの女性が、自分が人生を送ってきた合掌造りの家で、人生を終えていく、というストーリーでした。

 その女性を演じるのが、渡辺美佐子サン。
 最近では 「おひさま」 での高貴なおばあちゃん役が印象に残ってますが(全部見てないのによく言うよ)、まあ私の場合渡辺美佐子サン、と言えば 「赤い疑惑」 で八千草薫サンから交代した、大島幸子(優子じゃないよ)つまり百恵チャンの、血の繋がってない母親役。

 八千草薫サンが交代した事情については、まああのときは 「俺たちの旅」 なんかもやってましたし、八千草サンが忙しかった、ということがあったのですが、それはさておき、可憐な八千草サンの後釜として登板した渡辺サンに、当時小学校5年だった自分はあまりいい印象をもってなくて(失礼、昔のことなんで時効にさせてください)。
 なにしろなんか、役の交代と共に、役柄まで変わっちゃった感じだったんですよ。 とてもナイーブなお母さんだったのに、急にがさつで江戸っ子みたいなサバサバ系。
 これってかなり、思い切ったイメチェンですよね。
 普通だったら前の人の役柄を大事にしてもよさそうなものなのに。
 で、渡辺サンに対して持った小学生のガキが持ったイメージは、「強気なオバチャン」。

 今回自宅で亡くなっていく渡辺サンが演じたその女性も、結構勝気タイプでした。
 渡辺サンの娘は西田尚美サン。 母親のそんな勝気なところに反発して白川郷を飛び出し、母親が余命3カ月だというのにそれを一顧だにせず、サエない夫と就職浪人中の息子を現地に派遣します(表現がおかしい…)。

 そのサエない夫役が、高橋克典サン。 息子が庄野崎謙サン。
 高橋サンは西田サンに命令されて、渡辺サンを東京の病院に連れてこようとするのですが、渡辺サンは 「自分のうちで死ぬ」 と言ってまったく聞く耳をもたない。

 高橋サンは結局、合掌造りの家のメンテ、漬物作りなどに駆り出されるのです。
 そしてそのうちに、病状が重くなっていく渡辺サンの介護までするようになる。

 会社では閑職に追われて妻の稼ぎを当てにしなければならなくなっていた高橋サン。 最初のうちは 「なんで自分がこんな目に」 というイヤイヤながらのお勤めだったのですが、そのうちに白川郷での暮らしに、一本筋が通っていく。 そして義母の危篤の際には、それまで頭が上がらなかった妻の西田サンに 「母親の死に目に会うこと以上に、大事な用事なんかあるか!すぐ来い!」 と一喝するまでになる。

 そして母親の死の床に駆けつけた西田サン。
 それまで冷たく反発し続けていたわだかまりをすべて脱ぎ捨て、母の死に涙するのです。

 そしてその葬儀の夜。
 渡辺サンが高橋サンの手を借りて漬けていた、赤カブの漬物を皆に振る舞おうとして、高橋サンは絶句します。
 赤カブが赤く漬かるかどうかが腕の見せ所だ、と言っていた渡辺サン。
 アンタがかきまぜて、さてどうなるだろうねぇ、と言っていたのですが、高橋サンがかきまぜたその漬物は、見事に赤かったのです。

 号泣する高橋サン。

 私も泣かせていただきました。
 確かにその漬物は、義母のアドバイス通りに高橋サンが漬けたものだったのですが、それってやっぱり、故人の手のかかった物、なんですよ。
 縁起でもない話をするようですが、もし自分の母親が亡くなったとして、冷蔵庫から、母親が作った料理なんかが出てきたとしたら、かなり切ないです。
 それが親が生きていた証拠みたいなものだし、生身の触れあい、というものがその料理には、確実に存在している。 母親の手は、その材料を確実に触っているからです。

 ドラマで見事に赤くなっていたその漬物には、亡くなった義母の思いが凝縮されている、そんな思いに襲われて、私も泣けてしかたがなかったのです。

 話の大筋としてはこんなものなのですが、展開としては、特に奇を衒ったものなんかひとつもなくて、淡々と流れていくかのような話でした。

 「家で死ぬということ」、という題名がついたこのドラマ。
 これは白川郷の合掌造りの家であればこそ、ここまで渡辺サンがこだわって、この場所で死にたがるという説得力を生じていましたけれど、実際のところフツーの家とかマンションに住んでいる人にとって、「自分の家」、というものに、それだけ執着があるものかどうか、それは疑問です。

 けれども、自分が生まれ育ったとか、子供たちとの思い出が詰まっているとか、長くその家に暮していれば、いくらフツーの住居でもそれなりに思い出は、出来ていくものです。

 それにしても。
 以前だったらこの手のドラマに対して、おばあちゃんがかわいそう、とかいう視点で見てたような気がするんですよ。 涙のポイントもそこ。
 けれども自分が歳を重ねてくると、年寄りにだって若者とまったく変わらぬプライドというものがあるんだ、そう思えてならないのです。
 よく昔話とかでは、おじいちゃんおじいちゃんした人とか、おばあちゃんおばあちゃんした人とかが出てくる。
 だけど実際は、「ワシは○○なんじゃ」 なんて言う老人って、…いませんよねぇ(笑)。
 老人は子供に戻る、なんていうコンセプトも、老人を誤解するファクターだと思うんですよ。
 もし自分が老人になったら、「やれやれ疲れたわい…どっこらしょ…(爆)ジジクセぇ~~っ!」 みたいに言うよーな気がする(笑)。

 今回このドラマを見ていて泣けたのは、「かわいそう」 とかいう観点ではなかったように感じます。
 人はその地に生まれ、その地で育ち、その地で老いていく。 親は子を産み、子は親を看取る。 それが繰り返されていく。
 まあひとところにとどまって人生を終えていく人というのも稀だとは思うのですが、時というものは、すべてを押し流して、淡々と人の人生を見送っているような気がするのです。

 そんな、「すべてのものは流れゆく」、という、摂理に対して、泣ける。

 なんかわけの分かったような分からんような感想ですが、少なくともこのドラマを見て号泣する若い人との号泣ポイントは違う、と感じたことは事実です。

 それは自分がこれから近づいていくであろう、次の世界への扉が、そろそろ遠くに見えだしたことの証拠なのかもしれません。

 どういう人生の終わり方をするのかは、誰も分からない。

 それでも、若い人が考えるような、かわいそうな人生の最期なんか送ってやるもんか、と考える、自分なのであります。

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2012年2月19日 (日)

「カーネーション」 第20週 自分が本当に欲しいものとは何か

 今週の話の流れとしては、直子が店を立ち上げ挫折を味わっていく過程と、それをサポートしようとする優子の心の推移、そしていくらテニスで名を上げようとも母親に認められず、孤独感を募らせていく聡子、このコシノ三姉妹の話がメインだったように思えます。

 そう、もともとこのドラマは 「世界的なファッションデザイナーであるコシノ三姉妹を育てた母親とは」、という興味から出発している。
 だからいくら聡子がテニスで頑張ろうとも、いずれ聡子も洋裁の世界へ入ってくることは、視聴者にはバレバレ、なんですな。

 その 「先がバレバレの話」 をどうやって見せていくか。

 それはやはり、得意げに持ってきた賞状の入った筒をさりげなく隠すとか、ふと寂しい表情をさせるとかしながら、最後には聡子のなかにたまっていた鬱憤を爆発させる、というベタな話しかないだろう。

 このドラマは始まった当初から、そんな 「視聴者に先が見え見えの話を正面突破して感動させる」、という手法のまま突っ走ってきました。
 善作は糸子のしようとすることに、反対することは目に見えている。
 けれどもなんとか頑張って、糸子はその父の思いを超えていく。
 予定調和と言えば、これほど予定調和だらけのドラマもない、と言っていい。 しかし。

 「先が分かってるからってなんやっちゅうんや」。

 このドラマは、そのことを恐れない。
 回避しようとすらしない。
 他人様に自慢できるようなご立派なことなんかないかもしれへんけれど、登場人物たちは、だんじりのように自分の人生を力強く突っ走っていくのです。

 そしてこの、今週メインの話であるように思われた、コシノ三姉妹の話の裏で。

 実は糸子にとって、第2の脱皮とも呼べる時期が近付いていることを、見る側は静かに感じることになるのです。
 私はこっちの話のほうが、今週のメインであると思われて仕方ない。
 少々お笑いに煙をまかれたような、ベタな展開が続く中で、糸子は自分の本当に進むべき道を模索している、そんなふうに私は感じたのです。

 今週はでも、レビューが楽そーな気がするのですが(話がベタなんで)、…んー、やってみないことには分かりません…。





 月曜放送分。

 昭和34年6月。

 優子がオハラ洋装店で、仕事で失敗しながらも曲がりなりにも歩き始めようとしたそのとき。
 妹の直子から、電話がかかってきます。
 「なんやごっつい賞を獲ったらしいけど…」 電話を取った松田恵は事態がにわかに飲み込めない。
 「なんの賞?」 と色めき立つ昌子や糸子を尻目に、優子がポツリとつぶやきます。

 「装麗賞や…うちが獲られへんかったやつや…」

 それは若手デザイナーの登竜門。 優子は寂しそうにその場を去りますが、糸子はそれを敏感に見つけます。 ここで糸子は 「妹に追い越されてしまった姉」 の構図を即座に理解したように見える。

 しかし糸子はその後、あえてその優子の前で、喜々として駆けつけた八重子と一緒になって、直子の受賞を騒ぎ立てます。
 「ドラム缶みたいな服」 と、糸子は直子のデザインした服を 「理解不能」 とけなしながら、新聞の取材がようさん来たとか、優子の前でこれ見よがしに自慢げにしゃべるのです。

 これって、糸子の無神経、でしょうかね?

 まあ平たく考えれば、糸子が優子に、「これしきのことでへこたれたらアカン」 と叱咤している姿ともとれる。
 けど、ここで糸子は、直子のことをけっして褒めていないのです。
 新聞社が来て鼻高々だとかいうのは確かに優子の心を傷つけるけれども、糸子のスタンスとしては、「だから何なんじゃ」、だと思う(笑)。 そんなことでいちいち傷ついていたら、心がいくつあっても足らへん、という感覚。
 却って母親の心情としては、「優子、あんたにはあんたのやるべきことがあるんや、その道を毅然と行き」、というところじゃないか、と思うのです。 「へこたれたらアカン」 と同じかもしれないけれども、こちらのほうが厳しい。
 単なる激励、と違うんですよね。 もっと突き放している。 それはもう無神経と紙一重のところで。
 些細なことかもしれないけれども、この 「無神経と紙一重」 のギリギリのところを、今週の糸子は演じていた、と思うんですよ。 聡子に対する態度も含めて。 これって重要なポイントのような気がする。

 別の日、直子からの電話を、優子は偶然受け取ります。 自分のなかにある嫉妬心や羨望、劣等感などをすべて押し殺して、優子は直子の受賞を喜ぶのですが、直子はそれが気に入らない。
 これって 「ええかっこしいの姉が、また下らない見栄で余裕をカマしている」 という怒りではないと思います。
 まああとから、その理由は明確に語られるのですが。
 とにかく気に入らないなら優子に直接話せばいいのに(笑)、直子はそれをしようとしません。
 「お母ちゃんに代わって」 と告げると、直子は母親に向かって、そのモヤモヤをすべて吐き出します。

 「ちょっとお母ちゃんなにアレ? なんであんな呆けてんよ? アホちゃうか? うちがちょっと装麗賞獲ったくらいで、あんなふぬけた声で 『おめでとう』 とかぬかしよって! お母ちゃんな、甘やかしたらあかんで! あの根性無し、どうせ毎日メソメソしてんやろ? あんまし続くようやったらな、一発蹴り飛ばして、『アホか!しゃっきりせい!』 って、怒ったってやっっ!!」 グワジャッ!(受話器を叩きつける音…笑)。

 唖然とする糸子(笑)。 しばらく考えてから 「…なんでうちがあんたにどやされなあかんねん?!」(爆)。

 糸子が 「(普通にしちゃあたらええねん、普通に…)」 と気を遣おうとする間もなく、北村が登場。 「あの山猿が装麗賞やて!」 と無神経このうえない話を優子の前でしゃべくるしゃべくる(笑)。 優子は北村がお祝いに持ってきた花束をタイガー・ジェット・シンのように(ハハ…)北村に叩きつけ、泣きながら店を飛び出していきます(笑)。 そーです、大声で泣きながら商店街を走るなんて、あり得ません(笑)。 ここは、笑うシーンなのです(笑)。

 喫茶店 「太鼓」 で、猛反省する北村でしたが、糸子は 「かめへんて」 と意に介さないふりをします。 「しゃあないやんか~。 ここでヘンにまわりが気ぃ遣うたところでどうなるってもんでもない、あの子が自分で乗り越えるしかないんや」 と、また実に冷淡なことを口にするのです。
 ここで随行してきた聡子が、糸子のホットケーキを食べようとするのですが、糸子はこれも冷淡に断る(笑)。 じぃ~っと北村を見る聡子、北村は 「…食えや!」 と、お約束のシーンです。 このホットケーキ、今週は要所要所に出てくる気がします。

 北村の用事は、去年糸子と組んで大失敗したプロジェクトの、生地代を糸子に渡しに来た、ということ。 封筒に入っていたのは、確か前年昭和33年に日本で初めて発行されたばかりの、一万円札の束。 大きかったなあ、あの聖徳太子…。
 とにかくそれをいぶかしがる糸子に、北村は自分の腕で売り切ったと得意満面です。

 いっぽう相変わらず店先でボケーっと憔悴している優子。
 糸子はそれを、苦々しい顔で見ています。

 そこに入ってきた、こないだの倒れはった妊婦さんの母親。 優子の腕を見込んで、自分の服を作りに来たのですが、優子は辛気臭い顔のままで接客してしまう。 糸子は娘を、裏口に呼び出します。

 「もうあんた店になんか出んでええ。 お客にあんなしみったれた顔しか見せられへんやったら、店なんか出な。 商売の邪魔や」

 仕方なく優子は、松田恵が見ているテレビを一緒に見て、ケラケラ笑います。
 そのテレビには、冬蔵を襲名したばかりの中村春太郎(小泉孝太郎クン)が出ています。
 出世して、春から冬か…(笑)。
 どうもこのドラマ、春太郎がどうなったか、というストーリーを最後まで考えているような気がする…(笑)。 春太郎は物語にちっとも絡んでこないくせに(最初ほどは)、その行く末は人間国宝か、みたいな勢いに感じるんですよ。 そーゆーオチって、面白くありません? あの女たらしが人間国宝、とか(笑)。
 壮年篇で小泉クンのお父さんが出てきたら面白かろう…や、そんなことを元総理がしてはダメですね(いや分からん、ウルトラマンにまでなった人だから…笑)。

 話戻って。 糸子は、テレビを見ていた優子についてもとやかく言い始める。
 松田は仕事中だけれども春太郎のファンだから特別にその時間だけ許した。 そやけどおまえはちゃう。

 「あんた…なにしてんや?
 なにしてんやそんなとこで?
 誰がテレビなんて見いちゅうた?
 店出るなっちゅうんはな、裏でテレビでも見とけっちゅう意味ちゃうんや!」

 「ほな何したらええんよ!」

 優子はブチ切れます。

 「どうせうちには直子ほどの才能もない! 店に出たかて、迷惑ばっかりかける! どないしようもない役立たずの邪魔もんや! テレビ見て笑ろてる以外、やることなんかないやんか!」

 バシッ!
 糸子の平手が飛びます。 糸子は間髪いれずに優子の頬を思い切りつねり上げて向かってくる。 ボーリョク反対(しかし糸子、善作と一緒やな)。

 「どの口がゆうてんや、ああ?!どの口がゆうてんやっ!!

 このアホがっ!
 ひがむのもええ加減にせえっ!
 東京の学校まで行かさしてもうて、何不自由のう暮らさしてもうて!」

 「ほっといてよ!!

 どうせうちはアホや!!
 役立たずや!!」

 優子も負けていません。

 「原口先生は、あんなけあんたを認めてくれちゃったんちゃうんけ?!

 お客さんが、またあんたのために来てくれたんちゃうんけ?!

 それが見えへん目ぇは、どんなけ腐ってんやッ!! ああ?! ゆうてみ!!」

 自分にないものばかりを見つめて、どうする。
 自分が培ってきた、自分の実績を見つめないで、どないして仕事なんかできるんや? 自分の作ったものを自信を持って売ることができるんや?

 店に出な。 テレビを見て明るく振る舞うのもすな。 じゃ何やったらええねん?
 うちがどんなけ傷ついてんか、お母ちゃんにだけは分かってほしいのに! なんでそんなに無神経に突っかかってきよんねん?

 松田と昌子に止められながらも、ふたりは大乱闘であります。

 その 「ちょ…っとした騒ぎ」(糸子の独白…笑)があったあと、指にホータイを巻いている糸子のもとに、警察がやってきます。
 スワ大乱闘の通報でも受けたか、と戦々恐々として糸子が出てくると、北村を逮捕した、と警察は言う。 「その件で、お話が」。

 ダメだコリャ。 やっぱしいつものペースだ、つーか、いつもより長くありません?(笑)




 火曜日放送分。

 この取り込み中、松田は直子からの電話を受け取ります。 直子は優子に話があったのですが、また例によって直接話そうとしません。
 直子は松田恵に、伝言を頼みます。

 「こんなこと、一生に一回しかゆわへんけどな。
 ちっこい頃から、うちの目の前には、いっつも姉ちゃんが走っちゃあた。
 いつか絶対あいつを追い抜かしちゃるて、…ほんでうちも走ってこれた。
 その姉ちゃんに今さら岸和田から見守られかてな、迷惑や。
 とっととまたうち追い越して、前走ってくれな困る」

 直子が優子に直接言わないのは、一種の照れ、というものがあるのでしょうが、実は屈折した、姉に甘えたがっている心からくるものなのではないか、と私は感じます。
 だから本音は伝わらなくてもいい。 松田あたりが自分の言葉を全部伝えてくれるとは、直子は思っていないだろうからです。
 自分のとげとげしい、しかも依存心が内包された言葉など、そのニュアンスだけがまわりからやんわりと伝わってくれれば、直子にとってはいいと思われるのです。

 しかしそれどころか、直子の思いは松田から、まったく優子に知らされることがなかった(笑)。 ケーサツが来てるなんて大事件のさなかなのですから。

 どうも北村は、売れなかった服にディオールのタグをつけて売りさばいたらしい。 詐欺であります。 糸子は北村から受け取った金の入った封筒を、ケーサツに押収されます。

 動揺しまくる従業員たちに 「怖がらなくてもいい」 と言い、組合に行って事態の悪化を防ごうとし、日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き、みんなにデクノボーと呼ばれ、…ちゃうちゃう(なんやねん)、そんな大変な時でも粛々と困難を乗り越えようとする母親の姿を、つまらない個人的な傷心で仕事を疎かにしていた優子が、見守ります。 どんな糸子の説教よりも、そんな母親の背中が、子供への最大の教育になる。

 三浦組合長と話し合う糸子、ディオールのタグをもっと本物そっくりに作らんかい、と言わんばかりの論調でかなり危険なのですが(笑)、三浦は 「堪忍したってや」 とだいぶ寛容です。
 三浦は北村について、勢いはあるけど信用がついてへん、オハラ洋装店の信用度に比べれば格段に足元が脆い、とかなり的確な評価を下しています。 「うちはそんな人失敗させてしもたんやな…」 と、糸子も素直にそれについては反省する。 また人生、勉強なのであります。

 鬱々とした表情で帰ってきた糸子は、耳をつんざくような音に肝を潰します。 聡子の発案で、なんやケーサツやら辛気臭いから、爆竹を鳴らして景気をつけよう、ということになったらしい。 長崎の精霊流しか(笑)。 いや、中国の旧正月か、と突っ込んだほうが的確か。 糸子は眉をひそめるばかりですが(たぶんご近所メーワクだし)、千代なんかはノーテンキに厄落としを喜んでいる様子。 一息ついて優子が、糸子に決意を語ります。

 「お母ちゃん。 うちな、心入れ替えたよって。 明日からまた、お客さんの前に、立たして下さい」

 優子は母親の姿を見て、この店が当たり前にあるのは、母親が必死でこの店を守ってきたからだった、ということに、気付いたのです。
 糸子は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするばかり(笑)。

 「(こうゆう時に、ニカッっと笑ろて、『エライ!お母ちゃんうれしいで!』 ちゅうようなことをよう言わんのは、…血筋やろか?)」

 また肩肘ついてだらしなく寝そべりながら、糸子は父善作の遺影をそっと見上げます。
 善作の遺影。 ハルおばあちゃんの遺影。

 「(…血筋やな)」

 気の抜けたあくびをする糸子。 そのとき…!

 「ちゃう!!」

 善作の大声が響き渡り、糸子は飛び跳ねてしまうのです。 幻聴やて。 不審がる優子や聡子。 千代はうつらうつらして、それに気付きません。 ワロタ。 と同時に、小林薫サン、このためだけに再びスタジオ入りしたのかな?と思わせてしまう、うれしい再会です。

 その4カ月後。

 ドギツイ付けまつげをしている直子のもとに(考えてみれば現代も、やたらと重たいマスカラをつけたがる女性が多い風潮にある気がします)(あれは大して美しくない、とは個人的な感想であります)斎藤源太がやってきます。 装麗賞が獲れたと言って男泣きする源太。 結構しょっちゅうやってんやな、この賞。

 それを松田や昌子に報告している直子、オハラ洋装店に戻ってきているのですが、ごっつい露出気味のドレスを着ています。 それを 「うちの式にそんなオウムみたいな服着てくつもりけ?」 と詰問する優子…って、優子、結婚式なんかい!

 そこに現れた北村、執行猶予中の身だからか、収監されたからか、紋付き袴を着ているくせに、「そんな身分ちゃう」 と式によう出ようとしません。
 それを引き留める直子、北村は頑強に拒みながら、ほんまは引き留めてほしい様子(笑)。 優子は店から出てきて、「おっちゃんが式に出てくれんかったら、うちは嫌や!」 と大声を上げる。 衆人環視のなかで、「わいは、オマエに迷惑かけたないんや!」「なんの迷惑かけんねん!そんな寂しいこと言わんといてよ!」「わいかて出たいよそれは!」「おっちゃんに出てほしいねん!」「殺生なことゆうなよオマエぇぇぇ~~~っ!」 と抱き合うふたり(爆)。

 直子は北村の逮捕を知らないために、「何やってんねん?」 という顔で呆れかえり、糸子は 「茶番や…茶番茶番…」 と悟りを開いております。 結局フツーの振り袖姿で式に赴く直子。 この日オワリ。

 …って、優子の結婚相手って、いったい誰なんよぉ~~っ?!

 この相手は、結局先週出てきた、あのウサン臭い男だったのですが、このドラマ、例によってこの先しばらく、その相手について、まったく触れようとしません。 つーか、出てきたのはほんの数秒。 ほとんど黙殺状態。
 おそらくこの男、糸子に 「うちのコネなんかアテにしたらあきません」 と言われ、改心したんでしょうね。 いや、やっぱり奈津のダンナみたいに、コバンザメなのかもしれない。
 でもこのドラマの語り手は、それがさも瑣末な問題であるかのように取り扱っている。
 こういうはぐらかしが、物語に別な部分への余韻を生む結果となっていることは、明白であります。
 それを 「肝心な部分について何の説明もない」、と騒ぎ立てるのは無粋である。
 行間を読む、という行為が、物語を味わうひとつのよすがとなることに、ひとは気付かねばなりません。





 水曜放送分。

 昭和35年10月。 優子の結婚式から、1年後の場面から始まります。

 糸子はサンローランの言葉について、単語の意味を聡子に訊いたりしています。 「シンプル」 とか 「シルエット」 とか、実に簡単な単語なのですが、アホの聡子(アホの坂田みたいやな)は分かりません(笑)。
 聡子は仰向けに寝そべりながらマンガ本?を読んでいるのですが、その両脚は糸子の膝の上。
 これってかなり変なシチュエーションじゃありません?
 糸子はそのとき聡子の靴下に穴があいていることを発見するのですが、自分が縫ってやるでもなく、指摘するのみ。
 千代だけは、そんな聡子が母親にかまわれたがっている真実を見抜いています。 千代に促され、糸子は聡子が獲った、秩父宮賞についてちょっと褒めてみます。 仏壇に向かって、「ありがたやありがたや…」(笑)。 聡子はとてもうれしそうに、ひとりまた寝そべって、足を軽~くバタバタさせます。
 今週は先に指摘したとおり、このような聡子の 「神聖かまってチャン」 的なベタな演出が、そこかしこに展開されます。

 世は高級既製服、プレタポルテの時代へと移行しつつあります。 糸子がサンローランのことを学習しようとしていたのもその一環だと思われる。
 ただし既製服、つまりレディメードについて詳しい北村が講師となって組合で女性経営者たちに解説をしても、糸子はまだオーダーメイドにこだわっている感じ。
 しかしここで、糸子の思索は、来るべき夏木マリサンの壮年篇に向けて、始動したように私には思えるのです。

 「(昔は、あんなけ待ち望んじゃった時代の変化っちゅうもんが、今のうちにはなんや怖い。

 アメリカのもんやからって、そないジャンジャカ売れることももうないし。

 下駄は完全に、靴に取って代わられてしもた。

 …うちは今、47。

 お父ちゃんが呉服屋の看板を下ろしたんは、50の時やった…)」

 商店街を通って自分の店に戻ってくるまでのこの糸子の思索のあいだ、木之元のおっちゃんの店はさびれ、木岡のおっちゃんの店も半分たたまれている?ような様子が、映し出されます。
 そしてオハラ洋装店のショウウィンドウに映った、糸子役の尾野真千子サンの姿。
 物語がだんじりのように先へ、先へと向かっていくなかで、なんやひとり、彼女だけが、若いころの姿のまま、取り残されてしまったような感覚に、私は襲われました。
 もう、オノマチでは糸子が表現しきれない年代に、突入しつつある。
 今までキャスティングに、ほぼいささかの疑問も生じることなく突き進んでいたこのドラマに、初めて生じた違和感。
 47というと、私ももうすぐなりますが(笑)。
 私の場合、気ばかり幼いままで、顔をまじまじと見ると、歳を取っていることに今さら驚かされる、という逆のパターンであります。
 糸子の場合、表情は若いままなのに、気持ちだけが、老成しつつある。

 そんななかで意気軒高なんは、昔からの知り合い、サエです。 久々に店に来て、優子の大きくなったお腹をさすっています。
 ダンスホールの踊り子から、心斎橋の高級クラブのママへ。 サエの歩んでいるのは、順調な出世コースのように思えます。
 彼女は 「男」 に対する執着心で、最新モードには目もくれず、自分の信念に基づいて、従業員の女の子たちのドレスをオハラ洋装店に頼み続けている。 何の迷いも、そこにはありません。 糸子にはその潔さが、まぶしく思えている。

 「(うちは欲張りすぎなんや。 サエみたいにほしいもんをひと言でようゆわん。

 自分がええと思う服を作りたいけど、商売もうまいこと行かせたい。

 時流に流されてたまるか思てるけど、時代に遅れてまうんは嫌や)。

 はぁぁ…しょうもな。 アホらし。

 (ほんなもん、根性据わらんで当たり前じゃ。

 …うちがほんまに欲しいもんて、…なんや?)」

 この糸子の思索は、物語上、かなり重要だと思われます。 糸子は70を過ぎてから、自分のブランドを立ち上げることになる。 その端緒となるべき思索のように思えるからです。

 そんな展開が自分に待ち受けていることを夢にも考えていない糸子、年末に帰省してきた直子が北村と、プレタポルテについて話がはずんでいるのを横で聞いていて、北村にツッコミを入れたりしています。
 既製品でもデザイナーブランドで高く売ることができる。 タグ貼っ付けただけでオモロイように売れる…て、それで捕まったのはどこの誰やねん?(笑)
 ここでようやく直子は、北村がタイーホされたことを知るのでした(笑)。

 その夜、ゴミ袋みたいな黒いテカテカの生地のパジャマ(まあ、自分のデザインでしょうな)を着た直子が、妹の聡子と将来について突っ込んだ話を寝床でしています。
 テニス選手になったらええやん、という直子。 姉の優子に対して一触即発、みたいな雰囲気なのとは打って変わって、リラックスモードです。
 けれども聡子の返事はつれません。 「う~ん…。 ほんでもお母ちゃんはあんまし喜ばへんやろ?」。
 いつものようなのんきなしゃべりかたにも関わらず、聡子の本音がそこには詰まっている。 「うちが賞やらとっても、ちょっとしか喜ばへんかった。 お姉ちゃんが装麗賞獲ったときのほうが喜んじゃった」。 秩父宮賞のほうが、装麗賞よりよほどごっついで、という直子。 そりゃ、4か月にいっぺん出るような賞よりはなぁ…。 「やっぱしお母ちゃんは、自分の仕事と関係なかったら、あんましどうでもええみたいや」。 直子は、「お母ちゃんなんかどうでもええやん。 自分のほんまにやりたいことしいや」 と直言します。 聡子は 「ふ~ん…」 と気の抜けたような返事をしながら、表情は真剣です。

 昭和36年正月。

 木之元のおっちゃんが、アメリカ商会をたたむことになるのですが、拾う神というものもあるもので、「太鼓」 のマスターが引退することで、そのあとを任されることになります。 木之元の息子は日本橋の電気店へ。 日本橋ゆうても、東京の 「にほんばし」 ではなく、大阪の 「にっぽんばし」 です。
 時代は変わっていきます。 おそらくこの後、喫茶店にも厳しい波が訪れるはずなのでしょうが、木之元のおっちゃんはたくましく生きていくはずです。

 考えてみれば当時は年功序列終身雇用が今よりもずっと当たり前の世の中でした。 そのなかで商店街の人々は、自営業の代表。 どんな商売でも、流行り廃りというものがある。
 現代は、一般のサラリーマンでさえ自営業的、みたいな世の中なような気がします。 社会に出てから40余年、ずっとひとつの仕事に携わる、ということがとても難しい。 そんな現代から見て、木之元のおっちゃんの変遷していく物語は、とても羨ましいところがあるけれど、飄々としているところが参考になる気がする。

 糸子にも初孫が誕生します。 「(人生ちゅうんは優しいもんで、何が欲しいかもようゆわんような人間の手にも、急にポコッと宝物をくれることがあります)」。 この糸子のモノローグは、木之元のおっちゃんが新しい就職先を賜ったこととリンクしています。
 糸子と聡子は、互いに 「叔母ちゃん」「おばあちゃん」 と言いながら、初孫の理恵をあやしています。




 木曜放送分。

 昭和36年5月。

 直子が4月から東京は銀座の百貨店に、自分の店を出すことになったのですが、このごろ頻繁に、その直子から電話がかかっています。
 電話代を心配する糸子に、千代は仕事がキツうてへこたれてるんとちゃうか、東京に行ってみてきたらどうか、と提案します。
 糸子は 「こだま」 で東京へひとっ飛び。 新幹線の開業まであと3年とちょっとですが、それでもこの特急列車で7時間、だいぶ昔に比べれば、楽になったはずです。
 糸子がいざ、直子のブティックに来てみると、店先には絵の具をぶちまけたような自転車のがらくたが、奇抜な服と一緒に展示されている。 昭和36年というと1961年ですから、サイケデリックが流行るまでには、あと5、6年は必要な時期です。 要するに時代の先を、直子の感性は行きすぎている。

 糸子が店に入ろうとすると、デパートの支配人がやってきて、「この鉄クズを撤去しろ」 と苦情をまくしたてる。 その昔の國村支配人、そう言えば懐かしい。
 そこで店内の様子も分かるのですが、店内もかなりアーティスティック。 ワレワレハ宇宙人、ボヨヨヨヨ~ンみたいな服を着てしぼられる直子を、後ろにいる従業員たちはくすくす笑って見ている。 従業員たちとの関係も、最悪なようです。
 糸子は陰からその様子を見て、出直してくると、今度はさっきの支配人から、あいさつの仕方について厳しいレクチャーを受けている始末。 糸子はまた出直します(笑)。
 そしてさも初めて来たようなふりをして店に入ってきて、直子のバレバレの見栄にも付き合ってあげる糸子。 ところがそこに憤然とクレーマーがやってきて、お宅で買ったパンタロンを直してほしい、と言ってくる。
 ヘンなところにポケットがあるために、歩きにくくてしょうがない、というのです。

 機能性より芸術性を重視する直子には、それが気に入らないのですが、糸子はきっぱりと言い切ります。

 「服っちゅうんはな、買うたひとが気持ちよう着て初めて完成するんや。 ほれ、やり直し。 手伝どうちゃるさかい」

 厳しくも温かな母親の存在感に、直子はホッとしたのか、泣いてしまいます。 奇抜なファッションで 「武装」 しているからこそ、その気の抜け方が、こちらの胸にも響いてくる。

 その夜、あのフェノメノンを交えて、糸子が店屋物の寿司をおごろうとしています。 その注文をケチろうとする仲間のひとりの様子からして、直子が窮状していることがうかがい知れ、さらにそれは仲間うちにも知れ渡っている様子です。

 ここで糸子は、斎藤源太が作ったという、あの撤去された自転車のオブジェを 「見た見た~」 と言って、ずいぶん前からブティックに来ていたことが、ばれてしまいます。 そこはそれ、大阪のオバチャンの強引さで押し切ってしまうのですが、「若い子ぉのやることは自分には分からんからて間違うてるとは限らんちゅうことを覚えたんよ」 と寛容なところを見せます。

 「要はな、外国語みたいなもんや。
 うちには分からんでも、それで通じおうてる人らがいてることは分かる。
 ほんでな、相手がどんくらい本気か、気持ちを込めてゆうてるかっちゅうんも、なんとのう分かるもんなんや。
 あの鉄クズは本気なんやなぁって思うたで」

 彼らの語る夢は果てしなく大きい。 プレタポルテのデザイナーとなって、世界中に自分のデザインした服を着てもらいたい、というのです。 直子は、東京をファッションデザインの発信地にしたい、という夢を、目を輝かせて語ります。

 この直子を含めた、フェノメノンたちの夢は、糸子を新たなステージへと飛翔させる、大きな引き金となっている感じなのです。

 「(若い子ぉらの夢の形は、思てもみんほど、広々と、どこまでも高うて、聞いてるこっちまで、飛んで行けそうでした)」。

 青空に白い雲。 トンビは飛んでないかもしれませんが、いつか善作が見上げたように、糸子は夢が駆け巡っているかのような空を、見上げます。

 「(夢は大きいほど、壊れやすいかもしれんよって、どうか、どうか守っていけるように)」。

 糸子はフェノメノンたちに、食料を仕送りしてあげるのです。

 糸子は北村に、木之元のおっちゃんがマスターになった 「太鼓」 へと呼び出されます。
 聡子を伴ってきた糸子。 どうやら北村は、聡子に話がある模様。 糸子はホットケーキとココアを注文します。 このココアを、糸子は文句も言わずに飲んでいました。 ああ~また、サイドストーリーが気になる…(笑)。 ココアをめぐる物語…。

 北村は、「聡子をわいに預けへんけ?」 と訊いてきます。 聡子をプレタポルテのデザイナーにしたい、というのです。
 糸子はその、あまりにも突飛な提案を拒絶します。 「アホか」。

 ところが聡子は、この提案に乗ってくる。 ここで聡子が乗り気なところを見せたのは、物語上必須であります。 しかし糸子はそれも一蹴。 「あんた一枚でも、デザイン画描こうとしたことがあるか?」。 聡子はぐうの音も出ないのですが、洋裁への思いが募っていることだけは、見る側に伝わってくるのです。




 金曜放送分。

 「(とにかく、上機嫌が身上やった勝さんの血ぃをいちばん引いてんのが聡子で、上のふたりが取っ組み合いしている横で、いつもヘニャヘニャ笑てるような子ぉやったさかい、聡子のことを各別心配したっちゅう覚えがありません)」。

 そんなヘニャヘニャ聡子のなかで、湧き上がりつつあるもの。
 ドラマの語り手の主眼は、そちらのほうにある。
 自分の本当にやりたいこととは何なのか。
 今度テニスの全国大会に出る、という聡子にも、その究極の選択が、迫っているのです。

 優子が産休明けから、オハラ洋装店に復帰します。 それを冷ややかに見る糸子。 糸子は3人の娘を産んだ時も、そらまるで片手間のようやったですからね。
 娘の理恵を保育所に預けてきた、という優子に、おばあちゃん(千代)に任せたらええやん、という糸子。 ここにも母と娘の生き方の違いが、さりげなく表現されています。 優子にしてみれば、完全に善作に任せっきりだった母親のやり方を見て、自分の娘を保育所に預けている。 幼な心に、善作やハルおばあちゃんの負担を、感じ取っていたのでしょう。

 いっぽう直子は、意志の疎通がうまくいっていなかったブティックの従業員から、三下り半を突き付けられます。 孤立無援になってしまったのです。
 泣きながら松田に電話してくる直子。 かつて装麗賞を獲得した、直子のプライドは、すでにずたずたです。
 緊急会議が開かれるオハラの店。 そこに聡子が、何かの賞状を持ってスキップで帰ってくるのですが、みんなの深刻な顔を見て、それを引っ込めてしまいます。

 直子に助っ人を送り込もうという話になり、そこに優子が名乗りを上げます。 理恵どないする気や?と反対する糸子に、優子はこない言い切ります。

 「お母ちゃん。 悪いけど。

 今のうちの店に直子の仕事を、ほんまの意味で手伝える人間は、ほかにいてへん。 うちだけや。

 正直、お母ちゃんとか昌ちゃんとかでは無理やと思う」

 喧嘩を売っているような優子の言いぶりに、糸子は色めき立ちますが、優子はかまわず言葉を続けます。 直子のけったいな服を理解できるのは、うちだけや。 常識で考えたらオウムみたいな服やけど、あの子の才能は、悔しいけど本物なんや。

 「直子が今、あの年で、東京みたいな厳しい街で、何をやろうとしてんのか、うちにはよう分かんねん。

 それがどんだけ難しいことか。

 あの子が求めて、苦しんでる理想が、どんだけ高いもんかをほんまに分かって手伝うてやれるのは、…うちだけや」

 優子はまたまた必殺技の、土下座をするのですが、糸子は席を蹴ります。 「知らん! 勝手にしい!」。

 千代はそんな優子に、「直子にうなぎでも食べさしちゃり」 と、餞別を持たせます。
 この千代。
 聡子のこともちゃあんと見てるし、どの孫に対してもきちんと目が行き届いている。
 糸子が子供たちを顧みないことの穴埋めを完全に全うしている点で、小原家をきちんと下支えしているのが、さりげなくすごい。 若いころからの茫洋ぶりなのですが、彼女なりの役割、というものに落ち着いている。

 糸子は優子から、自分がもう時代遅れみたいに言われたことが癪に触って仕方ありません(笑)。 アタリメをかじりながら酒をかっ食らい、「半人前が! なんじゃあいつら、あんーな仲悪いクセに!」 と、善作が乗り移ったかのよう(笑)。
 またゴロ寝怪獣になった糸子(笑)、そばで食事を取っていた聡子に、直子の服は変やろ?と訊くのですが、聡子はうちもあんなん着たい、と無邪気に言い切ります。 それに果てしなく絡む糸子(笑)。 絡み酒かい(笑)。
 賞状の入った筒が、置き去りになってます。

 東京。
 チラシを配り続ける直子。
 プライドだなんだと言っている場合ではなくなっている模様です。
 そこにやってきたウィンドウショッピングの客。
 直子の服を嘲笑って去っていきます。
 装麗賞の評判でやってきた客も、冷たく一瞥するのみ。
 孤独を噛みしめる直子。
 そこに後ろから足音が近づいてきます。
 「いらっしゃいま…」
 しおらしくあいさつをしようとする直子の前に現れたのは、理恵を抱いた優子です。

 思わず泣いてしまう直子。

 ダメだここ。

 涙腺崩壊する。

 直子が、「私を見て!」 と言わんばかりの派手な服を着て、メイクもかなりとんがっているがゆえに、このシーンは泣けるのです。

 さっきだいぶ前に解説したのですが(笑)、これは要するに、こんな恰好をしていなくても、人が常にしている 「外敵からの武装」、いわば 「心の壁」 の象徴なのです。 エヴァ的に言うと(笑)ATフィールド。
 それが突き崩された瞬間、人は安心して、泣いてしまう。

 自分の追い求めている夢が大きいからこその、挫折の大きさ。
 先週分で解説しましたが、装麗賞と言っても、単になんちゃら審査員の評価でしかない。
 そんな一面的な評価は、その人の自信を空洞化させる危険性を、常に孕んでいるのです。
 そんな壁にもろにぶち当たっていた直子。
 だからこそそこに、最大のライバルと直子が考えていた姉の優子が来た、ということの心強さが、直子を泣かせるのです。
 さっき解説したように、直子には、姉に甘えたい、という屈折した感情がある。
 それが噴出してしまった、とも言えるのではないでしょうか。

 …こうして解説してしまうと、泣けなくなってくるな(笑)。

 仏壇に朝のあいさつをする千代。
 相変わらず、異人たちとの会話がこの物語の底辺を、静かに流れています。
 そこで千代が一瞥し、仏壇のなかに置いた、聡子が持ってきた賞状の入った筒。
 それはテニスの大阪府大会で、聡子が優勝した賞状だったのです。





 土曜日放送分。 あ~くたびれた。

 優子は無敵の外面スマイルでデパートの支配人をすぐさま魅了(笑)。
 奇抜な服に眉をひそめる客にも 「カラスみたいでしょ?」 と笑いを取り、「でも私が着てるのも、ここのデザイナーの服なんですよ?」 と効果的に商売をしていきます。 糸子の厳しいビジネスの薫陶が花開いている。

 お客に媚びんでもええ、と憮然とする直子に、優子はいったん店の周りに人がいないことを確認してから、直子をクリアファイルでどつきます(笑)。

 「アタっ! なんやっ?!」

 「このクソガキっ! いつまで甘ったれてんやっ!」

 「はあっ?!」

 「これは商売なんや!
 クサレ芸術家気取りも、ええ加減にしいっ!」

 そこに入ってきた支配人。 「やぁ~~小原姉妹、どうだね調子は?」

 優子はジキルとハイドのように豹変、ニコニコ満面の笑みを作って、「ああ~、どうも! おかげさまで、なんとか頑張っておりますぅ~」(爆)。

 そして聡子は、テニスの大阪府大会優勝者として全国大会出場のため、東京に行くことに。 祝賀会が 「太鼓」 で開かれるのですが、そこで目を引いたのは、木岡のおっちゃんの老けぶりでした。 幸いなことに女房も健在でしたが、あの下駄屋はいったいどうなったんでしょうか。

 聡子が東京に行く日、糸子は徹夜明けで、ミシンの前に突っ伏して寝ています。
 「ああ…行くんか…気ぃつけてな…」
 起きがけの眠たい目のまま、半分機嫌悪そうに言うだけの糸子。
 聡子は構わず、明るく出発します。

 東京の、あの下宿にやってきた聡子。 中は…。
 あのおどろおどろしい魔女の部屋は、幾分緩和されていたようです(笑)。
 連れてきた優子もすぐ店に戻ってしまい、ちょっとさびしそうにする聡子。
 しかしこれは、聡子が望んだことなのです。
 ホテルでも取りゃいいのに、という糸子のモノローグ。
 でもそこでなんの世話もされないまま、姉たちの仕事ぶりを見ていた聡子には、テニスよりもやりたいこと、という気持ちが、徐々に膨らんでいくのです。

 そんな聡子、なんと全国大会で優勝してしまう。

 姉たちとその喜びを分かち合う聡子ですが、アホの聡子は(笑)実家に連絡を寄こさなかったために、糸子がそれを知ったのは、翌朝のこと。
 しかも中学時代の恩師とか顧問とかゆー人に叩き起こされて(笑)。

 糸子、額を赤くしたまま、それをメーワクそうに聞くのですが(今週は赤いポイントがあまり出て来よらんと思っていたら、ここか…笑)、「…なんや、そんなことか…」(笑)。 そんなことかて(笑)。 「ほなまた、本人帰って来てから、直接ゆうたってください」 とまた寝てしまいます(笑)。

 それにしてもですよ。

 糸子は何を、そんなに徹夜続きで頑張っておるのでしょうか。

 仕事がいくら忙しいと言っても、それまでこういう描写は、一切なかったように思うのです。

 これにはどうも、糸子が将来に向けて、何かステップアップを企んでいる、という匂いを、強く感じる。

 あと2週間。

 糸子が夏木マリサンに脱皮するまで、あと2週間なのです(宇宙戦艦ヤマトか)。

 商店街に横断幕が張られ、大騒ぎで帰ってきた聡子に、糸子も一応はお追従のように、聡子を褒めてあげます。

 「お帰り。 ごっついなあ。 全国1位か!」。

 しかし糸子はすぐに仕事に復帰してしまう。 それを一瞥する聡子。

 聡子はみんなに祝福されながらも、思い詰めたような顔をしていきます。 夜中に糸子が操るミシンの音が鳴り響くのを、寝床でずっと聞いている聡子。 その音が聡子の頭いっぱいに鳴り渡ったところで、聡子は決意するのです。

 居ずまいを正している聡子。 やってきた糸子に、今日限りでテニスやめるわ、と言い出します。
 糸子はなんとなく他人事みたいな感覚で、「なんでや?もったいない」 と引き留めます。 ただしそれは、けっして強い調子ではない。
 この糸子の態度、無責任と紙一重で、尾野真千子サンのその演技バランス感覚が、とてもいい。
 糸子はもとより、娘たちに対してあれこれと干渉するタイプではありません。
 ちゃんと生きていけるんやったらそれでええ、という態度です。
 ところがそれは、常に無責任、と隣り合わせの状態。
 それを冷たい、と取るか、信頼されている、と取るかは、人によって違います。
 聡子はそれを、冷たいと取った。
 のほほん聡子の次のセリフは、見る者の心を打つのです。

 「…もうええんや…」

 「はぁ?」

 「…やれるとこまでやったよって」

 「いや、せやけど…」

 糸子は言いかけて、聡子の感情が高ぶっていることに、初めて気付きます。

 「…

 もうさみしい…」

 …

 驚いた表情の糸子。

 「…さみしいさかい…」

 泣いてしまう聡子。

 ダメだなあこれも。

 泣ける。

 「(うちは、なぁんも気ぃ付いてへんかったけど、上2人の取っ組み合いの横で、いっつもヘニャヘニャ笑ろてたこの子にも、いろんな思いがあったようでした)」。

 洋裁をやると聞いて驚く千代に、聡子はこう言います。

 「もう全国1位とれたよって。
 …
 そらうちは、お母ちゃんも姉ちゃんもみぃんなそればっかしや。 うちだけずっと仲間はずれやったんや。

 …

 やっとや…。

 こんでやっと仲間入れる…」

 全国1位になったからもういい。
 これをもったいないかそうでないかを決めるのは、やはり本人次第だ、と思うのです。
 ひとというのは、どこを目標にしているかで、ゴールそのものも決定的に違ってくるのです。
 町内の1位なのか。
 都道府県の1位なのか。
 全国の1位なのか。
 世界の1位なのか。
 ひとは欲張りだから、どうしても世界を目標に据えたがる一面があるけれども、アスリートたちは、自分が体力の限界に挑戦しながらも、限界が分かるだけに、ゴールを自分で決定する選択に迫られるわけです。 他人がとやかく言うことじゃない。
 聡子の選択を、「母親にかまわれたがっているから」 と安易に判断してしまうことは、誤りであると私は感じます。
 その視点から見ていくと、今週の話は、限りなくベタに近くなっていく。
 どうせ聡子もファッションデザイナーになることは分かっているから、と見くびりながら見ていると、聡子が直面していたアスリートとしての意識の限界に、目を向けることができなくなる。

 聡子が実業団なり、そこでそこそこ活躍することは出来たかもしれない。
 でもそれは、最終的に、聡子が本当にやりたいことではなかった。
 単純に母親にかまわれたがっていたのではない。 その先にいろいろある。
 千代と聡子との今週最後の会話のなかには、その真髄が隠されているような気が、私にはしたのです。




 …疲れた…。

 (笑)

 以上です。

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2012年2月17日 (金)

「平清盛」 第6回 ハリウッド映画的なカタルシス

 平清盛が 「わだは海賊王になる」 と豪語するルフィ…ちゃうちゃう(笑)兎丸と再会し、日宋貿易の発想の淵源をつかんでいく、という物語のように見えた、今回のこのドラマ。

 全体的な物語の構築の仕方としては、どうもかなり大味で、今までばらまかれていた布石の回収の仕方が、とても荒っぽく感じられました。

 けれども平家と海賊との戦闘や、清盛と兎丸とのぶつかり合いは、「問答無用」 の面白さに満ちていた気がする。
 つまり細かな部分に気を取られずに、一気に語ってしまおう、とする、ハリウッド映画的な手法に類似しているように思えたんですよ。
 ハリウッド映画も、アクションシーンのたたみかけのなかで登場人物たちの 「さも重要そうに思えるセリフ」 をワンフレーズで挿入し続け、さらに動きの激しい画面に引き込ませる。
 この 「印象的なワンフレーズ」 は、日本人の嗜好に合わせて少々くどくはなっておりましたが、あとから思い返しても、さほど深いことを言っていたように思えない。
 ただなんとなく、騙されたような感じで、「面白かったなあ…、で、いったい何だったっけ?」 みたいな、アメリカの娯楽映画を見たあとみたいな読後感が残っている。

 この平家と海賊との戦闘のなかでちりばめられていたのは、「親と子の確執の氷解」「熱い友情の誕生」「主人公が平家の中心人物になっていくきっかけ」 というファクターだと思う。
 これをハリウッド的な手法で 「浅く」 語られる、というのには、武家という新しい勢力が、従来の繊細な精神を尊重する貴族の世界から乖離したものである、という主張が、裏でなされている気がいたします。
 ドラマを見る側は、どちらかというとこの、後者の 「貴族的思考」 に毒されている部分がある。 現代人の思考形態は、「相手のことを慮る」「深い事情まで知らなければそのことについて論じる資格を持たない」、といった、繊細な部分を尊重する傾向が強い、と私は考えるのですが、このドラマのなかで展開されるのは、そうした思考を脱却しようとする、「思慮には欠けるけれども熱き心で世を開いていこう」 とする武家のパワー、のように思える。

 それを象徴させる意味で、このドラマは 「論よりも行動」 という意識革命を、現代人に求めているような気がするのです。

 このドラマのなかでいちいち出てくる 「遊びをせんとや」。

 この、「遊び」 というものの本質を、このドラマは見据えようとしているように思えます。

 その遊びは、テレビゲームやモバゲーみたいな遊びとは違う、ということは明白です。

 この世に生まれた以上は広く世界を見回り、この世に生きている醍醐味を味わおうではないか、という姿勢が、「遊び」 の本質、と思われるのです。

 いくら不幸のどん底にあっても、いくら苦しみの塗炭にあっても、「なんかいろいろ辛かったけど、面白かったよなぁ」 と振り返って思えるような 「精神の強靭さ」。

 それは結局、「この世で遊んだ」、ということと同義になるのではないでしょうか。

 うっわ、また説教臭くなってきたで。 うわうわうわうわ、ごめんやで(どうもこの男…)。

 登場人物たちは相変わらず煤けたような顔ばかりで画面が汚いかもしれません。
 でも、その汚泥の中から生まれ来る情熱、というものに目を向けなければ、このドラマは楽しめないと思う。

 ストーリーに関して深い注釈を付けることは、ことこの回に関しては不要である、と感じます。

 少なくともこのドラマは、理屈を強要してくるものではない。
 情熱を、強要してくるドラマだ、と感じるのです。

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2012年2月12日 (日)

「カーネーション」 第19週 「自信」 表/裏 「評価」

 今週のサブタイトル、「自信」。
 自信というものは、いったいどうやってついていくものでしょうかね?
 若いころはそりゃあ、自分の作ったものを 「どうだ、オレって凄いだろう」 くらいの勢いで周囲に見せびらかしたりするものです。 性格が逆でも、シレッとすごいものを作ってきて、まわりから 「すごい!」 と言われて、「そう?そんなことないよ」 などと謙遜しながら、内心ほくそ笑んだりする(笑)。

 ただ、ハナから 「自分はすごい」 という自信家、って、ホントにすごい場合もあるし、同じ 「すごい」 でも 「すごいカンチガイ」 という場合もある(笑)。

 いずれにしたって天性の自信家でもない限り、「自信」 というものは、周囲からの 「評価」 があって、初めてついていくものだ、と思うんですよ。

 今週の 「カーネーション」 は、どんな人でも、自信というものをつけていくのには、大きな山をいくつも乗り越えなければならない、という思想が貫かれていたように感じるのです。

 どうして毎週、これだけのものが作れるのか。
 とにかくこれは、作り手の人間性、人間に対する洞察が深くなければ、これだけのものは出来ない、と申し上げてもいい気がします。
 このドラマは、見る側すべての人に、表面上のことを表面的に捉えることを勧めていません。
 表面的な描写がたとえあったとしても、そこには常に、深い部分で何かがうごめいている。
 優雅に水面を進む白鳥も、水面の下では足を常にひたすら動かしているのだ…というのは花形満の至言ですが(笑)、このドラマはまさにそれ。
 見る側に、深い思索を、常に強要してくるのです。

 今週、この物語の主人公である糸子は、クリスチャン・ディオールの後継者として台頭してきた、イヴサンローランという21歳の若手の才能が世間に受け入れられていく過程を見て、自分の感性が老いてきているという危惧にさらされます。

 イヴサンローランの話はすでに、先週の女性洋装店経営者井戸端会議(長っ…)で先鞭がつけられていたのですが、ディオールについても、すでに戦後すぐの時点でドラマのなかに登場してきていた。
 どうしてこういう個人名が単発で出てくるのか、ココシャネルだってええではないか、と思っていたのですが、すべては今週の、糸子が自信を喪失する話のためのお膳立てだった、ということにも、限りない計画的な企みを感じる。
 つまり、話が全部、つながっているんですよ。

 しかもこの深い話が、関西のお笑いをベースにした文化的要素をまぶして完成されているんだから、これはもう、…んー、あんまりほめるとつまらん(笑)。

 で、今週の話から派生的に私が考えてしまうのは(また考えすぎの虫が…笑)、例えその、天才的なイヴサンローランにしても、周囲から評価されなければ、自分の作品に自信を持つことなどあり得ないのではなかろうか、ということです。

 確かに冒頭書いたとおり、サンローランがかなりの自信家で、「どや!」 みたいに虎ペースで優勝、ちゃうちゃう(いくら大阪だからって…)、トラペーズラインというニューモードを大々的に発表したのかもしれないんですけど、糸子に言わせれば、「なんやこのアッパッパ」 みたいなこんな服を出すのって、ホントは勇気のいることだったんじゃないかな、と思うんですよ。

 私は昔から、ファッションショー、というものを見ていて、「誰がこんな服着るの?」 みたいにいつも感じていました。
 まあそれは実用的、という部分よりも、コンセプトを発信する、という部分が大きいんでしょう(ファッションに関しては、ズブの素人ですので分かりません)。
 でも最初にこれを始めた人には、やはり世間の 「常識」 の壁って、厚かったんだろうなー、と。 ファッションショーに出すような奇抜すぎるデザインでなくとも、モードに楯突くようなデザイン、というのには、風当たりも強かったんだろうな、と。

 美術の世界だって同じで、ピカソがいきなり 「アビニョンの女たち」 みたいな絵を描いたら、そらケンケンゴウゴウだと思いますよ。
 結局それって、世間的に受け入れられないと、ただのヘタクソな絵、で終わりですからね。
 やはり評価というものがついて初めて、人は自分のやっていることを正しい、と思えるようになるんだ、と思うのです。
 そしてそれが、最終的に自信につながっていく。




 ま~た前フリでこんなに書いちゃったよ。
 もう、…今週は飛ばすぞ!(まったく当てになりませんが…)。




 月曜放送分。

 安岡美容室にやってきた糸子。 来るなり八重子たちが、あからさまに客の姿を隠そうとします。 パーマをかけていたのは、高校を卒業して東京の洋裁専門学校へと行く予定の、直子です。
 「アカン! こんなすねっかじりがパーマなんて100年早いわ!」。 出た、善作の必殺技、「100年早い」(笑)。 直子は自分が田舎者と思われるのが嫌で、一生懸命イメチェンを図っている様子です。

 糸子が安岡の店に来たのは、自分が新たにデザインした美容師たちの制服を見に来たからでしたが、そこで八重子が、「ディオールの新作見た?」 と糸子に渋い顔をして話しかけてきます。
 「なにコレ、こんなんただのアッパッパやん」。
 それがあの、トラペースで優…アレです。 女性の体のラインを見せることを無視し、肩から台形のように広がっていく服です。

 ここで八重子が、「なにこの服アカン」 みたいに先導役を務めていることには注目です。
 八重子が進取の気風を兼ね備えていた人なら、「この服ええんちゃう?」 ということになり、糸子も少しは影響された、と思うのです(少しね)。
 見る側を糸子と同じ気持ちにさせるほんのちょっとしたからくりです。
 糸子は八重子と一緒に、ディオールの後継者である、このイヴサンローランについてヤイノヤイノかまします。

 直子が東京に対して巨大な威圧感を抱いていることは、出発直前になっても荷物の山のなかでフテ寝して、「着ていく服ない」 と駄々をこねていることからも分かります。
 赤いチョッキを着てうつ伏せで寝っ転がっている直子。 糸子は大阪のオバチャンらしく、直子をガンガン急き立てます。
 これは今週後半、同じようなイメージのたたみかけが待っています。

 それにしても、あんなけ自信家だった直子が自信を喪失している。
 今週の 「自信」 をめぐる話は、早くも始まっています。

 そして今週から、三女の聡子役で、安田美沙子サンが登場。 「(ネジ1本…いや、5本くらい抜けてるような顔して)」 という糸子の性格分析には笑いました。
 聡子はテニスでかなり強いみたいなのですが、糸子がこの、聡子に対してほとんどまったく関心を示さない。 やはり畑違いの道を歩んでいる者には、興味がわかないのでしょうか。 予定では3人ともファッションデザイナーの道を歩むことになりますから、聡子がテニスから洋裁を選ぶ時の話にも、がぜん興味が湧いてまいりました。

 聡子と入れ替わりでやってきたのが、北村。 「ひろい食いすんな~」 と聡子に冗談をかますのですが、聡子、本当にしそうなんだよな…(笑)。
 で、その北村、相変わらず呼ばれたがりで糸子には悪態のつきまくり、糸子も丁々発止であります。
 「(千代に)コイツに食わせる塩辛なんぞない、要らんで!」 って、部長課長かと言いたくなりましたが、北村が持ってきたのは、「ワイと組めへんけ?」 という話。
 糸子は思いっきりタメを効かせて(笑)「…死んでも嫌じゃ」 とかまします(笑)。 「なにが悲しいてホラ吹き男と手ぇ組まなアカンねん、アホらしい」 と、その場に寝っ転がってしまう糸子(笑)。 糸子も結構しつこい(笑)。
 糸子はそこにやってきた直子に北村の相手をさせるのですが、北村が持ってきた、トラペーズラインの写真を見て、「はぁ…ええなあ。 ええんちゃう」 と、まあどーでもよさそーな顔をして言います。 北村はこのトラペーズラインで、ひと山当てようと目論んでいるのです。

 寝っ転がってその話を聞いていた糸子、「どこがええんやこんなの」 とのっそり身を起こして、日本人の体形に合ってない、あんたも洋裁の道進むんやったらそのくらいのことは考えられなあかんで、と直子に忠告します。 こんなもん売れへんわ、と。

 「ほなどんなんやったら売れるっちゅうんよ?」「そらこれまで通りのこう、腰がシュッ!と締まって、ふわっと…」 北村に思わず力説してしまった糸子、こんなヤツに商売のヒントなんか与えちゃれるかいなと、またゴロ寝モードに逆戻り(笑)。 「やめとこ…」「やめんといて!なんで?」(笑)。
 「寝んなってオイオイ!どうしたらええ?オイ!ゆえよっ!」「嫌や。もったいない」(笑)。

 そんなふたりの丁々発止が続くなか、直子はひとり、「ええんやけどな、コレ…」 とつぶやきます。 そんな直子を、「こんな分かってない子が洋裁なんかで食べていけんのかいな」 というような、憐みの混じった顔で見ています。

 ここ。

 結構今週の話を語るうえで、重要な場面だと思います。 笑いの波状攻撃、といった場面だったのですが。

 直子はこのトラペーズラインを受け入れられるだけの、頭の柔らかさを有しています。
 けれどもそれは、直子にとってかなりどうでもいいことのように見える。
 極めて不機嫌そうに、「ええんちゃう」 と言っていることからも、直子は他人のデザインになんか興味はない、と表明している気がするのです。
 直子は要するに、糸子の2歩先くらいの感覚でいるんですよ。
 糸子には認められないトラペーズラインをいいと思っている時点で、まず1歩。
 けれども自分は自分にしかないデザインを求めている、という点で、2歩。

 そして直子の、旅立ちの日。

 直子は結局、セーラー服を着て、東京へ向かうことになります。
 全国共通の制服が、一種の安心感を直子に与えていると言えます。
 仏壇にあいさつをしていく直子。
 「行ってきます」。
 ご先祖たちに、きっぱりと言う直子。
 やはりこのドラマは、自分たちは異界の人々と共に生きている、ということを、とても言いたがっている気がする。

 こんなややこしい娘でも、いなくなると、さびしい。

 直子を見送ってきた糸子は、直子がいつも座っていた背の低い机の前に座り込んで、ひとりさびしさにふけります。
 ワサワサと展開が慌ただしかったこの日の放送のなかで、糸子が直子の置いていったノートを見ながら、物思いにふけるシーンは、1分以上(70秒くらいやったかな…細かい…)。
 これがえらく長く感じた。
 話を詰め込み過ぎる傾向があるこのドラマで、1分を割く、というのは、とても思い切った判断だと感じる。
 人生のなかで、誰かを見送ったあとの一抹の寂しさ、というのは、誰でも経験したことがある、と思う。
 それをここでたった1分で、感じさせてくれるのだからたいしたものだ。
 そして次の瞬間、小原家にもテレビがやってきて、その静寂が破られたところで、月曜放送分は終わるのです。

 ちょっと待ってくれ~…。 まだ月曜分かよ…。




 火曜日放送分。

 優子と同じ部屋で住み出した直子の様子を、優子が手紙で知らせてきます。

 それによると、直子は来るなり、セーラー服のまんま布団をひっかぶって寝てしまう。
 まるで東京の重圧に押しつぶされたかのように。
 出かけるのを渋る直子に、「誰もあんたの格好なんて気にしてないわよ?」 と東京言葉で指摘する優子に、直子は敏感に反応します。
 「姉ちゃんの服なんか、カッコ悪て着られへんわ」。
 自分がセンスがある、とばかり考えていた優子はその言葉にカチンとくる。
 学校の友達を優子が連れてくれば、セーラー服に着替えちゃってただ押し黙るばかり。
 友達が帰ったあと、「岸和田弁が恥ずかしいんでしょ?」 と姉に指摘されて、いきなり無言のままキレてしまう直子。 放り出されたようになる、直子がいつも引きこもりのようにして描いている、幾何学模様のデザイン画。
 姉の言うことは図星だけれど、認めたくない。
 岸和田弁が恥ずかしい、というのは確かにあるかもしれない。
 でも、恥ずかしいんとちゃう。
 岸和田弁丸出しでも違和感のない空間を、うちは見つけたいんや。
 自分がセーラー服を着ているのも、お仕着せの流行ではない、自分の価値観をそのまま表現できる服を着るときのための、いわばスタンダード、原点なんや。
 直子のそんな、常識を軽侮する、芸術家タイプの思考形態が、BGMのスティールギターのブルーススケールの音とともに表現されていきます。
 そして投げ出された、この直線が中心のデザイン画。
 それは今週の途中で、劇的に変化していくのです。

 いっぽう大阪の繊維組合。
 女性洋裁店経営者井戸端会議(長っ…)で、サンローランがやり玉に上がっています。 ここで 「サンローランはアカン」 という糸子の判断が、さらに固まっていく。
 糸子は、サンローランも自分も、一本立ちしたのが同じ21であることに気付きます。
 これはのちほど、糸子を深い思索へと導くのですが、この時点では、「うちらのころの21と今の21とじゃ違う」 というほかの女性経営者の言葉に、糸子は納得してしまいます。
 ここに糸子の陥った落とし穴がある。

 その井戸端会議のあと、糸子は組合長の三浦に呼び止められます。 いい反物が安く買えるのだが、それを小原さんとこで引き受けてくれないか、と言うのです。 けれども糸子はその量のハンパなさに、ちょっと二の足を踏んでしまいます。

 ここで三浦は 「とりあえずあんたにいちばんに知らせちゃろ思たんや」 と耳打ちし、糸子はなんとなくその好意をどう受け取っていいのかな、みたいな反応をします。
 これはおそらく、周防のことで迷惑をかけた、という気持ちが、組合長にあったのでしょう(解説せんでも分かるか)。 仕事を干されて日雇いをやっていた周防が怪我をしてしまったとき、組合長に泣きついた周防に 「小原さんとこで雇ってもらい」 と勧めたのが、三浦組合長でしたもんね。

 聡子は高校のテニス部に入部したくらいで新聞記事になってしまうほどのアスリートになっていたのですが、糸子はまったく興味なし(笑)。 しかし聡子が食べていた、北村からの土産であるイチゴ(これも赤い!…笑)を見て、そうや、北村と組めば、あの膨大な反物をさばけるやん、と気付きます。
 糸子は早速喫茶店 「太鼓」 へ北村を呼び出し、とりあえず話だけ聞こか、というオーヘーな態度で(笑)北村の話を聞きはじめます。 「わしとこレディメードの店はもう天井知らずでウハウハや、これが天井なんか知るか~てな調子でグワ~伸びちゃってんねん…イテッ!」 と大意このよ~な自慢をする北村の手をひっぱたき、「自慢はえ~ねん、続き!」(笑)。
 「要は、確実に売れる型。 これさえあったらボロイねん!」。 そこで糸子のデザインが欲しい、と北村は言うのです。 北村は、トラペーズラインに狙いをつけている模様です。 しかし糸子はその考えを一蹴します。

 「アカンてこんなもん」

 東京の流行、というものは、大阪に来るまでに半年はかかる。
 そしてそれが大阪人の気質に合わなければ売れない。

 「トラペーズラインは…大阪では絶対はやらへん」

 糸子の商売人、としての長年のカン、です。 糸子と北村は、ビジネスパートナーとしての合意に達したのです。
 ふたりは互いに顔を突き合わせて、越後屋とお代官様のようにニンマリと笑います。 お主らもワルよのう…(笑)。




 水曜放送分。

 東京。
 入学式の日、セーラー服のまましょぼくれた顔で学校へと向かった直子は、その第1日目から、下宿に東北訛りの学生服の男を連れ込んで何やら談義中。 おそらく 「訛り」「学校の制服」 という同じベクトルを感じて、知り合いになったのでしょう。
 この、斎藤源太という青年がしゃべっていたのは、モディリアーニの絵に見られる曲線の組み合わせの造形について。 のちに直子は、斎藤の描いた被服のデザインの、曲線の美しさについて千代に説明していました。 モデルとなるデザイナーがいるのかな? ネットでは、高田賢三(KENZOくらい私も知ってます)ではないか?という声も上がっているようですが…。

 いっぽう繊維組合では、三浦も交えて糸子と北村が祝杯をあげています。 三浦が糸子にひいきしている理由を知りたがる北村。 でも三浦も糸子も、教えようとしません。 そらそうですわな、北村の横恋慕がすべての発端なんですから(笑)。

 でもそんな和やかな祝宴のあとでも、糸子はどうにも一抹の不安が心から離れないのを感じている。

 「(暗あて、重たい…なんや、これ?)」。

 糸子はぱらぱらと、ファッション誌の切り抜き帳をめくります。

 「(ああ…やっぱしこれや)」。

 糸子がめくったページの先には、あのアッパッパの写真が。

 「(サンローランが出してきよったこれが、うちには全然分からんっちゅうのが気になってるんです…。

 分からんもんは、しょうもないて無視したい。

 けど、分かれへんうちが、悪いんかも知らん。

 サンローランは21歳。

 21歳のとき、うちもやっぱり…)」

 「小原洋裁店」 の看板が上がった時の回想。

 「(誰よりもうちが、時代の先を分かってる思ってた。

 …あの自信はなんやったんや?

 21歳が、ほんまにそないに分かってるもんやろか?)」

 糸子は安岡玉枝に、自分が21のころはどうやったかを聞きに行きます。
 ただこの質問は、ちょっと危険なものが含まれている。
 玉枝に糸子がイケイケドンドンの頃を回想させると、どうしても避けられない、嫌な思い出が目の前に横たわってしまうからです。
 玉枝はしかし、その嫌な思い出を巧みに回避し、糸子ががむしゃらになって突っ走っていたことだけを思い出します。 しかも無理をして失敗したことばかり(笑)。 テントを縫うとか、あんな厚手のものを縫うなんて、ホントムチャしよりましたわぁ。 それで足腰立たなくなって、奈津におぶわれて結婚披露宴へ。 当然大遅刻。 糸子と玉枝はそれを思い出しながら、お互いに 「はぁ~」 とため息をつくのです。 「ムチャクチャやったわ…」 と(笑)。

 ただやはり、ディオールの後継として世に出ようとしていたサンローランが、それまでのモードをひっくり返そうとして出してきたこのトラペーズラインには、同じ21歳のころの糸子と共通する、がむしゃらさを感じないわけでも、ないのです。

 しかしここで糸子が下した結論は、「21歳は間違いのう、…アホや!」(笑)。 なんも怖がることない。
 けれどもこの場合糸子は、若さの勢いを、がむしゃらさを、怖がるべきだった。 松田恵や昌子が心配するなか、糸子はそれでも前に進みます。 「(自信を持って、うちなりの商売やったらええんや!)」。

 いずれにしても、自らを奮い立たせるためには、自分に自信のないようなことではあきません。 ものごとを引っ張っていくためには、自分が今まで生きてきた経験則にのっとった、自信というものがなければ、人はついてこないのです。
 それはのるかそるかの大ばくちでも、やはり長年培ってきた経験で、人は動いていくものです。

 私はこのプロジェクトについて、仕入れた反物がかなり安かった、ということは、売値もかなり低く抑えることができたのではないか、という気がするんですよ。
 さっきから匂わせまくっていますが(笑)、結局このプロジェクトは、失敗します。
 これ、ドラマのなかでは、デザイナーズブランドみたいに、高級品ぽく売り出していたように、私には見えました。 大口は全滅、小口にも散々言われた、なんてのちに北村が言ってましたからね。 価格を高く設定しすぎたのが失敗の主な原因だったんじゃないのかな。 トラペーズラインを採用しなかったことは、枝葉末節の話なような気がするんですよ。
 これってリーズナブルブランドで格安品として(同じ意味やがな)売り出したら、庶民層にごっつ売れたような気がする。 当時だって最先端のモードでなく、一世代前のモードでもよろしい、という庶民は、たくさんいたはずなんですから。

 いっぽう東京。

 直子が連れてくる男たちは、日に日に増えていきます(笑)。
 呆れかえる優子。
 そこには原口先生も含まれていたのですが、彼らが話題にしていたのは、「卵」 が自然の美しさ、というものをすべて内包している、ということ。
 そうした話を聞くと、私などは畑は違うのですが、トヨタのエスティマが、いちばん最初に売り出された時の宣伝文句を思い出してしまいます。
 「走るタマゴ」。
 初代のエスティマは、「タマゴを車にするのだ」、というコンセプトが透徹していた。 特にエミーナなどは、ワンボックスカーの完成型、といまだに私は思う。
 今のエスティマからは、そんな志は消え去ってしまいましたね。 「走るシェル(貝がら)」 といった雰囲気ですが、思想はなくなってしまった気がする。
 いずれにしてもこの、卵を究極のデザインと結び付けようと考える、このフェノメノンたちの思想は、直子に何らかの影響を及ぼすことになるのです。

 この席で、優子の優等生ぶりを原口先生が褒めます。 優子は学校で、主席なのです。
 優子はただ生真面目なだけで…と謙遜しますが、直子は 「その通りや」 と噛みついてくる。

 「課題とかな、アホみたいにキチキチ出しよんやし。 点取りがうまいだけで、別に才能があるわけちゃう」。 凍りつく一同(笑)。 仲間のひとりが、優子の服はディオールか?とその場をとりなし褒めようとします。 優子は自分で作ったのだと自慢し、サンローランのトラペーズラインのすごさが、若者たちの間で話題になります。 既に若者たちの感性は、サンローランを受け入れているのです。

 話のなかで、優子はつい、直子に抱いている不満を 「軽い話題」 みたいに話してしまいます。 直子はこれにも噛みついてくる。

 「うるさいんじゃ!
 うちは姉ちゃんみたいに、ノーテンキちゃうねん!
 なにがトラペーズラインや。
 ようそんな他人がデザインした服着てヘラヘラしてられんな?
 あんなあ。 この道進むて決めたら、うちらはもうその瞬間からデザイナーなんや。
 なに着るかは、そのまま、デザイナーとしての面構えなんや。
 自分の面構えも決まってへんのに、よその服まねして、喜んでる場合ちゃうんじゃ。
 ほんなことも分かれへんけ?!」

 さっきすでに解説してしまいましたが、直子がセーラー服を着ているのは、要するに自分の面構えが決まってないから、決まるまでの押さえとして着ているだけなのだ、ということです。
 その原点からうちがどないな服を着るのかは、ここからはうちの主張や。
 誰にも文句は言わせへん。
 それがデザイナーとしての、誇りなんや。
 サンローランがなんやっちゅうねん。
 そんなものをマネして、自分っちゅうもんがないんかい。
 自分がないくせに成績がいくらよくたって、ほんなの意味ないわ。

 これは直子が、糸子や優子より1歩も2歩も前に意識が行ってなければ、出てこないセリフなのです。 ただ10歩も20歩も行ってしまってたら、直子の眼中には、母親も姉も入らなくなってしまう。 ちょっと前を行っているからこそ、そして(学校の成績という)形式的な部分で姉のほうが上だからこそ、姉に闘志を燃やしてしまう、と思うんですよ。
 優子はしかし、直子のその、芸術家としての孤高に対して、本能的なクリエイターとしての嫉妬を爆発させてしまう。 周りに人がいるにもかかわらず、優子はいきなり、直子につかみかかります。

 「なんじゃコラ!」
 「出来損ないが!」
 「このアホッ!」

 新山千春サン、ホントに怒ってるみたいだった…(笑)。

 その乱闘後、誰かが書いた(斎藤かな?)女の裸体の絵の上に卵が割れてしまっています。 斎藤がせっせと畳を拭いている(律儀だなぁ…)。
 優子は嗚咽しながら、手紙をしたためています、糸子に。 青いインクがきれいでしょう。 白い便箋が、悲しいでしょう(なんやねんソレ)。

 「直子は、手に負えません」(笑)。

 その手紙を読む糸子。

 しかし糸子が気になったのは、ケンカの部分ではありません。
 「直子が連れてきた男の子たちは、サンローランのトラペーズラインや、サックドレスなんかの今の流行にとても敏感で、さすがにうちの生徒です」、「(ここや)」。

 この抑えきれない流行が、やがて岸和田にも到来することになる。




 木曜放送分。

 トラペーズラインの影響下にある、サックドレスの注文が、オハラ洋装店に倍々ゲームで舞い込むようになってきます。
 その注文に気軽に応じながら、心中穏やかではない糸子。

 「うち…読み違えた…。

 …うちやってしもたかもしれん…」

 糸子は八重子に、弱音を吐きます。
 八重子は、失敗したかてまた取り返せばいい、と励ましますが、糸子は浮かない顔のままです。 もう商品は、完全に出来上がっていて、後戻りのできない状況なのです。

 「いや、ほんでもな…うちがいちばんショックなんは、…どないしても、サックドレスがええと思われへんことなんや。

 あんなけ若い子ぉらが目ぇ輝かしてるデザインに、うちはよう目ぇ輝かさんやし。

 うちは…。

 世の中に遅れ取ってしもてる…。

 間違いのう…」

 今まで、百貨店の制服やら、男もののアッパッパ、モンペをおしゃれに着こなす方法、そして水玉のワンピースなど、世間のモードを先取りしていたような印象のあった、糸子の仕事の数々。
 それがいつしか、思考の柔軟性が失われて、固定観念に縛られるようになってしまっている。
 糸子の固定観念の中心にあるのは、女性の体のラインを美しく見せるのが洋服の基本なんや、という思い込みです。
 サックドレスはシルエットがまるで直線で、糸子の固定観念を根本から否定しているデザイン、と言っていい。
 時代から取り残されるのは、こと洋裁師にとっては致命的とも思われます。
 打ちひしがれた表情のまま帰ってきた糸子。
 北村のにぎやかな声が、店の奥から聞こえてきます。

 「なんやアンタまた来てたんけ」。 糸子のいつもの啖呵にも、元気がありません。
 必要以上に明るい北村、商売の話を一切しようとしないところから、糸子は商いがうまくいっていないことを察します。 結構あうんの呼吸やな(笑)。

 宴がはけたあと、糸子と北村はふたりでしみじみ酒を酌み交わします。 糸子の予測は図星だったようです。 「残った分はうちが買い取る」 と安易に責任を取ろうとする糸子。 北村は 「カッコつけんなよオマエ」 と憤る。

 「たかがこんな岸和田のよう。 ちっこい店の女店主がよう…。
 お互いの損で痛み分けや。 ほれでええがな」

 「うちが甘かった…。
 また一から出直し。 勉強や」

 「大変じゃないと勉強にはならない」。 いつか自分が清三郎に言ったことを、糸子はまた、自分自身で噛みしめることとなったのです。

 「あんたにはほんま、悪いことしたな」

 糸子は居ずまいを正します。

 「かんにん。 この通りや」

 「…
 うっわ! うわわわわわわ! 気色悪ぅぅ~~っ! エライもん見てもうたがなコレ」

 北村は初めて見る糸子のしおらしいところに、一瞬反応に困るのですが、ここはお笑いで返さなあかん、という大阪人の瞬発力で乗り切ろうとするのです。 ナイス選択です。

 「あかんあかんこれは中から酒で清めなエライことなるぞコレ…ほんま…ああ、アカンアカン…」

 糸子は北村の、いかにも不器用な配慮に、ちょっとばかり救われたような表情をします。
 せや、辛気臭いのはなんとやらじゃ。 コイツ、なかなかええとこある…。 けど大ショックや…。 けどちょっとホッとした…。

 うまいよなあ、こういう複雑な表情するの、この人。

 いっぽう母親が苦汁をなめているそのとき。

 直子は卵をまじまじと見つめながら、デザイン画を描いています。
 それは卵の曲線を生かした、今までの直線主体の絵柄とは完全に逸脱したデザインです。
 それは直子というファッションデザイナーの卵が誕生したことを暗喩しているような気もするのですが。
 そこに流れてくるのは、あの、だんじりのお囃子なのです。
 そのとき、疾走するだんじりの山車がフラッシュバックする。
 勢いよく引かれていく鉛筆の線が、それに呼応する。
 ミシンもそれを負うように、布を勢いよく縫っていきます。
 そしてだんじり。
 素早く動く鉛筆。
 裁断される、深紅の布。
 まわるミシンのコマ。
 赤い光に照らされて、ふと目覚める、直子の姿。
 裸体の絵に卵が落ちます。
 割れる卵。
 黄身は、黄身とは呼べぬほど、真っ赤な色をしています。
 新鮮な卵だなあ…(感想そこに持ってくるかい)。

 オハラナオコ、というブランドの、誕生です(気が早いがな)。

 「ソーリャ!ソーリャ!ソーリャ!」
 再び大阪。 だんじりごっこをする子供たちが通り過ぎていきます。
 オハラ洋装店。
 夏休みに入った直子が、あのフェノメノンを引き連れて、帰ってくるといいます。
 千代は 「何をどんなけ食わせんねん」 と糸子が呆れるほど、料理作りに余念がありません。 テレビの料理番組のレシピがあっという間に変わってしまうのに手を焼いたりしてますけど、これ、最近のテレビでは、停止機能というものもついてるのもあるから、ひょっとしてこの先 「こんな時代もあったね」 と、いつか話せる日が来るかもしれません(せやからなんやねんてソレ)。

 ところがやってきたのは、あのフェノメノンだけ(すっかり代名詞として使うてますが)。
 フェイントかけて帰ってきたのは、ドギツイ付けまつげ、目の覚めるようなショッキンググリーン(そんな色あるんかいな)のシャツ、左右の長さが違う紫のパンツルックの、「直子REBORN!バージョン」(家庭教師ヒットマンかいな)(少年ジャンプを読んでないかたには何のことやら…)。
 糸子もこれには、完全に度肝を抜かれるのですが、パンツの左右の長さが違う、というのもアナーキーですし(笑)、襟からボタンにかけてのラインは(どういう名称だかワカラン)卵の曲線を生かした奇抜なものになってるし。
 このコントラスト著しいファッションの要になっているのは、真っ赤な口紅であり、そして糸子が直子に買い与えた、あのガキっぽい赤いバッグ、なのです。
 このバッグが自分の原点である、というこれは、直子の意思表示でもある気がする。

 「ひょっとして………直子か?

 …なんやあんたそれ?…なにが…?…どないしたんやいったい?…ええっ?…え…え…」

 糸子の狼狽は笑えるのですが、いっぽうでは若い感性に置き去りにされた、糸子の敗北宣言のようにも聞こえる。

 千代の作った膨大な手料理を、赤い口紅を塗ったくった口が食べてます(笑)。

 「(お化けや…オバケがトンカツ食べてる…)」(爆)。

 糸子はあいた口がふさがりません。

 ところが直子と一緒にやってきたフェノメノンのひとりである斎藤から、糸子の得意技である立体裁断について感嘆をもって尋ねられると、状況は一変。
 この、顧客の体に直接布を当てて裁断していく方法は、このドラマのなかではもともと多忙にいちいち型を取っているヒマがなくて糸子が始めたものだったのですが、ピエール・カルダンがその方法を披露したように、パリではこの裁断法が主流になっているらしいのです。 ピエール・カルダン財団…、岸恵子サン、パリの叔母さま、「赤い疑惑」 を連想します(そーゆートシなんですっ)。

 で、得意満面でその立体裁断をフェノメノンたちに披露することになる糸子。
 蛇足になりますが、糸子の左腕には、まち針を刺すためのボンボンみたいの?(笑)が腕時計みたいについてまして。 その色も赤。 ホントにこのドラマ、何かというと赤い色が印象的に使われます。
 直子はその様子を、じっと見つめています。
 その表情を読み解くとすれば、「今まで気付かなかった母親の偉大さに気付いた尊敬の念」「この人は自分と同じステージで闘っているライバルなのだ、という対抗心」 が入り混じったものといえましょうか。




 金曜放送分。

 昭和34年。 物語は相変わらずだんじりのように疾走します。

 北村が、似合わないアイビールックでバッチリ決めております(笑)。 VANとは明言してませんでしたけどね(私も門外漢などと言いながら、結構知ってますね)。
 そして優子も、東京の学校を卒業して、オハラ洋装店に勤めることとあいなりました。
 それを祝う晩餐の席で、優子は東京から遊びに来たいという友達がいるけどいい?と糸子に訊いてきます。 その場にいたほぼ全員、「それって優子の恋人」 と察しがついたらしいのですが、糸子だけはその点かなり鈍くて(笑)。

 ところがこの男。

 スンゲーウサン臭くて笑える。

 まるで大昔の映画の、役者のしゃべり方みたいなウソ臭さで(失礼)、しかも婿養子になってやってもいいみたいな慇懃無礼さで、もし大阪に来たら職を斡旋してほしいくらいの甘ちゃん大明神で(笑)。 んもー笑えるほど見てるだけでムカムカしてくる感じ(ハハ…)。
 糸子はこういう甘ちゃんの権化には当然ながらかなり手厳しい。

 「いや、(ツテなんか)ないでほんなもん。

 ちゅうか、まあ、あるとしても、ないと思といてください。

 男のお宅が、やっと成人して、いよいよ社会に出てったろかっちゅう時に、嫁の親のつてなんぞ当てにしていたらあきません。

 どうぞお宅が、ほんまに勤めたい思う会社を、自分で探して見つけてください。

 そら最初は、いろいろ苦労もあるかと思います。

 けど、そういうことこそ、のちの財産になるっちゅうものやのに、先回って取ってまうようなまね、うちはようしませんわ」

 唖然とする男。
 むくれる優子。

 ボクやっぱり人んちに泊まるの苦手だからさ、と宿泊を断るその男、どう見ても優子のためにならんと思うのですが、んー。
 なんか自分のレビューの書きかたが長女に寄り添っていない、と感じていたのですが、どうもこのドラマ自体が、長女の側に立っていないような気もしてきた。
 土曜日分まで見てきて、結局この男、なんだったんだ?という気がするんですよ。
 次週予告を気になって読んでしまったのですが、どうも来週、優子は子供を産むらしい。
 この男の子供なのかな?
 だとすれば、相当男を見る目がない状態で産んでしまう、黒木メイサチャン状態になってしまうような気もするんですが(失礼)(失礼)(下世話だなあ…)。
 でもこのまま、優子を貶めるような状態で一方的に終わっていかない、とは強く思うんですよね。 なんたって実在のモデルがちゃんといらっしゃるんですから。
 今後この男を深く絡めていくのだとすれば、優子がこの男のどこに惚れたのかを、作り手はおそらくきちんと描いていくはずだ、とは思います。

 だから糸子の説教も、至極当然に思えたのですが、糸子はさらに、思いを独白します。

 「(そら、好きなんやったら結婚したらええ。 それも縁や。

 なんぼ気に入らんかて、縁ちゅうもんは横から他人がぶった切ってええもんちゃう。

 良かれ悪しかれ、本人がたどれるとこまでたどってるうちに、いずれ答えは出てくる。

 …ほんでええんや)」

 糸子はもつれた赤い糸をほどきながら、優しく微笑むのです。
 そんな親の気持ちなど分からずに、乱暴に2階に上がっていく優子。
 「こら!下りてこんかいな!仕事や!」。
 いちいち気にいらんことがあるたびに職場放棄してどないやねん、ということです。
 ブンむくれる優子のぶっきらぼうな 「イラッシャイマセ」 に驚く客。
 優子は結局首席で卒業したらしく、そのために講師になるという道もあったらしいのですが、あえて岸和田に帰ってきた。
 その気持ちは親としてうれしいのでしょうが、商売をやる以上は甘えは許されへん。 店を継いだあとに立ちゆかんようになるからや。

 「(焦らんでええけどな。 勉強やで)」。

 父善作が口を酸っぱくして娘に言っていた言葉を、今度はその娘が、自分の娘に心のなかでかけてやるのです。

 そして優子がいなくなったあとの、東京の直子の下宿。

 赤いレース、不気味なガラス瓶、おどろおどろしい造花、まるで母親の胎内にいるかのような、赤いイメージで統一された、魔女の部屋(笑)。
 効果音も、心臓の鼓動の音になってます。
 まるでプラグスーツ(エヴァかよ)に包まれながら眠る碇シンジのように(ハハ…)風邪で寝込む直子。
 その布団のデザインは、母親から貰ったあのバッグのそれと、まったく一緒に思えます。

 しっかしまっかっかの布団。

 気が昂ぶって眠れないでしょうなぁ…(爆)。

 そこに、斎藤源太に連れられて、千代が見舞いにやってきます。
 その部屋の異様さに、口をあんぐりさせてしまう千代。
 しかし直子は、生まれたばかりの赤ん坊のように、無邪気におばあちゃんに抱きついて泣いてしまいます。 知らず知らずのうちに、直子は自分を表現しようと、頑張りすぎていたのかもしれません。
 ここ、冒頭付近で書いた、東京出発前にフテ寝する直子と、急き立てる糸子とのシーンの、完全な裏返しになってますよね。

 「ごめんな…岸和田から遠かったやろ?」

 「そら遠いけど…来てよかったわぁ…あんたの顔見れて、ほっとした…」

 直子の火照った顔をさする千代。 千代はすっかり変わってしまった孫のなかに、昔っから変わらない何かを見つけたようです。 こういうのは、ちょっとグッときます。

 ところがその晩、同じ寝床での寝物語に千代が語った話は、少々衝撃的。

 このおどろおどろしい部屋を、まるで 「神戸箱」 のようだ、と回想する千代なのですが、その際に、母貞子が既に亡くなってしまっていることが明かされるのです。
 ホントに人が死ぬところをやらないのが徹底してる。 このドラマ。

 これってちょっと冷たいんじゃないか、とも思えるのですが、実は、人が死ぬところの悲しさを直截的に表現するよりも、こうして回想のなかで人の死を表現していくことによって、その人がどれだけ遺された人々のあいだで生きているか、ということを、このドラマの作り手は表現したがっているようにも思えてきました。

 ドラマのなかでは、今際の際にいろんなことを双方に語らせてお涙頂戴していく、という手法がよく採られます。
 最近ではそれでも、「その数日後に息を引き取りました」 みたいな時間差が主流になってきたようにも思えるのですが、それでもやはり、家族が亡くなる時って、あまり劇的な会話なんかしないものだ、と思うんですよ。
 いや、するかな。
 どうだろう。
 重病で死んじゃうのが確実、という場合は、するんだろうなぁ…。

 ともかくここで出てきた 「神戸箱」 の話は、千代も涙ながらに語っておりましたが、貞子おばあちゃんのおっとりとした性格を思い出させるマストアイテムだった気がするのです。
 この箱に入っていた骨董品の数々は、困窮に陥りがちだった小原呉服店のピンチを、何度も救ってくれていた。
 おばあちゃんはただ道楽のためにその箱の中身を送り続けたのか。
 それとも家計の足しにしなさいよ、という意味で送ってくれていたのか。
 いずれにしても、貞子という人の人となりが、死ぬエピソードを直接挿入しなくとも、強烈に印象づけられる。
 わざわざ死ぬところを見せない作り手の心意気を、このアイテムのエピソードに、見ることができるのです。

 そんな千代に、直子はその名の通り、素直な子供になって、そんな箱より、おばあちゃんがおったらうちにはじゅうぶんや、と言うのです。

 「ほうか…うれしいなあ…」

 「おばあちゃん」

 「ん?」

 直子はこんなことを言うのは恥ずかしい、というように、向こうを向きます。

 「…長生きしてな…」

 向こうを向いたままの直子の髪をなでながら、千代が答えます。

 「ん…任しとき…」

 …

 …泣けました。 この場面。

 …





 土曜日放送分。

 翌朝、3人のフェノメノンと一緒に直子が写っている写真を見せながら、直子は自分より才能のある人間と出会って、ちょっと焦った、と千代に告白しています。

 「楽しみやなぁ…みんな立派な洋裁師になるんやろなぁ…」

 「うん…なるやろな」。

 千代が岸和田に帰ってきます。 与えていた5000円を、全部使てしまった、と事もなげにしゃべる千代に、糸子も優子も、呆れてしまいます。
 来る学生来る学生に、ええもん食べさしてたら、いつの間にかなくなってしもた、とノンキにしゃべる千代。
 糸子も渋い顔してましたけど、現在の感覚から言うと、5万くらい使っちゃった、という感じでしょうかね。 10万だとシャレになんない気がする(笑)。 ビンボー人の自分からすれば、羨ましい話ではありますが(ハハ…)。

 この日のキーパーソンは、優子に初めて任された、妊婦の顧客です。

 優子は初めて自分が受け持った顧客に対して、全力を尽くそうと努力し続けます。
 しかし糸子は、「考えすぎたらアカン」、と優子の一生懸命をクールダウンしようとしてばかり。
 客の状態を見ながら、それを納品するときにいちばんええ状態で渡せばそれでええんや、というスタンスです。
 優子は、何度も着てもらわなきゃイヤや、と願うのですが、そんなことはお客が決めることや、と糸子は取り合わない。

 糸子は何かとその客に対して時間をかけ過ぎる優子を注意したりするのですが、ある日、その忠告も功を奏さず、長時間にわたる採寸の果てにその妊婦が倒れてしまいます。
 忙しいオハラ洋装店の様子を映しながら、時計の針が無情に過ぎ去っていく場面を、ドラマでは描写していましたが、見ているほうはじりじりする。
 まあ少なく見積もって、45分、優子は採寸してたでしょうかね。

 結局その顧客が優しかったことから、クレームという事態は免れたのですが、ここで強調されていたのは、日々の経験が、人を成長させる、ということでしょうか。
 それは昌子と松田から、優子に教示されます。

 「まあまあ。 そらそない一足飛びに一人前にはならへんて」 と昌子。

 「みんなぁ、失敗しながら、ちょこっとずつ上がっていくもんやよって」 と松田。

 「縫い子かてな。 最初からなぁんでもうまいこと行く子ぉほど、伸びへんねん。

 はじめのうちは、失敗しといたらええんやて」

 優子はかように、毎日がまさに、勉強の連続となっていったことでしょう。 「イラッシャイマセ」 という他人行儀な挨拶も改まっていましたし。 現場で学習することは、何より身につくものです。

 ところが。

 そんなときに直子からかかってきた、一本の電話。

 直子が、どうもごっつい賞を、獲ったらしいのです。

 色を失う優子。

 日々、ちょっとずつ育っていくカメの優子に、まさに昌子の言う 「一足飛びで」 有名デザイナーの道を歩んでいくウサギの直子。 この対比が鮮やかです。

 日々が失敗の連続、という段階では、なかなか自信、というものはついてまいりません。
 その経験を踏まえて行動することができるようになったとき、初めて一人前の仕事人、と呼べるようになる、と思うのです。
 ところが直子の場合、「評価」 というものが先に立ってしまった。
 私は常々考えるのですが、「他人の評価」 ほど当てにならないものはない。
 結局は大勢の人の賛同がついてきて初めて、評価というものは定まるんだ、と感じるんですよ。
 なんちゃら審査員やら、エライのかもしれへんけど、偉い人のお墨付きだけで世の中渡っていけるほど甘くはない、と思うのです。
 そら、偉い人が言うんのなら、という安易な衆愚があることも確かです。
 でも、結局は、大勢の人の評価、でしょう。
 なんちゃら賞、というものには、その賞を取った人の自信を空洞化させる、ワナが潜んでいる。

 直子にとって、優子にとって、この受賞はどのような効果を発揮していくのか。
 どこまでこのドラマのクオリティは、継続し続けるのでしょう。
 半日以上レビューにかまけていると、さすがに…(グチは言うまい…笑)。




 …どうも土曜日放送分になると、脱力してくるなあ…。

 毎回おしまいにいくごとにテキトーになっていくレビュー、平にご容赦ください…。

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2012年2月 8日 (水)

「平清盛」 第5回 このドラマの批判に対する考察、など

 第5回のレビューを始める前に、巷間言われている、NHK大河ドラマ 「平清盛」 批判について、ちょっと自分なりの考えをまとめてみようかと思います。



 「画面が汚い、グラグラ揺れすぎる」。

 別にまあ、平安時代があれほど汚かった、とは自分にも思えません。 汚いなら汚いなりに、掃除する人はいたでしょうし(笑)。 汚いからこそ掃除する人は今みたいに掃除機で済んだつもりになっている人より、掃除に執念を燃やしていたと思うし(笑)。

 ただこのドラマを見ていて感じるのは、黒澤映画へのオマージュですね。
 ことにNHKの場合、「七人の侍」 への傾倒が伝統的にかなり強い気がする。 農民と盗賊との戦闘みたいのが出てくると、「これは 『七人の侍』 のパクリだ」 という議論がいつも噴出するほど。 それほど 「七人の侍」 が名作であることの証なんですが。
 その 「七人の侍」 のメイクって、ほんとにみんな、汚いんですよね。
 「大昔は汚い」、という黒澤明監督の考え方が、2012年のNHK大河ドラマにまで影響を及ぼしている、という見方がもっとも適しているのではないか、と思われるのです。
 画面が揺れすぎるのは、私もたま~に、勘弁してもらいたい時があります。

 「天皇家を王家と呼ぶな」。

 「王」 という言い方は 「天皇」 という言い方よりも格下だ、という考えからそう思われるかたのおるのでしょうが。
 このドラマをちょっと見れば分かるけど、このドラマ、「天皇家」 をだいぶ侮辱した描きかたをしております。
 道徳に反することをいたしますしね。 近親相姦だろうが不倫だろうがお構いなく。 まあ昔は一夫多妻は常識でしたけどね。
 この乱れた関係はびこる状態で、却って 「天皇」 なんて言ったほうが侮辱です。
 今の皇室とは決定的に性格からして違う、という作り手の配慮だ、と強く感じますね。
 わざわざ 「王家」 と下げなくても 「朝廷」 とかでもいいかな、とも思うけど。
 「朝廷」 という表現ですら朝廷を侮辱しているような気がする。

 「松山ケンイチがわめきすぎる、下手すぎる、清盛のイメージじゃない」。

 松山ケンイチクンの演技を過去にちょろっと見た印象で言わせていただきますが、彼はわざと少年期の清盛をあのようにあらくれ者として演技している、と感じますね。

 それと、平清盛って、実は人間的に、そんなに魅力的ではなかったのではないか、という、作り手の意図も、まあ考えすぎかもしれないですけど感じるんですよ。

 つまり、平清盛は巨大なる権勢を誇ったけれども、結局後継がうまく育ってくれなくて、彼の死後、一気に平家は崩壊していった。
 ここに、天性の戦略家である源義経が、兄頼朝の言うのも聞かずにスタンドプレーで壇ノ浦まで追いつめて、滅ぼしちゃった。
 これって、平清盛がその魅力的な人間性で平家をまとめ上げていたならば、もうちょっとなんとかなったのではないか、滅亡なんて道は防げたのではないか。
 そんな作り手の考えを、ちょっと私は感じるのです。

 源頼朝がこのドラマのナレーションをしている、という点にも私は着目します。

 清盛は後継者作りに失敗した、ワンマン社長気味のイケイケドンドン、という人物である半面、頼朝を許してしまったり、血の粛清というものをあまりしてないような感じなんですよ。

 頼朝は平家に助けてもらったからこそ、平家に対してある種のシンパシーを感じているし、だからこそスタンドプレーで平家を滅ぼしちゃった弟の義経に対してキツイ仕打ちをする。

 頼朝役の岡田将生クンの未熟なナレーションに対して文句を言う向きもありますよね。
 でもあれも、新興台頭勢力である武士の、「若さ」 というものを象徴している未熟なナレーションのような気がする。 頼朝の平家に対するシンパシーと合わせて、頼朝がこの物語のナレーションをしていることには、意味がある、と感じるのです。 



 で、第5回まで見てきてやはり感じるのは、人物の名前が区別がつきにくいのに、セリフで 「誰それがあれこれ」 とか言いすぎる点。 人物の相関図が分かりにくい点。
 地名とかに因んだニックネームをつけるとか、その点では脚本に工夫が必要だと感じます。

 私はりょうサン演じる堀河局が、檀れいサン演じる璋子(たまこ)サマに仕えている身分だと、番組HPを見るまでよく分かってなくて。
 なんかりょうサンのほうがエラソーじゃないですか(笑)。
 あの人が誰の正室で、この人は本当は誰の息子で、というのが、ちょっと性急に言葉だけで説明されすぎている気がする。

 そしてその、璋子サマが産んだ、崇徳帝。 なんか出てくるたびに成長が著しくて混乱してます。
 この前少年だったろー、みたいな(笑)。
 そしてその崇徳帝を演じる井浦新サン。
 ARATAサンに似てません?
 同一人物で別の芸名使ってるのかと思った(のは私だけでしょうかね)(と思ったら、同一人物でした! あくび様、ご指摘かたじけのうございます)。

 そこに今回、松雪泰子サン演じる得子(なりこ)様が参戦。
 相変わらずあまりにもバカ正直すぎて怖い(笑)璋子サマの対抗馬として、三上博史サン演じる鳥羽上皇(蛇足ですが、この、上皇とか法皇とかの違い、というのも分かりにくいし、たまちゃんが法王、と呼んでもなんかピンと来なくて。 伊東サンと呼ぶわけにもいかんし…白河とか鳥羽とか言われても、やはりピンと来ない)と関係を持つわけです。 ますます天皇家、とは呼べない。
 この三上サン、璋子サマのバカ正直に付き合うほどの心の広さなどまったくなくて(笑)、「おまえはもののけ姫じゃ!」 と大雨のなか傘もささずに外に出て、ずぶ濡れになりたがる。 それを見て得子サマは三上サンの心に付け入るのです。



 で、今回の話を見ていて感じた疑問点ですが。

 海賊討伐を命じられた平家一門。 清盛も勇んでそれに加わるのですが、北面の武士の業務はどうしたのかな? まあそんなの想像すりゃいい話ですが、ちょっと気になったので一言。

 そして阿部サダヲサン演じる高階通憲、という中流貴族。
 誰かさんの肝いりで(國村準サンだったかなぁ?)貴族会議に出席したはいいものの、「海賊が悪さをするのは、もとはと言えばアンタラ貴族が自分たちのことばかり考えているから悪いのだ」 という持論を展開、つまみだされたのかどうかは知りませんが、そもそもそういう過激な論調の者を貴族会議に呼ぶこと自体がヘンじゃありません?
 で、その阿部サダヲサン、結局海賊退治に向かう平家の荷のなかに潜んで、清盛がひとりの時にいきなり荷からのそのそ出てきて、清盛に説教を食らわすのですが、「…で、あんた結局何しに来たの?」 とゆーか(笑)。

 あと、もうちょっと突っ込んで描写してもらいたかったのは、力を蓄えに行くのだ、として東国に向かった源義朝(玉木宏サン)の背景状況。
 なんかすごくトートツな気がいたしました。
 ここらへん、強引な語り口ではあまり済ませてはならないような気もいたします。
 その点、「カーネーション」 の省略の仕方って、同じくゴーインなんですけど、なんか納得ができるんだよなあ。 両者の違い、というものは、ちょっと私もよく分かりません。 気に入ったドラマだから許せちゃってるのかもしれませんね、「カーネーション」 のほうは。

 冒頭、前回私が 「顔が似通っていて違いがよく分からない」 と書いた、玉木宏サンと藤木直人サンがニアミス。 清盛も加わって、彼らが人生をどう生きたいのか、というスタンスを明確にしていきます。 玉木サンは 「強く生きたい」、藤木サンは 「美しく生きたい」、清盛は 「面白く生きたい」。
 清盛の場合、まだまだ 「遊びをせんとや」 を、テレビゲームをせんとやくらいの心構えにしか見えません(先週と同じことを書いてスミマセン)。 ただこれもちょっと安易な引き合わせのように見えた(なんかけなしてばっかりいるぞ)。

 その清盛、海賊退治に我先にと参戦するのですが、阿部サダヲサンがさっきの 「海賊たちは貴族たちに追い詰められて海賊になったのだ」、という理論を振りかざしたあとだから、平家は民衆の不満を抑圧しようとしている、清盛はそれに喜々として加わっている、という構図が見えてくる。

 この海賊たちとの戦闘は次回なので、そこから清盛がなにを学んでいくのかは、とても期待ですね。

 で、海戦の直前に、もと漁師の鱸丸(上川隆也サン)が 「海を侮ると痛い目に遭う」、という忠告をし、それに広瀬大尉、じゃなかった、平家家臣の伊東忠清(藤本隆宏サン)が反発するシーンがありましたよね。
 これも、潮の流れで形勢が一気に変わってしまった、平家滅亡の壇の浦の戦いを連想させるシーンでした。 どうも作り手は、清盛が死んだあとの、平家滅亡までの論理的な組み立てまでをドラマのなかで表現したがっているような気が、私はここでしたんですよ。

 そして皆が立ち去ったあと、ヤな叔父(笑)忠正(豊原功補サン)が清盛に向かって、清盛に流れている 「もののけ」 一派の血が、いつか平氏に災いを及ぼすのではないか、という危惧から、清盛を嫌っていることを告白します。
 不勉強なのでよく分からないですが、少なくとも清盛が生きているあいだは、平氏は栄えておったのではないでしょうかね。
 つまり清盛の存命中に、何かドラマ的にいろいろ災いを連発して仕掛けてくるのかな、という気はしました。 不勉強だ不勉強だ…。

 いっぽう清盛の弟、大東俊介クンは置いてけぼりを食らうのですが、そのときに母親の和久井映見サンと語らい、和久井サンがどうして中井貴一サンに惚れたのか、という理由を聞いていく(役名だと誰が誰やら分からん)。

 このドラマ、このように、立場的に憎まれる人でも、ちゃんとその背景を描こうとしている点に、好感が持てます。 一方的なワルモノを、作ろうとしていない(去年はその点、ひどかった…)。

 で、叔父から自分が嫌いなもっともらしい理屈を聞かされて憮然としていた清盛に、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンの(呼ばれてないか)阿部サダヲサンが、前述したとおり、清盛に説教を食らわすんですね。

 「(アンタみたいな要らぬ荷を京からわざわざ引いてきたのか、と嘆く清盛に)それは、人が生きる、ということを表わしている。
 誰もみな、知らず知らず重き荷を背負うて生きておる。

 …

 されど、それでもそなたは生きてゆかねばならぬ。

 現(うつつ)に生けるもののけがごときお方の血という、重き荷を背負うて。

 そしてそれを与えられたということはそなたに、それだけの力があるということじゃ。

 その禍々しくも輝かしき定めを背負うて、道を切り拓き、生きてゆく力じゃ。

 そなた自身にとって、平氏にとって、世にとって、災いとなるも、宝となるも、…そなた次第よ」

 父忠盛(中井サン)が、「平氏になくてはならぬ男なのだ」、と清盛を評したのも、ここに回答が隠されている、そんな気がいたしましたね。

 …で、阿部サダヲサン、アンタ何しに来たの?(笑)

 まあ次回、それも分かるんでしょうが。

 囮を使って海賊を待ち受ける平氏の船団。
 そこに現れたのは、…パイレーツオブカリビアン!…じゃなかった…、まあとにかく(笑)、次回は見ものであります。

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2012年2月 5日 (日)

NHKアーカイブス 「生涯青春 "カーネーション"小篠綾子の人生」

 NHKに残っている秘蔵映像を数本、編集した形でゲストのコシノヒロコサン(ドラマでは優子、ですね)と司会の桜井洋子サンが見ていく番組をやっていました。
 このブログでは毎週末に七転八倒しながらチョー長いレビューを書いている 「カーネーション」 のモデルとなった、小篠綾子サンのアーカイブスです。

 小篠綾子サンはやはりコシノ三姉妹の母親として、生前からさまざまなテレビにお出になっていたみたいで、この番組自体もかなり立体的に小篠綾子サンの人となりを浮き彫りにできていた感じがします。

 そのうえでドラマとの相違点、というのも散見できたのですが、まずミシンとの出会い、というのが桝谷パッチ店のそれではなく、神戸の母方の実家の工場ですでにミシンのあいだで遊んでいた、という土台があったことも分かりました。
 今現在ドラマでは激動期に入っている娘たちとの関係も、ドラマ以上に娘たちのことは一顧だにしなかった感じですね。 食事すらまともに一緒に取っていなかった、みたいな。 ドラマ以上に放任主義。

 娘たちと一緒にテレビ出演している番組も放送されたのですが、娘たちのファッションは80年代末期のバブル期のそれで、今見てもあの時代のファッションはちょっとずれてる、という感覚がする(笑)。 70年代のヒッピー風ファッションとか、結構リバイバルしたりするんですけどね。 80年代の肩パッドとかボディコンとか、トンボメガネとか太眉テクノカットとか、リバイバルしてるのを見たことがない。 時代が浮かれていたからファッションもイカレていたんでしょうな。

 その、母娘そろっての番組でも、実はとなりのジュンコサン(ドラマでは直子ですよね)から、「要らんこといいな」 と下のほうでつねられていたとか、ジュンコサンが明かしてましたけど、確かにその過去の番組を見ていても、ジュンコサンのヒロコサンに対する対抗心、とでもいうのかな、そんなものをふつふつと感じたりしました。

 それにしても小篠綾子サン。

 74歳で熟年世代向けの新しい個人ブランドを立ち上げるとか、あらたなコミュニティサークルを次々と立ち上げるとか、92歳で亡くなるまで、パワフルそのもの、という人生。

 この、最後までパワフルな人生をドラマにしようとすれば、少なくとも絶対に、74歳で個人ブランドを立ち上げる部分まではドラマで描かなければならない、と強く感じましたね。

 ということは、夏木マリサンへの交代劇は、もうなんというか、必然といっていいほどの説得力が生じたわけであり。

 自分の人生をだんじり人生、と形容したその姿勢は、ドラマの中に脈々と流れています。
 やはりこの人の人生と、いな、岸和田の人々の人生とだんじりは、もう切っても切り離せないものだ、といってもいい。
 晩年にコシノ洋装店の大々的な改装をしたのも、だんじりの通るのをあくまで見やすくしようという意図のもとで行なわれたらしい。
 それが、小篠綾子サンが亡くなったあと、そのスペースを使おうとしたら、ばっちりハマっていた、というジュンコサンの話も印象的でした。
 改装は結局、自分の葬儀もプロデュースするためのものだった。

 お別れの会には1000人、だったかな?を超す人々が集まった、という小篠綾子サンの大きさ。

 今の日本、このくらいスケールの大きな人って、なかなかいないんじゃないか、という気が強くしました。

 なんか、人間のスケール、幅がせせこましいんですよね、我々のような中年世代でも、熟年世代でも。

 ドラマはあくまで小篠綾子サンの人生をベースにしながらも、別のパフォーマンスを発揮しているように思えてまいったのですが、小篠サン自身の人生もすごい、ドラマもすごい、という相乗効果をもたらした、このたびのNHKアーカイブスだった気がいたします。

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「カーネーション」 第18週 娘たちがすがる母親の 「蜘蛛の糸」

 先週までの不倫の流れとは一気に変わった今週の 「カーネーション」。
 その中心に在るのは、成長した優子と直子。 糸子のふたりの娘です。
 優子には新山千春サン、直子には川崎亜沙美サン。
 末娘の聡子はどうも今週1週だけの登場らしいのですが、来週から安田美沙子サンがやるまでの顔つなぎ、として、村崎真彩サン。

 物語は先週から6年後の昭和29年になっています。
 糸子は41歳、みなそれぞれに歳を重ねておりますが、ここでちょっと、夏木マリサンの交代劇に絡ませた、下世話な話をしてしまうと。

 千代を演じる麻生祐未サンの老けぶりを見ていると、尾野真千子サンも60代くらいの糸子を演じられる、とは思う。
 でも尾野サンで70代はかなり無理がある、と感じます。
 だいたい麻生祐未サンは、私と年代が同じ、アラフィフ。
 やはり尾野サンが老け役を演じるのには、限界があると言っていい気は、するのです。

 そして長女の優子役を演じている、新山千春サン。
 セーラー服姿から演じて、優子役は物語の終わりまで演じるらしい(登板時のインタビューによる)。
 セーラー服に関しては、不思議なほど違和感がありませんでしたね。 まだまだ若いんだなあ、この人。
 で、顔の作りから言えば、50代くらいまでは老け役行けそうかな、と。

 次女直子役の川崎亜沙美サンは、インパクトありますよね(笑)。 かなりオッサンぽい中学生だなと思ったのですが、ドスが利いてて老け役も大丈夫そう。 来週予告の話を早くもしてしまえば、マスカラメイクがコシノジュンコサンそのままでビビった(笑)。

 聡子役の村崎真彩サン。 実はこの1週間限定の彼女だけ、見ててなんか違和感があって(笑)。
 最初小学校高学年設定で、週の中ごろから2年後の設定になっていたためか、最初の小学生のときは 「しずちゃんか?」 みたいな(笑)。 南海キャンディーズのしずちゃん、今ボクシングで頑張ってますけどね。 こういうバカでかくて声の低い小学生の女の子、考え直せば、そういやおったよな~、みたいな(笑)。
 ただこの聡子、いちばん爆笑キャラだったよーな気がいたします。 コシノミチコサンもこんなキャラなのかな。



 それにしても今週は、「ライバル」 という副題でしたが、特に年の近いきょうだい間に横たわる、普通の 「好敵手」 というのとは違う、身内ならではの深い怨嗟感情を、余すところなく表現していたように思われます。 相変わらずの傑作。
 この三姉妹のなかで特に長女と次女の関係は、世が世ならキッタハッタの戦国女性絵巻みたいになる様相であります。 先週白状してしまいましたが、その昔仲の悪いきょうだいだった自分には、実に真に迫った話だった気がする。 内容は違うけど、きょうだい同士で学校の成績がどうとか、自分のマネをするなとか、自分の領域に入るなとか、そんな感情は同じ。
 不倫を描くのでも、きょうだいの不和を描くのでも、このドラマはとことん突き詰めて考えていることが、とてもよく分かるのです。

 このドラマを 「前半はよかったけど今年に入ってからは…」 などと批判する人は、私の邪推によれば 「変化を怖がる人」、なのではないか、という気がいたします。

 善作がいてハルおばあちゃんがいて。
 子供時代の設定って、どんな人たちにとっても、それがベストなんですよ。 父親も母親も若く、誰もまだ鬼籍に入ってなくて、おじいちゃんおばあちゃんという後ろ盾が控えていて。
 守られているなかで子供たちはのびのびと毎日を笑いながら過ごして、日々成長していくのが分かって。

 でもそんなベスト、の状態は、歳を取るごとに失われていく。

 年月というのは容赦なく過ぎていき、「昔はよかった、子供のころはよかった」 と思い出す時が、きっと来る。
 人だけでなく、環境にしても、あの頃のほうがいろいろと住みよかった、と。

 その象徴みたいな形で、今週は木之元電キ店がアメリカ製の雑貨を売る店に代わる話が、エピソードとして出てきます。

 木之元のおっちゃんは、昭和29年当時の電気製品を、「近頃の家電はみんなカクカクしていて風情がない」、とその没個性化を問題にしていた。

 昔のほうがいい、と感じることは、世の常です。

 このドラマは時代によってストーリーを徐々に変質させていくことによって、そんな 「懐古趣味への是非」 にも目を向けているように思えてならない。

 つくづく深いドラマだな、と感じざるを得ません。




 またこれ、前フリか…。
 あ~も~、とっととはじめましょう(笑)。




 月曜放送分。

 昭和29年秋。
 15歳の直子が芋けんぴを食べながらレコードに針を落としています。
 流れてきたのは 「銀座カンカン娘」。
 オハラ洋装店の第1回ファッションショーのBGM担当なのですが、当の直子は裁ちバサミのデッサンに夢中。 質感の描写は、かなりの腕前を示しています。
 昌子も糸子も、野暮ったかった戦後間もなくのパーマから逸脱して、かなり現代から見ても違和感のない髪形、そして垢抜けた洋装になっています。

 オハラ洋装店でファッションショーが行なわれている一軒先の隣には、すでに木之元電キ店はなく、「アメリカ商会」 という雑貨屋を、テンガロンハットのカウボーイスタイルで木之元の息子が営んでいる。
 れれっ? 木之元のとこに、息子なんかおったんかいな? …というのはこのドラマの常でありんす(笑)。 つくづくわざとらしい説明不足をするよなあ。
 そこでアメを買うのは末っ子の聡子(11歳)。 前述したとおり、11歳にしちゃあデカイ。 胸もデカイ。
 オハラ洋装店は、店先だけを見れば結構洒落た改装をしていることが分かる。

 芋けんぴの袋をこぼしてしまう直子(こんな描写までせなならんかな?…笑)。 途端に、「♪それーが~、ぎーんざーの~、カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン」(爆)。

 これがCDの音飛びなら、「カカカカカカカカカカカカカ…」 というところなんでしょうが(これが書きたくて描写してしまった)。

 このファッションショーの会場をのぞきこんでいるのが、あの北村。

 糸子と周防との関係がどうなったのか、今週かなり後になるまで判明しないため、ここは推測で見るしかないのですが、糸子は北村をまだ許していない模様。 「墓に入るまで恨んでやる」 という態度です。
 北村は北村で、そんな糸子のもとに3カ月にいっぺんは来ている、ということは、まだ糸子に未練があるのか、それとも娘たちを手なずけて外堀から攻略しようとしているのか(大坂冬の陣か)、はたまた娘たちを源氏物語よろしく幼少のみぎりからエサを与えてモノにしようと(胸がデカイとか下品でスミマセン…)しとるのか。

 なにしろ北村は 「なんじゃここの子ぉらニョキニョキニョキニョキしやがって(大きくなりやがって)よぉ~」 と言いながら、娘たち3人を籠絡して(人聞き悪いなあ…)喫茶店 「太鼓」 へ甘いもん食べに行こう、と誘います。 2階で油絵に没頭していて家事の言いつけなんか聞かなかった優子もふたつ返事で 「行く!」。

 前述しましたが、優子役の新山サン、17歳でも通用する。 異論は認めない(笑)。 昔はみんな老けてたもん。 うちのオカンだって、女学生時代の写真を見ると、どこの30歳のオバサンじゃ、という感じですよ(オカンスマン…)。

 蛇足ですがこの優子、油絵を描いていたあいだ、没頭していたためか、両脚が開き気味。
 ここらへん、年ごろの女性ならば脚をきちんと閉じるはずです。
 これで17歳の無防備さが演出されている。 つくづく演出が細かいと感じるのです。

 喫茶店 「太鼓」。 怪獣みたいに食いまくる三姉妹をよそに、店に入ってきた木之元のおっちゃんが、北村と前述した 「家電の無個性化」 をあげつらっています。 木之元のおっちゃんはそんなものを売っていても、「うれしくない」、という表現をする。

 この木之元のおっちゃんの視点は、実は今週のこの物語を動かしていく裏のキーワードのような気がする。

 自分が何か商売するにしても、自分はそれを売っててうれしいのか。 それをやっててオモロイのか。

 善作がかつて糸子に、百貨店の制服のプレゼンをする際に話していた、「そのほうがオモロイ」。

 その言葉がまるで善作の魂に導かれるようにして、今週このあと聞かれることになるのです。

 北村から進路について訊かれた優子、東京の美大に行く、と得意げです。 「おまえ画家になるんけ?」 と言われてちょっと考え込む優子ですが、直子はその話に首を突っ込んできて、うちは画家になるつもりがある、と断言する。
 「おまえらお母ちゃんの仕事継いじゃらへんのけ」 と訊く北村。 糸子のことを心配している部分が、ほんの少し垣間見える。 でも優子も直子も、絶対嫌や、と返すのです。
 優子も直子も、あんなに働きづめで一生終わりたくない、というスタンス。 それは、仕事仕事でかまってもらえなかった恨みのこもった言葉でもある。

 北村はまたいつかのように(笑)強引にオハラの晩餐に呼ばれてしまい(それは北村がわざと自分で仕掛けている部分もある…笑)、千代の煮たイワシに感激しています。
 でもやはり、ハルおばあちゃんのイワシには敵わないらしく、千代は今週その後、ハルおばあちゃんのイワシ煮を凌駕しようと奮闘してました。
 そして晩餐の席で話題にのぼった、そのハルおばあちゃんの昔話。

 「イワシばぁ~っかしよう炊いちゃったなあホンマ。
 …
 文句ばぁ~かしゆうてたけどな」

 糸子のけなし言葉に、遺影のおばあちゃん、「こら糸子、余計なこといいな」 とおかんむりのように見えます(ここらへんの撮りかた、非常にうまい、というか、なんかちょっと険しい顔の遺影をこの場面だけ差し替えとんのとちゃうか?みたいに思える)。

 遺影に見守られながらひと眠りする糸子。 北村が帰っていったあとやおら起き出して、また仕事に取りかかります。 娘たちが嫌がるほどのワーカホリック健在。
 「あんたら早いとこお風呂屋さんいっちょいでや」 という糸子のセリフひとつで、こんだけ儲かっとんのにまだ自宅に風呂がないことが分かります。 こうしたなにげないセリフひとつに、無限の想像力が働く。 このドラマのまたまた現る真骨頂であります。

 大きく伸びをした糸子。 「よっしゃ!」 とペダル式のミシンを手繰ります。

 「(さあ、これからです)」。

 月曜、という一週間の始めの放送分のラストが、このセリフ。 つくづくこのドラマ、日本経済のことを考えている(笑)。

 日々いよいよ、これから、という気持ち。
 だいじだよなあ。




 火曜日放送分。

 昭和29年12月。
 寝床で目覚める糸子。
 「(おはようございます!)」。

 第一声がまた、このセリフ。
 「おはようございます~」 という視聴者の声が聞こえるような感じ(笑)。
 「起きりー! 朝やでぇ~っ!」
 糸子は娘たちを叩き起こします。
 掛け布団を引っぺがされた娘たち、敷布団にくるまります。 「あんたら虫か?」(笑)。

 朝餉を取る小原家。 食べ終わったごはん茶碗に水をかける優子。 こうしないと洗う時ごはん粒が取りにくい。 いちいち描写が細かい(書くほうも細かい)。
 その優子、自分の学校の担任が洋服を作りに来ることを確認してから登校します。
 聡子は裸足の上に靴。 いつものことみたいです。

 そして優子の先生の来店。 糸子は先生から、優子が美術学校に行きたい、ということについて、画家の道は厳しいこと、そして優子自身が画家になる覚悟までは定まっていないようだ、ということを聞き出します。

 ここで糸子は、自分の娘に、将来の覚悟がないことについて、とてもこだわる一面を見せ始める。

 これ、比較対照したらあきませんけど、「ゲゲゲの女房」 の水木しげる氏とは、実に一線を画した親としての対応のように思えます。

 水木サンの両親であるイトツとイカルは、息子が絵が上手なことで絵描きになることを、大して問題視していなかったように記憶しています。 却って息子の才能を信じ、つき放していたくらいの印象まである。

 対して糸子の父親善作は、「覚悟がなければ認められん」、という立場を終始貫いていたように思えます。 糸子が女学校をやめてパッチ屋で働こういう時も、自分の店を持とういう時も。

 人生の節々でそのような覚悟を強いられてきた糸子だからこそ、「まあなんでもええんちゃう?ダメやったら嫁に行っちゃったらええんやし」 という態度にはどうしてもならない。

 その結果、それまで美大行きを容認していた糸子の豹変ぶりに、優子は戸惑うのです。
 優子は母親から 「アカン!」 と言われ、泣き続けます。
 そこに帰ってきた直子。 姉が泣いてるのを不審に思って、そこにいた聡子に訊くのですが、聡子はマンガを読んでけらけら笑いながら 「え?分かれへん」(笑)。
 聡子、おまえはKY過ぎるっ!

 千代はひとり泣き続ける優子におにぎりの差し入れをして 「お食べ。 お腹すいたら余計悲しなるよって」 と慰め続けます。
 この構図は、程度の差こそあれ、糸子とハルおばあちゃんとの関係に通じるものがある。
 ハルおばあちゃんはもっとぶっきらぼうでしたが、勘助にも負けたと泣きじゃくる糸子の両手を、温かくさすっていた。 千代は 「おばあちゃんが優子を東京行かしちゃる」 とハルおばあちゃんに比べればかなり甘いのですが、やはり孫を思う気持ちは同質なのです。
 こんな後ろ盾って、私にもその昔はあった。
 悲しむ孫をいたわる祖父母。
 若い人には分からんでしょうが、思い出すと切なくなります。

 ここで優子が取った行動。
 彼女はこれ見よがしに悲しい顔を近所じゅうに見せて、まわりを味方につけようとする。
 ずるいですよね(笑)。

 安岡美容室に北村からのおすそわけのリンゴを持ってきた糸子。 椎名林檎サンとは…関係ないか。
 八重子のほかにも店員が2名増え、玉枝は太郎の長男(推定生後2カ月)をおぶっています。
 ゲ、太郎の長男とね! 太郎、なんばしよっと!(あんたナニジンやねん)。
 見上げる糸子の先には、糸子が作ったウェディングドレスを着て微笑む、奈津の写真額が。
 ホントに一瞬でいろんな情報が詰め込まれてて、このドラマってその点では朝ドラ向きでないのかもしれません。
 ドラマ批評サイトとか見ていると、このドラマ、ちゃんと見てない人がいかに多いか実感する。
 朝の忙しいひと時に時計代わりにして見るには、適してない。 ちゃんと見てない人が、やはりこのドラマを誤解しているケースが、すごく多い気がするんですよ。
 特にほんの一瞬の表情の演技とか、とても多い。 それを見落とすと致命的なケースが多過ぎる。

 それはそれとして、糸子は近所中を味方につけている優子に辟易している模様。 しかし覚悟の座ってないもんに美大行きなんぞ認められん、というスタンスは、けっして崩しません。

 「ほんまに行きたいんやったら、うちのゆうことなんか聞かんで行ったらええんや」

 そんな糸子の思惑とは裏腹に、優子は学校から帰ってくるなり、こう当たり散らします。

 「お母ちゃん。 うちはお母ちゃんのあとなんか、死んでも継げへんよってな!」

 優子は、母親が自分のあとを継いでほしくて美大行きを反対している、という大いなる勘違いをしている。

 「誰もそんな話してへんやろ」

 糸子はぼそっとつぶやいて、まるで亡き父善作のように考えるのです。

 「(まだまだや。 オマエはまっだまだや)」。





 水曜放送分。

 昭和30年2月。 受験シーズンですな。
 優子は卒業式の帰り。 直子はこんなとこでも負けじと 「うちも中学卒業やし、聡子も小学校卒業や」 と木之元親子に向かってムダに誇示する。
 優子は相変わらず今にも死にそ~な顔をしております。 美大の受験日は2日後に迫っている、というのに。
 同情する木之元親子に、直子は忠告します。

 「どこがカワイソウや? 引っかかったらアカンでおっちゃん。 あないしてな、しみったれた顔さえ見したらちやほやしてもらえると思てんやさかい。 甘ったれなんや。 本気で画家になる気もないくせに。 お姉ちゃんはおじいちゃんに可愛がられすぎて、あんなアホになったんや。 うちは誰にも可愛がられへんかったさかい、賢うなった」

 通信簿を見る限り、直子の最後のセリフは完全なる認識違いと思われます(笑)。
 5段階評価で、直子は、図工が5以外はすべて1か2。
 しかし優子はほとんど4か5。 物理だけが3でした。
 ただ直子の、姉に対する人物評価は極めて的確なように思えます。

 糸子は優子のよく出来た通信簿を見ながら、軽く美大を受けさしちゃったほうが気が楽なのに、と気持ちがぐらつくけれども、思いとどまる。
 そして体育以外はこれまた1、2だらけの聡子の通信簿を見て、息抜きのようにケラケラ笑うのです。
 そして善作、勝、ハルの遺影に向かって聡子の通信簿を見せ、「見た?なあ?これ見た?」 と大爆笑?する。
 笑えたけど、なんなんだよコレ。
 まるで異界の人々と一緒に通信簿を見ている感覚。
 すごすぎるんだよな、このドラマ。
 糸子がわが子の頭の悪いのを嗤う、という構図もすごいが、亡くなって自分の出番もなくなった役者たちも、まだそこにいる錯覚を起こさせる。 そこがすごい。 未だにオープニングクレジットで、「小原善作(写真)小林薫」 ってオーラスで出ますもんねぇ。

 そこで出てこないのが神戸の清三郎おじいちゃんくらいなのですが、そう言や貞子おばあちゃんはどないなってんのかな。

 晩ごはん。 頭悪い(笑)聡子のワケ分からん面白話が展開するなか、優子も直子も押し黙ったまま、ご飯を食べ続けます。 直子は直子でなんだかんだ言って、姉の動向が気になって仕方がない様子。

 夜も更けて。 優子は起き出して、相変わらず仕事をし続ける糸子のもとにやってきて、「うちはどないしたらええん?」 と切羽詰まって訊くのです。

 「『どないしたらええん?』 て、あんたこの期に及んでお母ちゃんに訊くことちゃうやろ?」

 「せやけど、うちもうほんまに分からへんやし!
 美大に行きたて、あんなけ一生懸命勉強してきたのに、急に 『受けたらアカン』 ゆわれて、いったいうちはどないしたらええんよ?!」

 「甘えな!!」

 糸子は大声で遮ります。

 「自分がどないしたいかやろ!

 ほんなもんお母ちゃんの知ったことちゃうわ!
 自分で考え!」

 またミシンを回し始める糸子。
 唇を噛む優子。
 いつの間にか、直子が物陰でそれを聞いています。

 糸子お母ちゃんにとって、成績がええかどうかはまったく問題の埒外であることは、見ていれば自明です。
 お母ちゃんは生きていくために、それこそ必死だった。
 自分の好きなことを必死になって追い求めた。
 いくら父親に拒まれても、一度言い出したら二度三度はもっと楽だ、と自分を慰めながら押し通した。
 お嫁さんになって旦那に食わしてもらおうとか、そういう他人任せな人生を、歩んでいないからこその発想なんですよ。

 なにしろそこで聞き耳を立てていた直子にしても、そんなお母ちゃんの厳しさに、どうやったら報いることができるのか、対抗することができるのか、そして認めてもらうことができるのか。
 そこに直面した、お母ちゃんの 「甘えな!」 という言葉だったように感じる。

 朝方。 悶々としている優子のもとに、千代がそろそろとやってきます。

 「行っちょいで。 東京。 試験、受けちょいで。
 受けんかったら、悔いが残るやろ?
 お母ちゃんには、おばあちゃんがゆうといてあげるよって。 な。
 お握りこさえたよってな。 お弁当に持っていき、うん?」

 千代のヒソヒソ声を、糸子は寝床で聞いています。
 糸子は知らんぷりして、娘を行かせるつもりです。
 有り難いまでの、母親、そして祖母の心遣いなのでありますが。

 事情を聞いた直子、千代に 「あんたもホッとしたんか?」 と指摘され、図星ながらもそれを否定し、「しょうもなあと思っただけや!」 と憎たれを聞きます。
 直子はどこかで、姉を心配している。
 でもそれをかき消すくらいの強気の虫が、そのことを微塵も感じさせない構造になっている気がします。 どこかで姉の存在が、自分の負けん気の源になっている。 自分のパワーにとって欠かせないものになっている。
 姉を見下すことで、自分が思った以上の力を発揮できるような感覚です。
 これってきょうだいのいない人には、分かりづらい感情かもしれない。

 糸子はいずれにしてもそれでホッとするのですが、優子はそんな親心を尻目に、東京に行かず北村のところに身を寄せてしまいます。

 それは、優子自身が自分の覚悟の足りなさを骨身に染みて自覚した裏返しでもある。
 自分が絵が好きだったのは、昔から絵を描けば母親に褒められていたことが発端だったこと。
 美大に行けばまた母親から褒められるだろうとばかり思っていたこと。
 親孝行をしたいのではなく、母親に認めてもらいたいのだ、ということ。
 北村はそれらに対して、なんちゃあ気の利いたことなんかひっとつもしゃべらん(まったくあんた、ナニジンやねんて)(どうも方言が頭のなかでごった煮になっとる)。
 たいがいずれたことをしゃべってるんですよ。 北村。
 それなのに優子がなんでもしゃべれる 「気やすさ」、というものがある。
 表面上は怖い物言いをするし、こちらの言うことを否定しにかかる面もある。
 でも北村って、なんだかんだ言いながら、結局最後はすべて許してくれちゃうところがあるんですよ。
 優子の 「褒められたい症候群」 が露わになって行くのと同時に、北村の魅力の本質も、ここで垣間見たような気がいたしましたね。

 結局北村に連れられて帰ってきた優子。 北村は自分が引き留めたからかんにん、というように波風を立てないでいてくれるのですが、糸子は北村の影に隠れる優子を、「あんた情けないなあ、根性ないなあ」 というように、睨み続けます。

 自分の進路を見失ったままの優子。 そんな姉が寝床で考え込んでいるのを、隣で寝ている直子は人知れず見つめます。 階下では、北村が上機嫌で話し続ける声が聞こえている。 頼れる人。 その限界。 自分の道は、自分で見つけなければならない。 その孤独感。
 このドラマはそこを表現し尽くしている。
 自分の行き先を見失ったことのある人ならば、この部分に強く共感するはずです。

 結局優子は4月から、地元の洋裁専門学校に通うことになる。 自分の夢とのギャップを通過した優子の出したあたりさわりのない結論。 優子が優等生であるからこそこの 「ごく普通の決断」 にはリアリティがある。
 そして糸子もそれを歓迎している模様。
 そこにはひとつの諦観も潜んでいる気はするのですが、わが子が普通の人間として生きても、普通以上の人間として生きようとしても、自分の足でちゃんと立って前進しよう、という気持ちを持っていられたら、親としてはもうそれ以上のわがままは言いません、という気になるものです。

 糸子は3人の娘たちにそれぞれ、卒業祝いを贈ります。
 直子には赤いバッグ、聡子には赤いスニーカー。
 つくづくこのドラマ、「赤」 が印象的に使われますよね。
 つまりこの赤って、糸子の情熱を指している、と同時に、三姉妹の母親としての 「赤」、なんだと思うんですよ。
 「赤いカーネーション」 は、母親が生きているときに贈るもの。
 つまり三姉妹にとって、もうこのモデルの小篠綾子サンは亡くなっているけれども、いつまでも胸のなかで生き続けている、という意味を強く込めた、「赤」、である気がしてならないのです。

 しかし、長女の優子に贈られたのは、「赤」 くない大人っぽいバッグ。
 今の今まで母親からのプレゼントに喜んでいた直子はそれを見て、途端に自分の赤いバッグがガキっぽく見えてくる(主観的な表現でスミマセン)。
 大事に持っていたバッグは、直子の手からポロリとこぼれ落ちます。
 この赤いバッグ、このあととても重要な役割を演じることになる。




 木曜放送分。

 洋裁学校行って親のあとを継ぐ、という優子に、周囲の目は温かい。
 直子はそれが気に入りません。
 姉が自分の本当に好きな道を通らず、人からちやほやされる道を歩んでいるのがムカつくのです。
 この、三者三様の登校風景。
 優子は 「えらいなあ」「ご苦労さん」 と褒められっぱなし、直子はただ 「行っちょいで」 だけの無味乾燥としたもの、ばかりでなく木之元の息子に 「手伝うて」 と雑用を強要される始末(笑)、そして聡子は相変わらず靴下も履かんと、そればかりでなく靴が逆、ばかりでなく種類がバラバラ(爆)。 ご近所のオバチャンたちに笑われ、糸子はそれを見ていてガックリ…(笑)。
 つくづく組み立てがうますぎる(タメイキ)。

 神戸のとこの糸子の従兄弟だった(ハハ…)勇クンがまたセレベス島でコーヒー農園を開いたらしく(ここのくだり、そんなこと以前にあったっけな?などと考えてしまいました)(記憶力悪いのかな?)、じゃあ神戸の工場は正一伯父さんがずっとやってるんだ、などと想像。
 勇君からのチョコレートの贈り物を食べながら、優子が服飾のことについて母親を便利に使っているのを見てけったくそ悪そうな表情の直子。
 そんな直子も、だんじり祭りの日ともなれば意気揚々と出かけて行きます。

 終戦後、だんじり曳きに女が加わった元祖とも呼べる直子。
 それを見守る糸子や玉枝ら。
 「もはや戦後ではない」、と言われた昭和30年。
 だんじりの風景も以前と同じようになったのと対照的に、それを見守る人々は、それぞれに歳をとり、家族構成も変わり、時が過ぎていくことを実感させる。

 祭りのあとに呼ばれた人ら。
 カニが振る舞われる風景は、善作がいたころと変わっていませんが、その席で優子が、服飾のデザイン画が認められた、東京に行かせてほしい、と糸子に頼み込んできます。
 ここには優子の 「みんなにチヤホヤされたい」 という思惑も微妙に絡んでいる気がする。
 頼みごとがあるんなら、なにもこんな衆目のなかで頼まず、ふたりきりの時に頼んでもよさそうなものです。
 これが優子の思惑。
 みんなの前で頼み込めば、お母ちゃんだって無暗に反対したりせえへん。
 そして 「優子ちゃんあんた立派やなあ」、と周囲の人たちが褒めてくれるに決まってる。
 自分の才能が認められたことを吹聴もできる。
 頭がいいから、そんなとこに気が回るんですよ。
 こーゆーあざとい部分に、顔をしかめる視聴者っているんだろうなー、と感じたのですが、人間誰しも、「自分をよく見せたい」、って部分はあるじゃないですか。 ここではそんな人間の一面を、優子が拡大して見せてくれているんだ、と思わなければいけません。
 そしてそんな優子のあざとさを、直子ひとりだけが、気付いている。 見抜いている。
 この構図が物語のなかに潜む問題を、蒸留して見せてくれるんですよ。

 優子は自分の描いたデザイン画を、糸子に見せます。
 糸子はそれを見て、その出来の良さに目を見張る。
 けれどもですよ。
 油絵をやってたくらいだから、デザイン画なんか、ちょっといいものくらい簡単にできる、と私は思うんですよ。 まあ自分も絵が得意だから分かるのですが(自慢しとる)。
 集まった人々もそれを見て、感嘆の声をあげるのですが、フツーの人たちなんか、それくらいで感心するレベルでしか、ないんですよ。
 服飾のデザインにしたって、自分は専門外だけれど、ファッション雑誌を見ながら自分なりにそれを混合させて描くことくらいできる。
 直子はたぶん、私と同じように絵ごころがあるから(返す返すも自慢で申し訳ない)、そこに隠されている欺瞞、というものを見抜いている。

 「お母ちゃん、うちは今度こそ本気です!
 東京へ、行かしてくださいっ!」

 土下座する優子。
 つくづく小原家の流儀だな、と思うのですよ、この土下座。
 でも優子の場合、結構打算が潜んでいる。
 それでも糸子は、親の欲目か、その打算に負けたのか、それをあっさりと認めてしまいます。
 糸ちゃん、ここは今一度辛抱したらなあかんで、と思ったのですが。
 でも。
 糸子は優子の本気を、そこに見た(と思いたがったのかもしれないが)と思うんですよ。
 それに、自分が父善作に、理不尽なまでに 「まだ100年早い」「もうちょいやな」 などとじらされた経緯があったから、優子の本気が本気なうちにとっとと送り出しちゃいたい、という思いがあったのかもしれない。
 ここで糸子が善作ばりに、「くらっ!」 と物を投げつけてもよかったのかもしれない。
 でも糸子も優子も、互いに女なのです。
 男の意固地とは違う判断基準がある。
 衆目のなかで修羅場を展開するわけにもいかないですしね。

 「えらいわ優ちゃん!」「ようやった!」「すごい!」。
 湧き上がる拍手。
 しかし直子だけは、みんなそれが優子の仕掛けた茶番に乗せられている気がしてならない。 自分のほうが絵が上手なのに姉のほうがちやほやされているのが気に食わない、という心理も働いているでしょう。
 優子はうれし泣きしています。
 けれどもそれは、半分は仕組まれている。

 冷たい解説でしょうかね…。

 東京に優子が向かうその日。

 「この店は姉ちゃんが継ぐよって、あんたらはなんでも、自分の進みたい道に進んだらええ」「その代わり本気でやらなあかんで」 と調子よく取り仕切る姉に、直子は反応しません。

 出かけようとする優子、母親から貰ったあのおしゃれなバッグを荷物と一緒に送ってしまったことに気付いて慌てます。
 仕方がないのでそこらへんにほっぽってあった、直子の赤いバッグを持って出発することにする優子。
 「体に気ぃつけてな。 頑張りよ…」 別れを惜しむ千代。
 「行ってきます…」 感極まる優子。
 「行っちょいで」「頑張ってな」…。

 …そこに奥から飛び出したのは、直子です。

 「うちのやぁっ!」

 赤いバッグをひったくる直子。

 「ちょ…なにすんねん!」

 バッグを取り返す優子。

 「このバッグはうちのやっ!」

 「あんた、ほったらかしにしとった…痛っ!」

 直子は優子を押し倒します。

 「うっさいなあっ!」

 「痛っ、痛たたっ!」

 「これは!うちが!お母ちゃんに買うてもうたんやあっ!」

 「なんやとおっ?」
 「うちの財布入っとんじゃあっ!」
 「なんじゃ!」
 「なんやねん!」

 倒れ込んだまま、取っ組み合いになってしまうふたり。

 「やめ~っ! や~め~~っ! やめぇぇぇ~~~っ!」

 結局別の手提げを引っ張り出して東京へと旅立った優子。
 大乱闘の末の再出発なので、もうすでにくたくたの様相です(笑)。 見送るほうもくたくたになってる(笑)。

 いっぽう直子は、手提げの部分が切れたかなんかしたかよう分からなかったのですが、姉から取り返したその赤いバッグを持って、泣きじゃくっています。

 「うちがお母ちゃんに買うてもうたんや…」

 それは自分が母親から貰ったバッグまで姉に奪われそうになった悲しみだったのか。
 そのバッグをグチャグチャにしてしまった悲しみだったのか。
 母親に愛情を全部取られてしまいそうに思った錯覚からくる悲しみだったのか。
 喧嘩相手、自分のパワーの源だった存在がいなくなってしまうことへの悲しみだったのか。
 単純に姉がいなくなってしまったことからくる悲しみだったのか。
 姉の旅立ちを素直に祝うことができなかったことへの悲しみだったのか。
 そんな自分の心の狭さを嘆く悲しみだったのか。

 そのすべてだと思います。

 ここから分かるのは、優子も直子も、母親に甘えたくて仕方がない、という側面です。
 一代で店を繁盛させてきた母親。
 そんな母親を、ふたりとも仰ぎ見ながら、構われたくて仕方なくて生きてきた。
 直子が赤いバッグをガキっぽいとほっぽっていたのも、そんな母親に甘えたいがため。
 糸子というお釈迦様が、天上から細い糸を垂らしているのに必死になってつかまっている、優子と直子の姿を、私はそこで連想したのです。 芥川の 「蜘蛛の糸」、ですな。
 優子も直子も、いわばカンダタ。
 人間の醜いところをむき出しにして、母親の情愛を求めている。

 「(そんな直子の悔しさなんぞ、優子も、うちも、だーれも知りませんでした)」。




 金曜放送分。

 ああもう疲れた(笑)。 15分放送分だけで、ここまで毎回長いレビューになってしまうんですからねぇ…。
 また最長記録を更新しそうだ…。

 昭和32年秋。 もう2年後。
 東京から、優子が戻ってきています。
 すっかり垢抜けて、標準語を喋りまくる優子(20歳)。 まあ新山サンにはそっちのほうが楽でしょうが。
 しかしそんな優子が、直子(18歳)は気に入らない。
 そんな直子は、絵で 「毎朝新聞賞の大賞」 というエライ賞を取っているのですが、どうも周囲の認識が乏しい。 ただ優子が佳作だったその賞を直子は大賞なのだから、それは推して知るべしで。 得意満面だった優子の表情が、ちょっと固くなるのです。

 優子は東京で、原口先生という師匠にだいぶかぶれているらしく、平身低頭で接客する母親の糸子にも苦言を呈する始末。 洋裁屋という職業はもっと芸術家並みに偉ぶってもいいというのが、原口先生の持論らしい。
 原口先生原口先生て、「うーーるるるるるーさいっ! 仕事中や!」 ブチ切れる糸子(笑)。

 そんな優子を心配する千代。 千代の 「恋愛レーダー」 がビビッと探知したみたいなのですが(笑)、今回はどぉ~も、その精度に衰えが来ている様子。
 そんな千代に対して糸子は、優子は昔から軍事教練に精を出したり、影響されやすいタイプなんや、と一蹴。 当たてる(笑)。 糸子はさらに、お母ちゃんはべっぴんやったさかい男っちゅうもんは寄ってきよるもんやと思い込んでいる、とこれもかなり言い当ててる(笑)。

 「うちかてお母ちゃんがうれしがるほど、なぁんもモテてへんかったしな」。

 周防の時もそうやったんかいな?(笑)。

 優子は直子が大賞を取った、という油絵を見て、余裕をこいて 「あんたは画家を目指したらいいわ」 と評価するのですが、直子は意に介さない。 途中で投げ出したもんに言われても有り難ない、という感覚でしょうか。
 優子は内心忸怩たるものを抱えながら、自分のほうが生活に即した堅実な人生を歩んでいる、という自負があるからこそ、余裕をこけるのです。
 優子は自分が家業を継いでやるから感謝しなさいくらいのレベルでしか考えていないようなのですが、直子は姉のそういう恩着せがましいところも気に入らないのだと思う。
 なにしろ蝶がさなぎから脱皮するようなところを見て、直子がそれを面白いわけがない。
 優子は最後まで標準語を喋りながら、原口先生を連発して千代を立ちくらませながら、東京に戻って行きます。

 同じ年の11月。

 糸子は三浦組合長から、周防のその後について話を聞いています。
 周防のあの店は、なかなか繁盛しているようです。
 糸子はもう、周防との関係を過去のものとして割り切っている。
 そこに来たのは、同業者の女性たち。
 女性の経営者も続出するようになって、糸子は彼女たちとの情報交換に花を咲かせます。
 それを目を細めて見守る組合長。
 「もう、あんたらの時代や」。
 そう目が語っているようです。

 この女たちの会合で、女性経営者たちによる、男商売の頭の固さが話題になっていました。 身につまされます(笑)。 せやけどこの頃はそんな頑固経営しとったら立ちゆかんもんなぁ。

 そんなときに岸和田の商店街を訪れたひとりの男。
 「いや~素晴らしい!」 を連発して、いかにも調子良さそうなこの男こそが、優子の心酔していた原口先生(塚本晋也サン)だったのです。




 土曜日放送分。

 原口先生の訪問に、千代は完全に我を忘れてすりこぎの動作を繰り返します(笑)。 エアすりこぎだ(爆)。
 「直ちゃん…もしかしたら、おばあちゃんのカンチガイかもしれんけどなぁ…結婚の申し込みに来たんとちゃうやろか?」
 …ないない(笑)。 それはない(笑)。 だって髪の毛はちょっとさびしいし、ええ年こいたオッサンですぜ(自分のことを棚に上げてオマエとゆーヤツは…)。

 ただこの調子がいいだけに見えるオッサン、幇間(タイコモチ…「坂の上の雲」、覚えてらっしゃいますか?)みたいに見えて、結構的確なことを突いてる(笑)。
 木之元の店の品物をセンスがいいと見抜き、その気概を見抜き、オハラの店の生地の良さを見抜き、果ては直子の才能まで見抜いてしまうんですから。

 ただこの先生、話にキリがないのが難点(笑)。 午前2時を回ってみんなが寝込んでしまっても、ひとりで喋り続けること喋り続けること(笑)。 なんかスッゴク好きだなあ、こーゆー人(笑)。
 でもその先生の話をひとり、眠気も催さずに聴いている人がいる。 直子です。

 結局直子たちの部屋を借りて寝ることになった原口先生。 そこに置いてあった直子の大賞の絵を見て、真夜中に吠える(爆)。

 「ほおおおおおお~~~っ!! こっ、…これはッッッッッ!!」(ワロタ…)。

 結局直子は、朝まで絵のレクチャーを受けることになる。
 翌朝、台所のひびを補修する原口先生につきあいながら、直子は将来のことについて語り合います。

 「君は、服よりも絵が好きってことか」

 「…いや、そういうわけでもないけど…。
 店はもう、姉ちゃんが継ぐってカッコつけてるし…」

 「そうか。 なるほど。

 じゃあ、継がないで、自分の店を持てばいいじゃないか。

 それはそれで…カッコいい」

 目からウロコが落ちたような、直子の表情。 直子は、もし自分が東京に行ったら、教えてくれますか?と恐る恐る原口に訊きます。 原口は補修を続けながら、すごく簡単に 「うん、いいよ」 と答える。 大丈夫か? こんなふたつ返事で引き受けるよ~な軽いヤツ? でも振り返ってから直子の目を見て言ったからな。 平気や。 いや分からんど。 どっちゃなんやぁ~~っ!

 ああもう、オチャラケる元気もないほど、ここまで書いてクタクタなんですが(笑)。

 糸子によれば直子はうれしいとそれを隠そうと真顔になる癖があるらしいのですが、東京へ帰る原口を見守る直子は、ガン飛ばしまくり(爆)。 直子はその夜、「高校卒業したら、東京に行かせてくださいっ!」 と、糸子に向かって土下座する。 またまた小原家伝統の土下座や…。

 直子のあの顔で頼み込まれたら、断るわけにもいかず(ゴメンネ)、糸子はそれも、許してしまう。 「そら、まあ………ええけど」。

 「太鼓」 で北村のご相伴にあずかる直子と聡子。
 ここで北村は、直子に向かって 「死んでもあとは継がんゆうちゃったやないけ」 と呆れながら、初めて深いセリフをしゃべるのです(初めてかいな…)。

 「せやけどあれやど、よう考えよ。
 オカンと、オネエと、一緒の仕事っちゅうことは、案外きつい話やど。

 いっぺん同じ土俵に立ったらな、身内やゆうても、お互い敵になるっちゅうことやさかいな。

 オカンとも、オネエとも、いつか闘わなアカン時が来るかもしれんど」

 「…かまへん」

 「ちっとは離れちゃったほうが気ぃが楽ちゃうか?」

 その北村の問いに、直子が答えた言葉。

 「そら、楽かもしれんけど…

 楽ちゃうほうが……オモロイ」。

 不敵に笑う、直子。
 もうすでに、心は同じ土俵の上に立っているようです。
 「そのほうがオモロイ」。
 糸子もかつて、「しんどくないと勉強にならない」 というような意味のことを言っていた記憶があります。
 直子の血のなかに、糸子の血が、そして善作の血が確実に流れているのが分かる。

 昭和33年元旦。

 静子が年始詣りに来ています。 あのー、優子のほうが年上みたいなんですけど…(笑)。
 ま、これもご愛嬌ですわな(笑)。
 しかも二人の子持ちかよっ。 一姫二太郎だ…。

 そこで優子に打ち明けられた、直子が東京に行き、原口先生の師事を仰ぐ、という話。 優子と同じ部屋に住み、という話です。
 優子は頑強に、それを拒みます。
 その口調、完全に岸和田弁に戻ってる。

 「だいたいアンタは、絵描きになるんやったんちゃうんけ?!
 なんで今さら洋裁なんか始めるんよ?
 洋裁はうちの道や!」

 「うちの道て、ひとりしか通れん道ちゃうがな。 一緒に仲良う、目指したらええやろ?」

 糸子が口をはさみます。
 そらそうなんですけど、優子にとっては自分が好きだった道をあえて自分でくじいてまで選んだ道なのです。 自分より絵の才能がある直子が同じ道を目指してしまったら、自分の将来の設計まで危うくなってしまう。
 なんで大人しく自分の道を歩んでいられないのか直子は。
 なんでうちの人生の邪魔をしようとするんや。
 優子の心理のなかには、自分が店を継いでお母ちゃんをひとり占めにしたい、という欲望も微かにある気がする。

 「嫌や…嫌や…絶対嫌や…!」

 かぶりを振る優子に、直子はいかにも憎々しげに姉の顔を凝視し、悪魔のようにつぶやくのです。

 「姉ちゃんはな。

 うちの才能が怖いんや」

 勝ち誇ったような直子の顔。
 優子は手元にあったミカンを直子に投げつけ、その場から逃げるように出て行くのです。
 平然とミカンを食べ続ける直子。

 「(優子が笑たら直子が泣き、直子が笑たら、優子が泣く)」。

 号泣する優子。 仏壇に線香を供え、遺影を見上げる糸子。

 「(お父ちゃん。 おばあちゃん。 勝さん。

 …手に負えんわ…)」





 優等生が陥りがちな落とし穴。
 対抗意識を燃えさせる者の心理状態。
 今までの子供同士の競い合いとは違う、目に見えない激しい火花が散り始めた、小原家の姉妹たち。
 ますます目が離せなくなってきました。

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2012年2月 4日 (土)

「平清盛」 第4回 ものごとの本質を理解できること

 上皇の警護を担当する、という 「北面の武士」。 要するに近衛兵みたいなもん、などと前回説明いたしました。
 しかし 「近衛兵」 などというと、「ベルサイユのばら」 のオスカルみたいなもんを想像してしまうのですが、この部署に入ってきた松山ケンイチクン演じる清盛(松山ケンイチクン)は、相変わらずの乞食ルック(乞食乞食と書いておりますが、私はこの言葉、忌避するには当たらない、と考えております)。 まあ 「北面の武士」 の制服(笑)は着ておるのですが。 どうも清盛だけが群を抜いて野暮ったい。

 どうして前回、源義朝(玉木宏サン)から屈辱を受けて北面の武士になったというのに、松山クンの身なりがそのままなのか、という点から、まず論じなければなりません。

 このドラマ、毎回毎回、「少年」 清盛を成長させるファクターが積み重なっていくのに、なかなか清盛は目に見えた成長をしていきません。

 それは清盛が、世の中の情勢とか(当時の)人間のなりわい、そして本音と建前の交差する浮世、というものを、本質的にまだ理解していないことからくる。
 このドラマを見ていて、私はそう感じます。

 平安末期当時、教育というものがどれだけ世に浸透していたのかは分かりません。
 しかも新興台頭勢力である武士、という階級にとって、体系的に学問、というものを学ばせる機会というものはまだ確立していなかったと思われる。

 特にアウトローとして少年時代を送ったと思われるこのドラマのなかでの清盛にとって、ものごとの本質を見極める目はじゅうぶん備わっていなかった、と作り手は設定しているように、私には思われるのです。
 清盛の生きていくうえでのもっとも大きな判断基準は、この時点では 「くだらない世の中で、自由におおらかに生きていきたい」、というもののように感じられる。
 それは、「遊びをせむとや生まれけん」 という亡き母親の呼び声に導かれているような姿勢であります。

 しかし少年清盛には、「遊ぶために生まれてきた」、というのは、言葉の上っ面だけをとらえた理解にとどまっている。
 「テレビゲームで遊ぶために生まれてきた」、みたいな(笑)。

 それを象徴しているシーンのように思われたのが、璋子(たまこ、檀れいサン)や堀河局(りょうサン)ら、上皇の女房たちによって開かれた歌合わせの場で、堀河局の詠んだ歌について、清盛がすごく表面的な解釈をしていたところ。

 「長からむ 心も知らずわが袖の 濡れてぞ今朝は ものをこそ思へ」

 同じ北面の武士でエリートの佐藤義清(藤木直人サン…蛇足ですがどうもこの人と玉木宏サンの顔が似ていて混乱する)(私だけですかね)によって、この歌はこう直されます。

 「長からむ 心も知らず黒髪の みだれて今朝は ものをこそ思へ」

 その通りにしっとりと髪の毛を濡らした璋子サマは、鳥羽上皇(三上博史サン)の 「白河法皇の子供(崇徳帝)を産んじゃったことを私に謝れ」 という命令に、素直に応じてしまう(笑)。
 鳥羽上皇にとっては、誰の子か正直分からなかった崇徳が、やっぱり白河の子であったことが分かってしまったんですから、カマかけが成功したとは言え(笑)尋常でいられるはずもなく(笑)。

 なんつーか、この璋子サマ、天然ボケなのか意図的なのか、どっちにしても何食わぬ顔して恐ろしすぎる(爆)。 また檀れいサンがこの役、合ってるんだよな~。

 まあ私は王朝のことについて別にあまり興味がないのでこの辺にしておきますが、ともかくこの 「濡れた」 歌を表面的に解釈してしまう清盛は、やはり物事の表面だけを見て浅い判断をしている段階なわけであり。

 そんな清盛は、父忠盛(中井貴一サン)が 「殿上人」 になってしまったのが、気に食わなくて仕方ない。 「殿上人」 とは、よーするに偉くなった、とゆーことです(笑)。
 でも見かけ上は自分も北面の武士となって 「ケッ!ケッ!気取ってんじゃねーよ」 と黒猫ジジくんみたいにクサりながらもお務めを果たしている関係上、精一杯皮肉たっぷりの顔をしながら 「おめでとうございます」 と御挨拶するしかない。

 そして藤原摂関家のドンである藤原忠実(國村準サン)のお召しで参上した宴の席で舞を舞わされ、あからさまな妨害に遭って貴族たちの物笑いの種にされる父忠盛を、清盛は怒りと情けなさを持って認識しようとするのです。

 これも物事の表面しか清盛が見ていないからの反応であり。

 見る人が見れば、この場面は実に、忠盛の反応が立派であることが分かります。

 いや、分かりやすすぎ、とも思える。

 だからこの父親の立派さに清盛が気づかないのは、いかにも清盛に思慮が足らなすぎるのではないか、という気も見る側に起こさせる。 でもそれが、作り手の狙いなのです。

 舞いを舞う、ということ自体が武士にとって不得手なことであることは自明なのですが、忠盛は舞の素養まで、きちんとつけていた。
 だから國村サンは意地悪して、伴奏をメチャクチャにして舞いにくくさせたばかりでなく、貴族たちに盃の酒を忠盛に浴びせさせ、ついには忠盛を転ばせて大笑いする。

 藤原忠実の関白としての地位をめぐる鳥羽上皇との駆け引きも事前に織り込み、薄暗闇の中からバカ殿メイクでしらっと意地悪指令を下す。 なかなかに見応えがありましたね、このくだりは。

 そしてやはり、この屈辱にもかかわらず、「未熟な舞にて、とんだお目汚しとなり、申し訳ござりませぬ。 皆様のお言葉を肝に銘じ、ますます、精進いたしまする」、と言い切った、中井貴一サン。 いや、脱帽です。

 その毅然としたたち振る舞いに、國村準サンは、ほぞを噛むのです。

 しかし。

 またもや同席していた藤木直人サンによって、「これはただの宴ではない、まつりごとだ。 みなそれぞれの思惑があってここにおる。 お前さんのお父上とて同じだ」 と諭されていたにもかかわらず、清盛にはその、ものごとの本質、というものが把握できない。 「くそっ!」 と実に、煮え切らない父に怒り心頭なのであります。

 ここで忠盛がヘラヘラしてご機嫌でも取ってたら、清盛のイライラにも少しは説得力が生まれたんでしょうが、作り手はあえてそのことをしない。
 やはり清盛を未熟に見せたいんだ、と感じましたね。

 その清盛をまたひとつ、成長させる出来事が起こります。

 毅然とした忠盛の存在は、要するに武士、という新しい時代の台頭を象徴づけています。 だからこそ腐った貴族の象徴である國村サンは、中井サンを潰そうと画策する。 藤原家と深いつながりのある源氏の棟梁である小日向文世サン(源為義)を呼びつけて、「中井貴一を殺せ」 と、…あ~違う(笑)。

 このドラマの視聴率が悪いことについてなんですけどね、いきなりですが(笑)。

 名前が分からんのですよ、見てて。

 えーと、為義が小日向サンで、忠盛が中井サンで、忠正が豊原功補サンで、家成が佐藤二朗サンで、家盛が大東駿介サンで…。

 藤木直人サンと玉木宏サンは顔が似てるし…。

 まあそんなにこだわることなく見てても分かるんですけど、セリフ中に 「○○はこう言った」 とか出てきても、役者のイメージがわいてこない。

 名前が分かんない、っていうのは、視聴率の上がらない最大の原因であるよーな気がいたすんですよ。 結構人物相関図とかも当時の事情が分かってないと分かりにくいし。

 もとい。

 で、因果を含められた為義(小日向サン)が忠盛(中井サン)を単身襲うのですが、そこに駆けつけたふたりの息子、清盛と義朝(玉木サン)。 何で止めないで物陰から様子を見とんのか(笑)。

 もとい。

 小日向サンは、これが、自分が父親として義朝にしてやれる唯一のことなのだ、という覚悟で来ていた。 
 ここで中井サンは小日向サンに、お互いに決着をつけるのは、武士の世の中になってからでよかろう、と諭すんですよ。
 「自分は王家の犬で終わるつもりはない」、と。
 結局為義は目的を果たせずその場を去っていったのですが、この場面もふたりの思惑が火花を散らした、見応えのある場面でした。

 ここで清盛は、「武士と貴族」 というふたつの勢力の力関係の本質を、身をもって学んだ、と思われるんですよ。 王家の犬と蔑まれながら、その王家を飲み込もうとして勃興していく武士という勢力と、自己保身に汲々として世間の動向から遊離し、衰退しようとしている(まるで現在の政治家みたいな)貴族、という勢力。
 清盛は貴族のほうがずっとエライ、とばかり思っていたからこそ、「王家の犬」 という表現を、侮蔑されている意味で使っていた。 でも実態は、違っていた。 義朝の 「本当は逆だ、武士が王家を守ってやってるのだ」 という言葉の本質を、清盛が実感した瞬間なのだ、と思うのです。

 そのうえで、貴族の頂点にあった白河法皇の血をひいている自分の存在の重要性まで清盛が気づけたか、というとまだあやしい部分はある。

 「清盛は平氏にはなくてはならぬ男だからだ」、と言っていた父親の言葉を、清盛が真から理解している段階ではない、と私には思えるのです。

 いっぽう義朝は、為義の覚悟を真から汲み取り、父の無念は自分が晴らす、と宣言する。

 このコントラスト。

 清盛は父親の思いの一端を理解することで、父親に対する思いをまた新たにしていく。

 ここでようやく父と息子は、互いに笑いながら語り合うことができるのですが、そのときに清盛が持っていた、エクスカリバー、じゃなかった、あのぶっとい剣(なんて言いましたっけ?)(確か三種の神器だったような覚えが…)。

 あれっていつも、清盛は手にしている。

 あのエクスカリバーが清盛にとっては、父親への思いそのものなのではないか、なんて感じた、第4回の 「平清盛」 なのであります。

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「平清盛」 第3回 負けるものか、という気持ち

 どうもレビューが大変遅れましてゴニョゴニョ…。

 風邪気味で寝てばかりいたせいでゴニョゴニョ…。

 もとい。

 家出状態の清盛(松山ケンイチクン)は鱸丸(上川隆也サン)を筆頭とした郎党を連れて、漁村の船の警護役をして、民の暮らしを守っているつもりでおったのですが、乞食のようななりをしておったために?自分たちが退治している海賊と混同されて検非違使(警察みたいなもんですな)に捕えられ、父親の忠盛によって無罪放免となる。

 しかし鱸丸以外の郎党が捕まったままとか、条件付きの釈放に清盛は納得いかない。 そんな荒くれ者の清盛の前に現れたのが、玉木宏サン演じる源義朝。 かつて白河法皇(伊東四朗サン)を討とうとしたその気概を認め、「自分と勝負しろ」 と清盛に迫るのです。

 しかし清盛はそんな初対面の義朝に 「なんだオマエ?」 みたいな感覚で、まったく取り合おうとしない。 まあ当たり前か。

 義朝は小日向文世サン演じる父親の源為義に付き添って、北面の武士(上皇の警護役、まあ近衛兵みたいなもんですな)に取り立ててもらおうとするのだけれど、藤原家成(佐藤二朗サン)はにべもなく 「北面の武士は清盛に決まった」 とのたまう。

 「清盛の出世が早い」、ということについて、その原因には結構諸説があるらしいですね。

 その諸説のなかで 「清盛が白河上皇の隠し子だった」 という説をこのドラマでは採用したのですが、「隠し子だったから出世が早い」、という性急な結論を、このドラマでは採っていない。

 白河法皇亡きあとの権力は、三上博史サン演じる鳥羽上皇に移っているわけですが、この鳥羽上皇、白河上皇と敵対していたためにその落としだねである清盛及びそれを匿っている清盛の父、忠盛(中井貴一サン)に、いい感情を持っていない。
 「彼らの忠誠心を試すために、北面の武士に取り立てよう」、という意図が隠されていた、という話に持っていこうとしているわけです。
 ただ、清盛はそんな出世話には全く興味なし。

 それにしてもまっこと、平氏と源氏の名前には苦慮いたします。
 みんな同じような名前ばかりで書いてて混乱する。

 複雑な事情などスッ飛ばして、早く今回のテーマに辿り着きたいのですが、経過を書いとかないと言いたいこともよく伝わんないだろうし。 ああもどかしい。

 で、清盛は捕えられたままの郎党を助けようと、彼らを脱獄させます。
 そこに再び現れた義朝、「どうして北面の武士にならぬ?」 と清盛に問い質すのですが、「王家の犬になってこびへつらって生きたくない、オレはひとりで生きるんだっ」 と甘っちょろい反抗心をむき出しにする清盛に、義朝は大いに幻滅。 「オレと勝負しろ」 という話も、なかったことにしろ、ということで。

 そのとき、郎党たちは検非違使によって、再び捕えられてしまう。
 「ここで出ていってはまずい」 という鱸丸の的確な判断をよそにわめきまくる清盛。
 いちいちやってることがガキすぎる。

 でもですよ。

 ガキなんですよ、この時点での清盛は(笑)。

 「ガキだよなあ」、と視聴者に思わせる時点で、松ケンクン及びドラマスタッフの思惑は、大成功しているわけです。

 自分たちが守った米を自分たちが食ってどうするんだ、というのも立派な理屈。
 でもそれを鱸丸に褒められて悦に入るのは、幼さといってもいい。
 逃がした郎党たちが無邪気に大通りを歩くのを見て 「ハッハッハ、あいつらときたら」 と郎党たちの保護者気取りでいるのも、標高10メートルくらいの小さなお山の大将、という風情から抜けきらない。

 なにしろ 「この面白くもない世の中に対して楯ついている」、という根性からして、暴走族と紙一重じゃないっスか。 やってることはとりあえず立派かもしれないけれども。

 で、郎党たちを助けようと申し開きをしようとする清盛に、父忠盛が放った言葉は、その清盛の幼さを、ものの見事に一刀両断にするのです。

 「責めを負うと申すならやりようはただひとつ。 この件には一切関わりはないと言い通すことじゃ。

 …

 民を守っておったと…?

 まこと守ったと思っておるか?

 その村の民は賊に襲われた。 その賊はな、お前たちが退治をした海賊たちだ。
 お前たちへの恨みから、徒党を組んで村を襲ったのだ。

 よいか。 浅知恵で押さえつけた者は必ず浅知恵でやり返す。 それで傷つくのは、弱き民だ。

 お前は民を守ってなどおらぬ。 お前がしたことは賊と同じだ。 お前が村を襲ったのも同じなのだ!

 それでもお前がこうして生きておられるのは、お前の知らぬところで、平氏一門がお前を守っておるからだ!

 かように赤子同然の者が、いかにして、ひとりで責めを負うと申すのじゃ!」

 ぐうの音も出ない清盛。
 ガキがシュンとしている姿そのまま、であります。
 しかしドラマはさらに、清盛をガキっぽく見せる演出をたたみかけてくる。

 自分がここで知らん顔して、しゃあしゃあと生きていけない、と清盛は絞り出すように呻きます。
 そこに清盛の叔父、忠正(豊原功補サン)が 「平氏と縁を切ればすべて丸く収まる」、と主張するのですが、父忠盛は 「ならぬ! 清盛は平氏にはなくてはならぬ男だからだ」 と言下に否定。 忠正は(あ~ややこしい)「姉上(忠盛の妻宗子、和久井映見サン)の気持ちを考えたことがおありか?」 と詰問。 どこの馬の骨とも分からん白拍子の子供が、正妻の子を差し置いて家督を継ぐというのが、忠正には許せないのです。 どうもこの忠正、のちに清盛と決定的に敵対するようであります。
 「白拍子の子供」 と悪しざまに叔父に蔑まされて、駄々っ子のように唇を噛む清盛。
 う~む、ますますガキっぽいぞ。

 そこに追い打ちをかけるように、宗子が 「清盛は私の子にございます!」 と、自分の心の痛みを押し隠した宣言が。
 清盛は、ますます自分の駄々っ子さ加減を噛みしめざるを得なくなってくるのです。

 そしてとどめが、清盛の弟、家盛(大東駿介クン)の、「母上のためにもどうか、父上の仰せの通りになさって下さりませ!」。
 本来ならば家督を譲られるはずの家盛のこの言いよう。 自分にも忸怩たるものはあるだろうに。 しかもそんな弟が、自分の知らないあいだに自分より数段立派になっている。

 清盛のガキっぷりは、ここに極まるのです。

 「オレは…オレは…!」

 清盛、いたたまれなくなってその場からエスケープ。
 みな自分の立場を慮って我慢しながら生きている。
 それに比べてオレは何だ。
 自分なりに正しいと思って生きてきた。
 それがすべて、平氏の掌の上で粋がっていただけだとは。

 清盛はあらためて、源義朝に勝負を申し込みます。
 が、清盛のオコチャマ加減に幻滅していた義朝は、ガキの言うことなんか歯牙にもかけない。

 しぶしぶ勝負に付き合った義朝、比べ馬で清盛に圧勝します。
 そりゃ毎日鍛錬してるもんなあ。
 途中で落馬した清盛。 草むらのなかで苦汁をなめる清盛を、カメラは俯瞰で、いかにもちっぽけに映し出す。 このシーンにはしびれました。

 「オレは…オレは…どうしようもない男じゃ…!

 赤子のように…守られておるとも知らず…思い上がって…ひとりで、生きておるつもりになって…。

 オレは…なにも出来ない…つまらない奴だ…!」

 打ちひしがれる清盛を睥睨していた義朝。
 しかしドラマの作り手は、義朝にそのまま立ち去らせることを潔しとしません。

 義朝は清盛のもとに立ち戻り、オレが勝負したいと思ったのは、時の最高権力者であった白河法皇に立ち向かおうと舞いを舞っていた清盛だったのだ、と告げます。
 つまり貴族の頂点にいた白河に対峙する武士の象徴としての清盛。
 「おまえは 『武士は王家の犬だ』 と言ったがそれは違う、武士が王家を守ってやっているのだ」、という逆転の発想を清盛に伝授するのです。

 そのうえで義朝は清盛に、まことの武士の頂点は源氏だ、今日はそれが分かって気分がいい、と吐き捨ててその場を去る。
 清盛は立ち去る義朝に、「勝ち逃げは許さぬ! 次は負けぬ! お前なんぞ、叩きのめしてやる!」 と叫び続けます。

 ここ、なんですけど。

 ウサギとカメというお話がありますが、カメが勝ったというとこに気を取られて、ウサギの屈辱、という側面には、今まであまり日が当たったことがないように思える。

 屈辱を受けてみて初めて気づくのですが、特に男というものには、傷つけられたくないプライド、というものがあります。

 それを傷つけられたときに、打ちひしがれて沈んでしまうか、「なにくそ」「フザケンナ」 とばかり立ち向かうのか。

 実はそれって、低迷している日本経済にも同じことが言えるような気がする。

 自分たちはかつて世界第2位の経済力を誇ったけれども、今は超高齢化社会に突入し、国力自体が低下しているところに来て、かつて新興国であった他国が次第に 「安かろう悪かろう」 ではなく、確かな技術力も擁するようになってきている。 我が国のお株は、奪われっぱなしなのです。

 そこで鍵となるのが、やはりこの 「なにくそ」、という負けん気なのだ、と私は思う。

 「負けぬからな! 次は、負けぬからな!」

 そして清盛は、北面の武士となるのです。

 どこぞの知事サンも、画面の汚さばかりに気を取られないで、この清盛の気概を見習ったらいかがでしょうかね。

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