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2012年2月25日 (土)

「家で死ぬということ」 ただ淡々と、時は過ぎゆく

 NHK名古屋放送局制作のこのドラマ。
 岐阜県白川郷で、ひとりの女性が、自分が人生を送ってきた合掌造りの家で、人生を終えていく、というストーリーでした。

 その女性を演じるのが、渡辺美佐子サン。
 最近では 「おひさま」 での高貴なおばあちゃん役が印象に残ってますが(全部見てないのによく言うよ)、まあ私の場合渡辺美佐子サン、と言えば 「赤い疑惑」 で八千草薫サンから交代した、大島幸子(優子じゃないよ)つまり百恵チャンの、血の繋がってない母親役。

 八千草薫サンが交代した事情については、まああのときは 「俺たちの旅」 なんかもやってましたし、八千草サンが忙しかった、ということがあったのですが、それはさておき、可憐な八千草サンの後釜として登板した渡辺サンに、当時小学校5年だった自分はあまりいい印象をもってなくて(失礼、昔のことなんで時効にさせてください)。
 なにしろなんか、役の交代と共に、役柄まで変わっちゃった感じだったんですよ。 とてもナイーブなお母さんだったのに、急にがさつで江戸っ子みたいなサバサバ系。
 これってかなり、思い切ったイメチェンですよね。
 普通だったら前の人の役柄を大事にしてもよさそうなものなのに。
 で、渡辺サンに対して持った小学生のガキが持ったイメージは、「強気なオバチャン」。

 今回自宅で亡くなっていく渡辺サンが演じたその女性も、結構勝気タイプでした。
 渡辺サンの娘は西田尚美サン。 母親のそんな勝気なところに反発して白川郷を飛び出し、母親が余命3カ月だというのにそれを一顧だにせず、サエない夫と就職浪人中の息子を現地に派遣します(表現がおかしい…)。

 そのサエない夫役が、高橋克典サン。 息子が庄野崎謙サン。
 高橋サンは西田サンに命令されて、渡辺サンを東京の病院に連れてこようとするのですが、渡辺サンは 「自分のうちで死ぬ」 と言ってまったく聞く耳をもたない。

 高橋サンは結局、合掌造りの家のメンテ、漬物作りなどに駆り出されるのです。
 そしてそのうちに、病状が重くなっていく渡辺サンの介護までするようになる。

 会社では閑職に追われて妻の稼ぎを当てにしなければならなくなっていた高橋サン。 最初のうちは 「なんで自分がこんな目に」 というイヤイヤながらのお勤めだったのですが、そのうちに白川郷での暮らしに、一本筋が通っていく。 そして義母の危篤の際には、それまで頭が上がらなかった妻の西田サンに 「母親の死に目に会うこと以上に、大事な用事なんかあるか!すぐ来い!」 と一喝するまでになる。

 そして母親の死の床に駆けつけた西田サン。
 それまで冷たく反発し続けていたわだかまりをすべて脱ぎ捨て、母の死に涙するのです。

 そしてその葬儀の夜。
 渡辺サンが高橋サンの手を借りて漬けていた、赤カブの漬物を皆に振る舞おうとして、高橋サンは絶句します。
 赤カブが赤く漬かるかどうかが腕の見せ所だ、と言っていた渡辺サン。
 アンタがかきまぜて、さてどうなるだろうねぇ、と言っていたのですが、高橋サンがかきまぜたその漬物は、見事に赤かったのです。

 号泣する高橋サン。

 私も泣かせていただきました。
 確かにその漬物は、義母のアドバイス通りに高橋サンが漬けたものだったのですが、それってやっぱり、故人の手のかかった物、なんですよ。
 縁起でもない話をするようですが、もし自分の母親が亡くなったとして、冷蔵庫から、母親が作った料理なんかが出てきたとしたら、かなり切ないです。
 それが親が生きていた証拠みたいなものだし、生身の触れあい、というものがその料理には、確実に存在している。 母親の手は、その材料を確実に触っているからです。

 ドラマで見事に赤くなっていたその漬物には、亡くなった義母の思いが凝縮されている、そんな思いに襲われて、私も泣けてしかたがなかったのです。

 話の大筋としてはこんなものなのですが、展開としては、特に奇を衒ったものなんかひとつもなくて、淡々と流れていくかのような話でした。

 「家で死ぬということ」、という題名がついたこのドラマ。
 これは白川郷の合掌造りの家であればこそ、ここまで渡辺サンがこだわって、この場所で死にたがるという説得力を生じていましたけれど、実際のところフツーの家とかマンションに住んでいる人にとって、「自分の家」、というものに、それだけ執着があるものかどうか、それは疑問です。

 けれども、自分が生まれ育ったとか、子供たちとの思い出が詰まっているとか、長くその家に暮していれば、いくらフツーの住居でもそれなりに思い出は、出来ていくものです。

 それにしても。
 以前だったらこの手のドラマに対して、おばあちゃんがかわいそう、とかいう視点で見てたような気がするんですよ。 涙のポイントもそこ。
 けれども自分が歳を重ねてくると、年寄りにだって若者とまったく変わらぬプライドというものがあるんだ、そう思えてならないのです。
 よく昔話とかでは、おじいちゃんおじいちゃんした人とか、おばあちゃんおばあちゃんした人とかが出てくる。
 だけど実際は、「ワシは○○なんじゃ」 なんて言う老人って、…いませんよねぇ(笑)。
 老人は子供に戻る、なんていうコンセプトも、老人を誤解するファクターだと思うんですよ。
 もし自分が老人になったら、「やれやれ疲れたわい…どっこらしょ…(爆)ジジクセぇ~~っ!」 みたいに言うよーな気がする(笑)。

 今回このドラマを見ていて泣けたのは、「かわいそう」 とかいう観点ではなかったように感じます。
 人はその地に生まれ、その地で育ち、その地で老いていく。 親は子を産み、子は親を看取る。 それが繰り返されていく。
 まあひとところにとどまって人生を終えていく人というのも稀だとは思うのですが、時というものは、すべてを押し流して、淡々と人の人生を見送っているような気がするのです。

 そんな、「すべてのものは流れゆく」、という、摂理に対して、泣ける。

 なんかわけの分かったような分からんような感想ですが、少なくともこのドラマを見て号泣する若い人との号泣ポイントは違う、と感じたことは事実です。

 それは自分がこれから近づいていくであろう、次の世界への扉が、そろそろ遠くに見えだしたことの証拠なのかもしれません。

 どういう人生の終わり方をするのかは、誰も分からない。

 それでも、若い人が考えるような、かわいそうな人生の最期なんか送ってやるもんか、と考える、自分なのであります。

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コメント

リウさま

私も昨夜、視聴しました。
かなり泣きましたね〜。
エンドロールで確認したら脚本は「四十九日のレシピ」の大島里美さんでした。

あらすじだけ見ると、それほど面白みはないといえるかもしれませんが,作品としてはかなり上のレベルだったように思いました。

今回、雪の白川村が母親の暮らす場として描かれていて、これも感動させるファクターの一つとして大きかったのではないでしょうか?

人と人のつながり、そして自分が持っているもの、培ってきたものをどうやって次の世代に渡していくべきかを強く感じさせられる作品でした。

強気なおばあちゃんの渡辺さんと、ちょっと頼りなさそうな高橋さん。
とてもいいバランスだったような気がします。

強気な性格であっても、人は老いることで自分の思い通りに体を動かせなくなっていく。
頼りない人でも、人として思いがある人であれば誰かの役に立っていける。

地域とのつながりが皆無となりつつある都会で暮らす人たちにとって、「結」というコミュニティは、どう響いたのか・・・

実際、地方に暮らしている人から見れば、こういったコミュニティのメリットと共にデメリットもあるだろうと思いますが、今回はメリットに重点を置いて描かれていましたね。

ただ作品としては、本来、それほど関わりがあったと思えない義理の息子である高橋さんが、あそこまで妻の母親に尽くせたのかが、もう少し描かれていると、もっと良かったように思いました。
(時間的な制約等あるとは思いますが)

投稿: rabi | 2012年2月26日 (日) 12時29分

実は、私白川村に隣接した自治体に居住しておりますので、このドラマ放映前から期待してました。実にオーソドックスな作りで、悪く言えばNHK的ではありましたが、楽しませてもらいました。
 漬物の発色をオチにもってきたのには感心しました。技術とかの問題でなくphか何かの影響だと思うのですが、カブラ漬けがきれいに赤く発色する人としない人がいるのです。
 ただ、残念だったのはドラマで漬けられていたのは白菜の切り漬けに赤カブラが入ったもので、カブラを主体に塩漬けしたキュウリやキノコ類を一緒につけ込んだ「品漬け」が岐阜県飛騨地方で言う本来のカブラ漬けです。
赤カブラといっても赤いのは皮だけで果肉は白いのですが、品漬けにすると全体が赤く染まります。
 ご参考までに
  http://www.sugitarushikomi.com/sinaduke.html

投稿: 虎児 | 2012年2月27日 (月) 12時16分

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が大変遅れてしまい、申し訳ありません。

このレビュー、ちょっと酔いが醒めたような状態で書いてしまったために、なんとなく要領を得ない感想になってしまったのですが、いま読み返してみたら結構言いたいことは書いてるかな、とcoldsweats01。 渡辺美佐子おばあちゃんも、いったん療養施設に入ったりとか、物語上の紆余曲折はあったんですけどね。

「四十九日のレシピ」 の作者のかただったんですか~。 なんとなく同じ匂いはいたしますね。 ただ話としては、結構縦横無尽だった 「四十九日」 と比べると、やはりもうちょっといろいろひねりがあってもいいような気もしました、rabi様と同様。

私だって、合掌造りの家だったら、「ああここで死にたい」 って思うぞ、なんて思いながら見てたんですが、酔っ払い気味で見出したからなァ(笑)。

ただ。

実は10何年か前、白川郷で数カ月仕事をしていたことがあったのですが、私がそこで感じたのは、世界遺産にまでなったこの村で住んでいらっしゃるかたがたって、結構 「その役」 を演じさせられているんじゃないのかな、ということでした。

世界遺産になることで、生活様式にもかなり制約が生じる部分があり、観光地として確立してしまったために、外に向かって伝統的な行事などをお見せしなければならないようなところもある。

合掌造りが見世物であると同時に、自分たちも見世物を強いられてしまっているんじゃないか、みたいな。

私も結構奥まったところに田舎があったものですから、合掌造りとは言わないまでも、柱からなにからみんなまっくろ、天井がものすご高い、そんな萱葺きの家が近所にありました。 そこで暮らす人たちは、別にそれが世界の遺産ということもなく、ごくフツーに生活していた。

別にそんなファクターがドラマで表現される必然性はなかったのですが、西田尚美サンがその麗しい村を出ていった理由にちょっとでも加わっていたら、もっと説得力が生じたかな、なんて感じています。

投稿: リウ | 2012年2月27日 (月) 12時47分

虎児様
コメント下さり、ありがとうございます。

白川村の近くにお住まいなんですか。 冬は雪深くなるので大変でしょうね。 特に今年はドカ雪で、お見舞い申し上げます(地域によって差はあるのだと存じますが)。

赤カブの話はとても面白いですね。 手のひらの脂とかが関係しているのかしらんcoldsweats01

その土地によって独特の漬物がある、というのは、興味深いですね。 私の田舎福島ではニンジンとコンブ、スルメを細く切り刻んで漬けたものを、松前漬というのですが、本来の松前漬は全く違うものだったことにショックを受けたものです。

だから各家庭によってカプラ漬も違うのかな? お隣韓国では、各家庭によってキムチの流儀がかなり違うみたいですよね。

漬物文化って、こだわりが垣間見えて楽しいです。

投稿: リウ | 2012年2月27日 (月) 15時10分

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