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2012年3月 4日 (日)

「カーネーション」 第22週 失うことを怖がらないで

 尾野真千子サンが小原糸子役の最終週。
 私だけの感覚かもしれませんが、物語はまるで、小原糸子役を全うできなかった尾野真千子サンの役者としてのプライドに語りかけるかのごとき、脚本の渡辺あやサンの尾野サンへの強いメッセージが内に込められていたような気がいたします。

 いわく。

 失うことを嘆くな。

 失うことを怖がるやつは、泣いて生きていけばいい。

 それがこのドラマのヒロイン、小原糸子の姿勢なんだ。

 その姿勢に、どうぞ学んでください。

 小原糸子という役を失うんじゃないのです。

 尾野サンが生きている限り、自らと共に、いつまでもあるのです。

 こういう、私だけの感じ方かもしれない方法で、このドラマを評価し続けるのは適当ではないかもしれないのですが、どうにもこういう、ものごとの道理の深い部分まで感じさせてくれるこのドラマの作りに、私は今週も感動するのです。

 そして尾野糸子の退場は、とりもなおさず、小原千代役の麻生祐未サンの退場でもある。

 麻生サンが夏木マリサンの母親役をやる、というのはあまりにも荒唐無稽ですからね。

 物語は糸子役を退場していく尾野サンの部分で強いメッセージを発揮しながら、千代役を退場していく麻生サンの部分で思い切り泣かせる。

 空恐ろしいまでの、ドラマの構造でした。

 そして今週の、最後の数分に出てきた夏木マリサンの印象ですが。

 交代理由のひとつとして制作者が挙げた、「声の表現」 とはこういうものか、という気はとてもしました。 尾野真千子サンも結構声が低いほうですが、夏木マリサンはそれよりももっと低い。 尾野真千子サンの声のトーンが低くなるとこうなるのではないか、と思った、正直に。
 そしてさっそく笑わせる。 「主役交代でどうなってしまうのか」、という視聴者たちの疑心暗鬼が渦巻くような静けさの中で、鮮やかなバトンタッチが見られた、という気がいたします。
 ただ予告編を見ていると、「スタパ」 で尾野サンが話していた通り、岸和田弁のトーンが微妙に変わっているような気はやはりしました。 でもそこを突っ込まないで、という尾野サンの意志を尊重しながら、来週以降、あと4週間のこのドラマを見ていきたいと思うのです。

 早速レビューを開始します。





 月曜放送分。

 昭和45年4月。

 直子の結婚式です。

 まるで直子のデザインする服のような原色同士のぶつかり合いの結婚式会場で、モンキーダンスを踊りまくる原口先生(笑)。 「のってけのってけ」 もやってました(笑)。

 世はまさにサイケの全盛期。 直子の奇抜なファッションに世間がようやく追いついたような格好です。 そんな直子の結婚式もおおいに新聞記事ネタになるのですが、その見出しのフォント(字体)が、またヤケに現代的であり。

 このドラマでは時々、こういう現代とのねじれ現象みたいなことを、平気でやるところがあります。
 私が気になっていたのは、商店街のいちばん奥に見える店のフォント。 あんなけ丸ゴシック体みたいな字体って、当時なかったような気がするんですよ。
 そして昭和45年ごろのスポーツ新聞の見出しと言えば、モノクロは当たり前(うちで取ってたスポニチの場合)。
 しかもドラマで出てきた字体を見ると、まるで一面トップ、という感じですが、当時芸能その他が一面トップに出ることなど、まずなかったと記憶しています(記憶違いならばご容赦を)。
 一面の見出しが、確か赤っぽいオレンジ色になったのは、ワータシの記憶が確かならば王選手がベーブ・ルースの記録を抜いたあたり、昭和52、3年だったんじゃないかと思う。 写真はもちろん白黒ですよ。 紙面の3分の1くらいを見出しが占めるようになるのは、そのもっとあと。

 これって、このドラマのスタッフが、けっしてリアリティを重視しているわけではないことを示しているような気がするのです。

 ここで当時の紙面を忠実になぞったとしましょう。
 その場合、このドラマはコシノ三姉妹とそのお母ちゃんのことを忠実に再現しているように視聴者に思われてしまう、そんな危険性があるような気がする。
 一見パラレルワールドみたいな世界を提示することで、「事実に忠実な物語」 という印象をぼやけさせるという製作側の意図がある気がする。

 …まあ、「カーネーション」 びいきの単なるこじつけかもしれませんが。

 …あ~こんなとこで時間使ってられへんで!(笑)

 直子が原宿にオープンさせたブティックで行なわれた結婚式の二次会では、吉村と小沢というフェノメノンのふたりが、疲れて眠りこけてしまった糸子に話しかけています。 糸子はこのふたりからも、「お母ちゃん」 と慕われている模様です。
 ふたりともそれなりに出世しているようですが、それ以上の出世を見せつけているのが、斎藤源太。 パリコレに日本人として初めて参加することになったといいます。

 それにあからさまにライバル心を燃やすのが、やはり直子。 「けったくそ悪い…『お前は結婚パーティでよろこんどれ、おらはパリコレでよろこんどるぞ』 ちゅうてゆわれてるみたいや…。 …よろこべるか! あんなジャガイモに先越されて! は~腹立つ!

 …まあ、けどな。 見とけよ。 うちかていつか絶対パリコレやったるからな!」

 …なんか、糸子がもうひとりおるようです(笑)。

 直子の経営は、見た目ハデやけど無駄遣いだらけの日本政府、国家予算そのもの(笑)。 糸子は 「あのウスラボケ…」 と苦い顔をしながら夫の大輔に、あんじょうよろしゅう頼むのです。

 「(サイケ。 ヒッピー。 モッズルック。
 …この頃のモードは、もうおしゃれっちゅうより、仮装です)」。

 直子のブティックを見ながらそう思う糸子のこの感慨は、今週後半のちょっとしたカギになっていきます。

 そこにやってきたのは、スガシカオかミシェル・ポルナレフか?みたいな格好の、ジョニーという芸能人。 事務所に履かされるシークレットブーツを嘆いています(笑)。
 そして糸子は、白川ナナコ、という新進女優の悩み話を親身になって聞いています。

 いったいこのふたり、誰がモデルなのか?というのは、気になるところです。
 ジョニーという名前からみて、ジュリー、つまり沢田研二サンかな?とも思うのですが、背が低いわけでもなし、当時はまだタイガースだったはずです。
 白川ナナコのほうは分からんなぁ…。
 とにかく芸能人との接点が、糸子にも生まれていた、ということだけは、そこから如実に分かるのです。
 夏木マリサンも 「綾子お母ちゃん」 にはお世話になっていた、と聞きます。
 ひょっとすると新進女優、という肩書はカムフラージュで、彼女は夏木マリサンのことかもしれないですね(まあ誰でもええがな)。 でもそう考えると、遠い将来に糸子になる女性を、糸子が励ましている、というすごく入り組んだ設定で、面白い気がするのです。

 「お母ちゃん。 私、間違ってないかしら?」 泣きながら尋ねる白川ナナコ。

 「何も間違うてへん。 自信持ってやり。
 いざっちゅうときはな、いつでも岸和田来たら、うちで雇ちゃるさかい。 なあ」

 「ありがとう、ありがとうお母ちゃん!(糸子にすがりついて泣くナナコ)」

 「大丈夫、大丈夫や。 なあ」。

 そこにやってきたジョニー。 「誰キミ?」「白川ナナコ」「ナナコ…お母ちゃんとナナコ…じゃあね」
 ポーズを取って去っていくジョニー。 なんなんだ(笑)。 ワケが分からん(爆)。
 そして、「なんやヘンなもん見てもうた」 とばかり、渋い顔をする糸子(ハラ痛てぇ…)。

 そしてオハラ洋装店。
 糸子が持ってきた、直子の店の出納帳に、一瞥しただけで呆れかえりポイントを次々見つける、松田恵。 さすがに経理担当者だけのことはある。
 そして月に一回、優子の店と直子の店から、売れ残りがオハラの店に届くのですが、それを売りさばく聡子の商才が、徐々に上がっていることをドラマは追っていきます。
 東京には東京の厳しさがあるのかもしれないが、岸和田には岸和田の厳しさっちゅうもんがある、とその売れ残りを思いきりダンピングする糸子ですが、聡子はそれを高値で売ってしまうのです。
 つまり聡子は、客を見てその好みと経済力を把握しているからこそ、そないな商売ができる。 糸子は洋服屋の奥の深さを、またまた勉強するのです。 自分の娘から。

 住み込みの風潮がなくなってきたことを描写しながら、その残りひとりの住み込みとなった縫い子を絡ませて、小原家の食卓は、テレビに出てきたジョニーを見るのです。

 「みんな! 今年はお花見に行ったかい? …僕は行ったよ」 一言言うたびにキャーキャー。 黄色い歓声。
 こいつヘン(笑)。 絶対ヘン(爆)。 観客もみんなヘン(ハハ…)。

 そこにやってきた、北村。 喪服を着てものすごく暗い顔をしています。
 オハラの家の中に入ろうとせず、「死んだど」 とだけ糸子にしゃべって、誰が死んだのかも言わずに去る。
 北村、オマエも何なんだよ(笑)。

 とにかく、直子のヘンにどぎついデザインの服が流行っていくのを、月曜日のドラマは丹念に追いながら、世の中がなんとなく、「ヘン」 な感覚に包まれていき、そして北村の、ヘンな訪問で話を締める。 「ヘン」 で統一された、このトータル感覚。 つくづくすごいドラマだよなあ。

 それにしても誰が死んだのか、毎日15分ずつ見ている人は、イライラしたでしょうねぇ。




 火曜放送分。

 組合の寄り合いでは、心斎橋に店を構えている優子も女性経営者たちの仲間入りをしています。 その寄り合いがはけたあと、糸子は三浦組合長に、誰か死んだのか、探りを入れます。 北村が気になる言葉を吐いてから1週間後のことです。

 三浦は呆れた調子で、「北村のやつが自分で話すゆうてたから任せたのに」 と、その死んだ人が誰なのかをしゃべります。
 死んだのは、周防の妻だったのです。
 糸子はそれを聞いて、少なからず動揺します。
 なんや2年前に支払いが完済してから、周防とは完全に縁が切れていたらしい。

 「…は…せやけど、北村は、なんでそれをうちにようゆわんかったんでしょうね?」

 「え? 分からんか?」

 「あ?」

 三浦は今度は糸子の鈍さに、呆れます(笑)。

 そして夜。
 糸子は寝床で、周防のことを思い出しています。

 「(何回思い出したやろ。

 …一緒におった時間より、思い出してる時間のほうが、ずっと多なってしもた…)」。

 すべてがモノクロの中にうずもれてしまっている、周防との記憶。

 「ヘンな相手や――」

 糸子は、ひとりごちします。

 そしてそのモノクロの記憶は、北村が糸子から受け取った、桜の枝の色が、ほのかにピンク色に染まっていくと、にわかに色を鮮明に加えていくのです。

 周防に抱かれる、糸子の記憶。

 人生の中で、一瞬とも思えた、自分が恋に胸を焦がしたときめきの時(たぶん勝との場合、ほとんど義務感だったでしょうね)。

 おそらくこれを回想している糸子は、56、7歳になっているはずです。 回想する尾野サンの顔を、カメラはそれこそ大大クローズアップするのですが、クローズアップすればするほど、尾野サンの肌つやの良さは、まるで赤子のように思えてくる。
 ここで糸子が、57歳の肌と、ごつごつした顔の造作をしていたならば、この回想場面はもっと、意味のあるものになったろう、と私はつらつら考えるのです。

 なぜなら、年老いてしまった自分が、大昔の大恋愛を思い出すとき、それはもう、すでに手の届かないものであるように、気持ちから思い込んでしまうからです。
 そんなものはいくら今したくても、歳だから、と。

 そのことに思いをいたすのは、限りなく切ない。

 しかしこの場面。

 糸子の記憶をモノクロにすることで、それに近いものを演出しようとしている。
 そして若さを失った糸子が、実は 「失う」 ということに対して、そこまで感傷的になっていない、というのが、「ヘンな相手や」 という独白によって、既に宣言されているのです。

 このひとりごちは、実は今週、尾野サンが北村に向けて放った糸子としての最後の言葉と、深くリンクしている、そう思えるのです。

 聡子の経営的な器量について、喫茶店 「太鼓」 で昌子や松田と話し合う糸子。
 松田の見立てではまだまだ、ということで、婿でも取るか?という話になっていきます。
 ええ男を取ろう、と、糸子と昌子のダブルオバチャンはもう既に獲らぬタヌキで 「ひゃあ~~~っ!」 と盛り上がっております(笑)。 しかしあの子、よういろんな男の子を連れて来よるなあ…と思い返す糸子。

 「…あれはまあ、聡ちゃんの彼氏の時もあれば、同級生の時もありますし、」 と昌子がいちいちリストアップしますが、ただひとり分からんのが、スキンヘッドでヒゲを生やした、アロハシャツの男(笑)。 誰やねん?(笑)

 「…ご飯たかりに来ただけの子ぉの時もあります」 と昌子。 あ、…そ~ゆ~ことね(笑)。

 「はぁぁ…。 あの子、アホやさかいなぁ。 なんでも連れて来よんやな」

 糸子は聡子が連れてきた男の子のひとりを、また思い出しています。 チョーつまんないねづっちみたいなヤツです(笑)。 「この子はなんやろ?…まあ、ええか。 おもろいし」。
 そうかぁ?(笑)

 「(はぁ~せやけど、うちの引き際はどないなったんや…。

 聡子があの調子やったら、まだまだ先やでこら)」

 オハラ洋装店の看板を見上げる糸子。
 見ると、店には八重子が来ています。

 糸子は八重子から、義母の玉枝が、あと半年の命や、ということを聞きます。

 「…ほうか…」

 糸子は聞いたその場で、泣いてしまいます。

 入院した玉枝のために、弁当をこさえる糸子と千代。
 玉枝の病室にそれを持参して現れる糸子ですが、やっぱりここで、病室の扉が今風になっている気がする。
 細かいところ見すぎですけどね(笑)。 昔は病室の扉って、こういう、開けたら自動で閉まるような作りじゃなかった気がするんですよ。
 これも、玉枝を思いきり老けたメイクにしているのをカムフラージュするためのひとつの方法かな、なんて贔屓目に見たりして。 かばいすぎやろこのドラマ(笑)。

 そして思いっきり明るく、玉枝と接する糸子。

 「(うちは、おばちゃんの残りの日ぃを、なるべく明るくしたいと思いました。

 …穏やかで、幸せでおってほしい…。

 …せやのに…)」

 見舞いが日課になっていた糸子。 ある日、元気のない玉枝を心配します。

 「おばちゃん。 どないしたん?」

 玉枝は、つぶやくように話し始めます。

 「昨日な…。

 待合のテレビ見ててな…。

 戦争のことやってたんや。

 戦争中に、日本軍が、戦地でなにしたかっちゅう話、やっててな。

 (糸子に向きなおる玉枝)糸ちゃん…。 うちはなぁ…。
 勘助は、よっぽど酷い目に遭わされたと思てたんや。
 あの子はやられて、ほんであないになってしもたんやて。

 けど、ちゃうかったんや…。

 …あの子は、やったんやな…。

 …あの子が、…やったんや…」

 また自虐史観がどうのこうの言われそうな話でしたが。

 しかしですよ。

 戦争で兵隊として召集された以上、「敵を殺せ」 というのは、至上命令なんですよ、どんなに言い繕おうとも。
 憎しみのほうが自制心を上回ってしまう場合はあるかもしれない。
 でも。
 「相手には殺されるだけの理由があるのだ」 と考えること自体が間違っている、と私は言い続けなければなりません。
 これについてはここで安易に言及できないだけの問題が孕まれているので、ちょっと今はスルーいたしますが。

 いずれにしても、「人を殺す」 ということが、国家からの命令であれ、それを遂行しなければならない時の精神的負担は、そんなに軽いものではない、とだけは言えるのではないか、と私は思います。

 もしテレビゲームをやる時みたいに、それこそ爽快感さえ味わいながら人を殺すようになったら、人間はおしまいだ、と。

 まあ自分がハマってた、ゾンビものとかモンスターものならいいのか、つー話でもあるんですが。

 そして、玉枝のその言葉を聞いた糸子は、思わず声を押し殺して、嗚咽してしまいます。
 これってなぜなのか。

 私なりの考察を加えさせてもらいますと。
 糸子の感情を揺り動かしている主因は、おそらく勘助が、どないな思いをして酷いことをしたんやろ、ということに思いが至ったからだ、と考えます。
 糸子自身も玉枝にそのとき言われるまで、そのことを考えたこともなかった。
 自分が弟みたいに思っていた、ヘタレの勘助が、どないな思いをして、人を酷い目に遭わしたんやろ。
 ヘタレだからこそ、余計につらかったに違いない。
 それも分からんと、自分は傷心の勘助にサエを会わせてしもたりしてしまった。
 あんなけ大騒ぎして、失恋を勘助に思い知らせた相手を。

 そして糸子が嗚咽したもうひとつの意味。
 それは、玉枝への心からの謝罪、という意味です。
 ちょっと過去のレビューを振り返ってみたのですが、糸子は玉枝に、傷心の勘助をサエに会わせたことへの謝罪を、はっきりしていません。
 奈津を救出するために玉枝の力を借りようとした時も、ただ 「助けてやってくれへんやろか?」 です。
 このことが結果的に、玉枝とのわだかまりを解消した要因にはなっていたのですが。

 勘助の思いを知ることによって、玉枝への心からの詫びの気持ちが生まれた。
 しかしこのドラマらしく、糸子は 「かんにんな」 のひと言が、玉枝に向かって言えません。
 ただ嗚咽することで、その気持ちを押し殺すしかないのです。
 その気持ちは、玉枝に伝わったのだと思う。
 玉枝は、嗚咽する糸子の髪を、そっと撫ぜるのです。

 泣けました…って、こんな冷静な解説したら、泣けんがな。





 水曜放送分。

 昭和47年3月。 糸子、おそらく還暦の一歩手前です。
 前回から2年が経過していることから、もう玉枝も出て来ぃひんやろ思てたら、子供たちの 「たのしいひなまつり」 の歌に手拍子を合わせています。 まだ生きとるがな(笑)。 年寄りっちゅうのは、病気の進行が遅いらしい。 このドラマらしい、はぐらかしかたなのであります。
 玉枝は、向こうで待ってる人が大勢いるから、なにももう怖くない、と吹聴しています。
 糸子はそれ笑てええかどうか分からん、とツッコミを入れているのですが、ここのくだりは今週の流れを見たとき、結構重要か、と。
 その話はのちほどいたしますが、宣告を受けた期限を超えた日々って、天からの授かりもののような気は、するのです。
 日々、生かしてもらっている。
 病気でもしないとなかなかそう思えないのが人の浅はかさですが、考えてみればすべてのことは、有り難いなあって感じる。
 目が見える。 口が聞ける。 音が聞こえる。 感じることができる。 おいしいものが食べられる。
 ああまた、説教臭くなってきた(笑)。

 そして。

 それから半年後、昭和47年の秋口のある朝、玉枝は息を引き取るのです。

 このドラマで人が亡くなったシーンが映し出された、初めてのシーンでした。

 色調がかなり押さえられた、薄墨色のような朝。

 ひと回り小さくなったように思える玉枝が、北まくらで眠っています。
 手を合わせる糸子。
 見守る八重子。

 「…ホッとした…」
 
 八重子はそう、つぶやきます。
 いつ死ぬのかいつ死ぬのか、という強迫観念から解放された、ということでしょうね。

 「…うん…」 答える糸子。

 死の床に眠る玉枝に、にわかに強い朝の光が差し込んできます。
 勘助と、泰蔵の遺影。
 彼らが迎えに来た、ということを強く思わせる場面です。
 朝の光に、ほのかに頬を染めたように思える、玉枝の表情。
 人はこうして、還っていくのです。

 昭和47年11月。

 原宿の直子のブティックに、源太が凱旋しています。 そこに現れたのが聡子。 優子の店と直子の店を交互に手伝わされて、だいぶ力が付いてきた、と松田が太鼓判を押し始めています。
 ただ糸子も、聡子に色気は見せ始めているとはいうものの、看板を譲るということにそれほどのこだわりはなくなっている模様です。

 その年の暮れ。 糸子はクリスマスケーキを一足先に食べてしまって、それを聡子にたしなめられています。 善作のあの一件で、クリスマスケーキは早よ食べたほうがええ、という意識が…あるわけないか(笑)。
 すごく蛇足ですがこのクリスマスケーキ(ほんま蛇足やな)、善作がヘチャムクレにしたものとはだいぶ見てくれが違ってました。 背が高い。 昭和初期のクリスマスケーキは、もっとひしゃげてました。 ただ昭和47年のクリスマスケーキは、最近ようやく見られるようなしっかりとした作りではなくて、需要が増大するから粗製乱造になっていた頃の、どことなくおざなりな作り。 こういうとこのリアリティというもんは、徹底しとるんやなぁ。

 で、ケーキを食べながら糸子は、聡子に店を継ぐかどうかをそれとなく打診します。 聡子は 「ふ~ん」「はぁ~」 と相変わらずの気の抜けたような返事で(笑)。 糸子はそれを了解したとひとり合点して、勝手に三浦やらにその報告をしてしまいます。

 しかし。

 大みそか、紅白を見ながら優子や直子に報告する糸子に、聡子はおずおずと、口を開くのです。

 「けどなぁ…。 うちなぁ…。

 えっとなぁ…。

 ロンドン行こか思てんねん」

 「なんやて?」

 旅行ではなく、仕事をしに行きたいという聡子に、糸子は色をなします。 そんな糸子に、聡子はあらためて向き直ります。

 「あんなあお母ちゃん。 …かんにん…。 家をロンドンに行かせてください。

 …

 うち、岸和田おったら、一生姉ちゃんの手伝い役で終わってまうと思うねん。
 姉ちゃんの売れ残り送ってもうて、そんで、どないか商売して、そんなんもええ加減あかんて思うしな。

 せやさかい、誰もいてへん、お母ちゃんにも、姉ちゃんらも頼られへん、どっか別んとこで一からひとりでやりたいんや」

 糸子の先を制して、これに異を唱え出したのは、優子と直子の姉ふたりです。
 英語もできひんやんか、アンタみたいな危なっかしいのが、アンタはここの店継ぎ、と機関銃のようにまくしたてられ、聡子は孤立無援になってしまいます。 確かにムボーですが…(笑)。

 糸子はそんな聡子がかわいそうになってしまい(笑)、「いや…行かしちゃろ」 と口走ってしまいます。 「あかんてお母ちゃん」「無理やで」 と反対する姉たち。 「あんたらは黙っとき!」 外野をシャットアウトする糸子。

 「この子はうちの店の子や。 あんたらが口出すことちゃう!」

 糸子は直子に向き直ります。

 「あんたの好きにし。 ロンドン、行き」。

 厳しい顔のまま、お茶をすする糸子。 今度は 「ロンドンに負けたぁ…」 というところなのでしょうが(笑)、胸を借りて泣ける玉枝は、もうおりません。 なにしろ糸子自身が、看板を譲るということに、以前ほどの頓着がない。 けれども気分が悪いことには、変わりないのです。

 それにしてもこのちょっとした修羅場を見ている千代。
 ニコニコ笑ったままです。
 実はこのシーンと並行しながら、千代が食べたばかりの年越しそばをもう一度作ろうとする、気になるシーンがありました。
 千代のぼけはこのあと、今週ラストの大きなカギとなっていきます。





 木曜放送分。

 昭和48年1月。 ロンドン行きを勝手に許してしまった糸子が、「太鼓」 で昌子と松田から、責め立てられています(笑)。
 ここで垣間見えたのは、糸子が聡子のことを、まだまだ見くびっている、という点です。
 ダメやったら戻ってくればええだけの話なんやし、と、まるで駄目になんのが既成事実みたいにしゃべっている。
 その考えは昌子によって言下に否定されます。 でもやっぱり、「もし、万が一」 成功したら、という論調です(笑)。

 でも追い詰められた糸子は、こう言うのです。

 「そら…そん時やろ。

 うちがでけるとこまでやって、…あとは、…うちが畳むがな。

 …それしかないやろ」

 この時点で、糸子はお父ちゃんから譲り受けた小原の店を、自分の代で店じまいする、という決断にはじめて立たされたのです。

 「(うちの大事な看板は、結局みんな、要らんらしい)」。

 また優子に断られた時のさびしい思いが去来しているかのような糸子。
 大きなため息をつきます。

 泉州繊維組合。
 聡子が店を継ぐという話はなかったことに、と報告に来た糸子に、三浦は今の今まで、その席に周防が座っとった、と言いにくそうにしゃべります。 飛び跳ねる糸子。
 糸子は扉のほうを見ながら、今の今までいたんなら、どうしてすれ違わなかったのだろう、というような表情をしています。
 どうやら周防は、長崎に帰るらしい。
 子供らも独立し、女房も死に、生まれ故郷に一軒家を買って、畑仕事でもしたい言うとった、としゃべる三浦の言葉に、次第に泣きそうな表情になっていく糸子。

 「…寂しないですやろか…?」

 糸子は声を振り絞って、そう呻きます。

 「そんな独りで…! また新しいとこで…!」

 涙がこぼれる糸子。 「さびしいない、…かも、…しれんけどや…」 とりなす三浦。

 「も、もう心配しちゃんな。 あいつが自分で選んだ道や…。

 …

 泣いちゃることない。 …ない!」

 「太鼓」。
 聡子が北村に呼ばれてます。 ホットケーキをもう二人分食べない聡子。 もう昔の自分とは違う、という意思表示に、北村も木之元のおっちゃんも、なんやさびしそうな表情を隠せません。

 危なっかしい聡子のロンドン行きを心配する北村に、聡子は 「うちこんなんやけど日本でもどないかなってるしな、ロンドンでもどないかなると思うねん。 犬がどこでも暮らせんのといっしょや」 と屈託がありません。
 しかしほんまや(笑)。 ミョーな説得力ある(笑)。

 物思いにふける北村に、聡子はうちがいなくなってもおばあちゃんがごはん食べさしてくれるよって、などと慰めを言うのですが、北村は思い詰めたように、聡子に訊くのです。

 「……オマエのオカンのよう。

 …
 好きな花、なんや?」

 真っ赤なカーネーションの花束。

 それが飾られた向こうで、糸子と北村が、差しつ差されつしています。 オハラの店です。

 北村から、優子と共に東京に進出する、という話を聞かされ、と同時に優子が離婚したがっている、という話を聞かされた糸子。 熱燗とっくりの首、つまんで、「もう一杯いかが」 なんて、妙に、色っぽいね…ちゃうちゃう(あのー…)、「ふーん。 …ふーん…」 と、また鈍さ全開であります(笑)。 北村が優子をモノにしようとしてる、とカンチガイしているのです(三浦から北村の思いを教えてもらわなかったんでしょうね)。

 「なんや、ちゃうんけ? …よかったぁ~~」(笑)。
 そんなニブチン大明神の糸子に、北村はついにしびれを切らして、自分の思いの丈を吐き出すのです。

 「この花はよ…! この花は……。

 ……オマエに買うてきてんど!」。

 笑い転げていた糸子、やおら起きあがります。 「えっ…?」。 忌々しげにお猪口を無造作に置く北村。 糸子は北村の真剣に、ただ怒られて気まずいみたいな感じで 「おおきに」 と無造作にお礼を言います。 どうやら、まだ気付いてないみたい(?)。

 「お前…長崎に行けへんけ?」

 「…いけへんわ。 いくかいな」 言いにくそうに返事する糸子。

 北村は突然 「ほなわい!」 と居ずまいを正します。 驚く糸子。 ついに告白か?

 「…わいと東京行けへんけ?」(ダメだ…笑)。

 ただそれは、「わいと結婚せえへんけ?」 ではない、ギリギリの告白。 でもそれに対して 「何しに?」(笑)。 ニブい糸子は、無神経な質問をするのです。

 「…仕事や。 決まってるやんけ」。 ああ~もう北村(爆)。

 糸子は散々考え込んで、「おおきに。 そらおおきに」 ととりあえずみたいな礼をします。

 「ちょっと時間くれるか。
 考えさしてもらいます」。

 簡単にノーを言わない糸子に、なんとなく心の動きを感じるのですが、それは商売上の話でしょう。 それより何より、結局糸子は今回も、北村の気持ちに気付いてないようです(ナミダ…)。





 金曜放送分。

 昭和48年3月。

 朝。 赤いレザーコート、帽子をかぶった聡子が、イギリスへと旅立とうとしています。
 見送りに出ているのは、木岡夫妻、木之元、昌子、松田、八重子などです。
 それにしても木岡のおっちゃんだけが、リアルに歳を取っていきます(笑)。

 泣きじゃくっているのは、千代ただひとり。
 「おばあちゃん、これが聡子の顔やで、忘れんといてな!」
 聡子のこのセリフは、千代がぼけ始めているという前フリがあったからこそなのですが、千代はこれが今生の別れであるかのように号泣しながら聡子に言うのです。 「分かった。 忘れへん!」。 直子との、「長生きする。 まかしとき!」 という約束さえも反古にされそうな、千代の記憶の欠落。 別れの時が、近づいていることを、見る側に強く感じさせるのです。

 「聡子…! 行っちょいで!」

 ひときわ大きく、千代の声が、聡子に届きます。

 心斎橋の店で、糸子が優子に、北村から聞いた、東京進出の話と、離婚の話を切り出しています。 心配するやろ思てな、という優子に、「そのための親やろ?」 とやんわり言う糸子。
 優子は母親に、東京行きは悪い話ではない、と言うのですが。

 「なあ、あんたらな。

 東京東京て、なんでそんな東京行きたいねん?」

 優子によれば、なんでも東京が中心だから、という理由です。 優子は目標、全国50店!とどこかの薬屋さんみたいなことをぶちあげるのですが、糸子にはそれがオモロイ話とは、どうも思えないらしい。

 夜。 八重子がお酒を呼ばれています。 お銚子またつけよか?と言う千代に、糸子は昌子を付き添いに行かせます。 どうも台所が危なっかしいらしい。

 八重子は、安岡美容室をそろそろ畳む、という話を糸子に切り出します。 どうやら息子の太郎が心配して、うちとこ来ぃ、とゆうているそうです。

 「ほうか…寂しいなあ…」

 ため息交じりの糸子に、八重子は、糸ちゃんはまだまだやで、とハッパをかけます。 糸子は昌子に内緒の、東京進出の話を切り出しますが、お銚子をつけてきた昌子は、「先生の好きなようにしてもらいたい」 と、どうやらお見通しだったようです。 「決めたらええんとちゃいます?」 と昌子。 しかし糸子の顔はどうも晴れません。

 「いや…正直よう分かれへんねん。
 東京に出るんと、岸和田に残るんと、自分はどないしたいのか。
 どっちのほうが、オモロイ思てんのか。
 その肝心なとこが、自分でもよう分かれへんねん。

 情けないこっちゃ」

 東京のほうがオモロイちゃいますか?と言う昌子に、糸子は答えます。

 「いや…あらなあ。
 なんちゅうか、新しいゲームが始まってしもてんや。

 優子の話やら聞いちゃったらな、なんや、そんな気がしてくるんや。

 戦争と同じくらいたいそうな、ようさんでやるゲームが。

 それがな、えらいオモロイらしい」

 「やっぱりオモロイんやないですか!」 と昌子が言うと、糸子はまたゴロ寝怪獣になっていきます(笑)。

 「あ~、しんどいやろ、ゲームて。

 敵ばあっかしおって、頭ばあっかしのぼせて。

 うちはな、洋服こさえられたら…ほんでよかったんや。

 それがいつの間にか、洋服もゲームになってしもた。

 うちに、洋裁を教えてくれた根岸先生っちゅう先生がな、こないゆうたんや。

 『ほんまにええ服は、人に、品格と誇りを与えてくれる。 人は品格と誇りを持って、初めて希望が持てる』。

 今は、モードの力ごっつい強いやろ。

 去年最高によかった服が、今年はもうあかん。

 どんなけええ生地で丁寧にこさえたかて、モードが台風みたいに、ぜぇんぶなぎ倒してまいよんねん。

 人に希望を与えて、簡単にそれを奪う。

 そんなこと、ずぅっと繰り返してきた気ぃがするんや…」

 今週、根岸先生が出てた週の、このブログの記事にやたらとアクセスが集中してたんですが、このセリフのせいだったのか(笑)。
 ともかく、「仮装みたいや」 と糸子が感慨を述べていた最近のファッションが、モード(流行)という名で使い捨てされていくのを、糸子はこころよく思っていなかったのです。 これは娘たちに対する、強烈なアンチテーゼと言ってよい。

 根岸先生から教わった、品格と誇り。 糸子を見てると、誇りはあるけれども、品格はどーよ?と言いたくなる気もいたしますが、人間、そないに全部きちっとできるもんちゃうと私は思います。
 だれしも自分を、どこかの棚に載せながら、生きているものです。
 できることとできないこと。
 そうなりたい自分と、なれずにいる自分。
 ある点では合格点を出し、ある点では落第。
 それが人ってもんじゃないでしょうか。
 だからと言って出来ないことをあきらめるんとちゃいますよ。

 この糸子のセリフは、自分が優子や直子の住む世界にいつの間にか毒されてしまっていたことへの反省も、多少は含まれているような気がします。 だからこそ、その言葉は重みをもつのですが、八重子がこれにいきなり激しく反駁するのです。 それはトートツと言っていいほどに(笑)。

 「何をゆうてんのや糸ちゃんいまさら! はぁ~、情けないわもうっ! うちは情けないわッッ!」

 と、その場をそれこそ台風のように去って行くのです。
 ボー然とする残された者たち(笑)。

 「…なんでうち怒られてん?」(笑)。

 それから10分ほどして、八重子台風が再び上陸してきます(笑)。 ドスドスドス。 心の準備をしてなかったゴロ寝怪獣、ちゃうちゃう、糸子は慌てます(笑)。

 「うちの…宝物や!」

 半泣きの八重子が突き出したのは、安岡美容室の初代の制服と、開店の日に店の前で撮った写真。

 「ボロボロやったうちに、うちと、お母さんと、奈っちゃんに、希望と誇りをくれた、大事な大事な宝物や!

 うちは、…うちはこれのおかげで、生きてこれたんやで!」

 「(ひっぱたかれたみたいでした。

 昔の自分に、ひっぱたかれたみたいでした)」。

 いつの間にか、大量消費の片棒を担いでいたように思っていた自分の仕事。
 でも、あの頃の自分は、ただお客さんにええ気分を味わってもらおうと、それだけで突っ走っていた。
 それこそ、「私を見て」、という気持ちで、自分の服をアピールしようと懸命だった。
 「そっちのほうがオモロイで」、と言っていた父善作。
 いつの間にか、「オモロイ」 ということだけが価値観の中心に座ってしまい、その服をお客さんが着て幸せになってくれることばかりを優先して考えていた自分を失っていた。

 「お客さんがごっつうれしそうに笑てくれたよって、ほんまに、必ず、必ず、似合うように作っちゃろと思いました」

 これは糸子の最初の客、駒子に対して糸子が考えたことです。
 結局駒子から代金を受け取ることさえようせんと、父親の逆鱗に触れてしまっていたわけですが。
 おそらく今の糸子をひっぱたいたのは、そのときの糸子です(笑)。





 土曜日放送分。 ついにオノマチサンのオーラスです。

 クレジットタイトルでは、夏木マリサンはしまいから3番目に。 そして、…ん?小原善作、小林薫? (写真)となってないぞ?
 微妙な期待をもたせながらの、尾野真千子サン最終回なのです。

 昭和48年9月14日。 「起きや~!」 と娘たちを叩き起こす糸子。 だんじり祭りでみな帰省しているのです。 この日ばかりは、まるで大昔に帰ったような朝なのです。
 だんじり祭りはテレビの紹介で、かなり有名な祭りに昇格してきたようです。

 木岡や木之元のおっちゃんらはもう現役ではないので、善ちゃんに報告に来てからはそのまま飲み出します。 善ちゃんここ?いや、まだ写真のみの登場やな。
 北村もいつの間にか呼ばれています。
 八重子の息子である三郎にまで赤ん坊が出来て、糸子ならずとも、もう誰が誰の子ぉやら分かりません。
 ただちょっとだけ登場する、優子の次女、里香だけは、この後の夏木マリ編で大きくなって出てきます。

 祭りには、ジョニーや白川ナナコが再登場。 いちいちこんなとこまで細かくパッケージングするんやな、このドラマ(笑)。
 そのジョニーが見たくて、サエの店の子ぉらがオハラの宴席に加わります。 祭りの規模が拡大したことで松田も呼ばれ、三浦までその席に加わっています。 松田はジョニーにキャーキャーする子ぉらにどつかれて飛んでゆく(爆)。

 さらに原口先生や斎藤源太らまで登場。 まるでオノマチサンのオーラスをことほぐかのような登場人物大集結になってまいりました。
 それにしても善作の家は、やたらと有名人ばかりの、岸和田では随一の集合場所になったものです。

 そこにいないのが千代。 心配した糸子は千代を探しに行くのですが、ついに徘徊癖まで出て来たんか…。
 そこに松田が千代を伴って歩いてきます。 「はぁ…。 ようさんお客さんいてんのに、お父ちゃんおらんよって、どこ行ってしもたんやろ…」。 そんな千代に、糸子は思わず声を荒げてしまいます。
 「お母ちゃんっ! お父ちゃんもうとっくになあ!」
 それを制したのが松田です。 「先生。 …(千代に)お父ちゃん、どこぞにあいさつしてくるちゅうてましたで」。 松田は善作に会うたことないんですが。
 昌子に連れられて家へと戻る千代を見送ったあと、松田は糸子に話します。

 「怒ったったらあきません。 うちの母もああでした。 適当に、話合わせといちゃったら、ええんです」。 母親を思い出したような松田の表情。 いろんな悲しみを抱えながら、それを他人には出さずに、人というものは生きているものなのですね。
 しかしそんな感慨も、サエの 「冬蔵がいてたで!」 のひと言でブッ飛ぶのが、このドラマであります。 それまで感慨深げだった松田は一転、「ええっ、どこ?どこどこどこどこ? はぁぁ~~! いゃ~~っ! きゃ~~っ!」 と狭い路地を爆走していきます(ワロタ…)。
 ボー然とそれを見送る糸子(ハハ…)。

 夜。 お囃子の音を、直子が国際電話で、ロンドンの聡子に聞かせています。 受話器から漏れるのは、聡子の嗚咽です。
 どんなけこの祭りが、ここの人たちの心の柱になっているかがよく分かります。
 この部分だけで、こちらも泣けて来てしまう。

 そして2階から、それを見下ろしている糸子。 奥では北村が手酌しています。

 「極楽やな、この世の…」

 感慨にふける糸子。 ああ、もうオノマチサンの演技も、見収めか…。

 「………ゆうてくれちゃった話な」。 長い沈黙のあと、糸子が口を開きます。

 「うん?」

 「うちを東京の会社に誘てくれた話」

 「ああ…」

 「…断ってええか?」

 「長崎行くんか?」

 「行かへんわ! しつこいな」。 北村を睨みつける糸子。

 「…考えたんやけどな。

 やっぱし、うちの土俵は東京ちゃう。 ここや。

 極楽も地獄も、ぜぇんぶこの窓から見てきた。

 うちの宝はぜぇんぶここにある」

 北村はやおら立ち上がります。 「オバハン分かっちゃあるけ?」

 「はぁ?」

 「お前もうたいがい歳やど」

 「うっさいなあ。 人のことゆわれへんやろ?」

 「ほうよ。 お互い、この先無くしてばっかしじゃ。

 オマエがゆうちゃあった宝かて、どうせ一個ずつ消えていく。
 人かてみんな死んでいくんじゃ。

 お前ここにいちゃあったら、ひとりでそれに耐えていかなあかんねんど」

 階下で酒を酌み交わす人々の姿。

 「…しんどいど…ほなもん…」

 そんな北村に、糸子はしばらく考え込み、思い出したようにフッ、と笑うのです。

 「はっ…ヘタレが」。

 ヘタレという言葉は、勘助にしか糸子は使ったことがありません。 もしかすると糸子は、勘助と同じような匂いを、この性格もまったく似ていない北村に感じ取っていたのかもしれません。 人生をヘタクソに生きる、という点において。

 「はぁ?」 ヘタレと言われて、北村はちょっとムッとした様子です。 糸子は構わず言葉を継ぎます。

 「ほんなもん分かれへんやろ?」

 「なにがじゃ?」
 それに答える糸子のセリフは、かなり重要だと感じます。

 「そもそもやな。

 無くす無くすって何無くすんや?

 …うちは無くさへん。

 相手が死んだだけで、なぁんも無くさへん」

 「…はぁ?」

 「…決めたもん勝ちや」 勝ち誇ったような糸子。

 「なにゆうてんねん」 苦笑する北村。

 「ヘタレはヘタレで泣いとれ。

 うちは宝抱えて生きていくよって」。

 決意に満ちたような、糸子の顔。
 そして再び、盛り上がる階下。

 それを見守る千代は、人いきれのなか、縁側付近に、ある人の姿を認めるのです。
 ああもう、これ書いているだけで泣けてきた(笑)。

 善作です。

 ダメだ。 もう泣ける。

 大騒ぎの声が途切れます。

 善作が、その様子を見ながら、ひとりうれしそうに、酒を飲んでいるのです。

 静かに流れだすBGM。

 千代はよろよろとした足取りで縁側までたどり着きます。
 そしてお銚子をつぐ仕草をします。 手には何も持っていません。 善作はそれに合わせて、お猪口を差し出すのです。

 そして空の杯を、うまそうに飲み干す、善作。

 千代は、満面の笑みでそれを見守ります。

 相手が死んだだけで、なにも無くしたわけではない。

 これはこのドラマが、常日頃から、異界の人々との対話を、仏壇を通じてしてきたことの、いわばひとつの結論だと強く感じます。

 失うことがつらい人間は、泣いていればいい。

 でも違うんや、と。

 失っているのとちゃう。 全部自分のなかで、生きてるんや、と。

 冒頭にも書きましたが、これはオノマチサンへ向けた、脚本家のメッセージも多分に含まれている気がする。

 ミシンに手をかける糸子。

 年代物のこのミシンひとつで、自分は生きてきた。 これからも一緒や…。

 オノマチサンの、ラストシーンです。

 そして。

 昭和60年10月早朝。

 竹の子族みたいななりのギャルが、岸和田商店街を歩いていきます。
 真っ赤な口紅。 ガムをくちゃくちゃ噛んでいます。 誰だこのヤンキーの姉ちゃん?

 そしてすっかり様変わりしてしまった、オハラ洋装店。 ただショウウィンドウの体裁は一緒なので、おそらく改築したのでしょう。

 ショートカットの女が、寝床で寝ています。 ヤンキーの姉ちゃんが、それを起こします。

 「ばあちゃん。 朝」。

 それは優子の次女、里香(15歳)。

 「ん…ん~、んん」。

 寝床から起きたのは、72歳になった糸子です。

 「(おはようございます)」。

 驚くほど、「声のトーンが低くなったオノマチサン」、というイメージでした。

 「(歳をとりました…)」。

 ホントのことなのですが、それはまるで冗談のようで、なんか、笑ってしまいます。
 寝床を片付ける、72歳の糸子。

 「よっこらせ…」(笑)。

 なんだなんだ、面白そうだぞ(笑)。








 三姉妹はそのままのキャスティングなんでしょうが、その他の人々は、いったいどのようになっているのか。 その興味も尽きません。
 やってくれるよなあ、このドラマ。

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コメント

リウさま

尾野さん最終週だというのに、千代さんには本当に泣かされました。何度見ても凄い演出だと思います。あの二人にはお銚子も見えていたような気がします。

ところで、渡辺あやさんは戦争が勿論嫌いだし、それ以上に個人を抑圧する全体主義が大嫌いなのだと思います。
戦争だからしょうがない、どんな命令でも国家の命令であれば従うのは当然である、とは考えていないと思います。
大日本婦人会の盲目的な信奉者と糸子との軋轢、それを何とか穏便に収めようとする善作やまさちゃんの行動を視聴者に見せつけることによって、それを主張していると受け止めていました。
そのうえ、今週の勘助さんに関する「酷いことをやられたと思っていたけど、じつはやったのではないか。」との玉枝の思いには愕然としました。ここまで考えていたとは。
ドラマの中ですら想像ですが、そう捉えるべきだと思わせてしまう脚本力に脱帽しました。
何しろ勘助はヘタレという設定です。だから彼が勇敢な戦士であるはずがありません。私の勝手な想像では非戦闘員の婦女子に対して相当酷いことをしてしまった設定ではないでしょうか。それも勘助の意思で行ったのではなく、上官に命令されて仕方なくやらされてしまったとかの。

まあ非常に残念ですが、来週以降も脚本家は変わらないから残り1カ月間見守るしかないですね。

勘助が二度目の出征に際して、「自分は糸やんにあう資格がない」といった言葉の意味が回収されましたね。さらに、サエに再会した時の反応が、おそらく戦地での命令による婦女子への残虐行為に起因することさえ見るものに突き付けてきました。しかし、勘助は自分の「戦争責任」に向き合い心を壊し、死んでいった。誰が彼をヘタレなどと蔑めようか。その意味を糸子の涙が物語っていました。画面から退場して久しい時間を経て、勘助の魂は救済されたと感じました。
それから、「呆ける」とはあの世とこの世、異界と現世との狭間に立つことなのですね。

リウさん。
どんだけ…とご自身を揶揄されてましたが、リウさんをしてそこまで入れ込ませてしまう作品なんだと思います。

第三週からの録画を再度見直しています(ここまでのドラマと思わずチビ糸子と尾野さん登場の週を削除してしまったことが悔やまれてなりません(涙)
で…移りゆく日々…あのクリスマスケーキの週
何度見ても泣けてしまうのですが、見直して気づいたことがあります。
たった5ヶ月前のお話しなのに、中年の糸子を見たせいか糸子より善作に感情移入していること。
看板に寄せる思いの深さというかなんというか…うまく言えないんですが…
糸子と善作をこれほどまでに鮮やかに対比して演出していたのか…と。

また、直子誕生のエピで神戸の祖父母が『宝や宝や子宝や。わしらはこんだけ宝に恵まれとんや。少々のもんなくしてもなんも恐がることはない』
のセリフを聞いた時には、あっ!こんだけ深い意味があったんか〜とまたため息でした。先のストーリーがわかってて見るとまた感動もひとしおです。

こんなに何度見てもそのたびに発見がある。どんだけ深いんだ、底が見えない井戸を覗いてるようです。

自分がもっと歳を重ねてから見直したらまたきっと違う感情がでてくる気がします。
もう糸子はワタシの母くらいの歳です。
ワタシがその歳になった時に何を感じ何を思うでしょう…
ということはワタシにとってのカーネーションは既に宝物になってるってことでしょうか…そうしてその宝を拵えてくれた一番の功労者は紛れもない『尾野真千子』という女優さんです。


そして…小原糸子を引き継いだ夏木糸子でもってどんな結末を見せてくれるのか…
渡辺脚本とスタッフを信頼して明日からのカーネーションを楽しみにしていきたいです。

リウ様、おはようございます。

静子の嫁入り&ハルの死が第一部終了ならば、レギュラー陣総出演&千代の死を暗示する土曜日回が、第二部終了のカーネーション。
第三部ラストは、当然乍ら糸子の死が暗示される結末となる事でしょうね。

千代さんの老衰描写場面は、各方面で語られているので、自分は八重子さん押しで。
末期の病で逝去した姑・玉枝さんを見送った後の「終った」と感じる空虚感、ついこの間己が味わった感覚に近いものがありました。
きっと、誰もが残す感覚なのでしょうね。

夏木糸子編の予告、偶然に視聴しました。
例えるならば、出崎 統&杉野 昭夫が描いたアニメ「宝島」のラストに、海賊ジョン・シルバーが語った台詞を彷彿させる描写でした。
「俺達はまだ、飛べるんだぜ」

お久しぶりです。
実は時々読みに来させてもらっておりました。
さすがに先週の回は、
読み逃げするわけにはいきません。(苦笑)

過去を残しながら、
確実に新しい時代へと突入していく様の描き方が、
作家さんの死生観そのものの現れなのではないかと、
私には見えまして、
このドラマ、つくづくブレのない、強いドラマだなと思いました。
尾野さん引退のこの週は、60年代で描かれていたわけですが、
けっして、例えば三丁目の夕日的なノスタルジーであったりや、過去のものとして描かれておらず、
あくまで、「生きちゃる」なんです。
糸子は、お母ちゃんがお父ちゃんに会えたことなんて、
微塵も知るはずがありません。
しかし、あのお酌は、
お母ちゃんの葬式やったんやと、私は思ってます。
なんでこんなにボロ泣きしてまうんやろ?
自分でもわからないぐらい、涙と鼻水があふれてきます。

そして、夏木マリさんですよ。
声がいい!
驚きました。
正直、私、夏木さんは、ときどき、やり過ぎちゃう女優さんだと、
感じていたんです。
なので、糸子が崩壊したら嫌だなぁ…と心配していました。
でも、「おはようございます。」と言われた瞬間に、
私、ノックアウトです。
糸子の声が聞こえてきました。
すごいですねぇ。
女優と言うのは。
夏木マリという女優、恐るべし。
認識を新たにしました。

完全ヤンキーが、あの優子の娘というのも、面白いなぁと。
実は今、3/5月曜の回を見終わったところなのですが、
今日も、泣いて笑って、大忙しでした。

> 八重子はそう、つぶやきます。
 いつ死ぬのかいつ死ぬのか、という強迫観念から解放された、ということでしょうね。


(^^;)
ちょっと違うかなーという印象を持ちました。

夫が戦死して、約30年近く、

血のつながりのない、ましてやかすがいになる夫/息子の存在がないままで30年近く

一緒にいる女同士

最期を看取るまで一緒にいるって言うことがどれだけシンドイか
シンドイ・・・だけではない、心配やら、ちゃんと見きれるかどうかもわからないし

そんな思いをたぶん30年近く抱え続けて

そして、大往生を見送れたこと

ほっとします
本当にほっとします

でけた。
みおくるところまででけた。
そこまでがんばれた。
よかった・・・

ホッとした

八重子さんの、涙より先にこの言葉が出たことが、どれだけそこまで八重子さんが内心張り詰めた日々を送ってきたかがよく分かる、気がしました。

私はたぶん女だから、こんな風に思いました。
ほんと、かすがいになるものがない女同士が一緒にいる、老後を看取るということが、どんな大事業か・・・

それをこの一言で描ききる渡辺あやがどんなにすごい脚本家か

見せつけられた思いでした。

八重子さん本当にお疲れ様でした。

MLACT様
コメント下さり、ありがとうございます。

MLACT様のオノマチサンに対する思い入れが垣間見ることのできるコメントでした。 ひょっとすると今回の小林薫サンのように、クランクアップと見せかけて、オノマチサンの再登場もあるかもしれない、…などと考えております(外したらゴメンナサイ…笑)。

MLACT様のコメントのあとにいただいた虎治様のコメントにも同様に指摘があったのですが、勘助が婦女子暴行、ですか。 なるほどそれで 「糸やんに会う資格がない」、と。 サエをあそこまで拒絶したと。

みなさん私よりよほど深くドラマをご覧になっていらっしゃいますね。 そこまで考えが至りませんでした。 まだまだ勉強だ。

ご指摘を受けて振り返ってみれば、確かにサエに再び出会ったときの、勘助の反応は、常軌を逸しすぎていた気がします。

私はあのシーン、かつて自分が、周囲に対して大迷惑をかけた片思いの相手に、自分の今の状態を知られることがあまりにもキツすぎた、という解釈をしていました。

しかしそれに、「糸やんに会う資格がない」 といった勘助の心情を結び付ければ、婦女子暴行も容易に読み解けるなあ、と思います。

記憶力が悪いレビュワーですね。 勉強勉強や…。

虎児様
コメント下さり、ありがとうございます。

まったく、そこまで気付かないとは、ダメなレビュワーであります。 ご指摘くださり、またこのドラマに対する理解が深くなった気がいたします。

今回のレビューでは、千代のことを意識的に 「ぼけ」 と表現いたしました。 ボケがどうして禁句なのか分からない、私にちょっと思いが至らないのはご了承願いたいと思います。
虎児様のような解釈でぼけをとらえてくだされば、ぼけという言葉もそんなに禁句とならずともよい気はするのですが…。

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

ドラマに入れ込んでダラダラと長いレビューを書いている割に、どうも深い解釈がこの頃出来ていないです。 お恥ずかしい限りです。 半日以上書くことに、しんどさばかりが先に立っているのかな…。

糸子が善作になりきれないのは、善作にされてきたことを反面教師としているからだ、と私は感じています。 やりたいんならやり。 その代わり、中途半端はしな。

ただそれが、「物分かりのいい親」 という構図を作り出してしまっている、という面もある。

糸子と善作に共通してあるのは、「看板」 というものを重く考えている、という面かと思います。
店を一軒出せば、その存続はそれこそ命がけ。 だからこそ看板の持つ意味も重くなろうというものです。

けれども優子や直子、聡子たちの見据えているのは、東京であり、世界である。

岸和田の看板ひとつ、そんな自分の大きな夢に比べれば…、というわけですよね。

そんな時代の流れの中で、糸子も 「看板なんて、大事にする時代ちゃうんやろか」 と考えてしまっている。

だから娘たちに対して、自分が誇りにしていたことを託す気がだんだんと失せていく。

でも、善作や糸子が守ってきた、看板の誇りって、そんなに価値のないものですかね?

そりゃ世界的に有名になったり大きなビジネスを成立させることのほうが、すごいことは確かです。

でも実は、ひとりの人と向き合って、その人のためにいちばんいい洋服を作る、ということこそが、本当に価値のあることなんじゃないか。

このドラマは糸子の老年期に入って、そこをテーマにしていくような気がしてなりません。

そしてそんな、お母ちゃんの存在が、世界的なデザイナーたちよりも、常に上の存在としている。

そんなお母ちゃんを讃えるのが、「赤いカーネーション」 、である気がするのです。

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

見送る者の気持ち、というものは、その人の病が長ければ長いほど、さまざまなものがあるかと思います。
これがいきなりポックリだと、死ぬほうも残されたほうも、かなり後腐れがなくて済む。 だから人はポックリ死にたいと思って、地蔵さんとかにお願いしたりするわけですが。

私も八重子さんにスポットを当てて考えてみます(笑)。 結局奈津は、オノマチ編で最後まで出てまいりませんでしたが、その役割を考えると、同じ架空のキャラクターでも、八重子のほうはずっとずっと、糸子にとって重要な役でしたね、最後まで。

いきなり憤然と怒り始めたときは、糸子ならずとも、「なんやなんや?」 と思ったのですが。

結局、田丸麻紀サンの最後の独壇場となった気がいたします。

エバ様
コメント下さり、ありがとうございます。 お久しぶりでございます。

糸子の老年期の声。 実は最初、尾野真千子サンがナレーションをそのまま受け継いだのか、と錯覚いたしました。 それだけ違和感がなかった。

つくづくこのドラマの制作者のすごさを感じます、このキャスティング。 ほかにどんなドラマを制作してんのかな、この人。 あまり知らない(笑)。

本日の夏木マリサン本格始動の回は未見ですが、エバ様のご報告からすると、なにも心配には及ばないことがとても分かりました。 ありがとうございます。
しかしホントに手抜きがないなァ。 このドラマ。

まさにこのドラマの死生感は、椎名林檎サンのタイトル曲にあるように、「…生きよう…」 なのですね。 椎名サンのあの歌は、実はこのドラマのエッセンスが凝縮されて入っている気がしてならないんですよ。

死んだ人が見える、ということを、千代のぼけから考えるのではなくて、千代が異界に行きつつある、つまり千代の葬式を象徴している、というエバ様の考察にも、なるほど、です。

どうしてあの場面、あんなに泣けるんでしょうね。

やはり千代にとって、誰よりも大切な存在だったのが、善作だったからでしょうね。

いくら直子から 「長生きしてや」 と言われ、聡子から 「うちの顔忘れんといて」 と言われても、善作への思いに比べたら、優先順位はぐ~~ッと下(松田かいな)。

自分がいつまでも、亡き夫に恋しているからこそ、娘や孫たちの恋愛に対しても、あんなけ敏感やったんや思うんですよ。

そんな千代が、善作と再会したら、こらもううれしいですわ。
死ぬことはけっして忌むべきことではない、ということを、強く感じるのです。

samantha様
こちらの記事にもコメント下さり、ありがとうございます。

実はsamantha様がご指摘の部分、私もいろいろと感じたんですよ。

でも、なんかもう、めんどくさくなっちゃって(ハハ…)。 書かずとも読者のかたがたには分かるだろう、なんて(笑)。

実にsamantha様のおっしゃる通りです。 正直私もそれに近いことを考えました。 samantha様ほどではございませんが。
レビューの至らない部分をコメントとして補足していただけると、大変有り難いしうれしいです。
samantha様のコメントをそのままレビューにコピー&ペイストしたいくらいです。

どうも最近、レビューがただいたずらに長いばかりになってしまって、きちんとレビューできてないな、というのは感じております。

しかも物覚えが悪いせいで、物語をトータルで考えられないし。

ダメですよね、最近ほとんどこのドラマのレビューしか書いてないのに。

こうなると、徒労感ばかりが先立ってしまいますが、あと4週間、なんとか頑張って休日をぶっ潰したいと考えております(自虐的)。

今回は、おばちゃんの看取りと、千代ばあちゃんの亡きお父ちゃんとの邂逅、この2点に集約してみていました。

おばちゃんところの孫は、男ばっかりですもんね。
八重子さんは仕事もあるし、介護に手が回らない、そこを糸子がフォローしたんですね。
女同士のこういうつながり・・・。

おばちゃんの観念も潔かったし、そして亡くした息子たちのこと、いつも心の中にあったということ。

>ボケはあの世とこの世を
この言葉、素晴らしいですね。
(ただ私の父は暴力的だったので、なかなかそうも思えませんでしたが・苦笑)。


意外とすんなりと夏木糸子にバトンタッチしたようで、少しホッとしました。

>白川ナナコ
白川和子・・・じゃないかな。

(*^-^)連投で誠に恐縮です。(何せ尾野真千子さん最後の週の中身の濃さは尋常でないもので)
実は私も八重子さんの「ほっとしたわ」にがつんとやられた一人です。
わたし、福祉関係の仕事をしておりまして、ここ10年に20人近い方を見送りました。すべての家族がそうだというわけではないのですが、肉親を失った悲しみと同時に何かしら「ほっとした」表情を示される方が多いのです。もちろんそれは元もと愛情がなかったからとか厄介払いができたからというような性質のものではありません。悲しみとある種の解放感がない交ぜになった感情とでも言うのでしょうか。幼い子どもや若者の死であればほっとしている場合ではないのですが、一定の年月思いを掛けて世話をした肉親に対して抱くこの「ほっとした」感情は、喪失感を和らげるたいへん貴重なものに思えてなりません。
たった一言ですが、実に奥が深い科白だと思いました。
それから、勘助の戦争体験ですが、私的には強姦的なものだったとは思いたくありません。何らかの残虐行為を命令されたか、あるいはそれを身近で目撃したか、いずれにせよ優しい勘助の心を壊すには充分なことだったでしょう。

リウ様 はじめまして。
 土曜日の放送でこの5ヶ月で最高に胸がいっぱいになって、、、
 いつものとおりこちらで書き込みの数だけ追体験させていただいて、、、
 「渡辺さんから尾野さんへのメッセージ」という洞察に、はっとさせられました。スタジオパークでの尾野さんのいう「宝物」(どんな宝物か明確に話せなかったことも)はここからつながっていたんだと。。。
 本当に、尾野さんの最後の放送であることに向かって作られた第128話であったと思います。
 
 でも何故こんなに心動かせられるのか。。。何度か繰りかえし視て泣かされて、やっと、わかった(ような気がします)。
 だんじりが全国的に有名になったため、というさりげない設定で、人が集まってくる。よく見ると筋道のつく範囲ですべての出演者が集まってくる。これが、糸子にとっても、おそらくは尾野さんにとっても宝物。
 そして実は第一話から視つづけてきた者にとっても宝物。。。
 六角さんのエイトマンのような走りがいいアクセントになっていて。
 夜のシーンに入り、二階で糸子と北村の会話の中で、「宝物は無くさない」と提示された後、、、
 一階での騒ぎの奥に、糸子以外のもっとも大事な「宝物」が。。。
 
 善作さんが。。。
 これまで見せたことのない穏やかな表情で。。。
 千代さんがそれに気づいた瞬間、音が姿を消して。。。

 
 わかったこととは、善作さんが居ることに誰が最初に気づいたのかということ。
 視聴者が先でした。
 それから、千代さんが気づいたのです。
 
 視ている自分たちが知らず知らずに待ち望んでいた「宝物」をみせて、そして音を消して千代さんの顔を映すことで、さらに千代さんへの感情も重ねられて。
 このお二人が、糸子にとって最高の「宝物」であるというように。。。

 続くラストシーン、祭りの夜に満ち足りたような糸子の顔、もしかすると演じ終えて安堵と様々な感情が駆けめぐっているような尾野真千子の顔とが重なったところでフェイドアウト。。。
 一人で視ていましたが、思わず長く拍手をしていました。
 本当に何という作品でしょう。

・・・とりとめもないことを拙く書いてしまったような気がしますが、感想を投稿するなどという大それたことは初めてのことなので、ご容赦ください。それほどの体験をさせていただきました。
 こちらのサイトは「JIN(仁)」に心動かされて、ネットをさまよったあげく、たどり着きました。「四十九日のレシピ」や「ゲゲゲ」など、愉しませていただいております。
 「カーネーション」の感想も、ご無理のない範囲で、最後までお続けいただければと思います。愉しみにしております。
 

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

なるほどー、白川和子サンですか。 名前似てるし。 いろいろと芸能人とお知り合いだったみたいですね、小篠綾子サンも。

私は糸子のお見舞いが、玉枝へ最後まで言えなかった 「かんにんや」 の体現だ、と思いながら見ていました。 だからこそ玉枝の 「あの子がやったんやな」 の言葉に、糸子の謝罪の気持ちが涙となって現れた、と感じたんです。 が…(笑)。

ドラマの体裁や仕掛け、という点から考えて、あそこには自分が感じたものとは違う意味が潜んでいた、と私もいまは感じます。 近視眼的にドラマを見ているから、こういうミスを起こしてしまう。

介護される親が暴力的だとすると、介護するほうも複雑になってしまいますよね。

さまざまなケースがあるものです。 私もそこに思いを致さなければなりません。

虎児様
再コメント下さり、ありがとうございます。

そのようなお仕事をされていると、人を看取る、ということがすごく身近なんでしょうね。

自分の親は両方ともまだ健在で、父親などは死ぬ話ばっかりしておりますが(笑)、死ぬ死ぬなどというヤツに限って長生きしたりするもんだ、などと憎まれ口を聞かせてもらっています。

冗談は抜きにして、じっさいの話、自分も含めて、どのくらい生きるかって、絶対分かりませんよね。 その気がなくたって、90だ100だまで生きてしまうかもしれない。

実は親にしても子供にしても、そのことってあまり深く考えたことって、ないんだと思うんですよ。 そうなってみないと考えない。

で、じっさいそうなってしまうと慌てる。

親の面倒を看る、なんて負担が、自分の人生に待っているなどとは考えたくないし、逆に自分が介護される身になるとも、考えたくない。

だから 「考えたくもない」 ことを体験してしまうと、それから解放されたときは、やはり 「ほっとした」、と考えてしまう。

そのゾーンを体験してないと、感じ方もココどまりですね、どうしても。

でも、考えたくないけど、待っているんですよね、この道の先に。

GENTA?様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。 「JIN」 のころからって、続編のほうですか? 第1部からだとすると、結構長いおつきあいになりますね。 今後ともこの拙いブログによろしければお付き合いくださいませ。

また、コメント投稿自体が初めてとのこと、このブログをその栄誉にあずからせてもらって感謝いたします。
べつだん簡単な感想でもよろしいので、今後も気軽にご参加いただけたらな、と思っております。

千代より先に、視聴者が善作の姿を先に認めた、だから泣ける…。 「あ、やっぱり善作出てきた! ホラホラ千代おばあちゃん、善作でっせ! 早く気付きなはれ!」、みたいな(笑)。
GENTA様の考察、とても腑に落ちます。 思い返すとまたウルウルきてしまう(ハハ…)。

ホントにこの週は、尾野真千子サンのためにあつらえられた週のような気がいたしますね。

と同時に、「尾野編」 を彩った人々の最後の見せ場にも気を配っているようなストーリー展開で。

玉枝、八重子、そして千代。

昌子サンの見せ場はちょっとなかったような気はいたしますが、松田恵もそうそう、エイトマン走り…(笑)。

そして気になったのは、松田が大ファンの冬蔵が、結局出てこなかったところ。

これは絶対、「夏木編」 では大化けして出てくるぞー、と、淡~い期待をしております(純一郎チャン、出てこないかな…笑)。

奈津のその後もホントは見たかったですけどね。 結局ラサールサンは、年増の奈津より超年下の相手とくっついた、とか(初めてのかたに冗談連発でスミマセン…)。

私もこんな、宝みたいに出会いを、このブログを通じてさせていただいてます。 有り難いことです

リウ様

いま「月刊ドラマ3月号」に掲載されているカーネーションのシナリオを読んでいます。ドラマのシナリオを読むのは初めてなのですが、シナリオとは台詞だけ書かれているわけではないのですね。脚本家、演出家、どちらが書いたのか判りませんが、役者の感情とかそれに起因する表情なんかの指定があるんですね。

先週分は掲載されていませんが、今日になっても千代と善作のシーンが浮かんで来ます。善作は死んでからも必ずだんじり祭りの宴席にはいたのではないでしょうか。千代もあちらに行く間近になったので、やっと善作の存在を確認できたのではないでしょうか。
善作は千代の傍らではなく、木岡と木之元のすぐ後ろに腰を降ろして酒を飲んでいました。やっぱり、昔からの仲間の側が一番なんでしょうね。
千代は善作に再会できて物凄く喜んだでしょうが、何でそこに居るのだろうか(当然のように若いし)、宴席の男衆の内に入って良いのだろうか、等の思いを抱えながら善作ににじり寄って行ったのではないでしょうか。だから千代は複雑な笑顔をされていたと思います。

その前のシーンでは、尾野さんが外を見ながら「この世の極楽だ。」と言います。でも、本当の極楽(ご馳走を食べながら愉快に酒を飲み死んだ人まで参加している。)は家の中だったのですね。

リウ様 ご丁寧なレス、ありがとうございます。
 感極まって書き込むと下手な文章ががますます変になって、申し訳ないことです。
 このまま退場するつもりでしたが、お返事のような事柄を少しだけ。。。

 こちらには(もちろん)JIN-part1からです。実はリアルタイムではありません。MISIAさんのファンなので、あの名曲がドラマでどんな使われ方をしているのだろうと、放送の翌年に、試しにレンタルで視て(しかも仁が野風と初めて出会った回!)、結局全部借り、再放送も録画し、ほぼ二年反芻するようにはまりました。その時期に、こちらを見つけたわけです。
 あの頃からすると、一回のご感想がますます深くきめ細かく長くなってきていることを、リウ様のご負担は別として、とてもうれしく思っております。
 今でもときどき、JINとカーネーションを比較することに思いを馳せたりします。

 主役交代後このドラマの質が維持されるのか?と世間が喧しいようですが、某TV誌に「安田美沙子に泣かされるとは!(←大変失礼ですが)」と書かれるような作品ですから、脚本・演出などスタッフに大いに期待しつつ、最後まで視ていきます。
 よろしくお願いいたします。

 

  ↑
 言葉が足りませんでした。
 「演技者の力を見事に引き出す・・・スタッフ」に期待しております。
(安田さん、本当にがんばってると思います。)

MLACT様
再コメント下さり、ありがとうございます。

そういう雑誌があるんですね、ちっとも知らなかったです。

このドラマほど、亡くなった人たちの遺影を映すドラマは、あまりないような気がいたします。

私がもっとも印象に残っているシーンは、幼い優子の髪を糸子が切ろうとした時に映った、善作の遺影。

「こら糸子! 優子をおかっぱにしたらアカン!」(笑)…って、このブログでも以前書きましたが。 善ちゃん、優子に甘アマでしたよね。

「文句ばっかり言っとったで」 とハルおばあちゃんの悪口を言ったら、遺影のハルおばあちゃんの顔が怒っているように見えたり…。

だからそんな、岸和田のだんじり大好きな人々は、だんじり祭りのとき、やっぱり居ても立ってもいられなくなる、と思いますね、やっぱり。

千代さんは善作の姿を認めたとき、とても複雑そうな顔をしてましたね、確かに。

まだらぼけ、という言いかたがありますが、そのとき千代は、意識がはっきりしていた、と思うんですよ。

だってぼけてたら、あんな複雑な顔はいたしません。

しかし善作ににじり寄っていた時は、どうもはっきりしない。

エアーお銚子(笑)を善作についで、まるでままごとをやっている感じでしたからね。

つまり意識的に、そのときには冥界に行っている、という描写、だったのかもしれない。

死んだ人たちは、自分のいちばんよかった時代の姿でいることができる、などと申します。

善作と千代との間に横たわる、時の流れを、とても感じられる、深い深いシーンだったように感じます。

GENTA?様
再コメント下さり、ありがとうございます。

「JIN」 パート1からでしたか(時間差みたいですけど)。

あの頃はあれでも、レビューはかなり詳細に書いていたつもりでした。 ただし始まってから2、3回くらいは短かったかな? 確かコロリが流行った回あたりから結構レビューにのめり込んでいった気がいたします。

ただそれでも、「カーネーション」 のレビューに比べれば雲泥の差で。

ここまで精緻にレビューしているのも、ちょっと他に例はないのですが、ほっとくとセリフのひとつひとつを全部書きだしちゃうくらいの勢いですからね。

そういう細かいレビューをしたのは、「流れ星」 というフジ月9のドラマが最初だったかな。 「それでも、生きてゆく」 もかなり細かくレビューした気がいたします。

ただ、こういうレビューの仕方は、かなり精神的にも体力的にもきついものでして(笑)。 今後こういう形のレビューを行なうドラマにめぐり会えるかどうかは分かりませんが、個人的には拒絶しながらも(笑)、どこかで期待している自分もおります。

どうも夏木マリ編には逆風が吹き荒れているようですね。 そのことを頭に入れながら、今週1週間分のこのドラマを見ようと思います。

第22週。昭和40年代です。
未亡人が経営する洋装店の奥に入ると怪しい機械で精神を破壊される危険があるので注意しましょう。(リウ様、ささ様、ネタ解ります?)

サイケの女王と化した直子とか、全国店舗に乗り出す優子とか善作が生きていたら卒倒したり小躍りしたりで糸子が女だったために色々とオモロイ事になっていますが今回のキーマンは聡子。
聡子には「母に認められたい」という三人共通の心情とは別に「姉達の輪に入りたい」という末っ子特有の感情があります。第20週後半では、まだ姉達の先に母がいる按配ですが、女フォレスト・ガンプの聡子が登り始めた山は途中でどんどん変形していく。第21週で組合長が優子目当てのお客さんを連れてきた場面で目を輝かせるカット。優子は先刻のアドバイスを最も効果的な形で体現したのです。つまり「指名してくれるお客さんで食べていけこそ一人前」(キャバ嬢かよ!)。この後に訪れる最初の挫折に対する糸子と直子のアドバイスの差、聡子の目標が次第に「母」から「姉」に推移していく。最後は直子がもう一人、対等のライバルと認める源太がヒントになったでしょうか。渡英の許可こそ、糸子に求めていますが、「姉達の下請けで終わりたくない」という言葉からも聡子が誰を見ているかは明白。

この発言を巡る年長者達のやりとりが見物。まず、Before

直子「聡子が店主になったら、もうウチらの店の手伝いはでけへんのけ?」
糸子「いや、そんな事ないで」

…店主は最初が肝心でしょうが。もっと顔立てたれよ!で、After

直子「アンタはこの店継ぎ!その方がウチらも安心や!」

ここで思い出して欲しいのは第19週で優子と喧嘩した時の台詞。

直子「そんな根性無しで店が継げるか!」

あの頃(15年近く前ですが)は上にあった小原洋装店=母の存在が直子の中で低下している。糸子の認識は、まだ【糸子≧優子&直子>聡子】だったのですが、娘達の認識は既に【優子&直子≧糸子>聡子】になっていたのです。(尚、この頃は母や妹の手伝いを本気で感謝していますから、この認識のズレはさらに広がっていく)人の機微に疎い糸やんですが基本は肉食獣なので、この時ばかりは娘達の言外の意識を感じ取ったようです。最初は聡子を険しい顔で睨みつけますが、途中からまくしたてる二人に矛先を向けていく。
『何や、直子。その言い草は。優子も自分が独立するっちゅう時には泣いて頭下げてきたのに今はそんなか。アンタら上り調子やいうて、エエ気になってんやないで!』
下に見られる事への怒りが近い立場の者へのシンパジーに繋がるのは想像に難く無く…。これが第24週の前フリ?里香が聡子にリスペクトを示すのが後の展開に生きないので「?」だったのですが、むしろコチラに繋がるという意味だったらしい。(この辺は書き出すと長いので、また後日)

引退を考えた第21週から引退勧告を受ける第24週まで糸子は自分の気性を受け継ぐ優子&直子に苦渋を舐めさせられては聡子のおかげで何とか持ち直す事の繰り返し(やはり前半の年長者に対する行いの因果か…)。ただ煮え湯を飲み干す度に糸子は成長していると思います。今回も、
① 聡子に店を継ぐ意思があるか事前に確認する。
② 経理に強い婿(=生涯のスタッフ)を獲ろうかと発案。
③ 根回しの対象が組合長。
優子が前言を撤回するのは(因果応報とはいえ)想定外で仕方なかったのですが、昌子&恵だけに根回しをしたのに私は首を捻ってしまいました。優子側から見れば二人は糸子軍団(=基本はストッパー)で親の世代。糸子に玉枝さんのような完全隠居は無理ですから結局、無自覚な院政になる可能性が高い。こういう所にも善作にあった我が子視点の発想の欠如を見ていたので逆に②及び③で「カッコいい引退」という気負いが無い事による視野の広がりを感じました。
後はレビューでも指摘されている感情(主に怒り)のコントロールでしょうか。おかげで母親の面目も上手に保てました(笑。即座に吐き出すばかりだったのを抑える事で内に溜め込むようになる、晩年編に向けての内面変化への布石ですね。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

最初の謎かけが分からん…(爆)。 仕事から帰ってきて、朝っぱらからずいぶん考え込んでしまいました(頭悪いんスからもう…)。

なにしろこの週の自分のレビューだって、勘助をめぐる玉枝と糸子とのやり取りで、かなり外しまくった考察をした大恥のレビューなのですから(そのくせ追記も修正もしてませんけど…笑)。 鈍いんですよ、ワタシ(笑)。

さて、巨炎様の緻密な考察に、もはやついていけないので(スミマセン)、自分なりに考えたことを書いてみます。

もはや録画したものが全く手元に残っていない、というのは前にお話ししました。

ですので、この週の話も、自分の拙いレビューを読みながら、巨炎様のコメントにこたえようとしたのですが。

私はこの週の自分のレビューを読みながら、頭の中で尾野真千子サンがイメージできませんでした。 もうすでに、夏木マリサンが演じているような感覚。

つまり、もう50歳を過ぎた小原糸子というのは、脚本家の頭の中ではもはや尾野真千子サンではなかったのではないか、ということです。

それを、この週の土曜日分で、ムリヤリ尾野真千子サンに向けたメッセージを、小原糸子自身に語らせている。

で。

聡子が小原洋装店から世界に視点を移動させていくさまは、巡り巡って糸子が小原洋装店にとどまっていくことへの対比となっているような気がいたします。

このドラマ、コシノ親子の話をやると決まった時点で、親と子が同じ土俵で活躍する、という話になるのは当然の成り行きですよね。

でも、はた目から見ると、どうしたって娘たちのほうが勝ってる。 「世界で活躍するデザイナー」 なんですから。 なんたって 「世界」、でしょう。

聡子の視点というのは、やはりその視点であろう、と思うのです。 「小原洋装店は自分にはステージが狭すぎる、目指すなら世界よ!」 というわけです。

聡子にとっては、小原洋装店を大きくする、という選択肢もあったと感じるのですが、いくら岸和田の一介の洋装店を大きくしようと思っても、そこには限界がある。 経営者としての手腕も問われることになります。

ならば、別に巨大企業を目指さなくても、カーナビーストリートにブティックを開店させたほうが、よほど姉たちと互角に戦えるのではないか。
別に姉たちのように実績を積んで有名デザイナーにならなくても、一段跳びで箔が付く。

これは実際のコシノミチコサンの思惑を勘繰ってしまう形なので、少々反則気味の考察なのですが。

ドラマを見ていると、優子や直子が心配してヤイノヤイノ言うのも道理、というくらい、聡子はぬぼーっとしたキャラです(笑)。

その聡子が、いかにして姉たちをしのぐか、という計画を徐々に構築していく、ある種のしたたかさ、というものが見える。

これもこのドラマの、空恐ろしいところだ、と感じるのです。

糸子はそれに対して、自分も世界に出てみよう、などとは考えない。

この週では、「東京進出」 ということが盛んに取りざたされていましたが、糸子にとってやはり東京は、世界と同義なんだと思います。

そのことに思いをいたす中で、糸子がどういう結論に達したか。

糸子はモードという仮装大会の中に、本当の顧客満足を見い出さなかった。

自分がしゃにむに働いていた時の原点は、やはり 「ひとりの人の満足を大切にしよう」 という態度だったのではないか、ということです。

そしてそれこそが、母親が、世界を相手にしている娘たちに勝つ、唯一の方法だった、と感じるのです。

だから小篠綾子サンを、娘たちは未だに越えられない、と感じているのではないか。

ずいぶんはぐらかしたような返信で申し訳ありませんが、思うがままに書いてみました。

>謎かけ
「ウルトラセブン」後番組だった「怪奇大作戦」第24話『狂鬼人間』です。社会派ドラマとして円谷プロ最高傑作なのは確実で先月DVD-BOX上巻が、来月には下巻が発売されますが件のエピソードはamazonレビューでも多くの方が言及されていて欠番扱いです。(だから当時、観てなかったかなぁ…と)

http://www1.cablenet.ne.jp/e-chan/sri/story3.html

洋装店「る・それいゆ」は実在するお店で当時の人気ファッション誌が由来らしいです。本作でも小道具として用いられたそうですが確認は出来ませんでした…。

>勘助をめぐる玉枝と糸子とのやり取り
これは第23週への前フリでしたし、
八重子さんが写真を持ってくるのが第25週、
善作の存在が深層に根付き、その姿を見る千代さんは第26週と
第22週はラスト4週に向けての前フリ尽くしですね。

>既に、夏木マリサンが演じているような感覚。
>50歳を過ぎた小原糸子は脚本家の頭の中では
>もはや尾野真千子サンではなかった
これは後半を読み解く上で重要ですね。本作、キャストでいえば前半の方がパワーはあったと思います。主人公より年長者の方が多いし相応の人生経験を説明なしで感じさせる必要もあったのでしょう。しかし脚本の凄みは後半(←書き出す事がどんどん増えてくる…)。後半のキャストもそれに引っ張られている感があり、観る側も深く読み解く過程で彼らに一体感を感じていく。姉妹間の機微を表現する大役を任された新山サンなどゴジラ映画で影の薄いヒロインを演じた頃とは雲泥でした。
例外をあげれば、ほっしゃんのアドリブ演技で存在感を出した北村でしょうか。脚本家がストーリーに組み込みづらい部分が出てくるのか善作や勘助、周防らに比べると晩年糸子の内面への影響が弱く写真に毒づくに留まっています(まあ夫婦漫才的ナチュラルコントは楽しかったですが内面は北村の一方通行でしたしね…)。北村が確実に亡くなっているからこそ、余計に周防の生存に希望を持ちたくなったとここは解釈。

>「一人の人の満足を大切にしよう」 という態度
>それこそが、母親が、世界を相手にしている
>娘たちに勝つ、唯一の方法だった
第25週の必然性ですね。
ここでラスト2週は脇に回った里香が
糸子の手伝いをしている事が重要でしょうか。
最終回で里香が優子の仕事に対する厳しさに
圧倒され気味になっている場面があり、私は
「里香が優子の中に糸子の存在を見ている」
と解釈したのですが、あくまでそれは
孫視点における第24週の祖母になります。
優子では糸子が到達した領域に及んでいない事を
示す二面性があったやもしれません。

巨炎様
謎解き、ありがとうございます(笑)。 「怪奇大作戦」 ですか~。 私そっちは疎いもので…。
でも見てみたいですね。

後半に入って書くことがだんだん増えてくる~、という巨炎様の予告には、戦々恐々としております(笑)。

この週まで尾野サンを引っ張った主な原因としては、やはり千代と善作のシーンが不可欠だった、ということと、北村との決着をどうしてもつけなければいけなかった、ということだと感じます。

特にこの週、執拗に繰り返される北村のアプローチ。

レビュー本文では、ニブチンの糸子が全く気付かなかった、という結論でしたが(笑)、果たして糸子は、本当に北村の思いに気付いていなかったのかな、という気はしてきました。

この週に同時に展開していたのは、出そうで出てこない周防の動向です(笑)。 「たった今までそこに座っていた」 とか、「奥さんが死んだ」 とか。 確か三浦は、「北村の気持ちを知らんのか?」 までは糸子に言ったけど、それ以上のことを言ってなかったような気がしますし(確認する術がありません…笑)

やはり糸子は、一緒にいて安心しきれる北村を、悪友のまんまでとどまらせたかったのでしょうね。

ビクビクしながら巨炎様の鋭いコメントを、お待ちしております(笑)。

先に書いたパッチ100枚の頃の善作に
糸子で該当するのが、ここなんですな…。

『今の小原呉服店は仕事選べる立場ちゃう』
⇒『アンタはこの店の後を継ぎ!』
糸子自身がそうだったように
力をつけた娘は親の代名詞を蔑ろにし出す。
で、当時の糸子の役割を三人に割り振っている。

聡子は一人で渡英という無茶を言いながら「堪忍、お母ちゃん」。
⇒最初の失敗で耐性がついていた事と、この言葉で糸子が感情を抑えている間に替わって優子が反対。本音は別あるが、この時期の彼女はそこまで親に波風は立てない。
⇒しかし最も糸子似の直子が姉に同意しながら爆弾投下!
⇒むかっ腹を立てた糸子は気がつけば看板を蹴った聡子に肩入れしている。

また、これが優子の変転の一環にもなっている。
この時期は、まだ直子に代返してもらった形ですが
晩年編で糸子のプライドをズタズタにする時には
率先して口火を切っています。
独立した時は半泣きで「おおきに、お母ちゃん」
(パッチ屋修行を許して貰えた糸子の「おおきに、お父ちゃん」と比較してみよう!)
だった優子が次第に高慢になっているのが解ります。
必然的に三姉妹編前半で見られた上から目線の言動が増える。感受性の強い年頃になった里香にはキツかったでしょうね。

先のコメントで書いていた「怪奇大作戦」24話。
当時の洋装店は5分30秒辺りから。

http://www.youtube.com/watch?v=iJ-eeV8j3Gc

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

まったくこのドラマは、トータルで考察できる強靭さを備えていますよね。 この春から始まる再放送で、そこらへんの分析もしてみたいところだけれども、いかんせん時間がなさすぎます。 人生、どうしてこんなに時間が足りないんでしょう(ハハ)。

私が常々感じているのは、トータルで考えたときに、夏木糸子編というのはとても重要だった、ということ。

オノマチの演技が想像をはるかに超えていたからこそ、リアルタイムで見ていた我々には夏木マリさんの違和感が大きかったのだけれど、作品として考えたとき、オノマチ編のレギュラー陣が娘以外ほぼいなくなった夏木編というのは、どうしても外せなかった気がしてなりません。

それにしてもこのドラマ、完璧なクセしてヘンなところで甘い部分があることもまた事実です。

でも、朝ドラというサイクルのなかでこれほどの完成度が実現できたのはまさに奇跡だったと感じます。
特に、個人的にもうリタイアしてしまった 「ごちそうさん」 を考えたとき、朝ドラに完璧を求めるのは酷だという気がとてもするんですよね。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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