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2012年3月11日 (日)

「カーネーション」 第23週 そのあとの世界

 昭和60年10月早朝。

 竹の子族みたいななりのギャルが、岸和田商店街を歩いていきます。
 真っ赤な口紅。 ガムをくちゃくちゃ噛んでいます。 それは優子の次女、里香(15歳、小島藤子サン)。

 そしてすっかり様変わりしてしまった、オハラ洋装店。 里香はそこに入っていきます。

 ショートカットの女が、寝床で寝ています。 72歳になった糸子です。
 里香が、それを起こします。

 「ばあちゃん。 朝」。

 「ん…ん~、んん」。

 糸子は寝床でグーパーと、屈伸運動をして、やおら起きあがります。

 「(歳をとりました…)」。

 寝床を片付ける、72歳の糸子。

 「よっこらせ…」(笑)。

 なんだなんだ、面白そうだぞ(笑)。



 …と先週書いてしまった、夏木マリサンの糸子誕生シーンでしたが。

 今週1週間分を見た正直なところを忌憚なく申し上げます。

 極上のドラマから、フツー(よりちょっとは上)のドラマになってしまった、と感じます。

 私の場合、毎週1週間分1時間30分をまとめて見ているこのドラマ。 今週は途中数か所、寝てしまったことを白状します。 今までこんなことはなかった。
 毎週毎週、疲労のなかで見ている条件は同じなわけですから、話が緩慢になっていたとどうしても判断せざるを得ない。 今週、いつものように、話がスッ飛んでいかないんですよ。 展開が遅い。 一休みしているだんじり、という感覚でした。 もしかするとこのだんじり、来週からまた動き出すのかもしれないけれど。

 そして緩慢なわりに話が比較的緻密さを維持しているために、肝心な場面を見逃してしまうこととなり。
 余計についていけなくなり。
 結局もう一度見る羽目になりました。

 ただ、一方的な感情でこれを責め立てる、という気になれない、というのも、また偽らざる感想なのです。 どうにも奥歯にものの挟まったような書きかたで恐縮なのですが。

 つまり、小篠綾子という人の人生を描くうえで、どうしてもこの老年期の話は必要不可欠なものだ、と私も思うからです。

 小篠綾子サンは、70歳を超えて、自分のブランドを立ち上げる、という大仕事を成し遂げた。
 それがどんなに大変なことか、先日の 「NHKアーカイブス」 での小篠サンの特集番組で、私も刷り込まれました。 膝が痛くて言うことを聞かない、そんな体力的にも精神的にもきつかった彼女が、プライベートブランド立ち上げでどれだけ苦労したか。
 それが分かるからこそ、老年期描写の必然性を感じるのです。

 物語としても、「明日は明日の風が吹く!」 とスカーレット・オハラみたいに、彼女が若いまま、将来に希望をつなぐ作りで終わらせるという方法もあり得るのですが、この超高齢化社会において、それだけではどうにも浅い。
 その老年期の生き方を描くことには、とても重大な意味があると思われるのです。
 自分の人生をどのように締めくくるのか、というのは、誰にとっても避けることのできない課題です。
 このドラマを見ているのが若い世代であればある程、その重要性は遠い先の話なのではないでしょうか。

 そんなこのドラマでもっとも誤算だったと思われるのが、先週まで糸子を演じた、尾野真千子サンの演技が、あまりにも素晴らしすぎた、ということ。

 彼女の演技が何もかもを飲み込み、彼女なしでは小原糸子は成立しない、とまで見る者に強いインパクトを与えてしまった。

 さらにその脇役たち。

 その完成度があまりに高すぎた。

 これは尾野サンをはじめとした、出演者のひとりひとりが、脚本の咀嚼能力に非常に長けていた、ということの証左なのかもしれない。 または切磋琢磨の結果なのかもしれない。 千代、昌子、松田恵、、八重子、ほっしゃん。、そして三浦組合長…。

 今週繰り広げられた糸子の老年期の話が必要不可欠であればある程、尾野サンたちの熱演が誤算となっていく。 これは大きな皮肉です。
 なぜなら役者たちは、自分に与えられた役を、ただひたすらに持てる力以上のものを出して演じていくしかないからです。 彼らを責めるわけにもいかないし、それを誤算だ、というのも尾野サンたちに失礼にあたる。

 だからかもしれないが、夏木編のこのドラマでは、三姉妹を除外して、脇役たちを一斉に粛清しにかかった。

 必然的に残るは夏木マリサンのみ。

 夏木糸子だけが、尾野糸子との比較にさらされるという結果になっています。

 あとはみんな死んじゃってる(もしくは消息不明)。 だから、比較のしようがない。
 夏木サンはとてもよくやっていると思うけれど、相手が悪すぎる、と思うんですよ。 尾野真千子と比べられたんじゃあ。 結果、視聴者からの批判の矢面に立たされて、とても気の毒だと感じる。

 ただ老年期の描写を不可欠だと判断した以上、これは避けられないことでして。

 夏木サンの演技に尾野サンの演技をオーバーラップさせながら見るのは、とても間違った視聴方法だと思います。
 けれども、そういう見方も視聴者心理としては致し方なし、とも思えます(どうもどっちつかずの論調だな…笑)。

 私が夏木サンの演技を見ていて感じるのは。

 尾野サンが 「岸和田弁については目をつぶって」 とおっしゃっていたからあえてそこは突っ込みませんが(だって関西人じゃないから分かんないモン…笑)、尾野糸子が枯れるとこうなるかな、という気はとてもします。
 お上品に見えるのかもしれないが、でもそれは、尾野糸子が舌打ちしたりゴロ寝したり、あまりにも朝ドラヒロインとして品がないことをやり続けていたからそう感じるのであり(笑)。
 そしていちばん感じるのは、尾野サンより夏木サンの演じ方のほうが、より本物の小篠綾子サンに近いのではないか、ということ。
 夏木サンは実際の小篠綾子サンと懇意だった、と聞いています。
 そんな夏木サンが演じる糸子は、やはり先日見た 「NHKアーカイブス」 での小篠綾子サンご本人と強くダブる。

 老年期の糸子をドラマのクオリティを下げない、というレベルでもし人選すれば、以前コメント欄に書いた記憶があるのですが、倍賞千恵子サンあたりがいいんじゃないか、と感じます。 骨格が尾野サンと似てるし。 でもそれでも力不足の感がある。 ずいぶん失礼なことを書いていらっしゃいますね、アータ(夏木サンにも倍賞サンにも、ただひたすら申し訳ないです)。 でもそれだけ、尾野サンの演技レベルはすごい、と感じるのです。 彼女は若き日の大竹しのぶサンみたいな感覚がする。

 そして糸子と三人の娘以外、誰もいなくなったこのドラマ。

 すごいですよね、考えてみれば、作り手のこの決断。 全員いなくなっちゃったんですよ。 昌子も、松田恵も、北村も、八重子も、千代も、木岡夫妻も、木之元夫妻も。 みんな死んだの?

 でもドラマを見る限り、みんな死んじゃったんでしょうね。 消息不明気味なのが、奈津だけかな。 分からんなー。 でも木岡木之元、ご夫妻とも全滅ですか…? んんんー、…すごいバッサリいっちゃったもんだ…。

 でもですよ。

 そこから見えるものも、あるんですよ。

 つまり昭和48年の糸子は、その後12年間で、自分の人生を彩った、すべての人々と、死に別れてしまった、ということなのです(死んだ、と断定…笑)。
 昭和60年の糸子は、そんな寂寞とした状況下にある。
 ただその状況下にありながら、彼女はそれを、失ったと考えていない。
 それは先週の、尾野糸子の北村との最後の語らいで既に宣言されているからです。

 「無くす無くすって何無くすんや?

 …うちは無くさへん。

 相手が死んだだけで、なぁんも無くさへん。

 …決めたもん勝ちや。

 ヘタレはヘタレで泣いとれ。

 うちは宝抱えて生きていくよって」。

 つまり夏木糸子には、死んだ人の数だけ、宝が増えていっている。
 だからこそ夏木糸子は、彼らの写真を飾って、毎日彼らに、語りかけている。

 でも、よく考えてみれば、寂しくないわけないじゃないですか。

 昌子と松田恵の代わりに、オハラ洋装店には、新しい男女がふたり、勤めています。
 けれども彼らに対する描写は、今週を見る限りことのほか少ない。
 つまり、何十年も付き合ってきたような 「絆」 の深さ、というものが喪失してるんですよ。

 また糸子は、生きているか死んでいるか分からない周防にも、このような集まりがあることを願いながら、男やもめの食事会とか、ほかにもいろんなコミュニティを自ら中心となって立ち上げている。
 それも糸子の中にある、寂しさを紛らわすための、ひとつひとつの道具となっている気がするのです。

 つまり糸子は、宝を抱えて生きているのかもしれないけれど、寂しくないはずがない。

 優子のグレた娘である里香を、突き放しながらも一緒に暮らしていくのは、自らの寂しさを紛らわせるための一助としている側面も、見逃せないのです。

 さらにですよ。

 今週に入ってからの、この商店街の描写。

 やたらとよそよそしくなっていませんかね?

 木岡の下駄屋があったところには不動産屋が入っていて、それもこないだまでお好み焼屋が入っていた、という(まさか 「てっぱん」 じゃあるまいな?…んなアホな…笑)。 金券ショップなるものがオハラの真向かいに出来て、そこに勤める若者も、なんとなく他人行儀。
 まあドラマが進行していくに従って、それらの新しい人々ともある程度のコミュニケーションがとれるようにはなります。
 しかしそれって、かつての木岡や木之元とのような、密接なかかわりじゃない。

 つまり、世の中全体が、もう自分の居場所を失っている、といういやおうなしの時の流れを、毎日糸子に見せつけているように、私には思えたのです。

 これは脚本家の渡辺あやサンの、老後に対する絶望観を表明しているのではないか、という気が私にはする。
 つまり50だ60だくらいじゃ、70歳に自分が直面している別世界ぶりは想像できやしない、という絶望です。
 ただみんな死んじゃってる、みたいなのは極端だけれども、極端にしたいくらいの絶望を、渡辺サンは描写したがってる。
 私の70になる母親だって、かなり同年代の友人が多いほうですが、全員死んでるわけじゃない。
 まあ昭和60年と言えば今から四半世紀以上前ですから、寿命は今より短かったのかもしれませんが。

 とにかく、このドラマのステージが、もう絶望的になるくらい、刷新されちゃってるわけですよ。

 そして、尾野編でのエピソードを、繰り返しなぞろうとするのですが、期待したようなリンクの仕方をしていかない。

 孫の里香が買ってきてくれたクリスマスケーキ。
 クリスマスケーキと言えば善作がひっくり返してしまったあのエピソードが思い出されるのですが、果たしてその1ピースのクリスマスケーキは、里香を逆恨みした不良どもの襲来によって、同じようにひっくり返ってしまいます。
 それを糸子は構わず食べていくのですが、回想(シーン)もそこによう入らんし、「大丈夫、食べれるて」 とかハルおばあちゃんのセリフをなぞったりもしない。
 見ている側は、ちょっとはぐらかされたような気分になるのです。

 そのいちいちが、もう昔は昔。 今とちゃうねん、という諦観が表現されているような気がしてならない。

 つまり、同じ小原糸子の話をしていることはしているのですが、すべてが違うステージで展開している、ということを、いちいち感じるんですよ。
 極端に言えば、先週とは別の話をしている、という感覚(けっして全部がそうでもないんですけどね)。

 というわけで、ここまでが前フリです(ウソっ!…笑)。
 ここから、今週の話を振り返っていきましょう(マジかよ…)。

 とはいうものの、あまり先週までのような詳細なレビューを書こう、という気が失せております。
 ご了承頂きたいです。





 月曜放送分。

 里香は東京の優子のもとを家出して、糸子のもとへと転がりこんでいたわけですが、電話で娘の人生がこれで決まってしまうみたいなもの言いをしてくる優子に、糸子は 「はぁ? アホか!」 と一喝します。

 「決まらん! たかが3年で、人生なんぞ決まってたまるけ!」

 娘3人はそれぞれファッションデザイナーとして成功。 それでも会計のこととかどこぞの会長との付き合いの代理とか、母親を頼ってばかりです。

 糸子は朝寝坊をする里香を叩き起こします。 そしてかつての娘たちがいた部屋の窓から、外を眺めます。
 そこは改装しまくっていたオハラ洋装店のなかで、唯一昔どおりの様相でした。 いわばそこだけ、時が止まっているような感覚。
 そんな昔どおりの部屋で、まるで娘たちを叩き起こしたように、孫を起こす糸子。
 だんじり祭りに来なくなったからそないになったんや、と里香をたしなめます。 「カンケーないし」 とうそぶく里香、茶髪にメイクもバッチリで、まるで 「積み木くずし」 であります。 このメイク、今週のドラマが進行していくに従って、急速にナチュラルに戻っていきます。

 「(昔は走って抜けた商店街も、今は、ゆっくり歩くようになりました。

 ほんでも、だんじりは、今も昔も、なんも変わらん早さで、この道を突っ切っていく)」。

 72歳の糸子は、よそよそしさが漂っている、無機質な商店街を振り返ります。

 「うれしいような、……切ないような……」。

 冒頭で膝を痛がっていた糸子。 ゆっくりと、商店街を歩いていきます。
 この場面を見ていて、私は 「やはり糸子は寂寞たる気持ちを抱いたまま生きている」、と感じました。



 火曜放送分(早っ…笑)。

 東京の直子のファッションショーに里香を連れてきた糸子。 しかし里香はそんな場にも関わらず、ジャージ姿のまま。 直子はそれを見て、自分がセーラー服を頑として着ていた昔を引き合いに出して、ジャージと決めたら、絶対に中途半端に脱いだらあかんで、と直言するのですが、不良娘には何を言っても無駄であります。 ただ直子の仕事ぶりを見て、その不良娘は何かを感じた模様。

 糸子は夕方だというのに、デズニーランド(笑)に里香を引っ張り出します。 規則正しい生活をさせることで、夜中に出歩く里香の行動を改善させようとしているのです。
 健全な精神は、健全な睡眠時間に宿る(笑)。

 世はまさに、バブル状態。 それを見ることなく逝ってしまった北村を、糸子は揶揄するのですが、従業員のひとりであるピンクの電話の都子チャンが、キタムラって言えばえらいやないですかぁ~と反応します。
 ん?
 キタムラって、もしかしてあの安売り服屋のこと? いや、あれは埼玉が発祥の地らしいから、違うな…。

 そして、着物のコミュニティに来ていた、かつて金糸の商売で助けてやった河瀬商店の孫、譲(川岡大次郎サン)と、その知り合いの呉服屋のボンボン吉岡栄之助(茂山逸平サン)。
 糸子はこの呉服屋のボンボン栄之助から、反物を買いすぎちゃったのでなんとかしてほしい、という依頼を受けます。
 そんなアーパーな願い事をしてくる精神状態は、かなりバブル期を象徴しているように思える。 商売のイロハというものを知らないからこその物言いでもあるんですけどね。 まず人にものを頼むには、具体的でなければならないのは当たり前です。
 栄之助はその場に土下座。
 「カーネーション」 では恒例の風景です。



 水曜放送分(ホントに早いな…笑)。

 ところがこの土下座。
 里香に見られたりして恥ずかしい行為のはずなのですが、栄之助のそれはまったく軽い。 「土下座すればなんとかなるやろ」 みたいな性格を脱しきれていないように思えてならない。

 「頼みゃなんとかなる」、というのは、バブル時代の根本的なビジネス態度のように感じるんですよ。 つまり相手に断る理由が、バブル時代はあまりなかった。
 今なんか、いくら土下座したってダメなものはダメですよ。
 ただ、今回のケースでは糸子は完全に門前払いしましたが、「言うても来んで。 アホボンやさかい」 と、再び来ることを見越している。

 ここで今までのこの物語と違うように思うのは、世の中全体が浮かれていて、当時の人々の気持ちに現在の私たちが感情移入をできる素地が、あまりなくなっていることです。
 それと比較して糸子が栄之助を完全に門前払いしているその態度も、なんか必要以上に見る側が厳しく感じてしまう。
 糸子の態度は、おそらくバブルのその時期も、カツカツの現代でも、変わらない、と思うんですよ。
 なのに、「夏木マリが糸子をそんなわからず屋に演じている」、という単純な置換を、見る側が行なってしまう。
 夏木批判の根本は、そんなところにあると私は感じる。

 ただその演技の 「間」、そして 「緩急」、感情の加減が、オノマチサンに比べてしまうとどうしても見劣りしてしまうのは、正直に申し上げれば感じるんですよ、いっぽうで。
 でもそれをですよ、「糸子の老い」、という点で捕えることはできないだろうか。
 夏木糸子を鑑賞する手立てはそんなとこじゃないか、という気はするんです。

 かつて自分と同じ時代を生きた人々の写真額を里香に磨かせる糸子。 「小原家の家訓は、『働かざる者食うべからず』」 と言って憚らない糸子です。 これってかなり基本的な教育だと思いますね。 ニートに対する一番の薬だ。
 里香はしぶしぶ写真額を磨くのですが、ふと泰蔵兄ちゃんの遺影に目をとめます。 糸子はあんな男前はおらんかったで、と自慢します。 なんで死んだのかを訊く里香。 糸子はそれまでのうれしそうな様子を一変させ、「…戦争や…」 と答えます。
 「ふ~ん…。 もったいない」。

 糸子は泰蔵ばかりでなく、横のヘタレも磨いといてやってや、と言い残してその場を離れます。 里香は北村の写真を取るのかな、と思ったのですが、しっかり勘助の写真を選んだようです。 泰蔵も勘助も、なんとなく報われたように感じるそのシーン。 けれどもその度合いは、けっして強いものではありません。 もはや時の流れの中で、淡く消え去ろうとしている。 ただ孫の世代の里香だけには、ほんの少しだけ糸子の思いは伝承した。

 「タテタテヨコヨコ」、というパッチ屋での窓ふきの修業が糸子によって里香に伝えられるのも、その由来までは伝わらない。 どんな思いがそこに込められているか、ということが伝わっていかないもどかしさばかりを、見る側は感じることとなります。
 これは先ほど指摘した、クリスマスケーキの場面でもまったく同様。 そしてそれがいきおい、夏木編批判のファクターとなっていく気がしてならないのです。

 自分はお母ちゃんにほっぽっとかれ通しだったのにちゃんと育った。 けど自分はよっぽど里香に愛情注いでいる。 せやのにどうしてグレるんや、と電話で糸子に愚痴る優子ですが、愛情注ぎ過ぎてるからそうなってる、というのも見る側にはすぐに分かります。
 いわば原因がすぐ読める、この物語の特徴のひとつであるのですが、それも夏木編批判のファクターになっている。 いったん批判的に見出すと、何もかもが批判の材料になってしまう、という好例だと感じる。

 糸子は里香がジャージを着ているのをやめたら迎えに来てもええ、と電話で優子に答えます。 ジャージが里香の、反抗心の象徴だからだ、と察しているからです。

 「(言葉がのうても、服はいろんなことが分かる。

 昔、うちにそない教えてくれた人がいました。

 ジャージーはジャージーで、いろいろゆうてるわけです)」。

 ジャージ姿で金券ショップのにーちゃんを睨みつける里香。 にーちゃんは目をそらします。

 「(『うちはヤンキーです』 やら)」

 不動産屋のキンキラキンの二人組が里香をヒソヒソ噂します。

 「(『気安う話しかけんといてください』 やら」)」

 薄っぺらカバンのツッパリ女子高生(死語だ…笑)と目が合う里香。

 「(『ケンカやったらいつでも買わしてもらいます』 やら)」

 ツッパリねーちゃんが凄みます。 「おまえ、どこのモンじゃ?」(定番じゃのう…笑)。

 そしてチェッカーズみたいなにーちゃんにおぶわれて帰ってくる、里香。
 ここらへんのたたみかけは、「カーネーション」 の体裁そのままです。
 どうやらボコボコにやられたらしい里香。
 このにーちゃんは、のちにクリスマスケーキがダメになる遠因を作っていきます。




 木曜放送分。

 里香を心配する糸子をどやしつける直子のシーン。 ここらへんの流れは、オノマチサンであればドッカンドッカンの笑いを取る場面だと感じます。 けれど夏木サンは、大阪流の笑いの 「間」 というものに長けていない。 大変だけど頑張ってください、というほかないけど、もうクランクアップしたんだっけ(笑)。
 …「オノマチサンだったら」、という発想自体を、断ち切らねばなりません(笑)。

 譲と栄之助が、また糸子のもとを訪れています。 糸子は譲のひい爺さんが金糸の布をさばけんかったときに手伝ったのは、一生懸命やってもやむにやまれぬ事情があったからだ、と説明します。 さらに戦争中は洋服なんて容易に売れる時代でもなかった、と。 今はほっといても物が売れる時代なんやから、まず知恵を絞ることから始めないかん、と栄之助を叱咤します。

 「僕も僕なりに、知恵絞ってきました」、と言って、三色に染めた反物を見せる栄之助。
 「だからなんやねん?」 という話ですが、栄之助の知恵はまさにここまで(笑)。
 「お前どんなけ商売なめてんじゃ! 帰れ! このアホボンが!」。

 バブル期を象徴するかのごとき甘さなのですが、そのバブル期を象徴するグッズがまた登場。 金箔カステラです。 譲が持ってきた土産だったのですが、こいつらどこまでバブルに染まっとんのか、つー感じですな。
 その金満ぶりに呆れかえる糸子ですが、食べてみると結構おいしかったりする。

 寝込んでいる里香にそれをもってくる糸子。 悲しそうにそれを食べる里香の頭をなで、こう言います。

 「あんたな、ゆわなあかんで。

 自分が痛いんやらしんどいんやら、あるんやったら、ゆわなあかん。

 誰かてほんなん、自分ひとりで我慢なんかでけへんのや。

 ゆうたかてかめへんねん」。

 涙をポロっと流す里香。

 金券ショップのにーちゃんにも金箔カステラをもってくる糸子ですが、いかにも無味乾燥そうだった今どきの若者のにーちゃんも、里香を心配している模様。
 つまり人間関係がいかに紙風船のようになろうとも、やさしい心というものはどんな人にも宿っている。 失うばかりだと嘆くのではなく、どんどん若い人とも交流をもっていく。 それが人生の醍醐味ではないか、という作り手の主張が、こんなちょっとしたシーンに込められている気がしました。

 夜中に寝ている里香の窓に、何かをぶつけてくる音がします。 チェッカーズのにーちゃんです。 どうやら里香が気に入っている模様。 リーゼントのにーちゃんを引き連れて、遊びに行こう、と誘いますが、里香は断ります。 朝っぱらからばあちゃんの仕事をしなければならないからです。 どうも里香は、筋金入りの不良ではないようです。

 そして先ほど書いた、男やもめの食事会のシーンです。 さっき書いたので割愛します(笑)。
 傷口にメイクを塗るのがしんどいのか、もはや里香は、あのどぎついメイクをしていないことに注目です。




 金曜放送分。

 性懲りもなくまたやってきたアホボンコンビ。
 今度は 「オハライトコプロジェクト」 という企画書をもってきます。 ワープロで作ったんやろな、コレ(笑)。 要するにオハラ三姉妹の母親のネームバリューを利用しようという、また現在の感覚から言うと浅はかなプロジェクトと言えるものなのですが、シニアに向けたファッション、という点が斬新と言えば斬新。 糸子はでもそれより、アホボンたちの仕事の姿勢を評価しているように見えます。 「ちょっと、時間くれるか。 考えさせてもらうよって」。

 メイクをすっかり落とした里香。 チェッカーズのにーちゃんが彼女と歩くところを、前に里香をボコボコにしたねーちゃんの取り巻きのひとりが、恨めしげに見ています。 報復必至(笑)。

 「クリスマスデートをしよう」 と誘われていた里香、茶髪のままのをおさげ髪にまとめて、こっそりオハラの店を抜け出します。
 その夜、1ピースのクリスマスケーキをもってきた里香。 チェッカーズとデートしたんでしょうか? とにかく1ピースだけのそのケーキを、糸子ばあちゃんにプレゼントするのです。
 「私はもう食べてきたから」 と言う里香。 糸子は写真額の人々に、それを見せびらかして、それを食べようとしたとき、「パラリラパラリラパラリラ」。 バイクが止まる音がします。
 ガラスの割れる音。 「ひゃあっ!」 オハラ洋装店のショウウィンドウが割れたのです。
 「なめちゃあたらいてまうど!」「東京帰れ、ブサイク!」。 里香は思わず店の外に出ます。
 崩れていくケーキ。
 不動産屋のキンキラキンコンビが心配して出てきます。 ここらへんの描写も、「人情はすたれてへん」 という性格を感じる。
 キンキラキンに促されて糸子ばあちゃんのもとに戻ってくる里香。
 糸子は崩れたケーキを、構わず拾い集めてボソボソ食べるのです。
 ここでもちょっとしたもどかしさを感じた、とさっき書きました。
 糸子は里香に、話し始めます。

 「あんなあ里香。

 ここが、あんたの観念どこやな。

 あんたが決め。

 東京帰るか、そのジャージー脱ぐか」。




 土曜日放送分。

 「服っちゅうんはな里香。

 着て歩くことで、それにふさわしい物事を引き寄せて回るんや。

 あんたのその、頭とジャージーが、やっぱり見事にこの結果を連れてきたっちゅうこっちゃ。

 分かるやろ?

 世間様と無関係でおられる人間なんか、ひとりもいてへんねや。

 自分は、世間に、どない見えたらこんな目に遭わんで済むか、よう考え。

 分からんかったら、うちに置いとかれへん。 東京帰り」

 「そんな格好してるからあんな連中に目ぇつけられるんや」 ちゅうことですが、糸子のこのお説教に説得力をもたせているのは、「服とはそういうものだ」、という人生の重みが加わっているからです。
 「言葉がのうても服でいろんなことが分かる」 というのは、今週の隠れテーマなような気がします。
 服だけでなくてやはり言葉でも同じことが言えると思う。
 汚い言葉ばかりのブログには、それなりの読者しかついていきません。
 下卑た論調の掲示板は、見下げ果てたヤツしか集まらない。

 翌朝。

 タンクトップに半袖シャツで登場した里香に、糸子は仰天します。 そらクリスマスシーズンやさかい、真夏のファッションにはたまげますわな。 糸子は頑として優子から贈られてきた服を着ない里香に、聡子や直子のお下がりをとりあえず着させます。 一気に東北のおぼこ娘になった風情の里香(笑)。 アホボンコンビも驚いていましたが、里香の変身ぶりにはオッサンの胸もキュンであります(笑)。

 そこに聡子の年代物のジャージが含まれていたため、どうもジャージを脱いだということにならず、糸子は優子に 「まだ来な」 とくぎを刺すのですが(笑)。

 糸子は里香に、「優子のなにが気に食わへんねん?」 とあらためて訊きます。
 里香は、「分かんない」、と返事します。

 「なんか、半年ぐらい前から急に、ママが買ってきた服も、ママが選んだ高校も、絶対いやだって思うようになって…。
 ママの顔見るのも、ママの声聞くのも、思い出すのも嫌!」

 「…そない嫌いか?」

 糸子の問いに、里香は自分の冷たさも嫌になったように涙を浮かべ、かぶりを振るのです。

 「…嫌いじゃないけど、…どうしても嫌になった。

 …
 冷たくしたらかわいそうだって分かっているのに、優しく出来ない。 …どうしても…!」

 泣き出してしまう里香。
 親がかわいそうだというのは親にしてみれば不遜ですけど、子供は親の優しさが分かっているからこそ、反抗することで自らをも傷つけていくんだと思うのです。
 里香の背中をさする糸子。

 「はぁ…そら分からんけど、そら、あんたが大人になろうとしてるんやなぁ…」

 いくら厳しくても、やはりおばあちゃんには、なんでも話せてしまうものです。 そういうはけ口って、核家族になってなくなったもののひとつでしょうね。

 ところで里香の変貌ぶりに驚いていたアホボンコンビですが、そのときに糸子から新しいスーツのデザインを提示されていたわけで。
 それを18万で売ったらバカ売れした、と、今度はアラレちゃん眼鏡をかけたビジネスマン風の男を連れて来て、「先生のブランドを作らせてもらえないでしょうか?」 と打診してくる。

 18万てなんぼなんでもボリ過ぎや、と思うのですが(笑)、これもバブル期のアホぶりを強調させる話かと。
 今週の 「カーネーション」 は、この 「バブル期」 の時代の軽佻浮薄な空気がこれでもか、とばかり展開していた気がする。
 それが夏木編の批判と結びついてしまっている構造も、私は感じるのです。




 いずれにしても、先週までの話を頭から切り離して改めて見直すと、なかなか良くできていることは確かです。
 ただもう、先週までの熱を込めて、私もレビューを続けるのはつらい気がする。
 今週は夏木糸子の印象がレビューの半分を占めてしまったわけですが、それでもボリュームはだいぶ減りました。
 来週はその話題もできないわけですから、さらに分量が減るのではないか、と考えています。
 振り返ることはしたくない。
 けれども尾野糸子編は、やはり極上のディナーでした。 奇跡の連続でした。
 夏木糸子編をやることには、意味が必ずある。
 でも思い入れは、確実に減退しているのが、正直なところなのです。

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コメント

リウ様

いつも渾身のレビューをありがとうございます。

私は、前にも書いたかもしれませんけれど、晩年編もすごく楽しみにしている視聴者のひとりです(^^)

小篠綾子さんの生き方は実に多彩で、興味深いものです。
若い時分には、呉服屋の娘でありながら洋裁に夢中になり
結婚して子をなしてからは、自分で店を切り盛りし、夫亡き後3人の娘を育て上げ、あまつさえ国際的にも有名な人物とし
晩年は自身のブランドを立ち上げたり、人と人との繋がりを大切にして、たくさんの人たちと繋がっていった。

これは私の私的な感想なんですが、脚本家の渡辺あやさんは、とくに晩年の部分に着目して脚本を進めているんじゃないかと思えるんです。
活力あふれる糸子に、たくさんの個性豊かな周囲の人々。
この描写も、晩年のエピソードへのプロローグになっているような気がするんですよ。

元気な年寄りがいても、私たちは単に、元気な人がいるものよね、肖りたいわ、としか思わない。
でも、そこに至るまでの人生で、その人がどんなものを抱え、どんなものを大切に生きてきたか、実際のところ私たちはよく分からない。
アヤコさんはなくなってもなお、まだお子さんたちや彼女を知る人たちによって、思い出の会を開いてもらったり、しています。
そしてね、偶然ですけれど、私の友人に今年100才になられたお父さまがいるんです。その方の、100才のお祝いパーティーを今度おやりになるんですって。100人もの方がお見えになる予定なんですって。
私の父や義父は共に80でなくなりましたけど、葬式は家族で慎ましくやりましたし、そも集まってもらえるような知り合いはもう残ってなかったです。
この違いって(^^;)まぁ、うちの父たちの方が普通なんだと思いますけれど。

今、物凄く、私の中で、いろいろなことが符合するんです。

生きるって何か。
残るって何か。

孤独死、や子どもの虐待、お墓の問題などが日々のニュースを賑わせている今だからこそ、人と関わって生きていくって言うことがどういうことなのか、このドラマはそれを追求しているような気がしてならないんです。

津波は、たくさんのものを押し流していきました。
老いも、同じようにたくさんのものを押し流していきます。

そして、老いは、誰にでも訪れる

その中で、生きていく、っていうことは、どういうことなのか。


テンポが違うのは当たり前です。老いが様々なものを押し流していくさまを、後追いのようにして見始めているのですから。

未だ、多くの視聴者は、変わってしまった風景に目を奪われ、ドラマの流れが見えていないんじゃないかな、という気がしています・・・この後、どんな展開になるか、そちらの方が私は楽しみです。

このドラマを見終わった後に、必ずや、人々が、なくしても、失わない、ということがどういうことなのか、考える瞬間があるんじゃないかと思っています。
誰にでも訪れる消失感と、それでも内なる存在感に生きる意味をもらえること、それに思いをはせてもらえるなら。
どなたかが、震災とのリンクを意識しているのではないかと書いていました。どうかな。そうかもしれないし、でも私にはもっと普遍的なことを扱っているようにも思います。だって、書いたのが渡辺あやさんですもの。彼女は、そんなに簡単に物事を繋ぐ人ではないと、信じています。

・・・とここまで書きましたけど(笑)、こうならなかったらどないしよーーー(^^;)って思っている自分も、正直おります。
ただ、予告見た感じでは面白そう!優子と直子がどつきあいながら歩いてるのは何があったん?とか思ったりして。
最近私の頭の中では、竹内まりやさんの「人生の扉」が回り続けてます。リウ様、もしご存じなかったら、一度聞いてみてください。すごく「カーネーション」とオーバーラップします。

投稿: samantha | 2012年3月11日 (日) 16時45分

リウさん。

今週のレビュー、正直申し上げますと読むのが怖かったです。
ワタシが感じた違和感と戸惑い…どう纏めてくださるか…いえ…自分は間違ってるかもしれない…見る目が曇っているかもしれない…どうしよう…と迷子になってしまったようで


まだモヤモヤはあります。Samantha様のように達観して老いを真摯に描こうとしている姿勢を評価すべきではないか、と思いつつ、でも、と思ってしまうのです。

モデルである綾子さんの生き方は、既にいろんなところで語られていて尊敬するし憧れてもいます。ただワタシが夢中になって3月3日まで見ていた彼のひとはあくまで『小原糸子』であり『コシノアヤコ』さんではなかった、ということに尽きるのです。


オノマチさんが熱病にかかったように演じていた小原糸子。その熱に感染するかのようにスタッフも共演者も信じられないくらいのドラマを作ってくださった。それに巻き込まれて過ごした5ヶ月だったのです。素人のワタシには演じることがどんなことか専門的にはわかりません。ただ感覚的にその人物がそこにいる。その圧倒的な存在感に魅了されることは体感しました。


だから、別物と思えて仕方ないのです。


関西人でないけど、間の大切さはわかりますよ。アホぼんへの罵声、どうにも受け付けませんでしたし、りかのジャージの件で優子とのやりとりもきっと笑ってしまう場面なんだろうと思いつつ『つまんねぇ』と醒めて見ていて、ハッとしました。
言葉がすっと入ってこない
表情だけで心の琴線にビンビン触れていた場面が携帯弄りながら横目で見ている。
なんなんだ、これは!

確かにシッカリと晩年の糸子を演出するためにお馴染みの共演者を一掃し喪ったわけでないが写真に語りかける日々の一人になる孤独は際立ったのかもしれませんが、その宝を抱えての孤独感に素直に寄り添えないんです。

夏木糸子。ワタシは失敗だったと思います。


公式HPで当初より晩年を演じることが決まっていて口外できないことが苦しかったと夏木さんご本人が吐露しているのを読んで、ハァ?と思いました。では時間はたくさんあった?関東出身の小林さんが見事に泉州弁を操っていて果たして夏木さんは?とか。もういらんことばっかりあれやこれや思い巡らしてしまうのです。


渡辺あやさんも想像してなかったかもしれません。尾野さんの糸子がこれほどまでの人物になってしまうとは。
先日の綾野さん出演のスタパ録画してたの見ました時に、渡辺あやさんが『自分が構成していたバランスがぶっ飛び作品が自分のコントロールを越えて暴走してしまったがそれが創作の醍醐味であり、綾野さんの周防に負けた』とメッセージを送っていました。同じことがオノマチさんにも言えるのでは?


だからと言って、途中下車もできないことが、なんだかなぁというところです。


いや、やっぱり製作陣の本気を見たい!から見せてほしいから、結局見ちゃうんでしょうね

投稿: みち | 2012年3月11日 (日) 18時40分

リウ様、こんばんは。
丁度、あの日から一年の今日。テレビでは「其の時」を振り返る番組が目白押しでした。
前向きな姿勢を強調される流れが顕著であったものの、本当はマスコミが絶望的な現実から、目を背けさせているのでは……と訝しんでしまいます。

夏木マリさんが演じる糸子。自分は充分受け入れられます。「老い」をテーマにした番組に登場する老人達の現在と、若き日の写真に映った姿のギャップを比較すれば、自ずと答は見えてくる筈ですが。

糸子の系列は、代々喧嘩っ早いのが売り?
里香に絡んで来たヤンキー娘への落とし前として、一対一のタイマンを実行する「岸和田少女愚連隊」的顛末を暗示すれば、面白かったかも。

ツィッター上に「カーネーション」尾野真千子版完結時に、漫画家さん達の描いたイラストがUPされていました。
流石に特徴を掴んで、美麗なイラストが多数展示。彼女達に渡辺あやさん監修で、TVシリーズのミッシングリンクエピソードを描いて欲しいものです。例を挙げれば……、

・善作、千代の駆け落ち。
・昌ちゃんの弟子入り。
・絶縁中の安岡家。
・静子の恋      等々。

因みに自分が推す漫画家は「大阪ハムレット」
「トモちゃんはひどいブス」を描いている方です。
名前は……、失念しました。(漫画アクション掲載)

投稿: M NOM | 2012年3月11日 (日) 18時51分

リウ様

初めまして。
カ-ネ-ションのブログを探していたらこちらに辿りつきました。
リウ様の考察の深さに感激してます。もっと前から知っていたらと残念です。
あつかましくコメントさせて頂くことお許しください。

私は尾野真千子さんのカ-ネ-ションが大好きでした。
そして近所の方々を始め糸子を取り巻く方々も大好きでした。
しかし、23週から全てが一変しました。
わずか12年の間に、糸子と関わったほとんどの方々が亡くなりました。
糸子もすっかり年老いました。
なぜそこまで?と言うくらい登場人物が入れ替わりました。
リウさんのおっしゃる通り「パ-ト2」として見ればそれなりにおもしろいのかも
知れません。
でも、凡人の私には辛いです。
スタパの尾野真千子さんを私も見ました。。
明らかに、無念さが滲み出てました。。
夏木さんへのバトンタッチに関しての問いには、自分を納得させるようなしかし、悔しい想いをまだ消化できていないように感じました。

なぜ交替なのか?色々言われてます。
当初から決まっていたと言う意見もありますが、あの苦しげな尾野さんの表情から
それは違うと思えます。
週刊誌レベルの情報では、小篠家からのクレ-ムといのうがあります。

2月放送の「NHKア-カイブス生涯青春カ-ネ-ション小篠綾子の人生」にヒロコさんが出演されて
ましたが、その時尾野糸子について一切コメントされてないのですよね。。
司会者が敢えて聞かなかったような違和感を覚えました。
ピアノが欲しくて紙を貼ったエピソ-ドなどは取り上げてるのに、何も触れないのって
とても不自然に感じました。
その後に、小篠家からクレ-ムが入ったと聞き、コシノジュンコさんからはスタパ出演時に
お花が届いてるのでヒロコさんからのクレ-ム?と浅はかに思ったりしてます

長々書き連ね申し訳ありません。
でも、やはり、カ-ネ-ションを最後まで見届けたいので、パ-ト2として見ていくつもりです。
夏木さんのナレ-ションは好きにはなれませんが、仕方ありません。

リウ様のブログこれからも楽しみにしています。
ありがとうございました。

投稿: けいた | 2012年3月12日 (月) 10時38分

脚本のクオリティーは落ちてはいないと思います。問題なのは全体を支配している「間」と「テンポ」でしょう。このあたりの完成度は、交代前のキャストが作り上げたものを三姉妹以外はそっくり入れ替わったキャストが、真似ようとして真似られるものではないでしょうね。
 夏木さんは下手な役者ではないけれど、陰影を表現するのは苦手なような気がします。
何を演じても「夏木マリ」さんです。
 最近始まった発泡酒のCM、わずか十数秒の尾野さんに見入ってしまいました。やはり、この女優ただ者ではない。
ところで、「週間金曜日」という雑誌があります。かなり硬派というか、世間的には「偏向」した雑誌ですが、その最新号に佐野華英なる人のカーネーション評が載っていました。私が目にした限り、かなり深いところでこのドラマを捉えた評論だと思います。勘助の帰還あたりからとてつもなく大きなテーマに挑んでいると指摘しています。都市部の大きめの本屋になら置いてあると思うので、機会があれば立ち読みでもしてください。
(*^ω^*)ノ彡

投稿: 虎児 | 2012年3月12日 (月) 11時33分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

実は今回のレビュー、2度見てから書き始めるまでに、5、6時間かかりました。
どうしても書きたい、という気分になれなかったのです。
なにを書いたらいいのか、途方にくれました。

で、まずはその原因をたどることから、今回のレビューは始まりました。
すると必然的に、主役の夏木マリサンに舌鋒の矛先が向いてしまう。

「江」 の脚本家サンみたいに、書かなきゃいられない、というケースを除いて(笑)、個人攻撃は実は、あまりしたくない(と言いつつ他人の悪口って、蜜の味なのですが)から、次に考えたのは、夏木サンに責任転嫁しない方法でした。

結局どっちつかずの論調になってしまいましたが、まずは最初に、自分が夏木糸子の始まりの週を見て、何を感じたのかは率直に言明しなければ、と感じました。

ただどこぞのテレビ感想欄みたいに、気に食わなくなったから今まで星5つだったのが1に格下げ、というのは、今回の場合違う、と感じました。 せいぜい星4か、3どまりだろう、と。

話自体はちょうど、第1週か2週あたりと同じ、「助走感」 というのはある気がするんですよ。 この第23週は。
samantha様のように、残り3週のダッシュを見守りたい、という気持ちも、確かにございます。

たかがドラマ、されどドラマ。

正直なところばかりを書いてしまいますが、今までの尾野糸子編は、テレビドラマとしてのクオリティを考えたとき、150%くらいの出来だったと率直に感じます。

つまり出来すぎなんですよ。
そんな出来すぎのドラマを見せていただけて、もうこちらとしては感謝、としか言いようがなかった。

冷酷にそれと比較してしまいますが、この第23週の出来は、85%くらい。

でも、でもちょっと待って下さいよ。

85点って、じゅうぶん合格点なんですよ。 テレビドラマとして見た場合(100点満点で考えれば)。

今回の話を見ていて、いちばんなにが弱いのかを、次に考えました。

すると、「景気が良くて日本が最も浮かれていた時代に嫌悪感を覚える」、というひとつの結論に達しました。

つまり新たに登場した人物が、みんな軽佻浮薄なんですよ。
好景気に浮足立ってる。

それを象徴したのが、金箔カステラだ、と考えるのです。

みんなペラッペラのうすーい金箔を体中に張り付けて、自分は金の延べ棒だとカンチガイしている。

風景や人々がすっかり変わり果ててしまった、ということが、脚本家のいちばん表現したかったことなんじゃないか。

そしてそのなかにひとり、夏木糸子がうれしさと同時に、切なさを感じている。

第23週のキモは、まさにここにある気がする。

だからすっかり変わり果てた風景と人に感情移入ができなくて、ある意味当然だ、と感じるのです。

そんな寂寞たる状況から、夏木糸子がどのように人生を全うしていくか、これには興味があります。

でもそこに感じる、一抹の物足りなさ。

それをたどると、尾野真千子という存在に帰結してしまう。

言っても詮無いことですけどね。


お葬式の時にどれだけの人が集まってくれるか。

誤解を恐れず言えば、それって、人の価値を決める尺度にはなり得ない気がします。

いわば人は、その人の経済力とか人望、人間の大きさとかによって集まってくるけれども、例え家族だけでもいい、誰かを支え続けた人には、人としてじゅうぶん価値がある、と私は考えるのです。
たとえ身内くらいしかお葬式に集まらなくても、そのかたの人生はじゅうぶん誇らしい、と思います。

ともすれば、「自分の生きている価値って何?」 と自問自答することが多くなりがちですが、泣いて、笑って、生きること自体に、生き抜くこと自体に、価値があるんじゃないでしょうか。

投げ出さないで、こんな違和感だらけの世の中を生き抜くことに。

P.S. 竹内まりやサンの 「人生の扉」、知ってますよー。 ベスト盤 「インプレッションズ」 持ってますんで(笑)。

投稿: リウ | 2012年3月12日 (月) 12時46分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

samantha様への返信にも書いたのですが、今回のレビューはかなり、逡巡いたしました。
なにしろ前の週まで、ちょっと気になるところがあったって、全部 「カーネーション」 びいきでいいほうにばかりとらえていた自分でしたので。
それが手のひらを返したように批判をし出す、というのは、すごく大人げない気がした。

でもやはり、自分の感じたままをレビューしよう、と思いました。 エイヤッ!てなもんです。

レビュー中にも書きましたが、若い世代のかたほど、この交代に納得がいかないのではないか、と感じています。 つまり 「老い」 という問題をあまり切迫して考えていないゆえに、「作品の質」 というポイントにばかり目が行ってしまう。

「作品の質」 を最優先にして考えると、尾野真千子以外の小原糸子というものはあり得ず、3月3日で物語は終わった、となってしまいます。

けれども人生、エピローグの部分にこそ、本当の価値があるのではないか、という作り手の主張が見えるからこそ、まだまだこのドラマを見限るわけにはいかないのです。

終わりよければすべてよし、と申します。

しかし私は 「それってちょっと違うのでは?」 と感じます。
人生の終わり方がかなり悲惨でも、自分が駆け抜けたそれまでの人生で、何かひとつでも勉強が出来たのなら、人生の価値はあるのではないか。

小原糸子の場合、商売が調子よくいって、人の気持ちが分からなくなってしまった時期が確かにあった気がします。

それのしっぺ返しが、玉枝からの罵倒の言葉でした。

糸子はそれに対して、はっきりとした謝罪の言葉は、とうとう最後まで玉枝に言わなかった。

でもそれを、糸子は自分の人生が厳しくなっていったことで、人への感謝の気持ちとか、家族を守るんだという気持ちを育てていくことによって、克服した気がするのです。

しかしそこに持ち上がった、不倫関係。

人への迷惑と、自分の抑えがたい気持ちとのギャップに、糸子はまたそれで、成長した気がする。

「コシノ三姉妹を育てた親」、という縛りがなければ、この物語はここで完結してもいい気がする。

ただ私が考えているこのドラマの 「落とし所」 は、「世界的なデザイナーよりも、それを育てた一介の岸和田のオバチャンの存在のほうが、大きい」 というものです。
「カーネーション」 という題名は、小原糸子がいちばん好きな花である、と同時に、「簡単にしおれへん」 という、小原糸子の人生そのものを讃える題名なのだ、と思うのです。
やはり老年期まで話を構築することは、必須である、と私は考えるのです。

このドラマを俯瞰した場合、クリスマスケーキ事件あたりがいちばんのピークで、徐々にとてもなだらかな下降線を描いているような気がする。

それは、「時代が現代に向かっていくにつれて、つまんなくなっている」、という、渡辺あやサンの無意識的な?諦観が含まれている気がするのです。

その、時代に対する醒めた目がピークに達するのが、このバブル期、なのでは。

便利になっていくにつれて、つまらなくなっていく世の中に対して、「自分は宝をもっている」、と自負して生きることが、どのようなものか。

まだまだこのドラマには刮目すべき点があるように思えるのです。

投稿: リウ | 2012年3月12日 (月) 13時43分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

コメントをいただくかたによって、意見が分かれるようですね、今回の交代劇は。

私もずいぶんどっちつかずのことを書きましたが、「やっぱり尾野糸子編に比べりゃ見劣りがする」 という正直なところを書かせていただきました。

でもこれが結論ではないことは、ご了解いただきたいと思います。

要するに、「複雑な心境」?というところでしょうかcoldsweats01

実を言うと私、この第23週の話について、こんな予想を立ててたんですよ。
つまりそれまでの話のペースで考えたんですけどね。

この週の終わりに、阪神淡路大震災の話が来るんじゃないかって。

ちょうど東日本大震災の1年後という時期でしたので。

でも、そういう安易な方向に、行きませんでしたね。
考えてみればそれが、「カーネーション」 というドラマの独自性なわけで。

そういう要らない頭があったからこそ、この週のテンポの遅さにイライラしたのではないか、なんて考えています。

主役の交代、という点では、「おしん」 をどうしても思い出しますね。
田中裕子サンに代わった時も、乙羽信子サンに代わった時も、違和感ありまくりでしたもん。
その違和感に比べたら、今回はM NOM様と同じく、受け入れられる範囲だと思います。

M NOM様、いろんなところに手を伸ばしていらっしゃいますねーcoldsweats01
私はどうも、番組HP以外の周辺的なものには、とんと疎くて…。

投稿: リウ | 2012年3月12日 (月) 14時05分

けいた様、虎児様

誠にあいすみません、夜勤のため睡眠時間を取らねばならず、コメント返信を明日にさせていただきとう存じます。

誠に申し訳ありません!

投稿: リウ | 2012年3月12日 (月) 14時07分

始めまして。
「それでも生きていく」ドラマを見逃したときよりよく拝見させて頂いております。

カーネーションは夏木さんに変わり時代も変わり違うドラマをみているようですが。この一本ひらすら見ています。

尾野さんと満島さんの2トップで(ぜんぜんタイプが違うけど)大河ドラマをとても見てみたいです。

ではまたこちらのブログ楽しみにしております。

投稿: みずっぺ | 2012年3月12日 (月) 16時43分

けいた様
あらためて返信申し上げます。 こちらこそはじめまして、です。 コメントを下さり、ありがとうございます。

けいた様のお気持ちは痛いほど分かります。
だいたい、あとにどんな大女優が控えていようとも、この話の6分の5は尾野真千子サンが糸子だったのですから。

ただ、裏にどんな事情があるのか、に私も興味が全くないわけでもございませんが、あまりコトの真相を探りながらドラマを見ると、余計に集中できなくなっちゃう気も、するんですよ。 ドラマを純粋に見る目が曇ってくる、と申しますか。

今回のレビューでは、極力その曇りを除去しようとしたつもりです(タテタテヨコヨコ…笑)。
ま、そのうえで一刀両断気味になってしまってますが…wobbly

交代劇に際して、尾野サンは今後につながる仕事が出来たと思うし、この挫折はきっと将来の花を咲かせるものになることでしょう。
夏木サンは夏木サンで、もっともっと演技に精進して見返してやろう、とか考えるかもしれない。

それはそれで、その人の人生なんだなって思います。

まあNHKのやり方も、今回は外したなって、正直思います。 最初に発表すべきだったなって。

だってあとに夏木サンが控えていると分かっていれば、その腹積もりでこちらも最初から見るわけですからね。

「お仕事感覚」 でやってると、見えなくなるものって、会社のなかでもいろいろありますよね。
社員ひとりひとりの人の気持ちを大事にしながら配置とか対価とか、考えてないケースのなんと多いことか。

けれども特にドラマの仕事、というのは、「人の心」 を扱う仕事なのだから、上に立つ者は余計にビジネスライクな態度を排除すべきなんじゃないか、と私は考えるのです。

とりあえず尾野サンのことは思い出さずに見る、これしかない気はいたします(ハハ…)。

仕方ないから、というけいた様のような態度で見るのもアリだと思います。 そしたら思わぬどんでん返しが待っているかもしれないし。

それって楽しみですよね。

投稿: リウ | 2012年3月13日 (火) 12時42分

虎児様
コメント下さりありがとうございます。 あらためて返信差し上げます。 遅れてしまって申し訳ありません。

「週刊金曜日」 が世間的に 「偏向」 している、というのには、読んでいて思わず笑ってしまいましたcoldsweats01。 「そういやそうだ」 とか(笑)。 もし機会があったら読んでみます…って、ホントに最近休日もこのドラマのレビューにかまけっきりで、まともに外出もしてない状態ですんで…(ハハ…)。

しかし、そんなにとてつもない大きなテーマが隠されているんですか…。 凡人の私には分かりませんが、難しいこと考えないで見てりゃいい気もします(爆…失礼)。 アータも難しいこと考えてるでしょって、逆に突っ込まれそうですね(笑)。

長い目で見ると、オノマチサンにとって結局プラスに働きそうな、この交代劇。 でも朝ドラ女優って、変に大物感を醸し出すと失敗するケースがあまりに多いので、尾野サンには今後、「このドラマにオノマチが出ていればこのドラマは面白い」 と言われるような女優さんになっていただきたい、と切に願います。

夏木サンのユバーバなどは、見ていて(聞いていて?)とてもうまいなーと思ったし、でもそれって宮崎駿サンに結構ダメ出し食らったのかな~とか、とにかく今回も、NHKスタッフは気兼ねなくダメ出しをしてほしかった気はしますね、夏木サンの演技に(もう録りは終わってるから言っても仕方ない…)。

いずれにしても、「何も要らない私が本当に欲しい、ただひとつの物」 とは何なのか、それを探りながら残り3週を見ていきたいと思います。

投稿: リウ | 2012年3月13日 (火) 13時02分

みずっぺ様
こちらこそはじめまして。 コメントを下さり、ありがとうございます。

満島サンは尾野サンに続く、次世代の実力派になりそうな女優さんですよね。
このふたりとも、演技にとてもクセがある傾向で。
同じようなベクトルだから、ガチで女の戦いみたいなことをやらせたら、火花散りまくりで、面白そうですよネ!

拙いブログですが、今後ともお付き合いいただけたら幸いです。

投稿: リウ | 2012年3月13日 (火) 13時07分

リウ様  こんにちは。

>「やっぱり尾野糸子編に比べりゃ見劣りする」
私も、残念ながらそう思いました。オノマチさんの演技力もさることながら、「周りを巻き込む力」を改めて思い知った感がします。
それに比べて・・・

でも、これって、「あの人、昔はこうじゃあなかったよね。もっと、おもしろくてテンポよかったよねえ。」に似てませんか?

夏木糸子の初週、最初は「なんやこれ!」って。イライラして画面消したくなることがありました。

でも、ふとこの感覚、80代の両親と私の間に流れるものと似ていると。
昔は、ポンポン歯切れのいい会話ができたのに、天然キャラがいいぐあいにぼけをかましていたのが、何かちぐはぐで妙な苛立ちを覚える。

尾野糸子が老いたら、夏木糸子になった。
それだけのこと。

老いって、残酷なものです。それは、当人だけでなく周りの人間にとっても。

視聴者が感じたギャップこそが、「老い」の実体験・・・・まあ、あくまで私見ということで。

かく言う私も、介護生活4年目、まだまだ「老い」が何なのか、わかりましぇ〜ん。

だからこそ、渡辺あやさんが「老い」「死」「生」、どんな台詞で描くのだろうかと。

大変なご苦労をされていると思いますが、リウ様のレビュー楽しみにしております。

投稿: oka | 2012年3月13日 (火) 15時47分

oka様
コメント下さり、ありがとうございます。

そうなんですよね、oka様のおっしゃる通りです…、って、なんか同じことを書いたよーな覚えが…、と思ったら、レビューの中に埋もれるようにして書いてましたcoldsweats01。 「糸子の老い」 だと思って見るのが、夏木糸子を鑑賞する手立てなのでは?って…。
しっかしいたずらにダラダラ長い(それでも今週はかなりスリム化smile)レビューに申し訳程度で書いていたんじゃ気付きませんよねcoldsweats01

それにしても介護4年ですか…。

ご苦労されていることとお察し申し上げます。

私も、両親は未だカクシャクとしておりますが、イレギュラーな出来事はいかなる時でも起きる可能性がありますからね。 ひょっとすると自分が要介護になるかもしれないし…。

しかし 「分かりましぇ~ん」 と笑い飛ばせるだけの心があれば、大丈夫だと強く思います。

先の見えない未来に対して万全な準備をする、というのがいわゆる危機管理ですが、「そのときはそのときだ、はっはっは」 というのも未来に対する処方箋のような気がいたします。

要するに、くじけないこと。

夏木糸子も、内に限りない悲しみ、寂しさを抱えながら、くじけず頑張っている、と思うのです。

投稿: リウ | 2012年3月14日 (水) 07時38分

さて、いよいよ第23週。
第24週とセットで観ると糸子が若い頃のパワーを取り戻していくのに併せて、里香が心を開いていく様を丹念に描いており、やはり朝ドラとして超一級品の内容。

とは言え私は本放送の出だしで爆笑してましたが。
「あの子(里香)、バイクの後ろに乗っかって…」
往年の大映ドラマかよ!ヤンキー漫画ぐらいは今でも珍しくないですがTVドラマでツッパリ大量生産の時期でしたねぇ(笑。視聴者の想像力を刺激する渡辺脚本健在ナリ。
後、新山サンが作品に既に馴染んでいて、新しいポジションに来た事でテンションが高い。対して川崎サンは新山サンと張り合いながらモチベーションを挙げていくのが習慣になっていたのか東京ショーの辺りは元気が無い。安田サンに至っては、それ里香の叔母さんというより姉さんでしょ!

この第23週、製作側は半分ぐらい優子に引っ張らせていたと思うのです。私も、まず糸子の「老い」&「孤独」を表現する週と捉えていましたが楽に観れたというと嘘になり糸子と優子のやり取りでテンションを保っている所がありました。
里香の事でカリカリ&あたふたの優子に対して、どっしり(のんびり?)構えている糸子。三姉妹前半の直子の事で手紙をよこして来た頃の関係に近く、後半の優子が糸子を飛び越えていったイメージを忘れさせ、全てが「変わってしまった」世界において唯一「相変わらず」な存在のような印象を与えます。で、そんな優子が次週で老いた糸子をリセットすべくトドメを刺しに来ると…(爆。
ブランド立ち上げ前の前フリと先を予測した視聴者の意識を誘導して、その先に落とし穴を掘っておく。まさに理想的カウンター。あの場面、優子の上から目線の言動、その場に居合わせた里香が母親のどんな所に不満を持っているのか手に取るように解り、糸子と里香の境遇をシンクロさせる意味でも重要な場面でした。

今回も優子と糸子の会話はお宝満載。里香がグレた事を優子が愚痴る場面、リウ様が「親の甘やかし」を指摘されていますが、私は「親の思い上がり」と捉えました。物は豊かになり女性の立場も向上した。女手一つで出来る事が広がった所に、全てが自分一人で出来るという錯覚が生じる。
「いちばん太鼓」の次回作「はね駒」(←「カーネーション」的にはジョニーがレギュラー出演していたという事に)も実話ベースで時代は明治でしたが、現代世相を反映した脚色が加えられたそうです。主人公が仕事にかまけて長男が登校拒否となり母親に
「いつから、お前は女房や母親の代わりをお金にさせるような、薄汚れた根性の女になったんだ!」
と叱られたそうで…。初代スケバン刑事(笑)のやってる事は優子より糸子に近いのですが違いはどこにあるのか?代わりをしたのが、お金じゃなくて千代さんや北村だったという事。第22週で離婚の事を北村に先に話していたのが伏線で二人への感謝の気持ちが、糸子に対するリスペクトの低下を招いおり、これが第24週に繋がります。この辺は三姉妹編の糸子と晩年編前半の優子の対比を次回に総括して書きます。後は…

栄之助が見返してみると割りと面白かった。スタッフに京都弁指導者がいて茂山(弟)サンを筆頭に京都を舞台にした「だんだん」(2008年)に出演したキャストが目立つなど、どうも生活圏の拡大に伴う関西人気質を低下を表現した所を京風の笑いでカバーしていた模様。これが面白く感じないのは糸子がツッコミ役に徹しているからではないかと。

冒頭の写真がエゲツない。三姉妹編の頃に太郎や木之本ジュニアが仕事で岸和田の外に出た事を示し、八重子さんや木之本夫妻が彼らの所に引っ越した可能性を示唆しつつ、確実に亡くなっている玉枝さんや木岡夫妻とそれぞれカップリングで映しています。要するに「隠居」とも「死亡」とも解釈できるようにして回答を(確信犯的に)視聴者に丸投げしてるんですな。

投稿: 巨炎 | 2012年10月24日 (水) 13時33分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

この、夏木糸子の第1週目は、いろんな意味でショックが大きかったですね、今にして思えば(笑)。

リアルタイムで激変に触れる、というのは、あとから全体のディティールが分かった状態で見るのよりも、衝撃のほどは大きい、と思うんですよ。

ここで私の好きなビートルズの話になぞらえますが(笑)。

ビートルズも、中期までは緩やかな変化だったのが、中期以降はもう、アルバムを出すごとに変化が著しくて。

私は後追い世代なので、あとからその変化のほどに驚愕していたのですが、これがリアルタイム世代だったら、どれくらい戸惑いや葛藤があったか、と思えるのです。
こんなんでいいのかよ、ビートルズ!なんて、批判的な立場になったかもしれない。

そうしたことを考慮しながらこの週の 「カーネーション」 というドラマの激変ぶりを考えると、いちばん夏木マリサンになって成功しているのは、「小原糸子の老いに伴う精神的な衰え」、の表現だと感じるのです。

つまり、いちいちの会話をとっても娘たちのほうにイニシアチブがある状態。

娘たちのほうが世界的になってしまったのだから、娘たちは昔よりも母親に対して、強く出ることが出来るわけですよ。

それに対してその負けず嫌いの性格から、糸子は 「自分はまだ頼られている」 という思いにすがって、娘たちのイニシアチブを無力化しようとしている。

この段階で、娘たちに欠けているのは、中長期的な立場に立った視野だ、と私は感じます。

優子は里香が不良化していることをことさら嘆くけれども、糸子にしてみれば、長い人生の、こんなのはほんのちょっとのあいだのことだ、ということが分かっている。

直子は里香のジャージを見て、自分がセーラー服を頑固に着ていた昔になぞらえて説教するけれども、直子と里香の反抗のしかた、というのは、本質からして違ってきているわけですよ。

でも糸子には、里香の反抗の本質が、直子よりも見えている。

でも、糸子が精神的に、以前のはつらつとした状態からは幾分後退しているために、夏木マリサンがその衰えを、かなりリアルに体現してしまっている(ひょっとして演出家も、これを狙っていたのかもしれませんが)ために、糸子の持つ長所が、視聴者側に見えにくくなっている。

こんなはずじゃないのに。

それって、体の衰えを感じるようになったら、とても実感できることです。

この週の夏木糸子を見て感じたもどかしさは、実はそんな、「老いてから感じる自分の体へのもどかしさ」 と、かなりリンクしている気がする。

どこまで演出家がそれを狙っていたのかは分からないのですが、尾野糸子のままで終わっていたならば、こんな表現までドラマはできなかった、と感じるんですよ。

そして時代は、便利になるごとに、確実に人間の、「生きることへの執念」 を、低下させている。

アホボントリオが松田恵や北村なんかに比べて確実につまらないのは、平和ボケして人間力が低下している我が国への強烈な皮肉である、と私は考えています。

巨炎様は栄之助をあらためて見直して、認識を改めておられたご様子ですがcoldsweats01

でも与太郎キャラは、平和が続いた世で本領を発揮するのも確かな話であり(笑)。

戦争というものは、人々に 「一生懸命生きること」 の意義を、とても問いかけた契機だった、と思うんですよ。

その反動として現れたのが、「無責任」 なんだ、と感じますね。

言わばアホボンたちは、「無責任」 世代の落としダネ(笑)。

それが、細うで一代記を築いてきた糸子にとっても、かなり違和感のある存在であったのではないか、と感じるのですが、糸子は彼らを、結局面白がって見ていた。

これは、時代によって大切なものも変遷していく、という諦観を、糸子が本能的に持っていたからなのではないか、という気がいたします。

まあ、まわりの連中がみんな死んでしまったら、諦観を持たざるを得ませんけど(笑)。

投稿: リウ | 2012年10月25日 (木) 08時31分

>糸子の衰えと諦観
戦勝続きの暴走の果ての徹底的敗戦を経験してきた糸子がバブルに浮かれる世代に「多少は痛い目を見た方がエエ」的に感じている節はありますね。一方でB29に吼えていた糸子が暴走族に怯えるのは、ちと悲しいですが。

>夏木糸子の第1週目は、ショックが大きかった
私は構えていたので、そこまでは…(笑。
レビューで指摘された口調のキツさもハルさんと比べると確かなのですが、私は以前に書いたように「70代の善作女版」=糸子が年をとったらこんなもの的に割り切ってしまいました。これは糸子と優子の母親像の違い、尾野サンと新山サンのキャスティング必然性に起因しているのですが。

「サマーレスキュー」の遥役でしばし指摘されたのが「看護婦というにはキツイ言動が多く母性が感じられない」というモノ。私は「サマー」も「Mother」も殆ど未見で断言は出来ませんが尾野サンの豪快さの中に繊細さを織り交ぜる演技力を認める一方で包容力を感じた事が殆ど無いです。
この対極が新山サン。直子を助けに上京した時と決別の場面で見せた表情と雰囲気、共に里恵を同伴させている点からも製作側が新山サンから何を引き出そうとしているかは明白。これらの場面に製作陣が拘るのは、長女として君臨してきた糸子の理解を超えた姉妹間の機微こそ、個々の力量で敵わない娘達が母を越えていけた最大の要因と捉え、それを表現しようとしているから。特に優子の糸子譲りの気性と千代さんのお嬢様気質、直球で意地をはる直子より本性は捻くれたイケズというキャラの複雑さは群を抜いており、
①「最低でも尾野サンと同等レベルのキャリア」
②「母性を確実に引き出せるパーソナリティ」
がキャスティングの最重要課題だったわけです。新山サンがブログで夏木サンを褒めちぎっていますが内面の機微を表現する大役を任されながら関西弁がどうとか言われる者同士の共感?

一方、糸子役は内面が単純な分、表層の機微で主役の存在感を出さなければいけない。ポイントは「母親というより父親という感じの人」(by直子)、それでいて「男勝りではあるが、やはり女」の二点でしょうか。上記で述べた尾野真千子という女優の性質、何故、彼女が今まで(全てのヒロインが結婚したわけでもないですが)朝ドラ主演オーディションに落選し続け、「カーネーション」主演に抜擢され、若い頃にない思慮深さを見せるようになる晩年を前に降板した理由が大体、説明できてしまうような…(汗。

戦後社会の働く母親像はむしろ優子で描写している趣があります。上記の場面や里恵を連れて東京・大阪間を奔走する頃には正の側面、里香を持て余してしまう所で負の側面といった所。晩年開始時点で印象的だったのは、これまで直子が戦後派代表格な扱いだったのが、優子が物語序盤で強調された戦前価値観の対極的存在に位置づけられていた点です。丁度、男女雇用機会均等法成立の時期で以後の朝ドラでは家庭で女だから出来た事や男が無言の内に果たしてきた事を改めて意識した作品も出てきました。
「はね駒」はその先駆的作品で、政宗(笑)とは離別も死別もしていない(借金はつくりましたが)ので母性の放棄、優子の場合は父性の軽視。糸子はというと生来の性格に加え親の立場を自覚する時には常に善作を意識していました。殆ど無自覚ですが父親の不在を完全に埋めており、一方で母性に関しては千代さんや北村に肩代わりしてもった。ただ一人で両親の役割を兼ねる事自体に無理があると思えば恥じるような事でも無いし、今度は優子に不足している父性を補ったとも感じます。

この辺りは宝田明氏が出演したシングルマザー奮闘木「私の青空」(2000年)を意識したかもしれません。母親である主人公の教育の至らない所を物の怪白河院の爺さんが「おしん」で取った杵柄よろしく鍛えていく。ただ現代モノで昔気質な厳しさを押し付けすぎないよう、宝田氏演じる父方祖父(←息子が駆け落ちしたので少し肩身が狭い。後、洋モノ好き)が伊東氏にアンチテーゼをぶつけてバランスを取っていました。この時の経験が清三郎役で生きたかな?

投稿: 巨炎 | 2012年10月29日 (月) 12時52分

巨炎様
レス下さり、ありがとうございます。

B29に咆哮していた糸子がバイクごときに怯えるから、やはり衰えた、ということになるのでしょうか。

あと、ショックだったことですが、いや、その前の週で夏木糸子の登場の仕方が、結構 「これってアリかも?」 なんて感じたから、この週全体のモッサリ感がショックだったんですよ。

尾野サンの存在が大きかったことによるんでしょうが、巨炎様が尾野サンの演技に、包容力を感じたことがない、というのは興味深いですね。

確かに尾野サンの演技は、とんがっているように見えます。

でもそれって、若さからくるものなんじゃないかな~、と思います。 これっていまの朝ドラヒロイン、夏菜サンも同様に感じますね(演技レベルは違うけど)。 演技がとげとげしく感じるんですよ、純。

でも、やはり若さがもたらすトゲというものは、年月によって丸~くなっていくものなんだろうなー、と感じます。 純も、朝ドラ期間中はどうか分かりませんけど(笑)、そのうち落ち着いた、周囲が見えるような演技力を身につけていくものだ、と感じています。

その点で、新山千春サンの優子の演技は、そこらへんの丸みを帯びているような気がいたしましたね。

それってもともと新山サンが、とてもおっとりした性格でいらっしゃるゆえのことだとも思うのですが。

ただほかのドラマではどうなのかな?

新山サンが演じた優子は、私の個人的な印象ですが、尾野サンと共演していた時のほうが、よかったような気がします。

これは新山サンだけでなく、ほかの妹ふたりにしても同様で。

私はおそらく、尾野サンの演技に、この三姉妹は知らず知らずに叱咤激励されていたんだ、と思うんですよ。

だから尾野サンの演技につられるような形で、彼女たちのキャパ以上のものが出すことが出来た。

それに比べて夏木サンは、スタジオ入りのときからアウェイ感覚で、関西弁もままならず、必死に 「カーネ」 スタッフについていっているような感覚。 この夏木編では、三姉妹の演技が少し鈍ったように、私には感じられてなりませんでした。

でも、そんな考えでいると、今回の巨炎様のような考察など、出来るはずがありません(笑)。 優子が戦前の価値観の対極に存在している、なんて、すごい考察だなーと感じます。

巨炎様の考察には遠く及ばない返信で恐れ入りますが、これでお茶を濁してしまってよろしいでしょうか?coldsweats01

投稿: リウ | 2012年10月30日 (火) 07時26分

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