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2012年3月17日 (土)

「カーネーション」 第24週 だんじりが、また動きだした

 先週あんなけ失望した、「カーネーション」。
 正直なところ、このドラマのレビューを熱く語ることはもうない、と思いました。

 しかし今週のこのドラマを見て、「やはり 『カーネーション』 は 『カーネーション』 なのだ」、という思いを新たにしました。
 尾野真千子サンの糸子は確かに良かった。 良すぎた。
 けれども私は良くも悪くも健忘症気味であります(笑)。
 「あれはあれ、これはこれ」 と割り切りながら見ることにいたしました。
 ものごとが自分の思い通りにならなかったからと言って、それをいつまでも引きずるのは辛気臭い。 辛気臭いのは、寿命を縮めます(笑)。

 前回のコメント欄にも書きましたが、たしかに尾野糸子編は、テレビドラマとしての出来としては、150%、出来すぎの部類に入っていました。
 そして夏木糸子編の第1週目は、どうひいき目に見ても85%程度の出来でしかなかった。
 でも、今週は95点くらいだと素直に思う。 生意気な書きかたで大変恐縮ですが。

 そのうえでまずは夏木糸子編のどこがまずいのか、悪いことを先に書いてみようと思います。
 ほめるのはそのあとです(ほんとカワイクナイねぇ…笑)。




 まず時代背景。
 昭和60年、61年あたりは、まさにバブルの絶頂期であります。
 先週も指摘しましたが、ドラマでは好景気に日本中が浮かれていて、その時代の人々の気持ちに、現代の私たち視聴者が感情移入しにくい、ということが挙げられると思う。

 特にアホボンふたりは人間としてかなり浅い。

 それに乗っかってやってきたアラレちゃんメガネの男もそうなのですが、要するにこの3人は、オハラ三姉妹のネームバリューにあやかって、小原糸子をシニアの星に仕立て上げようとしているにすぎない、と私にはどうしても思えてならないのです。
 小原糸子の志なんか二の次。 要するに儲け話にただ乗っかっているだけ。
 このアラレちゃんメガネの男が今週、いみじくも糸子に向かって面と向かってゆうてました。
 「岸和田のオバチャンが服作ってます~で売れるはずがない」、と。
 彼らの考えの根本だと思うんですよ、そこは。
 コシノ三姉妹の母親でなかったら、小篠綾子サンには岸和田の人以外にだれが振り向くのか。

 だけれども、それが世間っちゅうもんです。

 ここんところ、実はとても、夏木糸子編を見るうえでの分岐点になる気がする。

 つまり、「小篠綾子サンはコシノ三姉妹の母親だからこれだけ周囲がちやほやして、70歳を過ぎても自分のブランドを立ち上げることができて、最後までみんなから慕われたんだろう」、という目で見てしまうと、老年期の糸子編を視聴する意味自体が喪失してしまう、と私は感じるのです。

 でも、作り手が目指しているのは、「恵まれているから出来るのではない、その気があるから出来るのだ」、という、老年期の生きかただ、と思うんですよ。

 小篠綾子サンの場合はたまたまそこにステージがあった。 自分が輝くためのステージが。

 でも、そんなステージなんかなくても、日々生きていくうえで 「いよいよこれからなのだ、今日は昨日とは全く別の日なのだ」、という意気込みで生きていくこと自体に、価値があるのではないか。

 このドラマはそっちをより強く主張しようとしている。
 私にはそう思えるのです。

 このアラレちゃんメガネの男、今週半ばから、かなりキツイ仕事の鬼になっていきます。
 その方法は確かにバブル時代のそれやけど、男一匹仕事をやる以上、その意気込みに関しては好況だろうが不況だろうが関係ない、という作り手の主張が提示されていく。

 そして時代背景その2。

 優子の娘里香がツッパリ娘になっちゃったのも、要するにこれも、世の中が豊かな証拠、なんですよ。

 もしくは親が豊かな証拠。 または親が甘やかしている証拠。
 当時は 「ツッパリ」 というのが一種の流行みたいになってましたが、世の中が好景気だからこんなタワケたこともできたんじゃないでしょうかね?
 今なんか就職氷河期が長いから、こんなことしてらんないでしょう。 就職できなくなっちゃう。

 里香は糸子と一緒に暮らすことでそこらへんの自分の 「甘え」 に気付き、やがては更生していくのですが、あらためて振り返れば、アホボンたちにしても里香にしても、「景気がいいから許されている」、という緩い部分がある。
 景気が悪すぎてギスギスしている現代人から見れば、そんな彼らのノーテンキぶりがちょっとムカムカしてしまう。
 夏木糸子批判の周辺部分には、そうした構造が隠されているような気がするのです。

 そしてその、肝心の夏木マリサンなのですが。

 私が夏木サンの演技を見ていて、上手い下手とかいう次元ではなく感じるのは、「怒りの演技がとげとげしいのではないか」、という点です。

 それは夏木サンの演技を差し引いた、脚本自体にも感じることです。 少なくとも私は脚本にもそれを感じます。

 つまりセリフ自体が、かなり乱暴なんですよ。

 今までの尾野真千子サンが演じた糸子も、その乱暴さについては一緒だったと思う。

 ではなんで、尾野サンの時はとげとげしさを感じず、夏木サンの怒りの演技がきついと思うのか。

 それは、尾野サンが大阪人の機微というものを、自分なりに咀嚼して演技していたからだ、と思うんですよ。

 大阪の人間は、たとえキツイ物言いをしていても、どこかで相手に突っ込んでほしい、というような 「待ちの姿勢」 というものがある。 言いっぱなしではキツすぎるから、「はいここはツッコミを入れるところですよ~」 というボールを、相手に投げるようなところがあるように思うんですよ。

 尾野サンの演技にはそれがあった。 夏木サンの演技は、ボールを思いきり投げ込んでしまってツッコミを返せなくするようなところがある。
 関西人の機微、というものは、やはり一朝一夕には理解できないものなのかな、そう感じます(関西人でもないのによく言うよ…)。

 そして夏木編批判理由の最後に挙げたいのは、見る側が 「老い」 というものに真摯に向き合おうとしていない、という点です。

 確かに 「作品の質」 という点だけでこのドラマを見てしまうと、極上の尾野真千子編だけでいいと思われます。
 でも本当に大事なのは、「みんな年を取る」、ということなのです。
 このドラマではかなり早い時期から、少女時代の尾野真千子サンが岸和田の商店街を歩くときに、こう独白させています。

 「あっこのおじいちゃんかて、ちょっと前は、あっこまで年寄りちゃうかった。

 あっこのおねえちゃんは、よう見たら、…もうおばちゃんや。

 …うちらが大人になった分だけ、

 大人も歳とっていくんやな…」

 今度はその糸子が、紛れもなくその側に、いるのです。

 それは少女時代の糸子が想像していたよりもはるかに大変なこと。

 若者に年寄りの状態を体感させようというと、重い荷物をしょわせたり、目も耳もよく聞こえなくさせたりしますけど、実際になってみないことには、どうにも実感できないことは、否定できない。

 私自身の話をしてしまいますが、こないだ47になって、このところ 「前はこんなことなかったのに…」 と思うことがよくある。
 やたら疲れが取れないし、どうにもしんどい、と思うことが多くなってきている。

 これが60、70になったらもっともっとひどくなるんだろうな、ということは感じます。
 この、「老化」 という現象。
 これは、普段からあまりにもよく言われることであるがゆえに、なんかかえってピンとこない。 なってみないと分からない。

 その、なってみないと分からないことをドラマではやっているために、特に若い人ほど共感が得にくい気が、やはりする。
 「なんで夏木マリはあんなこれ見よがしみたいな痛がり方をするのか、どうしてナレーションをゆっくりしゃべってんのか」、という感じ方ですね。

 これは、「自分もやがてはそうなるのだ」、という目で見なければならない。
 夏木マリサンの演技の問題ではないのです。

 ある時は痛がりながら動いて、ある時はひょいひょい動いたりする、という批判もネットで見かけました。
 でも、みんなそんなもんなんですよ。
 まだらなんです。
 気持ちと体力のせめぎ合い、騙し合いで、年寄りというものは行動しているのです。

 そこを理解しないと。

 で。

 夏木糸子編のダメな部分を列挙していく、と言いながら、それに対する反論なども書いてしまいました。 ひとりボケツッコミみたいですな(笑)。

 ここまでが前フリです(あ~またかよ…)。

 おそらく今週のレビューは、先週よりは熱のこもったものになりそうです。





 月曜放送分。

 アホボンコンビが連れてきたアラレちゃんメガネの男は、商社マンの高山守(藤間宇宙サン)。
 呉服屋のアホボン栄之助の言うことは相変わらず聞いていてむずがゆくなるような歯の浮いたお世辞にしかよう聞こえんのですが、糸子はそれにいたくご満悦の表情です。
 ここらへんの構図が、やはり浮ついているように思えてしまうのは仕方ない、と感じます。
 この話に乗ってくる生地屋のアホボン譲(ゆずる)も同様だし、高山もそう。
 譲があらためて語り出す、おふくろが死んでから自分でもどないかせないかん思たという話も、いかにも取ってつけたようなお涙頂戴の域を出ていない。

 けれどもこいつらの軽さって、結構狙った演出のように思えるんですよ、あらためて見ると。
 作り手の論旨の重点は、おそらく 「こんな浮ついた話のなかでも、何かしら意味があることはどこかにあるものだ」、ということのように思える。

 それが、譲が得意げに語った、「攻撃は最大の防御」 という言葉です。
 糸子はその言葉を、いたく気に入ります。
 そしてこのどうしようもなく頼りなさげに見える連中が、自分のことを頼りにしてくれている、という気持ちが、糸子の心の、どこか奥のほうに、引っかかったままになる。
 表面だけを見ていると、「調子のいい連中にそそのかされていい気になっている主人公」 という図式しか見えてこないのですが、そんな唾棄すべき状況から、この物語、今度はこのあとくじけようとする糸子に、「蜘蛛の糸」 を垂らしてくるのです。

 とはいうものの、糸子は自分のブランドを立ち上げる、という今回の話を、いったん断ります。 オーダーメイド職人としてのプライドが、既製品のブランドを許さないのです。
 それを意地だとしみじみ、そして実に重々しく述懐する糸子に、アホボン3人組は一様に首をひねります。
 つまり、この3人は、これまでの 「カーネーション」 で繰り広げられてきた 「譲れない大切なもの」 を、頭から真っ向に否定する存在、なのです。

 「ええ~?」 ヘンな顔をする高山。
 「なんや?」 思わず訊いてしまう糸子。
 「見せなくてい~んじゃないですかぁ~意地なんか」
 「ああ?」 びっくりする糸子。 譲がたたみかけます。
 「そうですよ~そんなん先生見せてるつもりでもだ~れも見てませんてぇ~、なァ?」
 高山 「見せませんね全く」 栄之助 「ほんなもんちゃっちゃと捨ててしもて、僕らと新しいブランドこさえましょ」(笑)。

 糸子がこのあと大魔神と化すのはとーぜんの成り行きでして…(笑)。

 「お前ら、うちの、この、50年の意地、分からへんけっ?!」
 「(3人揃って首振って)分かりません~」(爆)。

 鮮やかなぶち壊しだ(笑)。 これでこそこのドラマだ。

 糸子はいったんこいつらにほだされて取ったウナギの出前をキャンセルしようとするのですが、時すでに遅し?(笑)。 こいつらはちゃっかりと特上のウナギを呼ばれまして(笑)、そのあと糸子にお手玉爆弾で追っ払われます(笑)。
 糸子はウナギとこのごろの男どもを引っ掛けて 「ヌルヌルしよってからにどないもとどめっちゅうもんが刺されへんで!」 と腹の虫がおさまらないのですが、いったん帰ったと思われた彼ら、ハートマークのラブレターをピンクの電話の都子チャンに託して、「でも、信じてます♡」 というメッセージを糸子に送るのです。 ほんまどこまでヌルヌルしてんや(笑)。
 糸子は忌々しげにそれをくちゃくちゃにしてゴミ箱に捨てるのですが。

 「(ほんでも…。

 うちのデザインが、外でそんなけ通用したちゅうこと。

 若い子ぉらが、あない熱心に商売に誘ってくれたこと。

 …じぃんわりとうれして…。

 気持ちにも張りが出るっちゅうもんです)」

 と、くしゃくしゃにしたメッセージカードを、また拾うのです。

 にしても、この独白シーンで、糸子はん、まだ足踏み式ミシン使うてましたで(笑)。
 とっくに電動式にした思てましたけどな。

 この経緯を、直子の電話で報告する糸子。
 直子はアホボンたちの目のつけどころに感心したようです。
 しかしプレタをやることの大変さを身に沁みて分かっている直子は、糸子に 「やめときや」 と釘を刺します。 ちょっと鼻っ柱が折れたような格好の糸子は、憤然と 「わかっとるわ!」 と言い返すのですが。

 夕食時。
 テレビでは中森明菜チャンが 「ミ・アモーレ」 を歌っているのですが、今週このあと本人がご登場…ちゃうちゃう、でもここですでにサブリミナルが行なわれてたか…(笑)。
 後片付けを里香に任せた糸子、里香に気難しい言葉を吐いたことを、ちょっと自嘲します。

 「(はぁ…難しいなあ、年寄りっちゅうもんは…)」。

 ここらへん、なんですよね。 深さが出せるかどうかの分かれ目って。
 つまりさっき述べた、「大阪人気質」 なんですが。
 糸子は 「今日(の後片付け)はおばあちゃんの順番でしょ?」 という里香に、「たまには 『私が代わるで』(ニカッ)くらい言わんかいな」 と突っ込む。
 大阪人はここで、相手に気の利いたリアクションを求めている、と思うんですよ。
 でも夏木サンの場合、ツンケン言い過ぎて、そこに可愛げが出てこない。
 もちろんここで尾野サンがこのセリフを言ったとしても、里香はよう反応できません。 里香は東京人ですから。
 でも夏木サンの言いっぷりで、糸子の気の強さが余計に際立ってしまう。
 …申し訳ないです、勝手な論理で。

 糸子は手すりにつかまり、階段をのぼりながら、考えます。

 「(ほんまは、年寄りかて、機嫌ようしてたい。

 せやけど、体が、それを許さん。

 痛い膝。 痛い腰…)。

 重たい体やなぁ…」

 思わずつぶやいてしまう糸子。

 次の瞬間、手すりから手が滑ってしまいます。

 階段から転げ落ちる音。 駆けつける里香。 呻き続ける糸子。

 「おばあちゃん…! 大丈夫?! 救急車呼ぶからね!!」

 それまで出来ていたことができなくなる、というのが 「老い」 というものです。 注意していても、やってしまうのが、「老い」 ということなのです。





 火曜日放送分。

 商店街を駆け抜けてくる優子。
 オハラ洋装店の入り口には、「臨時休業」 の張り紙が。
 里香と出くわす優子ですが、里香は仏頂面でなにも答えません。
 そこに従業員の浩二(小笹将継サン)におぶわれて、直子と一緒に糸子が帰ってきます。 足には包帯。 骨折です。
 「なんでこない遅くなったんや?」 と優子をなじる直子、ふたりはまたきょうだいゲンカを始めるのですが、糸子にたしなめられます。
 1階には大きな介護用ベッド。 優子と直子が入れたらしい。 介護用というのが気に入らない感じの糸子ですが、そこに都子チャンが、「向かいの兄ちゃんから」 と言って、見舞いのお花を持ってきます。 金券ショップの兄ちゃん、ええとこあるな。

 糸子はまわりが止めるのも聞かずに、不慣れな松葉づえをついて、金券ショップの兄ちゃんにひと言、お礼を言いに行きます。
 誠意には誠意で応える。
 商店街の昔からの人々をすべて失ってしまった糸子にとって、新しい顔のひとりひとりが大切なんだ、と感じましたね。 向こうが素っ気ないからようつきあわん、では、世界が広がっていかない。
 なんで金券ショップの兄ちゃんが見舞いの花を贈ってきたか、と言えば、糸子がもともと開店当初から、何かと気を遣ってきたからであり。
 何かを人にしてあげれば、その分自分に帰ってくるものがある。
 ちょっとしたシーンだったのですが、その大切さというものを感じましたね。

 「(はぁぁ…。 情けない…。

 歳をとるっちゅうことは、当たり前に出けるはずのことが、出けへん。

 …その情けなさに耐えること。

 しかも、いま出けてることも、これから先、どんどん出けへんようになっていく。

 …その、怖さに耐えること。

 たったひとりで…)」。

 夜、ベッドの上でひとり考える糸子。

 糸子の脳裏には、あんなけ騒がしくて華やかだった昔のまぶしい光景が、浮かんでいます。 晩酌をしながら笑う善作、千代や静子たち、ハルおばあちゃん。

 「(なんでやろ。 この家で、いろんなもんを、生んで増やして、育ててきたつもりやのに、結局、ひとりになってしもた…)」。

 ケンカをする幼い日の優子と直子。 布団をかぶせてそれを叱る、若き日の糸子。
 そしてかつての小原洋裁店の、多忙極まりない様子。

 回想シーンはもう、すっかり入れないものだ、と思っていました。
 それがこのドラマの潔さなのだ、と。

 ところがこの回想シーン、現在の糸子の孤独を、これ以上ないというふうに、揺さぶりまくるのです。
 効いた。

 家族が余すところなく、家に全員いる時代。
 どんな家庭にも、そんな時代があるものです(例外はありますけど)。
 子供たちは誰も塾にも行かず、ましてや友達と夜遊びして帰ってこないこともない。
 とりわけ子供たちが手のかかる時代は、目の回るような忙しさではあるのですが、それがそのまま、家族というものの喜びに直結している。
 そのうちに、ひとりいなくなり、ふたりいなくなる。
 ある者は亡くなり、ある者は巣立っていく。
 そしてある時、死んでゆくのも自分ひとりなんだ、ということに否応なく気付いていく。
 その寂しさ。
 それが老いた者の、孤独の本質だと思われるのです。
 ましてや今の糸子は、怪我をして自分の体力の限界を痛すぎるほど感じている。

 この回想シーンで、すべてはこの、老いた糸子の孤独を表現するためのお膳立てに過ぎなかった、みたいなことまで感じる。

 年老いた糸子は、暗がりで、逝ってしまった人々の写真額を眺めます。

 「(どっかで、なんか間違えたんやろか…。

 それとも、そもそも人間が、そうゆうもんなんやろか…)」。

 北村の写真が、目に入ります。

 「(…ここで泣いたら、あいつの思うつぼじょ…)」。

 糸子は、ぐっと唇をかみしめます。 「…うちは泣かへん…。 泣かへんで」。

 北村に対して糸子は、死んでも対抗心を燃やしているように思えます。
 でもそれは、意地を張っているわけじゃない、と私は思う。
 北村に対して毒づくことで、自分を奮い立たせようとしているのです。
 そしてそれで、北村と一緒に生きている、という、寂しさを紛らわすための一助になっている。
 これはかなりひねくれた、北村への愛情だと感じる。

 そこにそろそろとやってきたのは、里香です。
 「お母さんたちのいびきがうるさくて眠れない」。
 糸子は、そばで寝てくれる者がいる、という気やすさに、微笑みます。 「お休み」。

 「おばあちゃん」

 「…うん?」

 里香は、つぶやくように話します。

 「私が、いるから」。

 糸子は自分の孤独を見透かされたような表情をします。

 「いるから。 …ずっと」。

 糸子は孫の言葉に、思わずこみ上げてきてしまいます。
 嗚咽を押さえようとする糸子。
 でも、その小さな息遣いは、里香の耳には届いているはずです。

 泣けました。 夏木糸子に泣かされるとは(ハハ…)。 でも、これでこそ 「カーネーション」 です。

 翌朝。

 介護用ベッドで食事を取りながら、糸子はNHK連続テレビ小説 「いちばん太鼓」 を見ています。
 これ、すごく奇妙な光景でしたね。
 こういう場面って、過去の朝の連ドラにあったかなぁ?
 朝の連ドラの主人公が、別の朝の連ドラを見てるなんて(笑)。
 私、あまり詳しくないんで分かんないんですが、私の見た範囲では、こういうことってなかった気がする。
 かなり奇妙で、ニヤニヤしてしまうようなシーンでした。
 ただこの画面、アナログ放送のクセしてゴースト(二重映り)とかがない(笑)。

 そこに優子と直子がやってきます。 話がある、昼の再放送見たらええやろ?と糸子にテレビを消させるのですが、伝え聞いたエピソードだと、この親子、自分たちの話が朝の連ドラになればいいよねなんてしゃべっていたらしい(笑)。 そんなエピソードを想起させる場面でした。

 ただここで娘たちが切り出したのは、糸子の引退を勧める話。
 糸子はその話のとっかかり部分から、すでに相当、腹に据えかねたような表情をします。
 糸子は、娘たちが自分を当てにして経理やら代理やらいろいろ頼みごとをすることを楯にとって、それを拒絶します。
 しかし。

 優子 「ああ。 この際やからゆうけど、あれはうちらが、あえてやってたことや。
 お母ちゃんが仕事好きなの知ってるよって、お母ちゃんの負担になりすぎへんなようなことをちょっとずつ頼むようにしてきたんやし」
 直子 「なんも自分らのためとちゃう。 お母ちゃんのためや」
 優子 「せやけどあんな仕事、ほんまはどないでもなんねん」

 糸子が先週自負していた、「まだまだあの子ぉらは頼りない。 自分はまだまだ頼りにされてる」 という思い込みは、そのプライドは、その時点でズタズタにされるのです。
 この容赦ない話の運び。
 やはり 「カーネーション」 です。

 娘らは東京に来い、そのほうがうちらも助かる、岸和田でひとりにしてるよりよっぽどマシや、とまで言い募ります。 糸子はかなり、呼吸困難になるほど、怒りがこみ上げています。

 「帰れ」。

 糸子は怒りを激しく押さえながら、ようやく一言言い返します。

 「帰れ、帰れ! あんたらさっさと!」

 監視役みたいにしてすでにそこに座っていた里香が、糸子の怒りを見越して、席を立ちます。

 「うちに仕事辞め! 引退して、ゆっくりせい! あんたら、うち、殺す気かっ!」

 里香が持ってきたのは、お手玉爆弾(笑)。 糸子はそれを受け取ると、鬼は外!とばかり、娘たちのほうも見んと、それを投げつけます。 「帰り! 帰り! ほれっ! さっさと!」。

 娘たちはほうほうのていでその場を去っていきます。

 再び朝ドラを見始める糸子。

 「(ほんでも、確かに、今のうちは、自分で投げたおじゃみ(お手玉)も、自分でよう拾わん…)」。

 糸子はそれを拾って歩く里香を、優しい目で見守ります。
 「…そんなことせんでええ」。

 そして再び、テレビのほうを向き直ります。

 「こんなとこ居てんでええ…。 あんたは、東京帰りや。 はよ」。

 はしごを外されたような表情の里香。

 糸子は、ともすれば甘えてしまいそうになる孫に対して、あえて冷たい言葉を投げかけ、しずかに決意するのです。

 「(うちは、立ち上がらなあかん)」。

 …

 うーん。

 ようやく 「カーネーション」 らしさが戻って来たぞ。
 どうして里香というキャラクターをクローズアップさせたのかも、ようやく納得できてきた。
 里香をもってくることで、糸子の孤独感が増幅するんですよ。
 いくらなんでも、孫に頼るわけにはいかない。
 それが糸子の決意に、最終的な拍車をかけているんですよ。
 なにも娘たちに軽く扱われたから、意地を見せようとしてプレタを立ち上げる決意をしたわけじゃない。
 確かに高齢者たちのプレタを目指そうとしたことはあったかもしれないけれど、このドラマでは、その決意の最後の一石を、里香の存在に帰している。





 水曜放送分。

 くしゃくしゃになったハートのメッセージカードを、じっと見つめている糸子。
 悩みまくった末に、糸子はアホボンの一員、譲のところへ電話をかけます。
 出てきたのは譲の父親(佐川満男サン)。 「攻撃は最大のなんちゃら、というのを聞きたくて…」 と、糸子は照れ隠しに言うのです。
 譲からの折り返しの電話を待ちわびる糸子。
 夜も更けて、ようやく譲から、「夜分遅なって、すみませ~ん」 と相変わらずの間の抜けた声で電話がかかってきます。
 糸子はおずおずと、「うち、やるわ」 と話します。 「自分のブランド、始めるわ!」。

 早速行動を開始したアホボントリオ(いっしょくたになっとる…)。
 いきなり骨折して動けない状態の糸子を見て驚きます。
 糸子は構わず、半年後の7月20日を発表の日にちと決め、プロジェクトを精力的に開始しようとするのです。
 高山のアパレル商社マンとしての能力が、ここで頼もしく発揮され始めます。
 だんじりが、再び動き出したのです。

 また例によって小競り合いをしながらやってきた優子と直子。
 娘たちに糸子は、言って聞かせます。

 「だんじりはな、その…重たいやろ。
 重たいもんが走り出したら、止まらんのやな、これが。
 そら、誰がなんちゅうたかて、止まらん。
 まわりはまあ、余計な心配せんと、はぁ~ちゅうて見といたらええ」

 優子と直子は、自分たちの経験をまた持ち出して、お母ちゃんにプレタは絶対無理や、と断言するのですが、糸子は 「もう決めてしもた!」 とにべもない。

 「まあ…心配かけるけどやな。 かんにんな。

 うちはやっぱし、こうゆうふうにしか生きられへん。

 そら、どんなけ大変な仕事か、うちかて、よう知ってる。
 せやさかい、もう初めてしもてから、まあ落ち着かんし、ヒヤヒヤもソワソワもしてるわ。

 けど、ひっさしぶりになんしゅうかこう、…オモロイんや。

 ほんま、オモロイ。

 夜、寝るのが惜しゅうて、朝、起きるんが楽しみでな。
 こんなん、いつぶりやろか、フフ…」

 そう言えば、壮年期に入った糸子が、聡子のことに手を焼きながら、いつまでも夜遅くまでミシンを手繰り、朝、泥のように寝ていた時期がありました。
 あの時からずっと、糸子のなかには、この時のことが無意識のうちに準備されていたのでしょうか。

 優子は子供でも見るような目つきで、自分の会社の庇護のもとでやればいい、と提案してきます。 糸子はそれに対して、プレタを始める以上はあんたらかて敵や、という態度を見せるのです。

 「ほんな、敵に塩送るような真似したあかんで。 うちかて、あんたらみたいな商売敵からほんな情け受けたない。

 この、今のうちのおもろさはな、自分の身銭切ってこそなんや。 自分の体で、崖っぷち立たんことには、絶対ここまでオモロないよってな。

 …
 うちはオモロないと嫌や!

 オモロイん諦めて、生きてなんかおれるかいな!」

 「そのほうがオモロイ」。

 これは善作が糸子に残した、もっとも基本的な人生訓です。
 それはでも、なんでんかんでんオモロければいい、という性格のものでもない。
 ミシンを買うために、陳列棚に合った商品を全部売っぱらった善作の、背水の陣という精神が、この糸子の中に生きている。

 けれどもそのツッパリは、その後もろくも挫けてしまうのですが(笑)。

 優子は帰り際、里香にお礼を言います。
 たまたまだったかもしれないが、あんたがいたことでホントに助かった、と。
 里香は一瞬表情を緩ませますが、また厳しい表情に戻ります。
 「おばあちゃんだって、あんたが自分のために高校に戻らずにいるなんて、絶対望んでない」。
 母親の最後のひと言が、里香の心にいつまでも残ります。

 翌朝、里香は早速糸子にインタホンで起こされます。 みそ汁は煮込むな。 基本ですな(笑)。 口うるさい糸子の復活です。 朝ドラを見ながら、「ここで終わりかいな!」(笑)。
 自分が後年そのヒロインになろうとは…(笑)。

 「(さあ、だんじりは走り出しました。 もう止まりません)」。





 木曜放送分。

 消息不明(死亡?)の昌子と松田恵。 その回想が冒頭で流されます。 どないなったんでしょうなァ。 相変わらず不親切このうえない作りを踏襲しております。
 糸子に文句ばっかり言っていたこのふたり、それに比べれば、現在小原の店にいる浩二とピンクの電話の都子チャンは、まあ店が忙しくないのもありますが、かなりのんびりタイプ。
 そのふたりに、これから忙しくなる覚悟をしてくれ、と糸子は言うのですが、まずアラレちゃんの容赦ないレクチャーに音をあげたのが都子チャン。
 アラレちゃんはあまりに飲み込みが悪いピンクの電話に、舌打ちをしてしまうのですが、それに過敏に反応したのが都子チャンのほう。 アゴの肉をブルブルふるわせて、瞬間湯沸かし器のように激怒しまくります(笑)。
 「舌打ちはいかんな」 ととりなす糸子ですが、「舌打ちはあんたの専売特許やろ」 ゆいたくなります(笑)。

 それに比べて浩二のほうは、巨漢、ちゃうちゃう、神経細そうなクセして結構辛抱強かったりしてます。
 プレタの立ち上げの大変さが、まるで都子チャンに集中してるみたい(笑)。

 アラレちゃんとピンクの電話の攻防戦が次第に険悪なムードを高揚させていくに従って(笑)譲や栄之助を加えたチームイトコも、かなり個々の成長が促されていくような描写が続いていきます。
 それを陰で支えていく里香。 カレーライスを作ったりしながら、チェッカーズとの仲を深めたりしています(はしょってんなあ)。 カレーライスと言えば糸子が初めて食べたのは、玉枝の作ったそれでしたが、箸で食べてたころと比べて、だいぶ様変わりしたようです。 「誰でも作れるて」 というのも、時代ですよね。

 そんな忙しさが極まっていくなかで、糸子は不意にめまいがして、倒れてしまいます。

 「(調子乗って無理しすぎる…。

 うちの人生、何べんそんで怒られてきたことか)」。

 私がそれで真っ先に思い出したのは、結婚式の日に動けなくなった糸子を担いで爆走し、「このブタ!」 と罵倒しまくった奈津でした。
 この奈津、来週江波杏子サンになって、登場するらしいですね、予告では。
 楽しみだぁ~。

 担ぎ込まれた寝床で、糸子は悶絶しながら、里香に 「お母ちゃんらにゆうたらあかんで」 と口止めします。
 その翌朝、お父ちゃんらの遺影を見ながらひとり思う糸子。

 「(相変わらずアホやなァ、ちゅうて見てんやろ)…その通りや…」。

 そして。

 イトコブランドの宣伝に際して、高山が言ってきたのが、オハラ三姉妹のネームバリューを最大限に活用しない手はない、という、さっき述べたあれでした。 糸子は娘たちに啖呵を切ったこともあって、乗り気ではありません。

 「そんな甘っちょろいこと言ってる場合じゃないですよ!
 先生。 いま全国で、どれだけの人がオハライトコを知ってます?
 『岸和田の洋裁屋のオバチャンが作った服です~』。 そんな地味な話に誰が耳貸すんですか?
 オハライトコにはどんな価値があるのか。 そこにもう乗っけられるだけのものは乗っけていかないとダメなんです!」

 「ん~~~っ、むう~~っ、ムキ~~っ!」

 地団太を踏む糸子ですが、この資本主義社会のシステムには負けた…(笑)。

 「隆ちゃん(都子チャン)、コイツ、腹立つ!」

 都子チャンは涼しい顔です。 「知りませ~ん。 うちはちゃ~んと耐え抜きましたよって、先生も耐えてくださ~い」(笑)。





 金曜放送分。

 「(はぁぁ…。 ほんな、ブサイクな…)」。

 自分じゃ到底頼めないからと、高山に全権委譲した糸子。 苦虫を潰した顔をしながら、北村の写真額に語りかけます。

 「(あんたぁも、欲かいちゃ損してたけどなぁ…。

 うちも、格好つけちゃあ恥かいてるわ)」。

 自分の志とかプライドとか、あっさりと周囲の状況に押し流されてしまう。
 プライドで飯は食えん、と申しますが、「売れるために自分を曲げる」、というのは、どんな仕事でも付きまとうものです。
 画家が何かのシリーズ物を出すときは、それが売れるから仕方なく自分を殺して描いている。
 マンガ家も、アラレちゃんを描いた人はやはりコメディを要求される。 「ドラゴンボール」 も最初コメディでしたよね。
 自分の思い通りに傲慢に仕事を進められる人なんて、実はこの世にほとんどいない、と言っていいのではないでしょうか。 売れる売れないのはざまで、みんな生きている。
 自分の思い通りに生きたい人は、まず採算を度外視して、まるで道楽みたいにしてその仕事をしなければならない。

 いずれにしてもロンドンにいる聡子まで引っ張り出し、オハラ三姉妹を勢揃いさせる、ということは、実に宣伝効果が抜群の手法だったと言っていいでしょう。
 「あんなけ仲が悪いのに」 とかドラマでしゃべらせていいのか?って、もう優子と直子の喧嘩はこのドラマの定番ですからね(笑)。

 里香は招待状の住所を書いたりして下支えしながらも、ある夜、数種の薬(サプリメント?)をつらそうに飲んでいる糸子を見つけてしまいます。
 出来の悪い縫製を許す高山を烈火のごとく叱責し、自分でやらなあかん、とばかりミシンを漕ぎ続ける糸子。 膝が痛くてやはりとてもつらそうです。
 ある夜、ミシンのイスから立ち上がろうとして倒れ込んでしまう糸子を見て、里香はとうとう、「やめて」 と涙ながらに訴えてしまいます。

 「見たくない。 おばあちゃんが苦しんでるところ…」

 糸子はひっくり返りながらも、笑ってしまいます。

 「ほうか…。 あんたには、うちが、苦しんでるよう見えるんけ。

 そら、誤解や。

 うちはな、苦しんでなんかない。

 夢中なだけや。

 人間、ほんまに、夢中な時は、苦しそうな顔になるもんなんや。

 運動の選手とかかて見てみい。 みんな、試合中は苦しそうやろ。

 フフフ…。 おおきに…。 おおきに。 心配要らんで」。

 糸子は孫の頭を、優しく撫ぜるのです。

 昭和61年7月。

 聡子のロンドンの店の黒人スタッフ、ミッキーが金券ショップの兄ちゃんに、色目を使ってます(笑)。 聡子がロンドンから、帰ってきたのです。
 そしてオハラの母娘は、揃ってテレビのワイドショーに出ることに。
 「(人生、何が起こるか分かりません。

 お父ちゃん。

 お母ちゃん。

 勝さん。

 おばあちゃん。

 うち…)」。

 仏壇に手を合わせる糸子。

 「ワイドショー出てきます」(笑)。

 そしてテレビ局。

 緊張気味の糸子の前を、中森明菜チャンが通り過ぎていきます(そりゃ、当人じゃありませんが、これって脚本家サンの意向なのかな?…笑…スタッフの意向なのかな?)(とにかく明菜チャンへのラブコール、と見ました、ワタシ…笑)(孤高の存在の明菜チャンは、いかにもこのドラマと合ってますね…)。

 そしてスリートップの行進(笑)。 そして本番。 そして神戸…ちゃうちゃう(このギャグ使い過ぎかなァ)。 糸子は3人の娘を、緞帳から見守ります。

 優子 「えー実は、小原家には、優子、直子、聡子のほかに、もうひとりのオハラがいるんです」 直子 「人生の師であり、仕事の大先輩。 母親というより父親という感じの人」 聡子 「ほんまに怖い。 子供のころからとにかく怖い。 けど、大好きです」。

 3人 「せーの。 お母ちゃ~~ん!」。

 「はーい」。

 このような場がなければ、娘たちから自分が、このような改まった紹介をされる機会はなかったでしょう。 あらためて娘たちが自分のことをどう思っているか、有り難いなあ、という表情で聞いていた糸子が、娘たちに呼ばれて、出ていきます。

 「小原糸子でございます。 よろしゅうお願いいたします」。

 それは、72歳にして初めてスポットライトを浴びた、ひとりの女性の姿です。
 確かに小篠綾子サン、という人は、コシノ三姉妹という存在がなければこういう場に立つことはなかったように思えます。
 でも冒頭に書いたとおり、状況的に恵まれているからそう出来るのではなく、その気があるからそう出来るのだ、ということを、私たちは学ばなければならない、と感じる。
 他人が恵まれていることをうらやんでも進歩はありません。
 人生の表舞台は、なにもテレビに出ることであるわけでもない。
 一生懸命に生きている人ならば、目に見えないスポットライトは、いつも当たっているのだ、と私は思うのです。





 土曜日放送分。

 昭和61年7月20日。

 オハライトコブランドの発表会です。

 カメラの砲列。 新聞社の注目度もかなり高いことがうかがわれます。
 糸子の晴れの日を見届けた格好の里香。 母親の優子に、帰って高校に行くことを告げます。
 クタクタの様子のアホボントリオ。
 彼らも彼らなりに、成長したようです。
 バブル期がどうだとかばかり私も書いてまいりましたが、実はこの手の発表会とかパーティとか、その規模は、現在なんかに比べればはるかに大きかったのではないか、ということは指摘せねばなりません。 今は不況で、動員もなにもチョボチョボですからね。 その点ではいかなアホボンといえども、その仕事量はハンパではなかった、と思われるのです。

 「ほかのよほどでかいネタに押されない限り、これは新聞に大きく載りますよ」 と景気をつける高山に、まんざらでもない表情の糸子。
 ところが…。

 翌日の新聞を飾ったのは、「中村冬蔵、人間国宝に」(爆)。

 いや~、私も以前の記事で、「ひょっとしてこの人、人間国宝になるのではないか、作り手はそこまで考えているのではないか」 と書いていたのですが、まさかこのタイミングだったとは…(笑)。
 とにかくこの記事に押されて、オハライトコブランドの記事は片隅に追いやられ…(笑)。

 「クッソぉぉ~~っ…。 春太郎おおおおーーーっ!」(爆)。

 糸子の雄叫び(雌叫び?)が、岸和田を駆け巡ります。

 そして、里香との別れの日。

 「行くか?

 悪いけどうちは見送り行かんよってな。 忙しいさかい」

 「うん」

 糸子は通り一遍の型どおりのあいさつをして、そそくさとその場から離れようとします。
 孫と離れるのが、やはりどこかつらいのです。

 「おばあちゃん!」

 里香が糸子を呼びとめます。 「ありがとう…ございました…! また来ます…!」

 「うん。 …ほなな!」

 糸子は里香に顔を見せずに行ってしまう。
 里香は泣きながら、糸子がいなくなったほうを向いて、深々とお辞儀をするのです。

 そしてその夜。

 里香がいなくなった食卓。
 がらんとした空気の中で、糸子はひとり、夕食を食べ終わります。
 そこに里香から電話が入る。 「今度のだんじり祭りに行くから」 とだけ告げて、電話は切れます。
 そっけない孫の電話に笑いながら、またひとりぼっちを噛みしめる、糸子。

 「(東京へ…帰ってしもたから、なんや。

 …あっちへ、逝ってしもたから、なんや…)」

 亡くなった人たちの写真を見守る糸子。

 「(寂しいんは、うちがほんなけ、相手を好きなせいやないか…)」

 糸子はまるで強がるようにニコニコ笑いを顔じゅうに作りながら、あらためてひとりごちするのです。

 「うちの人生、フフフ…。 もう…好きな人だらけで、困るっちゅうこっちゃないか…ヘヘヘヘヘ…」。

 作り笑いしながらも、涙がこみ上げてしまう糸子。 目頭を恥ずかしそうに押さえます。 泣けました…。

 「ああ~…。 結構な話や…。 フフフ…」。

 そしてまた目に入る、北村の写真。

 「いや! あんたんこと違うや!」。

 いかにも憎々しげに吐き捨てる糸子。
 さっきも書きましたが、それが糸子の、糸子なりの、かなりねじくれた愛情だ、と思うのです。
 そこにはやはり、「ツッコミ待ち」、という大阪人の機微は入らないのかもしれないが、強がることで強調される悲しみ、というものもある、と思うのです。
 糸子はやはり、この純然たる 「ケンカ相手」 には、いつまでも生きていてほしかった。

 そこにチャイムが鳴ります。 金券ショップの兄ちゃんが、たい焼きを持ってきてくれたのです。
 糸子は呼ばれながらも、兄ちゃんに食事をふるまいます。 ハルおばあちゃんから連綿と続いてきた、イワシの煮付けをおかずに出しながら。
 生きていくということは、新しい人と会うこと。 その人と仲良くすること。 知り合いが、どんどん増えていくこと。
 どんなけ糸子が有名どころになっていったとしても、この物語がいちばん大事にしているのは、ここだ、と思うんですよ。

 そしてだんじり祭り。

 オハラの店は、娘たちの連れてくる孫たちやアホボンたち(笑)、糸子のコミュニティの人々で、またにぎやかになっています。 木岡や木之元のおっちゃんたちがいなくなっても、年に一度のだんじり祭りは、糸子の寂しさを忘れさせてくれる、大事なイベントなのです。
 すっかりナチュラルに戻った里香。 ママの作る服よか聡子おばちゃんのセンスのほうがいいなどと憎まれを聞きますが、素直ないい子に戻ったようです。
 里香はだんじりを見て、あらためてつぶやきます。 「怖いだけかと思っていたけど、こんなにカッコよかったんだ…」。
 それはそのまま、里香の糸子評につながっている気がする。

 そして里香の、チェッカーズ君(笑)との小さな恋は、静かに深く潜行しているようなのであります(笑)。





 まああと2週間ですから、このままのペースで書くだろうとは思いますが、次回作 「梅ちゃん先生」 では、かような過酷なレビューはもう勘弁してもらいたいものなのです(正直言えば、早々にリタイアさせてもらいたい…笑)。
 それにしてもあの壮大な、極上のディナー(尾野糸子編)を前菜にしてしまう、このドラマの不敵さ。
 どっちがメインやねん、という突っ込みは確かにあります。
 回想シーンがこれだけ効果的である、というのも、確かに回想の質が良すぎるからなのではあるのですが、そこから糸子の老年期の寂しさを演出したこのドラマの孤高を、私は讃えたいのです。

 つまり、このドラマは、徹頭徹尾、見る側に優しくない。

 だんじりのような強引さを、里香が感じていたように、「怖いばかりだ」 と思う向きもあるでしょう。
 でもその潔さでもって、見ている者を振り回しながらも、深く胸に残る作品として成立させている気がするのです。

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コメント

リウ様、こんにちは。

夏木糸子と江波奈津の再会で、月曜日は終了。
貫禄充分のツーショットでした。

古びた地車(だんじり)が、ゆっくりと動き出し、太鼓モチーフのBGMが流れ出す。視聴者的に、わくわくするシチュエーションであります。

ぬるま湯に浸かっていた、バブル期のオハラ洋装店員達。
イトコブランド立ち上げに向け、宮川大輔擬きのレクチャー場面、興味深いものがありました。
軽薄そうに見えるが、実はメーカー叩き上げの仕事師っぷりのギャップ。ピンクの電話が、泣き出す位の集中力。自営や勤め人の視点なら「さもありなん」状況ですよね。

今迄、普通に生きてきた女性に準備された新たなステージ。僅かながらでも視聴者に敷衍出来たら、素晴らしい事だと思います。

纏まり切らない感想、失礼しました。

>関西人の機微、というものは、やはり一朝一夕には理解できないものなのかな、そう感じます(関西人でもないのによく言うよ…)。

確かにそうなんだろうと思いますね。
この役が藤山直美さんや野川由美子さんだったら、どうだっただろうと考えたりします。

関西人のあくの強さや暖かみの空気感がない分、やはり作品としての深みが欠けてしまったのは、残念だったように思います。

ただ夏木さんは、小篠さんをご存知な分、それが演技にも影響しているのかもしれないなと感じました。
また、彼女はどちらかというと小気味よい演技が持ち味なので、年配役でのゆったりした演技の幅が不足しているような・・・(とっても上から目線ですが(;´▽`A`)

言葉だけでなく、そういう意味でも大変ご苦労されたのではと思います。

江波さんが奈津役、今日、拝見しましたが、さすがです・・・。(存在感ありますね)

先週、後半あたりから少しテンポが戻ってきたような気がします。(夏木さんも少しなじんできたのでしょうか)
今週が楽しみです。

リウさまも、あとちょっとで「カーネーション」レビュー打ち上げですね。頑張れ〜〜〜run

最後までよろしくですm(_ _)m


夏木糸子になってから、
>老い
ということを、とてもとても考えます。
明日は我が身ですから・苦笑

いつもは若々しさを要求され、そのようにふるまっているはずの(また日々努力されている)女優さんである、夏木さんが老いの演技をされていることに、
ある種の皮肉を感じずにはいられません。

横の話題ですが、
今日から午後5時、NHKBSで「ミスマープル」を放映しています。
明日はシャーロックのカンパーバッチが出演の回です。

今日は警部役でフィリップ院長がゲスト出演。
声優さんも同じだったので、カンパーバッチも同じでしょうか。
三上さん、カンパーバッチにピッタリだったので、期待したいです。

このあたり、よく知られている原作だし、何度もドラマ化されているので、俳優さんの持ち味、演技力が勝負です。
とても楽しみです。

リウさん。暖かい目線のレビュー、ありがとうございます。
後2週間で終わってしまうカーネーション。リウさんの悶絶週末も終わりますね。
毎週、リウさんのレビューを読むのが楽しみで、また他のみなさまのコメントを『あ〜こんな見方もあるんだな』と勉強になるなぁと感心しつつ拝読しております。


だんじりが走り出した。


リウさんが文字に興してくれた糸子のセリフは、なるほど、流石カーネーションと思います。
思いました。
ドラマを視聴している時にはちっとも…だったもので

不思議なもので糸子以外の、エピはすんなり頭に入ってくるのに。なんでかな

アホぼんトリオ。特にアラレちゃんメガネと都ちゃんのやりとりはクスッと笑いつつ、おいおい、この会話、つい先日娘とスマホの使い方なんかで思いっきりバカにされた気分と同じかもなぁとか…

上手に歳をとるのは、難しい。機嫌よくしてたいのに。誰だって嫌われたくないですよね。


リウさんのレビューで、否定されながらも頭を切り換えて、神輿に乗っちゃる糸子を、あの人は特別だから…ではなく用意されたステージが与えられなくても、昨日の自分と違うと落胆することなく、明日を見て生きていく。老いを受け入れて…自分にできることは何か?を製作陣からのメッセージと受け止める見方を教えていただいたので、そんな視聴方々に頭を切り換えようと思いました。


でないと、せっかく5ヶ月を夢中に見てきた自分自身がかわいそう


夏木さんの演技や交代劇を詮索するなど、千千に乱れる気持ちは、まだあるんですがね。かえすがえすも、どうせなら関西弁の機微を演じられる役者さんでお願いしたかったなぁ〜とせんないことを思ってしまう、心の狭い私なのです(泣)

M NOM様
大変、大変コメント返信が遅れました。 伏してお詫び申し上げます。 コメント下さり、あらためて感謝申し上げます。

パソコンが壊れましてcoldsweats01。 ほぼ同時にぎっくり腰が…wobbly。 ほかにコメントを下さる方(ささ様)のことを心配していたら、今度は自分がそのザマです。 電気製品と自分の体が同時に不調になる、という巷間よく言われることを実感しております。

ほぼ3日ばかりパソコンを開けなかったのですが、あらためて自分のブログ記事を読みまして、「この男、よくここまでダラダラ長いの書いてるよ…」 と呆れ果てました(爆)。 かように締まりのない文章にお付き合いくださり、あらためて感謝なのです。

自分がぎっくりになってあらためて、老いた糸子のセリフのひとつひとつが実感される今日この頃。 ブログのなかでも書いていたように、「自分がなってみないと分からない」 ことを地で行っております。 機嫌ようしていたいけど、体がゆうことを聞かん。 そのイライラ。 渡辺あやサンは若くていらっしゃるわりに、そこらへんを的確に表現しております。

まあ思うところは多々ございますが、夏木糸子編は温かい目で見ていこう、と思っている次第です。

raba様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、まことに、まことに遅れました。 伏してお詫び申し上げます。 事情は、…M NOM様の返信に書かせていただきました(ハハ…)。 まあ、ぎっくりのほうは重度ではないので、仕事もだましだましやっておりますが、ジイサマみたいな姿勢になっても、普段から猫背なので周囲に気がつかれない(爆)。

それにしてもrabi様のほうは、雪は峠を越しましたでしょうか。 解け始めて地滑り、なんていう二次災害まで起きるほどなので、たぶん平気とは思いますが、気にかけております。 今年の冬は雪掻きで大変でございましたね。 rabi様も腰にはお気を付けください、イテテテ…(笑)。

夏木マリサンに対して、いろいろ言うのは簡単ですよね。
rabi様のように、頑張ってるんだなあという目で見る、という気持ちの余裕を持ちたいです。

いろんな周辺情報を読むと、尾野サンの演技に対する姿勢が、現場の役者どうしの啓発に効果があった、と読み解くことができるのですが、それが最大限にドラマ全体の出来に関わっていた、というのがよく分かります。 夏木糸子編になって、そこらへんの役者どうしの化学反応、というものが極端に無くなっていることは強く感じます。

ただ、江波サンの奈津の評判を聞いたりすると、役者としての演技力をもろに試される場にさらされている夏木サンには、どこかで同情してしまいます。

あれも人生だ、それも人生だ。

そう思いながら見ていくのがいちばんなのではないでしょうか。

エールを下さり、痛み入ります。
この半年、気付いてみたらこのドラマに振り回されっぱなしでした。 朝ドラ次回作 「梅ちゃん先生」 は尾崎将也サンの脚本だとか。 あの人の作品にも傑作が多いので、今からもう、げんなりしておりますcoldsweats01

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、とてもとてもとても遅れました。 伏してお詫び申し上げます。 原因は、パソコンと自分の体への同時多発攻撃です(笑)。

というわけで 「ミスマープル」 はチェックできなかったのですが、カンパーバッチに入れ込んでいるマーシー様の姿が目に浮かびます。 考えてみると 「シャーロック」 を熱く語るコメントで、マーシー様をこちらも強く印象づけられてきた気がいたします。 再放送の話は依然と聞きませんねぇ…。

夏木サン、と言いますと、私などは薬師丸ひろ子チャンの 「里見八犬伝」 で強烈なヌードを拝んだのがもう、かれこれ、えー、30年近く前になるのかっ!(爆)。 その夏木サンが老けた役をし続けているのは確かに皮肉です。 世間的にはユバーバのイメージのほうが強いのかな…。

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、比較的遅れました(ほかのかたがたと比べると…笑)。 申し訳ございません。

思い入れが強い分だけ、この交代劇には納得がいきませんよね。
巷間伝わってきますところによれば、やれ尾野サンに交代を伝えた時期がどうだとか、なんで夏木サンでなければならないのかとか、いろいろ言われております。
でも考え出したら、世間のいやらしさ汚さ、そして配慮の掛け違いとか、そんなものがドロドロ見えちゃって、やんなったのでもう自分としてはそーゆーことは考えないようにいたしました。

ただ、スタパで尾野サンが話していた 「関西弁には目をつぶって…」 という夏木糸子を見る上での注意点(笑)を肝に銘じながら見ているつもりです。 それがこれまで5ヵ月間、ワタシを感動させてきてくれた尾野サンへのいちおうの礼儀だと思うから。

ただブログにも書きましたけど、関西人じゃないからそこらへんの細かいニュアンスとか、分かんないのが正直なところなんですがcoldsweats01

そのうえで、rabi様への返信にも書きましたが、役者としての技量をあからさまに試されている場に直面してしまった夏木マリサンに、どことなく同情してしまう、というのも実際のところです。

もとはと言えばそんな夏木サンを起用したNHK側に負うべき責はあるのですが、いったんこれでだんじりを動かしちゃったんだから、そら止まりませんわ(笑)。

特に江波杏子サンが老いた奈津をきちんと演じられていた、ということをネットで読んで、さらに夏木サンの置かれている状況が厳しいなァ、と感じています。

ただやはり、人生いろいろ。

自分の演技力でもって、朝ドラの質としては150パーセントのものを自ら作り上げていった尾野真千子サン。

そして誰の意向か知りませんけど、そんな極上のドラマを思わずバトンタッチされてしまった夏木マリサン。

見ている側は作品の質が下がった、とクサすことはできるけれども、私は却って、そこから生まれたいろいろなドラマ以外の人間ドラマを、興味深く見ています。

リウ様

ご無事でしたか〜!sweat01
いつもに比べて、コメントされる期間が長かった(といってもほんの少しですが)ので、何かあったんじゃないかとたいそう心配しておりました。

旅行にでも行かれたのかもなあんて思ったりもしましたが・・・


ぎっくり腰にPCダウンじゃ、どうしようもなかったですね。

ネットでのつながりというものは、連絡の手段が遮断されてしまうと、PCの向こうにいる相手とのやりとりも無に帰してしまうのが怖いところですね・・・coldsweats02

「梅ちゃん先生」。堀北真希ちゃんもなかなかなので、期待もてそうですね。
120%じゃなく80%くらいのパワーでレビューいただければ十分・・・
なあんて、プレッシャーかけてるわけじゃないんで、お気楽に受けとめて下さいね〜happy01

何はともあれ、復活おめでとうございます。
ぎっくり腰の方はひどくならないようにお気をつけてお過ごしくださいね。

>リウさま
ご多忙かと思っておりました。
腰はきますよね=、

私はいいマッサージ見つけて半年かよい、例の自彊術のおかげで、だいぶ身体がほぐれてきました。
やっぱりお手入れしながら出ないと、だんだんきつくなってきますよ。

今日気が付きましたが、
バックに流れる音楽も、若干スローテンポになっている!
いや、芸が細かいのは、相変わらずです。

あと少しですね。
堀北さんはともかく、その後はあまり・・・、
いや、言うのはよしましょう。
とりあえず、いまを楽しみます。

rabi様
ご心配くださり、誠にありがとうございます。 なんとか最悪期は脱しましたcoldsweats01。 ささ様のように手術という大事には至らなそうです。

ネットの世界というのは、自分から発信し続けなければ、もう初めからないみたいになってしまって、ちょっと恐怖ですね。 死んだも同然、になってしまう。

ただもし万が一、今回みたいな音信不通状態が、まあ1カ月以上も続いたら、「ああこの男は死んだのだな」、と思ってもらってもいいかな、なんて。

あるようでない世界。 だからバーチャルというのでしょうが。 自分もそんなバーチャルな存在なのかな、なんて考えたりいたします。

要らぬご心配をおかけして誠にあいすみませんです。 ただそのように思っていただけるだけで、ちょっとはバーチャルではないのかな、と安堵いたします。

マーシー様
レス下さり、かたじけのうございます。

自分は肩こりが全くない人間なのですが、反面どうも腰には爆弾を抱えておるようです。 現在は湿布とコルセットでなんとかしのいでいる状況です。 自○術(読み方忘れた…笑)、なかなかいいようですねー。

堀北サンのあと、というと、「愛と誠」 だったっけな? ちゃうちゃう、あれは妻夫木クンだった(爆)。 私らの年代だと、西城秀樹サンなんですが。 だから 「愛と誠」 じゃないって(笑)。

遊川サン脚本ですけど、あまり期待できそうもないですねcoldsweats01。 いや、朝ドラの出来がいいと、すごく困ります(笑)。 レビューが死にます(ハハ…)。

>リウさま
ぎっくり腰は癖になるので、気を付けてくださいませ。

「ミス・マープル」ですが、話のつくりは期待はずれでした。そのまえの「ポワロ」も、あれ?と思ったんですが。
ヘイステイングスくんがいないんですもんね・・・、という以前の問題。

両方とも、奇をてらったというか、話が複雑になりすぎて、話の運びが良く呑み込めないし、後味の良くない回が多かったです。

原作はよく知られているし、何度もドラマ化されているので、視聴者を惹きつけるために工夫したつもりなんでしょうが、

イギリスドラマは俳優の演技が素晴らしいので、それだけで十分楽しめるはずなんです。
ちょっと・・・といいうより、かなり残念でした。
水曜のエピソードは、本来「ミス・マープル」の話じゃないんです。
主役二人がぼやけてしまうし、ミスマープルも活躍しようがなくて、変になってしまいました。

来週月曜から新しいシーズンがありますが、あまり期待しないで見ようと思います。

NHKの海外ドラマのラインナップは、4月に発表でしたっけ。
「シャーロック2」は、アメリカでは5月放映だそうです。日本でも、放映してほしいですね。

アメリカでも現代版シャーロックの制作が予定されていて、UK版と違いを出すために、苦肉の策でワトソンを女性にするといううわさが・苦笑
UK版の人気に便乗するつもりがありあり、と、ただでさえ顰蹙を買っているのに・・・・。
シャーロッキアンからもそっぽ向かれそうです。

リウさん。

心配しておりました。

私の仕事の性質上、ある日突然、ということが現実にあり、それに立ち会うことがある者として

トラブルの原因がわかってほっとしております。

ネットでの関係は難しいですね。あまり気持ちを入れ込んでしまうと、いざそうなった時宙ぶらりん状態を自分でかたをつけなきゃならないですから

でも何ヵ月かに渡って文章から滲み出る人柄に惹かれてブログを拝見してきた人間として、どこかたんなる他人とは思えないところはありますね(苦笑)
まぁそれも現代の関係性のひとつなのでしょう


さて、今週のカーネーション。リウさんはどうご覧になったのでしょう

公式HPの渡辺あやさんのインタビューや、チーフ演出の方のインタビューを読み、また深くカーネーションを感じれそうです。

かなり前向きになった私でした。

くれぐれもお体ご自愛ください。
体調と相談しつつ

それでは…また…

マーシー様
再レス下さり、ありがとうございます。 最新週のレビュー優先で返信が遅れました。 失礼いたし、…ばっかりして恐縮であります。

私はポワロとかマープルとか、コロンボなんかもそうですが、あまり推理物って食指が動かないタイプでして。 ホームズだけは少年少女文庫みたいので慣れ親しんでいたのでドラマも見る感じですね。 ありましたでしょ、江戸川乱歩の怪人二十面相とか少年探偵団とか、怪盗ルパンとか、そこらへんの系統です。

ワトソン役が女優、というのは、パターン的に前にもあったような気がいたしますね。 なんだったっけな…。 いずれにしてもマーシー様から伝え聞く 「シャーロック」 のような現代的な改編には大いに興味をそそられますが、あまりゴーインなのもどうかな、と…。

私がいつも注目しているNHK海外ドラマも、どうもパッとしたものがないようですね。 以前のようにBS2とBSハイビジョンに分かれていた頃のほうが、きめ細かにいろんな番組をやっていた気がいたします。 今のBSプレミアムは、全体的な内容がかつてのBS2にも及ばない気がする。 4月に発表なんですかぁ~? 4月が改編期なのに、遅すぎる気がいたしますcoldsweats01

みち様
レス下さり、ありがとうございます。 返信が遅れましてたびたびながら恐れ入ります。 最新週のレビューと睡眠を優先させていただきましたconfident

私の場合は、自分で言うのもおこがましいですが、結構返信は1日以内にはするタイプだと思っております。 さすがに女房や恋人のように速攻返し、というのは出来かねるのですがcoldsweats01

今回の場合はあとから考えれば、ケータイからでも事情を送信出来たような気がいたします。 ただやりかたが分からない(ハハ…)。 なにしろケータイのメールは見ることができるけれども、送信というのはしたことがなくて(おおいにお嗤いください…)。 だからスマホなんて使いこなせるはずもなく…。 未だに旧式のケータイです。

ですので、さすがに1カ月も音信不通、となれば、いよいよこの男ものっぴきならないことに巻き込まれたか、と思っていただければ幸いです。 家族もこのサイトに接続する方法なんて分からないはずですし。

で、今週のカーネーションですが、優先いたしました記事に感想を載せていただきましたので、よろしければまたチョー長い駄文にお付き合いくださいませ。

HPの渡辺あやサンのインタビューは必見!ですね!

修行~独立までを観直した後に、ちょっと第24週に飛んだレビューです。(こちらは記憶に新しい)

色々と序盤のエッセンスが込められていますが、やはり必見は娘達からの引退勧告。ネット上で優子や直子への批判が多いのに私は驚きました。あんなの善作のプライドをぶった斬った因果が50年越しに回ってきただけなのに(笑。でも優子達も糸子が強情なものだから言動が挑発的になっていくような…。本音をぶつけ合って決裂→双方、頭を冷やして歩み寄りはもはや小原家のお家芸。この週を優子達の視点で捉えると、また面白いです。(介護ベット片付けの時に直子の描写をシャットダウンした見せない演出が上手い)

同時に私的に言えば「糸子が善作に並ぶ」、リウ様的に言えば「糸子が善作の立場や気持ちを痛感する」がここでしょうか。夏木糸子の顔立ちも妙に善作っぽいし(「ムキ~~っ!」の場面等)。
周囲が「まだやれる」という中、引退を考えた時とは真逆、身内に自分の限界をつきつけられ否が応でも向き合わなければいけない。善作は完全に八方塞で引退の決断を下しましたが、糸子にはまだ道がある。後はリウ様が書かれている通りで前に進む気概が残っているか否か。

後、娘や孫に労わられる立場を自覚し、惨めさと有難さの双方を味わった経験がラスト2週における小原糸子という人間をより成熟したものにしたと思うのですが、それはまだ後々。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。
巨炎様が昔の(?)レビューにコメントしてくださることで、私も頭の体操になっております。 来たる再開の折には、頭脳も明晰に(?)ドラマを分析することでありましょう(ホントかな?…笑)。

私はこのドラマ、尾野編と夏木編との間には、共通点よりも、かなり深い溝がそこに横たわっている気がしてなりません。

まず夏木編を見ていて感じるのは、「時代がもう、違うんや」 という寂寞感。

これは、それまでの出演者をほとんど殺してしまったことで、渡辺あやサンが目指していたものをもろに感じたことも大きいです。

そして、百貨店の制服製作とかテントの注文を成し遂げたこと、善作に次々と出された課題、さらに戦争による景気冷え込みとの闘い、その他もろもろの糸子の 「ど根性人生」 が、完全に時代遅れになっている感覚。

そのなかで渡辺あやサンが見出していた希望、というのは、「人と人とのつながり」(絆、などと書いてしまうと、昨今の 「口だけ」 の甘っちょろい絆、瓦礫を受け入れないバカどもたちしか思い浮かびません)だったのではないでしょうか。

糸子があの歳になるまで仕事を続けられた、というのは、実はそれまでの実績が多いにモノを言っていることは疑いがない。
たいがいの仕事人たちは、いったんリタイアしてしまうと、仕事以外にまるで隔離されている自分、という現実にぶち当たるからです。

そこで自分を慰め、励まし、前に進ませようとするものは、実はそれまでに培ってきた、人間同士のつながりなのではないか。

夏木編ではその部分に込められた渡辺あやサンの主張を、私などは強く感じます。

再見レビュー。ちょっと第23週を飛ばして第24週。
第22週の考察内容をレビュー内で指摘されている「里香の存在でブランド立ち上げ動機の一押しにしている」に結び付ける形。

聡子は姉と対等になるためには、その庇護の外に出なければならないと考え実践した。糸子はそれを見届け、また第23週の時点で里香が優子に対するコンプレックスを払拭するには里香自身が自分の殻を破らねばならない事も理解していました。そして今回の孫の優しさに甘える事で骨(足首だったのは不幸中の幸い)だけでなく気力まで折れてしまいそうな己の境遇。一時的に追い返したとはいえ、そのままでは優子の保護下に入るしかない。再度の帰郷した時の優子の言動がこれを裏付けています。

ハルさんですら、善作の死で気力がつきた所を強制連行されたわけですが、性格のイイ(笑)糸子は因果応報云々より「辛気臭いのは寿命を縮める。アンタも年とったら解る」と言って励ましに来てくれた貞子お婆ちゃん(←この人も春日局やってました…)の方を思い出したのじゃなかろうかと。

自分と里香の境遇が重なっている事を理解し、孫への労りの気持ちを己のモチベーションに転化させたのではないかと。里香が最初の一歩を踏み出せるか否かの瀬戸際の時に自分が歩みを止めるわけにはいかない。
「よう見とき、里香!お婆ちゃんはアンタのお母ちゃんにも、まだまだ負けてへんのや!!」
おお、カッコいいぞ糸子婆さん。カッコつけすぎてオマケがついてきましたが。でも、これも「大好きです」の一言で救われたような気がします。肩肘を張りすぎるのも良くないという事で…。持つべきものは物わかりのいい亭主と、その血を引く娘か…。

後、今回は優子と直子が初めて大人部屋で寝てますね。小原家はこの辺りの分け方がキッチリしていて第21週で述べた優子が泣く場面の光加減演出は第18週の子供部屋⇒大人部屋の場所変化も重要でした。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

どうして1週抜けてるのかな~coldsweats01

巨炎様の深いコメントにいつも戦々恐々としている私ですが(ハハ…)、この1週抜かしにはいつも以上に警戒心がわいてきます(爆)。

自分の体が言うことを聞かなくなる、というのは、私も最近多いに経験しているので、却って今のほうが夏木糸子に共感できるような気がいたしますね。
これって人間の精神状態に、かなり影響を及ぼすファクターだと思われるのです。

「年をとったら分かる」「病気はなってみないとつらさが分からない」。

若い時分は理屈で分かっていても、その実感というのは受け入れがたいものです。
でも糸子は、「辛気臭いのは寿命を縮める」 という、貞子のポジティヴシンキングのほうを血とし、肉としたのですね。

私は夏木糸子編には、底辺に 「諦観」 というものが流れているような気がして仕方ないのですが、主人公はあくまで、それに抗っている。

前に進まなくなったら、自転車みたいに倒れるしかないのが人生なのだ、という(中島みゆきサンの歌にもありました)戦いです。

失っていくのが人生なのだとすれば、同時にもっともっと、得ていけばいいではないか。

夏木糸子の飄々とした感覚には、尾野糸子が培ってきた人生の野太い部分が、そのまま枯れながらも、固く固く根付いている。

人生を俯瞰するうえでは、夏木糸子編は私にとって、これから歳をとればとるほど意味が増していくパートになっていくのではないか、と感じています。

12週の再コメに追加でこちらにも少し。
渡辺サンが「北村の晩年役が見つからなかった」
と言っていますが、アレはやっぱり嘘だ!
彼がいると逆に里香の存在価値が下がっちゃう。

三姉妹編で糸子と優子の対立が生じるたびに北村が間に立ってくれました。晩年編前半で北村を思い出す場面が多いのは多分、緩衝材の不在を印象付けるため。父に鍛えられた糸子のモットーは「覚悟」、才気溢れる母や妹と渡り合ってきた優子は「基礎と基本」。戦前精神主義と戦後合理主義の対比というのは少々、穿ちすぎ?

里香は東京に戻る直前に「ありがとうございました」と祖母相手に敬語を使う。これは糸子がパッチ屋で最初に戒められた事。窓拭きをさせた時には伝わっていなかったパッチ屋での経験が最後にはちゃんと伝わった。(優子は仕事を始めた時から人前では自発的に糸子を「先生」と呼んでいたので同じ事をしてもニュアンスが異なる)その上で学校に通う。彼女が二人の落し所なんですね。

優子は進学、独立、離婚と人生の岐路に母と向き合う際には北村に助けられていました。彼が存命だったら里香の事でも糸子より北村を頼ってしまったかも。でも、それはさすがに(糸子が北村相手に再婚でもしない限り)不味いのです。北村自身も離婚の事まで母親より先に自分に話す事に危惧を覚えたかもしれません。

こういうのを踏まえると糸子が一人で夕食を食べる場面の遺影は「お前も優子も、もう大丈夫やな。ワシがおらんでも」と言っているようで泣けます。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

どうも自分のかつて書いたコメントを読んでいて、「年をとる」 ということが、こう毎年1年1年、重くのしかかってくるもんだとは思いませんでした。 一昨年より去年、去年より今年のほうが、疲れ方の度合いが大きくなっています…。

で、巨炎様のコメントを読みながら、細かいところはちょっとどうお答えしていいか分からないのですが(笑)、「戦前精神主義と戦後合理主義の対比」 というところを読んで、夏木糸子編の全体的な雰囲気というものを思い出しました。

つまり、時代そののが、とてもイージーになっているんですよ。

これは北村を渡辺サンが意図的に外した、ということと連動していると思うんですが、おそらくこの、アホボン達に代表される、現代編での人物が、人生の哲学の弱さというものを背負いこんでいる。 これもあるいは意図的なのではないか、と感じられるのです。

つまり根性とか覚悟とかが、昔の人といまの人では決定的にその質が変形している。

これはただ単に 「昔はよかった」 と懐古するのよりも、一歩進んだ表現方法みたいな気がする。

そしてその、時代の変遷によって変質してしまった世の中の 「軽さ」 に、糸子もつきあっている。

ここは重要なのではないか、と感じます。

この点だけを見て 「現代編は糸子まで軽い人間になってしまった」「だから夏木マリの演じ方が悪い」 と見做すのは間違っている気がする。

渡辺サンはそれでも、いくら時代が軽くなろうと、人は人として生きようとしているんだ、ということを考えながら、登場人物たちを動かそうとしている、そんな気さえします。

これもまた、このドラマが並のドラマではない所以である、と私は思います。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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