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2012年3月25日 (日)

「カーネーション」 第25週 最後まで笑おう 最後まで輝こう

 やはり、空恐ろしいまでの不敵なドラマでした。

 老年期の糸子をやるという意味が、週を追うごとにこちらの胸に迫ってきます。

 もはや、夏木マリサンの演技をどうこう論じること自体が、辛気臭いと思える。

 このドラマは、尾野真千子サンの表現力によって異世界へと高く高く飛翔したのちに、再び脚本家、渡辺あやサンのもとへと舞い戻ってきた印象がしました。

 と同時に感じたのは、今週のこのドラマは、「辛気臭い世の中」 に対する、渡辺あやサンの挑戦状だったのではないか、という点であります。

 今週中盤、個人情報による壁に、糸子は直面することになります。
 以前だったら何の問題もなく、旧友(奈津)の住所くらい聞けたのに、それが出来ない。
 そして、病院でのファッションショーに患者を加える、ということについて問題視する婦長の壁にも、糸子は直面する。
 この婦長の意見というのは、現代ますます顕著な形となって人間社会に根付きつつある 「常識」 に変貌しています。 今週のドラマの舞台だった、今から10年ばかり前のころよりもまた一段と。

 いわく、病人をそんな場に駆り出すとは、なんと非常識なのか。
 何かあったら責任が取れるのか。

 以前の社会は、確かに人にとってけっしてやさしい世の中ではありませんでした。
 今じゃ放送できないような言葉で人は人をけなしていたりした。
 確かにがさつで、弱い者にとっては生きづらい世の中でした。
 それが人にやさしい世の中に変化していったのは、やはり 「いじめ」 という問題が大きくクローズアップされたがため。
 人々は弱者に対するいたわりの気持ちを大切にしようと、社会で行なわれるさまざまなハラスメントに対して、「NO」 を突きつけ始めたのです。

 しかしその結果、社会はどこかで、過保護な反応ばかりする、神経質な世界になってしまったのではないか。

 今週のこのドラマに批判的な反応をする人々に対する、これは渡辺あやサンの強烈な一撃である。
 私にはそう思えるのです。

 たとえば今週、末期がん患者の女性(中村優子サン)がこのドラマには出てきます。
 その人に対して糸子は面と向かって 「末期がん」 と何度も口にする。
 これに対して、ある種の視聴者は、「無神経にそんなことを言っていいのか」 と過剰反応をする。
 しかしこれは、本人に告知がなされているかなされていないか、ということが、とても大事な前提となっているように思われるのです。

 今週のドラマを見ている限り、本人がそれを知っていることを言い出すまで、その事実は明らかにされてなかった気がします。
 婦長さんが糸子に 「この患者は末期がん」 と告げた時も、それを本人が知っているかどうかは伏せられていた。 私もここは見ていて、ハテナと感じました。 個人情報があるから奈津の住所は教えられない、と話していた婦長が、軽々しく患者の個人情報を教えているではないか、と。

 それはでも、ドラマとしての不備なのか。
 違うと思います。

 個人情報を頑なに守り続けている婦長が言うことなのだから、もう本人には告知してある、と視聴者が判断しなければならないのです。

 そんな器用なことができるか、と思ってしまいがちですが、実は私のように、「ハテ?婦長はなんで患者の重要情報を軽々しく部外者の糸子に教えているのか?」 と感じてしまうこと自体、自分も現代人の過剰反応に毒されている証拠だ、と感じるのです。

 これが10年前、15年前だったら、私はたぶん、そんなことをまったく気にしないで、このドラマを見ることが出来たと感じる。

 人にとって優しい社会、であったほうがいいに決まってます、何事も。

 でもそのことで、がさつに生きてきた昔の人々の心を否定したり、拒絶したりすることは、間違っている。
 昔は今よりずっと人にとって優しくない社会だったかもしれないが、みんなそれに揉まれて強くなった。
 人にやさしくすることが、人の心を却って弱々しくしてはいないか。

 たった10年程度の昔の話なのに、このドラマは確実にそこを突いてきている、と私は感じるのです。

 そのメッセージ性は、主役がオノマチサンではなく夏木マリサンだからこそ、却ってストレートにこちらが感じることができる。 さすがに88歳の女性をオノマチサンが演じることには無理がある、と思いますが、もし夏木サンがしていた特殊メイクでオノマチサンが88歳の糸子を演じたとしたら、彼女のパーソナルな表現力が前面に出てしまって、作り手のメッセージは却って埋もれてしまったかもしれない。

 そしてそのうえで、今週のこのドラマは、今際の際まで自分がいかにして生きねばならないか、を押しつけがましくなく、そして感動的に語っていくのです。






 月曜放送分。

 平成13年(2001年)7月。
 このドラマ、結局阪神淡路大震災を取り上げませんでしたね。 意図的だったのかな。

 すっかり糸子(88歳)のやり手のマネージャーとなったピンクの電話の都子チャンが、ずけずけと何もかも取り仕切っています。 都子チャンの殺し文句は、「ぜ~んぶ先生が入れた仕事なんですからね」(笑)。 そのセリフの通り、88歳になるというのに、糸子は自分の人生でかつてないほどの忙しさに見舞われています。 講演会、インタビュー、オペラ鑑賞、果ては相撲観戦。

 「年取るんも、85くらいまでは嫌やったけど、それ越えたら、なんや、そんなんものうなってしもてなあ(笑)。
 それよりなんにしろ、死んでしもたら出来んこっちゃろ? 今まで興味なかったことでもとりあえずやっとかな思うし、一生懸命やるやんか、ほしたら楽しいでなあ(笑)。
 ほんで何でもかんでも手ぇ出すさかい、今度は忙しいて、死ぬヒマもなくなってしもてアーッハッハッハ」(笑) とインタビュアーに答える夏木糸子、首のあたりに特殊メイクが入ってます(笑)。 人間、首筋にいちばん老いが見える、と申しますからね。

 そんな糸子、膝とヘルペスの治療のため、岸和田中央病院に通っています。
 「じっとしてたら痛みが忘れられへんさかい、ついなんやかんやしてしまうんです」 と、同じセリフを担当医師に言い続けてます(笑)。
 これ、なんかネタみたいになってましたけど、このたびぎっくり腰をしてしまった自分にはよ~お分かります(笑)。 仕事をしている時って、結構シャンとするもんなんですよね。 で、仕事が終わったら、またジイサマみたいな歩き方してる(爆)。

 病院での待合フロアで、糸子はそこの事務長である香川(蟷螂襲サン)に話しかけられます。
 そして無理やり引っ張り込まれた院長室で、イケメンと評判の院長龍村(辰巳琢郎サン)と共に、病院で行なわれる患者向けのイベントで、ファッションショーをしてもらえないかと依頼を受けるのです。 なんでも香川の母親が、昔オハラ洋装店でやっていたファッションショーの客だったらしい。 そして子供時代の香川は、「女っちゅうのはよっぽどこういうのが好きなんやな」 と思ったというのです。

 実は今週のこの話が持ち上がったとき、私も 「なんや病人たちのファッションショーかいな」 と、なんかありがちなストーリーに、ちょっと興味がわかなかったんですよ。

 けれども、男の自分には分からないのですが、女性たちにとってファッションショー、というのは、「きれいに見られたい自分、きれいに見せたい自分」 の大いなる啓発の場、なんですね。
 昨今では美人コンテスト、というものの存在自体を否定する向きも一部である。
 女性をランク付けして一等賞を決めるなんてどういう了見か、というわけですね。
 だけど、自分をほかの人よりもよく見せたい、というのは、女性の根源的な欲求なのではないか、と私は思うのです。
 香川事務長のこの発言は、私にそのことをあらためて気付かせてくれました。 それで、「ただのファッションショーか」 という思いが、だいぶ払拭されたといってよい。

 院長と事務長のたっての願いは、多忙な糸子を気遣っての恐る恐るの依頼でしたが、糸子はいともあっさりとそれを受諾。 だから仕事が増えるっちゅーねん(笑)。
 開催日は3カ月後の10月。 急やな。 だから仕事が増えるっちゅーねん(笑)。

 そしてその場で、糸子は龍村院長から、幼なじみの奈津がこの病院に入院していることを聞き及びます。
 少なからずショックを受ける糸子。
 なにしろ自分も88歳、同級生の奈津もその年齢のはずです。
 88歳で互いに生きている身であることは、実に驚愕すべき話なのではないでしょうか。

 杖をつきつき、奈津の病室を訪ねる糸子。
 4人部屋の表札に 「桜井奈津」 とあります。
 4人部屋、ということは、「奈津を幸せにする」 と意気込んでいたラサール石井サンがパッとしなかったことを推測させる。 そして名字が桜井、ということは、まだふたりは夫婦なのだろう、という推測を生じさせます。

 糸子もそんな憶測が頭の中をめぐっているような複雑な表情で、病室をのぞきます。
 逆光の中でひとり凛とした姿勢で本を読んでいる女性。
 老いてはいますが、紛れもなく、あの気位の高い、奈津(江波杏子サン)です。

 糸子の視線に気付いたのか、奈津は顔を上げます。
 そして糸子を一瞥。 ぶっきらぼうに一言。

 「なんや。 …なんか用け」。

 うーん。

 江波杏子サン。

 すごすぎるぞ。 いっぺんで奈津だと分かる。





 火曜日放送分。

 談話室で糸子は、奈津から 「あれから」 のことを聞いています。
 結局旦那と共に越した四国で旦那と死に別れ、10年ほど前に岸和田に帰ってきたと。
 ということは、いまだに 「桜井」 の姓を名乗っているのは、結局やはり、旦那に死ぬまで愛されたんだろうな、ということは伝わってきます。
 四国の広い家を掃除するのが嫌になった、と話していましたが、やはり旦那が死んでからは、いろいろとあったんだろうな、と。
 栗山千明サンが演じていた頃の奈津は、玉枝の奪還作業ののちに安岡の美容室に勤め出してからは、結構殊勝な物腰になっていた、と思うのですが、それも旦那が死んでからの苦労で生来の性格が戻ってきてしまった、と推測すべきところでしょうか。
 確か旦那と結婚した時、奈津は30を超えていたと思います。
 当時は30超えると高齢出産だったのかな、分かりませんけど、結局子供も授からなかったみたいです(このあと糸子が 「身寄りもない」 としゃべってましたね)。
 子供がなかったから、旦那が亡くなって肩身が狭くなった、ということも考えられる。

 奈津の気位の高い性格が戻っている、というのには、メディアに露出する機会が多くなっていた糸子に対する、ちょっとした対抗心が隠されている、という推測も成り立ちます。 いきなり糸子に向かって 「なんか用け?」 と突っかかったのも、年老いた糸子の顔を既に雑誌とかでよう知っていたからではないか、という推測を、このあと糸子もしてましたし。
 いずれにしても必要最小限のことしか見せないこのドラマの、「裏を読ませる」 という真骨頂を久々に感じるのです。

 「なんで連絡せえへんねん?」 と詰問する糸子に、「へっ、なんで連絡せなあかんねん」 と毒づく奈津。 「ほな、いま、ひとりで暮らしてんけ?」「まあな」。 やはり子供はいないのでしょう。 「どこが悪いんよ? なあ? なんで入院してんよ?」「関係ないやろ」。 相変わらずのとりつく島のなさです。

 「あんた、変わらんなあ」。 糸子は思わず、席を蹴ってしまいます。 「ふんっ! こっちのセリフや!」。
 そんな糸子の後ろ姿を、懐かしげに眺める奈津。

 商店街を帰ってくる糸子。
 バブルがはじけたあとの岸和田商店街の様子をつぶさに描写していきます。
 金券ショップもあっさりと潰れたのですが、そこの兄ちゃん、篠山真(中山卓也サン)はオハラ洋装店の従業員になっていました。
 真は景気の悪い話を事務的にしてくるのですが、それと同時に、糸子が始めたシルバー世代へのプレタも参入者続出による競争で芳しくないことが明かされます。

 「(いつまでたっても、いくつんなっても、商売ちゅうんは、甘ないもんです…)」。

 そして毎朝新聞からの取材で、男やもめと食事をする会が、88人にも膨れ上がっていることも分かります。 毎朝新聞て、モックンのいた新聞社かいな(告知 : 「運命の人」、随時視聴中、そのうちレビューを書きたい予定…ハハ…)。
 若いころはサルやらブタやらエライ言われようやった、と述懐する糸子、「あいつにこの写真(糸子が中心になって大勢の男たちと写っている記念写真)見せたれんもんかいな」 と悔しがるのですが、奈津のことでしょうかね。

 そして寝床で、幼い日、若き日の奈津を思い出す糸子。 散々悪態をつきまくっていた奈津ばかりが思い出されます(笑)。

 「(ほんでも、生きてるうちに、お互いまだ、ボケもせんと、会えたんやさかい…奇跡やでなぁ…)」。

 ひとり考える糸子ですが、「奇跡」 という今週の副題、実はこの、糸子と奈津との再会だけではありませんでした。

 別の日、奈津の病室をうれしそうにのぞく糸子。 奈津がそれに気付くと、「あ~忙し忙し」 と、憎まれを聞いて立ち去る。 さりげなくいい場面だった気がします。

 龍村院長から、糸子は看護婦長の相川(山田スミ子サン)を紹介されます。
 この総婦長、糸子とファッションショーにかける意気込みについて最初から齟齬を見せるのですが、総婦長が色をなした糸子の意気込み、というのは、ファッションモデルに患者も加えさせてもらいたい、というものでした。
 妙な雰囲気に、院長の龍村はそそくさとその場を離れます(笑)。
 総婦長は香川事務長に、糸子の目の前でこれ見よがしにヒソヒソ話(笑)。 「事件は現場で起きてるんだ」、じゃなかった(笑)、「現場に全部しわ寄せがくる」 とか(ようありますなァ、そんなことはどの世界でも)。

 そして相川総婦長は言下に糸子の提案を拒絶。 「患者さんに妙なことをさせて、もしものことがあったら困りますよって。 それは無理です。 お断りします」

 糸子はこう反論します。

 「お宅らは、医療の力を信じて、毎日仕事してはるやろ?

 うちは、洋服の力を信じて、仕事してきましたんや。

 洋服には、ものすごい力があるんですわ。
 ほんまにええ服には、人を慰めることも、勇気づけることも、元気づけることもでける。

 うちは、自分の洋服で、お宅らの力になりたいだけや。

 患者さんに、ええ服を着て、ライト浴びて歩いて欲しい。
 それを、ほかの患者さんらに見て欲しい。

 医療とは、なんの関係もないと思うかもしれへん。
 けど、ほんなことが、人に与える力を、うちはよ~お知ってるんです。

 半分、いや3分の1でも、いやひとりでもええわ。

 希望する患者さんを、参加させちゃあってください。 この通りや」

 このことについては冒頭でお話ししました。
 確かに患者にファッションモデルをやらせる、というのは、見方によっては無謀な提案です。
 たとえ健常者であったとしても、自分がいくらやりたいと思っても、そういう場に出るということで心臓に荷重がかかることは想像に難くない。 しかし。
 「何かがあってからでは困る」、というのは、正しい危機管理意識なのですが、それがいっぽうで 「事なかれ主義」 を併発する。
 人間は、いついかなる時でも、リスクと向き合いながら生きている、と私は考えるのです。
 ぎっくり腰が怖くて仕事なんかようでけん、ちゅうことです(それとこれとは話が…い~や同じだ…笑)。
 出たい、という意志があるならば、それは紛れもなく自分の意志なのであり、他人がとやかく言うことじゃない。
 自分の意志でやることは、自分が責任を負うべきだ。
 何か問題があったから他人のせいにするなんて、いさぎ悪すぎる。

 この糸子の、総婦長への説得の言葉は、実はこのあと、補足がついてきます。
 またそれが、深いんだなァ。





 水曜放送分。

 そうめんをすすりながら、相川総婦長のこわもてぶりを話題にしているオハラ洋装店の人々。 すっかりズケズケものを言う女になってしまったピンクの電話に比べて、図体のでかい浩二が、16年前?よりもかなり小心者に拍車がかかってしまった印象があります。 今週の彼のセリフ、ほとんど聞き取れなかった。

 例によって奈津の病室をのぞき込む糸子。 診察中なのか、奈津がいないことに、いたくがっかりしてその場を離れます。
 考えてみれば、糸子が 「患者も参加させて」 と言い出したのには、奈津にそのファッションショーに参加させて元気づけさせよう、という狙いがあったからですが、憎まれ口を叩きながらのその行動は、心を再び閉ざし気味になってしまったように思える奈津に対する、大きなデモンストレーションのようにも思えます。

 その奈津、待合ロビーで患者の参加を呼び掛けるファッションショーのビラを眺めています。
 点滴を持ったまま歩く奈津。 それを糸子が目ざとく見つけ、杖をつきながら追い抜いていく。 奈津も負けていません(笑)。 ふたりは小競り合いをしながら、病院の廊下を歩いていきます(笑)。 いきなりストップして満面の笑みになる奈津。 急ブレーキをかけた奈津に、糸子は激突してしまいます(ハハ…)。 その視線の先には、龍村院長(笑)。
 そう言えば龍村院長は、結構なイケメン(笑)。 奈津が面食いなのは、泰蔵の昔から、変わらんっちゅうことでした(笑)。 知らぬは龍村ばかりなり(笑)。

 そして龍村に引率されてやってきた院長室で、事務長と総婦長との打ち合わせ。 モデル希望の患者たちのうち、病状が重い患者を優先させようとする糸子に、相川総婦長は色をなして反駁します。 糸子はそれに対して笑みていわく。

 「せやけど、考えてみてください。

 病気の重い人らが、10月のショーに出てみたいと、夢を今持った。

 その夢を、病気が重いからちゅう理由で、奪う。

 そら…ひどないか?」

 総婦長それに答えていわく。

 「いや…ひどいやらひどないやら…そんなことうちらが論ずべきことやありません。
 病院は、患者さんが治療に専念する場所です。
 我々の仕事は、その環境を守ることです。
 我々が、責任を放棄せなあかんようなイベントなんてできません」

 糸子は総婦長の責任感を受け止めます。 「せらせや…」。

 糸子の考えたことは、重度の症状の人ほど、苦しみが深い。 苦しみが深いからこそ、自分が輝きたい、という気持ちは強いであろう、という判断からだった、と思います。
 でもそれが出来ないのが、現代。
 患者の体は患者だけのもんやない、という考え方もあるでしょう。
 家族のなかでも意見が分かれるべき性格のことに対して、安易に結論が出せない。
 軽々しい気持ちなのか、かなりの覚悟からきているのか。
 その人ひとりの判断の高低の問題もあります。

 ただ、そんなふうに、ものごとを難しく考えすぎなのではないか、という気も、いっぽうではします。
 人の生死に関して、重々しく考えすぎなのではないか、と。

 重々しく考えることが間違っているとは申しません。
 人ひとりの生死なのですから。

 でも、行くも戻るも出来なくなってしまうほど重苦しく考えすぎてしまう、というのも、違う気がする。

 患者の参加者は、結局軽い症状の人たちだけになります。 糸子は参加希望者の中に奈津の名前がなかったことに、納得しながらもちょっとがっかりします。 それでも一縷の可能性を信じたのか、糸子は自分と奈津とがお揃いの紅白のドレスを着てステージに立つ夢を見ます。 奈津は白。 糸子は赤。 糸子にはそのときの観客の拍手が聞こえている。

 たぶんその可能性は、とても低い。
 でも夢見ることで、日々は明るくなっていくものです。
 この発想は、とても学ぶべきものが多い気がいたします。

 「揃いの、赤と白…。 正月のあの漫才師みたいな感じですか?」 浩二の言葉に、糸子は妄想を打ち砕かれたような怪訝な顔をします(笑)。 いくよくるよかぁ?(笑)

 それにしても、糸子にはいつも 「赤」 のイメージが付きまとっていたのですが、それに対して奈津は、「白」、だったんですねー。 ふたりの花嫁衣装がやはり赤と白でしたしね(糸子は大遅刻で、結局奈津の白い花嫁衣装を借りたんでしたっけ)。

 「(また、鼻で笑うやろか…。
 せやけど、長い長い腐れ縁の果てに…ほんなことがあったかて、ええやないか…)」

 糸子はデザイン画に色を入れながら、また同じ妄想を呼び戻すのです。

 88くらいになると、もう糸子のまわりに同年輩の人間が、よう出てきません。
 奈津が桜井のところに嫁に行ってからというもの、奈津の代役を務めたのは、北村だったのではないでしょうか。
 その北村もあの世に逝ってしまい、糸子にとって生きる張りというものは、北村の写真に向かって毒づくくらいしかなかった気がする。
 互いに意地を張れる存在がいる、ということ。
 その貴重さ、その大切さを噛みしめているからこそ、糸子は可能性のとても低い妄想に、自分を遊ばせたがると思うのです。

 8月。 モデル希望者との顔合わせです。
 糸子は彼女らに、「今日からとにかく、美しくなってもらいたい」、という要望を出します。
 難しそうだと苦笑し合うモデルたちに、糸子は言います。

 「そらそうです。 このショーは、みなさんがキラキラ輝いてはじめて初めて、見る価値が出るんです。
 絶対、自分は輝くんやと信じて、努力してください。
 自分が輝くことが、人に与える力を、信じてください」

 輝く力。
 自分が輝こうとする力。

 ファッションショーは、そんな 「女性たち」 の、内面的な希求を実現するための場なのだ、ということが、とても分かるセリフです。

 その場に居合わせた、ひとりの気色の変わった女性。
 ニット帽をかぶり、参加者ではないように見えます。

 この女性。

 ニット帽をかぶっているその姿は、同じ渡辺あやサン脚本のドラマ 「火の魚」 を見た人ならば気付くと思うのですが、末期がんの患者を演じた尾野真千子サンの、最後のシーンでの姿と、かなりダブるんですよ。

 おそらくこれって、渡辺あやサンなりの、尾野サンへの感謝の表わしかただ、と感じたんですね、私には。
 まあここで尾野サンを出すわけにもいかなかった。
 だからと言ってはなんですが、同じカテゴリに属すと思われる、中村優子サンをこの末期がん患者に仕立て上げたのではなかろうか、と。
 なにしろ尾野サンも中村サンも、河瀬直美監督が絡んでいる。 ついでに言えば、河瀬直美監督作品で、心斎橋百貨店の支配人だった國村準サンと、オノマチサンは共演してます(全部ウィキ頼りの考察であります…笑)。

 そしてこの中村サン、このあと尾野サンに勝るとも劣らぬ演技力を、発揮していくのであります。

 顔合わせから採寸が終わり、奈津とのツーショットのデザイン画をうれしそうに眺め続ける糸子は、いそいそと奈津のいる病室に向かいます。 ダメもとで、ショーに出ることを打診しようとしたと思われます。

 ところが。

 奈津のベッドは、もぬけの殻。 表札も外されている。

 糸子の顔から、さっと血の気が引いていきます。

 デザイン画が、糸子の手から、はらりとこぼれ落ちていきます。

 外された表札を、すがりつくようにして見る糸子。 動悸が激しくなっていきます。

 西日が糸子を、まぶしく照らしていく。





 木曜放送分。

 通りがかった看護婦に、奈津のことを慌てて尋ねる糸子。

 無事でした。

 奈津はおととい、退院していたのです。

 「はぁぁ…。 よかったぁぁ…。 …もう、死んだかと思た!」

 生きた心地がしなかった、という表情の糸子。 笑っていいのやら悪いのやら…(笑)。

 それにしても気になるのは、退院してどこに奈津が行ったのか、ということです。
 真が 「孤独死」 なんて口走ったものだから、糸子は居ても立ってもいられなくなるのですが(笑)、浩二が病院に問い合わせる、ということでいったんその場は収まります。

 しかし。

 「個人情報だから」 という理由で、奈津の住所を浩二は聞き出すことができません。
 個人情報保護法というのは、これもウィキ頼みですが、この2年後に施行されてます。 だからこのドラマの話は時期尚早かとも考えられるのですが、法律の施行前から、その機運はかなり高まっていた記憶がある。 なんかいろいろ問題が起きてた気がしますよね。

 糸子は龍村院長に頼んでなんとか聞き出せそうになるのですが、そこに出てきたのが総婦長。 龍村院長はあっちゅー間にその場から逃げ出して、物陰からそれを眺めます(笑)。

 「あたりまえですっ!」
 「なんでや?! 教えてくれてもええやろっ! ケチっ!」

 ハハ…。 そらケチですわなァ(笑)。

 「なんとでもゆうてくださいっ! アカンもんはあきませんっ!」

 「怖ぁ…」 物陰で戦々恐々としている院長(笑)。 感心しとる場合かっ(爆)。

 「(なんや。 個人情報て。

 たかが奈津の住所が、小難しいもんになりよって。

 はぁぁ…。

 世の中なんでも小難しなって、さっぱり分からん)」

 待合ロビーで現世を憂う糸子の前を、ルーズソックスをはいた女子高生が通り過ぎていきます。

 「(あの靴下は、何をどないしたいんや?)」(笑)。

 離れた席に座ってケータイをいじくっている、ガングロヤマンバ風のへそ出しルックのギャル。 それを見て糸子は、ギョッとします(笑)。

 「(この子の服は、いったいなんてゆうてんや?)」(笑)。

 戦後の若者ファッションを俯瞰いたしまして(笑)いちばん突出して奇態だったと思われるのは、私もこのガングロヤマンバだったと感じます。 糸子でなくとも、「何をどないしたいんや?」 と思ってしまう。

 世の中が、あまりにも 「なんでもあり」 という方向に傾いてしまうと、「自分を見せたい」 という欲求がますます肥大化していく、と感じます。 そしてそれは 「美」 という観点を大きく離れ、ただ目立ちたがりのゴクラクチョウみたいな方向に行かざるを得ない。

 それはカンチガイの上に植え付けられた 「単なる無秩序としての自由」 の行きついた先であり、思想などはもとより存在せず、だらしなさの発露にすぎない。

 個人情報規制の機運をこれと同列に論じることは間違っているかもしれないが、「なんでもあり」 という精神構造が、従来人道的な自制によって制御され続けてきた個人情報の取り扱いを、とりとめのない悪用化の方向へと導いていく、というからくりにおいて、その性格は類似しているように感じられてなりません(いきなり難解な文章になってきたぞ)。

 まあ要するに、「なんでもあり」 という考えが、人々に個人情報もいくらでも悪用しようとさせるし、ギャルどもにただ奇異にしか映らないファッションに走らせるし、ということであります。 それを同等に論じようとしているこのドラマは、やはり凄いと思われるのです。

 そしてその、崩壊し尽くしてしまったように思われる秩序の中で、だんじり祭りだけは、糸子に深い安心感を与える契機となっている。
 だんじりだけはどんな世になっても変わることがない。
 この精神的支柱さえしっかりしておれば、どないに商店街がさびれゆこうとも、人心が荒廃しようとも、「ゴロっと熱い」 情熱を糸子は感じることができるのです。

 けれども祭りに集まる人々の顔触れは、やはり変わっていきます。
 なんか、アラーキーみたいな人がいた気がしたけど…?(笑)、ジョニーや白川ナナコはまだまだ健在。 アホボンたちもそれなりに成長しているようです。 三姉妹もずいぶんと、今のイメージに近くなってまいりましたね。 里香とチェッカーズ君は、結局別々の家庭を持ってしまったようです。
 ひい孫たちに囲まれながら、糸子はその親である理恵などの孫に気遣われる描写があるのですが、それはこのあとの布石となっていきます。

 ファッションショーの打ち合わせが続くなか、相川総婦長は患者たちが生き生きとしていく姿を見て、最初の 「まあ適当に楽しませていただく」、という考えを、ちょっと修正しつつあるような様子を見せていきます。
 糸子は糸子で、奈津とのツーショットのデザイン画をまだ後生大事に帯同して、その低い可能性に賭けつつ、楽しそうに参加者たちの個性を引き出す作業に没頭しています。
 そしてそれを楽しげに眺めるだけの、ニット帽の女性。





 金曜放送分。

 直子のつてでやってきたと思われる、ちょっとゲイっぽい振りつけ担当のオニーサンの厳しい指導に、「患者さんにストレスを与えないでください」 と総婦長は声を荒げるのですが、糸子はぴしゃりとそれをたしなめます。 それはまさに湯婆婆そのもの(笑)。

 「総婦長! 歩きかたはショーの基本や!

 歩きかたがおかしかったら、恥かくんは本人なんや」

 ショーの練習の会合が終わったあと、看護婦に付き添われてひとり退出する、ニット帽の女性。 糸子はそれを一瞥します。
 入れ替わりで入ってきた総婦長。 モデルをひとり、追加してほしいと言います。 それがあの、ニット帽の女性です。 吉沢加奈子。 末期のがん患者だ、ということを、総婦長は糸子に告げます。

 この部分で私が感じたことは、冒頭に申し上げました。 ちょっと気を抜くと、「個人情報教えてもええんかいな」、と思ってしまう場面です。
 ここでの総婦長と糸子のやり取りは、ちょっと興味惹かれます。

 「せやけど、ここだけの話…。

 そないゆうてる今の医学かて、なんぼのもんかは知りません」

 「はぁ?」 思わず訊き返す糸子。

 「いや、正直、知れてます。

 ま、もちろん、毎日現場に立って、その場その場で、やれるだけのことはやってはいます。

 けど、やればやるほど、つくづく、『知れてんな』 と思いますわ。

 そもそも、人間の病気には、ほんまに医学しかないんか。

 ま、とりあえず、ないことにして、うちらは必死で、患者を治療に専念させてるわけですけど、ほんまのところは、どうか知りません。

 医学のほかにかて、もしかしたら、あるんかも知れん。

 ま、ないかも知れませんけど」

 医学の無力さを嘆く総婦長に、糸子はこう返すのです。

 「まぁ…。 服かて知れてます。

 力を信じたいし、信じてる。

 けど、おっしゃる通り、やればやるほど、知れてるっちゅうことは、毎度突き付けられます。

 ほんでも…。

 ご縁をもろたんや。

 …おおきに」

 「…よろしく、お願いします…」

 いくら必死になっても必死になっても、その限界というものは、だからこそ却って明確に、見えてくる。
 逆の立場で言えば、ひと様からなにがしか、勇気をもらった、と言っても、それで励まされた、と言っても、その感動って一瞬である場合が多い。 明日の朝にはケロッと忘れてたりする。
 でもだから、人のために何かをしてあげる行為、というものが、無意味なのか。
 そうじゃないですよね。
 肝心なのは、それが継続される、ということなんじゃないでしょうか。
 人によっては、ある人との出会いが、たとえただの一度だけだと言っても、とてもその人の人生に大きな影響を及ぼすことがある。
 でもそれは、かなり相性が良かったり、電流が流れるような衝撃的なことだったりする場合なわけで。
 そんなケースはまれですから、たいていの場合は、人を元気づける行為、人を励ます行為、というのは、継続して初めて意味を持ってくるものだ、と思うのです。
 ここでの総婦長と糸子のやり取りは、そんな無力感とそれに対抗する決意を端的に描写していて、秀逸でした。

 そして加奈子と初めて話をする場を、糸子は持ちます。

 「お宅、いっつもデイルームの隅っこに座って、見てたやろ?」

 「はい…」

 「さすがの総婦長さんも、ほだされたらしいで。 特別にひとり、入れてくださいちゅわれてな」

 「…うれしい…」

 「ほんなに、出たかったん?」

 「…はい…」

 「なんで?」

 「はい…。 あの…。 子供が2人、いてるんです。
 その子らに見せちゃりたいと思たんです。

 私は、病気になってしもてから、自分の、哀れな姿しか、あの子らに見せちゃれてないんです。

 こない痩せてしもて、髪も無くなってしもた。

 もちろん私もつらいです。

 でも…」

 加奈子はそこまでしゃべると、急にこみ上げてきます。

 「母親が…。

 母親が、そないなっていくのを見てる、…あの子らの気持ちを思たら、たまらへんのです…。

 主人に連れられて…病室に入ってくる時の…いっつも…、おびえるような顔が、…かわいそうで…つらあて…。

 …幸せにしちゃりたいのに…。

 …悲しませることしか出けへんで…」

 嗚咽を続ける加奈子。 声が詰まってしまいます。

 その肩を抱きかかえる糸子。 寄りかかる加奈子の肩を優しくさすります。 号泣する加奈子。

 「…よしよし。 …よう分かった。

 よう分かった…。

 よっしゃ!

 ほな、今度はうちの話しよか…」

 うなづく加奈子。

 「うちは、今、88や。

 あんた、そら、88歳も、たいがいなもんなんやで!(笑)

 …体はあちこち弱るしなぁ…。

 杖ないと、歩けんし。

 いつ死んだかてもう、おかしない年やよって、いつ会うても娘らの顔には、まず、『心配。大丈夫なんか、お母ちゃん?』 て書いちゃある。

 ほんでもなあ。

 85、越えたあたりかいな。

 ごっついええこと、気付いたんや。

 教えちゃろか?」

 いたずらっぽく加奈子をのぞき込む糸子。 うなづく加奈子。

 「年取るっちゅうことはな、奇跡を見せる資格がつく、っちゅうことなんや」

 「…奇跡?」

 「そうや。 たとえば、若い子ぉらが元気に走り回ってたかて、なぁんもびっくりせえへんけど、100歳が走り回ってたら、こら、ほんなけで奇跡やろ?

 うちもな、88なっていまだに、仕事も遊びも、やりたい放題や。

 好き勝手やってるだけやのに、人がえらい喜ぶんや。

 老いることが、怖い人間なんていてへん。

 年取ったら、ヨボヨボなって、病気なって、孤独になる。

 けど、そのうちももう、大したことせんでも、ウナギ食べたり、酒飲んだりするだけで、人の役に立てるんや、ええ立場やろ? フフフ…。

 …

 ほんでな。

 あんたかて、そうなんやで」

 驚いた表情の加奈子。

 「え?」

 「笑うてみ。 ニィ~ッって」

 加奈子はぎこちなく、そしてしっかりと笑い顔を作っていきます。

 「ほれ! そんでもう、奇跡や!

 末期がん患者が、笑たんや。

 みんな、末期がんなんかになったら、もう二度と笑われへん思てんのに。

 あんたが笑うだけで、ごっつい奇跡を、人に見せられる。

 あんたが、ピッカピカに、おしゃれして、ステージを、幸せそうに歩く。

 それだけで、どんなけの人を、勇気づけられるか。 希望を与えられるか」

 加奈子は糸子の言葉に、泣きそうな表情になっていきます。

 「今、自分が、そういう資格、…いや、こらもう、役目やな。 役目を持ってるっちゅうことを、よーう、考えてみ」

 「はい…」

 「あんたの出番は、トリや。

 髪は、このごろ、ウィッグのええのんがなんぼでもあるよって、また相談しよう。

 …あんたが、奇跡に、なるんやで…!」

 糸子は、残り少ない人生を、絶望を振り切りながら生きている自分を、目の前の加奈子に投影させながら、そのつらさを同苦したように、声を振り絞って加奈子を励ますのです。

 あ~もう、泣けました。 参ったなぁ。

 泣けるんだけれども、ただいたずらに感傷的じゃないんだなぁ。
 これは迫りくる死への、挑戦状なんですよ。
 加奈子にとってもそうなのですが、これって88歳の糸子にとってもかなりの切実な問題だからであり。
 88年も生きたら、もうあとはい~や、というのも確かにあるかもしれません。
 でも、いかに長く生きようとも、いかに人生が短くとも、死に臨んで、気持ちが後ろ向きになることだけは、なんとしても避けたい。

 笑おう。 人生の最後まで。

 輝こう。 人生を終えるそのときまで。

 そんな前向きな決意が、私を泣かせるのです。





 土曜日放送分。

 ファッションショー当日。

 加奈子の病室をのぞきこんだ、加奈子の夫と、ふたりの小さな息子たち。 加奈子が話していたように、子供たちの表情は、おびえたように暗い。
 けれどもその日、加奈子は糸子に教わった、満面の笑みで子供たちをベッドから迎えるのです。
 「おはよ!」
 子供たちは安心したように、自分の母親に駆け寄ります。 「ママ!今日頑張ってな」「頑張ってな!」
 「うん! 見ててーママ、メッチャきれいになるから!」
 うれしそうにそれを見守る夫。

 ショーのディレクター的な役割をしているのは、里香です。 里香の案内で、糸子は美人に生まれ変わった参加者たちに、感嘆の声を上げます。 「へぇ~みんな、上手いこと化けたな!」。

 そしてショーに臨む参加者たちを前に、糸子は語りかけます。

 「ごっついべっぴんがようさん仕上がりました。 あとはよろしいか、みなさん。 胸を張って。 今、ホールに続々と集まってきてるお客さんらは、何を見に来てるか分かりますか?

 『幸せ』 です。

 女が、きれいにして、おしゃれして、楽しそうに歩く。
 その幸せを見に来てるんです。

 見る人に、幸せを分け与えよう思たら、まず自分が、いちばん幸せな気持ちで歩かなあきません――」

 このアドバイスは、糸子が初めて洋服を着て、岸和田の街を歩いたときに、根岸先生に教わったことを踏襲している気がします。

 「糸子さん!

 私はいま、あなたにいちばん大切なことを教えてるの!

 …堂々としなさい。

 洋服を着て、胸を張って歩くということを、あなたの使命だと思いなさい」

 …もう、思い出せないほどの、遠い昔の出来事です。

 糸子は、堂々と自分を見せることを第一に、各参加者たちにアドバイスしていきますが、最後にボブヘアのウィッグをつけた加奈子のところへ来たとき、いきなり破顔一笑します。 思わず両手を口に当てて、泣きだしてしまいそうになる加奈子。 糸子はそれを、笑ってたしなめます。

 「…まだや…!

 …今からや。 まだ泣いたあかん!」

 スミマセン。 もうここで私は泣いてしまいました(笑)。

 糸子は花びらを敷きつめた籠を加奈子に手渡します。 「あんたは、このショーの大事なトリや。 ほかの子ぉらは、幸せ見せなあかんけど、あんたは、まだ一段、ごっついもんを見せる役目があるんやったな。 なんやった…?」

 「奇跡…」

 「せや!

 …あんたが、奇跡になるんや。

 ほんで、見てる人らに、奇跡を分けるんやで! …ええな?」

 「…はい…!」

 ショーが始まります。 BGMは、「銀座カンカン娘」 です。 このドラマを見ていた人なら即座に分かる、戦後オハラ洋装店のファッションショーで直子が芋けんぴをかじりながらレコードをかけていた、あの曲です。 小憎らしい演出だぁ…(泣)。
 ナレーターは、糸子が務めます。

 進行していくショー。

 おなかに子供がいる女性、ご主人を亡くされたばかりの女性。 いろんな人生を歩んできた女性が、晴れの日のスポットライトを浴びていきます。

 バックステージを見つめる糸子。 加奈子が満面の笑みで応えます。 ところが、ステージを食い入るように見つめている、加奈子のふたりの息子が目に入った途端、糸子はあふれ来る感情を抑えられなくなってしまう。
 ステージに笑顔をたたえて現れる加奈子。 けれども、ナレーターの声が、聞こえてきません。
 ざわつく客席。
 そんな時。

 糸子の様子に気付いた相川総婦長が、糸子のもとに駆け寄るのです。
 そしてマイクを持ち、ナレーターの代役を急きょ務めることになる。
 このショーの趣旨を完全に理解した総婦長の、とっさの機転です。

 『私は3か月前に、…(一瞬言い澱む総婦長)末期がんと診断されました。

 でも決めました。

 私は幸せになります。

 大好きなパパ。 大好きなみーちゃんゆーちゃん、優しい先生がた。 看護婦さんたち。 見ててね。

 私は今も、これからも、絶対に幸せです!』。

 涙を堪えながら、顔いっぱいの笑顔をふりまき続ける、加奈子。 その姿に、夫も、糸子も、感極まって泣いてしまいます。
 そして籠の中の花びらを、加奈子はその笑顔と一緒に、客席にふりまき続けます。
 人生が輝く瞬間。
 笑顔を与えることで、幸せを与えることで、その人自身の笑顔が光り輝いていく。 その人自身が幸せを享受していく。
 ステージにのぼる子供たち。
 子供たちを抱き寄せる加奈子。

 『ありがとうございます。 ありがとうございます。 皆さんにも、きっと奇跡が起こりますように!』。

 相川総婦長の言った言葉は、加奈子があらかじめ書いた原稿だったのでしょうか。 それとも総婦長が思わず口にしてしまった言葉だったのでしょうか。 それは判然としませんが、感動的なシーンを締めくくる言葉としては、最高のものだったと感じます。

 そしてそれを、遠くから見つめていた、ひとりの女性。

 それは、奈津でした。

 硬い表情のままだった奈津。 いったい何を思っていたのでしょうか。 おそらくそれは、次週、最終週へと持ち越される話になるように感じます。 ないかな?

 帰ろうとする奈津を、龍村院長が呼び止めます。 「ハーブティでもいかがですか?」。 思えば今週のキーアイテムは、ハーブティでしたなぁ。

 「(こら、天からのご褒美やろか…)」

 病院の廊下を、杖をつきながらだんじりのごとく突進していく糸子(笑)。 「待っとれ…!」 …って、果たし合いか?(爆) 糸子は、奈津に再び会うことが出来たのです。

 2002年1月。 糸子のナレーションで、イヴサンローランが引退したことが告げられます。 なんや、もう10年も前の話やったかな。 ついこないだだったよーな気がしたが…。

 そこでの彼のスピーチは、このドラマと精神的に不思議と符合するものでした。

 「うぬぼれるようですが、私は昔から信じ続けてきました。 今も信じています。 ファッションは女性をきれいに見せるだけでなく、女性を安心させ、自信と、自分を表現する勇気を与えるものです」。

 思えば、ディオールの後継者として、糸子が常に隠れたライヴァルとして認識してきたこの男。

 彼もまた、立派なこのドラマの、役者のひとりであったと言えましょう。

 一度も会ったことのないこの男に 「お疲れさん」 と話しかけながら、献杯(?)をする糸子。
 「(うちは、もうちょい、頑張るよってな)」。

 その、「もうちょい」 が、近づいてきています。




 私を悶絶させ続けたこのドラマも、いよいよ次週が最終回。

 あと1週ですから、とりあえず頑張りますが、もうこういう大傑作は、ご勘弁願いたいものであります(爆)。 最後のひと月での失速感は否めませんが、それでもなお、朝ドラ最高傑作と私が考える 「ゲゲゲの女房」 を、この時点で凌駕しております。

 とは言うものの、「ゲゲゲ」 もよかったでよ(ハハ…)。 あのドラマは、最後まで揺るぎない王道だったけど、こっちのドラマは最後まで、危なっかしくもかなり挑発的な作りでした。 あっちが聖子チャンだとすると、こっちは明菜チャン。 視聴者を過激に挑発し続けたこのドラマ。 まったく、とんだドラマを、NHKは、渡辺あやサンは、作り上げたものです。

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コメント

 リウ様、お疲れさまです。お腰の具合はいかがですか。お大事になさってください。

 土曜日だけ「カーネーション」を見ました。朝ドラで通りすがりで見て、泣いてしまいました。

 「カーネーション」も最終週ですね。リウ様、お身体をお大事にしながら、レビューがんばっててください。座位は腰に負担をかけますので、背もたれのある椅子に深く座ってです。私は30分が限界ですけどね。とにかく、無理しないで、お大事になさってください。

投稿: ささ | 2012年3月25日 (日) 10時45分

リウ様、こんにちは。
ギックリ腰の予後は、如何な具合でしょうか? 自分も経験がありますので、その激痛お察し致します。

今週金・土のエピソード、眼前ダムを幾度と無く決壊させられました。カーネーション視聴者の号泣洪水警報、何%に達した事やら。

其れにしても、ヤフー感想欄のつれない事。「擦れっ枯らしに有らざれば、カーネーションファンに有らず」なのでしょうか?

投稿: M NOM | 2012年3月25日 (日) 13時14分

老いゆくものの怖れと、
病にあるものの怖れと、
違うようで似ているところがありますよね。

「カーネーション」には珍しく長台詞が多かった週のような気がします。加奈子と糸子の会話の部分、ちょっと違和感があったというか、展開が読めずにええ?と思いながら聞いていたのでもう一回聞いてやっと流れがわかる始末で

あのセリフの部分については結構異論を唱える方たちも多かったみたいですね。

要約してしまえば、
あなたの人生の長さと
私の人生の長さ
唐突に訪れる死の足音
それにはあまり変わりがなくて
だからこそあなたが、私が何かをすることで
きっと何かが起こる
それは、人からみたら奇跡のようなことなんだよ
っていうことんですけどね
わからない方にはわからない、というか、怒っちゃう方がいっぱいいたみたいで、まぁ、それはもうしょうがないかなーって思いましたが(^^;)

ガンを宣告されて死の恐怖にさらされることと
老齢で死を突きつけられながら生きることと
ぜんぜんちがうやん!って怒る気持ちはすごくよく分かります
私も親を二人(父と、義父)をガンと老齢で見送ってますから

でも実際は

どんな人にも死の恐怖って言うのは身近にあって
若かろうと
年を取っていようと
病気があろうと無かろうと
ホントはあまり変わりないんですよね・・・

糸子は常に「能動的」だったから、
動くことで巻き起こる物事って言うのをたくさん見てきているから
だからこそ、病気だから、老いたから「今が遅い」なんてことはないっていいきれるんですよね。

・・・でも若い人とかには、そのあたり、よく分からないですよね。たぶん。(笑)


ずーっと前段からかいているんですけれどねぇ、戦争のあたりとか(^^;)

渡辺あやさんは、公式ホームページの方で、何もかも流れのままかいた、というようなことをおっしゃっていましたが、予定調和のように物事が繋がっていく凄さは、やはり彼女の感性の凄さを物語っていますよね。
ファッションショーって、私も10年ほど前に、地元の男女共同参画センターのイベントでやったことがあるんですが、やっぱりものすごく盛り上がりました。楽しかったですよ。

先週、朝イチで、夏木マリさん(特殊メイクなし(爆))を拝見しました。このきれいな方が、あのよぼよぼの?(爆・・・失礼いたしました(^^;))と我が目を疑ってしまうくらい、もう全然別人でした。
あれを見たら、オノマチにもできるんじゃっておもったかたいたかもしれない。
でも私は、やっぱり夏木さんでよかったって思いました。女性の一代記を語るとき、やはり年取ってからのことって最重要だと思うのです。特に糸子のように夫のない方は。これからそういう人が増えるわけで、ひとりで老いを迎えることの恐ろしさに内心おびえている方は多い、と思うんですよ。
夏木さんは、もうそれを、肌で知っている。
だから、ああいう演技ができる。
正直、50代糸子の部分から、夏木さんでよかったんじゃないかって思いました。だってすごいおきれいなんですもん。

いろんな解がある、と思います。
糸子の生き方も一つの解。でも、こうやって生きてもいいんだ。このメッセージは、たくさんの人の心に明かりをともすものだと信じています。

あ、奈津。
江波さんって言うのはもう、声を上げて「ああ、奈津か!」と叫んでしまったくらいはまり役でしたね。私は、ファッションショーを見つめる奈津の目には、糸子のウエディングドレスを着た自分が重なって見えてなかったかなって、いや、そうであってほしいって思いながら見てました。彼女も、あのドレスを着て人生のターニングポイントを超えていった人なんですから・・・しかし、二人の再々会を見せてくれない、なんてイケズなドラマなのかしら。あ~腹立つ~~~(笑)

投稿: samantha | 2012年3月25日 (日) 20時00分

88歳。
3か月後の仕事を引き受けて、でも本音では仕上げることができるかどうか、
糸子自身が一番その危うさを知っているのでは、と思います。
その年になれば、毎夜寝る前に、明日も目が覚めるのだろうかと・・・・、思わないわけはない。

目覚めることが、「奇跡」なのだから。

寿命をまっとうすることと、がんで若くなくなることを一緒にするな、という意見の方がいらっしゃる、ということなのでしょうか。
それもまた難しい問題ですが、
目前にいつも「死」という影を感じつつ生きているという点では、同じなのでは。
・・・・というくくりも乱暴かもしれませんが。

生きるということの重み、死ぬということの重み。
両方を突き付けられた週でした。

>末期がん
という言葉への反応ですが、
日本人って、なんでもあいまいに、骨抜きにしてしまうことが好きですね。
>その立場の人を考えて
って、一見やさしげな主張ですが、でもクリエイトする立場からは、どうなんだろう。

欧米のドラマを見ていていると、
こんなん、取り上げていいテーマかな?
っていうようなすごいことを描いています。
本当は、精神病者や身体障碍者、差別の問題は、そこに「ある」のだから、その現実から目を背けるのは「やさしさ」なのかな、といつも疑問に思うんですよ。

いろんな意見があっていい。
それを自主規制してしまうことのほうが、恐ろしいと思います。

投稿: マーシー | 2012年3月25日 (日) 20時19分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

手術までされた方にご心配していただき、なんとも格好がつきませんが、とりあえず快方には向かっております。 過去のぎっくりもそうでしたが、だいたい1週間もすれば治るんですよね、私の場合。 ただ今回のは、「一撃」 という感じではなくて、徐々に徐々に来るタイプだったせいか、少々長引いております。

私の場合、正しい姿勢で座っていると結構痛みに耐えきれなくなるんですよ。 ですので今は、結構ルーズな格好でパソコンに向かっております。 楽~な方向にいっちゃうものですね。

投稿: リウ | 2012年3月26日 (月) 07時59分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

仕事を休むと利益に直結する、極零細企業の哀しさ、です。 AIJは他人事ではありませんbearing。 議員年金が欲しいですcoldsweats01

ヤフー感想欄、夏木糸子編になってから、平日に結構のぞいています。 それまで自分のレビューに差し障りがあるので書き終えるまでは見なかったのですが。

まあ、玉石混交、そしてかなり恣意的な情報操作があるので、それを見分ける目が必要ですね、あの感想欄はthink

投稿: リウ | 2012年3月26日 (月) 08時07分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

糸子と加奈子の会話について、そんな異論が噴出していたんですか。

私は見ていて、「ほな今度はうちの話や」 と糸子が始めたのを見て、「ま~たアンチ夏木派からはヒンシュクを買いそうな流れだな」 と思ったのですが、もともと人間って、そんなに的確な励ましなんか、とっさに出てこないもんだ、と考える人間でして。

糸子が加奈子にしゃべった自分の話は、だからただのひとりの人間として、とても等身大の、朴訥でいい励ましだった、と感じました。

この糸子の言葉に反発をするのは、もともと夏木糸子が気に食わない人なんでしょうかね。

でなければここでの夏木サンが、88歳だということを、かなり忘失していると言わざるを得ない気がします。

これが70とかだったらまだ反感を買うのも分かる気がするのですが、88ですよ?

「残された時間がない」、という点で、糸子と加奈子は一緒だと私は考えますね。 死に至る病と寿命と、なにも変わらない。 人間はすべて、「死に向かって生きている」 んですよ。 今日一日を生きればまたひとつ、死に近づいていく。

そして苦しみながら死んでいくのか、楽に死んでいくのかも、それは甘んじて受けなくてはならない自分の宿業だと思う。

どちらの人生も、何に対して自分が感謝できるのか、を考えた場合、どちらもちゃんと、学ぶべきものがあると思うんですよ。

却って苦しみながら死んでいくほうが、その学習の機会を与えられている気がしてなりません。

何に対してありがたいなあ、と感じることができるのか。

それは苦しみの中のほうが、余計に実感出来る気がするのです。

その、感謝の気持ちを、苦しみの中から見つけ出すこと。

これが、何物にも代えがたい宝だ、と私は考えます。

そしてその気持ちを表に出すことで、その宝を周りの人々に分け与えることができ、そしてそれが増幅されて、結局自分に幸せとなって帰ってくる。

糸子と加奈子が向き合っている 「奇跡」 の本質とは、そこにある、と私は考えるのです。

「あさイチ」 は録画だけはしておるのですが、まだ見ておりません。 「カーネーション」 が終わってから見ようかな、と考えております。 なにしろ1年でこの時期って、センバツやってるせいで 「スタパ」 はまずやらないし、大阪制作の朝ドラって、結構その点でも番宣に冷遇されちゃうようなところがありますからね。 ドラマが大団円を迎えようというこの時期なんですけどね。

奈津との再会のあとはやらないんでしょうかね。 このドラマの方法論からいくと、「会うことが出来た、それでよし」、ということも考えられるのですが。

投稿: リウ | 2012年3月26日 (月) 08時43分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

samantha様への返信にも書いたのですが、私の考えとマーシー様の考えは、近いようですね。
「くくりかたが乱暴」 だとは私は思わないです。 88歳、という歳がどんなものなのか、批判している方々は想像力が欠如してると思います。 「夏木マリの演技が若々しすぎるからそんなことも考えるのだ」、ということなのかな?


ただやはり私も、 「ER」 とか見てるから、免疫ができちゃっているのかもしれませんね。 
人種問題とか同性愛問題とか、確かに海外ドラマは 「ルール無用」 ですね(笑)。 臭いものにはフタをするのが日本人。 それが美徳の時もあれば、腐敗の温床となる時もある。

「死」 というのは、忌み嫌うべきものではない、と私は考えます。

死ぬことは、けっして敗北なんかじゃない。

これは、「死んだらすべて終わり、すべてがゼロ」 と考える唯物主義者たちには、到底受け入れられない思想であることは明白です。

まあ、そんな人たちは 「ゲゲゲの女房」 でさえ、受け入れられないと思います。 「見えんけどおる」、ですからね。 ふーちゃんの死んだおばばがナレーションやってるんですからね(笑)。

話はそれましたが、死は新しい世界への、旅立ち、なんですよ。 だから死ぬまで、戦いですよ。 「気持ちが負けないため」 の戦い。

気持ちが負けないように。

いくら状況的に負けていても、気持ちさえ負けなければ、その人の人生は、勝った、と思われるのです。

投稿: リウ | 2012年3月26日 (月) 09時08分

最後の最後に中村優子さんを持ってきたところに、制作スタッフの並々ならぬ執念みたいなものを感じました。リウさんのおっしゃるとおり尾野真千子へのオマージュに間違いありませんね。
中村さんといえば、「血と骨」ではいろんな意味で凄かったです。

でも、あの場面、いやあの場面だけでも尾野糸子との絡みで視たかったと、どうしても思ってしまう自分がいました。

投稿: 虎児 | 2012年3月26日 (月) 11時23分

リウ様

ネタバレしたらいけないのかもしれませんが(笑)

翌週も、ちょっとだけ、奈津がでています。
それも。。。

あ、ばらしたら楽しくないですよね。
でも、なんだ、私たちの気持ちに応えてくれたのね、と思うような展開です。

渡辺あやさんが、私はとても好きです(^^)

投稿: samantha | 2012年3月26日 (月) 14時47分

虎児様
コメント下さり、ありがとうございます。

中村優子サンという女優さんの経歴、今回ウィキで初めて知ったのですが、オノマチサンと似てるなー、と感じました。 不勉強なもので彼女の出演作を見た記憶がありませんが、フツーの感覚あふれる逸材だと感じました。 今後もっと露出してほしいですね。

さすがに尾野サンをここに配したら、夏木サンに対してすんごーい皮肉を効かせてる気は、いたします…coldsweats01

投稿: リウ | 2012年3月26日 (月) 16時58分

samantha様
レス下さり、ありがとうございます。

あ~よかった、です。 あのまま、突き放したような終わり方でもいっこうにこのドラマらしくていい気もしたのですが、やっぱりちゃんと着地してくれたんですね。 もともと架空のキャラクターですけど、ドラマの中でこれだけ重要な役割を果たすとは、私も考えていませんでした。

安心して最終週のこのドラマを見ることができそうです。

投稿: リウ | 2012年3月26日 (月) 17時01分

リウさん。

腰のあんばいはどうですか?
身体の要だから腰は…私も年に一度くらいの間隔でグギッときて青息吐息になりますので、その辛さお察しします。


88歳の糸子から、当初の力みがとれたように(私も)かつての感覚で視聴できました。

奈津との再会。そうそう。二人はいつもそうだった。憎まれ口たたいて。同情されるのが何より嫌いで!あ〜やっぱカーネーション。見続けて良かった。


加奈子と糸子のエピは、涙がしとどに流れました。心を洗うとはこういうこと。
悲しくて泣いたんじゃないです。でもなんでこんなに涙が出るのか…嬉しい…という涙か…?

母方の祖母は96歳で亡くなりました。自分の息子は糖尿病で入退院の繰り返し、嫁はくも膜下の後遺症で寝たきり。二人の孫は奥手で50歳になっても独身のまま…そんな家族で唯一の女手がばあちゃんでした。
そんなばあちゃんが90歳の時に右足大腿骨骨折の大怪我。
だれもが寝たきりになると危惧してました。そうなったら伯父伯母は…
けど、自分が寝たきりなんぞなってられるか!ってそりゃもう凄まじい気迫で…主治医が『90歳で大手術して無理にリハビリするなど無茶』と言うのも聞かず、見事復活したんです。奇跡だと言われました。


どんな状況下でも『人の役にたてる』
気持ちひとつ


ばあちゃんに教わった。


そんな経験を思い出したからかもしれません。
そのばあちゃんは、大晦日に少しお酒呑んで、大好きな刺身を食べて、紅白見て…そしてお風呂に入ってる最中に亡くなりました…
最期まで自分ができることやること、やりたいことをし尽くして、命を使いきって、この世から見えない世界に逝ってしまいました。


今週の糸子は、そんなばあちゃんと重なって見えます。


渡辺あやさんのインタビューで、人物が勝手に喋りだすのを、第三者のように書き留めている、みたいなことが書いてありましたが、このカーネーションというお話しは、小篠綾子さんの一生を借りて、私たちに力強いメッセージ、命を使いきる、と伝えるために生まれたドラマだったように思います。
その最終章。泣いても笑っても後5日…しっかり心に刻んで見たいと思います。

投稿: みち | 2012年3月26日 (月) 23時51分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

みち様は年に1回も来るのですか。 頻繁だなぁ。 私は3年ぶりぐらいですね。 最初のやつはまさに、「魔女の一撃」 だったんですが、今回は 「来たっ!」 と思ってソロソロやってたら、ホントに長~い痛みになっちゃって。 ギクッ!となったほうが後腐れがなくて治りも早い気がいたします。

「命を使い切る」、いや、まさにそうですね。 今度自分の詩に使わせてもらいます(メモしとこ…笑)。

番組HPの渡辺あやサンのインタビューは、夏木糸子に批判的な人々には、必読のインタビューになっていると思います。 確か、「視聴者の皆さんが感じた喪失感は、年老いた糸子が感じた喪失感と同じ」、みたいなことを話していらっしゃいましたね。 商店街の無機質さも、意図的だったらしいですし(これはもうひとつの制作スタッフのインタビューかな?)。

98歳で亡くなられたというおばあちゃんのお話、私の大伯父もまさに、12月30日だったか、まったく同じ感じで亡くなりました。 お風呂のなか、というのは結構危険なんですけどね。 私の祖母もお風呂から出たときにポックリと逝っちゃってますし。 お風呂はかなり、鬼門だと感じます。


いくら生きてもいくら生きても、やり残したことというのはついてまわるとは思うのですが、めんどくさいとかお金がないとか、いろんな理由でやりたいことを先延ばしにしてしまうのも、それはそれで人生だと感じます。


手も足ももぎ取られても、ホーキング博士のように自分の出来ることを全うする人生もあります。 目が見えなくとも、口は聞ける。 聞こえなくとも、目は見える。 人は 「それまで出来ていたことができなくなること」 に目を奪われがちで、それで簡単にしょげてしまいますけど、「出来ない状況から何かを見つけ出す」、ということも、実は人生生きていくうえでの意味ある勉強、なのだと感じます。


こんな、「老い」 ということを真剣に考えさせてもらえるのですから、やはりこのドラマは、ただ者ではないです。

投稿: リウ | 2012年3月27日 (火) 07時44分

リウ様、はじめまして。
時折、おじゃましておりました。
遅くなっちゃったけど、コメントしたくなってしまいましたm(_ _)m
今回はすごかったですね。
もう涙腺がゆるみっぱなしでした。
朝ごはん食べながらAM7:30のBSで1回
身支度しながら総合AM8:00で2回目
そして今週初めにリウ様のレビューで思い出しながら総まとめ。
ティシューを何枚使ったことやら(^^;
中村優子さん(今回初めて知りました)がすごくよかったですね。
「母親が…。」と言ってから次の台詞を言うまでのあの間の取り方。
計算なのか、なりきってしまっているが故なのか。
私まで喉の奥が締め付けられ、息できなくなるくらい苦しくなりました。
こんなにうまい役者さん、やっぱりいるんですね。
最近、韓国ドラマに嵌まっているのですが(^^:、韓国ドラマって登場人物がよく泣くんです。
で、かなり演技がうまい人もたくさんいて。
日本はドラマの本数も少ないから、うまい人もすくないのかなと残念に思ってたんだけど、中村さんの演技を見たら日本人としてとてもうれしくなりました。
って言うか、これ以上にうまい泣きの演技は私は見たことないです、たぶん。
年齢的に尾野真千子とあまり変わらないようなので、彼女のアップシーンはやはり相手が夏木マリさんなこともあって更にひかり輝いたように思います。
このドラマ、脇役の役者さんもすごい方々ばかりでクオリティー高いですよね。
駿河太郎さんの笑顔には誰?ってなったし。
玄覚悠子さんも良かった!
綾野剛さんはキャー!だし(^^;
田丸麻紀さんはこんなにうまかったっけ?ってな感じです。バラエティー番組での彼女からは想像出来ないくらい私的にはよかったです。
今週で最終週ですね。
レビュー楽しみにしてます。

投稿: ROCO | 2012年3月28日 (水) 09時51分

ROCO様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

韓国ドラマはここ数年、ご無沙汰気味なのですが、なにしろあちらのかたがたは感情の起伏が激しいですね。 言語も、主語→動詞→述語のアメリカ式と同じ中国語と違って、主語→述語→動詞の順番で、おそらく言語的に同じ派生だと思われる日本語と韓国語なのに、国民性がここまで違う。 この国民性の違いは、お隣の国と付き合う場合に心しなければならない要因だと思われます。

そしてことに男性に顕著なのが、やはり韓国には徴兵制がある、ということ。 これが男性の表情に、ある種の覚悟を形成する、と思われるんですよ。
だからさほどイケメンでないと思われても、その表情の 「覚悟」 が魅力的に見えてしまう。

それに、韓ドラは確か、1回1時間ちょいで週2回やるとか聞いたことがあります。 いきおい現場は切羽詰まりますよね。 そのぎりぎりのところが見えるから、あそこまでテンションの高いものが出来上がるんじゃないか、と。

細かい感情の機微を表現するには日本の俳優さんのほうが得意かもしれませんが、そんな激情的な韓国の俳優さんをROCO様がうまい、と感じられるのも、僭越ながら分かるような気がいたします。

韓国ドラマ論になってしまいましたcoldsweats01

フツー感覚の薄幸そうな女性、と言いますと、木村多江サンなんかが思い浮かぶのですが、この中村優子サン、同じベクトルを感じますね。 もっと注目されていい女優さんだなぁ。 玄覺サンもそうでしたよね。

私が夏木糸子編に入ってから顕著に感じるのは、オハラ三姉妹の演技がちっとも前に出てこないことです。 最終週の今週は、たぶん糸子の最後の日々をやるだろうから、露出はもっとあると思うのですが。

これって田丸サンもそうだったと思うのですが、やはり尾野真千子サンに、自分のポテンシャルを最大に引き出されたのが原因ではないか、と思われるんですよ。

新山千春サンも、安田美沙子サンも、「この人ここまで演技がうまかったのかな?」 なんて感じることが多かった。 直子役の川崎サンは、プロレスラーだというのが信じられないくらいお上手ですよね。

オノマチサンの演技が、現場全体の士気を上げていった 「奇跡の5ヵ月」 の末に、このドラマは終わろうとしていますよね。

まだ数回ありますが、ホントにすごいドラマだった、と感じます。

投稿: リウ | 2012年3月28日 (水) 14時39分

リウさん。

晩年篇になってから、糸子のセリフが多くなりました。
その言葉は長い長い人生を生き抜いてきた人でなければ語れない言葉のように思います。
ひとつでもふたつでも、自分の血肉になったらこれからの生き方が豊かになる、そう思います。


『運命の人』
ずっととりためていたものを先日見ました。

原作も読んでいたんですが…三巻まで今までの山崎作品のようにぐいぐい引き込まれて、という感覚になれず読むのに苦慮しました。


ドラマもところどころ退屈というか、居眠りした箇所もあり

ただ最終回は、沖縄の現実に焦点をあてての描写で
弓形の再生を感じることができ良かったです。

厚かましいお願い事ですがリウさんのレビューを読みたいので、ご無理のない範囲で
リクエストさせてください。

投稿: みち | 2012年3月29日 (木) 09時52分

リウ様
ソッコーコメントありがとうございます。
韓ドラはホント最近なんです。
昨年9月のNHK「赤と黒」キム・ナムギルです(^^;
目や口の細かな変化で感情表現するうまさに参りました。面の皮剥がして一般人と神経の違いを比較したと思ったほど(^^;
まあ確かに彼は兵役直前でした。
でも私がその後うまいなと思った役者さんって結構中年の域に入った(兵役終えた)人もたくさんいます。
私はやはり、作られるドラマ本数が多いから場数踏む回数も増えてうまい人が増えるのでは?と思ってます。
日本のTVドラマ数は昔と比べて確実に少なくなってますから。
だからこそ受信料を取るNHKはがんばらなきゃ!!!
でもって韓ドラの場合、1本のドラマの中で泣きの演技回数は日本に比べて本当に多いですね。
同じSOV文法の国なのに感情表現は中国に近い気もするし。
ただ泣きの演技に関してリウ様のおっしゃるとおり、細やかな感情の機微を表現しそれを感じ取れるのは日本人だからなのかも(差別的発言だったら削除してくださいm(_ _)m )
そういった意味で中村優子さんはこれ以上ないくらいすばらしかったと思います。
でも、リウ様、彼女、ミスドのCMに明るいお母さん役で出演してます。これもなかなかいいんです。機会があったらYoutubeで検索してみてください。美人さんですよね!
このドラマ、リウ様がおっしゃるように脚本、演出、キャスティング、そして尾野真千子さんによる相乗効果がここまでハイクオリティなドラマたらしめたのだと思います。
ただ、言わせていただければ、新山千春さん、デビューの頃はとても素敵な女優さんだったんです。最近はバラエティばっかで残念に思ってました。今回の「カーネーション」を機に軌道修正してほしいと切に願ってます。
同じ青森県出身者としての贔屓目もありますがご了承ください
m(_ _)m
では、残り2回ですね。

投稿: ROCO | 2012年3月29日 (木) 10時02分

みち様
再コメント下さり、ありがとうございます。

「運命の人」 や 「平清盛」 について、見てもなかなかレビューにつながらない、というのは、ちょっと 「テレビ中毒者」 のブログとしては怠慢だなあ、と忸怩たる思いでおります。 ブログ開始から数年は、毎日書かないとアクセスが来ない、ということで、毎日書き殴っておったのですが。

「カーネーション」 で1週間分の労力を使い果たしてしまう、ということは確かにありますが、このところ仕事の疲れが取れないことが多くて、平日は仕事から帰って来てから 「おはよう日本」 を見るだけのテレビローテーションになっちゃってます。 歳でしょうかね。 正直1日30時間くらい欲しいです。

ただ、「運命の人」 はもう、見出すとぐいぐい引き込まれていく感じで、レビューを書きたくて仕方ありません。 それを書く体力が…などと言っているあいだに、どんどん記憶が褪せていくのがもどかしいです。

なんか老化防止のサプリでも飲まなきゃならんかな(…ジジ臭い…)。

投稿: リウ | 2012年3月29日 (木) 13時37分

ROCO様
レス下さり、ありがとうございます。 コメント返信は、基本的に1日以内というのを心がけております。 基本的にcoldsweats01

私が最近韓国ドラマに食指が動かないのは、語り口が饒舌すぎる、ということです(笑)。 現代ドラマなどは20回くらいのものもありますけど、私が好きなのは主に韓国時代劇。 50話なんてのはざらで、100話150話くらいのがゴロゴロあって(笑)。 ボリュームがありすぎるのが、このところ体力が減退している私には、ちょっとキツイのです。

そう言えば 「赤と黒」、NHKBSで集中放送してましたよね。 この、集中放送というのも体力的に続かなくて…(爆)。

「差別的発言」 だとは思わないですよ~。 なんかネットの世界ではヤケに両国関係がギスギスしすぎて、何か言おうものなら即座に炎上しそうなほどですけど、いいところはいい、悪いところは悪いと忌憚なく言い合えるのが正常な関係だと感じます。 今は両国とも、お互いの目を見ないでそっぽを向いたままあからさまに文句を言い合っている状態のように思えますね、ことネットの世界だけを俯瞰いたしますと。

中村優子サンのような、清楚そうな人というのは、オッサン的にはどストライクでして(笑)。 まあ女性はかなり男にとっては気の抜けない部分もありまして。 そんな警戒心を解いてしまうようなまっすぐさを、この人からは感じます。

新山千春サンの演技、正直見るのはほとんど初めてでした。 だから過去作と比べようがないですね、考えてみると(安田美沙子サンもそうだな…)。 ただバラエティでは面白いけれどもなかなかしっかりしたところもあるんじゃないか、とは感じていました。 同じ青森県人だったと記憶していますが、松山ケンイチクンと共通したような、朴訥な印象ですね。 青森のかたって、内に秘めた誠実さ、というものをとても感じるんですよ。

心して最終週のレビューに臨みたいと思います。

投稿: リウ | 2012年3月29日 (木) 14時08分

前回のカキコで安岡家云々が出たので(第11週はまだ再見してないし)第25週カキコです。第24週の展開から、またイケイケドンドンかと思えばイキナリ15年が経過したので最初は「アレ?」と思ったのですが相川総婦長登場の第140回で私は画面に拍手してしまいました。

院長を絡ませて笑いをとりながらも患者さんへの責任感が根底にあり(ここが「梅ちゃん」との決定的な差)何より糸子への否定的スタンスが素晴らしい。「晩年にショービジネス界を闊歩する、選ばれた勝ち組みに患者さんの気持ちは解らない」と言わんばかりで戦時中、怒鳴り込んできた玉枝さんと全く同じベクトル。対する糸子の「患者さんの力になりたいんです」と言って頭を下げる態度も見事で、「奈津を助けて欲しい」と安岡家に乗り込んでいった時のそれと同じ。
奈津との再会や、会話の中で八重子さんの名前を出したのは明らかに、あの時の事を想起させる意図が渡辺サンにあり「糸子、伊達に年は食ってね~」と感嘆させられました。もっとも第141回冒頭は同じ場面をイケイケドンドンBGMなので感動ぶち壊しでしたが(笑。

しかし安岡家との関わりを通じて半世紀以上のタイムスケールで糸子が思慮深さを身に着けていく様を描くのは見事。第10週で己の欠点を自覚したわけですが、リウ様の指摘にあったように自覚しただけ。玉枝さんと和解した時点でもせいぜい半熟未満。玉枝さん、立ち直るに当たって八重子さんに謝罪しましたが糸子には謝罪も、謝罪の要求もしていません。本放送時はお互い様だったから程度に思っていましたが、勘助の事を一端、脇に置いた形であった事が判明したのは実に四半世紀後。このため三姉妹編の頃は糸子の内面に大きな変化は無く(周防絡みで多少はありますが、これはまた後に)娘達への態度も意図的に突き放したと思ったら完全スルーだったり、チグハグです。これが前回書いたように勘助に対する罪悪感と向き合ってきた第22~23週、戦時中よりさらに多くを失い娘や孫に労わられる立場となった己が身を省みた第24週を経て、ここで完熟に到ると。

ところで江波さんといえば「ワタシ、ニッポンゴ、ハナセマス」(「ガメラ対バルゴン」1966年大映)を思い出します。私は方言の機微に疎い方なので(「スケバン刑事Ⅱ」の土佐弁ぐらい酷かったら別ですが)、これが夏木糸子を受け入れるのにプラスに作用したようです。やはり尾野糸子は50歳を過ぎた辺りから(もうちょっと老けメイクできなかったかな?)無理が出ていたので…。

投稿: 巨炎 | 2012年7月12日 (木) 01時09分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「梅ちゃん先生」 は、もうすっかり見ておりません。 梅ちゃんは、看護学校を無事卒業できたのでしょうか?(爆)

「梅ちゃん先生」 の話になってしまいますが、私はこのドラマ、とても気楽に見ることができて、単純に笑える面白いドラマだったな~と感じております(もうドラマ終わったみたいな言い方…笑)。

あんなことがなければ、気楽に笑ってレビューが続けられたのに。

「カーネーション」 夏木編にしても、私のレビューに対して真正面から反論のコメントをしてくる人が、たまたまいなかっただけで、もしかすると 「明らかにオノマチ編のほうがよかっただろう、橋本はどうかしてる」 と思っているかたも、いたのかもしれません。

結局、人というのは、上手に謝ることのできないケースがとても多い、と感じます。

私だって、仲たがいしたままずーっと会っていない人が、いないとも限らない(今急に思い返してみて、ちょっと思い当たらない…笑)(こういうのも、嫌な記憶を奥のほうに閉じ込めてるからなのかもしれんです)。

「梅ちゃん先生」 で私を攻撃した人も、それを記憶の奥底に閉じ込めてしまって忘れたまま生きていくかもしれないし、のどの奥に刺さった魚の骨みたいに、ずっと気に病みながら生きていくかもしれません。

「人生の過ち」。

「カーネーション」 が表現しているこの部分には、私も深い感動を禁じ得ません。
わが身を振り返ることだらけです。

それこそテレビドラマみたいに、イージーに和解出来れば、それに越したことはないのですが。

江波サンは、私は昔は結構苦手な女優さんでした(笑)。
口は大きいし怖そうだし(笑)。
でも、あの歳になって、ようやく、なんと言うか、「女としての魅力」 を感じさせる女優さんに、見えてきた。
私が歳食ったせいかもしれませんけどね(笑)。
でもあのお年で色っぽさを感じさせる、というのは、私にとっては新鮮な驚きです。

オノマチサンは、それに比べればまだまだ色気は足りないですね(なにを見とるのかcoldsweats01)。

投稿: リウ | 2012年7月12日 (木) 09時00分

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: 職務履歴書 | 2012年7月20日 (金) 13時39分

職務履歴書様
コメント下さり、ありがとうございます。 このような拙い記事を気に入っていただけて何よりです。

「カーネーション」 の当ブログ記事は総じてダラダラと長いものばかりなので(笑)、おヒマな時に読んでいただければ、幸いです。

投稿: リウ | 2012年7月21日 (土) 08時38分

再見も第25週。
ちょっと晩年キャスト交替も絡めて書きます。

「おひさま」は論外として(笑)、晩年交替は「おしん」(1983年)「すずらん」(1999年)に次ぐ三作品目だったそうで(晩年に拘らなければ「芋たこなんきん」も三女優で一役ですが)。

この中で一番スムーズにイメージを継承できたのは「すずらん」の遠野凪子サン⇒倍賞千恵子サンだったと思うのですが、同時に私はこれを「カーネーション」の対極とも言うべき当たり障りの無さに起因していると感じるのです。
「すずらん」は当時から『「おしん」の二番煎じ』という意見があり、また主人公の萌は朝ドラ視聴者最大公約数に合わせた透明感の強いタイプ。(糸子は勿論、おしんにも多少の毒はあったのに)血の繋がらない姉と共に戦争で夫を亡くした境遇で和解とか、初恋の人の父が30億円の遺産を譲渡してくれたので保育園を立てるとか、「カーネーション」が柄の悪い「ペリーヌ」(笑)なら「すずらん」は「セーラ」でした。

個性が強いほど交替は難しくなるので糸子ほどでは無くとも毒のある奈津のイメージを上手く継承した江波サンは凄かった。夏木糸子の晩年が馴染んできた矢先に対等以上の存在感も出してます。また、演出面で感心するのが80歳後半にして薄く白粉をしている点。これは第2回で本人が清掃のオジサンに父親からスキンケアの薫陶を受けている事を語っていた事に起因しております。そして、このエピと再会エピを見比べると驚くべき事実が…。

>平吉の生存
脚本的にほぼ確証した事実です。院長が奈津の名を思い出す間に、香川事務長が前述のオジサンを糸子が頭突きで昏倒させた話を持ち出します。本人が忘れているよな、ささやかな珍事を一体、誰が覚えているのか。当事者は被害者と担任教諭、そして勘助&平吉。戦死して無かったのですね~。改めて感心するのは第2回の先立っての授業場面で平吉をさり気無く紹介し、直前に奈津を下校させて該当者から完全に除外していた脚本。
では何故、復員後に太鼓に再就職もせず糸子の前に顔も出さなかったのか?これは最後の登場となる勘助初出征の場面での言動で推測できます。親友は苦しみぬいて死んでいったのに自分は生き残ってしまい申し訳ない。当時はそのように考えてしまう人が沢山いたといいます。ひょっとしたら岸和田を一時期、離れていたかもしれません。周防にせよ奈津にせよ色々と理由をつけていますが、故郷の地を踏むことに対する抵抗感が長い事あった事が窺えていましたし。
うーん、平吉関連を読み解いていく事で奈津に再会できた糸子の感情にシンクロしやすくなります。やはり見事。

投稿: 巨炎 | 2012年11月 3日 (土) 12時46分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

コメント欄まで読み返していたら、巨炎様、2回目の投稿やあらしまへんか(笑)。 もう、書くことが尽きない感じですね。

それにしてもそのコメント内容が衝撃的で。

エ? 平吉が生きておったのですか?

ちーとも気が付きませんでしたよ!(笑)

私のレビューはホントに稚拙で、こうした俯瞰的な読みが出来ないのが弱点です。

しかし 「ガラの悪いペリーヌ」 なんて、ペリーヌファンの私の神経を逆なでさせないでくださいっ(爆)。 ただペリーヌは、サーカス団の少年だったマルセルなんかに対して、かなりSキャラだったよーな気がします(笑)。 あとポールとか(覚えてます? ロザリーの弟ですよ!)(「ペリーヌ物語」 については、かなり死角がないと自負している私…笑)(ホントにあの作品だけは、再放送を何度見たことか…)。

「おしん」 も、そうですね、乙羽信子サンのキャラは、結構毒があった記憶があります(遠~い記憶…笑)。

私は壮年期の糸子のイメージとしては、倍賞千恵子サンだったですが、そうか、「すずらん」 でもうすでにそのテは使っていたんだ。

なにしろ、「カーネ」 とはカンケーない話で、またお茶を濁してしまいました。 あと残すところ1週ですネ!(いや、こないだも書いたけど、また第1週から始まりそうな気が…笑)。

投稿: リウ | 2012年11月 4日 (日) 00時42分

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