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2012年3月 8日 (木)

「坂崎幸之助・吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」 拓郎が 「情熱」 を無くした頃

 「坂崎幸之助・吉田拓郎のANNG」 のコーナーである、「驚き桃の木半世紀」(正式な書きかた分からず)。
 50年前から毎週1年ずつ(不定期)、どんな出来事があったのか、どんなヒット曲があったのかを振り返りながら、拓郎サンや坂崎サン(THE ALFEE含む)の人生を本人の証言で綴っていく、というコーナーです。

 個人的には、いろんな出来事の裏話が聞けて、とても貴重だと思うし、興味深い話の連続です。 当時のニュースに対してどう思ったのか、ヒット曲をどう感じていたのかを直接拓郎サンや坂崎サンの口から聞けるのも、企画を立体化させている気がする。
 このコーナーの本を出してくれ、というリスナーからの要望がある、と聞きますが、それだけの価値があると私も思う。 もし出たら買いますね、やっぱり。

 ただそれと反比例して、そもそも昔を振り返る、ということ自体が拓郎サンの嫌そうな作業のような気がするんですよ。
 けれども、「ヤッコ」 と呼ばれる(笑)プロデューサーが次から次へと繰り出しては消えていくあまたのコーナーのなかでは、大ヒットと呼べる企画であります。 今では番組のほとんどの時間がこれに費やされているほど。
 それというのも、やはり過去を振り返る作業を拓郎サンが面白がっているからこれだけ存続しているのでしょう。 ちょっとここらへんは意外です。 実は拓郎サン自身も、自分の人生を振り返ってトータルで考えたがっているのかもしれない、そんな気がするのです。

 しかし、ここ数週の拓郎サンの歯切れが、急に悪くなっているのには、また違う意味で瞠目してしまう。
 コーナーが存続するか、という興味ではなく、当時の拓郎サンがなにを考えていたのか、という意味で。

 ここ数週やっているのは、1984年から85年の動向であります。
 つまり、「ONE LAST NIGHT IN つま恋」 という、我々拓郎ファンの間では 「拓郎、これで引退か?」 と騒がれていたライヴをめぐる時期のこと。

 84年あたりからアルフィーが 「メリーアン」 で苦節ウン十年(笑)ようやく大ブレイクした頃と、拓郎サンの消沈していく時期とが、どうもちょうどリンクしている。 そのコントラストが、番組を聞いているととてもよく分かるのです。

 ここ数週交わされる坂崎サンとのやり取りの中で、拓郎サンが坂崎サンに頻繁に突っ込むのは、「お前ら本当にオリコン(ヒットチャート)にこだわるな」 ということです。
 しかし坂崎サンとしても、原稿で用意されたチャート成績を読み上げているだけで、突っ込まれても困る、という感覚。 このところ番組の内々で流行中の(笑)「天狗」 という表現を使って、「もうすでに天狗になってたのかな、いやまだこのころは天狗じゃないな」 などと、拓郎サンの攻撃をかわし続けます。

 ただTHE ALFEEとしても、もうずいぶんと長い間、シングルトップ10入りを継続しているわけでしょう? だからまったくこだわりがないか、と言えばそうでもない気はするんですよ。
 しかし不思議なグループですよね、ALFEEって。
 もうメンバー全員、還暦の声がそろそろ聞こえているっていうのに、いまだにアイドルチックな売れ方をしている。
 拓郎サンはALFEEのツアーパンフレットの写真にも難癖をつけ続けるんですが、ともかくそれが、とてもツクリモノっぽいらしい(どういう表現だったか忘れましたが)。 アイドルみたいに自分たちを見せたがっている、というんですな。
 シングル曲トップ10入り、という快挙も、なんか瞬発力だけでこなしている印象が、私にはとても強いのですが(ファンのかたゴメンナサイ)、これはALFEEだけでなくて、まあみんなそうですけどね、最近は。 ただそういう売れ方ってやはり、アイドルみたいな感覚なんですよ。

 拓郎サンは彼らの 「お笑い」 としての才能はいたく認めているのですが(笑)、けっしてALFEEの音楽性を認めているわけじゃない。
 そんな彼らが世間にウケ始めた、1984年という時代のなかで、拓郎サンは自らの音楽性がもはや時代遅れになっているのではないか、という疑心暗鬼にさいなまれるようになっていくのです。 それがラジオを聞いていると、よく分かる。
 自分がいいと思わないALFEEの音楽が受けている、ということが、拓郎サンのテンションに密接に関わっている、というのは、とても興味深い。

 と同時に、当時のヒット曲に対しても、拓郎サンの興味が急速に薄れていっているのが分かるのです。

 当時は明菜チャンが 「ミ・アモーレ」 でレコ大を獲ったり、チェッカーズが大人気だったり、C-C-Bとかが売れたり、世がバブル全盛期に突入していた時代。
 ここでまた印象的なのが、当時ベストテン番組の常連にまで成長したアルフィー(確か当時はカタカナでアルフィーだった気がする)の一員である坂崎サンが、当時のミュージック・シーンをとても懐かしがるんですよ。
 つまり当時の売れ筋と歌番組でよく一緒だった、ということなんですが、拓郎サンはその、懐かしがる坂崎サンに対して、とても冷ややか。 キョンキョンとか坂崎サンが 「大好きだった~」 と懐かしがっても、「あっそう、オレにはカンケーないね」 みたいな。

 当時のミュージック・シーンは、コンピュータによる打ち込みが一般化してきた時代で、音楽がにわかに陳腐になり出したな、と私も感じていました。 私も日本の歌謡曲から距離を置き始めた時期だったかな~。 いや、もっと前からかな。 1980年ごろからすっかり、拓郎サンとか中島みゆきサンとか、どっぷりでしたよ。 高校1年の時分です。 なにしろ自分が共感できる歌い手に、飢えてましたね。 世間の流行り歌が、みんなチャラチャラしてきて耐えられなかった。

 まあ別に、私にはビートルズという基本はありましたけどね、いつの時代にも。

 私のことは別にいいとして、拓郎サンが当時の歌謡曲に対して興味を失っていく過程で浮き彫りになってくるのは、先ほども述べた 「もう自分の時代ではないのではないか、自分は時代遅れになっているのではないか、自分の役割は終わったのではないか」、というかなり深刻な危惧です。

 それと並行しながらここ数週の拓郎サンが打ち明けているのは、「自分はその年齢その年齢、という区切りでものを考えたがる」、という性癖です。
 30になったらもうこんなことはできないだろう、とか、40になってこんなことやっていられない、だとか。
 当時の拓郎サンは38、9で40歳の一歩手前。
 ここでさらに拓郎サンの意識に大きく作用したのが、1980年に40歳で射殺され、その人生を終えた、ジョン・レノンの存在だった気がします。
 まあラジオを聞いていてビートルズフリークの自分の個人的な感じ方ですけどね。
 その40歳を手前にして、オールドタイマーとしての自分を強く自覚することによって、当時の拓郎サンはどんどん仕事に対する情熱を失っていった。
 当時のミュージック・シーンがバブルに浮かれて中身がスカスカになっていたことも、その絶望に拍車をかけたのではないか、と感じる。
 坂崎サンが原稿を読まされているとはいえ、ヒットチャート何位とかにこだわることにとても強い拒絶姿勢をあらわにするのも、拓郎サンがこの頃味わっていた絶望と無関係ではない気がするんですよ。

 チャートで何位だなんて、関係ない。
 売れてようが売れてまいが関係ない。
 要は、ひとりの人の心に、その歌が届くかどうかだ。

 拓郎サンの音楽に対する情熱の低下を象徴するように、当時発売された 「ふざけんなよ」 とか 「風を見たか」 とか、自分が出したシングル盤に関して、拓郎サンの記憶は全くなし。

 これってすごくありませんかね?

 当時の音楽の 「コンピューター打ち込み」 に対してとても否定的な見解をしていた拓郎サンなのに、この曲って結構、打ち込みが入っている気がする(カンチガイだったら申し訳ないです)。
 そのこと自体が、拓郎サンが自分を見失っている証左のような気がするんですよ。
 私もこれらの曲を当時聞いたときは、一種の 「投げやり感」 が漂っているように思ったものですが、本人がこの曲をまったく覚えていない、と証言したのには、少なからずショックを受けました。 だってその前の時代では、アイドル歌手に提供した比較的どうでもいい(失礼)曲まで、手持ちのギターですぐに弾いてしまうんですよ。 つまりコードを覚えている、っていうこと。

 これって私にとって、かなりショックでした。
 そのちょっと前までは、「情熱」 とか、「FOREVER YOUNG」 とか、相当傑作のアルバムを作っていて、「王様たちのハイキング」 では問答無用に最強のバンドを引き連れてツアーをしていたのに。

 「やりたいことはやり尽くしてしまった」、という境地にも、当時の拓郎サンは達してしまっていたようです。
 そこに40前、そして音楽環境の劣化。
 当時サザンの桑田サンが、「吉田拓郎の唄」 という、拓郎サンをコケにしまくりながら叱咤激励するような歌を作っていたことを思い出します。
 桑田サンがその歌で歌っていた内容は失礼すぎるほど大侮辱の歌でしたが、、拓郎フリークならばかなり同意のできる内容でした。 時代を引っ張ってきた男だからこそ、それに呑まれることなく、これからも俺たちを引っ張ってくれよ!という気持ちのこもった歌でした。 と同時に、自分はそんなふうにならないぞ、というミュージシャンとしての決意の歌でもあったけど。

 その桑田サンの歌で言えば、「過去を振り返る」 ということ自体が拓郎に似合わない、という感覚で、私も今日まで参ったわけであります。

 でもあの引退騒ぎから現在までの拓郎サンの生きかたは、そんなこだわりから脱却するための旅だったような気がしてならない。
 自分も結構、若い時のこだわりというものを捨て去っている気がいたします。
 こだわることで見えるものもあるけれども、こだわらないことで広がる世界もある。

 かように、さまざまな感慨をも聞く側から引き出してくれる、この番組なのであります。

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