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2012年4月14日 (土)

「梅ちゃん先生」 第2週 とりあえずもう1週分見た感想です

 この朝ドラって、肩肘張らないで見るのがいちばん適している気がいたしますね。
 比較厳禁の 「カーネーション」 ですが(笑)、いかにあのドラマが視聴者をがんじがらめにしていたかが分かる。 「よそ見すな! 感動に打ち震えろ! 最高ですか~っ? 最高でぇ~すっ!」(爆×2)。
 まるでマインドコントロールが解けたみたいに、「あのドラマは新興宗教だった…」…と、「梅ちゃん先生」 を見ていると思ってしまう。

 その 「梅ちゃん先生」。
 今週1週間分を一気に見ていて、結構ウトウトしまくったワタシ(笑)。
 しかもいちばん物語的に肝心と思われる、竹夫(小出恵介クン)と父建造(高橋克実サン)の仲たがいそして家出に至る部分でグーグー…(爆)。

 でもそこを見てなくても、大して問題になることなく(ハハハ…)。

 で、起きているとき(笑)そこかしこでどうにもイライラしたのが、こぶ平(敬称略、しかも二段目時代のしこ名…ちゃうちゃう…失礼のたたみかけだ…)のナレーション(笑)。

 「このふたりが探していたもの、それは米穀通帳です」…って、画面にデカデカと出てんでー、それくらい言わんでも分かるっちゅーねん(笑)。
 「自分が米穀通帳を落としたことで配給を受けられなかったのを、なんとか挽回しようとする、梅子でした」…って、見てりゃ分かるっちゅーねん(笑)。
 「中でそんな会話が交わされているのを夢にも知らぬ梅子は、建造に叱られるのが怖くて、なかなかなかに入れずにいるのでした」…って、梅子はもうお便所に行ったのだから、もよおしてソワソワしてるわけじゃないのは分かるっちゅーねん(笑)。
 「ヒロシに負けないように、少しでも家族の役に立とうとする、梅子でした」…あ~も~うるさーいっ(爆)。

 しかしですよ。

 「カーネーション」 で画面を皿のようにして見るマインドコントロールにかかってしまっているからこそ、そういう 「下世話の権化」 みたいなナレーションが鼻につくんじゃないか。
 つまり 「朝の片手間に見ている人」 用、なんですよ、このドラマ。

 このドラマがほとんどなんも考えていない(大失礼)ことを象徴しているように思えるのは、梅子に求婚をしてくる山倉(満島真之介サン)という、父の大学の教え子の存在であります。
 息子が家出してしまったモヤモヤを紛らわせるために建造が自宅まで連れてきた数人の学生のなかのひとりであったこの男。
 いきなり梅子の姉、松子(ミムラサン)に求婚してきます。 「一目惚れしました」 と(笑)。
 ミムラサンに言下に断られたこの男は、「じゃ梅子さんでい~です」。

 ここでこぶ平のナレーション。 「松子にフラれた途端、この山倉という男、今度は梅子に結婚を申し込んできました」…あ~もう、見てりゃ分かるっちゅーねん!(ひつこい…)。

 ただこの、無神経このうえないこの男の存在を許してしまっている、という時点で、このドラマの本質が見えてくる気がする。
 おそらくこの男は、今後梅子に深く絡んでくる存在となっていくのでしょうが、それをどう料理していくかで、物語にメリハリがついてくる。 視聴者の腹を立たせれば立たせるほど、成功なわけです。
 ひとつの方法として、この男が下村家での酒の席で、無神経なところの片鱗をあらかじめ見せておきさえすれば、視聴者にはワンクッションになるのに、助走もつけずにいきなり 「松子さんをください、ダメなら梅子さんでイーデス・ハンソン」(ハハ…)では、反感しか買わないのがオチでしょう。 なんとなくこの男の扱いを今後半年近くどうしていくのかが、これで見えてしまう感じなんですよ。

 物語的に詰めが甘い部分もある。

 たとえば建造が、長野の病院の院長に誘われていることを妻の南果歩サンに打ち明けるシーンがある。 それまで食糧事情の厳しいことをかなりしつこく描写していたので、建造も 「長野なら食料事情も東京よりはましだろう、少し考えてみる」 などと言っていたのですが、いざその長野からの依頼人との話し合いになると、なんだかんだと理屈をつけて断るのです。
 朝令暮改かよ。
 建造が心変わりしたきっかけは? フジテレビ?(せやからこの男…)

 つまり、深く考えちゃイカンのですよ。 このシーンは、建造がいったん考慮に入れていた長野行きの話を断ってまで、竹夫が東京で勉学に励むことを応援しようとしていた、その涙ぐましい父ごころ、これを表現したがっているのだ、と解釈するしかない。 そんな親心も知らず医者になるのをやめるだの家を出るだの、竹夫、どーしてオマエはそんなに冷たいんだ、という話に持っていくための。

 そんな詰めの甘いドラマのなかで、梅子(堀北真希チャン)はある一定の行動力をとりあえず有しています。

 兄竹夫の買出しについていったり、家出した兄を探そうと奔走したり、父の患者のために本を探したり。

 でもそのある種の行動力には、一貫して 「信念」 というものが少々欠如しているように、私には思えます。 つまりただの好奇心で動いている。 そして自分の心のおもむくままに、梅子は行動している。

 けれど、だいたい16くらいの女の子って言ったら、…まあ今じゃそれがフツーですけどね。 戦後のこの時期にはどうだったんですかね。
 それを見越してか、父建造は梅子に、あのチョー無神経男との婚約を勧めてきます。
 「だいたいお前は何の取り柄もないじゃないか」 という建造の言葉に、母親もいたしかたなく同調。
 でもそれは冷たい、というより、結構当たっている気がする。
 「そんなに簡単に、自分の人生を決めたくない!」 と反駁する梅子に、「でもやりたいことはないんだろう?」 と重々しく審判を下すかのような建造。

 梅子が彼女のために本を探しまくった、父のその患者が亡くなったときに、梅子は 「医者になろうかな」 と父親に話すのですが、ここでまたまたこぶ平のナレーション(笑)。 「父が喜んでくれるかもしれない、そんな期待が、梅子にはありました」…って、なるほどそーか(笑)。 やっと意味のあるナレーションが聞けたぞ(爆)。

 要するに医者になる、といっても、そこにはやっぱり、信念なんてないんですよ、梅子の場合。 父親を喜ばせようと思ってやっている。
 父親にはその 「覚悟のなさ」 が透けて見えるから、言下に梅子のその淡い夢を否定しにかかるのです。

 で。

 私は今週の陰の主役は、この父親が担当していた、亡くなってしまう女性が探していた、「本」 だったと思うんですよ。

 「月と花束」、という題名のその本。

 梅子の教師である節子先生によれば、それは男女のマグワイを…いや違ったかな(笑)とにかく恋愛を刺激的に書いた作品だったらしくて。

 「娘がそれを読みたがったのは、本のなかだけでも恋がしたかったんでしょうね」、とその亡くなってしまった女性の母親が、涙ながらに梅子に語るのです。

 ここで梅子は、先週のヒロシに引き続いて、「患者の心」、というものの2例目と、無意識のうちに向き合っている。

 それにしてもこのドラマ。

 笑わせようとしているのはとても伝わってくるのですが、それがあまりに生真面目すぎてスベリまくっている感じがいたします。
 いや、確かに、そこそこは笑えますよ。
 でもこれがフジテレビみたいな、お笑いに長けたテレビ局だったら、もっと面白く出来そうな気がするんだよなー…。

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

とりあえずダラダラと見続けております。
でも、本日に至っては、テレビはついていましたがもうめんどくさくなってきて、途中から話がわかんなくなりました。

あのナレーション。
あれは、絵本の中の、文章ですよね。要は。

絵本だと思うと、あのお話の体裁がよく分かります。

劇中の音楽からあのドラマを考えると、今度はラジオドラマのような特性が見えてきます。映像が無くても、音楽とナレーションでそこそこ内容がわかるようになってる。

どうも、そういうドラマみたいです。
朝ドラがどうの、以前にかなり珍しいドラマです。なんとなく、人形劇みたいな感じなんですよ。(NHKは過去にもいろいろな人形によるドラマをやっていますけれど)

なので、別の意味で、気にならなくなってきました。
現実感がないのも、
絵本や人形劇だと思うとナットクできる。
で、たぶんもう来週はみなくなると思います(^^;)
「江」の時と同じで、あらすじだけ読んでおけばなんとかわかるみたいなので。

「カーネーション」の後遺症で、4月から全くドラマを見る気持ちが萎えています。見ず嫌いというか…。まだ、あの余韻に浸っている有様で。「梅ちゃん先生」には、罪がないんですけどね。

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

相変わらずご覧になっていたのですか、もう脱落したと思っておりました(次週からはそのご予定とか…笑)。

私はまあ、罪のないドラマだと感じます、このドラマ。
気楽にお付き合いください、程度の。
下村家がハイソのツンツン感、冷たさを有しているのはもう理解できました。 特に倍賞サンの役柄咀嚼の方法を見ていると如実に分かります。 小出恵介サンも 「梅子が優秀であってはならぬ」 という役柄咀嚼をしているようです。

それを理解したうえで、天然ボケを発揮している梅子を、そして蔑ろにされている梅子を、笑って温かく見守るドラマなのだ、と。

おそらくこのドラマの生命線は、継続的に繰り出される笑いと、シリアスシーンとのメリハリだ、と感じます。

けれども視聴者を笑いに導入するツールとして、このドラマの音楽は、あまり適切でない気がする。 大げさすぎる気がします。 「視聴者から笑いを取ろうとするんなら、もっと軽~いBGMにしなきゃウケない」、とフジテレビのプロデューサーならダメ出しをすると思う(笑)。

ただ、尾崎サンのドラマを見てきた私にとっては、まだなんか、ちょっとギミックが仕込んである気がする。

もうちょっと、付き合ってみたいと思います、私は…

わかば様
コメント下さり、ありがとうございます。

「『カーネーション』の後遺症」、とても分かります。 この朝ドラに限らず、すべてのドラマが色褪せて見えてしまうのは、「カーネーション」 の大いなる罪だと私も感じます。

私の場合それを払拭するために、節操無くドラマを見続けております。

リウ様、おはようございます。死にました。

ちゃうちゃう……と、此処にも「カーネーションシンドローム」に冒されている者が一人居ります。

朝ドラと医療ドラマの予期せぬ化学反応>
平成医療ドラマの登場人物達って、生死の修羅場を潜り抜けた結果、人格者どころか性格の歪んだ奇人変人キャラの割合が、顕著ですよね。
「白い巨塔」「医龍」「振り返れば奴がいる」「ブラックジャックによろしく」等々。

「明るくひた向きな」朝ドラヒロインでは「アマチュアに毛の生えた藪医者」ポジションで、プロフェッショナル揃いの上記ドクター陣から弾き飛ばされる事、必至でしょうね。
梅子が一人前の医者になるのと引き換えに、何人の患者を「死なせて」しまうのか……。オッチョコチョイのキャラ設定が仇になりそうですね。

医者という題材、掘り下げれば幾らでも「暗く」出来るので、スタッフのお手並み拝見ですね。
それにしても「梅ちゃん先生」緩る過ぎです。

M NOM様
おはようございます。 こちらも死にました(笑)。 コメント下さり、ありがとうございます。

ドラマの緩さにつられて、レビューもところどころ緩くて(笑)、初出の時よりだいぶマイナーチェンジをいたしました、このレビューの文章。

それにしても1週間分を見てからすぐに書き始めて、書き終えたのが2時間後くらい。 「カーネーション」 での最長執筆時間は18時間くらいだったので、実~に楽でイーデスハンソン(このギャグを本文中に書き加えたのは蛇足だった…)。 平和な私の休日が戻ってまいりました(笑)。

「何人の患者を死なせてしまうのか」 というM NOM様のコメントを読んでいて、「もしかするとこのドラマはその先を見つめているのかもしれない」、と考えました。

ここまでドジでマヌケを強調しているなら、おそらく梅子が患者の死に立ち会い続けるのは必至だろう、と私も思います。

でも 「死」 って、そんなに忌み嫌うべきものなのか。

医療は死なないことを前提にしているけれども、安らかな尊厳ある死、こそが重要な時代に、これからの高齢化社会では価値観が移行していくのではないか、というような。

…それはないか、と思っちゃうドラマの緩さですが(笑)。

リウ様

こんにちは。
こちらは「梅ちゃん先生」の記事かと存じますが、「カーネーション」の話題が尽きないようですので、私も少し書かせてください。
と言いましても、私は「カーネーション」の素晴らしさをココロよりアタマで認識した方なので、後遺症等はございません。
ただ、先週くらいまでは他のドラマを観た時に”視聴者に親切すぎる、丁寧すぎる”といった印象を受けました。
「梅ちゃん先生」のナレーションがうっとおしく感じられるのは、もしかすると「カーネーション」の不親切さに慣れてしまったせいなのかも知れませんね。

私はここ数年、一話も欠かさず朝ドラを観てまいりましたが、「カーネーション」はブローガーの方々が最も好むドラマであったと感じています。
「カーネーション」の不親切な行間は、観る側の想像力をかき立て、様々な判断を委ねます。
この行間はリウ様のような思慮深き方々により補完され、作品自体が更なる高みに押し上げられたと思うのです。
裏を返せば行間を読めない、あるいは読まない人達にとっての「カーネーション」は理解し難い、もしくは期待を裏切る作品なのでしょうね。
その意味で「カーネーション」の評価は、観る側のスタンスや想像力、洞察力に依存しているのかも知れません。

ところで、今月から「ゲゲゲの女房」の再放送がBSでスタートしました。
内容を把握している眼で第2週までを観ましたが、既に多くのフラグが仕込まれており、脚本のキメ細かさにあらためて驚かされました。
「ゲゲゲの女房」はまさに冒頭で触れた”視聴者に親切、丁寧”に該当しますが、この丁寧さは巧妙な仕掛けとなり、観る側を泣かせる方向にジワジワ追い込んでいきます。
再放送にも関わらず、不覚にも3回ほど泣かされてしまいました。
私は、「ゲゲゲの女房」に綿密な計算と情熱、「カーネーション」には突出した感性を作品として感じています。

「梅ちゃん先生」についてはSMAPの挿入曲が残念なだけで(ここ数年の挿入曲は素晴らしかったです)、梅子が医者になるまでは脱落しないで観る予定です。
「おひさま」でも、不出来な二男が医者を目指していましたが、こんなにドジな梅子がどのように難関を突破して医者になるのか?
観る側を説得できるだけの描写に期待しています。

Nobu様
はじめまして、でしょうか? 以前にもお越しくださったような気がいたすのですが…。 とりあえず、コメント下さり、ありがとうございます。

朝ドラというのは、おそらく大部分の人が毎日、15分ずつ見るドラマです。 だからいやおうなく、見る人の生活にかなり密着したドラマになる。 毎日のようにドラマに対してああでもないこうでもない、と思いを巡らされるのが、朝ドラの宿命といっていい気がいたします。

つまりそれだけ、ハマってしまうとそのあとが大変です。

客観的に見ていかなる駄作といえども、生活密着型のドラマがひとつ終われば、ペットロス症候群のような悲しみに見舞われるのでしょう。

それと、やはりドラマに限らず、どんなことにも人により、理解の浅深は生じるものです。

私のブログは、多少のかたがたにドラマへの理解を深めさせたかもしれませんが、人それぞれの感じ方でいい、と私は思うのです。

私の母親は、「カーネーション」 でも泣くべきところでは泣いているし、「梅ちゃん先生」 でも泣くべきところでは泣いています。 つまり作品の良し悪しについて論じるのは、こと私の母親のような人にはほとんど無意味だと、私は感じている。 「ドラマを見て何かを感じること」 が出来ればそれでじゅうぶん、だと私は考えるのです。

そして私のブログを読んで 「そういう考え方もあったのか」、と思ってくだされば、それはそのかたにとって世界がちょっとだけ、広がったことになるのだと思います。 私のブログの役割は、おそらくそこまでだと感じています。 だいたい大したブログでもありませんけど

SMAPの主題歌についてもやはり人それぞれで、私も初回に聞いたときは、「ヤミチクリ~」 と思いましたが(笑)、なんとなくこのまったりと優しいドラマに合っているような気がしてまいりました。 こぶ平(敬称略さらに…)のナレーションにはいつになったら慣れるか分かりませんが、その前にドラマ自体脱落かもしれません…。

(≧∇≦)
>「あのドラマは新興宗教だった…」…と

大爆笑してしまいました、確かにその通りだと

NHK、朝ドラ、15分間という枠の中であそこまでの表現ができることを示したという意味では、「カーネーション」は一つの文化事象だったと思います。
しかも、大衆的なエンターテーメントとしての要素も充分持っていましたから、まさに「新興宗教」ですね。

わたしなど、未だそのマインドコントロールが解けない一人なのですが、その精神状態で梅センを視聴するのは、どうにもきついものがあります。

高橋さん、倍賞さんといった芸達者がどうにも自分の居場所というかスタンスを決めかねているもどかしさを画面から感じてしまいます。
それは脚本家のもどかしさのような気がします。つまり、脚本家自身がこのドラマにのめりこめない、登場人物に感情移入していない。
だとしたら、これは恐ろしいことで、この先の展開がどんどん破綻していきそうな予感がしています。

虎児様
コメント下さり、ありがとうございます。

オッサンの繰り出すギャグに笑っていただけて何よりです(すごい達成感…笑)。 実際このレビューは、自分でも笑い転げながら書いておりました(自画自賛ここに極まれり…)。

ただオチャラケると度を越して叱られてしまうのが私の人生のひとつのパターンでして、ちょっと真面目にレスしたいと存じます。

倍賞サンに関しては、「自分の娘のところに医者が婿になってきてくれるほどの家柄、そこはかとない冷たさと世間知らずさ、そしてどことなくあるおっとり感」 という解釈でご自分の役柄を構築しているように思えます。

ただ高橋サンに関しては、いかに厳格な父親を演じていても、人柄の良さがにじみ出てしまうきらいがどうしてもある、そんな気がいたします。

この第2週の話から抜粋すれば、鶴チャンが竹夫にコレ(小指)が出来たと吹聴するのを真に受けてトンチンカンな会話を父と子が交わす、という場面での、なんともいえない中途半端さ。

高橋サンはもっとボケまくって、視聴者を笑わせたい気持ちが全身からみなぎっていたような気がするんですよ(笑)。

脚本の尾崎サンも 阿部寛サンのコメディドラマでやっていたように、笑わせたくて仕方ない人、だと思います。

それがNHKのスタッフによって少々挫かれてるかな、という気はします。

朝ドラだというのにお便所の話とか、ずいぶん内容的に挑戦的ではあるのですが…。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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