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2012年4月11日 (水)

「37歳で医者になった僕」 いずこも同じ、でも医者はどーよ?

 当ブログでは 「それでも、生きてゆく」 以来のフジテレビのドラマレビュー(正確には関西テレビ、か)。 どうもこの半年、食指さえ動かないドラマが多過ぎました、フジテレビ(いや、「カーネーション」 にハマりすぎたのが主たる原因だ…)。

 今回のドラマは、「梅ちゃん先生」 のオープニングテーマ曲でひんしゅくを買い続けている(笑…でもワタシ的には、何回か聞いているうちに少し馴染みましたけど…)SMAPの、そのメンバーのひとり草彅剛クンが37歳にして脱サラし、一人前の医者になるべく研修医を始める、という話。

 …ってこの時点でとても奇異に思えるのですが、この転職の動機というものがいかなるものであれ、これはほとんどあり得ない話じゃなかろうか、と。 ちょっとどうなのかな、という感じで見はじめました。
 たとえば身内を殺された人がその犯人を死刑にしようとしてそれまでやっていた仕事を辞め、弁護士になった、みたいな(例えがオーゲサすぎる…)。 リスクが大きすぎるだろ、と。

 ただこちらの視聴動機といたしましては、まず草彅クンの出るドラマが気になる、というところ。

 少々下世話な記憶を引っ張り出しますが、私は草彅クン、あの不祥事を起こしてから、ちょっと注目しているところがある。
 彼があそこまで自分を見失ってしまったのは、つまり彼が、主演したドラマのタイトルじゃないけど、とても 「いいひと。」 であるからではなかったのか、と。
 いいひとであるがゆえに、自分の生きている芸能界のあまりの浮世離れしたところに、とても齟齬を感じてしまったのではないか、と。

 人間、オイタをしてしまうことはままあります。
 彼の場合少々度を越してたけど(笑)。
 でもその後の彼の仕事を見ていると、すごく 「恥を抱えながら」 生きている気がしてならないんですよ。
 いわばあの不祥事が、彼の 「原点」 になっているような。
 そしてそれが却って彼自身に人間としての深みを加え、なんとも独特の 「どっしり感」 を形成している気がする。

 不祥事後初のドラマ 「任侠ヘルパー」 での彼の演技。 リミッターを外したような暴力的演技に目を見張りました。
 「冬のサクラ」 での演技。 内容的に結構問題なのに、その純粋な演技に、泣きました。

 出ているドラマも、彼自身が決定しているかどうか知らないけれど、おしなべて質が高い気がします。
 そしてその 「任侠ヘルパー」 の脚本家、古家和尚サンとの再タッグ。 これが今回の視聴動機の第二であります(いちいち脚本家がどーのとか、不確定要素が多くてどーでもよろしいのですが)。

 で、視聴動機がどーのこーのといちいち自分もツマラン考察をしておるのですが、ネタバレブログですから全部ばらしちゃいますけど(笑)、今回のドラマにおける、気になる草彅クンの転職動機は、「難病にかかった恋人のミムラサンを治す」、という、まあなんともすごい動機であり(ちょっと揶揄ってるな…)。

 こうやって文章で書いてしまうと、「なんだその程度、そんなんで転職しちゃうかよ」 と思われがちですが、それをそう感じさせないのが、先ほども書いた、草彅クンの持つ、「一種独特のどっしり感」、なのであります。

 ドラマの中で彼が演じる男は、あまり感情の起伏を表に出さない男であります。
 つまりなにものかに常に達観しているような感覚。
 37歳という遅~いスタートに戸惑い、気持ちをざわつかせ、ギャーギャーしているのはまわりだけ。
 彼はいきなりカンファレンス(医局の打ち合わせ会議、ですかね)で、無駄遣いされる紙や、非効率的に行なわれて実がない会議の本質を、元サラリーマンの視点で指摘していきます。
 これに対して医局の連中は 「何をペーペーが知ったよーなことをぬかしとるか」 と、それをスタンドプレーとしか見做さない。
 しかしそれに対する反発も、草彅クンは先刻承知だ、というようにスルーしていくのです。

 草彅クンの 「元サラリーマン」 という視点は、特に大学病院という場所に特有なのではないか、と思われる、常態化して腐敗化している上下関係の問題をあぶり出します。
 その過程で大名行列、という 「白い巨塔」 以来そんなに変わっていないのではないかと思われる 「意味のない検診」 の問題も描写していきます。

 私が数か所の大学病院にかかったこれまでの印象から申し上げますが、大学病院というのは、なんか医療スタッフと患者との距離が遠い。
 インフォームドコンセントとか、その病状を患者に周知させることは徹底していても、まるでその方法しかない、みたいな感覚で話が進んでいくばかり。 患者はその病気に関して、なにも知らないのがフツーですから、へえへえと聞いて、ちょっと分からないところがあったら訊いて、でも説明されてもなんとなくそーなのかな~という感じで話が終わってしまって、みたいな感覚なんですよ、いつも。 町医者でもそうですけどね。
 結局患者はその病気に関して一生懸命勉強するしか、その一方的なインフォームドコンセントに対抗することはできないのですが、結局断片的な知識だから、医者に最後まで楯突くことはできない。

 …って何? インフォームドコンセントって、じゃあ何の意味があるの? ちゅうことですよね。
 特に大学病院の場合、手術を研究資料みたいに考えているケースがまま見受けられる。 手術をしたくってしょうがないように見えちゃうんですよ。
 もしかすっと医局では、自分の病状について、ケンケンガクガクの議論がなされているかもしれない。 患者が情報開示を求めたいのは、そこなんじゃないかな、とも思うのです。

 草彅クンは研修で患者を見ていくうちに、担当医師の斎藤工サンが冷たいのが気に入らなくてコミュニケーションを絶っている脳出血の患者、北村総一郎サンから接触を受けます。
 「えっ? 意思の疎通ができるじゃないの?」 ってなもんです。
 草彅クンが脱サラして研修医になったことが自分の境遇と似ていたことが、北村サンの心を開かせたのですが、やっぱり最大の原因は、草彅クンが患者の立場に立ってものを考えている、と思えたからでしょうね、北村サンが(それにしても蛇足ですが、斎藤工サン、「最上の命医」 のうららかな春の日のような医者とは正反対の役柄ですね)。

 食道のバイパス手術をして栄養を口以外から摂る方法しかない、というように北村サンの医療方針は固まっていくのですが、草彅クンだけは北村サンがちゃんとコミュニケーションが取れることを知っているから、嚥下不良による肺炎、というリスクを押してでも、流動食が口から摂れるかどうかの嚥下テストをするべきだ、と主張します。

 けれどもそれは 「任侠ヘルパー」 で彼の極道の上司だった(親分か…笑)松平健サンの、「大名行列」 によるおざなりな検診で一蹴。 食い下がる草彅クン。
 それを見かねた直属の上司である田辺誠一サン、「11人もいる!」 のい~かげんキャラから一転して(爆)、「会社も病院も上司に楯突けばやっていけないのは同じだ」 と、草彅クンを諭すのです。

 それまでこのドラマ、大学病院という特殊な場所の抱える問題点を次々にあぶり出していってたのでちょっと気付かなかったのですが、そう、よく考えてみればこれって一般企業でもまったく一緒の構図なんですよね。

 そしてそれは、草彅クンがサラリーマン時代に感じていた塗炭と、まったく一緒の構図だったわけです。

 嫌いな上司にヘーコラする、それまでの習慣を変えるのにムチャクチャ障害がある、上が決定したことに逆らえない。

 草彅クンは、医療という 「人を救う」 仕事ではそんなことはないだろう、と思って、この仕事を選んだわけだったんですよね、大きなリスクを負ってまで。
 それが現実の壁にぶち当たって、元気がなくなり、長いものに巻かれろ、というような流れに行ってしまいそうになる。

 それを打破したのが、草彅クンの恋人役、ミムラサンだったわけです。

 このミムラサン、登場時からまったくセリフがなく、草彅クンとのコミュニケーションもケータイでのメールばかりだったのでちょっといぶかしく思っていたのですが、実は事故による腎臓疾患で、そのショックによる失語症になっていたのです(番組HPによる)。

 先ほどちょっと揶揄ってしまった草彅クンの転職動機ですが、その 「ムリヤリっぽい」「それくらいで」 と感じてしまいがちな見る側の気持ちを和らげているのが、このミムラサンの特殊なキャラクター設定および造形だ、と感じます。
 元気のなかった草彅クンを心配して病院を訪ねてきたミムラサンが、いきなり手話で草彅クンと会話を始めるシーンは、ドラマ的な驚きをもたらしてくれた。

 「(やっぱりつらそうな顔してる。 嫌なら言わなくてもいい。 でも、いいの? せっかくお医者さんになったのに、そんな顔してて?

 私のことはいいから、祐太さんらしく、…頑張って!)」

 このシーン、当然ミムラサンはひと言もセリフを言いません。
 でもその表情は、とてもくるくる変わって楽しそう。
 こういうのを見ると、一気にこのミムラサンに、感情移入してしまいますよね。
 「ありきたりっぽい動機」 という見る側の意地悪な気持ちは、これで吹っ飛んでしまうのです。

 自分らしく。

 元気を取り戻した草彅クンは、北村サンに嚥下テストを強行。
 もちろん北村サンの同意済みですが、直前に血相を変えてなだれ込んできた医局の連中の前でそれは行なわれ、この患者が嚥下を出来ることが証明されます。

 草彅クンは田辺サンに向かって、こう言うのです。

 「現実にがっかりするより、自分の理想を貫こうかと思いまして」

 「子供じみた考え方だ」

 「(笑って)ええ。 でも、やれるとこまでやってみます」

 「君ひとりが頑張ったって、病院は変わらないよ」

 田辺サンのその言葉に、草彅クンはこう答える。

 「病院を変えようなんて思ってません。 …僕は、自分が変わるために医者になったんです」

 これはキラーフレーズですな(笑)。
 このセリフで、「このドラマは来週も見よう」 という気になりました。

 つまり嚥下テストを強行した草彅クンは、「あと先どうでもいい、自分の納得することをして、辞めさせられたらそのときだ」、と思っている。
 けれどもどうしてもそれにはリスクが伴うから、半ば自暴自棄の行動であることも確かです。
 でも患者がそれを望んでいる。
 そのことにまさる医療判断なんて、あるでしょうかね?
 医療裁判とか、医療ミスに対しては、現代ほど神経質になっている時代もないでしょうね。
 でも、そんな齟齬でさえ、医療が患者の気持ちから遊離しているからこそおきるんじゃないでしょうかね。 

 だからやっぱり、会社と病院とでは、違うんですよ。

 病院を経営する以上それはやはり商売でなくてはならない部分もありますが、もともとホスピタルは、ホスピスという言葉から発生している。 献身的な介護が原点なんですよ。 私情なんか二の次で。

 ひとりの人間と向き合うことが医療なのであり、ひとりの人の人生と向き合うことが、医療の本質なのではないでしょうかね。

 そこにいるのは、「患者」 という、病理を抱えた 「ケース」 ではないんですよ。

 「病院を変えるなんて大それたことなど考えていない。 それまで会社人間として殺していた自分を生き返らせる作業なのだ」、という、この草彅クンの、とても等身大な思い。

 なかなか深いではないですか。

 蛇足ですが。
 草彅クンの研修医の同僚として、水川あさみサンが出色です。 「江」 では彼女の本来のキャラであるぶっちゃけたところが全開でしたが、どうも役柄的に、彼女はこういうクールビューティのほうが合ってる気がいたしますね。

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コメント

リウさん。


例の不祥事はさしてファンでもなかったワタシもショックでした。
彼のイメージが徹底的に『イイ人』だったからだけではありません。
こちら側が勝手に作り上げたイイ人にも、そりゃそうだよな、人間だもの、でも忘れちゃってた。その画一的な自分の物差し加減が『わかってるつもり』って奴がなんかワタシ的に、自分はどうよ!と。はぁ糸子じゃないけどまだまだ未熟者だわ。しゅん(*_*)


それはさておき。
このドラマ。
『僕』という一人称がつくタイトルは草なぎくんのオハコのようですね。
内容も内省的になり、より深みも表現されるようです。
ギラギラしてない。言葉は違うかもしれませんが、ホワンとした暖かみが草なぎくんから漂ってきて心地よく、自然と感情移入できました。


演出家の蜷川さんが草なぎくんを評して、天才だかなんだか褒めていた、という話を聞いた記憶がありますが『任侠』で見せた狂気じみた暴力も、僕生きシリーズの仄かに暖かい人間性も、冬のサクラの透明な純粋さも、一人の演技者として素晴らしく今回のドラマもとても楽しみにしていました。

元サラリーマンが37歳で医者になった実話を元に、脚本されてるみたいですが転身する動機となぜあの古い体質の大学病院を舞台にしたのか、もう少し強く明らかになればもっとドハマりしそうです。

楽しみです。

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

草彅クンに限らず、ワイドショーとかで話題になっている人の真実って、本当はとてもずれているパターンが多過ぎるのではないか、という気は、チューボーだか高校生のガキの頃から思ってました。 ロス疑惑事件の頃あたりからかな。

こっちはただ、知った気になってるだけ。

ワイドショーのような下世話なことに限らず、ニュース全般にしてもそうです。 現実にこの目で見ないものを他人の視点で、私たちはものごとを考えすぎる。

もっとも客観的であると思われるNHKのニュースにしても、恣意的な部分がないかと言えば疑わしい。

草彅クンのドラマ、事件を起こす前は、ほぼといっていいほど見ておりませんでした。 だから論評することすらできないのですが、以前がどうだったにしろ、事件後の彼の姿勢には、限りない自省の上に立った誠意というものが見られる気がするのです。

地デジの大使をノーギャラで継続し、全うしたということも個人的には好感を持っています。

SMAPのなかでは、いちばん地に足をつけて芸能人をやってる、という気がいたしますね。

「梅ちゃん先生」 での役柄とまた違ったミムラサンの演技にも、彼女の誠実な部分が見え隠れする気がいたします。 田辺サンや松平健サンの動向も、注目したいですね。

リウさん。

先週、録画予約がなぜか!できてなくて

もう、ガックリ(泣)

で、第3話。
いいお医者さんって、どんなお医者さんなんだろう、と考えさせられました。
カーネーションでの木之本のおっちゃんが、まだ記憶に新しく、ちょっと混乱しましたが、甲本さんが患者役でした。全くの別人…
後半なき通しで、ついには声をあげて泣いてしまいました。
放心状態です。


患者のために本気で泣いてくれるお医者さんって、どれだけいるんだろう


いざそうなった時、運よく出会えるだろうか
妹が難病で随分長く苦しんでいます。
最初、地元の病院で鬱病と診断されてからは、苦しさを訴えてもすべて精神的なもの、と判断されまともにとりあってもらえず
何度も自殺未遂を繰り返しました。

やっと本来の病気が見つかり、完治はしないけど精神的には安定しました。
ただ厚労省ではまだ認知されていない病気なので治療はすべて自費になり、経済的にいつまで治療できるか、それだけが心配ですが…

医師の言葉 についての話だったので傷ついた妹のことなど頭をよぎり、とにかく泣けました。

ご覧になってなければなんのことやら…呆
とは思いましたが、ついコメントしてしまいました。

いつも重いコメントですいません

友人には明るくて楽しい人でとおっているんですけどね(笑)

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

第2回目、まーだ見ておりませんcoldsweats01。 春ドラマのファーストインプレッションをガツガツ書いてたら、第2回目まで視聴の手が回らなくなってしまって…。

で、なんのことやら…の世界になってしまいましたが(笑)、なんとか頑張って見てみたいと思っております。

みち様が表面的には明るくても、重たい人生を送ってこられたことは、私も少しばかりではございますが理解している、…かな。

でも苦しみを経た人でなければ輝けない明るさ、というものが、やっぱりあるんだと感じます。

悲しみとか苦しみに、あまりメーターが振り切ってしまうと、そのうち 「これが人生の本来の姿なのだ」、というあきらめの境地になってきます。

私なんぞは、あまりにも幸せにならな過ぎてsad、「どうも空の上のほうで、オレが幸せになると許せなくなるヤツがいるらしい」 と考えておりますが(爆)。 でもそうやって不幸を笑い飛ばせることができるのが、幸せの本当の形なのでは?などと、うがったものの見方をしております(笑)。

だから他人の悲しみにも、寄り添うことができる。

ドラマを見ていて泣ける、というのは、「こんなんじゃ泣けねーよ」 とうそぶいている人なんかより、よほど信頼できる心の優しさを持っていると感じます。

泣くことができる、というのは、まだまだ人生、自分にも価値が残っている、ということです。 「もういーや」 と思ってしまったら、そのときこそ生きる価値がない。 「なんでこんなにつらいのか?」 と考えられるだけまだ救いがある、と私は考えます。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

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    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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