« 「37歳で医者になった僕」 いずこも同じ、でも医者はどーよ? | トップページ | 「カエルの王女さま」 不覚にも、泣いてしまったぞ(ハハ…) »

2012年4月12日 (木)

「陽だまりの樹」 手塚治虫氏の意図って何だったのかな

 NHKBSプレミアムで始まった、手塚治虫原作のドラマ 「陽だまりの樹」。
 ビッグコミック連載時に読んでいたのですが、どうも途切れ途切れで読んでいたせいか、どうもこの作品を、トータルで考える機会がなくて。 すごく近視眼的にしかこの作品を理解してない気がしてしょうがないんですよ。
 テレビアニメでやってた時も(確か中井貴一サンがナレーションやってた)どうもちゃんと見てなくて。
 今回のドラマはその意味でも、この作品をどのように自分のなかで咀嚼できるのか、いい機会だな、と思います。

 ただテレビドラマとしての体裁を考えたとき、ちゃんと見続けることができるのかどうかは今のところ微妙です。 何度も断片的に触れてきたせいか、物語の先が読めてしまうところがあったりして、そこに向かう演出がもどかしかったり感じました、第1回を見た限りで言えば。

 この作品のことを考える時いつも思うのは、手塚治虫氏がこの作品を作るときに、いったい何を意図していたんだろうな、ということです。

 この作品を執筆していた時、手塚氏はすでに晩年に差し掛かっていた。 51くらいから57くらい、かな。 3年後には亡くなってしまうので。 60ですよ。 早すぎるとしか言いようがないですね。

 私もそろそろこの年代に突入いたしますが、感じるのは、自分の先祖についてきちんと認識しておきたい、という欲求って、歳を重ねると強くなっていく傾向があるんですよ。
 おそらく手塚氏の場合もそれがこの作品を書くもっとも大きな動機だったんだろうな、というのは感じます。

 ただ、作品を仕上げるうえで手塚氏が作りだした架空のキャラクター、伊武谷万次郎の存在意義が、よく分からない。
 今まで私は、彼は手塚のなかでは、幕末を生きた勤労の志士としての象徴的存在、として、いろんな人物をごった煮して生まれたキャラクターだ、と感じていました。
 それを手塚氏は、自分のご先祖である手塚良仙と、思い切り絡めた。
 こうなってくると、手塚良仙の話が一気にフィクションとして突っ走ってしまうきらいがあるんですよ。

 手塚氏がご先祖の良仙を女好きで遊び人のキャラクターにしたことは、史実かどうかは知りませんけど(手塚家にしか分からないこともありますし)、こうすることでご自分のご先祖が生き生きと幕末の時代を駆け抜けていったことが表現できる。
 別に蘭方医として面白くもなんともない人物だったら、そもそも物語として成立しなかったりもしますけど、その場合はまわりの人物を面白くしてご自分のご先祖の存在感を浮かび上がらせることもできます。

 でも手塚は、それをしなかった。

 つまりご自分のご先祖様本人を物語の中で生き生きとさせるほうが、ご先祖様に対する敬意を表することができる、と手塚は判断したんでしょうね。

 私は手塚氏の作風って、時折センセーショナル主義に陥る傾向があった、と感じています。
 彼がご先祖をそういう、マンガの中の人物としてキャラを立たせたことは、彼のそういう傾向の発露だと考えています。

 そのうえで、直情径行的な伊武谷万次郎という人物を配したことは、おそらくご先祖が、激動の時代を生きた人物だったことを浮かび上がらせるためのひとつの方策だったのではないか、と今のところは考えているのです。

 今回のドラマでその自分の考えが幾分修正されるのか。 そこらへんに焦点を当てながら見ていきたいと思います。

 その伊武谷万次郎役には、いかにもまっすぐな男を演じさせたらこの男以外にはなかろう、という、市原隼人クン。
 そして遊び人の蘭方医、手塚良仙を演じるのは、成宮寛貴サン。
 ふたりともなかなかハマリ役です。

 このふたり、腐れ縁がもとで第1回、藤田東湖先生(津川雅彦サン)の元に教えを請いに行くのですが、そこで藤田は庭にあった、朽ちかけた桜の木を、内部から腐りかけている江戸幕府になぞらえます。

 「安泰の時は人は怠ける。 幕府のなかでも、おのがことしか考えず、利を貪る獅子身中の虫が沸いておる。
 このままでは、日本は滅びるかもしれぬ」

 この桜の木こそ、「陽だまりの樹」 の題名につながった木なのですが、要するに 「陽だまりの樹」 とは、滅びゆく江戸幕府のことを指している。
 この言葉にふたりはいたく感動し、良仙などは 「オレは今日を限りの女断ちする」 とまで誓うのですが、次の場面ではすでに芸者遊びに興じている(笑)。

 実に 「偉大なる市井」 の人、という感じです。

 それにしても 「安泰の時に人は怠ける」、というのは、けだし名言であります。

 そんなに頑張らなくてもお金が入ってくる、という状態になったとき、人は腐っていく。

 頑張っても頑張ってもそれに見合ったお金が入ってこないことのほうが多いのですが、いっぽうではそういうおいしい思いをする人って、いるんですよ。 要領がいいってことでもあろうし、その職業自体がボロイ(思った以上にバカバカ収入がある)ということでもある。

 そうすると、その安泰な状態を、人は維持しようとするんですな。

 誰とは申しませんが。

 いるんですよ…。

 フッフッフッ、アーッハッハッハッ(なんなんだ…笑)。

 大阪維新の会が盛況なのも、そんな腐った世の中をどうにかしようとする動きなんでしょうが、ボロイ思いをしようとする連中が選挙目的で近づいてるってのもあるかもしれんです。
 いずれにしても世の中、ボロイ方向にばかり向いてますな、いつの世になっても。
 苦労するのは市井の人々だけ。

 手塚氏の意図も気になりますが、そんなことまで考えさせてくれる、今日的な意義を持つドラマになってほしい気がいたします。

|

« 「37歳で医者になった僕」 いずこも同じ、でも医者はどーよ? | トップページ | 「カエルの王女さま」 不覚にも、泣いてしまったぞ(ハハ…) »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/54453976

この記事へのトラックバック一覧です: 「陽だまりの樹」 手塚治虫氏の意図って何だったのかな:

« 「37歳で医者になった僕」 いずこも同じ、でも医者はどーよ? | トップページ | 「カエルの王女さま」 不覚にも、泣いてしまったぞ(ハハ…) »