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2012年5月 4日 (金)

「37歳で医者になった僕」 第2-4回 自分の人生の最後を決めるのは自分

 このドラマ、当初は37歳という高齢(?)で研修医となった草彅剛クンが、いったん社会人として仕事をしてきた経験を生かしながら、医療の形態に対するアンチテーゼを示していくドラマだと思っていたのですが、どうもそうじゃない気がしてきました。

 まず第1話では、脳出血の後遺症患者である北村総一朗サンに、人工的に食道を作るというイメージの 「胃ろう手術」 を受けることを本人に決めさせるかどうかを、草彅クンが迫ったものでした。
 そして第2話では、経済的な理由からこれ以上の入院治療を拒む糖尿病患者の徳井優サンが、病院を脱出するという話でした。 ただし結局それは草彅クンらの 「医療費免除制度」 提案によって解決の糸口が開かれたわけですが。
 第3話では末期の膵臓がん患者であった甲本雅裕サンが、治癒の可能性が30%である抗がん剤の投与をするかどうかを決めることが物語の主軸となっていた。
 第4話では、治癒の見込みがない肝臓がんの元女優、江波杏子サンが、自分の人生の最後は自分で演出する、という意思を見せた回。 同時に自殺願望の少女がもう一度治療を受ける決心をするまでのドラマが絡み合っていた。

 このクランケのケースはすべて、病院の枠に収まりきれない草彅クンがその決断を用意したとはいえ、最終的な治療の判断がすべてクランケの側に委ねられているのが特徴だと感じます。
 逆に考えれば今の医療の世界、いかに医師主導で治療のコースが誘導されているかが浮き彫りになってくる。
 このドラマで何回か出てきた問題のひとつに、インフォームドコンセントは一応されるけれども結局、何が何だか患者及び家族の側には判断のしようがない、ということがある。
 それはインフォームドコンセントが単に医師の治療方針伝達の手段でしかない現状を物語っているように思えるのです。
 草彅クンはその情報開示を限りなく分かりやすく噛み砕くことで、実はそれで患者側に自らの責任能力を従来以上に迫っている、と私には思える。

 つまりは、自分の人生、どういう終末にするのかは、自分の判断に委ねられなければならない、という思想です。

 だから草彅クンの姿勢は一見、とても分かりやすい、患者のことを思いやった誠実で分かりやすいものでありながら、実は患者にとってはなあなあで治療されるよりもずっとキツイ。

 もし自分が、死に至る病に罹ったとしたら。

 医療を受ける側にとっては、まず自分が家族にとってどれだけの存在的な重みを持っているのかが吟味されると感じます。 家族がいなかったりすれば自分の存在の重みはそれだけ軽くなるでしょうしね。 家族だけでなく社会的立場に置き換えても同様です。
 そして経済的にどこまで治療可能なのかも吟味されてしかるべきでしょう。 今回徳井優サンのケースにあったように、医療費免除制度というものがあるのならば、それに頼るのもいいでしょうけど、限界ってものもあると思うのです(不勉強で分かりませんけど)。

 そして最後に、これがやはりいちばん重要なのですが、「自分はどうあっても生きたいのか、それとも自然のままに死んでいってもいいと思うのか」、です。

 これはどちらにしても、最後まで自分が病と闘った、という点では同じだと思う。
 いずれにしても自らの生命の尊厳は、守られるであろうと感じます。

 限りない痛みのなかに自分が置かれた場合、人は 「今すぐにでも楽にしてくれ」 と思いがちです。
 どこまで自分が闘えるのか。
 それは人それぞれだけれど、私は血だらけになっても、最後まで 「自分は生きている」 という自覚のもとで生きたい。
 少なくともこのドラマに出てくるクランケたちは、その、誰に頼ることのできない重大な問いに、自ら直面しています。
 決めるのは、自分なのです。 医者ではない。
 (ただし第4回での自殺願望の少女みたいに、自殺するのを自分の権利だとは思えません)(ここで問題にしているのは、自分が死に至る病に罹っている場合のみです)

 このドラマに出てくる研修医たちも、草彅クンという存在によって、逆に医師の本分とは何なのかに、また直面している。 そして自分たちが患者たちの傲慢な暴君であってはならないことを、日々噛みしめていく。

 このドラマで従来のような問題ある医療現場の象徴として、松平健サンが配置されているのには、少々危惧を感じます。
 ただ松平健サンを今後このドラマの作り手がどのように処遇していくか、その分岐点によって、このドラマの質が決定される気は、するのです。

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コメント

リウさん。

先週の『最後に決めるのは患者自身』ということ、確かにその通りだと思います。が、その判断さえなかなかさせてもらえないものです。やはり、こちらは素人ですから。だからこそ、テレビの中くらいは、草なぎクン演じる紺野先生みたいなドクターがいてほしいと思うのです。
セカンドオピニオンも例えば、セカンドのドクターより主治医が立場が上のドクターだと、患者にとって最良の治療をすすめることがなかなかできないんだ、と聞いたことがあります。
いわゆる、ドラマの中の古い体質の大学病院に、そういった事例が多いこと、、、
今週もそんな慣例の壁に、草なぎクンは立ち向かいます。

『仕方ないで諦めようとは、僕は思わないよ。状況は変わらなくても自分は変われるから』

このセリフ、第1話でもそんなことを言っていました。
来週はそんな紺野先生が、何故37歳で医者になったのか、その理由が話の中心になりそうです。

結構、心に強く響く言葉に出会えるので、また今週も大泣きでした(;.;)


ところで、ひったくり事件のその後ですが、PASMOの再発行したところ物販の形跡があり、警察にその旨伝えたところ、どこで購入したかTokyoMETROに依頼して調べるとのこと、、、さすがに警察力は違いますね。

カバンはまだ見つかっていません(;.;)

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。
名無しのゴンベエさんだったのですが、文面からみち様と判断できましたので、勝手ながら名前を入れさせていただきました。 スマホの使い方、まだ慣れていらっしゃらないようですね。 と、スマホを持っていない私が申し上げております(笑)。

さて。

最良の治療、というものって何なのかな、と私は考えたりします。

自分がほかの人にとってなくてはならぬ存在のとき、自分の人生は自分だけのものではない、と考えざるを得ないですよね。 自分の人生なんですけどね。

それに、まだまだ長生きしていろんなことを見ていきたい、と思うとき、やはり病気は最良の方法で治したい、と思う。

でも、自分の人生くらい自分でケリをつけたい、と私などは考えてしまうのです(少数派だろうな~…笑)。

その病気で死んでしまうのであれば、それはそれで自分に課せられた運命なのだ、と。

これは私が、私に関係している人全員に対して責任感があまりにもないことの表れでありますが、長く生きてりゃ病気にもなる、だったら自然のままで死んでいくのも自分の勝手だ、なんて考えてしまう(厭世ではありません)。

医療というものは病気を治すことが大命題で、それが揺るぎない性格を持っている現代ですが、その価値観からはみ出してしまう、私のような考えの人間も、いると思うんですよ。

つまり、病気というものは、治すことが最善なのではない。

共存しそれと向き合いながら死んでいくことも、また人の生き方なのだ、という考えです。

ちょっと理解し難い話かもしれなくて恐縮ですが、病気になることを一概に悪いほうにばかりとらえず、あるがままに受け止める。 そうすることで、病気になった時の絶望を克服できる。 これは言わば、変形的なポジティヴシンキングなのです。

そのうえで、社会的な自分を尊重すれば、治すことが最善だと思われます。

ただ、個としての自分を考えた場合、そんな考えをする人もいるんだなあ、という目で見ていただければ、幸いです。 レアケースだ、と思っていただいても構いませんです

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
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  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
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  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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