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2012年7月22日 (日)

「FNS27時間テレビ笑っていいとも!」 タモリ・さんま・たけし・鶴瓶の深夜トークを見て

 フジテレビの27時間テレビとか日テレの24時間テレビとか、基本的にどうでもいいんですが、フジ27時間の深夜にやっている明石家さんまサンとSMAPの中居クンがやっているコーナーだけは見たり見なかったりしていました。

 それが今年は、タモリサンが総合司会なうえ、ビートたけしサンも参戦するとかで、私みたいなオッサン世代には、それだけで食指がかなり動くわけであり。

 番組ではこのさんま・たけし・タモリを合わせてビッグ3などと称しておりましたが、ここに入っている鶴瓶師匠も忘れてないですかね。 ビッグ4でしょ。

 いずれにしても、1980年あたりからこのかたがたは、お笑い界のトップに常に君臨しているわけであり、そこから派生しているお笑いの定義というのが、この30年というもの、あまり煮崩れしていない印象を受けるというのは、返す返すもすごいことです。

 このかたがたのほかに、「テレビの人気者」 として 「お笑い」 というカテゴリーに長くとどまっている方々と言えば、このほど文枝を襲名した桂三枝師匠、堺正章巨匠くらいではないでしょうか。

 今回この巨頭たちが深夜に会しているのを見て、昔感じていた感覚が戻ってきたと同時に、月日も流れたなあと思いました。

 つまり、ビック3とかなんとかいいながらテレビ局が一緒に仕事をさせていて、常にその力関係が垣間見えていた、という昔の記憶。
 たけしサンとさんまサンのお笑いのベクトルと、タモリサンのお笑いのベクトルって、違うんですよね。
 だからこうして会して会話をさせると、どことなくタモリサンが会話のなかに入っていけないようなもどかしさがある。
 だのに、さんまサンとタモリサンをふたりきりで喋らせると、面白い。
 これって面白い現象だなーと、昔っから考えていたんですよ。

 たけしサンとさんまサンのお笑いって、結構おふざけ型ですよね。
 ツッコミ型、とも言える。
 たけしサンの場合さらに、そこに浅草系の作り込んだお笑いを作りたがる傾向がある。

 ところがタモリサンのお笑いというのは、冷静沈着型で、受け止め型。
 でも、ボケという役割を、積極的に行使していない。
 頭脳型、知能犯的お笑いだからです。 ボケて自分がバカになることを、よしとしない。

 だからたけしサンとタモリサンというのは、合わないんですよ。
 たけしサンは作り込みながらおふざけをしたがるのに、タモリサンは冷静だから。
 だから突っ込んでくるたけしサンに対して、タモリサンは上手に反応が出来ない。 いや、反応すること自体を拒絶する傾向にある。

 ところがさんまサンは、そこらへんがすごく柔軟にできていて、相手に合わせたツッコミの仕方が出来たりする。
 だからさんまサンとタモリサンをふたりきりでしゃべらせると、そこに知的な化学反応が出来て、面白くなると思うんですよ。

 ここに鶴瓶サンを絡めて論じますが、鶴瓶サンというのは、傾向的にはボケとツッコミが同居しているような感覚がする。
 それは鶴瓶サンが、生粋の落語家だからでしょうね。
 落語では両方の役割を演じなければならないから。
 だからこの3人に絡めると面白そうな気がするのですが、意外とそういうベクトルに向いていかない。

 それはなぜかというと、鶴瓶サンは比較的、幇間(タイコモチ)的な性格を有しているからではないか、と感じます。
 相手を持ち上げながら転がしていく、という傾向にある気がする。
 だからこのビッグ3を持ち上げながら会話に割り込んでも、意外と面白くなっていかない。

 ただ今回、この深夜のビッグ対談を見ていて感じたのは、特にタモリサンの側に、昔ほどの変なこだわりがなくなって、たけしサンの立場を理解しているような変化が見られたこと。

 これはタモリサンが大昔ダイキライだと公言していた小田和正サンとかに対するこだわりが、いまはさほどなくなっているように見えるのと同じことなのかな、と。

 まあありていに言えば、人間丸くなったのかな、と。

 と同時に、たけしサンの側にも、タモリサンとは絡みにくい、という態度を見せながらも(だって会話のあいだじゅう、ほとんどさんまサンのほうを向いてましたからね)、どことなくタモリサンとはじっくり話し合ったら結構話が合いそうだ、と感じているような部分を垣間見ることができた。

 …ただですね。

 これってみ~んな、私のすっごく個人的な感想ですからっ! ザンネンっ!(ハハ…)。

 って、古~いギャグをかまして思ったのですが、今のお笑いの人たちがタモリサンたちみたいに、はたして30年後も生き残ってるでしょうかね?

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

リウさま。こんにちは。
実は27時間テレビ観てないのですが、「お笑いBig3」の話になると世代的につい口を挟みたくなりまして・・・

たけしサンとさんまサンの会話にタモリさんがはいっていきづらく見えたという現象、興味深いです。リウさんご指摘のように、3人の芸のタイプの違い、というのも確かにありますよね。で、私はそれに加えて、3人の芸人としての出自も大きく影響しているのではないかと思います。

さんまサン、たけしサンが吉本、浅草という伝統的な「お笑い芸人養成システム」から出てきたのに対し、タモリさんは、強烈に面白い素人が大きな存在になってきた感じ。その違いは、3人の芸風や活動領域をかなり色濃く規定しているのではないかと、そんな気がするのです。

さんまサンとたけしサンが顔を合わせると、とにかくおちゃらける、というかその場を笑わそうとするのは、これはもう修行時代に刷り込まれた芸人としての本能みたいなもんでしょう。だから、たけしサンは、「世界のキタノ」になった後でも、被り物手放しませんし(笑)、極端な話、この2人は、どんなに落ちぶれ果てようとも(ほぼ有り得ませんが)、地方のスーパーの駐車場ででも、ベタなお笑いをやり続ける、そんなタイプの芸人だと思います。

タモさんの笑いは本来、批評家的というか自分の世界観に同調する人だけが受ければいいというものでした。それが、時代にシンクロしたおかげもあってここまででかい存在になったわけですが、今でも、自分に興味のない人や物に対してはおそろしくあっさりスルーするMCの様子を見たりすると、ああ、この人の根っこがアマチュアリズムにあるのは変わんないな、と思ってしまいます。たけしサンやさんまサンなら、どんな対象でも、とりあえずいじったり、食いつたりしようとするのとは対照的に。

なんだかタモリさんの芸人としてのスペックが、他の2人より受け取られたら困るのですが、そうではありませんよ。「タモリ」という巨大な素人が、因習の中でカビをはやしかけていたそれまでの日本のお笑い文化を揺さぶり、新しい空気を入れたおかげで、その後の「MANZAIブーム」、ということはたけしサンやさんまサンが世に出る道筋をつけたんじゃないか、と思っていますし。タモリさん初期の「4カ国語麻雀」「北京日本語放送」のネタを初めて見たときの衝撃は忘れられませんもんね。

飽くまで噂ですが、タモリさん、この27時間の司会を花道に、例の長寿帯番組を降りるという話もあるとかないとか・・・もしそうなったらなったで、以前のような密室宴会芸を、こっそり深夜にやってくれる番組、つくってくれんかなぁ・・・などと夢想しております(笑)

今回は単純に懐かしかったですが、やはりBIG3を繋ぎとめていたのは逸見さんなんだなと改めて感じました。お笑い論とかではなく、あの3人だけになった時の間がもてない感は逸見さんの喪失感だと思います。BIG3のゴルフが無くなったのもタモさんのせいでもなく逸見さんかな、あの3人の程よい粘着剤は逸見さんがBESTかなと思います。BIG+1みたいな…

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

「笑っていいとも!」 というのは、アンダーグラウンドな笑いの質で売っていたタモリサンを真昼間に引きずり出した、という点で、とても画期的な番組でしたけど、もうタモリサンの役割は終わった、と強く感じますね。

つーか、もうそれって、ずいぶん前から感じてはいるのですが(笑)。

私は相変わらず 「タモリ倶楽部」 だけは毎週欠かさず見ているのですが、タモリサンのやりたいことって、もうここにしか残っていないような気がする。

「ブラタモリ」 もあるだろ、という気もいたしますが、あれはNHK的な教養の押しがちょっと鼻につく部分がある。
おそらく 「タモリ倶楽部」 でも、タモリサンは街歩き篇では学術的にもっと突っ込んだことがやりたいのでしょうけど、これがNHKになってしまうと、ちょっとやりすぎている(しかも笑わせようとする方向が優等生すぎてわざとらしい)、という印象を受けます。 テレ朝とNHKの中間的なスタンスが、タモリサンにいちばん合っている気がするのです。

個人的には、タモリサン的なお笑いが、いちばん私には合ってますネ(笑)。
たけしサンは未だに、顔面を見ているとなんとなく、…これは表現的には不適切ですけど、身障者に対して少し気遣ってしまう、そんな気持ちに似た感情を抱いてしまう。
実は私も帯状疱疹で顔の左半分の神経が麻痺してしまって、軽~いたけしサン状態なんですが(笑)、結構きついですよ、アレって。 特に笑うと顔がひきつったようになる。 力がいるんですよ、笑うのに。

さんまサンはこの歳になると、「ア~うるさいな~」 と思うことが多い(爆)。
でもすごいですよ。 たけしサンにもさんまサンにも、私は敬意を払います。
さんまサンがいなくなったら、この世は何十ルクスか確実に暗くなる、と本気で思ってます(笑)。
本文にも書きましたが、あんな柔軟なお笑いが出来るのは、さんまサンしか思いつきませんね。

なんか、ドリフとかコント55号とかひょうきん族とか赤塚不二夫系(タモサン)とか、私たちはお笑いに関して、とても恵まれた時代に生きていたような気がします。

??様
コメント下さり、ありがとうございます。

逸見サンの存在感、というのは、失って初めてその大きさが分かるようなタイプでしたよね。

考えてみればそういう、タレント同士のジョイント役というのが、逸見サン亡きあと、テレビ界から消えてしまったような気がいたします。
ジョイントする人がいないから、各自がばらばらに拡散して行動しだして。
逸見サンがいなくなって、秩序がなくなって、テレビがつまらなくなった。

??様のご指摘、卓見だと思います。

リウ様、こんばんは。
27時間テレビ、自分も視聴してませんでしたが、一言宜しいでしょうか?

堺 正章氏(師匠と呼ぶのが、微妙に違和感有り)の場合、井上 順氏とのゴールデンコンビによる、軽妙洒脱なボードビルスタイルが持ち味で、寄席や高座の笑芸とは一味違いますよね。

所謂「擽り」で笑わせる芸風で、常に強い刺激を求められるテレビ演芸に比べると、傍流の笑いに感じます。

それにしても、風聞で聞いたタカ&トシの公開プロポーズ。
玄人と素人の境界線を取っ払ってしまった、萩本 欽一氏の所謂「素人弄り」芸が行き着くところ迄行ってしまったかと、慨嘆させられる部分が有ります。

節度無きイケイケドンドンの笑芸に乗り切れない自分は、時代遅れだなと自覚させられます。

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

いつぞやは小野ヤスシサンと地井武男サンのことをあらためて記事にするなどと申しておきながら、そのままになってしまい誠に申し訳ありません。 実は書いたんですけど、ちょっとありきたりな内容になってしまったので、そのまま放置してしまいまして

で、M NOM様ご指摘の堺キョショーについてなんですが。

実は私も堺サンを 「お笑い」 のカテゴリーに入れるのには、ちょっと躊躇いたしました。

ただ、堺サンの看板番組 「チューボーですよ!」 を毎週見続けていて、「この人って面白さが衰えないな」、というのを如実に感じていたもので。

お笑いタレントというのは、実にその旬が限定的である、と私は感じています。

特に 「テレビに出続けていながらお笑いの質を低下させない」 というタレントさんというのは、極めてまれです。

寄席でネタを披露してる芸人さんの面白さが衰えない、というケースは、ままあるんですけどね。

やはりテレビに出る、というのは、自分を切り売りする作業だ、と感じるんですよ。

そう考えると、堺サンの面白さがいまだに衰えていない、ということは、私にとってはとても驚異的に映るのです。

まあ、「チューボーですよ!」 限定なんですけどね。

で、あえて敬意を表して、「お笑い」 のカテゴリーに入れさせていただきました。

ただM NOM様ご指摘の通り、現代のお笑いというのは、内輪ネタ系、ハプニング系、というのに少々頼り過ぎているきらいがありますし、その源流を訪ねると、このビッグ3とか欽ちゃんとかに行きあたってしまう。

更に破壊的なダウンタウンとか、理知的な部分を展開させている爆笑問題とか。

でもそういうのを見ていても、私なんかも、面白くないんですね。

これってお笑いの先人達が、あまりにエキセントリックに笑いというものを追求しすぎた弊害だ、とも思います。

万人受けするお笑いこそが、真のお笑いである気は、するんですけどね。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

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  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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