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2012年8月 3日 (金)

「平清盛」 第26回 「平治の乱」(7月1日放送)を見て

 まだ現在時点、この回を含めて5回のレビューが残されている(別に律義に書く必要もないかなとは思いますが…笑)「平清盛」 大遅刻レビュー(笑)。

 「へへへ…こんなの毎日書けばあっという間に追いつくぞ」 とばかり考えていたのですが、そーも行かなくなってまいりました。 この暑さで(笑)。

 考えてみればここ数年この時期って、暑さで疲労がピークになっていくのを、盆休みというゴールに向かって、息も絶え絶えに目指しながら突っ走っているような気がする(笑)。
 この暑さのなかで働いているすべての人に、心からエールを送ります。

 ただし今回のドラマで展開される 「平治の乱」 は、12月初旬(旧暦かな)のお話。
 ヒートアイランド現象なんかなかった昔ですから、京都はだいぶ涼しいはずです。
 しかしそこで繰り広げられる話は、梅雨が明けてから見てしまうと、だいぶ暑っ苦しくて(爆)。
 いや、「登場人物たちが、熱い!」 と言うべきでしょう(笑)。

 信西(阿部サダヲサン)が自害して果てたこの回、物語はやはり 「平清盛」 というドラマの特徴をかなりしつこく(笑)踏襲した作りになっていたように感じます。
 いわく、「古典からの引用」(「長恨歌」)。
 いわく、「さまざまな伏線の回収」(特に信西と清盛との回想シーン)。
 いわく、「始めと終わりの結びつけ」(前回でも由良が 「と父が」 とやってましたけど…笑)。

 これらの 「たたみかけ」 が功を奏していくなかで、私が見ながら考えていたのは、「義朝(玉木宏サン)が、前回頼朝(中川大志クン)との会話で自らのアイデンティティを回復したはいいけど、どーしてこう極端に走ってしまうのか?」 ということでした。

 義朝は今回夜討ち成功後、摂津源氏の頼政(宇梶剛士サン)から、「いささか浅慮ではないか?」 と、そこんところを突っ込まれてしまいます。

 それに対して義朝は、ニヒルに笑ってこう答える。
 「世に、示すためだ。
 武士の地位を高めるは、政(まつりごと)などではない。 力であることを」。

 「武士とは力を誇示してこそ」 という、義朝のモチベーションですが、義朝の側に清盛(松山ケンイチクン)が想定していたような、「武士の世の到来」 というものが、はたしてあったのかどうか。

 だいたいこの平治の乱の首謀者であると目される、デブ公卿の塚地クンなどは、後白河上皇(松田翔太クン)の寵愛を受けているというだけで、かなり頼りにならない。 信頼(のぶより)とかいう名前のクセして(笑)。

 後白河は後白河で、退位してまでしたかった面白き遊びって、デブ転がしかよ、みたいな(笑)。 彼は信頼に幽閉されても、大して慌ててないし怖がってないし、「幽閉されごっこ」 を楽しんでいるような感じなのですが、後白河が清盛のお膳立てした宋のお茶で退位を決めた、という経過が、ここで生きてない。

 で、そんな出たとこ任せっぽい塚地クンに結託してる、お歯黒ブラザーズも(爆)「おじゃる丸」 みたいな脳内お天気ヤローばかり(どうも品がなくてスミマセン)。 そいつらが、上皇側も二条天皇側もひとからげで幽閉したものだからなんとかこの暫定政権は機能しているようなもので、権力基盤がかなり脆弱に見える。

 そんな脆弱な基盤に寄り添っている義朝。

 「浅慮」 と指摘されても、いたしかたない部分が見える。

 感情的には 「信西さえ討ち取れば満足」、報奨的には、塚地クンから播磨守の地位をもらって(清盛の地位なのですから、要するに横取り、ってことですよね)、それだけで満足してしまうようなレベルでしかないように思われるのです。

 ドラマでむしろ強調されていると考えられるのは、「好敵手・清盛と勝負することに、自分のアイデンティティの帰結を求めている」、という傾向でしょうか。

 義朝はこの回、散々大胆なことをしておいて、「悪平太」 ならぬ 「悪源太」 の異名を持つ自分の長男・義平(波岡一喜サン…「ちりとて」 ファミリーですね)が憎々しげに、「清盛を待ち伏せて首をはねてやる」、などと意気込んでいるのを見て、かなり複雑な表情をします。

 これは息子悪源太の、その極端な猛々しさに義朝自身が気後れした、と見てとってもいい気がしますが、悪源太のその、修羅の道一直線の思考回路が、紛れもなく自分の心のなかにある、ということを知った、おののきでもある気もする。 そして 「義平なんぞに清盛を討たせとうない、清盛と決着をつけるのは、この自分だ」、という思いが募った一瞬ではなかったか。

 いっぽう、熊野詣の準備万端の清盛が、忠清(藤本隆宏サン)から義朝謀反の一報を聞いて漏らした言葉。

 「なんと浅はかなことをしたのじゃ、義朝…。
 あれほどゆうたのに…まだ分かっておらなんだか…信西殿は、武士の悲願を叶えるに欠かせぬお方ぞ!…俺がいますこしのぼるまで、なにゆえ待てなんだっ!」。

 このドラマで清盛が信西に対して抱いている感情が、比較的正直に語られているセリフだ、と感じるのですが、いっぽうで清盛と義朝との間に横たわる、「将来のビジョン」 に対する考えのずれが、やはりここに端的に表れているような気がする。

 つまり清盛は、信西を時代の武士の世における、精神的なブレーンになりうる、と考えている。
 悪く言やあ信西を踏み台にし利用しようとしている、ということですが、「平治の乱」 の回での清盛と信西との 「これでもか」 みたいな回想シーン(笑)のなかで、ただの駒では収まらぬ、パートナーとしての存在でもあったことが、信西の危機に際してクローズアップされていくのです。

 ただ個人的な感想を申せば、その 「これでもかこれでもか」 という回想シーン、結構くどかったけど(笑)そのわりに、エピソードの性格としては単純だった気がします(笑)。
 なんか、結構青春してるんですよ、清盛と信西(笑)。
 私がこのドラマ、いや、清盛に感じている、「なんとなくの上っ面感」 を、なんか、踏襲しているような感じ。
 平氏の権力基盤をもっと具体的に詰めていれば(あ~またかよ)、清盛と信西の友情にも、一定の厚みが出る、と感じられてなりません(耳タコ)。

 これに対して、義朝って、別に武士の世が来ようが来まいが、貴族や朝廷に取り立てられればいい、という感覚でしかないように思える。

 殿上人になるのが悲願だった源氏ですが、いざその立場になっても、馬の世話ばかりしているのって、結構アホみたいな取り立てられ方ですからね。
 だから義朝にとっては、信西入道も、「ただ役職をくれる上司」 みたいな感覚でしかない。
 なんか頼みに行くたびに、加藤虎之介サン(藤原師光)の邪魔が入ったりしてましたけど(笑)、いざ義朝が信西と腹を割って将来のビジョンを語り合えたか、というと、その可能性は極めて低いように思える。

 つまり、見つめている未来が、清盛と義朝では、どうも違っている。

 で、その虎之介サン(そっちにいきなり話が行くか)。

 義朝の襲撃を命からがら信西と共に逃げてきて、信西から 「ここほれワンワン」、ちゃうちゃう(笑)「ここに穴を掘れ」 と命じられます。
 そこはなんの変哲もない草むら。
 この穴のなかに私を入れてみな逃げよ、と信西は言うのです。

 人ひとり入れる穴を作ったりなんかしたら、土砂はまわりに大量に撒き散らされることになります。 却って目立つんじゃないの?つー感じですが(笑)、これは信西がなんとかっていう貴族として(えーと…)初登場した時のシーンを、結び付けている設定であるということは自明です。

 そしてその際虎之介サンは髷を切り、信西から 「西光」 という名前を、授かることとなる。
 これは 「西国に光あり」 という、仏教的な西方浄土を念頭に置いた名だとも思うのですが、それ以上にこのドラマでは、信西の宋国に対する思いを凝縮した名であるように私には思えました。
 この西光、このあといろいろとまた物語に絡んでくるようでありますね(不勉強な私は詳しく語りません…)。

 ただこの虎之介サン、なんか個人的には、見ていてとても、藤原成親(佐藤二朗サンが演じていた家成の息子)を演じている吉沢悠サンと、イメージ的にダブっちゃって、多少混乱しています(笑)。
 吉沢悠サンのほうは、蝙蝠のようにあっちに付いたふりをしてはこっちに付きしているあいだに、権力の動静を見極められないジレンマに陥っちゃっているご様子ですが。

 で。

 で…(笑)。

 私が 「今イチフツー」 と感じた、清盛と信西の馴れ初めから蜜月に至る(あーもー…)「これでもか」 の回想シーンですが。

 「己が誰なのか、分からぬのが道理じゃ…人は誰も、生きるうちに、己が誰なのか見つける…ははははははっ」

 「そなた自身にとって、平氏にとって、世にとって…災いとなるも、宝となるも、…そなた次第よ」

 「私も私の才を世に残したい。 この国では叶わぬのならば、宋へ参って…」

 「そなたは! あらたな荷を背負うた。 叔父を斬ったという重き荷を。 それはそなたにそれだけの力があるということじゃっ! 清盛…。 共に、世を変えようぞ…」

 「行けるぞ…宋の国へ行けるぞっ! これでかの国に学び、もっとよいまつりごとが出来る…」

 それらを懐かしげに、頼もしげに思い出す清盛。

 「誰でもよ~~~い! 誰でもよいゆえ、助けてくれっ!」

 その出会いのシーンで大穴にハマっていた信西と、絶体絶命の今の信西が、重なります。

 「清盛殿…。 助けてくれっ…!」

 そして再び清盛。 「俺は平清盛ぞ…! 者共続けぇーーっ! 平清盛は、断じて友を見捨てはせぬっ!!」

 ここでまた 「♪遊びをせんとや生まれけん」 の強制リフレインがかかっていましたから(笑)、この部分は言わば、「今回の感動ポイントは、ここで~す!」 と言っているようなものなんですが。

 つまり信西は、結構ぐーぜんによって清盛の苦悩ポイントで出現し(笑)、清盛の生きる指針を、的確に与えていった。
 ここにはなんの思惑も人としてのいやらしさも存在せず、ただひたすらまっすぐな、友としての共感があるのみなのです。
 だから叔父を斬らせたということも、その友情を試す大きな契機であったのであり、「新たな世を作る」 という純粋な動機に必要な犠牲だったのだ、という論理に通じていくような部分が見え隠れする。 叔父を斬らせたからこそ、清盛と信西のあいだには、揺るぎのない信頼(のぶより、じゃなくって)が生まれたのだ、という感じでしょうか。

 「平清盛は、断じて友を見棄てぬ」。

 自分が汚れて生きてきた人間だからでしょう、私はこの清盛のセリフが、まぶしく見えて仕方ありません。

 信西は自分から入った穴の底、薄れゆく意識のなかで、清盛が助けてきてくれた、という幻影を見ます。 しかし信西が手を伸ばした先には、追手がいた。 引きずり出された信西は 「やっと自分が誰なのかが分かった!」 と大きな声をあげて笑い、「我は、信西入道ぞ!」 と叫んで、自刃して果てる。 音声が、しばらくまったくなくなります。

 つまりここで作り手が指し示しているのは、「人というのは、死の間際に、ようやく自分という存在を見定めることができるのだ」、という考えなのだ、と思うのです。
 だから信西が死の直前に 「自分が信西だ、ということが分かった」 というのは、その言葉自体に、実は意味がない。 自分の人生というものは、自分で納得するしかないからです。
 そしてそれぞれの人が、自分の人生の正体を初めて悟るのが、自分の死の瞬間なのだ。

 そう考えると結構この場面も深いものがあるのですが、ここで 「そりゃ自分が信西だって、とーぜんでしょーが」 と思ってしまうと、とてもオチャラケた感想になってしまう。

 でもここで、信西が清盛に託していた友情まで思いが至ってしまう感想を抱くというのも、それはそれで話にハマりすぎ、という気もする。

 京入りした清盛は信西の首が軒先につるされているのを見て、嘆き悲しみ、義朝への憎悪を募らせていきます。

 「すべて終わりじゃ…義朝…もう取り返しがつかぬ…!

 これがお前の出した答えならば、受けて立とう!」

 「怒っておろう清盛…しかし怒りこそは力…力こそが武士の真(まこと)ぞ…。

 今こそ定めのときぞ…源氏と平氏、いずれが強いか…」

 「平氏は………源氏を滅ぼす!」

 「源氏は………平氏を滅ぼす!」

 清盛と義朝、互いの怒りによって、世が乱れていく様を、このドラマは実に精神的な精緻で、描き切っていきます。
 ただしそのためになおざりにされている部分も少々。
 どう見るかは、まさに見る側の気持ち次第と言っていいのではないでしょうか(あ~丸投げだ…笑)。

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コメント

 信西と清盛が驚きの青春しているように、清盛と義朝も青春しているみたいです。

 このドラマでは、義朝は清盛と競い合いたいの!武士という自分のフィールドで。後白河が遊びたいといってるのと違う意味で、清盛と凌ぎあうのが生きがいみたい。だから、その機会を息子が取ろうとすると、いい顔しないのです!清盛も危険を顧みず信西助けるぞ!ですから、似たようなものですが。(笑)出会った頃からこの二人、立場は変わっても、気質は変わってないです。

 でも、清盛の「なぜ、オレが上るまで待てなかった」は、義朝には無理でしょ?アンタが上ったら余計差がつくだけじゃん!突っ込みたくなりました。(笑)なのに息子の重盛の方が世の情勢を冷静に見ているのが。(この息子が死んで、宗盛が棟梁になったのが滅亡のはじまりだし。今から準備は着々の脚本です(笑))

 正直、前半のクーデター部分のスピーディさに比べ、信西と西光、清盛と信西のシーンはやや退屈だったけど、この乱への清盛の立位置をはっきりさせるためには必要だったと思います。

 西光は、家斉さんの養子になってますので成親と少しは似ててもいいのかな(笑)穴の中にいた信西は見つかったのに、側で隠れてた西光は、見つからなかったのが不思議だけど、きっと歴史のせいです(笑)

 平清盛は断じて友を見捨てぬ。

 それは、信西に対してであったけど、義朝に対してでもあったと思います。義朝の乱の誘いを受けて立つという意味で。清盛っていいやつだな。

 精神性の世界過ぎるかもしれませんが、宿命の対決に向けての前哨戦!私は十分楽しめました。鹿ケ谷の陰謀の伏線まで信西が敷いてくれたようなものだし!

 自刃する時の阿部信西の潔さは生ききった人のそれだったと思います。自分が誰かを見定め、その生涯を生ききる。しかも、彼には夢を託す友も弟子もいる。阿部ちゃんの演技は素晴らしかったです!

 毎日レビューで追いつこうとか、平治の乱で清盛に勝とうとする義朝のように、やや無謀のような(笑)リウ様、あと5回、がんばってください!義朝と違って、リウ様には次がありますからね!

 

 

投稿: ささ | 2012年8月 3日 (金) 23時28分

ささ様
さっそくコメント下さり、ありがとうございます。
って、もう1か月も前の話だから、コメントも書きやすい?…、もしくは記憶を呼び戻すのに大変、のどちらかでしょうか?

いずれにしてもやはり、私にしてみれば1か月遅れというマヌケ感が払拭できません(笑)。

「ハテ、先週も1か月遅れとか書いていたような…?」 という焦燥感(爆)。

「信西…信西…信西…死ぬな!」 でしたからね(笑)。
愛し合ってるんか?みたいな(笑)。
だから男色は、オレ好きじゃないんだってば(笑)。

どうも男同志の友情というものを見てしまうと、そちらに神経が行ってしまう、というのは、とても困った思考傾向です(笑)。 昔は星飛雄馬と花形満が甲子園の決勝で抱き合って泣いていても、別に 「キモチ悪い」 とか思わなかったのに(笑)。

いや、男色を感じてしまうのは、やはり片方が阿部サダヲサンだからだろうな~。
なんとなくオカマチックだし、この人(失礼)。

清盛が友を見棄てぬ、と言ったのは義朝に対してもそうだった、というささ様のご指摘には、そーだったのか~、という感じです。

武士が力をつけてから、という清盛の発想。

いったい当時の武士って、どの程度のものだったんでしょうね。
おそらくこのドラマの作り手が協調しているように、「王家の犬」 的な存在だったのだ、と感じます。

却って、「武器を手にしている者たちが力というものを誇示する」 のが 「武士の世」 だとすれば、それってことこのドラマの表現方法を見ていると、それこそ清盛の発想にはそこんところがない気がする。

却って武士の世を修羅の世と位置付けている義朝のほうが、自分たちが何者であるか、という考えが透徹しているように思えます。

でもどうなのかな~。

荘園とか豪族とか、そこらへんの成立って、武士という階級の準備期間だ、という気は、どうしてもしますし。

私はこのドラマを見ていて、清盛たち平氏がエセ貴族になってしまった核の部分が、きちんと描写されているような気がしてなりません。

清盛は 「武士の世」 などと言いながら、力でねじ伏せる世を望んでいない。

つくづく考えられた脚本だな、と感じます。

投稿: リウ | 2012年8月 4日 (土) 09時40分

 一ヶ月前なので、記憶は怪しいですけど、呆けると今現在より昔の事の方が覚えてたりしますからね。(笑)いまだに挫折した頃の悪夢を見るのはなぜでしょう(笑)忘れてはならぬという警告かしらん。

 清盛の信西への入れ込みを見てると、「叔父さん一家を斬ったのは忘れたのか」、そこはいいとしても、「父と兄弟斬った義朝と恨みの度合いが違うくらい気付け、この鈍感!」と重盛より人のいい?清盛に苦笑してしまいます。肉親を誰より大事にしているくせに、それを他者にあてはめるまでには彼は人の心をはかれないのか。恨むという感情に陥れられた経験がないというか、護られてきてるからか。それくらい、おめでたいというか育ちがいいのか。前向き思考はよろしいですけど、弟を失った時に苦悩した事とかで、少しは勉強してるかと思ってました(笑)でも信西を助けたいと思う心は純粋だし!義朝の事も大好きだし!困ったやつです。重盛はよく親の守をしてるわ!

 清盛は武力の世を望んではいないでしょう。今の枠組みを大きく変えるのじゃなく、政治に武士が関わればいいと思っている。でも源氏は軍事クーデター派!力こそ武士!朝廷も腐っているが使い道があると思うか、そんなものは廃棄してしまえと思うか。でもどちらも天皇制は廃すつもりがないのが、日本人なんでしょうね。外国と違って天皇制が延々続いてきてますから。

 清盛は時代の流れに柔軟だったのが幸いしたのでしょう。でも、それって磐石とはいかない。清盛個人の資質、とらえどころのなさ、バランス感覚なんてものに頼っているから。付け込む隙があるからまた、彼は面白い人物なのでしょう。

 青春している清盛も、宿命の対決で一区切りみたいですから。でも、友の子、友の妻で、義朝へ愛を叫んでましたけど!(頼朝に向かって!)

 宿命の対決、私は好きだったので、次も頑張ってください!一騎打ちの後の静寂は青春の影だと、わたしは余韻に酔いしれました。しらけた方もいたでしょうけどね。(笑)


 

投稿: ささ | 2012年8月 4日 (土) 10時43分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

私は数年前まで、大学の卒業試験にまったく何も準備してないで臨んで焦りまくっている夢を、よく見たものです(笑)。 実際にはかようなことはなかったのですが、最後の1年ではもう、ひとつとかふたつ単位をとってりゃいい状態で、ほとんど真面目に講義に出てなかったから、そんな夢を卒業後もしつこく見たのだと思います。

重盛の的確な状況判断というのは、なかなか平氏にとって今後、武器になりそうな気がしたんですが、なんか早くに亡くなってしまうようですね、重盛って。

「宿命の対決」、アップいたしました(この調子でやっときゃあっちゅー間なんだがなぁ…笑)。

アップしてからささ様のコメントを読んで、「ゲッ、最後あっさり書きすぎた」 と、いま反省しております(爆)。

結局情緒的な部分より、どうして源氏は組織としてダメだったのかとか、清盛の交渉術の進化についてその原因は何なのかとか、なんか会社の経営絡みでものを考えてしまう癖がついていて、困ったものです。

それでは簡単ではございますが、また 「宿命の対決」 のレビューの項で、お会いいたしましょう!smile

投稿: リウ | 2012年8月 4日 (土) 22時34分

個人的には、大河も松山さんも大好きなので、
楽しんでみています。

投稿: 人脈★吉田けい | 2012年8月13日 (月) 00時36分

人脈★吉田けい 様
コメント下さり、ありがとうございます。
松山クンは将来有望な気がいたします。 この大河でどんどん成長してもらいたいですネ。

投稿: リウ | 2012年8月13日 (月) 08時55分

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