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2012年8月11日 (土)

「平清盛」 第29回 「滋子の婚礼」(7月22日放送)を見て

 清盛(松山ケンイチクン)の妻時子(深田恭子チャン)の妹、つまり義理の妹である滋子(成海璃子チャン)が、あろうことか(笑)後白河院(松田翔太クン)とマジコイをしてしまい婚礼に至る、というこの回。

 普通に料理してしまうと、とても平坦な話になってしまうところですが、作り手は滋子をモジャモジャ頭のコンプレックスを抱えた、「弱さを内に秘めた人物」 と設定することによって、ドラマに変化を与え、さらにそこに後白河のある種の 「異常性」 を絡めることで、この話を視聴に耐えうる作品へと仕上げていました。

 この滋子。

 コメント欄でしばしば話題になる(笑)木嶋佳苗被告(まだ上告してるから被告だよな…笑)と比較して考えると(別に比較せんでも…笑)(まあお付き合いください)、木嶋被告も滋子も、コンプレックスを抱えているという点では同じに見えます。
 けれどもその精神的土壌、というか、成立の過程では、相違点がとても多く見られるような気がします。
 コンプレックスを持つ女性が、なぜここまで違うのか。

 木嶋被告の場合、自分は選ばれた民、選民なのだ、という意識が多分に働いているように思える。
 だからこそ自分は一流のモノに囲まれていなければならないし、セレブでなければならない。

 自分が仕事で働いて高給をもらう、という意識がないそういう女性は、フツーお金持ちと結婚すれば丸く収まるものですが、いかんせん容姿がアレなため(アレって何だ)、ほかの部分で自分をよく見せようと努力する。
 それが木嶋被告の場合、女性という特質を利用したものだったのですが、この木嶋被告の一連の動作についてまわっているのは、みずからの欲望に対してとても従順なのに、選民意識ばかりが先行して 「あくせく働く」 ということに対して嫌悪が見られる、ということです。

 滋子はことこのドラマに限定した場合、髪の毛は巻き毛だけれども、顔はいい(笑)。
 彼女はこのたび公卿になった平家(「平氏」 と 「平家」 の呼び名の違いが、そこから来ているとは、今回初めて知りました)の末席にいて、元々特権階級であったことは自明ですが、彼女の行動規範には、「自分に正直でありたい」、という意識が強く関わっている気がします。

 特権階級であるか否か、つまり環境的に恵まれているかどうかということは、実にこの場合重要なファクターだと思う。

 滋子のように家(平家一族)が基本的に裕福な場合、別に一流のモノにこだわる必要がありません。 もともとあるのだから。
 それで 「自分を生かしたい」、「正直に生きたい、自分を偽って生きたくない」、ということに意識を傾けることができるようになる。 精神的な余裕があるんですよ。
 それに対して木嶋被告のように、いくら願っても得られない経済状態の人ほど、モノに対して飢餓状態となり、精神的な素養を成長させるとか、二の次になってしまう。

 また滋子は、上西門院(愛原実花サン)に仕えているため、いちおう 「仕事する女性」 です。 この点も大きい。
 仕事をして自立している女性だからこそ、「自分を素直に表現する」 ということが余計に可能になってくる。

 木嶋被告と滋子には、同質のコンプレックスを抱えながら、かように生き方が、違ってくる。

 しかし両者とも、「おのれの欲」 のために生きている、という点では、変わりがないのです。

 この回の 「平清盛」 では、それを教えながら去っていく人がおりました。
 平家の筆頭家人、家貞(中村梅雀サン)です。

 公卿になった平家の人々。
 みな初々しい(笑)束帯姿でいかにも成り上がりっぽいのですが(私の嫌いな兎丸も成り金ホテイ姿で登場)、そのなかに家貞の姿がありません。
 実は臥せっていたのですが、そこに立派になった清盛が現れ、私の嫌いな兎丸(しつこい)がくれた唐果物(お菓子でしょうかね)をお見舞いでもってくる。
 家貞は、平氏の貿易事業が、実はこの、この世のものとは思えぬうまさの宋の食べ物を食べたい一心だったから、という最大の動機を清盛に打ち明けるのです。

 こういう草の根的な動機の集積によって、平氏は経済的基盤を築いていったのでしょうが、私はもうちょっとそういう部分を見たかったな。 清盛がどういうビジネスを展開しているのかを見なければ、清盛の言葉に重みが伴ってこない、という理由からです(耳タコ銀だこ値上げショック)。

 いずれにせよ、「欲」 が原動力と知り呆れて苦笑する清盛に、家貞は 「そんなもんでございますよ、欲しいと思うことが男子(おのこ)のモチベーションをアップするのです」 と英語は使いませんでしたが、大要このような人生の結論に達するのです。
 つまり言わば、これは家貞の遺言です。 清盛は祖父の中村敦夫サンの代から連綿と続いていた、そういう 「欲の実現」 のために、強うならねばならない、と。

 欲望というのは、使い勝手によっては最強の武器となる。 「いい欲望」 となりえる。

 しかしそれは、「それを手に入れるために頑張る」、というモチベーションでなくてはなりません。

 でなければ、木嶋被告のように、悪い欲望という波に溺れてしまうことになる(長々と木嶋被告の話をしたのも、ここが言いたかったがため…笑)。

 この回家貞と共に、このドラマから退場していく人物がいました。 美福門院得子(松雪泰子サン)です。

 清盛との最後の語らいで、得子様は清盛の将来ビジョンを、まぶしそうに聞いています。
 そして 「わたくしは、威厳を保つことはできたか…? 亡き鳥羽院の、お役に立てたであろうか…?」 と感慨にふけります。

 得子はこのドラマにおいて、登場早々権力への飽くなき欲をアピールしてきたように思われるのですが、自らの 「悪い欲」 に心を奪われた時期を、鳥羽院への思いという形で収束したがっている。 これが美福門院なりの、自分の人生の結論だったのでしょう。

 美福門院と清盛との最後のシーンでは、雨が降っておりまして、最後には雨に打たれた菊が、うなだれておりました。
 この菊を見ると、鳥羽院がそこでのたうちまわって苦悩した日のことを、思い出しまする…(ああ情緒的)。

 さてそこで清盛は、宋銭を使った通貨による経済の活性化を得子に話していました。

 「なんと言うても交易にござります。 国を挙げて宋と取引をし、宋の銭、宋銭を国中に広めることができれば、さまざまな品がよどみなく国をめぐり、豊かになりましょう」。

 この将来ビジョンは、現在の資本主義経済社会からみて、あまりにも当然過ぎてさらっと流されてしまう部分であるように感じます。

 しかし私はこの部分を見ていて感じたのですが、これって 「貨幣」 に対する強烈な信頼が伴わなければ、実現がまことに難しい問題である、と言わざるを得ない。

 なぜなら、貨幣が勃興する黎明期においては、偽造という問題が常についてまわるからです。
 現代のように紙幣が流通するのも、印刷精度に対する絶大な信頼度の高さが、それを可能にしている。

 さらに頭悪いなりに考えられることは(笑)、この貨幣経済は、宋の国が鋳造した貨幣によって展開していくものですから、貿易の際にはかなり相手の国の言い値でモノの値段が決められていくのではないか、ということです。 不必要に高い取引を強いられるのではないか。 まあ、 「神の見えざる手」 が働くのかもしれませんが。

 ただ清盛のいうように、宋の国のモノが日本に流通するのはいいのかもしれないが、それって庶民に行きわたる、という便利な性格(現代のコンビニ的な感覚)を伴っているようにはちょっと思えない。

 どうもなんか、あと少し、清盛の言葉に重みが欲しい。 「夢物語」 を脱却してもらいたい。

 まあこれも、得子の 「権力欲」、日宋貿易の 「物欲」、という問題を絡めた、重層的な語り口であることは言うまでもありません。

 さらに作り手はここに、滋子の 「欲」、後白河の 「欲」 を絡めていく。

 「つかず離れず、がいちばんよいのだ」 と後白河との適度な距離を模索している清盛。
 ただそこに存在しているはずの清盛の損得勘定、というものが、やはりイマイチ見えてこない。
 そりゃああいう常軌を逸し気味の(笑)おかたには、そんなにくっつくとイチャモンつけられそうだし、疎遠にしていればいたでなにするか分からないから監視が必要だし、結局天皇と上皇どちらにもいい顔をしていれば、権力構造が変質しても対応できる、という思惑があったのでしょうが、それをもっと前面に出して描写してもらいたかった気もいたします。

 ともかくその後白河。

 前々回でしたか、「遊びをせんとや」 の歌を、いかにも物悲しそうに歌っていたのが印象的でしたが、今回公家を集めて宴を催した際、同じ歌を、今度は実に忌々しげに舞うのです。

 前々回のそれは、可愛がっていたデブ頼に幽閉され、「遊び」 ということについて根源的な疑問を抱きながらの寂しい歌だった。
 今回のそれは、清盛から宋の茶碗などを献上されてその白々しさに苛つきながらの、怒りを含んだものになっていたように感じるのですが、前々回さいなまれていた 「遊び」 という意味の所在がつかめなくて、それを探しあぐねていることへの苛立ち、というものも強く感じました。

 しかし、それを食い入るように見ていたのは、この宴に参加していた、滋子です。

 滋子は、ここで 「遊びをせんとや」 の歌を怒りを含みながら舞う後白河の、おそらく 「怒りの美」 に魅入られたのだ、と思う(後白河がイケメンであることは必須条項です…笑)。

 そして本来は楽しい歌であるはずのこの歌を、苦しげに歌う後白河の気持ちに、どうにかして寄り添ってあげたい、と深く感じただろう、と思われるのです(イケメンだからなおさらだ)。 「守ってあげたい」 というのはユーミンの歌ですが(笑)、女子が男の子に恋をする、大きなファクターでもある、と申せましょう。

 「自分はドロボーでもコジキでも、自分の好いた人と一緒になります」 と大々的に宣言していた滋子は、自分の意志のおもむくがまま、そのあと後白河とぐーぜん再会シチュエーションを自ら演出し(?…たぶんそうだろうな…)「遊びをせんとや」 の歌を、いかにも楽しそうに歌って後白河の前に登場。

 そのときも後白河は、宴で散々に不評を買った 「遊びをせんとや」 を、つぶやくでもなく苦しげに歌っていた。
 「遊び」 の意味を考えあぐねた末に、そこらへんにほっぽり出すように。
 歌の意味が、いちいちメタモルフォーゼを遂げていくさまが、見ていてとても刺激的です。

 後白河は滋子の明るい 「遊びをせんとや」 に、だいぶ気分を害された様子です。

 「歌うでない…。

 その歌を…。

 …さように朗らかに歌うでないっ!!」

 滋子は自分の思うがままの人生を、ここでも貫こうとします。

 「お見受けした通り、おかしなお方。

 朗らかな歌なのですから朗らかに歌えば良いものを」

 後白河は、「この歌がそんなに浅い意味の歌だと思っているのか?バカ女め」 といった風情で、低く笑い出します。

 「…朗らかな歌じゃと?…これが…。

 フフフフ…。 アハハハハハハハハ!」

 それは滋子を嘲笑っているようでもあり、自分を嘲笑っているようでもある。

 ところが。

 この嘲笑に、滋子も笑い出すのです。 「アハハハハ! アハハハハハハ!」。

 いや~、ストレートに生きていらっしゃる(笑)。

 「情けないお方」。 滋子の言葉に、後白河は目を剥きます。 「誰に向かって物を申しておる」。 滋子 「声をからして歌うことでしかお心を埋められぬ、弱いお方が目の前にいる。 ただそれだけにござります」。 後白河 「ただで済むと思うておるのか?…わしに左様な口を聞いて」。 滋子 「済まされぬのならそれもまた結構。 歌よりほかにぶつけられるものを見つけなさりませ」。

 後白河は持っていた杯を滋子の脇に投げつける。 割れる杯。 さっきは宋の茶碗をやはり投げつけていましたが、そっちのほうは割れなかった。
 頑丈なんだなぁ~と思っておりましたが(笑)、これは宋の茶碗のほうは、似ても焼いても食えぬ清盛の手強さを表わしていたものだったのではないでしょうか(まあ割れなかったのはぐーぜんかもしれませんけど)。
 それに比べてこっちの女のほうは、そうはいかぬ、という感じ。 後白河の決意を補って余りあります(オーゲサ)。

 後白河は滋子に迫りますが、滋子はいったん、ちょっと拒絶します。
 でもそれをものともせず、後白河は滋子を抱く。
 滋子は案外簡単にそれを受け入れ、手を後白河の背に回すのです。

 これっておそらく、双方に、「抱きたい、抱かれたい」 という欲望が高まっていたことの現れ、でしょうね。
 「遊び」 の意味を探しあぐねていた後白河。
 自分の思い通りに生きると宣言していた滋子。
 それがお互いの意志を突き抜けて、相手に思いを向かわせていく。

 「ちょっとの拒絶」 は、やはり女が男に設定した、「それでも私を抱けるの?」 というハードルなんだ、と思うんですよ。 でも滋子は、半分自分で、そのハードルを倒しちゃってる。
 滋子は、自分のコンプレックスの象徴である、巻き髪に後白河の手が触れることを、はじめよしとしません。 でも、滋子の正体が清盛の妹であると知り、政争の具(増税法案みたいだな)になることを嫌う後白河のやさしさに、初めて髪を触らせることを許す。

 去年の秀吉と茶々の恋愛表現に比べて、ああ~なんという重層的な作りよ(思い出させてスミマセン…笑)。

 で。

 できちゃったわけです(笑)。

 後白河とはつかず離れず、滋子は二条のもとへと考えていた清盛は、完全に頭に血がのぼってしまいます。

 上西門院様の助言によって、巻き髪を直そうとするくだりは、笑えましたなぁ。
 ストレートパーマの技術の元祖がここで出てきたら、さぞや面白かったのでしょうが、そうなると単なるギャグになってしまいます。 却ってカーリーヘアみたいになってしまった滋子(爆)。

 元々プライドが高く、自分の意に沿わぬことを絶対にやろうとしない滋子が、相手に気に入られようとここまでする姿に、最初反対していた清盛もフォローする気になり、めでたく婚礼の運びとなるのです(後半かなりはしょってるな…笑)。

 「遊び」、すなわち 「欲」 の使い道。

 欲というものを極悪視するよりも、欲を自分の行動のエネルギーとして転化していく。
 だからこそ前進して生きていけるわけです。
 家貞も美福門院も、滋子も後白河も。
 そして清盛、も。

 この回のこのドラマは、そこにきれいに、着地したようであります。

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コメント

>松山&成海
先日、5年ほど前の邦画「神童」という作品で
共演していたのを見ました。
松山ケンイチの演技の幅に関心。

ヒロインの師匠が木乃元のおっちゃんだ!
でも、あんまり面白いキャラじゃない。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

少々お盆休みの隙が出来たせいか、私のレビューの文章に、締まりがないようです。 あとで書きなおすかもしれません。

松山クンの演技は、橋田壽賀子サンの 「百年の愛」 でしか見たことがなかったのですが、結構熱血漢で今回と同じような役柄でした。

ほかの役の松山クンも、見てみたいものですhappy01

 去年の江ちゃんは主役だったけど、滋子ちゃんの半分も魅力が描かれてなかったと思います。滋子ちゃんを見ていると去年の大河の主役の樹里ちゃんが気の毒にますます思えてきます。まあ、視聴率はあったから、知名度はあがったでしょうけど、役のやりがいの部分で、可哀想だなと思います。今回の話は人物デザインが先に、滋子を巻き髪に設定したので、後から脚本が巻き毛を物語に陰影を与えるモチーフとして、描いていったらしいです。

 滋子ちゃんが後白河を朗らかな歌で、陥落させたくだりは、秀逸だったと思います。後白河がイケメンなのが、まず前提で!後白河の孤独を、朗らかに受け止めてあげられる滋子ちゃん、オトコマエで、かわいいです!その前に後白河の憂えた姿に一目惚れしている滋子ちゃんも、可愛かったです。後白河をゲットしようとするしたたかさもなかなかです。清盛などはつかず離れずで半分逃げているのに!

 巻き髪を、同僚の女房たちにけなされても、全く気にしなかったのに、後白河が朝廷で嗤われると知るや、ストレートにしようとがんばったり、はては、結婚を見合わせようとしたり、滋子ちゃんの健気さ。それを知って、余計恋心を募らす後白河さん、さすが鳥羽ちゃんと、たまちゃんの遺伝子だわ!

 後白河の欲は滋子ちゃんを手に入れた事で愛情では満たされたのでしょう。でも鳥羽ちゃんと違って、政治からは遠ざけられているので、そこの隙間を、清盛はつかず離れず作戦でうまくやれるのでしょうか?

 欲という概念からのレビューで、このお話がとっても深くなって、うれしいです。

 滋子ちゃんが後白河の子を懐妊したのを知った時の松ケンくんの表情の変化がコミカルで楽しかったです。ちょっと若いなあとも思いましたが。

 リウ様、着々と、追い抜きにかかっているではありませんか。平氏が平家になって、盛ちゃん達、みんな綺麗な着物に!私も平氏と平家の違いをここで初めて知りました。勉強にもなる大河ですよ!(笑)

 

 

 

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 先のコメントに書きましたが、少々本文を、直させていただきました。 ご了承くださいませ。

「平氏と平家の違い」、なるほど、源氏は源家とは言わないですもんね(なんか語呂が悪い…笑)。
源氏は武士階級そのものだったんだ、ということが、ここからも分かりますよね。

どうも何度も言及しているので耳タコ銀だこですが(笑)、成海璃子チャンを見ていると、上野樹里チャンを思い出してしまうワタシ。

頭がモジャ公なので(笑)なかなか結び付かないかとは思うのですが、もしかすると樹里チャンと璃子チャンが似ているということをNHKスタッフも感じていて、差別化を図ろうとしてモジャ公にしたのではないかな、とも勘繰っております(妄想だ…笑)。

いずれにしてもこの設定からこの話を創り出す脚本家サンの力量には、脱帽です。

ふてくされる後白河を物陰から覗き見しながら、プッと吹いてしまった清盛、私も思わずつられて笑ってしまいました。 文字通り滋子を、政治の道具として使おうとしていたしたたかさと、まだくすぶっている少年ぽさが、清盛のなかでせめぎ合っているような感じにも見えましたけど。

木嶋被告のお話は、とても場違いかと思って最初は削除しようと思ったのですが、「欲」 を中心としてすべての人の行動がまわっている、ということを感じたので、あえて 「悪い欲」 の使用方法をしてしまったこの人を引き合いに出してしまいました。

着々と、ともなかなか参りませんが(笑)、今週は放送も休みだし、余裕こいて追いつくだろーとは、不遜ながら考えております(ハハ…)。

 私は樹里ちゃんと璃子ちゃんはあまり似てないと思うのです。樹里ちゃんはコメディエンヌの側面が強いせいか、健康的美少女だった璃子ちゃんと違う感じがしてしまいます。璃子ちゃんにとって滋子ちゃんは大人の女性に飛躍できる役だと思います。

 なりこちゃんの菊。雨に打たれて、意味深でしたね。鳥羽ちゃんは結局水仙のたまちゃん一筋でしたから。なのに、鳥羽ちゃんを支えになることで自分の一生を結論づけようとしている。愛の海に翻弄されたたまちゃんとどっちが幸せだったか、多分個性的な子供に恵まれた?たまちゃんだろうな?違うって!崇徳ちゃんもゴッシーもたまちゃん、鳥羽ちゃんの愛憎のせいなんだから!わかりません(笑)なりこちゃんの政治力はなかなかでしたね。

 清盛のなりこちゃんへの説明は私にはいまいちわかりづらかったです。この辺はリウ様と違って、理解できなくても、突き詰める気にならないのです。経済な大河は「黄金の日々」でいいかな。ただ、清盛って忠盛から経済基盤を引き継いでいるからか、経済はなんでも順調じゃないですか。円高ショックやリーマンショックもない!宋と貿易したら、思うまま!経済拡大で本当に日本は豊かになるの?亀井のしずかちゃん並に、こころもとないのですが(笑)


 次の平家納経は井浦さんに尽きます!崇徳様にあれだけ愛情を傾けられるのは井浦さんだけでしょう!NHK高松のHPにあるインタビューは崇徳愛が満載!とにかく心打たれます。
 


リウさまのレポは、いつも気づかない深いところまで書かれているので、ふむふむとうなずきながら拝見しております。

以前に書いてしまっているので、ほとんど書くことはないのですが、

滋子ちゃんの結婚式、
まあ当時は公式の結婚式も披露もあり得なかったのですが、それをいってはお仕舞よ・・・と・笑
平家とゴッシーの結びつきを描きたかったのなら、この路線でOKでしょう。

結婚式冒頭、滋子ちゃんを待ちかねるゴッシー、
じらすだけじらして、あの大きな音量での登場、
格子越しに見える滋子ちゃん、はっきりと様子がわからす、身を乗り出して目を凝らすゴッシーは、視聴者の気持ちそのままを体現しています。

次の回のリウ様のレポ、楽しみにしております。

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。 どうも盆休みに入って、体内時計が完全に故障をきたしておりまして(笑)朝昼晩となく、寝ちゃ起きちゃしております、2、3時間単位で。

樹里チャンと璃子チャン、性格的には違うって感じですよね、確かに。 私が感じているのは、顔が似ている?という部分です(あまり深く考えてない…笑)。 たとえて言えば、岡田クンと西行クンが似てるよーなもんです…違うか(男の私からすれば、メインキャラでないイケメンはみな同じに見える…笑)。

タマチャン鳥羽チャン得子チャンラインの愛憎劇、というのは、ワタシ的にはあまり興味がわいてこなかったのですが(この大河の序盤部分に今イチのめり込めなかったのは、そこが原因のひとつだったかもしれないです)、タフマン白河を起源とした 「王家」 のこの愛憎劇が、このドラマの根源的な原動力、登場人物全体を動かす動機付けであったことは間違いない、そう感じます。

まあ、経済情勢に疎い得子チャンあたりに清盛がしゃべるのは、この程度でじゅうぶんなのでしょう。

ただ、清盛が考える日宋貿易、貨幣経済への展望が、あまりにノーテンキな論調なのが、ちょっと物足りないんですよね。
それって現代社会からこの時代を見てるからこんなに当たり前にスルーされちゃうけど、本当はずいぶん困難を伴うんじゃないか、と。

まあ、清盛はお金持ちのボンボンで、鳩ポッポみたいだから(笑)細かいことはどーでもよろしいのかもしれません(笑)。

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

いや、フツーにレビューしてしまうと、もう遅れ遅れですから(笑)何かとほかのかたがたのレビューと差別化を図らないと、とは感じております。 頭悪いのでなかなか気の利いたことまで書けませんが。

公式の結婚式も披露宴も当時はなかった、というのは、50へぇです(笑)。 平氏の結婚式というのは幾度かこのドラマにも出てきてましたけど、やはりあれは武家のしきたりみたいな感じだったのでしょうか。 三三九度もしてましたよね。

本放送が1回お休みしているあいだにチャッチャと片付けて、「SHERLOCK」 の視聴に早いとこ取り掛かりたいものです。

 リウ様、夏の疲れは、とれてますでしょうか?

 伊豆の流人の回から、オープニングで清盛(松ケン)くんが踊ってます!(今日、録画したのを見直して、ポカーンです。)第3部だからか、わかりませんが変化してまして、確か去年の主役も踊ってましたよね。
 
 これって、清盛が歴史を思うままにしていたのが、実は歴史に踊らされていたとかの暗喩でしょうか(笑)弓を射て戦っていた時代が終わって、公家になったからなんでしょうね。(笑)リウ様も「伊豆の流人」を見る時にオープニングの変化を楽しんでください!真面目に、松ケンくんが踊っているのを見て、失礼ながら、去年の大河が脳裏によぎって、笑ってしまいました。

 松ケンくんは老けさせないようです。後白河も老けないからいいのか。

 結婚式に登場した、新婦の滋子ちゃんを出迎えた時の後白河上皇は、まさに、「光る君」でした。後白河は奇行より、その美しさで圧倒してました。(笑)

 では、残る2回もチャッチャッと、頑張ってください。

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

なかなかチャッチャとは参らぬようです(笑)。
ただ 「平家納経」 は見て、今書き出しの部分であります。 単なる納涼の巻かと考えておりましたら、人間の業を見つめた真摯な回でした。
まあ多分にこれも、マンガ的なんですけどね(笑)。 崇徳のこういう豹変ぶりって、仮面ライダーとかではよくある(爆)。

主人公がオープニングで踊り出すとロクなことがない、と危惧を抱くのはパブロフの犬みたいなもんでしょうか(笑)。

清盛が老けない、というのは 「平家納経」 で死んでしまった息子の基盛とのシーンを見ていても感じました。 なんか親子に見えないなあって。

やはりどことなく、考えることがノーテンキで幼さを脱してない、という感じなんですな。 福原がやっと出てきて、博多をこっちに持ってこよう、と考えるのも、実に単純な動機で(笑)。

これ以上書くと次回のレビューに差し障るので、今宵はこの辺にいたしとうございます(今宵じゃないか)。

>今宵は~
うふふ、懐かしいです♪

滋子は正妻ではないし、この当時の平家の身分を考えると、天皇に入内なんてとんでもないことなので、このあたりはフィクションでしょう。
でも、うまくまとめていますよね。

平安時代の公家の結婚についての記事がありました。
http://kakitutei.gozaru.jp/kyoto05ma/14-2-3.html

源氏物語などで「3日夜の餅」は読んでいましたが、ビジュアルにすると、わかりやすいですね~、
清盛の時代は、妻問い婚から嫁入りになるちょうど狭間の時期で、
時子は嫁入り婚です。
嫁取りのほうが、嫁は肩身が狭かったようだという記事もありました。
婚家より、実家のほうが大きな顔ができますもんね・笑

婿取り婚だと、誰の種だかどうでもいい、嫁の実家で育てるわけですから。
男の血統を云々するようになったのは武家からなので、鎌倉時代になるんでしょうかね。

マーシー様
レス下さり、ありがとうございます。

そうそう、「源氏物語」 では、みなさん夜這いみたいなことしておりましたよね(笑)。 情報下さり、重ねてお礼申し上げます。

平安時代の嫁入りについて蘊蓄を披露できればいいのですが、あいにく知識がございませんで、ふむふむそうか、と傾聴する以外にございませんcoldsweats01

で、昨日見た 「平清盛の女たち」 の特番を見た感想を書きますが、「草燃える」 の頼朝(石坂浩二サン)も「義経」 の頼朝(中井貴一サン)も、かなりチャラ男でした(爆)。 ご覧になりましたでしょうか? やはり 「夜這い組」 でしょうかね?(笑)。

「SHERLOCK」 を盆休み中に見ようと思っていたのですが、どうも果たせないまま明日から仕事再開です。 この分だと 「清盛」 も、追いついた安心感でまた怠けてしまいそうです(笑)。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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