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2012年9月 4日 (火)

「平清盛」 第34回 「白河院の伝言」(9月2日放送)を見て

おことわり 初出時より若干手直しいたしました。

 病に倒れた清盛(松山ケンイチクン)。
 今回は危篤状態から生還するまでを描写しながら、このドラマのまさに真骨頂である 「精神性の物語」 の色合いがいよいよ濃く出た回だったと思います。

 清盛が罹っていた病は、「寸白(すばく)」。
 ウィキで調べたところによると、これってサナダムシが体内に寄生しておこる病のことらしい。
 さらに同じ 「寸白」 の検索で、後白河と寺社勢力との関連をつづったサイトもありました。
 別に清盛の病とは関係ないと思いますけど。 なんか寺社勢力の描写も今回あったし(セリフだけですけど)寸白つながりですよね。

 作り手がこの寸白を、清盛の体内に入り込んだ 「もののけの血」、というファクターに置き換え、その対峙すべき象徴に、物語序盤で早々に退場した白河院(伊東四朗サン)を配置した発想には、正直シビレました。 作り手はいったんクランクアップを迎えた伊東サンを、再び重要な場面のキーパーソンに据えることを、まったく厭わない。
 さらにタフマン白河と抱き合わせで復活したのが、吹石一恵サン演じる清盛の産みの母、舞子です。

 清盛はサナダムシのごとく自らの体内に巣食う白河院の呪縛を否定し…。
 そして実の母親の死を過去にさかのぼって追体験することで、自らの存在自体を肯定するに至った。
 そして清盛は、自らの死に至る病を克服するのです。

 やはり話がこの方面に行くと、限りなく冴えますね、このドラマは。

 副作用としては、あまりに現実離れしている、ということも言えそうですが、死の淵に立った体験などというものは、そもそも非現実的と相場が決まっているものです(笑)。

 そして清盛危篤の報を知らされて心穏やかならぬ後白河(松田翔太クン)の心情を描くことで、作り手は後白河の、「清盛の存在がなければ不完全な器」 としての存在意義を明確に表現した。
 ここらへんの構成の妙にもうなります。

 さらにこのドラマの作り手が抜かりないのは、V6の森田クンを震源地とする、「清盛後」 の勢力基盤の揺らぎの予兆も描いている点です。
 V6の森田クンは、世代的に言ってまだまだ若いほうなのかな、と思っていたのですが、いつまでたってもその青臭さが取れてない。
 でもそれが逆に、森田クン演じる時忠の小物ぶりをあぶり出しているように感じます。
 これって森田クンは、意識して演じているのかな?
 清盛の子供たちって、加藤あい(明子)派と後妻の深キョン(時子)派に、分かれているわけですよね?(笑)。 その深キョンの身内(弟)だから、森田クンは深キョンの長男であるムネムネ(宗盛、石黒英雄サン)に、けしかけるわけですよ、叔父として。 名目上三男だけどもお前が家督を継げって。

 これをですね、清盛の叔父だった忠正(豊原功補サン)みたいな、ドスの効いた役回りでやられたら、そりゃムネムネもビビってかなりその気になりますわ(笑)。
 でも森田クンは、あくまでそこを、小物っぽくけしかける。
 ここらへんがムネムネに与える決意に、少々覚悟のない危うさを与えていく、という構図が、うまいなーと感じるのです。

 森田クンの話を長々してしまいましたが(笑)、今回の重層構造に、もう一役買っているのが、「賀茂川の流れ」「賽の目」「山法師の強訴」 という、タフマン白河でさえ手を焼いた 「天下の三不如意」 を物語に組み込んでいる、という点。
 これって私、不勉強なので突っ込むことはしませんが、おそらくそんな逸話があったんでしょうね。 で、それを作り手は、おできの治療に行っていた(熊野詣だったっけな)後白河の前に再び横たわらせることで、物語としての構成を揺るぎないものにしようとしている。

 ここしばらく、その展開の妙にうなることはなかったのですが、久々の傑作回だった、と言っていいと思います。

 しかしこの、後白河の首の後ろにできたおでき。

 父島母島、竹島かと思ったぜ!(爆)。

 …不穏な冗談はともかく(笑)。

 「…清盛が、死ぬかもしれぬと…?」

 後白河は、その一報を聞いて、眉間にしわを寄せ、沈思します。
 のちに彼はその心情を滋子(成海璃子サン)に吐露している。

 「怖いのじゃ…。
 清盛がおらぬようになってしまうことが…。

 …わしに挑むようなあの目。
 あの目を見ておると、わしは安堵するのじゃ。

 『この世にわしの務めがある』。

 『生きることを許されておる』。

 …そう、思えるのじゃ」

 後白河は言いながら、涙を流してしまいます。

 これは、自分が世間のみんなから変わり者と後ろ指をさされ、小馬鹿にされてきたことの鬱積と、自分を心の底から相手にしてくれているのが清盛だけだった、ということに気付かされたことの、二種類の性格を持つ涙なのではないでしょうか。

 まあ清盛にしてみれば、「(後白河とは)つかず離れずが一番良いのじゃ」 とあしらわれていたにせよ、ですよ(笑)。

 そのとき、滋子は 「なんかに似てる」 と不思議がっていた後白河の首の後ろのおできが、サイコロに似ていることに気付くのです。 イヤ、サイコロには見えませんでしたけど(笑)。
 ともあれ滋子の指摘を聞いた後白河はガビーンとひらめき(笑)、大雨で足止めされているにもかかわらず、強引に氾濫中の賀茂川を渡ろうとする。

 話は前後しますが。

 いっぽうその清盛は、熱にうなされながら、自分の生まれる前の夢を見ています。
 そこでは自分の母舞子が、白河と双六で遊んでいる。
 これはあらたに収録した部分ですが、このタイムスリップシーンは、以前に放送したものと交互に、しかも非常に自然に清盛の脳裏で展開していくのです。

 璋子(たまこ、檀れいサン)の病気の原因がこの、舞子のお腹にいた子供だとされ、命の危険に晒されるたびに、それを未来から追体験している病床の清盛は、断末魔のごときうめき声を上げます。

 この部分を見ていて、これってなんだか清盛が、もう一度生まれ変わるための試練なのではないか、ということを感じました。
 そしてタイムスリップという形式を取った回想シーンは、物語第1回レビューで私も引用した、舞子の忠盛(中井貴一サン)へのセリフへと、繋がっていきます。

 「子供が遊ぶ時は、時のたつのも忘れて、目の前のことに無心になっておりまする。

 生きるとは…。 本当はそういうことにござりましょう。

 うれしい時も楽しい時も、

 また、つらい時や、苦しい時さえも。

 子供が遊ぶみたいに、夢中になって生きたい」

 「夢中に、生きる?」 と忠盛。

 「分かるのではござりませぬか? 夢中で生きていれば。

 …なぜ、太刀をふるうのか。

 なにゆえ、武士が今の世を生きているのか…」

 これは清盛の病床に訪れた、乙前(松田聖子サン)の、「♪遊びをせんとや」 の歌に導かれて展開していったシーンです。
 乙前、この回想シーンでのほぼ変わらぬお姿で登場(笑)。
 この物語の時間を超越した部分の象徴になっている気さえします。

 乙前の歌に癒されたのか、舞子の言葉に自分の生きる道を再び見つけたためか、病床の清盛は小康を保っていきます。

 そこにドカドカと足音を立てて御簾をなぎ倒し、現れたのが、泥だらけになった後白河です。
 どうも賀茂川の濁流を強引に渡ってきた模様。

 その剣幕に導かれるようにして、清盛の見る夢は、白洲の前に引き出された忠盛と舞子のシーンへと移っていきます。
 白河に対して決死の陳情をする忠盛。
 しかしその現実は変えられようもなく、舞子は、清盛が見ている夢のなかで、無残にも弓で射殺されてしまう。

 このシーン、最初に見た時も感じたのですが、吹石一恵サンが、なんともたとえようもなく美しくみずみずしい。
 だからこそそのはかなさが、こちらの胸をも射抜いていくのです。

 「舞子!」

 叫ぶ若き日の忠盛。

 「母上…!」

 うめく病床の息子、清盛。

 「ははうえ…」

 こと切れる舞子。

 駆け寄る忠盛。 舞子に無数に突き刺さる矢。

 「舞子…。 舞子…。 舞子! 舞子ーー!」

 忠盛に抱かれた赤子の清盛が、ぐずり始めます。

 その瞬間。

 白装束の現在の清盛が、無数に矢の突き刺さった母親を前にして、慟哭するのです。
 そこには忠盛の姿はなく、血まみれの母親と清盛、そして白河のほかには、誰もいない。

 またやったよ、このドラマ…。 とにかく。

 「ははうえ~~! ははうえ~~!」

 子供のように泣きじゃくる50歳の清盛。

 泣けました。

 現実にあり得ないシーンだからこそ、その時空を超えた演出が胸を締め付けるのです。

 人は、過去には戻れない。

 だからこそ過去に残してきた後悔を、いつまでも引きずりながら生きてゆく。

 私を泣かせるのは、そんな禍根なのです。

 ここでの清盛は、存在的に考えると、転生した清盛、と言えるかもしれません。
 清盛はこの瞬間に、再び生まれている。
 母親の思いを、確実に子が受け取った瞬間。
 「母上ーー!」 という叫びは、だから産声と同じであるように、考えられるのです。

 しかし。

 そこにカラスの鳴き声と梵鐘が響き渡り、白河が、厳かに声を上げます。

 「清盛」。

 顔を上げる清盛。

 「どうじゃ? 太政大臣の座の座り心地は」

 いつの間にか、血まみれの母親も、消えています。

 「早々に明け渡しました…。

 あまりよい心地がしませなんだゆえ」

 「ふん。 わしが院によるまつりごとを始めたと、同じようなものじゃ。

 やはり、流れておるのう、もののけの血が」

 これって政局を二極化することによって生じた混乱のそもそもの原因が、自分(白河)であると打ち明けているようなものですよね。
 清盛は、ゆるゆると面を上げます。

 「保元の年に、戦が起こりましてござりまする。
 
 時の帝と上皇様が敵味方に分かれ…。
 我ら武士も身内どうし戦い…。

 (感極まりながら)叔父忠正を!…斬るに至りました…!

 続く平治の戦では、『共に武士の世を』 と誓いおうた…源氏の棟梁を!…義朝を…攻め滅ぼしました…!」

 慟哭しながら続ける清盛。

 「私を上へ上へと…駆り立てるのは、この身に流れる、もののけの血ではござりませぬ…!」

 立ち上がる清盛。 白河のほうに向き直り言い放ちます。

 「この身に浴びてきた血こそが、

 …そうさせるのです…!」

 ここで清盛が、明確に自分の身に流れるもののけの血を否定したことは、やはり清盛が白河の呪縛から完全に自由になったことの証でありましょう。
 ここで私が感じるのは、死の淵をのぞいた人間だけが感得することのできる悟りのタイプです。
 これって、宇宙船から地球を見た宇宙飛行士の感覚と、どこか共通しているものがある。
 臨終というものから自分の生を振り返れば、苦も楽もみな同一の性質を有していることに気付く。
 なにもないことが幸せなのではなく、夢中に生きることで、苦も楽もダイナミックに展開していくことで燃えていく、それが命の最大の意義なのだ、ということを。

 「そちはまだ知らぬ。

 のぼり切ったその果ての、景色を」

 白河は、賽を投げます。

 「…なにが見えるというのです?
 のぼりきった果てに…?」

 「それ(賽)を振ってみれば分かる。

 それを振って、わしに追い付けば(の話だが?)」

 挑発する白河。 涙をぬぐう清盛。

 「追い付けば…」

 清盛はその真新しいサイコロを拾い上げ、白河との双六に挑もうとするのです。

 「私はあなた様を、追い越してみせまする…」

 微笑む白河。

 病床で、そうつぶやく清盛を、驚いたような顔で見ているのは、後白河です。
 清盛は、目を覚まします。

 「生きて戻ったか…」

 清盛はいつかのように挑むような目を後白河に向けながら、不敵につぶやきます。

 「勝手に死んだりは、いたしませぬ…。

 …まだ終わっておりませぬゆえ…。

 あなた様との、双六遊びが。

 互いに…。

 生まれいずる前より続く…長い長い勝負が」

 「この…。

 死にぞこないがっ!」

 笑う清盛。 後白河は、うれしさを必死に押し隠すように厳しい顔をしながら、去っていきます。
 後白河はふと気付いて、自分の首の後ろに手をやります。
 すると、竹島が…じゃなかった(笑)、サイコロ状のおできが消えている。
 そして振り向き、清盛が真新しいサイコロを握っているのを目にして、愕然とします。

 この、「真新しいサイコロ」 というのは、かなり示唆に富んでいる表現だと思います。
 いっぽうで清盛は、タフマン白河から、それを託されている。
 いっぽうで後白河は、白河の不如意だった(思い通りにならなかった)賀茂川の濁流を超えて清盛に会いに来たことで、自らの存在意義を確定している。
 双方とも、新しい価値観に、目覚めていると考えられるからです。
 
 清盛が復帰した一族会議。

 清盛は先に述べた 「白河院の天下の三不如意」 を、我が意のままに操ろう、という野望を、新たにぶちあげます。 ただ、そこに集っている面々は、もはやかつてのような一枚岩の平家ではない。 疑心暗鬼が、一族のあいだに不気味に漂っている。

 いっぽう。

 一週間も風呂に入らず遊びまわったら骨折はしなかったけどこんな格好になっちゃったぜぃ?ワイルドだろう?みたいな(コメント欄からの転用であいすみません)政子(杏サン)が、ついにフヌケの頼朝(岡田将生サン)の前に、現れようとしています。

 後白河の首のおできと、清盛が過去から持ち帰ったサイコロ。 血の否定と現実の肯定。

 こういう現実離れした精神世界の象徴の連続が、この物語にさらなる重厚感を与えていくように思えるのです。

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コメント

 リウ様、早々のレビューアップですね。お疲れ様です。

 なかなか、ファンタジーな回でしたよね!子供のように、夢中で生きる~その体現者が清盛なんでしょうね。そりゃあ、老けませんよ!(笑)

 清盛が舞子さんの子宮まで、さかのぼっていくとは、面白い構成でした。第1話では描かれなかった、清盛の存在が両親に肯定的に迎えられている描写もあったり。

 熱にうなされているシーンは長いなあとも思いました。盛国、看病大変!でも、平家の中で一番しっかりしていると思います。

 父の不在によって、重盛に平家の中に後ろ盾がいないのが明らかになりました。廊下の向こうの宗盛を見つめる重盛はちょっと怖かったです!暗い目をしてましたね。声も低く冷たいし。孤立していくのがわかります。時忠叔父さんが余計な事を言うから、たたんでいい波風になるのですけど。森田くんの演技は、軽くて楽しませてくれます。時子さんは池禅尼さんの二の舞にならずにすむのでしょうか(笑)

 清盛は生還したけど、平家はかつてのように、和気藹々とはいかないようですね。綻びができちゃった!宗盛に、己の器量を上回る、棟梁への野心が生まれてしまったし。

 まさか、死んだ舞子さんに大人の清盛が、母上とすがりついて、泣く日がこようとは!撮り直ししてまで!このあたりが、手を抜かない良さですよね。白河法皇様、貫禄十分!でも法皇を追い越すらしいです!対する、松ケンくんのお芝居、良かったです。

 おできがサイコロという後白河上皇!史実でも、六波羅に駆けつけたらしいです。どれだけ、清盛が好きなのでしょうか。生まれる前からの双六メイト!でも、松田くん、必死さと、「死に底無いが!」と安堵しながら、ツンデレてるところが可愛かったです。滋子ちゃんに対してもそうですが、清盛に対しても後白河上皇は、純粋!王家の方達は情が深い!

 ベラ政子、お転婆な野生児でしたね!頼朝だけが、清盛が病気になっても、「とこしえに」何も変わらないと思っています。いやあ、「とこしえ」という綺麗な言葉を久しぶりに聞きました。イケメン頼朝にとって、絶望を表す言葉だけど、お綺麗なお顔から、お綺麗なお言葉!ただ、「とこしえ」は突然破られるものですから!ベラ政子の元気の良さで、喝を入れてもらって!頼朝の欝っぽさや、現実的なところが、垣間見えたような、気もします。(かなり無理矢理だけど)

 狩も多分政子さんの方が上手そうでした。(笑)はかない頼朝、このままだと、押し倒されそうですが。鞍馬に行った神木くんも来週、出てくるのかしら?清盛は入道スタイルになるようだし。来週、福原建設、どのくらい具体的にやるでしょうか。今週のファンタジーも楽しかったです。来週も楽しみです。(笑)

投稿: ささ | 2012年9月 4日 (火) 22時32分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 自分のレビューを今読み返してみて、物足りない部分を少々手直しさせていただきました。 ご了承くださいましconfident

見ようによっては過去の回想シーンの連続で、ちょっと手抜きをしたようにもみえる今回の構成でしたけど、あらたに収録した部分との兼ね合いがとても絶妙で、清盛が自分の意識の成立以前のことをおさらいする、という展開は見事だ、と感じました。

だからかな、清盛がう~んう~んう~んう~んうなっていても、それって陣痛の長い痛みに似てたような…(笑)。

それにしても宋のクスリ宋のクスリって、どんだけ万能薬なんだよ!つー感じでしたけど(笑)。

「言われたことを早くせよ」、だったでしたっけ、重盛のセリフは。
私もあのシーンは、重盛不気味~と感じました(笑)。
暗がりから話しているので、顔がよく見えないんですよね。

この重盛を演じる窪田正孝クン、声を作ることによって、実に加齢したことを表現していると思いますね。 このドラマでこの人くらいじゃないですかね、「みんな老けなくて時間がどんだけ経過したのかがこのドラマ、つかみにくい」、という意識で演技しているのは。 若いのに大したもんです。

清盛演じる松山クンはその点とても意図的に、自らを若いまんまで演じ切ろうとしている。
これも意識的という点では窪田クンと共通しているのですが。

頼朝に関して興味が薄いこのブログですが(笑)、この回の冒頭の描写を、すっかり忘れておりました。

「清盛倒れる」 の報せを聞いて、なんか気持ち悪~くニヤケるんですよね、頼朝(笑)。

あ~あ、まだコイツ、赤ん坊を殺されたことをお門違いの逆恨みしてるよ、と思ったのですが。

でも逆恨みするだけでは、頼朝が常にナレーションで清盛への敬意を表明しているのに、話が違うぞ、ということになってしまう。

だから頼朝が 「清盛ほどの巨大な存在がとこしえに死ぬわけがない」 という、変形した敬意を表明することで、そこらへんの矛盾を克服している。

後白河が病床の清盛のもとに駆け付けた、というのが実話とは、少々意外でした。

だってこのあと、史実的にも反目しあうんですもんね、このふたり。

ただまあ、伝わるところによると、この見舞いの席で、滋子との子供を天皇にする裏工作をしたらしいですけど(笑)。

そこんところはドラマじゃやらなかった(あ~あ、どうも裏知識を要求するな、このドラマ)(あまり知ったかぶりで書きたくないんですよね、頭悪いから…笑)。

投稿: リウ | 2012年9月 5日 (水) 10時56分

 頼朝に関しては、「とこしえ」の言葉が聞けてうれしかったです。今、使わない言葉です。古いけど、趣のある美しい言葉が聞けるのは大河の良さですね。

 重盛くんの声は、年齢を出すために低くしているのだと思いますが、お顔は可愛いので、不思議な魅力です。松ケンくんと違って、あの声が低くとおるのですよ!平治の乱の門を破る時の掛け声なども、勇ましくて良かったですし!盛ちゃんずの中ではいい役者さんだなと思います(笑)むねちゃんは、壇ノ浦後、捕まって、命乞いして、源氏に呆れられたらしいので、石黒くんの頼りなさでいいのじゃないでしょか。多分、彼が平氏の武士としての面目をかなり歴史的につぶしちゃったのでしょう。暗愚ちゃんだから。でも暗愚ちゃんは、ある意味、正妻の子として、ちやほや育てられたから、時忠みたいな取り巻きがいたからと説明されているようなものです。(笑)

 時忠にはそれより、宮中で、どんな工作と朝議での口八丁で、瀬戸内の改修や、福原の整備などを納得させたか、そっちが見たいような気もする。摂関家を黙らせるくらいの実力だから、むねちゃんも簡単に丸め込めるみたいな!そんな、森田くんを見たかったと思います。欲を言いますと!

 ゴッシーが駆けつけたのは、東宮の後ろ盾が、帝になる前にやばくなっては、困るからでしょうね。それと、鴨川の氾濫、強訴、などで世が乱れかねない時、秩序が乱れるのを防ぎたかったのではないでしょうかね。治天の君としては。(ひょっとして、名君だったりする?)松田くん、素敵!

 回想と撮り直しとうまく使って、清盛の精神世界を説明した回だったです。病が治ったけど、これからは状況が少しずつ変化するのだろうし。牛若も実の父は違うと知ったみたいだし。常盤ちゃん、ためにためて、実の父の名を台詞で言わないまま、鞍馬行きを命じていました。みんな知ってるからいいけど!神木くんと武井さんは同年齢みたいですけど、武井さんがママのままやっていくのでしょうか。神木くん可愛いから大丈夫でしょうけど。回想があったので、ずっと見ている者としては、懐かしかったり、知ってるから!だったりの回でした。舞子を助けようとした中井さんの台詞、誠実でとっても良かったです。また聞けて、懐かしかった!平氏ののし上がる原点みたいなものを再びおさらいできました。(笑)

 

 
 

 

投稿: ささ | 2012年9月 5日 (水) 11時52分

橋本さん、こんばんは。

僕もこの回は久しぶりに心を動かされました!実は第三部に入ってから、少し気持ちが沈静化されてしまって・・・。
清盛の未熟な少年時代~青年時代を歯痒く思いながらも(勝手に)見守ってきた一視聴者としては、清盛が太政大臣になってどのように平家一門の地位を盤石にしていったのか、そこが一番見たかったし、常盤との葛藤を経た上での精神的な繋がりを構築していく様を見たかったんですが。。。あまりにも駆け足というか、ナレーションだけで過ぎていく時間とか、ちょっと醒めてしまいました(笑)もしかして、視聴率悪化を懸念して源氏サイドに重きをおいて描くことにしたのかな?と思ったり。でも、違うみたいですね。

今回は心を動かされた場面が多々あるのですが、それは橋本さんがおっしゃっている部分と重複するので僕が語っても焼き直しになりそうです。しかし、重複はするのですが、これだけは!と思ったのは、やっぱり重盛ですかね。
僕も暗闇に佇む重盛が怖かったです。
重盛は時子の実子ではないけれど清盛は実父ですよね。考えれば清盛は両親ともに実の親じゃなかったわけです。清盛に反感を持つ兄弟・親戚縁者は重盛以上に存在してたと思うんですよ。でも清盛に暗さや不気味さは無かったですよね。それって、思ったことを心の奥に溜めることが出来ず、すぐにワーワー喚き散らしてしまう清盛本人の性格によるものでしょうし、盛国や兎丸みたいな腹心の部下が存在していたからでしょうし、叔父さんだって清盛を認めるようなことは何一つ口にしなかったけど本当のところでは愛情があったことが清盛にも直観的にわかっていたからだと思います。でも一番は忠盛がきめ細かく清盛の立場や心情を見守っていたから、あんなふうに開けっぴろげでいられたんですよね。清盛は重盛の立場を気に掛けていないように見受けられます。たぶん清盛は繊細な性格ではないからかもしれませんが、それ以上に平家一門は一心同体!と信じて疑わないように見えます。時子や宗盛がそんな不穏な考えを持っているとは思いもよらない・・・んじゃないですかね。
そんな暗い重盛ですが、自分は可哀そうで仕方なかったですね。先を知っているからかもしれませんが。。窪田さんの演技が上手いってことなんでしょうね!

清盛の「貫禄」についてですが、ドラマを見ていて実はあんまり思いが至らないんですよ。改めて考えると、若過ぎだろう!あり得ないだろう!ってすぐさま思うんですけどね。何故だか見ている時には思い至りません。。
いや、よくよく考えれば、「大一番」での重盛に対する表情や、「見果てぬ夢」での義朝に対する表情には貫禄というか大きさを感じましたね!しかし、その後何故だか改めては感じなくなってしまいました(笑)
でも、僕はこのドラマの清盛は人として好きですよ。

投稿: アキラ | 2012年9月 5日 (水) 23時16分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れました。 申し訳ありません。

「とこしえ」 という言葉は私の場合、よく(でもないけど)マンガとかで目にする気がいたします(笑)。 人をぶっ殺す時の定番ワードみたいな(とこしえに眠れ、とか?)。

窪田クンの 「老け」 演技って、結構昔の演技メソッドに準じたやり方を踏襲している気がします。

声を低くしたり、声を割らせてみたり(ダミ声にする、みたいな)。
特に後者の 「ダミ声」 というのは、大河ドラマではもう、かなり基本的な所作のひとつでありまして(笑)。 大の大人がガーガーダミ声で掛け合いをしすぎる傾向にある(笑)。

それがここ最近の大河では、すっかり鳴りをひそめていたように感じるのですが、窪田クンのそれは、正統派大河の演技方法にのっとっている気がいたします。
別に老けさせなくてもいい、言動からいくらでも加齢は表現できる、というのが昨今の演技メソッドなんじゃないのかな~。

森田クンの政治的な動きを描写しようとしない、というのは、やはり平家の権力基盤を具体的に描こうとしない流れの一環であるように思われます。

やはりこのドラマが見つめているのは、精神的な世界が中心なんですよ。 そのことを今回は強く感じました。

今回の出来で唯一不満が残ったのは(不満つーても、ですね…笑…別に大したことじゃございませんが)清盛が倒れたくらいで右往左往する周囲(平家は当然として)の反応。

そんなに大ごとだったんだ~、みたいな(笑)。

これまでどんだけ清盛が、この世に必要な人物であったのかを疎かにしてきた、いや描く暇がなかったせいで、この部分の説得力に欠けた、という点でしょうか。

だからゴッシーが清盛倒れるの報を聞いて慌てるのも、経済的な要因よりも、今回強調されていた精神的要因で押し通してもらったほうが、このドラマらしくていい、とも思える。

常盤はもう出番がないような気もいたします。
武井咲チャンのやってるラジオ番組で(柳田理科雄サンとの科学番組ですが)、番宣しなくなったんで(笑)。

投稿: リウ | 2012年9月 6日 (木) 13時27分

アキラ様
コメント下さり、ありがとうございます。

アキラ様も第三部の小康状態はお感じでしたか(笑)。 なんかやはり、戦がないせいか、崇徳の呪いもないせいか、盛り上がらんなぁ~、みたいな(笑)。 清盛と後白河の 「ぞくぞくいたしまする」 手のひらのやり取りも、これはこれでしびれましたけど、「なんか前に一回やってるよ~な?」 という感覚で。

頼朝の動きなんぞ、やはり私もどーでもいいのですが(頼朝ファンの皆様ゴメンナサイ)、やはりこのドラマ、頼朝から始まってますから。 平清盛という題名なのに(笑)。
この頼朝が、いかにして平家追討に乗せられていくか、ということをやろうとすれば、描写に時間を割かなくてはならないことは致し方ないのですが。

太政大臣になって100日の描写がナレーションのみでまっっったくなかった(笑)のも、エライ肩透かしなんですが(笑)、作り手の興味はやはりそこにはないんだな~、と感じます。

作り手の興味は、あくまで精神的な障壁を、どのように登場人物たちが乗り越えていったのか、ということに尽きている、と思うんですよ。

権力があまりにも膨らみ過ぎてしまうと、清盛のノーテンキさでカバーしていた部分も効力のないところが出てしまう。

これって清盛が、そのおおらかさでもって、一族の結束の要になっている、ということを表現しているような気がいたします。

そしてその扇の要にガタが来たとき、一族の結束は、途端に乱れる。

権力が大きすぎるから、こんなに清々しい組織でも、その主導権争いというものが生じてしまう。

そうなると、先週だかやっていた、個々の長所や短所を互いに補い合って、組織としての弱さを克服していこう、という清盛の意図からは、大きく逸脱してしまう。

これは平家にとって見た目よりもかなりの危機的状況であるように思えるのです。

松山クンの貫録に関しましては、んー、やはり50という実際の年齢に近い私どもの感じ方なのかな、という気がとてもいたします。

投稿: リウ | 2012年9月 6日 (木) 13時49分

 昨今の大河は無理に作らないみたいです。龍馬伝なども、逆に40代の役者さんが18くらいから演じているのですから!龍馬さんは声を若い頃は高めにはしてましたが!弥太郎は小奇麗になっただけだし!清盛も、このまま押し通すような気がします。特殊メイクは崇徳ちゃんのように、怨霊にでもならないと、しないのじゃないでしょうか。その技術は優れていても。

 窪田くんはどこかで見た子だなとずっと思っていたら、ケータイ7の子だったんですね。テレビ東京の、子供向けドラマで、子供が小中生の頃は夕方、テレビ東京のアニメを見てましたから、その続きで見てました。そう思うと、重盛に出世してくれて、うれしいです。彼が正道な演技メソッドで演技する気持ちもわかる気がします。(笑)当時、うちの娘のお気に入りでした!これからも応援したいと思います。(笑)

 

投稿: ささ | 2012年9月 6日 (木) 19時27分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

こと、主人公の一生をやる、という大河ドラマの場合、やはり、主役を設定するときは役者の実年齢が30歳というのが最低ラインのような気がいたします。

老いというものを、表現しきれないんですよ、若い人は。
逆に役者が30歳であれば、15くらいの役からは演技できる。

しかも、昔はみんな、かなり今より老けてましたからね。
逆に現代人たちが、あまりにもいつまでたってもガキだ、と言える(私もですけどcoldsweats01)。

だから福山龍馬の場合、それがとても功を奏したわけです。
福山サンの年齢は、実際龍馬が暗殺された年をとうに超えていた。
でも、龍馬特有の 「頼りがいのある部分」 を演じようとすれば、いまの20代30代の役者では、表現しきれなかっただろう、と私は考えるのです。

松山ケンイチクンを見ていると、彼は非常によくやっているけれども、同様のことをどうしても考えてしまいます。

若くして死んでしまう義経なんかの場合は、別にタッキーでもいいんですけどね(笑)。
却って義経を重厚に演じられるよりも、若々しさが前面に出たほうがよほどいい。

それにしてもcatface

…窪田クンって、芸歴長いんだ(笑)。

投稿: リウ | 2012年9月 7日 (金) 09時12分

 歴史上の人物の一生のどこに重きをおくかで、役者も変わってくるだろうけど、清盛の場合、義朝とかと、切磋琢磨して、駆け上っていくところに作品としては重きを置いていると思います。だから、若々しくていいのだろうと。松ケンくんの技量で、その後は乗り切る算段なのではないでしょうか。(笑)後白河にしても、松ケンくんに合わせて松田くんになって、二人は年とっていかない!

 妻夫木くんも樹里ちゃんも、お若いままでしたね。演技のアンチエイジング!なんでしょうね。

 龍馬伝は、その点、以蔵となつ以外は、アラサー、アラフォー、それ以上!熱気のあるドラマだったけど、役者の年齢とかは、気にならなかったです。皆さんがんばってましたから。

 松ケンくんもかなり頑張っているけど、お肌つやつやですからね。夢かける清盛でいいのじゃないかしら。重厚さとかを求めるのは酷なのじゃないかと思っております。重盛並に精神的に成長してもいいとは思いますが(笑)死に掛けてどうなのでしょうね。

 長生きする人物を大河でやると、主役は大変ですね。来年の八重さんも長生きしますが、全部やるのでしょうか。江ちゃんみたいに途中までかもしれません。(笑)ジャンヌダルク時代が長い方が福島が舞台なので、作品の主旨としてはいいのかな。などと思ってます。龍馬伝の頃は来年の大河の事など全く気にかけなかったですけどね。清盛楽しいけど、山は越えた気がします。(笑)やっぱり、宿命の対決!の清盛が、一番好きです。本当にいいやつだったので!あの義朝との惜別で、背中で泣いてる清盛の姿が、松山ケンイチくん、私には、一番素敵だったです!

 

投稿: ささ | 2012年9月 7日 (金) 10時05分

今回は重盛くんが一番のお気に入りなので、皆様に褒めていただいてうれしいです・・・なんちゃって、すっかり母の気持ち・笑

彼はずいぶんしっかりと勉強しているんですね~。
あの踊りも、ひょっとしたら日本舞踊、習っているのかもしれない。
殺陣をやらせてみたいですね=、
もうちっと年いったら、大治郎なんかピッタリだわ☆

「下流の宴」では、ニートの無気力少年を、素じゃないかってくらい見事に演じていましたっけ。
何かで、彼は子役から脱却した、なんて書かれていましたけど、確かにね、
これから期待できそうな若手の一人です。

岡田>頼朝くんも、役はヘタレですが、その意味では期待できますね。

若い俳優さんたちが、一時期の若さや美しさだけではなく、実力もつけて育っていくのを見ると、
特に今の停滞している日本では、希望の一つにもなりえます。
スポーツや、エンタテイメントって、とっても大事なものなんだなと、改めて思いました。

本編に関しては、リウ様の深い考察、楽しみながら拝見させていただいておりますよ。

清盛って、実は意外と人がいいんですよ。
源の頼政が、「いつまでたっても出世できない」と愚痴った歌を詠んだのを見て、「ならば」と三位に挙げてあげたし。
「平家物語」の女癖の悪さやそのほか、後世の脚色がほとんどらしいですね。

重盛は、平家物語では父親をいさめる平家の唯一の良識派みたいな描かれ方なので、どこでどうするのかと思っていたら、ここですか!

史実では、時子は重盛をつなぎとめるために自分の妹も、妻の一人にさせているんですよね。
でも結局は、壇ノ浦までの間に、重盛の子どもたちは平家から離れていくんですけど。

今週も楽しみです。

投稿: マーシー | 2012年9月 7日 (金) 10時36分

ささ様
即レス下さり、ありがとうございます。

考えてみれば、数年前の 「義経」 では、清盛が渡哲也サン、後白河が平幹二朗サン、だったんですもんね。
どうもその記憶がまだこびりついているので、松山クンの若々しさにこだわって見てしまうところがありますね。 後白河も平幹サンに比べれば、わ、若すぎ!(笑)。

でもこのドラマ、清盛の父親世代でも中井貴一サンや中村梅雀サン、鳥羽チャンなんかは三上博史サンでしたし、渡-平幹あたりの世代となると、もうタフマン伊東しか残っていない(笑)。

つまりこのドラマは、若い世代が、旧世代に立ち向かうドラマなんですよね。 あくまで、清盛が50になろうがなんだろうが。
「義経」 はそれと比べて、清盛たちが旧世代になっている。 頼朝や義経たち新世代に駆逐される物語なんですよ。

だから、清盛があくまで清々しい人間として栄華を誇っていることに対して、新・新世代の旗手たちはどのような理論武装でこの 「いいヤツ」 に対抗していくのか。 そこはこれからの見どころのひとつではないか、と感じます。

投稿: リウ | 2012年9月 7日 (金) 12時40分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。 「シャーロック」 に関しましては、もう少し涼しくなるまでお待ちください(いつになるんだ!…笑)。

でも思い立ったらやってしまうかもしれないし。
とてもちゃらんぽらんなので、大変心苦しく考えております。

窪田クンは、精一杯背伸びして演技しているのが見えて、とても微笑ましいですね(褒めてるの?…笑)。

やはりその人なりの一生懸命、というものが見えると、ドラマはさらに面白くなっていくものなんだ、と思いますよ。
これは松山クンにしても同じことでして、彼がどのような意図でもってそういう演技をしているのかを考えると、とても興味深い部分がある。

去年の上野樹里チャンにしてもそうだったです。

あの、意地悪としか思えない脚本のなかで、どれだけ江を成長させ、最終的な落とし所を決めていったのか。
それを考えると、彼女なりの頑張りというものが浮かび上がってくるのです。

頼朝に関しましては、いまの岡田クンよりも、少年時の中川クンのほうが、将来有望なような気もいたします(失礼)。
岡田クンがしょぼく見えてしまうのは、でもこれって現在の役のせいなのかな。 つまり頼朝ののヘタレぶりは、岡田クンによって完璧に表現されている、ということになりますね。

しかしマーシー様のおっしゃる重盛の周辺のお話は、非常に不穏なものがありますね。
ちょっとこれは、今後重盛の動向を注視しながらの視聴になっていきそうです。

あまり歴史に詳しくないので、たいしたレビューになりそうもございませんが…。

投稿: リウ | 2012年9月 7日 (金) 12時59分

>岡田くんがしょぼく
なんですよね=・笑、

しょぼくてもあれだけ美しければ、許す!(なんちゃって、上から目線ですね・爆)。

「実力本位の武士の世界にする!」っていう意識は、実際、清盛、頼朝にはどこまであったかなという疑問を持っています。
頼朝だって、自分の娘を入内させようとしていましたしね(娘が病気になったので頓挫)。

実際、武家の社会ということを明確に意識したのは、頼朝亡き後の北条氏だったと思っています。
承久の乱で、朝敵になってしまい、動揺する関東武士団に、「お前たちがこれまで生きてこられたのは誰のおかげか」と一喝、まとめたのは政子と弟の義時ですから。
ここからはっきり武士の世の中になったと言えます。

余談ですが、大江広元という官吏がいまして、彼は京都の公家社会では身分のせいで出世が認められなかった。
教養を買われて、清盛の娘(盛子だったかな、これも今考えるとすごいネーミングだ・笑)の家庭教師になり、恋仲に。
でも身分違いで引き離され、彼は失意のうちに東国に下り、鎌倉幕府の重鎮になっていく・・・、
というのが、確か「女人平家」だったかな。

大昔のテレビドラマでは、盛子が吉永小百合、広元が浜畑賢吉さんで、それはそれは美しかったです。
これもTBSだったと思います(が、ずいぶん昔の記憶なので定かではありません)。

という昔話はおいといて・笑、
鎌倉幕府が朝廷に対してうまく立ち向かえたのは、広元の力が大きかったことは確かだったそうです。

ここで頼朝の話に戻りますが・笑、
結局中央支配に嫌気のさした地方勢力が、頼朝という錦の御旗を立てて反乱した、というのが鎌倉幕府の始まりかも・・・、
所詮お飾りなので、美しく品よくあれば存在価値として十分なんじゃないでしょうか。

なんだか皮肉ですね、
武家の旗印の頼朝がヘタレで、公卿的ってのが・・。

投稿: マーシー | 2012年9月 7日 (金) 15時24分

マーシー様
再コメント下さり、ありがとうございます。

まあ、学校の教科書程度の知識で恐縮ですが、私もなんか、源氏の勃興した 「幕府」 という政治形態って、北条氏が盤石にした、という感覚ですね。
考えてみれば、「幕府」 って日本で初めてでしたもんね。 やはり統治権の分割、という感じ? 最初は警察みたいなもんだったのかな。 当時の財政って、なんとなく荘園が基盤、という感じがするので、そこを誰が押さえていたのかで、政権の実態も刻々と変化していく、という変化の時期だったのかも(分かりもしないクセに御託を並べております…笑)。


確かにこのドラマで掲げられている、平家・源氏のモチベーションである 「新しい世」「武士の世」 という概念って、どこまで具体的だったんでしょうね?

このドラマで説明されているのは、やはりその反発力の源というのは、「汚れ仕事を上から一手に押し付けられている」、という屈辱です。
そのくせ忠盛の時代には、もうタフマン白河でさえも平氏の財力を当てにしなければ政権を維持できない、という実態になっていた。

私はこのドラマでちょっとそこらへんのパワーバランスがうまく描けてなかった気がしています。
それって白河を、「タフマン」 ばりにスーパーサイヤ人にしてしまったことが原因かと(金色に光ってましたからね、白河…笑)。

頼朝って、やっぱり嫌々ながら、みたいな感じがいつもする(笑)。 実際流罪で骨抜きになってたんじゃないのかな~(笑)。 もともとプレイボーイだったらしいし(笑)。 プレイボーイが政治に興味、というのは、ちょっと考えにくい(笑)。 ましてや政権奪還など(政権、と言っていいかどうかは…)。

だからこそ、プレイボーイのモチベーションとしては、女房に尻をひっぱたかれることが最も理に適っている(笑)。
プレイボーイだからこそ、同性(義経)に対する嫉妬も激しかったかな、と(笑)。

投稿: リウ | 2012年9月 8日 (土) 08時30分

りうさま

「シャーロック」関係ですが、こんなのみつけました。
http://www.kashi-honyaku.com/bee-gees/staying-alive.html

「ステイン・アライブ」って、この歌詞、すごく深いんですね、
で、あれとあれとでああなって・・・・、
って。

んんんん====。
うなってしまいました。

投稿: マーシー | 2012年9月 8日 (土) 20時47分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

へへへ…。
意味が分かりません(が~ん)(いや、「シャーロック」 と 「ステイン・アライヴ」 の関係ですが…)。

早いとこ 「シャーロック」 見ないと、マーシー様の不明なコメントが増えていくような気がいたします(爆っ!)。

こんな返信で、ゴメンナサイいい~~っcoldsweats01coldsweats01coldsweats01

投稿: リウ | 2012年9月 9日 (日) 06時36分

リウさん。
ようやく、夜風などは涼しく感じられるようになってきましたね(^-^)
酷暑も後少し
やっと秋の入り口が見えてきました!

さて、窪田クンと言えば私は『ゲゲゲ』での新人作家のクールな役が初見(記憶に残っているところでは)ですが、画面に出るとなんか雰囲気がある人だなぁと思っております。
小さい役でも目がいくのですよ。平家のの闇の蓋が開いてしまった今後、重盛は悲惨な最期に向かっていくのですよね…
悲しいです。
どう表現されるのか、見守っていきたいと思います。

ところで、清盛の再誕生のお話
臨死体験をすると、某かの示唆があるとは私も実体験から感じております。
またリウさんご指摘の重い話になってしまうかもしれませんが
何のために生まれてきたのか?
物心ついた頃から自分はどこからきたのか不思議で仕方なかった。
生まれてきてよかったのかわからなかった。
そんなことを考えていた頃、実の父が別にいると母から聞かされました。
そして、どうして別れたのかその理由をひょんなきっかけで知ることになりました。
他に結婚を考えている女がいたが、水商売の人だったため両親に反対され私の母と無理やり結婚させられたこと
それにより母には愛情がもてなかったこと
その母を不憫に思った舅が陰日向に母を庇ってくれたこと
その事が姑の悋気を呼び、妊娠した子供が舅子供と疑い中絶させられそうになったこと
自分に疚しいことは無いと私を産んだが、父は自分の父の子供と思い込み私を殺そうとしたことそれが離婚の真相だったそうです。

どこかに自分はいらない人間と刷り込みがあったのかもしれませんが、三度も死にかけました。最後は三途の川を渡る岸辺にいました。
ところがあっちへ渡ろうとすると背後がやけに煩いのです。
ジャンジャンなんかの楽器がなり私の名前を大勢の人が叫んでいます。
アァ煩い煩い!と振り返ったところ目が醒めまして生き返ってきました。
また死ねなかった。
空が明るくて光が眩しくて
ナンだかなぁ
私、まだ生きていていいんだ。
母の真っ赤な目を見てそう思いました。

せっかく生き直そうと思ったんだから、とそれからは誰かのために生きてみようかと、
自分に少しでも関わってくれた人には、それなりに恩返ししてきたつもりです。

自分のためだけに生きることより、あの体験をした後の生き方はやっぱり違ったかなぁと思います。

なので生まれ変わった後の清盛が、これからどう生きるか、やはり期待してみたいと思います。清盛が身も心も若々しいままなのも、それを踏まえてのことなのかなぁとも思いました。

投稿: みち | 2012年9月 9日 (日) 18時18分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

基本的に、自分がどこから来て、どこへ行くのか、ということは、死んでみなきゃ分かんないことですが(笑)、臨死体験をされていると、そこらへんの意識というものも普通の人よりは深くなるものなんだろうな、と感じます。

臨死体験そのものが、物理的な夢の産物である、という考察も、いっぽうではありますけどね。
「三途の川」 という概念が仏教からきているため、キリスト教の人はあまり 「生」 と 「死」 の境目を川とは認識しない、とか。

でも基本的に、生命(魂、といってもいいですが)それ自体は、無から生じて無に還る、ということが、考えにくい。
だって現実に、自分はここにいるんですから。

でもよくよく考えてみると、宇宙自体が、最初 「無」 という状態から生まれた(ビッグバン、ていうんですか)と考えなければ、その存在自体を肯定できないですもんね。
概念的には魂も宇宙と同じで、ゼロになにをかけてもゼロ、という考えを否定しないと、その存在自体を肯定できない。

難しい話になってまいりました…(笑)。

別にこれは宗教セミナーではありませんけど(爆)。

「自分」 という存在を考えた場合ですね。

たとえば橋本なにがし、という存在は、生まれる前がどうであろうと、橋本なにがしの物でしかないんだ、と私は考えています。

橋本なにがしは、今現実に生きている、自分しかいないんですよ。

そりゃ、仏教的な輪廻、ということを考えれば、前世の行ないがあって、んで自分の性格とか性癖とか容姿とか境遇とかも決まっちゃうんだろうと思うんですけど。

あ~あ、なんかホントに宗教セミナーみたいになってきたのでやめたいのですが、止まんないな(笑)。

でもこれは、自分の実感だけで話しているのでご了承ください。

要するに、仮に前世というものがあったとしても、自分は前世で誰だったのか、全く記憶がないですからね。

つまり前世での自分は、前世にしかいないわけです。 もしかして、村木なにがしだったかもしれないけど(笑)、村木なにがしが生きてきた人生は、村木なにがしの物でしかない(村木って誰だ…笑)。

でも、まあ、自分が山奥の田んぼを見ていると、ああこういうところに住みたい、とか思うのは、前世の記憶がそうしているのかもしれないし。
オレって前世で農民だったんじゃないか、とか(笑)。 村木なにがしは、農民だった?(笑)

どうも現実的に橋本の先祖自体は、清和源氏のはしくれだったようなのですが、前世に自分が橋本氏であったとは、到底断定できないし。

下らない話を長々としてしまいました。

よーするに自分の言いたいのはですねー(笑)。

自分の人生は、いま生きている自分の物でしかない、つーことです(アラ、簡単だった…笑)。

そう考えると、もうちょっと自分の人生、大事に生きていこう、という気にもなるではないですか。

みち様の重いお話を久々にうかがえて、自分なりに考えたことを、書いてみました。

投稿: リウ | 2012年9月10日 (月) 11時19分

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