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2012年10月27日 (土)

「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」 第1回 人生を選べない者たちよ

おことわり 書き忘れたことがあったので、初出時より幾分文章を追加いたしました。



 会社を辞めさせられた30歳目前の派遣社員(生田斗真クン)が、ネットでふと目にした高知県の地域おこし協力隊に募集、そこであらたな人生を始める、というこのドラマ。
 同じように、東京の大学病院から左遷という形で高知県に医師として戻ってきた真木よう子サンが、物語のもうひとつの柱。
 さらに彼らを取り巻く人たち、桐谷健太クンとか、香椎由宇サンとか、木村文乃サンとか、柄本佑サンとかの生き方も絡めて、群像劇になるような模様。

 正直言って、出演する人たちに個人的にはあまり興味がなく、この秋のドラマの中では、いちばん未知数と思われていたドラマでしたが、第1回を見る限り、かなり入り込めました。

 こういう、人生とは何か、とか、若者とは何か、とか、地域格差とは何か、とか、正面から向き合って、真面目に論じようとしているドラマが放送できる、ということだけでも、このテレビ局は称賛されるべきだ、と感じます。
 放送時間的に続いている、このあとのドラマ 「ゴーイング マイ ホーム」 なども同様なのですが、両方とも、なんか視聴率をあまり考慮せず、質をとことん重視している気がする。 このふたつのドラマが続けて放送されていることの意義のすごさ、というものを感じます。 テレビ局の良心がまだ廃れていない証しなのだ、と思うのです。

 脚本の橋部敦子サンは、個人的な印象では、なかなか緻密な脚本を書くけれども、緻密なのにところどころとても詰めが甘い部分がある、そんな感じであります。
 今回も、四国の目的地に行く飛行機や電車で偶然見かけた真木サンに、生田クンが声をかけるところとか、ラストで生田クンが真木サンをカヌー乗りに誘うところなど、不自然な部分がないでもない。 無理やりふたりを関係させたがっている、という下心が、見えてしまうんですよ。 橋部サンの脚本に限らない、ドラマ初回ではよくあるゴーインな展開、というヤツですが。

 でもふたりが東京から 「都落ち」 してこの土地にくるまでの精神状態、というものは、とても緻密に、くどいくらいに描かれている。

 まず、生田クンは派遣の仕事をまじめにこなしていて、「もうすぐ正社員か?」 という期待を喚起させまくっていたところを、いきなりリストラされる。
 でも、もともとのんびりとした性格だから、焦って転職とか考えないでいたら、その 「自分の人生に対して真剣に向き合っていない」 という部分に、同棲中の付き合っていた彼女から愛想を尽かされて、一方的に出ていかれる。
 この、「自分の人生に真剣に向き合っていない」 というところを彼女に突っ込まれる、というのが、かなりリアルに感じるんですよ。

 そして 「実家を頼るべか」 と帰った宇都宮でも、まあよくあるお話ですが、弟家族に居場所を奪われ、居るところがないとこに加え、弟のほうが出来がよくて(今どき公務員、というのは最強であります…笑)ますます肩身が狭くなり、テキトーな理由をつけて東京に逃げ帰ってくる。

 貯金も底を尽きかけて、おそらく元カノとの折半だったのでしょう、住むところも考えなくてはならなくなり、ネットでワケアリ物件とか見てたら、激安の物件を見つける。

 そしたらそれが、高知県の話で。

 「って高知かよ…ないなー。 いくらなんでも四国はナイ」

 しかしここで、生田クンはふと思い返すのです。 このドラマを見ていて最初に激しく共感したのが、実はこの部分でした。

 「…オレは、人生を選べる立場にない…。

 オレを受け入れてくれるところに行くしかない。

 たとえその先に、なにもなかったとしても」

 私もそうですよ。 いっぱしに仕事なんかしてますけどね。 誰かに心から必要とされて、仕事をしている実感なんかない。 ただいなくてはならないから、そこにいる。 「あなたじゃなきゃもうどうしようもないですよ」 なんて、絶賛されることなんかない。
 そしてこの仕事じたいが、自分が本当にしたくてしている仕事なのか、と問われれば、大きな疑問符を付けざるを得ない。

 そりゃ、自分がいなければそこが成り立たない、という自負はありますけどね。 でももし自分がいなくなっても、相手の会社にしてみれば、いくらだって代わりは探せる。
 自分で人生を選び、自分が自分の人生に対して、思うがままに振る舞える暴君たりえていないんですよ。

 思えば誰もが、「自分は自分の人生を選べる立場にない」 と思っているのではないでしょうか。 だいたいこの不況下です。 いつ自分が解雇されるか、分かったもんじゃない。
 それは自分がその会社にとって、「いなくてはならない人間」 たりえていない、という不安があるからです。 自分の商品価値に、自信が持てないことの表れでもある。

 真木よう子サンも、研究員として大学病院にいながら、アメリカで研究する日を夢見ていた。
 でも真木サンに左遷を言い渡した上司によれば、「キミレベルの人間はいくらでもいる」。
 自分がそれなりの能力を持っている、と信じていた真木サンも、「自分の人生を自分で選べない」 という岐路に立たされるわけですよ。

 ここで真木サンに左遷を言い渡した上司が、「こんな厳しいことをはっきりというのは、キミを思ってのことだ」 と言うのですが、ここにも妙なリアリティがある。
 これはなにも、真木サンを中傷しようとか、病院の都合に合わせてもらおうとか、浅い理由から発生しているセリフではなく(まあある程度は事務的ではあるでしょうが)、その人にとっていちばん力を発揮できる場所を提供する、適材適所という理念のもとになされている人情的判断だ、と考えることもできるのです。

 そして四国に着いた生田クンを待っていたのは、金物屋をやりながら街おこし協力隊にボランティアで参加している、桐谷健太クン。
 彼は四国を修学旅行以外出たことがなく、この地で暮らすことに誇りを持っていると自慢するのですが、生田クンや真木サンに比べて、桐谷クンは自分の思い通りの人生を送っているように見えます。

 でも、はたしてそうなのか。

 彼には彼の、今まで生きてきたなかで切り捨ててきた、自分の人生というものが、あるのではないだろうか。
 私にはそんな気がするのです。
 彼も、自分で選ぶことのできない人生の中で、生きているのではないか。

 そう考えていくと、真木サンが勤めることになった四万十中央病院の看護師、香椎由宇サンも、そこでリハビリアシスタントとして働いている柄本佑サンも、自分の思い通りにならない人生を、送っているのかもしれない。
 まあそれは、この先描写されていくんだろう、と思うのですが。

 生田クンは市から激安であてがわれた居宅の隣に住む、倍賞美津子サンに呼ばれるまま、懇意になっていきます。
 ここで展開していくのは、都会暮らしの若者には少々しんどいであろうと思われる、田舎特有の濃密な人間関係です。
 倍賞美津子サンは 「梅ちゃん先生」 のときの、ちょっとおつにすましたインテリ風のおばあちゃん役から一転、若い頃は美人だっただろうと思わせながらも、そのモテたであろう人脈から培われたような人なつっこさ(ここが、ただの年寄りの人なつっこさ、というのと一線を画していることに注目します)で生田クンを歓待します。

 最初のころはそれに呼ばれていた生田クンでしたが、そのうちにだんだんと、ウザくなってくる。
 そして夕食を断ったある晩に、いただいていたオレンジジュースの入った容器を返しに倍賞サンの家の戸を叩くと、反応がない。
 不安がよぎる生田クン、家の中を探し回ると、倍賞サンが倒れている。

 救急車を呼ぼうとするも簡単に来ない、都会では5分で来るのが常識なのに。
 生田クンは市から預かっているバンに倍賞サンを乗せ、四万十中央病院に来るのですが、市でいちばん大きな病院だというのに、当直しているのはどうも真木サンと香椎サンだけ。 ここで地方病院の問題点が浮き彫りになります。

 真木サンは自分の専門でない治療を拒もうとするのですが、香椎サンに喝を入れられる。 専門外だからといって甘えるには、人員が不足しているからです。
 真木サンは心肺停止状態の倍賞サンをなんとか蘇生させようとします。 が。

 亡くなってしまうのです。

 この出来事は、生田クンと真木サンに、非常なショックとして残っていく。

 そして葬儀の場。

 ここで生田クンは自分の過ちを大きく悔いるのですが、私が注目したのは、葬儀の席に参列する人々(ほとんど年配者)が、生田クンほどその死を悲しんでいない、という点でした。 却って笑いながら、酒を酌み交わしたりしている。

 つまり、命の重さとか、大切さっていうのは、若い人ほど頭で学習しているから、実際にその場に居合わせると、必要以上に深刻になってしまう。
 それに対して、年配者にとって死、というのは、もう自分の隣にいる、身近なものなんだな、と。
 そんな人々にとって、今回のケースのように、苦しまないでポックリ死ねるということが、どれほど羨ましいことなのか。 ドラマでは、死んでも気付かれずに数日たって発見される、ということに比べれば大村さん(倍賞サン)はいいほうだ、という捉え方をしていたのですが、実はそれ以上に、「死にざま」 という問題を、私は感じるのです。

 ここで私がもうひとつ注目したのは、憔悴しきった生田クンがこのままやめてしまうのではないか?ということでした。
 が、彼はやめなかった。

 つまり、彼には 「自分には向いていない」 という意識よりも、「自分がなんとかしたかった」 という意識のほうが強かった。

 生田クンがここで逃避を選ばなかったのは、「オレは人生を選べる立場にない」 という自覚に、生田クンが立っていたからなんだ、と思う。

 人間、背水の陣にならなければ、何事も前に進まんのですよ。

 うまくいかなかったら、逃げる。

 それは逃げる場所があるからこそ、出来ることなのです。

 ここで生田クンの活動をサポートする市職員の松重豊サンの存在が、かなり救いなっている印象を強く持ちました。 このドラマを下から支えるもっとも大きな存在になるだろう、と思われます。

 大村さんの遺品が片付けられ、もぬけの殻になった家。 あるじが大事に育ててきた花壇の鉢植えのひとつを、生田クンは譲り受けます。

 人がそこに、生きていたことの証。

 それは風が吹いたら消えてなくなってしまうような、歳月と共に消え去っていくものです。
 ちっぽけな自分の人生。
 そこになにを見出すことが出来るのか。
 生田クンの決意は、見る側に大きな感慨を呼び寄せます。

 そして今回、ラストで生田クンと真木サンがカヌーに乗る、という展開は、倍賞美津子サンの退場、という共通の出来事から発生した、心情的には無理のない展開である、とも思えます。

 ただまあ、あんなにいがみ合ってたのにいきなりカヌーかよ、つー気はいたしましたが(笑)。 そこらへん、ちょっといきなり緻密じゃなかったりするんですよね。

 でも、初回サービスという点を差し引いても、じゅうぶん見ごたえのあるドラマだ、と思います。 ああ~もう、見たいドラマだらけで、体がもたない…。

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コメント

 素敵なレビューですね。泣きそうになっちゃった。

 このドラマ、実は見ていません。ごめんなさい。四万十川の映像に心惹かれてはいたのですが。日本の美しい風景というのに、私は弱いのですが、いまいち見たいと思わなかったので。でも、リウ様のレビューを読んで大正解!

 ドラマ見るより、リウ様の文章に感動しました。生きていくって、なかなか大変であります。思ったとおりの人生おくれている人なんて、数少ないでしょうね。でもそれぞれに、たった一つの人生なんですよね。

 リウ様、お身体が大丈夫な程度でドラマをお楽しみください。(笑)素敵なレビューをありがとうございました。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

体はまあ、ゴニョゴニョ…とごまかしたくなりますが(笑)。 ヘルニアって、自分で治そうと思えばここまで治るのかな、という気もするのですが、どうも完治しない。 こういう痛みとか痺れとか、この先ずーっとお友達なのかと思うと、暗澹たる気分になります。 これだけじゃありませんしね。 歳をとるのはこういうことかぁ~。

私の文章で満足なさらないで、ドラマをご覧いただいたほうが個人的にはうれしいのですが、まあちょっとこの秋は、優秀なドラマが多いので無理に、とは申しません。

こういう、人と人とのつながりをテーマにしたようなドラマは、どうやって物事が解決していくか、見終わってどういう気持ちにさせてくれるかで、こちらの生き方にもかなり影響が及んでくるタイプのドラマになるのではないか、という気がいたします。

でもこのドラマは、初回を見る限り、あくまで前向きに生きていこう、という姿勢が垣間見えました。 それがあの、カヌーだったりする。

やはり人生に対しては、否定的な結論は似合わない。
どんなに必要とされていないように思える人にだって、自分の居場所は探せばどこかにあるはずなんだ。
そんなことを訴えかけられているようなドラマです。

あの、カヌーは四万十だったからだと思います。
80年代に一声を風靡して、世のアウトドア派がこぞって賛美した”四万十川”。
とある世代は憧憬をもってその響きを受け止めていると思います。
実際は思うより(四国なので)急流で、小さな川らしいのですが、ふるさとPRには欠かせない素材だからからじゃないでしょうか。
しかし、そういう現壮年都会人を引きつけた四万十流域は現在かなりローカリズムの町おこしが注目されているようですよ、実際。

みり様
コメント下さり、ありがとうございます。 「平清盛」 のレビューにかまけてしまって、返信が大変遅れてしまったことをお詫び申し上げます。

四万十川、そういえば昔は、「日本最後の清流」 として私も行ってみたいと思ったものです。

川が流れている風景というのは、自分の田舎がそうだったからなのか、強烈にあこがれます。 って、私の家の目の前は多摩川なんですけどね(笑)。

でもこういう整備された川じゃなくって、自然の中で流れていく川のほとりに、居を構えたい、ということはばずうっと考えております。

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    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
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  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

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    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

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  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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