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2012年11月16日 (金)

「平清盛」 第44回 「そこからの眺め」(11月11日放送)を見て

 「いかがにござりますか…そこからの眺めは…?」

 聖子チャンもとい乙前の問いが、まるで自問自答のように、清盛と後白河との間を行き来する――。
 このセリフが余韻のようにこだまして、この回の後味はすこぶる悪いものになりました。

 清盛が武士として、この世の頂に立ったこの回。
 その晴れがましい場を、それをここまで胸くそ悪いものに仕上げるとは。
 このドラマの作り手の中に潜む、「権力に対する嫌悪感」 がむき出しになった回であった、とも言えます(つーより、今の政治を見てれば誰だってそ~なる、と言いますか…笑)。
 ある意味エンタテイメント、ある意味悪趣味(作り手の悪趣味は今に始まったことじゃないが…笑)。

 でも、番組HPでは深キョンが希望的なことを言ってるので、まあ最終回までこの胸くそ悪さが続くわけではない、と思い直すことにいたしましょう。

 この回でのもうひとつの私の興味は、「まだ手駒はある」 と言っていた後白河の 「駒」 とは何なのか、ということでした。

 重盛をいいように利用するのか、それともまだ何かほかに?

 手駒が誰だったのか、という説明は、ドラマ内では明確に行なわれなかったと思うのですが、結局後白河が持っていた駒は、藤原基房(細川茂樹サン)だったと思います。

 ここでしちメンド臭い事情をご説明申し上げますと(笑)。

 基房の兄・基実に嫁いでいた清盛の娘・盛子が、基実の死去に伴って所領を預かっていて、それが実質的に平家の所領みたいになっていたのですが、盛子の死去によって、それをお前に取り戻させよう、と後白河から持ちかけられるのです。

 基房はこれをいいことに、「所領を取り戻す」 と平家に通達、自分の息子まで中納言にしてしまうつけあがりぶり(ちょっと話的には前後しますけども)。

 でもこの基房、以前に清盛から思いっきし恫喝されてビビりまくってましたからねぇ。
 コイツが調子に乗ってどうしてここまで出来るのか見ていて不思議で(笑)。
 後白河の法皇としての権勢という虎の威を借りたのかもしれませんが、そもそも後白河、権威があるったってほとんどあってないよーなもんで(笑)。 側近は粛清されちゃったし。

 で、後白河が考えたほかの一手は、平家の一蓮托生ぶりにつけこむ、という手段。

 重盛を揺さぶってその死を早めさせ、清盛の我が子可愛さにダメージを与える、という手段だったように感じます。

 しかしこれらの後白河の賽の目振りなのですが。

 どうも冷静に考えると、平家と自らの軍事的なパワーバランスとかを考えていない 「ちょっと驕る平家をおちょくって刺激してみました」 程度のものにしか思えなくて(笑)。

 つまりこの二手とも、徳子と重盛が亡くなったことによる人事配置的なポリティカルゲーム(政治ごっこ)にしか見えないんですよ。 実に机上理論的というか、情緒に訴える形の性格から逸脱しきれてない。

 この後白河の心理的揺さぶり作戦を、おそらく創作という形で作り手が象徴的に持ってきたと思われるのが(史実にあったらゴメンナサイ)、今際の際にある重盛を、後白河が見舞う場面だったのではないでしょうか。

 この場面スゲー残酷で(ふぅ…)。

 書くのも憚られる(って書けよ…笑)。

 息も絶え絶えに 「わが父清盛とうまくやってくださいますよう」 と懇願する重盛に対して、「そちは清盛がわしを攻めるのを命がけで止めてくれたそうじゃな、アッパレアッパレ」 とたたえて 「約束しよう!」 とふたつ返事でいい顔しながら、「ただし、これに勝ったらな」 と双六盤を持ってこさせるのです。 あんまり胸くそ悪くて詳細に書きたくない(爆)。

 重盛はこの求めに応じてしまうのですが、いかんなー、重盛、これは判断ミスですよ…って言っても重盛はほとんど危篤状態。
 正常な判断が出来れば、ここは辞退するのが筋です。
 しかし重盛の中では判断能力などとうに失せて、父清盛のために勝たなければ…という気持ちしかない。 おそらく。

 重盛の判断ミス、つーか甘さ、というのは、これに先立って、病床に義弟や我が子たちを呼んで 「みんなで一緒に平家を盛り立ててくれ」 と話していることにも、一端があるように感じます。
 つまり、平家の棟梁であれば、この場で宗盛を立てるとか自分の子を立てるとか、ニュアンス的にも含ませるべきだったのではないか、ということです。
 確かに実質的なトップは会長サン(清盛)ですから自分に跡継ぎの決定権はないとしてもですよ。
 彼の頭には、平家のなかの政治闘争に対する自覚があまりない。 あくまでみんな仲良く、という、人間が最も苦手とする 「正論」 しか振りかざせないのです。

 そんな 「清い」 重盛、なんとか父と後白河を仲良くしようと、決死の双六に挑戦するのです(ああもう、残酷すぎる)。

 この双六、最初の二手くらいは拮抗していたように見えたのですが、徐々に後白河のほうがいい目を出し続けるようになる。
 この、「後白河がいい目を出し続ける」 という視覚的な効果が、後白河が事実上軍事的に優位に立っていないのに、心理的に優位になっているような錯覚を見る側に起こさせる、というのは重要に感じます。
 そして自らの命の炎が弱まっていくように、1とか2の目しか出せなくなってくる重盛。
 残酷さがさらに加速していくそのとき、清盛がその場に、救世主のように現れる。

 「なにをしておる…?」

 涼しい顔で団扇をあおいでいる後白河。 死神に取り憑かれたような重盛。
 清盛は、重盛の元に駆け寄り、弱々しく起こした体を抱きます。

 「お戯れが…過ぎましょう…!」

 重盛の前だからこそ、清盛は後白河に対してちょっと気遣いしているような口ぶりになっていますが、「戯れが過ぎます」 というのは、重盛も健常ならばそう対応できるように思えるのです。

 そこで後白河が繰り出した究極の心理的揺さぶり。
 後白河は若き日に自分と清盛が、重盛を賭けて双六をした時のことを持ち出すのです。

 このとき清盛は劣勢だったのですが、いきなり割って入った幼少の重盛がいい目を出して大逆転した。

 つまり重盛は、清盛にとって、ラッキーチャイルドだったわけですよ。

 それが今は、こんなにまで疲弊して、死の床にいながらも、わが父を救おうと、自らの最期の運さえ使い果たそうとしている。
 なんという息子だ。 泣ける。

 そんな息子を、清盛はこれまで、どれだけ心理的に追い込んでいったか。
 作り手が平家の命運を、重盛という人物を使って描き出そうとしているその力量には、感嘆するほかありません。

 後白河は、追撃の手をゆるめようとしない。

 「そう…。

 そち(重盛)の身を守るのは、そち自身しかおらぬ…。

 母(明子)を亡くし、弟(基盛)を亡くし、父(清盛)は修羅の道を行くもののけ…。

 そちは生まれたときから、ひとりで生き! ひとりで死んでゆくのじゃ!

 …そう定められておるのじゃ…!」

 「立ち去れ…!」

 清盛が、しわがれた声で絞り出します。 それが可笑しくて仕方がない、というように、笑みをこぼし始める後白河。 やっぱコイツ、おかしーわ(ハハ…)。

 「お立ち去り…くださいませ」

 清盛はまるで悪霊に対して言ったような前言を、丁寧に言いなおします。 やはり清盛は、この場で重盛の意に反するようなことはしたくない、と考えている。
 この父親としての気持ちは、おそらく後白河が持ち出した、かつての双六の記憶が呼び覚まされたところから、かなり高揚しているように思われる。

 「フフフハハハハハハ…!」

 後白河は、かつて自分が負けたときにぶちまけたのとまったく同じように、双六盤の駒をすべて払いのけます。
 まるで、「今度はわしの勝ちじゃ」 と誇っているように。

 後白河は笑いながら、その場を去る。

 もう息をするのもつらそうな重盛が、その後白河の笑い声が消え去っていくのを見ながら、清盛の腕の中でつぶやきます。

 「ああ…。

 とく…死なばや…」

 早く死にたい、と言っているのです。

 「重盛……」

 自分の息子が、どんなにまでして守りたかったものが、崩れ去った瞬間を見る、父親の目に、清盛が戻っています。
 清盛は、重盛を抱きしめます。

 そしてそのひと月後、重盛は死去。 享年42歳。

 この重盛の死去後、我が物顔で平家の力を削ごうとする後白河及び藤原摂関家の所業に、ついに清盛はブチ切れます。
 ここで清盛の頭にあるのは、我が子重盛の最後に見せた、「絶望」 に対する思いのみのように見える。
 どうして清盛が、ここまでいいようにされて黙っていたのか、というと、やはり重盛の思いを尊重しようとする、父親としての思いだったのでしょうか。
 それをいいことに専横を続ける者たちに対して、清盛は 「ああああ~~~っ!」 と怒りの叫びをあげる。 重盛の思いが踏みにじられていることが、清盛の心理のなかで、大きな大義名分を得ている瞬間のように思えます。

 さらにここで注目すべきは、清盛の悔しさ、恨みを後ろから後押しし、火を大きくしようとしているように見える、盛国です。
 なんかはじめて積極的に、清盛の政治的判断に干渉しているような印象を持ちました。
 これってやはり、当ブログ常連さんのささ様ご指摘のように、盛国のなかにも、復讐という芽が潜んでいるのかな、などと考えたりしました。 

 結局重盛という足枷がなくなった清盛によって、軍事的クーデターという 「次の一手」 を決められ、後白河は抵抗する術もなく、鳥羽離宮に幽閉される。

 つまり清盛がその気になりゃ、こんな奴ら蹴散らされて当たり前、なんですよ。

 結局高倉天皇との関係が盤石になった清盛のまわりに、邪魔者はひとりもいなくなる。

 「殿、おめでとうござりまする」

 寿ぐ盛国。 盛国の心中にあるのは何なのか。 それをこのドラマは、まだ積極的に語ろうとしているようには見えません(語んのかな?…笑)。

 「ついにここまで来た…」

 怪訝な顔をする伊藤忠清。 屹立する清盛。

 「ついに武士が…この国の頂に立ったのじゃ…」

 徳子への目通りを済ませた後、清盛は乙前と再会します。

 「ついに、登られましたな、この世の頂に…。

 いかがにござりますか…?

 そこからの眺めは…」

 清盛は事もなげに答えます。

 「なにも遮るものがなく、いたってよい眺めにござります」

 乙前は寂しげに返します。

 「もう…お会いすることもござりますまい…」

 清盛は、何か悟っていたかのように 「はい」 と答える。
 もしかすると、清盛は、乙前の存在が、時空を超越していると感じていたのかもしれない。
 だから乙前が、「もう会うこともない」 と不確定なことを言っても、納得して 「はい」 と答えたのであろうか。

 乙前は一礼して、清盛とすれ違って立ち去ります。 清盛が振り返ると、もうそこに乙前の姿はない。
 清盛は一瞬怪訝そうな顔をするのですが、すぐ微笑みます。
 「おそらくおとぎの国へ帰ったのだ」――そんな表情が読み取れるような気がしました。

 そして徳子と高倉天皇の子である言仁が障子にあけた穴を喜々としてのぞき込む清盛。
 いっぽう幽閉先で、なぜか微笑む後白河。

 その二人のあいだに、乙前の最後の言葉が、呪文のように繰り返されるのです。

 「いかがでござりますか? …そこからの眺めは…」。

 前半に繰り広げられた後白河の常軌を逸した重盛への見舞いと、後半に展開した、軍事力にものを言わせた清盛の暴挙。

 そんなドロドロとした権力闘争をはるか上空から見守るように、この言葉だけがむなしく心に残る。

 いや~、後味悪い(笑)。

 それにしても、この後白河の最後の微笑みは、いったいどういうわけなのか。

 おそらく、情緒に訴えた自らの心理的揺さぶり作戦が、効果的にこの世に平家反旗への種としてばらまかれ、それが芽吹いていくのを見据えていたのではなかろうか。

 次回の予告を見ていると、何だかそんな気がしてくるのです。

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コメント

 リウ様、レビュー、お疲れ様です。

 後白河が病気の重盛をお見舞いしたのは史実です。(決死の双六は違うでしょうけど。)

 重盛の「とく、死なばや」も伝えられております。「忠ならんと欲すれば孝ならず。」の台詞同様、重盛の言葉だそうです。

 ゴッシーの手駒(捨て駒でもあったけど)の基房様、浮かれているのを、弟の忠実さんが半ば呆れておりました。でも、基房の調子の良さを笑ってますと、現在の議員さん達のあっちについたりこっちについたりと同じだから、笑えない。忠実さんじゃないが、哀れにさえ思ってしまいます。細川さんが、ここまで、上手に、お公家さんの嫌らしさを演じられていたと思います。

 後白河がお見舞いで重盛が清盛を懇願して止めてくれた事に感謝していたのも、ゴッシーの本心だと思います。そこまでは良かった!

 多分、このドラマの後白河は清盛が重盛を見舞いにくるのをわかっていたのでしょう。(好意的に考えまして)重盛に絶望を味あわせる事で、清盛を苦しめたいのですから。同じもののけでありながら、親子の情愛に恵まれている清盛。後白河にとって、親子の情愛など、弱点でしかないのに。彼は鳥羽法皇から、愛されなかった。崇徳のように憎まれもしなかった。治天の君に親子の愛は不要と育っているから。(笑)

 親子の愛を求める者が、治天の君も求めるのか!

 私は、ゴッシーは史実どおり重盛を見舞うだけで、虐待までさせなくても、十分だと思っています。優しくしておきながら、領地を盛子同様召し上げたら、十分宣戦布告だと思うからです。だって、平家の棟梁の領地ですもの。でもあえて、子供の頃の双六に絡めて、瀕死の重盛に双六強要する暴挙を後白河にさせた。後味が悪かった事、この上なかったですが、私はこのドラマの後白河は重盛と清盛に妬ましさを持ってると思います。絶望を与えられる子の耳を塞いで、後白河の言葉が重盛に聞こえないようにする、清盛。それは、最初の双六でわが子を守ろうと必死だった清盛と同じ父親の顔。清盛の宝は腕の中にいる。死にそうになりながら、平家の為に賽を振っていた。清い重盛。だが、清盛が治天の君まで欲しがる!後白河には心底不快なのだと思います。

 祇園女御(乙前)さんは私には白河、後白河、清盛ともののけ3人の側に現れるわけで、冥府の使者なのかと思いました。

 そこからの眺めが闇にフェードアウトしまして、治天の君の頂は闇なのかと。後白河はすでにその闇の中にいる。孤高の存在として。重盛を虐待して、けしかけて、清盛を呼び込んだのだと。だから、彼は哄笑していられるのではないでしょうか。闇の中に清盛が向かう中、平家を滅ぼす萌芽が育ってきているし。

 こんなに、げんなりした回は無かったです。後味悪すぎ!権力ってこんなに醜悪なものなのか。そうなのだけど!

 近いうちがとうとう来ちゃいました。ずっと、政争ばっかりでしたが、解散話の後、2日でさんざん引き伸ばされた法案が通りました。歳費泥棒じゃないの。2日でやれるなら、さっさとやれ!清盛より現実はもっと胸糞悪いですね。(笑)

 


 
 

 

投稿: ささ | 2012年11月16日 (金) 22時00分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ホントに、私のレビューなどより数段上の感想文を読ませていただきました。 もう次回からは完全にお任せします(笑)。

去年の 「江」 での私とささ様のやり取りに比べると、なんと高尚なのでしょうか(笑)。 月とスッポンだ…。

それだけこのドラマ、見ていて思うことが多い傑作だ、という証なんだと思いますが、「治天の君の頂は闇」 というささ様のご指摘にはうなりました。

このドラマの描き出す時代、というのは、もう貴族社会が空洞化して、軍事力を持っていた武士が実質的な権力を握るのが、状況的にみんなすごく見えてたと思うんですよ。

だから、貴族側の起こす抵抗、というのが、最初から(なんの乱だったっけな?)すごく稚拙なものばかりで、そこをクローズアップさせてしまうと、物語的に面白くもなんともなくなる。 最初のうちは源氏対平氏、という対立構図があったからかなり面白いにせよ、後白河だけになったときの平家への抵抗の仕方というのは、とても雅でやる気あんのか状態(笑)。

だからこそ作り手は今回の死の床の双六みたいな話を創り出して、朝廷側にも力があるところを印象づけなければならない。

でも、ミリタリーバランスを考えたらどっちが負けるか明明白白ですからね。

軍事政権が国を掌握するのは、黎明期にある国家では一度は通り過ぎる道なんでしょうかね。 ミャンマーにしてもシリアにしても。

野田サンにとって首相という我が国の頂は、闇だったんでしょうかね?

昨日の退陣会見を聞いていて、「この人の言ってることはいちいち立派で筋が通ってるけど、それが出来ないのが民主党、ひいては政党政治なのではないか」、などと感じました。

政党が乱立しているなかで、「この人は厚生大臣をやらせたらよさそうだ、この人は財務大臣をやらせたら、この人は外務大臣をやらせたら」 という人が、違う政党に各1名ずつくらいチラポラいる(笑)。 全部くっついちゃえばみんな大臣になれるのに(笑)。

政党などという枠組みで動いているから、硬直化してしまうんですよ。

それが理想的な形で動いていたのが、かつての自民党だった気がします。 あの党のなかでいろんな派閥があって、かなり異論の乱立した政党だったように感じる。 今じゃ政争の具にばかり目がいってる感覚で。

解散となったら民主党から出ていく議員がまたバタバタ現れて、こんなことだったら別に解散して違憲状態の選挙なんかしなくて済んだのに、という気がします(笑)。

で、解散になるとまた 「なに解散なんでしょうか」 みたいな質問が記者から出て、「○○解散だ、××解散だ」 と下らねえ名称を解散につけたがる。

バカかと言いたくなります(黒ハシモトではなくまったくの本音です)。

政治について話をしだすときりがないですね。
首相になったらやはり周りに遮るものがなくて、風当たりがやたらと強くなりすぎるんだと思います(うまくまとまった?…笑)。

投稿: リウ | 2012年11月17日 (土) 08時43分

 天皇家が最後に政治を支配した時代が院政で、ゴッシーはその最後になるわけです。鎌倉幕府は天皇をお飾りにしたし、足利も、後醍醐天皇の建武の中興はあったにせよ、その後はお飾り。明治維新まで、天皇による親政はありませんでした。

 そういう意味で、ゴッシーがもののけの血の最後の継承者なのかもしれませんね。ゴッシーは治天の君が、魅力ある場所だと思いながらも、居心地の悪い孤独な場所である事も知っている。権力の権化でありながら、権力を嫌悪もしていると思うのです。自分の中で蠢くもののけの血を憎悪しているのじゃないでしょうか。彼にとって、清盛がもののけの血に染まって、人の心をなくしてくれた方が愉快なんじゃないでしょうか。清い重盛の父という人として自制している清盛を完全に「もののけ」に堕落させるのが、双六の目的なのかと思いました。権力の闇は深い。そして、闇に染まってしまった者は権力者というこの世の地獄から、本当の地獄にいくしかないと、双六のサイコロを握りながら、笑っているのかなと思いました。

 見ていて、ゴッシーが重態の重盛に無理させるところは、悪趣味だと思いました。非道過ぎる。権力者の醜悪さといえばそれまでだけど、中国や韓国が戦時中の日本人を描いてる視線と同じものを感じてしまいました。そこには、憎悪がある。もちろん私の気のせいかもしれません。(笑)

 闇で終わった今回、その後はどうなるのでしょう。無邪気に時子に抱かれていた後の安徳天皇、障子に穴をあけて微笑ましいと思えたら良かったけど、この後壇ノ浦で時子に抱かれて死ぬのだなと、平家に一蓮托生された、幼い天皇を哀れに思いました。ダークネスな回でしたね。

投稿: ささ | 2012年11月17日 (土) 11時18分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

ダークだったけど、そういう苦い思いもさせてくれるのが、大河ドラマの真骨頂だと感じますよね。

世の中、きれいごとだらけではない。

人の世の汚さと、そこに蠢く哀しさを表現している、という点で、今年の大河は少なくとも私どもの記憶には永く残る大河になりそうです。
主人公が自己弁護してるような大河より、こっちのほうが私は好きですね。

でも、どんなに外見上は汚く見えようとも、自分の人生に何らかの意義を持たせたがるのも、人間でして。

天皇という存在は、藤原摂関家が我が世の春を謳歌したころから、結構有名無実化しているような印象がありますね、私の教科書程度の知識だと。

だから武家の台頭というのは、そんな貴族どうしの甘っちょろい権力闘争から、虐げられてきたことをパワーの源として、必然的に沸き起こった、「力こそ正義」 の概念の復活だったのではないか、という感じがします。

復活って、つまり天皇家の勃興も、豪族どうしの争いみたいな、飛鳥時代あたりの武力による統括がそもそもの始まりだったように思うので。

ま~乏しい知識を総動員してコメント返信しておりますが私も(笑)。

投稿: リウ | 2012年11月17日 (土) 16時43分

このドラマの誠実なところは、きれいごとで済まさない事ですね。(笑)清盛がダークなら、対するゴッシーも真っ黒くろすけ!しかも二人とも非道ぶりを隠さない!正論を捻じ曲げるのがまかりとおっている!主人公と共演者が二人とも、悪人というのは、画期的かもしれません!

 去年の大河ですと、完ちゃんの可愛らしさしか、心に残るものがなかったですけど(私にとって)、今年は内容について、お話できるだけでも、大河ドラマですよね。視聴率最低なのはしょうがない。だって、お気楽に見れないんだもの!今回のように、ヘビーな回だと尚更です。(笑)私、気分が悪くなりましたから。リウ様の冷静なレビューを読ませてもらって、だいぶ楽になりました。(笑)ゴッシーに同情してる自分が嫌になりましたもの。さすがに。でも彼だって、滅びの中にいるわけで。摂関家支配の後、天皇家がまた力を取り戻した院政が、もう力を失っているのを、彼自身が知っていて、最後のあがきをせざるをえない。彼は平家の隆盛が終わった後、また、自分の元に権勢が戻るとは思っていないと思う。破滅的な天子様だから。世の中には叩き壊すために存在する指導者がいるじゃないですか。彼はその一人なのだと思いました。(笑)なので、非道なのだけど、同情もしているのです。破滅の美学に。まあ、実際はあれこれ、五月蝿い彼が死ぬのを、頼朝は待ったらしいですけどね。(笑)

 なかなかとっつきにくい大河ドラマですよね。最後まで見守るしかないです。来年はどうなのかしら?江ちゃん路線は勘弁してほしいと思う、今日この頃であります。(笑)

 

 

投稿: ささ | 2012年11月17日 (土) 21時28分

リウ様 久しぶりにおじゃまいたします。
Fクルーラーです。

「はつ恋」再放送情報でございます。
12/22・23両日の13:50~それぞれ4話ずつ、BSプレミアムです。年末はお忙しいと思いますが、できればHDD(こちらも少なくなっているとのことですが。。。)の片隅に録っていただいて正月休みにでもご覧いただけないかと願っております。

 さて「清盛」スレですので。
 ささ様リウ様のやりとり、毎週楽しく拝見しております。ドラマも一昨年の「龍馬伝」同様、オモシロく(いろいろな意味で)視ております。松ケンさん、いい役者と感じました。
 先週の回について印象的だったことを申します。松翔さん、今作でとても声がいい人と認識しました。今様をうたうときにはいつも、ええ声してはるやん、と思います。まあ今作には稀代の歌姫(ええ役もろてはりますなあ)が出てますので、彼女が歌い始めるととてもかないませんが。
 特に低い声がきれいなのですが、それが今回のあのシーンでとても効果的だったと思います。これほどおぞましい場面はそうそう無いと思いますが、きれいなお顔と声がそれを一層倍加させているような。。。ここではずっと指摘されている「若々しさ」ですが、今回の演出は見事だと感じました。
 早く忘れたいほどの場面かも知れません。ご不快に感じられましたら申し訳ありません。ヘンに関西弁が混じったこと(「カーネーション」を視ながら書いているせいです)も併せ、ご容赦下さいませ。
 
 

投稿: Fクルーラー | 2012年11月18日 (日) 00時51分

ささ様
再々コメント下さり、ありがとうございます。

マックロクロスケのほうが愛嬌があります(笑)。 少なくとも高笑いはしません(笑)。

実際には天皇方って、「昔の栄光もう一度」 みたいな感覚がしてますね、私の印象では。 このあと足利尊氏に反抗する後醍醐天皇もそんな感じ。 後白河は後醍醐の先鞭つけてるような感覚かな…(笑)。 だからタフマン白河って、結構突然変異系つーか(笑)。

ただ、私も後白河の悲しみにまでは気持ちが至りませんでしたよ~。 ささ様のほうが心温かいです。 「この場でなにを言い出すんだこいつは」 という感じでしたもんね、双六盤を持って来させたときは。

自分もネガティヴな人間なので、このドラマのネガティヴ感覚に共振している部分があるかもしれません。 こういう、見ていてやんなるドラマというのは、視聴率的には希望が持てませんけど、視聴率より質を重視してもらいたいのに変わりはないです。

視聴率って、私みたいな録画派は貢献してませんけど。

投稿: リウ | 2012年11月18日 (日) 01時06分

Fクルーラー様
おひさです。 コメント下さり、ありがとうございます。

ご不快なんか、ちっともですよ! いろんな感じ方があって当然ですから。 どうも自分、怖がられてるかな…?(笑)

「はつ恋」 情報、ありがとうございます。 いつぞやは途中から見てかなり的外れな感想を書いてしまって申し訳なく思っているので、今度は必ずチェックしたいと考えております(ただ根がズボラですので、もししくじった節にはご容赦ください…)(年末だからキビシーかも…)。

>「カーネ」 を見ながら
私も、もう終わりましたけど、「今夜も生でさだまさし」 を見ながら(聞きながら)コメント返信書いてますので、同じようなものです(笑)。

余談ですが、「生さだ」 も次回はもう、1月1日(大みそかの夜)の放送ということらしいです。 あ~もう、来年かよぉぉぉ~~っ(早い…)。

松翔って誰だと思ったら、松田翔太クンのことか…(笑)。 彼は 「ドン★キホーテ」 でコメディできることも分かったし、将来有望な俳優さんのひとりですね。

ささ様とのドツキ漫才(違うか)楽しんでいただけてますようで(笑)。

いや、もう最近は、ささ様のコメントの深さに、私などはタジタジです…。

投稿: リウ | 2012年11月18日 (日) 01時59分

リウ様 ご返信ありがとうございます。
Fクルーラーです。


 不粋な心配だったかと思いますが、重盛を嬲るシーンについて、お二人(リウ様ささ様)が身の毛のよだつような表現(笑)をされていたので、よけいな気遣いをしてしまいました。

 松翔さんと略したのは、今作の登場人物に類似名が多いことにリウ様が悩まれていたので、ホンのイタヅラ心を起こしました。失礼いたしました。(と思ったら、松聖さんを忘れていました!!ウイキで確認したところ、ほかには松~の方は出ておらず、松ケンさんを含めて3人だけのようです。だから何なんだ、と言う話ですが。。。最後の最後で松平健さんが出てくる・・・わけはないですか。)
 今後もレビューを楽しみにしております。「はつ恋」もできれば・・・よろしくお願いいたします。

投稿: Fクルーラー | 2012年11月18日 (日) 11時09分

 おどろおどろしい、おぞましい双六も松田翔太さんがパンクにゴッシーを演じてこられただけに、いくらか、良かったです。常軌を逸している演技の積み重ねの賜物と、瀕死の重盛の可哀想加減もありまして、記憶に残る重盛退場の場面になりました。双六の時、重盛が前から映っている時は瀕死なのだけど、背後から映っている時は若々しい青年の身体なんですよ!そこは演技の技量が未熟なせいかもしれませんが、おぞましさを中和してくれました。(笑)重盛、背中は健康だな~って思いました。(笑)

 この双六を用意するなら、もっと重盛が深い恩義を感じる、後白河との場面があれば、重盛が苦しくても、平家の忠義を最後に示す演技がより光ったのではないかと思いました。彼の絶望がもっとリアルに感じられたでしょう。窪田くん十分頑張ったけどね。これから、精進して、もっと演技を磨いてほしいです。

 頼朝の大姫も悲劇の姫なんですよね。だから、親子3人で幸せそうなのが、より輝くというか、ちょっともの哀しい。このドラマって、みんな幸せと悲劇を背中合わせに持っている。人が生きていくって、そういう事なのかと考えさせられます。無邪気に笑う子供に、死の影を歴史を知る者は見ている。子供の頃、無邪気に自分の運命を救った重盛にあんな残酷な双六が用意されるとは!絶望の双六なんて、やりたくな~い!さすが、忠と孝に生きる重盛!やっちゃった!清いって、大変ですね。無邪気に平家の栄華を満喫している、平家の他の子供達も残酷な運命が待ってると思うと、源氏の方がマシ?でも義経だって、大姫だって、源氏も3代で北条に乗っ取られるし!結局、地道に野菜作りしていた、苦労人の時政父ちゃんが、勝利者という事かも。幸せは地道に生きる者のものかもしれません。(笑)

投稿: ささ | 2012年11月18日 (日) 13時10分

風邪で寝込んでしまい、出遅れてしまいました・汗

まっくろくろすけのゴッシー、
重盛を抱きかかえる清盛を見るその目つきが、何とも言えませんでした。
こんな複雑な表現ができるようになったんですね。
「篤姫」の、「はい、母上」(棒読み)が、嘘みたいだわ、
って、完全に成長を見守る母の目線ですが・笑

このすごろくの場面、ほんと、見ていられませんでした。
が、この情念の深さって、多分、日本人よりも海外で受けるんじゃないかな=(と、また裏読み・笑)。


で、重盛を抱える清盛の声が、初めて腹から出ていました。
すごい、マツケン!!

すごろく遊びをここまで引っ張るかっていうくらい、
引っ張ってきて、話全部をまとめてしまう脚本の力量も、素晴らしいです。

>頼朝の大姫
好きですよ===、この人。
親の因縁を一身に背負ったような子でね。
あと5回、どこまで描けるか、
楽しみです。

投稿: マーシー | 2012年11月18日 (日) 20時15分

 あの最後の闇は、オープニングテーマの最初の小さな光につながるのだと、今日のオープニング前の解説を見て思いました。

 権力の闇を貫く光の矢となるべく生れ落ちた清盛が、闇に捕われる!そこからの眺めはなかなかにシュールでありまする。(笑)

 後、重盛にゴッシーが絶望に追い立てるべく言った、「一人で生まれ、一人で生き、一人で死んで」は自分や清盛の事も言ってるのだと思いました。違うのは自分を自分で救える清い重盛は光の中に生まれ、光の中に生き、光の中で待つ母と弟の元に旅立つ事。ゴッシーは闇の中に生き、一人きり。遠からず清盛も。

 今日の回ではゴッシーはほとんど出番がなかったです。(笑)そろそろ双六をしていないゴッシーを見たいものですね。聖子ちゃんも黄泉に帰ったようだし。(笑)

投稿: ささ | 2012年11月18日 (日) 22時04分

Fクルーラー様
レス下さり、ありがとうございます。

身の毛のよだつ表現なんか、してたかな~?(笑)

いずれにしても 「後味が悪い」 というのは、ひん曲がってますけど褒め言葉のうちですね。

ドラマを見て気持ち悪くなるっていう経験は、やはりしといたほうがいいと思うんです。

名前が分かりにくかったのは、もう卒業いたしましたよ!(笑) 特にひどかったのは朝廷側のナニ子とかナニ仁とかだったですけどね。 今はだいたい、重盛と宗盛くらい覚えとけば、あとは大したことやってないので(笑)だいぶ楽になりました…。

投稿: リウ | 2012年11月19日 (月) 08時27分

ささ様
またのコメント、ありがとうございます。 2件についてまたもや一括で返信いたしますがご了承のほどを…。

重盛の背中にまで目が行き届いているとは、もうささ様の鑑賞眼にはお手上げ状態であります(笑)。 どうもレビューを書く気がホントになくなってきた…(爆)。

大姫のことは存じませんが(過去にドラマでなにか見てるかもしれないけど)、重盛はデス双六(デスノートのパクリ?…笑)なんかやらなければ、壇ノ浦で死んでゆく平家の遺された人々よりも、かなりマシな亡くなりかただ、ということは言えるでしょうか。

このドラマにおいては、光とか闇とか、とても精神的なもので平家の興亡を描こうとしていますよね。

だから源氏が決起するのも、「光を継ぐもの」 みたいな感覚で。

平家がいかに専横をほしいままにしているのか、というと、このドラマでは、伊豆でオッサン連中が 「税金の取り過ぎだ」「定数是正しろ」(ちゃうちゃう)と眉間にシワ寄せてしゃべってるだけ(笑)。

要するに清盛から武士の魂をラブ注入された頼朝が人生をどう転換していくか、という、これまた精神的なお話で済ませようとしているところに特徴がある。

私も、あのオープニングテーマ中の赤いハッパみたいのは、なんの象徴なのかな、な~んて考えたりしてるんですが、答えは見つからず…。

ささ様はもうそのことについて答えを見つけたご様子ですね。

それにしても重盛にとってこの2回の双六勝負、というのは、長~い長~い前フリでございました…(笑)。

いつの日かまた、清盛がエクスカリバーを地面に突き刺す、長~い長~い前フリというものも、出てくるのでしょうか?(笑)

投稿: リウ | 2012年11月19日 (月) 09時22分

リウさま。
おはようございます。
ここ数回の救いなき展開、観終わった後に残るやるせなさ。確かに、見事なまでに真っ黒です。もう、2度塗り、3度塗りくらいに。

ただ、ストーンズがらみで言わせていただくなら、Sympathy for the Devilも入っているかなと思います。
あの曲で、ミックが歌うところの「悪魔」。歴史の闇に隠れ、数々の悲劇を引き起こしながらほくそ笑むもの。それは、このドラマに通底するテーマの一つ「もののけの血」に通じるものがあるのではないかと。

「もののけの血」というのは、白河院から繋がる「血筋」というだけでなく、権力という「悪魔」に魅入られ、取り込められた者たちの系譜という意味もこめられているのではないでしょうか。それを、「血」という、非常に取扱い注意な言葉で表現しているのが、また、限りなくチャレンジングではありますが。

今は、パンドラの箱から飛び出た最後の羽虫のような、かわいい「希望」に見える源氏だって、いずれは権力の闇に翻弄されるわけです。タイムスパン的に、源氏三代の滅亡や承久の乱は無理にせよ、頼朝vs義経の確執ぐらいまでは描くのでしょうか?京本サンも頑張っておられるし(笑)。そうなると、更に、めちゃめちゃ後味悪い大河になりそう・・・でも、観てみたいです。

ただ、個人的には、杏サン=政子ちゃんの尼将軍としての大演説で、ビシッと喝を入れてもらいたいですけど(笑)

投稿: Zai-Chen | 2012年11月19日 (月) 09時35分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。
ずいぶんしつこい風邪だったのですね。 ご自愛のほどを…。

こういう分かりやすいのは、やはり海外ドラマによくあるパターンでしょうかね(笑)。

でも後白河も、結構滋子が亡くなってから、小出しにしていた狂気を、どうにも全開にしたくて仕方なくなったのでは…?(笑)

これはオトコの視点、という逃げを打ちますが(笑)、どうもタガが外れると、だだ漏れという感じでして男は…(笑)。

死なばもろとも、胃液吐くまで(そんな歌があったっけな~…笑)、一億総玉砕(白痴化というのも男が考えました)。

だから後白河に哀しみとかを感じるよりも、何もかもぶち壊したくなる衝動、みたいな悪趣味を、感じてしまうんですよね。

それが哀れ、ととられると、男としてはちょっと沽券に関わるかもしれないです。

男って、カッコつけだから。

あと5回かぁ~…。

思えば暗~い、大河でした(もうまとめに入っとる…笑)。

投稿: リウ | 2012年11月19日 (月) 09時35分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

「悪魔を憐れむ歌」 ですね(それくらいは知ってたかな…笑)。 でもあまりストーンズで突っ込まれると困るかなぁ(ハハ…)。

そうだ、京本サンが出ている以上、義経は平泉まで再度行くことになるんでしょうね。 でも描写少ないから、とってつけたような話になりそうな予感…。

「血」 とか言われちゃうと、もう自分でも否定のしようがない、退路が絶たれた話になってしまうのですが、人間の心の中には、そりゃいいところも悪いところも、全部つまっている気がするんですよ。 その悪いところを 「もののけの血」 みたいに捉えていたんじゃ、自縄自縛というほかはないです。 でもどうしてもそうなっちゃうのも人間の宿命でもあり。

つまりこのドラマは、自分で規定してしまっている宿業と、どう対峙し、自縄自縛をどのように解いていくのか、というところにも、見るべき部分があるのかもしれません。

人間偉くなっちゃうと、どうしても陥ってしまうものが、ありすぎますからね。

投稿: リウ | 2012年11月19日 (月) 10時09分

リウ様
ご返信ありがとうございます。

いやいや、私も、歌ってる内容などは、多分にネット後知恵のところありますので(バラしてどうする)、あまりお気になさらないでください。

ただ、この曲のリズムって、ストーンズの中でも異色なので、初めて聴いた若き日から印象に残っていたんですよ。キリスト教の国では、歌詞の内容も相当物議をかもしたらしくて。
なんでも、ストーンズのフリーコンサートで殺人沙汰があった(いわゆるオルタモントの悲劇)際、演奏していたのが、この曲だったという都市伝説があったようですよ。もっとも、実際は、全然別の曲だったんですが、そのため、ストーンズはしばらくライブで封印していたらしいです(と、これもネット後知恵です)。いまでは、ライブには欠かせない、超定番曲になってますけどね。

そう考えると、因果な曲だなあという気もします。作り手の思惑とは関係なく、現実の人間の憎しみや悲劇が投影されてしまったのですから。でも、それが、人の心が作り出す音楽(他の芸術でも同じですが)の厄介で、かつ面白いところなんでしょうけどね。

投稿: Zai-Chen | 2012年11月19日 (月) 10時43分

リウ様

こんにちは。ご無沙汰してます。
他の方もコメントされてますが、松田翔太の双六の後の暴言は松田翔太自身に向けて言ってるのかな〜なんて考えてます。
先週キツかったんでURLで勘弁して下さいまし(言い訳・笑)
http://ameblo.jp/axmagnolia/entry-11401916529.html

それはそうと、シナリオ講座楽しいです。
ここで皆さんがコメントされてる内容が全て「技術」として叩きこまれてる状態なのですから。
講義中はひたすら集中の極みで、終わったら脱力するのですが(しかも講義仲間とお茶して議論して更に疲弊)、お題を出されて、それを考えるもの楽しい。(お題1個に対して8個ネタ作って3本ワードで起こして、1番最初に浮かんだモノを原稿用紙で提出したよーな状態です)
本気で面白いんでリウ様にもオススメですsmile
「本気でシナリオライターになりたい!」って人よりも「趣味で」「広告制作が仕事で、仕事に役立てたくて」「同人誌描きたいけど、ストーリーが作れなくて」みたいな人も多くて(ええんか、それ・笑)結構入りやすいです。
私自身も、「シナリオライターで食っていく」事は今の時点では考えてないのですが(今の仕事のが儲かるので、細々書いて行きたい系)やっぱ「楽しい!」が先行しています。(って何か宣伝みたい・笑)

で、清盛ですが、「技術の精を尽くした脚本」になってるのですが、技巧的すぎて視聴者が付いてこれない状態ですよね。(ちなみに純と愛も応用技術の塊です)
こっちも僭越ながらURLでご勘弁をば。http://ameblo.jp/axmagnolia/entry-11407476996.html 

これはNHK的にはアタマ痛いな〜なんて(学生時代にNHKのプロデューサー陣とお話する機会があったので、色々聞いたのですが、彼らは数字に非常にシビアです)。
2012年は「梅ちゃん先生」(これは脚本技術は基礎に忠実で面白い)で何とか食いつないだドラマ班ですが、来年はどーなることやら。

投稿: まぐのりあ | 2012年11月19日 (月) 12時53分

Zai-Chen様
レス下さり、ありがとうございます。

ビートルズでも、「ヘルター・スケルター」(沢尻エリカチャンの映画ではありません…笑)という曲が拡大解釈され、シャロン・テートという女優が誇大妄想した変質者によって殺されたというエピソードがあります(こちらはモノホン)。

特にビートルズの曲に関しては、そういう 「ど~してそ~なる?」 みたいな拡大解釈がよくされていて、ジョン・レノンなどはそれにほとほとウンザリし、「もっと混乱させてやれ」 という目的で1曲作ったほど(笑)。

つまり当時は、結構、こうだと思い込んでしまうと歯止めが効かない、という側面が、人類全体にあったのだ、と思うんですよ。
スターやアイドルに対して盲目的に熱狂していた、と同じからくりで。
狂信者、というヤツですね。

結局ジョン・レノンもそんな盲信者によって射殺されてしまったのですが。

今はそんなことはほぼ起きない気がしますね。

私が思い返す限り、 「思い入れ」 が危険だった事件というのは、某アイドルが自殺した時に後追いするファンが続出した、あの一件が最後だと思う。

少なくとも現在の日本では、アイドルなんかもう、雲の上から引きずりおろされまくってますから。

投稿: リウ | 2012年11月20日 (火) 08時04分

まぐのりあ様
おひさです。 コメント下さり、ありがとうございます。

面白そーですね、シナリオ講座happy01

まぐのりあ様からお誘いを受けましたけど、ただ私の場合は発想力がそもそも欠如しておりまして…(そういうのも講座でやるのかな?)。

どういう物語が作りたいのか、という時点から、つまづいてしまうとダメですよね。

発想的には 「それでも、生きてゆく」 みたいに、社会派的なものになってしまいそうです(妄想中…笑)。

私の場合は変則的死刑廃止論者(残酷バージョン…笑)なので、そういうことを物語にしたら面白そうですけどね。

シナリオとは呼べませんけど、つまらんインタビュー形式の詩というものは、書いております。
まあ、つまらんでしょうけど、こんなことも私ブログでやりました、という意味で、ほんの少しのぞいていただけたらな~と。 → http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2008/10/long-lost-john-.html

でも、同人誌のストーリーなんか、ホントに妄想でよさそ~な気もいたしますが(どんな同人誌を私が思い描いているのか、というと、推して知るべし?…笑)。

いや、真面目な同人マンガもあるでしょうね、見くびっちゃいけないな。

遊川サンの脚本は、いったん物事をぶち壊してその中心的な価値を露呈させ、破滅の中からより良い方向を模索していく、という形式のものが多い気がしますね。

キャラ的には、遊川サンみたいに 「ガハハ」 な人になってみたいです(いつもまわりにビクビクしながら生きてるので…笑)。

投稿: リウ | 2012年11月20日 (火) 08時27分

お早うございます。

横の話題で恐縮ですが、
>頼朝の大姫
大姫というのは、長女という程度の意味で、
この当時、女性は名前を公表しないのが普通だったので、(確か祟りとか、そのあたりを恐れてだったかな。)次女は中姫とか、その次は弟姫とか、大雑把な名称です。
結婚するときにやっと、O子とか正式な名前を付けることもあったようです。


木曽義仲の長男の義高と婚約、義高は婿と言えば聞こえがいいけど、実質人質として鎌倉に送られます。
まだ子供だった大姫と義高は政略婚約とはいえ、お互いに惹かれあったのは史実にあるようです。
が、頼朝と義仲の間が決裂、人質の義高は討たれることに。
政子は義高をあわれに思い、逃すのですが、捕まって殺される。

幼い大姫はひどいショックを受けて寝込んでしまいます。
政子は義高を討った郎党を激しく叱責、そのために、郎党は実際に義高を殺したその部下を殺す羽目になり、血で血を洗う惨劇になりました。

この後大姫が精神的な健康を取り戻すことはなく、鬱状態が続きます。
のちに大姫入内の話が持ち上がり、政子と頼朝は大乗り気で上京までして根回ししますが、大姫の死で、話は白紙に。

もしこのとき大姫が入内して皇子を産んでいたら、歴史は大きく変わったかもしれず、武士の世の中にはならなかった可能性も。

それは歴史のいたずらというより、世の中が動いていくうえでの必然性といったほうがいいかもしれませんね。

投稿: マーシー | 2012年11月20日 (火) 09時48分

 またもや、最低視聴率を更新しました。(笑)7,3パーセントだそうです。ある意味快挙でしょう。不遇な優等生大河です。以仁王みたい!

 最終回の前回「双六が終わるとき」が12月16日。近いうち選挙の日で、繰り上げ放送になるかもしれないそうです。目下調整中らしいですが、開票速報が優先されるでしょうね。多分。

 しかしどれだけ、双六が好きなのかと、オープニングのタイトルを見てたら、光の後にサイコロが投入されておりました!いままで、40回以上、真面目にオープニングを見てなかった事が発覚しました。いつも、夕食の味噌汁の鍋を見に行ってる!(基本BSで見るので)サイコロ転がってました。多分出演者と同等でしょう。(笑)

 12月23日まで放送するので、総集編が来年になるかもしれないそうです。(笑)来年は八重の桜だし!来年は八重さんの番宣が優先じゃないの?まあ総集編にどれだけの価値があるか知りませんが。私は清盛は総集編を見る気がしません。本放送で十分堪能している!50回まで、完走するのが目標です。先日の以仁王の回は、視聴率ほど悪くはないけど、心躍るものでもないです。ツタンカーメンのような、京極さんが、異質で楽しかったです。(笑)

 

投稿: ささ | 2012年11月20日 (火) 12時05分

リウ様

本文と全く関係ないのにレスありがとうございます。
私もあんま発想力無いです。
ただ、日常生活で「これを何かの形で世に出したら面白いのに!」と思うことは結構あります。
でも、「どう出すか」が浮かんでこない。
私の今の持ち駒だってひたすら「出せる」時まで力を蓄えてる最中です。
「発想も技術だ」って話を先週末にちょうど講義でやったばかりです。
講師の話も面白いんで(まー、それで食べてるんで)それだけでもいいかんじです。(って、何かの回し者なんだか)

ホントに本文と全く関係ない内容ですみません・・・。
ただ、ドラマの見方は変わります・笑

投稿: まぐのりあ | 2012年11月20日 (火) 19時13分

マーシー様
横レス下さり(笑)ありがとうございます。

大姫って、そういう意味でしたか。 ま~たまたひとつ、…あ、いやいや(笑)。

でも、木曽義仲の息子とか、なんかドラマで見たような気もするのですが…。 「義経」 だったかな?

木曽義仲が小澤なんとかさん(名前が出てこない…笑)で巴が小池栄子サンだったことは覚えているのですが、息子は出てたかなァ? 大姫となると、まるで記憶にございません。

でもフィールド的には、「草燃える」 という感じではありますね。

そういった、あまり光の当たったことのない人物を題材にするのも、面白いとは思うんですけどね、大河ドラマ。

まあ来年がそのパターンなので、堪能させていただきますが、有名人じゃないからあまり視聴率は上がらないかも…。

ただわが故郷福島のPRにはなると思いますね。
あまり有名じゃなくても、「ゲゲゲの女房」 みたいな、分かりやすいお話に仕上げてくれるんじゃないでしょうか、脚本の山本むつみサンも。

投稿: リウ | 2012年11月21日 (水) 07時58分

ささ様
視聴率サイテー情報下さり(笑)、ありがとうございます。

以仁王、っていきなり再登場しても、えーと誰だったっけなー、というのもありますし(笑)。

そもそも、そんな大した皇族なんでしょうかね?

もともと全国に、平家に対する不満がくすぶっていたから 「決起せよ」 という声にみんな反応した気もしますが(まだ見てないのに書くのは危険だ…笑)。

選挙速報とバッティングするのか~。 どこまでもツキのない大河ドラマですよね(笑)。 そもそも年末の忙しい時期に選挙をやるっつーのが間違っとる(いくらウソツキブタ呼ばわりされたのが我慢できなかったからって…爆)。

私はオープニングタイトル、ピアノ演奏をしている人がどうして舘野泉サンなのかまで、考えてます(ハハ…)。
この人脳梗塞かなんかで、片手でしかピアノが弾けなくなったピアニストなんですよね。
つまり、清盛と後白河(もしくは義朝)が、互いに不完全なものであり、完全なものを求めて相手と対峙する、いわば片腕のようなものなのではないか、とか(考えすぎ…笑)。

投稿: リウ | 2012年11月21日 (水) 08時23分

まぐのりあ様
レス下さり、ありがとうございます。

ドラマの面白さって、発想力がものをいう場合もありますけど、結局自分の中にある 「これは世の中に対して言っときたい!」 という熱情が脚本家に書かせるのではないかな、という気がします。

そしてどんなドラマが当たるのか、というと、今の日本じゃ分かりやすいものがウケるようです。

でも、受けるドラマでも、結構深いことをきちんと描き切っているドラマとかもある。
「家政婦のミタ」 なんかはいい例だと思います。
あのドラマは、私から言わせれば同じ遊川作品でも 「曲げられない女」 とかよりも設定の妙で見せちゃってる部分が大きいと思うのですが、途中でも入り込みやすい気やすさが誘因力になっている。

まあ、受けるドラマなんて考えてたら、いいものも書けない気もしますが、やはり自分の言いたいことも、あまり難解だと、一部の質のいい視聴者にばかり受けたりということになっちゃうし。

でも、作ることの喜びをいつまでも持っていられたらな、と私も思うのです(自分の詩に対してですけど)。

投稿: リウ | 2012年11月21日 (水) 08時36分

 え~と誰だっけ?が突然出てくるのが、この大河。前ふりなしの方もいまして。清盛の末の弟とか、いきなりで活躍しちゃうから。(笑)

 選挙が後だしなんですよね。(笑)「うそつきぶた」(笑)痛烈ですね。我が家では民主党政権の唯一の功績は高校の授業料無償化!お陰様で、高校生2人いるので助かってます。(笑)TPPよりそっちの生活に地道に役立ってる部分をアピールした方がいいのに、インテリって、難しいのを争点に選ぶのね(笑)多分、また、自民党の政権になるんでしょうね。(笑)

 安部さんが昔幹事長時代、遊説にきまして、演説を聴いたのですが、我が家の当時小学生だった娘の評価は校長先生のお話に似てる!でした。バカがつくほど正直な首相と校長先生のような安部さん。安部さんも一度総理を降板させられて、人間が豊かになった事でしょうけど。石原さんとかもいますね。平安末期のように混沌としております。

 オープニングタイトルの音楽まで、とても気が回りません。リウ様のおっしゃるように、互いに足りない部分を補い合う関係を象徴してるのかもしれませんね。龍馬伝の音楽はよく思い出しますが、江の音楽は忘れちゃいました。清盛は今は思い出せるけど、来年まで覚えているでしょうか。(笑)江は樹里ちゃんのダンス(多分日本舞踊でしょうけど。)が奇妙だったのを覚えています。(笑)松ケンの踊りの方が上手だと思います。(笑)樹里ちゃんも一生懸命やっていたのでしょうけど。彼女に大河で女の一生は少々重かったと思います。もう終わった事ですが。(笑)


 

投稿: ささ | 2012年11月21日 (水) 14時29分

 安倍さんはにんべんでした!ごめんなさい。

 鳩ポッポのお兄さんも引退だそうで。民主党政権の迷走はポッポちゃんが沖縄の米軍基地問題を混乱させて、沖縄を傷つけてからですからね。あれはひどかったです。長年傷ついてる人達をさらに傷つけてしまいました。

 来週、放浪している?西行が出るんじゃないでしょうか?(笑)西行も都合よく使われるキャラクターでしたね。和歌を詠んで、いつも清々しいイケメンでした。西行はイケメンさんであること以外では共感する事がなかったですね。(笑)清盛がダークになってからは、放浪にでかけたままだし。多分讃岐とか旅していたのでしょう。でも清盛の青春の日々を知ってる貴重な生き残りですね。彼の眼に映る清盛は、どうなんでしょう。かつての人の好さを少しでも感じ取れるのでしょうか。それとも、ダークなだけなのかしら?などと考えました。(笑)

 

投稿: ささ | 2012年11月21日 (水) 22時00分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

え~、小澤征悦サンでしたかね、ハハ…(思い出した)。 またまた複数のコメントに一括で返信いたします(ゴメンナサイ)。

選挙期間に入っているのかどうか存じませんが、このブログでも政治の話は選挙が終わったあとで…………とか、辛気臭いのでやめます(笑)。

どうも今度の選挙はまたまた圧勝で終わりそうですけど(どの政党と言わないところが奥ゆかしい…爆)、このところどうも結果がいつも極端で、結局圧倒的与党になった側はやりたい放題。 そんな構図、なんとかならんもんかなーと思います。

第三極とか言ってるけど、どうも1か月ばかりの選挙期間では、カオスのまんまいっしょくた、という感は否めませんし。

官僚主導打破とか言うけれど、政治家が結局なにをやれるって言うんですかね(へへ…)。

官僚をおだてながらコントロールするというのがいちばん得策なのをどの政治家も知らない。

いちばん大事なのは、既得権益にしがみついている人たちを、どのようにして最も理想的な方向に転換させるか、ということだと思うのです。

原発にしたって、なかなか事態が動かないのはそのせい。

そんなもの廃止しろ、と強行に言ったとしても、原発で潤ってる既得権益がある人は動きませんよ。 北風と太陽みたいな話ですけど。

同じように、官僚が自分たちの美味しいところを持ってかれる話なんか、聞くはずがない(それは政治家にしても同じ)(私利私欲というものが国家をダメにするという観点がそもそも官僚にも政治家にもない)。

税金の無駄遣いとかかしましく言われているけれども、税金を使いきらなきゃ翌年の予算が出ない、などという発想自体がもう、狂ってるわけですから。 余ったら縮小する。 それがコストダウンだというのに。 民間の会社から見れば、国家全体のカネの使い方というのは、もう甘っちょろくて吐き気がする。

あ~あ、止まりませんね(笑)。 やめましょう、言うだけ虚しくなるから(こういうあきらめもイカンですが)。

西行さんは確か別のドラマに髪の毛フサフサで出ていたような気がしたんですが、どうも急に思い出せないのが 「どこにでもいるイケメン」 なのかな~(失礼…)。

あ、そうだ、木村クンのお兄さん役だった(結構似てると思ったのは、…私だけ?)(これは 「純と愛」 の、あ、まあいいか…笑)。

投稿: リウ | 2012年11月22日 (木) 08時00分

リウ様

度々返信頂いてありがとうございます。
「これを世に出したい」という情熱を「どうやったら面白く見せれるか」「どうやったらより多くの人に伝わるのか」を考えるのが技術です。

「これを世に出したい」って面白いものって、けっこう世の中に溢れてるじゃないですか。
仕事でもプライベートでも。
でも、フツーに考えることは皆も同じで「どう見せるか」を考えていくのが叩き込まれる技術です。
「面白い」って思ってても伝わらなきゃ意味が無い。
せっかく精魂詰めて作った作品だから世に出すのだから「面白い」って思ってもらいたい。
なーんて思うところです。

あと、疑問なんですが、「質のいい視聴者って何ですか?」

投稿: まぐのりあ | 2012年11月22日 (木) 09時41分

まぐのりあ様
コメント下さり、ありがとうございます。

基本的にいただいたコメントは返信するのを旨としてやっておりますのでお気遣いなくcatface

「質のいい視聴者」 というのは、発信者が意図したものをきちんと受け止め、それを自分の感動に出来る人のことを言ったつもりです。

つまり、自分に感受性がなければ、面白いものも面白くないものも、ただなんとなく見るしかない。

それでもいい場合もありますけど、世のなかにはもっと、自分の感受性を磨けば理解でき、そしてどうしてそこを作り手が言おうとしているのかが見えてくる作品があると思うのです。

これはドラマだけではなく、どんな出来事に対しても同じだと思う。 私たちは常に、物事に対して偏った見方ではなく、本質を見極め、大局的な見地から立ったものの見方を心がけなければならないのではないか、と思う。

これはけっして庶民感覚の草の根的な気持ちを軽んじているわけではないことは、ここでお断りしなければなりません。

「質のいい視聴者」 なんて、まるで自分がそうだと言ってるみたいで、不遜だったと思いますが、これは常に自分が心がけていることなので、もしかすると選民意識みたいなものが働いているのかもしれません。 ナマイキなヤツだな自分も。

「面白い」 と 「自分の言いたいことを言う」 というものを両立しなければならない、というのはホントですね。

どんなお話でも、見てくれる人がいなければ成立しない。

ただ、物語の本質にとって、「世に出した」 → 「誰も見てくれない」 つまり視聴率が悪いとか。
そんなものも実はあってないようなものなんじゃないのかな、と感じる時があります。

今の世の中、即効性がなければ商業的に成り立たないため、受けないものはスポイルされやすい。

でも思わぬところで発掘されたり脚光を浴びたりする場合、というのも、世のなかにはままありますから。

要は、モノの作り手というのは、いつの時代であろうがどんな世の中であろうが、どこに出しても恥ずかしくないものを作っていればいいのではないか、という気はします。 基本としては。 「平清盛」 は、そんな気概のようなものを感じますね。

もちろん商業ベースも面白いことも大事ですから、まぐのりあ様が重視する(もしくは両立する)方向があればそれがまぐのりあ様にとって最善なのであり、私が口を挟む筋合いのものではありません。

伝わらなきゃ意味がない、ということは、つまり受け手の質が悪い(理解能力が低いということ)とどこまでも分かりやすいものに流れて行ってしまう循環になりやすい気がします。

でもそこの見極めが結構いろいろでして。

現代詩が難解になって、いまはあまり誰も見向きもしないじゃないですか。 私の念頭にはそのことがあるのですが、詩人たちの難解な言語遊戯を読者が分かっちゃう、というのもなんか異様な気がする(笑)。

つまり、感受性は磨いていなければならない、という結論になりますでしょうか(話がダラダラとしてきたのでゴーインに結論…笑)。

長いコメント返信になってしまって申し訳ありません。

投稿: リウ | 2012年11月22日 (木) 12時33分

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