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2012年11月29日 (木)

「平清盛」 第46回 「頼朝挙兵」(11月25日放送)を見て

 内容的に孤高を更新した、と書いた先週の当ブログ 「清盛」 レビュー。
 しかし今週は、あっさりとそれを更新いたしました。
 最終回まで、この 「ボルテージ上がりまくり」 状態というのは更新され続けるのでしょうか?
 多忙で体力のないテレビ感想ブロガーとしては、ちょっと勘弁してもらいたい、という感じです(笑)。

 正直なところ、この大河ドラマは、ここ数年の中ではもっとも中身が難解で、内容が濃いと思われます。

 そしてもっとも、暗い。

 「世の頂点」 がすなわち、「闇の頂点」 という捉え方を作り手がしているがゆえにそうなるのですが、ここまで主人公を正当化しようとしない大河ドラマというのは、私の記憶のなかでは、ありません。
 それゆえに、実際の平清盛本人は、ここまで苦悩なんかもせずに、もっと素直に(笑)偉ぶっていたのでは?と感じられる。
 でも、「闇」 に焦点を当てた結果、この大河ドラマは人間の本質というものを、現実よりもさらに鮮明に描写することを可能としている気がするのです。

 「功罪」 ということを考えた場合、おそらく江姫にだって龍馬にだって篤姫にだって山本勘助にだって(過去4年の大河ドラマ主人公)、「罪」 の部分はあったのでは、と思う。
 でもそれは、世に対する 「功」 の部分を押し出すことによって、自らを正当化することが出来ます。

 このドラマは、それを拒絶している。




 今回のこのドラマを見ながら私が思っていたのは、「清盛のめざす武士の世とは? そもそも清盛は、武士なのか? 武士の魂を持っているのか、いないのか?」 ということでした。

 今回序盤、小兎丸が母親に対して、「入道様の国づくりは、まこと、お父(兎丸)のめざした国づくりと、同じなのか?」 と訊きます。 対して母の桃李が答える。
 「お母は、まだはかりかねておる…」。

 そして頼朝に先んじて挙兵した源頼政は、追い詰められて逃げてきた平等院で、息子の仲綱につぶやきます。

 「仲綱。 わしは最後まではかりかねておった。 清盛入道が器を…。

 あのかたは、この国の宝か?

 それとも災いか…?

 この戦にわが身を投じた今もって、分からぬのだ…」

 このふたりに共通の思い、「清盛の人物がはかりかねる」。 では、まことに僭越ながら、ない頭で、それを考えてみることにいたしましょうか。




 頼政は今回、以仁王の令旨に従い、平家をひそかに裏切りながら清盛に拝謁するのですが、その清盛から、福原遷都の壮大な構想を披露される。

 「それ(宋と交易がしやすい海の近くに都を構えること)が新しき国、武士の世の要となる」

 「武士の世…」

 「亡き源氏の棟梁義朝と共に、目指した世じゃ…。
 かつては義朝に付き従うたそなたには、やってもらわねばならぬことが山ほどある…。
 長生きして、この新しき国づくりを支えよ」

 この構想を語る清盛の眼は、いかにも清々しく、生気に満ちています。
 頼政はこの時の清盛の目を見て、清盛の器が正なのか邪なのか、分からなくなったと言えましょう。

 先週も指摘しましたが、清盛のめざす国づくりというのは、多くの人々の 「犠牲」 の上に立って遂行されつつある。 少なくともそういう認識で清盛自身は突き進んでいる。

 それはちょっと聞くと、いかにも皆の弔いのためにやっている、涙ぐましい同情すべき動機のように思えます。 そして当の清盛自身の出世の本懐(生まれてきた目的)、という点においても、いかにも正当な理由であるようにも思えます。

 しかし。

 私は、「果たしてそうなのかな?」 という気がしてならぬのです。

 つまり、清盛の抱いていた夢は、清盛がたったひとりになってしまったことで、実は視野が狭まり、近視眼的になってしまっているのではないか。

 かつて武士の世を一緒に目指した、と清盛が思い込んでいる、父忠盛や叔父忠正、盟友義朝、そして信西…。
 彼らは今の清盛の姿を見て、諸手を挙げて賛同するのだろうか。

 清盛が目指している世、というものが、交易に重点を置いた国際都市の建設だ、とすれば、これはこの時代の我が国(世界的に見ても?)の常識からすれば、とてつもなく先見の明に満ちたことのように思えます。

 でもそれを行なおうとする清盛は、これに付き従おうとするあまたの人々の心、というものを、置き去りにしてしまっている。

 つまり、拙速すぎるのです。

 それは自分の寿命との競争であるがゆえに、そうせざるを得ない一面がある。
 発想が先進的すぎるから、自分の思いを継いでやろうとする者がいない、という思い込みを、清盛はしているのでしょう。 だからやり方が強引になる。

 そしてもうひとつ、清盛の心に巣食ってしまったのは、「権力の闇」 だと感じる。

 今回、清盛は、かつての自分を知る西行に会うことによって、そのことを深く自覚するに至ります。

 西行は在りし日の、北面武士として一緒だった義朝を合わせた3人の、自らのめざすものを清盛に思い出させます。

 佐藤義清(西行)は 「美しきもの」、義朝は 「強くありたい」。 そして清盛が語ったのは、「オレは面白く生きたい」。

 自らの若き日の思いが今、どのような変質を遂げているのか――。

 それを悟ったとき、清盛の中に蠢いていた悪魔、「もののけの血」 が、まるで幼生エイリアンが腹から飛び出したときのように、その正体を現すのです。

 圧巻。

 これを見ている多くの視聴者は息を呑み、松山ケンイチという役者の底力というものを思い知ったに違いありません。 私も震えました。 もう、この人の演技にイチャモンをつける気には、到底なれません。

 結論としては、「清盛は 『宝』 であり、『災い』 である」。

 考えていることは革新的で、我が国の国益を損なうものではないのですが、いつの間にか目的が先走りして神聖化してしまい、結局民を苦しめ、痛みを強いる存在となってしまっている。

 このブログのコメントのやり取りの中で、ソフトランディングという言葉が出てきたことがありましたが、清盛のそれはまさにその逆を行っている。 急激な改革というものが人々に馴染まない、という側面をないがしろにしては、いくら目的が素晴らしくても挫折してしまうものだ、と見ていて思われるのです。

 つまり別の角度から見れば、清盛は時代を早く生まれすぎた。

 頼朝がこのドラマで清盛を評価しているのは、まさに清盛の失敗を見ているからで、頼朝の施政の根本には、清盛の施政の失敗が実を結んで生きている。 武士の世のテストケースとして(貿易立国の推進者としても)清盛は必要不可欠な宝だったのであり、過激な急進派という点では災いであったのだ、と思うのです。




 …ちょっと待て、コレ前フリか?(笑)
 先が思いやられるぞ…。




 病気になった四男知盛を見舞った清盛。 早々と帰ろうとして、「そりゃ早く帰りたいワケが」 と時忠にからかわれ、アタフタ(笑)。 時子はすでに夫の浮気を見抜いていたご様子にござりまする(笑)。
 知盛は 「こうして安静にしていると、馬の地鳴りが聞こえる、都が騒がしい」 と気になることを話します。

 それは以仁王の令旨に反応した、源氏の馬の蹄の音。

 清盛はその報告を時忠から受けますが、まったく意に介さない様子。
 そりゃそーだ、今まであんだけしつこい双六遊びをしていた後白河の反乱でさえ、あっという間に粛清してしまったんですからね。 2千ばかりの兵なんか、今の平家にとっては物の数ではない。 ただしこれ、「源氏による火の手」 ということを考えると、清盛に多少の警戒も必要だったかもしれません。
 それにしても平家の情報網は迅速…つーか、あんだけ全国の源氏に大々的に通達してれば露見するのは簡単か(笑)。

 あっという間に追い詰められた以仁王と頼政たち。
 先週あんなにカッコよく令旨を出したので、もうちょっと頑張るかと思ってたんですけど(笑)。
 まあ、園城寺まで命からがら逃げてくるところまでは、今までの反乱とは違って頑張っていたところでしょうか(笑)。
 ただし清盛にとっては、頼政が反乱を起こしたことが、それまでのものと違って、かなりのショックだった模様。

 「分からぬと申すか…?

 同じもののふの頼政でさえ、わしの国づくりについてこられぬと申すか…!

 …討ち取れ…。

 なんとしても頼政を討ち取れっっ…!

 わしの国づくりを分からぬ者は、この国には要らぬっっ!!」

 その憤怒に満ちた鬼のような表情。 報告をした盛国も、その場にはべっていた仏御前も、その剣幕に息を呑みます。 松山クン、スゲエな…と思ったのですが、これ、まだ今回序の口…(ふぅ…)。

 しかしここで清盛が頼政のことを 「同じもののふ(武士)」 と言っていたことは気になります。
 いったい同じなのか。
 それは清盛だけの思い込みなのではないか。 もしくは、もう清盛は武士ではなくなっているのではないか。 頼政のほうがまことのもののふだからこそ、まことのもののふではない清盛の国づくりについてこれないのではないか。

 伊藤忠清の軍勢に矢を射抜かれる頼政の息子、仲綱。

 「仲綱アァァッ…!」 叫ぶ頼政。

 そして先に述べたように、清盛の器を最後まではかりかねたまま、頼政は自害して果てます。 息子の仲綱も、父に源氏の魂を見て本望だったと満足の言葉を残して、自刃。

 頼政の最期のセリフは、「時はじゅうぶんに稼いだ」 というものでした。
 が、これは以仁王を逃がす時間をじゅうぶんに稼いだ、という意味もさることながら、遺された源氏の一族に対しても、平家追討の覚悟を与えた、という意味で、じゅうぶんに時を稼いだ、とも言えるのではないでしょうか。

 しかしその甲斐もなく、以仁王も討ち死に。 呆然とたたずむ暲子。 この人はお咎めなかったんでしょうかね。 そのシーンに、幽閉されている後白河の歌がかぶさります。

 「古き都を来てみれば
 あさじが原とぞ荒れにける」

 もはや自分の思い描いている都というものが、そこにはない、という後白河の嘆きが、虚しさとなって見る者に迫ります。

 この顛末を籐九郎から受ける頼朝。
 かねて以仁王の令旨を受け取ったときは、軍事力の差を冷静に分析して、無謀なことと考えていた頼朝の心に、火が付きます。 自らが遠い日に体験した、戦場のもたらす異様な高揚感というものもその導火線のひとつになっている。 この見せ方は秀逸です。

 この以仁王と頼政の反乱が、清盛の心のリミッターを、さらに外します。
 平家が一堂に会した場で、福原遷都を強行に主張。

 その場にいたほぼ全員が、この拙速さに異を唱えます(黙っていたのは盛国くらい?)。
 特に義弟の頼盛の諫言は、清盛にとっても耳の痛い話だったかもしれません。

 「『上へ上へではなく、横へ横へと広がっていく世を作りたい』。 それが義兄上のこころざしであったはず。
 かように人々の心をないがしろにした強引な遷都の末に、そのような世が来るとは到底思えませぬ」

 清盛は憎々しげに頼盛の顔を見る。

 「そのような世を見せてやると言うておるのが分からぬかっ!」

 黙ってしまう頼盛。 このジジイは(笑)「わしに逆らったらみんな死刑っ!(こまわり君)」 とばかり、傲慢の極みにおります。 誰も逆らえません。

 そして強引な遷都。 「400年続いた京の都が、今や荒れ野原」(北条時政)。 ここだけで普通、国民の心はザワッと来るものです。 新しい時代を渇仰する機運のもとでの遷都であれば、明治政府のように成功するのでしょうが、この遷都は要するに、平清盛ひとりのワガママによるもの。 無理がありすぎることがドラマを見てるとよく分かる。

 そして自分の周囲で、清盛の圧政によって領地を巡る争いが激化したことも、頼朝の心の中の炎をだんだんと大きくしていきます。

 「武士の世…。

 あのお方の目指してこられた、武士の世とは何なのじゃ?

 武士の世とは、こうして平家ばかりがよい思いをする国づくりのことなのかっ!」

 髭切を手にする頼朝。 義朝の怒り、源氏の魂の怒りが、妖刀から頼朝に注入されていくかのようです。

 いっぽう自分の思うがままにすべてを成し遂げた清盛。 しかし暗闇の中で沈思するその顔は暗い。

 そこにまるでホタルのように近づいてくるひとつの明かりがあります。

 西行です。 お久しぶりです。
 ここからのシーンは、この長いドラマの、ひとつのクライマックスと言っていいシーンだったように感じます。

 老い先短いので、清盛の都がどんなものかを見に来た、と語る西行。 高倉上皇の病について、話が及びます。

 「上皇様のおわす仮の御所の方角が悪いのやもしれぬ」

 この清盛のセリフを聞いて私は、「もしかすると福原京の風水的な所在地も悪かったのかな」、なんて考えたりしました。 歴史的な都の位置は、いつも何らかの方角的な吉凶が検討されていますから。

 「ご心労…ではござりませぬか?」

 西行は旧知の間柄か、高倉上皇の病の原因をズバッと清盛に話します。 ギロッと西行を睨む清盛。

 「ご無礼ながら、こたびの遷都、人々は移り住んでも、皆、心は都に置いたままとお見受けいたしまする」

 清盛は仏頂面をしながら何も聞かなかったように、「仏!」 と最近の愛妾を呼びつけ、西行そっちのけで仏御前をいたわります。
 西行、なんか最初から自分はいなかったのでは?と思われるほどの徹底無視ぶり(笑)。

 そして清盛は、「仏のために座興を用意した」 と、かつての愛妾だった祇王、祇女を呼びつけるのです。 「入(い)れよ」。

 部下たちによって連行されてきた祇王、祇女。 今回の序盤で、仏御前とイチャイチャしまくる清盛を見て、「もうここには自分たちの居場所はない」 ときれいに去ろうとしていたのですが、おそらく清盛がそれを許さなかったようです。 ふたりを見て驚く仏御前。

 「さあ、祇王、祇女、仏のために、舞うがよい」

 「入道様、私は、さようなことは…」 戸惑う仏御前に構わず清盛、「はよう舞えっ!」

 祇王と祇女は、覚悟を決めたように、震えて舞い始めます。

 「仏も昔は凡夫(ぼんぷ)なり
 われらも終(つい)には仏なり
 いずれも仏性(ぶっしょう)具(ぐ)せる身を
 へだつるのみこそかなしけれ」

 同じ白拍子の身を案じてか、その舞を見て涙を流す仏御前。
 その場にいたたまれない、といった表情で、固く押し黙る西行。
 清盛はひとり、悦に入っています。 西行を完璧に無視してますけど(笑)実は西行にも見せつけたいのかもしれない。 自分の権力を。 そして自分の闇を。

 それにしてもこの祇王・祇女の歌。

 すべての人に仏の生命、すなわち仏性があることを分かろうとしない、衆生の元本の無明(無知からくる迷い)というものを歌ったものだと察することが出来ますが、仏御前も自分たちも、元は一緒だったではないか、というこのふたりの恨み節もひっかけてある気がする。

 仏御前というのは、清盛にとって冥界への使者なのか?みたいなことを先週書いたのですが、ここでの仏御前は、あくまでひとりの凡夫として描かれている。 さらに清盛にとって、母親・舞子の象徴であったこともこのシーンでは明らかになるのですが。

 なぜ清盛は仏御前にこのようなものを見せようとしたのか。

 おそらく清盛にとって、母性的、超越的な存在であるように見えた仏御前への、挑戦だったのではないか、という気がするんですよ。

 だいたい名前からして、「仏」、ですからね。

 つまり清盛は、「仏御前」 ならぬ、当の 「仏」 に対して、対抗心、敵愾心を燃やしたのかもしれません。 「この世においては自分が仏そのものなのだ、自分が最高の存在なのだ」 ということをことさら誇示したくて。

 そして清盛は、自分の出生が邪なるもの(もののけの血)に汚されているのは、紛れもなくこの母親のせいだ、という恨みを、どこかで抱いていたのかもしれない。 それはこの直後のセリフで明らかになっている、と感じます。

 このシーンで見せる仏御前の狼狽。
 それは、仏御前が仏でも清盛の母親でもなく、ただの人間だったことを示している、と私は見ます。
 それは清盛にとって、大きな失望でもある。

 「フン…。 当座の歌にしては、殊勝に歌ったものよ。
 こののちは召さずとも常に参り、歌い、舞って、仏を慰めよ」

 涙を流している仏御前。
 「下がらせよ」。 自分の思うがままに従者を使い、自分の力を誇示し続ける清盛。 西行は、「美しくないものを見た」 という顔です。 西行は思いついたように、おもむろに語り始めます。

 「若き日に、話し合うたことがありましたな。 それぞれの目指す道を」――。

 忌々しげに西行を振り返る清盛。 若き日の義朝が、溌剌としてしゃべる回想です。

 「俺はますます強さを磨き、王家に武士の力を思い知らせたい」

 そして佐藤義清時代の西行。

 「いかなる世においても、美しく生きることが私の志だ」

 そして汚物時代の(爆)清盛。

 「オレは…面白う生きたい」

 「ふざけておるのかっ? オイっ!」

 じゃれあう義朝と清盛(ああ、遠い日々よ…)。

 そして精神的な汚物にまみれた現在の清盛。 西行は、言葉を継ぎます。

 「そののち、私は出家をいたしました。 俗世におったなら、美しく生きることは叶わぬと、悟ったゆえにござります。

 手に入れたい…手に入らぬなら、奪いたい。
 奪えぬなら、殺したい。
 そんなどす黒い醜い思いが渦巻いて、やがては、国を巻き込んでいくのだ。

 まさに、あのとき恐れていた世の到来。

 その頂におられるのは、誰あろう、お手前…!

 …これが…。

 お手前の 『面白く生きること』 にござりまするか?!

 お手前の目指した、『武士の世』 にござりまするか?!」

 清盛は、実に面白くなさそうに乾いて笑い出します。 「ハハハハハ…。 ハハハハハハハ…! ハハハハハハハ!」

 後白河の特許なんですけどね、この高笑い(笑)。 でも清盛のそれは、いかにも無理に笑っているようです。 その冷たい笑いに、仏御前はおののいたような表情です。

 「西行! そなたには分からぬ…。

 そなたにも…誰にもな…」

 清盛は自らの正当性を持ってこの国づくりを邁進しているつもりです。 でも、それが人心から離れていることを、清盛は 「誰もオレの考えを分かっちゃいない」 と捉えて、ひとり失望している。 それはいつしか、「自分以外のまわりの人間は、みんなバカばかりだ」 という思いに発展しているようにも見えるのです。

 「ハハハハハハハ! ハハハハハハハ!」

 清盛はもう、笑い方を忘れ、いかにもこの世全体が忌々しいものであるかのような、怒りの表情で、笑い続けます。 すごい…。 松山クン。

 「ご無礼をつかまつりまする!」

 そこに現れたのは、義弟頼盛。
 病の高倉上皇が、摂政基通に政治の実権を譲った、との報せ。
 清盛は意に介さない。

 「戯れを…。 これではわしの国づくりの名分が立たぬ」

 「もはや、都還りなさるべきとの声が上がっておりまする…!」

 「さような世迷い言は口にするだけで罪に問うと触れを出せ」

 押し黙る頼盛。 清盛は壇上に上がり自分を誇示させながら叫びます。

 「よいかあああーーーっっ!

 わしに逆らうものは、みな死罪と心得よっっ!」

 凍りつく場。 清盛のなかで蠢いていた悪魔が、腹を割いて出てきた(笑)。 清盛は、常軌を逸した笑い顔になっています。 どうだ!どうだ!と言わんばかりに周囲をうれしそうに見回すエイリアンの幼生、違った、清盛(笑)。

 「…ここはわしの世じゃ」

 壇上から降りる際につまづき転げる清盛、それでも構わずはしゃぎまわり、

 「武士が頂に立つ世じゃ…!」

 さまようように歩き回る清盛、

 「わしの目にしか見えぬ、わしの国を作るのじゃ…!」

 まるで悪魔の正体を見た、というように冷静な西行、ただおろおろする仏御前、

 「すべてを手に入れ…復讐するのじゃああーーーっ!」

 ここで自分が取り憑く霊媒を探していた悪魔が目を付けたように、清盛は仏御前に焦点を合わせる。 仏御前は、恐れおののき、「お赦し下さりませ…。 お許しください…!」 とその場から逃げようとします。

 「殺せぇーーーっ!」

 清盛、完全に常軌を逸した命令です。 仏御前を殺そうなどと…。

 しかしこれは、先に述べたように、清盛の中にある、母舞子への憎しみがそうさせている、と私は考えます。 そして仏御前は、母ではなかった。 その失望も清盛にこの狂った命令を下させているのだ、と思う。 つまりは、もののけの血の元凶である、母親への復讐、なのだと思う。

 清盛の命に、弓を引き絞った従者たちがこぞって仏御前を取り囲みます。
 憎しみの権化のような表情のまま、手を挙げ、弓を放たんと命じようとする清盛。

 その瞬間。

 舞子が白河法皇によって射殺されたときのシーンが、またフラッシュバックする。

 つまり、仏御前を殺そうとすることは、母親への復讐であると同時に、清盛自身が白河になりたかった、という欲望の、まさに終着点なのである。 そう私は考えるのです。

 憤怒の表情のまま、なかなか手を下そうとしない清盛。 仏御前は、その極度の緊張に耐えられず、気を失います。 従者たちの引き絞った矢が、それを追って下へと向かう。

 「なにをしておる…?」

 そこに現れたのが、盛国です。

 盛国は倒れている仏御前のところに駆けつけ、ありったけの声で従者たちを恫喝する。

 「やめよぉーーーーっ!!!」

 盛国は清盛を怒りの表情で見上げます。 実は盛国がすごかった、というコメントを先に読んでいて、どんだけ盛国がすごいことをやったんだろう、と思っていたのですが、盛国がしたのはここまで。
 それでも、今までただひたすらに清盛の国づくりを理解し、陰で支えていた盛国が、清盛を睨んだ、というだけで、かなりのインパクトをもたらしている。 「殿、やっていいことと悪いことがござりまするぞ!」 というセリフを特に言わなくても、これだけで済んでしまう迫力があったことは、確かです。

 いちばんの理解者である盛国の、その訴えるような怒りの目に、エイリアンによって自らの動きを封じこまれていた清盛の良心が、反応しだします(ヘンな解説だな…笑)。

 「う~ん…。 う~~~んんんん…。

 …

 …

 助けてくれぇ…。

 …

 …

 誰か、助けてくれっ……。

 …

 …

 …暗闇ばかりじゃ…。

 …

 …

 …ここからの眺めは…。

 果てしない、暗闇…。

 …

 …

 手に入れても手に入れても…。

 …

 …

 光は…。

 光には…!

 届かぬ…。

 …

 …」

 涙をこぼす清盛。 その哀れさ。 その悔しさ。 その情けなさ。 その怒り。

 このドラマは、「清盛は白河法皇のご落胤だった」 という、一般にはあまり支持されていない学説を採用しています。
 でも、清盛の闇を描くためには、この設定はどうしても、脚本家の藤本サンには必要だった、という気がとてもする。
 「もののけの血」 というものが、清盛の行動規範の奥低に流れていて、それに復讐するために清盛が行動している。 こうすることで物語としての悲劇性は最大限にまで引き出せるのです。 清盛が囚われた闇というものを、これで見る側に、あまりに絶望的なまでに示すことが出来る。

 どうも、このようなクライマックスシーンで、ヤケに冷静な分析をしとるな(笑)。

 ここに。

 伊藤忠清が、頼朝挙兵の報を持ってくる。

 すると。

 涙にくれていた清盛の顔に、にわかに生気が戻ってくる。

 これね…。

 すごい。

 つまり、闇に囚われていた清盛を心情的に救ったのが、頼朝だった、という解釈。
 作り手はこれを、その場にいた頼盛がのちに頼朝に語った感慨、として披露している。

 清盛は、奥の間に置いてあった、すっかり忘れ去っていたように思われるエクスカリバーをですな(父忠盛からもらった宋剣)、振り返り、手を伸ばし、転げながらたどり着き、すがるように再び手に取るのですよ。

 これって、このエクスカリバーを、作り手は 「武士の魂」 という解釈で捉えていると見てよろしいでしょうか。

 「ううううーーーーー…………」

 まるで赤子のような泣き声を、清盛が上げます。

 そして屹立する、清盛。

 もう、すごすぎ。

 どうなっちゃうのコレ。

 書きたいことは先に全部書いたから、もうこれ以上は書けません…(笑)。

 この大河ドラマは、私の中では大河ベストワンになりつつあります。

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コメント

リウさま
こんばんは。
いやあ、渾身のレビュー、どうもありがとうございました。
冷静?いやいやいや(笑)。リウ様の熱は十分に伝わってきましたよ。
この作品が、史上最高の大河かどうか、そんなに大河視聴歴がない私は断言できませんが、とにかく、とんでもない作品と出会ったという思いだけは確かです。そして、その感動を、こうやって、皆さんと共有する場を作っていただき、大変感謝しております。

思えば、大河ドラマって、時代劇じゃなくて、歴史ドラマ=史劇だったんだよなあというのを、平清盛を見ているうちに、つくづく思い出しました。で、正直、去年は忘れておりました(笑)
時代劇と史劇を分かつものは、歴史の激流の中で生きる人間の内面を、深く掘り下げているか、また、そこに作者の歴史観が明確に投影されているか、ということではないかと思うのですが、その点、この作品は、もうくどいほど、もういやっちゅうほどですからねぇ。殆ど、それしかないのではというほどに(笑)

確かに、暗いし、内容は難しいし、登場人物は多いし、あまりなじみのない時代だし。しかし、こんな風格を持ったドラマを作れるのは、今となってはNHKだけなのですから、低視聴率にぶれず、頑張ってほしいです。それが、公共放送の本来の役割だと私は思うのですがね。

また、前回のレビューでも引き合いに出したように、ここに来て、どこかシェイクスピア悲劇の風合いが出てきました(偉そーに言うけど、シェイクスピア、殆ど知りませんが)。かつては、新劇と歌舞伎出身の役者さんたちが、大河ドラマを引っ張っていました。今回の清盛で、仲代達也さんの清盛へのオマージュがあるとすれば、それは同時に、仲代さん、あるいは平幹二郎さんたちに代表される「新劇」という文化に対するリスペクトもあるのではないかと。まあ、これは勝手な深読みかもしれませんが。

映像出身(こっちが殆どですが)と、小劇場出身(阿部サダヲさんや上川さん等)で固められた主要キャストで、シェイクスピアかギリシャ悲劇かというくらい濃密な演劇的空間を作っているのが、大変興味深いところです。

まあ、そのせいで、更に取っ付きにくくなっているのかもしれませんが(笑)

投稿: Zai-Chen | 2012年11月29日 (木) 18時01分

 凄い迫力のレビュー、お疲れ様です。

 幽閉された後白河が清盛に頂を譲り(誘い込み)権力の闇に清盛を侵食させていった、地獄の双六の第二章っていう展開でしたね。私は魔王のゴッシーが祇王祇女、仏御前を福原に送り込んでたら、楽しいなと思います。(これは推測です。)

 以仁王も生贄に差し出して、京の都も、はかない浮世も、破滅の王は、捨て駒にして、清盛を闇に追い込んでいく。清盛が、重盛という希望の光の死とともに良心を失ったのに続いて、白拍子の仏御前を殺す事で、産みの母親舞子さんを殺す、人としての温もりを殺す事を目論んでいたのではないでしょうか。清盛が母親を思慕していると同時に憎悪しているのを後白河はわかっていただろうから。盛国が頑張ってたと思うのはすんでの所で、清盛が完全に闇に落ちるのを止めたからです。清盛が白河(もののけ)と化すのを、最後に止める事ができたのは、盛国が白河の暴政の被害者だったからだと思うのです。そして、それが清盛と共通の痛みでもあるから。

 最後に清盛の側にいたのが、西行、盛国、頼盛、そして、頼朝の決起を知らせる、忠清。皆、清盛を若い頃から、知る者達。清盛の夢を理解しよとしてくれる者の中で、闇に取り付かれた孤独に泣く清盛!松ケンくん最高!リア王かマクベスか!でした。しかし、頼朝の挙兵が、光とは!主役清盛さんですけど!松ケン、完全に清盛が憑依してました!Lを上書きしたと思います!

 以仁王や頼政の戦いがあっさり、頼朝の挙兵も、ほとんどナレーションですまされたのは、予算使い込みのせいでしょうが、歴史ドラマとして、ご覧になってる方には不評かもしれません。宇梶さんの演技力のおかげで、納得みたいな感じはありますけど。(笑)「時間をかせいだ」も仲綱の自害する時間か?ってぐらいでしたからね。以仁王もポット出らしくすぐ捕まったし。ただ、あそこで、ゴッシーのお歌がレクイエムのように流れたのは報われなかった息子を哀れんだのかしらん?「捨て駒にしてごめんね」なのかしらん?今様が好きなゴッシーにとって、所詮この世は儚いものなのかもしれませんね。清盛の世も!

 精神性の戦いが、武力の戦いより比重が重い脚本ですが、もう、哲学の世界に突き進んでいいのじゃないでしょうか。無難な感じがなくなって、とっても満足です!ここ2回、松ケンくんの演技にのっかかり過ぎとは思うけど、十分彼を(清盛を)生かしていると思います。

 とにかく、リウ様、お疲れ様でした。まだ12月23日まで残ってますので、引き続き頑張ってください。終わったら、魂抜かれてしまいそうです。クリスマスは寝込まなきゃ!

 小兎丸ははたして、誰の見方になるのでしょうか?彼って、民意の象徴であり、時代を拓く民の象徴なのかと、思ってます。大河史上、一番精神的に疲労する大河ですね。最後まで、頑張って見届けましょう。そして、ぐったりしましょう!

投稿: ささ | 2012年11月29日 (木) 23時36分

リウ様 

はじめまして。こんばんは。
今回初めてコメントを書きます。いきなり申し訳ないです。
梅ちゃん先生のレヴューから時々読ませていただいていました。

今回の清盛は私も見ていて床に氷ついてしまいました。笑っているけど表情は全く笑わないという演技をこれほどじっくり見たのは初めてじゃないかなあと思っています。うまくいえませんがアニメやまんが、CGではいくらでもあるけれど、
人間の役者さんでは見たことがない・・・演じる松山さんもすごい。多分リウ様の仰るとおり本来の清盛はもっと違うというのは私も思います。
でもこんなものも歴史上の清盛も持ち合わせていたのではないかとすら思えてしまう、そんな迫真の演技と脚本でした。

本当に一本見終わると言葉もない。
・・・・感じです。

次回はどうなのでしょう。頼朝は清盛が光?をとり戻したようなこと?を言っていましたが、
この後、天皇様の(高倉上皇)ことや南都の事件などが描かれると思うのですが、本当に自分を取り戻すことが出来るのか・・・来週も見るのが怖いけど楽しみです。
 
初めてでなんか長くなってすいません。
いつも感想楽しみにしています。

投稿: kei | 2012年11月29日 (木) 23時50分

リウ様

数回にわたって熱いレビューお疲れ様です。最後まで熱いままになるかもしれませんが(期待大)、応援しています!熱いコメントがたくさんある中恐縮ですが、僕もコメントさせてください。

特に今回のレビューは勉強になりました。仏御前の場面で「母親への復讐」や「白河になりたかった」には全く思い至らなかったので。視聴時は、とにかく清盛が錯乱しまくってえらいこっちゃ…うわぁ…うわぁ…としか感想が出ませんでした。良くも悪くも演技に呑まれたようです。以前から頂点に立った人の孤独や闇を見たいと思っていましたが、もう勘弁してくださいと言わずにはいられないほどに満足でした。

老境の清盛を揺さぶり続けた、兎丸から始まった過去の自分の信念からの弾劾シリーズ。結構な人数がいろんな立場からさまざまなインパクトを清盛に与えてきましたが、最後の一藁は西行でした(打ち止めであってほしいです)。自分なりの信念を貫いてきた大人物の心が折れるときの下げ幅は大きい、でも自分を取り戻す瞬間の上げ幅はもっと大きくあってほしい。清盛が最後に到達する場所は白河院より高い場所だったらいいなと思います。明るければいいのですが。
ところでこの場に頼盛がいたのはちょっとポイントかもしれません。忠盛と宗子の子ということで、この二人はこんな時でも清盛の側にいるということなのかなぁと。盛国の存在もひっくるめて、全てから見放されたわけではないというような静かな優しさがあったようにも感じました。

投稿: くうじ | 2012年11月30日 (金) 07時20分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

私も大河と言えば、きちんと見た最初が 「山河燃ゆ」 からですから、たかだか30年弱の付き合いですけど(たかだかかよ…爆)、「樅の木は残った」 のファンだったというささ様や、「新平家物語」 に心酔していたマーシー様などと比べると、まだまだペーペーの部類だと思うんですよ。

特に 「新平家物語」 との比較というものが出来ないもどかしさ、というのは、常々感じております。
ただこの 「清盛」 は、現代的なドラマロジックで計算され尽くした、今だから可能な境地まで達している、と強く感じます。

「新平家物語」 のときなどは、それこそまぐのりあ様がシナリオ講座で学習されているような、伏線だの布石だの現代的なドラマ作りのノウハウがあったわけではない、と感じる。 だからこそ役者たちの咀嚼能力がものを言っていた時代だったようにも感じるのです。

新劇についての知識は残念ながら私にはほとんどないのですが、その役者たちの咀嚼能力がドラマを大きく支え、永く感動が記憶に残る作りに昇華していたんだろうな、と思います。

マクベスとかの考察は、もうすでにコメントでご指摘があったので、わざと記事の中では省きました(笑)。

ただ私のペーペーな大河歴から見て、最初に見た 「山河燃ゆ」 のインパクトとか、今まで私が大河ベストワンだと思ってきた 「炎立つ」 の第1部とか、それに次ぐ出来だと思う 「花の乱」 とかと比べて、今年の大河ドラマほど、作り手の主義主張が縦横無尽に絡み合っている大河、というものは、見たことがないです。

そう、つまり、このドラマは全体が、作り手の主義主張によって形成されている、と思うんですよ。

最初の白河から、忠盛、忠正、ナリコ、タマコ、鳥羽、崇徳、義朝、信西、兎丸、西光、…。

すべての登場人物が、作り手の心の一部分だ、という気がとてもする。

こういう感覚は、これまで、どの大河ドラマでも味わったことのない感覚です。

途中はちょっとイチャモンもつけましたけど、それも内容が濃いからこそ。

ただ見ていて、かなり精神的に疲れる、というのが、最大の欠点であります(笑)。

投稿: リウ | 2012年11月30日 (金) 09時04分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

このところ、毎日最低1回はあったささ様のコメントがあまり来ないので、かなり胃を悪くされたのでは…?と案じておりました(「清盛」 の見すぎで?…笑)。

したら、んも~、また濃いコメントをお寄こし下さりやがって(ちょっと、半分憎たらしい気持ちが出ちゃってるぞ!…爆)。

ゴッシーの白拍子送り込み陰謀説、…なかなか面白いことを思いつきますねcatface

ただゴッシーはこのあと、また息を吹き返すのかな、歴史的に。

だとすると、陰謀説も信憑性が出てまいりますよね。
普通幽閉されてしまったら、手も足も出ないところですけど、今回も得意気に歌ってましたからね(笑)。 まだやる気満々だ(笑)。 双六盤はまだ捨ててないのかもしれない(笑)。

盛国の行動に関しては、ちょっと期待しすぎました(笑)。
もっと清盛の行状について、徹底総括するのかと思った(連合赤軍か)。

清盛にとってこの盛国が多くを語らない以上、西行というのは最後の砦だったですね、清盛を昔から知る人物として。

「面白く生きる」 というのは意味が浅いとただ享楽主義になってしまう、みたいなことを半年前は(笑)よく書いておりましたが、清盛にって 「面白く生きる」 ということの決着が、まだ付いていない。

頼朝の挙兵を聞いて、ようやく 「面白く生きる」 ということの活路を見い出したような清盛。
すごいシニカルな解決法を作り手も見つけ出したもんだ、とただひたすら感心しています。

作り手には、もう少々手綱を緩めてもらってもいい気もします(笑)。 見ていて疲れるんだもん(笑)。 仕事で疲れてんのにますます疲れたくない(爆)。 そうか、視聴率が悪い原因が分かったぞ、こんなドラマを見ていたら、月曜から仕事する気がしなくなるからだ!(爆×2)。

投稿: リウ | 2012年11月30日 (金) 09時28分

kei様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

「梅ちゃん先生」 って、私第7週までしかレビューしてませんけど…coldsweats01、大変不完全なものをお見せしてしまって申し訳ないです。 途中挫折でしたもんね、あのドラマ。

ドラマというのは、人間感情を凝縮させて抽出する作業のようなものですから、かなり誇張をしていい、と私も思うんですよ。

その対極には 「ゴーイング マイ ホーム」 というドラマがあると思うのですがそれはこっちに置いといて(笑)。

ここで清盛が、フツーに忠盛と舞子のあいだに生まれた子だったりしたら、ここまでエイリアン化しなかっただろうし(笑)。 これは作り手の発想力の勝利、ですよね。

このドラマ、頼朝挙兵によって清盛が救われた、などというスンゴクひん曲がったことをしてますよね(爆)。 それがまた、いいんだなあ…catface

このような拙い感想文をお待ちいただけて、たいへん恐縮です。 今後とも長~い目で見守っていただけたら、ナマケモノブロガーとしては大変ありがたいですcoldsweats01

投稿: リウ | 2012年11月30日 (金) 09時39分

くうじ様
おひさです。 コメント下さり、ありがとうございます。

あまり期待しないでくださいまし(笑)。

なにしろ今回は、毎日2、3時間ずつ3日に渡って書き続け…。

いい加減、やっててやんなりました(特に最後の部分のあっさりしたところを読んでいただければお分かりになるか、と…)。

それに、結構自分の持ってる知識総動員で今回は書いてしまったので、もう書くことが残ってないんですよ(笑)。

個人的には、黒澤映画の 「蜘蛛巣城」 とか 「乱」 とか、主人公の発狂を(この書きかた問題あるのかな?)取り扱ったものは見ておったので、目新しくはなかったのですが、それでも今回、三船や仲代の演技の牙城に、松山クンは肉薄、もしくは並ぶまでに達していた、と感じます。

腹違いの弟、という存在って、清盛にとって結構複雑であると同時に、ありがたい存在でもある気がしますよね。
ただドラマキャスティング的に、年齢的に清盛の子供たちと、あんまり変わんない(ハハ…)。 えーと…(笑)。

ともかくヘロヘロですが、なんとか最終回まで無事に見ることが出来たらいいですね(腰が引けとる…)。

投稿: リウ | 2012年11月30日 (金) 10時02分

 このドラマって、とことんなんですよね。どれだけ、双六、復讐、もののけ、武士の世を引っ張ってくれば気が済むのか!胃もたれしますよ!見てて疲れるので、日曜9時は山Pを見て、癒されてます!山Pは扉の隙間から見ても、可愛いですよ!精神清涼剤だわ~!

 双六は選挙の日まで、ラストは「遊びをせんとや~」らしいですよ!とことんだあ~(食傷ぎみです。)

 だいたい「頼朝の挙兵」のタイトルで挙兵は最後の最後!でも光なんですって!どうなの?といちゃもんもつけられないくらい、松山くんの怪演でした!欲呆け暴君のじじいが実は暗闇で迷子になってる、幼子だったなんて!そりゃ、ゴッシーは、笑えますよ!迷子の悪ガキだから、盛国もぎりぎりまで、暴虐を我慢してたのかな。あそこに残っていたのは西行を含めて、もののふの魂を持った人たち。そして、頼朝の挙兵を告げるのは、平家一のもののふ!忠清!めっちゃ、計算されてる!ゴッシーとの双六遊びに捕われてる間に、頼朝が義友がした約束を果たしにくるんですから!こっちは、永遠の馬比べ!おかげで、清盛は、太刀を握らなきゃいけなくなった。そして、もののふの魂を取り戻した。原点の戻った。忠盛に授けられた宋剣を手にする事で。とはいえ、闇に弱音を吐いてる様からは、光は見えても、救われないきがしてきました。とことん、主役に厳しい大河です!(笑)それが、脚本の清盛への愛情だと思ってます。中途半端に美化しない!盛国のスタンス!醜悪さも含めて一人の人間だから!

 この頃寒いのと、リハビリに週3日でかけてるせいで、へばっております。そこに、あの清盛のズド~ンと重たいお話!リウ様のレビューに感想は丸投げしておりました。(笑)だって、見終わったらどっと疲れるんだもの!録画もさすがに見る気がしません!、2回3回も見たら私が闇に迷子になるで~!(笑)

 凄い大河ドラマですね!(でも、龍馬伝の方が好き。)多分、万民に愛されようってこのドラマは思ってないでしょうから!そこがにゃんこのように、気位が高くて、素敵だと思います。(笑)気位の高い、久々の大河ドラマです。(笑)

 


 

投稿: ささ | 2012年11月30日 (金) 10時44分

リウ様、渾身のレビューを、ありがとうございました。
リウ様はもちろん、皆様の深い考察を読み、うなっております。

私の周りには、今年の大河を見ている人が居ないので、こちらで皆さんの熱いコメントを読むのが、本当に楽しみです。
篤姫のときは、結構観てる人が多かったんですけどね(苦笑)


素晴らしい数々の考察は、すでに沢山の方がしてはるので、私はごく単純な感想をば…。

私は、この大河を見るまでは、源氏大好き人間だったんです。
俗にいう、判官贔屓でして、義経LOVE(←軽いな…)でしたもんで、平家なんて、武士のくせに遊び呆けて権力をほしいままにした圧政者~!!みたいな気持ちでしたから(笑)

ですので、単純に、第一話の頼朝の「平清盛なくして武士の世はなかった」の言葉の意味が知りたくて見続けていました。
まぁ、松ケンが好きとか、平安時代の風俗が面白いとか、玉木宏はやっぱりカッコいい(←オイ)とか、色々ありましたが(笑)。
しかし・・・結果、一話も見逃すことなく、このドラマを見続けることが出来て、本当によかったと思っております。

清盛の晩年、一筋の光となって舞い込んできた頼朝。
その頼朝が、清盛の成してきたことの意味を理解しているという解釈が、もうすごすぎる。
最初からの壮大な伏線が回収されてきて、そのカタルシスが半端ないです。

見ているほうにもかなりのエネルギーが必要な大河ですが、最後まで、このボルテージで続けていただきたい。

リウ様、皆様、体調に気を付けながら(笑)、最後まで楽しみましょうね。

投稿: えみし | 2012年11月30日 (金) 21時46分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

ただいまかなりヨッパライ気味なので、またまたなにを書くか分かりませんが…(笑)、少々ご無礼な点はお許し下さい。

山ピーのドラマは、キャスティングの時点から注目しておりませんでしたが(ほらのっけからかなり失礼…)面白いんですかそんなに(絡んでるぞ…)。

「ラストが遊びをせんとや」 とは?

ああ、サブタイトルのことですか…。

引っ張りますよねー、つーか、それが主題なんですけど(なんか悪酔いしてるかな…)。

忠清というのは、平家の貴族化を目の当たりにしてきた人物ですからね、ことこのドラマにおいては。

それが 「頼朝挙兵!」 なんて言ったら、不安80%、「もののふの血が騒ぐ!」 が20パーセントか、と(笑)。

そう言えば、「もののけ」 と 「もののふ」 って、よく似てますね(発想がどうも、ヨッパライだなあ…)。

それにしても、ささ様、お体はお大事に。
どうも私もなんですが、急に寒いとかなりしんどい…。 「清盛」 はいつも2、3回は視聴し直している、とうかかっていたので、もしかして胃薬飲みまくりなのかな、と思っていたのですが(笑)、リハビリお疲れ様でござりまするconfident

酔っ払ってのコメントなど、そもそも無礼の極みなのですが、なにとぞなにとぞ、お許しくださいませ…。

まあ九州女のささ様なら、豪快に笑い飛ばして下さるだろうと勝手に甘えさせてもらっているのですが。

投稿: リウ | 2012年12月 1日 (土) 09時44分

えみし様
コメント下さり、ありがとうございます。

え~、ただいまワタシ、酔っ払ってますけど(笑)、えみし様はこのブログにコメントでお越しいただいて日が浅いので、失礼のないように頑張ってコメント返信いたします(笑)。

私も祖先が源氏方の人間なので(家来か何かかな、たぶん)、平家にはさほどアレだったかな~と思うのですが(アレって何?…笑)、確かに平家はおごり高ぶっていたからみんなに反感を持たれて、結局総スカンを食ってしまった、という認識でおりました。

「平家物語」 の冒頭でも、「驕れるものは久しからず、ただ目の前の塵に同じ」 ですからね。
あんなに権勢を誇った一族も没落してしまう、この世の無常さを、後世の人々に教えまくっていた存在である、と。

でもこのドラマは、権力を手にした者たちもさることながら、ちょっと偉くなると途端に態度がでかくなる、という、庶民的レベルでも教訓に満ちている、と思うのです。

いくら考えていることが立派でも、まわりをバカにし出したらもうおしまい。

私も他山の石として心していきたいものです。

次回のレビューではもう書くことが残っていない気がとてもいたしますが(笑)、見守っていただけたら幸いです。

ヨッパライなりに失礼のないように書けたかな…coldsweats01

投稿: リウ | 2012年12月 1日 (土) 10時00分

 山Pのドラマは途中眠くなるくらい、無害なんですよ!(笑)強い毒気にあたった後にはちょうどいいのです。お話は謎解きの楽しみは少しありますが、身内うけの作品だと思います。で~も、山Pはとっても、可愛いですよ!(笑)去年の完ちゃんと同じですよ!

 おいしいお酒でしたか?酔っ払いさんの毒舌?は全然気にしませんから!水割りで7杯が私のおいしいお酒のリミットです。それ以上飲むと、お米といだり、夜の洗濯したりができません。近頃は缶ビール一缶で十分です。

 後白河にとって、清盛は簒奪者じゃないですか。でも世の中的には改革者かもしれません。だからゴッシーは清盛を権力の闇に追い込んで、世の中全体に対する簒奪者にしようとしていると思うのです。何の力もないない者達でも、世の中が変わるとなれば、期待し支持するし、清盛の武士の世も、日宋貿易の繁栄も、福原の都も新しい時代のうねりとして、支持されたと思うのです。でも、彼が横暴な権力者でしかない、今までの権力者と変わらないとなれば、期待値が高いほど、嫌悪感も高くなります。(民主党政権の現状を見るようだ。暗いわ~)

 ゴッシーの今様好きって、儚く消える世の中や、民の営みが好きって事なのじゃないかと、暗君ゴッシーに好意的に考えてみました。でもダークネスなのよね!

 明日は宿命の敗北!対決から、敗北へ!タイトル上では源氏負けてない(笑)おまけに、光の矢だし!諸行無常の平家物語ですね。闇から落ちて光となるべく生まれた子が、光を求める中で闇に捕まり蝕まれ、いつしか、見えてたはずの光が見えなくなってしまって!救いが無いですね。(笑)明日は、お互い悪酔いにならないといいですね。悪酔いも、このドラマらしいですけどね。(笑)リウ様がおいしいお酒が飲めますように祈ってます。(笑)お身体、お大事に。

 

投稿: ささ | 2012年12月 1日 (土) 13時32分

ささ様
レス下さり、ありがとうございます。

今朝方は大変失礼いたしました(汗)。 かなり調子に乗って書いてしまったようです(いま読み返したら、ずいぶん絡み酒だなァと自分でも感じました…笑)。 お気を悪くされるどころか体の心配までしてくださって、たいへん恐縮です。

私も若い頃は大酒飲みで…と言いたいところですが、あまり大酒はかっ食らわないほうです。 缶ビール(第3の)1本程度ですね、350ミリの(呑んでるうちに入らない?…笑)。 今日は久々に日本酒を呑んだせいで、いつもとは違う酔っ払い方をいたしました。

水割り7杯とは、さすが九州の人はお酒が強い?って偏見か。 私は、ん~、3杯が限度かなァ。

基本的に明るいお酒なんですが、日頃のオチャラケ癖が全開になってしまって、却って失礼になってしまったりもするのかな?

清盛のお酒は、悪趣味癖が加速するみたいですよね(笑)。
それはやはり白河譲りなのかな。 忠盛って基本、「男は黙ってサッポロビール」、つーか(古い…)、黙って息子に背中だけを見せるタイプなんですが、清盛にそれが受け継がれてない(ここらへんも、このふたりはやはり本当の親子ではないんだなァという感じですね)。

後白河の酒はやはり悪趣味癖の加速タイプかな(笑)。 どうもこれも、白河の血がそうさせているような。 ホントに設定がうまく生きてる感じがしますね。

実はやはり、急激な改革が馴染まないとかいう点で、民主党がやろうとしたことの挫折を連想して記事にもそれを書こうかと思っていたのですが、選挙期間中は政治的発言は控えさせていただく、ということで…(笑)。

投稿: リウ | 2012年12月 1日 (土) 18時57分

 我が家はつれあいさんが酔うとすぐ横になって、寝てしまうんですよ。(笑)こっちは、おちおち酔ってられない!誰かにおいしい酒を飲んでもらうためには、ほどどどが一番です。日本酒はおいしいけど、かなり酔いがきますよね。でも、あったかい部屋で、冷で、飲むとおいしいですよね!

 清盛って、おいしそうにお酒飲んでないですよね。自堕落に飲んでいたけど。酒に慰めを求めているような!そういう酒って、おいしくないですよね。前後不覚になるまで飲んだのは、20歳になる前で、2回しかないので、清盛の境地はわかりませんが。(笑)片付けとか、他者の心配とか、何も考えないでただ飲めるのは、ガキの頃だもの!

 ゴッシーはでも、滋子ちゃんとは、楽しく酒宴してたじゃないですか。お酒もほどほどタイプですよね。双六遊びがいつ持ち出されるかわかんないから、周りは酔えないですよね。重盛の二の舞は嫌だわ。(笑)重盛の家に、双六セットを、ゴッシーが持ちこんだのでしょうか?家来が運ぶからいいのでしょうけど、ご苦労な(迷惑な)事です。(笑)無理難題言い出したら、清盛以上だし!もののけって、迷惑な人種ですよね。(笑)人じゃないけど。(笑)でももののけを言い訳にはさせないところも、この脚本にはある気がします。もののけも、人の弱さや、醜さがつくりだしているような描写ですよね。(笑)以外と厳しい視線なんですよ。(笑)赦しがないから。(笑)

 明日も怖い物見たさに、6時には見て、夕食食べて、山Pでお口直しします。夕食時に清盛(8時)を見てると、子供達が嫌がるんですよ。『重たい』って。重病人が双六を強要されたりするんですから、そりゃ、食べながらじゃね。(笑)

 では、また、明日!


 

 

投稿: ささ | 2012年12月 1日 (土) 21時36分

>「山河燃ゆ」
商品映像化もされていない近代大河…(爆。

さー、今回は松ケン清盛がダントツ。
宇梶頼政が助演賞、
サブタイ背負った岡田頼朝は3番目かな?
でも西行や盛国の方が上に来るかも…(笑。

信西の弟子・西光が清盛を否定したように、
今回は、かつては義朝に従い、今までは清盛を
支持してきた頼政が反旗を翻した形ですね。
「清盛は義朝の志まで背負っている」という
清盛と頼朝の双方にあった認識が壊れましたね。
(最後は小兎丸?キャラ立ってませんが)
前回までは清盛を肯定的にとらえようとしていた
頼朝が怒りの表情で太刀をつかむ場面と、
頼朝挙兵を聞いて太刀にすがっていく清盛。
中盤の展開が繋がってきましたな。

投稿: 巨炎 | 2012年12月 2日 (日) 01時09分

リウさんこんにちは、はじめまして、ねこと言います。
先だって、「平清盛」第45回「以仁王の令旨」のレビューを読ませていただきました。
ここでは、時忠が“あれは欲なのだろうか?-弔いのように見える-、重盛や兎丸,そのほか様々なお方の”といい、盛国が“それも、欲のうちでござりましょう”と答えています。
私はリウさんのようにこの恐ろしい言葉をちゃんと感じ取られている方に出遭って嬉しく思いました。

第45回「以仁王の令旨」と第46回「頼朝挙兵」から明確なように、清盛は“平”という思想を具現化すること、新しい政を実現するのに失敗しました。
ところで、リウさんは、それが清盛が醜悪にも見える我欲、権力欲に取り付かれていたたからだと解釈されています。
清盛の我欲、権力欲を、第42回「鹿ヶ谷の陰謀」で、西光は、「おのれを犬と扱う王家への恨みつらみ」、「復讐」、に「突き動かされたもの」と喝破しました。
しかし、私はこうした見方は一面的なような気がします。

私は、若き日の清盛は寄る辺なき、無数の孤児のような、平安後期の民衆を救おうと考えたのに、彼は変質してしまったとは考えていません。
年老いた清盛の我欲、権力欲に取り付かれていた傍若無人にも見える姿は、若き日の清盛とダイレクトに関係していると私は思います。
むしろ、新しい政の必要用件を理解する人が独りもおらず、当時の支配的な認識図式から見ると、年老いた清盛が我欲、権力欲に取り付かれていた傍若無人な亡者にしか見えないという、誰も彼を理解していないということだと思います。
そこに、清盛の悲劇があったのではないかと思うのです。

そのことを考えるために、若き日の清盛に突きつけられていた問いは何であったか、そして、その問いから考えて清盛が実現しようとした新しい政とは何であったか、清盛が乗り越えようとした王家、王権という権力は本質的に何であったのかということを考え直す必要があるように思います。

第45回「以仁王の令旨」では、以仁王が猶母である暲子に、“私は何のために生まれてきたのでござりましょう”と問うており、また、暲子は源頼政に、“そなたは源氏第一の勇者であろう。このまま一生を終えてよいのか?”と訴えかけています。
これは、第2回の「二人の父」で、清盛は実の父、白河院に涙ながらに問うた、“どうして、私は生きておるのですか?”言葉と本質的に同じものだと私は思います。

ところで、清盛は、実の父である白川院にその誕生自体望まれませんでした。
そして、生命を狙われた。
結果的に、生みの母である舞子を殺され、そして、棄てられたわけです。

ということで、私は思うのですが、清盛に突きつけられていた問いは、

誰がこの世界に生まれてくるべきであったのか、私なのか、それとも、生まれてくることのなかった子供なのか?
誰がこの世界で生き延びるべきであったのか、私なのか、それもと、死んでいった誰か他の人なのか?

ということだと思うのです。
そして、このドラマの根源的なテーマと言うのは、

人間というのは、皆、たまたまこの世界に生れ落ちた存在者に過ぎない、
だから、人間は、この世界に必要なものとして呼ばれたものとして、生まれ直さなければならない、
しかし、それは可能か?

ということだと思うのです。

今回の第46回「頼朝挙兵」では、頼政が息子仲綱に“わしは最後まで測りかねておった。清盛入道が器を。あのかたは、この国の宝か、災いか、この戦いに身を投じた今もって、わからぬのだ。”と呟いています。
ところで、かつて信西入道は、第13回の「祇園欄騒乱事件」で、清盛の流罪を主張する頼長に、“清盛はこの国に必要な存在だ”と断言し、そして、保元の乱のあと、清盛に、叔父の忠正を斬ることで、“この国の宝となれ”と言っていました。

私は、信西が、寄る辺なき、無数の孤児のような、平安後期の日本の民衆を目の当たりにして、願ったのは、

たまたまこの世界に生れ落ちた存在者に過ぎない人間が、この世界に必要な者として呼ばれた存在として、存在する必然性を持った存在者として、自らの存在の証しを持った存在者として、生まれ直すことを可能になるような、新しい時代を開きたい、

ということであったと思います。
そして、信西は、

清盛がこの世界に必要な者として呼ばれた存在として生まれ直した者として、この国のすべての人々のためのモデルとなること、

を望んだのだと思うのです。
だとしたら、清盛の“平”という思想は、そして、清盛の新しい政とは、単に、武士の世の実現と言うことを越えているはずなのではないでしょうか。
つまり、繰り返しになりますが、

たまたまこの世界に生れ落ちた存在者に過ぎない人間が、この世界に必要な者として呼ばれた存在として、存在する必然性を持った存在者として、自らの存在の証しを持った存在者として、生まれ直すことを可能になるような、新しい時代の実現、

ということです。

ところで、清盛が乗越えようとした、王家、あるいは王権とう権力は結局何であったのでしょう。

私は、王家、あるいは王権とは、人間の生存の正当性を担保する権利を占有するシステムだと考えます。

だから、王家に逆らう軍は賊軍と呼ばれ、存在(=生存)してはいけないものとされる。
そして、王家に味方する軍は官軍と呼ばれ、正当性を担保されることになるわけです。
そして、だからこそ、王権は、

誰がこの世界に生まれてくるべきであったのか、私なのか、それとも、生まれてくることのなかった子供なのか?
誰がこの世界で生き延びるべきであったのか、私なのか、それもと、死んでいった誰か他の人なのか?

という疑念に最終的な決着を付けてくれる外部にあるシステムだということもできる。

しかし、王権は(人間の生存の)正当性を担保する権利を占有するシステムであり、逆から言えば、民衆の生存の正当性を危険にさらしうるシステムであり、民衆を抑圧する権力、暴力であるということができるのです。

たしかに、清盛の醜悪にも見える我欲、権力欲は、王権という正当性を担保する権利を占有するシステムから見れば、文字通り、我欲、権力欲であり、清盛は悪の権化でしょう。
しかし、清盛のしようとしたのは、王権の持つ正当性を担保する権利の占有権を少しずつずらし、押し広げていくことであったのではないでしょうか。
そして、交易を中心として国を富ませるという政策は、単に国民を富ませると言う等経済的な成長を目指しただけではなかった。
つまり、正当性を求めて、上へ上へと行くのではなく、宋という異国への通路を開くことで、この国の王権と言う中心を脱中心化しようとしたとも、私は思うのです。

だとしたら、清盛の我欲が死んでいった人の弔いであり、なおかつ、それが欲のうちでもあるという謎のような言葉の意味がわかってくるのではないでしょうか。
清盛の我欲は“私”というものを大切にするということに繋がっていくものだし、“私”というものを大切にすることのないこの世の犠牲となって死んでいった多くの人の弔いにも繋がる、というものだったのではないか、ということです。

ところで、“悪”とは生存する正当性が欠けているにも関わらず、しぶとく、生存している存在者のことです。
清盛の父忠盛に成敗された兎丸の父盗賊朧月の名誉も挽回すると、清盛は兎丸に約束しています。
清盛は新しい政をそうしたことも可能にするものと考えていたと私は思うのです。
そこへの通路のために、清盛は当時の常識から見たところの“悪”にもならなければならなかったのかもしれないとも私は思うのです。

しかし、清盛は失敗したわけです。

端的に言えば、清盛のまわりに、彼の意図を理解できる人が皆無だった、からだということができるでしょう。
少なくとも、生きている人では、清盛を理解している人はいなかった。
たしかに、重盛は能力が高く、まっすぐで、美しい日本語の使い手だったと思います。
しかし、彼にしたところで、王権が人間の生存の正当性を担保する権利を占有するのをアプリオリに当然なこととして認識してしまっている。
そして、同時期に武士の世を目指した人物の生き残り思われる頼政にしたところで、半分しか清盛のことを理解していなかった。
清盛の義弟頼盛は、“上へ上へではなく、横へ横へと広がっていく世を作りたいというのが義兄の志であったはず”と言っており、清盛の新しい政の本筋は理解していました。
しかし、そのための必要用件を理解していたとはいえません。

王権の人間の生存の正当性を担保する権利を占有する権利を奉ずる人たちからすると、清盛は、単に我欲、権力欲の塊にしか見えないのです。
そのことが、清盛を孤独にし、怒らせ、悲しませ、より傍若無人に振舞わせたように私は思うのです。

私は、清盛がめざした新しい政は、世の頂点の闇も、犯罪者の闇も、無数の孤児のような寄る辺亡き民衆の闇も、丸ごと救おうとする試みであったと思います。
しかし、その試みに、たった一人で立ち向かったことが、清盛の悲劇を生んだのではないでしょうか。
それまで、清盛は身に浴びてきた血を自分の力としてきました。
しかし、清盛自身が新しい世を作るためにとして、仕方がなかったのだと思い、流してきた血が、今や、新しい世を実現するという約束を果たせない清盛に襲い掛かり、清盛を罪悪感に苛まされせたと思うのです。

もし、信西入道と義朝が生きていたならば、あるいは、重盛ではなく頼朝が清盛の子であったならば、と私は思います。
日本の中世はまったく異なったものになっていたかもしれないと思うからです。
しかし、それはそれで、しかたがないことだったのかもしれません。

投稿: ねこ | 2012年12月 2日 (日) 08時11分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

私の場合、酔って寝ちゃうと起きたとき頭が痛くなるので気をつけてます(笑)。 飲み過ぎても痛くなるし。 結構頭痛持ちなんで、酔いが簡単に結びついてしまうところが怖いですね。 だからいつも少量で済ませてます。

ハタチ前に前後不覚ですとぉ~っ?(笑) おまわりさん、…時効です(時効ってもうないけど?…笑)。

いや正直に告白しますと、私もハタチ前から飲んでましたけどね。 タバコは生真面目なことに、ハタチの日に初めてのみました(もうやめてますけど、年に1本くらいもらってのんだりします)。

前後不覚は若者の特権なのかな~。 大人になると、「吐くまで飲むのはバカ」 という自覚が備わるようでして。

双六セットというのは、当時のインベーダーゲーム…いやいや古すぎる…(爆)…「人生ゲー」…それじゃーもっと古い…とにかく貴族の必須アイテムだったのかな?(笑)。

このドラマを食事しながら見ては、食欲も減退するでしょうね(笑)。 情報量が多いから、ながら見なんて許されない感じだし(笑)。

ともかく戦々恐々としながら見ることになりそうですね、あと4回は。 なんかもう、「この先失速したらどうしよう?」 という不安も相俟って、先を見るのが怖いです。

投稿: リウ | 2012年12月 2日 (日) 08時44分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

頑張ったで賞が毎回かわっていたようにも思えますよね、このドラマ。 だからこそ重厚な作りを堅持してきたのだと思うのですが、ここ数回は、今までそのために描写が少しなおざりだった清盛の闇に焦点が当たりまくっていて。

全体的なディティールを考えると、藤本サンの話の運びはとても確信に満ちている気がいたします。 プランが立ってる。 ただし途中、「難解だ」 という声に気圧されたような回は数回あったような気はするのですが(私がけなしていた部分…笑)。

もうそんな世間の声など関係なく、藤本サンの独壇場、という気がしてまいりました。

投稿: リウ | 2012年12月 2日 (日) 09時13分

ねこ様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

いや~、かなりの読みごたえのあるコメントで、私もじゅうぶん返信できるかどうか、少々不安ですが。

まず反論させていただきたいのは(のっけからアレですが…笑)、私の文章の書きかたがヘタクソで真意が伝わってないところがあり、誠に恐縮なのですが、清盛が闇に捉えられている、という一面は、あくまで清盛の人物を知る要因の一つである、という書きかたを私はしたつもりです。

そしてやはり、清盛の若き日の願いというものは、変質してしまっている、と考えます。

つまり、第46回現在の清盛は、民衆の負担というものに思いが至らなくなっている。

こうなると、いくら最初の志が立派なものであったとしても、それは方向的に間違いなのではないでしょうか。

たとえばこれは現在の我が国における原発問題にも似ている気がする。

原発をすぐにでもゼロにしろ、というのは、志的にはじゅうぶん正義だと思う。

でもいくら正しいことでも、急にしようとすると、かなり軋轢が生じる。

原発の是非についてここでは論じているわけではないことをお断りしなければなりませんが、清盛のやろうとしていることは、物事の筋道を均して整備してから通そう、というやりかたではない、と私は思います。

つまり、清盛がやろうとしていることは、時代感覚から言って、まだ早すぎる。 それを私は 「清盛は、早く生まれすぎた」 みたいに書いたつもりです。

その拙速さに拍車をかけているのが、清盛が陥った権力の闇なのだ、という捉え方を、私はしています。 レビューでもそう書いているはずなのですが、ねこ様に正しく伝わらなかったことは私の文章の、技量の足りなさからきています。

そしてねこ様のおっしゃる、このドラマの根源的なテーマ。

達見であり、私などよりも深くこのドラマをご覧になっていると、つくづく感服いたします。
というより、ねこ様が人生のそもそも持つべき意義について、どう考えていらっしゃるのかが分かるような考察だと感じます。

信西が清盛に対して願ったのも、やはり生まれなどもなにも関係のない、自分が何者であるかもそもそもどうでもよい、「生き直せる」 人生を歩んでもらいたい、というものだったのだろう、ということですね。

ただ天皇家のあり方に対する清盛の考え方については、このドラマにおいては、清盛は藤原摂関家の指し示した 「天皇家と親戚関係になる」 ということを軸として捉えている気がします。

つまり、後白河に対しての清盛の言葉ではないですが、王家とは常に、付かず離れずで、政治的な実権を握らせるのではなく、象徴的な存在にしようと考えているフシがある。

これって現代の 「象徴天皇制」 と同じ発想のような気がします。

事実、源頼朝は天皇家とはかなりの距離を置き、政治の実権をそのことで掌握したような側面がある。 その後室町幕府は京都に戻ってきたわけですが、やはり天皇家とは付かず離れず、という姿勢を保っている。 後醍醐天皇などはそれに反発していたような…。

つまり武家社会が天皇家との関係はどうあるべきかを、清盛がまず率先して示している気がするんですよ。 「武士の世」 というものを実現させるためには、天皇家は常に、民意の尊崇の中心でなければならない。 だからいちおうは、立てるんですよ。 だけど政治の実権というものはこちらが担当する。 それが 「武士の世」 の成立条件なのだ、と清盛は考えたのではないでしょうか。

ここでドラマ的に重要になってくるのは、「清盛は白河のご落胤」 という設定だと感じます。

つまりこの 「ご落胤」 の象徴的に指し示す意味というのは、清盛の中にあった、旧態依然とした考え、というものだったのではないか、と。

その象徴に、清盛は憎悪し、そしてあこがれている。

この二律背反した気持ちの描きかたが、このドラマにおいては実に秀逸である、と私は感じるのです。

再度申し上げますが、ここ数回の清盛は、民衆の心に思いが至っていません。

しかし清盛の意識の中では、「自分は民を富ませるためにこの事業をやっている」 という自覚しかない。 要するに、この本文中に書いたように、「近視眼的になってしまっている」 のです。

頼朝がようやく反乱の意志を固めたのも、このまつりごとが平家中心でしか行われていない現状を悟ったからだ、と思います。

考えていることはそもそも正しいのに、それが闇によって歪んでしまっている。 闇はその志が正しいことにつけこんで、志を正当化させるために、よこしまな手段を清盛に選ばせる。

そして結果的に、ねこ様のおっしゃるように、まわりからは誤解され、誰も理解してくれない孤独に、清盛を押し込める。

このドラマが描きたいのは、そこなんじゃないのかな、という気がいたします。

次元は違うけど、野田総理みたいなもんかな(笑)。

言ってることはまともなのに、みんな曲解したがって(笑)。 本質とは別の部分を突っつきたがるし(笑)。 でも野田総理も考えてることは立派でも、やりかたは正しくないと思うし(笑)。

結局民衆民衆などと言っても、自分の生活が潤っていればいい、という感じですしね、政治に対して望むことなんか。

痛みを伴うことがどこまで政治が国民に対して可能なのか。

清盛のやり方、というのは、おそらくそこをここ数回、読み違えている気がするのです。

投稿: リウ | 2012年12月 2日 (日) 10時11分

 今日は平清盛、東京エアポート、MONSTERS(録画)と3本もドラマを見てしまいました。(笑)

 今日の清盛は普通です。(笑)伏線回収とか、いろいろありましたが、ここ数回に比べると、冷静に見られます!(清盛の崩壊に慣れてきたのもあるけど。(笑))それでは、リウ様、ゆっくり、レビューをしてくださいませ。忠清が良かったです。

投稿: ささ | 2012年12月 2日 (日) 23時52分

ささ様
最新情報下さり、ありがとうございます。

ん~、今週の 「清盛」 はフツーでしたか…。 なんかホッとしたような、ちょっとがっかりしたような…(笑)。

またまたギックリをやってしまって(もう常態化してるので大騒ぎもしません…笑)、ドラマを見る体力があればいいのですが…。

投稿: リウ | 2012年12月 3日 (月) 07時54分

 ぎっくり腰の方、ご養生くださいませ。
 清盛は、もう常ならぬものに、慣れてたせいか、ちゃんとしたお話だったのですが、さらっと見れました。(笑)慣れって恐ろしいですね。(笑)

 最後が近いと回想も増えまして、懐かしい場面がいっぱい!忠盛の常套句の伏線も回収されまして、第1回にどれだけ、伏線いれてたんだろうか、という展開ですよ。(笑)歳末大売出しだな~!

 忠清による、清盛の武士の世の解説(武士から、見た)もありまして、(その後、山Pのドラマで現代の検察官になった忠清に会いましたが。(笑))なかなか、いい感じでした。(笑)

 もはや、清盛が武士ではないという事を、本人も自覚せざるおえない状況になりました。(笑)まだ、わかってなかった、おめでたい奴ってのが、可愛くもあり、哀しくもあり、虚しくもありですね。初めて会う義経に、優しい言葉をかけた頼朝より、清盛はいい奴って事でしょうね。(笑)頼朝兄ちゃん、美しいお顔で、何考えてたか。とか、感動の場面で不届きにも邪推していた、私です。お腰が楽になったら、ゆっくりご覧になって、レビューしてくださいませ。(笑)

投稿: ささ | 2012年12月 3日 (月) 10時48分

>頼朝兄ちゃん、美しいお顔で、何考えてたか。
ちなみに大河でストーリーが体裁を為す形で
現存する最古と思われる「源義経」(1966年)の
総集編はここから始るのですねー。
平清盛はOPキャストに名を連ねていますが未登場。

清盛もぎっくり腰(笑。
年を考えたら、ひっくり返るのも普通なんですが
叔父を斬った時から背負い続けた業の重さに
いよいよ潰される時がきたとも、
亡き父が諌めたとも見れる悲しい場面でした。

投稿: 巨炎 | 2012年12月 3日 (月) 15時29分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

告白いたしますと、ここ数週、週1でギックリ気味で(笑)。 やはりシロート治療がいけないのかな。 昨日は爆睡し続けましたが、寝てるより仕事していたほうが薬になるようです。

忠清ってなんか頭悪そうだから(大失礼!…笑)、そんなに大したことも言えないような気もいたしますが(いや、見てからモノを言おう…笑)。

「清盛は、果たして武士なのか?」 という私のこの記事での疑問が、いきなり忠清によって回答されてしまったんですか。 そりゃ平家の貴族化をいちばん目の当たりにしてきた人物ですから、何か言いたくなるのも分かる(ウンウン)。

ただ清盛も、武士の魂であるエクスカリバーを再び手にしてましたからね。 完全に捨て切っているのかどうか。 もののふとしての自分を。 そこらへんに注目しながら視聴したいと思いますが、ここ数日はちょっと微妙です…。

投稿: リウ | 2012年12月 4日 (火) 07時52分

巨炎様
再コメ下さり、ありがとうございます。

えっ、清盛もギックリになったんですか?(笑)
こりゃ同類相哀れむみたいになってきた(笑)。

どうも義経と頼朝とのお話というのは、サイドストーリー的で、このドラマ、特に義経についてあんまり細かくやらんのでもいいのではないか?というちょっとした不満はありますけどね、私の場合。 まあ常盤を前に出しちゃったから仕方がない部分もありますが、京本サン(奥州藤原氏)まで語ろうとしなくてもよい気はします。

なにしろそれでなくとも盛り込み過ぎなんスから、このドラマcoldsweats01

投稿: リウ | 2012年12月 4日 (火) 07時59分

リウさん、こんにちは、ネコです。
お返事どうもありがとうございました。
どうもいらぬ茶々を入れてしまったようですね。
すみませんでした。
第47回の「宿命の敗北」を見ると、どうも清盛は変質してしまったようにしか見えませんからね。

しかし、私は、敢えて、清盛は変質していない、と言おうと思います。
ただし、それは、民を救おうと考えた志高き清盛からということではありません。
実の父白河院に棄てられ、命を狙われ、実の母舞子を殺された、寄る辺なき孤児である清盛から変わっていないと言おうと思うのです。
というのは、“何処まで行っても真っ暗だ、助けてくれ”、と泣き叫ぶ年老いた清盛は、そうした孤児であるかのように感じられるからです。

ところで、第46回のレビューで、リウさんの書かれたことで、非常に気になって、私に書き込みをしたいと思わせた部分がありました。
それは、“「世の頂点」がすなわち「闇の頂点」という捉えかたを作り手がしている・・・・実際の清盛は、ここまで苦悩なんかせずにもっと素直に偉ぶっていたのでは(笑)、と感じられる”と書かれている部分です。
こう書かれることで、リウさんは、清盛の外から見たブラック化はわかるけれど、彼の心の中に彼自身にとっての主観的な闇があるとは思えない、と主張しておられるのではないかと思うのです。

そして、清盛のブラック化、まあ、外から見た“闇”を説明するのに、清盛の内側にある主観的な“闇”に言及することなく、「権力の闇」というパッケージで説明してしまわれている。
でも、「権力の闇」という言葉は、清盛のブラック化の説明になんら特別なものを加えるところはないのではないかと私は思うんですよね。

それと、私は人間を理解するのに、外側の行動だけからとか、一般的な概念から理解するだけでは足りないのではないかと思っています。
そうではなく、その人の内側の主観的感覚から理解しなければならないのではないか、と考えています。
だから、清盛のブラック化、外側から見た闇を理解するのに、清盛の内側にある闇から理解すべきではという思いがあるのです。

ところで、「世の頂点」は確かに「闇の頂点」です。

第2回だったか、清盛が白河院を“この世に生ける、もののけ”といって非難しました。
そして、白河院が清盛に“そちの身体にもこのもののけの血が流れておるからの”と言い返しました。
リウさんは、清盛が白河院を指すのに使った“もののけ”という言葉の意味はお分かりになると思います。
しかし、白河院が自分自身を指すのに使った“もののけ”という言葉はどういう意味で使われていると考えておられますか。

すでに申し上げましたように、王家、あるいは王権とは、人間の生存の正当性を担保する権利を占有するシステムです。
このことは、逆に考えれば、王家、あるいは王権の中心的な機能を果たす人物に対し、その人物の生存の正当性を担保する権利を有する外部のシステムは存在しない、ということを意味します。
ということで、白河院は王家、あるいは王権の中心であるがゆえに、自分の生存の正当性が担保されていないと感じていた。
つまり、治天の君として、並ぶもののない権力を持っていたにも関わらず、白河院は、寄る辺亡き多くの平安の民衆とともに、あるいは、盗賊朧月夜とともに、そして、孤児であった清盛とともに、生存の正当性を持っていない、寄る辺亡き不安と孤独を感じていた。
だから、陰陽師の言葉に惑わされて、清盛の母舞子の命を奪うようなこともしてしまう。
また、わけのわからない生物哀れみ命みたいなことを出して、人間の方を苦しめるようなこともしてしまう。

ところで、人間としての生存が担保されていない存在者は、“人間でないもの”です。
だから、白河院は自らのことを指すのに、“もののけ”という言葉を使ったのです。

白河院が、無礼な振る舞いをした清盛を生かしておくようなことをしたのは、清盛も自分と同じ“人間でないもの”と感じたからです。
そして、清盛に対し、同じ“人間でないもの”という苦しみ、悲しみを背負ったものとして、生きて行って欲しいと願う気持ちが生じたのだと私は思います。

白河院の伝言だったか忘れましたが、白河院が清盛に、「そちはまだ知らぬ、この先の風景を」と言った場面がありました。
そのとき、白河院が言おうとした風景は、“「世の頂点」が「闇の頂点」”であることだったのではないでしょうか。
そして、清盛は「世の頂点」に立ったとき、白河院から捨てられたときと同じく、自分が、

誰がこの世界に生まれてくるべきであったのか、私なのか、それとも、生まれてくることのなかった子供なのか?
誰がこの世界で生き延びるべきであったのか、私なのか、それもと、死んでいった誰か他の人なのか?

という疑念に再び襲われていることを見出したのだと私は思うのです。
だとしたら、

清盛が何故、頼朝を助けて生かし、平氏の滅亡の元を作ったのか、
清盛が何故、平氏の繁栄を担保するのに、旧態然とした価値観に固執し、天皇の外戚となるというような方法を取ることにしたのか、
清盛は何故、民衆を救うと言う志の元に出発したのに、自分自身と自分の家族たちのことにアップアップとなってしまい、ブラック化したのか、つまり、「権力の闇」に捉えられることになったのか、

ということがわかってくる。

言ってみれば、恐れからです。

したがって、“「世の頂点」が「闇の頂点」”であるという認識は、「平清盛」というドラマに描かれたリウさん言うところの精神性の物語の一つの核だと私は思っています。

でも、私はこのドラマには不満があるんですよねえ。

というのは、清盛が頂点に達するまでの、白河院の伝言のところらへんまでの精神性の物語で、彼が“この世界に必要なものとした呼ばれた存在に生まれ直す”ための方法も、そして、“権力の闇に捉えられずに、それを乗越える” ための方法も、その道具立てとともにきっちり描き出されている。
そして、それと清盛はちゃんと向き合って、クリアーしてきているように見える。

内容はここでは詳しく書きませんが、私的に言うと、清盛に対する実の母舞子と叔父忠正の“みささぎ”(身を捧げること)と実の父白河院が清盛に生きて欲しいと願ったこと(他者の欲望)を自分のものとすることによってです。

私は、はっきり言って、清盛は“あがり”だと思っていました。
ということで、私は、まわりの無理解によって、ブラック化に見えているだけの可能性もあり、と考えたわけです。
だから、今回の、狂人清盛を私は見て、(まあ、精神科医なら何か診断名付けてくれるでしょう、昔流に言えば、パラノイアかな?)“なんで、お前なんでこのことでまだ悩んでんのよ”とあきれてしまった部分もあります。
“こいつ、白河院が何でお前を殺さずに生かしておいたのか、なんで、生きていて欲しいと願ったのか、全然わかっていない。どうなっているんだ。”という感じです。

いったい、このドラマの全体としての整合性はどこにあるのでしょう?

清盛は何処で失敗したんでしょうか?

それとも、私が、清盛が“この世界に必要なものとした呼ばれた存在に生まれ直し”、“権力の闇に捉えられずに、それを乗越える” ための方法を持つようになっていた、と感じたのは間違いだったのでしょうか。

私の言わんとするのは、清盛が民衆のことを考えられなくなったという失敗ではなくて、彼が民衆のことを考えられなくなったこと自体の原因となった精神性の物語の中での失敗は何であったのか、ということです。
それが分からねば、人間が為政者の位置にもし就いたとして、権力の闇の囚われずに済む方法があるのか、あるとしたらそれは何なのかということが分からなくなってしまいますからね。

リウさんが理解されているところがあれば、教えていただきたいと思っています。

ただ、清盛は、今回、身体の軸、心の軸がずれでしまい、太刀が振れなかったですよね。
それが、伊藤忠清のいうところでは、“殿はもうもののふではありません”ということです。
ということで、清盛は、育ての父忠盛の教えとは違えた状態になってしまっていた。

この忠盛の教えは、ひょっとすると、一般的な言い方をすると、“グランディング”ということかもしれない、という感じが私はしています。
要するに、精神性の物語の“精神性”というのはひとつの“閉域”であって、その中での解決というのは限界がある、ということかもしれない。
だから、この“閉域”の外に出る、ということが重要なのかもしれない、ということも考えられます。

言い換えれば、“精神性”というのと対立した意味合いで言うと“身体化”とかそんな感じのものです。

ただ、このドラマの何処に、精神性の物語の“閉域”の限界なんていうことが描かれていたのか、私にはついぞ覚えがありません。
唐突過ぎて、どう取ったらいいかわからなくなっています。

それと、リウさんは原発の話もされていました。
私も思うところを少し書きかけていたのですが、清盛の話と別の話になってしまうので今回は割愛します。

それでは、よろしく申し上げます。

投稿: ねこ | 2012年12月 8日 (土) 07時54分

「土スタ」に深キョンが出てまして、安徳帝を抱いて、「海の中にも、都はございます」をちょこっと見せてくれましたので、壇ノ浦やるみたいです。平家の滅亡を見届けましょう。時子さんによると、哀しいだけじゃない終わり方のようですが。(藤本さんは、Sだから、本当かしら(笑))とりあえず、明日は双六だ~。7時?分から、開票速報に先んじて、放映されます。日本の行く末の双六と同時進行ですが、大丈夫かしら。スリリングな夜になりそうです。

 リウ様、手術が無事終わって、リハビリして、動けるようになって帰ってきてください!みんな、待ってます。お元気ななられますように、祈ってます。

投稿: ささ | 2012年12月15日 (土) 21時21分

ねこ様
入院してましてまともな返信できず申し訳ありません。退院したら改めて考え書き綴ります。
ささ様
49回見ましたよ!
オープニングの賽の目がどうして1、6なのか分かりましたね(笑)。

投稿: リウ | 2012年12月16日 (日) 18時55分

 リウ様、お早い!私も実は見ました!細部も細部にこだわっているのが、このドラマ!西行は「生臭坊主」と堀川さまから、言われる始末!和歌ざんまいもやって!視聴者にこびないドラマですね。サイコロの謎!今日わかって、にんまりした人、どれくらいいるでしょうか。(笑)TVがご覧になれてよかったです。

投稿: ささ | 2012年12月16日 (日) 19時47分

 予告を見てたら、壇ノ浦どころか、矢だらけの弁慶も出てきてびっくり!義経の最後まで、清盛のドラマでやるの?まあ、画像だけかもしれませんが。群像劇なんですね。(笑)ウィリアムテルごっこで、弁慶が的になっていたから、仁王立ちの代わりなのかなと思ってましたが。

 手術が無事終わって、回復されて、お元気になられますように、祈ってます。

投稿: ささ | 2012年12月19日 (水) 10時48分

手術無事終わりました。ちょっと朦朧としてます(笑)。
義経最期までやるということは、頼朝の目指した武士の世の問題点までえぐり出すつもりかもしれませんよね。
空恐ろしいな(笑)。

投稿: リウ | 2012年12月19日 (水) 18時13分

リウ様

手術無事に終えられて良かったです。happy01
安心しました。

それはそうとリウ様は、投票はどうされたのでしょう?
(寝たきりでは誰かに代わって投票してもらうこともできないでしょうし)
また自民党が政権を奪取しましたが、原発はどうなってしまうのでしょうね。外交問題も経済も。。(メンタルが弱そうな安倍さん、大丈夫かなあ??)

「清盛」は、最終回へ向かって猛スピードで展開されそうですね。

とにかくリウ様が早く回復なさって退院できることを祈っております。

投稿: rabi | 2012年12月20日 (木) 00時11分

リウ様
手術、無事に終えられ、何よりです。
予告の弁慶、しっかり仁王立ちでしたね。頼朝の闇まで描くのかな~。本当に容赦ないですね。視聴者にとっても(笑)

一日も早いご快癒をお祈りしております。待ってますよ!

投稿: Zai-Chen | 2012年12月20日 (木) 08時33分

2週間ぶりに寝たきりから解放されました。
こんな状態なので選挙はできませんでした…。

投稿: リウ | 2012年12月20日 (木) 19時27分

おお〜っ、寝たきりから解放!!朗報ですhappy01

拘束状態?から,一歩前進ですね〜。

さっき、「結婚しない」の最終回を見終わりました。次のクールは「最高の離婚」だそうです。

脚本は坂元裕二さんだそうです。
キャストも瑛太くん、オノマチ、真木ようこ、綾野剛と大好きな人たちばかりなので、是非みたいと思ってます。1/10startですって。
リウ様、間に合うかなあ?

投票行けなくて残念でしたね。
でも健康が一番ですから、養生なさって下さいね。

投稿: rabi | 2012年12月20日 (木) 23時00分

リウさま
手術無事終えられたとのこと、なによりです。
これからリハビリ?
いずれにせよ、新年はご自宅・・・・でしょうか。
年末年始で、ゆっくり休養なさってください。

あと一回、どうまとめるんでしょうね。

投稿: マーシー | 2012年12月22日 (土) 07時16分

 ついに、最終回!終わっちゃいました!

 平家物語をテレビという絵巻物で、見ている感じの最終回でした。

 私、この大河における、イケメン西行を見くびってました。反省します。去年の大河のせいで、イケメンを半分馬鹿にしてましたが、西行、お仕事してました。(笑)今日が、一番、西行として、演技をしていたような。(笑)今日の為の今までだったのかも。(笑)イケメンが無駄にならずに、良かった(笑)

 では、リウ様、お元気になったら、レビューもまとめてくださいませ。

 来年の「八重の桜」も予告を見る限り、期待できそうでした。(笑)

 でも、今年はまだ、平安に心を残していられそうです。「平清盛」を見届けて、良かったです。

 

投稿: ささ | 2012年12月23日 (日) 22時25分

やはり1年間観てきて良かったと思える
大河は良作といえるでしょうね。
「江」のラストは「落馬しちまえ!」でしたから。

>「八重の桜」
「ゲゲゲの女房」の脚本家は期待できそうですが
「天地人」のプロデューサーは信用できない。
両者のバランスがどうなっているかは
作品を観てみない事には分からんです。

投稿: 巨炎 | 2012年12月24日 (月) 18時31分

 最終回、放送時間が久しぶりの45分でした。50回までやったからか、延長放送はナシ!おかげで、話が走る!走る!

 総集編もBSは年末、地デジは年始で。来年になったら、「八重の桜」の番宣が優先じゃないの?

 オープニングはさいころの伏線を回収したからか、最終回だからか、タイトルがどーんとでただけで、通常のオープニングとは違ってましたね。

 生霊とは便利なものだ by西行 同感です。(笑) 琵琶法師がかむろの子だったのが、諸行無常でした。命を助けられたのだから、救われたのかもしれませんが。(融通のきく時忠が上司だったから、清盛や兎丸の真意をうまく推し量ってくれて、命は助けてくれたのかも?)

 盛国の立場がやっと回収されました。

 では、リウ様、退院されたら、レビューをがんばってくださいませ。下界は大層、寒くなっております。お身体、大切に。

投稿: ささ | 2012年12月24日 (月) 23時44分

皆様。コメント下さりありがとうございます。
今週じゅうには退院のめどがたちました。
退院したら改めて長〜い御礼を致しとう存じます。

投稿: リウ | 2012年12月25日 (火) 18時16分

リウさま
退院のめどがついたのですね、
少し気が早いけど、おめでとうございます。

お返事は、ぼちぼちで結構ですよ。
あまり無理なさらないように、
のんびりとなさってくださいね。

投稿: マーシー | 2012年12月25日 (火) 22時41分

リウ様

年内に退院できそうでよかったですね〜〜happy01

いま、「クリスマスの約束」見てます。
いつ聞いても小田さんの歌、いいですね。

「清盛」最終回は、やはり怒濤の回でした。
最終回は、オープニングも変わってて、力入ってましたね。

ではでは。。

投稿: rabi | 2012年12月26日 (水) 00時12分

ねこ様
退院いたしましたので、あらためてねこ様のレスに対して、返信をいたしたいと思います。

最初にお断りいたしたいのは、ネガティヴなことが書かれていてもどうぞお気を悪くなさらないでいただきたい、ということです。 私もねこ様のご意見には不快を感じておりません。 このような実りのあるディスカッションが出来るのは私にとっては存外の喜びです。

まず、ねこ様が気になさっておられた、「実際の清盛はそんなに葛藤しなかったのではないか」 という私の感想ですが、これはドラマと現実の話を比較しながら書いた性格のものです。

実際、私たちは、ここまで善と悪が葛藤しながら生きているということは、まれだと思います。

ドラマだから、ここまで悪魔と天使が互いに平清盛の感情という表舞台に躍り出て、あからさまに戦闘を続けているのであって。
だからこの回の清盛のように、悪魔が幼生エイリアンのように腹を破って出てくるとか(笑)、天使が 「助けてくれぇ…」 と断末魔をあげることなんか、現実世界ではまず起こり得ない。

人の中にある善と悪というのは、本来かなり曖昧であって、混ぜこぜの状態であることが多いと思います。

混ぜこぜにしてしまうのは、人間の本性として、絶えず自己弁護をしなければアイデンティティが成り立たないからだと感じます。 自己防衛機能なんですよ、要するに。

人は悪いことをしている自分を、どこかで正当化しようとする。
必要悪とかよく言いますけど、それって自己防衛機能の最たるものなんじゃないでしょうか。

この回の清盛のようにこれほどあからさまに自分の中の善と悪が対立するのは、これって清盛が純粋だからなのでしょう。 必要悪、なんてうそぶいたりしないだけ、自分の中にある悪を許せないんですよ。

今 「自分の中にある悪」、と書きましたが、私も、ねこ様と同じように、善も悪もただ一人の人間の中にすべて備わっている、と思います。

その、人の中にある悪の部分と、権力の闇の部分とが互いに呼応しながら、表面に出てくるものだと思います。

だからねこ様が私のレビューをお読みになって 「権力の闇」 という外的要因で清盛が感化されてしまった、変わってしまったとお感じになったのならば、それはひとえに私の説明不足によるものだと言わねばなりません。

そして、やはり人間の中に潜む 「悪」 の部分が、このドラマの中では 「もののけ」 という言葉で集約されていたように感じます。 その意味では白河院の考えていた 「もののけ」 も、作り手サンの気持ちの中では、清盛や後白河が考えていた 「もののけ」 も、「悪」 という広義の中のひとつの側面にすぎない、という捉え方で終わっている気がいたします。
その点、ねこ様の考察は非常に深遠ですね。

そしてこのドラマでは、「もののけ」 という言葉は、人が自分の人生から逃れることのできない、「宿業」 という側面の表現を試みようとしていた言葉のように感じる。

生まれたのが金持ちの家だったか貧乏の家だったか。

東京みたいな大都会に生まれたのか、何事をするにも不便な土地に生まれたのか。

心優しい親のもとに生まれたのか、子供を虐待するような親のもとに生まれたのか。

人は生きていくうえで、「あれのせいだ、これのせいだ」 と思いたくなるような環境に、絶えず感情を左右される側面があります。

それが要するに、その人の持っている 「宿業」 なんだと思います。

清盛の場合、それがたまたま、「白河院のご落胤」 という出生環境だった(このドラマに限って言えば)。

作り手のかたはこの、歴史学的に不利にある説をあえて登用し、清盛の中にある 「宿業」、「運命」 というものを表現したかったのではないか、と私は感じるのです。

そして、ねこ様がおっしゃる、このドラマの 「整合性」 という視点から考えた場合、やはり清盛ひとりだけでは完結しない性質のものを有している、と感じます。

このドラマは、「武家社会」 の出発点としての平清盛の歴史的な立ち位置を確認する作業を、1年間してきたような気がする。

だから頼朝がこの物語の語り部として存在していたのであり、頼朝は清盛の施政の反省点を踏まえて鎌倉幕府を建て、そして最終回には室町幕府まで言及していた。

だから、清盛個人の人生として、整合性という部分では 「貿易立国を目指した」「朝廷と藤原摂関家の実効支配から脱却しようとした」 という点(意味)が認められるものの、それは極めて不十分な 「挑戦」 として終わっている。

でも、個人の人生として完結していなくとも、後に続く者が、彼の人生を意味あるものにしていくことはできる、という 「歴史のあらたな流れを作った人物」 としての整合性、というものはあると思われるのです。

それから。

清盛が変わったか、変わらなかったか、という議論ですが。

清盛に限らず、人というのは根本的な部分で、変わらないものだと私も思います。

でも、自分がいくら変わらないと言い張っても、まわりから 「お前は変わった」 と言われることもある。

つまり、「変わったか変わらないか」 というものを、ここでは私は他人から見た評価、という視点で論じているのです。

清盛が 「変わった」 という評価を私がしてしまう一番の要因は、やはり彼が 「民衆からの視点」 というものの比重を軽んじてしまったことにある、と思う。

その象徴的な出来事が、兎丸を清盛が間接的に殺してしまったエピソードに見ることが出来る気がします。

兎丸というのは、最下層の人間の意思の象徴だと思うのです。

ここで清盛は、「自分が兎丸を、間接的にでも殺してしまった」 と反省することが出来ず、「福原建設のために志半ばで犠牲になってしまった」、という 「勘違い」 をしてしまった、と私は考えています。

清盛はかように、兎丸だけではなく、信西の志とか、叔父忠正の志とかも、なんか 「自分が目指す世のために犠牲になった」 という自己肯定の道具としてしまっている部分がある。

ねこ様がこのドラマに対して感じるもどかしさの、ひとつの原因も、そこに存在しているのかもしれません。

…。

なんか、このドラマの最終回まで見て感じたことを、ここであらかた書いてしまった気がいたします(笑)。

とりあえず、私の回答としては、こんなところですconfident

よい新年をお迎えください。

投稿: リウ | 2012年12月29日 (土) 14時17分

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