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2012年12月30日 (日)

「平清盛」 最終回まで見て

 歴代大河のなかで最低視聴率を記録したという、今年の大河 「平清盛」。
 その原因を私なりにたどれば、まずおしなべて物語が難しく、登場人物の区別がつきにくく、しかも話も画面も暗いことが多かった、という3点に絞られるか、と感じます。
 よくマスコミなどで巷間囁かれるのは、平安時代がとっつきにくいという話でありますが、私個人に言わせていただければ、実に外した批評です。 要は、どの時代であろうが、分かりにくくて暗いものは皆見ないのです。

 話が難解なうえに登場人物の区別がつきにくい、というのは、たいていの場合、その演者の力量によって解消されるべき問題だと私は考えるのですが、今日我が国の役者の存在感というものは、昔に比べれば軽いものになっていると言わざるを得ない。 役者の個性というものが埋没傾向にあることは否めない、と私は考えるのです。

 そのうえでキャスティングを見れば、主役を27歳の若者、松山ケンイチクンひとりに据えたことで、必然的に平家一族の年齢差というものが狭まってしまい、ただでさえ 「○盛」 という名前だらけのこのドラマを、ますます分かりにくくしてしまった。
 平家だけならまだしも、朝廷の人間たちもみな同じような名前ばかり。
 個性が希薄な役者たち(くれぐれも歳をこいたオッサンの個人的見解です)がいきなり何人も登場して分かりにくいドラマを展開するのですから、それについていけない人たちが続出するのは当然の成り行きか、と感じます。

 しかし、「昔はよかった」 などと嘆いても詮ない話です。 特に年配の視聴者ほど、現代の役者たちが演じることのできる力量を見定めながら、彼らを評価していくほかはない。

 そうした目で今年の大河を見ると、主役の松山ケンイチクンは、途中少々疑問符が付く感じにも見えましたが、特に第3部の後半からはスパートがかかったように尻上がりによくなっていった。 演技力という点において、ここ数年の大河主役の中では内野聖陽サン以上の可能性というものを感じました。 末恐ろしい存在です。

 そして肝心の内容についてですが、難解であるという欠点をあえて省いた話をすれば、私個人としては、自分が30年見てきた大河ドラマの中では、もっとも優れたものであった。 そう批評させていただきます。

 この物語が立脚していたのは、平清盛を歴史上どのような立ち位置にある人物だったのか、という視点だと感じます。
 つまり人物評的に決して良い人間だと認識されていないこの人物を、作者は実に否定も肯定もせず中立的な立場で冷徹に分析し、そして作者なりの脚色を加えることによって、作者自身の思想をそこに入り込ませることに成功した。

 作者が清盛を、歴史的に 「点」 ではなく 「線」 としてとらえていることは、この物語の語り部が源頼朝であることからも明らかである、と感じます。
 
 頼朝を清盛の分析者として位置させ、父義朝の志の体現者としてリスペクトさせると同時に、清盛の失敗を学び、反面教師とさせた。

 清盛の失敗と言えば、「武士の世」 を目指しながら、一族が公家化しなければその目的が果たせなかった、ということではないでしょうか。
 つまり、藤原摂関家が天皇家に対して取っているスタンスを手本にしながら、清盛はそれを真似るしか方法がなかった。
 そして天皇を意のままに操ることにあくまで固執し、福原遷都という時宜をわきまえない暴挙に出ることによって、その権勢を失っていった。

 頼朝はそこから学習し、常に京とは距離を置き、政治の実権だけを鎌倉に委譲させることで実質的に名前だけの存在と化している天皇家から権力を奪い取った。
 朝廷に対して執着とかがないから、わざわざ遷都などという大仰なことをしなくてもよかったのです。 ただ政権を手中に収めるだけでよかった。
 だから後白河が、のちに頼朝と双六遊びをしようとしても、すでに戦っているステージからして違うから、面白くなりようがない。 朝廷はもはやその時点で完全に有名無実化していて、鎌倉に対抗する勢力たりえなかった、ということも、きちんと描写していたと思います。

 しかし物語は、清盛を単なる失敗者としては捉えていません。
 「武士の時代の先駆者」 としての位置付けはもとより、「歴史に登場したのが早すぎた男」 としての悲劇も表現していたように思うのです。
 最終回、語り部の頼朝もこの世を去り、室町時代のことまで物語は言及します。
 清盛が目指した貿易立国という政策は、室町時代にようやく花開くこととなる。 小兎丸がその継承者として未来を見据えたような演出は、見事だったと感じます。

 また、「一蓮托生」 という運命共同体として平家が存在していたのに対して、頼朝の政治というのは、「恩賞」 による結び付き。 それはやがて鎌倉幕府を崩壊させる一因となっていったことは、小学校で習いましたが(笑)、この 「恩賞→損得による結び付き」 をきちんと描いていたことも特筆すべきことかと。
 頼朝は朝廷から離れようとするあまり、朝廷にかわいがられた弟の義経を追討してましたが、ここらへんの描きかたは少々不十分さを残したとはいえ、「点」 で歴史をとらえていない作者の気配りというものも感じました。

 そしてこのドラマは、清盛を歴史学的だけでなく、人間学的にもとらえようとしていた。
 その試みが最大限に生きたのは、清盛を白河法皇のご落胤、とした設定だったように思います。
 学説的にあまり主流とは言えないという、「ご落胤説」。
 作者はそれをあえて登用し、清盛を呪縛するための道具として活用した。

 「頼朝挙兵」 のコメントにも書いたのですが、私は清盛が白河院から受け継いだ 「もののけの血」 というものを、人間が元来持っている 「宿業」 の象徴だった、と考えています。
 環境であるとか、直すことがなかなかできない性格であるとか、人は自分ではどうすることもできないものに心を悩まされる。 作者は清盛に、もののけとして猛り狂う十字架を、清盛に背負わせたのです。

 そして清盛は、「民のため」 という若き日の誓いを、権力の頂上に登っていくごとに、忘れていく。

 これもコメント欄にすでに書きましたが、清盛は父忠盛や叔父忠正、盟友義朝、信西を失ってきた経緯のなかで、彼らを 「武士の世を目指すために犠牲になった」 というとらえ方をしてしまった。 清盛はただひとり、彼らの志を継ぐという悲壮さの中で、彼らが生きていたならどう行動したか、清盛のやり方にあくまで同調したか、という視点を失ってしまった。

 その最も象徴的な出来事が、兎丸の死であった、と私は考えています。
 兎丸は言わば、民意の象徴。
 その兎丸を、清盛は間接的ではありますが、自らの命によって殺しているのです。
 私はこの瞬間、清盛の中にある 「民のため」 という志が、単なる名目に変わってしまったと思います。
 兎丸の死を、清盛は自分を反省させるための糧とせず、また志のために犠牲になったと勘違いしてしまった。

 それと対照的だったのは、兎丸と同じく清盛とは幼い頃からの仲間、鱸丸こと平盛国です。
 私は結局彼の存在意義というものが、ちょっと最後まで分かりかねたのですが、彼はあくまで清盛の 「心の軸」 を目指したのではなかろうか、という気がしています。
 父忠盛が清盛に教えた言葉、「生きることがどういうものかが分かったとき、心の軸が出来る。 心の軸が体を支え、体の軸が心を支える」。 盛国は清盛を支える、心の軸にあくまでこだわったのではなかろうか、と(追記…スミマセン、番組HPの上川隆也サンインタビューと同じようなことを書いてしまいました…くれぐれも自分で考えたことなので、ご了承ください)。

 そしてこのドラマを始終貫いた、「遊びをせんとや生まれけん」。

 結局どのような生き方をしようと、消極的な生き方よりも、何かに夢中になって生きることこそ価値がある、ということではなかったでしょうか。 世の中は、打って出ている人たちの行動によって動いている。 そこには賞賛や、批判もあろう。 でも、ウジウジ考えてなにもしないよりも、一生懸命になってつまらんことでも何かを成し遂げようとするほうがよほどいいではないか。

 そんな作者の思想が、この物語全体の底流に流れていた気がするのです。

 そしてこの物語の秀逸なところは、これらの思想を、きちんと平安時代末期のエイトスにまぶしていた、ということです。 短歌や都歌、さまざまな風俗が、制作予算が少なそうなわりに(笑)織り込まれていた。

 さらに付け加えれば、このドラマ、やたらと法華経の経文とか思想が絡んでいたように感じる。 つまり、法華経によって平安を貫かれていた、という平安時代の、終焉のようにも解釈できる余地がある、ということです。 鎌倉時代になると、武士のカミサマである八幡様が勢いを増すことになる。 まあ考えすぎかもしれませんですが。

 以上、入院によって最後の数回をキャンセルしてしまったレビューの代わりとして、総括的な文を書いてお茶を濁してみました。 同じ脚本家さんの書いた 「ちりとてちん」 も放送当時は低視聴率だったけれど、今はその評価が高い、と聞いております。 おそらくこの 「平清盛」 も、後年評価が高まっていく作品だ、と確信しております。 大衆的ではなかったかもしれませんが、私的にはこういう大河ドラマが今後も量産されることを期待しております。

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コメント

 リウ様、退院早々、レビューお疲れさまです。

 私も後世、この大河は評価が上がると思います。そういう未来を信じたいです。

 作品全体としては、良かったと思います。

 途中中だるみしたのが残念でした。清盛の成長過程がわかりにくかったです。平治の乱後の平家の世になってから、清盛の人生の成果である、武士の世、福原の港と都の建設、日宋貿易、海路の整備など、ビッグプロジェクト満載のはずが、説明セリフとナレーションで、主役清盛は福原の屋敷のお片付けでおわってしまったのが残念でした!見果てぬ夢を実現する過程が見たかったです。(笑)それと、清盛が権力者として凄みをましてきた事も、麿ちゃん達の怯えや嫌悪の演技で描写される(それはとても、面白かったですけど)か、頼朝くんのナレーション頼みだったので、悪ガキから、一気に悪ボスになっちゃって、「まわりが言ってるわりには、変わりないけど、そうなの?」と思ってしまったり(笑)

 松ケンの演技は特に後半素晴らしかったです。それゆえに、もっとサブキャラ達に注がれた細やかな愛情を主役に向けてあげても良かったのではないでしょうか。(笑)

 前夜の決断、宿命の対決!しびれた!

 精神性の物語として、後半は特に、心抉られる描写が多かったです。平家と清盛の精神的、肉体的崩壊は、時に苦しいほどでした。哀しかったです。

 ただ、そこに少々逃げ込んだ感はあります。人間の内面の物語として、素晴らしかったですけど、歴史ドラマとしての壮大さを楽しみたい向きには、人間模様の内面の葛藤は、へきへきするものだったかもしれません。後、難解なのが嫌な人達にも不評でしょうね!(笑)

 盛国は平氏にやってきた鱸のようなもの!飼われてる魚じゃなくて、清盛は彼が、いつでも自由でいられるように、海の恵みとして遇していたようですね。多分海の底の都から、泳いできた鱸だったのではないでしょうか。(笑)清盛にとって、彼はずっと鱸丸だった!(笑)(最終回で回収するんだもんね!)

 とっつきにくいという時代の物語、あまり好かれていない清盛を主役にして、しかも、和歌のお勉強やら、今様をそらんじたり、源氏物語、もう、平氏が平家になるのってこんなに努力がいるのよ!っていうのを視聴者に追体験させるかのようなとっつきにくさのある作品でしたが、それも、私は好きです。(笑)しかも歴史は予習してね!って感じでした!盛ちゃんがいっぱいで、名前がごっちゃになったし!親王、帝、上皇、法皇、わけわからん!(笑)それも、楽しかったです。

 では、リウ様、良いお年をお迎えくださいませ。来年の「八重の桜」も、一年見応えのある作品だといいですね。綾瀬さん、可愛いし!鉄砲もって、走ってるのが、かっこいい!彼女がハンサムウーマンにどう成長するか、奮闘を楽しみにしています。

 

投稿: ささ | 2012年12月30日 (日) 19時15分

後世とは言わず、まず海外から評価が高まることを期待したいと思っています。

最終回、最後の最後で、文字通りの「波の下の都」をヴィジュアルで見せたことに、あっと驚かされました。
琵琶法師が、あの子であったことも含めて。

画面がもし、もっと華やかで彩も豊かであったら、もっと視聴率も上がったと思います。
いま、このデフレの厳しい、閉塞感の強い時期に、暗っぽい画面は息苦しかった。

最終回は、フカキョンの回でもありましたね。
他が老け役なのに、彼女だけいつまでも変わらない、それもご愛嬌でしょう。

「八重の桜」は、ずいぶんCG使っているみたいですね。最初は確かに製作費はかさむでしょうが、後半はそうではないでしょうから、まず、つかみから。
予告見た限りでは、期待満々です。

投稿: マーシー | 2012年12月30日 (日) 20時55分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 というより、このコメント返信をささ様が読むときは、もう来年(2013年)なのでしょうね。 あけましておめでとうございます(笑)。

正直なところ、キャスティングがみな若かった、というよりも、出演者全員リレー方式で少年期→青年期→壮年期でやっていただいたほうが分かりよかったような気もいたします…が、それはかなり俳優さんの大量の入れ替えを必要とするから無理か…(笑)。

まあ、鳥羽チャンとかたまチャンとか崇徳とか、あまり時間を割かなくてもよかったよーな気はいたします(笑)。 でも皆さん熱演でしたし。 本文中では役者の力量がどーのとか書きましたが、三上サンとかアラタサンとか小日向サンとか(まだまだいるけど)、実にすばらしい演技を堪能させていただきました。

その分清盛がないがしろになって、特に第3部前半では方向性がよく分からなくなっている感じもいたしましたが、その埋め合わせはじゅうぶんなされた、と感じております。

最終回での清盛の最期は、あれ頭打って相当痛かったんじゃないだろーか?というほどのもんどり打ち方でございました(笑)。 暗くて難しいから、愛すべきお話ではけっしてありませんよね。 「龍馬伝」 などはやはり主人公が愛すべき人間であればこそ、「思い入れ」 による評価が、個人的には強い作品ではあるのですが。

それにしても帰省のご準備でお忙しかったでしょうに、ギリギリでレビューを発表して申し訳ございませんでした。 よいお年を…って、やはり今年もよろしくかな?(笑)

投稿: リウ | 2012年12月30日 (日) 22時37分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

東日本大震災とか、原発事故とか、暗い世相の中でそれに見向きもせず(ハハ…)暗い話を作り上げた、作者の藤本サンに拍手を送ります。

ともすれば今、ドラマの中では、被災したかたがたに向けたメッセージがそこかしこに出てくる傾向が強いですよね。

そんな傾向におもねらない、という心意気やよし、です。

まあ 「清盛」 も、最初にど~ん!と海賊船、でしたからね(笑)。 でも山本むつみサンの書くドラマは、結構分かりやすそうな気は、しています。

投稿: リウ | 2012年12月30日 (日) 22時54分

具合はいかがでしょうか。
無事に退院されたようでほっとしております。

リウさまの素晴らしいレビューに
「ええー(´・ω・`)」と思ってしまった最終回が
なんだか良いものであったかのような錯覚に陥ってしまいましたよ(笑)

もう一度観直してみなくては(爆)

あたしもこの大河は傑作だったと心底思います。

最初、暑苦しくてたまらなかった少年清盛も
回想シーンで見てみると、なるほど演じ分けであったと納得させられてしまう
松ケンの演技力に感動するばかり。

終盤「○盛」が勢揃いしたシーンでは
どの“盛”が清盛の兄弟だか息子だか孫だかわからないのがツラいところでしたね(笑)

みんな若く精悍なので(^^;;
当時の年齢を考えると、清盛の息子も老けメイクをするほどの年ではないんでしょうけど
分かりやすくするために、孫よりはちょっと老けさせた方が良かったかもしれないですね。

ともあれ一年間レビューを続けてくださってありがとうございました!

また気になるドラマに出会ったら飛んで参ります♪

お身体をご自愛くださいまして
良い新年をお迎えくださいませヾ(*´∀`*)

投稿: ちゃも | 2012年12月31日 (月) 09時40分

ちゃも様
コメントおよびご心配くださり、ありがとうございます。 元気になった気になっております(錯覚?…笑)。

最終回はそんなに…、でしたか。 私は平家と源氏の結束力の対比を描いた秀逸な終わり方だ、と感じました。 それに今までお腹いっぱい過ぎましたから、腹ごなしにはちょうどよかったような…(笑)。

よく考えてみれば、途中で出家姿になった清盛を 「若すぎる」 なんて揶揄したことも私書いてましたけど、68かな?それくらいで亡くなった、というのだから、けっしてそんなことはなかったよな、といまさらながら揶揄したことを反省しております。

ではでは、簡潔ではございますが、ちゃも様もどうぞよいお年をお迎えくださいませconfident

投稿: リウ | 2012年12月31日 (月) 10時11分

リウ様
こんにちは。
実は、私、大河ドラマを完走したのは「平清盛」が久しぶりなんですよ。「龍馬伝」は見そびれてしまいましたし、「天地人」と「江」は2月ぐらいで脱落、その意味では、私にとっても画期的な作品でした。

でも、不思議なドラマでした。確かに、難解で高踏的でしたが、その一方で少年漫画のような、ど直球のところもある(特に前半は)。頼朝と、ラスボス化した清盛との関係も、幾多の漫画に登場した、主人公の運命を切り開くため、倒されるのを待っているかのような最強・最後の敵とも見えなくもない。それが、きちんと一つになって作品世界を構成していましたもんね。ただ、正直言って、前半は、ヤング清盛よりも、宮中の愛憎・権力闘争劇の方に目が行ってましたけどども。

武士の世に対する清盛と頼朝の考えの違い。血縁、一門と貨幣経済に拘った清盛に対し、「御恩と奉公」という土地を媒体とした契約関係に基盤を置いた頼朝。私もリウ様と同じく、ラスト数回で大変上手く描かれていたと思います。考えてみれば、富士川の合戦の時の、両軍の補給の差、腹ペコ平家に山盛り飯の源氏というのも、このことに繋がっています。このあたり、この作家さんは、一貫していますよね。

ただ、視聴率がもうちょっと良ければ、最終回も拡大になって、神木隆之介くん義経をたぶらかす“ゴッシー”翔太くんの図も観れたんじゃないかなあ・・と。ただ、それやっちゃうと、もう3か月ぐらい放映期間が必要になってしまうかもしれませんが(笑)。

では、年末年始、お体に気を付けられて、楽しいレビューをお書きいただきますよう。
よいお年をお迎えください。

投稿: Zai-Chen | 2012年12月31日 (月) 11時49分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

私も最初のうちは、「このドラマ、ずいぶん分かりやすいロジックでまわってるな」 と感じていました(笑)。 こんなに少年ジャンプみたいなことしてて(笑)、1年間もつのかな?みたいな。

それが朝廷が絡むようになって、いきなりワケが分からなくなり(爆)。

突然新たな登場人物が出てきて難解なこと言ってる、という傾向は、頼朝が挙兵したあとに次々加勢してくる人たちの登場でも同じことが言えました(笑)。

でも1年間もかけて、作者がなにをいちばん表現したかったのか、というと、やはり清盛のお腹から幼生エイリアンが出てきた(笑)、「頼朝挙兵」 の回だったと思うんですよ。

清盛の中にあった清々しい志と、どこかで道を誤ってしまったことから生まれた悪魔。

予定調和とか主人公礼賛とかおためごかしの一切を排除した、ものすごいドラマだったと思います。

それではZai-Chen様も、どうぞよいお年をお迎えくださいませconfident

投稿: リウ | 2012年12月31日 (月) 14時26分

遅ればせながら退院おめでとうございます。

この作品も「ゴッドファーザー」だったでしょうか。
三部構成だし、忠盛の背中を追いかけていたのに
ゴールが白河院とか、前半は清盛の影が薄いとか。

>「一蓮托生」 という運命共同体として平家、
>頼朝の政治というのは「恩賞」 による結び付き
最終回でも「一蓮托生」の文面が入るカットが二度あり、その合間に勝手に朝廷から階位をさずかった弟に怒る頼朝と、嘆願書を書いていたもののキレる義経が描写されましたね。

第49回に頼朝が鎌倉のビジョンを語る場面で作中で活躍しない北条義時を同伴させたり、「草燃える」を観れば源氏の未来も明るくないのが分ると暗に示した?義経にしても出しておいて、これほど扱いの悪い作品も無いですが神木クンだし、清盛が牛若を可愛がっていた場面は入れたし後は「義経」を観てくれと?
単に拡大枠にならなかっただけの事かもしれませんが。

清盛と頼朝の関係以外の所は他作品に丸投げでしたが、逆を言えば焦点を絞った所は懲りまくり。BDやDVDのボックスは少年の頼朝を清盛がぶん殴って「真の武士とはいかなるものか見せてやる」と言った28話からですから後半は、直接に会うことがなかった二人の関係を軸にしているのが明白ですね。一方、霊魂清盛&西行が去った後に政子が入ってきて「銀の猫」云々言うセリフ、殆どの人は聞き逃してるんじゃないでしょうか。

では、よいお年を。

投稿: 巨炎 | 2012年12月31日 (月) 17時19分

初めてコメントさせていただきます。
入院されていたとのこと、その後のお具合はいかがでしょうか。

清盛視聴中に、こちらのブログを発見し、それからちょこちょこ読ませていただいていました。リウ様のレビューは頷く事ばかりで、更に作品への理解度を高めてくださる、とても有難いものでした…!ありがとうございました。

私は、清盛は3部に入るまで、首を傾げてばかりでした。キャッキャとはしゃいでいたと思ったら急に賢く威圧的になった清盛も疑問でしたし、登場人物の心理描写も、深いようで、どうも浅く感じてしまったり…。

丁寧で、凝った演出やカメラワーク、それらに対して物語の流れが浮いてしまっているような、そんな気がしてしまって、入り込めませんでした。ただ観方が浅かっただけな気もします^^;

でも、終わりが近づくにつれ、どんどん引き込まれていきました。(演出に慣れたのもあると思います)そして最終回、清盛が倒れて亡くなるシーンで泣き、エンディングで泣き…。どちらも悲しくてではなく、自然にぽろっと涙がこぼれました。

観終わって、改めて松山さんの凄さを実感しています。権力に溺れている清盛は、もうろくジジイにしか見えませんでした。笑 少年期から老年期までの演じ分けが本当に素晴らしい。全力で演じきってくれたことも伝わってきました。

途中まで、何度か視聴をリタイアしそうになりましたが、観終わった今、何かとても素晴らしいものを受け取った気がしていて、不思議です。笑 そしてそれは、リウ様のこのブログのおかげでもあります。本当にありがとうございました。m(__)m

来年も、お体をお大事にして、素敵レビューを書いてくださることを楽しみにしております。
長々申し訳ありませんでした(ーー;)

投稿: ホル | 2012年12月31日 (月) 20時01分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 ご心配をおかけいたしました。 またこうしてブログを書けることの喜びを味わっております。

この物語の難しさ、というのは、キャスティングの配分にしてもそうでしたが、清盛が死んだ時点でバッサリ終わってしまうと、実に中途半端な話になってしまうという性質にあったのではないだろうか、ということです。

だから昔の人々は、「平家物語」 において、壇ノ浦までの物語を作り、「諸行無常」 というテーマをそこに入り込ませた。

今年の大河 「平清盛」 は、それを 「武士の世」 という切り口で、新しい時代を作ろうとすることの難しさ、そして古い時代が終わる必然性、というものを見つめていたように思います。

でもそうした視点から物語を構成しようとすると、巨炎様のご指摘の通り、源氏の話をかなり細かくやらなければならなくなる。

それに対してこのドラマは、「王家」 の話をかなりしつこくやっていた。

これってどういう意味を持つんでしょうね?

おそらく作り手は、この時代に生きた人々の精神の支柱を、描きたかったのではないか。

だからロジック的にもっと細かくやったほうがいいと思われる頼朝と義経の確執よりも、鳥羽や崇徳の心の動きを細かく表現した。

でも、まあ簡単に考えれば、「盛り込み過ぎて目測を見誤った」 つー気もするのですが(笑)。

だけどこのドラマの作り手は、たぶん全体の配分チャートを確実に作っていたと思う。

いずれにしても優れた大河だったと思います。

ではでは、よいお年を…confident

投稿: リウ | 2012年12月31日 (月) 21時02分

ホル様
これはこれは、年の瀬にわざわざお越しくださり、ありがとうございます。 はじめまして。 入院のことご心配くださり、恐縮です。

途中まで清盛の行動が不可解でしたか。 そう言われてみると、結構今年の大河の主役は、分裂症気味でしたよね(笑)。

でも、たいていあとに出てくる態度のほうが本音の場合が多いと思います(笑)。 結構我慢してるけど途中からブチ切れちゃうものなんですよね、いろいろと(笑)。

凝ったカメラワークとか特殊な画像処理とか、どうしても様式に目を奪われがちなんですよね、私たちって。 「カーネーション」 でも、同じプログレッシヴカメラとやらの画像処理が 「やたらまぶしい」 とか 「画面が暗い」 とか、気になっていたかたもいらっしゃったようです。

実を言えば私、このドラマではたぶん、泣きませんでした(ハハ…)。 泣いたのはどこだったかなァ。 覚えてないです。

…いや、泣きました(思い出した…笑)。

最終回、西行の口を借りて、既に亡くなっている清盛が時子にねぎらいの言葉をかけたときです。

「そなたは私の、紫の上であった…」、でしたでしょうか、セリフは。

きったない 「光る君」 でしたからねぇ、清盛…(笑)。

権力の闇に翻弄されながら、あがいてあがいていた清盛。 その苦しみというものをこのドラマは余すところなく暴き出しましたよね。

主人公をけっしてきれいごとで塗り固めない。
そうした作者の態度は、最大限に評価すべきものだと感じます。

ではでは、よいお年をお迎えください…confident

投稿: リウ | 2012年12月31日 (月) 21時20分

拝啓、リウさん。
ねこです。
退院おめでとうございます。
重くなると思い、書き込むのを控えていたのですが、長文のお返事恐縮しております。
そして、「平清盛」を最終回までみて、も拝読させていただきました。
何故このドラマの視聴率が低かったかということについて、私もひとつ思うことがありますので書かせていただきます。

平清盛の最終回、平氏が海に沈みました。
時子が安徳帝に「海の底にも都はございましょう。」と言いました。
ところで、この言葉を聞いたとき、私はある方たちのことを想ったのですよね。
それは、1年数ヶ月前、水底に沈まれたあの方たちのことです。

どうしてあの方たちは亡くなってしまったのだろうか。
どうしてあの方たちではなく、私たちが生きているのだろうか、

リウさんにもそんな想いが浮かんできたことはないでしょうか。
現代を生きる日本人なら、一度は、心の中にこの想いが浮かんだとこがあると思うのです。
視聴者の側のこの想いは若き清盛は彼を捨てた実の父、白河院に対して言った言葉と木霊のように共鳴しあっています。
そのことから考えても、なぜこの時期にこのドラマが作られなければならなかったかは明きらかでしょう。

このドラマに対して最初に批判の声を挙げたのは誰であったか、ということは非常に示唆的です。
それは、兵庫県知事、つまり、先の大震災の自治体の首長であったわけです。
大河ドラマは観光の契機になりますから、舞台となった自治体の首長が大河ドラマを公に批判するとは、たとえ、内心思っていたとしても、考えられないことです。
しかし、彼は敢えて、そして、執拗に批判したわけです。

私は阪神間の出身です。
だから、「きれいな神戸だけを描いて欲しい」という彼の気持ちは痛いほどよく分かる。
その想いとは、

誰がこの世界に生まれてくるべきだったのか、私なのか、それとも、生まれ来ることのできなかった誰かなのか、
誰がこの世界に生き延びていくべきだったのか、私なのか、それとも、死んでいった誰かなのか、

という疑問に、俺たちはずっと悩まされてきた。
復興がなった、今、俺たちはもうそんな事はもう聞きたくない、ということです。

ただ、東北大震災の後、「きれいな神戸だけを描いて欲しい」というわがままは神戸人に許されない、と私は思います。

お返事いただいた中で、リウさんは宿業という言葉を使われましたよね。
私が、

私たち人間はみなたまたまこの世界に生れ落ちた存在者に過ぎない、

と言うことで表現したのは、人間の存在の条件、あるいは、人間一般に押しなべて曝されている宿業の核心的な部分だと思うのです。

そして、こういった現実は、戦争や大災害、疫病の流行等々といった後に人間に突きつけられることになる。
だから、実の母舞子を殺され、実の父白河院に棄てられた清盛に象徴される平安後期の寄る辺なき民衆たちとともに、東北の地震の後、放射能が今も国土を侵し続けている現在、日本人全体に突きつけられている。

このドラマは視聴者にこの宿業の部分を逃げずに見よと、言う。
そして、清盛のように必要な者としてこの世界に呼ばれた存在者として生まれ直すべく苦闘せよ、と言う。

しかし、この現実は、そして、この現実の中で苦闘することは、苦しいことです。
そして、どうしてもこの現実に対して目をつぶりたいと言う気持ちが出てきます。
だから、人々の心の中にどうしてこのドラマを誹謗中傷して、価値のなきものとしてしまいたいという欲望が生まれたのです。
逆に言うと、ただ見なければ済むものを、このように人々を誹謗中傷に駆り立てたこと自体、このドラマがいかに影響力があったかを示しています。
そのこと自体、この作品がいかに世紀の傑作であるかを示していると思います。
経済も落ち目で、外交上も困難を抱えており、震災で傷ついた日本人に捧げられた「グラン・サーガ」とでも言いましょうか。

ところで、私も、「平清盛」は間違いなく、海外で評判になると思います。
カンヌを目指しているのか、という批判がありましたが、カンヌあたりに持って行けば、衝撃を持って受け止められると思います。
はっきり言って、歴代のカンヌの受賞作より、内容的には完全に上です。
というより、単体で受賞できる回が10回ぐらいあるというようなとんでもないドラマだと思います。
まあ、映画というのが、2、3時間の尺しかなく、大河ドラマというのが30時間をはるかに上回る長尺だというのも関係していますけれどね。
おそらく、ラカンの精神分析の文脈で解釈され、ヨーロッパのそこかしこで上映会が開かれるでしょう。
史上最高の映像芸術との評価を得てもおかしくないと私は思います。

とりあえず、表面的な、つまり、今と言う特定の時点との関係での評価に過ぎませんが、私のこのドラマに対する評価を贈らせていただこうかと思います。

投稿: ねこ | 2013年1月 2日 (水) 07時47分

ねこ様
退院見舞い下さり、かたじけなく存じます。

私は時子があのセリフを言ったとき、そして海に平家の人々が次々沈んでいったとき、3.11のことを不思議と思い出しませんでした。

結構私も兵庫県知事のように 「忘れたい」 と思っている人間なのかもしれません。

ただつらつら考えるに、平家の人々は、確かに追い詰められたとはいえ、これって自殺なのだ、と。

津波に流されたかたがたとは、やはり不慮の出来事だったのだ、と。 そこが性格的に違うのではないか、と。 だから時子、平家の最期を見ても、3.11を思い出さなかったのかもしれません。

でも、「海の底に王国がある」 という発想は、作り手の追悼の気持ちの表れだ、と考えると、やはり慈愛の気持ちがあふれる気がしてまいります。

そう考えると、ねこ様のほうが私よりも、ずっと豊かなお気持ちでこのドラマをご覧になっている、と思われてくるのです。

私は3.11のような不慮の出来事によって人が死ぬか、それとも生き残るか、というのは、たまたまなことにすぎないのだ、という、これまた冷たい見方をしています。

つまり、どんなに行ないが正しい者でも、死ぬときは死んでしまうし、どんなに悪い人間でも、のうのうと天寿を全うする場合がある。

そこに因果の法則というものは存在しない、と感じています。

肝心なのは、そこからどうやって、生き延びた者、そして死んでいった者の人生に、意味を持たせるか、だと思うのです。

亡くなったかたがたの人生というのは、悲劇であり、不運であることは論を待ちません。
でもだからと言って、そこから悲しみや怒り、恨みなど、マイナスの捉え方をしては、それこそ亡くなったかたがたが浮かばれないと思われるのです。

亡くなったかたがたの人生を振り返り、そこに何らかの意味を見い出すことこそが、人にとって大切な考え方なのではないか、と感じるのです。

そして生き残った者たちも、自分がなんで生かされているのか、それを悲観的に捉えるよりも、生き延びているのには意味がある、使命があるからこそ生かされている、と考えるのが、やはり肝要ではないか、と私は考えます。

そうした見方からこのドラマの最終回を振り返りますと(少々強引な議論ですが…笑)。

最後に清盛が海中のエクスカリバーを手にして、海の底から我々に向けて、満面の笑顔のどアップで終わる。

これは、人の人生、無意味なものなんか、誰ひとりとして存在しない、という、前向きな終わり方だった、そう感じるのです。

結局ねこ様の言わんとされていることと方向性が一緒のことを私も論じておりますが(笑)。

それにしても、やはり奥深い精神性の物語を見せてもらった気が、いまさらながらとてもするのです。

投稿: リウ | 2013年1月 2日 (水) 09時49分

 宮崎に帰って、年明けて、娘のipadで返信は読ませていただきました。

 「八重の桜」が始まりましたが、まだ、清盛くんを引きずっております。(笑)

 「八重の桜」が悪い出来というわけじゃありません。とっても、練られた初回の脚本だったです。

 でも、清盛の初回のわくわく感が好きでした。

 海賊王宣言が出てきたり、劇画チックになったり、汚し批判があったり、ドラドロの宮中愛憎劇があったり(どこぞの昼ドラより濃い内容を一級の演技で役者さん達が熱演)、精神の奥深く踏み込むお話があったり、それぞれを無難にまとめたり、時に視聴者に刃をむけるような話になったり、一年楽しませてもらいました。

 私が泣いたのは宿命の対決かな?清盛と義朝を思って泣きました!あの時が一番、清盛に心情が近づけたかなと思います。(笑)川のせせらぎ、竹林を渡る風の音、清盛の打ち震える背中とともに、蘇ってきます。(私もしつこいです!)

 だから、最終回、海の底の都に屈託のない明るい顔の清盛が現れた最後は、微笑ましかったです。このドラマの清盛の本質は「気のいい兄ちゃん」だったのかなと。

 花神、一年見ました。お話としては花神の方が、上かなと思います。(私の好みなので。)

 平清盛はきっと、海外で評価をあげるでしょうし、数年後、素晴らしい大河ドラマとして、評価されると思います。

 松山ケンイチさんと深田恭子さんの演技は、一年をとおして、十分見応えのあるものでした。

 途中、いまいちかなとも思いました。松ケンくんのポテンシャルからすると、もっと凄い演技ができるという期待がありましたから。(笑)というわけで辛い事も言いました。でも、一年を総合すると、役者として、彼は、比類なき地位を築けたと思います。更に活躍できる場が与えられる事を願ってます。

 まだ、こちらに心が残っております。(笑)視聴率が悪かろうと、心に刻まれる大河でした。完走できて、とっても幸せです。竜宮城に招かれた気分です。(笑)

投稿: ささ | 2013年1月 8日 (火) 19時20分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私は自分のご当地大河 「八重の桜」 に興味が完全移行しておりますが、さすがに 「平清盛」 ほどの深いレビューは書けないかもしれないな、ということは感じております。

「八重の桜」 はしかも、話が暗くないし(笑)。

「清盛」 はしょっぱなから、話が暗かった気がしますね。 いきなり不義の子だし。 重荷をいっぱい背負いながら生まれてきたような感覚でしたもんね。

「八重」 も、戊辰戦争に向けて話が暗くなりそうなんですが、肝心の八重ってば、戦争のさなかに爆風を受けて顔が真っ黒になっても、それを友達と笑い合うくらいの肝っ玉の座り方だったみたいですから、話が暗くなりそうもありません(笑)。

「清盛」 は、最初のうち、それこそ少年マンガみたいで分かりやすすぎたのですが、途中でどんどん難解になっていきましたね(笑)。

中だるみというのはやはりあったと思います。 確かに。 そこを突っ込んで、しかもしつこいことしたので、アキラ様には嫌われてしまいました(ハハ…)。 どうしてるかな、アキラ様(コメント待ってるぞよ~っ…笑)。

でも思うがまま書いてるだけなんで、私も。
書いたことは別に後悔してません。
ダメなときはダメと書く、ならぬことはならぬのです(どお~も、「八重の桜」 が出てきてしまいます…笑)。

松山クンの演技は、その正直なところを書きますと、100点満点では90点くらいかと思います。
残りの10点は将来性に期待、ということで。

でも今までの彼の出演作、そんなに見たわけではございませんが、そのなかではナンバーワンでしょうね、間違いなく。

投稿: リウ | 2013年1月 9日 (水) 00時48分

 「誰か、私を平安から幕末に連れてってくれ~」というのが、未だに、八重さんに切り替われない私の心境です。龍馬伝が終わった時は龍馬暗殺のショックでさっさと戦国に逃げたのですが。(笑)未だに龍馬伝の最終回の録画を見返していないです。(笑)大泣きしちゃうから。

 それから、やってきた、幕末大河(明治付)ですが。ちょっと心配なのは、ちゃんとしたお話の流れだけど、平易に感じたこと。見やすかった事。「天地人」ぽくならないでね。(笑)これは視聴率をとるには上々でしょうけどね。(笑)まだ、清盛くんの独特の濃い世界から、抜け出てきれない自分には、あちらの水は清いすぎて(笑)重盛の世界と思えばいいのかな。(笑)JINをつい連想してしまうし。

 唐突ですが来週は「とんび」を私は見ます。内野さんが堤さんに負けず劣らぬパパを演じてくれるでしょうから。

 あの「江」の後、大河ドラマのクオリティを復活させただけでも、清盛くんはエライ!

 松ケンくんの演技は私は75点!後半の凄みからしたら、もっと上達するから。(笑)未来に25点残すのは、再登板できる可能性があるから。(笑)だって、複雑な人間をやれる貴重な俳優だもの。(笑)映画でも、飛躍できるでしょうし。

 さて、そろそろ、幕末にお出かけしましょうか。(笑)

投稿: ささ | 2013年1月 9日 (水) 11時18分

ささ様
レス下さり、ありがとうございます。

録画したものをとってらっしゃるんですね。 私の場合はよほどのことがない限り片っ端から消していきますので、たまに 「あの回のあの大河は…」 と言われても、自分のレビューを読み返すしか思い出す術がありません。 「カーネーション」 ですら残してなくて。

「八重の桜」 は、やはり 「ゲゲゲ」 の人だなあ、という感じはいたしますね。
結構平易なんですが、キーワードとか小道具とか、テーマをしのばせるんですよいろいろと。
第1回では、会津の風土に流れる気性を、いろんな出来事にいちいちまぶして描いていた気がします。 だからかもしれないけれど、吉田松陰とか、会津以外の登場人物たちの、考えの柔軟さが浮かび上がってくる。 会津の人々の頑固さが欠点にもなりうる、ということを、これで表現できていた、と思うのです。

「とんび」 は内野サンに堤サンの役やらせたら、ますますくどくなりそうな気がいたします(ハハ…)。
NHKでやってる時も、オート3輪の車体のピカピカさが不自然だったり、あれだけ神経を使っていてもアラが見えていたので、民放の低予算でどこまで時代の空気を作れるか、というのにも注目しています。

松山クンに辛口ですねぇ(笑)。 私のほうが甘すぎるのかな(笑)。

投稿: リウ | 2013年1月 9日 (水) 13時54分

こんにちは。お久しぶりです。1年ぶりぐらいに訪問させていただきました。「平清盛」は昨年のドラマの中で、もっともよかったです。傑作と思っています。文学作品、芸術作品のように思われ、歴史の知識というよりも、読解力があれ
ば理解ができ、楽しめました。全話は、第一回に収まり、最終的に「遊びをせんとや生まれけん」どういうことか、あらゆる回でもそうですが、第1回の舞子の答えに収集してくる。いろんな台詞がぐるぐる回って、複雑にからみあって、何度も見るうちに、ここはこうなって、ああなっていたのか、といろんな発見をすることができました。

私のもっとも好きなシーンは、家盛が死んだ時、宗子さまの乱心「いやじゃいやじゃいやじゃ・・・」清盛に「さわるでないっ!」と叫んだところです。といいますか、宗子さま(和久井映見さん)が好きです・・・。

投稿: 心の文 | 2013年1月 9日 (水) 15時08分

心の文 様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

この大河、いろいろと山があって、そのメリハリがついていた気がしますよね。 平治の乱、鹿ヶ谷、そして頼朝挙兵などなど…。 そのたびに、これから幕末まで続く武士の世の意義を考えたり、権力の魔力とかを考えたりした気がします。

そして最終的にたどり着いたのが、やはり 「他人からどんなに批判的に捉えられてもいい、夢中になって人生を生き切ることが大事なのだ」 という、それこそ舞子がしゃべっていた第1回の話。

和久井サンがいちばん好き、なんですか。 確かに年をとったときの演技がいちばんうまかったのは、和久井サンでしたね。 声だけであそこまで出来るのですから。

今年の大河は、あれほどの緻密な論理で進行はしないと思うのですが、一見簡単そうに見えて、実は奥が深い、という話になりそうな予感がいたします。

投稿: リウ | 2013年1月 9日 (水) 19時41分

今更ながらの再コメです。

第49回の頼朝による鎌倉の都造りに、清盛が
かつての自分の姿を重ね合わせる場面。
他のブログレビューでは、この時点で
清盛は自分を倒す頼朝が武士の世を担う事を
認めたという解釈の意見が多いのですが、
最終回までの清盛の言動や作品全体を
「線」として捉えた場合、ちょっと違うかなぁ。

これは中盤の一度は諦めた
「あやつ(=義朝)が登って来るのを待つ」が
さらに遡れば序盤で忠盛曰くの
「源平が雌雄を決するのは武士が朝廷に対して
 充分な力を持ってからでも遅くは無い」
の実現が嬉しかったのではないかと。
既に源平の優劣は逆転していたとはいえ、
仮にも一度は世の頂にたった清盛に対して、
頼朝はまだ登ってきている最中でしたし。

本作の義朝は政治に全く向いておらず、そんな男が彼なりに清盛の気持ちに応えようとしたのが平治の乱(もっとも総集編では頼朝と清盛の初対面を含めた、この辺りの経緯はカットされましたが)でしたが、清盛はそれをどこまで理解していたか微妙…。
義朝とは対照的に後半に政治的才覚を開花させた清盛はそれが故に義朝も自分と同じやり方、同じルートで登ってくるものと決め付けてしまった節があります。頼朝越しに亡き義朝に語る場面でも「あの無益な戦を起した事を悔やめ」と言ってましたし。

しかし後半の頼朝「父が東国武士を束ねてくれたおかげで名だたる武将が私の元に集まってくれる」という台詞。義朝の遺産が形を成し源氏は源氏のやり方で平家と対等の場所に迫ってきた事を清盛はあの場面で理解したように思えました。
まあ義朝存命時に頼朝的行動を起しても朝敵扱いがオチなので種が芽を出し大樹となるには時間が必要といった感じでしょうか。

この辺り、リウ様やささ様の御意見も聞いてみたいです。

投稿: 巨炎 | 2013年1月15日 (火) 16時17分

巨炎様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

49回は病室のベッドで見てたので大したお答えが出来るかどうか、ちょっとばかり不安ですが。

>自分を倒す頼朝が武士の世を担う事を認めた
という解釈が多いんですか。

どうなのかなぁ…。 そうとも言えるけど。

どちらかというと、見ていて清盛の寂しさみたいなものを感じたのですが、彼はまだ屈服まではしてないと思います。

認めるまでには至らないけれども、新しい時代の息吹をそこに感じ、かつての盟友との昔を懐かしんでいる。 自分が若々しかったころの情熱を思い出している。 そして自分にはなかった斬新な頼朝の配下統率形態に思いを馳せている。

自分になかったものを認識したからこそ、あらためて平家のよい点を再確認できたのではないか、と感じますね。 「平家は一蓮托生」 と。

巨炎様が頼朝のやり方を 「義朝時代にやっていたらそれこそ朝的扱い」 とおっしゃられているのはまさにその通りだと思います。
だからこそここで、朝廷の力が減退していることが読み取れる。
清盛が後白河に 「最後の双六遊び」 を提案したのも、「時代は移り変わりつつある」 ということを作者なりに表現したのだ、とつらつら感じます。

だから最終回での、頼朝と後白河の双六遊びが、意味をなしてくる。 もはや時代は移り変わり、朝廷は幕府の敵にもならない。 そもそも動いているフィールドが違う。 だからゲームになんかならない。
ここでは同時に、朝廷にこだわらざるを得なかった清盛のネガティヴポイントもあぶり出している気がするのです。

こんなところですがいかがでしょうか。 私も寝っころんで見てたので(笑)自信はありませんがcoldsweats01

投稿: リウ | 2013年1月17日 (木) 13時14分

懐かしいところに帰ってきました。❤こっちはらぶりーだわ。

清盛って、権力者に上り詰めながら、若いうちは義朝、兎丸、他いろいろとしのぎをけずる仲間がいたわけですよね。頼朝への気持は、小兎丸への気持とにてるかもしれない。旧友の愛し子に対する、気持ち。権力者になって、清盛は傍目にはダークになっていったけど、気のいい兄ちゃんだったですね。本作の本質では。(笑)ついでに、後白河と清盛がゲームしていたのであって、武士の世を完成させちゃった、頼朝じゃ、相手が違う。もう、朝廷からちょっかいかけられたり機嫌をとったりする世じゃなくなった!(鎌倉に頼朝が実権を移したし(笑))頼朝くんはパパの失敗からか、若いころの朝廷づとめがすっごく嫌だったからか、ゴッシーには寄りつかなかった!ゴッシーに利用された義経の事もあったかもね。

 でも清盛は、とにかくゴッシーともゲーム遊びに付き合ってくれた。最後まで。清盛の後半生のここでは戦友なのかも。清盛の時代があったから、清盛がゴッシーと双六遊びをしながら、武士の既得権を確保して、地位をあげてきたから、頼朝の鎌倉幕府が存在する、そんなお話でした。頼朝は義経くらいしか、もう犠牲にせずにすむっていう(笑)双六遊びの時義経の事で苦情でも言ったら、ゴッシーも楽しかっただろうけど、きれいなお顔でつつがなくそつなくお相手しただろうから、ゴッシー興ざめしたかもね。(笑)鎌倉殿はパパや清盛とちがって、冷血になれるから。(笑)

 清盛は福原の都に残り、商人になっていく小兎丸には夢をうけつぐ者として感謝したと思います。実際感謝していたし。それは、兎丸への感謝だとも思うのです。

 頼朝が清盛から受け継いだのではなくて、清盛が彼に託したのではなくて、平家と雌雄を決して、頼朝の武士の世を鎌倉に作った事、それが、清盛にとっての、亡き友の子に親しみを感じる動機だと思います。友が、「源氏は再興する」と言った死ぬ前にした約束を果たして、平家を武士らしく叩き潰して、覇者となった頼朝が、自分の目指した武士の世を造っていく。最終回はそれを認めるというより、「やってみろ」という感じだと思います。なにせ、「お前の首をとらせる」でしたか、霊界から、トリップしておどして?ましたね。「そうはまいりませぬ」平家と源氏の棟梁はいつまでも切磋琢磨な関係でいたいのじゃないでしょうか。

 晩年、天が見放した平家、でもそこには一蓮托生で自分を慕ってついてきた一族、彼等に自分の夢を受け継ぐ事はできなかった。でもそれも、横へ横へと時代を紡いできた清盛の成果。二人の友の子が清盛の夢を引き継いだのは、清盛が彼等を認めたのではなくて、時代が、天が、清盛の生き方を認めたからだと私はこのドラマを解釈しています。もののけの子と厭われた子供にとって、清盛という人生は最後は平家という愛情の中に帰る、壮大な?ドラマでしたね。(笑)竜宮城がでてきたし。兎丸は多分海賊王になっているのだろうし。(笑)支離滅裂になっちゃった(笑)

 正直むつかしくて、リウ様たちのようには、思考をつむげないです。ちょっと平安から、遠のいてしまいましたかね。(笑)

 

投稿: ささ | 2013年1月18日 (金) 12時17分

追伸、このドラマの清盛や頼朝って、権力を握っていくにつれ、何事も自分に都合よく解釈していくようになってましたね。清盛は先に死んだ人達の想いを受け継いでとか、(どう考えても、自己美化だろう?)平治の乱を起こした義朝に「俺が昇るまで待ってろ」とか。差がつく一方なのに、待ってられるかよ!(笑)だし、頼朝は清盛の改革あっての武士の世とか言っちゃうし。義経を殺すのも、武士の世への礎ってことだし。権力者って、それくらいの楽観御都合主義じゃなきゃ、やってけないのかもしれません。古今東西(笑)それと、彼等は本質的には、いい人なのです。やっぱりNHK大河だわ。(笑)ただ、今回はダークな面も隠さず表にだして、描いた、そこが視聴率的にまずかったかもしれませんね。面白かったけど。(笑)

投稿: ささ | 2013年1月18日 (金) 21時14分

ささ様
あ~やっぱり、ささ様は 「八重」 にハマってない…(爆)。
こっちのコメントでは水を得た魚のよーではないですか(ハハ…)。
やはり主人公が女性なのがダメなのだ(決めつけてる)。
ささ様は福山竜馬とか中村梅之助とか平幹二朗に萌えるんだ(でしょ?…笑)。
「篤姫」 だって途中リタイアだし(ささ様の視聴傾向をなんとなくだけど把握してる…笑)。

権力者になると都合がよくなる、というのは言い得て妙です。
実際そ~ゆ~お話でした、この大河は(笑)。
それを双六遊びとかにかこつけて高尚にして…(爆)。

やーとのことで休日がやってまいりましたので、今日はいったん寝たらドラマ三昧しようかと思います。

今週は大雪で高速が完全にストップした影響で、仕事にも多大な支障が出て、丸2日(いや1日半…笑)寝てないとか、病み上がりに勘弁してくれ~の1週間でした。
また腰が痛くなってきて、ちょっと、いや、かなり?ヤバいのではないか?などと感じています。
かと言って仕事やめたら生活できないし。

まあくよくよ考えずに張り切ってまいりましょーhappy02

投稿: リウ | 2013年1月19日 (土) 06時30分

はーい、まだ、八重さんにははまってません。(笑)

八重さんで、一番ときめいたというか、心が動いたのは梅之助さんが会津の前藩主でお出になった時です。「蔵六先生じゃん!」(笑)たった一度だろうけど、めっちゃ、私の中で八重さんのグレードが上がりました。(笑)ちなみに、第2回には予想どおりお出にならなかったので、かなり気持がしぼんでしまいました。(笑)

 以前は女性が主役の大河も好きでした。花神だって、梅之助さんが主人公だけど、朝丘ルリ子さんのお稲さんがお話をひっぱってたりしてましたけど。女太閤記とか、春日局とか、利家とまつとか、山内一豊の妻の話とか。でもこの頃頻繁なのが、食傷気味です。なにも、男と女交互って感じでやらなくても。(笑)江ちゃんなんて、それで、お粗末になって、樹理ちゃんが可哀想な事になった側面がある気がします。八重ちゃんにはそうならないように願ってます。お稲さんは美人だったな~

 まあ、武骨な大河が、重たくて、女性主役の大河を生み出した歴史があるし、佐久間さんの女太閤記には、夢中になったけど。後、三田さんの「命」も好きでした。橋田せんせーはセリフの膨大さも凄いけど、人間を描く力も凄い!

 やっぱり、篤姫あたりから、女性大河に飽きてしまったですね。(笑)篤姫の原作は好きなんですが。

 八重さんにははまらないだろうけど、まだ、視聴続けられそう。江だって、一年ほとんど見たし(笑)ぼちぼち、幕末にタイムシフトします。追いついたら明治だったりしてね。(笑)

 

投稿: ささ | 2013年1月19日 (土) 11時53分

ささ様
レス下さり、ありがとうございます。

梅之助サン、あれだけしっかりした演技が出来るのだから、もっと出てほしいですよネ!
蔵六、と聞くと、私も懐かしさがこみ上げる気がいたします。
まあもっとも、当時の私には難しすぎて、「花神」 以降の大河には食指が伸びることなく、「山河燃ゆ」 まで待たねばならなかったのですが。

私が好きだった明治時代の大河は、「春の波濤」 ですね。 特にテーマ曲が5拍子なのがマニアックで(どこに惹かれてたのか…笑)。 オッペケペッポーペッポッポーとか。 と、これは川上音二郎、中村雅俊サンでしたが、主役は松坂慶子サン。 当時は 「蒲田行進曲」 とかもあり、松坂サンの演技がヘタクソだとは到底思ってなかったんですが、なんだろーなー、ここんとこ演技がワンパターン、というか。

「いのち」 は私もハマったほうです。 現代劇があれだけ、というのも、完全なるフィクションというのがあれだけ(「三姉妹」 とかもフィクションかなァ?)、というのも孤高ですよね。 別にノンフィクションにこだわる必要はないんですよね。

投稿: リウ | 2013年1月19日 (土) 20時31分

「春の波濤」懐かしい。松坂さんは多分、今の方が演技はお上手だと思います。篤姫の御付きの方とか。昔はお色気というか、妖艶さで魅了してました。貞奴はぴったりでしたけど、私は音二郎さんの方が好きだったから(笑)

 最近、体型が豊満になられたせいか、ママ役が板についておられるからか、少し物足りなくはあります。エリザベス・テーラーのように、なってほしかったのですが。(笑)

 大河って、別に、歴史上の人物のドキュメンタリーでなくていいんですよ。(笑)史実にこだわりすぎ。(笑)史実は、時を経ると変わったりするし。私は歴史の事実よりドラマを見たい派です。だからといって、江ちゃんは???ですけど。あれは、ドラマとしてまず?ですね。いっそ、「淀、戦国の姫たち」にしてほしかった。国民的子役も淀に使ったんだし。(笑)あの大河は兄ちゃんは粗略にあつかってはいけないという教訓を残しました(笑)

 明日、八重さんですね。とんびもあるので。日曜日、充実すぎ。塚原卜伝が地上波でやるそうです。江ちゃんの頃のドラマですね。堺さんが、かっこいい!と同時に、懐かしいと思う自分がいます。複雑。(笑)

 

投稿: ささ | 2013年1月19日 (土) 23時23分

ささ様
再レス下さり、ありがとうございます。

雅俊サン、「われら青春!」 だったかな(似たようなタイトル多いので記憶があやふや…)で登場してからずーっとファンですね、私も。

特に 「俺たちの旅」 のころは最高に好きで、あのドラマを見たから私はまともな就職が出来なくなった、というくらいドラマにハマりました。 普通の会社勤めを拒絶するドラマでしたからね、あれは。

当時私は小6でしたが、それくらいの年代が、いちばん精神的素養が出来上がる時期ですからね。 当時やはり私がハマったのが(小5からですが)ビートルズで、これもやはり一生もので付き合っていますし。

「俺たちの勲章」 も、優作サンとのコンビは、当時最強だ、と信じていました。 「いつか街で会ったなら」「ただお前がいい」「盆帰り」、これらの歌は今でも私の魂の歌ですね。

松坂慶子サンは、やはりなんと言っても 「水中花」 でしょうね。 ドラマを見ながらかなりドギマギしました。 これも半分ワケ分からずに見ていました。 バニー姿目当てで(笑)。

こういう、俳優さんへの思い入れを考えるとき、「江」 の上野樹里チャンとか、あまりに醒めて見ている自分にびっくりします。 やはり若い頃に見たものには傾倒の度合いも激しいんでしょうね。 だから今の若い人が松山ケンイチクンに傾倒するのも分かる気がします。

投稿: リウ | 2013年1月20日 (日) 02時16分

 雅俊さんは、「われら青春」ででてきてから、とっても人気があって。(笑)花神でも高杉だったはずなんですが、おじさま好きの私には、高杉な雅俊さんはまったく、記憶にございません。重要な役だったはずですが。蔵六さんだけ❤でした。今と違って、昔は、イケメンにミーハーではありませんでした。この頃はルックスの良さも才能と思える寛容な自分がいます。(ただし、努力してない人はキライ)

 松ケンくんはコアな人気がある人だと思います。それに、彼は逸材。今より、10年後、20年後。

 いつか、世界をあっと言わせてほしい俳優さんです。器用な役者に収まってほしくないですね。今応援している人たちが、数年後、清盛を応援した事を誇れるスターになっていただきたいものです。(笑)私としては、かなりがんばった賛辞です。(笑)樹理ちゃんは、きっと、彼女のユニークさが無理なく作品に反映される時がいつかやってくると思います。

 もう日曜日。忙しい一日が始まります。(笑)

投稿: ささ | 2013年1月20日 (日) 08時32分

>ささ様は 「八重」 にハマってない…(爆)。
「平清盛」のように、尖がってないからでは?
私も悪くは無いと思いますし、始ったばかりでなので何とも言えませんがツボにはまる程の牽引力もないでしょうか。吉田松陰が「何かを為す時、人は皆、狂気」と言いましたが、その狂気を密航場面で画面越しに描かないと。

「平清盛」は暗いだの何だの言われましたが
二話で退場は勿体無さ過ぎるタフマン白河院、
寝取られ男の鳥羽院やナイスガイの忠盛オヤジと
主役が頭角を現す以前にも確かにパワーがあった。
蔵六先生の回想カットでの登場も大河ファンへの
サービスですが白河院とは本質的に異なるし。

八重を無理に歴史の有名人に絡めてドラマとして
破綻しないのは良いのですが、それだけに会津の人達との関わりで、どれだけ魅せられるかでしょうか。彼女が時代の一翼を担うのは、むしろ明治になってからな訳で…。
「カーネーション」は善作と糸子の壮絶バトルで最初に視聴者を引き込みましたが、善作の亡くなった後、糸子の後半生にまで多大な影響を及ぼしましたがさて。

投稿: 巨炎 | 2013年1月20日 (日) 21時05分

多分、毛色の違った大河が私は好きってことなんだと思います。(笑)王道は苦手。だから、忠臣蔵とかは、ときめかないです。主役も原田甲斐で平幹二郎さんが好みですから。梅之助の蔵六先生とか。ハンサムなのでは風と雲と虹と!でも加藤剛で、平将門!清盛だって、私にとっては普通の大河だもの。

 八重さんのオープニングタイトルの時、綾瀬さんがドレス姿で水にぬれてるのは、どういう狙いなんでしょうか。サービス?そこは斬新ですが、獅子の時代のエレキギターのロックな旋律には斬新さで負ける。などと考えるから、いけないのかも。

 黄金の日々。堺の商人にわくわくしました。

 でも、八重さん、第3話もちゃんと見ましたよ。とっても、見やすい大河です。サブタイトルに沿って丁寧にお話しが展開してます。

 アガサ・クリスティの推理小説を読んでる時のような気分になります。私は彼女の小説は好きなんですが、時々読む途中でずるしたくなるんですよ。そこで、巻末の解説やらを先に読む。まどろっこしくなってくると、最後の章も読んじゃう。(笑)八重さんを見るにあたっても、ポアロならぬ、リウ様のレビューで解説してもらって、録画か再放送で見直した方がいいかもと、ずるしたくなる欲求と格闘しております。(笑)

 でも、素敵な大河ではあるんですよ。とっても。今日は西島さんの上半身ヌードのサービス特典付きでしたし。(かなり、黄色い声がお茶の間であがったと思います。「脱いだら凄いんです。」でした。)覚馬兄ちゃん、熱血、頑固!ほとんど綾瀬さんとW主役!しかし、未来の夫と木上りで遭遇するのは、まんま「おはなはん」だと思うのは私だけでしょうか。いいのか、本命は新島襄だから。(笑)

 

 

投稿: ささ | 2013年1月21日 (月) 00時13分

ささ様
またのレス下さり、ありがとうございます。

ど~も年寄りになったせいか、昔話になるとがぜん元気が出てまいりましてcoldsweats01

前にもお話したような気がするのですが、私は高杉と言えば雅俊サン、という時期が非常に長くて(笑)。
映画 [幕末青春グラフィティ 坂本龍馬」 でタクローサンが高杉をやるまで孤高でした(笑)。 拓郎サン、当時の髪形そのままカーリーヘアで高杉やりやがって(爆)、それからというものの、高杉と言えばカーリーヘア(ウソです…笑)。

松山クンは、なんか次になにをやらかすのか分からない、という危険な香りがします。
でもたいてい、大河をやったあとって、大河のイメージを刷新したいと考えるようで、妻夫木クンは金髪の犯罪者だったかな、宮崎あおいチャンも 「メリケンサック」 だし。 福山サンはあれからドラマやってない? 樹里チャンは、コマーシャル以外やってないんじゃ?

それにしてもホント、福山サン以外は、若いのばっかだなー。 大河の主役。

勘九郎サン(当時勘三郎)の 「忠臣蔵」(「元禄繚乱」)は、それまでの 「忠臣蔵」 と切り口が違ってよかったですよ~。

綾瀬はるかチャンが水をバサーッとやるのは、男としては萌えます(笑)。 意味なくてもいいです(笑)。 「ラックス、スーパーリッチ」 とかナレーションがつきそーな感じですけど(笑)。

坂本龍一サンのオープニングテーマは、なんかインパクトがないっス。
でも私、歴代の大河ドラマのCDを持ってるのですが(「秀吉」 まで)、このテーマ曲は、初期のテーマ曲の印象の薄さと、なんかダブるんですよ。 「赤穂浪士」 なんかはインパクトありまくりですけどね。

土曜日調子に乗って4件もドラマレビューをしてしまったのですが、実はまだ半分くらいしかこなしてなくて。 「アテルイ伝」 も 「最高の離婚」 も、ぜ~んぜん見てない(笑)。 「とんび」 も見なくちゃだし、今週 「八重の桜」 に辿り着くのは、いったいいつになるのやら?

投稿: リウ | 2013年1月21日 (月) 06時40分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

なんというか、今年の大河ドラマは、「何か仕掛けてやろう」 という、ギラギラしたものがない気がします。 「龍馬伝」 での弥太郎とか、「清盛」 での 「王家」 とか。 って、巨炎様のおっしゃっている、「尖ってない」 と同じことか!(爆)。

裏を返せば、大衆受けするタイプのドラマだと思いますよ。
もっと暴れてもいいんじゃないか、というのはドラマに刺激を求めるタイプで(笑)。
王道で攻めてくるのなら、こちらもそう身構えるしかなくなります。 「ゲゲゲ」 にしたって、そんなに冒険をしているドラマではなかったし。

「平清盛」 を見ていていちばんイライラしたのは、誰が誰のことを言ってるのか分かんなくなった時。 頭の悪い私みたいな人間をのけものにしよーとしている、とさえ感じました(冗談です)。
ただ、私どもにはネットという強~い武器がありますから、何か疑問に思えばたちどころにして調べることもできますが、テレビを見る以外に情報に触れられないひとは、やはり 「清盛」 みたいな難しいドラマは、イライラしながら終わっちゃう。

なんにしても私にとってご当地大河ですから、採点が甘くなってしまうのはご勘弁のほどをcatface

投稿: リウ | 2013年1月21日 (月) 07時03分

お久しぶりでーす!懐かしい、大河の竜宮城に帰ってきました。だって、巨炎様がNHKが平清盛の有料配信をやめちゃったとお知らせ下さったから。まあ、私は利用した事はございませんので、えらそーな事を言える立場じゃないですけど、江ちゃんは残して、清盛だけ早々に?って、清盛が可哀想じゃありませんか?(笑)

黒田官兵衛よりは、深くて、突っ込めて、面白い。超美形の頼朝が拙いナレーションをしてる特典付き。北条政子に生け捕りにされた頼朝など、まさに鎌倉幕府を象徴する場面もあって。(笑)

しかも和歌や今様など、いにしえからの日本文化に親しむ事もできます。講師にはイケメン法師の西行がいます。盛ちゃんずの遊びの森と、天皇、親王、法皇、上皇の双六遊び。いっぱい覚えて!(笑)朝ちゃんもいっぱい!
王宮で展開される、情熱的メロドラマも楽しめます。(笑)

「宿命の対決」良かった!泣いた!心がざわついた。友でありライバルだった義朝を失った清盛の姿に泣けました!

「前夜の決断」「叔父を斬る」海賊王に俺はなる〜!なんて言ってられない苦しい痛みがあります。

などなどお勧めはいっぱい。低視聴率の裏で、めっちゃ内容の濃い人間ドラマが。生きるべきか死ぬべきか。忌み子として生まれたもののけちゃんの哀しみが深〜く進行し、最後は崩壊して行く。
こんなに黒田官兵衛ではコメントできないし〜!

懐かしいです。NHKが清盛を不遇にするなら、私達のHDDに、ずっと残して刻みつけたらいいのでしょうね。松山ケンイチくんの青春の演技の輝きとして。

投稿: ささ | 2014年7月 6日 (日) 10時32分

ささ様
ハイテンションで返信3つして、こちらの返信にもお答えしようとしてあらためて、この記事を読んだ途端眠気に襲われて…(笑)…寝ているあいだに 「軍師官兵衛」 のほうにまたまたご返信いただいたようで…(笑)。

ともあれ、コメント下さりありがとうございます。

それにしてもなんなんスか、ここの濃密さ(笑)。

読んでてキョーレツな眠気に襲われるくらい、みんながなにを語りあってるのかが分からなかった(自分も含め…爆)。

要するにですよ、この 「平清盛」 という大河ドラマはですね。

「そこの時代だけでなく、武士が台頭して、消えていった、そこまでの長いスパンを包容して描いている」、ということなんだと思うんですよ。

もちろん、「権力を持った者が陥る闇」、という普遍的なテーマも包容して描いている。

自民党が選挙に勝ちすぎて権力を持ちすぎるとどーなるか、ということまでひっくるめて。

こんな、壮大に俯瞰的視点で描かれた大河というのは、他に例がない。

「独眼竜政宗」 の手法でさえ、ミニマムな視点に思えてくる。 「武士とはいかなるものか、政宗が犯した罪とはどのようなものか」、という視点を外していない、という 「だけのことくらい」、みたいな。
それ(「独眼竜政宗」 の視点)は 「軍師官兵衛」 を含む大多数の大河ドラマが足元にも及ばない真摯な視点ではあるのだけれど、「平清盛」 のマキシマムな視点には及ばない。

このハチャメチャな暴れ馬のようなドラマで、やはり主演の松山ケンイチクンは、清盛が歳を取っていくという流れの中で、いったん振り落とされていた、と私はあらためて思い起こすのです。

しかし彼は、最後までなんとか踏ん張った。

翌年の 「八重の桜」。

いま思い起こしてみると、ここの欄で私が 「なんか印象が薄い」 と言及していた、坂本龍一サンのテーマ曲は、かなり秀逸なうちのひとつであった、と訂正しなければなりません。

と同時に、思い起こされるのは、なんと言っても鶴ヶ城の落城に至るまでの 「日常が瓦解し、自分の世界が崩壊していった過程」 に、このドラマの真骨頂はあった、ということです。

よーするに、新島襄との話に移行する第二部は、もうなんか、オマケ。 2、3週でやめときゃよかった気もします。

面白いもんです。

こうやって振り返ると、当時思っていたことと違うことが導き出されてきます。

でも微動だにしないのは、「江」 はつくづくダメなドラマだった、ということでしょうかね(爆…)。

投稿: リウ | 2014年7月 7日 (月) 10時35分

GW中に40年前の「新・平家物語」DVDで観ましたので、
ちょっと「平清盛」との比較を書いてみます。

>「歴史に登場したのが早すぎた男」 としての悲劇
これ既に「新・平家」で言われてますね(笑。
下記サイト画像の福原を放棄する場面。
http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/EIGA/kamakura.html
何と藤田まこと。他にもオリキャラで一門に使える役に緒形拳。
山崎努は時忠役で一門ナンバー2の存在感。
うーん、確かに役者のパワーが違います。一方で
当時の民放時代劇と比べてもセットがショボイ事が多々。
あの頃の大河って限られた予算の中で様式美を
追及する系譜ですね。歌舞伎出身の俳優さんも多いし。

「清盛」との相違点でいえば御落胤説は「新・平家」からですが生前の白河院との面識は無。主役にミステリアス感を出すためと出生に悩む事を青年期の成長の糧とするためで仲代サンが演じる頃には全くブレない。「清盛」の場合は白河院の存在は後半生にこそ大きな意味があったので清盛個人のドラマとしては「清盛」の方が終盤、盛り上がりましたね。「新・平家」は主役はラスト1月を残した亡くなったらしいです。
母親を白拍子と設定したのも仏を射殺しそうになる場面に向けての伏線でしたが「新・平家」での母親は何と聖子ちゃんが演じた祇園女御(笑。忠盛への拝領妻扱いでしたがビンボー暮らしが嫌で清盛とも喧嘩して宮廷に帰ってしまう。

後は勿論、義朝との親友関係。
「清盛」では友の妻である常盤は(多分)「母親の覚悟」を試すために押し倒した訳ですが「新・平家」では「カーネ」の周防編みたいなもので時忠も時子も苦労させられました。
で、最後の大往生も仲代・清盛が原典ですが「頼朝の首をそなえよ!」とは言わない。これは平家を悲劇の一族として頼朝の「恩を仇で返した男」的側面を強調する狙いだったようです。

投稿: 巨炎 | 2015年5月 4日 (月) 21時49分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「大河史上ナンバーワン」 とか申しておきながら、少々記憶の彼方に行きつつある 「平清盛」 ですが、いちばんのネックは人物名と顔、行動が急に言われてにわかに一致しないところでしょうか(なんとか思い出しましたが…笑)。

「新平家」 では主役がオーラスひと月で死んでしまったとのこと、やはり平清盛の人生だけでは、物語的に収束できない、というのはありますね。 平清盛を主役、というより、平家の滅亡までのドラマのほうが、収まりがいいですから。 日本人はどうしても、「滅びの美学」 というものを優先的に表現したくなってしまうんですよね。 となると、清盛が死ぬまでは平家はまだ権力の均衡を保っていたわけですから、そこで終わっても面白くもなんともない。

清盛の存在意義を考えた場合、「早すぎた男」 としてとらえると、その悲劇性とヒロイズムが強調できる。 破壊しながら変革していく人物の孤高も。

その現代的な解釈のひとつの結論として、「平清盛」 という大河ドラマは歴史論的な立場を取らざるを得なかったし、それが難解さを呼び、それが作品の質をより高めた、とも言える気がします。

歴史論的な立場から対極にあるのが、今年のホームドラマ大河 「花燃ゆ」、でしょうか。
しかし今年の近視眼的な大河に意義がない、とは私は思いません。 私たちが家庭でテレビのニュースを見ながら、ネットを見ながら触れているのは、歴史の一部だから。

そして誰も、いま流れているニュースを俯瞰的な目で見ることが出来ない。 それは当然なことです。 巨大すぎる宇宙を俯瞰するよりも、気になるのは自分の明日の生活であり人間関係であるから。

その流れに抗う人間がいたとしたら、それはもしかすると、自分たちの目先の不満の代弁者であり、変革者なのかもしれない。

歴史を俯瞰していかないと、その人の評価というものは、定まらないものだ、と思うのです。
でも始まりの一滴は、庶民の目から見た 「近視眼的な」 評価です。

なにを書いてんだか分かんなくなってきました(笑)。 要するに、「花燃ゆ」 も立派に、平凡な女性である杉文(でもないですが)から見た歴史、という意義を有している、と思われるのです。

投稿: リウ | 2015年5月 5日 (火) 09時14分

竜宮城に戻ってしまいました。
まず、清盛の剣が海から出て来たのは、竜宮城では無用になったからでーす。(笑)
清盛が、鱸の盛国に連れられて、家族の待つ竜宮城に行けたのは、闇に落ちていくゴッシーと違って、ひとえに、彼が、復讐と野心と権力欲で悪行を重ねても、家族だけは大事にしてきたからだと、今日思いつきました。平家は一蓮托生。故に、時子と築き挙げた家族が彼を待って迎えてくれたのだろうと思い返していました。
花燃ゆ、どうして、つまらないんでしょうね。(笑)同じく家族をだいじにしているんですけど。(笑)

投稿: ささ | 2015年11月 1日 (日) 14時39分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 旅行で、返信が遅れました。 そのあと 「花燃ゆ」 を見まくり、ようやく追い付きましてございます(笑)。

「花燃ゆ」、小松サンになってから、なかなかよろしいではございませんか。 まあすべて2倍速で見てるせいもありましょうが(爆)。

私が小松サンの脚本になってから感じたのは…コレ、レビューしようかな~(未定)。

「平清盛」 の優れたところは、一蓮托生の長所と短所を、同時に描いていたところでもあったように思いますね。 黄泉の世界、というものに対して近年の私はどうも懐疑主義的になることが多いのですが、死後の世界も魂というものはちゃんと思考し、生前と同じような能力を保っていられると仮定しなければ、人間というものは生きている価値をなかなか見いだせないものなのか、という思いをもってしてこの海中でのシーンを思い返しても、観賞に耐えうるものになっているところは、まさしく秀逸、というべきほかはございません。

投稿: リウ | 2015年11月 3日 (火) 05時03分

来週は二人の夜ですよ。不倫の匂いが。(笑)姉ちゃんは、東京の病院送りにしたし。(笑)
初恋の君(このドラマでの設定)と二人の夜ですか。(笑)
その前に県令殿には寿姉ちゃんと二人の夜をしっとり過ごしてほしいものです。(笑)
清盛は時子一途。時子が紫の君だったんですから。仏御前はママ上代わりだったし。
考えたら、天皇家も、平家も、源氏も家族大事にしてて常に一族の危機と戦っているわけで、そこに愛欲と権力と陰謀も混じってる究極のホームドラマでしたね。(笑)ホームドラマって視聴率取れないんだわ(笑)

投稿: ささ | 2015年11月 3日 (火) 07時37分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

そりゃまあ美和と楫取はずるずるべったりなんですが(笑)あれを不倫、と見てしまうといけないんですね(笑)。

まあ、ヤフー感想欄でも美和が楫取にすがって泣いてしまうところは非難轟々でしたし、そう見てしまうのが普通なんでしょう。

四面楚歌になりそうなので新たな記事のアップは諦めます(笑)。

投稿: リウ | 2015年11月 3日 (火) 08時25分

昔は姉の死後妹が後妻になるのはままあることでしたよね。結婚が個人同士というより、家と家の結び付きでしたから。実は美和さんも結婚は久坂とだけで、カトリさんの嫁になるのは実母から勧められた時一度断っているらしいです。つまり、初恋の君!ってわけじゃない。(笑)
リウ様の、四面楚歌になりそうなレビュー、是非拝読したいものです。(笑)

投稿: ささ | 2015年11月 3日 (火) 16時50分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

けしかけないでくださいまし(爆)。 私も、初恋の人とかいう設定自体が間違っとるというのは同じでございます。 なにしろ史実はあんなハゲのオッサンとけっして美人とは言えないカップルですからね(そこはフィクションだからいいのだ)(不適切な発言のあったことをお詫びいたします…)。

そしてやはり、美和が主人公然せざるを得ない事情というものも鑑みて、そのうえで感じたことですから。

すなわち、美和にとっては萩の乱なんかも、遠い場所での出来事になっちゃってるんですよ。 だから前原の細かい動静などは物語上省いてしまっている。 だから私は、萩の乱が描写されなさすぎ、とは思いませんでした。

明治期に移行してからの 「花燃ゆ」 は、「世の中の体制が急激に変わったとき、人々はどう考え行動していくのか」、ということを主眼として展開しているように思います。

ちょっと興味深かったのは、「篤姫」 の場合、江戸城を明け渡すわけですから、江戸から明治、というのはかなりアグレッシヴな変化の渦中にいるわけです。 それが、山口のお城では、とても緩やかに終息していく。 毛利の百恵チャンの息子も、急にやめさせられたわけじゃない。 ここらへんの緩やかな変化の中で銀姫などがどのように時代の変化を受け入れていくのか、という過程がとても面白かった。

そして美和も、「しょうがないから」 まず杉家に帰るわけです(笑)。 そこから楫取夫妻のいる二条窪に行って百姓の手伝いをするのも、群馬に行くのも、もうなんか、すべてが 「成り行き任せ」(笑)。 これを作り手は 「大河の主人公だから主体的に動かさなければ仕方ない」 みたいな感覚でごたいそうな理由をつけてるけれども、美和がお城勤めを終えてからの生き方というのは、みんな 「しかるべき場所に流れていく」、という感覚だ、と思うんですよ。

そして 「時代の変化」 というものにまともにぶつかってしまったのが、士族たちです。

前原にしろ、文之進にしろ、自分たちの 「武士」 としての誇りや存在意義と向き合っているからこそ、それに殉せざるを得ないのです。

その、彼らの精神的支柱にいるのが吉田松陰である、というのが、また皮肉だ。

彼らが刃を向けた新政府の中核にいる木戸の心にも、吉田松陰が棲んでいるからです。

かたや、群馬の人々はどうでしょう。

そりゃ、かなり誤解をされるような描写になってますよ。 群馬県人は教育なんか無駄だと思ってるとか。

でも私は、江戸時代が明治にかわっても、「なんか商人にいい風が吹いてきた」 くらいの感覚でしか、世の中の変化を見ていない、その落差に注目するのです。

つまり、庶民にとっては時代の体制がどう変わろうが、今、そして明日をどうするかが最も重要なのだ、ということです。

私が最も注目するのは、その時代の変化の中で、その思想的範疇を担ってきた杉家が、まるで川の流れのわだかまりのように、悲しみに覆い尽くされていく様子です。

その最も象徴的なのは母の滝なのですが、敏が死に、小太郎が死に、文之進まで死んでいくそのなかで、滝は号泣し続けます。 あの、「暖簾に腕押し」 みたいなケセラセラな母上がですよ。

しかしですね、その滝が 「美和の悲しみは、誰が受け止めてくれるだろう」 という流れでもって、美和を楫取の胸で号泣させてしまったのは、ちょっとお膳立てが弱かったですね。 それでなくとも病気の寿を差し置いて 「どっちが夫婦だよ」 みたいな展開をしてたから、見ているほうはもう、完全に 「不倫だァ~不倫だァ~」 となってしまうわけですよ。

ただ、今週放送分まで見た感想としては、「それはそれとして」(笑)、「いろんな欠点はまだ散見するけど」(笑)、小松サンになってから大河としての体裁がようやく整った、と私は感じたのです。

しかしそうなってみると、いったいこれまでの 「大島・宮村・金子」 体制はいったい何だったんじゃ、ということですよね。 だいたい美和が山口の大奥に入った動機、「久坂を死に追いやった原因を突き止める」 とか何とか、完全に忘却の彼方、ですから(爆)。 もう小松以前はなかったものでいいんじゃないか、という(爆)。

さてさて、記事にすると四面楚歌になりそうだったので、誰~も読まないコメント欄で、ひっそりと書いてしまいました(笑)。

投稿: リウ | 2015年11月 4日 (水) 07時56分

はげと不美人の再婚。二人の夜は禿山の一夜なんですね。
小松先生担ってやっと大河。だったら最初から小松先生で良かったんじゃあ。(笑)ただし、哲学的というか、松陰先生や玉木文乃進の哲学的な初回は小松先生からは遠いでしょうね。多分松陰先生の描写が小松先生的には、お嫌だったのでは(笑)
木戸の心にも松陰先生はいたけどと言っても、他の大河やドラマでは描かれてきたけど、今回二人は接点なし。(笑)だから今回木戸さんは松陰先生の事で苦しんでいるようには全く見えませんね。(笑)西郷さんの方が親しいくらい。萩の乱の鎮圧も松陰先生との関わりがごっそり抜けてるから、自分の地元で内乱なんぞって感じだし。(笑)東山くんが鎮痛なのが、何故なのか、リウ様のような親切な見方をしてあげないとわからない話になってます。
だいたい、もう県庁が前橋にあるし。カトリーは高崎じゃなく前橋を県庁にして高崎の人からよく思われていないって言われておりますが、スルーでしたね。(笑)
でも群馬編は悪沢夫婦のおかげもあって、しまっています。世界遺産も登場させる事出来たし!このあたり、小松先生、抜かりがない。(笑)
いつの時代も時代に取り残される人はいるものです。武家社会だって、清盛の頃からずっと続いたんで、路頭に迷う人は大勢いたでしょ。(笑)地方公務員の大量解職ですから。(笑)でも、未だに華族、士族と昔の家柄を大事にしている人もいますよね。ちなみに私の旦那の家は士族だったらしく、旦那の祖母から、「うちは士族ですから、安心して嫁に来てくれ」と私は言われたんですよ。(笑)花屋の息子で農家をしていた父の子供である立派な平民の私には、!な出来事でしたね。
美和の悲しみは誰が受け止めてくれるのだろう。本来喜び悲しみを分け合うのは家族ですから、美和さんも兄夫婦や老いた実母に悲しみを受け止めてもらってきたのでは?それと松陰先生の弟子達に。カトリは義兄としてね。(笑)
でも時に人は家族にも、言えない、悲しみの孤独に入る事もあります。神や仏にすがっても癒せない悲しみ。何処にも預けられない痛みのようなものを抱える事もあります。
でも、生きていくしかないんです。(笑)流されながらも。流されていくうちに心の痛みの根源もだんだんぼんやりしたり、でも、時が経って古傷が痛んだり(笑)でも、生きていく。それが、「久坂の俺は生きた。お前も自分らしく生きろ」へのこのドラマの答えなのかもしれません。
人生にはっきりした答えは無い。学問じゃないもの。(笑)学問は生きる支え。そういったところでしょうか。

投稿: ささ | 2015年11月 5日 (木) 03時53分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 って、明け方の3時53分に何やってるんですか(爆)。 しかも 「平清盛」 のコメント欄で 「花燃ゆ」 の批評とか(爆)。

ささ様のおっしゃる通り、かなり親切な見方をしておりますよ、確かに(笑)。 でも、「だァ~~っ、何なんだっ!」 みたいなことを、見ていてあまり感じなくなった、というか(慣れ、か?…笑)。

たしかに第1回目のような哲学的な展開は小松先生の 「天地人」 みたいなコペルニクス的転回にはそぐわないですよね(笑)。 いや、やはり大島・宮村ラインは制作者の 「イケメン大河」「せくすぃ~大河」「学園ドラマ大河」 という文言に完全に振り回されたのでありましょう(笑)。

私が小松編を見ていて感じるのは、「至誠」 とか 「志」 とか、実は個々人のなかで違った形で醸成されていくのではないか、という視点ですね。

木戸ら新政府が直面しているのは、日本にとって不利益しかもたらさない不平等条約であり、それはマスの立場で日本を考えている、ということになる。 日本を守る、という立場において、やはりそこには松陰の思想が枝葉別れしている印象を受けるのです。

前原にとっては、士族という狭い範囲の人間を守ろう、とする点において、前原なりの 「至誠」 に到達している。 ここにもやはり松陰の思想が、変形しながらも成長している印象を受けるのです。

それぞれの考え方に、一長一短がある。 でも 「それは間違っているよ」 と他人からしたり顔で指摘されるようなことでも、本人たちは 「そう生きていくしかない方向」 に生きざるを得ない。 そんなことを見ていて感じるのです(2倍速で…笑)。

そして小松パートを見ていてつくづく感じるのは、小松サンがテーマ曲の 「私の弟子たちも愛でてあげてください」 という松陰の辞世の句の趣意に向かって物語を書き進めているのではないか、ということ。

…まあ、かなり持ち上げてしまいました(笑)。

だから次回も、「二人の夜」 などという下らんサブタイトルに惑わされず(笑)いや、その不倫臭にはあえて目をつぶって(爆)見ていけたら、…いいのですが…(自信なし…笑)。

すごく贔屓目に見て、美和が楫取にすがって泣いたのは、これは美和の悲しみを楫取が戦友として受け取った、と解釈したのですから(笑)。

でなきゃ群馬の旧習の根強そうなところであんなことやって、たちまち村人たちの噂の的でしょう(爆)。

投稿: リウ | 2015年11月 5日 (木) 08時00分

だってここに花燃ゆのレビューが書かれてるんですもの(笑)
二人は戦友。だから初恋の君が余計なんですよ(笑)運命の出会いを子供の時に演出しなくてもいいのに(笑)
小松先生は松陰の弟子や残された家族を愛おしく描いている。いやあ、リウ様お優しい。天地人の頃は世間から散々な言われようだった先生ですが。でもあれは妻夫木くんの涙が美しいのがいけなかったのかもね(笑)
今回は美和さんをカネタンのようには何が何でもって形にはしてないけど、美和さんは群馬でお姉さんの代わりに頑張っているわけですが、実際は寿さんも寝てばっかりだったわけじゃなかったらしいのですが。
昨日仕事の後疲れて、9時半に食事したらそのまま片付けもせず寝ちゃったんですよ。おかげで2時半頃に起きて夕食の片付けをしてそのままリウ様のレビューえお読んで、コメントを書いてしておりました。4時にもう一度6時半まで寝ました。(笑)滅茶苦茶な寝方でしょ。(笑)
美和さんの悲しみは誰が受け止めるのかで、私は清い息子の重盛の苦しみに満ちた哀切極まりない最後の日々を思い出したのです。親と上皇の間で板挟み。死の双六遊びとか。
という事でここに書いてしまいました。あんな思いをして武士の世を迎えたのに。そう思うと士族の至誠もまた違って見えるかもしれません。(笑)


投稿: ささ | 2015年11月 5日 (木) 19時24分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ささ様こそ、見逃した週あり、宮崎にヘロヘロになって行きながらも、かなり内容について深く洞察していらっしゃるではないですか(ヨイショ合戦だ…笑)。

しかしですよ、里帰りしてもうちょっと優しい目で 「花燃ゆ」 を見よう、と決めたのではなかったですか?(爆×2)smile 私が 「四面楚歌になりそうだから」 とこそ~っと書いたコメントに突っ込まないでくださいまし(特に木戸…笑)。

…書きながら大笑いしてますcoldsweats01

まあ、権利というモノ、獲得するまでは戦いだの苦悩だのと清々しい動きを人というものはするものでありますが、これが既得権益になってしまうと、それを手放すときにスゲー嫌なもんです。 嫌だから前原も反乱を起こしたのでしょう(スゲーアバウト)。
重盛の苦悩が絵になったのは、平家が公家化していたことのひとつの現れ、という見方もできる気がします。 これに対して前原の苦悩は、実に男性的だと感じます。

グダグダな寝かたをしていると体調崩しますよ(爆)。 かく言う私が、夜勤の長期化で近頃とみにいつでも眠くなる、でも寝る単位が1時間とか2時間とか、とにかく短い。 従来よりぼーっとしている人間だったのに、余計にぼーとしてます(笑)。 夢だか現実だか分かんなくなったり(それってもしかして、重症?)。

休みの日は普段夜勤なのに夜もずーっと寝ちゃってます。 おかげで新しいレビューが書けません(まあ複合的要因のひとつ、ではございます)。

投稿: リウ | 2015年11月 6日 (金) 07時55分

そう言えば宮崎から帰ってすぐの頃は、サクサク進んであと腐れの無いドラマだって、親の感想を聞いて思い直したものでした。忘れるの早いわ〜!
前原さんも以前は明治政府の要職に取り立てられた人だったみたいですね。西郷さんもそうだけど、革命?についてきてくれた同士を、時代について来られないからと、見捨てられなかったわけです。古い奴と言われようとも。
みんな、不平等条約を解除したい、列強国の植民地にはなりたく無い、その思いもある。その為には封建時代の身分制度を、列強並にして、西洋人並の教養を身につけて、という政府の方針もわかるけど、そこにうまくはまらない人達もいるわけで。八重さんちは負けた側だったから、不遇にあっても耐えて、新島襄に出会えて、いち早く西洋文明取り入れてかえって良かったのかも。
(笑)でも勝った側には、何故、勝ったのに恩恵が無いの?という疑問が。土佐みたいに上士下士の差別がひどいところの人はやっと平等、自由だあーで満たされましょうが、長州薩摩は割と士族同士分け隔てなくだったわけで。その中でも松陰先生の弟子は自分達が志を持って先進的であるという自負もあったでしょう。
だから坂本龍馬は愛されるのかも。ただ国を変えたい。自分は海援隊で自由に貿易をすればいい。お偉いさんには興味ないし〜。(笑)
群馬の美和さんにとって空っ風はきついのかも知れないけど、下々の人は借金で食うや食わずでも、必死に生きてる。しかも前向きに。
多分、美和さんが義兄の後妻になる事も、群馬の人から見ると、偏見が無いかも知れませんね。
新しい土地というのは、引っかかりの無い分他所者には厳しくもあるけど、寛容でもあるでしょう。(開拓者の娘の意見です)
私の子供達にとってバブルは歴史です。子供達は不況の時代を生きています。だから、金銭感覚がとってもシビアー。
グダグダしてると体壊すってわかってはいるけど、昨日も、ちゃんと寝る為にパジャマも着て、足が攣らないように睡眠作用のある薬も飲んで、でも、風呂上がりの髪が乾くまではとコタツに寝転んでたらそのまま寝落ちしてしまい(笑)、一度2時に起きて洗濯機を回して、またコタツで寝て、今日は休みなので特別に7時までゴロゴロしてました。休みの日は用事済ませたら他は寝る!という自堕落さです。(笑)

投稿: ささ | 2015年11月 6日 (金) 10時02分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 すっかり 「平清盛」 という出張所で盛り上がっておりますが(笑)。

小松脚本がうまくやってるな、と思うのは、第1回目から 「至誠」「志」 という難解なテーマをもてあまし続けた当初の脚本家先生たちを受けて、「結局 『至誠』『志』 なんて人によってみんな違うんだから、ドラマのトータルテーマとしてまとまるわけがない」 という論調で押し切ろうとしている部分だ、と思います。

そして私が最も感心するのは、松陰の弟子たちがたどるあまりにも違う枝葉の先に、それぞれ松陰の同じ遺伝子が組み込まれていることを、見ていて感じさせる点です。

明治になってからの薩長閥による政治の舵取りは、やはり松陰の持っていた 「諸外国に対する大きな危機感」 をベースとしていたように思いますね。 その根底に 「幕府のバカどもがあんな不平等な条約にサインしちまったからよ~」 みたいなものがあり、清が阿片戦争によってイギリスに食い潰されちゃった危機感も相俟って軍備を増強し続けた。

そもそもこのドラマにおいていちばん不可解に思えたのは、つーか、私が主に大河ドラマで(笑)吉田松陰という人物を見るにつけ不可解に思えるのは、密航までしようとして外国に触れようとした人物がですよ、どーしていきなり強硬な攘夷主義者になってしまうのか、という部分。

それについてやはり今回も、今年も、この謎は解き明かされませんでした。 見てて分かんなかったもん(笑)。

分かんないから、松陰の弟子たちも、自分なりに師匠のやったことを自分のなかで納得させなければならない。

松陰の弟子たちのたどった末路のあまりにも違うことは、実は松陰の行動それ自体が理解に苦しむものだったことの表れなのではないか。 それを小松脚本は、図らずも浮き彫りにしている気がする。

先週だったか、楫取が生糸の取引を日本側に有利にしようと渡米しようとする男に、松陰の持っていた短刀を渡しましたよね。 なんでポッと出のよく分かんない男に簡単に松陰の魂をあげちゃうかな、と思ったのですが、少なくとも楫取の中では松陰というのは、「密航してでも外国を見たかった男」 という評価がなされている、と思うのです。

かたや、久坂などは松陰の過激な部分をいちばん受け継いで、外国船に対して戦いを挑むもっとも先鋒に位置していた。 久坂なんかはそのあとは外国の力を思い知らされて京都にいって大騒ぎして大火事を引き起こして(いろいろ違ってるけど…笑)、最後まで松陰の過激な部分をまっとうしたわけですよね。

で、いざ日本の舵取りをしようとした木戸なんかは、ささ様もご指摘の通り、あっちゃからもこっちゃからも不平不満が湧きでて 「てめーらザケンナ」 的になってる、つーか(笑)。 「国内で揉めてる場合かよ」、てなもんですよね。 体も壊すはずだ(もともと病弱だったらしいですが)。 俺たちゃ松陰先生の危機感をいちばん背に受けて、挙国一致で富国強兵に邁進しようとしとるつーのに、みたいな。

ただそのいたずらに煽られた危機感、というものが、最初は図に当たったもんだから(日清日露の勝利)国民の賛同を得ちゃって、イケイケドンドンで軍拡に走っていき、最後はあーゆー結末(ポツダム宣言受諾)となった、みたいな(軽~く書いてますが…笑)。 まあ、清王朝はもう末期的状態だったから勝てて、日露の勝利はかなり無理クリで、というところはあったでしょうが。

あ~もうなんか、話がすごくややこしくなってきたのでやめます(爆)。

投稿: リウ | 2015年11月 7日 (土) 08時14分

松陰先生って、萩の田舎には収まりきれない、というか、私達の尺度では計り知れない方って事で、今作はそこに家族愛もくっつけた(笑)ミステリアスな伊勢谷さんでぴったりだったですね。木戸との関わりを犠牲にしても。清廉さ、教養の高さ、過激とも思える情熱。常人には矛盾しているように見えるけど、そこは、先生の偉大さという事で。何せもう神様なのですから(笑)
木戸さんも大変ですよ。壊すより作る方が難しいんですから。不平等条約を何とかしなきゃって、幕府の後始末だけど、その幕府を潰しちゃったから自分達で何とかするしかない。(笑)
内乱やってる場合か!前原さんの時は、処刑が苛烈ではないかと言われたたり、西南の役の時はもう意識朦朧としてながら、西郷大概にしろとおっしゃたとか。精神も疲労しますよね。でも山内容堂と飲み友達だったとか(笑)
木戸さんは悪く言われない奇特な人ですよね。何たって今見てもイケメン!
大久保利通なんて、西郷さんを殺したって、九州じゃ、悪者だもの。(笑)今じゃ大分名誉回復してるみたいですけどね。大久保利通は薩摩の黒歴史に長い事されてました。特に民衆に。
日清戰争も日露戰争も一応勝ったって事になってるけど、陸奥も小村寿太郎も、苦労してるんですよね。戦勝国として国民が期待していたものと現実としての成果に。
いけいけどんどんは、たいていろくな事になりませんね。私は今、ネットの中で、憲法改正とか、核武装とか、軽〜く言われ出したのが不安でしょうがない。重箱の隅を突っつくようなものでも、やがて、大きな綻びになってまたいけいけどんどんになるんじゃないかと。だって、原発だって、復帰してきてるでしょ。活断層の上だから廃炉にしようと勧告されても、諦めない。
福島の原発の後片付けなんて、もう見ないふりじゃないかと思うんですよ。危ない地盤の上に立つ原発を再開するより、多少の不便を我慢すればいいのじゃないの(笑)
沖縄の基地問題も、もう、酷い。これこそ、不平等条約だと思います。だって、必要なものなら、他の県でもいいじゃん。でもどこもそれは嫌。沖縄に我慢を押し付けてると多分沖縄からしたら見えるでしょ。でも、辺野古に作るんですよね。
と文句タラタラ書いてしまいました。出張所居心地いいから(笑)

投稿: ささ | 2015年11月 8日 (日) 00時07分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「平清盛」 の高尚なステージでようやく 「花燃ゆ」 の活発な議論が花ひらいた、という感じですが、結構体力使いますね頭脳戦は(笑)。 木戸、ハテナ、今回のドラマで松陰に教え受けてたっけな?とか(笑)。 それでウィキ読むと、どうも松陰の弟子らしい、とか。 だァ~っ、どこで伊勢谷と東山が邂逅してたよ?みたいな。

この松陰、松陰神社って、神様にまで祀り上げられている、というのが、実はクセ者ではないか、と思うんですよ。

どうも松陰神社を作ったのは山縣有朋とか?(違ってたらスミマセン)

要するに薩長の政治が松陰を神に仕立て上げた、ということになるんでしょう。
そうすることによって松陰の行なったことを正当化しようとしているけれども、どうもここ数年の大河を見ていて、吉田松陰を見るたびに 「この人、実はすごくアブナイ」 と感じることが多過ぎる(笑)。

先の返信で、ポツダム宣言受諾まで松陰の影響だとかなんとか書きましたけど(笑)、山口出身の安倍政治こそが、そうした 「イケイケドンドン」 の継承者であり、「弱者を顧みない政治」 の根幹をなしているのではないか、という気もしてきます。 「花燃ゆ」 は安倍loveの籾井会長の肝いりで企画が始まったのだから、安倍政治に対して援護射撃、という性格でいなくてはならないはずなんですが、ここまでのストーリーはなんか、「長州出身者による諸々の政治運営って、現代に通じてるところがある」 という皮肉な批判に通じてしまっている気がします。

それはささ様がご指摘した憲法改正、原発再開においてすべて同じ。

国益を第一に考えながら、やってることは実に視野が狭い。

アベノミクスの正体なんか、「まず大企業から立ち直らせれば平均が上昇するから、それで日本経済が立ち直ったような錯覚を生み出せる」、というものでしょう。

アベノミクスの言い分は、大企業が潤ったらそれが中小企業、そして下賤の民衆にまで行き渡ってくからダイジョーブ、ってことじゃないですか?

そんなワキャネーだろっ(笑)。 大企業なんか、利益が出たらみーんな貯め込んじゃうんだから(笑)。

リーマンショックの影響で、「いざというときのためにタンスに残しとかなきゃ」、ってやってんだから。

だから豊かな人はさらに豊かになり、下流の宴はますますケチクソになる。 中間層がごっそりいなくなって、世の中大貧民と大富豪だけ。

行政が出す 「給料の平均値」 だの 「ボーナスの平均値」 だのみると、もうムカムカしますね。 なにを数字のトリックで日本経済が回復したような大ウソをつくのかって。

あ~もう、話がクソ忌々しくなってきたのでやめます(爆)。

投稿: リウ | 2015年11月 9日 (月) 07時21分

「直虎」も終盤で視聴率は10~12%ぐらいで推移しております(笑。元々、若い世代に歴史へ興味を持ってもらおうと歴史キャラゲームなんかがあって直虎が女性キャラにあったのが制作の発端とか。そういう人達が大河に求めるモノってなんなのでしょうね。

>どの時代であろうが、分かりにくくて
>暗いものは皆見ないのです。
「清盛」以前に最低視聴率をマークした日野富子が主役の「花の乱」も、こんな感じですね。最近、昔の大河が色々とオープン化されているので観てみました。
主人公を酒呑童子に孕まされた日野家の私生児として一度、放逐させ目を患った妹富子と入れ替わりで元に戻す。幼少期の庶民的体験が鬼女のリミッターになるという設定で「平清盛」に似ているでしょうか。室町時代の能楽文化絡みの演出が優れている所も近い。
ただ清濁併せのむ主人公と描いても中途半端な正当化に留まった感は拭えない。「平清盛」にせよ「花の乱」にせよルーツを辿れば北条政子メインの「草燃える」になると思いますが時代を切り開いた清盛や武士の世の礎を築いた政子に比べても富子は業績不足で脚色で肉付けしても一年(「花の乱」は3クール大河)主役を張るには苦しい。直虎も似た所があるのかも。

投稿: 巨炎 | 2017年11月25日 (土) 12時25分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

とは言え、返信しにくいところから攻めてまいりますね巨炎様(笑)。 「花の乱」 が3クールの作品だった、ということすら忘れているていたらくですからね。

でも私は、「花の乱」 好きでしたよ。 三枝成章サン(こんな字だったかな?)のテーマ曲も大河っぽくなくて好きでしたし、なにしろ海老蔵サンのお父さん、市川団十郎サンの足利なんとか(義光だったかな、将軍ですよ将軍…笑)の情けなさがもう抜きんでてましたね(情けなさが抜きんでている…ヘンな表現ですね)。 山名宗全をやった萬屋錦之介サンの演技を見た最後だったかな~。 松たか子サンのデビュー作ですよね。

あれで応仁の乱は理解していたはずなのですが(笑)やはり時がたてば忘れてしまい…。 最近BSの 「英雄たちの選択」 でしたか、アレでおさらいをして、ああそうだったかと…(笑)。

「草燃える」 の頃はまだ大河を見る習慣がございませんでしたので比較論評が出来ませんが、大河ドラマというのは女子供を相手にしていたらイカン、と思うのですよ(あえて言わせてもらえば)。 たしかに女性たちは男尊女卑の時代でもきちんと男たちの手綱を握っていた部分はございますが、生活者の視点で描くのは大河でなくてもいい、という極論を持っております。

投稿: リウ | 2017年11月25日 (土) 18時37分

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