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2013年1月27日 (日)

「最高の離婚」 第2-3回 なにをしたらいいか分からない

 このドラマ、なんとなく不信感を抱きながら見ていたんですよ。

 まず脚本家の坂元裕二サンに対する多大すぎる期待があるために、なかなかのことでは満足しそうもない自分というものがいて。
 
 そしてこのドラマの体裁が、とりあえず 「コメディ」 という枠で括られている。
 「コメディ」 であるから、瑛太クンの演技にはかなりのカリカチュアが加えられています。 だから彼の愚痴っぽい性格、ものごとに細かすぎる性格、変なところにこだわりすぎる性格というものを、私個人としては 「まあこれコメディだから」 と差し引きながら、見る必要性というものがあった。 
 でなければ、このドラマの瑛太クンの役は、とても感情移入できる人物ではないのです。

 なのにこの人は、愚痴をこぼしまくっている歯科の美人の女医さんに、なんとなく好意的アプローチを受けてたり(最初は軽く煙たがられているような気がしたんですが)、だいたいですよ、これまた美人の真木よう子サンと学生時代に同棲していて、結婚したのがさらにまた美人の尾野真千子サン、って、「世の中間違っとる!」 と言いたくなるじゃないですか(笑)。 どうしてこんな細かくて愚痴っぽくてストーカーみたいなことをやってしまう男が、ここまでモテるのだ?なにがよくてみんなこんな男とつきあっとるのだ?みたいな。

 しかし。

 このドラマ、第3回の真木よう子サンの長い告白から、一気に物語としての意味が成立したような気がするのです。 少なくとも個人的には。
 そして瑛太クンが、ぼんやりと夜の目黒川(?)にかかった橋に佇む。 彼の差し出した手のひらに、静かにとける、ひとひらの雪。
 そのとき、それまで 「こんな人間はイヤだ」 と思いながらどうしても感情移入が出来なかった彼の心が、初めて分かったような気がしたのです。

 彼は第2回で、昔の恋人(真木よう子サン)の結婚した相手(綾野剛サン)が浮気してたことを、わざわざ彼女の家まで押しかけて、ごていねいにも忠告します。
 ここらへん、「おせっかいだよなあ、匂わせる程度でいいのに」 と思いながら見ていたのですが、瑛太クンがそこまでオーゲサに忠告しようとするのは、元カノが今は幸せそうじゃない、という確信があったからなのです。 あの頃の彼女との思い出は、いいものばかりだった、という強い思い込みがあるからなのです。

 そしたら真木よう子サンが、瑛太クンに向かって、とても穏やかな口調でこう言うんですよ。

 「10年たってもなんにも分かってないんですね。
 私ハマサキさん(瑛太クン)とのあいだに、いい思い出なんてひとつもありませんよ。
 あなたと別れるときに、思ってました。
 『死ねばいいのに』 って。
 『こんな男死ねばいいのに』 って思ってました」

 真木よう子サンにしてみれば、これは彼女なりの、ウザく付きまとう瑛太クンへの、自分の怒りを押し殺した、精一杯の復讐だった。
 あまりに彼のことが憎かったために、それをそのまま感情にして出すと大変なことになる。 それに自分の中では、もうとっくにケリをつけている問題。 客観的に冷静になってしゃべれるということも自分で確認したい。 彼女の穏やかな口調で放った 「死ねばいいのに」 という言葉の裏には、そこまでのことが潜んでいたのです。
 彼女のそうした 「怒りや憎しみを押し殺した」 態度には、避難生活を余儀なくされている大震災の被災者たちの声なき声に共通するものを感じる。 まあ穿ち過ぎですが。
 彼女の憎しみの原因は、第3回での、あの長い告白によって判明します。

 その告白に至るまでに、やはりいろいろとスラップスティックなコメディ場面を経過する必要性というものが、このドラマにはある。
 これはこのドラマが、結婚というフィルターを通した 「男女の恋愛」 について描き出そうとしているうえでの、脚本家自身の、一種の 「照れ」 のような気がする。 このところ、「児童虐待」 とか 「犯罪被害者と加害者」 とか、重いテーマばかり扱ってきた脚本家の。

 もしくは、「男女の恋愛なんて喜劇みたいなもの」 という、ある意味俯瞰的な見方もそこには感じる。
 ただ男女の好いた惚れたは確かに喜劇的ではあるけれども、それは 「殺したい」 と思うほどの感情に結び付いている危うさというものを、常に持っている。
 そこまでのことを考えて、坂元サンはこの喜劇を書いている気がするのです。

 真木よう子サンが第3回で告白した、長い長い打ち明け話。
 それは前回、「死ねばいいのに」 と言われたことに対して、納得できなかった瑛太クンが、そのウザいほどの固執癖によって引き出した告白でした。
 それはこの物語の主要人物4人が一堂に会した場で行なわれました。 普通だったらふたりきりの場とかでしょう。
 つまり瑛太クンが、コメディという枠を携えてここまでエキセントリックな人物として描かれていたからこそ、こういう展開が可能だった。 そして真木よう子サンの中にあった怒りや憎しみが、これほど大きくなければ、こんな展開にはならなかった、と言っていい。
 計算されているんですよ。 物語が。 きちんと。

 真木よう子サンが話した告白の内容は、瑛太クンの心をえぐります。 ネタバレブログですけど、ダラダラと書くのが面倒なので省略(笑)。
 つまり、真木よう子サンとの同棲時代、瑛太クンがなんの気なしに言った言葉が、真木よう子サンのこれまでの人生を真っ向からバカにし、否定する内容のものだった。 それがどれほどのことかに、瑛太クンはその告白があるまで、つまり現在に至るまで、まったく気付いてなかった。 気付くすべもなかった。

 「最低だねぇ…」

 その場のいたたまれないような雰囲気の中で、(元?)ダンナに追い打ちをかけるような言い方でしか、真木よう子サンを慰められない、尾野真千子サン。
 蛇足ですけど、(元?)と書いたのは、オノマチサンは離婚届を出した、って言ってるけど、実際のところまだよく分かってないことによります(「最高の離婚」 っていうタイトルだから、出したと思うんだけど)。

 でも真木サンは、尾野サンの言葉を制してこう言います。

 「違うの。 別に、誰かが悪いってことじゃないの。
 ただ、誰かにとっては、生きる力みたいになってるものが、誰かにとっては、便所カバーみたいなものかもしれない」

 「みんな他人だから…」 と尾野サン。

 「はい。 別の場所で生まれて、別の道を歩いて、育った、他人だから…」

 瑛太クンは、そのあいだじゅう、「別に気にしてないけど」 みたいな、自分の本心をひたすら隠すようなそぶりを続けます。
 でもそれは、彼が受けたショックの大きさを、却ってあからさまに映し出している。
 つまり、瑛太クンは、そこで自分の人生を、根こそぎから否定されているのも同然だ、と私は考えるのです。

 「自分は自分の人生を、正しいと思いながら生きている。
 そりゃ欠点だってあるし、他人からどう否定的に思われているかも分かる。
 でもそういうものにはフタをしながらでないと、生きてらんないじゃないですか」。
 これまで3回にわたってコメディタッチで描かれてきた瑛太クンの心を、私はこのように推理するのですが、結局自分を肯定して生きているからこそ、他人への不満が機関銃みたいに愚痴になって表れてしまう。 愚痴とか文句というのは、自分を正当化する作業なんですよ。

 確かに真木よう子サンがフォローしたように、みんなそれぞれ生き方が違うんだから、言葉尻のいちいちに過剰に反応していたのでは、やってけないところもある。
 私だって、こんな拙いブログを続けていて、自分が軽く書いたことに、傷ついている人も、確実に、いると思う。
 それを学んでいくのも、ネットマナーなのかな、という気もしますが、結局は、「たった一言で崩れてしまうような関係というのは、実はご縁そのものがない」、と考えます。

 人というのは、間違いを犯しながら生きていくいきものだ。 そのとき試されるのが、普段から自分がどのような評価をされているか、だと思う。 普段から 「コイツは根が悪い人間だ」 と思われていては、間違いをしでかした場合に、誰からも助けてもらえない。
 確かにまじめにやっていても、トラブルに見舞われたとき誰も助けてくれない、というケースもありますけどね。
 それに、不幸にすり寄ってくる悪い人間、というものもこの世にはいるんですよ。

 それから、人というもの、離合集散を繰り返すものだ、という気も、やはりします。
 お互いにつきあってみて、ああこの人とは気が合わないな、と思ったら、離れていく。
 みんなから好かれたいのは人情ですけどね。 そうもいかない。
 夫婦の場合、それが普通の人より簡単にいかない、ということはあります。 第2回だったか、尾野真千子サンが、「離婚というのは当人どうしがただ別れるんじゃなくて、その家族とも別れることなんだ」 みたいなことを話していましたよね。

 瑛太クンはその後、真木サンの心を知らずに傷つけてしまったジュディマリの曲をあらためて聴いて、いたく反省します。 そして真木サンのアパートに出向いて、謝るのですが、真木サンは玄関のドアを開けようとしません。 すごすごと帰ろうとすると、綾野剛サンとつきあっている女が現れ、真木サンの部屋に投石をしてガラスを割ってしまう。
 瑛太クンはその女を追いかけ 「あのままじゃ僕が石を投げたと思われてしまう!」 と問い詰めるのですが、その女は平然と、綾野剛サンがまだ婚姻届を出していない、ということを瑛太クンに告げるのです。

 瑛太クンはその事実を反芻しながら、目黒川(たぶん)にかかる橋に佇んでいます。 そこに雪が降ってくる。 差し出した手のひらに落ち、すぐに溶けていく雪。
 ふと振り返ると、真木よう子サンが立っている。 彼女は瑛太クンの手に、自分の部屋に投げ込まれた石を、「あなたでしょ」 というように、黙って手渡します。
 瑛太クンはそれに対し、さっきあの女にああ問い詰めたというのに、「自分が犯人じゃない」 という言い訳をしようとしません。

 「大なわとびみたいな…。

 ぐるぐる回ってる。 みんながそんなかで飛んでて、入れって言われて、入ってみると、縄が僕の足に引っかかって、止まってしまうんです。

 なにをどうしたらいいのか分からない。
 なにを、どう、どう言えばいいのか分からない。 ちゃんと出来ないんです。 自分のこと…。 ちゃ、ちゃんと出来ないんです…」

 自分がいつも事態を壊してしまう。 それをどうしようもない。 それをどうしたら解決できるのかが分からないから、他人の輪の中に入りたくない。 そしてその反動みたいに、暴走気味に他人に当たってしまう。 物事に細かいのは、自分のことがきちんとできないことへの恐れ。
 彼の偏執気味の精神構造の原因が、ここでようやく垣間見えた気がするのです。

 同じころ、大雪の中走る電車の中から見たような、レールの映像がインサートされ、綾野サンが不倫、じゃないか、不実中の女とのベッドの中で目を覚まします。 女は、「うなされていたわよ」 と話す。 綾野サンは、女と一緒にいると、夜行寝台列車のカシオペアの夢をよく見る、と言います。

 「テトリスってあるでしょう。 あれになんか似てる。

 ほら、ゲームってたいてい宇宙船撃ったりゾンビ倒したりするんだよ。
 でも、…テトリスは…なんかよく分からないんだ。

 次から次へとブロックが降ってくるのをなんか合わせて。 合わせたら消える。

 なんか。

 今のこの感じに似てるんだ。

 なにをしてるのかも分からない。 目的もない。 終わりもない。

 ただ、なんか追い立てられるみたいに、
 急き立てられるみたいに、

 …続いていくんだ」

 この綾野サン、自分では無自覚に女からモテまくっている。 それは瑛太クンがヘンにモテてるのとはちょっと性格が違うものなのですが、彼の持つ浮遊感みたいなものが、女性を引き寄せている感じがする。 現実に生きてない気がするんですよ。 ふわふわしている。
 でも同時に、そこに切迫感みたいなものも感じている。 なにをしたらいいか分からず、ただ目の前のものを目的だと思い込みたがって、焦っている。 そしてそれをこなすことで、ただ無為に日々が過ぎていく。
 そんな自分の状態を、彼はテトリスみたいだ、と表現するのです。

 でもそんな 「自分がなにをしていいか分からない」 という状態って、結局瑛太クンの考えている強迫観念と、相通ずるものがあるんですよね。 だから綾野サンも瑛太クンも、モテているという点では一緒で(なんの話だ…笑)。

 「こうすれば女性にモテるのか」 という点は置いといて(笑)、こうした例え話のたたみかけで、人の心を表現していく、というのは、まさに坂元サンの真骨頂であり。

 ドラマがようやくレビューに値するような内容になってきたかな、という気は、とてもするのです(ゴーマンな書きっぷりだ…)。

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コメント

リウ様
おはようございます。

光夫が何故かモテてしまう理由ですか・・それは、顔が「瑛太」だからですよ・・と言っちゃあ身も蓋もありませんな(笑)

それはさておき、あの、手に消えるひとひらの雪のシーン、泣けました。まさか、濱崎光夫に泣かされる日が来ようとは、と言う感じでした。

でも、光夫も、本当のところは、大縄跳びがやりたいんだと思います。だからこそ、声を掛けられれば、上手くできないと分かっていても、その輪の中に入る。で、縄を引っ掛け、周りから引かれる。そのたびにちょっとづつ傷つきながら、今の光夫の人格ができたんだなあと思うと、他人事ではないような気がして、何だか切なくなりました。
物事に対する異常なこだわり、時に見せる他者への攻撃性。恐らくそれらは、これ以上自分を傷つかせないための鎧みたいなもんではないでしょうか。

逆に、諒(綾野さん)の場合は、もっと深いところで、他者に対する絶望のようなものを感じます。まあ「絶望」というと重たいですが、要は、関心がない。だから、人の顔や名前もなかなか覚えられない。その無関心さに、あのフェロモンが乗っかっているもんだから、次から次に女性が寄ってくるのではないでしょうか。いみじくも、八千草薫さんのおばあちゃんが言った「めんどくさくない」。諒の魅力には、そもそも目の前の相手に強く関心を持てないことということが、大きく関わっていると思うのですよ。

そう考えると、光夫と諒って、ネガとポジのような関係にもみえてしまいます。

坂元さんと言えば、「Mother」でも、最初は単なる自堕落な鬼母としか見えなかったオノマチさん=仁美の哀しみを、見事に深く掘り下げられた脚本が印象深いですものね。
「コメディ」とは言いながら、楽しく笑って、ハイ終わりということにはならないと思います。ただ、登場人物の表情やセリフの一言一言を確認しながら観ようするので、いきおい録画視聴が主体となる、と、いうことは、視聴率的には厳しいかもしれませんが(笑)。

リウさん。
キタキタァ
トリプルアクセル ってな感じです…!
いやね…初回瑛太とオノマチの掛け合いにクスッとしながら、ふむ 瑛太の細かさにはなんか裏がある?とか思ってはいたけど

「大縄跳び」のくだりで、私も切なくなりました。
誰だって少しは感じたことある疎外感というか、いていいの感って子供の時分にもあったけど大人になるにつれ、その場を逃げ出すコツを身につけていくところ、不器用でオロオロしちゃう、あの居たたまれなさが身につまされてしまった。
みんなが楽しそうにしてる輪に入りたいのに、ケッわたしゃ別に興味ないしって顔してたりとか、そのくせ声をかけられたらめちゃ嬉しくて‥だのに空気よめなくて気まずくなったりとか
だんだん鎧を纏って身を守っていって、やっとこうしてる。
その鎧が愚痴だったり諦めだったり、攻撃性だったり

と…考えちゃう。
やっぱり一筋縄ではいかなかった!坂元脚本です…

ところで、エンディングのヘンなダンス 毎回違うの気づいてました?
いつもは録画しといても毎回エンディングまでしっかり見ずに停止してしまうのですが、サザンの歌と変なダンスに見入ってたら あれっ?って思って初回から見直してしまった。
話が進むとともに、それぞれの関係性がクルクル変わるんですよ。
既に気づいてたならスイマセン!

今は体調と相談しながら、やわやわと…ご無理のない範囲でアップしてくださいね…

私も、なんだか更年期なのか気力体力が続かず、以前とは違う自分にちょっと戸惑ってます。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

顔は瑛太クンですが、どうでしょう、瑛太クンって、そんなにハンサムボーイでもないと思うのです(スゲー失礼)。

話はすごく脱線してしまうのですが、光夫って、「赤い疑惑」 での三浦友和サンの役名なんですよ。 漢字も同じ。

その光夫のおばあちゃん八千草薫サンは、「赤い疑惑」 では途中降板ながら、百恵チャンの母親役をやっていて。

役の上からいけば、八千草サンは友和サンの身内ではなかったんですが、なんとなく 「赤い疑惑」 に心酔した身としては、感慨深いものがある、と申し上げておきます(笑)。

視聴率、相変わらず坂元サンのドラマは低いようですね。 「Mother」 は芦田愛菜チャンの効果で?よかったと記憶しているのですが。

このドラマがもしコメディでなかったら、もっと第1回の地震のエピソードも、抵抗なく受け止められただろうし、コメディとしてやる意味ってあるのかな?という気はします。

いちおうレビュー本文中には 「これは一種の照れであり俯瞰である」 などと、「コメディの必然性」 について論じてはいるのですが。

このドラマでの瑛太クンと綾野サンの性格というのは、30くらいの男が陥っている、独特の閉塞感のような気がします。
私はまあ、とりあえず、そうした時期を通り越しているので、ちょっと達観して見ているようなところがあり、その点では泣けるほどのめり込んで見てはいないです。
でもドラマとしての面白さは出てきた気がする。
みんながいる前で真木よう子サンの告白を聞かされ、おどおどしている瑛太クンに、やはり共感の度合いは高まるのです。

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。 Zai-Chen様への返信を書いたあとどうしても眠くて寝てしまい、返信が遅れました。 申し訳ありません。

エンディングのダンスが違うのは気がついてましたが、「これってこの回メインで描かれた人が主役になってるな」 程度かな。 白黒コントラストが激しい画面になって、「ガーン!」 とか(笑)。

そのエンディングが楽しいので、ここ2回は我慢して見ていた感じだったんですよ、実は(笑)。
特に真木よう子サンは、前クールの 「遅咲きのヒマワリ」 でも、結構いいタイトルバックでした。
「プライスレス」 もそうだったけど、最近のフジテレビのタイトルバックは、秀逸なものが多いと感じます。

瑛太クンが演じるハマサキで、それまで唯一共感できていたのが、「大勢でワイワイやってる中になかなか入ることが出来ない」、ということでした。
私も立食パーティとか大の苦手。
名刺交換とかして、親睦深めるみたいな。
だからいつまでたってもうだつが上がらないんでしょうけどね(笑)。

ハマサキは、「大縄跳び」 のたとえで、その戸惑いを表現した。 このドラマは、「大縄跳びに怖くて飛び込めない人」 のドラマなんだ、と思ったら、感情移入できた気がするのです。

レビューのしがいは出てきたのですが、却ってまた面倒くさいことになるやもしれません(笑)。 坂元サンのドラマは、いちいち細かいところまで意味がありますからね。

だから、いったんはまり込んでしまうと、レビューもダラダラと長くならざるを得ない。
コメディ場面のすえに、実家のカラオケ装置で、オノマチサンが 「星影の小径」 を歌っていたことにまで言及したくなってくる(キリない…笑)。

このところ体力も落ちてる気がするし、ちょっと深~いレビューは勘弁してもらいたいものです(笑)。

リウさん。おばんです。

坂元節、いよいよエンジンの回転数あがってきましたよ!

ユカの本心が、機関銃のように語られますが、そのセリフのいちいちに そうなんだよそうなんだよとひどく同意しながら、ポロポロ泣いてました…

プチ変態のミツオとどうして結婚したのか?その本心がイタいほどで

あまり言っちゃうとネタバレしちゃうのでこの辺で(^_-)

リウさんが危惧していた方向にどうやら向かっているようですが(レビューアップのしんどさ)多分…
ゆっくり待ってます(^-^)

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

あ~あ、そーなんですか(笑)。
いや、このドラマ、字幕モードで録画してないから、そう深いドラマになってしまうと、セリフの書き起こしをしなきゃならなくなって、すごく不便になってくる(笑)。
もともと耳もかなり悪いので、セリフが聞き取りにくいと、「たぶんこういう話なんだろうな~」 と推測しながら見ちゃう状態でして。

だからこのドラマ、半分も理解してないかもしれない。

だからユカって誰?みたいな(笑)。
登場人物の名前、ぜ~んぜん覚えてないんですよ、このドラマ(ハマサキ光夫しか分からない…笑)。

機関銃みたいに喋られたら、それこそ読解力に差し障ります(ハハ…)。

はじめまして、お邪魔します、、、。

「火の魚」そして「カーネーション」で、すっかり尾野さん大好きおばさんになりました。
「カーネーション」の放送が終わってからここを知り、橋本様のドラマへの熱い思い、深い洞察力、素晴らしい表現力、、、に関心。
ドラマへの感動は、ここを読むことで更に倍増!!
見てないドラマまで見た気分になるくらいです。
(あまりドラマは見ないほうだったので、、)
でも、尾野さん大好きになってからは、橋本様が途中でリタイヤなさった「サマーレスキュ」そして「疑惑」と録画したもの何回もを見ており、今は「最高の離婚」です!!
これもあとレビューないのかとあきらめておりましたが、読むことが出来て本当に嬉しかったです♪
3話目の真木さんのセリフ、瑛太くんの大縄跳びの表現も、いいセリフだなと感心しましたが、昨日の尾野さんは凄かった~!!
おばさんは泣きはしませんでしたが、若い人たちには、グッときたかも、、、。
おばさんは、ただただ、こんな長いセリフを言う尾野さんの演技力に感動した次第。
そして「サマレス」の時のように尾野さんの演技だけが尖ってないのは、しっかりした脚本と受け手の瑛太くんのしっかりした演技力の成せるものかな、と勝手に評価しております。
コメデイとはいうものの、結婚に関して、ハッとさせられる言葉があったり、なかなかシリアスで奥深いものがありますね。

ここをのぞくことを楽しみにしておりますので、どうぞ「最高の離婚」のレビュー続けて下さいますようお願いします。
楽しみにしております。


PS 私の兄も、只今ヘルニアの治療中、、、。
  橋本様もどうぞご自愛下さいませ。

リウ様

第2回を見た時点では、なんだかなぁという思いがあったのですが、3回目(真木さんの長ゼリフや瑛太君の大縄跳び、綾野さんのテトリス等。。。)を見て少し回復。

4回目は、オノマチの長ゼリフ。俳優さん泣かせですね〜。

とてもユニークな男性陣と、どこにでも存在してそうな?女性陣のペア2組。
「最高の離婚」の話をどう転がしていくのか、これからも続けてみたくなってきました。

最後の4人のダンス。面白いですね。真木さんが一番艶っぽいですね。

おばさん 様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。 私も立派なオジサンですから、ご自分がおばさんなどと卑下する必要はまったくないと思いますよ! 甥には 「にいに」 と呼ばせてます(笑)。

それにしても過大なるお褒めの言葉を賜り、恐縮至極です。 このところ大した文章が書けてない、というジレンマがございましたので、褒められるとまた図に乗るかもしれませんがご了承ください。 知識豊富なことは書けませんが、ドラマの内容を吟味することはできると思います。 精進いたします。

オノマチサンのドラマに外れなし、と思っていた時期もございましたが、ちょと外してるかな~と思いはじめたら、このドラマ。 やはり脚本が悪いと、オノマチサンの演技力だけが浮いてしまうんだなーとつくづく感じております(「サマレス」 は、「カーネ」 以降初めてのドラマで彼女も気合が入っていたということもあるのでしょうが…)。 キャスティングするテレビ側の人間にとっては、諸刃の刃なんでしょうね、この演技力は。

坂元脚本の長ゼリフと言えば、「それ生き」 の大竹しのぶサンを思い出しますが、大竹サンとオノマチサン、いつか激突させてみたい! 見たい!(笑)

それにしても第4回は絶賛の嵐ですね。 こりゃこれから見ないと…。 でも、ああ、ちょっと覚悟が要る…(笑)。

お兄様のご病気も、同病相哀れむではございませんが、お見舞い申し上げますconfident

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。

やはり坂元サン、現代劇では一味違うようですね。 「負けて、勝つ」 は私の場合、見なかったことにいたします(実際1回とちょっとしか見ませんでしたけどcoldsweats01)。

いずれにしても見る前から、かなり気合が入りつつあります(笑)。

正月を挟んで長い休暇のあいだに、HDDの容量もだいぶ回復させたというのに、ここ2週間くらいのあいだに20時間くらいまた減らしてしまった…。 今日はちょっと回復させるために頑張ろうと思います。

それにしても、真木サンは既婚者だとゆーのに、どうしてああもフェロモン過多なのだろう…(笑)。

リウ様 調子に乗ってこちらにもお邪魔します。

 CSで一挙放送があったので、消してしまった第一~三話を録画できました。で、第三話ラストの光生の独白、絞り出すような、本当に行き場を失う思いの籠もったすばらしいお芝居で、今更ながら大変感動しました。初見の時はまだ光生に辟易していたのと、おそらく字幕を先に読んでしまったため、陳腐なセリフと受け取ってしまったのではないかと(CSは字幕無し)。字幕視聴も考えものですね(人のせいにしてますが)。
 「篤姫」から注目してますが、瑛太さん、名優になっていく予感がします。宮崎あおいさんも尾野さんも、相手がこの人だったから輝いた面があるのでは、と思ってしまいます(向井理さんには無理だったか。。。でも最近の映画で宮崎さんと共演してました。見てませんが。)。
 以上、イイワケしたくてカキコミました(笑)。
(CSフジテレビTwoでは今月20日また第一話から再放送します。)

 ついでに。「雲の階段」の後番組が「坂元裕二脚本、主演満島ひかり共演田中裕子、小栗旬、小林薫…」ですね。コメディならば楽しみですね。(「Mother」も「それでも」も怖くてまだ見ていないのです。)

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

ああCS、私ちょっとご縁がないのでアレですが(笑)、そう言や字幕ないですね。
私はかなり耳が悪いので、最近では字幕がないとドラマが100パーセント把握できたような気がしなくて。 副作用の最たるものですね。
ただ、ひところはよく聞き取れていたような気がする役者さんたちのセリフも、すごい大昔の黒澤映画とかでは分からないことが多かった。
セリフを聴き取れるかどうか、というのが作品の良し悪しに関わってしまうのかどうか、よく分かんないです。

うわ、また坂元脚本ドラマですか(ちょっとゲンナリ…笑)。
この人のレビューって正直(見るのも)かなり疲れるんで、勘弁してほしいです(爆)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

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  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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