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2013年2月17日 (日)

「泣くな、はらちゃん」 第2-5回 さよならを教えて

 個人的には、この1-3月期のドラマの中で、いちばん好きなこのドラマ。 当ブログのコメント欄でもヤタラメッタラ推しまくっているのですが、不思議とレビューを書くまでには至りませんでした。

 それはこのドラマが導き出すテーマが、あまりにストレートなため。
 はらちゃん(長瀬智也クン)は越前さん(麻生久美子サン)の描くマンガの世界の住人だから、一般常識というものを知らない。 現実世界に飛び出したはらちゃんがそれを学んでいくことが毎回毎回の核となるテーマだった気がするのですが、人にとってそれらはあまりに基本的なために、解説しなくてもドラマを見ていれば分かる。 それでレビューを書きませんでした。

 ここ数回のドラマの吸引力をそのほかに考えると、まず越前さんが描いているマンガと、矢東薫子というマンガ家の関連性。
 これは第2回だったか、越前さんが大事にしている矢東薫子漫画全集が弟によって古本屋に出されてしまったときに、越前さんが矢東薫子ではない、ということが早々にして判明しています。 その後に職場のチーフである百合子さん(薬師丸ひろ子サン)が絡んできて、どうやら矢東薫子は百合子さんである可能性が高い、と分かる。
 分からないのは、この百合子さんがはらちゃんの存在にさして驚かないこと。 つまり百合子さんも過去に同様のことに見舞われている、ということが考えられる。
 そして越前さんに、はらちゃんとの恋はしないほうがいい、みたいなことを進言することで、自分の過去の結末は、百合子さんにとって苦いものだったことが推測される。

 その苦い思いというものを推理したとき、「現実世界の人とマンガの世界の人とは、結局分かちがたい壁によって仕切られている」 ということを思い知った。 または、「自分の思い通りにできてしまう相手、というものの物足りなさ」 を思い知ってしまった。 そんなことが想像できるのです。

 「漫画全集」 という単行本が出ているくらいだから、矢東薫子先生はもうすでに引退している、と考えるのが妥当かな。
 百合子さんがマンガ家をやめた理由、というのは(ほぼ百合子さん=矢東先生と決めてかかってますが)自分にとっての 「はらちゃん」 的存在との苦い思い出が引き金になったか。 本人はその後を 「余生」 などと話しているので、もうマンガ家として燃え尽きたか、じゅうぶん稼いだか。
 百合子さんのことをいろいろ想像する面白さ、というのもこのドラマの吸引力のひとつだと思います。

 そしてやはり百合子さんの苦い思い出を推測したときに、このドラマで越前さんとはらちゃんが行きつく先にある悲しみ、悲劇というものに思いが至ってしまう。
 この、思い切り笑えるドラマが持つ、一種独特の切なさの源流は、そこにあるのだと私は思います。
 その切なさにメスを入れたと思われるのが、今回第5回です。

 このドラマの吸引力のもうひとつをここで挙げれば、越前さんがはらちゃんの存在を徐々に認識し意識していく過程だと思われるのですが、目の前で自分の描いたマンガ帳を開いたり、振ったりすることではらちゃんが消えたり現れたりすることで、あまりに疑り深い越前さんも、ようやくこの非現実的なからくりが飲み込めます(このシーン、クッソマジワロタ…笑)。

 で、そのことを知った越前さんは、「はらちゃんが私の描いたマンガなら、この人って自分の思い通りにできるんじゃん」、と不穏なことを考えます。
 しかしそれは、おそらく百合子さんがかつてたどった道なのではないか、という気を私に起こさせます。 「百合子さんが過去に苦い思いをした」 という仮定の上でもの言ってますけど。

 つまり、「人付き合いって、自分の思い通りにならないからこそ面白いのではないか」 と思うんですよ。 たぶん越前さんがはらちゃんのことを、自分の思い通りに動かそうとしはじめたら、最初のうちは面白いだろうけれど、そのうち物足りなくなってくるのではないか。 飽きてしまうのではないか。
 他人に対してタイラント(暴君)であることの悲劇というのは、自分のわがままが果てしなく肥大していってしまう、ということであろう、と思われるのです。
 その結果、飽きられたはらちゃんは、マンガの世界に閉じ込めておいたほうが面倒臭くなくていい、という結末になってしまう。

 はらちゃんの存在の不思議さを悟った越前さんは困惑し、しばらく職場の工場長の玉田、たまちゃん(光石研サン)にはらちゃんを預けます。
 そこではらちゃんはたまちゃんから、「チュー、またの名をキス」(笑) の仕方とかを伝授されるのですが、「オマエ家族いるのか?」 という話から、冒頭で越前さんの母親である秀子さん(白石加代子サン)から聞いた 「死ぬ」 ということに、話は移っていきます。

 たまちゃんが話します。
 「(自分が天涯孤独な身であることに)まあいいんだけどな。 ときどき思うよ。 オレが死んでも、泣いてくれる人はいるのかなーってな」
 「『死ぬ』 って、世界からいなくなる、ってことですよね?」
 「うん」
 「工場長がいなくなったらさびしいです。 私が泣きます」
 「おいおい、嬉しいこと言ってくれんねぇ。 ありがとよ」

 「でも…『死ぬ』 ってよく分かりません。 死んでいなくなったら、どうなるんですか?」
 「オレも死んだことないから分かんないけどな」(ハハ…)
 「そうなんですかっ?」(はらちゃん、いちいちリアクションが笑える)
 「ま、まあな、おかげさまでな」(ここらへんがこのドラマの笑いの真骨頂でしょうね)

 たまちゃんは 「死」 について語り出します。

 「いろいろ考え方があるけどな、天国に行くとか地獄に行くとか、星になるとか。 いろいろさ。
 でも(道端の猫を見つけ、抱きあげて)へへ…。 消えてなくなんじゃねえのかなァ。 命がなくなるわけだからな」

 「命…。 もう、会うことはできないんですか」

 「そうだなァ。 この世界にいる者は、みんな、いつか死ぬわけだからなァ。 悲しいけど、仕方ないんだよなァ」

 はらちゃんは、たまちゃんに訊きます。

 「あの…マンガの人間は死にますか?」

 「マンガの人間、マンガに描かれている人間のことか」「はい」「…死なないだろうなァあれは、命があるわけじゃないからなァ。 羨ましいよなァ」

 ここではらちゃんは、容赦のない現実と向き合わなければならなくなっている。
 玉田工場長は天涯孤独の身であるがゆえなのでしょう、魂についても結構シビアで、唯物論者的な考え方をしています。 だからなくならない命というものを羨ましがりますが、果たして死なないことが幸せなのかどうか。
 この玉田工場長、ある夜酔っ払って、「♪恋人よ~僕は旅立つ~」 と 「木綿のハンカチーフ」 を歌いながら、海に転落して死んでしまいます。

 それにしても、はらちゃんは死なないどころか、越前さんがはらちゃんの顔にシワでも描かない限り、年老いることもない。
 越前さんだけが歳をとっていき、そしてやがては死んでいく。
 はらちゃんはそのとき、永遠にその悲しみを抱いたまま、マンガの世界の人間として、生き続けなければならないのです。
 これって 「火の鳥 未来編」 に似たコンセプトでありますが。
 「未来編」 の主人公は、不老不死になったけれども、自分の愛するムーピーという、寿命が何百年もあるパートナーとも別れ、人類が滅亡しても生き延び、自分の肉体が耐用年数を超えてなくなっちゃっても生き延びていく。 空恐ろしいストーリーでした。

 たとえば私が好きなマンガのベストワンである 「あしたのジョー」 でも、力石なんかは物語のちょうど真ん中で死んでしまうのですが、もう一回最初から読めば、ちゃんと途中まで生きているわけですよ。
 ジョーにしても、最後に死んじゃうのかどうなのか、まあ梶原一騎サンのプロットでは療養施設みたいなところで葉子の世話になっていることになってたみたいだけれど、ジョーはそのマンガを読めば、何度もよみがえり、真っ白になるまで燃え尽きていく。

 藤子不二雄F先生の 「ドラえもん」 にしたって、そりゃアニメとかが際限なく作りだされ、人々の記憶からなかなか消え去らないだろうけれど、マンガのなかのドラえもんやのび太クンたちは、藤子F先生の不在を、嘆いているかもしれない。
 ほかにも、人々に読まれなくなったマンガのなかの主人公たちは、もっともっとさびしい思いをしているかもしれない。
 よく 「人は二度死ぬ。 1度目は実際に死んだとき。 2度目は、その人を知っている人がこの世からいなくなったとき」 などと申しますが、マンガの世界の住人たちは、その本の中で、永遠に生き続ける宿命を背負っているんですよね。

 工場長の死を悲しむ越前さん。 「呼ばれないときてくれないなんて、ダメじゃん」。 はらちゃんに慰めてほしくて、彼女はマンガ帳を激しく振ります。 「出てきてよー! 出てきてよーっ!」。 飛び出すはらちゃん。

 「だぁ~っ!! 越前さんっ! …ん?」

 屈託のないはらちゃんに、越前さんはまた泣けてきてしまいます。

 「…やらしくなく、抱きしめてください」

 「だ、『抱きしめる』、とは…? ど、ど、どうすればいいんですか?」

 越前さんは自分からはらちゃんに近づき、その見本を見せます。 「こうやって、ギュって」

 しゃくりあげる越前さん。

 「キライなの…! イヤなのっ! …人が死ぬのキライなの!」

 「越前さん、なにが、あったんですか」

 「玉田工場長が…死んでしまったんです…」

 「工場長さん…たまちゃん…が…死んだんですか…」

 「ええ…」

 「え…もう、会えないんですか、たまちゃんに」

 「ええ…!…うっ…うっ…」

 「死」 の意味を初めて実感したようなはらちゃん。

 「…かなしいですね…。 『死ぬ』 って…。

 もう、会えないんですね…。

 工場長さん…たまちゃんに…」

 涙を流すはらちゃん。

 「かなしいですね… … もう会えないなんて…。

 …越前さんも、いつか死んでしまうんですか…?

 (小さくかぶりを振り)やです。 そんなの絶対ヤです。

 私も死にたいです…」

 ハッとしたようにはらちゃんから離れ、はらちゃんを見つめる越前さん。

 「どうして、私は死なないんでしょうか…。

 …ゴメンナサイ…。
 分からないことばかりで…。

 私と越前さんは、住む世界が違うんですよね。

 …これじゃ…『両想い』 じゃないですよね…」

 越前さんは、うつむいたまま、意を決したように口を開きます。

 「…両思いです」

 驚くはらちゃん。 「えっ…?」 顔を上げる越前さん。

 「『両思いです』 って、言ったんです…。

 なんだかさっぱり分からないけれど、両想いなんです、私たち…。

 だって、
 あなたのこと好きに決まってるじゃないですか…!
 あたしが作ったんだから…!
 いちばん好きなキャラなんだから…!」

 越前さんはドラマ中盤で自分の描いたはらちゃんのマンガにそうしたように、はらちゃんの頬に流れる涙をぬぐい、背の高いはらちゃんの唇に、背伸びをしてキスをする。

 工場長が死んだことのかなしさ、さびしさから、はらちゃんが 「死」 という概念自体が違う、自分とは別の世界の人、という切なさに変化し、思いが堰を切ってあふれてしまったこのシーンは、越前さんにとってもはらちゃんにとっても、「思いが届いた」 感動的なシーンであったことは言うまでもありません。 泣けました。

 しかし、と同時に、この恋は、先に書いたように、とても前途が危ういように思える。
 結局は違う世界の人間だった、と百合子さんのように挫けてしまうのか(またまた百合子さんがそんな経験した、と決めてかかってますけどね)。

 はらちゃんの発案で、玉田工場長は越前さんのマンガによって、マンガの世界で息を吹き返します。
 それはとても名案だったけれど、玉田工場長も、抜け出せることのない、マンガのなかの永遠の世界に、閉じ込められてしまった、という見方もいっぽうではできる。
 そして越前さんが、思いのままにマンガの世界の住人を動かすことのできる、「タイラントの鍵」 を手にしてしまった瞬間でもある、と私には思えるのです。

 その、いちばん平和的な、解決の仕方が、このドラマはできるのか?
 どうすれば越前さんもはらちゃんも、みんなが幸せに収まるのか?
 私の興味は、そこに落ち付いてきました。

 それにしても。

 越前さんの下の名前が、未だに分からないっていうのは、どーいうわけなんだ!(笑)

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コメント

 リウ様、腰のほうは順調に回復されていますか? 寒かったりちょっぴり暖かかったりする季節ですのでどうぞご無理の無いように。

 「泣くな、はらちゃん」大好きです!!なんとも言い表せない素敵な世界です。それに加えて二つの挿入歌がいいですよねえ! 思わず口ずさんでしまいます。

 玉ちゃんが漫画の世界に再登場で良かったと思いましたが、あの世界に行ったと言うことは永遠に生き続けるということなのですね。そう考えると複雑です。

 毎週土曜日が楽しみな心温まるドラマです。

投稿: ゆみ | 2013年2月17日 (日) 11時59分

この回は、まともに見ました。
日テレのこの時間帯は、時々思わぬ佳作を産みますね。

私も、最後、どこに着地するのか、それを楽しみに見ています。

投稿: マーシー | 2013年2月17日 (日) 21時21分

ゆみ様
コメント下さり、ありがとうございます。

腰のほうは痛いです(相変わらず正直者smile)。

「世界中の敵に降参さ、戦う意思はない」 という歌について、言及するのをすっかり忘れていました。 まあ今後このドラマのレビューをすることがあればいたしたいと思います。 あれは平和を歌っているようでいて、ちょっと危ない詞だと思う(ハハ…)。

もしたまちゃんが、この世界に飛び出してきた、としたら、そのたまちゃんは元のたまちゃんじゃ、ないわけですよね。 そのマンガの中でしか得たことのない知識しかない。 それって考えると、ちょっと怖い。

ユキ姉が現実世界で経験したことって、いったい何だったのかな? それも気になります。

いろんな仕掛けがすべて興味深くて、全部疑問を回収できるのかな?なんて気がしています。

投稿: リウ | 2013年2月18日 (月) 06時18分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

話は全く違いますが、「女人平家」 見ましたよ!
タイトルバックで、監督が西河克己サンであることが分かり、百恵チャンの映画を見倒していた私にとってはすごくうれしくて。
でもこの監督も百恵チャンの前は吉永小百合サンの映画を数多く手掛けていたから、吉永サンとのコンビも納得できるし。

吉永サンはお姫様演技でしたけど、やはりなんといっても田中絹代サンがよかったです~。 最初、藤村志保サンかと思ったけど時代がちゃうし(笑)。

そして皆さん、佇まいがよろしいですよね。 たぶん1970年代初頭のドラマだと思うのですが、たかだか40年前なのに、同じ平安言葉の 「平清盛」 での話し方とは全く違う、というか。 惻隠の情、とでもいいますか。

少々テンポはアレですが(笑)、ちょっと最後まで見てみたいドラマです。

投稿: リウ | 2013年2月18日 (月) 06時28分

>リウさま
「女人平家」、お楽しみいただいて何よりです。
確かに、テンポがゆるすぎて、今の人には二倍速くらいで見るのがちょうどいいかも。
先週の、ひろもっちゃんに着物を届ける場面でも、友人に出会ってからのご挨拶の長いこと長いこと。
見ていて、「それはどうでもいいから、早くひろもっちゃんと話して~~~」と、画面に突っ込みを・爆

セリフは、原作のものが相当入っているそうです。
まだるっこしいけど、美しいですね。
この脚本家さん、「龍馬がいく」も書いていらしたそうで。
スタッフも豪勢ですよね。

このとき、吉永さんは「花は花嫁」にも主演でいらして、ダブルヘッダーの大変さに倒れたこともあったそうです。
「花は花嫁」って、確かいTBSかな、
吉永さんは芸者さんで、児玉清さんの後妻さんに入るんです。お姑さんが固い人で、しかも先妻の子どももいたんだっけかな。
とっても面白くて、印象に残っています。

敵役の高城丈二さんは、「姿三四郎」でも宿敵、桧垣源之助の役で、憎々しげでよかったですよ。
こういう役者さんがいなくなりましたね。

いま、BS11で、木下恵介の「3人家族」も放映しているそうです。残念ながら、今日も見逃してしまいましたが。

CSの銀河チャンネルでは、木下恵介の「二人の世界」を放送していて、これもとても面白かったです。ほんのちょっとしたセリフの中で、いろいろなことを現しているんですね。
奥行きが深いです。これは70年のドラマ。
安田講堂や、三島の割腹がありました。
男女関係も少しづつ変わり始めたころです。

投稿: マーシー | 2013年2月18日 (月) 20時11分

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

脚本が山田太一さんですよ!

この当時は、まだ人間関係が信じられるというか、情緒がありますが、やがてホームドラマも「岸辺のアルバム」で転機を迎えるわけですね。

感慨深いものがあります。

投稿: マーシー | 2013年2月18日 (月) 20時14分

マーシー様
レス下さり、ありがとうございます。

いやいや、マーシー様のドラマ視聴の歴史には敵いません(笑)。 木下恵介アワーなどは私にとって、「伝説の番組」、大人のドラマ、という位置付けであります。 私にとってのドラマ体験で最も原初的なのは、「ケンちゃんシリーズ」 だったり 「おくさまは18歳」 だったり 「肝っ玉かあさん」 だったりでしたから(いずれにしてもドラマのTBSですね…笑)。

敵役の人は、このドラマではずーっと敵役なんですね(笑)。 単なるエピソードのひとつかと思った。

70年代はじめっぽかったのは、吉永小百合サンお付きの侍女なのかな、お目々がぱっちりとした女優さんがいらっしゃいましたでしょう、岡田茉莉子サンみたいな。 「こういう人って昔いたよなぁ~」 と妙な感慨にふけってしまいました。 彼女だけは 「平安顔」 じゃないっスよね(笑)。

大江広元がいかにも少女マンガの 「あこがれの君」 みたいで、これも時代を感じて。 西行には唖然といたしましたが(笑)。

このドラマに比べたら、現代のドラマなどはすべて、「平清盛」 もそうだったけれど、言葉が刺々しい。 インパクトのあるセリフというのは、そりゃ心に残るだろうけれど、見ている人の心まで波立たせてしまうものなんですね。

投稿: リウ | 2013年2月19日 (火) 06時28分

リウ様のお気に入り、いろいろツッコミどころ満載のはらちゃん(笑)も、そろそろ終盤ですね。
一体どんな結末を岡田さんが用意してくれているのか楽しみです。
今夜は全員がこの世界に飛び出してくるようだし。どうなることやら予想がつかないのが、また楽しみ♪

以前リウ様が書かれていたように、私も最初はこのドラマは原作があるのかと思ってました。オリジナル脚本と知ってビックリ。ちょっと意外でした。
今まで見てきた他の岡田さんのドラマは、失礼を承知で書かせてもらえば、私は時々ぬるま湯に入っているような物足りなさを感じることが多くて、でも「泣くな、はらちゃん」は、設定やセリフが奥深いな~といろんなところで感心しつつ見てました。

はらちゃんたちのいる世界も人間の私たちがいる世界も“同じ”なんですね。
今いる場所を否定して、他の世界・外の世界を求めたって、ソコで生きていくのは同じこと。
「神様」のせいにしてないで、今ここで、自分のチカラで自分らしく生きていこうよ。…って言ってくれているような気がします。
人生は空の上の神様によって決まるんじゃない。リウ様が最初のレビューで書かれているように、まさに「あなたが変われば、世界が変わる」。自分が変われば、まわりの世界が変わっていくんですよね。
越前さんは、はらちゃんたちの神様であるだけでなく、越前さん自身の自分の人生の「神様」でもあるんだよ…って、いつかそのことに気づいていくのかな。

いずれにしても、ニンゲンの越前さんと永遠の命を授かっているマンガの世界のはらちゃんの恋は、確かに成就はありえませんよね。
おもしろうて、やがて悲しき・・・な展開ですが、岡田さん、どうされるんでしょ。
リウ様の予想は?(^^)

愛すべき人物設定と、越前さんのお母さんや百合子さんたちのような芸達者な人たちのイキイキした演技に元気をもらっていた一時間で、毎週楽しみにしていたので、ホントはリウ様のレビュー、もっと読みたかったです~
…なんて、滅多にコメントしないくせに勝手なこと言ってゴメンナサイ(^^;
ドラマ直前に長々と失礼しました☆

投稿: ほとりん | 2013年3月 2日 (土) 20時25分

ほとりん様
コメント下さり、ありがとうございます。

このところ、開店休業状態が続いている当ブログです(笑)。 筆者の疲労と多忙、ということでご容赦願えたらな、と存じますconfident

昨日の 「はらちゃん」 は、リアルタイムで見ることができませんでしたので、これから視聴ということになります。 たぶん今日のレビューアップは無理かなァ…。

この記事に書いた私の拙い予想も、ひとつふたつハズレているみたいなので(笑)、その修正もしなくてはなりませんしcoldsweats01

予告編でみんながこの世界に飛び出してきたのを見て、ロードムービーみたいになんのかな?つーか(ああもうオンエアされたから、これもマヌケな予想ですが…)。

いずれにしても、岡田惠和サンがこのまま予定調和で物語を進めようとしていない、というのは見てとれます。

ただやはり、ラストは心温まるラストになるでしょうね、岡田サンの脚本だから。 人柄の良さがいつも脚本に出てますよね。 それがほとりん様もお感じになる 「ヌルさ」 につながっている部分もあるのですが。

その点遊川サン(「純と愛」 の脚本家さんですね)は 「世の中キビシーすえにちょっとだけ、救いがあんだよ」 みたいなラストが多いですが(笑)。

宮藤官九郎サンが週刊誌でこのドラマのことを 「してやられた」 と書いてました。 「自分ならこうする、というアイディアもある」 そうなんですが、クドカンサンに直接聞いてみたい気がします(笑)。

投稿: リウ | 2013年3月 3日 (日) 12時10分

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