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2013年2月11日 (月)

「とんび」 第2-5回 NHK版との違い

 第1回の時のレビューで比較検討というものはとりあえずしたのですが、今回第5回が終わって和尚(柄本明サン)も退場したことだし、ちょっと突っ込んだNHK版(堤真一版)「とんび」 との比較をおこなってまいろうか、と。
 まあ、原作は知りませんから、これは純粋にドラマとしての比較であります。

 以前に書いた比較論では、「ワンクールという時間を与えられたことで、ひとつひとつのエピソードを丁寧に描くことが出来るようになった」 ということを中心として書きました。 だからなのか、私個人としては、堤版の 「とんび」 よりも、内野版の 「とんび」 のほうが泣けた、と。

 第5回まで見て容易に分かるのは、アキラ役の佐藤健クンの 「現代編」(といっても今から10年くらい前っぽい)と 「回想編」 とのエピソード的な絡みが、堤版よりかなり濃い、ということです。
 つまり、「片親なために親とつなぐ手が片方いつも冷たい」 とか、「知らないほうがいいこともある」 とか、「頭を下げてくれる人の存在」 とか。
 内野版では息子のアキラが、現代編でかように、いちいちオヤジのヤスの回想をしながら、自分の進むべき道を拓(ひら)いていく、という構成になっている。

 けれどもこうすることで、私は堤版を見て自分が強く感じていたことを、内野版で感じる機会が失われたのではないか、と感じます。

 堤版では、「とんびがタカを産んだ」、オヤジのヤスのほうはそう思い込んで、自分の息子を誰よりも自慢の息子だと誇りにしていたけれども、息子のほうは社会に出て、「オヤジが自慢していたほど自分は大したことない、タカじゃない」、と鬱屈した気分でいた気がする。
 そこからこの、一途で頑固で人情に弱くて見栄っ張りで乱暴でガーガーうるさくてバカで、それでも極度の子煩悩である、この愛すべき男ヤスの、「親としての哀しさ」 みたいなものを、NHK版 「とんび」 から、私は強く感じていたのです。
 同時に、「親の期待にこたえられない自分のふがいなさ」、という苦い思いも、強く感じていた。
 これは自分が不肖の息子だから、そう感じたんでしょうけど。

 TBS版のようにアキラが社会に出て成長していってしまうと、これらのことを感じることはなくなるでしょう。
 では、TBSのほうは、いったいこの 「とんび」 というドラマに、何を託そうとしているのか。
 少なくとも、「とんびがタカを産んだ」 という字面通りの結論になってしまうのではないか。
 それは多分に、このドラマがハッピーエンドを用意している、ということになる。

 ただまあ、NHK版の 「とんび」 って、そんなに真面目に見ていたわけではないので、これって的を外した議論なのかもしれません。

 時間が長いことで話を丁寧に描ける、という長所は、回を経ても崩れることがありません。
 第4回では、アキラが自分の母親の死の真相を聞きたがる、という話に54分(まあ実質45分くらい?)。 もともとNHK版の時でも、「そんなの真面目に答えんでもいいでしょう」 と思ってたエピソードだったのですが、そこらへんの引っかかりも、1回ぶんかければ、ちゃんと納得できるエピソードに変身する。

 特にNHK版と違う、と感じるのは、和尚の存在感、でしょうか。
 NHK版の和尚は、なんか有り難そーな話なんだけど結局ハチャメチャじゃねーかみたいな話でヤスをケムに巻いてる、という印象が強かった(笑)。
 TBS版は、やっぱり言ってることはどこかハチャメチャなんだけど、どこかに説得力が伴っている気がする。 やっぱり丁寧にセリフを練っているように見えるんですよ。 ダイジェストみたいにしてない。
 たとえば第2回。
 母親がいないことを寂しがるアキラを、雪がちらつく夜の海辺にヤスと自分の息子の野村宏伸クンを伴って連れてきた和尚は、アキラの上着を脱ぐよう命令します。 寒がるアキラ。 和尚は次にヤスに、アキラを抱っこするよう命令します。 なんつーハチャメチャさだ(笑)。 どうしたいんだよ?(爆)。
 そこで和尚が言った言葉。

 「どうだアキラ!」

 「寒い…です」

 「ほれ見ろ!」 頭にくるヤス(笑)。

 「ハハ…! 正直でいいぞアキラ! これがお父ちゃんのぬくもりだ! お父ちゃんが抱いてくれたら、体の前のほうがあったかい! でも背中はやっぱり寒い! そうだろ!」

 「うん…」

 「お母ちゃんがいたら、背中のほうから抱いてくれる! そうしたら、背中は寒くない! お父ちゃんもお母ちゃんもいる子はそうやってあっためてもらえる! だけどアキラにはお母ちゃんはいないから、背中はずーっと寒いままだ! お父ちゃんがどう頑張っても背中まではあっためられない!

 その寒さを背負うということが、アキラにとって生きるってことなんだ!

 …背中が寒いまま、生きるのは、つらいな? さびしいな?

 悲しくて、悔しいな!」

 「うん…」 泣き始めるアキラ。 和尚はアキラの背中にまわり、手のひらを当てます。

 「アキラあったかいか?」

 「ちょっと(だけあったかい)」

 「(息子の野村クンに向かって)おい、『まだ寒い』 って言ってるぞ」 そう言われて慌てて手のひらをアキラの背中に当てる野村クン。 ヤスの手のひらも共に添えられます。

 「あったかくなっただろアキラー?
 これでも寒いときは、ゆきえおばちゃんもいるし、のりこおばあちゃんもいる。 それでもー寒かったらー、たえ子おばちゃんもいる。

 おまえが寒くてたまらないときは、いつもこうやって、あっためてやる。
 ずうーっとずうーっとそうしてやる。

 だから自分を、かわいそうだなんて思うな。

 『さびしい』 って言葉はな、『さむしい』 から来たんだ。
 寒い、さむしーいが、さびしいに変わっていったんだ。
 だから背中が寒くないおまえは、さびしくはない!
 お母ちゃんがいない代わりにおまえには、背中をあっためてくれるやつらがいっぱいいる!
 おまえは、さびしい子供なんかじゃあ、ない!」

 この説教のあいだ、幼いアキラクンは嗚咽を続けています。 この子役のコ、ホントうまかったな~(しみじみ)。
 いずれにせよ、ここまで和尚に長々と語らせれば、ハチャメチャな説教にも一定の説得力が生まれるのは必定です(ど~ゆ~論理の展開だ?)。
 だってここでも私はボロ泣きでしたもん(ハハ…)。
 しかも 「さむしい」 の話が嘘っぱちだった、というオマケつき(笑)。

 今回、第5回でこの和尚は死んでいくわけですが、この話に丸1回を費やせる、というのも、やはり強みだ(しかも最近何かと話題の、体罰の問題も絡めるし)。

 で、そんな和尚、自分はアキラのことで悩むヤスを見るのが楽しかった、そしてアキラが育っていくのを見るのが楽しかった、と書き残して死んでいくのです。 最後に、「あ…り…が…と…う…」 と言い、口だけを動かして、「ヤス」 と言って。 柄本明サン、私の中では 「それでも、生きてゆく」 の演技以来のベストアクトでした。 なんか、私の夢の中にまで出てきたんですけど(ハハ…)。 どこかでこういう人を求めてるんでしょうかね、私も。

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コメント

リウさん。こんにちは!

とんびのレビューありがとうございました。
原作を読んでいる分、ドラマになった各エピソードの切り取り方には、こうきたか!という驚きと、反面原作で伝えたかっただろう大事な言葉がスルーされてしまって残念!と思いがあって、むしろ原作を読まない方がよかったなぁと思いました。
ドラマを純粋に鑑賞できないからです…

エピソードの細部の切り取り方は、やはり連続ドラマならではで、より具体化できていると思います。
例えば、和尚のヤス宛ての手紙は、最後まで人を食った文章に吹き出しつつ底に流れる愛情の深さをより感じることができました。
リウさんもおっしゃるように榎本さんの和尚は、胡散臭く、けど深い人間性を感じさせてくれたと思います。手紙のくだりは原作にはないんですよ。

ただ、設定が既に高校生になっているアキラの為かヤスが自分を殴る場面は、親子の情愛が
幾分薄く感じたのは残念でした…

それから、アキラが和尚の見舞いに行ったのは既に意識がなくなってからで
間に合わなかったアキラにヤスが言う言葉は是非劇中でも言って欲しかった言葉です…

後悔は悪いこととは違うんよ。いっぺんも後悔せんですむ人生やらどこにもありゃあせん。人生にはどうしようもないすれ違いや食い違いで一歩遅れのことや、先走ってしまうことがある。人が生きるということはそういうことなのだと、もしかしたら海雲和尚はアキラが見舞いに来ないことをわかっていて、後悔の苦みを教えたかったのかもしれない。

それから、病院の長い廊下を並んで歩く、という場面も欲しかったです…
何故なら、子供が小さいときは親子は向かい合っていますが、成長するとなかなかお互い向かい合うことができなくなりますよね…
でも、2人並んで無言で歩くことは、男同士ならありますよね?
並んで歩く
少しずつ子供が大人になっていく、その寂しさは子育てした経験がある人ならば誰でも感じることでしょう?

で、そうだ!ドラマはアキラ(息子)目線での物語だった!と今更ストンと落ちましたわ!
アキラのナレーションで話が進んでいくかっこうだから、原作から受けた親としての悲しみや喜びが半減してしまったのかなと…

やっぱり、原作は読むべきではなかったなぁ。少なくてもドラマが終わるまでは(苦笑)

NHK版との大きな違いは、そこだったかも


ヤス目線だと、美佐子さんがアキラを庇って亡くなったことをヤスのせいでってすり替えるエピソードも、アキラを傷つけたくない、だけでなく アキラが泣きながら「お父さんを嫌いになると思った?」と詰った言葉に対して「すまん」と謝ることで、よりいっそう親子の情愛が浮かび上がったと思うのです。
どんな理由があったとしても
アキラはヤスを嫌いにはならない。そういった場面だった。

ただし、アキラがどうして由美子さんに惹かれ由美子さんと結婚したのか?そこが現在と過去とリンクさせながらの構成は見事だなぁと思っています。

文章がアチャコチャいってスイマセン!
リウさんの読解力に甘えてしまって

とんび、リウ様のレビューで、第5話も、すっかり見た気分。いいお話です。ドラマも、リウ様のレビューも!

裏のフジテレビの、日9ドラマが、今季のドラマで終了のようです。来季はバラエティーらしいです。老舗強し!というより、フジテレビ、やっと、気付いたみたい。同じ時間に、ドラマ並べるのは不毛だと。どっちかとか、選ばされるのって、視聴者には迷惑なんです!選ぶなら、違うジャンルの方が断然いい!その方が、視聴率もきっととれると思います。などと考えました。

とんび、私はたけるくんの吹石さんとのパートも、わりと好きです。たけるくんは無理してないところが、いいなあ。

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。 みち様のコメントの長さに匹敵出来るくらい返信を書けるかどうか分かりませんが、とりあえずやってみます(笑)。

間に合わなかったアキラに、ヤスが言った言葉。 読ませていただきましたが、んー、これほどのことを言うほど、ドラマでのヤスは頭がよくない、つーか(笑)。

要するに、今回のドラマでのヤスは、ひたすらバカ設定なんですよね(笑)。

だから、母親の死の真相をお風呂でアキラに説明する時も、論理がワヤクチャで(笑)。 結局うまく説明できないことで、アキラのほうもそんな父親のあり方をどこかで納得してしまう。 そして、「秘すれば花」 ということのみを学んでいく。

この第5回でも、屁理屈を言うアキラに、もう父親として自分の言っている矛盾を説明できなくなってしまって、結局自分で自分のことを殴ってしまう。 「親の育て方が悪いんだから、親が殴られるべきだ、息子を殴ってる場合なんかじゃない」、という 「感情」 でそうした行動に走る、と思うのです。

つまりこのドラマのなかでのヤスは、難しいことを、うまく説明できない、というジレンマを抱えている。

たぶん堤真一ヤスは、みち様が書いてくださった、これだけのことを言える、と感じられます。 なんか堤サンのヤスは、どこかクレバーなんですよ。 自分の言葉で自分なりの理屈をこねられる。 それは堤サンのヤスが、男として一本筋が通っているように見えるからかもしれません。

内野サンのヤスは、あくまで格好悪い。 不器用さが前面に出ている。

まあ、和尚に 「オマエはバカだオマエはバカだ」 と呪文のように言われ続け、ゲンコを食らい続けたからホントにバカになっちゃったみたいな(冗談です)。

でもそれが冗談でないくらい、殴られたケースというのも昔はざらにあった気がします。 「あんまり頭をはたくとバカになる」、という言い方が、昔は確かに私のまわりではあった。

現代編では、かなりアキラは策士みたいな気がします(笑)。 子供から攻めていくか?みたいな(笑)。

話は軽くなってしまいますが、それにしても吹石サン、デカイ(笑)。 タケルクンと同じくらいではないですか(笑)。 しかもドラマの中ではやり手の編集デスクだし。 ガキから攻めるしかないのか(笑)。

そんなアキラが、誰かに守られていた自分から、誰かを守ってやれる自分へと成長していく。

やはり 「とんびがタカを産んだ」、という話に落ち着きそうな気がするのです。

ささ様
コメント連投下さり、ありがとうございます。 これ書き終わったらまた寝ます(笑)。

いや、このレビューでは、第5回のこと、ほとんど書いてませんからっ! ザンネンっ!(古…)。

特にゲンコ合戦、体罰問題は、やはりこの第5回のキモでしょうね。 それについてワタシ、ほとんど言及してない

やはりこのゲンコエピソードも、NHK版ではとても簡単だった気がします。 前後編の3時間程度では、やはり足りないと思うなァ。

それにしても、ドラマチックサンデーがなくなるのは朗報です(笑)。

リウさん。返信ありがとうございます。

スッゴく納得しました!
とんびがタカを産んだ そういうことなのだとおばかな私はやっとこさ納得しましたデス…

実は、私事で恐縮なんですが「親の心 子知らず」な出来事があり
ホント情けなくて
私の育て方が悪かったのか?そんなジレンマに陥っておりました。
ドラマのアキラのように、親の心を顧みることが できない。
わかってます。
それって、親である自分がチャンとした大人になれていない、そのジレンマだということは…

だからバカなヤスをみると、自分みたいで

堤ヤスはバカなりに、親しての筋を通し伝えていた…

なんか、上手にいえないのですが

そうありたいと、思ってました…

ヤスの一見バカな言動の裏に、なかなか言葉にできない人として一番大事なものが、堤ヤスからは感じられたってことですね…
いえ、内野ヤスからだって不器用ながら、底無しの愛情は充分感じられるのです。

これからは、リウさんが喝破してくださった見方で鑑賞できそうです!

ありがとうございました<(_ _)>

橋本さん、初めまして。「美しい隣人」の各キャラに対する感想を拝読し橋本さんの洞察力に脱帽しました。最終回まで読めずに残念でしたので「サキ」に期待していたのですが、やはり美しい隣人の二番煎じ的謎解きの楽しみは皆無なだけあり、セクシーシーンがあっても感想は書く気になりませんか?楽しみだったので少し残念です。仲間さんが無理に壇蜜みたいな演技でなんだかドラマにも共感できなくてセクシーシーンはサラサラッと流し復讐に燃える怒りの演技の処だけじいっと見て終わってます。

みち様
レス下さり、ありがとうございます。

少し言葉足らずだった気がするのですが、内野ヤスの場合、親がバカでも、愛情がある限り、子供にはちゃんと伝わっていく、と申し上げたいのです。

いちばんダメな親とは、子供を 「理路整然とうまく叱れない親」 ではなく、「叱ること自体が出来ない親」 だと思う。 子供をダメ人間にするいちばんの方法は、「叱らないこと」 ではないでしょうか。

公共の場で自分のガキが騒いでても怒らない親とか、サイアク(笑)。

内野ヤスは、自分を殴ることで、子を叱っているんだ、と思います。 子供にとっては、単純に自分が叱られるより、親が傷つくことのほうが(この場合は自傷行為ですが…笑)、よほどみずからの良心にこたえるのです。

子供に愛情があるから怒る、などと書くと口はばったいところもありますが、たとえ 「そんなことをしたら私が恥ずかしいのよ」 とか理由がいくら自分本位であっても、叱るということはそこで常識的なことを教えているわけだと思う。 なにをためらうことがありましょうか。 子供が悪いと思ったらブン殴りなさい(テキトーだなァ…)(伊集院静先生の人生相談みたいになってきた…笑)。

こういうテキトーなことはさらっと読んでいただいて(笑)、ご自分の良心に従っておれば、道はおのずと開ける気がいたします。 エラソーでスミマセン。

絵里子様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

誠に申し訳ございません、「サキ」 はリタイアです。 なんか見ていて、まどろっこしくて。 早いとこ謎が知りたい、なんて思ってると、あのテンポについていけなくなっちゃいますよね。

壇密サンって何かと話題みたいですが、動いているところを見たことないんですよ(笑)。 どうも世事に疎いなァ。

去年あたりからかな、やたらとリタイアするドラマが多くなってまいりまして、第1回の感想だけ書いてそれっきり、ということが多くて、ご期待されている方々には大変申し訳ないです。 年のせいか疲れやすくてイテテテテ…(笑)。 仕事がきつくて帰ってくるとすぐ寝てしまう連続で、…コックリ、コックリ…(笑)。

こんな怠惰な私ですが、なにとぞ大きな目で見てやってくださいまし。

つくづく、親業とは果てがないものですね。
これで終わりということがないのかもしれません。
所詮二葉でしかないのでしょうから。
生涯を全うして初めて卒業なのだとしたら、枯れてクタクタになっても、まだまだ親としての責任は終わらない。
本葉の陰になってもその基本は二葉ですから

いや、たいそうな事ではないのです。
ちょっと、出来損ないの鷹を産んだつもりだったのが思わぬところで「あらら そんなこともわからなかったの?」的な
なんというか過大評価していたというか

はっきり言って親バカチャンリンだったという お粗末な話なのですよ(笑)

親の心など、たかだか24年生きた子が考慮できるはずもないのに
そのばかさ加減に自分自身嫌になったというか

人生を生きるということは、我慢だったり忍耐だったり想像力だったり様々な事を一つ一つ経験しながら身につけていくことなんだろうと思います。その間には失敗だってたくさんあるはずですよね?それを親バカチャンリンの私は、こんなバカしないだろうと勝手に思っていたという
ホント…リウさんにお話しするのもお恥ずかしい

愛情に関して言えば、自分も親になってたかだか24年の経験しかございませんが、少なくともシッカリ怒ることは(愛情の気持ちで)してきたつもりです。
なので、リウさんがおっしゃってくれた本物の愛情はどんなにバカな親からだってチャンと子供に伝わるのだと、そう信じたいです。

重松さんの小説は、ある意味親としてのバイブルとして自分を振り返ったり、また自身子供の立場で親のことを思うささやかな呼び水として有効に作用している気がします。
そういう思い込みがあったが為にまっすぐに見ることが欠けておりました。
それを指摘していただいたこと。
ありがとうございます。

まぁ、何より未熟な私
49年も生きてきて呆れるくらいまだガキだなぁとちょっと情けない気分でございます(苦笑)

リウさん。おはようございます。

昨夜の投稿を自分で読み直して赤面しております。
文章は夜書くべきではないですね!

どうか笑ってお忘れください(>_<)

ご迷惑おかけして申し訳ございません。

さぁ、今から営業に行って参ります!


ところで、野村昭雲和尚は、イメージピッタリです!
ヤスとはまた違う優しさが、ジンワリしみてきます。

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

えーと、お忘れください、ということなので忘れさせていただきますが(笑)、基本的には、やはりちゃんと生きてればいいんじゃないのかなーと思います(笑)。 お子さんも、みち様も。

野村クンは最近頭剃ったなというのが分かる頭の青っぷりで(笑)「日焼けサロンで頭だけ日焼けさせたらよかったのにな~」 と思ってます(笑)。

彼を初めて見たのは、デビュー作の 「メイン・テーマ」 でした。 薬師丸ひろ子サンの私ファンだったので覚えてるんですが、「彼は演技をもーちょっと…」 と思ったまま、なんとなくそのまんまで今まで来てしまったような気がいたします(ハハ…)。

でもその、なんともつかみどころのないところが、そのまま彼の持ち味になって、今回のそのひょうひょうとしたところが大いにものを言っている。 彼が演じる寺の跡取りの役を見ていると、こぶ平チャンを思い出しますね。 偉大なる生臭坊主のオヤジに、どこかで劣等感を抱き続けている。

でもオヤジがいざ亡くなる、という段になって、彼はオヤジの仕事をきちんとこなし続けてました。

人間、親という後ろ盾がなくなると、やりたくなくてもやらなきゃならん、という気になるものですね。

やっと、第5話を、見ました。桜宮高校の体罰問題とシンクロするような、高校生の親としては、ためになる話でした。の前に、たけるくん、なんとか高校生に見れた!(笑)

ヤスさんの自分へのげんこつは、まあ、子を殴った親なら、やったことあるかも?私は、自分を引っ叩いた事ありますよ。でも、自分が可愛いから、加減するのよね。ただ、虐待を踏みとどまる には、いいかもです。親って愚かなの!でも、それが楽しい。ダメ親ですから、開きなおっております。

このドラマを見ていると、いつまで、子供と手をつないでたかな、とか、子供と本気で向き合ってるかとか、ちょっと考えます。

高校生になって、ぶっきらぼうになって、ぶつくさ言ってる息子を見てると、「さっさと、親の背を踏んで、社会に羽ばたいてくれ。」と檄を飛ばしたくなります。もうすぐ、親を卒業するつもりですから。子供が成人になったら、いっぱい、対等の大人として、おねだりするつもりです。その日を楽しみに、弁当作りを毎日して、子供の文句にむかつきながら、世話を焼く日々です。

自分が、親の世話をしなきゃいけない、その日がくる方が先かもしれません。それも、生を受けた者としての、さだめなので。一生親だけど、一生子でもある。両方味わえる事を幸せだと、思う事にします。(嘘!笑)そんな高尚な事考えてない!なるようになる!ヤスさんを見てると、頑張れる。

私の座右の銘は、他力本願と、苦しい時の神頼み!後が控えてると思うと、自力でなんとかできるもんです。(笑)

思ったより、淡淡としたお話でした。柄本さんとお別れがちょっと寂しい。生臭和尚さん、最高でした。最後のお手紙も、いい感じ。

親に殴られるのも子の特権、ベタベタ甘やかすのが親、いろいろと、ありがたい。親も自信持つのが大変な世の中ですから。

5話まで、やっと、リウ様に追いつきました。(笑)



ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

子育てに関して私はエラソーなことが言えませんが、結局は 「ちゃんと」 したかどうかだ、と思います。

「ちゃんと」 ということは、すごく当たり前のこと。 なにも勢いこんで力まなくたって出来ることなんだと思う。 自分の思ったように、子供に接する。 自分のなかで嫌だな、と思う自分の性格は、なるべく子供に伝わらないようにする。

ささ様の場合、お子さんはもう、高校生まで育てりゃあとは自分で生きてけ、という感じのように見受けられるのですが(笑)、「突き放す」 ということが出来る、ということは重要なような気がしますね。 突き放されると、子供って自分でおまんま食って生きてかなきゃいけないから、仕事も自分で探すし、自然と自立してしまう。 引きこもりなんかやってる場合じゃなくなっちゃうんですよね。

それと、自立すると、子供は親のありがたみがそこで初めて分かる気がするんですよ。 食事でも洗濯でも掃除でも当たり前すぎるから、そのありがたみが分からない。

叩くという行為も、信頼関係があって初めて成立するんだと思います。

子供が憎くて叩いてしまうと際限がなくなって、虐待ということになってしまいますが、たいていの親は、子供を叩きながら、自分も傷ついているし、心で泣いている。

子供がその気持ちを分かるとき、自分は悪いことをしたから叩かれているのだ、と分かる。

自分が悪くないのにどうして叩かれるんだ、と思ったとき、それは一方的なパワハラ、ということになってしまうのではないでしょうか。

その問題の高校にしても、女子柔道にしても、自分を叩く指導者の気持ちというものが伝わってないから、問題になってしまうのだと思います。

…あ~あ、子供もいないのにエラソーなことばかり書いてるぞ…。

第5話を見てて、金八先生を見ている気分になったんですよ。先生の視線じゃなくて、親と子の視線。なんか似てるかもと思ったり。(私だけかな?)

親と言ったって、別に偉くもないんですよ。実は。最初はみんな一年生だし、若葉マークになって、もうあたふた。幼稚園で、無事すごせるだろうかで、親が胃を痛めたり(笑)そんなもんです。今は親として、高校生になれたかしら?

憎たらしくてたまらなかった事ありますよ!年子でしたから、両手で二人抱いていたのに、旦那出張で、週末家族だったし。カリカリしてました。

桜宮の先生は、個人的にはいい先生でしょうけど、度を超えてしまったと思います。信頼関係が仮にあったとしても、暴力あるいは、虐待になると思います。ここまでくるまでに、彼を諌める機会、人がいれば、大事にはならなかったのじゃないでしょうか。数十回殴っちゃったら、暴力でしょ。学校でも、授業中正座させられたり、げんこつ一回くらいは、体罰でも、許されるんじゃないかと思います。出席簿で叩く先生もいたっけ?

女子柔道は、相手が女性という事もあります。男性が指導する時は、気をつけないと。女は、二心はあったりまえ!裏表みんなあります。女の集団は、怖いですよ。まず、尊敬される人、公平な人でないと、難しいと思いますね。園田さんは、若すぎたんじゃないでしょうか。女って、贔屓をする人が一番キライなんです。そういう人とは、信頼関係はまず結べません。(笑)

もう週末。明日は八重の桜ととんび。忙しいなあ。

ささ様
レス下さり、ありがとうございます。

先の返信のあと酔っ払って寝たら、昼ごはんに起きてそれ以外爆睡(笑)、こんな時間になってしまいました。 なんか私にとって土曜の夜は休日なのに損したような気分(笑)。 もう 「はらちゃん」 の時間ではないか(まだある)。
子供なんかいたら、それこそこんなブログなど書いている暇はないです。

桜宮のお話は私、ちょっと状況を詳しく把握しておりませんでした。 なにしろ度が過ぎるとそれは暴力ですよね。 でも嘆願書も出ている、ということは、その程度を生徒や親たちが容認し支持できる土壌もあったのかな、と。

私も小学校のとき、何かというと廊下に正座させられたり、長い物差しで頭をぺしーっと全員叩かれたり、そんな教師が数名おりました。 でもそのひとりは、最初怖がられながらも、結局最後は生徒や親たちに支持されていた。 もうひとりのほうは、私自身の話ですが、そうされることに理不尽を感じていた。 やはり意志の疎通だ、と思うんですよね。 自分たちは悪いことをしている、という自覚があると、子供たちも納得してしまう部分もある。

別に数十回もぶん殴られたわけではないので、私の経験は参考にはなりませんが、運動部の場合は、どうなんでしょうね。
指導者に厳しくされると、なにくそと思ってポテンシャルが上がるとか私も経験がありますが、もっと科学的に 「こうやったらもっとよくなる」 というのが分かると助かる気がします。 それが出来ない指導者は、やはり力量がないのではないか、と。

まあ、練習が厳しければ厳しいほど、それが報われる瞬間は、もう感動の嵐、滂沱の涙、血の汗流せ涙をふくな、ゆーけゆーけー飛雄馬ーっ、となってしまうのですが(オチャラケてますが、オリンピックとか見てても、それまでの苦労なんかを思うとこちらもすごく泣けますし)。

子供というのは思い通りに育たない面もあろうかと存じますが、思いやりさえ覚えてくれたら、それに勝るものはない気がします。 疎遠になって親に何かあっても知らんぷり、というのは、切ない気がするなァ。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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