「泣くな、はらちゃん」 第6-8回 「知ること」 の恍惚と不安とふたつ我にあり
現実世界に出てきてしまったはらちゃん(長瀬智也サン)とその仲間たち。 越前さん(麻生久美子サン)は結局、「開くとかれらが元の世界に戻ってしまう」 自分の創作ノートをテープでぐるぐる巻きにし、この大所帯を引き受けてしまいます。
これっていかにも大変そう。 自分のことですらままならないのに、現実世界の基本的なことをほぼ知らないこの人たちを、越前さんがどうにかできると考えるほうが難しい。
とりあえず、彼らは神様(彼らが越前さんをそう呼んでる)の権限で、自宅待機ということに(笑)。
タレント追っかけのためのパートおばさん集団職場放棄(笑)に遭ったために、副所長を務めている越前さんは自分の職場であるかまぼこ工場に、彼らを呼び寄せます。 注文に間に合わず、遅々とする作業に焦りを感じている越前さんの表情を見て、はらちゃんは突然、「あの歌」 を歌い出す。
「♪世界じゅうの敵に降参さ 戦う意思はない
世界じゅうの人の幸せを祈ります
世界の誰の邪魔もしません 静かにしてます
世界のなかの小さな場所だけ あればいい
おかしいですか?人は
それぞれ違うでしょ? でしょ? でしょ?
だからお願い かかわらないで
そっとしといてくださいな
だからお願い かかわらないで
私のことはほっといて」
はらちゃんは現場の士気を高めるためにこの歌を歌っていますが、それをはたで聞いていた田中くん(丸山隆平クン)は悪魔さん(忽那汐里チャン)につぶやきます。 「ずいぶんとまた、詞が後ろ向きってゆ~か…」。
私もかねてから感じていたのですが、この歌の歌詞って、何事にも消極的で 「どうせ私なんか」 という思考回路が固まっちゃってる越前さんの、自己正当化の歌だと思うんですよ。
それと、これって暗に、戦争反対の立場の人たちが持っているロジックの危うさを微妙に突いている気がしていた。
つまり、「武器を持って戦うくらいなら、人を殺すくらいなら、自分は逃げる。 自分は非暴力を貫き、卑怯者と謗られてもいい、自ら進んで死んでゆこう」 というロジックです。
この立場をとるには、実は限りない勇気が必要です。
だのに、今の世の中、ヤケに好戦的気分が充満している。
「自分の愛する人を、愛するこの国を守る」 という意識が、とても尊ばれる傾向にあるからです。
それは至極当たり前のことであることは私にも分かります。
でも、自尊心を傷つけられたりして、相手の国や民族に憎悪をかきたてる思考方法がいいとは、私には到底思えない。
「静かにしてますから、ほっといて下さい」 という歌は、実はこんな好戦的な思考を当然だと思い始めている日本人が、もっとも侮蔑したくなる態度なのです。 「相手のいいようにされて黙ってるのか」、と。
私もこの歌の態度が、けっしていいとは考えていません。
「自分の小さな場所を守るためには、戦うべきなのだ」、と思う。
でも戦いの方法は、相手を憎むことではけっしてない。 相手の理不尽さに感情的になって怒ることでもない。
相手との差異を認め、認識の違いを受容しながら、それでも互いを尊重し合って、対話を重ねていくことが、本当の意味での戦い、ということではないでしょうか。
このドラマを見ながらこんなことを考えるのは、かなり飛躍している、と自分でも考えていました。
ですが、今回第8回ラストではらちゃんたちが世界中で起こる、戦争をはじめとしたいろんな悲劇をテレビによって目撃することで、はらちゃんたち、いやこのドラマの作り手の意識のなかに、そこまで飛躍した考えが隠れているのだ、ということが分かったような気がするのです(オマエの妄想?…笑)。
はらちゃんたちは、現実世界のことをひとつひとつ知識として覚えていくことに、いままではとても喜びを感じていました。
それはホントに、まるで子供のような無邪気さで。
でも、この現実の世界には、限りない悲劇や憎しみが渦巻いていることも事実なのです。
「知ること」 によってはらちゃんたちがなにを思うのか。
それはけっして、「こんな世界からは逃げたい、元の世界で静かにしてるほうがずっといい」 ということではないだろう、と感じます。 結論的にはね。
たぶんこのドラマの最終的な落とし所は、「自分の小さな場所を、小さな幸せを守るためには、逃げるべきじゃない、戦うべきなのだ」、というところなのだろう、と感じます。
でもその戦いかたは、やはり憎しみや暴力によってではない。
この歌の歌詞が、ドラマのなかで最終的にどう変わっていくのか(それとも変わらないのか)は、個人的には着目しています。
まあ、予想はことごとく裏切られてますけど(笑)。
矢東薫子センセイが百合子さん(薬師丸ひろ子サン)だった、という予想は、まあ簡単だったから当たってましたけど(それを知ったときの越前さんのテンパリよう、笑えました)、百合子さんが現実世界で関わっていたのは、ユキ姉(奥貫薫サン)だけだったみたいだし。
それに、玉ちゃん(光石研サン)が現実世界に来てしまったときのことを考えると怖い、などとコメント欄で申してしまいましたが、なんかパートのオバサンにユーレイ扱いされるくらいで大して問題にならないのも、予想が外れた(笑)。
それに、このドラマでは、設定がところどころ、かなりざっくりと大雑把なんですよね(笑)。
以前のレビューで私が 「そのマンガをもう一度読めば、主人公たちはまた生き返る」 などと書いていたのですが、このドラマにおいては、マンガの登場人物が死ぬのは、その作者によって殺されてしまうか、もしくは 「忘れ去られたとき」 だ、とユキ姉がしゃべってました。
まあどうして矢東センセイが殺してしまったはらちゃんたちが越前さんのマンガで蘇るのかとか、どうして越前さんが新しいノートではらちゃんを描いてそれをいくら振ってもはらちゃんが登場しなかったのかとか、いちいち深く考えると矛盾が散見されるんですよ(笑)。
最も不自然なのは、やはり越前さんの弟であるヒロシ(フィリップ君)でしょうけど(笑)。
どうして姉貴のマンガ本をそれほどまでに捨てたがるのか(笑)。
しかも捨てといてそれを救うのもヒロシだし(笑)。 そのためだけに1時間にも満たないゴミ処理場のバイトさせて(笑)。
まあこのままじゃ、ヒロシ一方的にワルモノじゃん、と考えた岡田惠和サンの、いつもの人のよさだと解釈してますけど。
まあ、ヒロシがいないと物語が進まないことには目をつぶりましょう(笑)。
前にも書きましたけど、もともとの設定が奇抜だから、展開のゴーインさも気にならないんですよね。
気にならないどころか、カイカンでもある(薬師丸ひろ子つながりだ…笑)。
« 「八重の桜」 第9回 会津の主観から見た政変 | トップページ | 納谷悟朗サンの死を悼む »
「テレビ」カテゴリの記事
- 「いだてん~東京オリムピック噺」 第3-6回 このドラマの楽しみ方(って解説…無粋だ…)(2019.02.11)
- 「いだてん~東京オリムピック噺」 第1-2回 ビートたけしへの世間の忖度、と反発(2019.01.14)
- 2018年 私が選ぶ 「ベター」 テレビドラマ(2018.12.30)
- 「大恋愛~僕を忘れる君と」 記憶とは、いったい何なのか(2018.12.24)
- 「獣になれない私たち」「僕らは奇跡でできている」 のふたつのドラマ、生き方に対する姿勢の比較で考える(2018.12.23)
コメント
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/56924836
この記事へのトラックバック一覧です: 「泣くな、はらちゃん」 第6-8回 「知ること」 の恍惚と不安とふたつ我にあり:
リウ様
はらちゃんのレビューありがとうございます☆
UP早かったですね~(笑)
私は見るのが遅くなっちゃいましたが、今回の「はらちゃん」見逃さなくて良かった。録っておいてくれた友人に感謝です(笑)
♪世界じゅうの~♪の歌、ドラマの途中みんなで楽しく合唱する場面に強い印象を残して、最後はテレビ画面の世界を茫然と見つめるはらちゃんたちの姿で終わりましたね。
この時、岡田さんがこの歌に込めた強い想いを再確認したような気がしました。
でも、それがどんなものか、まだよくわかっていないのですが。。
ただ、リウ様のこの言葉・・・
「相手との差異を認め、認識の違いを受容しながら、それでも互いを尊重し合って、対話を重ねていくことが、本当の意味での戦い」
ここを読んだ時、この回のドラマの冒頭で妙に気になったヒロシの存在が歌と繋がったような気がしました。
越前さんのどうしようもない弟のヒロシ(笑)、はらちゃんたちに背を向けて淡々と食事していましたが、はらちゃんたちが「働くことは生きることー!おー!」…でしたっけ?そう言いながら拳を振り上げた時、ビクッとして振り返った場面があって、まずそこで、ん?と思ったんですが、続けてはらちゃんがヒロシに向かって「働きましょう」と言うとヒロシが「働かない方が美味しくごはんが食べれる」とか言って(笑)、私はそこで、てっきりはらちゃんは「いえ、働くと疲れますけど気持ちよくて~」なんて諭すようなことを言うのかと思ったら、にこやかに「じゃあ、美味しく食べるために働かないでください」と、そこであっさり話が終わってしまって(笑)
なんだか不思議な場面で、その時のヒロシが妙に気になってました。
はらちゃんは押し付けない。
相手の言うことを尊重する。
単純で素直なはらちゃんの存在って、今はとても稀有な存在。
あの歌は、やたらとヒトを気にしてクチを出す、大きなお世話をしてる人たち、あるいは国?などなど、自分の考えが正しいと言わんばかりに自分の意見を主張するヒトに向けて「ほっといて」と言っているのかな~などと思いました。
ただ、はらちゃんは、単純で素直でバカ正直すぎる(笑)から、そこに、リウ様が書かれているように、対話を重ねていかなければ危うすぎますね。それこそ、攻められる一方になりかねないから危険でもあり…。
投稿: ほとりん | 2013年3月14日 (木) 12時17分
す、すいません、途中で送信してしまいました(^^;
続きです。
一見、子どもの会話のような、時にバカバカしく思えるような単純な言葉のやりとり(失礼^^;)の中に、あるいはその奥に、岡田さんはすごい世界を見せてくれてるな~と思います。
あの歌を歌っているのが“子どもたち”というところにも意味があるのかな~、なんて思ったりして。
私も、はらちゃんと越前さんたちの行く末を楽しみながらも、リウ様と同じく、飛躍しすぎか穿ちすぎかなんて思いながら毎週見てます(笑)
長ーいコメントになって、すみません☆
投稿: ほとりん | 2013年3月14日 (木) 12時28分
ほとりん様
ゞ。
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、少々遅れました
「はらちゃんが押しつけない、相手の言うことを尊重する」 というのは、なるほど、です。 私もちょっと自分の考えが飛躍しすぎかなと思いながら見てますけど、そこまで考えさせる余地というものが、このドラマにはあるような気がするのです。
ちょっと僭越ですが、「世界じゅうの敵に降参さ」 の歌について、少し書き足させていただきます。 ほとりん様のヒロシに対する考察を読んでいて、何か書き足りないな、と思っていたことを思い出しました(笑)。
つまりこの歌って、ヒッキー(引きこもり)の理論武装の側面もある気がするんですよ。
相手にどう思われようとも、自分が自分の世界に閉じこもって外に出ないのは、相手を傷つけることを結果的に回避しているから、いいことなのだ、という。 自分が社会に出てかける迷惑というものを、自分は回避してるんだ、という。
越前さんはとりあえずかまぼこ工場で働いているから、その範疇には入りませんが、ヒロシはどうやったって、ヒッキーの一歩手前でしょう。 働いても30分ともたない。 「どうしてヒロシは越前さんのノートを捨てたがるのか」、と本文で書きましたが、私はその理由もおぼろげに分かる気がするんですよ。
つまり越前さんのノートは、そのノートに描くマンガによってストレス発散し、自己解決してしまう越前さんの内面に、ヒロシが自分自身を見ているからだ、と考えられないでしょうか?
「姉ちゃんがこんなものに頼ってるのはいけない」 というヒロシのセリフ(概要)がありましたけど、そのセリフはヒロシ自身に向かっている。 「自分はこんなんじゃいけない」、という気持ちに。
と同時に、ヒッキーの理論武装は、ネットの世界での内弁慶につながっている気がします。
韓国や中国に対して、「お願いだからもう俺たちに関わらないで、こっちは日本で静かにしてますから、この狭い国があればいい」 という、ある種のウンザリ感が最近のネット社会には散見しだした気がする。
これは、カメがこうらのなかに頭や手足を入れてしまう姿を私に連想させます。
そんなことまで考えさせてしまうこのドラマ(笑)。
岡田サンの決着のつけ方に、注目しています。
投稿: リウ | 2013年3月15日 (金) 14時28分
リウ様、お返事ありがとうございます。
そうそうそう、ヒッキーの部分のお話、すーごく良くわかります!(笑)
「相手を傷つけることを結果的に回避しているから、いいことなのだ。自分が社会に出てかける迷惑というものを、自分は回避してるんだ」という“理論武装”。
これって、本当は、相手に対して限りなく優しい思いやりの部分から来るものだと思うんですけど、それが自分が傷つく怖さからの逃避の裏返しになってしまうと、“武装”だから、ヒロシみたいにいつの間にか自分で気づかないまま、やたらエラそうな、言うことだけはいっちょ前みたいなヤカラになっちゃうんでしょうね(^^;
そういう意味じゃ、私もそうですけど。どうしましょ(笑)
でも、「姉ちゃんがこんなものに頼ってるのはいけない」というヒロシのセリフって・・・私、全然覚えてませんでした(^^;
ヒロシは密かに「自分はこんなんじゃいけない」と思っているから、はらちゃんたちの「働くことは生きることー!おー!」にビクッと大きく反応したのかな。
その後の言葉は、ヒロシらしい“何言ってんだか発言”でしたけど(笑)
気づいてるくせに、すぐに自分で自分の心を見ないようにしちゃうんでしょうね。越前さんもすぐに諦めちゃう性格だったし。
仕方ない、無理、めんどくさい、ま~いっか~で流されちゃって、対話ではなく批判ばかりして、それが大多数になってきたように思えるからこそ、岡田さんは、「傍観者でいないで、受け身でいないで、自分の人生しっかり生きようよ!」って言ってくれてるのかもしれませんね。
と書きながら、やっぱ考えすぎか~とも、ふと思う…(笑)
投稿: ほとりん | 2013年3月16日 (土) 00時51分
ほとりん様
再コメント下さり、ありがとうございます。
私も昔は結構引きこもり気味だったから、「外の世界に出るのが怖い」 というヒッキー達の心理というのは、よく分かるんですよ。 分かってるつもりかもしれないけれども。
でも、やはり抜き差しならない状態にならなければ、私だってこうして働くこともできなかったかもしれない。 自分でいくら自分を責めても、なんとかなるうちは、結局逃げちゃうものなんですよ。
今は昔と違って、ちょっと足をのばせばコンビニはあるし、ネットで世間とバーチャル的につながることもできるし、素性が分からないのをいいことに好き勝手世間に意見できるし。 親がいなくなったら、こうはいかないじゃないですか。 ネットがなかったら、完璧ひとりぼっちですよ。
ヒロシの生きかたには、たぶん多数のヒッキーの人生が投影されている。 越前さんにしたって、仕事して稼いでいるとはいえ、やはり世間に対してなにも働きかけない態度を頑なに崩さない。
まあ最近の私も、疲れているからレビューはパス!なんて、これも一種の逃げ、でしょうかね(笑)。
投稿: リウ | 2013年3月16日 (土) 13時25分
いよいよ最終回が近づいてまいりましたが、リウ様、第9回はご覧になりましたか?
最終回の分と一緒にレビューされる予定かな。
その前にまたここにコメントさせてくださいね。
・・と、その前に、の、またまたその前に(笑)
他の記事のコメント欄を読ませてもらってビックリしたんですが、アクセスが一日に数千!なんですか!?
そんなにすごい数だとは…!知りませんでした(@◇@)
そして、スミマセン、、、私もたま~にしかコメント残さないヒトで、今回初めてリウ様のお気持ちを知りまして、、、
そうでしたか~。いや、そうですよね・・・アクセス数が多いだけに、却って淋しさや虚しさが募るかもしれませんね。
でも、私なんかがわざわざコメントしなくても…と思ったり、私が加わると、大学院の研究室で討論している人たちの中に中学生が紛れ込んだ雰囲気になりそうで(笑)、気後れしてついつい見てるだけ~になっちゃいます。
他の常連さんのみなさんは、知識も感受性も表現力も豊かで、そこに私の的外れなコメントなんて残せないって思っちゃいますし。
それでも時々は、今回のはらちゃんのように、どうしてもコメントしたくなる時もあるんですが、
基本ついつい読み逃げです(^^;ゴメンナサイ…
で、本題に戻ります(笑)
第9回のはらちゃん・・・
(もしまだご覧でなかったらスルーしてください)
泣きました。
みんなが漫画の世界に戻っていくところから、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
まさか越前さんまでそっちへ行ってしまうとは…。
でも、明らかにこっちの世界からの逃避ですよね、越前さん。
はらちゃんもそれをわかってる。
最終回、どうなるんでしょうね。。。
私は、越前さんとはらちゃんの二人だけこの世界に戻ってくるような気がします。
はらちゃんは、やっぱりこの世界で生きてみたいと思う自分の気持ちに正直になるんじゃないかな~と…。越前さんと一緒に。
そして、予告から想像するに、ヒロシが初めて一生懸命で真剣な姿を見せてくれるようで(笑)
でも、あれじゃノートボロボロ。下手すると逆にこっちにもあっちにも帰れなくなるんじゃないか、かーなーり心配(笑)
土曜日が来るのが楽しみでもあり、淋しくもあり・・な今の心境です。
投稿: ほとりん | 2013年3月22日 (金) 01時51分
ほとりん様
再コメント下さり、ありがとうございます。
いやー、実はまだ、見ておりません、先週分
。 リアルタイムで見れなかったうえに、「とんび」 のレビューで燃え尽きてしまったもので(笑)。
で、一日数千のアクセス、ということをご存知だということは、その 「とんび」 レビューでの私の恥ずかしい愚痴も読んでしまわれたのですね(ハハ…)。
そのコメントにも書いたのですが、あくまでパソコンのみのカウントですから、実際はもっと多いかもしれません(ひとごとみたいに言っとるぞ)。
これも、コツコツ書いてきた賜物だとは思います。 でも、アクセスがあるってだけで、読んでくださってるかどうかは知りませんから(笑)。
昔はアクセスが増えただけで一喜一憂しておりましたが、「ホントに読まれてるのかな~」 とか 「書くほうは1日がかりでも、読んじゃうと数分なんだよな~」「コンビニの立ち読みといっしょじゃん」 とか、増えたら増えたなりにつまらん考えも生まれてきてしまうもので。
まあ、私もそうなのですが、ネットって、基本的に無料なのに、立ち上げてる人の苦労というものはあまり考えませんからね。 2ちゃんねるにしても、数千のコメントの中から、管理する人が面白そうなコメントを選びだしてる場合もあるでしょう。
でもそういうのは、たいていアフィリエイトとかで成立していることも多くて、広告収入とかでウハウハなんだろ、みたいに見くびってしまうことも多いです。
私の場合もアマゾンのウィジェットとか載せてますけど、いやー、私のアフィリエイトは失敗です(笑)。 だから自分の表現欲とか自己満足のためにだけ、書いている感じですね。
すいません、先週の 「はらちゃん」 を見てないので、カンケーない話に終始してしまいました。
たぶん今週の最終回と合わせて論じていくだろう、と思います。 ご期待ください(期待するほどのもんでもないけど)。
投稿: リウ | 2013年3月22日 (金) 12時55分
アクセス数が次第に伸びていっているのは、検索していてたまたま訪れた人がその後もリウ様のレビューを読みに来られている、そういう人が次第に増えてきているという証拠でもありますよね。
いろんな人がいらっしゃると思いますが、私はリウ様の“感じ方”が好きで、いつもココにオジャマしてしまいます。
リウ様の書く文章が好きなのと同時に、ささ様ファンでもあり(笑)
みち様がコメントを残されていましたが、みち様の名前の後ろに「&ほとりん」と付け足したいくらい、同じ想いでいます(笑)
リウ様~
無理なく、お身体とおココロを壊されない範囲で、レビューガンバッてくださーい☆
投稿: ほとりん | 2013年3月23日 (土) 12時49分
ほとりん様
コメント下さり、ありがとうございます。
「はらちゃん」、先週分と最終回、見ました。 レビューは鋭意制作中です。 今日できるかどうかはアップされてのお楽しみということで。
ただ、どうもその制作中のレビュー、迷いがあるせいか、今回も文章をこねくり回している感じですね。 ちょっと時間がかかるかも。
先週の(あ、もう先々週か)「はらちゃん」 はやはり泣けましたね。 ほとりん様のコメントをその部分だけスルーしたのはよかったです。 意外でしたもん、越前さんの行動。
「ちょっと風呂敷のたたみ方を迷ってるかな~」 というような最終回でしたけど、こういうときってたいていあとでスペシャル版が出来たりとか(ないか、ハハ…)。
まあ、ちょっとしんどいですが、なんとか仕上げます。
投稿: リウ | 2013年3月24日 (日) 09時20分