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2013年3月25日 (月)

「泣くな、はらちゃん」 第9-10(最終)回 笑おう、たとえ心が痛くても(その1)

 おことわり 「泣くな、はらちゃん」 の最終回までのレビューを書こうとしましたが、話がすごく長くなってしまったので、とりあえず途中までをアップします。 たぶんイッキ読みしたら誰もついてこないと思うので(笑)。






 マンガの世界からやってきた 「はらちゃん」(長瀬智也サン)と、現実世界で暮らす 「越前さん」(麻生久美子サン)との荒唐無稽なラブストーリーも最終回。
 まず、先週書きそびれてしまった、最終回の前の第9回の話からしなければなりません。

 マンガ家・矢東薫子として、はらちゃんたちを一回殺してしまった、その自責の念に堪えかねて姿を消した百合子さん(薬師丸ひろ子サン)。 はらちゃんたちの尽力によって戻ってきます。 その夜、はらちゃんたちをもう一度よみがえらせてくれた越前さんに感謝しながら、こう百合子さんは話します。

 「不安なんでしょ? このままはらちゃんたちを、この世界にとどめておくの。
 あんなにまっすぐでけがれてないのに、変わってしまうかもしれないもんねえ、この世界の現実に染まって。

 人は、ハッピーエンドのあとも、生き続けていかなきゃならないから。

 大変なのは、ハッピーエンドのあとなのにね」。

 このドラマを見ていて私がときどき感じたのは、「物語の終わり」、つまりはらちゃんたちとの別れ、というものに、百合子さんがとてもこだわっていることでした。
 それは同時に、脚本の岡田惠和サンの強迫観念にも見えた。 「どうやってこのドラマを終わらせたらいいのかな?」 みたいな(笑)。

 なぜそんなに終わらせたいのかな?と考えたとき、「越前さんがはらちゃんとずっと一緒にいる、ということは、本来いけないことなのだ」、という認識が作り手のどこかに常にあるからなのではないか、と感じます。
 つまりマンガの世界の住人といる、ということは、自分の理想と一緒にいるということであり、それは結局、現実逃避になる。
 人はやはり、バーチャルではなく、現実世界の人と一緒になるべきなのである、という考えです。
 

 ここでトートツですが(笑)生物学的にはらちゃんを考えると、寝なくても平気だし老いることはないし、ヒトという生き物として成立してないんですよ(笑)。 たぶん子供も生まれない(笑)。

 つまり、はらちゃんと越前さんが現実世界でずっと一緒に暮らしましたとさ、というハッピーエンドのあとも、ちゃんと支障なく暮らせるには、はらちゃんという 「ピノキオ」 を、人間にしてやる必要性があると思うのです。

 こんな荒唐無稽の、設定も曖昧な話なんだから、そんなことは容易だと思うのですが(笑)、最終回まで見た限り、作り手はそういう方法を採択しなかった。

 いや、設定が曖昧であるがゆえに、却って作り手はそのことに縛られてしまった気がする。

 私はこのドラマの設定の曖昧さから言えば、越前さんがはらちゃんの性格でも生物学的な問題でも(笑)、「神様」 として、自由に設定し直すことが出来るような気がしていました。
 それに、たぶん越前さんが自分の描くマンガのなかで、居酒屋以外の場所を描くことが出来れば、はらちゃんたちはいろんな世界を体験することが出来る、とも。 ドラマ中 「雪」 のエピソードがありましたけど、マンガのなかで雪だって降らせることが出来るだろうし、一面がまっしろな銀世界も体験可能です。
 じっさいユキ姉は、百合子さん(矢東薫子センセイ)に向かって感謝していましたよね。
 いろんなことを体験できたしいろんな場所にも行けた、と。

 でもおそらく作り手は、越前さんがそういうことはハナから出来ない、という決めつけをしているように思える。

 この荒唐無稽なドラマを、なにも心配のないハッピーエンディングに仕向けるためには、越前さんに矢東薫子センセイ並みの描画スキルを身につけさせることだ、そして越前さんが、「神様」 として、はらちゃんの本当の創造主になることだ、と私は考えておったのですが(笑)。

 深~く考えてみると(あ~ややこし…笑)、越前さんは自分の描くマンガのなかで、はらちゃんに、自分の愚痴をしゃべらせとるわけじゃないですか(笑)。

 でも、はらちゃんたちマンガ世界の住人たちは、越前さんによって毎回繰り返される職場の愚痴と 「殺すしかないね」 の結論のオンパレードにウンザリしてて(笑)、それを是正するために現実世界に飛び出した、という話だったわけであり(笑)。

 ってことは、越前さんが描いているはらちゃんたちの設定って、マンガ世界でうごめいているはらちゃんたちと、実は乖離している、ということになるのであって(笑)。

 笑いおじさん(甲本雅裕サン)にしたって、「どーしてオレは笑い続けてるんだ? オレにだけどーして名前はないんだ?」 と不満があったりしてるし(笑)。

 でもいっぽうでは、越前さんがはらちゃんの弾くギターの弦を3本から6本にすれば、ちゃんと6本になるし、歌にメロディをつけさせれば、はらちゃんは歌をちゃんと歌うことが出来るようになったわけですよ(笑)。

 つまり、ここが、「設定が曖昧だ」 っていうんですよ(笑)。

 設定が曖昧なのに、岡田サンは越前さんを、「万能の神様」 にしようとしない。
 そこが縛られてる、と私は論じているわけです(笑)。

 ああ~~っ、もうややこしーーーっ!!(爆)。

 最初のおことわり通り、話が終わりそうもないので、いったんここで、記事をアップしたいと思います。 続きは寝て待て!(笑)

 …第9回の話が、まだ終わっとらん…coldsweats01

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コメント

越前さんを、「万能の神様」 にしようとしない。そこが縛られてる…

~というのは、越前さんは「神様」でありながら、かなり窮屈な采配しかできてない神様ってことかしら?(笑)
つまり、ドラマ『泣くな、はらちゃん』の中の越前さんやはらちゃんたちの「神様」である岡田さん自身が、そういう神様になってるってこと…?

なんだか難しそうな話になってきましたが(笑)
続き、楽しみにしてます♪(^^)

投稿: ほとりん | 2013年3月25日 (月) 23時56分

ほとりん様
コメント下さり、ありがとうございます。

「かなり窮屈な采配しかできてない」、だいたいその通りです(笑)。

その2をアップしましたので、そこらへんの、岡田サンの 「縛られ方」 を解説したつもりです。

って、まだ終わんないんですけど…coldsweats01

まあ、難しい話をしているつもりはないんですが、細かいことを突っ込んでしまうといくらでもできてしまうので、あえてそこに突っ込まずに書こうと思っています。

投稿: リウ | 2013年3月26日 (火) 14時25分

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