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2013年3月29日 (金)

「泣くな、はらちゃん」 第9-10(最終)回 笑おう、たとえ心が痛くても(その5)

 その晩、ふとんを並べて一緒に寝る越前さんとはらちゃん。 越前さんの 「マンガの世界に帰ってしまうんですよね」 という問いに、はらちゃんは、意を決したように 「はい」 と答えます。 背を向けて、唇をかみしめる越前さん。

 これはどう見ても、「最後の思い出づくり」 でしょー(笑)。

 ここから、「はらちゃんとはもうお別れ」 モードのお話が続きます。

 翌朝、職場に行こうとすると、天気なのに雪が(ハハ…)。 はらちゃんの手のひらで、溶けていく雪。 「消えてしまいました」。 「もっと積もると、世界が真っ白になることもあるんです」、と越前さん。 「世界が真っ白に…」 想像がつかないようなはらちゃん。 このちょっとした会話でさえ、「はらちゃんが消える」「マンガの世界が、余白だらけになる」 という比喩が隠されているような気がする。
 傘を持たせるオカーサンに、はらちゃんは万感の思いを込めて、「いってきます!」 と挨拶します。 ますます、「これでお別れ」 だなあ。

 パートのオバサンのいーかげんな仕事に、勇気を出して 「これ、作り直してください」 と注意する越前さん。 パートの長沼さんはそれまでたてついてばかりいたのですが、最終回だから従います(笑)。
 ちゃうちゃう(笑)。
 やはり、オドオドしながらの注意よりも、気合の入った注意は、人を従わせる力を得るんですよ。

 「アンタ、やる気?」 すごむ長沼さんに、越前さんは答えます。

 「戦いは、好きではありません。 でも、防御はします。
 この世界を好きでいたいので」。

 このドラマ、私は 「♪世界じゅうの敵に降参さ」 の歌が、最終回には前向きな歌に歌詞が変わるのではないか、と予想を立ててたんですが、それはまたしても見事に外れました(笑)。
 でも、この越前さんのセリフは、それにとって代わる役割をじゅうぶん果たしているような気がする。
 新しい歌詞を作るヒマがなかったか(笑)元の歌のほうが結構ブレークしちゃったので作る気をなくしたか(笑)、もともと作る気なかったか(笑)。 岡田サンにそこらへんは訊いてみたいものです(笑)。

 
 そしてひとり立つ越前さんをガラス越しに見ていたはらちゃんは、「これで越前さんは、もう大丈夫」 というように、安堵の笑みを見せるのです。 ますます 「今日でお別れねーも~あ~え~な~い~」 です(古いねオレも)。

 田中くんが運転するミニバンに同乗したはらちゃん。
 はらちゃんがあっちの世界に帰ってしまうことを聞いた田中くんは、寂しさを隠せません。
 はらちゃんお得意の 「あれはなんですか?」 にも、名残惜しそうです。

 「もっと訊いてください。 『あれはなんですか?』。 訊いてください」。

 「あれはなんですか?」「マグロです」「あれはなんですか?」「ウサギです」。

 答えていくうちに、田中くんは、涙ぐんできてしまいます。 はらちゃんは満面の笑みで言います。

 「田中さん。 私たちは、ずっと 『両思い』 ですね」

 「ハイ! 両思いです」

 「私は、うれしいです」

 「うれしいです、僕も…」

 会社に戻ってきたはらちゃんは、悪魔さんにもお別れのあいさつをします。 「なんだ、つまんないの」。 「つ、『つまんない』 とは…?」。 「(答えるのが面倒でぶっきらぼうに)なんでもない」。 「越前さんをよろしくお願いいたします」。 「やだよ。 アタシを誰だと思ってんの? 悪魔だよ。 悪魔は神様にヨロシクなんてできないの」。 「えっ、そうなんですかっ!」。
 相変わらずの邪気のなさに、悪魔さんは 「元気でな」 と惜別の言葉を言います。 親指を下に突き出して、満面の笑みを浮かべるはらちゃん。 「ハイっ!」
 説明しよう(富山敬サンかよ)。
 これは 「ゴートゥーヘル(ファッキュー)」 のポーズですが、悪魔サンがはらちゃんに、イジワルで 「テークイットイージー(テーキリージー…笑)」 の逆を教えてしまったのを、はらちゃんが鵜呑みにしたまま使っていたのです。
 笑って、それを正常のポーズに直させる悪魔さん。

 居酒屋。
 かまぼこを 「んまいいーーっ!」 とほおばるはらちゃんに、越前さんも百合子さんも微笑みます。
 このはらちゃん。
 もう何回も食べているはずなのに、まるで今日初めてかまぼこを食べたように、いつでも感動が新鮮ですよね。
 それに、なんでも、知ることに対して貪欲で、そのことでも、いちいち感動する。

 これは、はらちゃんが子供のような心を持っている、というのとは、少し違うような気がします。
 子供だって、食べ慣れれば、別に感動しなくなるし、ずるいところも持っているし、気に入らなければぐずるでしょう。
 はらちゃんの、思ったことは正直に全部言ってしまうその無邪気さ、そして悪意のなさ、限りなくポジティヴなその気持ち。
 はらちゃんの純粋さというのは、すごく人間離れしていて、「作られた」 感が強い気がするんですよ。
 「神様」 に作られた純粋さ、とでもいうか。

 このはらちゃんの性格造形は、「日々を新鮮な気持ちで、当たり前のことに感謝しよう」 という教訓じみた理屈も導きやすいのですが、逆に言うと、「日々が新鮮だからこそ、狭い世界でも満足できるし、毎回同じことが繰り返されることも平気で受け入れてしまう」 という、「マンガ世界の閉じた処世術」 という性格も帯びてしまう。

 これって、「引きこもりの日々ループされる満足」 の比喩である危険性も、あるような気がいたします(また妄想が始まったぞ)。

 引きこもりの満足、というのは、日々新しい情報(ニュース、画像、動画など)がネットによって供給されたり、興味ある課題について簡単なコメントを発信できることによって充足している。
 でもそれって、結局せせこましく落ち着いてしまう気がする。
 人生というのは、使いきったほうが何倍も苦しくて楽しい。
 苦しみを伴ったほうが、楽しさというのは倍増するし、それは自分の生活力に直結するし。

 話が脱線してきたぞ(笑)。

 とにかく、「日々新鮮な気持ちで、当たり前のことに感謝しよう」 というのは、一生懸命生きている人には良薬だが、人生に背を向けている人にとっては、「ちっぽけな幸せで満足しよう」 という気にさせてしまう毒薬である、そんな両刃の剣である気がするのです。

 居酒屋でのシーンに戻ります。

 「私はなぜ、マンガの世界からこちらの世界にやってきたのでしょう?」 と百合子さんに訊くはらちゃん。 百合子さんには当然それに対する明確な答えがありません。
 ここらへんも、曖昧を押し通してしまう強引さがあるのですが、ちょっと反則技で、この設定を細かく考えてみると。

 もともと百合子さん(矢東薫子センセイ)が描いていた 「はらちゃん」 の世界というのは、越前さんが描いている狭い世界とは確実に違う。
 なのに、はらちゃんたちの 「いのち」 は、持続性を保っているんですよ。
 ユキ姉が矢東センセイによっていったん殺された前のことを覚えている、ということは、その点で矛盾を孕んでいる。

 それと、越前さんが、なくなってしまったマンガノートの代わりに新しいノートにはらちゃんを描いて、思いっきり振ったときも、はらちゃんは出てこなかった、ということがあった。
 この基準って何なのか。
 おそらく、前のノートには、越前さんの怨念がこもっていたとか(笑)そういう話だとは感じるんですが。
 でも、はらちゃんたちの命と記憶の問題も含めて、この奇抜な設定には、連関性がかなり欠如している。
 「そもそもどうしてマンガの世界から飛び出したのか」、という問いをここで拒絶することによって、この物語はその曖昧さを、自ら進んで肯定した、と言える気がします。

 「私のように、違う世界からこの世界にやってくる人はほかにもいるんでしょうか?」

 百合子さんははらちゃんの問いに答えます。

 「いるんじゃないかなァ?(驚いて後ろを見るはらちゃんと越前さん)。

 でもその人たちはみんな、ただのヘンな人って思われてしまって、気付かれてないんだろうね、きっと。

 人はさ、自分の世界を疑わなくなっちゃうんだよ。
 自分の世界だけが、世界だと思ってしまう。
 だから、世界の常識と違うことを言ったりしたりする人を、ヘンな人だと決めつけてしまうんだ。

 おかしいよね、そんなの。

 だって、今いるこの世界だって、誰かが描いている、マンガの中かもしれないでしょ?」

 この物語はここで、ある一定の結論に辿り着いた気がします。
 それは昔から使い古されたような理屈ではありますが、「常識を疑え」、というものです。

 ただこれは広く、民族間の意識変革まで視野に入れている話だと思う。
 特に戦争がもうかなり遠くの話になってしまって、戦後世代とやらも旧世代の仲間入りをしている現代では、特に考えなければならない問題なのではないか、と感じます。

 私たちから見ると、韓国人や中国人の理屈って、かなり見当違いだと思う時がある。

 でも彼らは、それが自分たちの世界の常識として考え、行動しているわけであり。

 同じように私たちの理屈や歴史観も、彼らにとっては理解しがたいものなのでしょう。

 いったいそれを解決するには、どうしたらいいのか。

 腹を立てたり民族意識を煽ったり元から拒絶したりすることがいいことなのでしょうか。

 まずは、ケンカをするくらい話し合ったらどうなのか、と私は思いますね。 お互いに向こう岸で遠吠えしているのがいいことだとは、全然思わない。

 少なくとも、自分のような、戦後20年後くらいに生まれた世代から見て、少年時代はまだ 「戦争はもうこりごりだ」 という雰囲気が残ってました。 「ウルトラセブン」 とかね。 正義のヒーローが、立場を変えればワルモノになってしまう構図とか。 そんなのに 「毒された」 とも言えるけど、戦争が悲惨なことだけは、間違いないと思う。

 今は戦争がどういうものか知らずに、感情に任せて好戦的なことを言っている人たちが、とても多い気がするんですよ。 「ヤレーヤレー」「無慈悲な攻撃早くやれば?」 とか、潰し合えばいいと思ってる。 私に言わせれば、かなり悩乱してる感じですね、戦争に対して。
 百合子さんの感慨みたいに、誰かのマンガの中にいるような気も、してくるというものです。

 またまた脱線した。

 おかげであと少しなのに、今日もタイムアップです。

 次回は終わらせます(たぶん)。

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コメント

いや、もう次回でなんて言わないでもっともっと読ませて下さい。
リュウ様とは思いっきり同世代なんだな〜って戦争に対する感覚までもやっぱり似ているっていうか、小学校で「ネコは生きている」とか怖い思いしましたし。

なんかね〜転職先がどうにもしんどくって、でもこのご時世なかなか次の正社員先なんて望めないからとか、ウジウジしてはらちゃんの歌があまりにも気持ちにヒットしちゃってます...
 
リュウ様のブログに勝手に叱咤激励されている私でした。

投稿: あくび | 2013年3月30日 (土) 00時43分

ごめんなさい!リュウじゃなくてリウ様ですね、失礼をお許しください!

投稿: あくび | 2013年3月30日 (土) 01時11分

あくび様
コメント下さり、ありがとうございます。

や、もともとリウはリュウだったんですよ。
ドラクエとかFFとかで自分が使っていた名前でして(笑)。
ストリートファイターでリュウというヤツがいるので(笑)リウに変更したのです(笑)。 旧かな遣いで、リウというのは読み方がリュウ、ということにもなりますし。

ところで、「はらちゃん」 レビュー、エンディングまであと10分足らずのところまできてるので、さすがに次でフィニッシュですよ~(笑)。

最近は正社員にすると、何かとお金がかかりすぎるので、会社もちゃんと雇わないんですよね。
働くスタンスとしては、もう真剣にやって信頼を得るしかない。 そして会社に、疎まれないようにすること。

働く側からすれば、やっとられんですよね。

終身雇用とか年功序列とか、夢みたいな話ですよ、今となっては。
それだけ昔は会社が儲かっていた、ということなんですけど。

投稿: リウ | 2013年3月30日 (土) 06時23分

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