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2013年6月15日 (土)

「雲の階段」 第5回 破滅を待ち望んでいる自分

 え~、大変マヌケではございますが、僭越ながら1か月も前のドラマについてここでレビューしたいと存じます。 本当はもう、たまったものを見て一気にレビューしようと思ったのですが、ちょっとこまごまと書かねばフォローできない、という結論に達したものですから。

 「人は、一度きりの人生のなかで、肉体的に生まれ変わることは不可能だ。
 過去の自分も、今の自分も、自分は、自分でしかない。
 たとえ、ニセモノでも――。
 オレの人生は、今、ここにしかない」

 第5回冒頭。

 明子(稲森いずみサン)が消息を絶った、という状況下で、相川三郎(長谷川博己サン)はそういう決意を新たにするのですが、彼がひたすら求めているのは、自分が人を救うことができる、「ということの確認」 のような気がします。

 つまり人の命を救いたい、というのは、「慈悲的、慈愛的行為」 だと思うのですが、彼の場合はそこに目的の中核がない。 彼が少なくともこの第5回の時点でしたいのは、「こんな自分でも人のためになることができるんだ」、という示威行為。 それまでの自分に対して見せつけるためでもあるし、自分を疎外してきた世間に対する行為でもある。

 この第5回において描写されるのは、彼が亜希子(木村文乃サン)との結婚前に出会った彼女のセレブな友人たちに対する嫌悪と、そして彼の母親(加賀まりこサン)の母性愛。
 そのなかで見えてくるのは、彼が過去に抱いてきた劣等感です。

 結婚式で無理やり出席させられた彼の親戚のおじさんが言うことには、そのおじさんの会社で旋盤工として雇われた時期が彼にはあったそうなのですが、スジが悪くて1週間程度でやめている。
 旋盤工もようできんような不器用さというのは正直なところオペの達人である現在の彼の姿とは一貫性を欠く設定ではあります(笑)。 でもそれを、「彼の、人生に対する不器用さ」 という問題に帰結してもいい。 彼は美琴島でハウンドドッグのリーダーに見込まれるまでは(笑)、実にヘタクソな生き方をしてきたのだ、と想像できる。

 さらに言うならば、そのおじさんの工場に、「彼のやりたいこと」 というものは、しょせんなかった。 おそらく親戚のつてでそこに就職したりするのも彼には屈辱だっただろうし、そもそもこのおじさん、1週間で三郎がやめたこともあろうが、そんなに面倒見がよくて性格がいいほうだとは考えにくい。 どういう事情か知らないけれど、最初から迷惑がっていたのかもしれない。

 話はさかのぼります。

 田坂総合病院の着任早々、亜希子の強権発動によって当直をすっぽかし(笑)やってきた別荘地。

 そこで出会った亜希子の友人たちのセレブぶりに、彼はやはり、若い頃にその別荘地でアルバイトをしていた自分の嫌悪感を重ね合わせます。
 アルバイトは、おそらく生活費のためだということが想像できるし、そんな貧乏状態の彼がそこで出会う 「別荘族」 に対して憎悪の気持ちが育まれていったことも、想像に難くない。

 その、昔から抱いていた、金持ちに対する鬱屈とした気持ちが爆発してしまったのは、亜希子たちがそのセレブな仲間どうしでキャッキャッ騒いでいた時に、ひとり離れてウィスキーのグラスを三郎がちびちびやってたとき。

 消息不明の明子から、三郎の携帯に電話が入ってくるのです。

 意を決して出ようとすると、同時に電話が切れる。

 「明子が生きていた」 ということが動揺につながり、三郎はストレートでウィスキーのがぶ飲みモードに突入(笑)。 多少むせてたみたいでしたが、あんなむせかたじゃ済まんですよ、あそこまで一気飲みだと(笑)。

 そこにチャラチャラした亜希子とその仲間たちがやってきて、これから街に遊びに行こう、という。 泥酔状態に突入している三郎は 「君たち酒飲んでるのに運転はどうするの?」 と訊くと、「運転手がいますんで」。

 これに三郎がキレる(笑)。
 泥酔してるから、本音が出まくりです(笑)。

 「アッハハハハ…。

 はぁ…。 そうかぁ…。 運転手かぁ…。 アッハハハハハ…。

 …

 なぁ君たちさぁ、学生だろ?

 君たちが運転手つきで乗ってる車ってさぁ…誰買ったのよ?

 その…運転手の賃金、誰が払ってんだよ?

 親だよなァ? とーぜん親だよなァ? ハハハハハ…。

 昼間のモーターボートも、その、キラキラの時計も、アッハ…君たちにとっちゃあ、それがフツーなのか?

 あ?

 (突然大声で)フツーなのかよおッッ!!

 (立ち上がろうとしてけつまづく三郎、フラフラと立ち上がり)親がエラけりゃ、自分もエライのかよおッッ!!(そばにあった花瓶を思い切り蹴って破壊)

 (笑いながら)なんだよ…。

 オレが何にムカついてるか分かんねえのかよ?

 (テーブルを蹴り)そんなのも分かんねえのかよおっ!!」

 それまでセリフも切れ切れで、もぞもぞとなにしゃべってんのか分かんなかった男が、オペのとき以外で初めて見せたキレよう。
 このくだりを見ていて感じたのは、彼のいちばん底辺の意識下に持っているのは、実は破壊衝動なのではないか、ということでした。
 確かにこれまでの人生で、彼は家庭環境が経済的に不遇なことや、やりたいことが分からず自分がなにを出来るのかも分からない状態で劣等感ばかりが育っていった、という経緯はあるかもしれない。
 そしてそんな状況下で、彼はようやく、ニセモノの評価にすがりついて、自分というものを見つけたつもりになりたがっている。

 でも本当は、彼が目指しているのは、人の命を救うなんてことじゃない。

 いや待てよ。

 そんなことができる自分を確認しようとしているわけでもない。

 偽りに満ちたこの世のなかに対して、偽った自分を武器にして、その欺瞞性を暴き、破壊したがっているのではないか。

 復讐なんですよ。

 こんな境遇に置かれた社会やら、家庭やら、さらにはそこで鬱屈してきた自分に対してさえも向かっている、復讐。

 まあこれ、1か月前のドラマを見ての感想ですから、かなり外している危険性もあります(笑)。 そのマヌケさはお笑いください。

 そしてそんな三郎を、母親の加賀まりこサンは、散々迷ったあげく、彼の逃げ場所は自分である、ということを彼に伝えるのです。 ここは泣けた。

 母親の加賀サンは、結婚式前に、息子からすべての真相を聞き及びます(あ、あの泥酔事件がきっかけで、三郎は亜希子との結婚を決意した模様です…笑)。
 三郎の母親は、息子のウソに加担するよう頼まれます。

 母親は、息子がキレ気味にそれまでの話をする途中、「人のためになれた」 と言うと、彼に平手打ちをします。 「こんなオレでも、人を助けられるんだよ」 と言うと、また平手打ち。

 いくら息子が悪だくみぽいことを言っても手を出さなかったのに、母親がこの部分だけとくに敏感に反応したのはなぜでしょうか。

 それは、母親がいちばん問題にしようとしていることは、無資格という法律上のモラルとか世間体とか、そんなことではないからだと思う。
 母親にとっていちばん許せないのは、息子がニセモノの希望にすがって、それで許されようとしている、その姿勢に対してなのだ、と思うんですよ。

 なにが人のためになっている、だ。

 ここまで周囲を破滅の危険に晒しといて、この期に及んで 「人のためになっているから」 などというきれいごとを言ってごまかそうとするんじゃない。

 おそらく母親は、息子が自分に対して潜在的に抱いている家庭環境、つまり自分への恨みも、敏感に感じ取っているのだろう、と思う。
 だから息子の犯罪行為そのものに対してではなく、虚飾のきれいごとに敏感に反応して、手が出るのではないか、と思う。

 針のムシロのような結婚式のあと。
 母親は、三郎に向かって話します。

 「ずーっと、考えてた。
 あんたに、いったい何を言えばいいのか。

 もう、後戻り、出来ないんだろ?」

 「絶対、母さんに、迷惑は…」

 「あんたは偽医者だ。

 だったら…。
 絶対に人を死なせちゃ駄目だ。

 人殺しにはなるな。

 もし、もしも、そういうことに巻き込まれたら、

 どんなにぶざまでもいい。

 逃げ出しなさい。

 (三郎の手を取り)逃げて来なさい。

 母さんが…守ってやる」

 去っていく母親。 三郎は、崩れるように号泣します。 繰り返しますが、私も泣けた。

 おそらく彼の無資格の医療行為に対する責めは、必然的に訪れるだろう。 でもできるなら、ばれないようにしなさい、というのが、いくらそれが人の道に反していても、親の心というものだ、と思うのです。
 そしていくら世間に非難されようとも、私はお前の味方だ。
 それが人の道に反しているからこそ、その親としての心に、私も泣けるのです。

 きれいごとで片付けられるほど、単純じゃないんですよ、親子の情愛というのは。
 「ならぬものはならぬ」 という 「八重の桜」 での会津のモラルというのは、その点ではとても人の判断を楽にする方法である、と言える。 正しいことをやっていればまわりからのお咎めがないんですから。
 でも、親ならば、自分の子の過ちに対して一緒になってその責任を負う、というのが、かえって世間に対するけじめである、そんなふうに私は思う。

 その親心。

 過ちを犯せば、たいていの人はその人から離れていきます。
 でも親は、どんなときでもその子の味方であるべきではないのか。
 そりゃ見放す親はいますよ。 どうしようもない犯罪を犯した者の親が、「もう親でも子でもない」 というのを、ニュースではしばしば見かけたりします。

 でも、それでも、子の逃げ場所になろうとする心。

 子は、その親としての慈悲に、ただただ、泣くしかないんですよ。
 ここでそいつが 「自分の親ウゼエ」 とか考えたら、それこそテメエは、人として生きることを放棄した、と断ずるほかはない。 無間地獄だよ。 死刑廃止論者や法律がテメエの人権を許そうが、根本的な生命の法則というものが、テメエを許さない。

 …少々逸脱いたしました。

 母親の慈愛に号泣した三郎。

 救急車からの搬送依頼に二の足を踏むような、重篤な患者の受け入れを、亜希子の元婚約者の反対も押し切って強行します。

 これっていったい何なのか。

 「絶対に人を死なせてはならない」 という母親の忠告に反するような危険に、なぜ彼は挑もうとするのか。

 これは、彼のなかで、「人の命を救う、人のためになる」 ということの確認を、自分に対してする必要がなくなった、ということの表れなのだ、と私は感じます。
 母親が赦してくれたことで、彼には永年にわたる、家族に対する恨みや世間に対する劣等感が消えた。 だから 「慈愛行為」 そのものが、本来収まるべき場所である、本来の目的に居座ったのだろう、と考える。 自分の劣等感に対してチャレンジできる場を、彼はそこに見出したのだ、と思う。

 と同時に感じるのは、彼の違法な医療行為が、今までのどうしようもない自分を断罪させるための墓場にしようとしている、自暴自棄にもつながる心理状態です。

 いわば彼は、「自分の破滅」 を待ち望んでいる。

 それが彼の善的なチャレンジングと同時進行していることが、物語としての深さを増していると思うし、面白味を増す要因になっているように、私は感じるのです。

 以上、実にマヌケな感想になりかねない、今回のレビューでございます(笑)。

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コメント

リウ様
レビューしていただきありがとうございます。
このドラマ、色々疑問が残るんですよね。

この三郎という男、女性に対しても自分自身に対しても優しくない!2人のアキコは三郎のどこにここまで惹かれたのか?
院長は理事長との関係を優位にしたいとはゆえ、娘の結婚相手の素性を調べもせずに、なぜ安易に結婚させてしまったのか?
全10話では時間が足りなかったのでは・・・という印象です。

それでも見応えは十分ありますよ。
無資格医なのに応援してしまっている自分がいる。私も共犯者の気分で見ています(笑)

5話の明子は怖かったですね~!
原作は、無資格医がバレて逃亡するらしいのですが、このドラマはバレてからも色々大変です。
6話の内藤さんと長谷川さんのシーンは、迫力があって息をするのを忘れてしまいました。
最終回は、三郎が逮捕され裁判となるようですよ。
共犯者としては最後まで見届けなくては!と思っております。


投稿: miyamiya | 2013年6月16日 (日) 21時59分

miyamiya様
コメント下さり、ありがとうございます。

miyamiya様にとりあえずお届けできた、のはいいのですが(笑)、いかんせん1か月も前の 「今ごろ何寝ぼけとんねん」 みたいなレビューでスミマセン。 本当は一気に見てレビューを書きたかったのですが、なんかこの第5回、内容が濃くて…。

で、続けて第6回を途中まで現在のところ見ているのですが、この第6回は明子がなにをやってるのか分からなくて三郎と一緒にドキドキイライラしている、という内容っぽくて、おそらく1回の独立したレビューにはつながらないだろう、と感じます。

ふたりの 「アキコ」、明子と亜希子がなにを三郎に求めているのだろう、という考察は、確か以前のレビューで行なった気がするのですが(笑)、彼女たちは自分の胸の中にある 「ある種の喪失感」 を、このミステリアスな男で埋めようとしているのではないだろうか、ということですね。 たぶん彼女たちは、三郎の人格のなかに、自分の求めているものがある、とは考えていない。
結構ふたりとも肉食系ですよね(笑)。

まあ、途中までしか見ていないので、自分の感想かなり外しまくっているという危惧が抜けないです(笑)。

投稿: リウ | 2013年6月17日 (月) 08時16分

リウ様
 人には他人を思いやる善なる部分と他人を蹴落としてでも自分がかわいい邪悪なる部分があると思いますが、このドラマほど、登場人物各人が抱えるその善と悪とが複雑にからみあいながら、みごとなまでに一つの終焉(おそらくは主人公の破滅?)にむかっていく作品は本当に個人的には久しぶりです。
 今回、確かに、加賀まりこさんが母親役を熱演されていましたね。あの母親は、息子のよこしまな心に本気になってぶん殴っていましたし、結婚式の場面では親としてのさとしを熱く語っていました。けれども、見方をかえれば、息子の犯罪に加担した共犯者でもあり、逆にかえって息子を破滅へと導いたとも言えます。彼女を非難はできませんが、無条件に褒め称えることもできません・・・。ただ、「複雑な思い」だけが自分には残ってしまいました。
 ほとほと、かくのごとく、このドラマの登場人物はみな大なり小なり「複雑」です。
 まあ、ただ、この第5回はそのドラマの内容よりも、その話しの展開の妙というものがとても印象的でした。エンディングのシーンです。
 第2章における「主人公にとってのテーマ」は過去との決別のはずです。
 だからこそ、まず結婚式のシーンでは、(稲森いずみさん演じる)元カノがそこに現れやしないか彼は怯えていましたし、その不安な視線を必死にカメラも追っていました。
 ただその不安も前述の母親の熱いシーンで吹き飛んでしまいましたし、次のたたみかけるような緊急オペのシーンで、少なくとも視聴者の頭からは元カノ存在は消えたのではないでしょうか。私などは、BZのエンディング曲とともに、「今回は、こころ穏やかに終えられるな」などと一瞬、思ったぐらいです。
 話しが前後しますが、この元カノとは、以前に不幸な事件に巻き込まれたという過去を持ち、今度は主人公の裏切りとともに彼との間に身ごもった子供を流産までしてしまった人です。その彼女が、第5回の最後の最後でよりによって彼の病院に意表をついて現れた時には、まさに驚愕でした。別の方が「怖かった」と表現されていましたが、まさに私も同じで「怖い」の一言でした。
 ここに、序破急というべきか、緊張と緩和というべきか、ドラマ作成者側の力量を感じざるを得ませんでした。しかも他の下手なドラマなら、ホラー映画よろしく、彼女を単純に復讐一辺倒に描きかねませんが、第7回までを見る限り(自分はまだここまでです)、そうでもないようです。
 今後、そんな元カノが主人公を破滅へと導く悪魔なのか、それとも、救われぬ主人公の魂を救済する女神なのか、最後まで見届けようと思っています。
 
 
 
 
 

 

投稿: らん丸 | 2013年6月18日 (火) 01時16分

らん丸様
コメント下さり、ありがとうございます。

長文のコメントに対して、あまりたいした返信が出来そうもございませんが、あのあと第7回あたりまで見て、三郎という男には、確かに破滅願望みたいなものがあるけれども、それはいろんな要因とつながっている、と感じています。

これについて書き出すとレビューがひとつ出来上がってしまうので(笑)ちょっと避けたいのですが、要するに、ここの記事でも書いたように、彼の心の中では、「人のためになれる自分」 というものへの渇望が、またいっぽうでは激しいんですよ。

だからいったん自分にとってのネガティヴ要因を取り払ってしまうと、純粋に 「奉仕精神」 というまっとうな相川三郎に、羽化することができる。

明子はおそらく、三郎の羽化を促進しようとしているのではないか。

そんなことを考えながら、三郎が美琴島に戻ってきたシーンを見ています(美琴島の医療スタッフの対応については、まだ考察中…笑)。

投稿: リウ | 2013年6月18日 (火) 14時45分

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