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2013年6月22日 (土)

「雲の階段」 第6-10回(最終回) みずからの居場所

 医師免許を持たない医者(長谷川博己サン)が総合病院の副院長までのぼりつめていき、ついには破滅するこのドラマ。 そのサスペンス仕立ての作りは緊張感に満ち溢れていて、私もずいぶん引き込まれて見ていました。
 しかし視聴率が悪くて回数が削られたのか、オーラス2回のストーリーはおしなべて急ぎ足で、この優秀なドラマにケチがつけられたような格好。 まあテレビドラマではよくあることなんですが。

 と同時にオーラス2回では、「真相が判明」 というような形で、このドラマの登場人物の行動動機が次々に説明されていく。
 個人的にはこの展開はちょっと不満。 なぜなら、このドラマの良さというのは、「説明が不十分で、見る側に考えさせる余地が残されている」、という部分だったと思うからです。 そこに一種の余韻というものが与えられ、見るものは惹きつけられていく。
 それが 「全部説明されてしまう」 ことは、見る側の疑問を解決するにはいい方法だけれど、物語の余韻がそれでかき消されてしまう副作用も有している。
 ちなみに最終回が駆け足だった幾多のドラマを思い出してみましょう。 どんなラストだったか、覚えてます?
 説明されて納得しても、その場限りなんですよ。 永く記憶には残らない。

 こうした諸事情による混乱をなんとか 「一作品」 として収束しようと作り手が考える場合、効果的なのは 「どうとでもとれるラスト」 というものを、作り手に投げ出して終わる、という方法です。
 このドラマはその方法を採択しました。 仮釈放でシャバに出た三郎(長谷川サン)が何もかも失った田坂もと院長(内藤剛志サン)にわき腹を刺されて意識が遠のいたシーンのあと、南の島で現地の男の子たちに 「医者」 として慕われている三郎の姿をインサートさせる。

 これが現実なのか、三郎が今際の際に見た幻覚なのかは分かりません。
 でもこうすることで、作り手はラストを、見る側に委ねている。

 三郎が助かって、やはり無資格のまま、それが罪に問われないような南の島で医師を続ける、というラストを思い描ければ、そうとらえた視聴者の心は優しい。
 死ぬ前に見た幻覚だ、というのであれば、そうとらえた視聴者は現実主義的。
 「世の中は優しさで満ち溢れていると思いたい」 という心と、「世の中そんなに甘いもんじゃない」 という心のせめぎ合いを、視聴者は突きつけられるわけですよ。

 現実問題としてこのラストシーンを考えると。

 すべての罪を償って出所した三郎が、もし鈴木明子(稲森いずみサン)の待つ美琴島に帰ったところで、彼の生きがいというのは、医師をすることによって 「人のためになる」「人の命を救う」 ということしかないのであるから、結局また同じ無資格による医療行為を続けてしまうのではないか、という危惧がついてまわります。 だったら南の島なら問題ない?

 しかし彼の医学の知識と腕は確かなのだから、美琴島に帰ってからきちんと医師の資格を取るために正規のことをすればいい。 その場合、こういう前科があるからもう医師にはなれませんとか、そういうのはあるんですかね? とりあえず障害はあるだろうけれど、出来ると思うんですよ。

 それだけ三郎にとって、「人のためになる」「人の命を救う」 ということは、三郎自身の人生の命題となってしまったのだから、物語的な動きからいえばそれが必然だろう、と。
 まあ、それもこれも、「三郎が生きていれば」、という条件付きです。

 田坂もと院長は医師としておそらく人間の急所を知っているだろうから、三郎を確実に殺せるような気もする。
 どうにもやっつけ的な最終回の流れからいくと、田坂もと院長は返り血を浴びるのも厭わず、三郎を刺した後もその凶器であるメスを持って雑踏の中を歩いていく、という行動は、「死なばもろとも」 という両者共倒れ的な刹那主義的なものも感じるけれども、そう簡単に結論づけることができないヴェールが、まだかかっているような気もするのです。

 私はこの田坂院長の行動を、結構注視しながらこのドラマを見ていました。
 もともと養子として田坂家に入った、ということで、理事長で奥さんである多岐川裕美サンとは確執があり、対立関係。
 彼が三郎を、その無資格という罪を知っていながらある程度泳がせるような行動に踏み切っているのは、おそらく同じ婿養子の三郎に何らかの共通性を見い出し共感しているのだろう、という考察を自分なりにしていたのですが、彼は三郎を刺す際に 「お前と俺は、同じだ」 とかなりはっきりと説明しちゃった(笑)。
 これって私が冒頭に書いたように 「説明しなくても感じ取れればいーじゃん、クソ、これでレビューの必要性がなくなった」 というところなのですが(爆)、このドラマでは終盤で、この田坂院長の行動動機について、かなり下世話に近い形で 「コイツは政界進出狙いで~す」「田坂総合病院を乗っ取ろうとしてま~す」「愛人もただの遊びで~す」 と説明し続けた(笑)。

 でもですよ。

 彼は三郎を 「自分と同じだ」 と認識したからこそ、どこかに置き忘れた自らの良識を、三郎のわき腹を刺すことで、託したのではなかろうか、という解釈の余地も、あるような気が私にはするのです。

 もし自分の良識が生きているのであれば、三郎、オマエはこの出血から生還できるはずだ、と。 それだけ 「自分は人を救うために生きたいんだ」 という意思が強いのならば。 田坂院長は自分のなかに残っている良心を、三郎の生命力に賭けている、という側面がある気がするんですよ。

 と同時に、この殺人行為は、田坂院長が自らに課した 「自分の罪」 に対するひとつの自虐であり、自らのさらなる破滅の引き金にしようとしている。 自分のなかに巣食う悪に対する、半ば自己責任を放棄した復讐だ、とも思えてくる。

 簡単に言えば、自分は悪いことをしたけれども、自殺できるほどの勇気もないから、三郎を殺して人殺しとして他人に裁かれましょう、と。 だから状況証拠があからさまな殺人行為を遂行している。 あーゆー殺し方じゃ、すぐバレるでしょう。 バレてほしいからあーゆー行動を取ってるんですよ、三郎を刺したあと。

 ここで三郎の人生の目的となった 「人のためになる」「人の命を救う」 という命題ですが。

 前回のレビューで、私は三郎について 「破滅を待ち望んでいるのではないか」 という考察をしました。
 おそらく彼は、自分の生い立ちとか、社会環境だとか、人生の目的が定まらない自分とかに対して、破滅することをどこかで期待している。
 実際そうだった、と私は思うのですが、でも美琴島で医療行為に関わるうちに、「人のためになる」「人の命を救う」 ということに、彼は人生の命題がそこにある気がしてきていたんだ、と思うんですよ。

 でも、彼のそれまでの不遇な人生が、彼に素直にそう考えさせる余地を生み出さなかった。

 自分が無資格による医療行為を行なうのは、今まで自分を見下してきた者たち、社会システムに対する復讐だ、と考える思考回路が、彼にあったと思う。
 でもその思考回路が、本来の清らかな目的を見えなくさせ、それはおためごかしだと錯覚させてきた。
 それが、自分が無資格であることがばれ、窮地に追い込まれていくなかで、その復讐という側面がきれいに禊ぎされ、本来の清純な目的に近づく契機に変換していく。

 そのことをこのドラマでは、「自分の居場所を見つける」、という印象的な言葉で象徴していたような気がします。
 これは三郎だけでなく、ふたりのアキコ、鈴木明子と田坂亜希子(木村文乃サン)にしてもそうだったし、明子の幼なじみだった高岡君(萩原聖人サン)にしても同様のことがいえた気がします。

 人は自分の居場所を求めて、人生をさまよっている。

 そのなかで人は、みずからのあるべき場所へと収まっていく。

 このドラマでは、三郎が純粋に 「人のためになる人生」 に近づいていく過程を追っていった、と私は考えていたのですが。

 まあオーラスの2回はめまぐるしかったですね(笑)。

 ここでそのどこがダメだったのかをあげつらうのは本来の趣旨とは外れますが、ちょっと補足説明しておきたいのは、田坂総合病院の理事長である多岐川裕美サンの変心ぶりでしょうかね。

 すべての罪状が明らかになったあと、この理事長はいきなり 「いい人」 に変心して、田坂総合病院を人手に渡してどこか知らない街で一から個人病院としてやり直す、などと言い出すのですが、これのリアリティに乏しいことはまあ言えるけれども(笑)、よくよく考えてみるとこの理事長、いちいちイヤミったらしくて院長と反目はしているものの、なんら悪いことしてないんですよ(笑)。 愛人かこってるのは院長のほうだし、三郎が救急医療センターの設置を言い出してそれに反発するのだって、「予算がないから」 という当然の考えで(笑)。 「別荘売っ払えばいーでしょー」 という三郎の意見のほーが暴論で(笑)。

 だからいきなりいい人に変身した、というのとは違うよーな(笑)。

 いずれにしても、風呂敷のたたみ方がかなり乱暴だった、という感想を除いては、とても質の高いドラマだった、と感じます。 長谷川博己サン、「セカンドバージン」「鈴木先生」「家政婦のミタ」 など、私の中では 「いいドラマをきちんと選んでいる」 という印象が、これでまた強くなりました。

 そして個人的にうれしかったのは、ここんところあまり印象的な役に恵まれていないように感じていた、内藤剛志サンの演技がかなり堪能できた、ということ。

 と、いうことで。

 日テレ水10のドラマ枠、次の夏ドラマでは、ああ…(笑)。 坂元裕二サンのドラマらしいです。 この人のドラマ、内容が濃すぎていつもレビューに苦慮するんだよなァ…(笑)。

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コメント

リウ様

いいドラマでしたよね。
毎週楽しみに見ていました。
でも、やっぱりリウ様がおっしゃるように最後の2話がちょっと残念でした。

理事長のいい人ぶりは、やはり最終回で突然という感じがしました。三郎の医療に対する姿勢に共感して医師の原点を思い出して・・・というシーンでもあれば良かったかな。
それと三郎にあれだけ執着していた亜希子。結構あっさりと三郎と離婚し、野上先生を受け入れます。
ここもちょっと突然?って感じでしたね。
これってやっぱり視聴率が悪かったため回数が削られたのでしょうか?

田坂医院長が現れ、「檸檬」の話をしてメスで三郎を刺す。声も上げずに目を閉じる三郎。
これって消極的な自殺なのでは?
最後の南の島のシーンは三郎の薄れゆく意識の中で見た幻影なのかな・・・と私は理解して見ました。
現実主義的です(笑)

miyamiya様
コメント下さり、ありがとうございます。

最終回はもうあと15分拡大くらいあったらな、という感じでした。

トートツに思えたのはどちらかというと、理事長の変心よりも、建築足場が崩れて理事長と明子が重篤な状態、という展開になったところでしょうかね(笑)。 確かに工事中のところにマスコミが押しかければこういう状態にはなりやすくなるんでしょうけど、この崩壊現場を見せなければ、ねぇ(まあ技術的に難しすぎですけど…笑)。
しかも医師がみんな逃げちゃって、三郎がやるしかない、みたいな(笑)。

(笑)、って書いてしまうところがなんとも情けない限りではございますが。

生死の境をさまよったからこそ、いい人に突然変われるのでもございましょう(笑)。

「現実主義的」、と書いたのは、読者の方々への一種の挑戦でして(笑)。 どうぞお気になさらずに(そんなわけにもいかないかな)ゞ。

リウ様
 
 以前、何年に一度のすばらしいドラマと申しただけに、自分も最終回を見て失望したというか残念な思いでいっぱいになりました。
 特に、作品の作成手法自体について「全部説明されてしまう」のが「不満」とリウさんがおっしゃられていましたが、実は私も同じような感覚を持っておりました。
 しかもドラマとは本来、映像とその場面展開によって視聴者を説得すべきものを、公判廷や拘置所における、まるで小説の読み聞かせのようなような主人公等の長ゼリフのシーンには多少違和感を感じてしまいました(やっつけ仕事とまでは言いませんが)。
 ところで、主人公の最期のシーンについてレビューを拝読したのですが、やはり個人的には「彼には、きっちり死んでほしかった」というのが率直なところです。「白い巨塔」や「振り返れば奴がいる」を見たおしたせいか、この手のドラマでは「主人公の死というエンディング」に美学を感じておりまして・・・(笑)。最後の南の島のシーンは本当に必要だったのか、今だに疑問です。しかも、新聞のらてらんには「衝撃の結末」とありましたが、むしろ自分には衝撃と言う割には「(死の)理不尽さ」が足らず、唐突感だけが残ってしまいました。
 まあそれでも、第8回まで、又は少なくとも9回までは、とてもおもしろいドラマだと思いました。
 
 
 
 

らん丸様
コメント下さり、ありがとうございます。

ドラマというのは、作り手にとってきちんとラストが見えているのといないのとではかなり全体の印象が変わってくる気がいたします。 どっちがいいのかは別として。

去年の 「平清盛」 に関しては、作り手がラスト数回にわたる個々のシーンをあらかじめ想定しているような緻密さを、私は感じていました。

今回の場合、原作があるのだから、作り手はそれに従ってラストを構築すればいいはずなのですが、どうも盛り上げどころに苦慮した、という感じがいたします。

「衝撃のラスト」 という謳い文句も、「寄ってらっしゃい見てらっしゃい」 という、テレビが本来持っている 「見世物小屋」 としての本質を逸脱してないんですよ。 脚本家も、それに翻弄されている。

私の場合は、罪を犯して状況をかき回した主人公に対して、「死の美学」 を期待しないんですが(笑)、こういう罪を犯した人間がきちんと自分の罪と向き合い、そこから学ぶためには、生き続けなければならない、と感じます。

でもそいつが学ぶ気ないんなら意味ないですけど(笑)。 司法で裁いて収監してもそこにまで至るケースが少ない、というのは、やはり社会の限界を感じますね。

リウ様
とても引き込まれて見ていたドラマ雲の階段の最終回観終わった後の恐ろしく気持ち悪い感じをリウ様に上手く解説してもらい今やっとスッキリしました。
私は8回目位からあれれ?と消化不良を起こしておりました。
ミステリアスでいろいろ妄想する楽しみ(笑)がなくなりゴールへのこじつけやらせ的な展開が悲しかったです。

ただ長谷川博巳さんの演技は本当に素晴らしいと感じました。

なんだかリウ様に比べたら稚拙な文章ですみません。

ユウスイッチ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「スッキリした」 と言っていただけて、ブロガー冥利に尽きます。 とても励みになります

「スイッチ」 に掛けるわけじゃないですけど、愛人の告発から足場が崩れて理事長とお嬢さんが重篤、のあたりから、「ピタゴラスイッチ」 が入ったみたいでしたね(笑)。

こうしてこうしてこうなって…。

分かるけど、人生生きてると、ピタゴラスイッチが入ってしまう瞬間というものは、あるんですよねぇ~

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