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2013年7月

2013年7月31日 (水)

ハシモト、最近新着記事が少なすぎるぞ、とお考えのかたがたへ

 どうも、ハシモトです。
 私のブログの記事などどーでもよい、というかたにはカンケーのない話ですが、「橋本リウ」 で検索して、もしくはブックマークで直接いらっしゃってくださる、とてもありがたいかたがたに向けて、今回はちょっと言い訳めいたお話をさせていただきます。

 最近、ちょっと出張がちょこちょこ入るようになりまして。
 基本、自分のブログは自分の部屋のパソコンの前で作成するスタイルなので、出張すると新しい記事を書くことができません。
 7月に入っていきおい記事数が激減しているのはこのためです。
 なにとぞご了承くださいまし。

 それと、なんかこの夏のドラマ、結構見るのにリキが要りそうなのが多くて。

 特に 「Woman」 は、話が重すぎて、見る余裕ができてもなかなか見よう、という気になってこない。
 「半沢直樹」 も、参院選で1回お休みがあったというのに、見ればまたガーッと書きたくなりそうで怖い(笑)。
 って、今クールのドラマで見てるのこれだけなんスけど(ハハ…)。 あっ違うか。 「7つの会議」 に関しては、第1回目から予約録画してるけど、全っ然見てない(笑)。 もう今週で終わりだって(笑)。 「激流」 も、3回目までは見ました。 結構面白いけど、1回ずつの記事にはならない感じ。

 や、「ぴんとこな」 も見たんですよ、いちおう、第1回目だけは。
 あの香川照之サンほどのスキルを持った俳優でも、市川中車を演じるときは肩に力が入りすぎてんな、と違和感を持つのに、ダメでしょいくら信長のシェフでも(笑)。
 ただそのことを完全に 「お構いなし」 で見ると、まあ話は海老蔵に対する当てつけみたいだけれど(笑)面白いかもしれない、という感じでした。
 市川中車の実質的な後ろ盾であると思われる、猿之助サンがドラマしょっぱなの口上だったのかな。 中車サンのことを思い出して結構皮肉だなコレ、と思いながら見ましたけど。
 ただ話としてはところどころかなりずさん。 全体的な勢いはあるんですが。
 第1回目だけで思いつくのは、ビンボー人であるヒロインの女の子川島海荷チャンが、よくもまあ金のかかりそうな歌舞伎座通いができてんな、とゆーとことか、確かこの子、バイトをさぼって歌舞伎座に行っちゃったりしてましたよね。 ずいぶんい~かげんだな、と感じたんですけど。
 この川島サンの演技、私確か初見だと思うんですが、この人声がハスキーすぎて、大声出す役とか向いてないな、と感じました。
 でも信長のシェフも含めて(名前なんだったけっけな)「若いっていいな」、と思えるドラマ作りで。

 「銀の匙」「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」 というアニメも、ちょっとチェックしています。 記事を書きかけて2週間ばかりほっぽってあります(笑)。 どうも批判的な記事なので、アニオタのヒンシュク買いそうで仕上げることができない(ハハ…)。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」 も結構記事を書きたくてウズウズしています。 先の 「銀の匙」「あの花」 の記事ですが、実はこの 「ヤマト」 との比較という形で進行している。

 まあ、上記の出張、という問題以外にも、今年の夏はあまりに暑くて(ここんとこ東京は35℃には届かないですけど、それでも蒸し暑すぎる)記事を書こう、という気にならないのも大きい。 もういい加減にトシなんだな、と感じます(老け込むには早いっちゅーの)。

 それになんか、ここんとこ力を抜いた記事というものが書けなくて。 昔はもっと気楽に書いてたよな~、みたいな。
 あと、先週1週間パソコンに触んなかったせいなのか、なんかやたらとパソコンの動きが悪くなってる。 このところ調子は悪かったのですが。 書いても途中で消えちゃったり。 買い替えの時期なのかな~。

 「あまちゃん」 も、見出すと止まんないんですけど、2週間くらい前まではフォローしてますよ。 たぶんそのうちにまたレビューすると思います。 「アイドルなんてホントはダサいと思っている」、という能年玲奈チャンのセリフと、実際に積み木くずし化してしまった?橋本愛チャンのことを絡めながら書く予定(予定は未定…笑)。

 しかしなんだよ、結構テレビ、見とるではないか(笑)。

 私の記事が読みたい、というかたがたには、申し訳ない展開であります。
 まあそんなに期待されてんのか?と言われると心もとないですが(笑)、少なくともブックマークで来てくださるかたがたが、結構多いようなので。

 どうぞ今後とも、温かい目で、見守ってくださいまし。

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2013年7月28日 (日)

「八重の桜」 第29回 「鶴ヶ城開城」(7月21日放送)を見て

 2週間のご無沙汰でした。 ロッテ歌のアルバム…ちゃうちゃう(笑)。

 「萱野権兵衛(柳沢慎吾サン)を切腹に追いやったのは八重の責任か?」 が今回当ブログ 「八重の桜」 レビューのテーマ(笑)。 や、前回のレビューでそういうコメントのやり取りがございましたもので(笑)。

 そもそも萱野の切腹は次回放送分の話ですが、ことの発端は今回放送分で八重が藩主容保公の切腹を考え直させたために、萱野が代わりに切腹させられてしまうのではないか、という話で。

 まず自分が感じたのは、ドラマのなかで八重がお殿様に切腹を思いとどまらせたシチュエーションが、かなり現実的にあり得なさそう、ということ。
 今回、会津藩降伏に当たって、城にたてこもった城下の人々に対して上から各々説明がなされるのですが、八重がいた場所は藩主容保公のいる場所。 秋月(北村有起哉サン)梶原平馬(池内博之サン)をはじめ萱野とか家老クラスの重臣たちも含む藩のトップクラスの居並ぶ中で、八重は 「自分は山本三郎だ」 という意識のもとで 「男として」 その場に連なっている。 女子供に対しては照姫(稲森いずみサン)が説明をしてましたから、普通だったら八重はそっちにいるのが筋なんじゃないか、と。

 その場に女の八重がいることもさることながら、ここで容保が自分の命を賭して責任を全うしようという旨のことを皆に語ったとき、その八重がただひとり、ここでお殿様に反論するのもちょっと話に無理がある。 萱野が諌めるように、出すぎた真似なんですよ、確かに。

 でもこういう 「ホントかな?」 というような話を八重にさせることに、私は作り手の意図をとても感じるのです。

 今回八重は、自分にとって重要な人ふたりを失います。

 前回、鶴ヶ城にたてこもる人たちを前に、砲弾を濡れた布団でくるめば爆発を防げる、というレクチャーをしていた八重。 これをそのまま実行に移した山川大蔵(玉山鉄二サン)の妻登勢(白羽ゆりサン)でしたが、成功かと思ったのもつかの間、弾が暴発する。

 登勢は結局死に至るのですが、このことに関して今回、八重が具体的に 「わだしが教えたばっかりに登勢様は死んだ」 という反省をするシーンがない。 確かに八重は、この砲弾爆発防止作業が危険を伴うことを断わってましたけど。
 二本松にしてもそうですが、「少年たちに自分が鉄砲を教えなければこの子たちは死ななかった」、という悔恨を、かつて八重はしています。 弟三郎の戦死のきっかけを作ったのも、自分が縫い込んだ南天(難を転ずる、という意味で)の刺繍だったということを、八重は悔いている。 しかし、今回はその類の後悔がない。

 そしてもうひとり、父、権八です。
 食糧補給の帰路に敵の銃弾を受けた権八。 八重たちの前に運び込まれた父は、八重に 「にしゃ、わしの誇りだ。 皆を守れ」 という言葉を残して、この世を去ります。 ここも泣けたシーンです。 蛇足ですが、なにしろ主題曲が流れて泣く自分ですから、今回もあちこちで泣きました。

 で、作り手は八重に今回、反省をさせない代わりに、これまでに悔いてきた八重自らの所業に対するけじめと、父親の最期の言葉を胸に、お殿様の懺悔の場に連座させているわけですよ。

 容保は自分が至らないせいで皆に多大な犠牲を強いてしまったと謝り、自分の一命を賭してそれを償うこと、そして皆に 「生きよ」 という最後の軍命を下します。
 このとき、殿様が頭を下げるのを見て、そんなことをしてはならない、と諌める家来もいます。 いっぽうで黙って見ている家来もいる。 おそらくこの殿さまの行動に対しては家来のいろんな考えがあったのでしょうが、今の感覚で言えば大勢が 「そーだオマエの責任だ」 となるところだけれど、当時は 「殿様は偉くなくてはならないのだ」、という概念が強いことは思わなければなりません。

 八重はおなごの分際で(笑)これにひとり、異を唱える。 「殿様はまつがってる」 と。

 「なにがあっても、お殿様には、生きていただかねばなりません!
 …私は、何度考えても分がらねえ。
 天子様のため、公方様のため尽くしてきた会津が、なじょして逆賊と言われねばならねえのか!

 (八重、立ち上がり)会津のものならみな知ってる!
 悔しくてたまんねえ…(みなのすすり泣く声)。
 死んだ皆様は、会津の誇りを守るために、命を使ったのです…!

 …どうか、それを無駄にしねえでください!

 本当は日本中に言いてえ!

 会津は逆賊ではねえ!

 だけんじょ、それを証明でぎるのは、殿様しかいねえのです!

 だから…。

 (八重、土下座し)なにがあっても、生ぎてくだせえまし!」

 「そうだ、我らは逆賊ではねえ!」 の声があちこちから上がります。 大蔵も感極まり、「殿は我らの命をかけても守ります!」 と宣言する。

 これを現代的な尺度から考えると、「どうして逆賊ではないことを証明できるのは殿様だけなのだ? 会津のひとりひとりが証明すればいいではないか?」 となりますが、やはりトップとして一から十まで現場にいたのは容保公だけなんですよ。 どういう事情で京都守護職につかねばならなかったのか、どうして薩長との軋轢が生じたのか、新選組をなんで雇わねばならなかったのか。
 ただしこのドラマでの八重のこのセリフは、どちらかと言えば 「死ねば全部解決なんてことはあり得ない。 生きてこそ償えることがある、やり直せることがある」、ということがメインのような気がします。
 要するにこのセリフは、容保公に覚悟を決めろ、と迫っているセリフであるようにも思える。
 「死んで花実が咲くものか」、なんですよ。 死んだらなんにもならない。 悪いことは悪いまんま。 自分は逃げて死ぬわけだし。 逃げる魂というのは、どこまでも負けることを自分に宿命づけることだと思う。 生まれ変わったってその業はついてまわると思う。

 結果的にこの八重の進言が、次回分で萱野権兵衛が切腹する呼び水になってしまうことはドラマ構成上の皮肉だと感じますが、このことについて八重が、萱野の死に至るまで自分のせいだ、として反省するかどうか、そこらへんの描写があるかどうか、またその死を自らが前へ進む糧としているか、にちょっと注目してみたいですね。
 つーわけでこれが私の見解でございます。 今回レビューのテーマ終わり(笑)。

 さて、八重はこの場にいたことをそのまま引きずるような形で、女子供はお咎めなしだったところを男どもと一緒に謹慎組に入り、謹慎の地に赴くことになります。 しかし、その出発の際に夫の川崎尚之助が 「女がいるぞ!」 と八重を告発し、八重は必死の抵抗をしますが引き離される。

 このエピソードのひとつひとつがどこまで史実かは分かりません。 史実的なことを言えば、八重が男に混じって謹慎の地に行ったことは本当らしく、そして女であることが発覚して連れ戻された、というのも本当らしい。
 それをこのドラマの作り手は、八重が幾多の人々の死を経て得た反省と覚悟に収束させ、さらに八重と尚之助が別れ別れになる原因に据えた。
 奇しくも今回、八重と尚之助は降伏寸前の城の中で、初めて会津弁で言葉を交わします。 話は戻ります。
 雨あられのように降り続く砲弾。 今回見ていて可笑しかったのは、城の人たちが皆、爆撃が来ても 「ああまた来たか」 みたいな感じで慣れっこになっちゃってるところ(笑)。 これって 「破滅」 に対して身を投げ出しちゃってる、というか、日常茶飯事みたいになっているのがかなりリアリティがある、と感じました。
 「城が崩れないのが不思議なくれえだ」 と話す八重に、尚之助は言います。

 「会津は、打たれ強い。
 私は、国とは、そこに住む人のことだと思っています。
 会津は…。
 八重さん。 あなたは強い」

 「そんなら尚之助様も、すっかり会津の人だ」

 「んだなし」

 笑うふたり。
 ここ、破滅がそこまで来ている状況下でも、やはりひとは、笑うことができるんだと思うんですよ。

 ただし戦況下で高揚している気持ちも同時に描写がなされている。
 登勢の死を悲しむところに、大蔵の弟健次郎(勝地涼クン)がおめおめ敗走して戻ってくると、大蔵は逆上し、「なぜ討ち死にしなかった! なじょして帰ってきた! 女でさえ命を落どしてる! 腹を切れ。 今ここで腹を切れっ!」 と迫る。
 やはりここでは武士としての名誉とか、殿への申し訳なさとか、のちに 「自分たちの命に代えても殿は守る」 と宣言する心情に通じているんだと思うんですよ。
 普通だったら弟に死ね、とか言わないと思うけれども、でもやはり、武家の人間としてそれが当然だと大蔵は考えているだろうし、気持ちが高ぶっているからこそそこらへんの気持ちが正直に出てしまうんだと感じる。

 それに容保の降伏の使者として敵陣に辿り着いた秋月を、敵の連中は嘲りながら小突きまわす。
 ま~憎たらしかったけど、戦というのはそもそも人が人を殺す行為だから、そこで戦っている人間もしぜんと好戦的な気持ちになり、相手を見下したり野蛮になっていくのは傾向としてはあり得るんだ、と思う。
 在日米軍兵が問題を起こすのも、レイプとか虐殺とか慰安婦とかいう事象が出てくるのも同じ道理じゃないでしょうか。
 いくら指揮官が西郷吉之助のように、「こっちも田舎者だ」 と正しい認識をしていても、戦う兵士たちは、常に命のやりとりをしているわけだから、野蛮にもなるでしょう。

 降伏が決まって城を明け渡すときに、城の廊下を拭き掃除するのは、これは会津人の誇りなのだ、というエピソードも挿入されていました。 これを土足で上がっていく新政府軍たち。 板垣退助(加藤雅也サン)が気付いて、自分たちの残した汚い足跡を振り返る。 これは春嶽が指摘していた新政府軍の理不尽さを表わすと同時に、戦さで荒んだ自分たちの心、野蛮さを象徴しているエピソードとは言えないか。

 また別のエピソードでは、時尾(貫地谷しほりサン)が斎藤一に悔しそうに語っていました。 「私は会津の春が好きだ」、と。 会津の春はそれによるとゆ~っくりとやってくるらしいのですが、今回あっけなく降参した(ハハ…)わが生誕の地・三春は、急にやってくるので、梅、桃、桜、だったっけな、一斉に咲く。 だから三つの春で三春というとか。 それはともかく、故郷に対して愛着があり、好きだからこそその地に対する誇りも生まれる。 誇りがあるからこそ、その地を踏みにじられれば悔しさが生まれる。

 この貫地谷しほりサン、私が今同時に見ている 「龍馬伝」 の再放送でも出ているのですが、いや~それにしても、まだ今の段階で蛤御門とかには程遠いということもあるけど、同じ幕末ものとは思えないですね、「龍馬伝」 は牧歌的で。 武市の黒さなんて、会津が見舞われている暗黒に比べれば私憤の域を出ないんじゃないか、と感じるくらいで。
 「龍馬伝」 の視点は、常に未来へ、未来へと向かっている。 太陽に向かっているのに、「八重の桜」 は荒城の月のごとし。

 それでもこの回ラスト、尚之助と別れ別れになった八重は、何もかも消えてしまったことを嘆き涙を流しながら、鶴ヶ城の天守を眺め、こうつぶやくのです。

 「そんじも空は、変わらねえのか…」。

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2013年7月14日 (日)

「八重の桜」 第23回 「会津を救え」(6月9日放送) 第24回 「二本松少年隊の悲劇」(6月16日放送) 第25回 「白虎隊出陣」(6月23日放送) 第26回 「八重、決戦のとき」(6月30日放送) 第27回 「包囲網を突破せよ」(7月7日放送) 第28回 「自慢の娘」(7月14日放送)を見て

 鶴ヶ城落城までのここ数回の 「八重の桜」。 正直言って 「見るのが嫌だ」、とすら思っています。 何度も申しますが、やはり私も福島の生まれですから。
 いきおいレビューも大幅に滞り気味。 私の拙いレビューをお待ちくださっている数少ない(ハハ…)かたがたには誠に申し訳なく、ここでお詫び申し上げます。
 まあ、世にはセリフの一字一句まで詳細にお書きになっている(著作権無視の…笑)(ウチもそーですが)大河ドラマのブログがあまたございますので、そちらに各回の深い感想はお任せするといたしまして、また今回も当ブログでは、総論みたいな形でレビューを書いてまいります。

 ここ数回の 「八重」 を見ていて感じるのは、「戦争状態」 になることで高揚していき、形成されていく、「バトラーズ・ハイ」 とでも呼べる当事者の精神状態の変化です。

 ここで圧倒的不利な戦況のなか、自らの命も顧みずに 「会津」 という自らの故郷を守るために戦う、この流れは、太平洋戦争末期にこの国全体が突入していった 「一億総玉砕」 という精神状態に、比較的酷似しているように思えます。 つまり会津は80年後の日本のプロトタイプと考えることもできる。 このドラマの作り手は80年後の日本をまるで投影させるようにドラマを描いているような気さえする。

 弟の三郎を薩長に殺された八重は相手をかたきと見て憎悪を募らせていく。 その後戦況が悪化するにつれて 「家族を新政府軍に殺された」 という人々は膨れ上がっていくわけですが、八重の弟は比較的早い鳥羽・伏見の戦いで戦死しているために、その憎悪の先頭に立っているとも言える。
 戦闘が続けば続くほど、自分の身内でなくとも友人知り合いが殺されていくケースは増えていくわけですから、やはり憎悪が精神的なうねりとなって好戦的な世論を形成しやすい土壌を生んでいくんですよ。
 そんななかで相手に従おう、などという西郷頼母のような考えは即、「厭戦気分を煽る」 腰ぬけの論理である、と排除されがちだ。 太平洋戦争中には大政翼賛会だのかなり組織的な強制力で、大がかりな戦争賛美の力がはたらいて、もっともっと 「物言えば唇寒し」 の風潮が出来上がってひどくなってたけれど、頼母を非難する佐川官兵衛、梶原平馬など会津藩若手家臣の構図は、旧日本軍の構図、「非国民」 と謗る庶民レベルの相互監視体制、さらには現代の 「KY」 という集団同化強迫と重なるところがある。

 会津藩がこのような、太平洋戦争下の日本と同じ傾向に見えるのは、おそらく会津の精神的土壌が 「忠義」 を重んじた融通の利かない性格のものであったことが大きい気がします。 これってやはり旧日本軍の性格とちょっとダブっているように、個人的見解としては感じるんですよ。 「のらくろ」 も 「忠犬」 をモットーとする猛犬連隊でしたしね。
 そして 「徳川家を守る」 という家訓のために、会津藩は常態的に追鳥狩りみたいな 「軍事訓練」 を行なっていた。 こうした実戦的な 「動」 の部分と、什の掟に見る精神的な 「静」 の部分との結実が、奥州同盟を結んだにもかかわらず次々と脱落していくほかの諸藩と会津藩が違う、決定的な要因になっているのではないか、と感じるのです。

 だいたいですよ、徳川の治世になって260年もの間、まともな戦争なんてなかったんですよ。 それがここに来て、鳥羽・伏見の戦いとかに比べるとはるかにまともな戦争を行なっている。 これは会津の軍事力に一定の底力がないとできない話じゃないのかな、という気がします。

 まあ圧倒的に火力において不利だから、そもそも負けることは目に見えている戦ではあります。
 これも日本とアメリカの戦力の差を連想させる部分がありますね。 このドラマでは特に、砲術指南の山本家が舞台ということもあってか、かなり専門的な 「飛び道具」 の知識が散見される気がします。 女性の脚本だからここらへんおざなりかと思ったらさにあらず。 このドラマで繰り広げられる会津の悲劇を演出している目覚ましい効果のひとつが、この 「圧倒的な火力の差」 を視覚的かつ論理的に描写しているところだろう、と感じる。

 ちょっと心して見なければならないかな、と思うのは、藩主の松平容保公についてでしょうかね。

 この人の行動って、このドラマの擁護的な立場(西郷頼母追放の真意とかね)から見た描写があってもなお感じるのは、「やはりどこか保身的に見えちゃう部分もあるのかな」、ということです。
 もともとの京都守護職でも家訓というアキレス腱を握られた部分もあったけれど、結局拒みきれない部分があったと思うし。
 鳥羽・伏見ではあろうことか徳川慶喜について行っちゃうし。 いくらゴーインに連れ去られた、とは言えですよ。 どっか、拒みきれてない。 なんかどこかで長いものに巻かれちゃう、自己保身がチラッとだけど見えてしまう。
 で結局鶴ヶ城が落城しても生き残るわけですしね。

 こういう部分で、ちょっと否定的に見てしまえば、この人は会津の人々を危険に晒した、とも言えるし、その点で石を投げられても仕方がない部分もある。
 年端もいかない白虎隊も出陣させてあげくに飯盛山の悲劇を誘導しちゃうところもあるし。

 ここんところ、でも心得違いしないで見ていきたいな、と思うのは、やはり昔の尺度で考えれば、やはり藩主というのは、玉(ぎょく)なんですよ。 玉を取られれば、すべてがジ・エンド。 家来たちは主を守るために存在しているのが常識ですからね。 しかも倫理的規範が他藩よりもしっかりとしている会津藩。 並々ならぬ忠義を家来から一身に集めているのだから、自分が戦いのイニシアチヴを取らなければならない強迫観念は常に抱えているでしょう。
 「容保が意地張って自分の首を差し出さないから会津が徹底的に攻撃されてんじゃん」、というのは現代の尺度でね。 いや、当時もそんな考えはあったかもしれない。 石投げつけられてるほどだから。 「アンタが腹切りゃウチの家族が死なずに済んだんだ」 って。
 でも当時の常識から言うと、藩主が首差し出すのは行き過ぎ、という感じなのかな。 長州にしたって家老3人の首を差し出してようやく赦免、という感じでしたから、田中土佐が自刃の際に神保内蔵助に話したように、「最初から我らの腹を差し出しておれば」、会津は悲劇を免れたかもしれない。 いや、京都守護職の時点ではなくて、新政府に対して恭順を示そうとした時点でですよ。
 容保の意識では、恭順をいくら示しても相手は自分の首を狙って攻めてくるではないか、藩主の首などもってのほかだというのに、ならば最後まで抵抗を貫こうではないか、…という感じなのかな。

 容保公は戦局が進むにつれて、「我に忠義を尽くせよ」 という感情が膨張していっているように感じる。 こういう側面って容保公の場合もともとそんなに強くなかったような気がするのですが、やはり戦いが熾烈を極めてくると、家来たちの忠誠心を自らにより強く集中させる必要性が生じてくる、と思うんですよ。 冒頭に 「バトラーズ・ハイ」 などと形容しましたが。

 「三郎のかたきを取る」 とか、だれしも自分の大切な人を殺されたら 「復讐」 の気持ちが生まれることは当然です。 ここでは、悲しみと怒りの感情が混在する。 「かたきを討つ」 という行為って、やはりどこかで人間の感情を揺さぶる作用があるように感じます。 「忠臣蔵」 もそうだけど。
 「悲壮さ」 というものがそこにはついてまわり、限りなく復讐の行為を正当化させていく。
 これも 「バトラーズ・ハイ」 のひとつなのかな、という気がする。

 でもこのドラマでは八重に、「憎しみのための殺戮」 について試行錯誤させる余地を作っている、と感じます。
 戦闘の真っただ中で、八重に、「鉄砲は殺戮の道具だ」 という父権八のかつての言葉を思い出させたり、八重に新政府軍の敵を至近距離で撃たせたりしている部分です。

 そりゃ目の前だったら、それって 「的」(まと)ではなくて 「自分と同じ人間」 ということをいやがおうでも気付かせますからね。 「命中!」 なんてイッチョアガリみたいに言えなくなるはずです。
 でも八重が実際にそういう場面に遭遇していた、として、果たして現代人と同じような人道的なことを考えるのかな、と私は考えてしまう。
 このドラマでは、ほかにも新政府軍の大山巌とか板垣退助とかにも人間的な部分があるのだ、ということを、まるでバランスを取るために挿入している気がするのですが(その点世良修蔵の描写はカンペキなワルモノでしたけど…笑)、彼らにしたって 「バトラーズ・ハイ」 に陥っている状態で、果たして 「女子供まで戦闘に加わっているのか」、みたいな躊躇をしていたのかどうか。 確かに御武家の、頼母の家族が揃って自刃しているところを見れば、それはもののふの気持ちで見れば、自分たちの行動を振り返るよすがになるかもしれないけれど。

 白虎隊自刃の場面でも、鶴ヶ城が燃えていると勘違いして自刃してしまうという解釈を採用せず、「もはやここまで」、という気持ちから、もののふとして最高の死に方である腹切りを選んだ、という描写をしている。 ここにも 「バトラーズ・ハイ」 が含まれているような気がするのですが、「いくさ」 という非日常的な状況が、いたずらに 「悲壮」 という側面を肥大化させていき、普通では考えられない行動を取らせてしまう、そんな面がこのドラマでは強調されている気がするのです。

 しかしいっぽうで、このバトラーズ・ハイは、どこかで 「非日常を愉しむ」 という側面も持っている、ということをこのドラマの作り手は描くことも忘れていない。

 たとえば二本松少年隊の回でも、「八重の桜」紀行で紹介していたような、一種の 「修学旅行気分」 という少年たちの様子が描写されていたし、鶴ヶ城に籠城した女性たちの炊き出しの様子や敵の弾を味方の弾にしてしまう作業の楽しさ、凧あげをする様子とか、悲惨さばかりが強調されているわけでもない。
 そのひとつのハイライトが、第27回 「包囲網を突破せよ」 での、山川大蔵の彼岸獅子を巧みに使った無血入城だったのですが、こういう 「なんだコリャ?」 みたいな、牧歌的とも言えるエピソードは、私に大昔の源平合戦の、那須与一を思い起こさせます。

 あげくの果てに、「冗談だろコレ?」 みたいに感じたのは、佐川官兵衛が殿からの杯で酔っ払って寝てしまって朝駆け攻撃に遅参してしまった、というエピソード。 コレ 「牧歌的」 じゃ済まないだろ(笑)、みたいな。 ほっとくなよ、みたいな(笑)。 誰か起こせよみたいな(笑)。

 現代日本の常識が当てはまらない、という点でちょっと蛇足的に書いておきたいのは、こないだNHKBSでやってた歴史討論番組でやってた、会津藩がドイツ(当時のプロシア)に北海道(蝦夷地)北東地域の売却を打診していた、という話です。
 会津藩が京都守護職のために慢性的な財政難に陥っていたことはこのドラマでも強調されていますが、それを打開するためにこの戊辰戦争のさなかに、当時幕府から預かっていたのかな、なんかで統括していた蝦夷を売る話を持ちかけていたらしいんですよ。
 これって現代の日本の常識からいうと言語道断の話としか思えないんですが、当時の領土感覚というのは、日本のカテゴリに蝦夷が含まれてなかったんだろうな、と。
 これって 「会津藩、売国奴かよ(笑)」 みたいな話じゃなくて、そこまで逼迫していたんだろうな、と感じるし、会津もバカ正直だけじゃなくて、したたかに動こうとしていた、ということでもあるんだろうな、と。
 で、その番組によると、そのお金で最新の兵器を買いつけて海路新潟(越後)経由で持ち込もうとしていたらしい。 このドラマでも時々 「越後」 の地名が出てまいります。 そこまで見据えて越後の地名を出してるのかどうかは分かりませんが、かなりこのドラマの脚本家さんは調べてるな、という気がいたします。

 結局そのBSの番組では、ヨーロッパ諸国が日本を植民地にできなかった要因が、欧州全体のミリタリーバランスがギスギスしだしていたみたいなことにあると指摘していましたが、それって第一次世界大戦につながっていく話じゃないの、とちょっと身震いいたしましたね。

 いずれにしても、小賢しいことをここまでグダグダと書いてまいりましたが、

 …。

 正直言って毎回泣いてます!(ハハ…) もうボロボロですっ!(ハハ…) もう見たくない!(これ本音)。

 二本松少年隊の回ではもう目が腫れました。 そして白虎隊。 中野竹子(黒木メイササンの悪いイメージは、これで個人的に完全に払拭されました)。 そして頼母の家族たち(あのあどけない女の子…)。 妻の千恵。 神保雪。 田中土佐と神保内蔵助。 そして今回、砲弾の爆発を防ごうとして失敗した、大蔵の妻、登勢。 一瞬助かったと思っただけに、かなりのショック。 どうなったのでしょうか。

 いずれにせよ、死んでゆく者たちが、みなそれぞれにかなりのインパクトで迫ってきて、涙を禁じ得ません。
 山本覚馬の国を思う気持ち、会津を思う気持ちにも泣けてきます。
 もはや坂本龍一サンのテーマ曲が流れてきただけでも泣けてくる(ハハ…)。

 それにしても戦闘シーンがすごい。 すごすぎる。

 近年の大河ドラマはこれに比べれば皆フヌケのオコチャマレベル。 しかも戦国時代の大河でフヌケなんだから何をかいわんや、です。 いや、「でした」。

 このドラマは、「戦闘シーンが残酷だからって自粛する必要などない」、ということを世間に表明しただけでも、近年かなり有意義な大河ドラマだ、と感じるのです。

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2013年7月11日 (木)

閑話休題

 このところの猛暑で、ブログを書くのに青息吐息でございます…。

 このほどアップした、「半沢直樹」 も、月曜から書いていてよーやく仕上がりまして…。

 皆様、暑さにはくれぐれもご注意くださいまし。

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「半沢直樹」 第1回 ありそうでなさそうな話

 堺雅人サンが融資失敗の責任を取らされるがけっぷちの銀行員を演じる、「半沢直樹」。 「半沢直樹」 というのはまんま堺サンの役名でして、ひねりもなにもまったくない(笑)。 しかし全体的な印象としては、この題名の通り直球勝負の、かなり硬派なビジネスドラマと感じました。

 しかし、ただひたすらに生真面目な内容かと思ったら、第1回ラストでは、同じ堺サン主演だった傑作ドラマ 「リーガル・ハイ」 のブッ飛び弁護士も真っ青な、「大 『啖呵』 大会」 に突入(笑)。 それまで続いていた、上司やらなんやらの自己保身、責任のなすりつけに、「よくあるパターンだよな」 と思いながら内心ムカムカしていた鬱憤が、堺サン演じる半沢直樹の啖呵によって、きれいに雲散霧消いたしました。

 この快感!

 これこそが、「ドラマの醍醐味」。 会社の人間関係でモヤモヤしている人は、このドラマを絶対的にオススメいたします。

 見ていて多少の違和感がなかったわけではありません。 ただ、そうした類の細っけぇ違和感は、ラストの啖呵で吹っ飛んだ。
 ちょっと 「重箱の隅ツッツキ」 になりますけど、そこらへんをレビューしていきます。

 冒頭部分から、二十歳そこそこの慶応大学生を演じる堺サン。 ですが、そこに違和感を覚えたわけではない(笑)。
 まずこのドラマの舞台である 「東京中央銀行」 の前身である、産業中央銀行の面接シーン。 それに臨む二十歳そこそこの半沢直樹はこの銀行の志望動機を、父親(笑福亭鶴瓶サン)のネジ会社が倒産するところを助けてもらった銀行だから、と熱を込めて語ります。 それを見ていた同じ慶大出身の渡真利(及川光博サン)、こーゆーことを言ってれば入社は確実だろう、と踏んでいたようです。

 そして入社式。 同じくこの銀行に入行できた慶大同期の近藤(滝藤賢一サン)、渡真利と、自分たちの夢を語り合うのですが、半沢は 「上を狙いたい」 と野望をあらわにします。

 この時点でなんとなく違和感が(笑)。

 父親の会社を助けてもらったのが入社動機なのに幹部役員を目指しているなんて、ん~、よく分かんないぞ(笑)。 まずは自分も、そんな人情派の銀行マンになる、というのが筋じゃないのか?、と。
 この時から 「もしかしてこの銀行、半沢のオヤジの会社を 『助けてあげた側』 ではなくて 『ヒデー目に遭わせた側』、なのではなかろうか」、と思ったのですが、果たしてそれは図に当たっていたとはいえ、この 「ヘンな違和感」 が、逆に半沢直樹の真意を読み解こう、とする気持ちに結び付いていき、私はドラマにのめり込んだ、と言えます。

 それは結果的によい違和感だったのですが、もひとつ悪い違和感があって、このドラマ、ヤケに 「説明ゼリフ」 が多い(笑)。
 この手の 「ちょっととっつきにくい」 難解なドラマでは、登場人物どうしがしゃべるときに 「そんなことは知ってるから省略するだろう」 という主語が頻繁に登場します。
 これがリアルをちょっと削いでいくのですが、まあいいか、こんなもんは(なんか問題のない違和感だらけだな)。

 で、月日は流れ、融資課長になった半沢。
 3000万円の融資を依頼されている町工場マキノ精機(志賀廣太郎サン経営)を訪ねます。

 この際、工場の従業員たちがさわやかにあいさつをするのをつぶさに見て、「会社としてのイキの良さ」 というものを値踏みするのも忘れないのですが、「従業員たちがみなあいさつをする」 というのって、「今日は大事なお客さんが来るからみんな元気よくあいさつして」 とでも命令しなきゃ動かないんじゃ?みたいな(笑)。 騙されちゃイカンぞ、みたいな(笑)。

 それに、みんながさわやかにあいさつしているのに、「オレは金を貸してやるためにやってきた」 みたいに仏頂面して無視している半沢。 ナニサマだ、あ、慶大出の銀行員サマか(ハハ…)。

 あげく半沢、「人件費削減が融資の要件だ、としたら?」 と志賀社長にカマをかける(笑)。 「人材こそが城なのだ」 というポリシーを、引き出したいんですよ(笑)。 銀行員サマがいい気なもんだ(笑)。 どうもズブン(自分)、銀行には根強い不信感がございまして(爆)。
 このカマかけに対し、志賀社長は 「これだけは譲れない!」 と人員削減には乗ってこず、半沢は融資に向けて稟議を約束します。

 ん~、なんか意地悪だな(笑)。 でもこれで、半沢がきちんと会社の価値を理解し、適正な融資を約束してくれる、人情派の銀行マンになっていることが分かるのです。

 もちろんそうしたきちんとした会社であることは、書類を見れば一目瞭然な部分もある。
 いちばんの要因はそこだと思いますね、銀行が融資を決定する理由としては。 元帳とか経理的なものだけでなく、事業計画書とかその辺のちょっとした報告書とか、あらゆる書類を見ていくと、その会社がどれだけの効率でまわっているかが分かるものなんですよ。
 それに対して悪い会社というものは、独りよがりでなんかヤケに読みにくい書式の書類をいっぱい作ってたりする(笑)。
 いい書類というのは、事務員の作業を簡略化させ、問題点をスムーズに洗い出せる力というものを持ってますから。 くどい書類作りは百害あって一利なし(ハハ…)。 くどい会議はなおさら悪い(爆)。

 そしてその会社が、その貸したお金を返してくれるだけの力を持っているかどうか。
 会社の将来性という部分を査定するには、どちらかというとギャンブル的な側面があると私は感じるのですが、まずきちんとしたモノ(製品とかサービスとか)を作っておれば、そしてそれが市場競争で敗れないだけの性格を有していれば、おのずと融資する価値も生まれてくる気がする。

 従業員があいさつをするとかはその場限りの教育でなんとかなるが、要は、そのあいさつに義務感が漂っていないか、やる気、元気が漲っているか。 半沢はその部分を感じ取ることができるのでしょう。 融資決定にゴーサインを出すうえで、これは最終的な判断の単なる後押しである、と言える気がします。
 いや、銀行にとっちゃ 「返してもらえるかどうか、返してもらえないでも担保で元が取れるかどうか」 しかない気がしますけど(スゲー悪意に満ちた表現)。

 そしてこの、マキノ精機とは対極にあるのが、宇梶剛士サンが社長の西大阪スチール。 東京中央銀行のライバル銀行がメインバンクの、まあ大企業といえる規模の会社です。
 「5億円の融資を実行せよ」 との東京中央銀行上層部からの強力な圧力がかかるなか、半沢は 「なにごとも経験だ」 と上司によって強引に担当にされた新米社員、中西(中島裕翔クン)に付き添い、この会社を訪ねます。

 まあこの会社がね…(笑)。

 ドラマだから分かりやすく描いていますが、分かりやすすぎのダメ会社つーか(爆)。

 事務員が有り余ってるクセして電話が鳴り続けているのに出ないなんて、もうその時点で言語道断レベルつーか(ハハ…)。 つまりは半沢にとって融資の最終判断を後押しする 「会社内の雰囲気のよさ」 というものがそもそも最初から欠落している。 これがマキノ精機の描写と対をなしていて、半沢の最初の直感に結び付いているドラマの見せ方が面白い。

 オマケに経理部長だったか、ラサール石井サンに書類の提出を求めても、マキノ精機の事務員みたいにチャッチャと出てこない。 後ろ暗いところがなければすぐに出せるのが常識ですよ。 もっとひどいのは 「散らかりすぎて書類がどこに行ったのか分かんないケース」(爆)。
 とどめは社長がワンマンだ、ということですね。 しかも態度が横柄。 最悪なパターンで、私だったらこの時点で融資の可能性ゼロと踏みますね。

 で、半沢も上層部からごり押しを受けた時点で、今までライバル銀行のメインバンクとして蜜月状態であったのに、どうして今さらウチに融資の話が持ち上がっているんだ?という疑念があるわけですよ。 当然でしょ。
 しかも担保保証なしという状態で貸すなんて、そりゃムボーすぎるでしょつーか(笑)。

 この点ドラマでは非常に分かりやすくて(笑)。 つまり半沢の上司である浅野(石丸幹二サン)が手柄を立てて最優良店舗の栄誉を獲得し、東京支店に返り咲いてゆくゆくは取締役、みたいな感覚でしょ。 あ~分かりやすすぎ(笑)。 で、浅野の強引な申し入れで仕方ないから金借りてやるんだぞ感謝しろみたいな態度だし宇梶サン。 でもさしたる理由もなくただ借りるには、いくら大企業でも5億なんてのはとんでもない金額ですよ。

 で、その査定の期限が迫ってるとかなんかで(忘れた…笑)5億の融資をなにがなんでも明日じゅうに実行しろみたいな感覚でしょ。
 中西が作った不備の残る稟議書だの、半沢が直そうと思ってデスクトップに挟んでいたら勝手に持ってかれて(なんだソレ…笑)、あげくの果てに半沢が抗議したら上司の浅野、「オレが全責任を持つ」。 ってアータね(笑)。

 あ~ここ。

 見切り発車で全責任、などというのがいちばん危なくてね(笑)。

 もし半沢に非があるとすれば、「全責任」 などという言質で安心してしまったことにある、と思いますね。 上司の口約束なんて、アテにならない最たるものだから(笑)。

 ドラマでは現場経験が浅いだの現場のカンがないだの、いろいろ浅野について人物評がなされていましたが、だったらなおさらだ。
 このような大口の、不安が払しょくしきれない融資案件に新米の中西を担当につけた、というだけでも、浅野の現場経験の乏しさは露呈している。

 ここらへん、分かりやすく話を進めていこう、という努力は分かるのですが、あまりに分かりやすすぎてすごく違和感が残った(笑)。
 じっさいのところこんなに単純なものではないと思うんですよ、こと5億もの融資が絡んだ話ともなれば。
 コチョコチョと修正が利くのが、マキノ精機にやってるような3000万くらいの融資で(だと思う)。 修正が利くから裏金とか不正が入り込む余地も生まれるものでね(知ったよーなことをぬかしておりますが)。

 5億もの融資を決めた半沢の支店は最優良店舗の座を獲得。
 しかしそれもつかの間、宇梶サンの西大阪スチールはあっけなく倒産。
 ここからがまた分かりやすくて(笑)、浅野は決算書の内容など確認作業を怠った半沢の責任だ、と 「分かりやすすぎる」 責任転嫁を開始(笑)。 半沢を査問委員会にかけようと裏でコソコソ仲間どうしで画策を開始します。

 あーあ。

 半沢はこの動きに反応して浅野を問い詰めますが、「2年ばかり外回りで我慢してくれれば必ず元に戻してあげるから」 と泣きつかれます。 半沢は 「オレが全責任を持つ」 といった言葉のウソを突いて、「アンタは信用できない」、とそれをはねつける。

 「信用できない」、というのは、銀行員にとっていちばんの侮辱の言葉のように感じるのですが(まあ浅野に銀行員としてのプライドがあればの話)、私はここは半沢も交渉のしようがあったように感じますね。 まあ汚い話ですけどね。

 信用できないというのであれば、確約書を浅野の持っている人事部のコネで作ってもらうとか出来るんじゃないか、とか(ムリか?)。 2年の出向で事が収まるのであれば、それに越したことはないだろう、と。 5億なんか大銀行にとってみりゃはした金だろ、みたいな。
 相手に負い目を感じさせながら相手を動かしていく、というのが、上と渡り合うひとつの方法みたいなものでしてね。

 でも半沢はそういう裏取引をする気はまったくないみたいですね。
 なぜなら彼は、父親の復讐をするために、この銀行に入行したのだろうから。
 おそらく彼の狙いは、弱者救済をしようとしないこの銀行の上層部に入りこみ、銀行の経営体質を根本から変革しようとしていることにあるか、逆にメチャクチャにしようとしているか。

 いっぽうオカマの(笑)国税局統括官、片岡愛之助サンの登場で、倒産した西大阪スチールにまだ回収できる隠し資産があるのではないか、と踏んだ半沢。 社長の宇梶サンを捜し始めます。
 ここらへんはチェイサー(追跡者)としてのドラマ的な展開が続きますが、ようやく見つけた宇梶社長は相変わらずのゴーマンかまし体質が抜けておらず(笑)。

 このゴーマン社長、半沢に 「オマエラ銀行員は、晴れている日に傘を貸して土砂降りの日に傘を取り上げる」、などと巷間よく言われることをいけしゃあしゃあ逆襲のシャアと口にしますが、

 …、

 アンタそれ、まっとうに会社を経営している人が言うセリフだから!(笑) 今週の 「オマエが言うな」(笑)。

 あ~あ、私がこのドラマを見ていていちばん感じた違和感の正体は、ここかも(笑)。

 そしてそのセリフに過敏に反応してしまう半沢も情けない(笑)。 要するに自分もそういう 「調子のいい銀行」 の自覚があるから反応してしまうんでしょ。
 半沢がちょっとひるんだすきに、ゴーマン社長の愛人であった壇蜜サンによって、彼は容赦なくボコボコにされ、逃げられてしまう。
 しかしすごいな壇蜜(笑)。 マジでやってんのかと思った(笑)。 この人、もしかしてすごい演技者なのかも。 半沢の女房を演じている上戸彩チャンより凄みを感じた(笑)。

 あ、ここでちょっと話は脱線いたしますが、この上戸彩チャン。 カタブツの権化みたいな半沢の女房をやっているにしては、かなりくだけたチャラチャラ感覚の明るい性格で、多少の違和感を持たないこともない。
 でもですよ。
 だからこそ半沢が、神経を使う銀行の仕事のオアシスとして、彼女を選んだ気もする。
 彼は女房の一見無責任っぽいポジティヴな言動にタジタジとしながら、なにかどこか、うれしそうなんですよ。
 彼女は彼女で、そうした前向きななにも考えてなさそうな女房を、どこかで演じているような部分も見える。
 巷間では上戸彩チャンのこの女房役が非常に不評を買っているようなので、あえて言いたいですね。
 別にヘタで演じているわけではない、と。

 話戻って、最後の望みが潰えてしまった半沢。 ついに査問の場に。 そこには、半沢の同期である近藤を左遷させた、意地の悪そうな人事部次長、小木曽も控えている。

 事前に渡真利から 「いいか、何を言われても、『ハイ』『申し訳ありませんでした』 で通せ」 とクギを刺されていたにもかかわらず、あまりにも出来レース的な、一方的な上層部の詰問に、静かに、そして徐々にブチ切れていきます。

 冒頭も書きましたが、ここがなにしろすごい。 「リーガル・ハイ」 も真っ青。 半沢の反問を、ここですべて書かないわけにはまいりません。

 「まずは謝罪のひと言があってしかるべきじゃないかね?」 同期の近藤を精神的に追い詰めた、底意地悪い小木曽の 「机バンバン攻撃」。 あ~うるせ~。 ふざけんなよテメエ。

 「…どうも…」 蚊の鳴くような声で謝罪をする半沢。 「申し訳ありませんでした」。

 言質をとったとほくそ笑む融資本部の定岡たち。  みな浅野の息がかかった連中です。 小木曽は記録係に無言で、「ここ、しっかり記録しといて」 と指示を出します。 しかしいったん謝罪した半沢の反撃は、ここから。

 「今回の融資に関して、私に…。

 …。

 私に責任の一端があることは、謝罪いたします」

 「…一端?」 はぁ?全部の責任じゃねーのかよ?と言いたげな小木曽の反応。

 「ですが。

 …私ひとりにすべての責任を押し付けられることは、納得いたしかねます」

 なにを言い出すんだコイツ、という顔の小木曽。

 「あの稟議に関してはすべて上の指示に従ったまでのこと。

 私が審査をする前に稟議書は取り上げられ、本部へと送られました。 そのとき、浅野支店長は確かにこうおっしゃいました。

 …『自分が全責任を取る』 と」

 「君は自分の責任を支店長になすりつけるつもりか?」 と色をなす小木曽。 「前もって話を聞いた浅野支店長も江島副支店長も、『そういうことを言った覚えはない』 と答えてるぞ?」

 間髪いれずに話す半沢。 「私は事実を申し上げてるだけです。 あれは支店長マターの案件でした。 あなたがたもそのことはご存知なんじゃありませんか?」

 「どういう意味だねッ?」 声を荒げる定岡。 「別に深い意味なんかありませんよ。 浅野支店長の元部下だった、定岡さん。 小木曽さん」

 「君には反省の色がまるでないようだなッ」 憎々しげに歯をむきだす小木曽(笑)。 涼しげに答える半沢。 「ここでしおらしくして5億が戻るならそうしますが、あいにくそんなことをしても時間の無駄だ。
 …こんな下らない茶番はさっさと終わらせてもらえませんか?」

 机をバン!と叩き立ちあがる小木曽。 半沢を指差し 「なんだその言い草は! 君は旧産業中央銀行出身の我々(の顔)に泥を塗ったんだぞッ!」

 「旧産業中央…。
 旧東京第一…。

 …。

 そんなものは知ったことではありませんッ!」

 「アチャ~、やっちまったよ…」 という表情で部屋の外でそのやり取りを聞いている渡真利。 部屋の中からは、小木曽の怒鳴り声が漏れてきます。 「いい加減にしろっ! 誰がなんと言おうと粉飾を見破れなかったのは融資課長である君の責任だぞッッ!」

 「ええその通り…。

 だがそれを言うなら、あなたたち本部の審査部も同罪ですよ」

 「なんだとッ!」

 「あなたがたにも同じ資料を提出したはずだー(この、語尾を伸ばすところが 「リーガル・ハイ」…笑)。 融資部は3日もかけて認可したにもかかわらず粉飾を見抜けなかったじゃありませんか」

 「だからそれは、お前がゴリ押ししたからだッ!」 慌てる定岡。

 「ゴリ押しされれば融資部は稟議を認可するんですかァ?だったらこれからは毎回ゴリ押しさせてもらいますよそれで通るんならこんなに楽なことはない」

 呻く定岡。 「当行は現場主義だ…。 現場の判断が最も尊重される…。 つまりそれは、最終責任が、現場にあることを意味しているッ!」

 「だったらアンタたちは何のためにいる?」

 キター!(笑) 痛快(笑)。

 「責任が取れない本部審査になんの意味がある?
 そんな融資部なら必要ない、やめてしまえッ!!」

 臍を噛む上層部の無能そうなツラ(あ~スッキリした)。 半沢は追撃の矛先を急に転換します。

 「さっきから都合のいいことばかり書いてんじゃねえぞ記録!」 ビックリして顔を上げる記録のオッサンのバカ面(もっとやれー)。 半沢は記録部に命令します。

 「今から言うことを書き留めておけ。

 …私は必ず5億を回収する。

 2度と邪魔しないでいただきたいッッ!」

 一礼し部屋を出ていく半沢。

 なんという…。

 なんという…。

 日本中のアホなオエライガタに見せてやりたい(ハハ…)。

 しかしこんな大見得切っちゃって、ダイジョーブか半沢?(笑)
 いや、応援するぞ!
 ドラマ的にいかなるゴーインな展開があろうとも!(爆)

 しかし、しかし、それでも残るこの巨大な違和感…。

 数日、これはなんなんだろうと考えておりましたが、ようやく分かりました。

 「銀行員がこんなにハッチャキになって金を貸そうとしているのが、ズブンのよーな弱小企業のヤツにはスゲー不自然なのだ」、ということが!(爆っっ…)。

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2013年7月 6日 (土)

「伊集院光 深夜の馬鹿力」 プリン事件(笑)についてチョット

伊集院光の機内トラブル体験談に批判続々……「面倒くさい客だな」「クレーマーだろ」

RBB TODAY 7月2日(火)19時59分配信】 タレント・伊集院光が2日に放送されたTBSラジオ 「伊集院光 深夜の馬鹿力」 内で語った飛行機内トラブルの体験談について、ネット上では賛否両論が巻き起こっている。

 九州旅行に行った伊集院は、帰路、空港でプリンを土産に買ったという。 しかし、機内に乗り込んでから、保冷剤の入った荷物は棚にも足元にも置けないと発覚した。 事前の説明がなかったことに伊集院は立腹。 そして、「隣の空席にプリンを置いていいか?」 とCAに尋ねたところ 「座席の料金が必要」 と言われてしまい、「料金を払う」 と申し出るも 「事前の手続きが必要」 と断られてしまった。 その後、別のCAから、特別に無料で隣席に置いていいとの許可を受けたが、伊集院は、「クレーマーとしての処理をされているんでしょうが、その恩恵は受けたくない」「僕は自分をクレーマーとはっきり分けていたいのでルールを守る」 と、結局福岡から東京・羽田までの1時間40分をプリンを手に持った状態で過ごしたそうだ。

 機内でプリンを持ったまま2時間近く過ごす状況を想像すると、なんとも気の毒なようだが、この話についてネット上では、航空会社の融通のきかない対応を非難する声もあったが、大半は 「クレーマーじゃん」「飛行機側も杓子定規な感じはするが伊集院は面倒臭い客だな」「『隣の座席に置いていいです』 の時点でありがとうで終わる話じゃん」「知らないルールやマナーなんてそこら中にあるんだから素直に従えばいいのに」 と、伊集院に対する批判が寄せられている。 また、伊集院が利用していたのが比較的低価格で利用できる航空会社だったことから、「安い代わりに色々我慢しなきゃいけないんだよ」 という意見も出ている。

 こうしたネット上の声に対し、さらに伊集院が反論するのか、注目される。



 私、夜のお仕事中にこの放送を聞いてたんですが、仕事中なもんで途切れ途切れとはいえ、なんかこの記事に書かれていることって、ちょっとニュアンスが違うように感じるんですよね。 「言葉を伝える者」 のはしくれとして、ちょっとこのことについて書きたくなりました。

 確かに事実関係からするとこの通りなんですが、伊集院サンがラジオで語りたがっていた本質を、この記事はきちんと書いていない。
 この記事を書いた人が伝えたがっているのは、伊集院サンがラジオでしゃべったことについて、「ネットでは批判が渦巻いている」 ということだけなのだろう、と感じます。 「賛『否』両論」 とかいかにも公平な立場に立って高みの見物をしているような書きっぷりですけどね。 まあ面白おかしく他人をやり玉にあげて読者を獲得しよう、というのが、この人たちの本質ですからね、いつも。

 でも、いろんなニュースに接していて、何かと大問題に発展する 「舌禍」、つまり不用意な発言が巻き起こす騒ぎというものについて、その発言しているVTRを詳細に見ていくと、伝わっている内容とニュアンスが違う、ということに、私はたびたび出くわします。

 確かに一連のやり取りを聞いてて、私も途中から 「安かろう悪かろうなんだなこの航空会社、だったらもう諦めるしかないじゃん」 と思ったのですが、伊集院サンは 「自分ってメンドクセエな」 と自覚したうえでこの話をしてましたよ。

 このプリン事件(笑)について上記の記事では簡単にしか書かれていないことですが。

 伊集院サンが確保した最前列の通路側の席というのは、そもそも荷物を置く場所がない席らしい。 で伊集院サンは 「棚に乗せるしかございません」、という説明を、チケットを買った時点で売り場の人に言われたらしいんですよ。
 で、女房へのお土産で(ここらへんの説明は要らんか…笑)空港で買ったプリンを、いざ飛行機に乗って棚に乗せようとしたら、「保冷材がある荷物は乗せることができません」、とCAの男の人に言われた。
 「そんなのは 『棚に乗せるしかございません』 の時点で一緒に説明すべきだろ」、というのが、伊集院サンの立腹のそもそもの発火点で。

 「じゃ隣が空いてるから隣の席に」、と言うとCAは 「別料金が必要」 と言う。 18000円だったっけな?
 これって、「空いてんだからいーじゃん」 とか軽く思ってしまいがちですが、まあ乱気流でプリンがこぼれて席汚したりなんだりしたら大変っスからね。 ほかの客が 「なんだアイツだけ」、というのもアレだし。 仕方ないか。
 で、伊集院サンは 「じゃ払いますよ隣の料金」 と言ったら、「ここでは手続きが難しいから無理」 とか。 ま、そりゃそうだ、もう乗っちゃってんだから。

 でもね、「だったら別料金とか言うな」、でしょ(笑)。

 つまりこの航空会社って、マニュアル通りのことにしか対応できないんですよ。 だからとっさに 「じゃ隣の席」 とか言われたら、「別料金」 とか口を突いて出ちゃうわけでしょう。 客の立場に立っていたら、「それはご勘弁ください」 でしょ。 「なんだメンドクセエな」 と考えるから、「別料金」 なんて答えちゃうんだと思う。

 で結局、「今回は特別に許してあげます」 みたいなこと言われたんじゃ、「なんだオレってクレーマーかよ」 みたいになっちゃうのも、分からなくはないですよね。 自分がクレーマーとしてこの航空会社に認識されちゃってる、と考えるのは、もしこれが自分だったらなんとも腹立たしいことですよ。 なんつーか、恥ずかしい。 だから伊集院サンは上記の記事にあるように、「クレーマーとしての処理をされているんでしょうが、その恩恵は受けたくない」「僕は自分をクレーマーとはっきり分けていたいのでルールを守る」 としゃべったんでしょうね。

 で、伊集院サンはこの問題の発端が、「もともと座席の購入のときにきちんとした説明、つまり棚には保冷材入りの荷物は乗せられませんということを一言付け加えられなかったこと」 にあると考え、「今後は事前にそのお断りを付け加えてもらえるように、会社に話してもらえませんかね」 とCAに言ったら、「それは出来かねます」、という返事。

 伊集院サンは 「ここでウソでもいいから 『分かりました』 とでも言ってくれればこっちは収まるのに」、と話してましたよ。

 つまり、CAの人にはその権限がもともと与えられていない、ということなんだな、と感じました、私は。 CAの人はしたくてもできないんだろうな、と。
 顧客の提案を上に通すシステム自体が、この航空会社にはない。
 「CAの分際で上奏するな」、くらいの上層部(シャレか)の意識が、そこからは見え隠れする。 客だって、安いからこれに乗ってんだろ。 文句言うな、と。

 まあそりゃ、「クレームは聞きません」 みたいなことを公然と言ってるよ~な会社ですもんね(笑)。

 でも、ここまで書かなきゃ、上記の記事だけじゃ、正直分かりませんでしょ。 伊集院サンの真意がどこにあるのか。

 私が感じるのは、「事実を伝えるうえで肝心な部分を抜かすと、まったく逆の感想が導かれるもんだな、あ~コワイコワイ」 ということであります(ハハ…)。
 今回肝心だと思うのは、伊集院サンが 「メンドクセエなオレ」 ときちんと自覚している部分。 本人がメンドクセエなと思っていることに関して 「メンドクセエんだよオマエは」 と追い打ちをかけるのは、正しくない。
 そして彼の怒りでかき消されてしまっているけど、冷静にこの光景を頭の中で想像してみると、「なんかクレームに対して必要以上に身構えてないかこの航空会社」、ということ。

 確かに伊集院サンの頭の中では、「カネを払えばいいんだろう」 という思考があることは確かですよ。 私だったらビンボーだから、「別料金なの、アホくさ、そんなの払えないよ」 となりますから。
 でも彼にしたって、やはり 「払いますよ」 と言った時点で、そのこと自体に腹立ってるはずですよね。 かなりの大金持ちでなければ2万近い大金なんか、たかがプリンを置くためだけに払いたくないのが人情でしょう。 言わば、かなり自暴自棄になりながらの発言だと思うんですよ(笑)。
 そしたら 「そんなことは出来ません」 て。
 出来ないんだったらゆーなよボケ、でしょ(笑)。 からかってんのか、つーか。

 ま、お客様は神様だとは思わないけれども、やはり最低でも客は客だろ、と(笑)。
 あまりにも 「乗せてやってんだ」 的でしょ。 「クレームなんか聞けるかアホ」 てなもんでしょ。 「特別に今回だけは許してやる」、でしょ。

 まあフツーは、私が冒頭に書いたように、「安かろう悪かろう、…か、フッ」(鼻で笑いました)なんですけど。

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「Woman」 第1回 ボロ泣きを阻害させるもの

 「Mother」「それでも、生きてゆく」「最高の離婚」 など、このブログではすでに揺るぎない評価を築いている坂元裕二サン脚本の新作。 社会的な問題作の多い氏の脚本ですが、今回スポットがあてられるのは、シングルマザー。 第1回を見る限りでは、託児所問題など子育てをめぐる大変さを浮き彫りにしながら、貧困問題、生活保護などの保障制度にも視点が向かっています。

 そのいちいちのエピソードが、子育てを経験している人の共感を得るであろうことは疑いがない。 託児所が少ないうえに料金は値上がりしていく。 子連れに対する公共の場での迷惑そうな空気。 子供が熱を出せば仕事を休まねばならない。
 さらにシングルマザーともなれば生活は経済苦と常に隣り合わせ。 このドラマの主人公であるシングルマザーがいみじくも吐露します。

 「お金で買えない幸せあるっていうけど、そういうこと言う人はお金持ってて。 私はとにかくまずお金で買える幸せが欲しい。 お金じゃ幸せ買えないかもしれないけど、お金あったら不幸になることないしって」。

 この言葉に共感する人は多いと感じます。 私もビンボーなので共感組です(笑)。

 ただし全体的な空気は、とても重い。 暗い。 見ててしんどい。 このドラマを受け止める覚悟というものが、見る者に求められるのです(ハハ…)。

 このシングルマザーを演じるのは、満島ひかりサン。

 この人の演技については 「すごい」 という絶賛の声と、「演技過剰で鼻につく」 という否定的な声を同時に聞くことが多い。 このブログでは耳タコの話ですが、彼女が 「『ウルトラマンマックス』 で演技の必要のないロボットをやってたころから知っている」 私としては、ちょっと隔世の感がありますね、いつも。
 でも賛否の両方がある、ということは、この人の演技というのは、すごい部類に入るのだ、と思いますよ。 大竹しのぶサンにしても尾野真千子サンにしても、いわゆる 「主役を張れる」、前に出る演技をするすごい女優というのは、その演技の 「ドヤ顔」 的なものに、拒絶反応が出るのが常だと思うから。
 そう。 この人の演技は、ワキでいることを拒絶する性格のものなんですよ。

 で、満島サンは今回も、ダンナ(小栗旬クン)に先立たれた、ふたりの子持ちの母親を、これでもかというくらいに健気に、悲惨に、演じまくっているわけです。
 このことについて別に文句を言うつもりは毛頭ないのですが。

 が(笑)。

 このドラマ、カテゴリ的には、松雪泰子サンがあの驚異の子役・芦田愛菜チャンの母親になったドラマ 「Mother」 の号泣路線を狙っている、と考えられます。
 それは第1回のラスト、死んでしまったダンナに会いたいと、母娘して泣く場面に向かって全体の物語が収束しているからで、この場面、満島サンの演技もさることながら、満島サンの娘を演じる鈴木梨央チャンがとにかくうまい。
 この梨央チャン。
 「八重の桜」 で八重の少女時代を演じていた子で、芦田愛菜チャンには及ばないように見えるけれども、やはりかなりの演技力であることは間違いない。

 しかしこの 「さあ!ここで思いっきり泣いてくださいっ!」 という場面で、私はあんまり泣けなかったんですよ。 ちょっとはポロっときたけど。

 これってなぜなのか、という考察をするために、今回のレビューはネガティヴな話をこれからしなければなりません。 ドラマに感動したかたはどうぞご遠慮ください。

 まず考えられるのは、「どうも子役を使って泣かせる、というのは、『Mother』 でさんざん見たからなァ」 というリミッターが、どこかで自分にかかっていることがひとつ。
 「Mother」 の時点で私も芦田愛菜チャンの演技に心酔し、「これほどまでの子役というのはさすがに見たことがない」 と絶賛の一方だったのですが、このあと愛菜チャンは、ご承知の通り大ブレイク。 当然です。 驚異的なんですから、演技力が。

 でもあまりに露出が激しすぎて、私なんぞはその演技のパターンを早々に見切ってしまい(子供の演技だもの仕方ない)早い段階で飽きてしまったのと、「こんだけ仕事させて親は何考えてんだ」 という、まぁ世間の人がよく考えがちなことも、考えて。

 こういう経過を経ているから、どうも最近、「子役」 に対して妙な警戒感が抜けないんですよ。
 これって、なんかドラマの見方としては正しくない癖だと思う。 感動を阻害してしまうんですからね。

 そして 「ボロ泣きできなかった理由」 のその2。

 それは、物語を構成するうえで第1回の段階では明かすことができない事情があると思われるのですが、「青柳小春(満島ひかりサン)が実の母の植杉紗千(うえすぎさち、田中裕子サン)に持っている確執」 の理由というのが分からないから、小春がいくら子役とオイオイ泣いても、「この主人公は自分で望んで不幸になってるんだろ」、みたいに思っちゃう。 そのせいです。

 せっかく実の母が 「生活が苦しいのを援助してあげる」 というんだから、昔なにがあったか知らないけれど、とりあえずもらっとけば、みたいな。 なに意地張ってるの、みたいな。 役所のおにーさん(三浦貴大クン)に 「500円恵んで」、みたいなことを言うクセに強情だなとか(笑)。

 小春がこんなに苦労している発端。 それは冒頭で書いたように夫の小栗旬クンがドラマ開始早々死んでしまうからなのですが、その理由は、駅のホームで落とした梨を拾おうとしてホームに転落、電車に轢かれた、というもの。

 もともと梨は小春の好物であるために、小春はそれ以来、梨を見るたびに複雑な思いを抱いています。

 そして夫の死後、母子3人の生活はますます困窮。 小春もとうとう生活保護の申請をするのですが、「あなたの実の母親が援助したいと言っているから、今回の申請は却下します」 と役所の人に言われる。

 小春は 「あんなヤツになんか援助してほしくない」 と思っているから、それを取り消してもらおうと母親の家を20年ぶりに訪ねます。

 この時に、小春は夫の死の引き金となった梨を、大量に持たせたのが、実の母親の紗千であることを母の再婚相手(小林薫サン)から知るのです。 あ、ちなみに小林サンは、冴えないテーラーの店主。 これって個人的に 「カーネーション」 を連想させます(笑)。 人によってはこの田中裕子・小林薫という組み合わせ、向田邦子サンのドラマを想起させるかもしれません。

 そして、なんとなく気まずい雰囲気のなか再会した母娘。 用事がすんだらそそくさと帰ろうとする娘に、母親はそうめんを食べさせようとします。
 梨にしてもそうだけれど、坂元サンのドラマでは、食べ物が重要な小道具となることが多い。 今回もその例に漏れません。
 台所でネギを切りながら母は娘に、夫は元気か、と尋ねます。

 ここでの小春の反応。

 「今は一緒にいません」

 紗千はふたりが離婚したものだと思い込み、「それで生活保護? 大変ねぇ」 とひとごとみたいな反応をする。 「まっ、いろいろあるでしょうね」。
 これにカチンとくる小春。 ここから坂元脚本のもうひとつの華(笑)、延々と続く長ゼリフが始まるのです(笑)。 小春が語る母親としての苦労は、この第1回に綴られるエピソードで詳細に語られているので、ある程度の説得力は確かに有しています。

 でもね。

 小春にしてみれば、自分の夫が死んだのは母親のせいだ、という事実を知ったばかりだから、「死にました」 ととっさに言えないのは分かる。
 でもたぶん相手は、自分の娘との距離感が分かっていない母親。 ここで長ゼリフは、ちょっと言い過ぎでしょと言えなくもない。 さんざん 「『大変』 ってどういうことか分かってんの?」「『いろいろ』 って意味分かってんの?」 とダラダラ打ち明け話をしたあげく(スゲー悪意に満ちた表現だなコレ…ゴメンナサイ)、小春は自分の夫が死んだことを打ち明けるのです。 母親が持たせた大量の梨が遠因となったことも含めて。

 ショックを受ける紗千。 目の前に放ってあったそうめんをやおら大量にすくってかき込みます。 ここらへんの食べ物の使いかたが、坂元作品なのです。

 そして急いで食べ終わった紗千は、なにがしかの金を、そこらにあった新聞のチラシに無造作に包んで、小春に渡そうとする。 これを敢然と拒絶する小春。 大声も出してしまいます。 ちょっと待ってよ。

 あのダラダラの長ゼリフ(笑)の途中で、私が冒頭に引用した 「お金ほしい」 という話も挿入されるのですが、だったらここ、拒否しないで受け取れば?と思っちゃうんですよ。 役所で生活保護の却下を受けて500円恵んでもらったくせに、つーさっきの話です。

 で、この場面で流れるのが、「遠き山に日は落ちて」。 このドラマの導入部分、小春と信さん(小栗クン)との出会いを決定づけた曲です。
 こういう小道具の使い方も坂元脚本のひとつの味になっている。

 この曲の最後の行、「♪まどいせん」 という意味が、小林薫サンによって小春の子供たちに語られます。 「円居せん」、つまり家族が輪になって語り合う、家族団欒のことなんだ、と。
 知らなかったな~(ハハ…)。

 母親からのお恵みを拒否した小春は、口元に笑みを浮かべてそこから去ります。
 これは 「今ここで私はいっさい母親の面倒にはならなかった」、という勝ち誇った笑みである、と同時に、もうこれで会わない、という決意の笑みかな、と。 このシーンのあと、紗千はつぶやきます。 「あの子が私を捨てたのよ…。 怒って帰りたくなかったのよ。 許したくないから笑って帰ったのよ」。

 そして第1回ラスト。

 この帰り道、娘の望海と楽しく談笑していた小春は、急に表情を崩して泣き始めます。
 「信さんに会いたいの…」

 もっと幼い頃、小春から 「父親は隠れてるだけだ」 と教わっていた望海。 号泣する母親にいたたまれなくなり、泣きながら当たり構わず叫び始めます。 隠れているのなら出てきて、と。

 「お父さぁん!…

 お父さん来て!

 ねぇお父さーーん!

 ねぇお父さん来てよーー!

 すぐ来てよ…!

 お父さんお願いだから来てよーー!

 … …お父さんすぐ来て! 会いたいよーー!」

 こうやって書いてると泣きたくなってきますが、「自分で決意して、望んで好きでこうなってるんだからな~」 と考えてしまってるスゲー冷たい自分がいる(ハハ…)。 「Mother」 では後先構わず号泣してたんですが。

 生活保護に関しても、なんかもらいながらパチンコやってる、って話はよく聞くし、申請受理ってとても難しい、と聞くこともある。
 いったい何が真実なのかは分からないが、もしかすると受理には多少の要領が必要なのではないか、と思う時があります。
 小春は言ってみれば、とても不器用に生きています。
 でも不器用に生きている人にこそ、必要な制度なのではないだろうか。
 ドラマ的には、生活保護が受理されてしまえばそれで話は簡単に終わり、みたいな部分も見えるけれども(笑)、母親との関係であるとか、母親と再婚相手のあいだにいる娘とか、何か簡単には終わらせないエッセンスが潜んでいる気がします。 その点では、第1回はとりあえず 「Mother」 の路線を狙ってみました、という気もする。 でも違う方向で動いていくんじゃないのかな。

 だってこのドラマのタイトルは 「母」 ではなくて、「女」、なんですから(奇しくもこの両方のタイトル、ジョン・レノンの歌に両方あるのですが、番組予告で 「ウーマン」 がかかってたのに本編ではかかりませんでしたね。 そこはちょっと残念)。

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