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2013年9月15日 (日)

「夫婦善哉」 最終回 愛のかたち、思いのかたち

 男はどうしようもない道楽息子で、商家の跡取りから勘当された禁治産者(笑)。
 女は貧乏が嫌で芸者になったのに、それを簡単にあきらめこういうごく潰しにどこまでもついていく、アホ女(笑)。
 このドラマを最終回まで見ていてどうにも疑問がぬぐいきれなかったのが、「どうしてこの男と女は一緒におるのか?」 ということでした。

 男の名前は柳吉、演じるのは森山未來クン。
 女は蝶子、尾野真千子サン。

 「ちりとてちん」「平清盛」 で質の高い作品を書き続けた脚本家、藤本有紀サンは、昔の映画で名高いこの物語に、現代的な解釈をつけることにとりあえず成功したと思えます。
 つまり、金持ちのボンボンで生活力のない柳吉に、大人になりきれないモラトリアムとしての役割を与え、人生の目的そのものを見失っているふわふわとした不確定な存在として描いた。
 そしていっぽうの蝶子のほうには、世話女房を演じることに自分のアイデンティティを置きたがる、自己欺瞞とでもいうか、自己陶酔型のカテゴライズを施した。

 このドラマの最終回、柳吉は蝶子に、「お前は俺のことを一人前にするとか日本一の夫婦になるとか言っていたが、実はそうならないことを望んでいたのだろう」 と詰問します。
 ここに作り手の言いたいことの核心が隠されている気がする。
 柳吉はそもそも、マジメに働こうとすればそれができる能力を有しています。 まるでだめ夫じゃない。
 だのに、うまくいきかけるとそれをいきなりリセットして振り出しに戻りたがる性癖を持っている(笑)。 それもかなり過激な方法でリセットしたがる(笑)。
 最初のパターンは、柳吉の病気がきっかけだったのでそれに気付かなかったのですが、蝶子が貯めた金をふた晩で遊び尽くしてしまう、さらに店を抵当に入れて競馬につぎ込んでしまう(ただしこっちは勝ったからよかった…笑)、という事態に至って、「コイツって実は、破滅することに快感を得ているんじゃね?」 と(笑)。 ここまですると、コイツは蝶子に対して、何か復讐をしているようにも思えてくる。

 じっさいこの男は母親の死に目に蝶子をわざと行かせまいとし、さらに病気療養で呼び寄せた蝶子の弟に対してもあからさまに嫌味な態度をとり続けた。

 それは、この男がなにからなにまで自分中心の尺度で世界が回っているからで、「自分が親の死に目に会いに行ったらテッテ的に無視された、それなのに女房が親の死に目に会いに行って泣きの涙で親子愛を演じるのは我慢ならん」「オレが時局が不安定ななか遊びたいのを我慢して働いてるってのに高い旅費を出してやって弟を呼び寄せ温泉につからせるなんて我慢ならん」 という考えからでしょう。
 これに対して蝶子が怒るのは当然なんですが。

 ドラマの深刻度が藤本脚本流に増せば増すほど、「どうして蝶子はこんなどーしょーもない男についていってるのか」 というのが分からなくなってくるもので(笑)。

 その回答として作り手が考えたのが、「実は蝶子は口で言うのとは正反対のことを考えている」、という理由づけだった。
 でもそうするとやっぱりますます分かんなくなるものでね(笑)。

 つまり愛情がないやないですか。 夫を立派にするというお題目とか、女房に対して復讐しているとか。
 だいたいそれがホントだったとしても、一回ガス自殺しようとした女ですよ。 蝶子が自殺しようとしたのも、そもそも自分のアイデンティティの欺瞞性を下っ端のナマイキ女に指摘されたからだったし。 未遂事件を起こしている女にそこまで言うのは、「また死ね」 と言ってるようなもんでしょう。 どこに愛情があるんですか。 自分が情けないクセして。 なんだかんだ言ってもまた蝶子のもとに戻ってきてしまう甘ったれじゃないですか。 甘ったれんのもいい加減にせいよオマエてなもんで。 甘ったれんのも愛情のうちなんですか。 ふざけんなよ。

 ただ、こういう話にすることによって、「言葉によって縛られてしまう感情というものがある」、という興味深い側面を切り取ることは、出来てくる。

 妻は 「夫を一人前にする、日本一の夫婦になる」 という言霊で自らを陶酔の魔法にかけ、夫はそれを自分への侮辱だと受け取って恨みを募らせていく。

 もともと口から発せられる言葉というのは、自分の感情をすべて物語っているわけではないものだと私は思うんですが、その言葉の危うさによって自分の感情が確定していく、という逆転現象がまま起こりやすい。
 ここで展開するのは、脚本家はそのセリフに真実を込めたがるのに、脚本家自身がその言葉に対して疑義を呈している、という面白い実験です。

 ただまあ、こだな難しい話をするよりも、世間一般の夫婦関係を考えると、「どうしてこのふたりは夫婦なんだろうな」 というのは、結構あるもんですよね(笑)。
 DV夫についていってる妻とかいうのは極端かもしれないけれど、結局夫婦関係というのは生活互助関係だから、何か嫌なことがあってもどこかで我慢して、愛情というもので自分を納得させるしかない部分があるんですよね。

 それをこのドラマは、「面白うて、やがてかなしき」 という切り口で見せてくれた気がする。 「アホな男とアホな女」 という括りで簡単に思わせぶりをしておいて、その実は夫婦関係の不思議さの核心に迫ろうとした。

 結局ふたりとも、柳吉の娘の文子チャンに認められたがっていた、というのは、これは表向きな決着の話でね。

 はぁぁ~。 「オノマチのドラマにハズレなし」、か…(笑)。 まだこの伝説は、継続ということでよろしいでしょうかね。

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コメント

確かに柳吉が蝶子に依存しているように見えて実は精神面で蝶子の方がコイツに依存しているってのは、ありそうな話ですね。その辺の矛盾を騙し騙しで人は生きていくというのは上手く描けていたと思います。

4話の尺なので戦争の影響や娘の恋~結婚等、描写不充分に感じる事もありましたが柳吉のキャラが後に行くほど立ってきたのも大きい。最終回では、さほどのオイタはしていませんが、「俺だってやれば出来るんだ!」という気持ちの一方で重荷を背負って上を目指す事の怖さの間で揺れ動いている。
二人の義弟の彼の捉え方の対照性も上手かった。信一はやっぱり勘助のイメージでしたね。娘婿の義父から受け継いだ暖簾を守ろうとする気持ちは立派なれど正しさ一辺倒でかんじがらめにされて「生きている」と言えるのか?夫と姪のやりとりに亡き父と兄の関係を妹や番頭が見てしまうくだりは、さすが藤本脚本といった所でしょうか。

私は「主役をある程度、突き放して見る」
「点よりも線を意識して見る」のスタンスなので
本作は本年度の中で小粒ながら良質に感じました。
それにしても「カーネーション」から「平清盛」まで
ハマリまくった頃からトーンダウンの一途ですねー。
「あまちゃん」は強引な展開が目立つし
ユイをアキの影に貶めるような描写に共感できない。
「八重の桜」はリウ様が述べられている通りで。
(訴訟には柴太一郎も巻き込まれ実弟が記録を
 残しているので尚之助首謀者説は無理が過ぎます。
 むしろ存在を隠蔽された方が説得力がある)
尚之助には自分を卑下させ、襄には婉曲にうらを
否定させる事で八重を持ち上げているのも不満。
どうも「江」や「おひさま」程、あからさまではありませんが、
それに近い状態に戻ってきているような…。

投稿: 巨炎 | 2013年9月16日 (月) 13時05分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「八重の桜」 の今回のレビューは、巨炎様のお考えにかなり影響されてしまいました(笑)。 それまでナミダナミダで見ていたのに、責任とって下さい(ジョーダンです…笑)。

ただ、どうでしょうねー。 ドラマ全体の質が落ちてきている、というのは。

正直なところ、私も去年の 「カーネーション」 以来、なんかすごいパワーでレビューを書きたくなるような作品に、出会ってない気はいたします。

でもこれって、自分がドラマに飽きちゃったのかな、という気もするし。 そもそも 「カーネーション」 というのは、20年に一度くらいの不世出の作品だと思ってますので、それに比べりゃみな見劣りがするだろう、と考えてたり。

「平清盛」 は、「カーネーション」 の出来の良さに誘発されて、競争的な意識でよくなっていったのではないか、という気もいたしますし。

「あまちゃん」 に関しては、日本を明るく元気にさせてくれた、という功績だけでじゅうぶんなような気がいたします。

「夫婦善哉」 に関しては、なにしろ親の死にかたがみんな(火野正平サンを除いては)悲惨で 「清盛」 チックだったよーな気がいたします(ハハ…)。

投稿: リウ | 2013年9月17日 (火) 08時12分

リウ様こんにちは。
レビュー、拝読させていただきました。

柳吉@森山未来クンのあの詰問、私も同じく「お前が言うか~」と思いましたが、でも、困ったことに当たってるんですよね~。これが。

恐らく、柳吉と蝶子は、「共依存」の関係。柳吉が蝶子に依存しているのは誰の眼にも明らかですが、蝶子も、柳吉との関係に依存している。何度裏切られても柳吉をいっちょ前の男にしようとあがく姿は、無論、世間や柳吉の実家に認められたいという承認欲もありましょうが、何より、どこまでもダメ男に尽す、という関係性そのものが、自分のアイデンティティの拠り所になっている。そんな気がしました。

最近でこそ、心理学や精神病理学の分野でよく聞かれるようになった「共依存」という概念ですが、勿論、劇中の時代には影も形もなかったわけで、それを喝破してズバリ言い表す柳吉は、単なるアホボンではありません。て、いうか、藤本さんが言わせてる訳ですが(笑)、このセリフに命を吹き込むために、森山クン演じる柳吉を、敢えて、ああいう現代的な匂いのするモラトリアム青年風に造形したのかな?などとも思ってしまいました。

でも、言われた方にしてみれば、堪りませんよね~。特に、外からは、依存されている=世話しているように見える側は、その自覚もないですから。ほんと、自分の根っ子を引っこ抜かれたような感じで、だから、あのビッチな(おっと失礼)女給に言われたときはガス管咥えたし、柳吉のときも抜け殻になってましたもんね。本当に、文子ちゃんが良い子でよかったですよ。あの手紙が届いてなかったらどうなっていたことやら・・・

でも、そんな関係を描いていたにも関わらず、観終わった感が、陽性でカラっとしているのが不思議でした。娘の婚礼に呼ばれたといっても、何も問題は解決していないんですがね。花嫁姿の娘や涙涙の和解シーンではなく、あの有名な、二人で夫婦善哉を食べるシーンを婚礼帰り(恐らく)に持ってきた、というのが、維康家との間に未だ残る微妙な距離感を物語っていたし、何より、このアホな二人は、これからも大喧嘩したり死ぬの別れるのと大騒ぎしながらも、結局は、寄り添って生かざるを得んのやろなあ、という事を暗示していたと思います。

このあたりの、男と女の不思議な繋がりについては、この歳になっても、私も上手く書き表すことはできまへん。ただ、藤本さんの本からは、持ち味の容赦無い冷徹な視線は保ちながらも、「アホやなあ、ホンマ、アホやで~」という愛おしさのようなものが感じられたと思います。
それと、「カーネーション」でも異彩を放っていた安達もじり演出も嵌ってましたし、音楽や美術もしっかり作り込んでいました。
終わってみれば、結構贅沢なドラマを観させていただいた、そんな気になりましたね。

投稿: Zai-Chen | 2013年9月17日 (火) 16時14分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

イヤ~どうも、自堕落な人間に対しては、私かなり反感が立つタイプでして、本文中でも辛辣な批評を柳吉に対していたしてしまいました(笑)。

このドラマ、結局主体的に生活を支えているのは蝶子ですよね。 柳吉はまあ、最初のころと比べれば、おでん屋もちゃんとやるようになってたし、香水の開発とかもしたりしてたけど、結局女房の敷いたレールの上で頑張っているだけでしかない。

そのことが、柳吉のコンプレックスをますます肥大化させていったような気がします。

だから、うまくいっていたカフェーをいきなり売っ払うみたいな巨大な反動がやってくる(笑)。

男の心情としては、やはり経済的には、女房の傘の下にいるというよりも、独り立ちをしていたい、というプライドみたいなものがあるもので。

それに女房のほうが元気だと、かえって鬱屈したりするもんなんですよ(笑)。 「なんやオマエだけ調子よう振る舞って元気になりくさってオバハン」 みたいな(笑)。

だから彼女がガス自殺しようとしたことなんか、時間がたてばきれいさっぱり忘れてしまう。 女房にだって弱い一面がある、ということに、思いが行かなくなってしまうんですよ。

これは実は、私の父親と母親を見ていてそう思ったりすることなんですが(笑)。

「オバハン」という柳吉の言葉って、だから自分を優位に立たせるための、亭主の精一杯の抵抗だ、と私は感じます(笑)。 「愛情表現のひとつ」、だなんて感じない(笑)。

「こうなるのを知っててこうなった」 という括りで最後は締められていましたよね。

藤本作品にまま見られる、ある種の辛辣性を見せられたあとには、「浪花節で物語に決着をつける」 ということは、ある種の意地悪な意図が隠されているような気もしてならない。

シャレになりませんもの、母親が死のうってのにその死に目に会いに行かせないなんていう夫(笑)。 「死んでいく母親」 と自分を天秤にかけたら、どんなに自分が悲惨でも会いに行かせるのが人というもんでしょう(笑)。 自分が父親の死の床でさんざん自己否定された、ということが、何にもまして屈辱だからこんな行動に出るんですよ(またまた柳吉批判になってきた…笑)。

これを 「アホやでぇ」 というには、ちょっとシャレがキツイ気がするんですよね、自分の場合(ハハ…)。

投稿: リウ | 2013年9月18日 (水) 13時52分

リウ様、久しぶりにお邪魔します。Fクルーラーです。

 久々のレビュー第一弾が「夫婦善哉」からでしたので、何だか嬉しくなってしまいす。
 所用があったためTVが見られず、16日に溜め撮りしたドラマを「あま」「Woman」「夫婦」「八重」と立て続けに消化したのですが、どれも演技・演出は概ね水準以上と思えるもので、愉しめました。個別にはいろいろありますが。。。
  「夫婦」については、最終回に来てやっと、オノマチドラマらしいケミストリーが確認できた気がします。冒頭の種吉とのシーンでかなりやられました。(このドラマでの火野正平さん、出番は少なかったものの一番好きなキャラでした。)森山さんとの掛け合いもここに来てリズムがよくなったような。
 全体としては柳吉に感情移入できず、そのため蝶子にも時折違和感を感じていました。リウ様ご指摘のように、何でこの二人が…という疑問は拭えません。それはそのまま「オノマチと森山でよかったのか?」という疑問につながるもので、見終わったら即消去と思っていましたが、この最終回は伏線回収もあり名場面(文子さんの手紙)もありで、はじめから見直そうかな、という気にさせられます。やっぱりオノマチさんにハズレなし、ですね。でも彼女の爆発力(?)を使いこなすのは難易度が高い、とも感じます。(「サマーレスキュー」の悪夢は忘れましょう(笑:今をときめく能年さんも出てたのですが))
 夏ドラマが終わり、秋は朝ドラと大河は視るでしょうが、他に期待するドラマはなさそうです。単発では11月のオノマチ=長谷川町子は必見かと。あとは「ちりとて」の再放送ですね。(未見なので。)来週末、オノマチさんの映画を2本立て続けにと目論んでおります。(近況報告になってしまいました。)

投稿: Fクルーラー | 2013年9月20日 (金) 20時58分

Fクルーラー様
お久しぶりです。 コメントくださり、ありがとうございます。

私もこの夏の暑さには完全にやられてしまいました。 重ねて出張でしょ。 もうなんか、半月に一回とか、レビューが寡作になってしまって、ブログの閉鎖まで一時は考えたほどでした。

今は涼しくなってきたから復活です(笑)。 ただトシのせいか、今までのバテたぶんのツケがまだ残っていて(笑)。 今後も寡作な状態が続くかもしれないことは、お断りしておかねばなりません。

で。

このドラマを見ていて、「好きなキャラ」 とかを考えることすらしてなかった(笑)。 強いて言えば草刈サンでしょうかネ。 自分の歌った歌を吹き込んだレコードを持ってきて衆目に聞かせるとか(笑)。

結局このドラマは、脚本家の藤本サンが原作から感じた 「どうしてこのふたりはいっしょにおらねばならんのか」、という疑問を突きつめた末に再構築された物語だったのではないか、という気がいたします。 だから柳吉のしでかしようがエキセントリック(笑)。 蝶子のアホぶりも全開(笑)。

「サマーレスキュー」 にあまちゃんが出ていたとは、じぇじぇじぇ(JJJJJJJJJJJ!!!!!!!!!!!!)であります(笑)。 エ?どこでしたっけ??(笑)

それにしても 「ちりとて」。

保存版作成のために残しておくかどうか、思案のしどころであります。

投稿: リウ | 2013年9月21日 (土) 10時39分

リウ様 再度お邪魔します。

 「ちりとて」名作の誉れ高いので、楽しみです。総集編は後編だけ見たのですが、貫知谷さんのテンションがちょっとだけ気になりました。青木さん、松重さん、それにカーネの駒ちゃんのお芝居に期待しております。

 「夫婦」、リウ様の書かれた藤本さんの取り組み姿勢について、このドラマというか原作における惚れた晴れたの関係は、現代人が理解しづらいものなのかと、ふと思いました。森繁さんの時代はまだ、創り手も視聴者も理解できたのかな、と。ここから飛躍気味ですがが、「八重」における尚之助やうらさんの婚姻形態も、古い武家同士の結婚・離婚のかたちと説明してしまえば、八重や覚馬の、尚之助やうらさんへの態度もまだ納得がいきそうな。。。(時栄の扱いは結局武家のたしなみですませている感じですし)お涙頂戴的な情趣はかなり後退するのでしょうけれど。新島襄はアメリカ育ちで、婚姻は個人同士のもので、余りにも次元が違いますから、そこが再婚の理由にもなりますし。因みにうらさん、今度はオノマチと共演ですね。(二人合せて長谷川町子なんて言ってますが。)
 「八重」は一話ごとは面白い場合が多いのですが、前から危惧していましたが、会津編から京都編への転換に失敗しているように思えます。(これから回収されるかも知れませんが)

 能年さんは「あまちゃん」のキャラと違って実年齢より少し上の、三人の医学生の紅一点で出演してました。医療機器の使い方が分からずオノマチの怒りにさらに火を付ける役柄だったかと。(向井さんの怒りだったかな)一応毎回セリフもあったと思います。

投稿: Fクルーラー | 2013年9月22日 (日) 07時10分

Fクルーラー様
再コメント下さり、ありがとうございます。

あ~、あの医学生のひとりだったか~。 能年チャン、だいぶ昔とは感じが変わってるみたいなんですよね。 女性って急に変わること、ありますもんね。

「ちりとて」 を見ていていちばん引っかかる部分に、Fクルーラー様も反応なさっているみたいですね(笑)。 そう、しほりチャンのコメディのテンションって、ちょっとクセがあるんですよ(笑)。

このドラマの傑作たるゆえんは、落語をちょっとでもかじったことのあるかたならば、落語のいろんな話にエピソードが絡み付き合っていると気付く、ある種のツボマッサージ感覚でしょうかね(笑)。

「八重」 のここ数回は、新しい時代と古い時代との転換が生じる、ある種の居心地の悪さみたいなものが、そのままドラマを見ていて感じる 「何か置き忘れてる」 みたいな感覚につながっているような気がします。

急激に世の中が変わると、なにが忘れ去られてしまうのか、渦中にいる人たちには分からない部分もあるんでしょうね。

「夫婦善哉」 の話に戻ると、「しょうがないふたりやな、でもそこが愛すべきなんだよな」、という心の余裕は、現代人が忘れ去ってしまったものなのかもしれませんね。

投稿: リウ | 2013年9月22日 (日) 07時49分

リウ様 もう一度だけ。

 「しょうがないふたりやな、でもそこが愛すべきなんだよな」、比較してはいけませんが、「最高の離婚」もそんなストーリーでしてたが。あちらは瑛太・オノマチのケミストリーが爆発してましたね。まあサイドストーリー(と言っていいのか?)の真木・綾野も凄かったですけど。
 「夫婦」のエンディングは、これからの二人を見守って、という感じでしたね。再確認したらチュッまでしてましたね。

 能年さんについては、「あまちゃん」のレビューがありましたら、またお邪魔させてください。

投稿: Fクルーラー | 2013年9月24日 (火) 22時58分

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、遅れました。 なにしろ最近、どうも出張続きで…(とイイワケcoldsweats01)。

「最高の離婚」、ああ~最終回見逃したまんまだなァ。 その中途半端な感想で申せば、あちらのドラマは、瑛太クンもオノマチも 「別に同情なんかしてくれなくてい~から」、みたいな悪辣ぶりだったような気もいたしますが(笑)。 「スンバラシイ最終回」、きちんと見てみたいものです。

「あまちゃん」、きちんとレビュー出来るんでしょうか…(不安…)。 なにしろ前回レビューから、日があき過ぎました…。

投稿: リウ | 2013年9月26日 (木) 10時32分

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