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2013年9月16日 (月)

「八重の桜」 第30回 「再起への道」(7月28日放送) 第31-34回 「離縁のわけ」「兄の見取り図」「尚之助との再会」「帰ってきた男」(8月4、11、18、25日放送) 第35-37回 「襄のプロポーズ」「同士の誓い」「過激な転校生」(9月1、8、15日放送) を見て

 ひゃー。 前回のレビューからたまりにたまりまして、8回分のレビューと相なってしまいました。 あまりにたまりすぎて、どこにレビューの論点を置いたらよいか分からない(笑)。

 ただ、前回 「鶴ヶ城開城」 の回のレビューに付属しているコメント欄において、このドラマをご覧のコメンテイターのかたが、「鶴ヶ城開城」 以降の回についてことごとく深いレビューをなさっておいでです。 つくづくありがたいことであります。
 このところ出張がかさんだうえに夏バテとその後遺症で完全にブログを書く気を失っている、ダメな当ブログ筆者(ハハ…)は、これらの高度なコメントに対してかなり的外れな返信をいたしておりますが、当たらずとも遠からじという感じで(笑)このコメント欄でレビューに替えることはできる、と自負いたしております。 どうぞそちらをご覧ください…って、人気記事ランキングでも上位に位置してるから、「鶴ヶ城開城」 の回は、かなり皆様に読まれていると勝手に判断いたします。

 と、ひと通りイイワケを書き連ねたところで…。

 ここ数回の 「八重の桜」 を見ていて感じることは、何千発の砲弾を受けて瓦解していく鶴ヶ城が、明治の世になってからもさらに見えない砲弾を受け続け、崩落を続けている、ということ。

 新しい世の中が、巨大な鎚の音を立てて建設されていくのだけれど、その新しい世の中が捨て去ろうとするものたちの、絶え間ない怨嗟の声が聞こえてくる。

 八重はすでに、その新しい価値観のなかに、自らを委ねようとしている。

 それは八重にとって、新しい風景を見るような、高揚感の連続です。
 けれどもそれは同時に、過去を捨て去る作業を八重に強いてくることではないか、と私には思える。
 ただ、「過激な転校生」 の回までを見る限り、その葛藤を八重が積極的にどうにかしよう、という動きをしているようには見えません。
 先にご紹介した 「鶴ヶ城開城」 のコメント欄でも、このことについてはコメンテイターの皆様が指摘をしておられます。

 八重だけでなく、戦いに敗れた会津の人々が、その後の時代に何を犠牲にしたのかを、このドラマは積極的に描こうとしていない。 山川浩にしても、梶原平馬にしても、佐川官兵衛にしても、それまでの自分にどうオトシマエをつけているのかが、きちんと見えてこないんですよ。
 その代表格が松平容保であることは論を待たないのですが、鶴ヶ城落城まで、あれほどまでにドラマの中核をなしていただけに、容保の消息が斎藤一(藤田五郎)の祝言の際にしか現れない、というのは、ドラマの体裁としてはちょっと不格好な気がする。 仕方ないんですけどね。 もう八重の人生とは交わらないんだから。

 容保公の最後のスケープゴートとなったのが、萱野権兵衛。 容保公が助命される肩代わりとして、切腹を命じられます。 彼は旧時代の、主君に対する忠誠心という誉れのなかで死んでゆく。
 ただし明確に身代わり、という萱野に限らず、斗南に移り住んだ人々は、極寒の地で塗炭の苦しみのなかで死んでいった人々もいるわけで、その複数のかたがたも、容保公の失政の犠牲者である、と言える。 梶原平馬は、立場上萱野よりも責任の度は大きかったのに切腹を免れたばかりか、斗南の統括を山川浩に譲渡し、失職したために妻の双葉を離縁し、結局何やってんだか(ハハ…)。 託されたほうの山川浩は、困窮した元藩士たちに 「我慢しろ」 と言うばかり。 ドラマを見ている限りでは、山川が何かしたとか分かんなかったんですけど。
 佐川官兵衛は藤田と共に警視庁に勤めるようになったんですが、結局血気盛んなもと会津藩士たちの過激な行動に対して取り締まるしかできず、山川には 「アイツラと会ったことにするな」 と釘をさす始末。

 この人たち、過去の自分にどうオトシマエをつけてるんでしょうかね。 少なくともドラマでは、表面的にしか聞こえないセリフだけではなく、行動で見せてほしい気がするんですが。

 ドラマ上いちばん惨めなのは、八重の夫であった川崎尚之助。 斗南のためにコメを調達しようとして詐欺事件に巻き込まれ、裁判闘争中に肺病で死亡、とは。
 これをドラマでは、いちおう一定の配慮された演出でフォローはしているのですが、実際のところこのドラマがNHKで放送されることが確定してから、川崎の文献が発掘されて名誉が回復されたような感覚なのであり、いわば歴史に埋もれていた人物。 旧会津の人々が、川崎尚之助に対して何かをしたのか、ということが、このドラマではまったく描かれないんですが、実際も完全に見棄てられていたんだろうな、ということが分かる。

 ただつらつら考えるに、実はコメ調達をめぐる詐欺事件って、巻き込まれたんじゃなくて首謀者だったのではなかったのかな、という気もしてくる。 だからみんな川崎に救いの手を差し伸べなかったのかな、とか。 ドラマでは八重が 「自分が恐ろしいのです」 とか 「待ってっから」 とか言ってましたけど、それこそ説得力がなくてね。 いてやれよ一緒に、てなもんで(笑)。

 そして八重の兄、山本覚馬。

 彼こそが過去をはっきりと捨て去ろうとしている会津藩士の象徴みたいでね(笑)。
 先に紹介したコメント欄でドラマを見ていない私が腹立ってたのが、覚馬が京都で子供作っちゃったということで(笑)。
 まあ同情するに足る事情はございますよ。 獄に繋がれて半身不随になって目が見えなくなって、それでも会津の無実を訴え続け、坂本龍馬の新政府綱領にも匹敵する、新時代の見取り図である、管見なるものを作り上げたのだから、そりゃ京都の知事、じゃないのか、いちばんエライ人の後見役になるのも当然でしょう。
 しかし覚馬が見ているのは未来のことばかりで、やはり過去の自分に向き合っていない。 いや、未来を見据えることで過去への贖罪に変えようとしている部分が見えるんですよ。
 その犠牲となったのが、7年(だったかな)も彼の帰りを待ち続けた妻の うら であることは自明。 いちおう覚馬はうらのことを考えたりもしますよ。 赤い櫛とかなんとか(笑)。 でも彼が考えている膨大な未来のことに比べれば、もう一瞥でしかないし、別れたうらに何かしようとすらしてないでしょ、ドラマだけ見てると。
 それにやっぱり、尚之助のことに対しても、後悔の言葉ばかりで何かをしてやろうとしているそぶりが全くない。 自分のボスの高嶋サンがピンチになったときに東京まで行ったんだから、そのときに何かできそ~なもんだ、と私も思いましたですよ、ささ様。

 まあだから、要するに川崎尚之助は、詐欺の首謀者だったから覚馬にも八重にも会津にも見棄てられたんだ、とゆーことでよろしいでしょうかね(ハハ…)。

 そんな旧会津の人々の身の処し方を見ていると、新しい時代に適応しようとしながら、古い時代を廃仏毀釈のごとくさらに壊そうとしているようにも、見えてくる。 私が 「鶴ヶ城がさらに見えない砲弾で瓦解している」、と書いたのは、そのためです。
 このドラマでは明治時代になっても、鶴ヶ城の雄姿が冒頭に登場します。
 これは、八重たちの心のなかにある 「誇り」 の象徴として、その美しい姿をとどめているのかもしれないけれど、私にはさらに失われつつある美しい精神の象徴であるように思える。

 そして、新しい時代を切り開こうとする覚馬や八重、八重の夫になる新島襄が直面しているのが、「新しい時代とは名ばかりの、旧弊」。

 八重の前に現れた新島襄は、このドラマにおいてはとても現代人なんですよ。 男子厨房に入ってしまうし、ハグはするしメソメソ泣くし。 言ってみれば、現代からタイムスリップしてこの時代に舞い降りてきてしまった天使。 相手が綾瀬はるかサンだから、「JIN」 みたいですよね(笑)。
 西洋に追いつこうとするには、西洋人の考えの基盤であるキリスト教を学ぶ必要性があるというのに、それが分からない人々。
 これは最新回で同志社に編入されてきた熊本バンドの連中にも言えることで、彼らはキリスト教の信者となりながらも、その考え方は旧弊に凝り固まっており、頭とからだが、バラバラな状態に見えます。 「汝の隣人を愛せよ」 とか言って、ぜんっぜん言葉通りのことをしてないし(分かりやすすぎ…笑)。 それは明治維新などと言ってもまったく感覚が変わっていない人たちと、レベルにおいては全く一緒でしょう。

 ただまあ、熊本バンドの行動って、キリストの教えを信じながら戦争を繰り返してきた西洋列強の矛盾と、全く一緒だと私には思えるんですがね(笑)。

 だから、私が熊本バンドを見ていて思うのは、新しい時代の変遷のなかで、何かを見失ってしまっている点において、八重や覚馬と変わらないのではないか、ということですね。

 彼らの不満は、どことなく、新しい時代に見棄てられてきた会津の人々の怨嗟と共通しているような印象を受ける。 このドラマはそれを、もっと政治的に巨大な形として、西南戦争という士族の反乱に、その論点を集中させようとしているのかもしれない。

 そんなふうに考えると、次回の 「西南戦争」 は、このドラマにとってのもうひとつの山場になってくるような気が、するのです。

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コメント

リウ様、録画の見倒し、お疲れ様でした。私もさっき、過激な転校生の回、録画で見ました。一回分でも、面倒なのに、二ヶ月分も!小浜市で、橋が落ちたとか。台風、暴れています。今日は台風と、竜巻と!注意!京都も桂川氾濫の恐れとか。京の都に避難勧告が。

過激な転校生を見て思った事。キリスト者でも、自由闊達な襄のところに、軍隊式の厳しい規律で学んできた(熊本の青年達にはその方が居心地良かったでしょう。)が来たものだから、軋轢が。

キリスト教に熱心な信者というか、心酔してる人というのは、時に、その信仰に驕ってるようなところが。(笑)私のような堕落した信者は、ああいう連中は、苦手!ついでにいうと、キリスト教は落ちこぼれに寛大。(笑)放蕩息子が親の元に過去を悔いて帰ってきたら赦され、出来の良い息子が親の態度に怒っても、どうして?の世界。だから襄の、成績で、退学者は出さないの信念も一理あるんです。寛容である事。後、宣教師の妻ってのは、今でも、一番損な役回りです。熱心な信者であっても、先生を差し置いてと言われるし、何もしなければ、奥様のくせにと言われるし。褒められる事ってほとんどないです。出来て当たり前と思われているから。クリスチャンでも、相当芯が強くて、打たれ強くないと、やってけないです。牧師の妻だけは、なりたくないなあ。(笑)八重さんは認められている方だと思います。新島襄なんか、一部では、きっとアイドルだったでしょうから、奥様はしんどいでしょうね。八重さんに同情するわ。

都が沈んでおります。びっくり。桂川の氾濫。反乱かも。

来週は西南戦争。吉川晃司の西郷さん、かなり良かったです。天地人?の信長より、似合っていました。彼もそういう年齢になったんですね。モニカの頃が懐かしい。(笑)

投稿: ささ | 2013年9月16日 (月) 10時05分

尚之助さんが、詐欺事件の首謀者説。斬新ですね。当時はそう思われてみんな頬かぶりしちゃったのかも。(笑)尚之助さん、オヨヨ〜!

でもさ、 会津の人だったら、「反乱事件の計画も打ち明けてもらえなかった。」と山川さんは後悔してますよね。例え詐欺でも、斗南のためになのに。これはやっぱり、尚之助さんが、他所者で、彼に、愛しい八重さんを横取りされたから見捨てられたのかと。うがった考えが。(笑)

覚馬さんですが、うらさんにとって、ずっと旦那様だったでしょうが、彼はどこかで、うらさんを想い出に換えていたと思うんです。夫婦のすれ違いのせいでしょう。未来思考の中、美しい想い出にして、上書きしている。厳しい事を言いますと、そうして、不倫と、淫行と、隠し子作った事を肯定している。(辛辣でごめんなさい)

未来思考、どっかの国家感に似てますね。(笑)

後、管見が龍馬の考えに匹敵!でも龍馬より優遇されてますよ。龍馬は暗殺されて、その後、しばらく歴史に封印されていたんです。木戸さん達は墓場に持ってくつもりだったんでしょ。それに比べれば、明治という時代に生きる場所を与えられた覚馬は会津出身とはいえ優遇されてる!そんな事をリウ様のレビューを読んで思いました。ちょっぴり、木戸さん達の龍馬への贖罪があったのかもね。ないと思うけどさ。

龍馬は「役人なんてごめんだよ〜!」でしょうけど。(笑)

投稿: ささ | 2013年9月16日 (月) 12時04分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 コメント入れるのに、認証コードをいちいち入力しなくていいというのは快感ですね(笑)。

私がちょっと気になっているのは、襄が信仰しているのがプロテスタントのほうである、ということです。 熊本バンドもその点では一緒だった気がしますが、カトリックと比べてかなり自由な空気なのではないか、という気がする。 でも襄はそれを体現しているのに、熊本バンドの融通の利かなさっていったい何?みたいな。

それと、八重が恨みや憎しみを超えるために、プロテスタントの洗礼を受けたというのは、結構ドラマ的には象徴的な出来事だ、ということを書き忘れました。

つまり、「ならぬものはならぬ」 という発想を逆転した、「いいものはいい」。

レビュー本文では、「過去へのオトシマエ」 だのなんだの、結構堅苦しいことを書いてしまいましたが、自分を振り返ってみても、「過去へのオトシマエなんかできてネーダロお前も」 とセルフツッコミを入れたくなる(ハハ…)。

でも、自分に置き換えて考えてみると、過去にしでかしたことを未来になって修復しようとする、という行為って、メンド臭くて思い出したくもない、という場合にはできないもんだと思うんですよ。

つまり覚馬にとっても八重にとっても、過去に起こったことは、正直思い出したくない種類のことだったのではないか、と。

昔お世話になった人とか、とても仲良しだった人とかに、今でも贈り物をしたりとか、何か頼まれごとをされれば引き受けるとか、困っていれば手を差し伸べるとか、それってやはり、自分がしたい場合にしか、することはできないものだと思います。

もうひとつ要因があるとすると、「今の自分に手いっぱいで、お世話をすることができない」。

八重の場合、鶴ヶ城で鉄砲を持って戦った、という自分の勇ましさだけはいつでも思い出して自慢できるようなことだったろうけれど、尚之助に関しては、なんか考えるのがメンド臭そうな匂いがドラマからは漂ってくる。

「自分はこんな恰好をして闘いました」、という八重の扮装した写真が残ってますよね。

と同時に、「自分はこんな恰好をしてアメリカに密航いたしました」 という襄の扮装の写真も残っている。

要するに、いいところだけは思い出したいけれど、うやむやにしたいところもある。

自分の都合のいいところだけはいつまでも記憶しておきたいと思うけれど、都合の悪いことなどほっかむりしてしまいたい。

だから覚馬の場合も、うらのことを都合の悪い過去として、忘れたがっていたのではないか、という気もしてくるのです。 これは男の立場としての意見です。 いや、個人的な意見です(笑)。

投稿: リウ | 2013年9月17日 (火) 07時55分

>キリスト者でも、自由闊達な襄のところに、
>軍隊式の厳しい規律で学んできた熊本の青年達
>が来たものだから、軋轢が。
あー、ナルホド。これ後者視点だったら、どんなドラマだったか。
「カーネーション」で根岸先生の授業を
無料見学した時の様な感じを喜劇的に描いたかも?
「襄先生、いい人だけどいかんせん授業レベルが…」
「奥さんはエラそうでケバイ」みたいに。

自己主張は大切だと思うのですが
「自分の見たい物しか見ず」
「自分の都合の良い使い分け」
な態度が見えてくると癇に障ります。

糸子は「勝さんを大事に想うとりました」と言いつつ
不倫しましたが夫の浮気を引き合いに出さなかった。
八重は尚之助に対し行動を起さない自分を
うらと同じスタンスを強調して正当化しながら
襄と結婚する時には会津を持ち出すのが何とも。

リウ様の指摘にあるように山本兄妹も熊本連中も
根本的に差は無いと思うのですが片方だけを
悪辣に描くやり方は感心できないですね。
今回の作劇は時代劇で浪人集団が用心棒を売り込んだ挙句、
好き放題の狼藉をするのと大差ないのでは…。

投稿: 巨炎 | 2013年9月17日 (火) 10時43分

まず熊本バンドの金森くん。石破茂さんの曾祖父らしいです。お亡くなりになった地は福島の郡山。どうか若気の至りの行動を悪く思わんでください。(笑)徳富蘇峰は14歳くらいで、八重さんと和解したのはもっと後らしいですが。随分性格の優しい子になってましたね。

彼等も士族の子弟でして、キリスト教で故郷を追われてなかったら、田原坂だったかもしれないんです。会津出身の子弟が反乱したり、来週は西南戦争に西郷さんの私学の教え子達が描かれるでしょう。行き場がない。キリスト教しか。(笑)切羽詰まった状況にいて、悠長に学べない事情もあるんです。

でも先生に紹介されてきてみたら、授業のレベルは高校生レベルだし、襄は先生としては新米だし。(笑)おまけに、女房に呼び捨てにされてる情けない奴!九州人からしますとね。(笑)文明開化なんぞ、ふざけるな!女の尻に敷かれてるじゃないか!という具合。冒頭、ベッドから、襄は落とされてましたね。そう言えば。(笑)

彼等はドイツ流のキリスト教を、軍隊出身のアメリカ人、ジョーンズさんから教えてもらってて、規律正しい厳格なキリスト教徒なんです。襄の自由闊達な考えはリベラル過ぎたのでしょう。(笑)

プロテスタントは文字通り抗議する人!カソリックに抗議した宗教改革でプロテスタントとなるのです。流派はいろいろありまして、しかもカソリックのように統一の組織はなくて、それぞれなんです。聖書に立ち帰って福音が基本。だから朝ご飯から熱心なんですよ。で〜も、同志社はキリスト教徒だけじゃないんで、神学校並にやっちゃ、ついてこれない(笑)襄と宣教師しか。(笑)真面目だけど、上っ面な信仰なんです。キリスト教徒が排他的ではいけないのです。ユダヤの選民思想を批判してるんだもの。隣人愛だもの。でも、自分達が学んできたやり方にガッチガチ。(笑)学生運動と同じ。(笑)先鋭化してる。でも、そういった子達も受け入れる垣根の低さが同志社の理念でしょ?自分を見下したガキどもでも!しかも改革案のいいところは受け入れる。

彼等も、襄の所で洗礼を受けて(笑)、(洗礼してないのに、一人前面してたんですから。正式には彼等もクリスチャンじゃないので(笑))立派に巣立っていきます。

それと軍隊式のキリスト教、救世軍。金森くんも日本の救世軍の創設に関わっています。

行き場を無くした士族の子弟達の人生の一つとして、熊本バンドを描いたのだと思います。来週の西南戦争と対比するような形で。でも、九州人からすると、彼等にも言い分はもっとあったと思うので、悪く描かれてちょっと可哀想だったりします。それに、みねちゃんの旦那さんの横井小楠の息子時雄くんも熊本バンドなんですから。

上京した時って、田舎もん扱いされたくなかったりしますしねえ。自分達はキリスト教と洋楽を一通り学んできたという自負もあっただろうし。(笑)
と生意気な青年達を弁護しておきます。(笑)


投稿: ささ | 2013年9月17日 (火) 15時53分

洗礼は新島襄じゃなくてジョーンズさんからすでに受けてた子もいたらしいです。海老名くんとか小崎くんとか。金森くんは襄かな。でもひよっこだったんです。(笑)横井くんや徳富蘇峰は襄かららしいです。迷える獰猛な子羊だったんです。(笑)

投稿: ささ | 2013年9月17日 (火) 18時30分

道義的国家の確立の為に神の信仰に生きる自主的個人を形成する。という教育方針がジョーンズ先生の教育方針だそうです。むつかしい!わかりません。イギリスのラグビー校や士官学校みたいなのを目指していたらしいです。

彼等が、ドイツ流のリベラル神学の影響を受けるようになったのは、1880年代からみたいです。ああ、キリスト教の歴史って、むつかしい。(笑)後はウィキペディアをご参考に!以上追加。


投稿: ささ | 2013年9月17日 (火) 20時49分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

今回の 「過激な転校生」 の話の進め方として、まず柄本サンの息子さんが息も絶え絶えに同志社にやってきて、空腹を満たしてもらって、土下座して自分たちを受け入れてください、と言って編入してきた、というのに、あのふるまいですからね。 どうしたって熊本バンドの印象が悪くなるストーリーテリングです。

ここ数回の 「八重の桜」 で私が気になっているのは、なんか脚本家がコロコロ変わっていること。 「作 山本むつみ」 であることは変わんないんですけどね。 なんか八重の気持ちが、どうもつかみきれてないような、このやり方で行く、という方針が定まってないような印象を受ける。

熊本バンド、もしかして新選組と同じカテゴリで表現しようとしているのかもしれないかな…。 いや、浪人、というか、やはり士族と同じカテゴリ、ということなのかもしれません。

「自分の見たいものしか見ず、自分の都合のよいことしか考えない」 というのは、覚馬とか八重とか、会津の人々と共通する意識、というものも感じます。

いや、そんなことを言ったら、このドラマみ~んなそうですけどね(笑)。 自分以外のことを見ているのは、襄と西郷だけだったりして(ハハ…)。

投稿: リウ | 2013年9月18日 (水) 12時38分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

及び私の 「ささ様ならプロテスタントだからご存知だろう」 という軽い気持ちの疑問に、ウィキを引き引き調べてくださって、重ねてお礼申し上げます。

え~私の感想としては、「やっぱしキリスト教、難しいわ」 ということでしょうか(笑)。

宗教でいちばん厄介なのは、分派というものがいくつもできていくことだ、と私は考えています。

結局 「自分たちの考えていることがいちばん正しい」 という気持ちが、分派間の軋轢を大きくしてしまう。

だから、教祖の考えを解説するシチメンド臭い論理体系とかに目を奪われず、原典だけを読んで自分なりに学ぶべきことは学ぶ、というスタンスが、信仰にとってはいちばんいいスタンスなのではないか、という気がする。 ところがこの原典も、あまりに古いと、どれが本当のものなのかが分かんなくなったりするもので(笑)。

私がキリストの教えで重要視すべき部分は、「汝の隣人を愛せ」 とか 「右の頬をぶたれたら左を頬を」、という部分なのではないか、と感じます。 要するに憎しみに対して、それを憎しみで返せ、とは言ってない。

これを自分の都合のいいように解釈する人間が出てくるから、戦争だって平気で出来ちゃうんじゃないのかな。

人を傷つけて成立する正義というものは存在しないと思うし、それはただの独りよがり、暴力と同じだと思う。

ここで問題なのは、間違っていることを正すということも、どうしても必要だ、という側面ですね。

つまり子供が食べ物を散らかしながら食事していたら叱るのが親の務め、みたいな。 これを、「子供が傷つくから優しく優しく」、などと考えていては、いつまでたったって子供は親をナメて言うこと聞かんでしょう(笑)。

ただ私は思うのですが、こと人が生きていくうえで何が大切なのか、ということを考えた場合、宗教上の教えの差異というのは、かなりどうでもいいレベルのものだ、と感じる。

要するに、人にやさしくとか、ひとり占めしないとか、自分勝手を避けるということを常に念頭に置くとか、仕事はただひたすらにやるとか、基本的にはそんなことだけだって私は思うんですよ、人生に必要なことって。

つまり、宗教上の教えの差異、というものは、そこまで気にしてたら、そんな、人にとって基本的なことも忘れてしまいますよ、というレベルのものなのではないか、という気がします。

じっさいその差異が、世界で起きている紛争の何割かを占めているんじゃないでしょうか。

人にとって大事なのは、命というものが、その人その人の存在というものが、大切である、ということですよね。 誰かが死ねば誰かが悲しむように、人の心はできている。

「こうでなけりゃならん」、などというのは、その考えに同意しない人を同時に憎み始めるきっかけを与えている。

その目的にのために人を傷つけていい、殺していいと考え始めた途端、宗教の教えというものは、人にとってよろしくないものへと変貌するのだ、と私は思う。

人はもともと動物だから、弱肉強食という原理が体質的に染みついている側面もありますよ。

でも、それを体現してしまったら、それこそ動物と一緒じゃないですか。

ヒトは、アタマが発達しすぎたから、余計なことまで考える知恵を身につけた(笑)。 でもせっかく頭がよくなったのだから、動物とは一線を引かなければならない。

なんについて話してるんでしょうね(笑)。

投稿: リウ | 2013年9月18日 (水) 13時17分

>方針が定まってないような印象を受ける。
まあ、東北観光PRみたいな縛りが先にあって現場もやりづらいのかもしれませんね。本作は「会津から観た幕末大河が新鮮」等と言う意見も聞かれましたが、私に言わせれば「『白虎隊』と代わり映えしない面子ばかりが出てくる大河」という印象。討幕派の有名人に負けている会津著名人の知名度を引き上げる事が大前提になっているような。

尚之助は八重を主人公に設定した事で実像が掘り起こされたイレギュラー(おかげで彼のキャラを生かしまくっているコミック版は凄く面白いのですが)だったワケだし、共に訴訟事件に巻き込まれて実刑を受けた柴太一郎や、極寒の斗南で過酷な少年時代を過ごして後に大成した彼の弟は全く取り上げませんしね。

覚馬に「藩が滅ぼされ踏みにじられても残るものがある」なんて言わせてますが、愚直にまで真っ直ぐに生きた会津精神の持ち主は日和ったアンタらの陰になり歴史の中に埋もれていった人達なんじゃないかーと。(大体、廃藩置県のおかげで藩組織自体はどこも滅んじゃんったわけだし)

投稿: 巨炎 | 2013年9月18日 (水) 18時36分

ウィキとにらめっこで大変だったのですよ。(笑)日頃が、いい加減な信仰なもので。新島襄だって、キリスト教の偉い先生くらいの認識しかないもんで!(汗)

どんな宗教でも、戦争しろ!とは言ってないでしょう。多分。聖戦というのは、人間が勝手に、神様達を利用しているのだと思うのです。

キリスト教でも、何でも、お隣とは仲良く(笑)!人殺しや盗みはいけません。親を大切にしましょう。etc。人間として当たり前の事を説くわけです。でも、それは、人間の業がその当たり前の事を守れずにいる裏返しだと思うのです。(笑)

意外と動物の方が、まともだったりします。動物は自分の生を全うするでしょ。

知恵がイブが林檎を食べたからかはわかりませんが、知恵があるため、人は無用な争いをしているのかもしれません。

汝の隣人を愛せよ。互いに愛し合いなさい。これがなかなかね。

でも、自分の中にある驕りや無知に気がついて、相手を尊重する気持ちになれば、少しは無用な争いをしなくてすむかもしれません。(笑)

明日も仕事です。幸い、腰が、もってる。椎間板の減り具合も現状維持らしくて。働けるうちは働かなきゃ!と思っています。いつ、身体がパンクしてもいいように。おかげで、あまり余計な事を考えずにすみます。すぐ眠くなっちゃうから。

投稿: ささ | 2013年9月18日 (水) 21時53分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ドラマのなかでの覚馬のあり方については、見ていてちょっと、「半身不随をいいことに威張ってないか?」 という気もする(笑)。 覚馬の苦悩が見えてこないんですよ。

そりゃ何をやるにしても 「会津者」 という陰口を叩かれたり、自ら推し進めようとしていることには絶えず軋轢があったりと、行く手が困難なのはおぼろげに分かるんですが、いつの間にか庁内でもみんなから頭をペコペコ下げられてる。 いったいどの出来事で評価が変わっていったのか、という解説を、ドラマのなかで怠っている気がします。 「いろいろやっただろ、高嶋兄を救い出したり、見てりゃ分かるだろう」、というような表現では、ことドラマの場合、見る側を納得させうる説得力を伴わない。 皆の評価が変わったのなら、そこを抽出して見せなければ、ドラマを見て感じるカタルシスは得られないんだと思う。

尚之助の最期にしても、ただいたずらに感情的な部分でまとめあげようとして、いくら八重に 「いつも尚之助様はこうだ。 私はまた置いてきぼりにされた」 では、ドラマとしての説得力は持ち得ない気がします。

うう~、ずいぶん巨炎様に毒されてますね(毒たあなんだ、毒たあ…笑)。

こんな私ですが、以前のようにまた泣かせてもらいたいんですよね、このドラマには。

投稿: リウ | 2013年9月19日 (木) 12時44分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私が動物の行動でまともだと思うのは、ものを深く考えてないところですね(笑)。 まあ死ぬまで一蓮托生という親子関係もあるけれど、大概は子育てが終わったら必然的に別人格(人格ではなく、動物格か…笑)になるところとか。

人間、頭が良すぎて、いろんなところで余計な荷物とかしがらみとかがつき過ぎちゃうんですよね。

宗教と戦争の関係については、このブログのもっとも最初の記事(詩)で、かなり深く言及してますのでそちらを参照していただくとして(メンド臭いっての…笑)。

若い頃にいろいろと考えすぎると、その反動でゴムがビローンと伸びっぱなしになってしまって(笑)、「いろいろ考えすぎるから不安になるんだろう、だったら目の前の仕事に集中していればいい」 という気持ちが強くなってきているような気がします。

とりあえず、生きるための欲望に忠実になろう、と。

おいしいものが食べたいし、ポール・マッカートニーのライヴに行きたいし(ただしいちばん高い席なのにドームのいちばん高いところという理不尽に…爆)。

それが引きこもって死にたいなどと考えていた私の、今の処世術みたいな感じです。

まったく、なんについて話してるんでしょうかね(笑)。

投稿: リウ | 2013年9月19日 (木) 13時07分

今、やっと龍馬伝の再放送の録画、「愛の蛍」を見て、泣く泣く削除したのですが、龍馬伝は余韻が残る作り方です。比べてはいけないですけど、「過激な転校生」を二度見しようとは思いません。(笑)

襄は天使だし、お話も朝ドラ的展開で、見ている時は楽しめます。でも、龍馬伝の時のように、映像の蛍に手を伸ばしたいなどとは思わないのです。すり抜けて行く命(魂)を追いかけようとは、思えないのです。

やっぱり、会津を舞台でほとんど大河ドラマとしては、終わって、後、明治は付け足し、補足みたいな感じですかね。まあ、残り時間を考えるとそうなりますね。(笑)

龍馬が「亀弥太の死を無駄にはしない」と言っていましたが、是非とも尚さんや、会津で死んだ人達や、うらさんの犠牲が無駄にならない人生を、八重さんにドラマで生きて欲しいものです。ちょっとこのドラマでは、難しい状況ですが。

後、物事は複合的に動いているので、熊本バンドを描くなら、彼等の熊本での状況や、追い詰められてる士族の状況ももっと描かないと、彼等がキリスト教にのめり込んでる理由が唐突にしか見えません。襄が彼等の困窮に手を差し伸べ、反逆されても、追い出さなかったわけとか。彼等のジョーンズ先生は、襄が自分の紹介した生徒達の為に苦境に立たされてるのを知って愕然としたそうですから。でも彼等が傲慢だったのは事実らしい。

襄先生は聖書の授業で、答えにならない事もあったそうで。この後も勉強の師としては、熊本バンドの優秀な人達からは?だったらしい。クリスチャンとしては尊敬するけど。

ちなみに、牧師先生でお説教が下手だったり、信者の方が聖書に詳しかったりは、今でもままあります。特に新米のうちは。医者より看護婦の方が技術は上だったりと同じかな(笑)ちがうって!


龍馬伝を見ると八重の桜への見る意欲が下がってしまう。お仕事しながら、たくさんのレビューを書き続けてるリウ様、本当にお疲れ様です。私、この二本を見るのもこの頃しんどいですもの。(笑)眠くって。


投稿: ささ | 2013年9月20日 (金) 22時30分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ここんところ 「龍馬伝」 をマジメに見ていないハシモトです(笑)。 なにしろ録画がたまり気味で、あっという間に残量がなくなってしまうため、片っ端から消していかねばならないため(笑)。

もともと二度見とか、あんまりしないタイプですけど(笑)、「過激な転校生」 の場合、熊本バンドを見て不快な気分になりたくない、というのが大きいでしょうかネ。

いちばん見ていてムカムカするのは、柄本サンの息子さんなんですけど(笑)、彼にしても仲間が傲慢で横暴な振る舞いをしているのに、ただ単純に賛同しているわけではないのは、見ていて分かるんですよ。

そもそも自分が頼み込んで編入させてもらったことだし、という躊躇は、柄本サンの息子にはある。

でもその戸惑いを、柄本サンの息子の脚本咀嚼力にだけ頼っているように見せてしまうのが、どうも見ていて歯がゆいんですよ。

ここらへんが最近の、共同脚本のチームプレイの連携の悪さに結び付いてしまうきらいはある。

信仰のことについてメインでやろうとするのは、こと大河ドラマに関しては、なかなかに難しいことなのだろう、と感じます。 たとえて言えば、細川ガラシャがなかなか大河ドラマの主役にはなり得ない、という理由にも通じるものだと私には思えます。

眠いのは私も一緒です(ハハ…)。 このところ、仕事から帰ってきて、皆様のコメントを読んで、返信まで起きてらんないのですから。 パソコンの前で寝てしまうこともしばしば…(笑)。

前はこんなこと、なかったのになあ。

トシのせいばかりにしてますけど。

投稿: リウ | 2013年9月21日 (土) 10時51分

細川ガラシャは子孫?が総理大臣になってますし。(笑)現存するので難しいのでは。(笑)戦国の細川家は策略家だし。でも、スパイの首を旦那が刎ねて、それを食卓に乗せて夫婦で、冷たい戦争しながら食べたという逸話を見たいかもしれない。(笑)ガラシャさんの主役の小説、ありますよ。とっても面白かったです。(笑)大河ドラマじゃなくても、ドラマにして欲しいですけど。ガラシャさん、めっちゃ、気が強いです。エキセントリックすぎて、前田家から来た嫁などは、逃げ出したくなるくらい。実際、最後は嫁達は炎上予定の屋敷から出すんですけど。(笑)誰の原作だったかなあ。永井さんかなあ。美男美女カップルで映像化してほしいです。凄まじい夫婦の冷たいバトルと激しい情愛を見たいです。(笑)

もう日曜日。西南戦争か。ここまで見たら、このドラマは大河ドラマとしては終わりだろうと思ってます。後は明るい希望を、というのが復興大河ドラマのお役目なのかなあ。

眠いです。仕事を長くすると、夜、足が攣ると医者に言ったら、薬をくれまして、それを残業だったので、昨日飲んだんですけど、朝なのに眠いです。(笑)おかげで、足は攣らなかったんですけどね。どちらを選ぶかってことでしょうね。


投稿: ささ | 2013年9月22日 (日) 10時01分

ついに西郷さんが死んでしまいましたというか、木戸さんも、大久保さんもサヨナラ回でした。維新の立役者達、皆。

会津の名誉回復を目指して、山川や佐川が西南戦争に参戦。佐川官兵衛の壮絶な死もありました。もう、お話の締めに向かっておりますね。もはや幕末ではなく維新でもないという展開。

今日のクレジットのしめが吉川さんでした。それが、悪いとは言いませんが、どうなのかな。西田敏行ならいざ知らず。(笑)モニカかよ!って突っ込みしたくなる。でも、吉川晃司の西郷さんは西田敏行の西郷さんに次ぐくらいの秀逸さだと思います。西郷隆盛が締めだと思えばいいのか!(笑)

西南戦争で手柄をたてる事で会津の名誉回復を!というのを史実だからやったのでしょうけど、いらなかったかも。説明だけでいいとも思いました。だって、西郷隆盛は元同志社の家主?だから、西南戦争も描写ありでしょうけど、元ご近所の山川中佐は、?でも玉鉄かっこいいから許すか。(笑)西南戦争と同志社と同志社女学校とごちゃまぜだと、薄っぺらく感じました。天地人みたい。歴史のダイジェスト!去年が濃い大河だったから余計に感じるのかも。

今までで、一番、さらりと見れた西南戦争、田原坂、西郷隆盛の死でした。九州人のはしくれといたしましては、西郷隆盛が死ぬ時は私みたいな西郷信者じゃない者でも、たいてい大泣きなのに。目をつぶったら暗転して。涙もこぼれなかったです。吉川晃司さんのお芝居はとっても素敵でしたけど。田原坂も敗走も。淡々としてて、セット撮影かあ。熊本でも鹿児島でもない、東京だあ。(笑)と思ってしまいました。

八重の桜は大河ドラマの形はもう放棄してしまったようです。そう私には思えます。それも潔いのではないでしょうか。


投稿: ささ | 2013年9月22日 (日) 23時16分

まあ会津ドラマの西南戦争ですから。

昔、放映した「田原坂」では本田博太郎氏が演じた佐川(前年の「白虎隊」から連投)が一番、好きでしたね。戦死した仲間の名前を連ねた襷をじっと見ている。同僚が声をかけると、官軍として戦っていたつもりが賊軍に転落させられた無念を語り、「俺は会津の皆と一緒に官軍として戦うんだ」と呟く。

一方、今回の山川ですが…。尚之助を切り捨てたお前が言うか~。前回も「共犯にもなれなかった」とか、話を持ちかけられたら共犯になったんかい?ホント、真っ直ぐなのは口先だけで自分を使い分ける。旧勢力の終結場所になった会津が口だけの恭順を唱えた所で攻勢は止められない、西郷の言い分の方が説得力があります。会津の西郷は(長州がそうしたように)家老の切腹で何とか止めようとしたのに中途半端にプライド保って恭順という発想の方が甘い。

史実の場合、さらに問題だったのが上野戦争を逃れてきた孝明天皇の弟君を松平容保が奥羽連合の名主として擁立し「薩長の官軍は僭称」としてしまった事。これは孝明天皇を一途に敬愛している容保としては当然だったかもしれませんが(孝明天皇の死去は討幕派の毒殺説も根強い)、薩長側が「一人の帝をいただく統一国家日本」を国外に示すために是が非でも会津を叩き潰さねばならなくしてしまったわけで、つくづく政治家の資質ゼロの人だなぁ…と。

投稿: 巨炎 | 2013年9月23日 (月) 19時19分

リウ様
こんにちは。

私は、当初から「大河」と「朝ドラ」の2元中継ドラマとして観ておりましたが、会津編後は、確かに「朝ドラ」の方に一気に振れてしまった感はありますね。やはり、(襄も含んだ)山本家の事情からしか、ストーリーを語っていないからではないのでしょうか。

明治の世に対する武士の異議申し立ては、西郷さんが一身に背負ってあの世に持って行ったように描かれてましたが、いくら西郷さんと言えど、とても一人で抱えられるものではありません。士族の思いは、その後の自由民権運動にも繋がっている訳ですし、新政府内部の薩長閥と旧幕藩出身者のせめぎ合いも、これからなのですがね。

でも、山本家としては、とりあえずこれでリセットして、同志社建学の理想に向けて邁進していくという流れなんでしょうか?

それはそれで分かりやすいとは思いますが、やっぱりちょっと食い足りないものは感じてしまいますね。

まあ、あのドラマを引き合いに出すまでもなく、「分かりやすいのが正義」みたいな風潮は否めませんが、せめて大河ドラマぐらいは、少しぐらいとっつきの悪さを残しとってもいいんじゃないだろうか?と思う次第です。

投稿: Zai-Chen | 2013年9月24日 (火) 12時04分

えー、前回のカキコに追記です。

私が山川についてツッコミ入れてましたが、
彼のファンの方の意見によれば
「浩はそんな器の小さな男じゃないー」
らしいです。実際、斗南で藩士達の面倒を見て
東京でも私生活切り詰めて若い会津出身者の
身を立てるよう色々と苦労しているようです。

ただリウ様の指摘にもあったようにドラマでは
「我慢しろ」の一言で一括するだけ、
東京での生活も時代劇の江戸庶民の生活を
(一応、質屋のシーンは入っていますが)
明治に移した程度の描写なんですね。

兄である覚馬、夫である尚之助、幼馴染の山川
とそれぞれの形で八重を愛した男達が
無言の内に交わした友情、みたいなものが
描かれていれば良かったかも。

投稿: 巨炎 | 2013年9月25日 (水) 15時13分

横から失礼します。

もう本編のほうは視聴放棄してしまったのですが、
先週の「西南戦争」は見たかったな。
何かほかの番組見ていて、うっかり見そびれてしまいました。
今週土曜日の再放送、録画する予定です。

>本田博太郎
よかったですよね~、
全体的にいい作品だったけど、
あれは白眉でした。

>ガラシャ
永井路子です。
これも面白い小説でした。
永井路子の小説は、通説とは全く違う切り口なので、それも面白いんですが、
「朱なる十字架」です。


>大河を放棄
どこかの回では、まるっきり学園ものになってしまった、と友人が愚痴っていましたっけ。

まあ、仕方ないかもですね。

投稿: マーシー | 2013年9月26日 (木) 08時30分

ささ様
巨炎様
Zai-Chen様
マーシー様

コメント下さり、ありがとうございます。 一括で返信してしまうご無礼、平にご容赦ください。 世間の3連休を尻目に出張いたしておりました。 もう言い訳の常套みたいになっております(ハハ…)。

まず、今回のコメントに対しては、「西南戦争」 の回を見なければきちんとした返信ができません。 自分の考えはそのレビューのほうで表明するとして(いつになんのかな?…笑)、ささ様、吉川西郷どんに関してはだいぶ手厳しいようで(笑)。

巨炎様がお考えのように、やはり会津の視点からの西南戦争でしかなかったのかもしれませんよね。 って見てないから何とも申せませんが…。

もともと巨炎様はこのドラマに対してかなり手厳しい側だと受け止めておりますが(あまりに手厳しくてご自分でフォローを入れてらしたですけど…笑)、Zai-Chen様も含めて、京都編に入ってからのこのドラマ、前にもまして評判がよろしくないようで(ハハ…)。

つらつら考えるに、このドラマ、新島八重サンを主人公にした時点で、結構こうなることは目に見えていたような?そんな気がします。

なにしろ八重が歴史の中心の位置にいたのが、鶴ヶ城での攻防のときのみ。 そこに辿り着くまで物語は、中央の政治的なことを説明する必要があるために、まるで容保公が主役なのでは?と見まごうばかりの展開を強いられる。 八重の家庭のお話は、必然的にわきに追いやられる。

そして鶴ヶ城が落城してしまうと、八重はもはや、政治の中心にはいないのです。

「西南戦争」 に関しても、八重はもう、傍観者的立場(って見てないから分からんけど…笑)。 西南戦争に駆り出された山川浩とか佐川官兵衛とかのほうが、よほど 「会津の思い」 を伝える使者的立場なんだと思われる。

これは、物語的に八重の人生に重点を置くか、政治の解説に重点を置くかで、物語の出来を大きく左右ほどの選択だったのだと思うのですが、作り手はかなりリスクのある、後者を選んだ気がする。
これはNHKの大河ドラマ、という巨大な生き物の選択としては、至極まっとうなのですが、そのために八重の人生そのものが、ないがしろにされる語り口に、どうしてもならざるを得ない。

ただ私、それまでに放送されてきた、「白虎隊」 関連のドラマって、ホント見たことなくて(笑)。 なんか大河ドラマ以外で会津のことをやってもアレかなーみたいな感じで見てこなかった(笑)。

だからバランス的にはちょっと不格好だけれど、こんな感じでもいいかなーという感じで、見ておりますです、ハイ。

投稿: リウ | 2013年9月26日 (木) 09時58分

見ました。うーん。これから先は大河でやらなくても。もう後日談でちゃっちゃと終わってもいいのじゃないでしょうか。福島の復興大河としての役割も十分果たしたし。いや、新島襄が杖で自分を罰して叩く逸話が来週あるから、そこまでで。(笑)でも、学園ドラマはきつい!(笑)

まあ、私の頭の中をまだ、黒いレクサスと田んぼ道と送電線がほとんどをしめてるので、このドラマを見ても何も残らなかっただけかもしれません。草笛光子さんのナレーションがなかったら、大河として意識出来ない(笑)。危うく是枝さんの映画のせいで、八重の桜を見ないですっ飛ばすところでした。見ても、何も残ってないので、リウ様がいつかレビューを書いてくださったら、思い出す事にします。

投稿: ささ | 2013年9月29日 (日) 21時14分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

うーん、このコメントの前段で、「八重の人生よりも政治的な描写のほうを選んだ」、という私の考察は、誤っていた感じですね(笑)。 西南戦争が終わったら、またホームドラマに逆戻りとは。

ドラマ的な起伏を考えた場合、やはり鶴ヶ城落城というのを11月末あたりに持っていって、1回か2回くらいで後日談を加える、という形のほうが、よかったのかもしれないですね。

10月に入ると、大山巌と山川捨松の結婚とか、いろいろやるみたいですけど、やっぱりなんか、とってつけた感がしないではない。

これから2か月余り、10回程度?も、いったいどうやってトータル性をつけていくんでしょうか、このドラマ?

投稿: リウ | 2013年9月30日 (月) 11時48分

>八重の人生よりも政治的な描写のほうを選んだ

構成の点で整合性に無理をきたしていますね。
故郷を離れても八重に根ざした会津の精神を描きたいなら前半から彼女に焦点を絞ってキャラ立てしなきゃならない。逆に後半で敗戦のどん底から立ち上がる会津魂を描きたいなら山本兄妹は主役向きとは言えません。勿論、苦労や努力はそれなりにありますが他の会津出身者に比べて巡りあわせが良かった感は拭えない。

リウ様が再三、指摘されたように「平清盛」は精神性が強く、清盛の内面における「もののけの血」と「もののふの魂」の戦いを生涯かけて描き作品全体の流れにもそれを反映させた。
対して本作は表面上の作劇による「会津が可哀相」「会津は頑張った」という点ばかりが優先されてきてますし…。

ただ、ホームドラマ化すると逆に視聴率は目玉だった会津戦争や前回の西南戦争より比較的安定しますね…。結局、視聴率に反映される浮遊層は「面白い」事より「見易い」事を優先させる。
朝ドラで「梅ちゃん先生」が高視聴率だったのも、このためで「あまちゃん」はさらに押し進めて「楽しい」事を最優先にしました。個人的には良い所、悪い所と半々な作品でしたが、朝ドラの放映形態や視聴者層を考えれば一つの正解。朝から「倍返しだ!」なんてやっても朝ドラ視聴率30、40%が戻ってくるわけないし。

まあ、同じNHKの看板作品でも自由度の高い朝ドラに比べて大河は色々と制約がありますしね。

投稿: 巨炎 | 2013年9月30日 (月) 16時47分

綾瀬はるかさんもクランクアップされたそうです。その記事の写真が、狙撃手のいでたちで、懐かしくも、凛々しく、とっても似合ってた!鵺夫人の洋装より!

結局、私は、「ならぬ事はならぬ」の八重さんの方が、「良い事は良いのです」の八重さんより好きなのでしょう。

当初は世間的には、新島襄夫人という事もあって、明治のドラマ展開の方に期待していたのです。(笑)でも、私には、会津での必死な頑なな八重さんが、ドラマとしては、見がいがありました。今は惰性で見続けておりますんで。(笑)

彼女が主役にふさわしいかどうか、でも、お姫様大河は飽き飽きだし、捨松だと会津での年齢が若すぎるし。容保さんは、見方を置き去りにして慶喜と敵前逃亡するお間抜けがあるし。(笑)会津としては名君でも、結果として、藩潰しちゃったんで。(笑)

このドラマは、福島の風評被害を取り除く(幕末の歴史においても)のが、お役目のように背負わされてる大河ですので、その役目は果たしたし、会津側からの史観が強かったのも致し方ないのでは。それでも会津の頑なさを冷ややかに描写している部分もあったし。

賊軍の汚名、山川が山県有朋から釘を刺されてましたが、あれも、山県有朋、感じ悪い!って、佐幕派の方からは言われると思うけど、会津が京都守護職の時は、政変の後、朝敵の汚名を、長州はずっと背負わされてたので。だからって、ネチネチしてるなあ!とは思ったけどさ。でも、山県有朋って、そんな意地悪そうなイメージだし。(笑)

ただ思うのは、大河ドラマもネタ切れかなあ。それと、男女平等の時代になんですけど、無理に男女主役を交互にしなくても良いのでは。12月まで放送はあるのに、もうまとめ的気分になってしまいました。来年、どうかな?来年は休みにしようかしら(笑)

投稿: ささ | 2013年10月 1日 (火) 10時31分

追伸、訂正。味方です。ごめんなさい。間違えました。

iPad、便利なんだけど、つい頼ちゃって、変換を間違えるんですよ。すぐ候補を提示してくれるんで。(笑)やっぱり、自分で書かないと、脳が働かないというか、もう老化しはじめてる!(笑)

投稿: ささ | 2013年10月 1日 (火) 19時00分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、ちょっと遅れました。 出張ではございませんが(笑)。

10月放送分では、どうも板垣退助に、「会津の戦争の折はご城下の農民たちが戦争に非協力的だった」、ということを語らせるようです(「NHKラジオ深夜便」 の 「八重の桜」 コーナーによる)。

もしかするとそこらへんで、戊辰戦争での八重たちの立場に対して一定の引き算がされてくるような気もいたしますが、いかんせんこの物語の明治編以降は、同志社大学の創始に物語を割かなくてはならないジレンマ、というものもある。 しかも八重たち、勝ち組だし。

これは脚本家の立場になって考えると、料理しにくい題材だなァ…と同情もしたくなってきます(笑)。

分かりやすい大河、と言っても、「江」 みたいのはホントに勘弁…(爆)。

NHKなんか視聴率カンケーないのに、どうも制作サイドが妙に視聴率気にしてるのは、これはテレビ屋のビョーキみたいなもんなんでしょーか(笑)。

投稿: リウ | 2013年10月 2日 (水) 11時49分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 変換ミスくらい、こちらでちゃちゃっと変えられますんで(と言っても最近はようしませんわなァ…笑)。

大河がネタ切れ…って、もうとっくに私はそう見てますけど(爆)。 戦国、幕末行ったり来たり(笑)。 来年も秀吉近辺の話をやる時点でもう、いくら何でもやりすぎだろーって(笑)。 山本勘兵衛、ど~でもい~よ、って(ハハ…)。

大河ドラマってなんの話をするんでも、とにかくどうしても出さなきゃならない歴史的人物を、出さなきゃ仕方ないみたいで(笑)。 そうでもしなきゃスケール感を出せない、という強迫観念から抜け出せない。 今回、坂本龍馬のご出演をあえて我慢し抜いた、というのはとてもまれなケースでしたよ(笑)。 いや、「龍馬伝」、同時放送しちゃってるし(笑)。

だから今回の場合でも、「西郷サンと山本覚馬がお知り合いみたいな感じだったけど、じっさいどーだったのよ?」 みたいに見ていて感じてしまう。 覚馬も薩摩の牢のなかで西郷に会ったりしてなきゃ、西南戦争に対して大して感慨など抱かんだろう、と。 八重だって、新聞で見て、ふーんそんなことあったの、会津のかたきが負けていい気味、くらいの感覚なのでは、と思ってしまう。 いや、そんな程度ではないでしょうけど、八重がこの西南戦争に、割って入ってどうこう、ということなんか、基本的にできないと思うんですよ。

まあ、話は変わるけれども、本能寺の変のたびに、炎に包まれた信長が、地方のとるに足らぬ戦国大名のことを回想したり、江のことを回想したり、するもんかよと思いますけど(爆)、そうでもしなきゃ主人公の主人公甲斐がないとゆーか(笑)。

ただそう考えると、西南戦争でもなんでも、必要最小限の表現でいい、ということになってしまう。 どうもそういうわけにはイカン、と考えてしまうんでしょうね。 制作サイドが。

投稿: リウ | 2013年10月 2日 (水) 12時10分

>板垣退助に「会津の戦争の折はご城下の農民たち>が戦争に非協力的だった」、ということを
>語らせるようです

あー、前に紹介した贋金作りの件のサイト下方やリンク先で紹介された「母也峠」の件になるのでしょうか?焦土戦術で民家を焼き払われた領民が報復として地の利を持たない板垣達の手引きをしたおかげで怒涛の進撃が出来た件。

本作でも日向ユキが農家に匿いを拒否されるカットはありましたが、その立ち位置から藩政を批判してくれるキャラは出ないのですよね。
全盛期の大河ではオリキャラを出してでも多面的視点による健全性を保っていました。「平清盛」も民意で語ってくれる兎丸がいましたが本作は苦しい所がありますね。薩摩出身の学生との絡みより会津出身の生徒に八重の価値観が破壊される方が面白いと思うのですが。

投稿: 巨炎 | 2013年10月 2日 (水) 18時46分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 新しいレビューのアップのほうを優先してしまい、返信が遅れました。 申し訳ありません。

私も切れ切れでしか放送を聞いておりませんでしたので、どこらへんまで板垣に語らせるのかは不明ですが、とりあえずここで、板垣がこの物語に登場していた意味はあったかな、と聞いてて感じました。

まあ、あまり会津を批判してしまうと、これは福島応援大河だろ、というツッコミがされてしまう危惧というのは制作サイドにはある、と思います。 マジレスすれば。

「平清盛」 においては、別に神戸の街おこしとかまったく風の便りにも聞きませんでしたしね(笑)。 つまりいらはいいらはいというご当地呼びこみ大河じゃなかった。

もっと原発問題とかない時期にこの物語をやっておったら、いかなる屈折した大河になったであろう、と想像してみるのも、楽しいものです。

投稿: リウ | 2013年10月 4日 (金) 06時44分

今日も見たのですが、途中でチャンネル変えてしまって、録画していないのに気付いて慌てて、また戻して見ました。ちょっと学園ドラマが冗長だった!私には。

そして父になるで、尾野真千子さんが、子供に、「このままどっかに行こうか」って電車の中で言うんだけど、子育て中の母親の孤独が出てて、映画を見て随分経つけど、自身の苦い思い出とシンクロして、心に刺さってます。そのときの子供の返事が、また。尾野真千子さん演じる母親は、取り違えに気付けなかった自分を責めながら、でも、六年育ててきた子供を大事に愛しているんです。「琉晴がだんだん可愛くなってきた。慶多を裏切ってるようで申し訳なくて」尾野真千子さんのこの台詞も好きです。いつか、テレビででも、リウ様もこの映画を見てくださいませ。まだ公開中だけど。

というわけで、八重の桜に心が乗れない。(笑)京都府議会初めて物語と同志社の学生ストライキ。みねちゃんの初恋。などなど。でも、かつて、二人の子供連れて、漠然と逃げ出したいと思った記憶をゆり戻す台詞ほどには、どれも心に残ってないです。ハハハ。

今日は「妻のはったり」というタイトルだったです。そういえば、去年はサイコロも命がけだったですね。(笑)しかも天皇を化け物扱いしてた(笑)妖怪に怨霊、懐かしい。

投稿: ささ | 2013年10月 6日 (日) 21時39分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

って、なん~かすごいご無沙汰しているような気がするんですけど、ほぼ1週間のご無沙汰ですよね。
ちっとも 「八重」 のレビューを書きやがらない(笑)このナマケモノに愛想を尽かしたのか、お書きになっているように、「八重」 そのものに情熱を失ってしまったのか…。

私もささ様のお熱が下がっているのを感じて、「八重」 を見るのを後回しにしてしまっているような気もいたします。 ここんとこアニメとかマンガのレビューばっかりですもんね。

ただ、ささ様や巨炎様のコメントを読ませていだたいていると、どうも 「鶴ヶ城落城をクライマックスにして、あとは2、3回で後日談で終わり、がよかったかな~」 などと考えてしまいます。

でもそうすると、オダギリジョーサンの立つ瀬がないし(笑)。

なんかテレビ番組予定表を見ていると、今週 「そして父になる」 関連の番組が、チラポラあったような気がいたします。 福山サンと是枝サンの対談、とか?

もしご興味がおありだったら…。

投稿: リウ | 2013年10月 7日 (月) 11時51分

オダギリさんというか、新島襄の立つ瀬がない。(笑)

でも新島襄じゃなくて、妻の八重さんが主役なので。それに八重さんはお殿様にポーっとなってたけど、尚さんにしても襄にしてもドラマの中では、ツンデレです。(笑)だから、一番激しく生きていた会津で、ほとんどやって、後々、京都で新島襄の奥さんになって、晩年も看護婦をして、勲章をもらいました。で良かったんじゃなかろうかと。(笑)

後、一ヶ月半が長〜い!(笑)清須会議が公開になったら、私、清須に行っちゃうわ。(笑)

今日も明日も仕事で、もう頭が回んないので。八重の桜、今週で限界かなと思っています。(笑)

投稿: ささ | 2013年10月 7日 (月) 23時11分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私はこの大河ドラマ、しょっぱなでアメリカの南北戦争を持ってきたところに、明治維新での内乱とリンクさせる意図を感じたものです。
その点でドラマを俯瞰しようとすれば、明治維新の最後の内乱は、西南戦争ということになろうか、と。
ところがこのドラマ、西南戦争が終わってもまだやってる(笑)。

八重って、襄の死後もかなり生きていらっしゃいますから、いろんな功績があるのは分かります。
ただ、大河ドラマという性質からいうと、どんなにエライ戦国大名でも、関が原以降の話って、2カ月も3カ月も、やったためしがないんですよ。 お国替えとかあって、転任の地で何をやったかとか、功績がいくらあってもね。

八重にとっての関ヶ原はやはり鶴ヶ城落城だったと思うし、そこから恨みが主体の生き方だから、どうやって赦すことができたかを描写すればそれで事足りる気がする。 許しという点で、新島襄は格好のきっかけである、とも言えるし。

…。

グダグダ言ってないで、い~かげんに 「八重」 を見てレビューしなさいっ!(爆)。

投稿: リウ | 2013年10月 8日 (火) 10時29分

リウ様の説によると、江の引き延ばし作戦も定石って事ですね。(笑)おかげで、樹里ちゃんのお子様時代が長かった〜!(苦笑)関ヶ原〜!

許しは難しいですよね。キリスト教では、キリストの贖いの十字架によって信じる者は、自身の罪を許されてるんで、八重さんの場合、洗礼を受けた時に、キリスト教徒としては許されているはずなんです。(笑)薩摩の女の子(キリスト教に興味があって同志社に来た、父親を会津に殺された女性)に、八重さんは、土下座して謝っていたけど。それでドラマにしてたけど、本来、キリストのとりなしによって罪は許されているんでしょ?(笑)などと、私はしらけて見てました。私たちの娘?そんなタイトルの回です。

もっとも個人的に戦争の罪を問われれば、それは謝るしかないのかもしれない。しらけてて、八重さん、ごめんなさい。戦争中なら人殺ししていいのか。でも、それを咎めれば、軍隊の存在は全否定ですよね。(笑)従軍牧師とか、大変だろうなあ〜!

このドラマだと、戦争中の罪に向き合うなら向き合うで、そこを、掘り下げない。土下座と、キリスト教による和解でお茶を濁してる。ほかにもやる事があるからだろうけど。去年の、後白河とのサイコロ三昧とは大違い(笑)

深い罪への悔恨と、贖いをうけている事への感謝がいのりになって、信仰となるはずなんですけど。彼らは賊軍の扱いを会津出身という事で受けてる(ある意味それも不当と描かれてますが。)それで贖罪と描いてるような気もして、ちょっとちがうかなという気もしてるんです。(笑)

キリスト教徒になった時点で、国籍は天にありですから。新島襄はだから天使に描かれているんでしょう。八重さんは、最後まで会津に留まるのかな。ドラマ上は。でないと、大河ヒロインを全うできないですよね。(笑)

そういう私だって、千葉県民だけど、まだ宮崎県民の気分が抜けないんで、なかなか、天に国籍を置けないです〜!千葉に来る時は国籍は天なんだから、どこで暮らしても一緒って覚悟して、出てきましたけどね。(笑)

投稿: ささ | 2013年10月 9日 (水) 08時46分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 もう何度目かの出張による返信の遅延…。 愛想を尽かされなければいいが、と思っております…(土下座中)(土下座って、流行ってるらしいですね…笑)(私もしたことあるけど…笑…って、笑えないか、ハハ)。 いずれにせよ、返信が遅れまして申し訳ございません。

八重サンも土下座してるんですね、早く見なくちゃ(ど~ゆ~動機だよ…笑)。
「西南戦争」 の途中までは見てるんですけどね。 10月2日のコメントの時点で。 八重が新聞読んでるとこらへん。

神父とか牧師とか、呼び方にも違いがあるカトリックとプロテスタントですが、どちらも神からの許しという点では一致しているのでしょうか。
私は悔い改め許してもらう、という時点で、自分の犯した罪に対する責任も喪失してしまうような気がするのですが。 たぶん神への懺悔という時点で、心からの反省は成立しているんだということなのだろうけれど。

ちょっとシリアスな話だけど、私の考えを述べたいと思います。

つまり悔い改め許してもらえるから、十字軍も戦争も結果的に神に許してもらえる、ということになっていないのかな、という気がするんですよ(十字軍はカトリックのほうなのかな)。

人が他人を傷つけた場合、神に許してもらうより先に、酷いことをした人に対して許しを乞うというのがまず最初なのではないのかな、と私は考えます。

だから八重がその、薩摩の女の子に土下座するのは、キリスト教的に言えば本末転倒なのだろうけれど、人としての順番というものは間違っていないように思えます。

…イヤ~、こういう話をしますと緊張しますね(ハハ…)。 教義的な疑問ですので。

いずれにしても、ほぼすべての宗教は、人を殺すとかいたずらに傷つけるとか、そういうことを本来許していないように私は感じます。

なのに、宗教が原因の殺し合い、傷つけ合いがやまないのは、どこかで教えを歪めてしまう、人の心に問題があるのではないでしょうか。

結局難しい教義よりも何よりも、人としてどうふるまうべきなのか、を考えれば、八重の行動にも得心がいく気がするんですけど(だからその前に、「八重の桜」 見ろっての…笑)。

シリアスな話、ご容赦願いますconfident

投稿: リウ | 2013年10月12日 (土) 15時28分

教義的にはたいして変わりないです。旧教も新教も。(笑)イエスキリストを三位一体で救い主として信じてるのは一緒。カソリックでは聖母マリアとかにも重きを置くみたいです。いまいちあちらの事はわかりません。聖書に基づく福音を重視してるのが新教でしょうか。ゆえに、面白くはないみたいです。(笑)

十字軍はですね。まあ、同じキリスト教徒が、迫害されて苦しんでる、聖地が、奪われる、助けに行かなくちゃ!の世界ですね。信仰の自由、特にキリスト教信仰の自由を求める人がいれば、たすけにいこう!という建前です。(笑)

でも、イスラム教とかの信仰の自由には配慮しないの?って話ですよね。最近は

そちらにも配慮するのがスタンダードになっております。(笑)

保守派って方達は進化論とか、完全否定ですけど。(笑)教義をせまーく考えると人類の起源も、創世記を一字一句違えてはいけなくなっちゃいます。(笑)ちなみに、武道の授業とかも、人を傷つけるからダメって考えも。日曜の安息日を厳格に守るとオリンピックの決勝だって棄権だったり。(笑)お店も全部、日曜は閉めて観光客は置き去りだったり。(笑)それじゃああんまりなので、たいていの人は、柔軟に対応しているのです。新島襄のように。(笑)

キリストの取りなしによって許されてるからには、自分達も誰かから罪を犯されても許さないといけないのです。八重さんは、会津の幕末の理不尽な扱いをはたして、許せているのでしょうか。それは、長い許しの旅路です。清盛が憎しみの旅路から抜け出たようには、このドラマは描いていないですね。(笑)キリスト教に深く描いてしまうと、大河としては、浮いてしまうのでしょう。でも、キリスト教によって、八重さんにも少なからず救われている部分があってもいいかな。とも思います。重くなるけど。

投稿: ささ | 2013年10月12日 (土) 20時57分

今日はBSで軽い気持ちで見てて、不覚にも泣いてしまいました。「覚馬の娘」 ですから、みねちゃんの回ぷらす自由民権運動の社会情勢と政局でした。が私が泣いたのはもちろんみねちゃんにです。いやあ、ここに来て、うらさんとの親娘の別れがフラッシュバックするとは。完ちゃんで泣いて以来の感動でした。(笑)というわけで、他はもうがたがた言わないことにします。来週は会津に襄と里帰りだそうです。

投稿: ささ | 2013年10月13日 (日) 21時00分

兄様のフォローをする今回の八重は尚ノ助の事を「勝手」
呼ばわりした事を気にしているか棚に上げているのか。

次回、うらさん再登場?回想?
史実では彼女の記録は残っていないそうですが…。
あれ、時江さんが追い出されるイベントもそろそろのはずでは?

投稿: 巨炎 | 2013年10月14日 (月) 07時22分

ささ様
レス下さり、ありがとうございます。 ちょっと昨日は外出しておりまして、返信が遅れました。 このところレスポンス悪くて申し訳ない限りです。

件の 「私たちの子ども」 の回まで、見ました。
確かにキリスト教的なスタンスを微妙に外している気はいたしましたが、私が気になったのは、その薩摩の女の子と八重が和解しながら、次のシーンでは熊本バンドの連中が 「アイツ薩摩に帰っちゃったんだよな」 という会話をしているところ(笑)。 ちょっと、結局帰っちゃったんかい!みたいな(笑)。 最初、熊本バンドの連中が真相(鵺先生と薩摩の子が和解したということ)を知らないで話をしているのかと思った(ハハ…)。
で、八重の母親が洗礼を受けたいという話につながっちゃうから、なんかキリスト教的な原罪のコンセプトとかがうやむやになってしまうきらいが出てくる。

宗教は教祖の教えに回帰せよ、というのが、原理主義ということにつながっていくんだと私は解釈していますが、原理主義ってなんか、聞いただけで印象が悪い今日この頃(原理主義→過激派、みたいな…)。

そもそも聖書などの原典を読んでいても、解釈が分かれそうな部分とか、真偽すら議論の対象になってしまう部分とかがある。 結局は人としての振る舞いというのは、自らを振り返りながら考えるしかない気がするのです。 人にされて嫌なことはしないとか、傷つけてしまったことを謝るとか。 人を殺さないなんていうのは、もっとも基本的なことのように、私には思えるのですが。 いかなる宗教でも、宗教はどんな教条的なことよりも、まず人としての振る舞いを基本としなければならない気がする。

調子が良ければ、今日中に 「八重」 のレビューもしたいところですが、いろいろレビューしたいものもあるし、無責任なことは申せませんですね、ハイcoldsweats01ゞ。。

投稿: リウ | 2013年10月14日 (月) 08時01分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「龍馬伝」 再放送では武市が切腹しましたが、そこに至るまでのエピソードはかなりフィクション色が強いものばかり。 でもそれが、作り手の言いたいことを体現していて、気にならないんですよ。
それに対して、うらと会ったかどうか分かんないけれども、どうもそれが取ってつけたようになってしまいそうなのが、このドラマの弱いところではないか、という気がいたします。

投稿: リウ | 2013年10月14日 (月) 10時09分

木曜日に無事、息子は帰って来ました。辛い物が苦手の息子は、食事は、しんどかったようですが、他は、楽しめたようです。(笑)

明日は仕事。で、BSは間に合いそうにないので、八重の桜は録画しました。そしたら、安堂ロイドがすでに予約されてました。娘が見るみたいです。(笑)お試しで見て面白かったらしいです。

私にとって、今年一番はガリレオ!と言いたい所ですが、ガリレオは映画、真夏の方程式が良かったので満足する事にして、一番はやはり八重の桜にします。綾瀬はるかさんは健気で、でも天然で、美しい!

彼女のおかげで、歴史上の八重さんもきっと得したと思うので。多分、熊本バンドや、徳富蘇峰の反発だって、綾瀬はるか相手だと、随分、実際よりしおらしいのではないでしょうか?鵺と呼ばれても、綾瀬さんは、愛らしいですから。(笑)

少なくとも、会津が落城するまでは、大河ドラマとして楽しませていただきました。

そのうちまたまとめてでもレビューしてくださいませ。(笑)では、くたびれているので、おやすみなさい。もう毎晩、眠くって!

投稿: ささ | 2013年10月19日 (土) 21時20分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

息子様のご無事のご帰還、お慶び申し上げます(ハハ…)。
いや、なにが起こるか分からないご時世ですから、心配するに越したことはございません。
私も辛いものは苦手。 つーか、辛すぎるものがダメ、という感じですかね。

「安堂ロイド」 の第1回目は、確か再放送されると思います、本日。 ワイヤーアクションでそれなりに、「半沢」 よりはお金がかかってるのを体感できると思います(笑)。

「八重」 を見ていて最近思うのは、どうして八重が 「鵺」 とまで呼ばれなきゃならないのかの説明が今イチ欠けているかな、というところ。
これってかなり侮辱した言い方だと思うんですよ。
言葉ひとつに引っかかってる私も私だと思いますけどね。

でもヤエがヌエと呼ばれなければいけないことの説明が、このドラマをもっと深くするような気がする。 八重がこのような半分近代みたいな恰好をする意図とか覚悟とかが、そのことによって明確になってくると思うんですよ。
これじゃ会津の田舎もんだから、戊辰戦争で負けた腹いせに昔を切り捨てて新しいものに飛びついているだけ、みたいに見える。

まあ、今の時点でまだ、2回ほど未視聴ですから、滅多なことは申し上げられませんが。

なかなか追いつかないな~(ハハ…)。

投稿: リウ | 2013年10月20日 (日) 05時37分

さっきやっと録画を見終えました。

うらさんの再登場は、なかなか良かったです。彼女こそが、会津の女性なのかも。

でも、ノスタルジーなのか、今までのシーンがいっぱい。襄との帰省なのに、尚さんの思い出まで。(笑)小八重ちゃんも!

回想シーンがいっぱい。さすが、10月。

さてさて、来週は捨松の回のようです。玉鉄兄ちゃん!反町隆史に勝てるかしらん。(笑)八重さんが腕相撲するようですが。(笑)

ではお休みなさい。

投稿: ささ | 2013年10月20日 (日) 23時25分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 お仕事お疲れ様です。

このナマケモノのブログ、ささ様の今年ナンバーワン作品 「八重の桜」 のレビューがまたまた滞ってしまってますね。 先週の連休あたり、「こりゃ追いつきそうだ、このままリアルタイムで 『八重』 を見て、そのままレビューに突入するか」 と思っていたのに、またまたなん馬身か突き放されてしまったhorsehorsehorse(ハハ…)。

んでまた1か月分たまってるんだからもう…。
綾瀬はるかサンも紅白の司会に決まったことだし(関係ないけど)早いとこ追いつかねば…coldsweats01

投稿: リウ | 2013年10月21日 (月) 11時44分

大丈夫です。何が?(笑)

私も龍馬伝の録画ため込んでまして、私は、西郷隆盛にまだ出会ってない!なのに、龍馬伝は長崎に行ってしまいました(笑)ズルして長崎に私も行こうかな。(悪魔の囁きが。)(笑)

紅白。綾瀬さんはタイムスケジュールが押しちゃったら、すっ飛ばしていいですか?とおっしゃって、嵐を大慌てさせたとか。(笑)八重さんはおおらかです。

ドラマでも、悪気はないんですよね。でも結果的に八重さんの好意はあだになることも。好意による行動は見方によって変わる。(笑)

会津藩だって、平和を望んでたし、尊皇だったし、攘夷ももちろんだったでしょう。でも、どこかで、違った判断ができてたら、スケープゴートに追い込まれなかったかも。京都守護職だって、藩祖からの家訓で追い込まれ、逆賊にも、いつの間にか、周りから追い込まれて。だからって、一方的に被害者でも、加害者でもない。でも、中にいれば、被害者的意識になるのかな。そんな事を感じました。

昨日の放送で、板垣退助が、「会津の武士たちは勇敢に戦っていたけど、領民たちは、非協力的だった。だからいくら武士達が強くても領民が協力してくれなかったから会津は勝てなかった。市民も政治に参加させなきゃいけない。」というような事を言っていました。もう忘れかけてる。

会津の誤ったところはそこだったかもしれないけど、逆にいえば共倒れを防いだ!って事かも。皮肉にも、八重さん達が帰省した、会津では、市民の暮らしが始まっているのです。お城は取り壊されて、城下は焼けた後、八重さん達の家の跡地にも、平民が暮らしているのです。それでも、かつての家の跡地を見つけた八重さん達はノスタルジーに浸っておりました。うらさんが再登場という事で、うらさんは美しく描かれてました。会津女性の美学を象徴してるみたいだし、京都で留守してる兄様(再婚、でき婚で男を下げていたけど)も、うらさんを実はまだ愛してるっぽい演出も!(そろそろまた離婚の危機が近づいてるのか。(笑))

女は男の嘘をいつもいつもは許せませんから!(笑)実がないと。

ではでは、リウ様、ゆっくりで。私もそのうち(笑)龍馬伝の録画を見ます。そのうち(諦め気味)。

投稿: ささ | 2013年10月21日 (月) 13時51分

板垣の台詞、今回で出ましたね。
まー、実際は「無関心」などというレベルでは無かったのですが。前述の新政府軍の手引きどころか切腹もせずに生き残った容保の東京搬送から10日後、藩政への怨嗟に端を発した真の会津戦争とも言われる「ヤーヤー一揆」が起こっている。

http://www.mumyosha.co.jp/ndanda/05/bakumatu09.html

ただ、この内乱は重税を課した新政府に不満を持つ各地の農民に飛び火しています。決起の理由を「殿様の敵!」みたいに改竄する事をせず「薩長だろうが会津だろうが侍はみな一緒」という農民側の意識を板垣に語らせるのは本作としては最大限の譲歩でしょうか。

回想は…、角場で幼少期を思い出す辺りはまだ良かったですが、今の夫の前で昔の夫を思い出して葛藤も無い八重の無神経さとか、前半パートを主人公に解説させるのが尺稼ぎっぽくてイマイチ。前作と比べちゃいけませんが(汗。

しかし、「城が取り壊された」という台詞や帰国した捨松が会津戦争終結時の新政府軍のように土足で屋内に入ってくる描写などリウ様がレビューで指摘されているように会津戦争を生き残った人達も会津の精神を失ってきている描写は興味深い。
ただ、会津女性らしさを貫いている、うらさんとの再会で八重がその事に思い至る様子も無いのではドラマとしてどうなんでしょ?

投稿: 巨炎 | 2013年10月21日 (月) 14時15分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私も、時間が押したのでスッ飛ばしちゃっていいですか、「八重」 のレビュー?(笑)

なんか 「西南戦争」 を見たのが遠い昔で、それなりに書きたいこともあった気がするけれど、忘れてしまいました…(笑)。

このところ、「ちりとてちん」「ちゅらさん」 の再放送まで見ていて、ますます 「八重」 から遠ざかっているのでうまく議論に加われませんが、ささ様のコメントを読んでいて感じたことをちょっと書いてみます。

「お城が取り壊されて」、ということでしたが、そうなんですよね、今現在会津にある鶴ヶ城は、再建されたものなんですよね。

つまりそれって、何なんだろう、って。

領民たちにとっては上のほうで何かやってらァ、♪オラ知らね~えオラ知らねみたいな戦だったのにもかかわらず(懐かしいな、キンチョール…笑)、結局お城は、領民たちの誇りでもあったのかな、と。

意地悪く 「それって観光目的の客寄せでしょ」 みたいに考えることができるのかもしれないけど、自分たちの 「くに」 というものを考えた場合、その精神的な支柱というものが、会津のお城だったともいえる気がするのです。

私も何度か登城したことがありますが(おつとめみたいだな)、お城のなかはいま歴史資料館みたいになっていて、鎧やら刀やら薙刀が展示されていた記憶があります。

同じく何度か行ったことのある、白虎隊自刃の地、飯盛山。
ずらっと並んだ墓石は威容で、そこからは鶴ヶ城が遠くに見える。 白虎隊の気持ちを追体験できる場所と言えましょう。
鶴ヶ城も飯盛山も、ぜひご観光で訪れてみてください(以上観光課のハシモトでした…笑)。

いずれにしても、ただにしらの勝手で戦やってたんだばいと思っているのであれば、鶴ヶ城も飯盛山も、これだけのことはする必要がないように感じます。

まあ再建にはもと士族の力もあったかもしれませんけどね。

いずれにしても、徳川を守り抜いた、滅びゆくものに殉じた、という誇りだけは、ある気がするんですよ。 県民性のなかで。

そこでは、昔のもろもろの感情も、都合よく淘汰されてしまう一面も、「人間だもの」 出てくるような気がいたします。

投稿: リウ | 2013年10月22日 (火) 13時47分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私は 「この場合自分だったらどうだろうな」、ということを考えながらドラマを振り返ることがあるのですが、自分に酷いことをしてきた他人に対してもっている恨みとか、自分が他人に対してやった酷いこととか、いつもそれにとらわれて自分は生きていないな、って。

また同時に、集団的な民意のなかでそうせざるを得ない、まあ簡単に言えば長いものに巻かれていれば安全、という意識もどこかでもっている気がします。

そのなかで、自分の信念とかプライドとかいう問題というのは、他人が自分に関わってくる範囲によって表面に出てくる性格のものなんですよ。

つまり普段は別に口にしたりしないし他人が何をやっててもそれに立ち入るほどお節介をしようともしないけど、他人が自分に対してある一線を超えて強制的な干渉をしてきた場合、自分の本来持っている信念とかプライドが表に出てくる。

歴史上の出来事を俯瞰した場合、やはり領民たちというのは、自分の生活に関わる範囲によって 「無関心」 と 「抵抗」 の判断をしている気がする。

武士は名誉とか重んじてそんなことなかった気もするのですが、近頃は、いや、やっぱり武士だって自分の行動の基準は生活の防衛範囲によるだろう、という気がしてきた。

それに、なんか最近思うのは、士農工商って、かなり緩やかな制度だったんじゃなかろうか、って。
コレ、昔見ていたドラマでは絶対身分を変えることなんかできないみたいなドラマばっかりだった気がするんですけど、最近じゃ武士が武士をやめて刀とぎをしているとか(「酔いどれ小藤次」 ね…笑)、新選組でももともと農民だったのに帯刀して武士を名乗ってるとか、どうなんでしょうかね、なんかとても制度自体が緩やかに思える。

今の社会を生きていても、格差が広がっていると言われているわりには、国民ひとりひとりは、自分たちは自分たちの生活をしているだけ、という意識しかない気もするし。

なんかワケ分かんないことをグダグダ書きましたが、特に日本人にとっては、過去になにがあったか、ということに対して、そんなに頓着しない、忘れっぽい一面があるようにも思えてなりません。

昔の日本人も、やっぱりひとりひとりが生活者で、八重のように目の前のことに精一杯で、昔を思い出すのなんか会津に帰ったときくらい、といういい加減さは、あるような気もするのです(どうもよく分かんない議論でスミマセン)。

投稿: リウ | 2013年10月22日 (火) 14時19分

私も、ドラマで取り壊されたって言ってたから、今あるお城は、?だったです。(笑)再建されたんですね。民意で建てられたって事が大事だと思うんです。私のふるさとは、城山のまま。公園になってます。観光誘致やかつての栄華への懐古や、自分達の象徴がほしいからでも、何でもいいじゃありませんか。お城があるのは素敵です。

私は、残念だけど、まだ白河の関を越えたことがありません。手前の那須にはよく行くんですけど。いつか、八重さんがオープニングで子供達と傘をひろげてる原っぱに行ってみたいです。(笑)お城とかよりこの年になると、原っぱとかに憧れちゃうんですよ。熊本城で見学にくたびれちゃった苦い経験があって。立派なお城なんですけど。原っぱで、寝転がって、空を見上げたいです。(笑)それと、喜多方ラーメンを食べたいです!三春の桜も見たいし。子育てが一段落したら、ワンコを連れて、夫婦で旅行する予定です。後、5年!6年かな?(笑)一番は北海道ですけどね。

龍馬伝の西郷吉之助の回、やっと見ました。(笑)

レビュー、すっ飛ばしてもいいのじゃないでしょうか。綾瀬はるかさんも、最後の二ヶ月は、八重の桜、すっ飛ばしていたのかもしれない(もちろん、真面目にお仕事に取り組んでおられた事でしょうが。)と思ってみたり。去年は最後の二ヶ月が、視聴率なんぞくそくらえ!で、めちゃ、濃密でしたけど。今年は、あっさり味で、いいんじゃないかな。もう締めのお茶漬けか雑炊って感じで。(笑)今日は休みなのでまったり過ごします。

投稿: ささ | 2013年10月23日 (水) 09時24分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

三春の滝桜は、シーズンになると大混雑ですので、どこか遠いところに車を停めてですね(笑)シャトルバスがしょっちゅう行き来してるからそれをご利用なさるといいと存じます(以上ふるさと創生課のハシモトです…笑)。

鶴ヶ城はいまはどうか知りませんけど、それこそ登城、登るのには忍者屋敷みたいな階段で天守まで登った記憶がございます。 体力に自信のないかたにはオススメできません(いや、あっという間に天守だった気もしますが…笑)。

桜色の傘の花が一斉に開くあの場所、いったいどこなんでしょうね。 私の見立てでは猪苗代湖の近くかな?という気もいたします。 行くまでにすごい疲れたりして(笑)。

私も北は北海道から南は沖縄まで、ってぜ~んぜん行ったことないですね(笑)。 北限が佐渡かな?福島市のほうが北なのかな? 西は愛媛まで。 飛行機がダメなので、ダイキライなので、ホントに行動範囲狭くて。

「龍馬伝」、私は見たり見なかったりになっているのですが、「八重」 と並行して見てると、誰が勝で誰が木戸で誰が西郷で大久保で、というのが分かんなくなっちゃう(それぞれの作品での人物の捉え方を比較する、というややこしい楽しみ方もございますが…笑)。

いや、まだ幕末をうろちょろしてますもんね 「龍馬伝」(だからラストまで幕末のままだって…笑)。

投稿: リウ | 2013年10月23日 (水) 12時16分

龍馬伝は最後まで幕末で、しっかり、会津も大藩として、存在中です!(笑)龍馬伝では、会津は、あまり出て来なかったけど。

龍馬伝の次は、平清盛を再放送で観たいものです。だって、大政奉還だもの。ゴッシー!(笑)

八重の桜のオープニング!今度は万華鏡みたい。

明治という時代をちょっと皮肉ってるのかな。でも滑稽でも、当時の人は文明開化を大真面目でやってたんでしょう。国家の地位を国際的に上げる為に。

オープニングの傘の花。最初は何なの?って思ってましたが、今は、ほのぼのします。見慣れるものだわ。

来年は全く関心がないので、八重の桜で、私の大河鑑賞はまた、中断かしら。

安堂ロイド。ちょっとだけ、2話を見たのですが。 娘は面白いらしいですが、私は、退屈でした。リーガルハイも、いまいち見る気がおきないし。

仕事でくたびれてると、夕食作りでもう気力喪失。テレビドラマは、もういいかな。ってなっちゃうのです。また台風が来ますね。もう災害の被害がでないといいのですが。どんなに文明が進んでも、自然災害には、まだまだ無力なんですね。

投稿: ささ | 2013年10月23日 (水) 21時25分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「八重」 のオープニングでいちばん違和感があったのは、傘をさそうとする八重の顔が、フラッシュバックでさまざまな登場人物に代わるところでした(笑)。 アレはキモチ悪かった(笑)。 何を言わんとしているのかは分かりましたけどね。 八重の人生というのは、それまでに自分の出会った人との積み重ねなんだっていう。 そのうえに、笑って傘をさせる自分がいるんだっていう。

オープニングが毎月変わるのは(一部分ですが)この大河が初めてでしたけど、オープニングのパターンがシーズンごとに変わったのは 「龍馬伝」 が初めてだった気がします。
いろんな意味で斬新な大河だったと思いますね。 ふつう坂本龍馬のことをやるのに、岩崎弥太郎なんかこれっぽっちも出てきませんからね。 それをモーツァルトとサリエリの関係みたいにしてドラマに仕立て上げた、という大胆なフィクションかましているのが面白かったわけで。

「リーガルハイ」 に関しては、ちょっと見ただけで周りの評価も鵜呑みにして、別項のコメントで批判をしてしまったのが悔やまれます。 と言ってもあらためてレビューする暇あんのかな?(笑) 台風も来る来ると言ってなかなか来ないし、この週末は荒れそうだし。 仕事の時間以外(日中)にパーっと来てパーッと行っちゃってほしいです(笑)。

投稿: リウ | 2013年10月24日 (木) 13時59分

ついに私も録画してるのに、すっ飛ばしたい!状況です。(^◇^)

まだ、全然、見てません。見れてません。おいおい!

一応、今日休みですけど。明日仕事。水曜休み。どうなる、録画の溜まり地獄。

でも、犬とお昼寝を削ってまで、八重の桜を見る情熱が、、、、。すいません。リタイア寸前ですね。鹿鳴館の華か。遠いわーーーー。

投稿: ささ | 2013年10月28日 (月) 11時36分

弱音を吐いておりましたが、鹿鳴館の華、見ましたよ。義務感って、拘束力があるんですね。

まあ内容的には。まあまあ。山川大蔵が、浩くんになっても、実は過去を引きずりまくっている。とか。尚さんの遺筆は、山川大蔵に渡されました。ちーっとは、尚さんの事、気にかけていたらしいです。とってつけた気もするけどさ。(笑)

捨松と大山中将との結婚に八重さんをうまく絡めました。初回の赤熊の八重さんに撃たれてずっこけたのが、今回、いきました。とってつけた感もあったけど。腕相撲も、賛否はあるかもですね。

来週は襄の遺言とか。襄、出番、短かったなあ。龍馬伝、録画が、まだ溜まったままです。www.

投稿: ささ | 2013年10月28日 (月) 21時58分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

エッ、もうジョーが死んじゃうんですか、って、かなり早死にでしたもんね。 当たり前か。 早く見なくちゃ(だからねぇ…笑)。

なんか、予告編で、八重が親のかたきみたいな顔をして(かたきだけど…笑)大山巌と腕相撲をしてるのを見て、なんだかなァ…とか。 思っちゃったんですよね。 やるのはいいけど、大河でやるには後日談的なポジションだろう、とか。

ここ数回の 「八重」 のささ様のご報告を読んでいると、なんかその、「後日談」 という感覚が、とてもするんですよ。
やはり鶴ヶ城落城をクライマックスに持っていってあとは1か月くらいで同志社やって、という配分がよろしかったような気がいたします(くどい)。

私もここんところ、つーか去年あたりからずっと、男ゴロシ録画たまり地獄にはまっておりますです(爆)。

投稿: リウ | 2013年10月29日 (火) 12時15分

なぜか視聴率も悪かったようで。(笑)

だって、山川家の縁談に絡む為に、大学創設の陳情に便乗ですよ!オイ、オイ!

で、腕相撲ですが。反町さんが、多分、大山巌がロートルだから仕方ないのででしょうが、かつての反町さんの輝きがないんです!(笑)だから八重さんとの腕相撲もありなんでしょう。てことは、演技なの?やっぱり。(笑)

年取って、吉川さんみたいに輝きが増す人もいるんですけど。

後、山川大蔵の、過去を悔いてる姿のとってつけた感というかわざとらしさというか。

だいたい、玉鉄と反町が同格って、ありえないでしょ!本来!でも、画面上そう見えてしまうのが、ちょっと、寂しいです。

では、これにておやすみなさいませ。

投稿: ささ | 2013年10月29日 (火) 22時23分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

視聴率が悪いのもむべなるかな、裏番組が 「楽天のマー君日本シリーズでも大活躍」 ですから。

反町サンに輝きがないのは、たぶんお飼いになっている犬の件で裁判沙汰みたいになってるからではないかと(違うか…笑)。 この人はもっとドラマで起用されてもいい人ではないかと、私なんかは思うんですけど。

オープニングのクレジットタイトルでは、かろうじてオーラスに控えることもある反町サンなのですから、大作にどんどん起用してほしいですね、ドラマ制作者のかたには。

しっかし 「八重」 見てるヒマないなァ(橋本愛チャンのドラマ見るヒマあんのに)。

投稿: リウ | 2013年10月30日 (水) 12時55分

そうですね。演技で尖っていては、ワンちゃんの不始末は飼い主に問題あり!になりますからね。でも、どれだけ大きなマンションかは知りませんが、ドーベルマンは広〜い一軒家でのびのび規律正しく育てた方がいいですよ。すぐそばにご近所じゃ、ドーベルマンだって、ストレスだわ!

どこの子も飼い主にとってはいい子で、いたずらしても可愛いものですけど、他人様相手じゃ、近所迷惑ですよね。

反町さんは主役をはれるスターだったはずでは?もし、脇役でもいい、というなら、年相応の演技を磨かないと!木村拓哉より悲惨になりそうで。松嶋菜々子の旦那ってだけで、世間は足を引っ張りたくなるんですから。(笑)

私としては、反町さんには、質の高い作品で、小手先じゃない、どっしりとした演技をして欲しいです。少女漫画みたいなシチュエーションでの演技ではなくて。(笑)不器用なら不器用なりに、武骨な演技で輝いてほしいですね。

ではでは。龍馬伝、まだ、見れてないです。たまる一方だわ〜。

投稿: ささ | 2013年10月30日 (水) 13時34分

>視聴率
裏番を考えれば「清盛」だったら1桁でしたね。もっとも「清盛」は、この時期からラストに向けて最後の盛り上がりを見せていったの対して本作は…。腕相撲って「清盛」の双六にあやかったのでしょうか。キャラの掘り下げ度が段違いなんですが。いっそ本物の相撲だったら良かったかも?

>山川大蔵の過去を悔いてる姿のとってつけた感
見ていて気の毒になってきました。史実でも尚之助切り捨ての主犯各だったのかもしれませんが、彼自身も自分の栄達以上に会津出身者の支援に奔走し続け50過ぎで早死にしたらしいです。
むしろ婿として迎えながら何もしない自分達をしれっと取り繕ってリッチな生活をしてる山本兄妹アゲのため貶められてるような…。

>年取って、吉川さんみたいに輝きが増す人もいるんですけど。
>年相応の演技を磨かないと!木村拓哉より悲惨になりそう
「はぐれ刑事」で藤田まこと氏と名コンビだった島田順司氏は若い頃は「新撰組血風録」「燃えよ剣」など沖田総司役の代名詞だったりする…。

投稿: 巨炎 | 2013年10月30日 (水) 14時58分

清盛とゴッシーの双六は、もう、消えかけてる命火で、必死に耐えてる重盛という清盛の唯一の清らかさを、踏みにじる事で清盛を暗黒面に引きずりこむという、ゴッシーの究極のライアーゲームでして!もう視聴率なんぞ、黒く塗りつぶしておりましたわ。(笑)

今作で足りないのは狂言回しになる人がいない事かな。皆、真面目でして。(笑)リア王か、リチャード3世みたいだった終盤の清盛くんと比べるのは。ちょっと土俵が違うと思います。(笑)

勘違い娘の、ゴーリキーちゃんとか、天使の新島襄とかはいますけど。物語に深みを与える程じゃないですね。(笑)

山本兄妹の反省が足りない?まあ、でも、兄様は薩摩に捕らえられていたし、八重さんも戦後しばらくは米沢?か何処かで、苦労してたみたいだし。(笑)みねちゃんの幸せを願って、ひっそりと、会津で、ずっと苦労したうらさんとかの存在の前では、足りないのかもしれないけど。少女漫画展開が、うらさんの苦労を思うと確かにむかつくけど。(笑)

多分、もう、ドラマも終わり支度だと思うんで。会津落城までがハイライトだったなあ!小泉くんの慶喜がすっごくリアルで、良かった!ご家訓にがんじがらめの容保を演じた、綾野くんも!綾野くんは、浅野内匠頭も似合うと思いました。(笑)

でも、このドラマの主役は八重さんでした。鵺と呼ばれても可愛い綾瀬はるかさん。ドラマの展開より、彼女の可憐さが、この大河ドラマの一年間の主題であったのだと思います。(笑)そのあたりは、堀北真希ちゃんの梅ちゃん先生と似た感じかもしれません。(笑)


投稿: ささ | 2013年10月30日 (水) 20時33分

ささ様、巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 一括して返信してしまいますが、失礼の段お許しくださいまし。

早くもコメント欄では秋風が(いや、早くないか、もう冬だし…笑)吹いてさびしい限りですが(ハハ…)、もう総括ですかぁ~っささ様!(笑)。

八重、という人物が、新島襄の妻であったことが、このドラマの方向性を迷走させた、とも考えられるような気がします。

このドラマって、福島支援の目的を離れては、求心力を失うような題材に手をつけている、と思われるんですよ。

なまじ同志社の創立者と関わっているために、それを、戊辰戦争で負けたことから這い上がる、「震災による痛手からの回復」 というカテゴリにあてはめて描こうとした、けれど、それにはかなり周到な用意がドラマ的に必要だった。

でも結果的に、負けいくさのけじめをきちんとつけているように思えるのは、西南戦争で戦死した佐川官兵衛くらいかもしれない。 ドラマを見てるとそう感じる。 山本覚馬も、八重も、その点では、過去に意識的に目をつぶって未来だけを見よう見ようと意地になっている感覚がする。 教育によって子供たちの未来をよくしよう、という目的って、確かに理にかなっているけれども、ドラマ的なオトシマエという点では、けっして説得力の伴った話にまで消化しきれない恨みというものが残る気がするんですよ。

前にも返信で書いたのですが、でも我々って、過去にきっちりオトシマエをつけながら生きているのか、というと、けっしてそうじゃないと思う。

ただこれをドラマにしようとする場合、我々はそんな厳しい結論まで登場人物たちがたどり着かないと、とても不満に感じてしまう。

大石内蔵助は、昼行燈で終わっては、許されないんですよ、我々観客にとっては。

たとえば大石内蔵助が昼行燈で終わったとしても、それは赤穂浪士の面々の命を結果的に助けた、という意義もそこからは見い出せる。 でも我々は、それを許さないんですよ。 日和見主義で終わりなのか、とか、流れに棹さしてそのまんまか、とか。

八重が新島襄と一緒になったということは、負け戦を克服するためのステージがそこで与えられた、と考えられそうなもんなんですが、作り手はそれをドラマとして消化しきれなかった。 とってつけた感がいつまでもぬぐいきれないのは、そんなところに原因があるんじゃないでしょうか。

でもまだ分かりませんよ、まだ1カ月あるわけだし(笑)。

でもドラマを見る情熱というものはすでに醒めてしまっているハシモトではございますが(シーマセン…)。

せっかくのご当地大河でしたが、会津を離れたら急に興味がなくなった…(ハハ、ハハ)。

投稿: リウ | 2013年10月31日 (木) 09時45分

今年の大河は綾瀬はるかさんが主役なのと、脚本家が、決まっていて、本来は別のお話だったようなのを、震災復興の大河ということで、急遽(大河の場合さいていでも、2年くらい準備がいるようだし)八重の桜になったみたいだから、脚本家の方も難しいだろうなとは思います。準備期間があまりないようだから、東北出身の人物を、NHKが候補として、探しだしたのでは?

でも、八重さんは、歴史上、世間的には、会津の八重さんより、新島襄夫人の八重さんだもの。(笑)捨松が大山夫人であるように。だから、同志社、新島襄の夢を一緒に叶えるのを、戦後の生き方にするしかない。江ちゃんのように篤姫終了から話が決まっていて、準備期間があったのに散々なドラマもございますが。(笑)

八重さんも、過去は変えられないが未来は変えられる!と度々、言ってます。(笑)

これが、メッセージなのかな?

そういう意味では、これからの一ヶ月が怒涛のように、加速度的に面白くなる可能性も!未来は変えられるのだから(笑)

投稿: ささ | 2013年11月 1日 (金) 07時53分

リウ様

「八重の桜」綾瀬はるかちゃんが好きなので、一応視聴し続けていますが、やはり会津城での戦いがピークだったというのは確かですね。

ドラマ的には会津が負けてしまった状態で終わるわけにはいかないですから、その後を粛々と描いているといったところなのでしょうか?

ただ、いま感じているのは新島襄との部分が長すぎたのではないかということ。同志社の宣伝になっても問題だし、いろいろ気遣いしなくてはいけない部分が多いせいか、中途半端なドラマになってしまったような気がします。そのせいで学園ドラマ風に展開しちゃってるのでは?

むしろ、「日本のナイチンゲール」と呼ばれた看護士時代をもう少し描いた方が良かったような気がします(これから描かれるのかどうかは不明ですが・・)
ただそうなると、はるかちゃんの老けメーク
の期間が長くなるから。。これも大変だったのかな?? なーんてね。

ドラマも残すところ後1ヶ月くらいでしょうか。最後までなんとか見ようと思ってます。

投稿: rabi | 2013年11月 2日 (土) 10時28分

ささ様、rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。 また一括で返信してしまいますが、失礼の段なにとぞお許しいたただきたいと存じます。

このところ車が使えなくて電車通勤をしている私、クタクタでございます(笑)。 やっとの連休もレビュー書きにまで至るかどうかはおぼつきません(ハハ…)。

「八重」 が決まった経緯をささ様から教えてもらって、それじゃーしょーがないな、と。 「白虎隊」 ででもやりゃよかったのに、と思ってたら、綾瀬サン主役が先に決まっていたって。 八重をやる以上、新島襄は外せないし…。

ところが今度はrabi様から、「ナイチンゲール時代をメインに据えれば…」 とのご提案。 このコメントのやり取りをNHKスタッフに閲覧してもらいたいくらいの妙案だと思いましたsmile

八重が確か昭和時代まで生きた人物だった、ということは、明治維新の方向性についての評論をできるレベルなのではないか、と私などは考えるのですが、そうすることで鶴ヶ城落城までのクライマックスを生かせる、ドラマとしてのトータル性が打ち出せるのではないかと感じます。

ただ、以前にもコメント欄で書きましたが、このドラマの冒頭でアメリカの南北戦争を持ってきた、ということは、ドラマのトータルな方向性として、「内乱」 ということをテーマに据えたかったのではないか、と。
そう考えた場合、アメリカに渡った新島襄の思想に、「内乱」 に対するある程度の影響をドラマのなかで示さなければいけない必要性を感じます。

ところが「西南戦争」 の回では、襄は単なる傍観者でしかなかった。
過ちを繰り返さないために教育に力を入れよう、という意思が示されたにしろ、です。

これから日本は日清日露戦争という出来事によって、不平等条約によって世界に放り出された劣等感を克服する高揚感に包まれていくわけですが、そのなかで八重が、どうやって 「我モノ申す」 という存在感を示していけるのか。

そこに注目ですが、こんなとこで論じてないでとっとと見ろってのこの男は(爆)。

それにしてもrabi様、「ハードナッツ!」 のレビューでコメントお待ちしてましたのに(笑)。 rabi様がご覧になっているから書いたんですよアレ(笑)。 いや、恩着せがましいか(スイマセン)coldsweats01

投稿: リウ | 2013年11月 2日 (土) 14時30分

リウ様

そうそう、「八重の桜」は南北戦争が冒頭にあったのでした。最初、「なんじゃ、こりゃ?」と思い、どこかでこのシーンにつながる部分があるかと見てましたが、私には全然わかりませんでした。(^-^;

「ハードナッツ!」。。う〜ん、私は見てないですね。。「ハニートラップ」と間違われてるかも??

「ハニートラップ」、すごいメンツを集めてるんだけど、ストーリー的にはなんだかなあって感じです。
深夜帯に、これだけのキャスティングするって。。この資金はどこから??とか考えちゃったりしてます。

「ハードナッツ!」は日曜の夜ですね。
また、見てみますね〜。

投稿: rabi | 2013年11月 3日 (日) 09時59分

rabi様
レス下さり、ありがとうございます。

いやいやいやいや、甚だしいカンチガイをしておりました。 さぞ困惑されてしまったことでしょう。 平謝りですwobbly。 「ハ」しか合ってない(笑)。

「ハ」ニートラップ(笑)、確かにメンツがすごいですね。 どうして見ようと思わなかったのかな。 たぶん主演がエグザイルサンだったからだと思う(笑)。

「ハードナッツ!」 は、そのフジテレビサンが好きそうな題材なんですよ、「ビブリア」 とか 「鍵のかかった部屋」 とかみたいな、まあ要するに 「湯けむり探偵」 系の、警察部外者が推理するというドラマのひとつ。 でもちっともヤッツケに見えない、というのは、やはりNHKの底力なのでしょうか。 まあ、橋本愛サンへの興味だけで見ておりますが(笑)。

今回はゴメンナサイ、でした!

投稿: リウ | 2013年11月 3日 (日) 12時59分

今日は最初から、うるうる。天使の襄が。

神が創り賜うた世界は美しい。新島襄にこの言葉を言わせただけで、今日は合格!

㐮の遺言は史実どおり。他のお話は蛇足として。

八重さん、尚さんにも、新島襄にも、命かけて愛されて、幸せだなあ。

尚、まだ、今週では㐮は死んでないです。(笑)

投稿: ささ | 2013年11月 3日 (日) 18時50分

最初、欧州旅行中の㐮が倒れながら、蒼い月の光に、神の創り賜うた世界は美しい。と言うのです。本来、世界は美しいのです。これだけで、泣けてきたけど、更に彼は祈るのです。自分の死気を感じとって。日本の国のため、同志社を大学にする為に、そして家族のために。彼には、官軍も賊軍も、政権も、宣教師団体からの圧力も、ないのです。そういう私心に縛られていない天使さんが、でも、切に祈っている。そのドラマの導入だけで、彼の人生、ライフである同志社に、徴兵令をぶつけてきた、山県有朋が俗っぽくて嫌〜な奴に見えてきたです。(笑)伊藤博文も!(笑)先週の、東大は優秀な官僚を育てよ!伊藤さん率直すぎです!で、徴兵免除は官立大だけなのね。(笑)

その後、時枝さんの不貞問題の相手であろう青年がやってきたり、女学校でのごたごたとか。そのあたりは私は割愛します。

襄の遺言。史実だそうです。彼にとって、神が結びつけてくれた妻。八重さん。襄の遺言は深い愛情があふれていました。

ドラマとしては、もう、おまけ的な展開ですが、でも、今日は満足です。(笑)

襄のライフは私のライフ。新島襄が亡くなった後、史実の八重さんは同志社と疎遠になっていくらしいですが、赤十字で看護婦になって、今度は看護婦で勲章!ナイチンゲールな八重さんをやる時間、あるのかしら?(笑)

投稿: ささ | 2013年11月 3日 (日) 22時16分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ついにこのコメントがこの記事での最後になる日がやってまいりました(笑)。 新しいレビューを書きましたよ、よーやく(笑)。 しかしここの欄で書いていることの重複ばかりで(ハハ…)。

そこで書いてなかったことを書きますけど、ささ様の話によると、襄の死後、同志社と八重は疎遠になっていくとのこと。 なんか複雑な感想を抱きますね。

つまり新島襄は同志社設立の主体者で、アメリカのなんとかボードとかいう団体の存在というのは私も今回初めて知った。 襄がいなくなると、そっちの力がある外国人教師のほうが幅をきかせていった、ということになるのでしょうかね。 そうなると八重の同志社における存在価値というものがますます意味がないものに思えてきてしまう。 同志社にとっては、いつまでたっても 「鵺」 だということになる。 襄でさえ 「ただの名前だけの校長」 なんですもんね、出資者にとっては。

鹿鳴館の華になった捨松にしても、私が学校で教わったときに、鹿鳴館というのは、日本が近代化をしている、ということの外国に対する 「稚拙なデモンストレーション」 というイメージで刷り込まれているので、ここで会津人の面目躍如、というような感想を、ドラマを見て思えないんですよ。

新しいレビューにも書きましたが、難しい題材ですよね、コレ。

投稿: リウ | 2013年11月 3日 (日) 23時40分

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