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2013年9月29日 (日)

「あまちゃん」 最終回まで見て(「あさイチ」 プレミアムトークの感想もあるよ)

 場当たり的で、下品。

 このドラマに対するネガティヴな評価というのは、まずこんなところが大きな柱ではなかったろうか、という気がします。
 クドカンのドラマに特徴的であるように、NHKということで多少のブレーキはかかっているとはいうものの、登場人物たちは概して口が悪く、気難しがり屋の視聴者にとっては笑えないマニアックなギャグが飛び出す。 さらにその語り口の強引さで、まあ多少は大目にみてよ、という部分まで、透けて見えてしまう。

 でも、私はこのドラマの 「東北復興、元気を取り戻す」 という大目的という点において、その役目はじゅうぶん果たされた、と感じます。

 このドラマって、見てるとこちらが元気が出る作りになっている。
 タイトルバックからしてそうで、あの 「徒競走」 みたいなテーマ曲と同時に、ヒロインの能年玲奈チャンがはじけるようにジャンプする。 このオープニングのインパクトは、歴代の朝ドラのなかでは比較的秀逸な部類に入るのではないでしょうか。
 私は夜勤ですからあまりその恩恵は受けなかったんですが(笑)、あれを見て会社に行く、という行動パターンだったら、すごくカタパルトみたいなタイトルバックだったと思うんですよ。 元気に仕事に飛び出して行けそうな。

 しかも本編は、基本的に暗くなりようがないでしょ。
 いくら登場人物たちが悩んでたって、どこかに茶々が入るような作りになっているし。
 重たい場合は、「重たい」 と念を押されるし(笑)。

 で、ドラマ自体が、AKBとかのパロディやら1980年代へのオマージュやら、とにかくごった煮で、すなわち 「お祭り騒ぎ」 なんですよ。
 これをマスコミが追い打ちをかけるように、このドラマをブームにしようと乗っかり、お祭り騒ぎは雪だるま式に膨れ上がっていった。

 確かに作品の質を考えた場合、そんなに評価されるほどの出来か、というとけっしてそうではない。
 だから騒がれかたが大きくなるに従って、却って醒めてしまう見かたもあると思います。

 でも私の場合、物語の整合性とか浅薄の度とかに関わらず、このドラマにはしょっちゅう笑わせられたし、見ていて基本、楽しかった。 私はたまに固め見するのが常だから、かなり話によってはしんどくなって、視聴をやめてしまうことが朝ドラの場合、結構ある。 でも今回の朝ドラは基本それがなくて、見始めると次も次も、という感じで見れちゃった。
 結果的にこの 「あまちゃん」 は、「カーネーション」 以来、ズブンが完走した朝ドラの一員に名を連ねることができました。

 だってなにしろ、1回につき15分とはいえ、これが週6で150回以上続くんですよ。 脚本家にとってはまさに、自らの力量が試される場である、と言っていい。 これを最初から最後まで徹頭徹尾、緻密な物語を構築できるっていうのは、まさに神業に近い、って私は思うんです。

 最終回まで見て抱いた感想というのは、かつてこのブログで書いた数少ないレビューのなかのひとつに書いたとおりになってしまった気がします。

 いわく、
 なんだかんだと迷う前に、やりたいことをやっちまえばいいじゃないか、と。

 「あまちゃん」 というのは海女ちゃんであると同時に、人生の甘ちゃんでもある、という思想は明確に伝わってきたのですが、「甘ちゃん上等!甘ちゃんでなにが悪い?甘ちゃんだからこそ、生きていく力が生まれるものなんだ」 という、クドカンサンの主張も感じ取ることができました。

 つまり、「グダグダ考える前に跳んでしまえ」、という、半ば強引な人生の生き方のすすめ。
 このドラマは、「昔の自分を乗り越える」、という課題を、登場人物たちが背負っている。
 それは主人公アキの母親、春子(小泉今日子サン)や夏ばっぱ(宮本信子サン)はもとより、アキの父親正宗(尾見としのりサン)、アキの親友ユイ(橋本愛サン)、大吉クン(杉本哲太サン)とかあんべチャン(片桐はいりサン)、太巻P(古田新太サン)や鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子サン)にとっても共通の課題だった。
 アキにとっても、東京でのチョー暗かった自分を克服するためのステージとして、北三陸があったことは論を待たないのですが、しかし彼女はかなりのスピードで、それを克服していってしまいます。
 それは彼女が、三陸訛り、という自分の変身ツールを身につけたからである、というのは以前のレビューで指摘したのですが、それにしても早すぎる。
 でもそれは、彼女が望んでいたことだったから。
 以前の自分をリセットできる場所を、彼女が得たということだから。

 海女から素潜りの南部ダイバー、そして地元系アイドルへと、その衣を早変わりのごとく脱ぎ捨て着替えていったアキは、朝ドラ視聴者の小姑的な目線をよそに、みずみずしく泳いでいったような気がするのです。

 ここで興味深いのは、当の能年玲奈チャンが、実は登場した当時から、ほとんどみずみずしい気持ちを失っていない、ということ。

 私が彼女を見た最初は、「今夜も生でさだまさし」 に 「今度の朝ドラのヒロインです」 ということで登場した時でした。
 「北の海女」 の格好をして入ってきたはいいものの、もうなんか、すごく影が薄くて(笑)。 おまけになんかオドオドして、挙動不審(笑)。 別の話に夢中になるさだサンを尻目に全く会話に入ってこれず、なんかいるのかいないのか分かんないうちにそのまま退場してしまって(笑)。 今にも消え入りそうなキャラクターだった。
 それがですよ、今回先週の 「あさイチ」 も併せて見たんですが、プレミアムトークに登場した彼女、相変わらずキョドってるし(笑)、有働アナウンサーのツッコミに時折り言葉を失ってしまうほどのナイーヴさも健在していて。 「なんだ、『生さだ』 のときと変わんないじゃん」 って(笑)。

 これを演じているのではなく、素のままでやってるとしたら、彼女は相当すごい。 いや、この素人っぽさを演じているのだとしたら、そちらのほうがすごいことですけど(笑)。
 つまり能年玲奈チャンって、上野樹里チャンとかが持っている、女優特有の不思議感覚の持ち主である、そんな気がする。
 これってちょっと道を間違えてしまうと、ただの変わり者に陥ってしまう可能性が非常に高くて。
 「あさイチ」 のなかで宮本信子サンが、能年玲奈チャンはそのパターンに陥らなかった希有なケースであることを図らずも吐露していたような気がするのですが、でもこの先も、彼女にはその危険性が、常に付きまとっている気がするのです。

 「あさイチ」 では、「家では生ゴミみたい」 と自分のことを言っていた彼女ですが(笑)、イノッチや有働サンの質問にいちいち考えこんでしまってスパッと回答できないのって、「生ゴミ抜け切ってないんじゃ?」 みたいな(笑)。
 でもそれは、真摯さの裏返し。
 このインタビューでミソがついてしまったのが、またもや有働アナだったというオチまでついて(笑)。 「有働テメー、アキちゃんが怖がってるじゃねーかよ、いじめんなよ」 みたいな(笑)。

 でも、最終回まで見たアキは、そんな本人のナイーヴさとは裏腹に、自分を表現する場を与えてもらったうれしさで、泳ぎまわっていた。
 彼女がこのドラマの続編を強く希望している(そしてキョンキョンにそれをたしなめられたらしい…笑)、というニュースも小耳にはさんだのですが、おそらくそれも、ナイーヴな彼女の 「居心地のいい場所を失いたくない」、という気持ちから発生しているのでは、と感じる。
 あさイチでは、このドラマは自分にとって 「基盤」 だ、と答えてました。
 そしてその意味をさらに尋ねる有働アナ(笑)。
 「基盤」 ったら 「基盤」 だろがよッ!みたいな質問、つーか(笑)。

 話を戻しますが、アキがどんどんと自分の夢を叶えていく、という過程は、そりゃ現実味には程遠い。
 夢というのはたいてい叶わないのが常で、ましてや人気アイドルになるとかテレビに出るとか、かなり確率の低い話です。
 そこをこのドラマでは、春子と太巻の関係性をクローズアップさせることで、その実現性の低さを克服している。
 そしてそこに、アキの親世代が抱えている、「過去の自分を乗り越える」 というテーマを絡めさせたところが、このドラマが私たちのような中年世代にも受け入れられた、大きなファクターとなった気もします。

 このお話の後半を見ていて特に興味深かったのは、時折り現れる、若き日の春子(有村架純チャン)の幻影。 これが現在の春子が乗り越えるべきものだった、という結論に達したのが、最終週でした。 と同時に、それは鈴鹿ひろ美が乗り越えるべき存在でもあった。 この描きかたも見事だったと思います。

 もともとですよ、じっさいの話をさせてもらえば、歌唱力という点では、小泉今日子サンと薬師丸ひろ子サンって、ドラマとは逆だと思うんですよ。 薬師丸サンは確か、合唱部に入っていただけあって、キョンキョンのアイドル然とした歌い方に対して、かなり歌がうまかった。 口を大きく開けて歌うし、お腹から声を出してる感じだし。 うますぎて、その少々声楽家みたいな歌いかたが、かえってアイドルっぽくなかった印象が、私なんかはあります。
 それが、キョンキョンが薬師丸サンに歌唱指導、ですからね(笑)。 私なんかから言わせると、「逆だろ、逆!」 みたいな(ハハ…)。

 ドラマのクライマックスでは、鈴鹿ひろ美が音痴だったのかそうでなかったのかの結論を、うやむやにしたまんまで終わりましたが、彼女が薬師丸ひろ子サンに戻って歌っているかのようだった、劇中歌 「潮騒のメモリー」。
 最初聞いたときは、かなりオチャラケた、遊び半分の歌だと感じたのですが(特にラストの 「好きよ、嫌いよ」 は、まんま聖子チャンの 「小麦色のマーメイド」 でしたからね…笑)、この歌詞のなかで 「寄せては返す波」 とか 「三途の川」 とかの言葉を、震災後のイメージの変化と結びつけたくだりは、「ここまで計算していたのか」、という感じでした。
 最終週、鈴鹿ひろ美が歌詞を変えたその言葉は、アキ、春子、夏ばっぱに向かったメッセージに昇華した。 それはドラマとしてのカタルシスを呼び込む大きな要因になった気がします。 

 それにしてもじっさいこのドラマでは、実に些細なことまで、回想シーンが頻繁に使用されていた印象があります。
 これってつまり、クドカンサンが、原稿をとてもトータルに読み返しながら、あるいはキモとなるセリフを抽出しながら台本を書き進めていたことの証左なのではないかな、と思う。
 思ったより計算高いな、という感じ(笑)。

 その、キモとなるセリフにしても同様で。
 見ていてかなり、ハッとするセリフにぶち当たるんですよ、このドラマ。
 それがあまりに多すぎて却って記憶に残ってない、アホな筆者ですが(ハハ…)、その全体的なイメージを思い出すと、やはり 「グダグダ考えてないで、こうと決めたらやるんだよ!」 みたいな 「思い切り」 を促すものだった気がします。

 これは、何でもかんでも好き勝手やっていいんだ、という意味でないことは自明です。
 これは、引っ込み思案な人に対するハッパなんですよ。
 まず一歩踏み出してみる。 考えるのは、それからだ。
 これは、夏ばっぱが海に潜るアキに対して言ったセリフにあったような気がします(たぶん…笑)。
 アキがユイに向かって放った一言にも、それが表れていた気がする。 「アイドルなんて、ダセーのは分かってた。 ダセーくらい我慢しろよ!」 みたいな(うろ覚えでスミマセン)。
 ウジウジ考えててもしょうがない。 まずはやってみろよ、と。

 そしてそれがたとえ、世の人々の不興を買うことでも、やってみなきゃ分かんないだろう、と。

 この物語の最終回、アキはユイに誘われて、未だ開通していない、北三陸線のトンネルをくぐり抜けていきます。
 これってとても感動的なシーンである、と同時に、安全面からいうと、とてもほめられた行為じゃない。
 でも。

 分別とかを諭すのは、大人の役割であって。

 結局この物語が、もし戦っているとしたら、そんな世間の、あまりに分別がつき過ぎた、管理されすぎた事なかれ的な考え方に対してではなかったろうか?という気も、してきます。

 それを言い出したら、暑いのでアイスケースに入ってみましたとか、やってみなきゃ分かんないだろう、という論理に結び付いてしまいそうですけど、バカじゃなければそこまで考えんだろう、と(笑)。 そんなことも分かんないバカも、確かに多いけど(笑)。

 でも、バカが全世界発信になっちゃうから怖い、というのもあるし。

 なんの話をしとるのだ(笑)。

 あと、ユイちゃんが地震のあとにトンネルを抜けて見てしまったものについても、考えたい。
 彼女は潮騒のメモリーズを再結成することを頑なに拒絶し続けたわけですが、やはりそれは、彼女が修学旅行でさえ行くことの叶わなかった東京に、初めて行く、という日に出会った出来事の大きさが、そうさせたのだと感じます。
 ほかの日ではなく、あろうことかその日に出会ったその災厄。
 彼女が見たのは、「お前は東京に来るな」 とばかりに無残に引きちぎられたレールと、そして瓦礫だけでなく、犠牲者の姿だったのではないか、という気がする。
 それは、運命が彼女に突きつけた、「お前はアイドルになってはならない」 というメッセージのように、彼女はとらえた気がする。

 この物語後半の、大震災からの復興編に対して、主にヤフーの星イチ批判者たちは格好のエサを見つけたみたいでしたが、みんな三陸に集まってくるのにどうのこうのって、当たり前でしょ、みたいな。
 それだけ、みんな何かをしようと思って集まってくるのだから。
 アキが海女カフェの再建を口にするのだって、なんとか元気を取り戻そう、という気持ちの表れであって、けっして自分勝手で言ってるわけじゃないし。
 メガネ会計ババア(木野花サン)の家が流されて、海女カフェのほうが先かよ、という話だって、確かに劇中でもあった。
 でも、オチャラケているようなふりをしながら、ノーテンキに笑っているふりをしながら、みんな心に、大きな傷を抱えている。
 けれどもたとえどんなに悲しくても、みんな笑おうとしているんですよ。
 それがどれだけ尊いことか。

 悲しいから悲しい顔をするのは、簡単です。
 でも、悲しい時に笑おうとするからこそ、人は自分の人生の意味に気付いていくものなんじゃないでしょうかね。

 その点で、特に物語の終盤では、大吉サンには泣かされましたね。 北鉄の復旧が決まってあいさつに立った時に感極まるところとか、あんべチャンに求婚を申し込むところとか。
 たまりにたまっていたものが溢れ出すから、それが私を泣かせるんでしょうね。

 ユイが潮騒のメモリーズ再結成を決断したのも、いわゆる震災復興という、ありがちなボランティアという動機ではなかったことにも、着目します。
 つまり、まずは自分が、輝くこと。
 自分が輝くことによって、まわりの人々も元気になっていく。
 それをユイは、アキの姿から気付かされていった、という話の進め方も、よかった気がします。

 結局ストーブさん(小池徹平クン)だけが、物語的に成就したものがなかった感じですけど(笑)。 ミズタク(松田龍平クン)は、思わぬところで思わぬことが成就したつー感じでしたが(笑)。

 このお話の屋台骨を支えたのが夏ばっぱだったことは明白ですが、夏ばっぱには、引退せずに最後まで現役で潜ってもらいたい気がしますよね。

 さて、もう書くこともなくなってきた気がします。

 このお祭り騒ぎが終わってしまったことは、とてもさびしいですね。 夏の名残りに、キンモクセイの匂いを嗅ぐようで。
 最後まで、単純に、面白かったです、このドラマ。 笑わせてもらいました。 ありがとうです。

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コメント

リウさん、おはようございます。お久です。
仕事で見れない日は録画までした
「あまちゃん」でした。
能年ちゃん、デビュー時の大竹しのぶサンを
ほうふつとさせる、そう言ってる人がいますけど、そこらへん、いかがですか?

このところのNHKは、最終回に向けての盛り上がりがすごかった。「あさイチ」も「伝えてピカッチ」も能年ちゃん出して。
朝のローカルだって、あれですよ。
「おはようちゅうごく」のラストに
「じぇじぇじぇ!最終回ですよ」だって(笑
昨日の7時のニュースも久慈市が出たし。
もう「ごちそうさん」の番宣はどぉしたの。
・・ただ、関西ものって
コドモ時代から遡って伝えるドラマが多いけど、説明過多な気がするんですよね。子役の演技力を見せつけられるのが嫌だ、というか。少女からで十分なんですが。
ああ長くなっちゃいました。スミマセン。


私は醒めた部類でしたね(笑。

この作品は観る人を元気にさせようとするスタンスはありますが、過去編回想の年代、演出などの性質から見てもバブルへの回帰みたいな形なんですね。

世界名作劇場で言えば「ポリアンナ」(1986年)か。リウ様が、このシリーズでアイドルソングを起用した事への批判を述べていましたが実際には80年代も後半になってからの、この作品から。「あまちゃん」回想メインの84年頃は「カトリ」という地味な作品で視聴率低迷でシリーズ打ち切りの危機でした。ただ関西では関東に比べて、そこまで酷くなかった。「あまちゃん」は関東で20%に対して関西では17%と、この辺りに東西のスタンスの違いが見て取れます。

で、「ポリアンナ」は作中の「よかった探し」が流行語になり、アニメ誌の表紙を飾りでシリーズ立て直しに貢献しましたが、それも一時的な形。作品自体もシリーズを総括した現在では全体の中に埋もれる傾向。この辺りはまさに膨れてはじけるバブル。「あまちゃん」も数年後には「あの熱気がウソのよう」になる可能性が高いですね。作中でも芸能界でずっとやっていけるのはほんの数人みたいな事は言われているわけだし。

>「ごちそうさん」
時代モノということ自体を予告場面まで知りませんでした。子役と杏さんのインターバルが10年というのは最近のNHKでは珍しい。さて…。

リウ様
こんにちは。

早やっ!(笑)早速のレビュー、誠にありがとうございました。いちいち頷きながら、読ませていただきました。

私自身、朝ドラ完走したのは「カーネーション」が初めてで、「梅ちゃん先生」は実質2週間で離脱。「純と愛」は一応見ていたものの、これは「ゲゲゲの女房」のBS再放送のついでで観ていたのかもしれませんね(笑)。

で、「カーネーション」と「あまちゃん」。私にとっては近年の2大ハマった朝ドラでありましたが、その作品の風合いは全く違いました。まあ、当たり前ですが。
一口で言うと、「カーネーション」はテレビの枠を越えようとし、「あまちゃん」は、「テレビであることを究めようとしたんじゃないかと思います。

実際、あまちゃんの感想や突っ込みなどを、ツイッターやfacebookなどでやり取りしていると、不思議な、懐かしい感覚が呼び起こされることがありました。それは例えば、ドリフの話で盛り上がる月曜日朝の小学校の教室の記憶に近いものなのかもしれません。加藤ちゃんの「ちょっとだけよ」(年代がバレバレですが)のギャグに腹抱えて笑ったことを「語る」のはなく、友達と「分かち合い」たい。SNSで言うところの「シェア」ですね。私にとって、この番組には、そうした、ワクワクさせる成分が相当量含有されていたと思います。

無論、番組や作家の好き嫌いはあるでしょうし、私の場合、作中に仕込まれた小ネタが、嗜好的にも年代的にも、どストライクだったのもあります。けど、この「ワクワクさせる」というのは、かつてお茶の間の中心にテレビがドンと鎮座まします折に持っていた、最大の力だったのじゃないのでしょうか。

今年の初め、テレビ放送60周年の特番で、「ネット時代にテレビが果たすべき役割は?テレビは生き残れるのか」みたいな辛気臭い討論をやっていました。でも、「やればできるじゃん」と言うのが、半年間あまちゃんにハマった者としての正直な感想です。
やはり、作り手が本気出してることと、真剣に面白がること。これは、制作のベクトルは真逆かもしれないカーネーションにも共通して感じたことでありました。

それと、「ダサいくらい何だよ!我慢しろよ!」というアキの叫びは、私の胸にも突き刺さりましたなあ。
何しろこちとら「新人類」世代。音楽は「ニューウエーブ」、着る物は「DCブランド」、飲む処は「かふぇばあ」・・・・・・すいません、書いてて流石に恥ずかしくなりましたが(汗)。
ただ、我々の世代って、身の回りから「ダサいもの」を排除することで、己のアイデンティティを確かめる、みたいなところがあって(その反動としての「イッキ飲み」文化みたいなのもありましたがね)、だからこそ、アキのあのセリフには脳天をゲンノウで打ちつけられたようなインパクトがありました。

確かに、スナック梨明日に集う人たちも、GMTのアイドル達も、みなダサいんです。でも、「好きだからやってるダサいこと」の力強さに気付かされたドラマでもありましたね。

あみーご長嶋様
コメント下さり、ありがとうございます。

お久しぶりです…が、いち早くこの記事に反応してくださったあたり、いつもお越しいただいているものと勝手に思い込むことにいたします(笑)。

大竹しのぶサンですか~。 オボコ娘、という括りでは一緒かもしれないですねー(笑)。

ただ大竹サンの場合、デビュー当初からかなり演技のキモみたいなものをつかむのが得意だったような、そんな気がします(と言っても、「青春の門」「あゝ野麦峠」 のときの印象ですけど)。 出てきた当初から、いつも前に出る演技をする女優さんのように感じていました。

能年チャンは、どっちかっていうと、「あまちゃん」 ではまわりの個性的な人々に埋もれちゃいそうな感覚だったかな~。
ただ劇中劇の演技の使い分けとか、カンがいいな、という気はいたしましたね。

私は子役時代の挿入、というのは、ホンチャンの女優さんと子役との戦い、という点で面白いな~、と思っているほうです。
ただこれも、演出側が配分の仕方とかを間違えると、見てて苦痛になることは確かです(笑)。

…そういや、「ごちそうさん」 の影、薄いですねー(ハハ…)。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私はこのドラマ、文中でも引用させていただきましたが、「アイドルなんてダセーのは分かってた」 というアキの言葉で、そのバブル的な雰囲気を受け入れることが個人的にできたような気がするのです。

そうだ、GMTでもAKBでもいいけど、やってるパフォーマーも追っかけたちも、アイドルって、はた目から見るとかなりダセーことをやってる。
曲にしてもそうで、AKBなんかは秋元サンが男目線から書いた人生訓みたいなものを歌ってたりしてはいるけれど、どこかミーチャンハーチャン相手の子供だましみたいなことやってる。
「潮騒のメモリー」 も、クドカンサンがイメージしている、ダセーアイドルソングのひな型だと感じていました。 クドカンのどこか醒めた、突き放したような目線を感じたものです。
私がこのドラマのアイドル路線、バブリー路線をあまり懐疑的に視聴しなかったのは、ここらへんのシニカルな視点で納得させられていた部分があったような気がするのです。

このドラマは確かに出たとこ任せっぽい部分もあったし、強引すぎる展開もあったし、ギャグでごまかされていた部分もあったと思います。
また、以前に巨炎様がご指摘されていたように、アキが太陽、ユイが月、という括り方がしっくりこないところもあったかと思います。

ただ、このような勢いだけで突っ走るドラマを見て、元気になる人がいて、「北三陸、行ってみようかな」 という人々が続出したことは、それだけでもこのドラマの意味はあった、と考える次第です。

それと、個人的な思い入れで申し上げると、やはり薬師丸ひろ子サンや小泉今日子サンが、自分たちの80年代を総括しようという感覚で演技してらしたのが、このドラマに対する自分の気持ちを高揚させた一因であったような気もします。
薬師丸サン、好きでしたから、告白いたしますと(笑)。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

ハイ、すぐにアップいたしました。 だって 「ごちそうさん」 始まっちゃうし(笑)。 それに旬のものでしょう、こういう感想文って(笑)。 実は 「酔いどれ小藤次」 の感想文も書きかけているのですが、さすがにアップするタイミングを間違えて、出せなくなってしまいました(マヌケだし…笑)。 バブルのように消えてしまう私の感想文なんか、早めに出しといたほうがいいのです(自虐…笑)。

私の行きつけの 「哲学ニュース」 というサイトで、「70年代は今でもカッコイイと思えるが、80年代は今見てもダセーと感じる」 みたいな記事がございました。
私は80年代当時、Zai-Chen様がハマったように、DCブランドとかカフェバーには食指が伸びませんで、どちらかというと敵意を抱いておりました(あ、お気になさらずに…笑)。 パステルカラーとかネクラ排除ネアカ礼賛が嫌で嫌で(ネクラだったもんで…笑)。
でもそのこと抜きでも、今から見ても肩パッドとか濃い眉メイクとかワンレンボディコンとかテクノファッションとか、なんかエライ時代だったなぁ~という感じはします(ハハ…)。

ただ、敵意を抱いていたがために、今こうして80年代のシーンを振り返るこのようなドラマを見ると、そこに存在する自虐的な部分が、私自身にとって面白く感じてしまうのです。

これってカワイクナイ見かたですけどね(笑)。

巨炎様の返信にも書きましたが、80年代をシニカルに俯瞰している、クドカンサンの視点に、私は共感したのかもしれないです。

テレビというメディア自体は、全体的に疲弊していることは確かだと感じます。 特に民放なんかは。

でも最近の記事でも書いたけれど、NHKだけは、なんかすごく潤沢に感じる。 受信料もらい過ぎなんじゃないかとすら思う。
だからだろうと思うんですけど、今いちばんテレビ的にアグレッシヴなのは、NHKだと感じることが多いです。 いちばん見ててワクワクしますよ。

でもそれは、NHKが中身を重視ながら番組作りを行なってきた、今までの基盤があるからだと思う。
逆に、中身のないものを作り続けてきたツケが、今民放には降りかかっている気がする。 結局視聴率みたいな古い物差しにこだわってるスポンサーに、潰されているとも言える気がしますね。
NHKだってバブリーなことやってりゃ、そのうちアイデンティティーを失うことでしょう。

SNSとかサッパリ分かんないんですけど(笑)、小ネタで盛り上がれる、という楽しみは、確かにあった気がいたしますよね、このドラマ

リウ様
コメントありがとうございます。

いやいや、おがまいねぐ(笑)
私もどちらかと言えば、そうした80年代カルチャーは横目で眺めてた口なので。音楽にしても、根っ子はパンク。さらに遡れば70年代フォークだったりしますので。

ただ、当時バンドとかしていると、どうしても身の回りにはお洒落な人が多くてですね、DCブランドは触手を伸ばそうとしたが無理でした。体型的に(笑)。

当時流行ってた服って、大体ゆったり目に作っているので入るちゃあ入るのですが、やっぱりそういう服はそういう風に着ないと映えんのですよ。値段が高いだけで。

「ごちそうさん」。第1回だけ見ると、手堅く安定した朝ドラと言う感じでした。明治末期から物語が始まり、子役から始まる点。それと、人物配置などもどことなく「カーネーション」を思い出しますが、ただ、お母さんは随分しっかりもののようで。何てったって、中の人が、カーネの根岸先生ですからね。

Zai-Chen様
再コメ下さり、ありがとうございます。 返信が遅れましたが、出張…のせいではねぐ(笑)、帰って来てバタンキューで起きたらそのまま仕事に行ってたため(ハハ…)。

パンク小僧ということは、ビートルズなんかダッセー、旧世代の象徴みたいでしたでしょ(笑)。
私はどちらかというと、まあいまにして思えばどっちもトレンドだった気もするのですが、全共闘とか、世のなかの若いもんが気難しい顔をして論じあってた時代にあこがれていたもので。 それに対して80年代は、もう軽薄短小、思想的にスカスカで我慢できませんでした(笑)。

「ごちそうさん」、第2回まで見ましたが、主人公の女の子がモラル破りをしている点で、「ものを食らう物語」 としての業の深さまで描こうとしているのでは、と感じました。 …おっとこれは、来たるべきレビューのネタバレになってしまいますのでこの辺で…(笑)。

リウさま
おはようございます

いやいや(2度目ですな)。全然そんなことないですよ。ビートルズでは、「リヴォルバー」が一番好きなアルバムです。

私はそこまではないですが、身の回りには、かなりのビートルズフリークもおりますし、XTCなんていう、もろビートルズの影響下にあるバンドもいますしね。

当時、下げてたのは、ディープ・パープルとかですね。それまでは結構夢中で聴いてたのに、ある日ラジオで、渋谷陽一さんが「オールド・ウェーブだ」と斬って捨てた途端、嫌になってしまうという。ああ、軽薄だわ(笑)。

リウ様 Fクルーラーです。

 早々にレビューしていただいたのにずいぶん日にちが過ぎてしまいました。遅くなった原因のひとつは「あまちゃん」でして。録画を見始めたら止まらなくなり、随分と生活時間を削られております。おかげで「ごちそうさん」を見る暇がない(笑)。
 クドカン作品は初見でしたが、登場人物すべてにギャグをやらせるのが特徴なのでしょうか。またこのドラマでは個性的な方々が瞬発力のあるギャグを連発するので、飽きる暇がない。一回限りの前髪クネ男ですら鮮やかな印象を残していきましたね(山川健次郎とのギャップが。。。でも達者なものですね。)。特に北三陸側に変人で達者な方が揃っていたのが成功の要因の一つなのではと思います。(小池さん、タソガレ芝居が秀逸でした。)全体を通してクドカンさんの掌で転がされる快感があります。
 宮本さん小泉さん薬師丸さん尾美さん古田さんの紡ぎ出すメインストーリーは流石というところです(春子の花嫁姿を見たときの夏ばっぱの顔、最高でした)。
 こんな感じで書き出すと長くなるので端折りますが、クドカンさんの東北への愛情が十分伝わったのではないかと思います。大雑把に言えばアキはそれほど成長しない(させていない)のにみんなに愛されていく、というストーリーですが、アキ同様に東北も愛して下さい、というメッセージが感じられました。主眼は復興編でここから逆算して作ったのでしょうか。「三代前から」といい、はじめから結構細かいところまで決めてあったのではと思えます(「あの野郎さては最初っから決めてたな」というかつ枝さんの台詞はクドカンさんに向けたものでしょうね、考え過ぎか?)。「カーネーション」と比べる気は毛頭ありませんが、これも傑作という方に一票入れたいです。
 能年さん、サマーレスキューで視ていただけに、あのとんでもない愛くるしさに驚くばかりですが、どこまで意識して演じたのでしょうか。次回作の選択が大変でしょうね。 

「はつ恋」はリウ様が満足していただいた上で、レビューがあれば理解も感動も深まるよね、というとても身勝手な期待があったのは事実ですが(笑)、旬も過ぎておりますし(笑)、新作ドラマも沢山ありますから、今は視ていただければ幸い、というところです。結末も賛否両論ありましたし(笑)。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、遅れました。 ちょっと新しい記事のアップを優先させたかったので。 大変失礼いたしました。

「リボルバー」 をマイフェバリットに選ぶ人って、ソリッドなロックが好きな人が多いって、私は思ってるんですが、やっぱりなァ、と感じます。

いずれにしても、クドカンサンはチューボーの時分、アイドルよりもパンクロックに目覚めてたらしいですから、そうした小ネタも 「あまちゃん」 のなかにたくさん出てきてたように感じます。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

テレビも週刊誌も 「あまちゃん」「あまちゃん」 で 「あまちゃん」 推しばかりで少々辟易している今日この頃ですが(「あまロス」 という言葉にもウンザリ…)、おそらく年末の紅白がその、もっとも最大で最後のピークとなることでょう。 「ごちそうさん」 はそのわりを完全に食らった形ですね。

小池サンのたそがれ芝居、って、「ヒロシです…」 のところでしょうか? だとすると相当初期のころから録画を貯めに貯めていた、とか?(笑)。

なにしろ見始めたら止まんない、というのは当たっていて、私も軽~く見ているあいだに、このドラマのなかに潜んでいる重たいメッセージとかも忘れてしまって、ちょっとレビューのしどころを見失ってしまいそうになってしまってました。

笑っているうちに忘れちゃう、というのは、実はこのドラマに対して批判する人々の、危惧の柱になっているのではないか、という気もいたします。
でもこのドラマを見てると、海女の北限の地のウニ実演販売の場所に行ってみたいなという気にもなるし。 それが何より重要なことなのではないかな、と。

朝ドラで初めてのパターンだな、と思ったのは、ナレーションが夏ばっぱ、アキ、春子とバトンタッチされていくところ。 最後はもう、3人が入れ替わり立ち替わりでナレーションしてましたよね。

つまり夏ばっぱから、アキまでの3代をひっくるめたお話なんですよね。 ここらへんの括りかたでのトータル性を高めていく技術などは、さすがだな、と感じました。 クドカン、今回ばかりは、力を出し切ったな、と。

たしかに 「カーネーション」 のほうが評価するに足る大牙城であることは間違いないのですが、このような大衆受け、という面から見ても、「あまちゃん」 は評価するに足る作品であった、と思うのです。

リウ様、おはようございます。

本編が終了して一週間。
視聴者的には、演者総出演による紅白歌合戦のコーナーを待機するだけに
なりましたね。

「潮騒のメモリー」誰バージョンで歌わせる事でしょうね。
小泉、薬師丸ツートップの前では、潮騒のメモリーズも霞みそうですね。
それ位153話は、所謂「神回」でした。

ステージ上にアメ女、GMT5が歌い踊る場面を荒巻氏が、
審査員席上から両腕を組んで眺めている光景が、目に浮かびますね。
しかも両隣に、秋元 康とつんく.が同じ格好をしていたら大笑いです。
(友情出演:AKB&モー娘&モモクロの大所帯)

本年最後の宴、燃え尽きて欲しいものです。

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

たぶん紅白の 「潮騒のメモリー」 はシングル盤まで出したキョンキョンだと思うんですが、これを薬師丸サンとのリレーであるとか、お二人ともヒット曲をたくさんお持ちのかたですから、ついでにヒット曲メドレーをやっていただけると非常にうれしいところです。

M NOM様が 「神回」 と思える回があったのは、それは幸いでございました。 なんかこのレビュー、「あまちゃん」 に 「からちゃん」 だったM NOM様(あと巨炎様とか…)に悪いなーと思っていたんですが…。

ただヤフーのレビューで重箱の隅突っついているような人たちには結構反発を持って書いてますよね、確かに。

見なきゃいいんだけど、習慣性が強いから見ざるを得ない…。
罪作りなドラマです、朝ドラというのは。

リウ様 お邪魔いたします。書ききれなかったことも含めて。

 もちろん全話録画してありますよ、画質落として(笑)。「ヒロシってそんなに難しいですか(しかも2回)」というのも可笑しかったですが、例えばアキの誕生祝いに、ズブン先輩がサプライズで入ってきた瞬間のタソガレ方なんか、気に入ってます(これも何回か繰り返されてますね)。
 クールな橋本愛さん、キリッとしていてジャイアントロボに似ているなと思いましたが(笑)、無表情のようで時々ハッとさせられる時がありました。それにしてもユイの変顔メールは破壊力抜群でした(笑)。アキの変顔も凄まじい(笑)。泣けた場面でしたが。
 結構強引なところとか辻褄の合わないところとか、引くところも合ったんですけれど、ギャグと見所の多さで乗り切ってしまいましたね。
 最終回はナレーションなしでした。何というかこういう造りの工夫はクドカンさんとNHKのどちらが決めているのか。カーネーションの最終回を思い出すと、後者のような気がします。今作は毒入りギャグの得意なクドカンさんと制約の多いNHKがギリギリのところで(奇跡的に?)融合したものと思いますが。セリフの掛け合いといえば三谷幸喜さんを思い浮かべますが、「新撰組」では上手くいっていたのでしょうか(未見なので)。


ほんの少し小泉さんのナレがありました。
訂正します。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

録画を保存、という話題にちょっと敏感に反応してしまいますが、今回 「ちりとてちん」 が始まることで、ブルーレイディスクを買って保存しようかと思うのですが、イヤ~、なんかすごく安くなってますよね、ディスクの値段。 数年前までは、1枚2500円くらいしてたのに。

と同時に心配になり、同時にムカムカするのは、「どうしてディスク形式のデジタル映像・画像保存って、こんなにリスクが大きいんだっ!」 ということ。

私もDVD時代に100枚以上DVD-Rだか何だかを買ったのですが、もうかなりの確率で焼き付けに失敗したり、数年後見ようとしたら見られなかったりで。
しかも100枚録画保存する前に、レコーダーのほうがポシャっちゃうし(笑)。

アナログ時代に比べたら、あまりにもリスクが高すぎて、保存なんかしてられないっスよ。 これって商品としての体をなしてないですよね。

で、「新選組!」 ですが(笑)。
三谷作品としては、かなりマジメな部類でしたよ。 でもちゃんと笑わせてもらっていた気もするなァ。

ユイのヘン顔は、「女優生命が終わる」…、と思いました(爆)。

リウ様 お邪魔いたします。

 HD録画時代になって格段に便利になったのですけれど、DVD焼き付けは私も泣かされました。焼こうとして3、4枚続けてダメにしたこともありました。ネットで調べて、使用機器と相性のいいディスクメーカーのものを使うようになって改善されましたが、トラブル皆無とはいきませんでした。そもそも機械のくせに何だ「相性」って(笑)。DVD方式には何らかの欠陥があったのかもしれませんね。
三谷さんは「やっぱり猫が好き」を面白く視ていたのですが、深夜番組だからか、実名がバンバン出てきて、毒だらけでした。その後は洒落たコントの脚本家というイメージでしたが、大河をやるのはちょっと不思議で、今思えば何で視なかったのか。余談になりますが、その前年の日テレ「すいか」は視ました。小泉今日子さんが横領犯役で、片桐はいりさんが追いかける刑事役でした。(これは名作です。)
 「あまちゃん」第一回での東北弁字幕は、一瞬これやばいんじゃないのと思いつつ、面白かったのですが、今思えばここから毒に犯されていたのですね。(笑、こういうのは大河ではできなそう)。
 橋本愛さんはまだ若いのでこれからのことは分かりませんが、「あまちゃん」でポテンシャルを拡げたような気がします。今月下旬からNHKBSの探偵物ドラマで主役を張るようですが、さてどうなりますか(数学好きの変人という、また不思議キャラのようですね。)。

Fクルーラー様
レス下さり、ありがとうございます。

Fクルーラー様のお話って、DVD時代だけでした? 私は今回購入に当たってアマゾンの廉価版BDディスク(TDK)のカスタマーレビューなんかを読んだんですが、相変わらずDVDディスクと同じような録画エラーが多い、と感じました。

画像保存なんかにしてもそうで、特に外周部分に差し掛かるともうエラーの確率が高くなり(デジタルディスクって、内側から外側に記録されてるんですよね)、ヘタするとかつて保存していたものまで見られなくなってしまうていたらく。 おちおち写真保存もしてられない。 バックアップを取りなさいとか、ハァ?てなもんで。 ど~して2枚も同じものを作らにゃならんのだ、つーか。

特に私の場合、ダビング10とかない、古いDVDレコーダーだったので、もう1回こっきり。 1回ダビングするとHDDのなかのものが消えてしまう。 エラーが出るとそれこそ、やってらんねーよ!ガッカリだよ!(合掌…)という感じで、続きもののドラマなんか、録れたもんじゃなかったです。

こんな感覚でしたので、BDレコーダを買ってから半年ばかりのあいだ、BDディスクに録画保存、ということをようしなかったのです。 結局HDDのなかがいちばん安全なんですが、容量にも限界が参りまして(笑)。

スミマセン、あまりにも不満と不安が大きいもので、過剰に 「録画保存」 に反応してしまいました

まあ、ポシャったディスクなんかは、メーカー側に問い合わせれば交換だけはしてくれるらしいですが。

三谷サンのドラマって、評判過ぎてなんか最初のうちは避けていた感覚でした、私の場合。 だから 「新選組!」 がいちばん最初に見た三谷作品だったかもしれないです。 この人の新選組フェチぶりがよく分かる大河ドラマでしたよ。 かなり好きなんだな、でなきゃここまで愛情を持って書けないだろうな、と思いながら見てました。 その後大河ドラマ初だったと思うのですが、土方歳三(山本耕史クン)の最期までを追った続編まで作られましたからね。 こっちは確か前後編だったと思うんですが、このドラマもいいドラマでした~。

私の 「あまちゃん」 第1回目の感想は、大吉サンがメールで春子に送りつけてきたjjjjjjが、なんかスゲー違和感、みたいな(笑)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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