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2013年12月 1日 (日)

「はつ恋」 1年4カ月遅れ、再放送を見てのレビューです

 当ブログにコメントを下さるかたの強いプッシュもあって、何度かの再放送を見逃した末にようやく今回、見ることができたこのドラマ。 2012年5月から7月までのドラマだったので、1年以上遅れた 「いまさら」 のレビューになってしまいますが、よろしければお付き合いください。

 まず全体的なディティールの印象を申し上げますと、ちょっと厳しいですが、「かなりあり得ない話」、との感はつきまとい続けました。
 もともと物語のとっかかりからその思いはあった。
 主人公の村上緑(木村佳乃サン)が手術の難しい肝臓ガンに罹り、夫の村上潤(青木崇高サン)がその難しいガンを治すスーパードクターを探した結果、フランス在住でたまたま日本に帰国していた三島匡(伊原剛志サン)に行き当たる。 ところがこの医師は緑の高校時代の初恋の相手で、最悪の別れ方をした苦い思い出の持ち主であって…、という出だし。
 こうやって説明的に書くとスムーズなようですが、まずこの偶然は非常に確率的に低い、と思わざるを得ない。 「ようそんなに都合よくなるよな」、という感じ。

 ただ、その 「あり得なさぶり」 が、私にこのドラマを最後まで違和感なく受け入れさせる土台となってくれたことは確かです。 特に後半から終盤にかけて若干 「これってどうなのかな?」 と思わせる話の持っていきかたをするんですが、「まあそもそも出だしがアレだったし…」、と気にしないで済んだ。

 このドラマの最終回には、放送終了当時、議論百出あったようです。 私が結構納得して最後まで見たのとは対照的。
 それはなぜなのか、と考えると、この 「あり得ない話」、とても演出が細やかで、話をあり得なくさせずに見る側をのめり込ませた、完成されたドラマだったからなのではないか、という気がする。

 物語の序盤から、このドラマは村上家の描写が実に丁寧なんですよ。
 緑が愛情を注ぐ、素直でいい息子の健太(里村洋クン)。 緑の父親である、床屋を営んでいる男やもめの豊崎勝(串田和美サン)。 「泣き虫」 で緑への愛情がストレートな夫の潤ちゃん。
 そうした 「絵に描いたような幸せな家庭」 がきちんと描かれているからこそ、このような 「あり得ない」 状況に直面した緑の戸惑い、というものに見る側が共感できる。

 周囲の人物についてもなおざりにしてない。 緑の仕事は、言語聴覚士なんですが、患者の大竹まことサンは言葉がうまく出てこない男の役を見事に演じていた。
 村上家に出入りしている弁当屋の広瀬(カンニング竹山サン)は緑と三島を知る、高校時代の同級生。 だからふたりがどんな別れ方をしたのか知っている。 それを潤ちゃんに知られないようにするのですが、この役もよかった。

 そして主役の村上緑。 家庭では明るくて良き妻良き母親、職場では仕事ぶりがハキハキしていて、とても誠実。
 いわば、この物語の主人公は、どこから見ても 「道を踏み外すことなど絶対にない」、というタイプに描かれているのです。
 でも緑は、三島と出会ったことによって、「開けてはいけない箱を開けてしまう」 ことに、次第になっていく。

 これは、緑が潤ちゃんと出会う前まで、およそ20年近く?男性との交際を拒絶し続けてきたことと、ちょっと無縁ではない気がするんですね。

 ネタバレになりますが、緑はその昔(高校時代は橋本愛チャン)三島(高校時代は小林ユウキチクン)の子供を妊娠し、三島にその相談に行った際、「君のことを好きだと思ったことなんか一度もない」 とスゲー冷たくされて、妊娠を告白もできないまま、そのまま流産。 緑はその時三島に、どうしてこんなに冷たくされるのかが分からないまま、三島と別れたまんま、時が止まったまんま、なんですね。

 そんな、恋愛に対する気持ちを閉ざしてしまったままの緑の心をゴーインにこじ開けたのが、潤ちゃんなわけですよ。 彼女は潤ちゃんの強力な求愛に負けて結婚。 健太というかわいい息子にも恵まれた。

 でもそれは、自分の本当の気持ちを 「箱に閉じ込めた」 状態での、偽りの自分だった。

 本当の自分を偽っているからこそ、彼女は外見上は良き妻良き母親であろうとしたように思えるし、生まれてきた健太を流産した三島の子供の生まれ変わりだと考えて育てている側面も考えられる。 言わば、偽りの代替の人生を歩むことによって、自分が過去に負った大きな痛手をごまかそうとしている。
 ただ断っておくと、そういう描写というものはなかったです。 でも高校時代の緑は、少なくともこんなに、出来過ぎのハキハキした人物ではなかった。 だから 「大人になった緑が、偽りの自分を生きている」 というのは、私の単なる想像です。

 これを、「偽りの自分だから本当の気持ちのままに生きてもいいではないか」、と考えた場合、緑が三島と再会したあとの一連の行動にある程度の理解をすることはできる。
 ただし、「いくら偽りの自分であろうと、いまある幸せこそがリアルなのだ。 それを壊すことが果たしていいのか。 責任の放棄ではないのか」 と考え始めると、ドラマの進む方向に賛同できなくなってくる。

 これはだから、「自分の本当の気持ちにしたがって生きることは、果たして是か非か」 、というドラマだと思うんですよ、一面では。
 でも普通だったら、「そりゃ今ある自分を大事にするほうがよかろう」、ということで済んでしまう話。 それを、このドラマはまたもや、その 「あり得なさ」 でひっくり返そうとする。

 緑の手術は成功。 そのあといろいろあって、三島があのとき緑に冷たくした理由も判明する。 過去へのわだかまりが解消した緑でしたが、彼女は今ある家庭を選ぶ。
 それで済んでいたはずなのに、1年後、今度は三島が脳出血で倒れ、あろうことか失語症になってしまうんですよ。
 心を閉ざした三島に、前の妻であるサトエリチャンが思いついたのは、言語聴覚士である緑に三島を治してもらおうとすること。 ね、すっご~くあり得ないでしょ(笑)。

 もともと肝臓の難しい手術を緑が必要としたところにおあつらえ向きに現れたのが、肝臓ガン摘出の権威である三島(笑)。 今度はその三島が、緑を必要とする立場になっちゃうわけですから(笑)。 お互いおあつらえ向き過ぎるっての(笑)。 都合よすぎだろ(笑)。 三島が肝臓ガンの権威じゃなかったらどーすんの、緑が言語聴覚士でなかったらどーすんの、という話ですよ(笑)。

 だからこれはもう、運命である、と割り切るしかない(笑)。
 こうなったらもう、緑は自分の本当の気持ちに、突っ走るしかないんですよ(笑)。

 それを切ない話に昇華させるいちばんのファクターとは何か。

 それが、この恋が 「はつ恋」 である、ということなんじゃないかな、という気がする。

 橋本愛チャンと小林ユウキチクンが出てくる回想シーン。
 高校時代の緑は、公民館?でいつもピアノを弾いています。
 曲はスティーヴィー・ワンダーの、「ステイ・ゴールド」。 「輝いたままで」、という意味ですよね。
 初恋というものは、懐かしく、ほろ苦く。 ♪若いという字は苦しいという字に似てるわ…古いなオレも(笑)。 そんな時代も、過ぎ去ればずっと、輝いたままなのです。
 もしできるのならば、あの時代に戻って、もう一度やり直したいと思えるのが、初恋なのではないでしょうか(そりゃ人生、個人差というものはございますが)。

 普通だったら、過去は過去として、そんな切ない思いは自分の胸のなかにだけ秘めて、墓場まで持っていく。 再会したところで、昔は今にはなりえないし、どこかで理想化されちゃってる場合もあるでしょう。

 だからこの物語は、自らの胸のなかにある切なさを、解放させるカタルシスを目的としていた、そう考えられないだろうか。
 そのためには現実味というのは脇に追いやられてもいい。
 昔に対するみずからのノスタルジアを、このドラマのなかだけでは、そっと遊ばせてやってもいい。 そんなドラマだったのではないか。

 だから、緑の心の痛みに、三島の心の痛みに、見る側は一緒に胸を締め付けられる。 加速していく切なさに、見る側は自分を同化させていく。

 けれども、過去に遊んだ代償は、やはり高くつくのです。

 またネタバレになりますが、言葉を失ってしまった三島。 「ド…リ…」。 「ドリ」 という高校時代の緑の呼び名を口にしたことで、緑はそれまで抑えていた気持ちが瓦解してしまう。 ふたりは一線を越えてしまうのです。
 この不実は隠し通すこともできず、緑は潤ちゃんの怒りを買って、村上家から追い出されてしまう。 それまでの幸せが自分にとってどれだけ大切なのものだったのか。 「健太にももう二度と会わせない」 と言われ、物陰から健太を見て号泣する緑。 父親の串田和美サンも、自分の大事な娘を孕ましたヤツが三島だと知ったから、緑を許せない。 結局、緑は別の場所で、三島と暮らすことになります。

 それから三年後。
 失語症もかなり治った三島ですが、今度は緑が、手術不可能な位置に肝臓ガンを再発させ、最期は三島の頼みで村上家に戻り、村上の家で静かに亡くなります。

 この展開がね。 物議を醸したっつーか。
 ただ私は思うんですが、やはり 「三島くんが好きだ」 という、自分の本当の気持ちに殉じたその時点で、緑には自分の命を代償にしなければならない必然性というものが生まれたんじゃなかろうか、と。 物語的にですが。

 結局最後は、緑の父親、潤ちゃん、三島の三人が、紆余曲折を乗り越えて、良好な関係を回復させる、というラストシーンだったのですが、これが緑の望んでいることなんだろうなー、って。
 「医者になりたいという健太の、勉強をみてやってくれ」、と潤ちゃんが三島にかけたひと言は、緑が望んでいることなんだろうな、って。

 それはまっすぐに、明るく生きてきた緑が、考えそうなこと。 潤ちゃんもそれが分かっているから三島にそう頼んだのだろうし、三島もそれを受け入れたのだろう。
 それは結果的に、偽りだったかもしれない緑の 「出来過ぎ」 の人生を、作り手が肯定したことにもなる、と考えられるんですよ。

 自分的にはでも、このドラマいろんな泣かせどころがありましたけれども、3年のブランクの末に緑が村上家に帰って来たときに、父親と再会したシーンでしたかね。 なにも言うことができず、「お父さん…お父さん…」 と繰り返すだけの娘。 ここがいちばん泣きました。

 最後に、Fクルーラー様、なかなかレビューでおこたえできませんでしたが、今回ようやくその責を全うできました。 このドラマをご紹介くださって、誠にありがとうございます。

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コメント

リウ様 Fクルーラーです。

 いやいやお忙しいのに、レビューをあげていただきまして、ありがとうございます。表題のように時間がたっておりまして、今度の再放送があってもネットで全く話題になっていない(笑)。旬を過ぎるというのはこういうことかと、申し訳なく思いつつ、ここは力を入れてコメントさせていただきます(笑)。
 勝手ながら、自分の頭の整理上何度かに分けたいと思いますので、申し訳ないのですが、しばらくおつきあい下さい(笑)。
 

 「偽りの代替の人生」ということについて。
 見始めた頃、緑のテンションが気にはなったのですが、それほど違和感は感じませんでした。子供がかわいい盛りで(また健太はホントに可愛くて)、職業柄もあり、この人はこういう人なんだな、と思ってみていました。「マルマル・モリモリ」なんて歌わせているものだから、また一層自然に感じてたのですね。(これも狙いだったか)回が進んでいくうちに、このテンションが設定なんだな、と気づきました。自分の中でそれが決定的になったのは七話の「潤ちゃんのこと大好きだよ」と訴えたところです。そうか、愛してなかったのか。とその時は思ってしまいました。「偽り」という言葉まではなぜか思い浮かびませんでしたが、レビューを読んでなるほどと思いました。
 緑は、別れたときの三島に言われた言葉にもの凄く傷ついて、だから言葉を扱う職業に就いた、と言っていましたね。で、職業柄、あのテンションを身につけて、多くの患者さんを助け(大竹さんはその代表ですね)、仕事にやりがいを感じ、傷を克服していった。でもそれは意識せずに自分を偽ることだったということですね。潤ちゃんが一目惚れしたのはまさにそういう緑でした。  
偽りの世界では、緑は夫と子供を愛していたと思います。でも愛というものになれば、それは「偽り」ではなくなるので、複雑になってきますね。だから潤ちゃんに問いつめられたとき、緑は嘘がつけなかった。愛しているから。そのため追い出されてしまうのですが、この場面はしびれました。
 潤ちゃんは許すつもりだったと思います。愛しているから。だけど冷静になっているつもりでも、もともと泣き上戸で感情豊かな人ですから、心は粘膜のように傷つきやすくなっていて、嘘をつかなかった緑を許せなかった。そして緑がランドセルに触れたときに過剰に反応する。この細かい演出も凄みを感じました。

もうひとつ、人にとって「はつ恋」というものがそんなに威力のあるものなのか。家庭がぎくしゃくしていて昔の相手とよりを戻してしまうなんていう筋書きは腐るほどあると思うのですが、村上家の場合は、夫婦は互いに自然な思いやりがあって、息子は健やかに育っていて(だから「健太」くんなのか)、とにかく幸福そうな家庭ですからね。もちろん狙った設定なのでしょうけど。
 これもレビューを読んでやっと腑に落ちたのですが、緑の場合は、自分の初恋の終わりが納得できるものではなかったので、きっかけさえあればすぐに飛び出す仕掛けになっていた、ということですね。なるほどそういうものかと思いました。多くの人は(桃子さん(藤澤恵麻さん)もそうなんでしょうね)、初恋の終わりには大概理由があるので、割り切ることができている、ということでしょうか。それが「はつ恋は終わってなかった」というセリフになるのですね。

 ここまで書いてきて、いい年して恥ずかしげもなく愛だの恋だの書いて、と思いました(笑)。それはボキャブラリー不足も含めた自分の文章力のせいであるのは言うまでもありませんが(笑)、このドラマがそうさせている、ということで弁解させてください。
 幸絵さん(佐藤江梨子さん)は三島が初恋だと言っていましたし、潤ちゃんもおそらく緑が初恋ではないか。桃子さんもそんな感じですね。健太君やお父さん(串田和美さん)の愛情も、対象が唯一無二という点では、初恋と共通点がありますね。そんないろんな「はつ恋」がぶつかり合う作品だったということで。。。
 長くなりました。いったんここで筆を収めたく存じます(笑、そんなに延々とはやりませんので。。。)。

リウ様 Fクルーラーです。第2回目、始めます(笑)。

 このドラマの「あり得なさ」について。
第1回目でも書きましたが、初恋というものの影響力ってどんなものなのか。脚本の中園さんは、それは相当なものという前提でこのドラマを書いたと思うのですが、本当にそう思って書いているのか。
 人は初恋があって、恋愛経験を積んでいく課程で、前の恋愛の反省点から次第に異性を見る目を養っていくのだとすれば、極端に言えば初恋とは最初の失敗、最初の見損ない(笑)なので、普通そこに立ち返りたいと思うことはないとも言えますよね。でも恋愛ってそんな段階的なものでもないよなぁ(笑)。どの時点を初恋と規定するのか、ということかもしれませんね。Pureという言葉を使ってもいいのですが。。。

 筋書きのあり得なさについては、のめりこんでみていたせいか余り気にはならなかったですね。まあ私なんか例えば「あまちゃん」の荒唐無稽についてもみてるときには余り気にならないタチでして(笑)、後で、でもオカシイよなあと思うことはよくあるのですが。
 このドラマも、潤ちゃんが雑誌(それも人が立ち読みしている)で三島が帰国していることを知る、というものすごい偶然から物語が進行していくのですが、でも三島が医師を志したきっかけが緑の母親が癌で死んだときで、そこから医局での医療ミス(?)に巻き込まれてパリに定住することになり、それが吉と出てスーパードクターになる。緑は、巷間よく言われているように遺伝の所為(因みに私はこのことは否定的に考えています)であるかのように癌に冒されてしまったのですが、ちょうど三島が帰国していたことで、助けられる。ここにも、恐らくは雑誌に記事が出ていたことから、メンツを気にした大学側からもう一件手術を迫られたという偶然が作用している。
 想像が入りますが、ドラマでは緑の母親の癌の種類は明らかではなかったと思いますが、恐らくは肝臓ではなかったか。だから三島が肝臓癌の専門家になって、また緑の手術も行うというのは、偶然と言うよりは必然というか因果というように受け取っておりました。(まあ例の死なせてしまった女の子も肝臓の病気だったのですが)リウ様の書かれた幸絵の行動も、彼女は自分の結婚が破綻したのは緑の所為だとかなり強く思っているので、だからこそ、三島を回復させるのは緑しかいない、というところに追い込まれていた、と受け取ってみていました。(その前に蝦名教授の力で、考えられる限りの医師には診せていたでしょうね)本当は緑の所へは連れて来たくなかったでしょうね。それでも何とか三島を回復させたくて、すがる思いで連れてきたのですが、結局危惧していたとおりになってしまった。
放映当時一番あり得ないと言われていたのは、あんな形で子供を捨てる母親なんて、というものでした。まあ緑は子供を捨てたのではなく、追い出されたのですけど。それも直接三島の所へ行ったのではないのですが。
後は最後の男性3人の和解。これも散々あり得ないと言われていましたが、あそこはもうああするしかないでしょう(笑)。
疲れてきました。この後は少し時間をおいてお邪魔したいと思います。何せやっとこのドラマを語れる機会が巡ってきたので、かなりハイになっております(笑)。もう少しおつき合いいただければと願うばかりです(笑)。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。 出張のため、コメント返信が遅れました。 出張先ではネットを見ないことにしているので、大変失礼をいたしました。

で。

ウワ、かなり深い考察。 私の 「まあ、もう前のドラマだからこんなもんでい~か」 という軽~いレビューを、ものの見事にブッ飛ばしてくださいましたね(笑)。

特に三島が肝臓専門の医者になったこと、緑が言語聴覚士になった動機。 ここらへんのFクルーラー様の考察にはうなりまくりました。

そこまで考えつかないと、単に 「都合良すぎだろコレ」 というドラマになってしまう。 三流ドラマにありがちな、「無理やりな出来事でふたりをゴーインに結び付ける」 という話になってしまう。

登場人物ひとりひとりに対する深い愛情がなければ、ここまで考えは及びません。

私が特に見ていてつらつら考えたのは、「三島、結構自分勝手だろオマエ」 ということ(笑)。
いくら自分の患者をはじめて(だったか)死なせたあとだからって、緑が切羽詰まった顔してやってきたら、自分たちのなさったことに思いをいたすべきでしょう(なさった…上品な表現だな)。 もしかして避妊失敗?とか(笑)。 しかも 「君のことを好きだと思ったことは一度もない」? そりゃないでしょー(笑)。

もしこのことについてFクルーラー様のご意見があれば、忌憚なくお書きください(笑)。

サトエリサンが三島を緑に預けた、ということも、私の説明不足がございまして申し訳ありません。
私もFクルーラー様がおっしゃるように、心を閉ざした三島が心を開くには、緑しかいないと思って緑のところに連れてきたんだろう、と思っておりました。 ただその展開自体が必然的すぎる感じがしたもので、誤解を招くような書きかたになってしまいました。

潤ちゃんを演じた青木ムネムネサン。
やはり自分のなかでは、「この人はキレたら怖い何かを持っている」 役者という認識がすごいあるんですよ(笑)。 「ちりとて」 でも 「龍馬伝」 でも 「平清盛」 でも、この人は常に、なんかに怒りたがっている感覚がする。
だから潤ちゃんを見ていて、なんだか胸がざわざわするんですよ。 この感覚、嫌だったなぁ(笑)。

そしたら案の定、大爆発(笑)。
これこれ、これがムネムネなんだよなぁと思いながらも(笑)ああ、イヤだなぁ(笑)。

でも、これが、緑をうちに戻してくれ、と三島が懇願する時点でもう、そんな怒りの導火線そのものが消えている。 潤ちゃんはもう、何があっても怒らない。 そんな安心感が見ていてすごいなぁ、と思いました。

だからラストシーンでも、潤ちゃんは三島を怒るようなことは、絶対にしない、という安心感があるのです。 逆に、息子の勉強を頼むことで、緑の意思を、生かそうとしている。 三島の男ごころとか、うまく描き切ってなくて、自分勝手にばかり見えてたこのドラマですが(笑)、最後の男3人の和解の仕方は、とても必然的であると感じましたね。

あ~なんか、Fクルーラー様の怒涛のようなコメントに、きちんと全部答えきっておりませんが、今日は出張帰りで疲れている、ということに免じてお許しいただきたいと思いますcoldsweats01

リウ様 お邪魔します。 
 当方もいろいろあってレスが遅くなりました。暦の上では○○○ですから(笑)。。。
 このドラマ何分1年4ヶ月(笑)、何度も見返しているものですから、色々な思い入れがあって長くなってしまいます。実はどう続けていくのかなかなかまとまらなかったのですが、ご返信を読んで少し道筋が見えた気がしました(笑)。

 
三島について。この人が諸悪の根元とも言えるわけですが(笑)。
 スーパードクターとして登場したこともあり、傲岸不遜な性格に描かれてますね。高校時代も無口でぶっきらぼうな感じです。一念発起して猛勉強して医者になるにはそんな性格も必要と言うことか(少なくとも進学校ではない設定)。倒れた後は、さすがに傲岸なところは消えましたが、例えば最終回の幸絵さんとの会話でも、彼女の悲しみに気づききっていないフシがある気がします。本人はそれほど周りを軽蔑しているつもりはないのでしょうし、思いやり(医者としても必要な性格)はある人だと思いますが。(だから理性では緑の家庭を壊してはいけないとは思っていた。)
 一番身勝手と思えるのは、緑の中絶を知った後、彼女への思いを隠そうとしなくなったことですね。16年前の真相を知って自分が傷ついて(その前に東都大で医師としての将来にダメ出しされたことも相まって)、かえって感情がむき出しになる。お父さん(串田さん)に凄まじく怒鳴られたことも輪をかけていますね。緑に謝罪しようとしているけれども、それは自分の傷を癒そうとしている行動に見えます。緑にはそれがわかったので、むしろそれで心に火がついてしまったと思います。傷ついている人は癒さずにはいられない彼女の性格から(職業によって培われたものかも知れない)。
16年前の時も、子供を死なせた(三島の所為ではないですが)ショックや、医局への怒りで傷だらけになっている自分しか見えていないため、ああいうことになったということなのでしょう。

 ただ、さすがご慧眼、あの最初の別れの場面、このドラマのキモとも言えるところなのにいかにも説得力がない、とは私も同様に思います。もう少し伏線というか、何かが足りないように思います。いいドラマだけに逆に引っかかっています。
 でもみているときは、悲しむ橋本愛さんの演技によって、私は余り気にならなくなってしまいますが(笑)。傷つけたことは曖昧でも、緑が傷ついたことさえ明確ならドラマとしては成立するということでしょうか(笑)。ここの橋本愛さんはホント、すばらしい。

 他にも玉に瑕というところはありますが、すみません、後日とさせてください(笑)。 

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

「暦の上ではディセンバー」 は紅白で聞きたかったですよねー(笑)。 いかにも12月に聞く歌じゃないっスか~(笑)。 でもそれがない、ということは、アキ&ユイの 「潮騒のメモリー」 がサプライズで見れるかも?なんて考えてます。

のっけから話がそれました(笑)。

三島匡を演じた伊原剛志サン。
前にもお話ししたと思うんですが、私がこの役者さんに持っているイメージというのも、三島とかなりかぶってて、傲岸不遜でとっつきにくい、まさに適役だったように感じます、個人的には。

だから私自身、あまり伊原サン演じる三島に対しては好意的に見ることができなかったようにも感じる(笑)。
彼の行動には衝動がかなりつきまとっていて(笑)抱いちゃったりキスしたりいたしちゃったり(ハハ…)その場の感情の高ぶりで全部やってる感覚(笑)。

ただそれを、緑があまり頑強に拒まないんだなthink

その原因は何かというと、やはり緑のなかで、この初恋が終わってない、という感情のくすぶりがあったからだ、と思うんですよ。
あのときどうしてあそこまで冷たいことを言われたのか。 その理由が聞きたいというのが、表向きの緑の感情だったと思うのですが、ここで潤ちゃんに会うまで20年ものあいだ男断ちをしていた(いちいち書くことが下品だなぁオレ…笑)蓄積がものを言ってる気がする。

つまり緑のなかで、どこかに潤ちゃんとの生活を、代償行為以上のものに昇華しきれなかった部分があったのではないか。

三島と会話をしているときの緑は、やはり高校時代の緑のまま。
かたや村上家にいるときの緑は、どこかで言語聴覚士を演じているような感覚。

このドラマは、だから最後まで、「自分は絶対不倫などしない自信がある」 という女性たちに対して、「果たしてそう言い切れるのか?」 という問題提起を投げかけたドラマのような気もするのです。
そしてその論点に、ドラマを見る側は自分を委ねた。

しかしラストに来て、ドラマの作り手は、いきなり男性たちの側に論点を移行したような感じがします。

つまり、ひとりの女性が、「女性」 として下した決断を、どのように男性たちは受け止めたらいいのか。

緑が死んでしまうことは、「ドラマとして必然的である」、と私はレビューのなかで書きましたが、男たちが緑の問題を自分の問題として考えるには、当事者の女性がいなくなってしまうことでしかそのきっかけが生まれてこないことは、悲しい現実のような気がします。

これがもし、緑が難しいところにガンの再発がなかったら。

男たちは自分たちの行動を振り返る機会すらない(ハハ…)。

まあ、レビューにも書いているように、「三島が倒れなかったら」「緑のガンが再発しなかったら」 まったく問題なく、初恋は波打ち際の砂に書いた文字のように自然消滅していたことでしょう。 そこらへんがドラマなんですけどね。

リウ様 4回目、いきます(笑)。
 
  お医者さんて、こちらが患者として接する場合には時として、高慢とか、高飛車とか、高圧的とか、上から目線など、要するにエラソーですよね(笑、匿名じゃないと書けませんね)。癪に触る場合も多いのですけど、彼我の知識の差を思うと、医師としての真摯さの表れと思うことも多々あります。ドラマでいうと、「JIN」ではそこのところよく掴んでいるなと思いました(仁も時々思わずキレていました)し、あのドラマに惹かれた要素のひとつでした(脚本というより大沢たかおさんが上手だったのでしょうね)。
 三島は高野教授(中原丈雄さん)のグループからは、自己宣伝も厭わない嫌な奴と悪し様に言われて(多分に嫉妬を含んで)いますが、本人は全くそんなことはなくて、医局の「政治」については意識的に軽蔑していますが、医者としてのあり方としては、経験によって積み上げた自身の技能を生かして、ただひたすらに目の前の患者に手術を施すだけなのでしょうね そのあまり、高飛車な物言いがつきまといますね。これも医者の真摯さの表れと思ってみていました。
 この真摯さの根底には、女の子の死に関わってしまったことと、意識下なのかもしれませんが、緑への思いがあるのではと思います。緑との二度目の別れの後パリに戻り手術専門の病院に移ります。日本では手術が終わればまた手術という描写がありましたが、緑のこともあり、パリでは一層手術漬けになったのでしょうね。だから脳出血になったのは過労からですね(今回見返してそう思いました(笑))。
 蛯名教授(平田満さん)は、感情的な言葉は口にせず、若干シニカルで、医局の政治についてはやはり軽蔑しているようですし、三島を利用しようとか、娘の夫だから大切にするという描写もありませんでした。医師としての三島の誠実さを信頼して支援し、また逆境からここまで這い上がってきた三島を尊敬していて、それは娘と別れてもゆらぐことはなかっただと思います。
 リウ様が泣きどころについて書かれていましたが、私は今回見返していて、蛯名教授の「友人として言う」というセリフに不意をつかれ、また涙腺を破られました(笑)。

 いや我ながら愛情溢れる視かたをしております(笑)。次は潤ちゃん(青木ムネさん)に触れたいと思います。もう少しおつき合い下さい(笑)。

 それから「暦の上ではディセンバー」、私としては弥生さん、安部ちゃんプラスアキに加え、かつ枝美寿々花巻さんでやってもらいたいです(実現不可能ですね(笑))。ところで紅白の出場者、紅組がひと組少ないのは何故なのでしょう?

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

別のコメントにも書いたのですが、ちょっと今週は、出張はないけれど疲れまくっている、という感じで、Fクルーラー様の怒涛のようなレスに(笑)今日のところはお答えを保留したいと思います(その癖先に書いた返信では言いたい放題してるんですが…笑)。

で、本題以外のところでレスをしてしまうと(笑)、やはり紅白、「あまちゃん」 は隠し玉なんだろうと思いますね(笑)。 キョンキョンは絶対ダメそうだけど(笑)。 だってNHKが紅白の視聴率を考えた場合、「あまちゃん」 人気& 「あまちゃん」 ロス現象がいちばんおいしいんですから(笑)。

少なくともオリジナルバンドでの 「あまちゃん」 オープニングテーマ曲、みたいのはやるんじゃないかな~。

カンケーないことでグダグダ書いて失礼しました(笑)。 ではまたあらためて。

リウ様、大変お疲れさまです。まあ本放送から時間が経ってますし、ゆっくりご対応いただければと思います。当方も所用が重なり、次のお邪魔は来週になりそうです。よろしくお願いします。

 小泉今日子さんの事情はよく分かっていませんが、私は何らかのサプライズ出演があるのではと期待しています。何せ昨年アフリカから生歌中継をやってのけた放送局ですから、地球上であればどこでも可でしょう。小泉サイドも、この機会を逃すのはもったいないと思いそうですし。彼女が出ればおそらく薬師丸さんも出るのでしょうね。(若干ミーハー的でスミマセン)

「最高の離婚」SP、朗報ですね。本編の再放送もきっとあるのでしょうね。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

お言葉に甘えてゆっくり対応いたしたいと存じます(ハハハ…)。 なんて言ってるといつになるか分かんないからなぁこの男(笑)。

キョンキョンの出演、私はないとにらんでます(笑)。 あったらあったでうれしいですけど、結局なかったらなかったで、キョンキョンがいかに現在の自分の表現手段について何を考えてるのかが分かる気はしますね。

「最高の離婚」 は最後までレビューしなかったので、当時かなり当ブログ読者様からのレビューのご要望が大きかった作品。 おそらく再放送するでしょうから、チェックしなければならないと感じております。

ただささ様の返信にも書いたのですが、もうこのブログ、終わってますしね、感覚的に。
かつて多大に期待されたほどには、もう期待もされてないんだろうと、マジレスですが感じます。

リウ様 お邪魔します。5回目、始めます(笑)。

 村上潤を演じた青木さん、それまで龍馬伝しか知らなかったです。龍馬伝での後藤象二郎は意地悪で殿様に忠実な上士でしたが、上士下士の差別がテーマだったので、重要な役でしたね。山内容堂に龍馬への嫉妬心を告白するところ、感動的でした。それでも自分的にはまた個性的な脇役がでてきたな、という程度の感じでしたが、「はつ恋」での潤は素晴らしかったですね。結局この人に泣かされた回数が一番多かったかも(名前が「潤」だけに、泣いた回数も多いのですが(笑))。
 緑より4~5歳若い設定なのでしょうか。年下の優しい、良い旦那様を、潤は(青木さんは)一所懸命演じています。30代で保険会社の営業所長というのが抜擢かどうかはよく分かりませんが、やり手と言うよりも、誠実さが評価されているのでしょうね。もちろん、所長を任されるだけの判断力・調整力はもっている。緑のことを疑いたくても懸命に自分を調整するべく努力しつづけている。だから三島と緑を公民館で見つけたとき、大爆発をしてしまうわけですが。
 三島と緑が一線を超えたシーンがあり、個人的にはあの「濡れ場(他の言葉ないですかね)」がこの流れで必要か、と思っていただけに、ここの爆発シーンは凄いと思いました(つまり必要なシーンだったんだな、と思いました)。
 

 ここからちょっと不満になります。緑が追い出された後、お父さんへの電話、「パパのバカ」などのシーンを挟んで、「3年経ちました」という最終回になるのですが、あれだけ感情の爆発があったのだから、もう1話くらい使って三島と住むに至る課程を描くべきだったのでは、とも感じています。単に愛憎の法則で片づけられた気にもなります。達者な役者さんが揃っているので、それぞれの葛藤を丁寧に描けたのではないかと。そうすれば最終回が若干「キレイ過ぎる」という感じも少なかったのではないかと思います。
 もちろん、単にドロドロするだけなら不要なんですが。そこは敢えて視聴者を突き放しているのかもしれませんね。ただ青木さんも「もっと潤を演じ切りたかった」とコメントしていたようですし(考え過ぎか)。
 脚本と言ってしまえばそれまでなんですが、青木ムネさん、普通なら妻の過去恋愛に振り回される「単なるいいひと」或いは転じて「意地悪」キャラになってしまいそうなのに、そうならずに、全編通して存在感がありました。

 ちなみに「ちりとてちん」、おもしろいですね。先週は若狭の初高座でした。しかし草若師匠の復活の回は涙が止まりませんでした。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

「いつでもいい」 とお許しを頂いて、結局そのままになってしまってゴメンナサイ(笑)。 怠惰な人間は急かしてくれないと動かないのです(笑)。

「ちりとて」 のほうは残念ですがリタイアいたしました(笑)。 まあ1回見てるしいーかぁ~、なんて(笑)。 却って 「ちゅらさん」 再放送のほうは見てます。 でもこれも 「ごちそうさん」 と同じく、2週間遅れくらいだけど(笑)。 「ちゅらさん」 は総集編しか見たことなかったんで、視聴が続いている、と言えます。

「ちりとて」 は確か 「ごちそうさん」 と同じくらいに再放送が始まったと思うんで、年をまたいでムネムネとしほりチャンが結婚、ということにやっぱりなるんでしょうね(あっ、ばらしちゃった…笑)。 その結婚のしかた、タイミングもこのドラマらしくて好きですね(笑)。

なんか本日はほかのかたのコメントも多くて、ちょっとまた 「はつ恋」 については保留いたしますが、必ずちゃんと返信いたしますんで、今日のところはなにとぞお許しください。 借金の場合は期日を決めないと先方が納得してくれないんですが(笑)。

リウ様 お邪魔します。
 
 「はつ恋」については、あと2回くらいでまとめたい(何を(笑)。)と思っていますので、そのあとご返信いただければと思います。
 「ちりとて」は実は総集編後編だけ見てしまいました。青木ムネさんの壁破りもしっかり覚えてます(笑)。あれは彼じゃないとサマになりませんね。総集編でしたが、面白さは感じることができました。たしか「はつ恋」より前だったか。今度の再放送ではじめは糸子ママ(和久井さん)のテンションにびっくりしましたが、あの豪快な「ふるさと」となど、ストーリーにあのテンションがとけ込んでいるので、感心しているところです。。。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

ややっ、もうまとめの段階に入っちゃってるんですか(笑)。 これはなんとか致さないと(笑)。 今のところ 「八重」 と 「安堂ロイド」 の予約が入ってますので(笑)そっちの最終回から見ないといけません(ハハ…)。 すみません、お言葉に甘えて、また保留したいと存じます。

「ちりとて」、総集編では、年をまたいでの面白さというのは味わえないと思うんで(笑)、今回それを肌身で感じていただけるんじゃないかと思います(笑)。 私の記憶が確かならば(笑)3回(15分×3)やって年を越して、年明けも3回だった気がします。 上沼サンのナレーションで笑った記憶があるんですが、どうも最近ジジイになって記憶違いがよく発生してるからなぁ…(笑)。

私は和久井サン、「ちりとて」 のキャラがいちばん好きかなぁ~。 「四十九日のレシピ」 の和久井サンもよかったかなぁ~。

リウ様 お邪魔します。

 年を越えてしまいました(笑)。年末には完了するつもりでしたが、出かけることが多かったのと、溜まった録画の視聴、それに正月のお酒ですね。最近すぐ眠くなってしまいます。ごゆっくりなどといいながら、当方がゆっくりしてしまいました(笑)。 次の回で終わらせるつもりです。

 木村佳乃さんは、初見でした。ヒガシ君の奥さんという知識はありましたが。このドラマのスポットで「潤ちゃん、ゴメン」といって癌に罹ったことを告げるところが使われてまして、それを見たときから、このドラマに惹かれていました。(MISIAさんの主題歌付きで流れていたこともあるのですが)
 本編で主要キャスト三人は、ナレーションもない中、必要以上のセリフがなく、表情や動作で心の動き(理性と感情の相克)を表現していて、特に主役の木村さんは、声のトーンや目の動き、口元にも気を配って、全身でストーリーを辿っていました。(それにしても木村さん、ご主人とは随分演技力に差があるような(笑、「大岡越前」を見た印象だけですが))
 緑は三島は過去の人、愛してるのは潤(と健太)と意識して割り切ってますね。緑は幸絵さんから、三島が空港から自分のために戻ってきたと聞かされて、急遽諫めに東京へ行きました。意識の上ではそのつもりだったのでしょうけど、逆にこのときに、三島のこの行動が心の底に火を点けていたのでしょうね。三島の背中に手を回したとき、やっとそのことに気づいたようです。
 だからこそ沼津(?)のバス停で混乱して泣きじゃくるのですね。また、このときの三島の腕を一杯に伸ばして緑の肩に手を乗せる距離感は、彼の心情をよく表していたと思います。
 緑は自分の心に気づいているから、「君のことを想わなかった日は一度もない」というメールの削除にも躊躇してしまう。この別れの文句も切ないですね。16年前の言葉を否定しているのでしょうけど、緑への愛情と医師になったことが不可分と思っている私としては、一層切なく感じてしまいます。
 緑はなんとか、その心に蓋をしました。ただ、このとき点いた小さな炎が、ドラマ終盤の悲劇をもたらすことになったのはご承知のとおりです。
 ここだけではないですが、木村さんの心の動きを表すお芝居は、素晴らしかったと思います。後、とても優しい表情を持っている女優さんですね。

リウ様 やっと終えられそうです。

 実は時間がないといいながら、4日に全8話見倒しました(笑)。そこで改めて余計なことをしている人が多いな、と思いました(笑)。筆頭が広瀬(竹山さん)ですね。緑に黙っているよう忠告したために、結果として潤に悩みを与え、あの大爆発を招いてしまいます。緑は言うつもりだったのですから。ここで話していれば丸く収まったのになんとも浅はかな。緑がすぐ話していれば、ドラマだって成立しない(笑)。でもその動機までは否定できないですよね。緑とその家族に対する友情からですから。加えて三島に対する嫉妬心も若干あるかもしれません。何と言っても、自分が潤と同じ立場になったら、と恐れている。それは奥さん(安藤玉恵さん)への愛情から来るものかも。
 お父さん(串田さん)の三島への怒りも余計と言えば余計。緑は子供の父親については何も話さなかったと思いますが、勝手に「ろくでもない男」と決めつけている。これは親としての愛情が強いために傷も深かったのでしょう。このあたりにも愛に屡々付随するエゴを感じます。あそこでの鬼の形相が、その後酔いつぶれてしまったこともあり、まだ精神状態の不安定な三島を深く傷つけ、彼を身勝手な行動に駆り立ててしまう。伊原さんの長身を折りたたんだ土下座が印象的でした。
 桃子(藤澤さん)や幸絵さんはエゴ丸出しで、この二人の行動が潤の大爆発への直接的な引き金になります。潤を公民館へ導いたのは桃子ですし。二人の行動は、それでも三島や潤への一途な愛から来るものですね。
 全編、登場人物の様々な愛情が交錯する物語でした。そしてここに描かれた「愛情」は(上手く言えませんが)とてもピュアなものでした。愛情は深ければ深いほど「切なさ」がくっついてくると思いますので、リウ様が仰るように「切なさ」の物語とも言えます。
 緑は亡くなりますが、そのとき、あの家にいなかった人も含め、沢山の愛情が緑の命と一緒にきらきらと昇天していったようにみえます。何度見返しても、涙腺が緩みます。まさに「浄化」ということでしょうか。
 忘れていました。劇伴も良かったですね。印象的な旋律と言うより、終始、ひとを優しさに導くような響きに満ちあふれていました。これも「浄化」のためのものでしょうか。
 

 とまあ人様のブログで、拙いレビューのようなものを、長々と繰り広げてしまいました(笑)。それこそ身勝手極まりない行為でしたが、何卒ご容赦くださいませ。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。 ちょっと本日は、私もリキ入れて返信しようかと考えております(笑)。 と言ってもFクルーラー様並みに深くこのドラマを見ておりませんから、かなり肩すかしの返信となってしまいそうですが。

潤ちゃんという人間は、どことなく 「裏切ったら怖いよ」 的なオーラを発散し続けている人間だ、と感じますね。 これは先にお話しした、青木ムネムネサンの役者としてのキャラが醸し出す 「どことなく怒りたがっている」 という先入観も多少はあるけれど、まず出会って一目ぼれ、の時点から、緑へのアプローチの方法が尋常じゃない感じがするんですよ。

フツー、「あなたに一目惚れしました」 という場合、私だったらまず外壁を固めていきますね(笑)。
つまり、何かにつけて話をしたがる。 用がなくてもとりあえず気さくに話せる環境づくりをする(笑)。 相手に認識してもらうことが第一歩だと思うんですよ。

でも潤ちゃんの場合、結構猪突猛進タイプですよね。

で、確か緑から明確に拒絶をされても、まだアプローチしていた、そんな覚えがあります(ゴメンナサイ、もうすでに記憶が曖昧…笑)。 緑はそのとき、潤ちゃんのゴーインさにほだされて、こんな自分でも、もう一度恋が出来るかもしれない、というニュアンスで、潤ちゃんを受け入れている。

これって緑にとっては冒険だったかもしれないけれど、かなり受動的な感覚なのではないか、と感じるんですよ。

と同時に、こういうゴーインなアプローチが出来ちゃう潤ちゃんという人間は、どうなんでしょう、結構自分じゃうまくいくはず、という自信があるんじゃないだろうか(既に私自身の考えがあやふや…笑)。

そしてこれは冷たい言い方かもしれないけれど、こういうヘンな自信って、「自分が一目惚れした」 という現実に、酔っているような感覚が裏にあるんじゃないだろうか。

でもそれは、潤ちゃんがそういう性格だ、というんじゃなくて、自分をそこまで追い込んで、自分に無理やり自信を持たせて、緑にゴーインなアプローチをしている、ということなんだろう、と思うのです。

だから潤ちゃんの心の中には、いつかこのゴーインなアプローチがもたらした結婚が、破綻する日が来るのではないか、という不安が常にある。

連絡がつかないと、結構執拗に送信を繰り返してましたよね、潤ちゃん(ああ~もう記憶が…笑)。

その強迫観念が、やはり緑にも伝わっているような気がする。 緑は、「潤ちゃんは結構嫉妬深い」 ということを、直感で感じている気がする。

それはヒロセにしても同様で、だからヒロセは緑に要らん進言をした、と思うんですよ(はぁ~、やっと結論…笑)。

串田サンが三島に対して怒った、というのは、私もアレは 「父親の気持ち優先」 の間違った用法、という気がしましたね(笑)。

まあ確かに娘を傷モノにされた、という怒りは父親として当然である。 しかし相手は脳こうそくを患った病人ですよ、その時点で。 酔っ払っていたとはいえ、そこまで怒るか、という感覚でしたね。 私だったら、その場は黙って怒りを押し殺して、あとは 「もう三島の面倒は見ない」 と、頑として主張するのみ。

これはでも、またすごい冷たい書きかたをしてしまいますけどいいでしょうか(伺いを立ててるけど書きます…笑)。

串田サンは緑が傷モノにされたとき、確か娘をおぶって帰ろうとしていた(おぶったんだっけな…おぶってましたよね…笑)。

フツーおぶるかな(日本語おかしい?…笑)。

つまり父親は娘に対して、近親相姦的な感情があったのではないか、という気も、どこかでするんですよ(あ~もう、すごいこと書いてますけど、どうぞご了承ください)。

三島を怒ったということを、純粋に父親としての情が原因だとすれば、これほど娘思いのいい父親はいないっていうのに、私もとんでもないことを考えるイヤな人間です。

ただ、父親にとっては、女房を亡くしていたことも、度を超えた怒りの要因に加える必要はあるでしょうね。
そして三島が緑に与えた、20年余りの恋愛空白に対する怒り。 これもたぶん大きい。 精神の牢獄にいる感覚だったかもしれないですよね。 そっちの怒りが、相手がものもきちんとしゃべれない病人である、ということも押し流して、決壊してしまった。

たぶんそうですね。 近親相姦的感情説は排除いたしましょう(笑)。

でも緑はそんなひどい男にまだ恋のかけらを持ってるし(笑)。 父親としての嫉妬も絡んでいるかも(笑)。

この物語のラストシーンが、三島と潤ちゃん、そして父親の串田サンのスリーショットであったことにも注目しますね。

この三人とも、何らかの形で、緑を苦しめていたんじゃないか。

それがこのような形で和解したというのは、まさに緑の魂がもたらした結末であった、と考えられます。

取り返しのつかないこと、そして必要以上に相手を傷つけてしまうこと。

それらを乗り越えて赦すことが出来るのが、このドラマが描いてきたドロドロを浄化できる、唯一の道だったのでしょう。

…きれいにまとまりましたね(笑)。

このへんでよろしいでしょうか(笑)。

また何かあれば、お付き合いいたします。 でもこちらには、もうあまりキャパが残されておりませんのであしからず…(笑)。

リウ様、お邪魔します。書ききれなかったことも含めて。

 潤はですねぇ、誠実が売りの人ですからね。おそらく緑が(成就した)初恋の人なんでしょうね。惚れたことは過去にもあって、やっぱり同じ方法で断られていたかもしれませんけど。「じゃあおつき合いは結構です。結婚してください」というのは奇跡的に出来たプロポーズだったのでしょうね。保険屋のおばちゃん達からは「押しが弱い」とからかわれているくらいですし。
 こういう人は、同世代の男が女性とつきあうために色々アプローチしていることも知ってはいても真似しようとかは思わない。そういう人って結構いますよね。まあ結婚とか恋愛ができる確率は普通かなり低くなると思いますが。たまたま、緑も経験的には似たような性格だったから、波長があったのかもしれませんね。個人的には、三島と比べて、潤のこういうところには好感を持ちます(笑)。

 串田さんは。。。やはりおんぶしていません(笑)。念のため今確認しましたが(笑)。串田さん、しゃがんで促したんですけどそのまま悔しそうに泣き出して、緑は負ぶさる気は元々ないのですが、父の涙を見ていたたまれず泣きながら歩き出す、という場面でした。(このころは緑も20代半ばの筈ですしね)おんぶしようとしたのは、娘を寝取られた(ヘンな言葉ですが)対抗心理(もちろん無意識の)だったかもしれないと言うのは、賛成です(笑)。
 緑への愛情について、亡妻への思いも含まれているというのも、私も当然そう思います。(それにしても妻と一人娘に先立たれた男の悲しみとはどんなものなのでしょう)私はエゴという言葉を使いましたが、愛情にはそういう一方的な思いがしばしば表れるものだと考えているので、三島に対して過剰な怒り方をしたのも、違和感があるわけではないのです。

 ここから書き切れてなかった部分になります。
 この作品は、登場人物のそうした思惑のずれが、ストーリーの核になっていると思います。そのためには、それぞれの性格や心理がきちんと書き分けられていないと作品が成立しない。中園さんは「はつ恋」についてのインタビューで、男女を問わず登場人物に自分を置き換えてそれぞれの行動やセリフを考えていった、と答えているのですが、脚本というのは本来そういうものだろうとは思うのですが、この作品については中園さんの試みは成功している、と私は考えます。中園さんも手応えを感じているから、そういう一見基本的な発言をしたのではないのでしょうか。また成功しているのは、また中園さんの言葉を借りれば、役者さんが魂を込めて演じてくれたためだと思います。

 スミマセン、また長くなりました。日を改めて、もう一度お邪魔させてください(笑)。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

確認なさったんですね、ふぅ…(ハハ、なんなんだ)。 余計な労力を使わせてしまって申し訳ないです(汗)。 おぶってなかった、ですよね(ハハ、ハハ)。 いい年こいた娘をおぶるわけないか(それはそれで、おぶってやろうとした父親のほうがおかしいよーな気もする…笑)。

私は橋本愛チャンならおぶってみたいと思いますが、なんの話をしてるのだろう(笑)。 同姓だからいいでしょう(カンケーないっての…笑)。

潤ちゃんを見てると、「気にしてないよ~でスゲー気にしてる」 という感じがしてましたね、遠ざかるこのドラマの記憶をたぐり寄せると(笑)。

で、ヘンな引っかかりが積もりに積もっていって、最後爆発しちゃったんでしょうね。 「なにソレ? なんなのソレ? もうこの家から出てってくれ!」 って。

緑が健太の、いい母親を完璧にこなしていただけに、それを 「完璧に裏切られた」 と、ヘンなふうに変換してしまったんだ、と感じます。

まあそもそも三島が悪いんですけどね(笑)。 完全に失恋の痛手を乗り越えたと思っていた緑を、昔に引きずり戻したんだから(笑)。

どうも三島の分が悪いな(笑)。

このドラマで釈然としない部分って、そういう、「描ききれていないところ」 を感じてしまう点にあるんじゃないか、と思います。

だから、のめり込んでしまうほど、なんかもっと細かい部分を見たかった、という衝動に駆られてしまう。 このドラマにディレクターズカット版がある、というのは、その裏付けだと感じる。

フツー、ディレクターズカット版が作られるって、かなりのヒットドラマって感覚ですもんね。

なんかもう、私には引き出しがないのですが(爆)、まだお話しできることがございましたら、とことんお付き合いいたしますcoldsweats01ゞ。

リウ様 お邪魔します。Fクルーラーです。

 ディレクターズカット版しか残していないのでもはや確認する術もないのですが(先日の再放送残しておけば良かった(笑))、登場人物それぞれの思いを追加する(強調ではなくて)ようなものだったと記憶しています。確か緑の手術を終えた三島が、ロッカーで深いため息を吐く場面とか。時間の制限で泣く泣くカットしたいいシーンを復活させたという感じでした。
 個人的には、前にも書きましたように緑の、潤に癌発見を知らせるその伝え方に惹かれて見始めた位ですから、通常版の段階で登場人物の心の動きをたどるように見ていたので、大きな変化とは受け取っていませんでしたが。。。
 NHKでも一年半にディレクターズカットを含め、3回も再放送するというのは稀な気がしますが、それだけ彼らの表現欲(放送欲?(笑))をかき立てられるような作品だったと言うことでしょうか。今回のは「あまちゃん」の井上チーフディレクターへのご褒美のような気もしますが(笑)。

 どうにもボキャ不足ですが、総じて人への思いと思いやりによってたどられた作品と思います。放映当時のどなたかのブログで、あるご夫婦の話がありました。ご主人が夜遅く帰宅すると奥様が涙目で抱きついてきて、しばらくそのままじっとしていた。その後奥様は先に寝てしまって、ご主人はいぶかりながらこのドラマの最終回の録画を見て、妻の行動を理解した、というものでした。私も人にとって狂おしいほど大切なもの(それが何か言えないのですが)があることを刻みつけられるようなドラマだったと思います。それは痛みというには余りにも優しく、喜びというには悲しい、いい音楽(インストゥルメンタルでしょうね。クラシックなら弦楽四重奏とか)を聴き終わったような感触を覚えます。

 長々と個人の思いこみを書き連ねさせていただいて恐縮です。新年で新しいドラマも始まっていますので、リウ様のレビューを楽しみにしています。「はつ恋」はまたご縁とお時間がありましたら是非、ご覧下さい。
 とりあえずは今週末のオノマチさんの新作が楽しみですね(レビューを催促しているつもりではないですが(笑)。オノマチさん、土曜のスタパにも出演のようですね。)。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

確かに再放送、やたらと多いですね…(笑)。 「大岡越前」 も、これほどじゃない気がする(笑)。 「八日目の蝉」 とか、「ハゲタカ」 とか、2回くらいやったかな? ん~分かんないけれど。 でもいずれもディレクターズカットはないですよね(「ハゲタカ」 はどうだったかな)。 NHKのドラマでディレクターズカット、というのは、とても珍しいんじゃないかって、思いますよ。

ああそうだ、「冬ソナ」 とか 「チャングム」 とか、あちらのドラマの完全版、というのはありましたけど(それとこれとは別か…でもそれだけどちらのドラマも話題がすごかったですよね)。

それにしても、Fクルーラー様の思い入れれたっぷりのコメントに、「あ~もう記憶が…」 とか、なんかどうにも申し訳ございません…。

最近、多忙ということもあって、数年前ほどのめり込んでドラマを見ていない気がいたします。
いや、実にはっきりと言えば、「カーネ」 後遺症がまだ続いている、という感覚でしょうか。 どのドラマを見ても、あそこまで私の心の奥まで届いてくるドラマがない。

いきおいレビューも激減しているわけですが、そんななかでもFクルーラー様のように、私のつまらんレビューに期待してくださる方がいらっしゃるというのは、大変ありがたいことです。

とりあえず今クールのドラマでは、芦田愛菜チャンのヤツに期待、というところかな? あとは 「S」 とか、まだ録画してるだけで見てない。 三浦春馬クンのヤツは最初の1分でリタイア(笑)。 土砂降りの中を車いす使ってるのに道行く人が誰も何もしない、という時点で、「こういうのはダメだ」、と思ってしまうんですね。

こういうドラマの見方してるよーじゃダメかな(笑)。

リウ様、お邪魔します。

 カーネは確かに大傑作ですし、リウ様のレビューも大傑作だったと思います。今でも時々読ませていただくのですが、涙が出てきます。それだけ心を鷲掴みにする作品だったということですね。
 結局は作り手と視聴者の心のつながりのようなものが必要で、それを阻害するシーンとかセリフがあれば、見なくていいのではと思います。作品の良し悪しに加えて人それぞれの好みだってあるのですから。

 今日、渡辺あやさんの新作ドラマが4月からということで、NHKのHPにアップされましたね。レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説の脚色ということで、どんな料理を見せてくれるのか。主役は浅野忠信さんですが、主要キャストに綾野剛さんと古田新太さん、音楽が大友良英さん、制作がカーネの城谷さんとゲゲゲの谷口さん、ということで、何とも期待と不安が入り交じりますね(笑)。まあでも楽しみです。
 あと、最高の離婚の再放送も来週21日からですね(おそらく連日)。お忙しいと思いますが、僭越ながらファンを代表して(笑)、よろしくお願いいたします(笑 でも無理はされませんように)。

 

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

渡辺あやサンの新作、ですか~。 なんか見るのが怖いような…。
なにしろやはり、いくら傑作を書いた人でも、それを期待して次回作を見ると失望、というケースがかなりございますからね。
渡辺サンの場合、「ジョゼ」「火の魚」「カーネ」 と傑作続きだったけれど、「カーネ」 だけはやはり別格。 あの深さに肉薄できるのは、ご本人でもかなり難しい、と感じます。

「最高の離婚」 の再放送、いつかいつかと思っておりましたが、そうですか、ようやくですか。

こちらもご期待に添えるかどうかは分かりませんが、もし出来れば、1話ごとのレビューでもしてみようかな、と(なにしろ冬ドラマで見たいのホントないので…)。

リウ様、お邪魔します。

 想像ですが、あやさんご自身も「カーネ」が奇跡的なものだと思っていて、だからそれ以降仕事をしてないんだろうと思っていました。加えてこれまでの業績を考えれば、ここで筆を折ることもありえるかな、とも思っていました。それが杞憂となったのは嬉しいことです。
 これも想像ですが、プロデューサーに城谷さんが入っているのは、あやさんを引っ張り出すためだったのは。で、チャンドラー原作の脚色というのはこれまでの作品にないパターンなので、また新たなチャレンジになるのでは、という楽しみがあります。
 ただ、前のコメントに書きましたように、「ゲゲゲ」と「カーネ」と「あま」のスタッフや俳優が揃っているところに、逆に不安を覚えました(笑)。まあキャスティングは偶然なのでしょうけど。(そういえば「梅」の滝藤さん、「てっぱん」のエンケンさんもいる。。。(笑))

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

地方でのんびり暮らしているんだから、無理して引っ張り出さなくてもいいような気はいたしますが(笑)。

エンケンサンはお正月に見た 「かすていら」 がよかったな~。 浅野サンは、映画によく出てる感覚かな~。 あまりこの人の演技、見たことない気がします。 その数少ない記憶をたどると、なんとなくあまり好きじゃない演技してたような気がする(笑)。

あまり興味のない人が主役をやると、それだけでドラマの本質をつかみにくくなる傾向というのはございます。
「はつ恋」 の場合、三島を演じた伊原サンが、私あまり興味のない役者さんでして。 だから三島に結構敵意を持ちながら見てた(笑)。
でもそうすると、ドラマの本質というものは、やはり見えなくなってしまうものでして。

「カーネ」 の場合はやっぱり、尾野サンに注目していた矢先だったから。 相性というものは、やはり発生していたんでしょうね。

匿名サン
あなたの心ないコメントは削除いたしました。

私だけを誹謗するコメントなら、永遠に残して差し上げるんですが。

あなたは心が貧しいですね。 おかわいそうに。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

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    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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