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2013年12月22日 (日)

「八重の桜」 最終回 しなやかな強靭さと脆さを共有した物語

 当ブログ的には、毎回フォローをするわけではなかった、今年の大河。 自分の故郷福島県のご当地大河だったってのに。
 つーか最近、コメント欄の充実ばかりで、肝心の本編のほうが全く疎かになっている、いわば 「仮死状態」 になっている当ブログであります。 非常に拙いブログではございますが、こんなどうしようもないヤツに期待をかけてくださる読者の皆々様には、ここであらためてお詫び申し上げます。
 その前回の感想が、第44回 「襄の遺言」 までだったので、今回はそのあとの6回分を回顧し、さらに総括的なレビューを目指したいと思います。

 京都編に入ってからのスケールダウン感は、前回の感想で述べたとおり。
 鶴ヶ城落城までは、出番こそ少なかったものの、八重はきちんと、歴史の表舞台に陣を構え、しかも女性でありながらその最前線において戦っていた、という印象が強かった。
 物語は八重が鉄砲に興味を持ってから、会津の京都守護職、そして官軍から賊軍への立場逆転、戊辰戦争へと、まさに一直線の性格を有していました。
 会津編では、私も泣きまくりました。 申し分ない出来だった、というのが私の評価です。

 それが京都編になると、八重は新島襄の妻になることによって、悪く言うと夫の優しさの陰に安住。 また、西南戦争のような、「かつて自分がいた場所」 の人々たちの行く末にも、外野からただ心配するしかない。 そんなもどかしさが、見ていて常についてまわった気がします。

 ドラマでは確かに 「やえ」 を 「ぬえ」、と絶妙なギャグセンス(笑)で揶揄する同志社の学生たちとも、八重は正々堂々と渡り合った印象はあるし、学校の出資者であるアメリカの伝道団体の意向とも闘ってはいました。 ただそれは、個人的な感想を申し上げれば、(あくまで)会津編に比べるとコップの中の嵐、といった感覚に過ぎなかった。

 おそらく作り手が思い描いた大河ドラマの構成としては、前半が本格的な大河ドラマスケール、後半は等身大のホームドラマ、だったのではないかと感じます。
 八重の人生を俯瞰した場合、それはそれで大胆な場面転換であったろうし、ドラマとしても一本調子で飽きられることを回避する、最良の策だったかもしれません。

 ただ、それが物語の全体的な整合性にとっては齟齬をきたすことになった気はどうしてもする。
 まあ、コメント欄にも書いたのですが、人の一生なんて、結構あっち行ったりこっち行ったり、フラフラしてるもんですよ。 全体のバランスが取れた人生を送っている人なんか、そんなにいるもんじゃないとは思います。
 でも、会津編がかなり一直線なプロットバランスを保っていたのに対して、どうしても京都編は論点が定まらない。
 それは先の感想でも書いたように、会津時代のオトシマエというものを登場人物たちが取っているように見えない、という物語の弱さに原因があったのではないか。

 そしてもうひとつ、物語があれもこれも、と欲張りすぎてしまったことにも原因の一端がある気がします。
 会津藩の人々が飛ばされた斗南での惨状は、リアルに現場を活写することもできず、ただ山川浩の苦悩にだけスポットを当てざるを得ない。
 川崎尚之助との別れに関しても、事実関係がほとんど解明されていないから、物語の作りようがいくらでもあるのに、どうにも玉虫色の決着で収めてしまった印象。
 前半あれほど出ずっぱりだった(八重よりよほど出番が多かったのではないか)松平容保公のその後も、ただかいつまんでいるだけ。
 山本覚馬は明治に入って活躍するのですが、どういう経緯で偉くなっていったのかが見ていてどうも茫洋としている。
 覚馬に付き添った時栄についても、回を割かなければならない、という作り手のジレンマが垣間見える。
 徳富蘇峰と徳富蘆花を加えて、ジャーナリズムについても言及したい。
 伊藤博文を加えて薩長による明治政府の評価もする必要がある。

 そんなことを織り交ぜながら、新島襄と同志社の話をメインでしなければならないのですから、どうしたって論点が定まらないように見えてしまうのです。
 

 とりわけキレイゴト感が抜けなかったのは、川崎尚之助に対する取り扱いでしょうか。
 八重は 「待ってる」 とか言ってたけど、結局川崎尚之助は、八重を捨てた、ということになるんでしょう。 だから八重も川崎尚之助にあくまでついていく、という強い態度を貫く方向には、けっしていかない。

 自分を捨てた人にはついていかない。

 演出を取り除いた事実だけを見つめた場合、その八重の判断は、至極当然のような気がします。 それを 「いづまでも待ってるがら」 みたいにするのは、いかにも闘う女性の範疇ではない気がする。
 結局物語は、川崎尚之助の死によって、八重が繋いでいた思いを完全に断ち切った形として処理されます。 じっさいに新島八重サンが川崎尚之助の死を知っていたかどうかは定かじゃないけれど、ドラマのなかの八重は知らせを受け取ったことになっていた。

 どうしてこの八重の 「いつまでも尚之助さまを待ってる」 に私がどこまでも引っかかるのか、というと、その後の物語で、八重が新島襄に寄せる強い思いに、構造的にうまくつながっていないからなんですよ。

 特にラストに向かう数回で、襄の病は篤くなっていき、八重が襄に寄せる思いも、いやがおうでも高まっていった。 このラストに向かう数回は、私も会津編のときに比類するほど泣きまくりました。
 襄だけでなく、八重の人生に多大なる影響を与え続けた、兄の山本覚馬も亡くなり、八重が味わう寂寞感は、見ている私の胸を、強く締めつけました。
 この、ラストに向かう数回は、やっぱりかなりいいですよね。

 でも、襄の死にもらい泣きするなかで、「川崎尚之助のときに比べると、だいぶ八重の反応が違うよな」、つー心の声がどこかでするのです(笑)。 ドラマで川崎尚之助の死を知った時、八重はある程度の思いはいたすけれども、特に嘆き悲しんだりはしてなかったから(笑)。

 八重は、襄が死を目前にしながらも大学設立のための募金活動を強行するなかで、「これは、襄の戦いだったんだ…」 ということに気付きます。
 でも、それはもっと早い段階から作り手が八重に気付かせなければならなかったのではないか、という気がする。
 川崎尚之助と八重、新島襄と八重との関係を、ドラマ的に結び付けられる個所があるとすれば、それはその両方の関係が、「夫婦」 であるということよりも、「ともに戦った戦友である」、ということに、その本質が帰着するのではないでしょうか。
 その関連性について、作り手はどこかでちょっと言及していたような気もするけれど、憚りながら言わせていただければ、もっと執拗に言及すべきだった、と感じます。 川崎尚之助との結末があんなことになってしまったから、自分は襄に対してこうするんだ、自分は襄との思いに殉じるんだ、みたいな。

 そして最終回に至る、物語の大詰めの時点で繰り広げられた、時栄と久栄をメインとした 「不義の噂」「駆け落ち」 の2話。

 この2話も、それだけ費やす必要があったのかと考えると、どうも疑問がついてまわります。

 作り手の気持ちに立って考えると、山本覚馬の二人の妻について、どうしても描く必要がある、という強迫観念みたいなものはあったんじゃないかな、と思う。 ここを外して 「数年後、時栄は山本家を出、久栄は病を得て亡くなった」、というナレーションひとつで済ませるには、ちょっと私自身も、無理があるような気がします。 現代の、夫婦関係に潔癖な視聴者のニーズから言えば、前妻うらとの別れもきちんとけじめをつけるべきだし、時栄の山本家からの放逐もきちんと描くべき、という判断がなされるのも当然だと思う。
 ただ1回には収められたんじゃないのかな、と(笑)。

 当ブログの 「八重」 マスターであるささ様の考察をお借りすれば、久栄といちじ恋仲になる徳富蘆花のことまで言及しようとする作り手の姿勢が、この 「余分に思える2回」 を書かせている気もします。
 「自分のようなものは、必死になってもがいて生きているんだ」。
 「駆け落ち」 の回、蘆花は八重に向かって、そういう意味のセリフをぶちまけます。
 これは、いつも自信満々で前だけを見て生きている八重に対する、ひとつのアンチテーゼでもある。
 蘆花のヘタクソな生き方を通じて、八重の人生のスタンスを逆に浮き彫りにさせる、そんな意味合いもあるんじゃないか、と感じます。

 京都編の八重には、このように、自分が今まで会津だけで見てきた価値観とは違う立場の人々が、多く登場することになる。
 八重はそういう人たちと接しながら、自分がかつて信じ込んでいたものを振り返る機会を得ただろうし、その積み重ねが、最終的に八重を赤十字の従軍看護婦に向かわせる契機となっている。

 そのことを考えると、八重の赤十字での戦いをつぶさに描写することこそが、終盤の数回で割り当てられるべきではなかったか。

 これも実は、当ブログにコメントを下さる、rabi様のご意見に乗っかった考えです。

 八重の一生にスポットを当てた場合、だから帝国議会のこととか大山捨松のこととかは、結構瑣末な問題のような気がする。 まあすべてに連関性はあるんですけどね。
 そして徳富蘇峰が最終的に陥ってしまう、ジャーナリズムによる国威宣揚という問題も、八重の赤十字での戦いを優先すれば、別に描かなくてもいいようにも思える。 八重が戦場で見たことを描けば、戦争に対する作り手の思いを世間に向かって問いかけることが出来る、そう思うからです。

 最終回では、八重に勲章が贈られたことにも時間が割かれていた。
 これは華族を除く民間人で、女性初だったということに大きな意義があることは認めます。
 ただ物語の構成からいけば、ナレーションひとつで済ませても、特に問題がないように思える。
 結局は八重が、どう戦ったかに論点の重きが置かれるべきだ、とする私の個人的な意見です。

 結局京都編は、描かれる事象が多すぎて、最終回で風呂敷をたたむのにかなり苦労してしまった。 そんな印象があるのです。

 会津に戻った八重が、西郷頼母と再会した、最終回終盤のシーン。

 頼母は、八重を、にしは何度も咲き誇る桜だ、と形容します。
 これは、桜が太平洋戦争当時、パッと咲きパッと散る、潔さの象徴とされてしまったことに対する、作り手なりの答えになっている気がします。 まあ作り手がそこまで意識していたかどうかは不明ですが。

 桜は、咲いて散って終わりじゃない。
 その季節になれば、毎年、何度でも咲く。
 
 けっして滅びの美学だけを宣揚している花ではないのだ。

 桜は、再生の象徴。
 これはふるさと福島に対する、この大河としての大きな励ましのように思えるのです(「花を咲かせる」 という形容について私の別な考察は、前回レビューに付属のコメント欄を参照してくださいまし)。

 そして、ラストシーンでの、徳富蘇峰との語らい。
 「自分が鉄砲の最後の一発を使うとすれば、どこに向かってそれを撃つか」。
 鶴ヶ城で戦い続ける八重を、歳を重ねたもうひとりの八重が見つめ続けます。
 若き日の八重は、その最後の一発を、重苦しい光をたたえた、天に向かって放ちます。

 このラストシーン。

 答えは言葉によって明示されません。
 答えが用意されなかったかわりに、八重のつぶやきで、このドラマは締めくくられる。
 いわく、「私はあぎらめない」。

 この終わりかたは、とてもよかったと感じます。

 私なりのその答えを考えるとすれば、それは人の心に巣食う、悪魔に対してなのではないか。
 相手の心を考えない、その悪魔。
 人が相手の立場に立って考えることをやめたとき、暴力は肯定されます。
 でもそれを、ただ傍観しているだけではダメだ。
 あきらめては、何ひとつ解決しない。

 この、論点が定まらなかった京都編のラストを締めくくるのに、これだけ余韻を残す見事な終わらせかたもないように、私は感じます。

 まあ、文中散々京都編にミソをつけましたけど、会津編に限って言えば、冒頭に述べたとおり、かなり完成度の高い大河ドラマだった、と感じます。
 松平容保公の行なった軍事的なことに関しては、コメントをいただく巨炎様から、かなりネガティヴイメージを植え付けられましたが(笑)。
 ただまあ、250年以上も続く平穏な日々から、このような激動の時代に陥ったのですから、戦いかたがヘタクソだった、という言い訳もできるかもしれません(笑)。 長州だって、最初はいろんなとこに負けてるし(笑)。 孝明天皇が味方されていたころはよかったけれども、急展開で逆賊扱いされてしまって、アタフタしてしまった、みたいな(笑)。 それと、攻撃しているうちは威勢がいいかもしれないけれど、いったん守りに入るとかなり軍略的に稚拙だったのではなかろうか、と(笑)。

 全体的に申しまして、よいところも悪いところもあった大河だったような気がします。 会津人の生き方がもつ、しなやかな強さと、作り手が言いたいことが多すぎるために起こる、話の弱さ。 そんな両極面が現れた大河だったような気がするのです。

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コメント

>前半が本格的な大河ドラマスケール、
>後半は等身大のホームドラマ、
私は逆でやって欲しかったですね。
「幕末のジャンヌ・ダルク」と宣伝しながら
「明治のナイチンゲール」にしたいのだろうと
先は読めていただけに
「戦争の皺寄せは弱者にいく」という事実と
八重が向き合う方向に話が進まないのでは。
(尚之助は皺寄せを受けた典型の人物)

前半は八重を中心に会津の人々の暮らしを描き
後半は会津に残った人、離れた人
それぞれの形で敗戦を乗り越えようとする様を
描いてくれた方が感情移入しやすいです。

正直、会津が逆賊だろうがなかろうが
薩長と会津のどちらが正しかろうが
あまり興味がないですし。

まず、福島県の震災復興の為の大河ドラマとしては、役割を十分果たしたと思います。

八重さんという人物が主役に向いてたか?というと、多分向いてない。残念だけど。ジャンヌダルクだって、鵺だって、兄様の指南があったり、新島襄の妻という立場の成せるもの。ナイチンゲールのみが、彼女が主体的に役割をはたした事であり、それ故の勲章でしょ?でもそれと、会津の復権は、一緒にしなくてもね。と冷ややかな自分もいたりします。やっぱり平塚らいちょうでしょう。この際は。(笑)

でも最終回の最後に実際の八重さんの晩年の姿が、フィルムで出てきましたが、気難しそうなご婦人でしたね。教会にあんなご婦人がいたら、まず私は回れ右して、逃げます(笑)つまり、綾瀬はるかゆえのマジックがあったと思います。

脚本の先生は八重にとって影響力があったのは、兄と会津公だったという考えだったそうなので、八重の桜が覚馬の桜や容保の桜だったりしたのもそういう意図で、その分二人の旦那さん達は、わりとあっさりだったかなあと思っています。

まあでも一年間楽しかったです。来年はまずは初回で様子見しますか。(笑)

巨炎様
最後まで素っ気ないコメント、ありがとうございます(笑)。 巨炎様が醒めた目でこの大河を見ていたことだけは伝わってまいります(ハハ…)。

まあ、どちらが正しくてどちらが間違っている、ではなくて、どちらにも義はあった、ということをこのドラマでは強調していたようにも思えます。

私が見ていて不満だったのは、八重が信仰を得たことで、もうちょっと劇的に今までの自分の直情的な生き方を振り返ることが出来たんじゃないかな、という点もひとつありました。 見ていてあまり、「赦す」 というキリスト教の教理が感じられない、というか。

まあ、自分も 「赦す」 ということ自体を表面的な方向でしか理解できてないから仕方ないのだけれど。

罪を許す、許される。

山本覚馬が時栄と共に洗礼を受けた時も、それで過去をチャラにするのかな、という思いが抜けなくて。 まあそれはそれとして。

赤十字の描写は、そこんところも克服できる場だった、と感じるんですけどね。 たったこれだけで終わりかよ、という感じでした。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

かなり感動もさせていただいたのに、結局酷評みたいなレビューになってしまいました。
特にオーラスに向かう数回は、1回ごとにレビューしたいほどの出来だったように思います。 セリフのひとつひとつに含蓄があって、襄の思い、覚馬の思いがとてもよくまとめられていたと思うので。

結局作り手の立場に立って考えてしまうんですよね。 自分もこうして文章を書くのが好きな人間だから。
ああすりゃよかったんじゃないか、全体的な構成はこのほうがいいんじゃないかとか。

まあだけど、覚馬の 「再び戦に学ばず」 というのは、逆じゃないかなとか思ったり(笑)。 「戦をしたことには、学ばなきゃならんだろう」、みたいな(笑)。 学ぶという意味が違うのかもしれないけど。

あと気になったのは、やはり年相応にみなさん老けていかない、といったことでしょうかね。

特に山川健次郎は、んー、もう少年のままつーか(笑)。
だからセリフに重みがないんですよ。
つーより、この人を演じた勝地涼クン、「あまちゃん」 での腰クネクネ男のインパクトが強すぎたのかな(爆)。

いずれにせよ、ここに集う方々のご意見は、「ナイチンゲール編にもっと力を入れるべきだった」、で一致を見た、ととってよろしゅうございますね(笑)。

健次郎は白虎隊に入れない年頃から演じていらっしゃるから(笑)若いのもご愛嬌(笑)!玉鉄も老けないし。大河じゃ、老けないみたい。(笑)

来年はオジサン大河だそうですので、その部分は期待できるかも。

今日ニュース9で、綾瀬はるかさんのインタビューがありました。良かったです。

綾瀬はるかさんは美しい!シワなんぞつけられないです。(笑)

リウ様
おはようございます。

いささか、タイミングが遅くなりましたが。
私も、「最後に残った一発の弾を何処に撃つか」で締めたラストは中々のものだったと思います。
全く違う世界ではありますが、「仁義なき戦い」ラストの菅原文太さんの名ゼリフ、「弾はまだ一発残っとるがよ」を思い出しました。

「仁義なき~」で文太さん演じる広能は、結局その一発を懐に呑んだまま、無残、無益なヤクザ同士の抗争に身を投じていくわけですが、八重は、天に放つことによって、憎悪の連鎖から自らを、そして周りを解き放とうとしている。このドラマのラスト2~3週に込められたメッセージが見事に結実したラストだと思います。

はっ(能年ちゃん風に)・・そうだ。「仁義なき戦い」と言えば広島、もしかして、これは広島出身の綾瀬はるかちゃんへのはなむけだったり・・・する訳はないですよねえ(笑)。

ただ、私とすれば、もう少し時代を引き延ばして、日露戦争後に持って来れば、ポーツマス条約の妥結を支持した徳富蘇峰の「国民新聞」が、日比谷焼打ち事件の暴徒に襲われるというエピも描けたのになあと思いましたが。
そうすれば、蘇峰も単なる分からんちゃんではなく、自分が煽って育てた「世論」が怪物化したときの恐ろしさを思い知るという展開になってよかったのではないかと。

まあ、いずれにせよ、私も途中では「朝ドラ大河」などと言っておりましたけど、最終コーナー、というかゴール前直線でかなり盛り返したという感じでしたね。特に、このメッセージは、観る側も真摯に受け止めていかんと思いました。特に、当節においては。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 ぜーぜー(笑)。 仕事はまだ続きますが(笑)とりあえずヤマは越しました(笑)。 これで年末の大掃除とか、やってられるんでしょーか(笑)。 疲れて寝ているあいだに来年が来そうです(笑)。

山川健次郎は、科学者として大家になるまで、自分がなれることのなかった白虎隊を貫いたんですね(笑)。 だからいつまでたっても少年なわけだ。

いつもの年なら、いつの間にか登場人物は老けメイクとかになっていて、回想シーンがあると 「あっ、こんなにだったんだ」 と気付かされることが多いのですが、今年に限っては全くそれがありませんでしたね。 鉄砲を持つ自分自身を見つめる壮年期の八重、どこが違うのかな、みたいな。

まあ、新島八重自身が老けることを拒んだ、という解釈で、ということにしておきます(笑)。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

「仁義なき戦い」 はワタシ詳しくないんで(つーか1本も見たことない…笑)(♪チャララララララ~という音楽だけは分かる…笑)ちょっと話題についていけなくて残念なんですが。

戦争に対するこのドラマのメッセージは、まあ贅沢を言わせていただければ、もっと踏み込んだものにしてほしかったような気もいたします。

ドラマの中で、かつて八重は、自分も敵を殺したことがある、というセリフを言っています。 ここをきちんと膨らませてほしかったような気が。

人を殺したことのある人物だからこそ、もっと踏み込んで言えるセリフがあるのではないか、と。

学がないので、徳富蘇峰が日比谷焼き打ち事件の際に襲われたことは不勉強でしたが、ジャーナリズムに関しては、もっと本質的な問題が隠されている気がします。

それは、「売れるように書かなければ、自分たちが存在できない」 という側面です。

だから彼らは、ものごとの本質よりも、センセーショナルな書きかたを優先しようとする。

安倍首相の靖国参拝だって、中国や韓国がギャーギャー騒ぐのやアメリカが 「失望している」 のが問題の本質じゃない。 A級戦犯が祀られているというのが問題の中核にあるのであって、彼らが国体の中心としてあがめさせ国を誤らせた当の昭和天皇自身が、A級戦犯が祀られて以降、靖国を参拝をしなかった、ということが最大の重要なポイントなのだと思う。 昭和天皇自身も戦争の責任を免れるものではないけれけども、昨今ではこの議論が極端に抜けている気がしますね。

このドラマに関してだけ言えば、中途半端にジャーナリズムの問題を採り上げるより、あえて徳富蘇峰については軽く触れるだけ、という選択肢もあった気がしますね。

あまりに饒舌になりすぎて、肝心要だと思われる赤十字の描写が出来なかった印象が強いので。

全方位的内容になってしまったのは、NHKさんの官軍政府への配慮?じゃないかしら。徹底して、会津を被害者にして、それこそ、城下の民衆まで、焼け出されて大変だったとか、描いても良かった。(笑)

狙撃手という敵の命を奪う仕事をしていた者が、敵、味方関係なく、人の命を救う者になったんですから。実際、綺麗事だけじゃないだろうなあと予想したりします。だから、彼女は老けないのかもです。(笑)いびつさの象徴として。そんな皮肉はないなあ。(笑)

私も30日まで働く事に。掃除、もう、なし崩し的に諦めになってます。おせち料理も作らないといけないし。既製品が嫌だと文句垂れる家族がいまして。まあ、あれに数万円、縁起物とはいえかけるのも、宝くじを買うより無駄な気もしてるから、仕方ないです。おせち料理という名の家族の好物を作るのが大晦日の主婦?の仕事(笑)紅白を見ながら。

官兵衛は、岡田くんが、若くはないので、重厚な大河になるかもしれません。でもタッキーの鼠小僧にちょっと心惹かれるかも。(笑)では、良いお年を!

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ささ様には、今年も1年、怠惰な私のやる気を引っ張り出していただきました。 よいお年を!

とご挨拶したところで(笑)、いびつさの象徴とは、さりげなくキツイこと書きますね(笑)。

去年は帰省で大変、今年はお仕事で大変。 主婦のかたは年末年始、気が抜けないですよね。 せっかく正月をゆっくり過ごすためのお節料理も、昨今では簡単なもんで、あっという間に消費してしまって、もう2日からはフツーの料理が復活、というパターンですもんね、ウチでも。

当ブログ、今年はまだ営業の予定…ではおりますが(笑)予定は未定、たぶんお目汚しをすると思います、まだ(笑)。 ではでは。

健次郎は、兄の大蔵、ヒロシくんから、「切腹しろ!」って生き残った為に言われてますから。ドラマでは、奥方を亡くした直後の大蔵が、八当たり気味で言ってましたが、白虎隊で切腹できなかった、というのは、(年齢が足りないという設定でしたが)トラウマだろうと思います。だからこそ、会津への帰属意識も健次郎は深いし、史実だと、壮年になって愛国者になっていくんでしょ。

健次郎を描いて行くのは、白虎隊で死んでいった青年達がもし、生き残っていたら、長じて、こういう人生もあったかもという提示にもなってると思います。つまり、健次郎は白虎隊の散っていった命を背負っていたんですね。それと、三郎との対比もあったと思います。桜としてね。わたし的なこじつけですが。

龍馬伝、やっと、新天地長崎を見ました。やっぱり、私には、こっちの方がわくわくする。お子様なんだわ(笑)

八重さんのナイチンゲール期が駆け足だったのは、多分に会津篇にじっくり時間をかけた結果、配分が足りなくなったのかと。(笑)でも、会津篇が充実したおかげで、リウ様の心をしっかり掴んだのだし。(笑)復興大河だし。

先日、双葉町の、埼玉にあった避難所が閉鎖されるまでのドキュメンタリーをNHKでやっていて、見ていて、辛かったです。避難所がなくなっても、帰る場所は、自分達の故郷の家じゃない。原発事故がなければ、そんな苦労もなかったわけだし。

では、リウ様、良いお年を。大晦日、楽しみましょう!お掃除して!(笑)


ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ちょっと大滝詠一サンが亡くなった、というニュースを聞いて、あまり心から浮かれる気分ではないハシモトです。

「龍馬伝」 はたしか、もうお龍との新婚旅行も終えたころでは?(笑) 「八重」 が全体の構成でつまづいていた印象があるのとは裏腹に、この 「龍馬伝」 はシーズンごとにテーマが明確で、かなり練り込まれていた、という感じがします。

健次郎が白虎隊の代弁者になかなか見えてこないのは、やはり演者が年を取らないということが大きかったですね。 そこをものともせず、物語の本質を見極めてます、ささ様。

このドラマが後半、ことさらに明治政府のあり方を描こうとしたのも、翻って復興に対する現政府のあり方を問題にしたかったためなのかもしれません。

ただ、それを明確に打ち出すには、やはりささ様のおっしゃるように、城下の民衆まで描く必要があったでしょうね。

ではでは、時間的にもうこれが今年最後のやり取りになるかもしれません。 よいお年を、お迎えくださいませconfidentconfidentconfident

私は、八重の桜が明治政府のあり方を描いていたのは、会津をぶっ潰してまで作った!政府というのが、行き当たりばったりだったり、きちんとした計画ができてないまま勢いにまかせて作ったものであっても、(兄様の方が行政力はあったりしても)でも、歴史として、変わっていく事に何かあるのではないか、それと、政治というのは、時に衆愚に流されたり、翼賛的になったり。でも、民衆が、市民が政治参加することが必要だという、まあ、公民の教科書のような提示もあったかな?と思っています。(笑)

のわりに、民衆は会津時代はほとんど出てきませんが。(笑)

龍馬伝、腰を落ち着かせて見ないといけないので、テレビにかじりつく時間がいるんですね。なので、録画がたまってしまって、龍馬は、もうハネムーンに行ってしまってる〜(笑)

紅白、あまちゃんコーナーが充実してましたね。薬師丸ひろ子さんに感動しました。

軍師官兵衛、山本勘助の風林火山以来の軍師ものですね。さて、戦わずして、平和を築けるのか。お手並み拝見かなあ。(笑)

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

時間的にこれが今年(去年)最後のコメントか?などと書いていたら、滑り込みでコメントをいただいてましたささ様から(笑)。 見落としてましたゴメンナサイ。

世の中が変わっていくことに対して期待を寄せる、というのは、どうも民主党でみなさん懲りているはずなんですが(爆)。

つまり、いくら明確なビジョンがいくらあろうとも、実行力が伴わなければ政治は動いていかないし、2番目狙いで満足するようなアグレッシヴさでは、けっして2番さえも勝ち取れない、ということなんですよね(ハハ…)。

弁証法的に世の中が次の段階へ進むことって、日本の場合あまり馴染まない気はいたします。 注視すべきなのは、いかに庶民の感覚に立った政治が出来るかどうか。 税金なんてものはふんだくりゃ無尽蔵で出てくるんだ、なんて感覚でやってるから、国立競技場にアホみたいなおカネをつぎ込みたがるし、本人がタダ働き1年間するってほうがよほど都民税の節約になるのに、何億(何十億?)というムダ金を使ってやり直し都知事選挙するとかね(ほんとバカ)。

年の初めから行政への苦言です(笑)。

明けましておめでとうございます。今頃でごめんなさい。(笑)まだお屠蘇の余韻が残ってまして。

都知事選挙、一年でやり直しってなると無駄って言えば無駄かもしれないですが、お金をせっかく動かすのですから、民意の発露をする機会が増えたと好機に捉えてはいかがでしょう。何せ、選挙じゃないと、政治家に物申すのは出来ない仕組みデスから。(笑)消費税が上がる前に行われるのが、誠意だと捉えるとか。

冬の寒い時期に、都民の皆様には、民主主義の実践を頑張ってください。と他県民の立場より気楽に申し上げます。首都東京の繁栄あっての日本ですけどね。

八重の桜を見ていて、会津が気の毒とは思いましたが、でも、近代化して、明治になってしまった事を否定はできないです。そのおかげの昭和生まれで育ちなので。徳川幕府がまだ続いていたら、そのうちそんなパラレルワールドなお話がドラマになるかもですが、どうなっているんでしょうか(笑)

では、今年は軍師官兵衛の記事を書いてくださいます事を、期待しております。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

夜中にコメント…(笑)。 私もこの正月は寝正月で、夜昼分からないほど寝まくっております(笑)。 これじゃたまった録画がこなせない(笑)。

まあ、都政に対してだけの文句になってしまった感もございますが、ホントは中央も地方も、みんなひっくるめて、という感覚ですね。
私の暴論的持論なのは、「行政をすべて民営化せよ」、ということ(笑)。 でも、税金っていうおいしい収入源があれば、いくら民営化したって組織は腐ります。 これをおいしいシステムにしてしまっているのは、実は国民自身なんですけど、チェック機能というものが容易に行使できないジレンマというものも厳然としてある。

独立行政法人の無駄遣い、というものが露見しても、国民からはなんの反応もないでしょう。 ワケ分かんないからですよ。 言っても仕方ない、と思ってる。

それを選挙で正そうとしたって、どうにもならんのですよ。 結局行政を遂行するのは公務員たちであって、自分が庶民から支持を受けたと勘違いしている政治家が彼らのケツを叩かなきゃならない。

でもその政治家にしたって、支持を受けたんじゃない、国民から委託されているんですよ。

それが、政治家になればなったで、なにかに口出ししようとするとその部署にはその部署なりの決まり事というものがあって、容易に動かせなかったりする。 もしその決まりごとを変えたとしても、言いだしっぺに責任がすべて集中する構造は、これはどの世の中でも一緒のことで。 「言い出したのはオマエなんだから、オマエがなんとかしろよ」、ってなもんです。

自分たちに命令する側(知事とか大臣)がコロコロ変わって、自分たちはそれに従わなきゃいけない、なんてのも、公務員たちのモチベーションの問題で。

結局選挙なんてものはですね(笑)、世の中を変えるためになんの役にも立ってない、というのが私の独断と偏見に満ちた答えですね。 まあ、変なのを当選させない、という歯止めくらいにはなってるかもしれません。

これはまったくの極論なので、皆様方にはまったくなじまないと思いますけど。

でも、行政の運営方法を見ていると、もうなんつーか、無駄だらけでホント、腹が立つんですよ。
彼らがどうしてそんな無駄を放置しているのか、というと、税金という実においしい収入源があるからなのであって。 そこにすべての原因がある。

で、足りなくなったら国債とか? で、国の借金が何兆円、何十兆円とか? 借金すればいいと思ってる。

足りなくなったら使わないようにするのが筋でしょう。 予算を削減するのが筋でしょう。

そこがバカだというんですよ。

あ~なんか、正月休みでヒマだから、つまんないことダラダラ書いてしまった(ハハ…)。

まあ、酔いが抜けきれないオッサンのタワゴトと思って、読み流してくださいまし。

今日は仕事だったので、夕食の支度をして、8時に滑り込みセーフ!軍師官兵衛を見ました。夕食を食べながら。(笑)

今、クタクタです。

第一回としては、概ね、よろしいのでは?

でも、胸を熱くする程じゃなかったです。

巷で、囁かれてる、藤村志保さんのナレーションについて。

私は唯一、心惹かれました。もし、来週も見るとすれば、ナレーションの為に見ます。

聞き取りにくい!(笑)脆弱だなあ。はっきり元気良くな明るいナレーション、私は風情が無くて嫌です。バスガイドじゃないんだから!ナレーションは、説明もあるけど、ドラマに陰影を与える役割でもあるのだから。

大河って、手取り足取り世話するドラマじゃない!文語調の言葉を聴き取れる努力をしましょう(笑)

それだけは、思いました。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れましたこと、お詫び申し上げます。 実はコメント、いただいたことは分かっておったのですが、もうパソコン開いたまま寝てしまったりとか…(笑)。 大変失礼いたしました。 しかも 「官兵衛」 のレビューのほうを優先したりとか。 もう失礼の極みですね。 反省いたします。

で、その官兵衛のレビューのほうにはあえて書かなかったのですが、ささ様から頂いた 「藤村志保サンのナレが聞き取りにくい?」 という情報を念頭に、いつも字幕付きで見ているのですが、出来るだけナレーションの部分は字幕を見ないで視聴いたしました。

聞き取りにくいとか、全然ないんじゃないのかな、と思いました。 まあ固い、文語調的なナレがいきなり入ると分かりづらいかもな、という程度。

でも私もささ様と同意見ですよ。 昔はこういうおどろおどろしいの、結構あった気がしますもん。

分かりにくかったのは、初回で小寺とか赤松とか万吉ファミリーの名前とか(なんか男一匹ガキ大将みたいだな…笑)、そういうのがいきなり大挙してたからじゃないでしょうか。 聞き取りにくいんじゃなくて言ってる内容を理解できなかった、という。

大女優を安易に貶めてはなりませんよthink

ただね、問題は、藤村志保さんのナレーションと赤鼻の鶴ちゃんしか、際立たない!この地味さ(笑)!嫌いじゃないけど、もう、江ちゃんと真逆で、とっても宜しいのだけど、NHKとしては、問題なのかもね。突っ込みどころがそこ!というのは。ドラマは内容でしょ。演技でしょう。内容は第一回で仕方ないところだけど、平凡。龍馬伝にガリレオのパクリに、あと、ゴニョゴニョ。(笑)でも、「実に面白い」は笑っちゃう。(笑)この際、倍返しも、おもてなしも、何でも入れちゃえ!(笑)それこそ鶴ちゃんなら、なんでもござれでしょ?「心配ご無用」は秀吉が今年も言うみたいですが。

ナレーションが聞きづらいって、ネットの評判には、本当に頭にきたので!自分達のおつむの理解不足を大女優藤村志保さんのせいにするなあ!(怒)志保さんはチャキチャキの江戸っ子だって、演じられるんだよ!来週、これで、見る羽目になるとしたら、NHKの思う壺かなあ(笑)

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 こっちもだったか(笑)。

いや~、平凡なのがいいんですよ、最近話題先行だったから。 「実に面白い」 は気付かなかったです(笑)。 「ガリレオ」、セカンドシーズンの第1回しか見てないので(ハハ…)。

鶴太郎サンは、こういうことがやれるのは、純然たる役者じゃない自分だけ、と割り切ってやってるような感覚もいたしますね。 ドラマが入ってしまうとそれにかかりっきりになって、絵が描けなくなる、とこないだNHKラジオで話してました。 絵を描いてるほうが価値があると思うんですけど(それって暗に役者稼業にダメ出ししてないか?…笑)。

まあ、ささ様の視聴動機は藤村志保サンだけみたいなので(笑)、ささ様がどこまでこのドラマについていけるかにも注目してまいりたいと存じますcatface

リタイア寸前だけど。(笑)だって、他に感想ないもの。(笑)それに、日曜日も仕事になって。もう、テンション下げまくりです。まあ志保さんは好きですけど。

グダグダ言ってますが、多分、見られると思います。一応主役がジャニーズなので、子供達の反感もそれほどじゃあないです。イモトを犠牲にしても、お姉ちゃんは許してくれます。息子は嫌がるけど。イモトの登山の方がドラマチックだけどね。(笑)

平凡より、正統派でいくなら、硬派で重厚なドラマになって欲しいなあ。軍師が主役だし。

でももう明日なんですね。(笑)

ささ様
コメントくだり、ありがとうございます。

甘い顔をすると雇い主もつけ上がって、どんどんシフト入れてきますからご注意ください(爆)。 なんたって腰に爆弾抱えているんですから。 私も湿布を貼り張り頑張っておりますが、お互い注意いたしましょう。

イモトサンはエベレストに登ることになったんですか。 なんの罰ゲームなのか、そこまでしなければこの芸能界で生きていけないのか(笑)。 シフトをどんどん入れられるパートと同じ匂いがします(笑)。

この人がマユゲを描かない状態で演じたドラマを見たことがございますが(泉ピン子サンの若い頃の役でした…いや、ピン子サン自身を演じたわけではないですよ)、この人演技力を磨いたらピン子サンクラスの存在感を発揮できる役者になるだろうな~と感じたことがございます。

まあ、人間万事塞翁が馬であります(どーゆー意味だ…笑)。 午年だから今年の目標はこれで参りたいと存じます(笑)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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