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2014年2月

2014年2月23日 (日)

当ブログはしばらくの間、お休みいたします

 このところ多忙が続いており、もう3週間も新しい記事をアップしていないこのブログ。 もうすでに休業状態なのですが、ちょっとここであらためて、この先も当分新しい記事が書ける状態でないことを、読者の方々にはご報告いたしたいと思います。

 振り返りますれば(笑)このブログは、「詩集」 として出発はしたものの(ハハ)、「質のいいドラマ批評」 を目的として存続していた部分がございます。
 それは自分ではどうにも評価できないのですが、皆様には楽しんでいただけたでしょうか。

 ブログが存続できない理由の第一が 「多忙」 ではあるのですが、このところよる年波のせいか(笑)疲労の度合いがひどく、仕事以外の時間は寝てばかり、というのもございまして(笑)。

 これからブログはしばらくの間、休養に入りますが、また再開の折には温かく迎えていただけたら、無上の喜びでございます。 もしかしたら電光石火で再開…いやないな(笑)。 まあせめて、2、3カ月くらいはお休みしたいかな。

 なお、いただいたコメントには、簡単ではございますが返信いたします。

2014年2月 2日 (日)

「足尾から来た女 後編」 異国をさまよう魂たち

 このブログの 「足尾から来た女」 の前編レビューに辿り着く人の検索ワードで、ちょっと興味深いものがございました。
 それは、「足尾じゃない」 というもの。
 そ~言やこのドラマの主人公である新田サチは栃木県谷中村の出身で、足尾とは違う。 谷中は渡良瀬川つながりで、足尾の下流にある地域でしょう。

 そのことについてつらつら考えたんですが、つまりこの物語の主たる舞台の東京の人間にとっては、意識的に谷中というのは足尾と一緒くたなんだろう、と。
 足尾鉱毒で犠牲になっている地域というのは、みんな足尾なんですよ。 ほかの地域の人たちにとってはね。
 たとえは適当でないかもしれないが、もし水俣病とか川崎病とかになっている人たちが自分のまわりに越してきたら、その人が水俣出身でも川崎出身でもなくても、「水俣の人」「川崎から来た人」 という認識になってしまう。 茨城の人でも東京に来てみれば、「福島原発のほうから来た人」 という感覚で見られてしまうでしょう。 消防署 「のほう」 から来たと言って、消火器を売りつける輩もございますが(ハハ)。

 だから 「足尾から来た」 というのは、これは差別意識が根底にあるタイトルだ、と思うんですよ。 日本人の島国根性というか、せせこましい 「ムラ(村)」 意識というものを感じさせる。
 この物語において、日本という国が国家の近代化に伴ってさらりと捨てようとしたムラ感覚が、そのままタイトルになっている、という皮肉。

 もうひとつの興味深い検索ワードは、「新田サチ 実在」 というもの。
 この前編のレビューで書いたんですが、彼女は実在の人物ではありません。
 でもどうして実在なのかに興味を抱いてネット検索しようとした人が多かったのか。
 それはとりもなおさず、この後編の内容によるものだ、と感じるのです。

 この後編では、前編以上に実在の人物、しかも有名人が大挙してドラマに絡み続ける。
 まあ田中正造は別格としてですね(笑)、前編から出ている福田英子とか石川三四郎などは実在しているんですけど、個人的にはこのドラマを見るまで知らなかった人です。 それが後編になると、石川啄木は出てくるわ与謝野晶子は出てくるわ原敬は出てくるわで。

 正直なところ、ここまで有名人が架空の人物と絡むと、どうも鼻白む感じになる。
 ただ私はサチが架空だと分かって見ているから鼻白んでしまうわけで、知らないと 「そんなに新田サチって歴史上の重要人物なのか?」 みたいになってしまう。 どうもこういう話の展開というのは、そこに目を奪われて、本来のテーマというものを分かりにくくさせる弱点がある気がするんですよ。

 でも、この後編にはこの後編なりの、テーマがあったような気はします。
 後編全体の印象としては、新田サチの居場所が定まらなかった、という感覚でしょうか。 その 「居場所の不安定感」 がドラマに与えた影響は大きい。

 前編ラストでは、スパイの罪悪感から福田の家を無断で辞めて谷中の家に戻ったら、自分の家が取り壊されている最中に遭遇した。
 取り壊しをかろうじて免れたような隣接小屋に住んでいたサチでしたが、福田英子が迎えに来て、また福田の家で住み込みとして働く。
 しかし石川三四郎に手篭めにされようとして(石川サンも散々な描かれっぷり…笑)かねてから恋心を抱きつつあったもうひとりの 「石川」、啄木のもとに逃げ込むのですが、彼もまたサチの 「居場所」 にはなり得なかった。

 後編を貫いているのは、新田サチの放浪が、そのまま棄民の精神的な放浪に通じている、という点だと感じます。
 つまり、自分の住みかを失った人が求める精神的な拠りどころが、この国にはどこにも存在していないのではないか、という漠然とした虚無。
 ドラマ的な収束としては、このような事態に対して、「字を読めるようになること」、すなわち知識を身に備えて前を向いていくことが、この虚無への対抗策なのだ、という結論を得ていました。

 早くも結論を書いてしまいましたが(笑)、必ずしも知識というものが、対抗策たりえない、ということをこのドラマは同時につまびらかにしている気がする。
 このドラマが一筋縄ではいかない原因が、ここにある気がするんですけどね(笑)。

 この後編に出てくる石川啄木は、その代表的な存在だと感じます。
 つまり彼は、サチの心を揺り動かす詩の才能というものをもっていながら、より 「稼ぐことのできる」 小説というものに拘泥されている。 それが彼の心を追い詰め、結果的に自堕落な生活を彼に強いているんですよ。 石川啄木ってこーゆーヤツなのかよ、ホントかよ、という気持ちでドラマを見てしまうと、そこになかなか気付けない。

 じっさい啄木はどーしょーもない男だったみたいですが(笑)、なまじ自らの分析とか知識が豊富すぎると、必要以上に自分のダメさ加減が見えてきてしまう好例として、作り手はドラマに登場させている気がするんですよね。

 福田英子にしても同様で、前編レビューでも指摘したように、自由恋愛という思想だけで、頭だけで恋愛を理解しようとしているから、石川三四郎のやることに苦悶してしまう。
 結局思想だけでは飯は食っていけなくて、母親の面倒も看れず質屋に頼るような生き方を強いられていくわけなんですが、福田英子にしても啄木同様、見つからない答えを探しあぐねて生きている、精神の放浪のなかにいる気がする。

 路面電車のなかで福田英子のそんな告白を聞いている最中、サチは偶然、足尾銅山の前の副社長で元大臣の原敬に遭遇します。

 ここ、また有名人かよ、という感じで見てはいけない(笑)。 「カーネーション」 での共演以来だ、という目で見てもいけない(そういや看護婦さんもたしか…笑)。

 サチは自分の義憤をかなり的確に原敬にぶつけるのですが、「私、もう当事者じゃないから」 と原はにべもない。
 ここでものを言ったのが、サチが前編で田中正造からもらっていた、ただの 「渡良瀬川の石」。 サチは思い切り、それを原に投げつけるのです。
 ドラマ的な巧妙さがここには隠れていた気がするのですが、実はサチがいくら石をぶつけても、官憲に逮捕されるわけでもないし、みんなにとやかく言われることもない(周囲の一般の目撃者たちは一瞥くらいしかしてない)。 なにもなかったと同様なんですよ。

 そこから、サチは物理的な攻撃よりも言論のほうが武器になる、という結論に達していくわけですが、「石ではなく意思」、というのは、果たして作り手の意図的に仕掛けたダジャレなのか(笑)。

 いずれにしても、ただの石を力のあるものにするには、知識という砥ぎ道具が必要。
 そして知識をより輝かせるようにするには、思想にも世間の風潮にも左右されない、正しい知識の選択と理解が必要なのだ、ということをドラマの作り手は語ろうとしている気がする。

 それを悟ったサチは、自らの思いの故郷である谷中へと戻っていくのですが、ドラマはここで、「基本に立ち返れ」 という、魂の放浪に対する一定の結論にも達している。 だからこのシーンでドラマが終わる必然性があるんだ、と思います。

 と同時に現代人にも突きつけられているように感じるのは、みんな情報とかの洪水のなかにいるけれども、果たして本当に心安らげる、魂の居場所を得ている人なんかいるのか?という問いです。
 みんな、日本という国に住みながら、日本という国家システムは、国民のひとりひとりを大事にしていない、つまりただのカネヅルというだけで(極論すれば)本当の意味で必要としていない。 年金は不安で老後の心配はしなきゃならないし、負担ばかりが増えていくし。
 誰もが日本という、仮想の母国に住んでいるんじゃないのか。
 そして精神は、いつまでも異国をさまよい続けているのではないか。

 このドラマの後編にただようある種の 「漂流感」 は、そんなことを提示していたような気がするのです。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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