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2014年4月20日 (日)

「ロング・グッドバイ」 第1回 どこにもない世界

 テレビドラマが、自分の知らない別の世界を案内してくれるものだとすれば、このドラマは 「原作レイモンド・チャンドラーの世界をそのまま見せる」 ということにだけ目的を削ぎ落し、「まるでどこにもない世界」 というものを作り出すことに成功している気がします。
 つまり、レイモンド・チャンドラーのハードボイルドの世界、というものは、もういい加減この世から死滅している、ということにほかならない。 いや、もともとなかったのかもしれない。 少なくとも日本にはそういう世界は、過去にも現在にもおそらく未来にも存在しない。
 番組HPを見たりすると、設定的には1950年代半ばの横浜を舞台としているらしいのですが、これは単なる指標であって、作り手の意識としては、「ただの昔」 で見てもらいたいという意向を感じます。

 この、「どこにもないような世界」 というもの。
 ドラマを受け取る側としては、自らの感性を試される場だと言っていい。
 冒頭から無国籍風であり、かつレトロ的である場面の連続。 役者たちの話しぶりは日本語でありながら、今やだれもしゃべらないようなセリフばかり。 「失敬」 なんて、今じゃ誰も言わないでしょう。 つまり、2014年の現在、急速に古語化している日本語なんですよ。

 どうしてそんなドラマをやろうとしているのか。
 それは真っ先に考えられるのは、やはり 「レイモンド・チャンドラーの世界を再現したい」、ということなのですが、「自分の見てる世界がすべてだと思うな」 という、主人公の探偵、浅野忠信サンのセリフに、その鍵が隠れているような気がする。
 そしてもうひとつ、浅野サンを犯人隠避でしょっ引いた刑事、遠藤憲一サンのセリフ。 「時代ってのは足が遅いんだよ、そいつはまだお前に追いついちゃいねえんだよ」。
 先の浅野サンのセリフで、見る側は 「ああ、いままでの自分のものの感じ方を、このドラマのなかでは取っ払う必要があるんだ」、と気付かされます。
 そしてエンケンサンの後者のセリフ。 これは 「国民は国家の言うとおりにする義務がある」 というエンケンサンの言葉に 「いつの時代の話だよ」 と浅野サンが反応したあとに出てきたセリフです。
 これはドラマ第1回の終盤で出てくる、柄本明サン演じる大物実業家が政界進出の際に行なおうとしたクリーンイメージ戦略のあり方と呼応している。

 つまり、これは遠くて、近い話。

 そして過去のようでいて、近未来のような話。

 そう考えると、このレトロな画面の連続も、映画 「ブレードランナー」 を見せられているような気になってくるから不思議です。

 このドラマの中でだけ話される特殊言語みたいな日本語。

 そして展開していく、近未来の予言のような映像。

 「カーネーション」 を書いた渡辺あやサンが次に仕掛けてきたのは、かなり意欲的な、下手すればドン・キホーテと嗤われるような実験的な作品、と言える気がします。 スゲエな。

 連続5回。 この先、話はどうなっていくんでしょうか。 原作読んだことないんで楽しみです。
 ただ、ハードボイルドに影響されてタバコをくゆらせながらギムレットを飲んでも、自分は浅野サンや綾野サンみたいにカッコよくはならんでしょう(笑)。

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

リウ様
こんばんは。

「スタイリッシュな日活無国籍アクション映画」という趣でした。また、やたらと雨を降らせているのは、やはり「ブレードランナー」を思い出しますね。

登場人物の言葉づかいや、若干棒読み気味のセリフ回し(失礼!)も、多分に昭和30年代頃の日本映画の世界を意識していると思います。
この、現実の世界ではなく、「映画の世界」というのがミソ。原作は未読なので、チャンドラーの世界をどのように表現しようとしているのかは分かりませんが、単なるノスタルジーや趣味嗜好だけで、このような世界を構築しようとしているのではない、という気がします。

「どこにでもない世界」の中だからこそ、現実世界を射抜くことができる。そんなものを表現しようとする目論見を、このドラマのそこここに感じてしまうのです。
それは例えば、荒れ果てた収容所のような警察署や、戦後の日本の政治家を、怪物的にデフォルメしたような柄本明さんのキャラクターなどの中に、私が現実世界のあるイメージを投射しているのかもしれませんが。

原作者のレイモンド・チャンドラーがハードボイルドの探偵小説を書き始めたのは、大恐慌で経済的に苦しく、文筆で糊口をしのぐためだそうです。そのためか、この作品の登場人物は、なにかしらを失い、あるいは、「失った後」に居る人達ばかりです。まあ、順風満帆、生活に何不自由なく家庭も円満、私の人生、とっても楽しいデス!なんて人は、そもそもハードボイルドな世界にゃいられませんが(笑)、「カーネーション」で「失うこと」に向かい合う人生を見事に描き切った渡辺あやさんが、この喪失感をどのように描くのか、注目しています。

そして、大恐慌という、アメリカ史上最大の喪失の時代を背景に生まれたハードボイルド小説を、戦争の影を引きずるどこかの時代の日本に舞台を置き換え、しかもそれを、今、この時代を生きている我々に向けて放つ意味を、このドラマを観ながら考えてみようと思います。

と、何か、小難しいこと書いてしまいましたが、そんなややこしい事抜きにしても、私の好物が詰まっているので(笑)、最後までおいしく完食できそうなのですがね。

投稿: Zai-Chen | 2014年4月20日 (日) 23時32分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

たとえばシュールレアリズムの演劇を見たような感覚。 そういう、「ワケの分からないもの」 を見ると、たいていの人は戸惑います。 で、「ワケが分からない」 と、最初の人は脱落する(笑)。

そして次に脱落するのは、いちおう物語の背景とか学習して、そこから本編を考察し直して、「その背景を表現しようとして、失敗した」、と切り捨てる人。

今回 「1950年代の横浜」「チャンドラーの世界の再現」 というキーワードでこのドラマを見ることはあまり適当ではない気がします。 お仕着せの情報や、自分の枠にはめてこのドラマを見ることが。

Zai-Chen様が解説していただいたコメント内容で、稚拙な私のレビューの頭脳的な部分はほぼ埋まったのですが(笑)、つまりこのドラマは実際にあった世界を再現しようとしているわけではなく、「大恐慌(大震災、と言ってもいい)による喪失」 とか、「憲法の拡大解釈」 とか、そんな不安を再構築して、レトロな世界に投影しているにすぎない、と感じるのです。

つまり、脚本の渡辺あやサンや、演出の堀切園サンは今回、かなりややこしいことをしようとしているように感じる(笑)。

端的にいえば、NHK流の知的遊戯。

私はこのドラマを見ていて、棒読みのレトロな口調が徹頭徹尾貫かれないことに、却って苛立ちを感じたりした(笑)。 「現代風に反応しちゃダメでしょ!」 みたいな(笑)。

このドラマ、正直言って大人の感覚で見ないと楽しめない気がします。

投稿: リウ | 2014年4月21日 (月) 13時59分

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投稿: Pharmd646 | 2014年4月21日 (月) 16時14分

リウ様
こんばんは。
コメントありがとうございました。

あくまで私見ですが、「ワケの分からないもの」に対する度量の大きさで、その人や社会の文化的成熟が推し量れるのではないか、と思っています。
「カーネーション」で糸子が、直子の同級生作のケッタイなオブジェを見て、「ウチにもよう分からん。けど、本気なんは分かる」と言ったあの感覚。あれがないと、新しい表現などはそうそう表に出て来ません。

そうした意味では、やたらと「成果」を求められ、更に「分かりやすい」プレゼンこそ正義とゆうてるような昨今の風潮の中からは、善きにつけ悪しきにつけ、人の心を引っ掻き回し、「何だこれは!」と言わしめるような表現は出て来にくい時代なのかもしれませんね。

だからこそ、このドラマに期待している部分も大きいのです。

でもですね、このNHKの土曜ドラマ枠って、結構昔から、前衛的、挑戦的な内容の作品を作っていましたよね。最近では「外事警察」だってそうだし、私は昔観たつげ義春原作「紅い花」の「ワケ分かんなさ」が忘れられません。
何が何やら最後まで理解できませんでしたが、金太郎飴売りの親子の、「ほらポッキン、金太郎」「ありがとう」というやり取りは相当クッキリと心に刻まれております。

それと比べると、この「ロンググッドバイ」でも、随分しっかりエンターテイメントしてると思うのですがねえ。

投稿: Zai-Chen | 2014年4月21日 (月) 19時23分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

2014年の日本というのは(大きく出たぞ…笑)、「出る杭は打たれる社会」、と申しますか、「人に優し過ぎる社会」、という気がいたします。

つまり、少しでも誰かが傷つくようなことを言えば途端にバッシングが入る。 私もブログをやっていて、「滅多なことは言えんよなあ」 と自制することがとてもあります(本編では言わずにコメント欄で本音を言いまくるとかしてますが…笑)。

でもこれって、はみ出し者でも受け入れるような度量が国民の間で極端に目減りしている表れではないだろうか。 「寛容」 という気持ちの余裕がなくなってきていることの証しではないのか。

つまり、この世の中は成熟に向かっているのではなく、コドモ化しつつあるのではないか。

だからこそこのドラマがハードボイルド、という形を借りて、「大人とはこういうものなんだ」 ということを改めて提示したがっているように思えます。

「ワケ分かんないからパス(あるいは批判)」、というのは、実は子供の行動パターンの最たるものでもある。

「紅い花」 は原作は知ってるけど未視聴でした。 「ポキン、金太郎」 というのはつげサンの別のマンガですね。 つげサンのマンガをいろいろとつなぎ合わせて作ったんだろうなァ。

そう言えば土曜ドラマで私が最初に見たのが、唐十郎サンの 「安寿子の靴」 だったことを思い出しました。 唐十郎サンの息子の大鶴義丹サンのデビュー作。 大鶴義丹サンがまだタダのデブだった(笑)。 これも相当シュールな作りでしたね(唐十郎サンですし…笑)。

まあ、中島みゆきサンの主題歌と(これまだ未CD化だと思います)当時大ファンだった小林麻美サン目当てで見たんですが(笑)。

投稿: リウ | 2014年4月22日 (火) 11時15分

終わりましたー。

雰囲気重視の作品でしたな。
話が動き始めるのが後半になってからなので
(それも「カーネーション」三姉妹編のような怒涛ではない)
ちょっと好き嫌いが別れそうな確かに実験的作品でした。

しかし綾野剛は悲劇の男面して生き残る辺りは
大河から相変わらずでした(爆。

投稿: 巨炎 | 2014年5月19日 (月) 16時26分

リウ様、こんばんは。

 巨炎様が書かれたように、3話目から引き込まれました。最終回まで視て、有名な「男はタフじゃなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない」というフレーズの作品化には成功したような気がしました。今のところ、さすが渡辺あや様、といった感想です。小雪さんたち俳優を含めて映像も良かったと思います。(でもこの映像も好き嫌い分かれるでしょうね。)

投稿: Fクルーラー | 2014年5月20日 (火) 00時31分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

綾野サン、生きてたんですか(笑)。 別のコメント返信にも書いたのですが、2回目途中で爆睡してしまってから、どうも先を見る気がしなくなって(笑)。 つーか、ドラマ自体をここ2週間以上まったく見ていない(ハハ)。

私も早くポール後遺症から立ち直りたいものです。

投稿: リウ | 2014年5月20日 (火) 14時26分

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

じゃ私が爆睡した次の回から面白くなるんだ(笑)。

私はこういう実験的作品も好きなんですが、内容に引き込まれなければそれもただのカッコつけになってしまう、と思ってます。

私も若い頃は実験的な詩ばかり書いていたよなー(遠い目)。

投稿: リウ | 2014年5月20日 (火) 14時36分

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