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2014年4月 1日 (火)

「笑っていいとも!」 を見なくなった理由って

 「笑っていいとも!」 が32年の歴史に幕、ということで、昨日の最終回を見たんですが(グランドフィナーレは録画したけど長すぎてまだ全部見てない)、何年ぶりぐらいだったかなー、見たの。 もう覚えてないくらい長いあいだ、この番組は見てなかった。

 いっぽうでタモリさんのもうひとつの番組、「タモリ倶楽部」 は現在に至るまでほぼ欠かしたことなし。 あまりにもつまんない企画のときは録画したものをスッ飛ばしながら、「空耳アワー」 だけは見る(笑)。
 ただ個人的な見解を申せば、タモリさんのパーソナリティは 「タモリ倶楽部」 のようなニュートラルな時に最大の魅力が引き出されるのであって、豪華な幕の内弁当みたいな 「いいとも」 ではただ消耗するだけ、と長いこと考えていました。

 でも今日、変に好感度が高く、「信者」 とも呼べる層が存在しているのは、「いいとも」 の功績が大なのだ、と感じる。
 もともとカルト的な位置に属するタレントなのに、タモリさんは広範に一般受けしているんですよ。
 だいたい出はじめが、「イグアナのモノマネ」 とか、「○ヶ国語麻雀」 (何ヶ国だったっけな)ですからね。 すごく異端だったわけで。
 で、「今夜は最高!」 なんて番組でそんなにうまいとは思えない(失礼)トランペットを吹いたり、結構そういうエンタテイメントが好きな人なんだな、という認識でいたら、いきなりフジテレビの昼間の帯番組、でしたからね。

 オッサンの昔話は続きますが(笑)、前番組の 「笑ってる場合ですよ!」 がその当時人気だったのが急速に下火になっていったところになんだか事件が起こって 「笑ってる場合じゃない」 とか新聞で報道されて(この見出しのセンスは未だにいいよなァと思う…笑)、打ち切りになってからの 「いいとも」 は、最初そんなに注目されていたわけではなかった覚えがあります。

 「なんかフジテレビの昼間やってる番組が面白いらしい」 と当時高校生だった私たちの間で噂になり出したのは、番組開始から4ヶ月か5ヶ月くらいたったころかな~。 「どうもゲストの知り合いにいきなり電話をかけて、その友達が次々と出てくるようなことを毎日やっているらしい」、と。 その 「アポなし」(当時そういう言葉はなかったと思う)で予期しないことが毎日のように起こるらしい、と。
 春休みを利用して 「いいとも」 のテレホンショッキングを見たんですが、これが実にスリリングで楽しい。 この人の友達がこの人なのか、という驚きもあったし。

 大学生になって時間の制約があまりなくなってからは、さんまサンとの金曜日のトーク、「日本一のサイテー男」 が特に楽しみで。

 昨日の 「グランドフィナーレ」 でそのコーナーが復活していたけれど、やはりちょっと距離があるたけしサンよりも、さんまサンのほうがタモリさんはしっくりくる。 つーかさんまサンが全天候型なんだ、という感じですが(笑)。
 この、タモリさんとさんまサンのトークがなくなった時だったな、私が 「いいとも」 を見るのをやめたのは。
 もともとテレホンショッキング以外のコーナーはさほど見てなかったし、テレホンショッキングも、そのうちにだんだんとヤラセであることが分かってきて、番組開始当初もそうだったのかもしれないけれど、その開始当初のスリリングさがなくなっていたし。

 昨日最終回を見ていてふと感じたのは、「タモリさんはどうしてこの番組(いいとも)をこんなに長く続ける気でいられたのかな」、ということです。
 正直言って、「タモリ倶楽部」 でのタモリさんを見慣れた私にとって、すごく久しぶりに見た 「いいとも」 というのは、とても別の世界に思えたし、騒々しい連中に囲まれるタモリさんは、自分をタモっていないように思えた(シャレか)。

 それはだけど、番組のかなり初期から感じていたことでして。 タモリさんはこういう騒々しい中でやるのは似合わない、と。
 もしかするとタモリさんは、異端の芸人である自分に課した、「年金の支払い」 みたいな感覚で、この番組を続けたのかもしれない。 こういう、きちっと毎日アルタに来て、自分の好まないことも引き受けて淡々と仕事を続ける、ということをしなければ、異端の存在である自分が社会からはじき出されてしまうのではないか、みたいな感覚。
 だからこそ毎日、自分らしくないことを続けられたのかな、って。
 まあこれは個人的な見解だし、タモリさんは自らのスタンスになんとか番組のベクトルを引き込もうとしてるようにも見えたし、そのなかで楽しもう、という姿勢でもいたとは思うんですよ。
 ただタモリさんはあくまで、冷ややかな目でこうしたバカ騒ぎする世界を眺めている、私たち視聴者の側に立っていたようにも思う。 だからこそ好感度が 「妙に」 高いんだと思う(笑)。

 そして、もうひとつ昨日の最終回を見ていて思い出したのは、「客席の気持悪さ」。

 これも私がこの番組を見なくなった大きな理由だったんですが、なにしろ反応がわざとらしい。

 でも、この客席の 「わざとらしさ」 も、最初のうちタモリさんは意図的にそれを逆手に取ろうとしていた気がする。
 テレホンショッキングの冒頭で、昔よくやってましたよね、客席とのわざとらしいやり取り(笑)。
 でもそのうちに、客席が学習してしまって、「わざとらしさ」 を無理に指揮しようとしなくても客が勝手にやっちゃうようになってしまった。
 ああいうあざといのは、見ていてゲンナリするんですよ。

 タモリさんが 「いいとも」 をやめたことで、一気にカンが鈍ったり老けこまなきゃいいと思う、今日この頃であります。

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コメント

リウ様
こんばんは。

「いいとも」も始まりが、存外地味だったというのは私も同感です。
私が大学4年の秋にこの番組は始まりましたが、学生時代のダラダラした昼の思い出は、「いいとも」より「場合ですよ!」でした。
「お笑い君こそスターだ!」とか、友達のアパートの部屋で暇こいて観てたりしてたもんです。「しょ~もね~」とか言いながら(笑)。でも、このコーナーから山田邦子さんとか出られたんですがね。

「いいとも」が人気が出始めたのは、大学卒業間際だと記憶しています。その頃から、「いいかな?」「いいとも!」とか言い出す人たちがやたら多くなってきました。

この番組、私にとっては、定食屋や散髪屋の隅に積み重なっている少年ジャンプみたいなものなんですよね。積極的に読もうとは思わないけど、どうかした時間の隙間に、パラッと見てしまう。途中で観るのやめても全然気にならないし、そもそも、そこまで人の注目を集めるためにそこに存在している訳ではない。良いにつけ悪いにつけ、そんな、ど~でもいいような存在感が、この番組をここまで長く続けさせた理由なのかもしれません。

しかし、その中心に居ながら、番組を成立させていたのは、タモさんのパーソナリティによるところが多いのでしょう。
この人のネタは、マニアックでかなり批評的な要素を含んでいるにも関わらず、トンがっったところがなく、常に、適当さ、いい加減さを含んでいました。そして、どんなに大きな存在になっても、どこかそんな自分を外から醒めた目で見つづけている、そんな印象を持たせる芸人(と、言っていいものか)だったと思います。

もしかしたら、半素人が何かの拍子で人気芸能人になってしまった居心地の悪さをそのまま保ち続けるために、彼は毎日アルタに通い続けていたのじゃないか、そんなことさえ思ってしまいます。
そう言えば、夜のスペシャル版でも、「タモさんの凄いとこは、これだけ長くいいともをやっているのに全然慣れない事」と誰かが言ってましたね。誰だかは、忘れてしまいましたが。


Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

「お笑い君こそスターだ!」 でしたっけか(笑)。 「お笑いスター誕生」 だと思ってた(ハハ)。 同じ日テレだから(笑)。 どうも大昔の記憶というのが、最近薄れかけてるよーな気がいたします(まずいな…)。

私は漫才ブームというものに、ちょと辟易しかけていた時分でしたね、この 「場合ですよ!」 の頃は。
なんか妙に漫才師がアイドルみたいな感覚になってきて、「オマエラちょっと勘違いしてるだろ」 みたいな。 まあ 「A地点から♪」 みたいなのは面白がって歌ってましたけど(笑)。

「友達の友達は友達だ、世界に広げよう友達のワッ!」 というのも流行ってた気がします(笑)。 当時は確かポケベルさえなかったから(あることはあったのかな)みんな据え置きの電話で、取り次がれて出てきた次のゲストが 「明日なんか行けねーよ」 とか、完全に寝ぼけモードだったりしたのが面白かった。

初期のころは特に、「こんなのすぐに終わらせたって降りたって別にいーや」 みたいな怖いもの知らずみたいなものがあった気がするんですよ、タモリさんの番組に対する姿勢に。 もともとさだサンとか小田サンとか、嫌いな人は嫌いだ、とはっきり表明するようなタイプでしたからね。 ネクラネアカという分類と、ネクラ排除の世論誘導もこの人が発信源だった気がします。 おかげでネクラだった私は当時、だいぶイヤな思いをした覚えがある(笑)。
まあそんなタモリさんだから、番組に対して捨て身でかかっていた(別の言い方をすれば投げやりだった)ような気はするんですよ。 それが番組の先鋭性に影響した。

それがだんだんと、「まあ流されてもいーか」 みたいな感じになってきて。 毎日やる以上、もうマンネリというものは避けられないのだから、このままマンネリの中に埋没してしまおう、みたいな。

結局長~くやってると、それだけで称賛されてくるようになる。 長くやれる、というのは、打ち切られないほどの人気を保ち続けた、ということなんですから。

タモリさんお疲れさまでした、なんていうのは、この場ではあえて申しません。 本人が読んでないような場でそんなことを言っても無駄だと思うし、それがタモリさん流の考えと一緒だと思うから。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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