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2014年5月

2014年5月25日 (日)

「SHERLOCK3」 第1回 ドラマの行きつく果て

 前回のシリーズで、ホームズが偽装自殺をしたことの種明かしがなされる、と思っていた、今回の第3シーズン。
 それを実際のドラマと同じ、2年のあいだ待たされ続けたわけですが(1年半か…笑)、このひねくれねじ曲がりまくりのこのドラマ、そう簡単にタネなど明かさないのです(笑)。

 それに、じらしにじらしたあげく、私が感じた疑問がまたごまかされているようにも感じる。

 つまり、モリアーティはホントに、銃口を口の中に突っ込んで、自殺したのか。

 確かにモリアーティが死ねばその瞬間にジョン・ワトソンらが生命の危険に晒される、というゲームが進行してはいたのだが、果たしてシリーズ全体をその倒錯した狂気で引き締めていたモリアーティを、ドラマの作り手は簡単に手放すことが出来るのか、という疑問があるんですよ。

 モリアーティの自殺する場面をもう一度思い起こしてみると、どうもその動機というものが釈然としない。 このドラマがいつも使用している言語、すなわち曖昧模糊としたキーワードの羅列によって、彼のホームズに対する憎しみが説明されているだけにすぎない、と感じるのです。
 よしんばそれを理解したとして、じゃあどうしてモリアーティが、自分の命と引き換えにして、自分の憎しみを成就させようとするのか。 ここの説明が脆弱なように感じられてならないのです。
 これってこのドラマの 「先を読み過ぎる」 クレバーなスピードに、自分が酔っちゃっているために起こる疑問でしょうか?

 ホームズは兄のマイクロフトに対して、この2年のあいだ、モリアーティの組織潰しに全世界を飛び回っていた、という。
 これって自分が死んだことにし、ドンであるモリアーティが死ななければ、そういうことが出来るような状態になかなかならない。
 でも実は、モリアーティが生きていて、自分から組織のありかを吐かなければ、そんなにたやすく出来るようなことでもない気がするんですよ。

 今回、第1回のサブリミナル的なショットの中で、気になるのは 「催眠術」 です。
 まず冒頭の、新聞記者が考え出したシャーロックの偽装自殺解明のシーンの中で、まずワトソンが誰かに催眠術にかけられている。
 まあこれは仮説の映像でしたが、そのワトソンが火に焼かれて殺されそうになるのをシャーロックが助け出そう、としたシーンで、シャーロックは通りを走るバイクを、催眠術で止めるんですよ(たぶん…笑)。
 これはもしかして、モリアーティを催眠術にかけて組織のありかを吐かせた、というフラグになっているのではないか、と(笑)。

 ここまで来ると、考えすぎの世界ですよね(笑)。

 でもこのドラマ、伏線とか布石とか、すごく無造作なクセに綿密に仕組まれていて、なにがキーワードになっているかが、そのことが判明するまで分からない仕組みになっている。

 さらにはドラマの作り手は、その先を読んでいて、それが解明したと見せかけておいて、実は見る側を騙そうとしていた、なんてこともある。

 つまりひとつひとつの場面がすべて疎かにできず、こっちも頭の回転をフルスピードにしていなければならない強迫観念の中に置かれる。

 伏線に布石に。

 これはドラマを作る上で大切にされなければならないことだし、ドラマ好きはそれを探して悦に入る。
 しかしそれが高じていって、エスカレートしていくと、ドラマ自体が巨大なフェイクの塊になっていく。
 視聴者は常に疑心暗鬼に晒され、結局なにが起こったのか誰も分からなくなる。
 分かったのは、熱心なフォロワーだけ(シャーロッキアンもついていけるかどうか不明…笑)。
 フォロワーは自分の分析をネットに公開。
 「そーだったのか!」 の嵐。

 なんか違うような気がするぞ(笑)。 ドラマの楽しみ方って、そんなんでいいのか?(笑)

 私はここ最近、あまり布石とか伏線とか、ドラマの感想で書かなくなりました。 なんとなく辟易しているからです(ハハ)。
 あまりドラマの作り方のコツをつかんでいるようなのって、見ていてそれなりに楽しめるけれども、なんかドキドキがなくて。 コツをつかめば200回くらいドラマが作れますみたいな(なんだソレ…笑)。

 あ~あこうなると、ドラマの見過ぎの副作用かもしれん。

 「SHERLOCK」 シリーズというのは、こうした 「近未来のドラマが行きつく果て」 を体現しているドラマだ、という気がするんですよ。

 たぶんまた、「んなんじゃそりゃあああ~~~っ!」 みたいなシリーズの終わり方をして第4シーズンに行くんでしょうね(笑)。

 でも面白いですよ。 ただいちいち、このシーンはどうとか解説したくない、いや、小賢しく解説できない。 もともとおバカですから、本国イギリスではとっくに終わっているこのシーズンについて、途中であーだこーだいうのは、ちょっとマヌケすぎる気もするし。
 だからさっきの 「モリアーティがホントに自殺したのか?」 ということだって、シリーズを先に見た人にとってはマヌケな疑問かもしれないし。

 でもその疑問も、モリアーティが自殺に至る動機をドラマがきちんと描いているかどうかが疑問、ということから発生しているわけです。
 そのほかでも、今回の第1回、人間のことがキライで人間がどんなものなのかも分からない、というシャーロックが、兄のマイクロフトと依頼人の忘れ物の帽子について推理をし合う、というゲームを行なうのですが、人間の心が分からない者が推理のしようもないだろう、という物語の落とし穴がそこにある気がする。
 人間が分からないシャーロックだからこそ、死んだことになっていた自分が目の前に現れれば、ワトソンは喜ぶだろう、という推理をしているわけだけれども、これも完全にあてが外れて、ワトソンは激怒しまくりで頭突きをシャーロックに食らわせる(笑)。 話が緻密すぎるクセに、どうしてこういうところが甘いのかな。

 それともそれをわざとしているとか。 うそぶいているだけ、とか。

 こういうはぐらかしかたばかりしているから、結局ケムに巻かれて分かんなくなるんですよ(笑)。

 面白い! でもなんか、ちょっとこれでいいのかな、という気もする。

 そんな変な感想を持った、サードシーズンの第1回、なのであります。

「SHERLOCK」 第1シーズンの感想はこちら http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2012/07/sherlock-1-b72c.html

「SHERLOCK」 第2シーズンの感想はこちら http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2013/01/sherlock2-5914.html

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2014年5月20日 (火)

ポール・マッカートニー全公演が中止、…。

 既報の通り、ポール・マッカートニーの今回2014年アウト・ゼアー・ジャパン・ツアーは全公演が中止、ということになりました。
 17日公演のチケットを持っていた自分は振り替え公演のわずかな可能性を信じていたのですが、ここ数日の心労に、さらに虚脱感が加わっている感覚です。

 まあネットでもいろいろと言われてますけど。

 とにかく1ファンとしては、ポールの病気の回復を祈る、というのが本音であり建前であります。

 しかし主催者側に対しては、何なんだよコレ、払い戻しだけで済むと思ってんのか、という感じ(確かにビンボー人根性というのはあるが…笑)。

 ポール自身が早期実現を希望しているという再来日公演ですが、それがもし実現したとして、正直なところ、今回のチケット購入者を何より優先してもらいたいし(無条件で同程度の席確保を受け入れるのは当然)、さらに今回、遠方からやってきた人々に対しては、それなりのリカバリーケアをしてもらいたいと強く思います。

 まあ冗談交じりに言えば、ポールとの握手券つきとかね(笑)。 そりゃ何万人もの人々と握手する訳にもイカンだろうから、これはあくまで冗談ですよ。
 でもなんか。

 あえて 「あしたのジョー」 的に言えば、「プレミアつけてけえせ」 つーか(笑)。
 例えば今回のチケット購入以外の出費が多い人ほど、レアなグッズを添付します、みたいな。

 そりゃ主催者も今回のことで大損害を受けているのは分かりますけどね。

 でも主催者側の無理なビジネスが、今回の事態を招いた、とも言えるんじゃないでしょうかね。

 特に武道館とか、まあキャパが1万程度しか入らないところだからそれをリカバリーしようというのは分かるけど、価格が尋常じゃなかったでしょ。
 さんざん大風呂敷広げといて。

 「皆様には大変な迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」 だって。

 いいよなあ、謝れば済むから(笑)。

 日本のファンは心が広いな~。

 そして何より健気ですよ。

 こんなにプロモーターに振り回されてですよ、それでもポールの健康のことを心配しているのだから。

 確かに今回のことで、ポールがそれなりの年齢である、という事実を、我々ファンは突きつけられました。
 そしてファンとして、どうあるべきかも考える場を与えられたような気がします。

 なにしろ私の場合、手前勝手ですからね。
 ブチブチ文句ばっかり言ってる。
 その後ろめたさを、今回はプロモーターのせいにして回避しようとしている。

 でももっと、キョードー東京にしても、ユニバーサルミュージックにしても、ポールを金儲けの道具として利用しまくるのは、やめにしてもらいたいと思うのが、偽らざる私の感想なのであります。

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2014年5月17日 (土)

ポール・マッカートニー本日(5月17日)公演延期の顛末

(1)公演延期まで現地、国立競技場での流れ

 自分がニュースの渦中にいる、というのは、なんか奇妙な感じがするものであります。
 本日私が出かけたポール・マッカートニーの 「アウト・ゼアー・ジャパン2014」(「アウト・ゼアー」 が 「お出かけ」 の意味もある)の初日、国立競技場での5月17日の公演は、ポール本人の病気(ウィルス性炎症)によって、19日の月曜日に延期になりました。 なんたることでしょうか。

 私は午後1時過ぎくらいに国立にやってきたのですが、その時点でグッズ売り場はすでに長蛇の列。 私もその列に並びましたが、去年の最終日公演の時よりはスムーズに流れていた気がしたな。 私はパンフとTシャツを購入。 この内容については、後述いたします。

 で、グッズを買ったあと、国立競技場の周囲を走る道路でポールの会場への入場を待つ、「入り待ち」 の群衆の中に加わったのが、2時過ぎくらいだったかな~。

 しかし待てども待てども、ポールは会場に現れない。 入場ルートが極めて容易に推定されるためか、「入り待ち」 の群衆は、時を追うごとにかなりの数、膨らんでいきます。 そのうち、なんかその数が凄すぎて、交通に支障をきたすんじゃないか、と思われるくらいになってきた。 こういうのって珍しいんじゃないか。
 でも、開場予定の3時半を大きく過ぎてもポールは現れない。 ずいぶん入りが遅いけど、なんか今日は、サウンドチェックがないのかな、会場入りしてリハーサルも始めないでいきなりぶっつけ本番でやるのかな、まあ野外だからな、などと考えていたら。

 そしたら4時か4時半くらいだったでしょうか。 近くでスマホを見ていたオジサンが(イヤオレもオジサンなんだがね)、「月曜になった」 としゃべっている。
 「エ?なんのこと?」 と、なんとなく不穏な空気があたりに流れ始める。 どうやら公式のサイトで正式な表明が出たらしい。 しかしその正式な表明というのが、なんかよく分からない。

 すると主催者側のスタッフが、「入り待ち」 をしている私たちに向かって、「本日の公演は中止になりました」 としゃべりだしたのです。 この時点で、まだその原因というものもスタッフに伝わっていなかったようでした。 公演は月曜日(19日)に延期になった、と。

 そのとき私の頭を真っ先によぎったのは、「月曜日じゃ仕事だ…。 払い戻しするしかないのか…?」 ということ。
 なんとなく湧きあがってくる怒り。
 1週間のうちで土曜日の今日しか見に来れないんだぞ。

 ただこのとき、かなりの数の人がそこにいたのですが、大きな混乱というものは私の見ている限りまったく起こりませんでしたね。 原因も分からず、いきなり延期だと通知されているのに。
 おまけに 「入り待ち」 状態でずいぶんと待たされてじりじりしているのだから、気が立っている人もいるでしょうに。 でもスタッフに食ってかかるような人はいなくて。
 ただ、「大分から来たのに」 とか、「北海道から来たのに」 という不満めいた声は、その時点でちらほら聞かれましたね。 まあ不満というより 「どうしたらいいの」 という戸惑いといったほうが正しいですが。
 そういう人たちは大変ですよね。 どうするのかな。 やっぱり払い戻しということになるのかな。

 それにしても、「本日の公演は中止」 なんて、なんかすごい場に居合わせてしまっているぞ…。

 まあ、40年というスパンでポールの前科というものを考えた場合(笑)、ポールには日本のファンは幾度となくガッカリさせられてはいるんですよ。
 もっとも大きかったのは1980年1月の来日。
 入国審査で大麻所持が発覚、ロウヤに入れられた末に強制送還、ライヴも全部中止、という事件がありましたよね。
 それを考えると別に珍しいことでもないんですが、最近じゃそういうキャンセルとかなかったし、いずれにしても自分がその場にいる、ということ自体が、まさに貴重な体験をしていることになるのです。

 ほどなくして、原因がポールの病気だ、ということがアナウンスされました。 そしてまたほどなくして、競技場に隣接する公園で、今回の公演延期のことについて書かれたチラシが大量に配られ始めました。 ここまでのスタッフの動きは手際がよかったと感じますが、それでもチラシが配られるまでには多少のタイムラグはあった(まあ、延期の公式発表までが遅かった、という議論もございますが)。

 チラシの内容は公式サイトに載っているものと同じ内容ですが(→ http://outthere-japantour.com/2014/update/news/1076)、このチラシ自体も結構マニアにとっては将来、貴重なものになっていくのではないか。 マニアのかなしいサガですね(笑)。 公演延期が決まってすぐに帰っていった人は、このチラシをもらわずに帰ってしまったんですからね。

 それにしても、ポールのウィルス性炎症という病気。 心配です。
 息子のジェームズの告白などによって、ポールも近年、バリバリの健康体でもないということが、かすかではありますが耳に入ってくるんですよ。 それでなくとも今年の6月には72歳になるのですから。
 去年のアウト・ゼアー・ツアーでは、私が会場で耳にした限り、結構声の衰えは隠しきれないものもあるよな、という感想でした。
 つまり、ポールがここまで精力的に動いているのは、別の側面から見れば、かなり奇跡に近いのではないか、という感じがするのです。
 今日の公演が延期、というだけならいいのですが、明日、そして延期になった本日の分が19日。 そこから武道館まで、1日置いただけ、ということにもなる。 結構強行軍な気もします。 ポール自身のコメント(→ http://outthere-japantour.com/2014/update/news/1089)にも、今後のスケジュールについての不安がちょっと垣間見られる気がします。 ポールのライヴを見たいのはやまやまだけど、まずは元気になってもらいたいし、ベストコンディションのポールも見たい、というのもファン心理なのです。

(2)今回のツアーのパンフレット、およびオフィシャル・グッズについて

 前回2013年のときにパンフレットを買っていたから、今回は要らないかな、と思ったのは事実です。 でもやはりかなしいマニアのサガでして(笑)、今回も買ってしまったんですよ、パンフ。

 そしたら、「内容の一部を更新しました」、という控え目な宣伝文句だったにもかかわらず、まったく同じなのは、ポールへのインタビューの一部、「カット・ミー・サム・スラック」 の文章の一部、「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」 の全部、そして3D仕様の写真が全部、そこだけでした。
 あとは同じ文でも微妙に最新の情報を織り込んでいるし、前回日本語がおかしかったところを修正したりしている。
 ことに全体のヴォリュームが表紙を除くと55ページだったものが、今回63ページにまで増えています。 これは前回2013年の日本公演の模様や、そのあとに起こったいろんなこと(グラミー賞でのリンゴとの共演とか)を盛り込んで記事にしているからで、「同じツアーのパンフだから内容も同じだろう」 という推測がまったく当てはまっていません。 3000円は消費税の増税後でも同じ(まあオフィシャルグッズみんな消費税増税関係ないですけど)ですから、前回買った人は躊躇をしてはいけない、と感じます。

 そして私が買ったTシャツ。 これは商品番号Aなのですが、サイトで見た限り、本日5月17日の日付だけが背中にプリントされているのは、これだけ。 5月17日の公演が幻になってしまったのですから、これはレア感が増すのではないでしょうか。
 まあ値段は4000円で、これも増税関係ないとはいえ、Tシャツなんてユニクロで買えば4枚は買えちゃうんじゃないのかな(よく知らないですが)。 そこはそれ。 ライヴ会場でしか買えないものは、やはり値段を出しても買いたいものなのです。
 ただ私がグッズ売り場で買ったものは、ご丁寧に背中のタグ、っていうんですか?ピラピラついてるヤツ。 アレが切り取られてましたよ。 前回はちゃんと付いてて、しっかりバングラデシュ製なのがバレてましたが(笑)。

(3)ポールのライヴを見に来る人たち

 公演延期でちょっとボー然として、それまで3時間近く立ちんぼうだった疲れもあって、代々木門の正面の鉄製の柵にしばらく座っていたのですが、なんかこの大群衆が、みんなポールを見に来てるんだと考えたら、なんか人間観察が面白くなりはじめまして。

 どんな人たちがポールを見に来るんでしょう。

 いちばん最初に感じたのは、「財津和夫サンみたいな風貌、体格の人が多い」(笑)。

 財津サンはビートルズファンの代表みたいなところがありますよ。

 それとやはり、私と同じ40、50、60代の男性が多いんですよね。
 その人たちに共通しているのは、「私はビートルズによって人生が変わりました」 というオーラが全身から漂っていること(笑)。 悪く言えば、「ビートルズに出会わなければ、私はこんなに砕けた大人になってませんでした」 つーか(爆)。

 そして40、50、60代と思しきオバサマがた。
 やはりなんか、どこか垢ぬけているんですよ。
 でもその垢ぬけかたが、ちょっとエキセントリック入ってるみたいな(笑)。
 まあライヴですから、エキセントリックを強調したなりをされていたのかもしれませんが。
 分かる人にはとても分かりやすい表現で言うと(笑)、星加ルミ子サンみたいのが多い(笑)。

 あとですね。
 やーたーらーと、カワイコチャンが多かったな。
 こういう人ってたぶん、カレシとか親がビートルズ好きで、そこで自分もハマったか、ただついてきてるだけか、メジャーだからという、ただのオシャレ感覚なのか。

 あと特筆すべきなのは、こう言っちゃ悪いけど、太ってるオッサンが多かったです。
 たぶんこういう人たちは、オタッキーなレベルでビートルズを愛しているんだろうなー。
 私なんかぶっ飛ぶほど、すごく細かいとこまで知ってますからね、オタクビートルマニアというのは。 こういう人たちの層って、すごくなんか、神経質そうに見えます。

 それと、やはりビートルズに影響されてちゃんとした社会人になれないまま、ベンチャー企業とか起こして成金になった、みたいな太ったご老人がたもいらっしゃいましたね(スイマセンネ慇懃無礼で)。

 そうそう、外人さんが極端に少なかった気がするな~。 こんな大群衆の中で、私が見かけたのはほんの2、3人だった。

 とても興味深かったのは、人混みを先導している主催者側のスタッフの若者たちが、このポールのライヴの客層のカテゴリーに、全く入っていない、ということです。
 このスタッフの若者たちは、たぶんビートルズなんか、ちゃんと聞いたことがない。
 だからなのか、きちんとしているんですよ、なんとなく。
 ビートルズに染まった大人たちは、だからその逆で、なんとなくどこかで周囲に流されない自らのスタンスというものが確立している気がする。 個性的な大人たちなんですよ。

(4)蛇足

 で、人間観察をしていたら、小さなカメラを持った、ひげを生やした男の人がやってきて、「TBSテレビですが、ポールのライヴを見に来てたんですよね、今日?ちょっとお話を伺いたいんですが」 と取材を受けてしまいました。
 別に大したことしゃべんなかったからいいけど、もしかして今夜の 「ブロードキャスター」 とか明日の 「サンジャポ」 に、VTRで出ちまうかもしれません(ナイナイ…笑)。

 最後に。

 そのインタビューでも(インタビューなんて、カッコいいな)話したのですが、とにかくポールには、早く治って元気な姿を見せてほしいですね。

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FMヨコハマ 「BPM2022」 でリクエスト採用されちゃった

 ポール・マッカートニーの武道館公演とかチケットの売り方とか、前回の記事でさんざん悪態をついたワタクシですが、いくら席が遠いとはいえ、やはりライヴが近づくと気分がハイになってくるものであります。

 で、最近私がよく聞くようになったFMヨコハマの洋楽番組、「BPM2022」 でDJの鈴木裕介サンが 「ポールのライヴ行くなんて人がいればメールください」 と話してたので、じゃあ景気づけに初メールでもするか、と 「ジェット」 をリクエストしたら、これが採用されまして、昨日。

 イヤ~、49年も生きてきてですよ、自分の投稿がラジオで読まれるなんていうのは初めての体験でして。 「世田谷のリウ」 というのは、ハイ、私です。

 30年くらい前になるでしょうかね、TBSラジオの小島一慶サンがやってた洋楽の番組で、ヴァン・ヘイレンの 「ジャンプ」 をリクエストして、ビリー・ジョエルの 「イノセント・マン」 のアルバム(当然レコード盤)が当選して以来(ど~してヴァン・ヘイレンでビリー・ジョエルなのかは突っ込まないでください…笑)。 でもその番組、深夜だったんでそのとき私、寝てて聞き逃してしまって(笑)。 しかも葉書にはただぶっきらぼうにリクエスト曲と希望アルバムだけを書いていたので、たぶん放送でも、自分の名前が呼ばれただけだったろう、と思うんですよ。

 今回はなんのプレゼントもありませんけど、自分のメッセージにDJの鈴木裕介サンがいちいち反応してくれて、なんかポーッとしてしまったのであります(笑)。

 これで今日のポールのライヴ、席は後ろのほうだけどじゅうぶんに景気づけになりました。
 なにはともあれ、行ってきまーす。
 国立競技場、行くの初めてなんだよな…(笑)。

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2014年5月10日 (土)

ポール・マッカートニー48年ぶりの武道館公演! と素直に喜べないさまざまな事情

 今日の午前4時に電撃的に発表された、ポール・マッカートニー武道館追加公演のニュース。
 まさに寝耳に水で、1966年(昭和41年)のビートルズ来日公演以来の武道館、という歴史的な意義は計り知れないほど大きい。
 しかし問題は、その内容である。
 アリーナ席10万円。 S席8万円。 A席6万円。 B席4万円。
 ポールのライヴには、当日本編が始まる前のサウンド・チェック(音合わせ)を観覧できる特別ヴァージョンがあるが、それでも6、7万円クラスだから、今回席によってはそれ以上の高額な値段と言える。
 だから今回の武道館公演はハナからセレブ限定で、ビンボー人の私などはイライラしつつもまったく食指が動かない(笑)。
 でも本当に腹の立つのは、これを午前4時に発表してそのままチケットの受け付けが開始される、というその方法。
 午前4時からて、なんやねんソレ。
 早いもん勝ちだったら早起きは3文の得みたいな(笑)。
 まあちゃうやろうけど(なんか関西弁になってます~)。 遅れてもランダムでいい席取れるんだろうけど。
 価格設定はもう、プロモーターの一存だろうな(当日武道館を押さえていたミスチル絡みの事情もありそうだけど)。
 ポールがそんなに金に困ってるわけないし。
 しかも公演の10日前とか、なんやねんソレの2乗。
 アコギすぎるぞプロモーター。

 その批判を緩衝させようというのだろう、今回25歳未満の人限定で、48年前当時の日本公演の値段、1500円で販売される席もあるという。
 しかしこの販売方法は、「若い人たちに伝説を味わっていただきたい」 などというホトケ心で発生したものではない、と私には思えてならない。
 要するに、未来永劫、ビートルズを自分たちのおメシの種、金ヅルとして継承していきたい、という、あさましいスケベ心なのである(断言…笑)。 「1500円ポッキリ」 などと客引きしておいて、今後50年以上ビートルズ商品を売りつけ続けよう、という、ボッタクリバーみたいな商法となんら変わることがないのである(スゲエこと書いてんな…笑)。

 特にここ数年、ビートルズ関係というのは完全に金ヅルと化している、というのは、40年来ファンを続けている私の、偽らざる感想だ。
 特に所属レコード会社だったEMI(日本では東芝EMI)が消滅してからというもの、それを継承したユニバーサル・ミュージックが手掛けるビートルズの売り方というのは、まことに酷い。
 全世界が大熱狂した、2009年9月9日のCDリマスター発売まではきちんとEMIの仕事だった気がするが、去年発売されたUS BOX、そしてこれから発売されるJAPAN BOXは、価格設定の強気さを筆頭にして、その価格に見合うだけの内容に昇華していない。 これらはユニバーサル・ミュージックの仕事である。 その売り方にはビートルズ、ひいてはビートルズファンへの愛というものが、決定的に欠けている。

 US BOXというのは、イギリス出身のビートルズがアメリカで勝手に編集されて切り売りされたレコード群を、CDのボックスセットとして売ろうという意図のもとで制作されている。
 しかしこの企画というのは、数年前までに当時のEMIが'64BOX、'65BOXとして途中まで制作していたのである。 それをUS BOXでユニバーサルは完全に白紙に戻し、また同じモノをダブって買わせようとする愚を犯しているのだ。
 しかも、'64 BOX、'65BOXの際には、レコード発売当時にアメリカ側で意図的にイコライジングや編集をされたヴァージョンをほぼ忠実に再現していたのに対して、US BOXでは 「09・09・09」 のリマスターを世界標準にして絶対変更しないというヘンなお約束が貫かれ、アメリカ編集独特のヴァージョンが完全破棄された。 これでは意味がない。

 しかも今回、BOXセットだけではなく単独でも売られたにもかかわらず、アメリカ盤独自企画の 「ビートルズ物語」 の単独販売は見送られている。 これは明らかに、単独販売をすればBOXセットの売れ行きにかなり影響する、といった判断がユニバーサルの側でなされているからだ(そう邪推されても仕方がないだろう)。

 そもそもだいたい、CDというもの自体がレコードのミニチュア版でしかないのだから(音質の話じゃなくて)、これを揃えるというのはもう、フィギュアでも集めているような感覚でしかない。 完全フェチの世界ですよ。 オレたちゃビートルマニアじゃなくてビートルフェチか?(笑)

 さらに去年のポールの来日に合わせたように発売されたBBCのライヴセッションのVol.2。 これに合わせて20年くらい前に発売されたVol.1のリマスターもして再発売とか。
 BBCの音源なんてもともとがモノラル(1チャンネル)だろうに、どうやってリマスターしたっていうのか?(笑) ドンシャリ(低音と高音を強調して音圧上げるとか)にした程度?
 なんかもう、同じモノをまた買わせようという魂胆が見え見えなのだ。 あさましすぎる。

 また、今回のポール再来日に合わせて、去年発売されたポールのニュー・アルバム(題名が 「NEW」 だからややこしいが)のジャパン・ツアー・エディションとかいって、DVDつきのものをリリースしたり。
 こういう 「あと出しジャンケン」 みたいなことは、確かにEMI時代の 「フラワーズ・イン・ザ・ダート」 とか、「オフ・ザ・グラウンド」 のときにもあった。 オリジナルを売ったあとでボーナストラック満載の完全ヴァージョンなるものを売り出す方法。 でもこっちはすでにライヴに2万円近い出費をしてヘロヘロなんですよ(ビンボー人と謗るがいいさ…笑)。 いい加減にしてくんないかなあ。 ユニバーサル。 どんだけ絞り取りたいんだよ。

 もっと書けば、頭に来んのはこういうワケの分かんない迂回ばかりするクセに、ファンが待望している 「ハリウッド・ボウル・ライヴ」 や映画 「レット・イット・ビー」 の高画質版(これはアップルの仕事か)をなかなか出さない、ということだ。 なにをもったいつけてんのか。 こっちだっていつまでも生きているわけではない(ハハ、どーでもいーか)。

 ビートルズが金ヅル、というのはなにもユニバーサルだけに限った話ではない。 出版業界なども何かがあると特集本をドバーッと出すのだが、なんつーかもう、焼き回しなんだよ情報が完全に。 それでも2000年前後までは、まだ内容の濃いものがよく出てたんだが。 「アンソロジー」 本が出たのが内容の伴っているモノの最後だったかもしれない。

 そして今回に関わらず、どうにも不満が募るのが、ライヴのチケットについての諸々である。

 先行販売やら特別予約やら、なにがなんやら全容がまったくつかめない。

 こちらはただ単純に、「ポールに1メートルでも近い距離で見たい」、という一心なのである。

 それが、気が付くと予約販売が始まっている。 今回もまさにそうだ。 ニュースが流れたと思ったら、もう受け付けが始まっていた。 去年もそうだった。

 予約が早かろうと遅かろうと、いい席が取れるかどうかに関係がない、というのなら別にそのことはさして問題ではないだろう。 だが、ファン心理としては、「いい席から順番に埋まっていく」 と考えるのが人情なのだ。 それが、主催者の直接のチケット販売とは別に、チケットぴあだとかFM横浜の特別先行予約とか、私が触れただけでもかなりの販売ルートがあった。 これだけチケットの発券先が多いと、ファンとしてはかなり茫洋として、混乱と不安が広がる。 どうにかならないものだろうか。

 結局私は今回の来日公演(武道館ではない)、主催者のキョードー東京に狙いを定め、一般発売日に1時間近くリダイヤルし続けてようやくつながった末にチケットを買うことができた(スンゲー疲れた…笑)。 だが販売スタートの午前10時から比較的すぐだったと思われるのに、すでにS席は売り切れ。 仕方なくA席を予約(5月17日の国立競技場)。

 しかし、である。

 このチケットが今日発送されてきたのだが、ずいぶん後方の席であることは仕方ないとして、私がよく顔を出しているポールファンのサイトでS席を先行予約した、というかたがたよりも、ちょっとは中央寄り、そしてちょっとは前のほうの席であることが分かったのだ。

 A席なのに、S席より場所がいいとはどういうわけなのだ?(ちょっと得した気分だけど、そーゆー問題ではない)。

 実はあまりにも不愉快だったために、去年の来日公演のことをこのブログでは書かなかったのだが、その去年の東京ドーム公演では、私は先行予約でS席を確保していた。
 だがその席は3階席(だったよな)のほとんど最後方。 うしろの壁のほうが近いみたいな距離で、ポールの位置からはゆうに250メートルくらい離れていた。 ポールは米粒以下。 巨大モニターはあったけど、私ゃ巨大モニターを見に来たわけではない(スイマセンネ融通利かない性分で)。 S席といういちばん高い席を買ったのに、位置がいちばん高い席かよ、という腹立たしさと言ったらなかった(実はもっと不愉快なことがあったのだけれど思い出すともっと不愉快になるので書きません…笑)。

 この、S席ったってピンからキリまで、というのは、なんとかなんないのか?

 正直言って、全く不可解で、実にムカムカする現実だ。

 去年の先行予約での失敗があったから、今回は一般販売に賭けたわけだけれど、やっぱり失敗だった。 どうやったらいい席が確保できるのか。 販売開始と同時に予約、ではダメなのか?

 なんかビートルズファンクラブが優先的にとか、関係者がいい席をすでにとってしまってるとか、いろいろ噂は聞くのだが、これらもあくまで噂でしかなくて。

 とにかくこの、チケット購入に際しての不公平感というのは、なんとかしてもらいたい。

 特に巨大な会場での公演のチケットというのは、エリアのことを考えれば、S席からE席、F、G席くらいの区分があってしかるべきではないか、と本気で思う(今回の武道館ではかなり細分化されているが値段が問題外)。

 ポールは今回の武道館公演に対して、またまたノーテンキなメッセージをファンに送ってくれてるけど、どこまで実情を把握しているのかな。
 かつてビートルズは、「レコードを買った人が損したと思わないように」、と、シングルヒットは極力アルバムに入れない、という方針をとっていた。 アメリカ編集盤についても、勝手に曲数を削られたりすることに反発していた(だからブッチャー・カヴァーというグロテスクなジャケットでアルバムを売ろうとして、未遂に終わったこともある)。

 その精神というものを、ポールにもっと主体的に持ち続けてもらいたいと願うのは、これは身勝手というものだろうか。 プロモーターやレコード会社(って言わないのかな)のアコギな商売に対して、ポールはもっと目を光らせてもらいたい、と思うのは、ファンの身勝手なのだろうか。

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2014年5月 5日 (月)

「花咲舞が黙ってない」 第1-3回 ライト感覚の 「半沢直樹」

 この春クールでは、「ルーズヴェルト・ゲーム」 とともに、池井戸潤サン原作のドラマ化である、「花咲舞が黙ってない」。
 池井戸サン原作の 「半沢直樹」 の高視聴率が災いして(笑)、同じタイプのドラマが量産される、というのはテレビ局のいつものスケベ心だというのは仕方がありません。 ただ、このドラマは、「"女"半沢直樹」 みたいな心構えで見ると少々アテが外れます。

 ドラマというのは腰を落ち着けて決闘するような感覚で見る性格のものもあれば、気楽にのんびり見る性格のものもある。
 このドラマはあくまで後者。 大昔の 「水戸黄門」 とか勧善懲悪ものを見るように見ていればいいような気がする。
 日テレ水曜22時のこの枠は、結構シリアスもののイメージが定着しつつあったから、ちょっと肩透かしを食らったような気にもなるけれど、「銀行版水戸黄門」 だと思えば、ワンパターンも気にならない。

 池井戸サン原作の直近のドラマに共通しているのは、「銀行のネガティヴイメージキャンペーン」 ってところでしょうか(笑)。 「こういうの見てたら銀行に就職しようなんてヤツはいなくなる」 というものばっかりで(笑)。
 支店長は悪いヤツばっかり(笑)。 常に絡む何らかの利権(笑)。 強い者には巻かれろ(笑)。 左遷されればその銀行員はそこでおしまい(笑)。
 数年前NHKで放送された 「鉄の骨」 でも、建設業界の談合などを結構誇張してドラマ化していた気がするのですが、どうも池井戸サン原作ドラマというのは、ワルモノを誇張して物語を面白くしようという傾向が強い気がする(あくまでドラマ化されたその内容を総括してますので、池井戸サンの原作がそうだとは言いません。 原作読んだことないんで)。

 加えてこのドラマの題材が、「臨店」、という銀行員にとっては閑職ぽいことをやっているためか、話を勧善懲悪ものにしようとして多少無茶なことをしている。 第3回目では早くも仕事がなくなり(笑)、支店のお手伝いなんかをしていて、そこで問題に遭遇して解決して、という展開だった。 これ、解決の仕方もかなり無理が入っている感じでした。
 ここらへんを広い心で見て(笑)ツッコミながら見るのも、まあドラマの楽しみ方のひとつでもあるわけで。

 主役の杏サンは直近の出演作 「ごちそうさん」 から間髪いれずの出演。 だからというわけではないのでしょうが、今回も 「ごちそうさん」 と同じユルい作りでドラマが出来ている、という印象です。
 そのユルいドラマを陰で大きく支えていると思われるのが、杏サン演じる花咲舞の上司で、臨店のコンビとして一緒に動く上川隆也サン。 この上司は、銀行の内部に巣食う構造腐敗を熟知しているから、波風立てずに業務を粛々と遂行することが得策だと考えている。 でも自分が臨店なんかに回されたのは上司との軋轢が原因だったから、どこかで上にひと泡吹かせたい、という気持ちも抱いている。 だから彼は花咲舞のやることに難癖をつけながら、彼女の行動を部分的に容認するのです。
 ここらへんの、上川サンの手綱の引き具合と、杏サンの暴走ぶりのバランスが見ていて気持ちいい。

 このドラマのラスボス、巨悪の根源はふたりが働く東京第一銀行(モデル的にはかつての第一勧業銀行~合併後のみずほ銀行~を想起させます)の真藤常務(生瀬勝久サン)。
 臨店のコンビは第1話から2話まで真藤派の支店長を次々更迭させる(更迭したんだっけな?…笑)のですが、それに業を煮やした真藤常務が直接の部下である児玉(甲本雅裕サン)に命じてふたりの失態を引き出そうとしたのが、第3話。 この第3話がさっき書いたように結構ムリっぽい話だった(笑)。

 ただこれって最大のツッコミになるかも、と思うのは(笑)、真藤派の人間がどんどん臨店コンビに駆逐されていくけれども、それって真藤派のなかのダメ人間を間引きする行為であって、真藤にとっては願ったり叶ったりのことなんじゃないか、という(笑)。 だから真藤は臨店コンビに目くじら立てずに感謝しなければならんのではないか、という(笑)。

 でもまあ、子飼いの部下が粛清されていくのは気分のいいもんじゃないだろうし(笑)。 子飼いなのかどーかは分かりませんが(笑)。

 「半沢直樹」 みたいに銀行の上層部の腐敗ばかり見せつけられると、「テメーラも潰れそうになったことがあったときに国から(ひいては国民の税金で)助けてもらったクセに、いい気なもんだバカヤロー」 と思ったものですが、「花咲舞」 を見ていると、銀行の下の人間や顧客と向き合っている人たちは頑張ってる、と思えてくるから不思議です。

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2014年5月 3日 (土)

「MOZU Season1~百舌の叫ぶ夜」 第1-4回 確信犯的な背徳

 TBSとWOWWOWが共同制作したドラマ、「MOZU」。 いきなりSeason1、つまり続編ありますよ、と言っているのはかなり強気だよなあ、というのが題名を見ての最初の感想でした。 視聴率が悪ければ続編なんか作られない、これがこの世界の常識ですから。
 そしたらそのSeason2は今度、WOWWOWでやるっていうじゃないですか。 あーそーですか(ハハ)。 視聴率関係ないわけだ(笑)。

 ただ、このドラマと同じイメージのある 「ダブルフェイス」 も、WOWWWOWで放送したあとTBSでしばらくしてから放送していた、という記憶があるので、まあSeason2もしばらくしてから地上波でやるんだ、とは思うんですが、ブランクがあるとそれだけで萎えちゃう部分もあるんですよね。
 テレビドラマというのは、やはり旬を逃すとどうでもよくなっちゃう傾向ってある。

 でもこのドラマは、テレビ局どうしが共同で作っていることが影響しているんだと思うのですが、テレビ局のプライドをぶつけ合っているようなクオリティの高さがある。 だから旬を逃しても視聴者を離れさせない力をもっている。
 そのクオリティの高さって平たく言えば、「映画みたいな作り」。

 でもその、「映画みたいな作り」 というのは、フツーのテレビドラマとどこが違うのか。 エラソーではございますが、ちょっと考えてみたいと思います。

 技術的な部分からいうと、画像がまず違いますよね。 プログレッシヴカメラなのかな、普通のハイビジョンで撮られたプレーンなものと違って、全体的に重厚感が増すし、そして作り手の主張を画面のトーン(色調)によって表現できる。
 あとは画面の構図がキマっている。 これも、ただ漫然と撮影してたら、ただの状況説明に陥ってしまうことが多い気がします。 テレビドラマというのは、どうしてもわかりやすさを優先してしまうようなところがありますからね。
 そしてカット割り。 これは編集の腕の見せどころで、いかに効果的に場面を転換して、見ている者を食い付かせるか。 テレビドラマはやっぱりそこらへんいい加減なんですよ。 編集なんか考えてたら時間がいくらあっても足んないからって、全然重要視されてないと感じる。
 ここらへんにフラッシュバックとか視覚効果が絡むと、ますます手の込んだ作りになってくる。

 そして最も重要なのは、その内容。 どうでもいい話だといくら技術の人たちが頑張ってもどうしようもないですからね。
 このドラマは世のドラマ好きな人々がこだわりたがる 「伏線」 とかが縦横に張り巡らされているので、画面の緊張感がすごい。
 これは原作がまずよくて、脚本の人の力が相応にないとダメですからね。

 出演している役者さんたちは、そういう土壌があって初めて、自分たちの演技を最大限に活かし切ることが出来るんだと思う。 いくら役者がよくても、ダメダメな作品のなかではちっともよくない場合が多い。
 逆に言うと、ダメダメな作品の中で人の心を動かす演技が出来る人というのは、もうこれは名優と称えるべきのもので。 私がそれで思い出すのは、ダメダメだった大河ドラマ 「江」 のなかでその演技を堪能できた、おね役の大竹しのぶサンですね。

 今回のように作品が非常によく出来ている場合、演者に力がないとはじき出されちゃうけれど、キャストには全く問題が見受けられない。 演技の出来る役者を集めた、というそのスタンスも、映画的であると言えます。

 私の考える 「映画みたい」 という要因は、だいたいこんなものでしょうか。 このドラマは、そうした 「テレビドラマでやってるとメンド臭すぎてテレビ局が敬遠しちゃうようなこと」 にすべてこだわって作られている。 だから見ごたえがある。

 けれどもこのドラマを見ていて最初に感じたのは、「作りも役者もすごいけれども、内容がそのすごさに追いついていないのでは」 ということでした。

 このドラマの根幹をなすのは、「あまりにも多い未解決事件と世間の闇とは、一体化している」 という焦燥感だ、という気がします。
 ドラマの主人公である倉木(西島秀俊サン)も、歪曲された真実を嫌悪し、本当の真実を突き止めたい、そのためだけに行動している。

 でもドラマ的なキーポイントとしては、爆弾事件の犯人と目される新谷(池松壮亮クン)がそのありかを知っていると思われるICチップを中心として、悪いやつらが動いているわけでしょう。
 そのICチップがどのようなものであるかによるのですが、それってちょっと話が矮小化してしまわないのかな、と。
 ここ数回、そこに公安の闇というものが絡み出してはいますが、「公安って何かというとドラマでワルモノにされるケースが多いよなァ」 という気はする(笑)。
 要するに、ICチップをめぐる謎が、結局は権力側のもたらした闇に帰結する、という論調ですよね。
 巨悪を表現するうえでもっとも効果的なのは、「ワルモノをしょっぴく連中が、ホントはいちばん悪かった」、ということなんだけれども、まあ個人的なことになりますが、結構見飽きてるかな~と(笑)。

 ただ昨今のニュースを見ていると、札幌で起きた爆弾事件とか、結局は警察への逆恨みから起きた犯行、という線が強いし、取り調べをすべて録画するという案件も、冤罪とか証拠の改竄とかいうことから発生しているし、警察とかのやっていることをつらつら考えると、このドラマはけっして100%あり得ない話ではないうえに、却ってタイムリーな話であるとも考えられる。

 このドラマを見ていて感じるもうひとつのことは、「背徳感」 でしょうか。
 とにかく主人公の倉木や、もうひとり事件を追いかける大杉(香川照之サン)、ふたりともところ構わずタバコを吸いまくる(笑)。
 これってまず、ドラマを見る視聴者の嫌悪感をわざわざ喚起させるためにやってないだろうか(笑)。
 でも考えてみると、マナーを完全無視したタバコの吸いかたをして、自らを世間とは隔絶させたい、という意思があるような気もする。 一種の逃避、というか。
 さらに、タバコによって相手の反応を観察して距離感をつかみ、赤裸々な反応を引き出す効果を狙っている気もする。
 倉木の捜査の方法は、加えてかなりストレートです。 自分の訊きたいことしか訊かない。 相手がそれについて黙秘しようが、ウソをつこうがお構いなし。 倉木は相手の出方によって真実を探り、測っている。
 いっぽうの大杉は結構どーでもよくて吸ってる気はするんですが(笑)倉木のタバコ吸いには、そこまでの計算が隠されているのではないか、と。

 タバコを吸うことによってまず視聴者を隔絶させようとし、世間に背を向け自分を孤立させようとする。

 それは見方によってはハードボイルドを体現している、ということにもなりましょうか。
 倉木はこのドラマの中で、にこりともしない。 ドラマはそのことで背徳感をさらに高め、緊張感を演出している。

 ドラマの吸引力を高めているのは、「真実を覆い隠す世間の闇」 ではあるのですが、それをさらに効果的に見せるために、ドラマのなかの人々は、みんな本当の姿をなかなか見せようとしません。
 私は第1回目で、爆弾事件に巻き込まれて死亡した自分の妻(石田ゆり子サン)のちぎれた手首を拾い上げて、「妻に間違いありません」 と事もなげに言い放った倉木のことも、ちょっと信用して見てませんでした。
 つまり、「ホントにあの手首って、倉木の妻のものなのかな?」 と。 倉木は何かを隠しておきたくて、自分の妻を死亡したことにさせたのではないか、と。
 だけど回を進めるに従って、どうも倉木は、やはり自分の妻が殺された怒りを深く潜伏させながら行動しているようだ、と思うようになった。 どうして妻が死ななければならなかったのか、という真実を追い求めながら。

 さらに第4回では、大杉の家庭事情を描くことで、見ている側の緊張を解きほぐす心の動かし方をしてきた。
 この第4回では、娘(杉咲花チャン)と疎遠になってしまった原因が公安にあったことが、大杉の公安嫌いの原点にあったことが明かされましたが、娘と和解することで、大杉は運転中に涙をためてしまう(ちゃんと前見て運転してっ!…笑)。
 大杉の運転が危なっかしすぎるのは置いといて(笑)、見る者の心を動かすのは、このドラマが持続し続けてきたこの緊張感が、娘と分かりあえることでフッと緩むところにある。
 娘が自分の刑事としての仕事を理解してくれた、という思いが大杉を泣かせるわけですが、こっちもウルウルしました。

 ただこの大杉刑事、かなりガサツそうな性格のクセして、トヨタのプリウスに乗ってるのが、実は燃料代も節約するかなり手堅い性格なのではないか、と(爆)。

 あと蛇足ですが、公安の明星(あけぼし)を演じる真木よう子サンについて、「セリフが棒」 とかネットの感想欄で目にしたのですが、まあ 「宮本武蔵」 の後だったから無理もないとして(笑)、真木サンのあの、感情を表に出そうとしないセリフの読み方は確信犯的であることは論を待たないでしょう。 感情を出しちゃうとまずいことが多い、秘密の多い人物だからそうしているのであって。

 いずれにしてもこれだけ手の込んだ作り、というのはテレビドラマでは滅多にお目にかかれない気がします。 NHKならここまでやるけど。
 NHKにやれて民放に出来ない、というのは、やはり時間とカネの問題なんだと思う。 あと民放には、「視聴者がバカだから」 という驕りがどこかにあるような気がする。 だから出来るだけ分かりやすくしようとするし、演技力のない人気者を優先して出そうとするし、何かと話題作りにばかり奔走する。

 このドラマはどちらかというと、アメリカとか韓国の優れたドラマ、映画に対峙しよう、という気概が認められます。 やればできる、というんじゃなくて、やんなきゃダメな段階に来てるんじゃないでしょうか、日本のテレビドラマ。

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