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2014年6月29日 (日)

「花子とアン」 第10-13週 本当のことを言わない人々

 皆様ご機嫌よう。 当ブログ恒例月イチ 「花子とアン」 のレビューでございますよ~(笑)。

 いや~、当ブログにコメントをくださる方々の評判が、だいぶ悪くなっているこのドラマ(笑)。 私もあまりにも好意的な声を聞かないので、なんだか視聴意欲が減退してたのですが、本日4週間分を、一気に視聴いたしました(あーしんど)。
 ただ率直に申し上げて、そんなにひどい印象は受けませんでした。 まあひどいひどいと聞かされて、身構えていたせいもございますが(笑)。

 確かにスタートダッシュ時の緻密な構成、志の高そうな傾向は鳴りをひそめていると思います。
 細かいことを指摘しだすとキリがないのですが、見ていて 「どうなってるの?」 と思うことが多い。
 たとえば第10週、安東家の末娘であるもも(土屋太鳳チャン)に父吉平からもたらされた北海道行きの縁談。 相手役の青年がちっとも出てこないんですよ。 このドラマ、初期のころから、こういう大胆な説明カットがあったので、「ああここは、相手の青年を出す必要がない、と作り手が考えているんだな」、と考えましたが。
 ただその後のおじぃやんが亡くなる際に、はな以外の兄妹に関する言及がなかったのも相俟って、どうもドラマがはなばかりを優遇するような印象は否めない。
 じっさい兄妹の中できちんとした教育を受けたのははなだけだったし、仕方がない面はあるのですが、ドラマが隅々にまでわたる配慮というものに欠けているきらいは、確かにあると感じるのです。

 それから朝市が伝えるはずだった、はなへの思い。 朝市ははなの意思を尊重するあまり、自分の思いを結局伝えずに終わってしまう。 これも見ていてかなりもどかしかったのですが、今度の週で何か展開を残しているようではありますね。

 それから、蓮子との交友が再開するところ。 絶交したはずなのに、ふたりともかなりそのことを忘れている、というか。
 いや、9年だか10年だか会わなかった、というのがそもそも絶交のわだかまりを解くために必要な時間だった、という考え方もある。 まず蓮子がはなに挑発的な手紙と自分の著書を送りつけ、はなが自分の著書を送ることで、わだかまりを発展的に解消させた、みたいな。
 でもあんな別れ方をしたのだから、再び会うときはもうちょっとお互いに気遅れしてもいいような気もしました。 それにしても10年も経っちまったんかいな、みたいな(笑)。

 話は前後しますが、吉平が浮気した、という話に出てきた、相手のサダ(霧島れいかサン)が、さんざん安東家をかきまわしておいてそのあとしばらく出てこなかったのも、「なんか語り口が近視眼的だな」、と感じたひとつ。
 これはこのドラマが持つひとつの特徴ではある、と思います。 吉平が変なタイミングでいきなり出てきたり、ずーっと出てこなくなったり。 女学校のことばかりで甲府の実家がちーとも出てこなくなったり。
 つまり同時多発的、複視眼的な進め方をしないんですよ、このドラマ。 ひとつのことを語り始めると、おろそかになってしまう部分があったりする。 そんななかで、はなと蓮子との物語だけは同時進行的に説明したりはしているんですが。

 あと、「赤毛のアン」 をなぞるような逸話や、「想像の翼」 がその後さっぱり出てこない、というのもドラマ的には気になるでしょうか(妄想を映像化するのは骨が折れるからか…笑)。

 そのほかなんかまだいろいろ気になったことがあった気がしたけど忘れた(笑)。
 ただそれらは脳内補完するとして、ちょっと引っかかるのは、物語全体のスタンスです。
 当初、翻訳家である村岡花子サンの生涯、とは言わないまでも、生き方をきちんとなぞるような物語になるのかと思っていたんですけど。 でもかなりフィクション入り過ぎてるんじゃないか?…というか。
 もともとそんなに村岡サン自身がドラマチックな人生を歩んできたわけではないのかもしれませんが、村岡サンの人生を描こう、としたときに、軸となる部分をちょっと疎かにしすぎているのではないか、とはたまに感じます。

 その端緒は、女学校を卒業してから数年間、彼女が山梨の英和女学校に 「英語教師」 として赴任したことが、出身校の尋常小学校の教師に改変されていること。

 この設定変更の意図というものは理解できるんですよ。
 田舎の小学校の教師を数年間、はなにさせることによって、あんなに夢中になっていた英語の世界から、はなを強制的に隔絶させる。
 そうすることで、その後東京に出版社の編集者として就職したときに、はなが再び巡り合う英語たちが、それまで以上にキラキラと輝いて見える効果を演出する。 そして山梨での数年間、英語の精進を怠ってきた自分を叱咤する契機とさせる。

 また、はなを英語から隔離させた、この甲府帰郷編では、やはり彼女を再び物語創作の世界に引き込ませるカタパルトとなるエピソードを、随時挿入している気がする。
 「みみずの女王」 の話もそうでしたし、周造の病から死に至るまでの過程もそうだった。
 吉平の浮気話も、周造に 「たんぽぽの目」(はなの初めての本)の話を読み聞かせるエピソードをさらにドラマチックに見せるための導入だったと思われます。 単純に、吉平がおじぃやんへ読み聞かせをさせるだけではつまらない。 だからこのふたりの関係性の悪さを引き立たせるエピソードが欲しかった。

 ただはなを山梨英和の英語教師とせず、小学校の教師に改変したことは、ストーリー的に成功していたようにはあまり思えないかな~。 なにしろ1年目以外生徒たちとの交流がさっぱり描かれなかったし、卒業式後の校長先生をはじめとする贈る言葉も、なんかシラケたつーか。 フィクションだから仕方ないのかもしれないけど、はなを特別扱いしているように見えちゃうんですよね。

 村岡花子サンの人生をちゃんと描いていないのではないか、と感じるもっとも大きな原因は、当ブログにいただいたコメントでもご指摘が多かった 「恋バナ」 の多さにある気がします。
 とにかく恋愛についての割合が高い。
 特に女学校から卒業してからというもの、ももの見合い話や朝市への片思い。 その朝市の、はなへの片思い。 吉平とサダの浮気話。 蓮子に寄せる嘉納伝助の不器用な愛。 かよに恋する村岡印刷の弟。 村岡英治に対する醍醐のお嬢さんの思い。 メインはやはりはなと村岡英治の話なのですが、やがてはメインとなるであろう蓮子と帝大の宮本の恋愛も始まりました。 ドラマはここに、はなの兄である吉太郎の思いを絡ませて複雑化しようとしている。
 はなと蓮子の友情にしても、当初から疑似恋愛という趣があったように感じます。
 このドラマでは、常にどこかで誰かが誰かを愛している。 好意を抱いている。

 ただ私は思うのですが、これらの恋愛にはほぼ、共通しているものがあるように感じます。 例外も確かにあるのだけれど。

 つまり、肝心なことがなかなか告白されないんですよ。

 まあ範囲を広げると、このドラマ全体が、「登場人物たちが肝心な部分をなかなかしゃべらない」 という部分で共通しているように思えます。
 「思いを打ち明けないのは、なにも思っていないのと一緒」、でしたっけね、はながももに言った言葉。
 ももはだから、朝市に対して自分の思いを打ち明けたのですが、でもすでに朝市の気持ちを見抜いていた。 ももが朝市のことを諦められたのは、これが片思いだからなのではなく、自分の思いを伝えられたからだ、という語り口です。
 それをやきもきしながら見ていたはなでしたが、ももの朝市への思いや朝市のはなへの思いまでお見通しだった母ふじは、最初から最後までただ事のなりゆきを静観するだけです。 最後にももが傷ついて戻って来たとき、ふじはそっと抱き締め、ももの気持ちを受け止める。 物分かりがいいふりをしておいて、自分の思いが胸にたまっていたももは、母親の腕の中で号泣します。

 そしてこれらの展開の中でずっと悟りの境地の中にいた(笑)ふじも、サダが次々ついてくる信憑性のあるウソに騙されて(笑)阿蘇山大噴火…じゃなかった、富士山大噴火するわけですが、富士山が実際に噴火してたらギャグにならんなこの部分、と思いながら見てたけど(ハハ)、ここで吉平は、かなり言い訳しようと必死になって食い下がってたけど(笑)、きちんと自分から説明することはなかった。
 結局サダが忘れた頃にやってきて(笑)はなに本当のことを打ち明けるに至って、誤解は解かれるのですが、これらの展開を、「単にドラマを面白くするためにつまらん話を引っ張っている」 と考えると、ばかばかしくて見ていられなくなります。

 思いが伝わらないこと、そしてすぐに伝えないこと。

 ここから生じる誤解が、やがては取り返しのつかない事態に発展するのだ、ということを、作り手は見る側に伝えようとはしていないだろうか。

 この浮気話が発端となって、先にも述べたとおり、吉平とおじぃやんが語らう場が生まれたわけですが、このふたりはお互いに意識しながら、ずっとお互いを避け続けてきた。 それが最後の最後になって、お互いの思いを打ち明けることによって、誤解を解くことが出来たんですよね。

 話は東京編に飛びますが、村岡英治がはなを抱きしめたあと、「あのことは忘れてください」 と言った、その理由が本人から、なかなか説明されません。 ここも同じような 「登場人物がなかなか肝心なことを話さない」 という一環だと感じるのですが、英治がすでに結婚している、ということを知ってしまったかよも、はなにその肝心なことを、またまたなかなか話そうとしません。

 これも、「英治が結婚してると本人やかよが話しちまえばすぐ終わる話なのに、いつまでも引っ張ってんじゃないよ」 みたいに見ていると、すごくイライラする(笑)。
 それに、はなが勤める聡文堂の人々や、醍醐のお嬢さんが、どうして得意先の人間が既婚かどうかも分かんないのか、という疑問もわいてくるか、と思います。
 私の考えを申しますと、たぶん英治は編集長なんかと面識が出来る以前から妻帯していたけど、編集長と知り合ったときすでに奥さんが胸を患っていて、結婚していることを隠していた可能性がある。 胸の病気を持つ家族は当時、世間体にも影響したと考えられないだろうか。

 そして英治やかよがはなにその肝心の事実をなかなか打ち明けない、というのも、はなを傷つけたくない、という気持ちから発生している。
 だったらばどうして英治は大雨の日に、はなを抱きしめてしまったんだろうと考えると、英治は英治で、病気の奥さんの看病とか気遣いに、疲れていた、ということも考えられる。

 登場人物たちのいちいちの行動に、こうして脳内で補完しなければ分からない展開というのは、ドラマとしては得策ではないのかもしれません。
 そのいっぽうで、そこを推理して考える余地があるというのも、ドラマの甲斐性のひとつなのかもしれない。

 「ごちそうさん」 みたいに、全部説明されりゃいいのかもしれませんが。

 「カーネーション」 みたいに、完全に説明されるでもなく、見る側が感じることが出来る傑作も、いっぽうではございますし。

 冒頭で書いた、当初の緻密で志の強い傾向、というのは、実は作り手は望んでいなかったんじゃないかな、と思うこともあります。
 なにしろ週ごとにつく副題が、なんか最初から軽いな~とは思ってたんですよ(笑)。 「エーゴってなんずら?」(笑)。 「初恋パルピテーション!」(笑)。 「なんじゃこの副題は」、と思ってましたけど(笑)、全体的に主人公のはなは、前回のレビューでも指摘したように、結構ありのままな天然キャラで、お嬢様育ちで世間ズレしていて、ウソをつくのが極端にヘタ(笑)、さらに極度の鈍感ときて(笑)、とどめは酒癖が最高に悪い(笑)。 脚本の中園サンは中園サンで、精一杯ドラマを軽妙に作ろうとしている、ということは伝わってくるのです。

 まあ、村岡花子サンの生涯を忠実に描いた、という作品には程遠いのですが、「このドラマはフィクションです」 という最後のおことわりに無理やり納得するしかございません(笑)。

 蛇足的にかいつまんでみると、蓮子と嘉納伝助とのすれ違いについては、かなり説得力のある展開を示している、と感じます。
 伝助が蓮子に対して持つ愛は、先ほど指摘したように、かなり不器用。 「自分が惚れたのは、お前の身分と顔だけだ」 なんて言っちゃうんですからね。
 それは伝助にとって、とても正直な告白だ、と感じるのですが、蓮子はそのことが屈辱でしかない。 一度心が閉ざされてしまうと、何もかもが受け付けないバージョンになってしまいますからね。 はなは伝助と会ったときの印象を、「なかなかよさそうな人」 とか評価していたと思うんですが、そうした客観的なものの見方が出来なくなっている蓮子には、はなの人物評も 「まあ何も知らないから」 という感覚で寄せつけようとしない。

 吉太郎が憲兵になった、という展開も、なんとなく説明不足なような気がしますが、これもはな以外の兄妹についてあまり積極的に語られない傾向のひとつかな、と感じます。
 ただ吉太郎が憲兵になることがどれだけ物語の深刻度を増していくかには、ちょっと注目したいところです。

 んー、恋バナばかり、と思うと見てらんないドラマなんですが(笑)、ときどき展開される軽妙な展開にけらけら笑いながら、個人的には楽しんで見ることができております。

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コメント

リウさま
こんにちは。

あちらからの連投にて失礼します。

このドラマで、村岡花子さんの実人生から抜け落ちている最大のものは、文学との関わりでしょうね。
例えば白蓮は、花子さんの「腹心の友」というだけではなく、共に佐々木信綱門下で短歌を学ぶことで、文学への道を拓いてくれた人でもありました。
また、そこで出会った歌人で翻訳家の片山廣子という方も、花子さんにとっては白蓮に勝るとも劣らぬ「腹心の友」だったのですが、この方については、全くドラマに登場しないとのこと。この点は、ご遺族の方も大変残念に思われているようです。

元々、実際の花子さんは5歳の時から東京で育っており、お父上もあんな風に、単なる溺愛、というだけではなかったようです。
要は、この子は見どころがあるから、安中家(実際の花子さんの旧姓です)の繁栄のため、多少無理してでも、いい教育を受けさせようといった、家からのプレッシャーをもろに受ける立場だったようです。
だからこそ、白蓮や片山広子との交流によって目の前に開けた、文学という新しい世界に傾倒していったのだと思います。

恐らく、その設定を、「貧しくても愛情をたっぷり受けて育った甲府の小作の娘」に変えてしまった時点で、はなが、文学に自分の道を見出していく大きな動機を描けなくなったのかな、と。また、何よりも「朝ドラ」ですので。当時の日本文学界の様子よりは、登場人物達の恋模様を描いた方が受けはいいですので。そういった諸々の事情を鑑みてのことなのだと思います。
フィクションは、あくまでもフィクションなので、そうした改変はありとは思いますが、ただ、村岡さんから貰った辞書を漬物石にする、というのはちょっといただけませんね(笑)

投稿: Zai-Chen | 2014年6月29日 (日) 17時20分

こんばんはhappy01
観ていて「モヤモヤイライラ」するのは、恋ばなばかり描く事より、今の所全部中途半端になってるせいかもしれませんね。その中で、ももちゃんは唯一“潔かった”ですよね。結果が分かってて告白するなんて、なかなか出来ないですから(^_^;)
朝市は、花にはっきり断られるよりも、微かな希望を捨てられなくて、未だに花に告白出来ないのかもしれないなぁ。
伝助さんは、吉田さんの演技力が凄すぎて、演出とは逆に“そこはかとない”可愛いさが醸し出されるのかも知れませんね。村岡花子さんの実際の人生がそこまで、波乱万丈でないにせよ、「のほほん」と描き過ぎでは無いかなぁと思いますがcoldsweats02
ご本人も、辛い経験や、努力もされたでしょうに、ドラマからは、それがあまり伝わってこないので(^_^;)


以前から、どのドラマの演出にも感じたてたのですが。“雨”を安易に使いすぎじゃないかと。よくあるのが、心を閉ざした恋人なり、家族なり同僚なりを、雨の中ずぶ濡れなりながら長時間待ち続けるとか・・・。これ以外に表現方法は、ないのかなと、いつもテレビに突っ込んでいます。(笑)happy01
お邪魔しました。

投稿: 優子 | 2014年6月29日 (日) 23時12分

はじめまして。はじめてリウさんのこのブログにコメントさせていただきます。このブログにはほとんど好意的なコメントが寄せられていないという現状に心を痛めております。なぜなら私は坂の上の雲で軍神広瀬武夫を演じた藤本隆宏さんが編集長役を演じられるということで楽しみにしていたからです。坂の上の雲、リウさんが見られたかどうかは分かりませんが、あれはドラマの歴史上、金字塔とも呼べるドラマでした。明治時代を生きた秋山兄弟、正岡子規、広瀬武夫等の人生が見事にリアルに描写されておりました。まあ坂の上の雲は脚本家の野沢尚さんが自殺してしまったほどのプレッシャーのもと渾身の力でもって書き上げられた作品ですから、花子とアンと比べるのが間違っているのかもしれませんが。そして広瀬武夫の人生を最期の戦死に至るまで見事な演技力を披露した藤本隆宏さん、今度の花子とアンの編集長役、かなり期待していたのですよ。ところがこの編集長、かなりいいかげんな描かれ方。今日の放送に至っては、宇田川先生の原稿に目を通すこともなくそのまま花子に村岡印刷まで届けさせてしまうという無理な脚本。要するにすべての元凶は脚本家中園ミホさんにあると思います。
まあ女性脚本家として連続テレビ小説という長丁場、たった一人でがんばって書いていらっしゃるのだとは思いますが・・・

投稿: あかね | 2014年6月30日 (月) 10時38分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

拙いレビューへの、まことに完璧な補完説明をしてくださり、助かります。 感謝申し上げます。

じっさいの村岡サンの生涯については、私もウィキでかじった程度なのでよく分かりませんでしたが、Zai-Chen様のご説明で納得がいきました。

もうかなり幼少のころから、設定が改変されているんですね。

となると本当に、このドラマはお孫さんが書いた 「アンのゆりかご」 が原案でしかないのも分かる気がします。 いつぞやの巨炎様への返信で、「監修」 などと書いてしまったのは大いなるカンチガイでございました。 ここで謹んで訂正いたします。

村岡花子サンの生涯をきちんと描くものはもう、今後出てくるかもしれないドラマに託すしかない、というのは確実な情勢ではございますが、当時の文学界について識る大きな機会を逃してしまった残念さもつきまといます。

ただ、なんの罪もない他愛ないドラマ、として考えた場合、結構気楽に笑って見てられるかな、というか。
そこに蓮子の深刻な事件を絡ませて、ドラマ的な見応えに置換する作り手の思惑なのだろう、と感じます。

そして 「結婚」 そのものに対するあこがれを、最終的には 「夫」 への愛情に昇華することのできた主人公、という括りで物語の結論を考えているのかもしれない。

そんな気はするのです。

投稿: リウ | 2014年6月30日 (月) 12時27分

優子様
コメント下さり、ありがとうございます。

このドラマが同時進行的でなく、近視眼的に話を進めたがる、と私が指摘した通りだ、と仮定すれば、もしかすると中途半端に放っておかれている朝市の思いは、作り手はどこかで決着させようとしているのかもしれませんよね。

今も昔も変わらないと思うのは、「その人のやりたい夢を優先させるなんていう気の利かせ方をしていると、その人への恋なんか永遠に成就しない」、ということでしょうか(笑)。

まあ、恋にはいろんな形がございますから。 はなの、村岡英治との恋が現在のところ不倫である以上、朝市にもチャンスがないわけではない。

はなが現状について比較的楽観的(あまり苦悩していない、なんにも考えていない…笑)であるのには、はなの妄想癖が多大な貢献をしていると感じるのですが、その 「想像の翼」 がなかなかドラマに出てこないから、いたずらにノンキな人間にばかり見えてしまう、という気がします。

「雨」 に関するご指摘は、なるほど、興味深いツッコミですね(笑)。 私は見ていて、「洋服ならずぶ濡れでもわりかし平気だけど、和服でずぶ濡れというのはメンド臭そうだな」、と思いながら見ていました(笑)。

投稿: リウ | 2014年6月30日 (月) 13時10分

あかね様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

「坂の上の雲」 以来、藤本サンは重厚な役をやらないとなんだかこちらのお腹が満たされない、という傾向が続いているような気もいたします(笑)。 ものすごい傑作に出てしまうのも考えものかと(笑)。 あれが藤本サンのデビュー作だったのかな。 モックンも、やはり 「坂の上」 以来、ドラマでお見かけしていない気がいたします(香川サンだけは独り勝ち状態ですが…笑)。

宇田川先生がこれまた、なんとも現実味の乏しいキャラなんだよなー(笑)。 まあまだ新進気鋭の段階みたいだし、背伸びして小説の大家を気取っているんだろうと思うのですが。

その宇田川先生の原稿、ついに聡文堂はゲットできたのですね。 で、それを、目も通さずに印刷所に回したのですか、藤本編集長は(笑)。

たぶんかなり宇田川先生を信頼していらっしゃるんだと思います(笑)。

タイトルクレジットを見ていると、どうも中園サンおひとりではなく、脚本協力のかたがいらっしゃる模様。 どうもこの、「脚本協力」 というクレジットがNHKのドラマで出ると、警戒してしまう自分がいます(「江」 以来のクセになってます…笑)。

投稿: リウ | 2014年6月30日 (月) 13時21分

>「監修」
名前だけのアドバイザーで発言権は無いに等しかったりして…。

昭和時代の王道に回帰を狙っていると当初は思っていましたが、朝ドラ低迷期の自分探し系現代モノが「あまちゃん」でリファインして成功を収めたので、その路線と時代モノの融合がスタンス?

共通点としては「てっ」「こびっと」等の方言を頻繁に使う。「あまちゃん」以降、流行語を制作側から作り出そうとする意図が感じられます。「ごちそうさん」でも無理にその台詞を言わせるオチに持ってくる所がありましたが、あくまで全国共通語。
東京モンは年頃の娘さんがか方言丸出しの台詞=愛玩動物みたいて萌えるって発想でもあるのでしょうか。大昔に「スケバン刑事」でもやってましたね。田舎の人間は珍獣じゃないというの。

で、今週は恋も仕事も上手くいかず甲府に帰るらしい…。これも「あまちゃん」でやってましたね。いや、過去の現代モノでは東京と地方を往復はありましたが都会暮らしに疲れて田舎に癒しを求める傾向が強くなった気がします。

投稿: 巨炎 | 2014年6月30日 (月) 14時56分

リウさん、お返事ありがとうございます。そうですよね。ドラマ通でいらっしゃるリウさんが坂の上の雲をご覧になっていらっしゃらないわけがないと思っておりました。確かに香川さんのひとり勝ち状態ですよね。モックンは気の毒なくらいにいい作品に巡り合えなくて。阿部ちゃんは異色作テルマエ・ロマエで異色の(笑)ブレイクをしていらっしゃいますが。
やっぱり俳優人生のクライマックスを迎えてしまうとその後はもぬけの殻状態になってしまうのでしょうか・・・
ところでリウさん、中園ミホさんに脚本協力者がいるとは初めて知りました!タイトルクレジットをよく見ておくべきでした(笑)。なるほど、その脚本協力というのが怪しげなのですね。合点がいきました。
これから関東大震災やら第二次世界大戦をしっかりと描いていただきたいのに、村岡印刷さんとの結婚話やら白蓮事件やらで時間が割かれそうであまりいい予感がいたしません。そもそも村岡花子さんが歴史上それほど有名でなく、資料がほとんど残っていなくて、もっぱら村岡恵理さんの評伝「アンのゆりかご」だけが頼りでは・・・村岡花子さんの生涯をリアルに描けず、白蓮物語をぶち込んでしまうのはそこに原因があるような気がするんです。

投稿: あかね | 2014年6月30日 (月) 15時17分

こんばんはhappy01
お返事ありがとうございました。実は「恋ばな」続きになってから、暫くみてませんでした。でも、リウさんの記事を読んで、「また、観てみようかなshine」と思っています。今の時点で、“中途半端”に感じている所は、今後の伏線かも知れませんよね。ただ、色々ばらまきすぎて、収拾がつかなくなってる感じはありますがhappy01

伝助さんは、もうちょい演技力がない人が、やったほうがい気がします。だって吉田さん、素敵なんですものshine
「お前の顔と家柄に惚れた。」って言う台詞も、吉田さんが言うと、その裏にある不器用な愛情がひしひしと伝わってきましたし。それを分からない、蓮子さんは「ただの鈍感か!」と、思ってしまいました(笑)
演技が下手な人が、伝助さんを演じたら、“ただの成り上がりの下品なおじさん”になって、蓮子さんの孤独感や疎外感に共感出来たかなぁと思います。
はなが「意外といい人かも」って言ったんですか?(観てなかったので)じゃあいつも見守ってくれてる朝市くんの“人の良さ”に気づいてあげればよいのに(笑)

投稿: 優子 | 2014年6月30日 (月) 18時50分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

前回での巨炎様の返信に、「監修」 などと書いたのでしたが、そのあとクレジットタイトルを見ると 「原案」 の文字が。 「監修」 と 「原案」 ではかなり役割が違うと思いました。 原案だったら、どんなに翻案しても構わん、という匂いがする(笑)。

方言については、「第二のじぇじぇを狙ってるよな」 と感じますが、そもそも方言がカワイイ、などとそのイメージが根底から変わり出したのは、つい最近のことでしょう。 地方出身の者が東京に出てくれば、訛りはコンプレックスのひとつになる。 つまりドラマは大正から昭和初期を描いていながら、感覚は現代のまま、ということになります。 それが気になる人もいれば、気にならない人もいるわけで。

私はこのドラマの、特に 「ごきげんよう」 を連発する女学院出身者たちに、「お嬢様学校を出た女性の世間ズレした部分」 を見ていますが、そのお嬢様感覚と当時の一般世間の感覚のズレに、登場人物たちはあまり煩悶したり頓着しない。 それが女性の時代を象徴しているのかな、という気がいたします。

投稿: リウ | 2014年7月 1日 (火) 13時12分

あかね様
コメント下さり、ありがとうございます。

え~実はですねー、「坂の上の雲」、最終シーズンを見てないんですよ(笑)。 見よう見ようと思ってHDDにそのままにしていたら、HDDが不具合を起こしまして(笑)。

でも最終シーズンになる前からもう、完全に傑作でしたから。 NHK、受信料を湯水のごとく使ってんな~という感じで(爆)。

「脚本協力」 が怪しい、と言いますか(笑)、要するにその脚本家の人が、「ひとりじゃ出来ない」、ということだと私は解釈するんですよ。

特にテレビドラマでは、「脚本協力」 とは別に、「共同脚本」 というケースがしばしば見られます。 回ごとに脚本家が変わるヤツですね。
私が見てきた限りで申し上げれば、そういう場合、統一感というものは、幾分損なわれる気がします。

「脚本協力」 になると、その陰の人物が実力があればある程作品はよくなる、と思うのですが、こうなるともう、佐村河内じゃないけどゴーストライターのレベルで(笑)。 ゴーストライターのほうが、いい作品をかけますからね、大概の場合(笑)。

脚本家の人が 「ひとりじゃ出来ない~」 とネを上げるほど、「アンのゆりかご」 がどこまで村岡花子サンのことを詳しく書いているか、によりますよね。

投稿: リウ | 2014年7月 1日 (火) 13時27分

優子様
コメント下さり、ありがとうございます。

このドラマははなパートの 「なんとなくマッタリ」 としている感覚と、蓮子パートの 「負の連鎖」 との深刻さの違いによって、ドラマを構築しようとしているような気が、私はするんですよ。

だからはなの周辺を描く部分は、なんとなく事態がなあなあで推移していくような感覚があります。
でもそのことによって、蓮子パートの深刻さが増してくる。

でもこうなると、「花子とアン」 の 「アン」 はどこに行った~、という感じですけどね(笑)。 「花子と蓮子」 という題でもよかった気がする(笑)。

この先はなは、NHKラジオのパーソナリティになっていくと思うのですが、そこにつなげる展開がどうなるのか、ちょっと楽しみにしているところです。

投稿: リウ | 2014年7月 1日 (火) 13時41分

お爺やの再登場で「お前は一生、鼻垂のはなだ。花子にはなれね~」に笑いました。しかし、はなが花子という名前にそこまで拘る理由ってなんでしょうね。
「ちりとてちん」のB子みたくA子の影になってしまう自分を変えたい劣等感があるわけじゃなし。

次週からは奥さんを亡くした村岡さんが、はなを追いかける展開らしいです。先が読めとる…。どうせ今週は「道ならぬ恋」というシチュエーションに酔ってただけだし。
どうせなら与謝野晶子を主人公にした「華の乱」ぐらいやっとくれ~。一方で実話には存在した養子に出される息子はカット。「江」の最終回で駿河大納言の切腹をカットしたようなものか。

しかし翻訳って原著者と文章を通じて対話し行間にこめられた感情まで読み取っていく作業だと思うのですが、この鈍感女で大丈夫か…。糸子みたいな天才設定なんでしょうか。描き方にエライ差がありますが。

投稿: 巨炎 | 2014年7月 6日 (日) 07時26分

リウ様、こんばんは。

「梅ちゃん先生」同様、デジタルデバイドから生じた
情報格差で可否が別れる「花子とアン」
何かなあー、と言う感じです。

朝ドラプログラムをレストランメニューに例える>
こってりしたパワーランチを期待した客に出されるのは、
薄味のお粥ランチかオジヤランチ。
更に、精神的食物アレルギー客が食する疑似食材食。
「看板に偽り有り?」と混乱させるメニュー。
どの顧客を中心にメニューを作っているか、甚だ疑問です。

長期化シリーズの弊害で、創作姿勢が衰える。
「印籠爺さん」シリーズの末期を彷彿とさせます。

俗人では無く、通人受けする創作姿勢で挑めば、
朝ドラに希望は有るのですが……。

7月8日、NHK-BSで「ゴジラ」第一作が放映されます。
時代を越えた特撮映画の名作を、視聴する機会が有ります様に。

投稿: M NOM | 2014年7月 6日 (日) 19時03分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私も 「はなが花子という名前にこだわる理由」 というものに、あまり深遠なテーマを見い出せないのですが(笑)、ことこのドラマにおいては(事実とかなり乖離しているらしいので…笑)、幼い頃からはなは、自分を貧乏な小作の娘だと認識したがらず、「なにか素敵なもの」 だと認識したがっていた。 名前によって、貧乏な日常を、変えたがっていた。

それが修和女学校に入って、「子」 がついた名前というものはだいたい皇族みたいなエライ人がつける、やんごとなき名前なのだ、という認識を深めていった。
つまり 「子」 を自分の名前につけることは、そのまま、はなの上流階級に対するあこがれと見事に合致して、投影していったものだ、と理解できるんですよ。

ただ思うのは、そういう深い読みを許さないくらい、物語が村岡花子サンに敬意を払っているようには見えない、ということでしょうか(ハハ)。

いや、気にしない気にしない。 ひとやすみひとやすみ(笑)。

投稿: リウ | 2014年7月 7日 (月) 10時51分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

「デジタルデバイドで情報格差が生じ」…、ん~、具体的にどーなってるのかがよく分かんないんですが(笑)、事前知識によってかなり高評価を得ているケースもある、ということでしょうか(?)。

なにしろ、「恋バナなんてもうたくさん」 と思っている層には、このお手軽メニューは甚だ物足りないでしょうね。

そしてこの先、白蓮のほうは、関東大震災という災害を、これ幸いとしてしまう側面があったらしいですし、そもそも自然災害に対しても、現代の視点とはまるで異なるものがあるんじゃないでしょうか。 「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れたからブチ殺せ」 というのは、とてもじゃないが今の視点じゃない。 でもネットではその手の精神的な殺人が、今じゃ日常的に行なわれている。

「ゴジラ」 にしても、「ウルトラセブン」 で近年封印ナンバーになっている話にしても、放射能に対して、現代人の視点とは明らかにスタンスが異なっているところから出発している気がします。 まるで風土病みたいな感覚なんですよ。 被曝ということが。 それは恐れという感覚ではなく、異形に対する興味、という感覚で語られている気がする。 ゴジラは、異形の者(ヒト)なんですよ。 私見ですが。

この 「花子とアン」 というドラマが、恋バナで推移せざるを得ない状況、というもの自体に、ちょっと目を向けてもいいのかな、という気も、するのです。

投稿: リウ | 2014年7月 7日 (月) 11時06分

結局、「梅ちゃん」が以降の朝ドラの一つの
指針になってしまったのではないでしょうか。
「カーネーション」でドラマ性はシリーズの頂点を
極めてしまったが、直後の「梅ちゃん」で視聴率は
これを上回り、以後の作品は「純と愛」を
底辺にして視聴率は右肩上がり。

しかし逆を言えば「前作以上の視聴率」が常に上層部から
ノルマとして課せられているのかもしれません。
無形のプレッシャーか、有形の圧力かはともかく。
こちらとしては「カーネ」の再現など別に期待しないし
内容及びメディアとの関係においてバランスのとれた
「ゲゲゲ」の再来であってくれれば充分なのですが
大河でも少し言及した局内の視聴率至上は想像以上かも。
良く言えば大衆向け悪く言えば低俗路線にならざるを得ない。

90年代~21世紀序盤までのフィルム現存作品の
アンコール放映をまたやってくれないでしょうか。
再放送「おしん」ばかりでは。
落ち着いた作りの作品がちょっと懐かしい。

投稿: 巨炎 | 2014年7月 8日 (火) 10時57分

リウ様
こんにちは。

「花子とアン」からは盛大に外れてしまいますが(すいません)。

BSのデジタルリマスター版「ゴジラ」、ご覧になりましたか?
もう何度となく観て、DVDも持っておりますが、今回のリマスターの状態はかなり良好でした。映像は勿論のことですが、音声が明瞭になっているのが嬉しいですね。この頃の映画って、日本語話している筈なのに字幕が欲しくなるようなものが多いですが、セリフも大変はっきりと聞き取れます。

ゴジラ、異形の者。そうですよね。確かに、中に人が入っているし(そういう問題じゃない(笑))。
付け加えさせていただくなら、平田昭彦さん演じる芹澤博士とゴジラは、対となる存在ですよね。
戦争によって居場所を奪われ、人間社会に受け入れられることなき悲劇をどちらも背負っているという点で。

歳を経てこの作品を観るたびに、この芹澤博士の哀しみが、より切実に感じられるようになっております。
ラスト。海底でオキシゲンデストロイヤーを使い、ゴジラと運命を共にする芹澤博士は、まるで、無理心中を図っているようにも思えてしまいます。

この海中のシーンも、画質がクリアになり、何やっているかはっきり分かるようになったのも、リマスター版のよかところでしたばい。

投稿: Zai-Chen | 2014年7月 9日 (水) 11時54分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして申し訳ございません。

NHKってそんなに視聴率重視でやってるんでしょうか? 公共放送なんだから視聴率なんかどうでもいいのに。

ただ村岡花子サンにしても白蓮サンにしても、恋に燃えた女性であったことは確かなようです。
要は、それをどのようにドラマとして表現するか。
蓮子のほうはこれでいいけれど、はなのほうはどうなんですかね。 先週から見てないから分かりませんが。

こないだまでやってた 「ちゅらさん」、私初めてきちんと全編見たんですが、なんかかなり間延びした作りだなーとは思いましたよ(笑)。 キロロの主題歌がラストでよく流れてたし(尺が短いからですよね…笑)。 このドラマもかなり安易に登場人物同士がくっついてたな~(笑)。

投稿: リウ | 2014年7月10日 (木) 07時41分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

まだ未視聴ですが、ほぉ~っ、そんなによくなってますか。

確かに黒澤映画とか見ていて、セリフの声が割れてて分かんないですもんね(笑)。
前に当サイトで何度か言及したことがあるんですが、黒澤映画が外国のほうが評価が高い(黒澤監督の生前、日本から資金が集まらなくて、ルーカスとかプロデュースにまわっていたこととかありましたよね)というのは、字幕で黒澤映画を見ているからじゃないか、と。

特にミフネは怒鳴ってばかりいるからなに言ってるか一層分からん(爆)。

「ゴジラ」 より 「若者たち2014」 のほうが気になって、そっちをさっき見たんですが、…。

なんか 「怒りの逆襲」 をしたくなってまいりました(爆)。 1日限定で記事をアップしましたが、コメント書き込みできませんのでよろしく(1日限定で削除しますんで)。

投稿: リウ | 2014年7月10日 (木) 08時09分

リウ様

「若者たち」見ました。すごいキャスティングで、みんな頑張ってるんですが。。。

如何せん、現代版にのせかえたといっても、シチュエーションは変更せず。。
いまどきあり得ない設定になっちゃってるから、田中邦衛さんの「若者たち」をご覧になってた方は見るかも?しれませんが、杉田さんが若者に見てもらいたいと言っても、多分無理でしょう。

もう少し、今の時代に合わせた脚本にしないと厳しいでしょうね〜。役者さんは、すこぶるいいので非常にもったいない感じがします。ずっと、この調子なのかなぁ?

投稿: rabi | 2014年7月10日 (木) 19時35分

橋本様
「若者たち」ナ、ナント10分でリタイア!!楽しみにしていたのですが・・・。おばさんの地域はフジTVは放送されず(大好きな尾野さんのドラマだけは、車で15分の実家へ行って視てるのです。)(笑)「若者たち」記憶に薄いのですが「君の行く道は果てしなく遠い~♪」は覚えており、しかし今の時代の若者にはどうかな?とは思っておりました。ドラマは見られなくとも橋本様のレビューで見た気になれる、と思ってましたので残念です。
 
 話は「花子」に変更。
酒井順子さんのコラム、立ち読みしていまして(笑)深読みもせず、その意味を100%理解できないままのおばさんです(トホホ)が「好きなものは好きでいいんじゃない」と言うところです。
 ただ、ドラマでは花子も連子もお嬢様らしく、恋に恋してフワフワしてるという感じ、ポリシーもなんもなく、まるで「梅ちゃん」をみてるようでチョイ苛立ったりしております・・・。でも、朝ドラはそういうのが好まれるようですので、この調子でこのドラマを引っ張って行くのでしょう。
そして、滑稽なくらい不倫を美化、正当化してるようで、周囲も一生懸命後押ししてるようで嫌なんですね・・・。苦悩の表情もあまり感じられず・・・。
 アン大好きのおばさんとしては、花子さんはあの時代に翻訳家として、文学者として活躍された方、不倫と言う事実があったとしても、尊敬にも似た想いを抱いておりましたので、ドラマのこの展開は「残念」の一言・・・。この頃はオープニングの歌とPEIの風景だけ楽しみ、あとはどうでもいいや、になって来ました。ドラマだもの、フイクションだもの・・・。
 
 これから本格的な文学的活動の場面がテンコ盛り~なのかも知れませんが、それは橋本さんのレビューと皆様の感想を読んで確認しましょう、と思っていますので宜しくお願いします。
 
 「カーネーション」でもいよいよ、周防さん登場!
同じ不倫なのにこっちは楽しみ。年甲斐もなく「キュンキュン」(笑)なのはどうして?綾野さんのファンでもないのですが。

 それでは ごきげんよう

投稿: おばさん | 2014年7月10日 (木) 21時55分

橋本様
すみません・・・もうひとつだけ。
いつもは橋本様の深い~いレビューに感心しているおばさんなのですが、花子を女学校でなく尋常小学校の先生としたのは・・・単に英語の先生だとセリフが大変だからじゃないのかな?と思ってまして。朝ドラは台本何冊も渡され、かなりハードだって読んだ気がします。浅はかな読みでしょうか?(笑わないでくださいませ。) 思えば、このドラマ、小学校でのあたりからゆる~い下降線でした・・・。
  それでは おやすみなさい

投稿: おばさん | 2014年7月10日 (木) 22時57分

rabi様
「若者たち2014」 のコメント下さり、ありがとうございます。 1日限定の記事を立ち上げましたが、なんかまだ書き足りなかったので、ここで鬱憤を晴らしたいと思います(笑)。 コメント欄なら炎上もしないでしょうし(いや、表立ってかなりけなしても苦情は出ないと思いますが…笑)。

とは言うものの、アレがどうだとかコレがどうだとか、そんなことを言う以前の問題。 いちいち詳細な検証をすることすらばかばかしい出来でした。

別に単発ドラマとかどーでもいい扱いのドラマなら、私もここまで批判しようとは思いません。
いやしくも開局55周年ドラマとかオールスターキャストとか、鳴り物鳴らしまくりでやってること自体に腹が立つのです。

そもそも半世紀前もの作品を、そのまんま忠実にリメイクしようとする時点で踏み違えてます。
妻夫木クンが 「若者たち」 をいかにも無理しながらガナリまくって自転車こいでる時点で、見るのをやめました。 もうちょっと現代的なリメイクの仕方をするかと思ったのに。 「こんな奴いねーよ」 です。 満島ひかりチャンも柄本祐クンも、「こんな奴いねーよ」 でした。 結局見たい役者が目白押しだったのに、都合この3人しか見てない(ハハ…ハハ…)。

事務所の関係とかあるんでしょうけど、こういうドラマに出る俳優さんたちの、「役者としての見識」 を疑ってしまいます。 ホンを読んで、おかしいとか思わんのか。 そんなに食うのに困ってるのか。

フジテレビは、ホントに終わったと思いました。

私なら、企画の時点でダメ出ししまくりですよ。

こういうのを開局記念とかやってる時点で、もうオシマイ。

あ~なんか、役者も予算もスゲー無駄遣いなのが腹立つうう~~っ(笑)。

投稿: リウ | 2014年7月11日 (金) 05時14分

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。

「若者たち2014」 に関しては、rabi様への返信であらかた語り尽くしました(笑)。 クッソ、吉岡クンとか満島チャンとか、こんなクソドラマでスケジュール拘束してんじゃねーぞと言いたいくらいの出来でした(もういいか…笑)。

それにしても、そんなにひどいんですかぁ~「花子とアン」(笑)。
「若者たち2014」 に比べりゃどんなドラマでもよく見える(「ビターブラッド」 でもまだ見ることはできましたよ)(つーか、「ビターブラッド」 とか 「若者たち」 とか、フジテレビ完全に終わってるよな)。

いや、「ブラックプレジデント」「ファーストクラス」 は見ていて面白かった。 まだフジにもひとかけらの良心があることに期待しよう(笑)。

ところでやはり、「赤毛のアン」 とリンクしながら話が進んでいくのかと思っていたら違うようだし、オープニングでしかアンを感じることが出来ない、というのは、ちょっと物足りないです。

ドラマのなかでもいろんな英書が出てくるけれども、なかなか 「赤毛のアン」 が出てこないのにもちょっとイライラするかな(笑)。 いや、まだまだ先なのは分かるんですけど(笑)。

「赤毛のアン」 と出会って、花子がどのようにアンの生き方に感化されていくのかとか、そういうのも見たいんですけど、望み薄かな。

それと、「小学校の教師」 の件ですが、英語教師をお嬢様学校でやってるだけというより、田舎のガキ共の相手をしているほうがドラマ的に面白い、とか思ったんじゃないのかな~(笑)。

投稿: リウ | 2014年7月11日 (金) 05時38分

ご無沙汰しています。

「花子とアン」、
アンで育った世代なので、なんというか、
期待度がかなり強かったせいか、最近はとみに脱力しか感じません。

前の話題で、はなが「花子」にこだわる理由とありましたが、
これは「赤毛のアン」が、
「自分の名前は、最後にEのつくアン=ANNE」と、こだわり続けたことをもじっているのだと思います。
あちこちに原作のエピソードを引っ張ってきているのは分かりますが、うまく生きていないので、原作ファンとしては、かえってわかる分、うっとおしい。

一番引っかかるのが、アンの伴侶になったギルバートをもじっている朝市の、このドラマでの存在意義は?ということなんですね。

ネットでは棒と呼ばれている宮本氏、大根すぎて見るに堪えません。
親族の方はどう思われているでしょう。
兄やんか、朝市の人が演じたほうが迫力あったのでは、と。

村岡先生ほか、強いご意志に貫かれた人生を考えると、薄っぺらいドラマにしか見えません。
プラスの分は、久しぶりに「赤毛のアン」全部読む気になり、本棚から古い本を引っ張り出してきたこと。
大人になって読むと、子供の時とはまた違う感想を持ちますね。
単なる少女小説ではなく、むしろ中年の依怙地な嫁き遅れカップルを描く時に、モンゴメリーの筆がさえていることに、気づきました・笑

投稿: マーシー | 2014年8月10日 (日) 14時49分

マーシー様
なんとなんと…大変お久しぶりです。 お元気でしたでしょうか。 とんとコメントをいただかなくなったので、なにか失礼なことを申し上げたのではないか、と気にしておりました。

私の母親なんかに 「このドラマって面白い?」 と訊くと、フツーに面白い、とこたえます。 でも、「今まででどの朝ドラがいちばん面白かった?」 と訊いても、どれもちゃんと覚えていない(笑)。

つまり毎朝の15分のなかでちょっと笑えて、ちょっと泣ける。 それくらいの話でじゅうぶんなんですよ。 あとには何も残らない。

それに比べると私どものような 「ドラマの質」 に拘る者たちにとって、今回のような話の落とし方は少し(いやだいぶ)失望する出来であることは確かです。

そのなかでも、「赤毛のアン」 に多少なりとも思い入れのある私やマーシー様が、このドラマのタイトルやタイトルバックを見て期待したものは、少なくとも現在のところほぼ出てきていない、と実感します。 名前とか石板とかワインで酔っ払うとか、なんだか上っ面でしかないようにさえ思えます。

さらに、白蓮事件についての知識がある人たちにとっても、このドラマの事実と異なる描写の仕方には、怒りさえ感じる人たちも多いのではないでしょうか。
絶縁状が本人たちの意思と無関係に新聞に載ったとか、蓮子が姑いびりされてるだとか、伝助とバッタリ会って 「一杯やりませんか」 とか。 このときの伝助の反応じゃないけど、「はぁぁぁ~~~っ????」 みたいな(笑)。

でもまあ、フィクションをやってると思えば腹も立たないというか(笑)。 なまじ期待するから腹が立つのであって(笑)。

私も自分の母親みたいな感覚でいまはこのドラマを見ています。 「いつになったら 『赤毛のアン』 の帽子が花子に届くのだろう」、と思いながら(笑)。 「本当に村岡花子とアン・シャーリーが並び立って表現できているようなドラマが未来に出来ることを期待しよう」 と思いながら。

そしたら蓮子が伝助と再会したことの意味も、村岡の父親がまだ生きてることの意味も、少しは腹を立てないで見ることが出来る気がするんですよ。 ドラマの深読みということは叶わないけれど。

私自身は、「はつ恋」 を書いた人でも朝ドラというのは難しいんだろうな、というのは感じます。 「JIN」 を書いた人ですらちゃんとできなかったのですから。 朝ドラの脚本を書くというのは難しいんだろうな、とつくづく思います。

投稿: リウ | 2014年8月11日 (月) 13時21分

ああ、
お気を使わせてしまって申し訳ありません。
大河もアレレな出だしだったし、
いま、地上波で見たいドラマがほとんどなく、
もっぱらケーブルにばかり浸っておりましたので。

いまAXNミステリーで放送中の「刑事フォイル」、
第二次世界大戦のイギリスが舞台ですが、
刑事もの、というよりも当時の人々の生活を描いていて、とにかく深いんですよ。
何で日本のドラマ、こうなってしまったかなあ・・・。

ちょっとまえに、ケーブルで「パパはニュースキャスター」の連続放送があって、録画して永久保存しました・笑
この頃はどのドラマも元気があって、毎週楽しみだったのにね。

で、「アン」ですけど、山梨東洋英和で教師の設定が、田舎の普通の学校に変更というのは、
赤毛のアンの主人公が一時期、アヴォンリーーの小学校で教えていたことをもじったのかな、と。

となると、「花子とアン」というのは、花子の人生に、赤毛のアンをシンクロさせた話つくりである、という意味かしら?
すでにアンは出てきているっ、てことになりますね。
となると、そこまで無理して「お話」を作る必要があるのか?という疑問がわいてきます。

それにしてもお粗末な展開すぎて、興ざめの連続です。
収穫は、村岡印刷の和服姿くらいかしら?

これも無理してイクメンにしなくても、
と思います。


投稿: マーシー | 2014年8月14日 (木) 13時02分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

私の取り越し苦労だったみたいで、大変安心いたしました。
夏ドラマ、ネットで評判なのは 「家族狩り」 とか 「ペテロの葬列」 とかでしょうか。 「ペテロ」 は事件モノなので最初から食指が伸びませんでしたが、「家族狩り」 はどうも自分に合わなくて1回で見るのをやめました。 「若者たち2014」 はその後持ち直したみたいですが、先に書いたように10分でリタイア。 文春で亀和田武氏が半ばムキになってこのドラマを擁護してたなぁ。 まあこちらも10分でリタイアしたから反論のしようがございませんが、「田中邦衛は放送当時から既に、クサくて 『こんな奴いねーよ』 だった」 みたいな書き方してたけど、そのうざったさを 「こんなウザいヤツいるよな」 と思わせるのが役者ってもんじゃないでしょうかね。 田中サンは 「北の国から」 でもそのうざったさ全開でしたよ。 それが出来ないのは、脚本なのか演出なのか役者のせいなのか。 そこだと思うんですよ。

って、私もムキになって反論してしまいました。 本題からそれて申し訳ありませんcoldsweats01

「花子とアン」 の場合、脚本以外にとりわけ主演の吉高由里子サンや、宮本役の人に大根という声が集まっているようですね。 私はあまり感じないかな~。 もしそれがあるとすれば、話の質に対してのイライラが、役者の演技への不満に転化してしまっている、そんな気がいたします。 宮本の行動というのは、なんかいちいち見ててイライラする。 そんなヤツに仲間由紀恵サンという、このドラマではいちばんきちんと演技していると思われる人が惚れてしまうのですから。

でもそれもこれも、みんな花子や蓮子など、ドラマのなかの女性たちが 「お嬢様」 であることと切り離せないのではないか、と私は考えています。

蓮子がインテリ学生との恋に走ってしまうのも、彼女が華族のお嬢様であるがゆえ。 花子が歩クンに自分を 「お母ちゃま」 と呼ばせ、落書きを一緒にしてしまうのも、お嬢様の世間ズレゆえ。

その歩クンが亡くなってしまい、ここ数日はこのドラマも喪に服した状態です。 ですのでこれ以上イチャモンをつけるのは、しばらく差し控えようと存じますcoldsweats01

歩クンが亡くなるのに、いきなりフラグを大量に立ち上げたり(笑)蓮子に真っ先に電報で知らせたり、兄の吉太郎に 「どうして歩が死んだのに仕事なんかしてられるのか」 と詰問させたり、それらはみんな理由があるんですよ。 たぶん。 ドラマに対して失望してしまっていると、そこんところが見えなくなってきてしまうかもしれない、と私は考えております。

投稿: リウ | 2014年8月15日 (金) 06時35分

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