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2014年6月 1日 (日)

「花子とアン」 第5-9週 「ありのままの」 主人公でいい、レリゴーレリゴー♪

 皆様ご機嫌よう。 1カ月ぶりの 「花子とアン」 のレビューでございます。 今回は、「波乱の大文学会」 から 「はな、お見合いする」 までをレビューいたします。

 作品の質を忌憚なく鑑みたとき、私が前回までレビューした週プラス翌週の 「波乱の大文学会」 まではかなりのクオリティだったのに対して、「腹心の友」 からの話の流れは、ちょっと散漫気味に感じます。
 それは脚本の中園ミホサンが、主人公の安東はな(吉高由里子サン)をスーパーウーマンにするのか、それとも普通の人として描くのか、そこらへんの逡巡があったせいなのではないか、という気がする。
 最初の数週のクオリティの高さ、というのは、もしかするとそれは、はなの父親である吉平(伊原剛志サン)が、読書好きだった少女期のはなに抱いた過大な期待が、ドラマの行方を後押ししたせいだったのかもしれません。 山梨の貧乏な小作農家と東京のお嬢様学校とのあまりにも極端な格差を描いてドラマは先鋭化され、さらに葉山蓮子(仲間由紀恵サン)という異文化の流入によって物語が複雑化しつつある。 そんな構造が今後に対する期待感をさらに膨らませていった感があります。

 しかしその複雑化に伴っていろんなところで仕掛けられたエピソードは、結構玉虫色で、いうなれば安易な決着を見てしまうことが、たびたび見られるようになる。

 たとえば 「波乱の大文学会」 で、はなと蓮子とのいわば同性愛的な友情に嫉妬する醍醐亜矢子(高梨臨サン)の様子を描いていたかと思うと、それは 「ロミオとジュリエット」 の芝居が紆余曲折を経て完成していくに従って、なんとなくうやむやな方向で解決してしまう。

 そしてはながのちの夫と出会う場となる、出版社でのアルバイト。 はなはバイト代について自分が使うことしか考えない。 結局何に使ったのか、というと、蓮子への土産のきんつばのみ?(笑)。 いや、ひと月も働いてきんつばだけというのはあり得んだろう、みたいな(笑)。 そのあと蓮子と一緒に甲府へ里帰りしてたから、その旅費に使ったのかもしれないけど、でもこれって蓮子の提案だったから、旅費は蓮子が出したのかもしれないし、あ~バイト代何に使ったのか気になる(笑)。

 そしてはなの妹、かよ(黒木華サン)が製糸工場を飛び出して修和女学校に来た時も、なんとなくそのままそこの寄宿舎にかくまわれたような格好になり、そのことで修和女学校に来た母ふじ(室井滋サン)の 「母としての思い」 も、どことなく出口を探しあぐねているような展開で、なんとなく片付いてしまったり。

 はなの就職に関しても、修和女学校で英語の教師として働かせてあげる、という富山先生(ともさかりえサン)の 「渡りに船」 的な話に、はなはなかなか乗ってこない。 これ、おかあの 「山梨に帰ってくりょう」 という思いに引きずられるような格好ではなは逡巡するわけですが、いや、比較論からいくとまったく天秤が釣り合わないですから。 山梨に帰ったって、働き口がないっていうんでしょう。
 そしたら朝市(窪田正孝クン)の口利きで出身校の尋常小学校で代用教員の働き口が見つかって、みたいな緊急避難的な解決。 ウジウジしとるあいだに決まっちゃった、みたいな。
 じっさいの話、村岡花子サンは卒業後、山梨の英和女学校で英語の教師として5年間勤めたらしいので、かなり事実と違うのですが、そのせいかまあ粗い展開の仕方ですよね(笑)。

 私が現在のところ気になっているもうひとつは、蓮子が政略結婚で嫁いだ先の九州の石炭王、嘉納伝助(吉田鋼太郎サン)のひとり娘。
 この子は伝助が芸者に産ませた子で、蓮子の境遇とまるで瓜二つなんですよ。
 だのにそこんところに関するストーリーのツッコミがまったく見られない。 この子に対して蓮子がどう考えているのか、ほんの少しの説明でも欲しいところです。 自分と同じなために同情しているのか、それとも近親憎悪的に憎んでいるのか。

 蓮子の嘉納家における身の処し方は、ちょっと頭のいい方向とは思えない。 環境の違う人たちを無理に自らの色に染めようとして、却ってドツボにハマっていく。
 これは蓮子が結婚を決断した時から始まっているように思えます。 葉山家の財政破綻を解決するために結婚するのだから、別に 「腹心の友」 であるはなに黙ってするようなことじゃない。 「腹心の友」 なればこそ、分かってもらえるでしょう。 それを徹底的に隠した末に、あからさまにはなを突き放し、絶交同然に袂を分かって嫁いでいくのです。 徹底して退路を断っているから、精神的な余裕が生まれない。

 ただそう考えると、蓮子が堕ちていく過程をこのドラマは逆に理路整然と語っているのかもしれません。 このドラマの軸になるひとつが、蓮子の不倫問題なのだとすると、蓮子のある種の視野の狭窄性が、この 「なんとなく解決しちゃう」 お気楽なドラマに大きな影を落とす、アクセントのひとつになりつつある気は、するのです。

 もうひとつ、第9週の 「はな、お見合いする」 では、それまでまるで放っとかれたように思われた、はなの父吉平と長男の吉太郎(賀来賢人クン)との軋轢がクローズアップされました。
 かたや、自分が社会主義の伝道者として重要人物だと買いかぶっていた男のみじめな逃亡と、父親の偏った愛情のおかげで憎しみばかりを募らせてきた息子の悲壮。 「いったいこの話はどうなっちゃってるのよ?」 と思ってましたが、さんざん引っ張っといて、作り手はちゃんと考えていたらしい(笑)。
 これで、「作り手が話を手広く広げちゃって、ちゃんとした解決方法を考えていない」 という危惧はだいぶ軽減された気がします。
 もしかするとさっき私が挙げた 「醍醐のお嬢さんがはなと蓮子の友情に嫉妬していた」 という話も、ある種の展開を見せるかもしれないな。 どうも番組HPの相関図によるとこのあと醍醐のお嬢さんは、はなの夫になることが物語上バレバレの(笑)村岡印刷…じゃなかった村岡英治(鈴木亮平サン)に恋するみたいだから。 なんか醍醐のお嬢さんがはながバイトした出版社に就職する過程も、「ゴーインな展開だなァ」 と思ってたんだよ(笑)。

 そんな、周囲がにわかに事態の深刻度を増すいっぽうで、物語の主人公、安東はなは結構出たとこ任せで気楽に生きているような気もする(笑)。
 これは、はなが幼少のころから費用のかからない方向で、お嬢様学校に入れられたことが大きく関わっている気がします。
 チビはなチャンにとって、この環境の大転換は、想像に難くない過酷な試練だったように思う。 ただそこをくぐり抜けると、甲府の貧乏な小作とはまったく価値観の違う別の人格が形成されてしまう、ということを、このドラマの作り手は見る側に伝えたがっているように見えるのです。

 だから初めてのバイトでも、「ビンボな実家に仕送りしてやろう」 とかいう気持ちすら湧き上がることがない。 まあきんつばしか買えないような雀の涙ほどの給料じゃ仕方ないけど(笑)。
 卒業前2カ月になってもまったく将来のこととか考えていないのもそう。 いや、悩んじゃいるのですが、かなりお気楽レベルで悩んでいる(笑)。
 その彼女が別の次元で人生をとらえている、という象徴が、「ごきげんよう、さようなら」 という言葉なのだ、と見ていると感じます。 この言葉は、彼女が後年ラジオ番組(現NHKラジオ)で 「コドモの新聞」 というコーナーを持ち、今の池上彰サンみたいなことをやっていたんですけど、そこでのあいさつ。 これは当時流行語になった、とも言われていますが、なぜ流行したかと言えば、この言葉自体が上流階級の言葉だった、つまり 「一般世間と乖離している言葉」 だったことに由来する、と思うんですよ。
 彼女が 「別の次元で人生をとらえている」 もうひとつの象徴は、妄想癖でもある(笑)。

 この、安東はなと嘉納蓮子の人生に対する捉え方の大きなコントラストというのは、どこからきているのか。
 それは、「さらば修和女学校」 の週で、女学校卒業の時のブラックバーン校長(トーディ・クラークサン)のスピーチを聞いたかどうかに影響されている気がする。
 このスピーチでブラックバーン校長は、「あなたがたが、この女学校時代がいちばん幸せだったと後年思い返すようなことがあれば、私の教育は間違っていたと言わざるを得ない」 というような趣旨のことを言っておりました。 つまり、「最上のときはいつもこの先にある」、と思わなければならない、希望は最後まで持ち続けなければならない、ということです。
 蓮子はこの場にいなかった。
 ドラマの論法としては、蓮子がこの生き方の指針を学んでいないことが、のちの白蓮事件に大きな影を落としている、という展開を示している。

 さらにはなにとって人生の大きな指針となっているのは、祖父周造(石橋蓮司サン)の数少ない格言(笑)かもしれません。 「失敗のいいところは、次はしなくなるところだ」 とか(だったっけか?)。 確かに若い時にいっぱい失敗しておけば、いろいろ学習しますからね。 はなの楽観主義は、おじいやんから受け継いでいるようなところもある。
 母ふじの、「なんとなく玉虫色だけど、これが幸せなんだよ」 と捉える生き方も影響してるかな。

 だから、私も途中までは 「こーゆーなんとなく解決しちゃう展開でいいのか?」 とか思ってましたけど、「♪ありのーままでー」 いいんじゃないのかなーと考えるようになりました。

 折しも昨日のNHK 「ラジオ深夜便」 で、甲府放送局から 「もっと楽しむ 『花子とアン』」 という特集をやっていて。
 そこで村岡花子サンが、夫が亡くなったあとのことを書いたエッセイが紹介されていたのですが、遺骨を見て泣いてばかりいるのは、意味のないことなんだと悟った、と。 夫は確かに現実にはもうこの世にいない。 でも夫の思いと自分は共にある、それを受け入れて生きていく。 彼女はそう綴っていました。
 それは究極の楽観主義である、と私は思うのです。 と同時に、その考えはブラックバーン校長の卒業式での訓示に通じている気がする。

 ♪レリゴーレリゴー(笑)。

 ところで蛇足ですが、このブラックバーン校長が卒業式の訓示で語った冒頭の二行。 「私と共に老いよ、最上のときはこの先にある」 という言葉は、ジョン・レノンが最後に残した傑作、「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」 で引用した、ロバート・ブラウニングの詩ですね。
 このほかにもこのドラマの中で、ジョン・レノンの言葉が引用されてた箇所があった気がするのですが、どこだったっけなー。 忘れた(笑)。 とにかく中園サン、ジョンの言葉をさりげなくインサートしてますよね、ネ(笑)。

 それでは今日はこのへんで皆様ご機嫌よう(これは秋山ちえ子サンだったか)。 さようなら。

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コメント

「ありのまま」でいる事=自分を貫く事のはずで
その困難さが描かれていないので自分は
主人公は全く感情移入できませんねぇ。

そもそも第3週で
「自分の居場所は、もうここではない」的な事を
やって、そのお嬢様的価値観がさらに助長されて
田舎に帰ってくれば周囲との軋轢があってしかるべき。
史実と変えた展開は大学行を断念した
「アンの青春」+「二十四の瞳」的な
事をやりたかった感じです。
記念写真とか一人だけ卒業出来なかった同級生とか。

しかし「二十四の瞳」では地方の閉鎖的価値観のため
周囲が主人公を「西洋かぶれの女」とみなして
何かと言動を悪く解釈し言質を取る場面がある。
本作では自業自得な失敗にしか見えませんが…。

価値観の違いによる孤独感は蓮子パートで描いて
お気楽なはなパートは周囲が自分の居場所を作ってくれ、
持ち上げてくれるというのは私の嫌いなパターンですね。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

このレビュー、だいぶ辛辣に書いたつもりなんですけど(笑)。 全体的な感想としては、結構ヤッツケ的に済ませちゃってる、というもので。

主人公に感情移入できるかどうかは、確かに個人的な差になると思うのですが、私もずいぶんいい加減なところがあるので、いい加減でもなんとなく乗り越えちゃうこの話の主人公の安易さに、ちょっと異を唱えられない弱みがあります。

私の人生もそうなのですが、いい加減なクセに、夢だとか信じている部分があるし、イッチョマエのことを考えてしまう。 それを周囲が許しちゃっている甘さというものに、匿われてしまう側面があります。

正直なところ、私もはなに対しては、そんなに感情移入しているわけではありません。
ただここまで見てきて、ヤッツケ的な話が目立つようになったとはいうものの、はなと蓮子の生き方がかなり乖離してきた、というのが興味深い。
このふたりの 「お気楽」 と 「深刻」 の人生が、またどのようにぶつかっていくのか。 そこに注目しながら見ていきたい気がするのです。

こんばんは。はじめまして。香川照之さんが「中車」を襲名した時に、ネットを検索してたら、リュウさんのブログに出会いました。それから、読ませて頂いています。私がテレビドラマを観て、面白いと感じた事や、何だかモヤモヤして、釈然としない感情をリュウさんが、論理的に、解き明かしてくれてるように思っています。「花子とアン」についての感想が、正にそれで、はなが、女学校を卒業してからの話が、今までと比べて平坦でつまらなくなったなと感じていたので、リュウさんのブログを読んで、とても共感しました。私も「なぜ、蓮子は政略結婚の事をはなに説明しないのか?」「初めての給料で蓮子に、きんつばを買うよりも、実家に送金するのが“すじ”じゃないか!」(笑)と感じていました。私は、はなよりも、蓮子の生き方に興味があるかも。仲間さんの蓮子は、外見や話し方が、魅力的で、つい見入ってしまいます。リュウさんのブログ、これからも楽しみにしております。突然失礼しました。

度々お邪魔します。リウさんなのに、名前を間違えてしまいました。大変失礼しました。ごめんなさい。

リウ様
ごきげんよう、

確かに、山梨に帰ってきてからの展開には、「とってつけた」感がありますね。
先週の、はなの見合い話の次は、末の妹、ももの恋バナのようですが、そもそも、こういう話に興味がない私にとっては、とっとと済ましてくれとも思います。「カーネーション」の静子ちゃんのようにですね(笑)。

ただ、今のふわふわ、お気楽なはなの描き方というのも、これからの激動に備えて、振り幅を確保しているのではないか、という思いもあり、この1~2週間はやや我慢気味に観ております。

はなと同世代を生きた朝ドラヒロインといえば、やはり「おしん」なわけで、おしんの身に降りかかった関東大震災や戦争といった災厄は、間違いなくはなにも襲い掛かってきます。加えて彼女には、敵性言語である英語の翻訳者という事で、戦時中に迫害を受ける可能性だってある。
そうした苦難を乗り越えるための楽観主義なら、それはそれで意味のある事だと思うのです。

「あの頃が一番幸せだった」と過去に囚われるのではなく、ブラックバーン校長の教えのように、今が最良である人生をどう構築していくか。このドラマのテーマはつまるところこれに尽きると思いますので。

それと、蓮子様の嘉納家の振る舞いについては、ほぼ史実どおりとのこと。女中頭@筒井真理子サンとの確執も、実際は男女問題も絡んだもっとドロドロのものだったようですが、あんな感じだったそうですね。
自分の誇りや美意識にあくまで忠実で、それを貫き通そうとすることで周囲に軋轢を起こし、孤立してしまう蓮子様。
今のところ、なんかしらんけど、何となく、何とかなってしまう人生を送るはな。

確かに乖離しまくってますな(笑)
これから二人に等しく襲い掛かる歴史の荒波が、この生き方にどんな影響を及ぼしていくのか。
ドラマ内年表では、あと3年程で白蓮事件が起こる筈なので、そこから、物語がどう動きだすのか、といったところでしょうね。

リウ様、こんばんは。
感想UP、お疲れ様です。

「平成の感性で展開されるコスプレ芝居」
ネット上で語られた、本番組の一面を示す象徴的感想でした。
あくまでも、自分自身が受けたものですが……。

村岡花子氏の伝記を「ゲゲゲ」同様、愚直に紡いでいたらエピソード途中の??な繋ぎ方に、違和感を持たなかったかもしれません。
「傑出したヒロイン」を親しみやすさの御題目で「愚かなヒロイン」に、改竄・置換えた事に抵抗感を憶えます。

「分り易さ」=「低きに流れる」と同義語でしょうね。

ドラマの舞台になる時代の空気感を護りつつ、其の中で違和感無い行動をするヒロインならば重畳ですが。
「傑出したヒロイン」に嫉妬するのが、平成朝ドラの視聴者層? そして制作者陣でしょうね……。

・カンニング氏扮する庄屋「お笑い芸人」だから、この程度の芝居ではなく、もっとシリアスな心理描写にチャレンジを期待。

・憲兵になった兄・吉太郎。人格が変貌し、冷酷非情の抑圧者となるか? 将又、2.26事件に参画し、父・吉平へ「悲しい親父越え」を果たすのか?

・「人生の達人」的な視聴者層に好評な、嘉納 伝助氏
 其の和服の下に『青春の門・筑豊編』に登場する侠客の如く、豪奢な刺青、若しくは修羅場潜りの刀傷が隠されている事でしょう。

・村岡 花子氏は「市井の人」よりも「知識人」と定義するのが、相応しいかも……。

優子様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして申し訳ありません。

いや、別にリュウでもかまいません(笑)。 もともとリウというのは、リュウの旧かな遣い、という感覚なのです。

拙記事に過分なおほめの言葉を下さり恐縮です。 このドラマに関しては、私も時々引っかかる部分がございますが、まだ視聴しようという意欲は持続しております(笑)。

まあ、私も神経質に細かいところまでドラマを見過ぎているかもしれません。 はなが蓮子にきんつばを買っていって、固くなってもなんとか食べられた、メデタシメデタシ…、と考えられる性分ならよかったんですが(笑)。

最近は多忙でなかなか新しい記事が書けないのですが、気長にお付き合いいただけたら、光栄ですconfident

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

あ~ちょっと時間がないので、また明日にでも返信いたします。 申し訳ございませーん!

Zai-Chen様
あらためて返信いたします。 コメント下さり、ありがとうございます。

やっ、我慢してご覧ですか。 私も、最初の数週みたいに 「1週間分見るのがあっという間」 という状態ではなくなったのですが、まだ登場人物たちの行状に美輪明宏サンがチクリチクリやるので、見ていられる感じですね。 美輪サンは、このドラマに欠かすことのできないご意見番、スパイスだと思うんですよ。

これが前作の 「ごちそうさん」 になると、無理クリ問題を作り上げて、め以子がしかめっ面ばっかりしているのが気に入らなくて、すごくイライラして見ていました。 週の終わりには心に残らない膨大な理屈で押し切られちゃうのも気に入らなかった(それなりに感動したこともあったけれど)。

結局め以子の長女が最初問題を起こす週でリタイアしてしまいましたが。

蓮子の嘉納家改革に関しては、そのきっかけというものがきちんと描かれていないことが気になります。

退路を断ってひとかどの覚悟を胸に嫁いだはずなのに、ただ無造作に嘉納家に失望して、あるときいきなり意識改革に乗り出す。 ドラマの論法としては、「蓮子がお嬢様でほかの世界に対して免疫がなかったから」 嘉納伝助のいいところに気付く心の余裕もなかったし、自分の考えを押し付ける行動にも出た、という感じですね。 でもドラマの展開としては、「或る日突然」 蓮子が嘉納家改革を思いついた、みたいな感じで。

ただ、室井滋サンとか、石橋蓮司サンといった特定の役者さんのドラマの咀嚼度によって、このドラマがそうした曖昧で分かりにくいなあなあな論理で動いていくのを、食い止めている、そんな感じはするのです。

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

「軍師官兵衛」 のささ様へのコメント返信で、M NOM様に申し上げたいことを先に書いてしまった気がします(笑)。 ぜひそちらも併せてお読みいただきたいな、という気がします。

カンニング竹山クンの演技が気になる、というのは私も感じてますね。 この人は結構演技達者だと思うのだけれど、どうしても大正期の地主をやるには重厚さが伴わない気がする。

それにしても当ブログの論客のかたがたには 「花子とアン」、不評ですね…(笑)。 私は 「ごちそうさん」 なんかよりもよっぽど見てられるんですが(笑)。

嘉納伝助を演じる吉田鋼太郎サン。
私も彼が、「見ようによっては憎めないヤツ」 という認識でおりますが、ここでの吉田サンの演技の方向性、嘉納伝助を共感されるような人物に見せてはいけないのではないか、という気がいたします。
徹底して悪いヤツに見せないと、蓮子が一方的に悪くなってしまう。
蓮子がはなと蜜月の日々を送ったからこそ、蓮子をドラマの語り手がここで否定してかかるのは、ちょっと得策ではない気がします。 蓮子の否定が、はなの否定へと心情的につながっていくように思えるからです。

吉太郎と吉平の先週の一連の話は、そりゃちょっと取ってつけた感じもしたけれども、「勘違い男のみじめな末路」 をとても容赦なく描いていた気がするんですよ。

そしてその 「男の勘違い」 を、これもなあなあと言われそうだけれども、きちんと受け止めていく、ふじ。 ふじはとてもファジーな納得の仕方で人生を歩んでいるけれども、実はみんな、人生ってファジーに受け止めながら生きてるのではないか、という点で、私はふじに共感するんですよ。

とりあえず、まだこのドラマのレビューも続けるつもりでおりますので、すごーく不定期ですが(笑)ご期待いただきたいな、と思っております。

蓮子のパートは結構、面白いです。
リウ様の指摘どおり展開に粗い部分もありますが、
仲間サンが演技力でカバーしております。

>嘉納伝助を共感されるような人物に見せては
>いけないのではないか、という気がいたします。
残念ながら懐の大きい男である所を見せまくり。
蓮子がお飾りを嫌うなら自分から前に進む展開?
でも白蓮事件にはどうつながる?

>勘違い男のみじめな末路
やっぱり、容赦なくというには中途半端でした。
なあなあで済ませたおかげでロクデナシは
全く成長しない言動を今週もとっています。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が少々遅れまして申し訳ございません。

ロクデナシというものは、周囲に甘やかされて、ロクデナシをなかなかやめられないものです(笑)。 ロクデナシがそう簡単に心を入れ替えたら、そちらのほうが不自然な気がします(ハハ)。 私じしんがロクデナシだから、吉平の辿るロクデナシ序説に共感してしまうわけで(笑)。

ただまあ今週分は、まだ見てないですが。

伝助が懐の大きなところを見せまくり、というのに、仲間サンの演技で見ていられる、みたいに巨炎様がおっしゃるのは興味深いです。 つまり蓮子はこれから、ピカレスクに走るのかな(笑)。 悪女を演じるのは仲間サンもお手のものですもんね。

リウ様、こんにちは。
遅まき乍ら、返信に参りました。

時代を纏う空気感……>
そうなんですよね。
過去の時代をドラマにしてるのに、必要以上に現代センスを盛り込みたがる……。

甲府編、本来ならばヒロインのビルディングストーリーである筈なのに、やたらとキャラクターを、朝ドラヒロインのテンプレートに填め込みたがる……。
職業確立に向けての研鑽描写よりも、恋バナに持ち込みたがる……。

次回からは物語は、少しづつ本題が動きだしますが、そんなに恋バナに道草したいのかな?
大正時代の方が平成女性よりも、精神年齢が高いと考えますが、「親しみ易さ」名目で大差無い描写?

不安が残る中、今後を見届けます。

童話作家・安東 花子>
アンデルセンやグリム兄弟の様な「悲しみを纏ったストーリーテリング」や「オブラートに包まれた残酷さ」では無く、宮沢 賢治の宗教観や新美 南吉の土俗性でも無い。
名前を失念しましたが「ももチャンシリーズ」の原作者に近い作風でした。

美輪さんの朗読で、甲府オールスターズによる劇中劇が観たかったですね。

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

M NOM様への返信はおろか 「花子とアン」 の視聴も遅れているていたらくですが、先週末はたまりにたまっていたドラマを見倒して2本ほどレビューを書きかけながら途中で頓挫。 そのままほっぽってる始末であります。

折しも今日は時の記念日なので、時間を大切にしたいものですが、人生が午後3時くらいに近づいている(ハハ、分かりませんが)というのにどうも時間をうまく使えてなくて苦労しています。 というより時間が足りなすぎます(笑)。

無駄話はともかく、M NOM様のご報告によると、あれからお話は恋のお話ばかりでまったくはなが成長しない、と。
まあ、主人公の成長を描かない朝ドラ、というのも新しいかな、と(笑)。
私なんかも男なので、恋のお話はもうどーでもいいのですが、白蓮事件自体がワイドショー的な恋のお話ですもんね。 たぶんこのドラマじたいも恋にその身を燃やし捧げてしまうのでしょう。 はなと醍醐のお嬢さん、蓮子とはなも倒錯した恋の世界でしたし。

考えてみれば、大正時代のお嬢様たちだからこそ、外の世界に免疫がない。 恋愛の世界も独自の解釈が進化していってしまう。

私はどうも、そんな修和の女生徒達の 「世間ズレ」 したところが、このドラマの根底的な思想を担っているのではないか、という気が、今のところはしています。 その世間とのズレは、多分に現代的な感覚なのではないか、という気もする。

「みみずの女王」 のお話も、「ラジオ深夜便」 で全編を聞いたのですが、なんと申しましょうか、文体が頭のいいお嬢様っぽいんですよ。
大正時代の発達していない児童文学の匂いがそこはかとなく漂う感じ(白鳥様を彷彿とさせますね、このみみずの女王は…笑)。
「赤毛のアン」 の翻訳でも、「腹心の友」 という表現は、現代人にはあまり馴染まないでしょう。

もしかするとそんな 「世間とのズレ」 が、はなを最後までこの世で遊ぶ人物に仕立て上げたのかもしれない。 世間とずれてるから、最初のお見合いのときでも、すぐに返事を出すのが当時の常識なのに、はなはズルズルと返事を伸ばしていた、とも考えられる。 「想像の翼」 パートも、そんなに面白くもないけれど(笑)、「ひもじいときでも雲をおにぎりに見立てる」、みたいな想像力で、はなはこれからの厳しい時代を生きていくのではないか、そんな気がしているのです。

橋本様

 残念な事に、おばさん的には「なんだかな~」と言う展開になって来た「花子とアン」・・・。
不自然な恋バナ続き、今日の告白もせつなさもときめきも伝わらず(ときめきなどおばさんにはもう縁がない世界ですが・・)
これは脚本のせい?演技のせい?感じ方が悪いせい?
 ちび花ちゃんのけなげさが懐かしい今日この頃です。

口直し(目直しかな?)に録画した「カーネーション」を見ています・・・(笑)
今日は前半のクライマックス的なシーン、「お父ちゃん、行かんといて」にもらい泣きでした。

 来週からは連様の恋バナも加わり、面白くなるでしょうかね~?
期待せず視聴します。 ごきげんよう。
   

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。

エートまた、3週間くらい見てないんですが(笑)、そんなにつまんなくなってますか。

最近読んだ 「花子とアン」 に関する話で興味深かったのは、エッセイストの酒井順子サンの話ですね。

「近代結婚とは、少女に 『自立』 をそそのかしながら、勤勉に努力した少女が 『自立』 したゆえに必ず陥る疎外感と孤独感を、『ロマンチック』 な恋愛を媒介にして、女性が本来ある 『身分』 に戻す制度である」、という書評を紹介しながら、こう続けます。

「アンとモンゴメリも、そんな結婚をした。 そして 『心の底では夫よりも実は [結婚] のほうを愛している』 日本女性が、アンの熱烈な読者なのだ」、と。

このドラマがどういう 「なんだかな~」 という恋バナになっているかは分かりませんが、実はつまらない恋愛話をし続けることで、そういう批判的な精神を担っているかもしれません。

…って、考えすぎかな(笑)。

こんばんはhappy01
他の方へのお返事から分かりましたが、まだ、最近の「花子とアン」を観ていらっしゃらないとの事。ですので、ストーリーが分かってしまい申し訳ないのですがコメントをしに来ました。だってあまりにも“つまらなく”なりまして・・・。ももちゃんの朝市への告白の回から、ずっと誰かの恋愛話ばかりで、観てるのが馬鹿らしくなりました(^_^;)
月9じゃあるまいし、人の恋模様ばかりを話の主体にされると、辟易します。月9でさえ、今回は路線変えたのに。(すべったらしいですがdelicious)花が、女学校に通ってた時が一番面白ろかったです。こんな発言をすると、
常に「今をしっかり受け止めて過去の栄光や楽しさに浸っていては、前進はない」と言う教えのブラックバーン校長に私が怒られそうですが(笑)

お孫さんの村岡理恵さんが講演で
演出・脚本の酷さを嘆いたとか何とか…。

アニメ「赤毛のアン」が世界名作劇場の中でも原作を
最も忠実にアニメ化した作品だったのとは対照的。
これは一年の放映に耐えうるだけのボリュームが
あった事と高畑監督がアンのキャラが掴めず
脚色を加えられなかったとの事なんですが。

一方で脚色の点で自分が唸らされたのは
「アン」の前後の作品。
「あらいぐまラスカル」
「ペリーヌ物語」
「トム・ソーヤーの冒険」
この三作品は宮崎晃氏という一人の脚本家が
全て手がけていますが現在のNHKと名作劇場の
結びつきの強さを考えると「カーネーション」に
多大な影響を与えた可能性が高い。

同氏は元々、「男はつらいよ」で助監督や脚本を務め
口調や仕草で台詞以上に語る名優・渥美清と共に
仕事をしてきており、これは「カーネーション」の
スタンスに合致しているのですね。

優子様
コメント下さり、ありがとうございます。

まあ、なんてことでしょう(美輪明宏サンのマネ)。 そんなにつまんなくなっているなんてshock

まあ、5月31日までの分で私が俯瞰すれば、いちばんおもしろかったのはチビはなチャンから吉高サンにバトンタッチした2週目あたりまででしたでしょうか。 やっぱりブラックバーン校長が話を引き締めてた気がするんですよ。

ただどうも、先に引用した、酒井順子サンの文章に、「最近どうもこのドラマがハマりつつあるベタな恋愛話の連続」 の理由があるような気がします。

でも皆さんからのご不満の声を聞くと、どうもそういう高尚なテーマがないような模様。 私もなんだか、忙しくてまともに見ることが出来ないのに、ますます見る気が減退してきた気がします(笑)。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ドラマの監修をしているはずのお孫さんがドラマの質を嘆いているというのは、監修している意味がないような気もいたしますが(笑)、いまさらどーこー変えてもどーしよーもないくらい根底からダメダメである、というなら納得します(ハハ)。

宮崎晃サン、んん、懐かしい。 「赤毛のアン」 途中で名作劇場じたいからリタイアしてしまった自分ですが、そんなに朝ドラとの関連性が強いのですか。

まあ月イチペースでレビューを書いているから、今週中にはほぼ見ておかねばならないこのドラマですが、どうも皆さんからのコメントを読んでいると、「もういいのかなー」 という気になってまいります。 たぶん 「朝ドラの法則」 からいけば、視聴率はいいんでしょうね(笑)。

リウ様
こんばんは。

いやいやいやいや・・・そうおっしゃらずに(笑)
私としては、今週から、また持ち直しているような気がしますよ。

相変わらずの恋バナモードであることは変わりないのですが、東京に舞台が移り、文字通り役者がそろって、物語が動き始めたかな、という感じです。
蓮子様と「事件」の相手となる青年、そして、はなと村岡さん。この二組の関係が物語の中心ですが、その周辺には、当時の女性が置かれていた現実を、かなりシビアな形で織り込んでいると思います。
しかも、そこに、「憲兵」となったお兄やんを絡ませることで、もう一つの暗い歴史の流れも伺わせている。それに加え、ドラマ初期のメインテーマだった「格差」が、また違う顔をして現れてきているような気がします。

まだご覧になられてないでしょうから、これ以上は書きませんが、このドラマ、物語は動き出したけど、確実に重くなっています。はなちゃんは、相変わらずフワフワして鈍感ですけど(笑)、そんな彼女にも、なんとなく、なんとかなってしまうことのない、シビアな現実が、牙を研いでそこまで迫っているような気がします。

まあ、今週の展開次第ではありますけどね。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

私があらたなこのドラマのレビューを寝ちゃ書き寝ちゃ書きしているあいだに、コメントをお寄せいただいた模様。 新しいレビューにも書いたのですが、そんなにひどいドラマとはあんまり思わなかったですね、6月の 「花子とアン」。

確かに恋愛話ばかりなのですが、先に引用した酒井順子サンの話を念頭に置きながらこの恋バナばかりのドラマを見ると、そのありがちな話の連続の中に、女性たちが陥りつつある 「結婚」 そのものに対する心理的な依存が見えてくる気がする。

でもそれ以上に感じたことは、…これは新しいレビューをご覧ください。

吉太郎が憲兵になった、という話を最初に聞いたのは数週前のドラマの中。 そのときに 「もしかすると吉太郎と吉平とのあいだにまだ対決の構図を残しているのかな」、と考えたのですが、蓮子が付き合うことになる帝大生との対決構図だったんですね。 そこに吉太郎がかつて、蓮子にあこがれていた、というこれまた恋バナを絡めている(笑)。

憲兵という言葉自体には、私も結構複雑な感情が湧きでるんですよ。 私が浴してきた戦後レジュームの(なんやソレ?…笑)マンガとかドラマとかでは、憲兵というのはとても悪いヤツという認識であり(笑)。 どういう理由から吉太郎がこういう道に進んだのかが、とても気になる。

でも戦後レジュームから脱却すると、憲兵に対する認識もかなり甘くなってきているのかな、という気もしてくるのです(だからレジュームってなんやねん…笑)。

はじめまして。少し前、このドラマに関する酒井順子さんのコラムを銀行の待合室の雑誌(笑)で見かけました。待ち時間中の流し読みだったせいか、酒井さんの言いたいのはアンもモンゴメリさんも村岡花子さんも結局「女の人生男(結婚)次第」みたいなことかなと解釈したのですが、そう単純な話ではなかったかも知れませんね。
蓮子との対比でいえば、たしかにドラマ前半では貧しい小作農家の娘なのになぜか(文字通り)蝶よ「はな」よと可愛がられのほほんと育ってしまったヒロインと、逆に高貴な家柄ゆえに自由を奪われ「世の中みんな敵」みたいな蓮子を対照的に描くかと思われました。身分の高い女性に多い「子」の付く名前を求めたはな、逆に「子」を捨てて「白蓮」になる蓮子、というのもその象徴だったかも知れません。
しかしその後は。私は村岡花子さんの結婚のいきさつを知らなかったのでよもやこんな展開になるとは!なんだか、ヒロインの不倫に対する嫌悪感を薄める意図で白蓮を持ってきたようにしか思えなくなってきました。夫の嘉納伝助氏が実在とは違う「ものわかりのいい親父さん」に描かれているので尚更蓮子の身勝手さばかり目立つ展開になっています。
ともあれブラックバーン校長やお爺やんの言葉が、このドラマの方向性を決めているのでしょうかねえ。今日より明日が幸せ!後ろは振り返らない。=反省も後悔もしない。従って成長もしない。婚活命だったはずが長年出版社に居座り、かといってバリバリ仕事に励んでいるようにも見えない醍醐、辛い工場労働で何を学んだのか、何を失ったのか芯のない浮き草みたいになってしまったかよも含め、感情移入できる女性が一人もいなくなってしまいました。「ごきげんよう」も、それぞれ境遇は違ってもどこか浮世離れした地に脚の付かない女性達に似合いなのですね。

茶柱達三様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

茶柱達三なんて、なんか多滝鱒蔵(タタキマスゾウ)みたいですね、さだまさしサンの(…分かんないか…笑)。

酒井順子サンのコラムが載っていた某週刊○春ですが(笑)、今週号では蓮子、つまり白蓮がどのような人物だったのかという記事が出ておりますね。 また銀行の待合でお読みください(笑)。

それを読むと、このドラマにおける蓮子パートのほうが、花子パートよりも数段事実に迫っている描写をしている、と強く感じます。

花子パートのほうは、なんかきちんと村岡花子の生涯(および、安東家の人々)を描くことを、ドラマの作り手がすっかり諦めて放棄してしまったように感じます。

ただ見ながらつらつら考えるに、花子も醍醐のお嬢さんも、社会に出ているとはいえ、当時の基準から言えばインテリジェンスを持ったキャリアウーマンなんて社会全体から求められていない、ただのお飾りであったことは言えるのではないでしょうか。

要するに茶柱様がご指摘するような、社会に出てから無力化し、従来あるべき場所に帰属させられていく女性たちの姿を、ある意味で忠実に描写しているのかな、なんて考えたりします。

後悔も反省もしたくないから、「ありのままの自分」 がもてはやされるのかもしれませんね、昨今の世の女性たちに。

レリゴーレリゴー♪です(笑)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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