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2014年6月15日 (日)

「銀二貫」 最終回まで見て

 NHK総合、木曜時代劇の 「銀二貫」。 天明年間、大坂の寒天問屋を舞台にした全9回の人情劇でした。

 このドラマの奥底を深く進行しているテーマは、まさしくタイトルの通り 「銀二貫」。
 ナニワの商人(あきんど)たちの信仰の中枢にあるのが天神様なのですが、そこに寄進をするスタンダードプライスが銀一貫。 物語の舞台となる寒天問屋、井川屋の大旦那である和助(津川雅彦サン)はそこを商人のプライドでもって、倍の二貫寄進しようとするものだから、物語はかなりの年月にわたって展開する必要が生じ、そのままならぬ紆余曲折をかなり駆け足で描写しなければならなくなったように思えます。

 結局物語の最初から最後まで、ウィキの資料から考えると、22年もの歳月が流れたことになる。 物語の主人公である松吉(林遣都クン)が彦坂鶴乃輔として登場したのが10歳であり、晴れて祝言に至った最終回が32歳、ということらしいから。

 全9回しかないクセにこの22年の歳月をやろうとするから、必然的にエピソードは飛び石のように、スッ飛ばしスッ飛ばし気味になります。
 しかし、この冗談みたいなスピードは、ナレーションを担当した天満宮の狛犬の化身、テンちゃん(山口智充サン)によって、冗談みたいに見る側を笑わせてくれることで解決しました。
 テンちゃんゆうても 「うる星やつら」 ちゃうで~(笑)。 ソフトバンクの犬のおとうさんみたいなんやで~(笑)。

 最初のうち、私はこの、全体的に重苦しいドラマに、どうしてかようにオチャラケたようなナレーション(ついでに言えばテーマ曲)がつくのか不可解だったのですが、笑いによって多少の齟齬をごまかしてしまう、という、そんな効果を考慮に入れていたという気もするんですよ。

 このドラマの本質をとてもよくえぐっていると思われるのが、井川屋にとってかなり重要になる寒天職人、半兵衛(板尾創路サン)の 「人生はシンドイけれど、オモロイ」、という一言だと感じるのですが、その思想がナレーション(およびテーマ曲)のオチャラケ感に集約していたのではないか、と私は思うのです。 オチャラケ、と言って悪ければ、「軽妙」。
 人生はそうした、悲喜劇のはざまで揺れている小舟のようなもの。 禍福はあざなえる縄のごとし。 そんな 「おもしろうて、やがて悲しき」「悲しゅうて、やがておもしろき」 という思想を象徴していた、と感じるのです。

 物語途中、松吉は新しい寒天を開発しようとして、長期間にわたって悪戦苦闘します。 平気で2年とか3年とか経っちゃう。
 そこでこのテンちゃんの出番。
 「へてから夏」、「へてから秋」、そして 「冬~~~っ!」(笑)。 谷岡ヤスジかと思った(笑)。 「アサ~~っ!」 みたいな。

 「へてから」 ゆうのは、大阪弁よう分かりまへんけど、「それから」 ゆう意味だっしゃろか。
 このドラマ、とにかくその 「へてから」 の連発で、流行語大賞狙ってんのかと思ったけど、視聴率があんまりよくなかったらしい(じゃ無理だ)。 そりゃ話をスッ飛ばしスッ飛ばしされたんじゃ見ているほうも分かんなくなるわな。 ある意味じゃロデオみたいなドラマ(笑)。

 いや、でもそれほど注意深く見てなくても、分かんないことはない。 まあ、NHK木曜時代劇なんか、もともとおしなべて視聴率がいいなんて話は聞いたことがないですからね。
 だけどこのドラマは、当たり外れの大きいNHK木曜時代劇の中では、かなりの線で傑作の部類だったと思いますよ。 見てない人はもったいない。

 このドラマのもうひとつの特徴は、まあ猛スピードでやるからですけど、大火事が非常に多い、ということ。 ケンカと火事は江戸の華、とか申しますが、江戸だけでなく大坂も頻繁に火事があったらしい。 いったん大火が出るとその都度多くの人々の人生がリセットされ、変化していく。
 それは多くの悲劇を生んだ元凶ではあったけれど、そこからどう這い上がるか、逆に不幸の種を積み重ねることになるのか。 それは江戸時代の大都市に生きる人々の大きな課題だったのではないか。 そんなことがこのドラマではよく表現されていたように思えるのです。

 そして感じるのは、そういう、「急に自分の人生振り出し」 という人々の受け皿というのが、なにも仮設住宅など建設せずとも、この時代にはきちんとあった、ということ。 貧乏長屋などと申しますけどね。 それは庶民のパワーなんですよ、つまるところ。 ここに幕政が絡んでいた、という感想って、あまり出てこない。

 さらにこのドラマの特徴を挙げると、寒天の発展過程を主人公の働きとして、フィクションとしてうまく絡めているところ。 現代で言うところの 「あんみつ」 に使うコシの強い寒天、つまり硬めの寒天をどうやって開発していったか、「プロジェクトX」 的な面白味を加えている。

 私などは松吉が寒天をところてん状にして干したりしたものを見て、「春雨じゃん」 とか思ったんですが(笑)、ことによるとそれも、寒天の歴史の中でのひとつの発想であったかもしれない。 こういうことに思いをいたせる、というのは、これもドラマの魅力のひとつなのではないでしょうか。

 そんな特徴の中で、このドラマはナニワの商人の職業的な規範を描くと同時に、「武士から商人」「武士から農民」 という身分の変更を通じ、江戸時代に生きる人々のアイデンティティを問う作品に昇華している。
 私などは小学校時代に 「士農工商は厳格で、職業を変えることなどできなかった」 というまるでカースト制みたいな教え込まれ方をしたんですが、まあその時代からテレビの時代劇では、貧乏浪人が傘を貼ってたりしてましたけど(笑)、そんなにおいそれと身分って替われるもんじゃない、と思ってました。 でも近年その考えは、テレビドラマによってかなり崩されましたけどね。
 ただウィキによると、原作での建部玄武(イトシ、じゃなかった風間俊介クン)は井川屋に来ることもなく、松吉に再会することもなく、この世を去ったらしい(仇討ち買いの銀二貫の使い道は一緒ですが)。 ここらへん、「自分は武士なのか、百姓なのか」 という玄武の葛藤をドラマ的に明確にした、という気はします。

 この銀二貫。

 要するにつらつら考えてみると、和助が鶴乃輔(松吉)の仇討ちを買ったときに既に一回。 あと、半兵衛のために出したのと、最終話で晴れて寄進できたのとで、都合3回たまっていたっけか。 あとなんかあったよーな気もするけど忘れた(ご存知の方はご指摘ください)。
 つまりホントだったら井川屋は銀6貫も天神様に寄進出来てた(笑)。

 それが出来ないばかりに、井川屋の人々はかなり遠回りをしながら、かなりの苦労を強いられながら、最終的な幸せに辿り着くんですが。

 どうなんでしょうかね。
 ここが実は、人生の機微だと感じるんですが。

 つまり、自分で稼いだものは自分のもの、という感覚で、老後のためにせっせと貯めるのも自分の人生。 そのなかでおいしいものを食ったりどこかに出かけたり、そういう人生の使いかたも、それはそれでいいでしょう。

 でもどこかで、他人のために何かをしてあげる、お金をポンと出す、それで自分の生活に支障が出ても、それはそれで自分の生き方の幅が広がることにならないか。

 私にしたって、無償でこんなブログ書きなんかしてますけど、別にそれで人生損している、という感じはしない。
 自分の生き方が、その分豊かになっている気がするんですよ。 お金の問題じゃなく。

 最終話の最終シーン。
 和助は番頭の善次郎(塩見三省サン)に、松吉を銀二貫で買ったのは、ええ買い物だったとつぶやき、善次郎は 「へえ、安い買い物でした」、とこたえます。

 これは何も 「損して得取れ」 とか、損得勘定で言ってるわけじゃない、と私は感じます。
 松吉が新商品デベロッパーで(笑)井川屋に多大な利益をもたらしたとか、そーゆーんじゃなくて。

 銀二貫で人生の苦労を買ったからこそ、面白い人生を自分たちは送ることが出来た、そこがいい、安い買い物だった、と言っているのだと感じる。

 つまり半兵衛が言っていた先の言葉、「人生はシンドイけれど、オモロイ」。

 もっと言えば、しんどいほうが、面白い、という視点が必要なのではないか、ということを、私に考えさせるのです。

 それにしたってこの主人公の松吉と真帆(松岡茉優サン、少女期は芦田愛菜チャン)、最初の出会いからゴールインまで17年かかっているわけで(笑)。 猛スピードでドラマは進行したけど、スンゲー晩婚ですよね、江戸時代にしちゃ(笑)。

 これは真帆が大火で首の部分に大きな火傷の跡を作ってしまったことと、同じくしてひとり娘を亡くしてしまったお広(映見くららサン)という女性と母子関係になってしまったことが大きな原因でしたが、松岡茉優チャンの放つオーラが説得力をさらに増してた気がするんですよ(笑)。

 松岡茉優チャンは 「あまちゃん」 でGMTのリーダー格をやってた女の子で、気の強いキャラだったけど、この 「銀二貫」 でもなんかそのキャラ継続中、って感じで(笑)。
 松吉が長屋に訪ねていくと、「なんか用かよ?」 みたいな感じで木戸を開ける(笑)。 すごく他人を寄せ付けないオーラがある気がするんだなーこの子には(笑)。

 だから松吉もなかなか恋心を打ち明けられなかったつーか(笑)。

 ただ原作どおりにいけば、真帆の火傷は顔半分に及んでいたらしく、さすがにそれはテレビドラマではアウトだったんでしょう。 でもそこまでやれば、「どうして真帆はあんなに松吉に冷たいのか?」 という疑問も解消したことでしょう。

 それと気になったのは、その松吉に恋心を抱いてしまう、松葉屋(団時朗サン)の孫、だったか、お咲役の浦浜アリサチャン。 これが団時朗サンの若い頃に似てるんだ(笑)。 この子を見ると 「帰ってきたウルトラマン」 を思い出してました(笑)。 よくこんな似た子を見つけてきたもんだとゆーか。 ホントに血がつながってるのかと思った。 団サンと同じ、ハーフだとのこと。 さもありなん。
 このお咲の恋ははかなくも破れてしまうのですが、恋敵である真帆と松吉のあまりにも遅い恋路に怒りを爆発させるシーンは、もう納得しまくりで(笑)。

 いずれにせよ、楽しませていただきました。 もっと回数あったらよかったのにな~。

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コメント

思ったこと
・真帆が松吉に抱きつくシーンで火事のフラッシュバックがあっても良かった。
・同シーンで火事の前の真帆と松吉の回想があれば良かった。
・一番最後のシーンで、今の近代化した大阪の中にある近代的でどこか懐かしい店の店先に井川屋の暖簾がある、という映像を10秒ぐらい流して完にすれば良いと思う。

こんなことを、私はこのドラマ

投稿: つぐ | 2014年6月15日 (日) 11時33分

すみません、途中送信しました。

(続)
私はこのドラマの最終回を見て思いました。
リウさんはどう思われますか?

投稿: つぐ | 2014年6月15日 (日) 11時36分

リウ様
こんにちは。
私もおちゃらけたテーマ曲を聴いて、松竹新喜劇風の時代劇かとおもっちゃいました。
ところが、NHKでドラマのメイキングの放送を見まして、おもしろそう!ということで本放送を見ました。
見てよかった~。テーマ曲にだまされちゃうところでした。
最初は狛犬テンちゃんのナレーションも「軽っ!」と思っていたのですが、これも意外によかった。
時代劇で毎週放送を楽しみにしていたのは「平清盛」以来でした(笑)

投稿: miyamiya | 2014年6月16日 (月) 11時06分

私も、毎回イライラしたり、ほっっこりしたり、
かなりのめり込んでみてました。
りうさんの、レビューが読めてうれしいです。
銀2貫の、2回目の行き先は、
寒天場が、災害で壊れてしまった時に、
持ち主が、引退してしまおうとしたのを、
助けるために使ったのではなかったでしょうか。
人情だけでは、商売(人生)は立ち行かないけど、
じゃあ、どうすれば、みたいな答えを、くれたような物語でした。
見てない人は、もったいない、と私も思います。
ありがとうございました。

投稿: sora | 2014年6月16日 (月) 12時49分

リウ様

こんにちは。
そうですね~。勉さん・・じゃなくて善次郎さんが途中まで貯めていたのを、経営危機に陥った井川屋のために使ったような気がします。定かではありませんが。

このドラマ、最初は松吉にイラっとされっぱなしだし、音楽は新喜劇だし(確かに吉本というよりは松竹のテイストですな)、狛犬のナレもよう意図が分からんし、ということで松岡茉優ちゃんが出て来るの目当てで観ていたようなもんでしたが、しり上がりにオモロクなりましたなあ。

ラストもしみじみしてよかったです。全然何も共通するところなんかないのですが、何故か「ヤマト」の最後の、沖田艦長と佐渡先生の姿を思い出してしまいました。
津川さん、芝居だけやっとったら、ホンにいい役者さんなんですけどねぇ・・・どこぞの政治バラエティに出てるお姿は余りにも・・以下略

松岡茉優ちゃんは、目に物言わすというか、顔は笑ってても目は違う事考えているというか、独特の目ヂカラを持っていますよね。まあ、役柄の所為なのかもしれませんが。
GMTのリーダーの時も、絶対この娘は元ヤンか何かで、実家と折り合いが悪くて合宿所に居座っているんだ、と、何も語られてないのに勝手に思ってましたもの。何か、そういう目をしてたんです(笑)。

今回の真帆という役について言えば、松吉は初めて意識した異性であると同時に、「真帆屋のいとさん」@芦田愛菜ちゃん時代の、一番幸せだった頃の思い出と不可分に結びついています。
だから、火事で身も心も傷つき、全てを失って新しい「おてつ」という名で生き直そうとしている真帆にとっては、会いたいけど会いたくない。そんな存在だったんだと思います。
その戸惑いや哀しみ。でもそこには、懐かしさや松吉への思いも込められている。そんな複雑な感情を、茉優ちゃんの目はよく語ってくれていたと思います。おてつとして生きていくことを告げに井川屋を訪ねていく場面など、ホンに泣きましたもん。

ヅラが似合っていただけに、今、時代劇が本当に少なくなっているのが残念ですね。大河の脇役あたりで光ってくれんかしらん。

投稿: Zai-Chen | 2014年6月16日 (月) 14時52分

つぐ様
コメント下さり、ありがとうございます。

愛菜チャンファンとすれば、やっぱりもうちょっと出てきてほしい、というのは、これは人情です。 松岡茉優チャンも 「"芦田さん"の演技を参考にした」 というくらいでしたから、彼女の中に愛菜チャンを感じるくらいが、ドラマを見るのにちょうどいいのかもしれません。

ラストシーンのつぐ様の提案はなかなかいいアイディアだと思います。
ただ私の場合、「どうしてこのラストシーンにしたのか」、ということをまず考えてしまいます。

作り手がこのシーンをオーラスに持ってきたのは、このドラマの最も根幹となるテーマが、「松吉と真帆の恋路」 でも 「井川屋の商人魂」 でもなく、「お金の使い道によって人生は変わってくる」、ということだったからなのではないか、という気が、私はします。

つぐ様のご提案通り、現代の井川屋を見せることで、ある程度の余韻は確かに生まれます。
ただ、そこで物語がうまくまとまり過ぎてしまうのではないか、という気が、私はします。

善次郎と和助の、ことによると最後の語らいかもしれないこのシーン。 物語はこのあと和助が死ぬとははっきり示していません。
つまり、今わの際まで人生は戦いなのだ、ということをこれで示せる気がする。 単なる昔の話ではない、現代にも通じる話に昇華できる。

つまり、うまくまとまらないほうがいいんですよ。

これは 「Mother」 のラストにも共通していると思うのですが、あえて現実的な幕引きをすることで、作り手は見る側に、問題提起をしているわけですよ。 これはここだけの物語ではない、あなた自身にも通じる問題なのだ、と。

まあ、知ったようなことを書いてしまいました。 この答えが正解だ、というわけではございませんのでご了承ください。

ただちょっと真面目に、つぐ様の問いにこたえてみましたconfident

投稿: リウ | 2014年6月17日 (火) 07時23分

miyamiya様
コメント下さり、ありがとうございます。 すごく、お久しぶりです(笑)。

「平清盛」 と 「銀二貫」 では、かなり作風が違いますよね(笑)。 今はNHKBSで 「妻は、くノ一」 の続編をやっていますが、これのファースト・シーズンは面白かった気がします。 しかしセカンドシーズンでもう 「最終章」 だとか。 もったいないなあ。 まだ見てないけど(笑)。

途中、真帆の父親のほっしゃん。が琥珀カンを大ヒットさせるまで、もう重苦しくて(笑)。 それで井川屋が潤うのも一瞬の描写で、すぐまた不幸になってしまう。 そんな 「はたから見てるとなんや不幸続きにしか見えん」 というドラマで、テンちゃんとテーマ曲の役割はかなり大きかったように思います。

投稿: リウ | 2014年6月17日 (火) 12時12分

sora様
コメント下さり、ありがとうございます。

かように拙い記事を読めてうれしいとのこと、深くお礼申しあげます。 この春ドラマは面白いのがたくさんあって、本当はもっと記事を書きたいんですが、多忙と疲労のため見ていないドラマがたまりまくり。 結局見て疲れるようなドラマは視聴を後回しにしちゃうのですが、このドラマは結構重たかったのに、軽妙感に誘われてついつい最後まで見ちゃいました。

銀二貫使用情報ありがとうございます。
確か途中で1回、銀一貫までためたところで、どこかに遣っちゃった気がするんですよねー。 美濃島屋サンだったかな~。

投稿: リウ | 2014年6月17日 (火) 12時39分

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。 お久しぶりです…って、こちらも新しいレビューをアップしないからコメントのしようがございませんよね(笑)。

銀二貫の使い道、確か途中で一貫使ったような記憶があるんですよ。 Zai-Chen様のおっしゃる使い道だった気もするし、どうも思い出せんなァ(笑)。 でもなんだかんだと都合7貫貯まってた、そんな気はするのです。

最初のうちは、「自分が取り扱っている商品を好きになれないでどうする」 とか経費節約とか、ビジネス指南書みたいなドラマでしたけど(笑)、たった9回のあいだに盛ること盛ること(笑)。 商人としての生き方だけでなく、人間としてどうあるべきか、ということを考えさせられるドラマでした。

自分以外のもののために自分のお金を使う、というのはまことに難しい。 「貸した」、などと考えず、「くれてやった」 と考えるべきだ、というのは、私も長い人生のあいだで学んだことです。 まことに借金というのは、貸した側にひとかどの自覚がないと、踏み倒されるケースが多い。 しかも結局感謝もされないし。

このドラマのケースでは、建部玄武の銀二貫の使い道も、結局井川屋が感謝される方向にはなってない。
でも自分が仇討を買い取った、そのお金でひとつの土地の痩せた村が活力を取り戻した、と考えられることで、和助はその時点でとても救われた気分にはなっているのではないでしょうか。
その成果(小豆)が結局巡りめぐって、松吉が考案する練り羊羹へとつながり、その製法を老舗の和菓子屋に無料で教え、巡りめぐって井川屋の寒天の収益へと結び付ける。 半兵衛への投資もしかり。 天神様への寄進も、その成果というものは目に見えにくい。 まず神信心というもの自体の功徳というものが、見えにくい構造にはなっているのです(これを書き始めるとかなり長くなります…笑)。

私はだから、どちらかというと松吉と真帆の恋の行方より、そちらのほうを重点的に見ていた気がします(笑)。

津川サン、政治バラエティにお出になっているんですか。 それにしてもこのドラマの中での存在感は、唸るばかりでした。

松岡茉優チャンは、そのキツそーなオーラを利用して、ツンデレキャラになってもらいたいと私は考えています(笑)。 だから松吉の胸に飛び込んでしまったあのシーンも、もっとデレデレしてほしかった(ハハcoldsweats01ゞ)。

投稿: リウ | 2014年6月17日 (火) 13時08分

なるほど。
Motherと同じ、かぁ…

投稿: つぐ | 2014年6月18日 (水) 15時49分

つぐ様
まあ、ほんの私見ですので…coldsweats01

投稿: リウ | 2014年6月21日 (土) 14時44分

まぁどちらも中途半端で(笑)面白かったですよ

投稿: つぐ | 2014年6月27日 (金) 23時53分

 大川、堂島川、土佐堀川の他に東横堀川と西横堀川にはさまれた10あまりの堀割りが火事の際、類焼防止に役立たないのでしょうか?
昭和20年3月の初めての空襲で本町の大きな防空壕で全員焼け死んだが堀に飛び込んで助かっている人があったとの事、今は長堀の様に埋めて道路と駐車場にしていますが?
徳川時代の堀割りや今の御堂筋の防火帯の様な役目は考えなかったのでしょうか?

投稿: | 2014年6月30日 (月) 15時18分

??様
コメント下さり、ありがとうございます。

さあ、私も詳しいことは分かりかねます。

ただこの物語は、じっさいにあった大火をモチーフとして、そこで変遷していく人間ドラマを書こうとしたものである、と私は考えます。
そこから御堂筋のような街の作りが出来てきた、ということは、ドラマの本質とは外れる。 だからその表現もドラマではしなかったのでしょう。

投稿: リウ | 2014年7月 1日 (火) 13時31分

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