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2014年7月20日 (日)

「あすなろ三三七拍子」 第1回 消えゆくものへの挽歌なのか、若者へのリトマス紙なのか

 柳葉敏郎サンが、リストラ要員から応援団長として西田敏行社長の出身大学に 「出向」 する、というドラマ。
 この、とんでもなく奇想天外なこのドラマ、原作が重松清サン、ということが唯一の希望かな、と思いながら見はじめました。

 作り話のひとつのコツとして、「あり得ない人物があり得ないシチュエーションに遭遇する」、というエッセンスがありますが、この物語はまずそれが生命線のひとつである、と言える。
 そもそもいくら社長が自分の出身校の応援団を潰したくないと考えても、それをリストラ要員に任せようとする時点で経営者としてはかなりイケてません。 つまりリストラリストが出来るほどリストラ要員が存在するコストダウン必至の会社で、大学に行かせる金プラス給料まで払おうというのですから、何をかいわんや、でしょう。 ここを見る側が容認できるかもまず問題ですが、いちばんの問題はこれを見る視聴者が、オッサン達の精神論についていけるかどうかなのだ、と感じる。 ギバチャンが応援団長、ということにどれだけ視聴者を食いつかせる要素が含まれているか。 かなりこれは賭けだな、と感じました。

 そして見はじめから感じる齟齬感。
 つまりキャスティングがどうもちぐはぐだ、ということです。
 ギバチャンって、応援団OB役の西田敏行サンやほんこんサン、反町隆史サンなんかより、イメージ的によっぽど応援団員らしいんですよ(笑)。 そもそもギバチャンの芸能界への出始めが、「一世風靡セピア」 という応援団チックな集団でしたからね。 その彼がほとんどノンポリ感覚でヒーヒー言いながら応援団の特訓につきあっている、というのが、どうも違和感がある、つーか(笑)。
 感覚的に考えれば、ギバチャンはOBの側に回って、場違いな応援団でヒーヒー言ってるのがほんこんサンならしっくりくる気がする(笑)。 でもほんこんサンじゃ菊地桃子クラスの女性を奥さんには出来んだろうし(笑)。

 ただ最初に感じた齟齬感でもっと大きかったのは、世代間に横たわる壁みたいなものでした。
 確かに私が大学生だった30年ほど前でも、応援団というのはかなり特殊な世界だった。 そこに入ろうなんてやつは友達のなかでも一人としていなかったし、当時から絶滅危惧種のリストに入ろうか(いやまだうちの大学の応援部は巨大だった)、という感覚であったことは確かです。
 しかしその応援団に入る前の導入部から、ギバチャンと家族や職場の若い世代とは、決定的に相容れない断絶が横たわっている。 私たちの世代がこだわったり大事にしようとしてきたものが、若い世代にはもはやどうでもいいことと化している。

 その実態は茫洋としているのですが、たとえばギバチャンの娘が連れて来たカレシのイトシ…じゃなかった(ギャグが固定化してますがな)風間俊介クンがミョーに父親に馴れ馴れしいとか、上下の立場などまるでないかのように振る舞う点であるとか、男女の付き合いに対しても歯止めが利いていない点であるとか。
 つまり彼女の父親に会う時なんていうのは、自分の生き方じたいを見直すくらいの覚悟が必要だったわけですよ昔は(笑)。 「オレの娘と付き合うなんて100年早い、君は何になりたいのかね、どういう人生を送りたいのかね」。 そういう父親の無言の圧力というものがあったわけですよ。 金髪になったイトシはそのこと自体を考えてない(笑)。
 それに彼女と付き合う上でも障害が昔はかなりあったけれども、いまは電話のひとつをかけるのもみんなケータイですぐだし、LINEとか意思の疎通が非常に楽できめ細かく出来る。 乗り越えなければならない壁がない点で、恋愛もとてもフリーになり過ぎてるきらいはないでしょうかね。

 若い世代の間ではもうKYという概念は固定化されちゃって、まわりに合わせることで 「ものごとにこだわる」 という気概そのものが育つ余地がなくなっている。 「意味のないことはしない、つまんないことはパスする」。
 この 「応援団」 というのは、それとは全く対極の位置にあるんですよ。 根性とか実態のない精神論にこだわりまくっているし、そもそも応援にこれほど形式ばったことをやることに意味があるのか、と言い出すと、「いや、意味なんかありません」、となる。 いまの世の中、応援する対象(応援される野球部などのスポーツ選手)にしてみればスポーツはシステマチックに分析され尽くして、自分のモチベーションを高めるためにどうしたらいいのかが科学的に解明されている。 精神論の及ぶ範囲は 「声援によって後押しされた、やる気が出た」 というレベルまでで、「応援団が昔ながらの形式ばった応援をしても、自分のモチベーションに関係してるかどうかは甚だ疑問」、という立場でしょう。

 でも、一見まったく無駄、と思えるようなことでも、それを一生懸命やるということで、人の心を動かすことはできるんじゃないか。 そしてそれは、システマチックに慣れ過ぎた現代の若者にも、通じるのではないか。
 この物語の眼目はそこにある気がする。
 そしてそこに、このドラマが見る者の心を動かす鍵があるのだ、と感じる。

 反町サンとかほんこんサンも、応援団で青春のピークを迎えてから、社会に出ていろんな蹉跌と遭遇してきたと思うんですよ。 でもそれを乗り越えてこれたのも、大学の応援団時代に培った、「気合と根性」。 いわば自分の人生の舵を取ってこれたのも、この応援団が思想的な故郷になっているからなのであり、だからこそ、廃部寸前のこの応援団を存続することに、尋常ならざる熱意を抱いているのです。

 じっさい、雨のなかでエールを送り続けるギバチャンを見ていて、心を動かされた人もいるのではないか、と思いますが、私が見ていて感じたのは、「応援団なんて突飛なシチュエーションでなくても、世の中あまりにも理不尽な状況で働かなければならないオトーサンたちが、いかに多いことか」、という、寂寞感とか怒りとかがないまぜになった感情でした。
 若い人たちにとって、ギバチャンが遭遇するいろんなことは、コミカルに感じたかもしれない。 このドラマはコメディドラマだと感じたかもしれない。
 でも私たちオッサンにとってみると、ギバチャンの置かれている状況は、笑うに笑えない。
 しかも若い人たちにそれが伝わっているのかという徒労感もついてまわる。 視聴率も、芳しくなかったみたいだし。 見てくれる人がいないと、こんなに虚しいドラマというのも、ない気がするんですよ。

 でも見てほしいよな。 特に若い人には、「意味のない根性とか、なにソレ超ウケル」 などと言ってスルーしちゃうような人たちに、このドラマを見て 「意味のないことの意味」 を考える契機になってほしいな、という気はするのです。
 でなければ、このドラマはただの 「消えゆくものへの挽歌」 になってしまう。 日本人は根性とか根拠のない精神論を捨てて、なんでも効率的にものごとを片付けてしまう、無味乾燥としたつまんない民族になってしまう。 そんな気もちょっとしたりするのです。

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コメント

時間に多少のズレはありますが
「ブラックプレジデント」終了直後に
正反対な設定のドラマを持ってきましたね~。
これは一応、停滞を忌避してんのかな?

投稿: 巨炎 | 2014年7月21日 (月) 18時19分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 少々返信が遅れました。

設定的には 「ブラプレ」 と対照的ではありますが、「仕事にマジにならないでどーする」 という、妙な共通項がある気がしますね、この二つのドラマには。 自分に課されていることを、嫌々ながらやるのか、主体的にやるのか。 自分の人生も、そこで幸不幸が分かれていく気がします。

それにしてもゴーリキチャン、この先どうやって絡んでいくんでしょう。 いまのところどーでもいいと思って見てますが(笑)。

投稿: リウ | 2014年7月23日 (水) 06時25分

そもそも西田敏行やホンコンのキャスティングに無理がある。無精髭や年寄りではしまらない。現実はあれほど甘くない。

投稿: | 2014年9月11日 (木) 06時23分

??様
コメント下さり、ありがとうございます。

まあこの話って、かなり現実離れしてますよね。

投稿: リウ | 2014年9月11日 (木) 12時02分

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