« 「第46回 思い出のメロディー」 生きるさま、過ぎてゆくもの | トップページ | 「軍師官兵衛」 第29-33回 荒木村重の使い道 »

2014年8月16日 (土)

「花子とアン」 6/30-8/16 これで最後のレビューにしますかね

 かなり本日は脱力しました…(笑)。

 いつになったら村岡花子はアン・シャーリーと出会えるのでしょうか。 来週はようやく花子がラジオに出る話になるらしいですが、気になるのはももが再び登場する、ということ。 もう、ももは北海道で幸せになりました、でいいんじゃないのかな。 来年の朝ドラのヒロインなんだから、大切にしてほしいものです。

 それほど今回の朝ドラは、序盤での期待がレイプされていくパターンが多いような気がいたします。 つくづく残念です。 題材はいいんだがなあ。 どうしてこうしちゃうかなあ。

 ただ今週は、花子のひとり息子である歩クンが亡くなってしまう話で、イイ感じに回復してきたな、と思っていた矢先だったので…。
 あまりに重たい展開だったから、週の終わりにはコメディにしようという意図は理解できます、いや、理解したいと思います。 でもそのコメディがグダグダだと、マジメにドラマを見ている人は怒ってしまうんですよ。 もっと歯切れのいい笑いにもっていかないと。 私なんかはもはやいーかげんに見てるから失笑する程度で済みますけど。 でも見ていて恥ずかしかったな。 見ている側が恥ずかしくなるようなコメディは、いかがなものかと。

 その内容をあらためてここに書くのもばかばかしいのですが、歩クンのお葬式でパルピテーションに遭遇した醍醐サンと吉太郎クン。 この時点でイヤ~な予感はしたのですが(笑)、このふたりが互いに好意を持っていることを察して、蓮子のダンナの宮本が甲府にいる地主のせがれの武まで呼んで 「武と醍醐サンが結婚する」 という大芝居を吉太郎クンの前でさせて、結果的にゴーインにくっつけさせてしまう、という…。

 べつにいーんですけど。 設定がアレすぎますよね。 吉太郎と宮本の関係とか、武が甲府から出てくる手間とか、もう全部すっ飛んでますから。

 もうあんまり深く考えないで、このドラマを見たほうがいい気はしますね。 他愛のないドラマだと思います。
 朝ドラには、そういうレベルのドラマってかなり多いことを、この歳になって学習した気がします。 逆説的に言えば、「カーネーション」「あまちゃん」 なんてのはアホがやるレベルですよ。 あんなことまでする必要なんかない(逆説ですからね、念のため)。

 正直もう、「花子とアン」 に関してレビューをすることはない、と考えていたのですが、とりあえずリタイアはしないけれど、もうこれっきりこれっきりという意味で、レビューをいたしとうございます。

 今回の朝ドラは、翻訳家で文学者の村岡花子氏を題材にしています。

 ただ、その本業についてこのドラマは深く食い込む気がなく、多くを割いていない。 そっちより、「赤毛のアン」 のアン・シャーリーと親友のダイアナ、という関係をそのままプロトタイプにしようとする意図があったのでしょうが、村岡花子氏と 「白蓮事件」 の柳原白蓮氏の友情のほうに、ドラマとしての最大の重点が置かれている、と感じます。

 今週、息子の歩クンが亡くなった時も、物語の表面で見える限りでは、花子は蓮子にしか電報を打っていない。 おそらく甲府の実家とか、吉太郎、かよなんかにも電報を打ったのだと思われるけれど、語り手にははじめからそのことは眼中にないように思えます。
 これはかつて花子が女学校時代に、初めてバイトしたお金を蓮子のために遣ってしまう(きんつばを買ってましたよね)ことと、つながっている。
 白蓮事件がドラマの主題になっていた数週間のあいだも、花子はかなり緊密に蓮子の手助けをしています。 これほどまでに花子が白蓮事件に関わっていたのかどうかは分かりませんが、ドラマでは身重の蓮子を、人間拡声器のような(笑)リンのいる甲府の実家に匿う、そういう荒技まで使っている。 これもひとえに、花子と蓮子の友情を際立たせるための話である、と言えます。

 だから題名としては、「花子とアン」 より 「花子と蓮子」 としたほうがいいくらいの比重の置きかたなのですが、蓮子をもうひとりの主役として位置付けるために、現実とは設定をかなり変える必要性が生じたような気がする。

 そもそも白蓮事件というのは、宮本や蓮子がかなり主導権を持って世間に公表した感覚なのですが、それをドラマでは 「宮本の友人たちが勝手に新聞社に絶縁状を売った」 みたいな描きかたをして、蓮子たちのダーティさをきれいに打ち消しています。
 白蓮サンというのは血筋的に天皇とつながっているようなところがあって、だからこそ単なる華族の火遊びみたいなニュースの採り上げられ方をしたわけではありません。 これは当時としてはかなりのスキャンダルなわけですよ。

 いろんな文献を読んでいると、もともと華族というのは当時、封建時代の名残で政略結婚とか妾とかは当たり前で、あまり風紀的にきちんとしているとは言い難いユルさだったらしい。 その感覚が蓮子にもあったからこそ、嘉納伝助との政略結婚を嫌ったあげくに数人の男と付き合っている。
 その風紀的な後ろめたさと社会主義的な思惑が合致して、絶縁状を世間に大々的に公表することによって自らに向かう逆風をコントロールしようとした。 そんな意図が白蓮事件の根幹にある気がするのです(上っ面の学習で申し訳ないですが)。

 そのドラマ的な面白さを、今回の朝ドラは結果的には放棄した、そう感じます。
 ドラマの語り手が本当に伝えたいのは、社会に対するアンチテーゼではない。
 それは、白蓮事件が収束してからのいくつかのエピソードから伺えます。

 蓮子は関東大震災のどさくさで幽閉されていた葉山家から脱出し、宮本の実家に住むようになるのですが、そこの母親、つまり姑からいじめを受けるようになります。
 これも事実とは正反対で、リベラルな宮本の母親は蓮子に協力的だった、といいますが、ドラマではあえて正反対にすることによって、「精神の牢獄に入れられているような結婚よりも、どんなに苦しくてもいい、好きな人と一緒にいられることが最上なのだ」、という結論を導こうとしている。

 また、事件以来蓮子と伝助は、じっさいには一度も会わなかったらしいのですが、ここでもドラマはこのふたりをばったり出くわさせている。
 おそらくこれは、物語の語り部がそうさせたかったのでしょう。 伝助は 「愛情を金でしか考えられなかった」、蓮子は 「愛情を素直に受け入れることができなかった、その愛情の質を理解することができなかった」、と告白し(録画全部消してるのでちゃんと書けませんが…笑)、自らの過ちを自覚させ、お互いを許し合う場を、このドラマの語り部は作ってあげたかったのでしょう。

 しかし意外にもこのドラマで、いちばん見る側の理解を得られ(てしまっ)たのは、この嘉納伝助だったということは、皮肉としか言いようがありません。
 つまりこれってお嬢様育ちとかインテリとか、そういう人たちの行動基準というのが、現代的に理解とか共感をされにくいことにつながっているのではないか、と私は考えるのです。
 確かに伝助を演じた吉田鋼太郎サンの演技がよかったというのもあるけど。 お金でしか表現できない不器用な愛。 そっちのほうがヒロイン達よりよほど共感されてしまった。

 このドラマが一部の人々に共感されないのは、ドラマ的な設定のヌルさもさることながら(それが大前提かな…笑)、「お嬢様」 的な発想の世間ズレした部分とか、甘さ、ノーテンキさに集約されているのではないか。

 今週のエピソードで、歩クンが廊下に落書きしてしまうのを、花子は一緒になって落書きしまくってしまいます。
 花子は締め切り間近でも辞書を枕に居眠りしてしまったりするんですが、歩クンが亡くなったあとも添い寝しているうちにホントに眠ってしまう。
 ここらへん、「お嬢様感覚で、どこかネジが抜けている」 という捉え方もできないだろうか。
 以前にもこのブログで書いたように、花子はどこか、きちんとした人の感覚からは、ずれているんですよ。 花子なりのありのままさで、彼女は生きている。 その飾らない頼りなげなところに、みんなが手を差し伸べてくれる。 「なにもかも周りからお膳立てしてくれて気楽なもんだ」、と思われるかもしれませんが、そうしてあげたくなる頼りなさ、危なげな素朴さ、というものも、世のなかにはある、そんな気がする。

 なんだ、結局このドラマの擁護になっちゃったぞ(笑)。

 でもね、今日の三文芝居はないんじゃないか、とは思いますよ、やっぱり(笑)。 特に歩クンが亡くなってからの、この落差ですからね。 チェンジオブペースを目論んだんでしょうけどね。 失敗してると思うなあ。 さすがに今日のは。

 あとは、花子がアンと巡り合える日を楽しみにして、このドラマを見続けたいと思います。

 ごきげんよう。 さようなら。

« 「第46回 思い出のメロディー」 生きるさま、過ぎてゆくもの | トップページ | 「軍師官兵衛」 第29-33回 荒木村重の使い道 »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

リウ様

こんにちは。
世間はお盆のようですが、貧乏症のため思い切った休みを取得できないNobuです。

朝ドラは長期戦のため、終盤になると失速してグダグダになる作品をよく見かけますね。
「純情きらり」然り、「てっぱん」「おひさま」も然り・・

脚本家の力量不足といってしまえばそれまでですが、苦しいときにこそ、作品への拘りや視聴者への誠実さが問われるのではないかと私は感じています。

「花子とアン」は、村岡花子の生涯に「赤毛のアン」のエピソードを重ね合わせるという大胆な試みで展開されてきたようですが、ここにきて誠実さのホツレが顕著になってきました。

「ゲゲゲの女房」のように、花子が作家として自身の作品に対する”思い入れ”を表現できていれば、物語に深みが増し、視聴者に共感を呼んだのではないでしょうか。

ところで、週刊文春にてNHK「朝ドラ」人気ランキングが発表されましたね。

橋本様
お久しぶりでございます。
「花子とアン」見事に期待を裏切られた展開・・・と言って、も勝手にこちらが期待しただけなのでしょうがね(笑)
いつ、どのようにアンと出会うのか?それに思いを馳せていたのですが、確か1回目かの冒頭のアンの原本を読み「これは私と同じだわ・・・」とかいうシーンがあったようななかったような・・・。
とすると、このドラマはNobuさんが書かれてるように花子の人生にアンを重ねたドラマなんだ、アンの原本が再び本格的に登場するのは、ドラマの終わりごろなんだな・・・と勝手に思いひと月ほど前から、リタイアです。
EのつくANNEと呼んで=花子と呼んでくりょや、石版事件、ワイン事件、小学校に勤務したこと等々・・。
思い起こせば、アンにまつわるエピが沢山でした。
なかでも一番重要視したのが「腹心の友」だったんでしょう・・・。ダイアナとの友情を蓮子との友情「腹心の友」としたのだと思います。(残念ながら不倫話ばかりでここで嫌気がさしました。)橋本様の言う通りタイトルを「花子と連子」にして欲しかったです。
沢山の著名人と交流を持たれ、文学的活動も沢山されたようですが、ドラマではあまり感じられず・・。
長年、朝ドラを見てる友人が「朝ドラは駄作ばかりだよ~、川越のやつはとくにひどかったよ」と言ってたのは「梅ちゃん」の時。懲りずに期待しつつ視聴してたのですが、こんな風な期待外れもあるんですね・・、でも、一縷の期待を捨てず、次のも見るつもりでいます(苦笑)
「初恋」の脚本家さんという事で、あの時も不倫を綺麗に書いてたなと言う印象があり(おばさん的には、随分身勝手な主人公だと腹がたちました。)そういう捉え方で書いていらっしゃるんだなと思いました。
加えて、役者さんたちもまーなんというか、爽やかな笑顔で選ばれたヒロインとか、三輪様のお気に入りの方とか、どうにもなりませんね・・・。吉高さんにもちょっと期待したのですが、いかんせあのキャンキャンしたお声、悲しみも切なさも伝わらず(私が拒否してるのかも・・・)そして、朝市がギルバート的存在としてもあのタケシはどんな意味があってキャステイングされたのか一人浮いてるようで可愛そう。
一番素敵なのが、伝様、というのが皮肉です。

時々覗く、ヤフーのコメント欄はひどいものになっておりますが、あそこはあまり当てにならないので、半分無視なのですが、橋本様のレビューも辛口で、しっかりドラマを楽しみたいと思うものには朝ドラは突っ込みどころが多過ぎるようですね。突っ込みどころが多くても見続けれればいいんですが、おばさんは性格悪くて見れなくなるんですね・・・。
橋本様のお母様のように、なんとなく視聴、聞き流し、見流し、くらいでみるようにすれば、最後まで見れるのだと思います。
「たかが朝ドラ」心を広く持って、視聴しましょうか・・。

それでは、ごきげんよう

いけね、「カーネ」再コメに名前、書き忘れた。

ああ、リウ様もいよいよギブアップですか(笑。
私は女学校卒業辺りで「おひさま」の再来を
予見してもう投げていてましたね。
石橋さん退場までは頑張って観ましたが。

これからはじまるあなたの物語♪
終盤がどうなることか。
ちなみに私は見る事を放棄しました!

リウ様
お久しぶりでございます。

プロの役者さんたちに敢えて下手糞な素人芝居をやらせるという趣向は、「カーネーション」でもありましたなあ。あの時は、奈津のウエディングドレスの採寸を、本人に分からないようにやるための小芝居で、その後、「これであいこや。貸し借りなしや」という糸子の名台詞に繋がって行ったわけですが・・・・15分の尺の相当部分を費やしてまでやることかと言えばそれは・・・・違うでしょうね。

リウ様もご指摘のように、このドラマはリアルの村岡花子さんにとっては大変重要である「文学への思い」というものをごっそり省略しています。そのツケが、ここに来て、顕著に表れてきたなあと思っています。

その最たるものが、歩クンの死でどん底に落ちていた花子が再び前に進みだすまでのプロセスの描き方です。
花子さんの実人生では、もう一人の「腹心の友」であった文学者・片山廣子が、「王子と乞食」の翻訳を勧めて励ましたのがきっかけなのですが、村岡花子と文学との繋がりを象徴するこの人物の不在により、物語上、だいぶ無理をしているなあという気がするんですよね。
だから、快晴の海の上に、とってつけたような虹をかけなければならないようになるし、郁弥さんにしても、結局、花子に「王子と乞食」の本を作らせるために、亡くなっちゃったの?という風情ですしね。

女学校のお嬢様ライフから、花子さん実人生の文学への思いを差っ引いたら、残ったのは、パルピテーションと母性でした、ということなのでしょうかね。
「朝ドラ視聴者は、戦前の文学なんか興味はない。やっぱり、恋バナと子育てでしょ~」と、作り手が思われているんだったら、ちょっと寂しいですね。もっと、視聴者を信用して欲しいというか。

でも、視聴率ではカーネ<あまちゃん<ごち<花アンなのですから、その判断は、ある意味正しいのかもしれませんが。

Nobu様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして、申し訳ございません。 ちょっと夏バテで、レロレロでございました。 それなのにお盆休みはほとんどなく、ヘロヘロで仕事に出て、意識がさまよいながらも数日こなしました。 私も貧乏ヒマなしです(笑)。

そう言えば文春に載ってましたね。 文春はクドカンの連載があるし、「あまちゃん」 が人気なのは分かりましたが。 我らが 「カーネーション」 はだいぶ下だった気がします。 分かっとらんな(笑)。

「花子とアン」 もだいぶ上でしたが、これは今やってるからでしょう。 5年後にはどうかな。

今回の朝ドラでは、村岡花子氏のじっさいに著された創作童話、翻訳などをゴール地点として、事実を再構成しているような試みも感じられます。

つまり、「みみずの女王」 とか、歩クンが亡くなったときの、心境をつづった紙片とか(「みみずの女王」 は別として、これは本当にあったものなのかは未確認ですが)。 そこに辿り着くまでの話を、すごく膨らませてドラマを作っている、という印象がする。

どうもそれに、蓮子とか醍醐サンとかが交わってくると、いきなり登場人物一人ひとりへの、心理的かつ状況的な掘り下げがうまくいかなくなる。 これは私の勝手な分析ですが、このドラマのリアリティは、そこで失われる気がするのです。

要するに 「出たとこ勝負」 に見えてしまう。 きちんと登場人物のひとりひとりに気を配らないストーリーに見えてしまう。

ただ、嫌悪感を持ちながら、私もこのドラマを見ているわけではないです。 「えっ? どうしてそうなの?」 とか思いながら、「まあこんなところが言いたいんだろうな」、と思って見てます。

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして申し訳ございません。 理由は…先の返信にも書きましたが夏バテです(笑)。 実はヨレヨレになりながら、このレビューも書いておりました。

つくづくもったいないと思うのは、このドラマがいちばんよかったのが、第1週だったという点(笑)。 「こりゃかなり考えこまれて練られて作ってあるな」、という印象で、「ゴシック建築のような話の構築のされ方」、と第1週のレビューに書いた覚えがあります。

だからこそ、期待もするわけでありますよ。 別に期待するほうが間違ってることはございませんですよ。

しかし本当によかったのは、はなが女学校を出るくらいまで。 それまでは1週間分見るのがとてもあっという間でした。 情報量も多いし、面白かった。

「ロミオとジュリエット」 のとこらへんから、ちょっともたつき始めたかな、という印象(笑)。
はなが社会に出てからは、もう1週間分が長くて(笑)。

考えてみると、女学校時代も結構ゴーインな感じのストーリーがあったけれど、すべてブラックバーン校長の 「ゴー・トゥー・ベッド!」 でストーリーのアラも贖罪されていた気がいたします。

村岡花子氏のじっさいの著作をゴール地点として話を膨らませている、と先のコメント返信にも書きましたが、じっさいの話とフィクションの部分に齟齬をきたしている、ということも、厳しいようですが、感じます。

たとえばドラマでも再現していた、村岡英治氏が結婚式の際に永遠の誓いをするときに 「ハイッッッ!!!」 とビックリするくらいの大声を上げた、という話。 これって実話らしいのですが、そこに至るまでのストーリーが整理できていないから、実話のほうが浮いてしまう。 村岡英治氏がどうして大声をあげて永遠の誓いをしなければならなかったのか、そこに至るストーリーが整理できていないから、こうなる。

仕方がないから、村岡氏の父親に、「この結婚に異議あり!」 みたいな、荒唐無稽なことをさせてその不自然さを帳消しにしようとする。
おそらくこの 「異議あり」 には、不倫を経て一緒になったこのふたりに対する感情的な風当たりをコメディタッチで吹き飛ばそう、という意図もあったのかもしれない。
でも不自然なことは不自然だと思うしかないわけです(笑)。

それに、先週歩クンが亡くなる直前に、眼をぱっちり開けた、というのもどうも事実らしい。 でもそれをストーリーに無理やり組み込もうとするから、それまで膨らませてきたフィクションとの齟齬が生じる。 眼をぱっちり開けたという事実のほうが、不自然な話になってしまうんですよ。 「どうしてぱっちり開くの?」 とか、私なんかは見ていて思っちゃう。

でもそれをドラマの中できちんと説明してくれれば、引っかかりというものはなくなるわけです。

「はつ恋」 のときは、確かに不倫を美化していたかもしれませんが、「それってどーして?」 と思うようなことは、まったくなかった気がします。

やはり感じるのは、「朝ドラって難しいんだな」、ということ。 もしかすると、中園サンにとって準備期間が短すぎたのかも、しれません。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

了解です。 でも巨炎様しか 「カーネ」 にコメントするかたはもはやおりませんから、じゅうぶん分かります(笑)。

「花子とアン」 は、リタイアしたわけではないです。 花子とアンがどのように出会ってどういうふうにストーリーに融合していくのが見たいので(笑)。

石橋サンはせっかくカッコよく退場したのに、ユーレイ役でまた駆り出されてました(笑)。 伝助も啖呵を切ったあとに女々しく登場するし、どうも 「レイプ」、が連想されて困ります。

つぐ様
コメント下さり、ありがとうございます。

つぐ様も脱落組ですか。 私は吉高由里子サンが同じ世田谷なので最後まで応援することにいたします(笑)。

Zai-Chen様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

「ヘタクソな芝居をする」、という芝居は、かなりスキルが必要なんですよね(笑)。

あの回に関しては 「ただ気楽に見るしかない」、としか言いようがございませんが(笑)、いっぽうでは 、「花子とアン」 の欠点をとても分かりやすく解説していたような気もするのです。

まず、宮本の母親が 「また演劇をやりたいのか!」 みたいな感じで騒ぎ出す。
弁護士やってる人間が、そんなわけないでしょうに。
その前フリで、醍醐サンとデートをした吉太郎が(緊張のため)最初っから軍隊調の話しっぷりで、これも吉太郎という人間のキャラからは遠く離れている。
そもそも吉太郎は宮本のことを尾行していたのに、宮本と会うことに躊躇するとかいう描写もない。
そして何の脈絡もなく甲府から呼び出される武。

すべてに必然性や関連性がなく、一貫性に欠けているんですよ。

ん~、ちょっと厳しく書いてしまったかな。

女学校時代から、英語の授業はすべて英語で行なわれるほどのクオリティの高さだったのに、はな以外誰もブラックバーン校長の言葉を解さない、という時点からおかしいな、とは思っていたのですが、久しぶりに出会った女学校時代の友人たちは、はなが訳したブラックバーン校長の卒業式の言葉を、一字一句違えずに覚えている。
ここにも一貫性の無さを感じます。 そんなに記憶力がいいなら英語もできるはずずら、と思ってしまう(笑)。

どうしても登場人物が話の運びの道具になってしまうから、そうした齟齬が次々生まれる悪循環になってしまう、と思うのです。

表面上の人の行動は、その人の考えのほんの一部しか出てこない。

でも、ひとつの行動には、いくつものそこに至る動機というものが、含まれていると私は思います。

それが考え抜かれていないと、どうしても登場人物の行動が、軽くなってしまう。

半年という長丁場は、45分で1本のドラマとしても1年とちょっと、民放のドラマだと5、6クール分に相当するものです。 ホントに難しいんでしょうね。

これを見てから行くと会社に遅刻ぎりぎりですので。
話もついていけませんし。

つぐ様
このドラマは、「どこから見ても分かりやすい」 という点では優れている、と思いますよ(笑)。 話は飛ぶし(笑)。

おおおお、
リウ様もこのドラマに「ごきげんよう」ですか。
実は我が家も一番熱心だった上の子が、もうリタイヤしてしまいました。

NHKって、とことん「働く母親」が嫌いなんだなあと・・・。
あゆむくんが死んだところで、よりにもよって、
「おかあちゃまが仕事なんかしていたから」なんて口にさせるなんて、サイテーですよ、
これ、絶対許せない。

大震災の後で会社を立て直すのも、
秀和女学校のお嬢様がたからの募金って、
これも花子が一生懸命働いたからでしょう。

「ゲゲゲ」のときにも、
「そんなにお金がないなら、奥さん働けば」という友人が何人もいました。
そのたびに、
「いや、ふみえさんはすごく働いたのよ、そのお金もミシンも、旦那さんが使ったり売り払ったりして、それで苦労したんだから。挙句に女遊びが・・・」
なんて、なんで私がこんなことまで言わなくっちゃいけないんでしょう・苦笑

一番大事なところでの女性の働き方、苦労をないがしろにされているから、腹が立つんです。

ほかは皆さまや、リウ様が書かれている通りなので、もう、まるっと同意、ということで。


処で読み進めている「アン」の原作、
「炉辺荘のアン」では、アンも嫁姑問題ですごい苦労しているんですね。
姑ではなく、ギルバートのおばさんなんですけど、1年くらい居座られて、家族全員がいびられるんです。

子どものころに読んだときには気づかなかったなあ。

モンゴメリーのすごさは、子供の気持ちを生き生きと書くことはもちろん、
年配の奥様方の噂話のすごさ、

うまくいかない結婚を描く時のリアルさ。
あくまでも生活に密着していながら、どんな種類の人々の心のなかも、くっきりと描き出す筆力は、
ただただ、脱帽するのみです。

欠点と言えば、ギルバートが理想の夫すぎることかな。
そのおかげで若干、二人の結婚生活がリアリテイにかけるところがでているかも・・・、ですが、
それを補って余りあるのが6人(一人失くしています)の子どもたちと、アンを取り巻く友人たちです。

この後は、第一次世界大戦突入と、
ウオルターの戦死があるので、読むのが辛いです。
(ドラマでは白蓮の息子が戦死しますね)

「アン」といえば、
本場でもこんな悲しい改作(改悪)作品があるんです。

「アンの結婚」
http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%B5%90%E5%A9%9A-DVD-%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA/dp/B00007K4US/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1408859901&sr=1-1&keywords=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%B5%90%E5%A9%9A

レビューを読めば、ファンの怒りと悲しみがお分かりになると思います。
あろうことか、戦争に徴用された夫を追いかけて、アンが欧州に行っちゃうんですよ?
で、スパイもどきの展開やらなにやらで、

「はあ?」って感じ。
最後に生き別れの兄弟か何かと巡り合って・・・、
とか、もう騙されたって感じ。
後味悪いの、なんのって。

1作目はよかったし、2作目もまあまあだったのに・・・。

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

コアな 「アン」 のファンであるほど今回の 「花アン」 は期待外れの作品になってしまったのは、つくづく残念です。

ただちょっと言い訳させてもらうと(笑)、今回、もうレビューはこれっきりにいたしましたが、リタイアしたわけではございませんのであしからず…。 やっぱり見たいんですよ、花子とアンの出会いを。

それと、私も 「アン」 のファンではありますが、続編まで手を出すほどのファンではございませんので(続、というわけではないけれど、「こんにちわ アン」 のアニメは見ました)、アンの人生をもっと見たい、というファンの方々が大変多いことも、マーシー様のご紹介くださったカスタマーレビューでじゅうぶん思い知った次第です。

かつて引用させていただいた、酒井順子氏のコラムをまた思い出しました。 「近代結婚とは、少女に 『自立』 をそそのかしながら、勤勉に努力した少女が 『自立』 したゆえに必ず陥る疎外感と孤独感を、『ロマンチック』 な恋愛を媒介にして、女性が本来ある 『身分』 に戻す制度である。

「アンとモンゴメリも、そんな結婚をした。 そして 『心の底では夫よりも実は [結婚] のほうを愛している』 日本女性が、アンの熱烈な読者なのだ」。

これ、前半は酒井順子氏の言葉じゃないんですが、ファンというのも勝手なもので(笑)、アンについて次から次から読みたい、見たいと思うわりに、「これってアンじゃない」 と幻滅するリスクもちゃんと背負っている。

「こんにちは アン」 を見たときにかく申す私も 「アンは孤児院時代を忌み嫌っていたのに、そこに一筋の光を与えてしまうと、アンがどうしてグリーンゲイブルズに来たばかりのときに、あんなにうざったい種類の女の子だったのかが説明できない」 などと、このブログにも書いたような気がします(笑)。

そんだけ 「自分は赤毛のアンについてその世界観を把握している」 というのなら、その続編でもなんでも自分で作っちゃえばいいようなものなんですが(それが出来りゃ苦労はない…笑)、続編を作ろう、なんて人はたいてい、「赤毛のアン」 で金儲けしたいんであって(ずいぶんな言い草だな…笑)、「赤毛のアン」 の世界観をきちんと自らの血と肉に変えてるような人なんて稀で。

こうなりゃ 「赤毛のアン続編制作委員会」 みたいなシンポジウムでも立ち上げて(笑)コアなアンのファンの方々に委員になってもらって…(笑)。

それにしても、やはり 「アン」 の料理本とか出るくらいですから、「赤毛のアン」 というのは、もうなんか、平凡な出来事の羅列のクセして、かなり堅固で揺るぎない、「市井の幸福」 にあふれている作品のような気がしてきました。 そりゃ、架空のアンの家が現地カナダに出来てしまうくらいですからね。

今回の 「花子とアン」 では、アンやモンゴメリがたどった 「自立した女性が、女性の本来あるべき 『身分』 に戻された」 結婚とは、村岡花子氏は対極、でもないけど結構一線を画した人生を歩んでいる気がします。

でも、ドラマではそこんところが強調されてこない。

それは、村岡印刷が再建されて印刷屋兼出版社になったことなどが、まるきりおざなりな [出来事] でしか描写されず、村岡氏や花子氏のビジネスというものが見えてこないことが最大の原因だ、と感じます。

蓮子、つまり柳原白蓮氏をドラマに絡ませたのは、考えてみると諸刃の剣だった、そんな気がしてきます。

>「アンの結婚」
私はアンシリーズの続編にそこまで入れ込んでいないのでスピンオフ作品と割り切って楽しんでいたような。主演のミリガン・フォローズが、もうちょっと若い内に作って欲しかった。

ちなみに21世紀に作られた「新たなる旅立ち」はもっと凄い。第二次世界大戦の時代でギルバートはいきなり墓の下(爆)でアンがかなりケバイおばさんになっている。「こんにちはアン」の時代を回想していくのですがアニメとは内容が全く別物。実の父親が存命だった事が判明しますが、これが「花子とアン」のオヤジに負けず劣らずのトラブルメーカー。

巨炎様
コメント連投、ありがとうございます。

アンがおばあちゃんになった続編はなさそうですね(あんのかな?…笑)。

まあ、人の人生なんて、どこでどう変わっていくかは分かりませんので、いかに 「赤毛のアン」 らしくない展開でも、そこでアンがなにを考えるのかをきちんと表現できれば、その続編は支持もされることでしょう。

スパイとか実の父親とか、「そうなるはずがない」 なんてのは、人生にはございませんからね(ハハ、ハハ…)。

次週でようやく「赤毛のアン」ですね。
その前フリなのか実在の村岡花子さんが訳された
世界名作劇場作品ネタが結構、出てきたような。

スコット先生は赤毛だし、「ポリアンナ」の翻訳、犬の話は実話だそうですが画家の子が犬好き云々などというと「フランダースの犬」っぽいかな?

「カーネーション」放映半年後ぐらいに発刊された朝ドラ本では「カーネ」と「赤毛のアン」を結び付けていました。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E6%9C%9D%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F-%E7%94%B0%E5%B9%B8%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%AD%90/dp/4778313399/ref=cm_cr-mr-title

正直、どちらもお気に入りだからの強引さは否めませんが。
「糸子もアンも三つ編み」…あの時代に女学生ぐらいの年齢で三つ編みは珍しくない。三つ編みが重要なのはむしろ優子。
「糸子もアンも美人の親友がいる」…糸子とサエならともかく奈津との関係をアンとダイアナに当てはめるのはなぁ…。そもそも親友が美人の朝ドラなぞ作品として珍しくも無い。まあ、こんな感じです。

巨炎様
コメント連投、ありがとうございます。

この朝ドラに関しては、村岡花子氏の人生が時系列的に描きにくかった、というやりにくさがあったような気がいたします。 白蓮事件とラジオのおばさんとしての活躍が、ブランクがあり過ぎるというか(そうでもないのかな)。

そして 「赤毛のアン」 との出会いが、またもっともっとあと。

これ、「花子とアン」 という題名をつけたはいいけれど、ドラマとしては非常に膨らませにくい素材だったのではないか、という気がします。

だって原書を読みながら、「これって私だわ」 なんて花子が感じるのは、あっという間ですからね(笑)。

当時の女流文学界なんかを描くにしても、素材に面白みがなかったのかもしれないし。 つーか、朝ドラらしさに昇華する段階まで至らなかったつーか。

どうしても、恋バナとか流行語とか、下世話な方向で進行するしかなかった。

先週はホントに、内容的にグダグダだった気がします。 話はスッ飛びまくりだし(笑)、そのなかで 「ごきげんよう」 という言葉の意義ばかりがしつこく繰り返される。 もういーよ、つーか(笑)。

今週分はまだ見てませんが、花子はアンに、もう出会ったのかな~。

橋本様
 花子はアンと出会ったみたいですが(ちゃんと見てなくて・・・)今朝のあさいちで、脚本家さんが申しておりました。「女の友情を書きたかった、花子と蓮子の友情を・・・」と。それで納得しました。やっぱり初めから「花子とアン」ではなく「花子と蓮子」だったんですね・・・。
 それを連れに愚痴ったら「タイトルの最後に ん のついたドラマが視聴率いいからでないかい?朝ドラなんてそんなもんだよ・・・」と言う返事でした。
がっかりでした、アーア・・・。

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。

「いいからでないかい?」 なんて、おばさん様のご主人は北海道のご出身ですね(笑)。

毎日15分、という時間の構成、というものも、脚本を書く人にはやりにくいのかもしれませんね。

今回の朝ドラで見ていてどうにも興醒めだったのは、15分の終わり直前に 「えっ、どうなるの?」 という展開にしておいて、次の回に期待を持たせておいて、次の回を見ると大したことなかった、というオチがあまりにも多かったこと。

だから 「オオカミと少年」 みたいに、「どーせ大したことないだろう」 と思うようになってしまった。 それどころか、「次回に期待を持たせるラスト」 にするために、登場人物や物語の一貫性が反故にされている、とまで感じた。

そんな 「視点の短さ」 というものが、このドラマの最大の弱点なのではないか、という気はいたします。 マクロの視点に立っていない。

…ご主人に愚痴ってその返事に感じたガッカリを、これで解消できましたでしょうか?(笑)

リウ様

おはようございます。
今週の本ドラマをミクロの視点で見た場合、戦下における各キャラクターのスタンスが通常より色濃く表現されており、その点については感心しました。

しかし、結局のところ花子と蓮子の友情破綻がテーマであり、全てはそのため描写だったようです・・

先日の「あさイチプレミアムトーク」にて中園ミホさんが、 手元に札束を置いて原稿を書いていると発言されていましたが、やはり朝ドラの長丁場に苦戦していたことが窺えます。

ちなみに花子の幼馴染である朝市の名の由来は、朝ドラ受けでお馴染みの「あさイチ」なんだそうですね。

「アン」はスコット先生が持ってきました。
「ポリアンナ」の時と何も変わらない。
この1パターン加減も、もう慣れましたが。

次週には第1話の場面に繋がるようですが、
まさか、ここまで中途半端な主人公になるとは。

>花子と蓮子の友情破綻がテーマ
これ見ても両者の演技力とか、ここに至るまでの
脚本家の力の入れ方の差がモロに出てますよ。
はなが脚本家でありながら極端なKYである事は既にこちらでも問題視されていました。ただ朝ドラでKY型は多い。空気なんて読んでいたらなかなか行動できませんからね(笑。その意味では「ゲゲゲの女房」や「カーネ」三姉妹編で実質、主人公だった優子のケースの方が脚本家が力量を問われるとも言えますが。
しかし、はなはKYな上に主体性や能動性に乏しい。戦争と言う状況に伴い話的には盛り上がってきた気もしますが状況に流されている主人公は何気ない日常に喜びを見出したアン・シャーリーの個性とは対極な気も。

Nobu様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして申し訳ありません。

私も先週の 「花アン」 はいくらか内容的に持ち直した気はいたしました。 ただやはり、日米開戦の日にどうしてNHKもといJOAKから電話で 「今日は来なくていい」 と言われたのにわざわざ 「今日もしかしてあるかもしれないし」 と行くかなァ?とか、玉音放送でもないのにどうしてみんなラジオの前にかじりついてるのかとか、まあ細かい気になることは相変わらず頻出していた気はします。 どうしてもストーリーに強引さがつきまとっていて、必然性が伴ってこない。

そんななかで蓮子と花子の決別だけは、きめ細かい描写がなされていたように思います。

決定的だった言葉は、蓮子の 「あなたみたいな卑怯な生き方はしたくない」。 この 「卑怯」 という言葉は私が聞く限り、仲間由紀恵サンは花子に忠告したい意味と見下す意味の、すごくギリギリの線で口にしたような気がするのです。 どこかで親友が心を入れ替えることを願って、この言葉を発している。

しかし花子の返事は、確か 「分かりました」 だったと思いますが、「卑怯」 という言葉を侮辱、と捉えているんですね。 たからこそふたりは決別してしまった。 このふたりのやり取りは、とても微妙な心のひだが現れていて、後半のこのドラマの中で傑出していた気がします。

ともあれ、流れとか必然性になると相変わらずぐだぐだなように思えてしまうのですが、それでも終盤に向けて、再び脚本家さんのリキが入ってきたようには思える、この作品です。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 え~返信が遅れまして以下同文…(気持ちがこもってないっ!wobbly

先週の 「花アン」 では、花子の主体性のなさにも一定の説得力は伴っていたように、私は感じます。 ただそれは、花子の正当性が出ていた、という意味ではありませんが。

時局のなかで花子が、戦争一色になっていくニュースをなんとか自分なりに 「子供たち用に翻訳」 したり、動物のニュースや微笑ましいニュースを率先して取り上げようとしていた姿勢は、KYおよび主体性のない花子が出来た精一杯のことだったのではないだろうか。

しかしそれは、戦争責任という点においては、子供たちを戦争の道に 「優しい言葉で導いている」 という姿勢なのではないか、という反駁を、蓮子の忠告からこのドラマは得ようとしている。

つまり、蓮子のような強い姿勢で戦争に反対しなければ、時勢に乗って戦争協力みたいな格好に結局はなってしまう、という危うさを、ここでは描いている気がするのです。

先週のこのドラマでは一度も顧みられなかったけれど、おそらく蓮子の主義主張の中核にあるのは、与謝野晶子の 「君死にたまうことなかれ」 なんだ、と思う。 蓮子の生きかたには、一本筋が通っているんですよ。

でも、それに対して花子のなかには、「子供たちのためになにかをしよう」 という、その決意しかない。

その決意は果たして立派なものだけれども、実は子供たちに対して夢を見させるとか、子供たちの心を豊かにしようという目的でしかないために、それは茫洋たる着地点にたどりついてしまう危険性を常に孕んでいる。

じっさいのところ村岡花子氏は戦争協力側の、宇田川先生みたいな感じだったのかもしれないけれど、花子のこのドラマにおける戦争に対するスタンスは、実に茫洋としている。

でも、それが却って私には、リアルに思えます。

中途半端に戦争という時勢に対峙してしまうリアルさ、状況に流されてしまうことのリアルさ、です。

>与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」
吉永小百合主演の「華の乱」を思い出します。
大正時代がメインで日露戦争時にバッシングを受けた事は
冒頭でちょろっと描かれた程度ですが。
石橋さん、出ていました。常識人。
蟹江さんも出ていました。脚本家で途中、死去。

この作品では与謝野女史は煙草、バンバン吸いながら
鬼気迫る感じで執筆活動してましたね。
モロに宇田川先生路線。まー、子供11人もいて
元師匠で妻に業績で劣って落ちぶれた鬱な夫
(前の奥さんを冒頭で捨ててます!さすが緒形拳)
まで含めて支えてますからね。「足尾からきた女」
とキャスティングを比べても面白いかな?

村岡家とは状況が違うので一概に言えませんが。

>蓮子と花子の決別
リウ様の考察内容からしても場を引っ張っているのは完全に仲間サンですねー。吉高、それでええんかい。クランクアップ時のインタビューで「女優やめようかと思った」とか何とか。

しかし高視聴率の朝ドラ主演経験というハクだけつけられるのはラッキーといえなくもない。コケて早々に姿を消す人もいますが逆にヒットしすぎてもイメージの払拭に苦労するケースもありますし。その意味で「カーネ」では栗山千明、「あまちゃん」では橋本愛の方が以後はノビノビやれている気がします。
男性パートナーでは「ゲゲゲ」はヒロインが前に出るタイプではなかったのでリウ様が「江」でも指摘されたように向井クンが以後、担がれた印象があるし逆に「純と愛」以後はイトシ君の方がノビノビな感じ。

受け身⇒そこそこ積極は沢口靖子さんの「澪つくし」でしょうか。津川雅彦サンが愛人に孕ませた主人公は囲われモノで受け身。ところが正妻の長女に町中引きずりまわされて
「こんな扱いを受けて悔しいと思いなさい!これからは女性も権利を主張していく時代なのよ!」と。
このお姉さんが津川サンに一番、性格が似ていて糸子と善作並に揉める揉める。で沢口サンも少しずつ影響を受けていく。「カーネ」と「ごち」の姉妹を足して二で割って妹を主役にした感じか(笑。

しかし「花アン」はもうラスト1か月を切って主人公もアラフィフティなんですが、どうなるのやら。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「君死にたまふことなかれ」 は、確か 「花アン」 の過去のシーンで出てきてましたよね。 どうしてあれの回想シーンをやらないのかな、と思ったもんで。

このドラマ、結構回想シーンをやるんですけど、どうもその記憶が虫食い状態で、「いや、この人はそうじゃないでしょう、そういうことしないでしょう」 というのがしばしば見られる気がします。 蓮子にとって宮本の思想的な影響は否めないまでも、宮本と出会う前から与謝野晶子の反戦詩を読んでいたというのは、大きいと感じるのです。

しかし私の記憶も不確かであります。 なにしろ途中から、真面目に見ることをやめてしまったもので(笑)。

吉高サンが老けない点ですが、どうも長い年月をまたにかけるドラマで 「老け役作り」 というのが疎かになってきた気はしますね、全般的に言って。

昔はSFXを使いたくって(笑)「独眼竜政宗」 でも渡辺謙サンはかなり老け役をしてましたけど、シリコンの顔の型をとるのが大変とか、俳優さんに不評なのかな(笑)。

だけど去年の大河も綾瀬はるかサンが全然老けなかったり、そのせいか誰がどれだけ年が離れて年上なのかとか年下なのかとか、作品上の縛り自体がとても曖昧に作られている気がいたします。

私なんかは、会社でつきあったりする人がいくつなのか、年上なのか年下なのか、自分と比較するために知りたくて仕方ないクチなんですが。

橋本様はじめまして。
8月16日のレビュー興味深く読ませていただき、遡って最初のところまで読ませていただきました。
私は、2カ月ちょっと視てなくて、このたび視聴再開しました。
「卑怯な生き方」のところは、ドラマが浅いと言いながら自分の視方が浅かったのかと。
そのときは、蓮子自身外に向かって何もしていないではないか、それで人のことが言えるのかと。
なので、感情的な発言ととらえてしまいました。

また、花子は、そういう人だとして、ドラマは視聴者にどのようなメッセージを送ろうとしているのか。

これからも、なかなか読み取り難い、でしょうね。

レビューこれで最後、ではないことをひそかに期待しています。

ぽいぽい様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

拙ブログがぽいぽい様のドラマへの接し方を変えるよすがとなったのでしたら、ブロガー冥利に尽きます。
ただ当ブログはもともとの拙い記事より、優秀なるコメンテイターのかたがたとの啓蒙のし合いによって助けてもらっている部分が大きゅうございます。

ぽいぽい様の 「卑怯な生き方」 の考察を読んでまたその、啓発をいたしたんですが、蓮子の反戦思想の出どころを考えた場合、このドラマの中では宮本の影響くらいしか思いつかないんですよね。

でもドラマの中では過去にきちんと、与謝野晶子の反戦詩を持ち出してきている。 ただしこのドラマの中で蓮子という女性は、与謝野晶子にとっての弟に当たるような、「死にたまふことなかれ」 と思うような情愛を他者に対して得た、という描写が欠けている気がするんですよ。

確かに花子とは親友だけれど、「死にたまふことなかれ」 と思うくらいの関係だったのか。 しかしドラマでは蓮子の直情径行な部分が強調されて、あまり花子を顧みている印象がない。 花子は伝助を 「思ったよりいい人」 と評しているのに、それをちょっとは顧みてるけれど、聞き入れているようにみえなかったりしてたし。

それに、蓮子が反政府、反世論みたいなオピニオンを発信し続けている、とドラマの表面上で取り繕っても、その具体的な行動を一切描写してないし。

だから 「あなたみたいな卑怯な生き方はしたくない」 と蓮子が言ったときに、ぽいぽい様のように 「あんたはじゃあ何をしてるの?」 というように感じてしまうのではないでしょうか。

ぽいぽい様のご期待通りに、「花アン」 のレビューをまた書くかどうかは分かりませんけど(笑)、もしそれがなくても、ここのコメント欄で考察はするつもりではおります。

だいたいここ3週間くらい、このブログ実質的にお休みしてる状態ですしcoldsweats01

リウ 様

返信、ありがとうございます。

また、寄らせてください。

ぼいぼい様(?)
名前がぽからぼに変わってますが(笑)どっちかな。

それはそれとして、グダグダながい返信をしてしまって、却って申し訳ございません。 最近返信のほうにリキが入っているもので(笑)。

リウ 様
失礼しました。
なるべく統一します。

花アンもあとわずかなので、最後まで見届けたいと思います。
では、また。

ぽいぽい様
スミマセン、突っ込んでしまって(笑)。

それではご一緒に、楽しみましょうcatface

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/60159835

この記事へのトラックバック一覧です: 「花子とアン」 6/30-8/16 これで最後のレビューにしますかね:

« 「第46回 思い出のメロディー」 生きるさま、過ぎてゆくもの | トップページ | 「軍師官兵衛」 第29-33回 荒木村重の使い道 »

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ