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2014年9月27日 (土)

「花子とアン」 最終回まで見て

 NHKの朝ドラというのは、非常に特殊な環境に存在せざるを得ない宿命にあるのではないか、と最近強く思います。
 つまり、「朝の出勤時間前の慌ただしいなかで月-土で毎日15分、決まった時間に放送される」 ということ自体が特殊である、ということ。
 これは1週間分に換算すると、主題歌の部分や前回のダブりを差し引いてだいたい1時間20分くらいの、日本のドラマとしては最も長尺のペース配分となる。 しかもそれが、半年間続くわけです。 日本一ハードなドラマ作りといってよい。
 そこである程度のクオリティを視聴者が求め始めると、作り手にとって難易度は桁違いに膨らんでいく。
 しかも視聴状況が状況なだけに、いっぽうで細かいところまで目が行き届く視聴者がいると同時に、極めて不完全な視聴のしかたをしている人も、かなり存在しているんですよ。

 さらに、生活に非常に密着するタイプのドラマであるからこそ、15分ごとの視聴でアラを見つけては、登場人物や演出の方法、脚本のあり方、果てはすべてを取り仕切っているNHK制作に至るまで、かしましく叱りつけ論じたがる舅小姑みたいな(失礼)視聴者が、とても多い気もする。

 たしかに、重箱の隅をつつき始めるとキリがない題材である、とも思えます。 私などは、「カーネーション」 という、まさにNHK朝ドラにとって奇跡のような作品と巡り合ってしまったことが、その後の視聴に大きな影響を及ぼしてしまっているのですが、作り手としてはもうちょっと、「ちゅらさん」 みたいな、おおらかさを内外に発信できるような朝ドラを作りたいのではないか、という気もする。
 でも一見いい加減でおおらかそうに見えて、実はとても緻密だった 「あまちゃん」 のような作品が出来てしまうから、これも困りものなのであって(笑)。
 結局は、脚本家の力量に頼らざるを得ない、というのが、実状なのではないか、という気がします。

 制作サイドにとってはその人選を、それまでの実績で測ることは当たり前ですが、特に朝ドラの場合、NHK総合やNHKBSで短いドラマを担当した脚本家に、人選を絞っている気はするんですよ。 クドカンなんかは例外ですが。
 今回の中園ミホサンに関しては、「はつ恋」 での成功が最も大きかったのではないか、という気がします。 「下流の宴」 というドラマもありましたっけ。

 ところがこの、1週1時間20分で半年間、というドラマを書きあげる、というのは、今の日本の脚本家にとって、とんでもない荒行なのであって(これは大河ドラマにも言える気がする)。 たぶんそれをこなせる力量を持つ日本の脚本家って、ホントに5本の指で数えられるかどうか、という少なさなのではないか、という気がするんですよ。

 今回のこのドラマを見ていて、その難しさというものを、とてもよく理解できた気がします。
 まあこれは、遠回しに 「花アン」 の批判をしているのと同じなんですが(笑)。

 まず、この膨大な長さのドラマについて、すべての登場人物がなにをやったのかとか、なにをしゃべったのかとか、どういう性格であるのかとか、そのとき年齢は何歳であるのかとか、完璧に俯瞰し把握していなければいけない、と思うんですよ。 それはそれは細かく。 そこに一貫性がないと、たちまち茶の間の舅小姑(再び失礼)たちの餌食になる。

 そしていかに、登場人物たちに、自然に語らせるか。 セリフが説明に陥ったり、妙に脚本家の考えをそのまま反映させたりすると、「不自然だ」、とまたすぐ一刀両断される。

 また、キャスティングにも重大な判断が必要になってくる。 ちょっとでも意にそぐわないと、「演技がヘタだ」 とか 「アヒル口ばかりして」 とか、それこそ坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなってしまうのが、朝ドラの背負っている重たすぎる宿命、と言っていい。

 さらに今回のドラマは、モデルに当たる人が明確に存在している。 全くのフィクションなら素通りされるところが、「事実と違う」 と事情通から批判される要素も背負わねばならない。 今回、花子の家族に関してはかなり大胆な脚色が加えられましたが、これはほとんど資料が残っていなかったことを逆に利用したのでしょう。 しかしそれをするには、大きな 「想像の翼」 が必要だ。

 そしてこれは、場合によるのですが、今回みたいに視聴率がいいとですね、また余計な嫉妬を買うことになるんですよ。 「どうしてこんなダメドラマが支持されているのか」、ということについて怒る人が、どうにもこの島国には多い。 そりゃ内容と評価って、一致しないのが世の中ってもんですからね。

 そう考えますとですね。

 私がもし朝ドラの脚本を依頼されたら、「て~~~~っ!とんでもねえこんだ!」 ですよ(笑)。 誰が好きこのんでそんな地獄を味わいたいもんですか(まあそんなことはないから…笑)。

 でもやはり、任されるとなったら、脚本家のかたはどうぞ上記の点はお覚悟なさってもらいたいですよね。

 制作サイドはもしかして、「ちゅらさん」 のようなおおらかさで朝ドラを制作したいのではないか、という私の先の指摘は、最終週に出てきた、茂木先生を見ての感想です(笑)。
 いや~、すごかったな(笑)。 ドラマをぶち壊しまくり(爆)。 そこでドラマが止まっちゃうんだもん(笑)。 花子の養女の美里があんなに怒ったのもむべなるかな(笑)。 あれは茂木先生演じた出版社の社長が、「アン」 の原稿を読みもせずに突っ返した、ということではなく、茂木先生の演技に対してあれだけ怒ったんでしょうね(ちゃうちゃう…爆)。 あれは朝ドラ史上最大の 「事件」 クラスのキャスティングだった気がする(笑)。 いや~、このドラマでいちばん笑いました。

 そういう、制作サイドが 「ちょっと弛緩したい」 という個所は以前にもありましたよ。 花子の息子の歩クンが亡くなった直後の、吉太郎兄やんと醍醐お嬢様をくっつけようと画策する猿芝居の回とか。

 最終週でも、細かい部分で気になるところはずいぶん散見しました。 それだけワキの甘いドラマだった、ということはできるのですが、いちばん見る側に伝わらなければならなかったのは、花子と蓮子の友情の回復、という点だったのではないか、という気がします。

 ひとり息子の純平を失って抜け殻になったままの蓮子を立ち直らせてほしい、と宮本から依頼された花子は(宮本がなにも最愛の蓮子を励ましたりしてネーダロ、というのは置いといて)、意を決して(それまで何もしなかったのに宮本から頼まれたから行くのかよ、というのは置いといて)蓮子に会い、土下座して詫びます。
 そのとき蓮子は、「私も同じだったのよ」 と、純平を最後に送り出すときに笑顔で見送ってしまった後悔を語るのです。 涙なんかとうに枯れていたと思われたのに、また流れる滂沱の涙。 花子は蓮子を抱きしめることしかできません(152回)。

 花子は歩が死んだときに付き添っていてくれた蓮子のことを話し、「息子を亡くした」、という思いを共有することによって、蓮子との友情を取り戻します(だったらさっさと会いに行けばよかったじゃん、というのは置いといて)。

 花子は蓮子をラジオに出演させ(まず蓮子の承諾を得てからだろう、というのは置いといて)、息子を亡くした母親の思いを語らせます。

 「もしも、女ばかりに政治をまかされたならば、戦争はけっしてしないでしょう。 かわいい息子を殺しに出す母親が、ひとりだってありましょうか。 もう二度と、このような悲痛な思いをする母親を生み出してはなりません。 もう二度と、最愛の子を奪わせてはならないのです。
 戦争は、人類を最大の不幸に導く、唯一の現実です。
 最愛の子をなくされたお母様がた。 あなたがたは、独りではありません。 同じ悲しみを抱く母が、全国には大勢おります。 私たちは、その悲しみをもって、平和な国を作らねばならないと思うのです。 私は、命が続く限り、平和を訴え続けてまいります」(153回)。

 ここで展開される反戦思想というのは、今の私たちにとってみれば、とても幼稚なものであるのかもしれません。
 しかし、戦後70年近く、日本が戦争をしてこなかったのは、こういう、絶望に近い悲しみが原点にある、私はそう思うのです。
 「戦争なんて、もうこりごりだ」。
 その思いがなければ、平和なんか築けない。

 焦土と化した国土や、人心を見て、私たち日本人は、まず自分たちの反省をしたんですよ。 こういうことは、もう二度としてはいけない、と。
 それが、「反省は、もうじゅうぶんした」 だの、「なんで親やその親たちがしたことをいつまでたっても反省せにゃならんのだ」 だの、「自分たちから」 言ってはいけない、私はそう思う。 たとえ相手が政治的プロパガンダで反日を言おうとも。

 花子と蓮子の友情の回復と同時に最終週で描かれたのは、「赤毛のアン」 がようやく出版された、ということ。
 このドラマで私ががっかりした最大の点は、「赤毛のアン」 の取り扱いが非常に希薄に思えたところでした。
 何度も当ブログでは書いたのですが、内容の重点からいけば、このドラマの題名は 「花子と蓮子」 であった。
 「アン」 の翻訳をするのに、これだけ苦労した。
 「アン」 を出版するのに、これだけの苦労をした。
 そこらへんの描写は、とても不十分だった気がします。
 いつの間にか6年もたってるし。
 いつの間にかスコット先生、死んでるし。
 いつの間にか村岡印刷が図書館になってるし。
 子供たちは一部成長してないし(笑)。
 花子は老眼鏡が必要なのかどうなのか分かんないし(たぶん忘れてても読めたんでしょう…笑)。

 そりゃ、いろんな出版社のセットを作るのは大変だから、いろんな出版社に持ち込んだ、という話ができなかったんでしょうけど。 でも 「カモメがどうとか」 という翻訳の苦労話みたいなものは、もっとできたんじゃないのかなあ。

 まあ、当事者になってみないと、そこらへんの話の付け足しとか削除とかの事情は、分かりかねます。

 いずれにしても、朝ドラというのは大変なんだなー、というのが、とてもよく分かった今作でした。

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コメント

リウ様

最後まで、お疲れさまでした。

今作の場合、原作なしで史実も変えての創作なので、脚本は相当大変だったろうと思います。
しっかりした原作があって、それをドラマ化するのとは、わけが違う。

でも、それは分かっていて見切り発車したのではありませんかね。

私はただ、一日のスタートを明るくさわやかにしたいと思っているだけなので。
そこに、毎朝、受動視聴してしまう朝ドラが気になるのです。
今回のドラマは、解決できないような問題を持ち出しては、中途半端にして次。の繰り返しだったような。

もう少し、ぼんやり見ていれば良かったのかな。

リウ様
おはようございます。

いや、大変ですよ。朝ドラ。
脚本家にとっては、一種の苦行に近いものなんじゃないかと思います。が、その反面、「朝ドラ作家」というブランドと、あえて困難に立ち向かうクリエイターとしての本能のせめぎ合っているのではないのでしょうか。

中園ミホさんも、アサイチのトークで、心折れそうになったときは、札束をPCの横に積んで執筆していると言われてましたしね。それって、ものすごリアルな感覚だなあと思って見てたんですけど、それがまた、「不真面目だ!」と小姑たちの批判に晒される訳ですから、難儀な話です。

ただ、どうなんでしょう。1時間×1クール3か月というサイクルの民放ドラマで実績を上げている人ほど、この朝ドラという舞台では、更に難しさが増すのではないかとも思うんですよね。今回の中園さんにしても、前回の森下さんにしても、尾崎さんや遊川さんにしても、しかりです。
逆に、今まで私がハマった3つの朝ドラ、「ちりとてちん」「カーネーション」「あまちゃん」を書かれた藤本さん、渡辺さん、クドカンさんは、どこか異端の匂いがするとい言いますか、1クール3か月のフォーマットに収まりきれない(渡辺あやさんに至っては民放のドラマを書いたことすらありませんが)資質が、1日15分、1週間で1時間30分を半年という朝ドラのフィールドを得て、花開いた気がするのです。

おそらく、お話の基本的な組み立て方は、これだけのキャリアを持った作家さんであれば、そんなに変えることはないでしょうから、普段なら自分の武器となったものが、朝ドラという舞台では逆に自分の枷となった。中園さんの他作品は実は私、そんなに観たことはないのですが、「ごちそうさん」の森下さんについては、そんなことを強く感じておりました。「JIN」や「とんび」なら、多くの視聴者を泣かせ、感動させたのと同じ技を使っている筈なのに、「ごちそうさん」ではそれが何故か、窮屈でワザとらしいものに感じてしまう。
げに、朝ドラには魔物が棲んでいるのでしょうか(笑)
それでも~まあ~茂木先生(浅田美代子さんの方じゃないですよ、念のため)は、申し開きようないですが、あれは、キャステイングした制作側の責任で、ホンの所為ではありませんしね。

と、いうことで、「マッサン」どうなんでしょうかねぇ。番宣を見た限りは、結構期待しています。初の外国人ヒロインということで話題になった、シャーロット・ケイト・フォックスさんの演技、かなりいいです!彼女がピン子さんからイビラれりゃあ、そら金髪青い目でも(だからこそか?)、シャーロットを応援するに決まってますよ!
脚本の羽原大介さんって、映画では「パッチギ!」や「フラガール」を書かれていて、どちらも大好きな映画なので期待しているのですが、連ドラとなると、市原隼人くん主演の「ランナウェイ」か~・・あれは・・ちょっと微妙でしたねぇ(笑)
でも、「民放連ドラ収まらない脚本家朝ドラ成功」理論でいけば、これはいいってことか(勝手に)。
まあ、とりあえず、あすからの放送、楽しみにしています。

うわ、長くなってしまった(汗)
大変失礼をば、いたしました。

リウ様

こんばんは。
2000年代後半の朝ドラは低迷期でしたから、そこから何とか抜け出そうとNHKが本腰を入れ、時間をかけて丁寧かつ綿密に練り上げた結果、「ゲゲゲの女房」や「カーネーション」などの傑作が誕生したように思われます。2010年代初頭の作品には制作サイドの強い気概が感じられました。

それ以降の朝ドラは「梅ちゃん先生」や「ごちそうさん」のような、お気楽ヒロインのご都合主義と恋バナで高視聴率が取れているため、リウ様の言われる“おおらかさ”で制作されているように私も感じております。

低迷期から脱し、視聴率維持の公式も編みだされた今日はもう、100点満点を目指さなくても良くなってしまったのかも知れません。もしそうだとしたら、これはNHKの慢心ですね。

今日の朝ドラの視聴率は先に挙げた傑作が引き揚げたものであり、傑作を期待するが故に文句を言いながらも見続けている層も多いはず。このまま“おおらかさ”が続くようなら再び悪夢の低迷期に戻るのは明らかでしょう。

とはいえ、制作サイドも毎回、低迷期脱出の頃のような労力を費やすのはシンドイでしょうから、たまには“おおらか”な作品を楽しんで制作頂いて構いません。そういった作品が好きな視聴者もいますからね。

でも、私は”深い感動”を味わいたいのです。このことは忘れないで欲しいと思うのです。

ぽいぽい様
コメント下さり、ありがとうございます。

中園ミホサンへのインタビューによれば、「酔っ払って脚本を引き受けたことを覚えていない」 というのですが、それに対する一部ネット民の風当たりがどうも厳しい。

しかしこれは私の感覚で言えば 「ネタ」 なのであって、もし引き受ける気がまったくないのであれば、「いや、あのときは酔っ払ってて全然覚えていないので…」 と、あくまで断るはずです。

でも中園サンは、やろうとした。 やる気があるから、引き受けるんでしょう。

しかし、ぽいぽい様のご指摘の通り、それが見切り発車であったことは、否定できない気はします。

全体的なプランというものは、NHKから提示されていたとはいえ、やはり出たとこ勝負でときどき虫食いみたいに過去にさかのぼって、みたいなことをしているだけでは、とてもじゃないが登場人物の一貫性は保たれない。

このドラマ、最初の1ヶ月くらいは、とてもよく出来たドラマだったと、私は思います。 かなり緻密に考え抜かれている気がした。 そういうときは、たとえ多少気になる部分があったとしても、見ているほうで脳内補完をしてしまうものです。

毎週1時間半もの大プロジェクトですから、これはいったんおかしなところがあってもそれを正していく余裕って、制作全体にそんなにない気がします。

結局、脚本家の力量に頼り切っているその現状をNHK自身がどうにかしないと、このような傾向って、また出てくる気がします。

でも私は、結構楽しめましたよ。

世界観、ドラマの空気が私に合っていたのかもしれませんね(「ごちそうさん」 はその空気が馴染めなかった)。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。 夜中にいただいたのに、私のことを考えて 「おはようございます」 のあいさつ、恐れ入ります。 ハイ、今起きたところです(笑)。

先のコメントにも書いたのですが、やはり中園サン、引き受ける気概がなければ引き受けないですよ。 「酔っ払ってた」 とかいうのは 「ネタ」 でもあるけど、一種の 「隠れみの」 でもある気がする。

今の世の中、そういう 「ネタ」 をマジメに受け取ってしまう人(特にネット民)が、とても多い気がします。 心に余裕がないんだな。 つーか、マジメすぎるんだな、みんな。

朝ドラも、茂木先生のキャスティングにみんなブーブー文句たれてますけど、別にいいんじゃないの?という気がします。

茂木先生がどうしてアカンのかというと、「物語のいちばん重要である場面」 だからだそうですが、私に言わせれば、このドラマは別に 「赤毛のアン」 にそんなにリスペクトを持っていない。 「アン」 は単なる客引きの文句であって、ちょっとばかし 「アン」 のエピソードを絡めたり、登場人物の名前に反映させたりすれば、それで事足りるレベルでしか、ないんですよ。

それが証拠に、「アン」 の出版記念パーティでの花子のスピーチ、私もう何を言ったのか、憶えてないですもん(健忘症かな?…笑)。

憶えているのは、スピーチもそこそこに、分からない単語の意味を調べるために、パーティ会場からまるで少女のように、スッ飛んでいく花子の姿だけ。 つまり、いつまでも若々しく、夢を忘れないで生きていきましょうよ、というのが、このドラマの最終的な眼目だ、と私は考えるのです。

ですから、この記事本文でも、花子のスピーチより蓮子のラジオ出演時の話のほうを優先して論じました。

Zai-Chen様の 「異端的な脚本家だけが、朝ドラの傑作を生み出せる」 というお話は、私もあまり朝ドラをきちんと見ていたわけではないですが、納得できます。
そもそも15分単位でメリハリをつける、という作業って、シナリオライター養成講座でも、教えなさそうだし(笑)。

ただ渡辺サンの場合、近作はあまり良くなかったな。 それを考えると、藤本サンは朝ドラと大河ドラマで、大傑作を書いていますよね。 私のなかでは藤本サンの評価のほうが、今は高いです。

でもまあ、安定して傑作を生み出せる脚本家の人って、そうそういるもんじゃないとも思いますが。

「マッサン」 第1回はまだ未視聴ですが、泉ピン子サンがいびり役ですかぁ~(笑)。
完全に世間を敵に回そうとしてますね(笑)。
いや、その度胸たるや。
強靭な精神がなければ、ただでさえ好感度が悪いのに、そんな役などできはしません。
いや、世間の評判など意に介さない図々しさと鈍感さ、これって逆説になりますが、昨今の 「空気を読んでばかり」 の世の中で、生き抜いていくためのひとつの処方箋であるような気がします。

Nobu様(←スミマセン、Niobuなんて間違って入力していました)
コメント下さり、ありがとうございます。

Nobu様はかなり朝ドラに精通されているご様子ですね。 私はそれこそ、「芋たこなんきん」 くらいから欠かさず最初だけはチェックして、という習慣がついたビギナーですから、あまり長いスパンの考察が出来ません。

それでもやっぱり、リタイアすることが多いですよ、全体的に言って。
なにしろ長すぎますから、正直面白くないと、とたんについていけなくなる。

今回はやはり、「赤毛のアン」 に引きずられたから最後まで見ることが出来たんでしょうけど、いっぽうでこのドラマ、「復讐劇」 としての性格も持っていた気がするんですよ。

つまり、花子だけが優遇されたことに対する、兄妹たちの復讐。

兄が軍隊に入ったこともそうだし、かよがカフェーをやっていたのもそう。 最後にはももまでもが、花子に対する恨みを吐き出してしまう。

極めつけは、かよが花子の仕事場に婦人会と一緒にズカズカ入ってきた、あの場面でしょうね。 かよ自身は少々躊躇したような顔つきだったけれど、実はあれは、かよの潜在意識的な願望が成就した瞬間だったのではないか、という気が、私にはしてならないんですよ。

そこを描いた中園サンは、やはりすごいのではないか、という気がする。

いや、これ、記事本文中で書かねばならないことだった!(笑)

リウさま
ご返信いただき、ありがとうございます。
また、私の挨拶まで深く解釈いただきまして・・
いやいや、実は、朝送ろうと思って書いてたところ、出勤時間がきましたので、一時保存して続きを夜書いたと、そういう次第でした。
なんとも、しまらぬ顛末でして・・どうもすいません。

さて、御見込みのとおり、ネットでは放送前から(!)、ピン子さんバッシングが始まってます。せめて1回ぐらい観てから言えよという気もしますが、今の世の中、こういう、もろ手を挙げて叩ける対象を嗅ぎ分ける嗅覚だけは、本当に研ぎ澄まされておりますなあ。
まあ、ご本人もそういう反応は織り込み済で、話題になればいいという風情なのではないのでしょうか。叩き上げのタフさを、舐めてはいけません。

ただ、この「ピン子叩き」で気になるのは、なんやかんや言っても、「芸人風情が大女優面しやがって」という意識が見え隠れすることですね。ここには、とりもなおさず、彼女が女性であることと、加えて、世に出たきっかけが「ウィークエンダー」という当時、世間で「低俗」と叩かれていた番組だということ。この2重の差別意識があると思うんですよね。

確かに私も、余り好きなタイプの女優さんではありませんが、かといって、こうした意識に組みしようとは思いませんね。
役者は、演じる役でのパフォーマンスによってのみ論じられるべきですもん。
津川雅彦さんの政治や社会に対するコメントなど、私にとっちゃ噴飯もの以外の何者でもないですが、演技者としての彼は素晴らしい。凄い役者さんです。そんなもんじゃないんでしょうかねぇ。

リウ様、お疲れさまです。大変ご無沙汰です。

 「カーネ」以来、朝ドラは一応見る習慣になっていることもあり、今回も一応完走はしました。「はつ恋」ファンとして、このドラマについては、まあ途中から中園先生が投げてしまったように感じてましたけど(実際は脚本家ではなくスタッフの問題のような気が)恋バナシになると力が入るような印象でした。中園さんはやはり恋愛を中心においたドラマが得意なのかな、と思ってるところです。(といって「はつ恋」しか見てないんですが(笑))
 個々にはいい場面も結構あって、一番好きだったのは朝市がはなとももに結婚の報告をするシーンでしたね。朝市の気持ちに気づかなかったはなが、それでも泣いて朝市を祝福したことで、随分救われました。主役も含めて、場面を作れる実力のある役者が多かったからでしょうか。(亀和田武のよく分からん記事みたいなこと言ってますが)でも茂木さんを引っ張り出して棒演技をさせたのは、はっきり言って冒涜です(笑)。
 リウ様の「置いといて」、まさにそのとおりに見てました。付け加えるなら、「たった一語を調べるのに家まで帰る必要があったの?もう手近に辞書がない時代じゃないでしょ?」(笑)
 小生「赤毛のアン」は未読・未試聴ですけど。。。アンのポジティブなところと、はなの性格をシンクロさせる目的なら、アンの物語とドラマを並行させるとか、もうちょっと違うストーリーがあったのではと思うし、もっとおもしろかったのでは。。。(著作権の問題があるのでしょうか(笑))

 朝市のスピンオフは、今のところ楽しみにしております。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。 「マッサン」 の記事を、優先させてしまいました。 不義理をお詫びいたします。

「おはようございます」 の理由は、そうだったんですね(笑)。 まあ、結果オーライでございます(笑)。

泉ピン子サンのことについてですが、「ウィークエンダー」 って、今の若い人は、知らないでしょうね(笑)。 たぶん 「ぴったんこカンカン」 に出てくる態度のデカイずうずうしいヤツ、みたいな感覚かな? 「渡鬼」 でさえ、既に時代の波にさらわれている感覚がいたします。 ただまだ 「渡鬼」 の余燼は残っていて、「橋田ファミリーで大きなツラしやがって」 というのはあるかもしれない。

まあ自分、ここ数年バラエティをまったく見なくなったので(「タモリ倶楽部」 を除いて)、そこらへんの事情には疎いのですが。 日本エレキテル連合というのも、ネットでしか見たことがありませんし(笑)。
だから津川サンが政治バラエティでなにを言ってるのかも、分かんなくてよかった(笑)。

先ごろ亡くなられた米倉斉加年サンも、筋金入りの共産党支持者だったとか言います。 でもドラマでは一切関係ないですね。 そりゃコミュニズムメソッドみたいな演技があるのかもしれないけど(ハハ、そんなのないか?)。

まあ、茂木先生には、脳科学メソッド演技でも、してもらいたかったかな(私も辛辣ですね)。
茂木先生の演技を見て、役者の演技とはどういうものなのか、が分かった気がしましたもん。
まず、目線で演技してますよ、役者さんは。
正直、じっさいの生活で、そういう目線をすることはない、という 「演技の目線」 というものがある。 何かを言うのにいったん目線を落としたりすると、「ちょっと言いにくいけど」、みたいなことを表現できたり、とか。 目線を左右に動かしながらセリフを言うと、ちょっと動揺していることが伝わったり、とか。
茂木先生の場合、同じ目線でも、意味もなく泳いじゃってる。 だから素人っぽく見えてしまう。

なんか、いつの間にか演技論の話になってしまった(笑)。

Fクルーラー様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

実はFクルーラー様からコメントが来ないのを、ずっと気にはしていたんですよ。 だってワタシ、途中から結構ボロクソに叩いてましたからね、このドラマ。 「はつ恋」 マスターのFクルーラー様には、コメントしづらいことを書いているかな、と。 気にしてなければ、もっとテッテ的に批判していたかもしれません(ハハ)。

「置いといて」 の部分なんですが(笑)、結構それには理由が潜んでいる気は、するんですよ、いちいち。

たとえば宮本が蓮子を励ますシーンなんて、まあ重要度からいうとカットしてもいいかな、という気もするし、花子が蓮子の承諾も得ずにJOAKに電話しちゃったのも、「善は急げ」 みたいな、蓮子の承諾を待つよりも半ば強引な形でラジオ出演させたほうがいい、という判断が、花子にはあったはず。

亀和田某氏のテレビ批評ですが、結構楽しみにして読んでる部分もあるのですが、自分の好きなドラマを貶されてヨタってるような感じが、しないでもない(笑)。
特に 「若者たち2014」 を擁護する記事では、プロレスの効用を滔々と語っていたけど、そもそもそれがアンリアルなのであって。 私はこのドラマの冒頭で、柄本祐クンが浪曲語りみたいなセリフを言ったのにもゲンナリした。 今どきそんな若者がいるかよ、ってなもんで。 で、妻夫木クンの自転車こぎながらの 「若者たち」 熱唱でしょ(笑)。

まあ、自分が10分でリタイアしたドラマについて、亀和田某氏がどう擁護しようが、それはそれでいいんですけどね(結構私も辛辣)。

「赤毛のアン」 に期待した層ほど、今回のドラマには失望している、と私は考えています。 その理由は先に述べましたが、そもそも 「アン」 を熟読してないでしょ、中園サン。 「曲がり角を曲がった先に」 の部分しか読んでないんじゃないのかな(それは言いすぎ…笑)。

でも、ダレる事もあったけれど、最後まで見れちゃったんだから、「梅ちゃん」 とか 「ごちそうさん」 などよりも、私のなかでは評価が高いドラマ、ということだけは言えます(またエセインテリ風なことを書いてますね、私も)。

リウ様 お邪魔します。

 「はつ恋」フリークといたしましては(笑)はじめから違和感ありありでした、このドラマは。伊原さんも適役とは最後まで思えませんでしたし。里村洋君は大きくなってるし(笑)。好みの問題でしょうけど、「グッドモーニング・・・」もちょっとしつこいな、と思ってました。教養への憧れと言うことなんでしょうけど、はなの成長に大きく影響したわけでもなさそう(一番の影響はスコット先生から?)ですし。まあ吉平の遺影が妙にカワイかったですけど(笑)。
 それを除けば、基本的に違うドラマですから、始まりから数週間は本格的な感じで好意的に見てましたが、女学校編の後半くらいから見る気持ちが入らなくなってしまいました。ここからは個人的になりますけど、吉高さんはお芝居がいやと言うことはなく、むしろ上手だな、と思うこともしばしばでしたが、結局山梨弁が似合わなかった印象でした。他の方々も何かしらハマっていない感あり(蓮子さん、醍醐さんetc...)。場面ごとには良いところもあったと思うのですが。
 違和感なかったのは窪田さんくらいでしたか。。。(どんな役でも彼はそうなんでしょうけど。後、吉田鋼太郎さんは別格ですね)
 リウ様の書かれていたことに違和感は無かったです(笑)。

 JOAKへの電話のシーンをはじめ、脳内補完できないわけでは無いんですけど、これまでの積み重ねですよね。突っ込みたくなる場面が目白押しだったので。毎日「カーネ」と併せてみていたせいかもしれませんが。
 「アン」は未読ですが、9月に偶然一話だけアニメを見ました。アンが友達のために棒渡りをして怪我をする、という話でしたが、あれ、どっかで見たような(笑)。これだけの経験で言うのは恐縮ですが、シンクロさせる意図はあったんじゃないかと思うんですよね、題名のとおりに。しかし最終週にやっと出版じゃ、間に合いませんよね。

 しかし「カーネ」の再放送をするときは朝ドラの時間帯は避けるべきでしょうね。「花アン」もこれでだいぶ損してるんじゃないかと思います(そのせいでやけになって、茂木さんを出すという暴挙に出たのか(笑))。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

私は最初のうち、伊原サンの父親も、ずいぶんと問題を抱えている一筋縄ではいかない役柄だな、ということは感じてました。

まず、なにより花子ばかりをえこひいきしている。
インテリジェンスに対するコンプレックスがかなり大きい。
「家」 に対する帰属意識がない。

このオヤジ様の生き方というのは、このドラマの中で、とても大きな論点になる可能性を限りなく秘めていた、と思うのです。

だからこそ花子以外の兄妹の人生が、花子の独り勝ち状態で歪んでいく。
このドラマはそこんところを、きちんと表現していたように感じます。

でもFクルーラー様のご指摘のように、その点ちょっと中園サンが途中で投げちゃったような気もしますね。 おとうは 「ぐっどもーにんぐ」 の人、という括りだけになってしまう。

まあだから、遺影の 「ぐっどもーにんぐ」 がかわいくて笑わせるのですが(笑)。

いかん、もう仕事の時間だ。

「カーネ」 の再放送は、「あまちゃん」 のときがよろしかった気がします(笑)。

リウ様 お邪魔します。

 もともと「カーネ」の再放送は去年の春の予定でしたからね。どうなっていたことやら。「あま」は楽しめなかったかも知れませんね。何か巡り合わせを感じます。「あま」のギャラクシー大賞もなかったりして(笑)。
 茂木さんの出演でとやかく言いましたが、考えてみれば、前作の「ごち」ならば、出てきても腹は立たなかったでしょうね。それだけ「花アン」の方がドラマの体をなしていたと言うことかも知れません。前作は料理番組の分類でディスクに保存しました(笑)。
 略称ばかりで失礼しました(笑)。

Fクルーラー様
コメント下さり、ありがとうございます。

「カーネ」 の金字塔に迫ることが出来るのは、ハイパーテンションの 「あまちゃん」 だけなのではないか?という気はします。 今回 「マッサン」 にぶつけてきたのは 「梅ちゃん」 だったけど、あまり何も考えないでNHKもBS再放送の段取り決めてる感じですね(笑)。

Fクルーラー様の先のコメントに反応してしまいますが、私も吉高サンは、世田谷在住のよしみではなく、演技力はある、と思います。
ただその演技には少々個性みたいなものがあって、受け付けない人にはダメなんだろうな、という気はします。
私の独断ですが、例を挙げると、「ダイレクトなリアクションをあまりしない」、「アヒル口を隠そうとするのか、無表情に見えてしまうことが多い」、そんなところでしょうか。 良くも悪くも、若者特有のイジケやハニカミを引きずっている、という印象があります。

でもその、ダイレクトに反応できない仕草の中に、他人を好きになろうとする本心が隠れているように、私には思えるのです。

そういう、ある種の戸惑いのなかで演技しているような吉高サンに、シンパシーを感じたりするんですよ。 私は好きですね。

橋本様
「花子とアン」色んな思いはありますが、今更・・・ですよね。
途中リタイアしたおばさんは消化不良気味で、「赤毛のアン」「アンのゆりかご」を読み直してみたり、アンをもじったような「和菓子のアン」や「本屋さんのダイアナ」なんかも読んだのですが、これがおばさん向きで結構面白く、特に「ダイアナ」は女の友情を書いたもの、花子先生の素敵な解説も引用されています。
又、宮本輝の「流転の海」7部にもアンのセリフが出てきたり、「曲がり角・・・」だけ何回も引用していたみたいですが、もっと色んな言葉を花子さんに言ってほしかったな・・・と今更ながら残念!
詩人の橋本様に、おばさんの読んだ本の紹介など小学生の読書のようなものでしょうが、我が儘な年寄りにお付き合い下さいませ。
ついでながら、橋本様はお忙しいので、映画はあまりご覧にならないのでしょうか?
おばさんは、ドラマはどうも突っ込みたくて・・・何作か見ようと思ったのですが持続せず、結局、朝ドラと大河だけになりました(笑)。どうやら映画人間のようで、多少当てが外れても我慢できるようです。橋本様の文章結構好きですので、映画のレビューなんかも読みたいものだと勝手に思ったりして・・。
一番最近は浅田次郎原作の「柘榴坂の仇討」です。「壬生義士伝」ほどではないものの、中井喜一、良かったです~。機会がございましたら是非・・・。

 花子さんは恒例の「紅白歌合戦」の司会のようで、三輪さまは連子様のご結婚を祝して「愛の賛歌」を歌う事でしょうネ・・・。
長文になりました、ごきげんよう。

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が、大変遅れました。 お詫び申し上げます。

映画は、数年前まではよく見てましたよ。 このブログのカテゴリの中にも 「映画」 というのがあるんですけど、ホントは開設当初はもっといろいろ過去に観た映画について書こう、と思っていたんですよ。

でもここ数年、「2時間前後拘束されるのが、チトつらい」、という感じになってまいりまして(タハハ…)。
だからドラマでも 「初回2時間スペシャル」 とかやられると、もう見てらんなくて(笑)。 数回に分けて見たりしています。

だからこの朝ドラというのは、都合上1時間半見なきゃいけないので結構辛いっス(笑)。 たまに週の途中で見たりします。

「花アン」 に関連する書籍を読むのは、これも多忙だからしてないんですが(何でもかんでも多忙で片付けられる今日この頃)、却って 「花アン」 のドラマに対する怒りがぶり返しませんか?(笑)
でも、「私だったら 『花アン』 をこういうドラマにした」 という想像が出来て、いいかもしれませんね。

私が好きな映画は、なんと言ってもクロサワの中期までの時代劇ですね。 チャプリンもかなり見ました。 ほぼテレビで見たんですが(笑)。 で、テレビのBSなんかでたまに何の気なしに見始めて、最後まで見ちゃう映画、ってありますよね。 そういうのは好きですね。 「かもめ食堂」 がそうだったな。

今年の紅白は 「みんなで歌おう」 とか?
よ~分からん…(笑)。 「みんなで歌える」 歌なんて、現代日本では死滅してますけどね(爆)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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